作曲者ピーター・グレイアムから送られてきたグラマーシー・ミュージックのカタログには、『ハリスンの夢』は、つぎのような作品であると説明されていた。
“デーヴァ・ソベルの輝かしい著作『経度(ロンジチュード - Longitude)』が、この作品の背後にあるインスピレーションを与えてくれました。これは“経度問題”を解決する18世紀の英国の時計技師ジョン・ハリスンの苦闘のさまを表現した作品です。(経度測定のため)船上の現在時刻と母港の時刻を同時に正確に知ることを必要とする海。その海において経度を計算できなかったがために、結果として多くの船が失われました。
音楽は、機械的な展開、すなわち正しく数学的であり、韻律のように計算されたラインに沿って構築され、同時に新ロマン主義的です。時計技師の仕事場の、耳にこだまするようなさまざまな音が、悪夢の中の情景、すなわち、(失われた)無数の命が解決を願っていたという現実的認識にハリスンが取り憑かれているさまと交錯します。
『ハリスンの夢』は、ロウル・E・グレイアム大佐をコマンダー(指揮官)とし、コンダクター(指揮者)とするアメリカ空軍ワシントンD.C.バンドによって委嘱され、そして、フル・シンフォニック・バンドのためにスコアリングされています。
2002年2月発売。”(Music for Concert Band 2002-2003 / Gramercy Music / 訳:樋口幸弘)
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一読して、原文の英語では、3回も現れる“Longitude(経度)”という単語がキーワードであるのは、一目瞭然だった。そして、少年時代、海や船に一種の憧れをもっていた筆者にとって、ピーターのこの新作が、一般に“クロノメーター”と呼ばれる精密な航海用時計の開発者をテーマにしているらしいことを気付かせるまで、そんなに時間はかからなかった。
File No.12-02に書いたように、深夜のCD鑑賞会で曲を聴いて、バンドパワーのコタローさんは、もっと作品のことを知りたがっているに違いない。そこで、夜、時間をみつけて電話を入れる。
作品についての概略を説明すると、俄然乗り出してくるコタロー氏。そして、『ラジオをやる秋までに、何とかしてデーヴァ・ソベルの本を手に入れて読んでみようと思う。』と続ける。何かしら解説らしきことを喋るには、少なくとも作曲者が読んだ同じ本を読んで、同じベースに立たないといけないと考えたからだ。
すると、『ちょっと、待って。』とコタロー氏。電話の向こうからは、カタ、カタ、カタとリズミカルなキーボードを叩く音が聞こえてくる。そして、『アー、あった!!』と、筆者の伝えた書名をコンピュータでインターネットを検索して、Amazon にこの本の原書が出ていることを伝えてくれる。同時に『しかし、書いてあることが英語なんで、よくわからないやー。しかし、注文できるよ、この本。どうする?』と訊いてくる。
今、このラクガキを読んでいる人にとって、ちょっと不思議に思われるかも知れないが、2002年4月現在、筆者はコンピュータも持たず、世の中にインターネット検索というものがあることも知らなかった。ある業者が置いていったFAX回線につなぐ発注用端末のオプション機能を使って、電子メールというものを始めたばかりだった。
それで、『へェー!?』というと、『だから、早くコンピュータ買いなさい、と言ったでしょ。それで、どうするの、この本。注文しとこうか?』とコタロー氏。丸善かどこかに電話してみようと考えていた筆者は、そんなことで手に入るんだったら、それでもいいやと、即、発注を頼んだ。すると、数日もしないうちに、アメリカから本が届いたとの知らせがコタロー氏から入る。すごい時代になったものだ。
そして、実際に手にした本を見て、イギリス人の時計製作者をテーマにした本なのに、著者がイギリス人ではなく、アメリカ人女性であることを知って、またまたビックリ。しかし、ニューヨーク・タイムズの記者もやっていたというデーヴァ・ソベルが書いたこの本は、英語を日常語としない日本人にとっても読みやすく平易な文体。もちろん、海事に関する専門用語こそ、辞書のお世話になったが、そんな単語をいくつか覚えてしまうと鬼に金棒。どんどんと読み進むことができた。現実にあったドキュメンタリーが下敷きになっているにも関わらず、ストーリー展開が面白かったからだ。ベストセラーになるはずだ。
読み終わって“なるほど”と思った。そして、『ハリスンの夢』の器楽的な面白さ以外に、その音楽からいろいろな情景が浮かんできた。確かにこれは、名曲かも知れない。
(つづく)
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