■吹奏楽曲でたどる世界史【第40回】第2次世界大戦(1939~1945) その1 ~アメリカン・サリュート ~「ジョニーが凱旋する時」による(モートン・グールド作曲/フィリップ・ラング編曲)

Text:富樫鉄火

●作曲:モートン・グールド Morton Gould(1913~1996)
●編曲:フィリップ・ラング Philip Lang
●原題:American Salute~Based on ”When Johnny Comes Marching Home”
●初出:1943年
●出版:Alfred Publishing
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/set-9640/

●参考音源:『バンド・クラシックス・ライブラリー4「ランドマーク」』(ブレーン)ほか
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-0774/
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-2850/

●演奏時間:約5分
●編成上の特徴:ほぼ大型標準編成。
●グレード:4~5

今回から第2次世界大戦に入る。1939年9月1日に始まって、1945年9月2日に終わった、足かけ7年にわたる大戦争である。いまのところ、世界規模で発生した戦争としては、人類史上最大にして最後の戦争ということになっている。

すでに吹奏楽の世界は、楽器編成や作曲技法などが、ほぼ現代のスタイルになっていたので、この戦争を題材にした吹奏楽曲はたいへん多い。題材としては、おそらく「聖書」に次ぐ多さであろう。とても全部を紹介することはできないが、重要な曲に絞って、今回から数回にわたってご紹介する。

まず初めに、第2次世界大戦とは、どういう戦争だったのか、概要を述べておく。近年の日本の若者には、この戦争に関する知識がない者が多く、ひどいのになると、「アメリカと日本が戦争していたこと」「戦後、日本がアメリカに占領されていたこと」を知らない者さえいるらしい。それで第2次世界大戦を題材にした吹奏楽曲を聴いたり演奏したりするのは、いかがなものかと思う。特に中高吹奏楽部の指導者の先生は、もし、今回以降に紹介する曲を演奏する場合には、最低限、本欄で述べているような話を、ぜひ、部員生徒にしてあげてほしい。

第1次世界大戦後、参戦国によってつくられた新たな世界秩序を、俗に「ヴェルサイユ体制」と呼ぶ。1919年に締結された「ヴェルサイユ講和条約」にもとづく戦後体制である。

これは、ひとことで言うと、敗戦国ドイツに莫大な賠償を要求し、国力を減衰させ、国家としての体裁をも失わせることが主目的であった。これによりドイツは、プライドを大きく傷つけられた。やがて世界恐慌が襲うと、大きな資源や土地を持たず弱体化したドイツは、窮地に追い込まれた。このことが、ゲルマン民族意識を回復させ、ファシズムの台頭、そしてナチスドイツの結成、ヒトラー登場につながるのだ。

つまり、第2次世界大戦の遠因は、第1次世界大戦の戦後処理にあったのである。現に、第1次大戦後、専門家の中には「近々、また戦争が起こるであろう」と予測する者が多かったのだ。

1939年9月1日、ナチスドイツはポーランドに侵攻。ここに、第2次世界大戦の火蓋が切って落とされた。

ちなみに、第2次世界大戦の終結後は、今度はドイツに対して国力を奪うようなことをせず、連合国側は戦後復興に全面協力した(これは日本に対しても同じ)。敗戦国から多額の賠償金を奪い、恨みつらみで国力を減衰させると、かえって民族意識が高まり、第2のナチスドイツが出現することを、アメリカを中心とする大国は最も恐れたのである。

ところで第2次世界大戦では、ドイツ・イタリア・日本を中心とする「枢軸国」と、アメリカ・ソ連・イギリス・フランスを中心とする「連合国」の2派に別れ、主としてヨーロッパを舞台に戦争となった。

日本は、第1次世界大戦の戦勝国であり、当初はアメリカやイギリスとの協調外交を行なっていた。ところが、ヴェルサイユ条約の締結に当たって、日本国の提案がことごとく無視され、事実上、日本はヴェルサイユ体制の枠外に放り出されていた。その反発で、日本国内には軍部が台頭し、日本は軍事国家となり、中国大陸への侵略を開始することとなるのだ。

第2次世界大戦が起こっても、日本は当初、無視していた。ところが、開戦当初のナチスドイツがあまりに快進撃をつづけたので、軍部が支配していた日本は、次第にドイツに協調するようになる。同じヴェルサイユ体制に不満を持つもの同士、相通じるものがあったのだ。そして、ドイツにつづいてファシズムが台頭したイタリアも加わり、「日独伊三国同盟」が結ばれる。この時に近衛文麿首相が言った有名なせりふが「バスに乗り遅れるな」である。

ヨーロッパが遠い日本は、周辺アジア諸国の侵略を開始した。もちろんアメリカは怒った。やがてアメリカ国内の日本資産は凍結され、貿易禁止。石油資源の輸入も断たれた。面子をつぶされた日本は、ハワイの真珠湾を奇襲攻撃。第2次世界大戦は、悲惨な太平洋戦争へと拡大するのである。

さて、前置きが長くなったが、その第2次世界大戦の真っ最中に作曲された吹奏楽曲で、いまでもよく演奏されている曲が、今回紹介する≪アメリカン・サリュート~「ジョニーが凱旋する時」による≫である(正確には、管弦楽曲が原曲。発表後、すぐにフィリップ・ラングの編曲で吹奏楽版になり、いまでは、そのほうが演奏の機会が多く、ほぼ吹奏楽オリジナル曲として認知されている)。【注1】

作曲したのは、モートン・グールド。詳細は、狂詩曲≪ジェリコ≫【第8回】の回で紹介してあるので、そちらを参照いただきたい

この曲は「変奏曲」である。変奏するからには「主題」がある。それが≪ジョニーが凱旋する時≫である。

これは大変古い曲で、南北戦争中の1860年ごろ、北軍の軍楽隊長パトリック・サースフィールド・ギルモアが、故郷アイルランドの旋律をもとに作曲した軍歌であると言われている。

歌詞は、「ジョニーが故郷に凱旋する時は(万歳!万歳!)/みんなで大歓迎しようじゃないか(万歳!万歳!)/男は歓喜し子供たちは声援を送り女は集まる/ジョニーが故郷に凱旋する時は」……といった内容だ。【注2】【注3】

アメリカではたいへん有名な曲で、例えば、映画でも、『第十七捕虜収容所』(1953)や『西部開拓史』(1962)、『博士の異常な愛情』(1964)などに流れている。近年でも、『ダイ・ハード3』(1995)に使用されていたので、若い方でもご存知だろう。

曲は、8分の12拍子の激しい前奏から始まり、最初にバスーンで主題が奏されたあと、第5変奏~コーダ変奏まで約5分、心地よい緊張感と圧倒的なスピーディーぶりで突っ走る。

タイトルの≪アメリカン・サリュート≫とは、「アメリカの敬礼」。ニュアンスとしては、「アメリカ人なら敬礼し、兵士たちを讃えよ」みたいなムードがある。このタイトルからしても、一種の戦意高揚音楽であるが、変奏の面白さがあまりに際立っており、演奏しても聴いても一級品。しかも演奏技術を磨く一種のテキスト曲的な要素もある。

こういう曲で国内の戦意を高揚し、「ジャップ(日本人の蔑称)を叩け」と煽っていたわけだから、考え方によっては「反日音楽」なのだが、それにしても単なる軍事音楽に終わらず、音楽的にも凝った、ちゃんとした変奏曲に仕上げているところがすごい。日本では「贅沢は敵だ」をスローガンに、ひたすら質素倹約を強いていた頃、アメリカではこんな曲がつくられ、演奏されていたのである。

【注1】最近ではなかなか聴く機会のない管弦楽原曲版は、ナクソスの『モートン・グールド作品集』(クチャル指揮/ウクライナ国立交響楽団、8.559005)で聴くことができる。このCDには、吹奏楽版で人気の≪フォスター・ギャラリー≫原曲も収録されている。
※ナクソスからは、現在、モートン・グールド作品集は2枚リリースされているので、収録曲をよく確認して入手していただきたい。
【注2】この歌詞の中の「万歳!万歳!」は、原詞では「フラー!フラー!」という呼びかけのような響きで、ニュアンスとしては「いいぞ!いいぞ!」といった感じなのだが、これが日本に伝わって、応援の時の「フレー!フレー!」になったとの説がある。どこまで本当か分らないが。
【注3】この曲名をもじった反戦映画の傑作に『ジョニーは戦場へ行った』=原題『Johnny got his gun(ジョニーは銃をとった)』(1971)がある。名脚本家ダルトン・トランボが若き日に書いた小説を、33年後に自らの監督・脚本で映像化した執念の作品。戦争で手足ばかりか視覚・聴覚まで失い、性器だけが唯一正常な状態の肉塊として帰ってきた青年ジョニーの物語だ。絶望を経て、看護婦が胸に指で書く「字」を理解し、外界とコミュニケーションを再開する過程は感動的だったが、正直、あまりにつらい内容の映画。私は中学2年の時に映画館で観たが、「ショック」以外のなにものでもなかった。いま、あらためてこの映画を観る勇気は、私にはない。 同様設定の江戸川乱歩の小説『芋虫』も怖かったが、あまりの感覚の違いに驚かされたものだ。

■吹奏楽曲でたどる世界史【第39回】ジョージ6世戴冠式(1937年) ~戴冠式行進曲≪王冠≫(クラウン・インペリアル) (ウィリアム・ウォルトン)

Text:富樫鉄火

●作曲:サー・ウィリアム・ターナー・ウォルトン Sir William Turner Walton(1902~83、イギリス)
●英語題:Crown Imperial
●初出:1937年、ジョージ6世戴冠式のために作曲。
●編曲・出版:デュソイトDuthoit編曲(BOOSEY & HAWKES)、ボクックBocook編曲(HAL LEONARD)など
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/set-0296/

●参考音源:『イギリス民謡組曲/東京佼成ウインドオーケストラ』(佼成出版社)ほか各種あり ※佼成CDはデュソイト版。
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-3217/
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-2346/

●演奏時間:約10分
●編成上の特徴:編曲によって様々(ほぼ大型標準編成)
●グレード:4~5

「戴冠式」とは、文字通り「王冠」を「戴く」儀式。要するに、君主制国家において、国王や帝王などが即位し、正式に位に就いたことを表明する儀式である。

現在、戴冠式を挙行している国は多くあるが、やはり我々日本人には、イギリスの戴冠式が最もなじみ深いであろう。ロンドン・ウェストミンスター寺院で挙行される。式次第はカンタベリー大主教によって執り行われ、宝剣、王杖、指輪、手袋などが授けられたあと、最後に王冠をかぶせられる。この瞬間、正式に着位したことになるのだ。

1936年、イギリスでジョージ6世が即位した。この時、この新国王は「あまりにひどい。私は、国王になるための準備を何もしていないのに」との「迷言」を吐いた。いったい、何があったのか。

彼は、前国王エドワード8世の弟だった。ところが、この兄王、もともと女性関係が派手で、特に、離婚暦のある人妻でアメリカ人女性ウォリスとの付き合いが本格的だった。彼は、何とかウォリスと結婚しようとするが、さすがに周囲は、そんな結婚、認めようとしない。

かくして独身のまま戴冠したエドワード8世、いよいよウォリスを正式離婚させ、結婚しようとするが、やはり周囲の反対はあまりに根強い。するとエドワード8世は、とうとう国王を退位し、一貴族となってウォリスと結婚した。これを俗に「王冠を賭けた恋」と呼ぶ。

女性を追って退位した兄にかわって、急きょ国王にさせられたのが、弟ヨーク公、つまり、先に紹介したジョージ6世である。だからこそ「ひどい」とか「何も準備をしていない」などとぼやいたのだ。

派手だった兄王に対して、この弟王は、地味だった。なにしろ、なりたくてなった国王ではなかったから、行動も控えめだった。だが、そのことがかえって国民の信頼を得ることとなった。特に、第2次大戦が始まった際には、過去のほかの王族のように地方へ疎開しようとせず、空爆に襲われるロンドンに、そのままとどまった。そればかりか、ドイツ軍の空爆被害にあった地域を訪問して、直接に国民を励ました。ジョージ6世夫妻の人気は、高まるばかりだった。

夫妻は、女の子を2人産んだ。そのうちの姉が、現在の英国女王エリザベス2世。そう、最近、『クイーン』と題する映画にもなった、故ダイアナ妃の義母にあたるひとである。

ところで、戴冠式では、多くの音楽が生れる。戴冠式そのもので演奏される曲もあれば、関連祝典で演奏される曲もある。

よく知られているのは、ヘンデル(ドイツからイギリスに帰化)が1727年、ジョージ2世の戴冠式のために作曲した≪ジョージ2世の戴冠式アンセム≫であろう。この中の≪司祭ザドク≫の部分は、その後の戴冠式でも演奏されている。サッカー・ヨーロッパ・チャンピオンズ・リーグ(UEFA)のテーマ曲(アンセム)の原曲である。

モーツァルトのピアノ協奏曲第26番に≪戴冠式≫の副題が付いているのは、1788年、神聖ローマ帝国皇帝レオポルト2世の戴冠式の祝典で演奏されたから。

マイヤベーアの≪戴冠式行進曲≫もけっこう有名で、これは、歌劇≪預言者≫の第4幕第2場における、文字通り戴冠式の場面の音楽。1500年代にオランダであったある戴冠式にまつわる史実をもとにしたオペラである。

それらの中で、最も有名、かつ、吹奏楽版でも人気があるのが、先述、ジョージ6世の戴冠式のために作曲された、ウォルトンの≪戴冠式行進曲「王冠」≫(クラウン・インペリアル)であろう。

ジョージ6世の戴冠式は、1937年(昭和12年)5月12日に挙行された。

この日、戴冠式が行なわれているロンドン上空を「日本の飛行機」が祝賀飛行した。東京→ロンドン間の最速飛行記録を打ちたて、ロンドンに到着後、「空の親善大使」として滞英中だった「神風号」(飯沼正明飛行士と塚越賢爾機関士)である。この懸賞飛行は、朝日新聞社が、まさにジョージ6世戴冠式を記念して企画したものであった。【注1】

このことからも分るように、この戴冠式は、日本にとってもたいへん親しみ深いイベントであった。当時の駐英大使で、のちに総理となる吉田茂のほか、日本からは、昭和天皇の代理として秩父宮が参列している。【注2】

また、1週間後には、戴冠記念観艦式も挙行された。世界18カ国から招待されたご自慢の戦艦、および、イギリスとイギリス連邦所属の戦艦・駆逐艦145隻がイギリス沖に集結し、壮大な「海上パレード」を繰り広げたのだ。日本からは、重巡洋艦「足柄」が参加した。

それほど国際的な注目を浴び、素晴らしい音楽まで生れているのに、戴冠した当人が「ひどい」といじけていたのだから、何とも皮肉なものである。

この≪戴冠式行進曲「王冠」≫は、いわゆるコンサート・マーチで(原曲は管弦楽版)、伝統的なイギリス風コンサート・マーチのスタイルに乗っ取って書かれている。つまり「A(速)」→「B(緩)」→「A(再現)」→「Bを加えたコーダ部」といった流れだ(冒頭に「序奏部」が加わる構成もよくある)。時折、勘違いして混同されるエルガーの行進曲≪威風堂々≫や、(マーチではないが)ホルストの≪木星≫などと似た構成である。

中間部の旋律が繰り返され、盛り上がって後半に突入するところは、聴いても演奏しても背筋を何かが走る。「ひどい」などといじけているどころじゃない。この曲で、まさにウォルトンは、エルガー以来の伝統的な大英帝国マーチを完成させたといっても過言ではない。

吹奏楽版では、デュソイト編曲版、ボクック編曲版などがよく演奏されている。本来がオーケストラ曲だけに、後半部で要求される息の長さは、なかなか大変だが、演奏効果は抜群で、コンサートのトリとして十分通用する迫力がある。

ウォルトンは、ほぼ独学で音楽を見につけた人で、20世紀のど真ん中を生きたにもかかわらず、調性のある分りやすい音楽を書き続けた。普通、オラトリオ≪ベルシャザール王の饗宴≫や、交響曲第1番、ヴァイオリン協奏曲などが代表作として挙げられるが、映画音楽にも傑作が多い。いくつかのシェイクスピア映画にも名曲を寄せているほか、特に『バーバラ少佐』(1941、日本未公開)、『スピットファイア』(1942、日本未公開)など多くが吹奏楽曲になって、日本でも親しまれている。『空軍大戦略』(1969)では、映画音楽史に残る「事件」を巻き起こした。【注2】

ちなみにウォルトンは、戴冠式行進曲を、もう1曲書いている。1953年、現イギリス女王エリザベス2世の戴冠式のための、≪戴冠式行進曲「宝玉と王杖」≫である。先述のように、このエリザベス2世は、ジョージ6世の娘。父娘2代にわたって、戴冠式行進曲を書いたのである。【注4】
<敬称略>
【注1】この5月に亡くなった、日本を代表する映画監督・熊井啓が、次に準備中の作品が、この「神風号」の日英スピード飛行を描くものであった。熊井監督は、前回紹介した、清水大輔≪スピリット・オブ・セントルイス≫を聴きながらイメージを膨らませ、シナリオを改稿していたようだ。原作は、深田祐介『美貌なれ昭和』(文春文庫、現在入手不可能)。実現に至らなかったことが、まことに惜しまれる企画である。
【注2】この戴冠式に関する記録エッセイを、当時の駐英大使・吉田茂の夫人、吉田雪子が、戦前にイギリスで出版していた。邦題『ジョージ六世戴冠式と秩父宮―グローヴナー・スクエアの木の葉の囁き』(長岡祥三訳、新人物往来社)がそれである。
【注3】『空軍大戦略』は、イギリス映画界が総力を挙げて制作した超大作戦争映画。それだけに、音楽も、イギリスを代表する大作曲家ウォルトンに白羽の矢が立った(かつてシェイクスピア映画で何度か組んでいた、主演の名優ローレンス・オリビエの推薦もあった)。曲が出来上がり、マルカム・アーノルドの編曲協力・指揮を得て録音までされたが、これを聴いた映画会社幹部は頭を抱えてしまった。確かに格調高い音楽なのだが、会社側は、もっと俗っぽい、それこそ007シリーズのような音楽を期待していたのだ(監督も、1964年に『007/ゴールドフィンガー』を大ヒットさせていたガイ・ハミルトンだった)。一部、以前のシェイクスピア映画の音楽を原曲としているような部分もあった。しかも、全部で20分ちょっとしかない。これでは、サントラLPにして発売できない。そこで会社は、急きょ、ロン・グッドウィンを呼んできて、もっとベタな音楽をたっぷり書かせ、音楽を差し替えてしまった。これに怒ったのが、ウォルトンを推薦したローレンス・オリビエだった。「ウォルトンの音楽を使用しないのなら、俺も降りる」とまで言い出した。そこで仕方なく、大空中戦のシーンだけにウォルトンの音楽が残されることになったのだ。現在発売中のDVD『空軍大戦略 アルティメット・エディション』には、この双方の音楽がすべて収録されており、どちらの音楽でも再生できるようになっている。同じ映画を違った音楽で二度鑑賞できるのだ。その印象の違いには驚くだろう。音楽次第で、映画とは、かくも変わってしまうものなのだ。果たして「グッドウィン版」か「ウォルトン版」か、あなたはどちらに軍配を挙げるだろうか。
【注4】日本でも、皇族2代にわたって祝典行進曲を書いた人がいる。團伊玖麿(1924~2001)がそうで、最初が1959年の皇太子(今上天皇)の御成婚のための≪祝典行進曲≫(吹奏楽コンクール課題曲にもなった)。次が、1993年の皇太子御成婚のための≪新祝典行進曲≫である。

■吹奏楽曲でたどる世界史【第38回】リンドバーグ、大西洋無着陸単独飛行(1927年) ~スピリット・オブ・セントルイス(清水大輔)

Text:富樫鉄火

●作曲:清水大輔 Shimizu Daisuke
●英語題:The Spirit of St.Louis
●初出:2005年1月、神奈川県横浜市の栄区民吹奏楽団の初演。
●参考音源:スピリット・オブ・セントルイス/清水大輔作品集 vol.1(Band Power)
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-1011/

●出版:バンドパワー(株式会社スペースコーポレーション)
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/set-8439/

●演奏時間:約8分
●編成上の特徴:ほぼ大型標準編成(E♭クラリネット、コントラバスクラリネットはオプション。テューバとユーフォニアムにdiv.あり。ピアノあり)
●グレード:4~5

第1次世界大戦が終わって、ようやく世界も落ち着いた1927年、大西洋をまたいで驚くべき偉業が達成された。

同年5月20~21日、アメリカの航空パイロット、チャールズ・リンドバーグ(1902~74)が、ニューヨーク→パリ間の大西洋横断・単独無着陸飛行を、世界で初めて、33時間半をかけて成功させたのだ。

すでに「単独」でない大西洋無着陸横断飛行は、1919年に、別人によって達成されていた。つまり2人のパイロットが交代で、カナダ東岸のニューファンドランド島から、アイルランドに飛行して成功していたのである。いわば、地図上の、大西洋のずっと上の方をまたいだのだ。

時代は一種の「開拓冒険」ムードだった。今度は、初の大西洋「単独」無着陸飛行成功者に、25000ドルの賞金がかけられた。リンドバーグはこれに挑戦し、見事成功。ニューヨークのルーズベルト飛行場から、大西洋のど真ん中を突っ切って、パリのル・ブルージェ空港までを、たった一人で飛んだわけだが、これは当時としては、まことに驚くべき出来事だった。

なぜなら、総距離6000km近くを、途中、燃料の補給なしで飛び続けるなど、当時の小型機のレベルからは考えられなかったし、しかも30時間以上を、たった一人で一睡もせず、神経を集中させながら操縦し続けるなんてのも、とうてい無理と思われていた(食事やトイレはどうする?)。

ところがリンドバーグは、愛機「スピリット・オブ・セントルイス号」を徹底的に改造し、燃料スペースを増やした。そのために、パイロットは1人しか乗れなかったし、操縦席から前方はほとんど見えなくなってしまった。

それほど厳しい条件下、冒険を成功させたリンドバーグは、一夜にして世界的ヒーローとなり、大金を手にして富豪となった。まさにアメリカン・ドリームそのものであった。

この曲は、その偉業をモチーフに、リンドバーグの旅路~パリ到着を描写しながら、彼のチャレンジ精神を音楽にしたもの。決して最高難易度の曲ではないが、雄大さやドラマティック部分の表現には、それなりのハードルがある。しかし、演奏していて、これほどいい心地になれる曲は、そうそうあるとは思えない。一種の「交響詩」ともいえよう。

作曲した清水大輔は、すでに【第25回】の≪仲間たちへ≫で紹介した、若手人気作曲家である。飛行場面を思わせる部分は清水ならではの爽やかさに溢れている。

曲名は、リンドバーグが乗った飛行機の愛称であると同時に(彼は、この当時、セントルイス~シカゴ間の郵便パイロットだった)、のちに綴った自伝の題名でもある。【注1】

この偉業には逸話が多い。いちばん有名なのは、パリ上空に差しかかった時、「翼よ、あれがパリの灯だ!」と叫んだという話。のちに自伝や映画の邦題にまでなった有名セリフだが、どうもこれは後年の創作話だとの説がある。実際は、着陸後、そこがパリかどうか自信がなくて、そばにいた人に訊ねた「誰か英語を話せますか? トイレはどこですか?」が第一声だったとか。真偽のほどはさておき、それほどフラフラになっていたということだろう。

だが、リンドバーグの人生は、これ以降が、驚くべき奇々怪々さだった。

多額の賞金を手にしたとたん、1歳8ヶ月の長男を誘拐され、身代金を要求された。「世紀の誘拐事件」と騒がれたが、長男は遺体で発見。犯人は逮捕されるが、この犯人が、最後まで犯行を否認したまま死刑となったので、様々な憶測を招くことになる。何と、事件の黒幕が父親リンドバーグ自身だったとか【注2】、さらに近年「自分が(誘拐殺害されたはずの)長男だ」と称する者までが現れたのだ。【注3】

この誘拐事件をきっかけに、リンドバーグ夫妻はヨーロッパへ移住してしまう。あまりにマスコミに追い回されて、半ばノイローゼ気味だった。ところが、ドイツで、リンドバーグは、夫人の目を盗んで晩年に至るまで愛人を持っており、しかも、その愛人との間に3人の子供までもうけていたことが、近年判明した(DNA鑑定が行なわれて、確かにリンドバーグの子供であることが証明されている)。

第2次大戦が始まると、なぜかナチスドイツに友好的な発言や行動を繰り返し、陸軍パイロットを解任されたりしている。

とにかく「奇人」リンドバーグは、その後も世界を騒がせ続けたのである。

晩年はガンを患ってハワイ・マウイ島に移住し、環境保護活動に専念しながら穏やかな最期を迎えている。夫人アン・モロー・リンドバーグも環境保護活動家として知られている。そんな彼の数奇な人生を思いながらこの曲を演奏する(聴く)と、また違った味わいを覚えるはずだ。
<敬称略>

【注1】この自伝はピューリッツアー賞を受賞した名著で、邦題は『翼よ、あれがパリの灯だ』(恒文社、ちくま少年文庫刊)。1957年、映画化もされた(邦題同様)。ビリー・ワイルダー監督、ジェームス・スチュワート主演の傑作映画である。

【注2】現場に残っていた証拠や、様々な状況から、リンドバーグ自身が関与していなければ実行できない犯行であることが、しばしば指摘されている。以前から、リンドバーグ自身にも、それを思わせるような奇行癖があった。遺体で発見された長男も、すぐさまアメリカでは珍しく「火葬」にされ、遺灰が海に撒かれたことも疑惑に拍車をかけた。この疑惑は、いまでも世界のジャーナリズムを騒がせつづけている。過去、日本で邦訳が出版されたノンフィクションだけでも、『誰がリンドバーグの息子を殺したか』(ルドヴィック・ケネディ/文藝春秋/1995年)、『リンドバーグの世紀の犯罪』(グレゴリー・アールグレン他/朝日新聞社/1996年)、『誘拐・リンドバーグ事件の真相』(G・ウォラー/文藝春秋/1963年)など、枚挙に暇がない。まさに、日本の「三億円事件」に匹敵する謎の大事件なのである。

【注3】この「長男」の出現は、ニュースでもずいぶん報道されたので、ご存知の方も多いと思う。確かに顔が父親そっくりなのだ。当人はDNA鑑定を申し出ているが、遺族が拒否しているので、いまだに真実は分らない。

■吹奏楽曲でたどる世界史【第37回】第一次世界大戦(1914~18年)その2 ~映画『アラビアのロレンス』のテーマ(モーリス・ジャール作曲/アルフレッド・リード編曲)

Text:富樫鉄火

●作曲:モーリス・ジャール Maurice Jarre(1924~)
●編曲:アルフレッド・リード Alfred Reed(1921~2005)
●英語題:Lawrence of Arabia
●初出:1962年(映画公開)
●出版:ミュージックエイト
●参考音源:「栄光への脱出~A・リード シンフォニック・ポップス」(佼成出版社)、「吹奏楽決定版101」(日本クラウン) ※その他、リード以外の編曲譜・音源が、海外版でいくつかある。

●演奏時間:約3分半~約4分
●編成上の特徴:リード作品における標準編成(トランペット3+コルネット2など)。打楽器5パート(ティンパニ別)。
●グレード:3

第1次世界大戦(1914~18)が、ドイツ、オーストリアを中心とする「中央同盟国」と、イギリス、ロシア、フランスを中心とする「連合国」に分かれた戦いであることは、前回、述べた。そのため、主戦場はヨーロッパになったが、開戦するや、オスマン帝国(トルコ)が同盟国側に参戦したため、舞台は中東にまで拡大した。

特にトルコは、スエズ運河周辺を制圧したため、イギリスは、困ってしまった。ただでさえ、中東周辺は石油の産地であり、このあたりはインドや東洋への重要な中継地域である。大英帝国としては、何としても、アラブ周辺をコントロール下におさめておきたかった。だが、アラブ民族は、イギリス人にとっては未知の人々だ。土地柄も砂漠ばかりで、不明な点が多い。

ところが、ここに格好の人材がいた。イギリス軍人トーマス・エドワード・ロレンス(1888~1935)である。

ロレンスは、オックスフォード大学を出た秀才で、学生時代から、アラブ周辺の遺跡に興味を持つ考古学者でもあった。トルコやアラブに何度も行っており、現地に知人も多く、アラビア語もペラペラだった。陸軍情報部で地図製作に携わり、その後、外務省の中東部門へ異動となっていた。

軍上層部は、彼のことを「アラブ好きな変人」と見て、少々、扱いに困っていたのだが、いよいよ出番を与えられそうだ。では、イギリス軍は、彼に何をやらせたのか。

アラブ周辺には、トルコに不満を覚えている部族が多い。そこへロレンスを送り込み、彼らを結集させ、トルコに対する反乱工作を仕掛けるのだ。その混乱に乗じて、イギリス軍が一気にトルコを叩き、アラブ周辺の覇権を握ってしまおうとの腹づもりだった。

かくしてロレンスは、イギリス軍のスパイとしてアラブに潜入。現地部族の長と接触し、ともにゲリラ活動に身を投じることになる。特に、トルコに支配されていたアカバやダマスカスを解放させたことで、一夜にして「天才軍略家、アラビアのロレンス」として名を轟かした。

終戦後は、イギリス政府の中東政策顧問になったが、政府の方針に不満を覚えて辞任。46歳の時、オートバイに乗っていて事故にあい、急死する。

彼は生涯独身だった。特にゲイではなかったようだが、極端な女嫌いだった。ただ、一種の被虐趣味者(マゾヒスト)だったことは確かなようで、自著の中で、トルコ兵に捕まって拷問された時、性的興奮を覚えたとの記述がある。【注1】

この不思議な男が日本で初めて知られたのは、英文学者・中野好夫が1940(昭和15)年に岩波新書で刊行した『アラビアのロレンス』だった【注2】。東大の学生時代に、イギリス人教授から聞いたロレンス像に興味を持った中野は、その後、コツコツと史料を読んで、本書を書き上げたのだ。

だが、人気が決定的になったのは、やはり、1962年の映画『アラビアのロレンス』(デヴィッド・リーン監督)だろう。【注3】

この映画が、あまりに素晴らしく、感動的で、しかもアカデミー賞を作品賞以下7部門で受賞したとあって、ロレンスのイメージは、ほぼこの映画とイコールになってしまった。

この映画におけるロレンスは、「西洋」と「アラブ」の狭間で悩む若者になっている。まさにリーン監督の永遠のテーマである「異文化の衝突」を象徴する人物だった。

ロレンスは、確かにアラブのために、反乱を指導しに砂漠に身を投じた。しかし、アラブ民族統一の夢は果たせなかった。アラブの衣裳を着てみんなに慕われたが、アラブ人にはなれない。それどころか、結局は、イギリスの権益のために働かされていたことを知り、失意のうちにアラブを去る。その姿は、夢や革命を望みながら果たせない、いつの世にもある若者たちの象徴だった。

だが、実際のロレンスはどうだったのか。確かにあの映画のように「アラブのために働いて、夢敗れた男」との見方もあるし、「いや、あの映画は大袈裟。明らかにイギリス権益のために、アラブを利用していただけだ」との声もある。

ただ、実際のロレンスと、演じたピーター・オトゥールが、あまりにそっくりだったことは世界中を驚かせた。先の岩波新書『アラビアのロレンス』冒頭に、ロレンス本人の肖像写真が載っているが、何気なく見たら、ピーター・オトゥール演じる映画のスチール写真と勘違いしそうだ。

さてさて、遠回りしたが、今回は、その映画『アラビアのロレンス』の音楽である。モーリス・ジャール作曲、アカデミー作曲賞を受賞した映画音楽史に残る名スコアである。あのゆったりとした壮大なメロディを、聴いたことのない人はいないだろう。サントラLPも大ヒットした。一部に、電子楽器オンド・マルトノが使用されていることでも話題になった。

そのメイン・テーマが、アルフレッド・リードによって、原曲の味を忠実に再現した吹奏楽版になっている。

この曲は、もともと打楽器群が大活躍する。というのも、作曲者ジャールは、パリのコンセルヴァトワール出身で、オネゲルに「作曲」を学んだが、専門分野は「打楽器」なのである。『パリは燃えているか』(1966)や『グラン・プリ』(1966)などでも打楽器が大活躍した。【注4】『アラビアのロレンス』も同様。冒頭は、ティンパニ(ハード・フェルト・スティック)にトムトムやシンバルの乱打から始まる。アラブの野性的なムードを再現している部分で、ここからして吹奏楽にピッタリなのだ。

現在、リード自身の指揮による演奏が佼成出版社からCD化されているが、これは、長年、原曲(サントラ)を聴いてきた身には、かなり速い演奏に感じる。スコア冒頭に「Fast,driving tempo」(速く、ドライヴするテンポで)と記されており、そう書いた編曲者リード自身の指揮なのだから何も言えないのだが、サントラに準ずれば、もっとゆっくり、じっくり演奏されてもいいと思う。【注5】

それでも、あの雄大な旋律に、ホルンの雄叫びが重なる部分は、何ともいえない興奮を誘う。無限に広がる砂漠を表現して、これほど優れた音楽はない。ちょっと≪アルメニアン・ダンス パート1≫の冒頭を思い出させる。ホルン奏者は、きっと気持ちよく吹けるだろう。

ちなみに、このスコアは、あくまでメイン・テーマのみである。サントラには、前回紹介したアルフォードの行進曲≪砲声≫や、ほかにもいくつか魅力的なメロディが登場するが、それらは含まれていない。

短い曲だが、音楽的にはしっかりした内容なので、コンサートなどでも十分使用に耐えるだろう。

このリード版は、もともとアメリカで出版されていた人気スコアだったが、長いこと絶版になったままだった。それが最近、日本のミュージックエイト社から復刻出版された。まことにうれしい復刊だ。同社のスタッフが、生前のリードと食事中、偶然に話が出て、復刊が決まったらしい。そのことを大喜びしたリードは、スコアにサインをしてくれたという。現在、同社から復刊されたスコアの冒頭には、そのサインが印刷されている。
<敬称略>


【注1】 ロレンスの自著『知恵の七柱』(東洋文庫、平凡社)の中に、その記述があり、映画にも登場する。ムチで打たれると、ロレンスが、痛みにこらえながらも、目にうっとりした表情が浮かぶ。ピーター・オトゥール一世一代の、ウルトラ級名演技が堪能できるシーンである。
【注2】この本は、その後も改訂を経て超ロングセラーとなったが、現在は品切れ中のようだ。いま読むと、いささか古くも感じるが、有名な映画公開の20年以上前、しかも戦前に、このような本が日本で出ていたとは驚きである。
【注3】 その後、1988年に、初公開時にカットされていた部分を復元した「完全版」が製作された。現在DVD化されているのは、この完全版である。初公開版は207分で、完全版は227分。よく、劇場公開後に「ディレクターズ・カット版」などと称して、やたらと長いヴァージョンがDVD化されることがある。それらの多くは、長すぎることで弛緩した構成になっていることが多い。だが、こちらはまったく違う。227分の長さを感じさせない奇跡の映画である。復元部分の音声トラックが失われていたので、当時の俳優を召集し、声のみを再録音。コンピュータで若い頃の声に修正・復元してあてはめたという、まさに執念の完全版である。
【注4】 この『グラン・プリ』(1966)は、F1レースを描いた大作映画だが、音楽は、激しい打楽器群のリズムをバックに、オケが急速なクレシェンドとデクレシェンドの繰り返しで、目の前をF1カーが通過する様子を描写した、たいへんユニークな内容である。
【注5】 この佼成出版社のCD(上記データ欄参照)は、全編がリード自身の指揮・編曲によるポップス系曲で、貴重な音源。特にイギリスの故チャーチル首相の回想録を映像化した英BBC放送のTVドキュメンタリーのテーマ曲≪ザ・ヴァリアント・イヤーズ≫(リチャード・ロジャーズ作曲)は、品格に満ちたシンフォニック曲で、コンサートのオープニングにピッタリの名曲だ。CD中の曲では、≪アラビアのロレンス≫の他、≪枯葉≫≪想い出のサンフランシスコ≫≪黄金の腕≫≪マンシーニ!≫が、現在ミュージックエイト社から復刻出版されている。特に≪黄金の腕≫(エルマー・バーンスタイン作曲、1956年の同名映画から)は、ジャズとシンフォニックが合体した見事なスコアで、演奏時間約9分、組曲風の大型スコアである。

■吹奏楽曲でたどる世界史【第36回】第一次世界大戦(1914~18年)その1 ~行進曲≪消えた軍隊~彼らは死なず≫(アルフォード)

Text:富樫鉄火

●作曲:ケネス・ジョセフ・アルフォード Kenneth Joseph Alford
●英語題:The Vanished Army~They never dies
●初出:1919年
●出版:Boosey & Hawkes(フレデリック・フェネル校訂版)、 Harold Gore Publishing
●参考音源: 「ベスト吹奏楽100」(東芝EMI)、「ディレクターズ・チョイス/ブルーズ・アンド・ロイヤルズ・バンド 」など
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-2518/
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-0888/

●演奏時間:3分~3分半(演奏スタイルによって変わる)
●編成上の特徴:標準編成
●グレード:3~4

早いもので、この連載も36回を数え、ついに近代に足を踏み入れた。今回からは、第一次世界大戦である。

1914年6月28日、オーストリア=ハンガリー帝国のフェルディナント皇太子が、ボスニアの首都サラエボで暗殺された。犯人はセルビアの民族主義者だった。これを通称「サラエボ事件」という。

オーストリア側は、この犯行を、セルビアの国家犯罪であるとして、セルビアに宣戦布告する。戦いはあっという間に世界を二分し、ここに第一次世界大戦が始まった。

陣容は、ドイツ、オーストリア、トルコを中心とする「中央同盟国」と、イギリス、ロシア、フランスを中心とする「連合国」に分かれた。のち、日本、イタリア、アメリカも連合国側に立ち、ヨーロッパを主戦場として、戦況は長期化した。ドイツの利権地が中国やアジアの一部にあったため、日本とドイツの戦いが中国周辺でも発生した。【注1】 最終的にオーストリアが降伏し、終戦となったのは1918年だった。

この頃、イギリスの軍楽隊にフレデリック・ジョセフ・リケッツ(1881~1945)なる男がいた。ロイヤル・アイリッシュ連隊の軍楽隊を振り出しに、コルネットやピアノ、オルガンなどをこなしていた。軍楽学校でバンド指揮や作曲を学び、1908年にはアーガイル&サザーランド・ハイランダーズのバンド指揮者に就任していた。作曲者としてのペンネームはケネス・ジョセフ・アルフォード。そう、あの有名な≪ボギイ大佐≫の作曲者である(後年、イギリス海兵隊軍楽隊長の地位にまで登り詰める)。

第一次大戦の終戦後、アルフォードは、戦火で命を落とした多くのイギリス軍兵士のための追悼曲を書いた。それが、異色のマーチ≪消えた軍隊~彼らは死せず≫である。

どこが「異色」なのか。基本的にマーチには、行進や、士気を鼓舞するなどの目的があるので、勇壮で明るく、骨太なものがほとんどだ。だがこの≪消えた軍隊≫は、ひたすら「暗い」のである。つまり、戦死者の霊を慰撫するマーチなのだ。だから、演奏も、静かに落ち着いて演奏されることが多い。アルフォード自身が指揮する時は、トリオ部などはテンポを落としてゆっくりと演奏していたそうだ。普通のマーチとして演奏すると3分ほどだが、追悼曲としてじっくり演奏された3分半ほどの演奏も、よく見かける。かつての陸上自衛隊第1音楽隊(吉永雅弘・指揮)の録音は、まさに後者のタイプで、静かにゆっくりと、最後は消え入るように終わる名演だった。【注2】 こうなるともう、マーチとは言いがたい。要するにアルフォードは、終戦記念日や慰霊祭などで演奏されることを前提に作曲したのだ。

第一次大戦の序盤戦に「マルヌ会戦」と呼ばれる戦いがあった。ドイツ軍の侵攻を、英仏軍がマルヌ川で食い止めた戦いである。一時後退したドイツ軍は、その後、フランスの別地域に橋頭堡を築き、長く駐留して英仏軍を苦しめた。この一連の戦いで、イギリス軍に約10万人もの戦死者が出た。中には、アルフォードの仲間である軍楽隊からも戦死者が出た。

この戦死者の慰霊が、作曲の直接のきっかけだった。

曲中には、イギリスの軍歌≪遥かなるティッペラリー≫や、鎮魂を意味する消灯ラッパの旋律が(ほんの一部だが)使われている。トリオ部分は、ヘンデルのオラトリオ≪サウル≫の中の葬送行進曲の一節が使われている。【注3】

この≪遥かなるティッペラリー≫は、本来が軍歌ではなく、いまでいう流行歌だった。アイルランドのティッペラリーからロンドンへ出てきた若者が、故郷を懐かしむ歌詞である(故郷に残してきた彼女が、別の男と結婚しようとしている)。これが、第一次大戦で母国を離れて戦うイギリス兵士たちの「望郷の歌」となり、いつの間にか軍隊で歌われる「軍歌」の一種になった。1982年のドイツ映画『U・ボート』(ウォルフガング・ペーターゼン監督)をご覧の方なら、すぐにピンと来るであろう。潜水艦の中で、レコードに合わせてドイツ兵たちが歌っていた曲だ。舞台は第2次大戦だが、彼らは「俺たちはイギリス兵か?」と苦笑しながらも、大声で歌っていた。敵国の歌を、あれほど楽しく歌うということは、それほど世界中に流布した証左といえる。

アルフォードは、作品数は少ないが、たいへん美しい品格のあるマーチを作った人で、アメリカのマーチ王・スーザに対して、「イギリスのマーチ王」などと呼ばれた。特に主旋律のバックに優雅に流れる対旋律の美しさは尋常ではなく、「スーザを上回る」との声さえある。

最も有名な曲は≪ボギイ大佐≫(1914)であろう。主旋律と対旋律が、これほど美しく絡み合うマーチは、音楽史上、ない。

これは、ちょうど開戦の時期に発表されたマーチで、いわば、第一次大戦のテーマ曲みたいなものである。アイルランドのゴルフ場で、仲間が次のホールへ進む際、本来「Fore」と言うところを、口笛で「ド、ラ」と吹いていたのが心にとまった。その後、将校パーティーで、ピアノ演奏を求められた時に、この2音をもとに即興演奏をしたら、みんな大喜び。そこで、あとでマーチに仕上げ直した。タイトルをどうしようか悩んだが、ゴルフ仲間に、いつもボギイを叩く大佐がいたので、そのまま《ボギイ大佐》としたそうだ。「知人の大佐がボギイを叩く際に吹いていた口笛がもとになった」との説もある。映画『戦場にかける橋』(1957年)に使用されて、一躍有名になった。【注4】

≪砲声≫(1917)は、映画『アラビアのロレンス』(1962)に使用され、通称「ロレンス・マーチ」などとも称された。イギリス軍がアラブに進駐行進してくるシーンに流れている。ちなみに前記『戦場にかける橋』も『アラビアのロレンス』も、同じデビッド・リーン監督の作品である。よほどアルフォードが好きだったのだろう。あるいは、イギリスの軍楽マーチといえば、必然的にアルフォードということになるのかもしれない。

≪風変わりな少佐≫(1921、原題:マッド・メイジャー)は、多くの勲章を授与した勇敢な軍人ハッチンソン少佐のために書かれた名曲だが、昔の日本では≪気ちが○じみた少佐≫なる、今では冷や汗が出そうな邦題だった。

≪ナイルの守り≫(1941)は、中央同盟国側の侵攻をエジプトで食い止めた元帥に捧げられた。エジプトのムード満載、エキゾチックなマーチである。私事だが、大学時代に演奏して、意外と難しい曲だった思い出がある。

かように、アルフォードの曲は、そのまま第一次世界大戦と表裏一体のマーチばかりである。中でもこの≪消えた軍隊≫は、あまりに特異なマーチだ。いってみれば「哀しみ」を表現したマーチでもある。吹奏楽に興味を持っている方には、ぜひ知っておいていただきたい名曲だ。
<敬称略>
【注1】 この時、中国「青島」(チンタオ)にあったドイツ軍のビスマルク要塞を、日英連合軍が攻撃したのが、通称「青島の戦い」。その模様を、東宝お得意の特撮で映画化したのが『青島要塞爆撃命令』(1963年、監督:古澤憲吾、特技監督:円谷英二)。日本映画としては珍しい、第一次大戦下の海軍草創期を描いたもので、加山雄三ら飛行隊が、敵の鉄道車両の真上から、「手」で爆弾を落として攻撃する迫真の特撮シーンが話題になった。

【注2】 この異色名演は、そろそろ入手困難かもしれないが、2003年に発売されたCD『アルフォード名行進曲全集』(吉永雅弘指揮、陸上自衛隊第1音楽隊/ユニバーサル)に収録されている。
【注3】 軍楽マーチに、ほかのメロディが引用されることは日常茶飯事。いちばん分りやすい例が、瀬戸口藤吉≪軍艦行進曲≫で、第一テーマが軍歌≪此の城(軍艦)≫、トリオが≪海ゆかば≫で出来上がっている。スーザのマーチにも、引用は多い。たとえば≪由緒ある砲兵中隊≫の後半はスコットランド民謡≪懐かしき昔(蛍の光)≫そのままである。
【注4】 第28回の【注2】でも書いたのだが、あらためて記しておく。映画『戦場にかける橋』(1957年)の中で、この《ボギイ大佐》の一節が流れ、そこに重ねてマルカム・アーノルド作曲の《クワイ河マーチ》が流れる。そのために、《ボギイ大佐》と《クワイ河マーチ》が同一曲であるかのような誤解が流布している。この2曲は、まったく別の曲である。音楽担当アーノルドが、≪ボギイ大佐≫(イギリス)と、≪クワイ河マーチ≫(ビルマ)を同時に演奏することで、西洋と東洋の対比(あるいは融合)を表現したのである。まさに映画のテーマが、音楽でも描かれていたわけだ。

吹奏楽、ブラスバンド、マーチングの情報マガジン