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▲プログラム表紙
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フィリップの "大作" は、最終的に "作曲者の希望"
どおり、2000年11月9日(木)、大阪のフェスティバルホ−ルで開催された第81回大阪市音楽団定期演奏会において、渡邊一正(わたなべ かずまさ)指揮、大阪市音楽団(市音)の演奏で日本初演された。
"最終的に" というのは、そこに至るまでに少々調整を要する案件があったからだ。つまり、作曲者の混乱もあって、この作品の日本初演を最初に名乗り出た市音だけでなく、すでに市音を定年退職されてその名誉指揮者となっていた木村吉宏(きむら よしひろ)さんにもスコアが手渡され、ほぼ同時に氏も自ら指揮するコンサ−トで日本初演を熱望されるという偶然のダブル・ブッキングが起こっていたのだ。(File
No.06-03 参照)
そこでヤジウマ的興味を抱くのは、市音と作曲者の合意を知らずに作曲者からスコアを手渡されたもう一方の当事者、木村さんが一体どの演奏会でこの作品を演奏しようと考えられていたのかという点だ。ズバリ、それは、2000年4月9日(日)、大阪国際会議場メインホ−ルで開催が予定されていた近畿大学吹奏楽部第36回定期演奏会だった。
そして、筆者が作曲者に伝えた "市音と木村さんが話し合いの場をもつだろう"
などという希望的観測を充たすための時間的な余裕もなく、ことは筆者の預かり知らぬところでドンドン先へ進んでいったのである。すなわち、シカゴのクリニックで得た情報を整理してスコア・リ−ディングも終え、プログラムを決めた木村さんから楽譜購入の指示を受けた近畿大学吹奏楽部は、早速、東京の楽譜輸入業者に楽譜を発注していたのだ。間近にせまった演奏会のための楽譜だから当然のことだろう。しかし、楽譜の注文を受けたイギリスのステュ−ディオ・ミュ−ジック(Studio
Music Co.)からの返答は、近畿大学関係者を当惑させるものだったという。返答が作曲者自身からのもので、「作品は、今年11月に大阪市音楽団によって日本初演される。」という内容だったからである。
作曲者がそう言う以上、この件はこれにてジ・エンド。実際、ことはそのとおりに運んだのだが、ここまでの経緯を第三者的な視点から客観的にみると、先記の時点での発注はかなり
"勇み足" であったことがよくわかる。同時に、市音にくらべて作品についての情報が不足していたことも否めない。大学サイドが作曲者と直接向かいあっていた訳でもなかったので無理もないが....。
すなわち、この作品の演奏権は、委嘱時の条件で<世界初演からの1年間、委嘱者であるアメリカのノ−ザン・アリゾナ大学にある>ことがシカゴのミッドウェスト・クリニックの時点でハッキリしていた。このプロテクトが解禁になるのは、2000年の秋(File
No.06-02 参照)。しかも、一般に演奏可能になるためには、スコアだけでなくパ−ト譜も含めてすべての楽譜が
"出版" もしくは "出版準備が完了"
していることが必要だった。必ずといっていいほど初演時のリハ−サルで発見される音符や発想記号などの脱落や間違いの訂正や著作権の設定など、出版前に行なわれる作業の量は膨大だ。しかも、こんどの作品はフィリップの作曲家人生最大の作品であり、作業がそんなに簡単に終わるハズもなかった。とにかく、4月のコンサ−トに間に合わせるにはあまりにも時間が不足していた。
歴史に "IF" という興味はいつの世にもつきないテ−マだ。視点を変えて、もしもこの作品に興味をもった他の日本のバンドの演奏会が2000年10月頃にあり、その時点で楽譜が出版されていたとしたら、ことはどうなっていただろう。その場合、作曲者の意図とは関係なく楽譜は自由に輸入され、日本初演は市音ではなかった可能性がある。
しかし、現実はちょっとした偶然の積み重ねだ。現時点から遡って、その後の流れを検証していくと、まず、2000年4月末にフィリップが長年エディタ−をつとめたステュ−ディオ・ミュ−ジックを円満退社。5月に自分自身の出版社アングロ・ミュ−ジック・プレス(Anglo
Music Press )を立ち上げ(つまり彼は社長だ!!)、同時に未出版の「EARTH,WATER,SUN,WIND」の著作権も同社に移行。その後、サブ・タイトルを"Symphony
for Band" にすることが決定され、オランダ陸軍のミリタリ−・バンド
"ヨハン・ヴィレム・フジョ−・カペル(De Johan Willem
Friso Kapel)" によるレコ−ディング・セッション(CD:英Anglo
Records,AR 001-3/制作:2000年)、さらに "出版楽譜"
は営業戦略などの理由から "Symphony No.1"とすることになった等々、いろいろなことが重なって出版スケジュ−ルはどんどんずれ込んでいき、最終的に2000年12月のシカゴのミッドウェスト・クリニックに向けてのものとなった。これらの事実から、実は日本初演を市音以外のバンドが行なっていた可能性はほとんどなかったことがわかる。
それでは、「市音は未出版のこの作品をどうして演奏できたのだろうか?」という当然の疑問が湧いてくる。答は簡単。そして、ここからがフィリップの人間性の面目躍如とするところだった。フィリップは委嘱者との間のプロテクトも市音との
"日本初演OK" の約束も守り、音符や発想記号などの修正を完了した時点で楽譜をプリント・アウトして、プロテクトの解除時期を見計らうと同時に個人練習やリハ−サルに十分間に合うタイミングで楽譜を送付してきたのだ。それが証拠に、市音がコンサ−トで使用した楽譜には、筆者に送られてきたスコアと同様、「EARTH、WATER、SUN、WIND」という原題以外、最終的にナンバリングまでされたサブ・タイトルなど存在しない。フィリップは、その一方で木村さんや大学にも配慮して、他の自作品情報を提供したそうだ。いかにも彼らしい。
招待状はいただいていたが、例によって "篭の鳥" 状態の筆者は近畿大学のコンサ−トは聴けなかった。しかし、木村さんのアツい指導もあってこの演奏会もすばらしいものになったそうだ。コンサ−トでは、フランコ・チェザリ−ニ(Franco
Cesarini)の交響詩「アルプスの詩(Poema Alpestre)」やスパ−クの「ディヴァ−ジョンズ〜スイスのフォ−クソングによる変奏曲(Diversions−Variartions
on a Swiss Folk Song) 」など、今をときめく話題作の "日本初演"
が行なわれ、いかにも木村さん好みのアグレッシブな選曲は、多くのウィンド・バンド・ファンを魅了したという。
これにて一件落着!!めでたし、めでたし。
......つづく
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