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『息を聴け 熊本盲学校アンサンブルの挑戦』
著者:冨田 篤[打楽器奏者]


発行:新潮社


【ご注意!】
1)下記本文は、最終校閲以前のものです。よって、実際に刊行される本文とは、一部違う場合があります。また、パソコン上で読みやすくするため、改行や一行空けなどが多めに加えられています。

2)下記本文は、Band Powerに限って、著作権者(冨田篤先生)と出版権者(新潮社)の許諾を得て掲載されるものです。よって、権利者の許諾なく、個人で読む以外の目的でプリントアウトやコピーをしたり、紹介の範囲を超えてウェブサイトやブログに転載することを、堅く禁止します。



【目次】
プロローグ
第一章 吹奏楽との出会い
第二章 熊本県立盲学校
第三章 始まり
第四章 初舞台
第五章 ジャンヌ・ダルク
第六章 県大会
第七章 九州大会
第八章 全国大会
エピローグ

<参考楽譜>ジャンヌ・ダルク〜八つの打楽器群のために(J・グラステイル作曲)


【本文より】

第六章 県大会

 小雨交じりの薄暗い雨雲の下を潜り抜け、私たちは駆け足で会場に入っていった。
ロビーに入ると、大きな看板に書かれている文字が目に飛び込んできた。

〈第三〇回九州アンサンブルコンテスト 熊本支部予選〉

 会場入りした生徒たちは、緊張を隠せない様子で、みな緊張していた。

 ロビーの喧騒と、ホール内からスピーカーを通して漏れ聴こえてくる他団体の演奏が、何層にも折り重なって、彼らの耳に入ってくる。緊張しないわけがなかった。

 もし、不安がないか、と聞かれれば、間違いなく「ある」と答えただろう。

 しかし、「ある」を「ない」とするのも、ステージで演奏する者の務めだ。不安からくる緊張を制すことができなければ、普段の力が出るはずがない。緊張をどうコントロールするか、それが演奏家にとって永遠の課題であり、演奏の糧ともなるのだ。

 今日のステージにおいて、私自身が音を発する事はない。先述のように、アンコンでは、規定で、指揮者を置くことは許されていないし、演奏するのは彼ら部員たちだ。

 自分で演奏できれば、どれほど気が楽かと何度も思ったが、この舞台の主役は彼らである。私の仕事は、彼らを無事ステージに送り出す事だけであった。

 不安は「ある」。

 しかし、「ない」と思い込む。

 いや、「ない」と信じる。

 今日は「不安なし」と。

 ……今思えば、一番緊張していたのは私だったのかも知れない。

 会場に入って間もなくすると、楽器が到着したとの連絡が入った。

 ホール内では演奏が行われているため、裏口(楽屋入口)で、降ろした楽器を組み立てるように、との指示だった。

 トラックから次々と降ろされる楽器を、みんなで組み立てる。

 一見どうという事のないこの作業も、彼らにとっては実に大変な作業となる。

 みな必死の面持ちで楽器に顔を近づけ、ひとつひとつの部品が正確にはまっているかどうかを確認している。

 四年前は、この作業に膨大な時間をかけなければならなかったのだが、何度となく本番をこなして行くうちに、楽器の組み立て〜解体の過程を少しずつ習得し、いつの間にか自分たちだけでできるまでになっていた。

 水田部長の指示のもと、各部員に役割が分担されており、素早く楽器が組み立てられて行く様は、部員の成長と同時に、水田のリーダーとしての成長をはっきりと示していた。
 この日も、二〇数種類ほどの楽器が一〇分足らずで組み立てられ、舞台裏へと運ばれていった。

 このスピードは晴眼者のそれとほぼ同じ、もしくは少し速いくらいである。

 つまり、大変な作業ではあるが、決して彼らに「できない」作業ではない。彼らは打楽器にまつわる細々とした作業が、自分たちの仕事である事を認識し、自分たちですべて行なう術を身に付けた。

 彼らにしてみれば「当然」の作業であり、これができなければ演奏もできない事を、誰もが理解していた。

 ホール下手に楽器を置き、リハーサル室へ移動した。

 通常、管楽器だけのアンサンブルであれば、このリハーサル室で音出しやチューニング(音合わせ)をしてから本番のステージに移動する。

 だが、打楽器アンサンブルの場合は、楽器の移動が大変なので、演奏者のみが、楽器なしでリハーサル室へ誘導される。

 部屋に入り、本番における楽器の配置通りに並んでもらった。

 誘導員は、「一五分間、ここで音出しができます」と告げ、部屋を後にした。

 鏡張りのリハーサル室内に、八人と私が残された。

「音出しできます」と言われたって、音を出す楽器などはもちろん、ない。

「緊張するか?」

 私のその問いに、みな笑顔で応えた。緊張を笑顔で隠そうと必死だった。

 私もまた、彼らと同じ笑顔を見せていた。

 鏡に映るみんなの笑顔が、私たちの緊張を客観的に映し出していた。

「これで最後かもしれない」

 そう言って、みんなの顔を見た。

 このセリフは、ここ数日間の、私の口癖だった。

 そしてセリフは続く。

「しょせんは人が決める事だ。審査員が、みんなの演奏をどう感じるか、だ。代表になれるかどうかなんて、誰にも分からない」

 八人は、じっと私の話を聞いている。

「俺たちができる事はただひとつ。僕らの、盲学校アンサンブル部の演奏をしようや」

 正直言うと、私は金賞が欲しかった。

 代表になりたかった。

 その確証を、彼らに与えたかった。

 しかし、ここはコンテストの場だ。そんな保証は誰も持っていない。

 私には、彼らにそう言って演奏に集中させる事しかできなかった。

 盲学校の音楽……僕らの音楽……だが、その実態を、私自身は、本当は把握できていなかったのかもしれない。

 なのに、私たちはそれを信じた。信じるしかなかった。

 身震いする身体を柔らかくするため、柔軟体操をやらせた。足首・手首・指の先まで血液が循環するように、ゆっくりと、何度もやらせた。私も生徒に手本を示すフリをして一緒に柔軟体操をし、緊張を解こうと必死だった。

 ある程度体がほぐれたところで、バチを持たせた。

 まずは最初のテンポの確認。

 それから激しいパッセージの時の、身体の使い方。

 楽器がないので、自分の目の前に楽器が「ある」つもりでバチを振らせた。同時に、バチが空を切るだけでは音が判らないので、生徒の「声」を楽器の音とした。口三味線である。

「ダカタダカタジャン!」
「タカタカタカタン……」
「ダン! ダン! ダン!」

 八人の、叫びにも似た「声の合奏」が始まった。

 私はその口三味線が少しでもずれると、演奏を止め、注意した。

 あたかもその場に楽器があるつもりで。気がつけばいつものレッスン風景と何ら変わらない状況になっていた

 知らない人が見れば、ちょっと変わった集団に見えたかもしれない。楽器も持たず声のニュアンスで音楽を奏でるリハーサル。

 しかし、それこそが私たちの生命線だった。

 どんな音を発し、どんな耳でその音を拾うのか。深層意識の中で繰り広げられるその音の構築に、楽器は無用だった。気が付けば一五分間、八人は、延々とジャンヌダルクの世界を叫んでいた。

 リハーサル時間が終わり、舞台下手に誘導された。

 一〇分後が出番だ。

 客席には、昼休憩を済ませた聴衆が戻り始めていた。ざわざわと漏れ聴こえる声と、薄暗い舞台下手の雰囲気は、私たちが再び緊張を取り戻すには充分な環境だった。

 楽器やバチ置きの確認をしながら、胸の高ぶりを懸命に抑えた。

 五分後、「大学の部」の演奏がスタートした。

 県大会では、大学の部に六団体がエントリーしていた。

 その中から、一団体だけが、次の九州大会に駒を進められる。

 盲学校アンサンブル部は、出演順で二番。前に一団体を聴いてからの出番であった。

 トップバッターの大学は、私たちと同じ打楽器アンサンブル。このコンテストは、管楽器も打楽器もすべて同じカテゴリとして審査される。だから、打楽器の団体同士で審査を争うわけではないのだが、出演順が並んでいる事もあり、この二団体が比較されるのは誰の目にも明らかだった。

「先生、この学校上手ですね……」

 春香が、おもむろにそう漏らした。ステージから聴こえてくる迫力ある演奏に、春香だけではなく、部員の誰もがそう思っていた。

 伏し目がちな部員を集め、私は円陣を組ませた。

「上手に聴こえるか?」

 私のその問いに、誰もがうなずいた。

「舞台裏で聴くとな、どんな演奏でも上手に聴こえるもんなんだよ」

 私はそう言って、彼らの表情をゆっくりと眺めた。

 もちろん、私が聴いてもその団体は上手だった。ニール・デ・ポンテ作曲の打楽器六重奏《セレブレーションとコラール》を、大学生らしい、見事な大人の演奏に仕上げていた。打楽器アンサンブル曲としてはとても有名な作品で、毎年、必ずいくつかの団体が演奏曲として取り上げる人気ぶりだ。

 だが、私は言葉を続けた。

「いいか? お前らが、これから数分で突然、上手くなるわけがないんだ。結局、自分たちの演奏をするしかないんだ」

 薄暗い舞台袖の中、円陣を組む一人一人の手から、しっかりと鼓動が伝わって来る。
不安、緊張、恐れ、そして迷い……。

 そのすべてが、八人と私の前にのしかかってきた。

 前の団体の演奏が終盤を迎えた時、私は彼らに告げた。

「お前らが、普段通りやれば、恐らく……この演奏より……ずっといい」

 みんな「そんな、まさか……」といった顔つきだった。

 言った私も、自分でそう感じた。この演奏よりいいだなんて。嘘だ。

 しかしそう思う反面、私は、彼らの演奏を誰よりも信じていた。上手さや下手さといった技術的な表現では決しておさまらない、彼らの演奏の良さを。

 その言葉に反応してかどうかは定かではないが、生徒は徐々に普段の顔つきに戻り、ニコニコと笑顔まで見え隠れするようになった。

 最後の言葉に迷いはなかった。

「ぜーったいに、全国大会に行こうぜ!」

 小声で「オーッ!」と叫ぶ部員に、私は笑顔を返した。緊張がいい方向に動き出した。
 不安が、いつの間にかどこかへ消えていた。

 そうだ、行くんだ。

 全国大会に。

 一番目の大学の演奏が終わり、私たちは楽器をステージに搬入し始めた。

 入れ替え時間は、およそ二分と決められていた。私たちはこの搬入作業も、事前に何度も練習していた。

 もちろん、生徒だけでできない移動は、顧問や先生方でサポートし、とにかく二分でおさまるように、何度も繰り返し練習していた。

 ほぼセッティングが終了したのは、一分三〇秒後の事であった。

 暗転になっていたステージから、私はサポートの先生方と共に出た。

 目映いライトが朝日の如く点灯し、ステージ上を照らし出すと、そこには部員八人だけが立っていた。

「二番、熊本県立盲学校アンサンブル部、打楽器八重奏。グラステイル作曲、《八つの打楽器群のためのジャンヌ・ダルク》」

 アナウンスがゆっくりと読み上げられる。

 彼らの演奏がスタートした。


<途中、略>


 審査結果発表は、連盟の役員により、ステージ上で、口頭で発表される。ステージの端には、各団体の代表が並んでおり、呼ばれるたびに前へ出て、審査結果を読み上げられると同時に、賞状を受け取る。その中に、もちろん、水田部長の姿もある。

 まず、各賞の発表。

 金賞・銀賞・銅賞が出演順に読み上げられる。

 トラウマ……ではないが、コンクールやアンコンの結果発表の時には、必ず中学時代を思い出す。「努力賞」と呼ばれたあの瞬間を。

 今回は……それだけは、勘弁してくれ。

「では、大学の部の発表です」

 心拍メトロノームが振り切れるかのように、バクバクと音を立てて鳴っている。

 手に持つパンフレットが汗で濡れている。一二月だというのに。

「一番、○○大学……金賞」

 やはり、私たちの前の団体は、金賞だった。確かにそうだ。あの演奏で銀賞はない。

 そして、次は私たちだ。

「二番、熊本県立盲学校……金賞」

 オーッとどよめく会場の中、思わず立ち上がった!

 金賞だ!

 隣りの草尾先生とがっちり握手を交わし、腰を下ろした。

 遠目に見える部員たちも嬉しそうにはしゃいでいた。

 良かった。努力賞じゃなかった。

 次々と発表される結果を聴き終え、いよいよ、次の九州大会に進む「県代表」の発表となった。

 この時点で金賞を取ったのは、出演順一番の大学と、二番の我が盲学校の二校のみ。このどちらかが、県代表になるのだ。

 ということは、読み上げられる番号が「二番」でなければ、終わりなのだ。

「それでは、第三〇回九州アンサンブルコンテストに推薦する団体を発表します」

<以下、略>

(C)冨田篤/新潮社【無断転載禁止】

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【著者プロフィール】
冨田 篤(とみた・あつし) 打楽器奏者

 1975年、熊本県山鹿市生まれ。11歳より打楽器を始める。
 都築学園・福岡第一高等学校芸術科(現・音楽科)卒業後、東京音楽大学打楽器科へ入学。打楽器及びマリンバを野口力、菅原淳、岡田真理子、藤本隆文の各氏に師事。
 1997年、第42回西日本新人紹介演奏会において最優秀賞、福岡県教育委員会賞を受賞。
 2003年、メルパルク熊本で初リサイタル「冨田篤パーカッション・リサイタル ACT1」を開催した。
 現在、プロオーケストラへの客員出演、ソロ、アンサンブルなどの演奏活動のほか、九州各地のスクールバンド指導や、様々なコンクール・コンテストの審査員に招聘されている。
 2001年より熊本県立盲学校アンサンブル部のトレーナーをつとめ、2005年全日本アンサンブルコンテスト「大学の部」で、同部を全国大会金賞に導いた。同校アンサンブル部は、2002年くまもと県民文化賞を受賞したほか、同年に神奈川県で開催された第26回全国高等学校総合文化祭に熊本代表として出場を果たしている。
 2003年には、盲学校での指導が評価され、日本青年会議所が主催する「人間力大賞・文部科学部門」にノミネートされ、会頭特別賞を受賞した。

『息を聴け 熊本盲学校アンサンブルの挑戦』(冨田篤著/新潮社刊)は、4月28日、全国書店にて発売!

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【冨田 篤のブログ】
http://blog.livedoor.jp/tomtomtommy21/



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