■吹奏楽曲でたどる世界史【第30回】アメリカ南北戦争(1861~65)その1 ~行進曲≪南部連合旗≫(ジェイガー)

Text:富樫鉄火

●作曲:ロバート・ジェイガー Robert Jager(1939~)
●英語題:Stars and Bars
●初出:1963年
●出版:Volkwein→Warner Brothers Music Pub. ※現在絶版
●参考音源:『R・ジェイガー&東京佼成WO』(佼成出版社)
●演奏時間:約3分半
●グレード:3~4

今回の曲は、音源も豊富にあるわけではないし、楽譜も、どうやら現在絶版らしい(歴史のあるバンドだったら、楽譜棚の奥に眠っているのではないか)。よって、紹介していいものかどうか、少々迷ったのだが、コンサート・マーチとしてなかなか品格のある名曲なので、特に若い方々に、その存在だけでも知っていただきたく、取り上げておくことにした。

「南北戦争」とは、1800年代後半にアメリカ合衆国内でおきた戦争であるが、英語ではCivil War(市民の戦争)と称されており、要するに「内戦」の意味である。

この頃、南部は綿花生産を中心とする農業が盛んで、支配層=大農園主と、労働者=黒人奴隷によって支えられていた。映画『風と共に去りぬ』が、この頃の綿花農園を舞台にした話である。【注1】

これに対し北部では商工業が急速に発達し、南部のような奴隷制度は旧態依然たるシステムに堕していた。

そんな中、1860年の大統領選で、奴隷制度の拡大停止を唱える共和党のエイブラハム・リンカーンが当選した。共和党初の大統領である。

このまま彼が就任したら、奴隷制度はなくなるのではないか……不安を感じた南部諸州は、続々と連邦脱退を表明。7州で「アメリカ南部連合」を結成し、ジェファーソン・デイヴィスを大統領に選出した。

翌年4月、リンカーンが正式に連邦大統領に就任すると、ますます緊張が高まった。リンカーンは、連邦を脱退した7州に対し、強硬姿勢を崩さなかった。

これに対し南軍が、サウスカロライナ州のサムター要塞を砲撃して、ついに「意思表示」する。南軍ボリガード指揮官は、要塞に掲揚されていた連邦旗(当時は33星の星条旗)を引きずり下ろし、南部連合旗である「スターズ&バーズ」を掲げた。【注2】

これは、7つの星(スター=最初に連邦を脱退した7州)と、「赤・白・赤」の3本の棒(バー)を組み合わせたデザインだった。

この時、攻撃された要塞の守備隊長は、ベテラン軍人アンダーソン少佐だったが、実は彼は、砲撃を指揮した南軍ボリガード指揮官の、士官学校時代の恩師だった。だからこそ、アンダーソン少佐が撤退の際、ボロボロに引きちぎれた星条旗を持ち帰るのを、ボリガードはこっそり黙認したのである。

ところが、この破れ果てた星条旗が一般公開されると、北部側に、いっせいに愛国ムードが沸き上がり、南北は一触即発の状態になった。南部から、さらに4州が連邦を脱退し、ついに本格的な戦争「南北戦争」が始まるのである。戦争中の1862年には、リンカーンが有名な「奴隷解放宣言」を発し、戦況はさらに泥沼化の様相を呈する。

戦争が始まってしばらくすると、連邦星条旗を使用していた北軍旗と区別がつきにくいとのことで、×(クロス)に、脱退州と同数の星をあしらった「スターズ&クロス」デザインに変更されている。つまり南部連合旗「スターズ&バーズ」は、戦争初期にほんの一時期のみ使用された、幻の星条旗なのである。

ここで紹介する行進曲≪南部連合旗≫(スターズ&バーズ)は、1963年、南北戦争100周年を記念してジェイガーが作曲した、たいへんモダンでスピード感のあるコンサート用マーチである。

近年、絶版が続いており、参考音源も乏しいが、スーザ以降のアメリカが生んだマーチとしては、トップレベルの名曲だ。

躍動感に溢れたメロディとリズム、そしてスーザへのオマージュともいうべきピッコロのオブリガートなど、マーチ本来の魅力に溢れている。機会があれば、ぜひ演奏するか、鑑賞するかしていただきたい。

南北戦争は、奴隷制度の存続を望む南軍側の砲撃で始まったが、最終的には北軍の勝利で終り、奴隷制度も廃止されるわけで、一見、南軍はワルモノ扱いである。だが、アメリカ国内では、そう単純な見方はされていないようだ。そうでなくとも、すでに100年を超えた昔の話である。ゆえに、このマーチも、南軍を讃えるというほどの深い意味はないと思われる。せいぜい、戦争初期の幻の旗をモチーフに、南北戦争自体を偲ぶ……程度に考えていいだろう。

吹奏楽ファンには言うまでもないが、これを作曲したジェイガーとは、名曲≪シンフォニア・ノビリッシマ≫≪ロベルト・シューマンの主題による変奏曲≫≪ダイヤモンド・ヴァリエーション≫などで知られる、あのロバート・ジェイガーである。

ことに、≪シンフォニア・ノビリッシマ≫の日本での人気は凄まじく、1970年代には、多くのバンドがコンクール自由曲に取り上げたものだ。そのジェイガーが、こういう親しみやすいマーチも作っていたことも、多くの方々に知っていただきたいと思う。

なお、この曲の邦題は古くから≪南部連盟旗≫と表記されてきたが、近年、南北戦争の資料類では、ほとんど「南部連合」となっているので、今回の邦題も≪南部連合旗≫とした。時々≪星条旗≫なる邦題もあり、間違いとは言い切れないのだが、これだと現在のアメリカ国旗「星条旗」(スターズ&ストライプス)と誤解されかない。こちらは「スターズ&バーズ」なので、強いて言えば「星棒旗」となる。やはりこの曲は、≪南部連合旗≫の方がいいと思う。

参考までに、南部連合の「スターズ&バーズ」旗は、別名「Confederacy Flag」とも呼ばれ、これは「反連邦旗」という意味である。
<敬称略>


【注1】南北戦争を舞台にした映画では、この『風と共に去りぬ』(1939年)が最も有名だが、もうひとつ、セルジオ・レオーネ監督の超名作『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗』(1966年)も必見である(DVD化にあたって、さすがに、あまりに恥ずかしい「地獄の決斗」は外された)。

前作『夕陽のガンマン』(1965年)とは無関係の映画で、原題は『いい奴、悪い奴、汚い奴』。南北戦争を舞台に、南軍・北軍双方と絡み合いながら生き抜く3人の男たちを描いた傑作映画だ。南北戦争とは具体的にどんな戦争だったのかも具体的に描かれる。戦争のバカバカしさを、これほどユニークかつ冷静な視点で描いた映画も珍しい。南部連合の「スターズ&クロス」旗も、チラリと登場する(「スターズ&バーズ」旗時代の話ではないらしい)。

エンニオ・モリコーネの音楽も筆舌に尽くしがたい素晴らしさ。「汚い奴」トゥーコが墓場の中を走り回るシーンは、名曲《黄金のエクスタシー》が先に作曲され、それに合わせて撮影・編集された名場面だ。誰か、この映画の音楽を、吹奏楽組曲《いい奴、悪い奴、汚い奴》に編曲して、コンクールで演奏してくれんかね。とにかくこの映画は、セルジオ・レオーネ(監督)、エンニオ・モリコーネ(音楽)、クリント・イーストウッド(主役)の、それぞれ最高傑作に挙げる人も多い名作なのだ。

余談だが、この次のレオーネ作品が、鉄道会社の土地買収と戦う農園主未亡人を描く『ウエスタン』(1968年)、次がアイルランド独立の夢破れたテロリストがメキシコ革命でウップンを晴らす『夕陽のギャングたち』(1971年)。どれも、「古いもの」が「新しいもの」にとって代わられる悲哀が題材になっており、今回の名曲≪南部連合旗≫が絶版になって忘れられようとしている姿と、どこか似たものを感ぜずにはいられない。
【注2】このサムター要塞や南北戦争のきっかけを記録した「古書」を題材にしたミステリ小説が『失われた書庫』(ジョン・ダニング著、宮脇孝雄訳/ハヤカワ・ミステリ文庫)。ダニングの古本ミステリ・シリーズの第3作にあたり、アメリカ古書業界の独特なムードと、南北戦争にタイムスリップさせられるようなロマンチックな構成が一読に値する傑作。

■吹奏楽曲でたどる世界史【第29回】フランス7月革命(1830年) ~民衆を導く自由の女神(樽屋雅徳)

Text:富樫鉄火

●英語題:Liberty Guiding the People
●作曲:樽屋雅徳 Masanori Taruya
●出版:CAFUA(レンタル)
●参考音源:
『スパイラル・ドリーミング/東海大学付属高輪台高等学校吹奏楽部 Vol.3』(カフア)など
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cdi-0046/
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cdi-0117/
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-2061/
●演奏時間:約8分
●編成上の特徴: 標準編成+ハープ、ピアノあり。
●グレード:4

今回は、音楽が歴史的事実を題材にしていると同時に、そのまま名画のタイトルでもあるので、まずは、その「絵画」をご覧いただきたい。パリのルーヴル美術館所蔵作品で、同館の目玉作品のひとつ『民衆を導く自由の女神』だ。

……といっても、すぐにパリまで行くわけにもいかない。画集か、ウェブ上で見るしかない。いろんなサイトに画像があるので、検索すれば簡単に見つかるが、せっかくだから、ルーヴル美術館の公式サイトで見よう。

実はルーヴルは、たいへん巨大なウェブサイトを運営しており、立派な「日本語版」がある。それだけ日本人来館者が多いのであろう。特に、小説・映画『ダ・ヴィンチ・コード』で殺人現場となって以来、空前の人気ぶりで、同館の案内係は、この小説を読んでガイド・テキストにするよう指示されたそうである。サイト内にも、ちゃんと日本語で「ダ・ヴィンチ・コード見学コース」がある。

たどり着き方だが、日本語版の入口 http://www.louvre.fr/llv/commun/home_flash.jspから、【作品】(プルダウンの「ヘッドライン」)→【絵画】と進むと、左下に「見学コース」がある。ここが現在「ドラクロワ」になっており、【詳細ページへ】と進むと、3枚の絵画が並んでいる。この中の真ん中が、名作、正式題『7月28日、民衆を導く自由の女神』である。ルーペ印をクリックすると拡大表示される。【注1】

……いかがですか。ご覧になりましたか。どこかで見たことあるでしょう。いわゆる「教科書に載っている」タイプの作品。ドラクロワが1831年に描いた作品だ。

ドラクロワ(1798~1863、フランス)は、19世紀のロマン派路線を代表する大画家である。1824年に発表した『キオス島の虐殺』で注目を浴びた(この絵も、ルーヴルのサイト内で見られる)。この作品は、1821年に起きたギリシャ独立戦争に際し、トルコがキオス島のギリシャ人を大量虐殺した史実を描いたもの。あまりにリアルでダイナミックな内容に、守旧派の評論家たちは「これは絵画の虐殺だ」と目をそむけたという。

だが、これこそがドラクロワの真骨頂だった。つまり彼は、実際に起きた出来事を取材し、咀嚼し、絵画芸術として再構築する、いわば「ジャーナリスト感覚を持つ画家」だったのだ。

だから、1830年に「フランス7月革命」が勃発した時も、じっとしていられなかった。フランス革命(1789~94)で「自由・平等・博愛」の国になったはずのフランスだったが、1815年、王政復古でルイ18世が王様となって以来、“王が支配する国”に逆戻りしてしまっていた。その後も弟シャルル10世が王位を継ぎ、昔ながらの古臭い“王国”ぶりに、ますます磨きがかかり始め、アルジェリアを侵略し始めたりした。

当然、市民階級を中心に不満が爆発する。シャルルは議会を強制解散させ、一部階級から選挙権を剥奪しようとした。7月27日から28日にかけて、市民の怒りは頂点に達し、パリ市内に集結、バリケードを築き、パリ市庁舎に向かい始めた。反乱軍を率いているのはラファイエット将軍と、オルレアン公ルイ・フィリップ。すでに王シャルルはビビッて郊外の城に逃げており、闘う意欲などなかった(その後、こっそりオーストリアに亡命する)。新政府の王にはルイ・フィリップが“国民王”として迎えられ、あっという間に立憲君主国になった。【注2】

この「7月革命」で、民衆が市中心部に向かって突き進む様子を絵画にしたのが、ドラクロワの『民衆を導く自由の女神』である。【注3】

もう一度、絵をご覧いただきたい。市民たちが武器を手に、市中心部(おそらくパリ市庁舎)へ向かって行くシーンだが、文字通り「自由の女神」が、みんなを先導している。
実は、この作品の題名は、直訳すると『民衆を導く“自由”』という。「女神」なんてコトバは入っていない。「自由の女神」とは、日本語にした際の“通称”なのだ。芸術分野において、「女性」はフランスを象徴する寓意イメージなのである。それは、「自由」「祖国」をあらわすもので、特に「乳房」がその象徴であるとされているのだ。「マリアンヌ」なる愛称もある。【注4】

だから、この絵画の中で民衆を先導しているマリアンヌは「自由」の精神そのものであり、胸をはだけて乳房を出しているのは、戦闘で破れたわけではなく、乳房そのものが「自由」の象徴なのである。別に、神話の女神が地上に降臨して民衆を導いているわけではないのだ。ちなみに左側で銃を持っているシルクハットの男は、ドラクロワ本人らしい(絵画の中に作者や依頼主を描きこむことは、昔からある手法)。

さらに、よく絵を見ると、民衆たちは、多くの死体の上を乗り越えて進もうとしている。これは、ドラクロワが、革命や改革には、多くの血の犠牲が必要であるという厳しい現実を描きこんだものだ。さすがに“ジャーナリスト画家”だけあって、それだけリアルでシビアな絵なのである。現にこの絵は、「一般市民を無闇に扇動しかねない」との理由で、その後しばらくは公開されなかったほどだ。

この絵画作品をモチーフに、フランス7月革命を描いた吹奏楽曲が、樽屋雅徳作曲《民衆を導く自由の女神》である。

曲は大きく6部に分かれており、「力強い民衆のテーマ」~「女神の神々しいテーマ」~「革命:蜂起」~「革命:喧噪、終結」~「女神のテーマ:再現」~「終結部:革命の成功」といった流れになっている。

さすがに《マゼランの未知なる大陸への挑戦》の作曲者だけあって描写力抜群、迫真の音楽である。前半部、「女神のテーマ」が次第に変形して革命の混沌になだれ込むあたりは見事だ。

ただし、本稿の解説でお分りのように「フランス7月革命」は、確かに血は流れたが、基本的に攻められる王たちは逃げ腰であり、長期間にわたって凄絶な大戦争となった革命劇ではない。この曲は、そのことをちゃんと表現している。つまり、戦争スペクタクル音楽ではないのだ。絵画に描かれた寓意像マリアンヌの、自由を求める「精神」を描写しているのである。だから、大序曲《1812年》のようなお祭り騒ぎ音楽を期待すると拍子抜けする。もっと落ち着いた世界が描かれているので、その点は知っておいた方がいい。難易度は決して最高レベルではないが、キチンとした音楽としてまとめるには、それなりの技術が必要と思われる。

また、ドラクロワの絵をよく見ると、光の表現方法が実に巧みである(ルーヴルのサイトでも、この点を強調した解説が載っている)。曲のほうも、おそらく、それらを音楽化したと思われる部分がいくつかある。よって、演奏する際には、サイト上や画集でもいいので、ドラクロワの絵を隅から隅までじっくり見ておく必要がある。

作曲者・樽屋雅徳は、本連載の【第22回】《マゼランの未知なる大陸への挑戦》ですでに紹介した人気作曲家である。特に《マゼラン~》は、昨年のコンクールでもトップレベルの演奏頻度だった。3月21日(水)にNHK‐FMで12時間にわたってナマ放送された「今日は一日吹奏楽三昧」でも、上位に食い込む大量のリクエストが寄せられていた。
<敬称略>


【注1】この絵のあるページのURLがあまりに長いので、ベタ貼りせずに、最初の頁からの入り方を掲げたが、右上の検索窓に作品名を打ち込んでも到達できる。とにかくルーヴルは、ニューヨークのメトロポリタン美術館と並んで、想像を絶する巨大さである。殺人がおきてもまったくおかしくない。ウェブサイトが巨大になるのも当然といえよう。参考までに、これから行く方には、とんぼの本『一日で鑑賞するルーヴル美術館』(小池寿子・芸術新潮編集部編/新潮社刊)がたいへん便利なので、お薦めしておく。
【注2】このルイ・フィリップ“国民王”、新政府で最初はうまくいっていたのだが、その後、1848年の2月革命で追われ、イギリスに亡命した。以後、フランスに王政が蘇ることはなかったので、この人が“フランス史上、最後の王様”となったわけだ。
【注3】フランス7月革命からは、有名なピアノ曲も生まれている。ショパンの《革命のエチュード》だ。フランス7月革命はヨーロッパ各国に影響を与えており、彼の故国ポーランドでも、同時に革命が発生したのだが、同国を支配しようとするロシアによって無理やり鎮圧させられた。その怒りを音楽にしたのが、《革命のエチュード》だったのである。この過程を、手塚治虫が『虹のプレリュード』と題して漫画作品にしているので、ぜひお読みいただきたい。
【注4】ニューヨークの沖合いに立つ銅像も「自由の女神」だが、これも正式名称は「世界を照らす“自由”」。アメリカ独立100年を記念して、1886年にフランスから送られた、女性=自由の寓意像である。オリジナルはパリにあり、ニューヨークのほかには、東京・お台場、青森県おいらせ町にも公式レプリカがある。東京・吉祥寺の某ラブホテルの屋上にもあって、昔は中央線からよく見えていたのだが、いまは手前にビルが建ってほとんど見えない。もちろんこれは公式レプリカにあらず。


【ちなみに余談のおまけの蛇足】

NHK特集『ルーブル美術館』の音楽

1985~86年、NHKで毎月1本ずつ、全13回で『NHK特集/ルーブル美術館』が放映された。
これは、NHKとフランス・テレビ1との国際共同制作で、撮影に足かけ2年をかけてルーヴル美術館内の名品を映像におさめ、TV画面でじっくり見せるという、当時としては画期的な大型番組であった。もちろん『民衆を導く自由の女神』も登場した。ナビゲーターにジャンヌ・モローを始めとするヨーロッパの一流俳優が次々登場し、驚かせた。

バックの音楽は、モーツァルトやヴィヴァルディなどのクラシック名曲が使われたが、テーマ曲を始め、いくつかの音楽に、どう聴いてもクラシックではない、それでいてたいへん美しい品のある曲が流れていた。時折、画面上の美術品などどうでもよく、音楽だけで涙が出そうになることさえあった。

実は、これらはエンニオ・モリコーネの音楽だったのである。NHK大河ドラマ『武蔵』の音楽を書く、はるか以前の話である。

ところが、その音楽はすべてが「流用」。つまり、以前にモリコーネが書いていた古い映画音楽を、そのまま持ってきて、当てはめたものだったのだ。

この事実を知った時、私は愕然となった。どう聴いたって、画面上の美術品に、これ以上ないほどピッタリ合っているのだ。こんなことってあるだろうか。

たとえば、テーマ曲《永遠のモナリザ》は、もともと1971年のロミー・シュナイダー主演『ラ・カリファ』の愛のテーマなのだという。どんな映画か知らないが、どうもメロドラマらしい。

《ヴェネツィアの祝祭》なる曲なんか、ヴィヴァルディよりいいんじゃないか。これは、1972年ジーン・セバーグ主演『Questa Specie d’Amore』のテーマ曲なんだという。《太陽王とヴェルサイユ》も、同じ映画からの流用だという。

やはり、あまりに有名な音楽だとイメージが出来上がってしまっているので、日本未公開、もしくは“知る人ぞ知る映画音楽”が多く使用されたようだが、しかし、あの品格と音楽性の高さは、驚くべきものだった。モーツァルトが20世紀に降臨して新たに作曲したかのようだった。

「ルーヴル美術館」の名を聞くたびに、これらモリコーネの流用映画音楽が思い出される。特に昔のサントラCDのジャケットに『民衆を導く自由の女神』が使用されていたので、今回、原稿を書くにあたって、それらを頭から追い払うのが大変だった。

ちなみにそのサントラCDは、90年代初頭にいまはなきSLCレーベルから出て、その後長いこと廃盤だったが、近年、ジェネオンから復刻されている。モリコーネ・ファンにとってはたまらない1枚である。

■吹奏楽曲でたどる世界史【第28回】ピータールーの惨劇(1819年8月16日) ~ピータールー序曲(マルコム・アーノルド)

Text:富樫鉄火

●作曲:サー・マルコム・ヘンリー・アーノルド Sir Malcolm Henry Arnold(イギリス/1921~2006年)
●初出:原曲初演1968年
●編曲:国内版では近藤久敦、瀬尾宗利など。
●出版:ブレーン(レンタル)
●参考音源:『アーノルド・セレブレーション』東京佼成ウインドオーケストラ (佼成出版社)ほか多数
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-1144/
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cdi-0226/

●演奏時間:約10分
●グレード:4~5

近年、吹奏楽界で人気の、この《ピータールー序曲》が、労働争議で発生した惨劇を描いた曲であることは、ご存知の方も多いと思う。では、いったい、どういう争議だったのかとなると、音楽解説としては、詳しく紹介される機会は少ないようだ。まず、そこから述べておこう。

ロンドンから北西部へ向かって鉄道で3時間前後、飛行機だと1時間の位置に「マンチェスター」がある。

いまでは、サッカー・チーム「マンチェスター・ユナイテッド」の本拠地として有名だが、古い音楽ファンには、コーラス・グループ「ピンキーとフェラス」の大ヒット曲《マンチェスターとリヴァプール》(1968年)でおなじみだろう(作曲は《恋はみずいろ》のアンドレ・ポップ)。

この曲の歌詞は、おおむねこんな内容である。

「マンチェスターとリヴァプールはホコリだらけで、工場と石炭の町。人々はその日のために生きている。でも、どんなに遠くへ行っても、ここは懐かしい故郷。工場の煙突が迎えてくれる」

そう歌われるほど、マンチェスターの歴史は「工場」「産業」と切っても切れない関係にある。14世紀前後から、毛織物や綿織物の職人が移り住み、「繊維の町」として栄えてきた。原材料である綿花をアメリカから運び込むため、そして完成品を輸出するため、運河を始めとする便利な交通手段も早くから開拓されてきた。そうなると、繊維工場で職を得るために人々が集まるようになり、18世紀には人口1万人台だった田舎町が、19世紀には30万人以上の大都市に成長する。かくしてマンチェスターは産業革命の中心地となり、一大工業都市となる。だが、労働者たちの環境は劣悪なままだった。急激な人口増加に、職場の数も追いつかなかった。

こうして、労働者階級に次第に不満が鬱積し始めた。特に、低賃金もさることながら、労働者階級に選挙権がなかったことに不満が集中した。そもそも当時のイギリスは、「教育」や「政治」は上流階級のものであって、労働者階級には必要ないと思われていた。もちろん「労働組合法」とか、まともな「労働基準法」なんてものもなかった。

また、労働者たちは「穀物法」の撤廃も求めていた。これは1815年にできた法律で、外国から安い小麦を輸入することを禁止する法律である。当時の議会は農園主たちが牛耳っており、自分たちが生産した穀物の価格を高く維持するために設けられた悪法だった。労働者階級は、低賃金の上に高い穀物を買わされて、生活は苦しくなる一方だった。産業革命とは名ばかり、現場労働者はいつまでたっても上流階級の犠牲にさせられる。

1819年8月16日、「マンチェスター愛国者協会」の主催で、市内にあるセント・ピータース教会前の広場で大集会が開催された。同会は、穀物法の撤廃や労働者の参政権獲得を目的とする団体で、リーダー格の一人は、急進派の活動家ヘンリー・ハントであった。

警備当局は、この集会に危機感を持った。ハントはたいへんな演説上手で知られていた。「あいつが演説すると、聴衆は興奮し出して、何をするか分らない」――警備側は、数百人の騎兵隊を動員して厳重警備にあたった。

この集会にどれくらいの労働者が集まったのかは諸説あって、当初の“警察発表”だと8000人とのことだったが、実際には、周辺まで含めると6万~8万人だったとの説もあるようだ。

あまりの人数が集まったのを見た現地の治安担当者は、集会の中止命令を出した。この大群衆が暴徒と化したら、町は廃墟と化すかもしれない。だがもちろん労働者たちは応じない。ハントが演説を始めようとした午後1時30分、集会の中に、騎馬隊・騎兵隊が投入された。

現場は修羅場と化した。ハントを始めとする協会幹部たちは逮捕され、それに怒った労働者たちは騎馬隊や騎兵隊と衝突した。騎兵はサーベルを抜いて労働者たちを追い払った。

集会参加者と警備側双方に、計11人の死者が出た(中には、妊娠中の女性もいた)。負傷者は約500名(うち、100名強が女性だった)。多くの死傷者は、馬によって踏みつけられていた。サーベルで刺殺された者もいた。

翌日の地元紙「マンチェスター・オブザーバー」は、この事件を、皮肉を込めて「ピータールーの惨劇」と書いた。現場がセント・ピータース教会前の広場だったことと、数年前(1815年)にベルギーのワーテルローでナポレオン軍が惨敗した「ワーテルローの戦い」とをひっかけた合成語だった。ナポレオン惨敗以来、「ワーテルロー」(英語読みだと「ウォータールー」)は、「完全なる敗北」の代名詞となっていたのだ。【注1】

時が流れて1967年、イギリス労働組合連合会の創立100周年を記念して、マルコム・アーノルドに管弦楽曲が委嘱された(初演は翌年)。アーノルドは、イギリス労働運動史上に残る、この「ピータールーの惨劇」を音楽化した。それが《ピータールー序曲》である。

曲は、惨劇の一部始終をリアルに描写している。のどかな田園風景を思わせるコラール風の旋律が流れ、次第に騎兵隊の足音が響いてきて、大混乱、弾圧の模様が描かれる。阿鼻叫喚の音楽洪水のあと、静まると再び冒頭のコラール旋律に戻り、圧倒的な大合奏になる。労働者たちはその場では敗北したが、やがて勝利をつかむであろう、未来への希望を描いている。

アーノルドは、様々なタイプの音楽を書いたので、一部批評家からは「とらえどころがない作曲家」とも指摘されているらしい。現に母国イギリスの「ニュー・グローブ世界音楽大事典」ですら、たいへん小さな扱いで「《ピータールー序曲》に見られるように、平凡で陳腐な要素と破壊的な要素との葛藤が、その相反する力のアイヴズ風の出会いによって強調されることもある」とか、「(交響曲第5番などで)彼自ら『感情に訴える常套手段』と呼ぶものを計画的に用いるやり方は、多くの批評家を当惑させた」などと、いささか突き放したように解説している。

だが、この曲は、終始「描写」によっているので「当惑する」ようなことはない。管弦楽曲だが、以前から、吹奏楽版でよく演奏されている。アーノルド自身、ロンドン・フィルのトランペット奏者だったせいか、管打楽器の扱いを十分心得ており、吹奏楽版への移行も極めて自然だった。激しい乱闘場面から、ラスト、未来への希望を思わせるコラール賛歌になる部分は、何度聴いても感動的だ。国内版の編曲は、近藤久敦版、瀬尾宗利版などがある。

アーノルドは、いまや日本の吹奏楽界における大人気作曲家である。映画音楽『六番目の幸福』(日本公開時の邦題)による組曲《第六の幸福をもたらす宿》、同じく映画音楽からの組曲《戦場にかける橋》、映画『超音ジェット機』の音楽からの改編《狂詩曲「サウンドバリアー」》バレエ音楽《女王への忠誠》《4つのスコットランド舞曲》、交響曲第2・4・5番……枚挙に暇がない。【注2】  <敬称略>


【注1】ロンドンに「ウォータールー」という地名があり、これも、イギリス軍を含む連合軍がナポレオンをワーテルローの地で破ったことに由来するそうだ。名作映画『哀愁』(1949年)で、ヴィヴィアン・リーとロバート・テイラーが出会った橋は、この町にある。橋の名前は、映画の原題と同じ「ウォータールー・ブリッジ」。そういえば、往年の人気グループABBAが1974年のユーロビジョン・コンテストで歌って優勝し、最初の大ヒットとなった曲に《恋のウォータールー》なんてのもあった。(上記「ロバート・テイラー」部分、当初、「クラーク・ゲーブル」と記述しておりました。つい、別の映画とごちゃ混ぜになってました。ご指摘いただいた読者の方、ありがとうございます。何の映画とごちゃ混ぜになっていたかは…映画ファンはお分りだろうと思います/富樫)
【注2】アーノルドの音楽で、最も人口に膾炙しているのは、映画『戦場にかける橋』(1957年)の音楽だろう。アカデミー作曲賞を受賞している。この中で、アルフォード作曲の有名なマーチ《ボギイ大佐》が使用され、これに重ねてアーノルド作曲の《クワイ河マーチ》が流れる。たいへん見事な音楽構成なのだが、そのために、《ボギイ大佐》と《クワイ河マーチ》が同一曲であるかのような誤解が流布している。この2曲は、まったく別の曲である。余談ついでに、『戦場にかける橋』の原作は、フランスの作家ピエール・ブールによる体験実話小説。彼は戦時中、ビルマで日本軍の捕虜となっており、終生、黄色人種を憎み続けた。ところが体験談だけでは怒りがおさまらなかったと見えて、今度は黄色人種をサルに見立てたSF小説まで書いた。それが『猿の惑星』である。

■吹奏楽曲でたどる世界史【第27回】ナポレオンのロシア侵攻(1812年) ~大序曲≪1812年≫(チャイコフスキー)

Text:富樫鉄火

●作曲: ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(ロシア) Pytr Il’Ich Tchaikovsky(1840~93)
●初出: 原曲初演1882年
●編曲:小編成向きや短縮版まで含めれば、内外で10種以上ある。詳細は、本文参照。
●出版 : 本文参照
●参考音源 : 本文参照。
●演奏時間 : 約16~17分
●編成上の特徴 : 本文参照
●グレード : 本文参照

フランスの軍人ナポレオン・ボナパルト、通称ナポレオン一世(1769~1821)は、執政として頂点を極めたかに見えた1804年、突如、フランス第一帝政の「皇帝」に即位した。まさかそのような野望を抱いているとは、それまで、ほとんど素振りを見せなかっただけに、これには多くの者が衝撃を覚えた。あきれたベートーヴェンは、彼に捧げるつもりで書いていた交響曲第3番≪ボナパルト≫を、単なる≪英雄≫と改題してしまったほどだ。【注1】

その後の野望もとどまるところを知らず、連戦常勝でヨーロッパほぼ全域を傘下におさめた。言うことを聞かないイギリスに対しては大陸封鎖令を出して孤立させた。イギリスから物資が入ってこなくなったヨーロッパ諸国は、次第にナポレオンに対して不満を抱き始めた。

特にロシアは、様々な物資を主にイギリスから輸入していたが、これが入ってこなくなって、業を煮やし始めた。とうとう封鎖令を破ってイギリスと貿易を再開してしまう。プライドを傷つけられたナポレオンは同盟国に呼びかけて、1812年、60万もの大軍勢を仕立てて、ロシアに攻め込んだ。

過去の戦歴から、フランス同盟軍の優勢は確実かと思われたが、唯一の誤算があった。それは「冬将軍」……ロシアの強烈な冬の気候だった。荒れ狂う雪嵐、未知の超低温がフランス軍を襲った。

対抗するロシア軍も、モスクワを焦土と化してフランス軍を孤立させるなど、徹底抗戦で応じた(ロシアでは「1812年祖国戦争」と呼ばれている)。さすがのフランス同盟軍も耐え切れず、退却する。現場指揮官たちは、続々と脱走した。無事に母国まで戻れた兵士は、たった数千人だったとの説もある。

このナポレオン大敗を見たヨーロッパ諸国は、いっせいにフランスに反旗を翻し、翌年、周辺諸国の連合軍に攻め込まれてパリは陥落。ナポレオンはエルバ島に島流しにされるのだ。

このナポレオンのロシア侵攻~退却の一部始終を音で描いたスペクタクル音楽が、チャイコフスキーの大序曲≪1812年≫である。【注2】

題材となった年から70年後の1882年、モスクワで開催された産業博覧会での野外コンサートのために作曲された。オリジナル・スコアは、大合唱に鐘、ホンモノの大砲、別働隊バンドまで登場する、一種の“トンデモ音楽”である。

冒頭、重々しく暗いロシア聖歌が流れ、物資不足で困窮にあえぐロシア民衆の姿が描かれる。やがて彼方からフランス国歌≪ラ・マルセイエーズ≫が響いてきて、ナポレオン率いるフランス同盟軍が迫ってくる。ロシア側は、当時のロシア国歌や民謡などで“徹底抗戦”。

激しい戦闘がつづくが、次第にフランス国歌が乱れ始め、最後はロシア側メロディーの、凄まじいばかりの超ウルトラ級圧倒的迫力演奏で終わる。勝利の鐘が鳴り響き、祝砲がバンバン発射され、史上空前の騒ぎである。

なにぶん、登場する旋律がすべて親しみやすく、音楽的な展開も分りやすいので、昔から吹奏楽でもさかんに演奏されてきた。

以前は、マーク・ハインズレイによる編曲がよく演奏されていた(Hindsley Transcriptions, Ltd)。コントラバス・クラリネットや、トランペット1・2+コルネット1~3、大砲などが指定された大型編成である。グレードは「5超」=「6」。

近年では、日本の木村吉宏版(De Haske)、高橋徹版(アトリエM/レンタル)あたりが人気のようだ。どちらも標準プラス・アルファの編成であるが、お祭り騒ぎを再現するのでなければ、オプション代用などで十分演奏できるはずだ。グレードは「4~5」あたりか。音源も、木村版であれば数種出ており、比較的簡単に見つけられるはずだ。

編成・実力がおぼつかないバンドには、中編成版や短縮版の方がいいだろう。これもまた、海外では、実にたくさんの編曲が出ているのであたっていただきたい。

もし原曲を聴くのであれば、アンタル・ドラティ指揮、「ミネアポリス交響楽団」+「ミネソタ大学バンド」+「ウエストポイント陸軍博物館所蔵の18世紀フランス製大砲」+「本物の鐘」による録音をお薦めする(マーキュリー)。初演当時のトンデモ演奏を再現したものだが、1958年のステレオ初期録音ながら、どんな最新デジタルもかなわない、超ド級の音質と演奏が堪能できる。この頃のマーキュリー・レーベルは、ワンマイクの優秀モノラル録音で、フェネル指揮のイーストマン・ウインド・アンサンブルによる最新吹奏楽録音をバシバシ出していたが、すでにこんなステレオLPも出していたのだ。当時は、生半可なプレーヤーで再生すると、すぐに針が飛んだり、スピーカーが音割れしてしまうとあって、オーディオ・チェック用にこぞって買い求められたものだ。これを聴いてシビれてしまい、吹奏楽で同様の迫力を出そうとチャレンジした者が、どれだけいたことか(このアタシとか)。【注3】

ちなみに、2004年10月には、陸上自衛隊東部方面音楽隊と第1特科隊が中心となって、朝霞駐屯地で、ホンモノの大砲を使った、驚くべき≪1812年≫野外コンサートが実施されている。
<敬称略>


【注1】実は、ほんとうにベートーヴェンがこの曲をナポレオンに捧げようとしていたのかどうかは、半ば伝説化されていて定かではない。ただしベートーヴェンが即位前のナポレオンに期待していたことは間違いない(当時の文化人は、みんなそうだった)。よく言われている「楽譜の表紙を破り捨てた」というのもウソで、筆者は表紙現物を見たことがあるが、引っかくようにして献辞の部分を消しただけである。

【注2】このナポレオンのロシア侵攻を小説で描いたのが文豪トルストイ。名作『戦争と平和』がそれだ。

【注3】ちなみに、このレコードのB面は、これもまたトンデモ戦争音楽、ベートーヴェンの≪ウェリントンの勝利≫だった。現在は、チャイコフスキー≪イタリア奇想曲≫なども加えて、ユニバーサルからCD化されているので、お聴きいただきたい。

■吹奏楽曲でたどる世界史【第26回】稀代の性豪・カサノヴァ(1725~98) ~カサノヴァ~独奏チェロとウインド・オーケストラのための(ヨハン・デ・メイ)

Text:富樫鉄火

●作曲:Johan de Meij(1953~)オランダ
●原題:Casanova for solo cello and wind orchestra
●発表:2000年2月、トルン聖ミカエル吹奏楽団が初演。
●出版:Amstel Music(オランダ)
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/set-9978/
●参考音源:『Casanova』(Amstel)
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-0069/
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-1864/
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-0352/

●演奏時間: 約27分(全8部構成)
●編成上の特徴:標準を超える編成…オーボエ1・2あり、イングリッシュホーンあり、バスーン1・2あり、トランペット1~4あり、打楽器多数、ピアノ・チェレスタ・ハープあり。
●グレード: 5~6

《指輪物語》で知られるデ・メイの、たいへん素晴らしい曲なのに、そう頻繁に演奏されている気配がない(以前、大阪市音が定期で取り上げてCD化されていた)。

それもそのはずで、これは「独奏チェロと吹奏楽のための」曲なのだ。プロ・バンドならいざ知らず、アマチュアでは、チェロ奏者を確保することは容易ではないだろう。

だが、演奏の機会が少ない理由は、別にあるのでは……実はこの「カサノヴァ」とは、歴史に名を残す「性豪」なのである。それゆえ、あまり教育上よろしくないので、演奏が憚られるのかも……?(もちろん、冗談です)

この曲の題材となったジャコモ・カサノヴァ(1725~98)は、ヴェネツィア生まれのイタリア人。ナニ屋さんなのかを説明するのは難しいのだが……法学博士、薬剤師、聖職者、軍人、ヴァイオリニスト、妖術師、(自称)貴族、政治家秘書、スパイ、賭博師、劇作家……あまりに多くの顔があるので、とてもひと言では表せないが、少々怪しい「総合文化人」であったことは間違いない。しかし、これだけは生涯を通じて全うした――「セックス」である。彼は生涯に1000人以上の女性と交わり、女性を歓喜させることに異様なまでの執念とエネルギーを注ぎ込んだのである。【注1】

晩年、自らの一生を『わが生涯の物語』(通称『カサノヴァ回想録』)としてまとめており、それが死後刊行されたことで、一躍その名は世界中に広まった。一般には、これによって「性豪カサノヴァ」のイメージが定着し、「女たらし」をカサノヴァと呼ぶようになった。だが、この自伝が広く読まれた理由は、その「セックス・レポート」ぶりもさることながら、18世紀末のヨーロッパ社会の様相が実に生き生きと描かれていたことと、また、彼自身の、まるで小説のような波乱万丈の生涯にこそあったのだ。【注2】

今回の曲《カサノヴァ》は、そんな彼の波乱の人生の中の、主に1755年からの数年間にスポットをあてている。この時期、カサノヴァは、少女レイプ犯として指名手配されていた上、妖術師まがいのことをやっており、それによって宗教裁判にかけれられて、「鉛の監獄」と呼ばれたピオンビ刑務所にぶち込まれていた。ここは脱獄不可能と言われた難攻不落の監獄だったが、なんとカサノヴァは、見事に脱獄に成功するのである(同刑務所の歴史上、ただ一回の成功例だという)。

そんな時期から、8つの象徴的な場面・エピソードを抽出し、一種の交響詩に仕立て上げたのが、デ・メイの《カサノヴァ》なのだ。

8場面は、アタッカ(切れ目なし)の部分もあれば、一段落してつながる部分もあるが、おおむね、全体がひとつにまとまっていると考えていいだろう。各場面ごと、作曲者によるサブタイトルが付いている。

【 I 】プロローグ~警察署長のテーマ(約2分弱)……カサノヴァを逮捕する敵役のテーマ。オペラ《トスカ》の警察長官スカルピアにあたる。

【 II 】カデンツァ~カサノヴァ登場(約2分)……カサノヴァが自らの無罪を主張する。哀しげなムード。

【 III 】裁判の日々(約2分半)……いよいよ裁判が始まり、カサノヴァの論告がつづくが、たくさんの女性が応援に押しかけてきており、意外と派手で明るいムードもある。

【IV】カサノヴァの逮捕(約3分弱)……結局カサノヴァの思うように裁判は進まず、「脱獄不可能」と言われるピオンビ刑務所に収監され。冷たくドアが閉じられる。曲は、ここで一段落する。

【V】妄想(約6分半)……監獄内。外からは賑やかな町のざわめきが聴こえてくる。カサノヴァは脱獄プランを練り始める。前曲の中で最もゆったりした部分である。ここでまた曲は一段落する。

【VI】「鉛の監獄」からの脱獄(約7分弱)……文字通り「鉛」で覆われた監獄の屋根。カサノヴァは、外部からの援助を得て、この屋根から脱獄する。チェロの見せ場で、迫真の描写がつづく。特に「屋根」の表現のうまさには脱帽する。そして「脱獄成功」シーンの迫力! やはりデ・メイはスゴイ作曲家だ。ぜひ実際に聴いてご確認を!

【VII】修道女M.M.とC.C.(約2分弱)……前の部分からつづく。脱獄に成功したカサノヴァは、ムラーノ島近くの修道院へ隠れこみ、修道女M.M.と淫行に耽る(ただし曲はたいへん上品で美しい)。さらにC.C.なる女性とも。彼女達は『回想録』の中で、「M.M.」「C.C.」とイニシャルだけで記録されており、どこの誰かは具体的には分らない(言うまでもなく修道女との交合は重罪であるが、彼は生涯に何度となくこの罪で追われている)。

【VIII】フィナーレとストレット~愛の勝利(約3分)……前部からそのまま明るく華やか、壮大なフィナーレになだれ込む。ラストで一瞬寂しげなムードになり、「いよいよカサノヴァも老いて引退か?」と思わせておいて、突然「とんでもない、まだまだヤルぞ~!」と叫ぶように終わるところが、何ともニクイ。

もちろんカサノヴァ=独奏チェロである。ある時は哀しく、ある時は陽気に、様々な表情を見せる。明らかに、チェロが加わったことで、通常の吹奏楽曲の枠を超える魅力を生み出している(チェロを、ユーフォニアム・ソロか、サクソフォーン・ソロで代行できそうな気もするが……やっぱ無理かな?)。

そして……聴いていると、明らかに、プッチーニ≪トスカ≫の影響がうかがえる。特に冒頭の部分などは、≪トスカ≫幕開けにそっくりだ。

それもそのはず。この曲は「プッチーニへのオマージュ」なのである。作曲者自身がはっきりそう述べているほどだ(「なぜプッチーニは、カサノヴァをオペラにしなかったのだろう」とさえ言っている)。つまりここでのカサノヴァは「カヴァラドッシ」であり「トスカ」でもある。警察署長(審問官?)は「警視総監スカルピア」なのだ。

吹奏楽にチェロを加えているバンドはけっこうあり、そのための曲もこれが最初ではない。だが、これほどチェロの色合いと吹奏楽とがきれいに合体した曲はなかなかない。

しかし、いったい何だってこんな人物が生まれたのだろうか。カサノヴァは、両親ともに俳優だったが、父親は別人だったとの説がある。そのせいか、両親は、カサノヴァに愛情をもって接してくれなかった。生涯、女性遍歴をつづけたのは、その裏返しとの見方がある。

また、彼が生きた18世紀中頃は、ヨーロッパ激動の時代だった。ハプスブルク家はマリア・テレジアによって全盛期を迎えていたし、彼の晩年にはフランス革命が発生している。モーツァルト≪ドン・ジョバンニ≫初演も見ており、台本構成に参加しているとの説もある(まるで自分のことを描いたオペラのように感じただろう)。

ひたすら女性と交わりながら、思いのままに生きたカサノヴァの行動は、自己のルーツと世相への反動だったのだろうか。そんなことを考えながら聴くと、なかなか味わい深い曲である。<敬称略>


【注1】カサノヴァの日本語表記は、ほかにも「カサノバ」「カザノヴァ」などいくつかあるので、検索の際には注意されたい。

【注2】『カサノヴァ回想録』は、数種の邦訳が出ていたが、いまはどれも入手困難。かつては岩波文庫版(岸田國士訳、全20巻)、河出文庫版(窪田般弥訳、全12巻) 、集英社版(田辺貞之助訳)などがあった。現在、この旧集英社版=田辺訳が、「デジタル書店:グーテンベルク21」http://www.gutenberg21.co.jp/index.htmlでダウンロード販売が開始されている(一部立ち読みも可能)。とにかくこの回想録は抜群の面白さで、特に脱獄の場面は圧巻である。

■吹奏楽曲でたどる世界史【第25回】海上クロノメーター(高精度時計)の発明(1700年代) ~ハリソンの夢(ピーター・グレイアム)

Text:富樫鉄火

●作曲: Peter Graham (1958~、イギリス)
●原題:Harrison’s Dream
●発表:当初、金管バンド版として作曲され、2000年10月、全英ブラスバンド選手権課題曲に。吹奏楽版は、2001年1月、アメリカ空軍ワシントンDCバンドによって初演。詳細はBP内のコラム<樋口幸弘の「ウィンド楽書(ラクガキ)ノ-トファイル」>参照
●出版:金管版はGramercy Music(イギリス)、吹奏楽版は Alfred Publishing (Warner Brothers Publishing、アメリカ)のDonald Hunsberger Wind Library版。
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/set-9641/
●参考音源:『Harrison’s Dream 』ロイヤル・マリーンズ・バンド(シェブロン)、『ハリソンの夢/P.グラハム』神奈川大学吹奏楽部 (カフア)ほか多数
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-0737/
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-0405/
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-0302/
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cdi-0031/
●演奏時間:約15分
●編成上の特徴:オーボエⅠ・Ⅱあり、イングリッシュホーンあり、バスーンⅠ・Ⅱあり、トランペットⅠ~Ⅳあり(Ⅳ番フリューゲルホーン持ち替えあり)、ユーフォニアムⅠ・Ⅱあり、チェロあり(オプション)、ハープあり、打楽器小物多数必要。単一パート内に2声(div.)多くあり。サックス+全金管楽器全員が小ベルを兼任。
●グレード:7

今回の曲≪ハリソンの夢≫の「ハリソン」とは、18世紀イギリスの時計職人ジョン・ハリソン(1693~1776)のことだ。つまりこの曲は、ジョン・ハリソンなる人物を題材にしたものなのである。いったい、何をやった人なのか。【注1】

ここに1冊の本がある。『経度への挑戦 一秒にかけた四百年』(デーヴァ・ソベル著、藤井留美訳、翔泳社刊)。まさしく、このジョン・ハリソンの生涯を描いた歴史読物だ。今回は、この本の内容を紹介する形で話を進める。【注2】

1707年、イギリス本国を目の前にしたシリー諸島近海で、霧に包まれたイギリス海軍の軍艦5隻のうち、4隻が、座礁したり衝突したりして沈没し、2000名もの兵士が水死する悲劇が発生した。「7つの海を制する大英帝国」にとっては、まことに恥ずべき大事故だった。原因は明確、「経度がわからなかった」せいである。

この当時、海図や羅針盤はあったが、正確な「経度」を計測する手法は、まだ発見されていなかった。

「経度」とは、地球を「南北に走る線」である。北極点からまっすぐ下へ伸び、赤道を通過して南極点を経由し、裏側で再び上昇して一周し、北極点でつながっている。

これに対して「緯度」は、地球を真横に輪切りするように走る「東西を走る線」だ。

目標物が天体以外にない大海を横切って移動するには、特にこの「経度」が正確に分からないと、目的地にたどり着くこともできない。当時は、おおよその方角に頼っている有様だった。1707年の大事故は、それゆえに起きた悲劇だった。

当時、もちろん「経度」の概念は確立していたが、それを正確に知る方法がなかった。なぜなら、「船の上で使える時計」がなかったからだ。

「緯度」は、天体の位置や、日昇・日没を手がかりに、ほぼつかむことができた。

だが「経度」は、船が出港した母港地の時間と、海上での現在時間が、それぞれ正確にわからないと、割り出せない。

地球は、24時間で一回転(360度)する。つまり、1時間で15度回転するわけだ。仮に、母港地の時間と、海上での現在時間に1時間の時間差があれば、その船は15度進んだことがわかる。だが地球は球状だから、赤道上だと、「経度」15度の差は1600キロになるが、そこから南北へ離れるにつれて、その距離は小さくなる。経度の差は、世界中どこでも「時間」は同じだが(1度=4分)、「距離」は、場所によって異なるのだ。だから、経度が正確にわからないと、自分たちの船がどこにいて、どれだけの距離を航行しているのかも、わからない。

当時の時計は、「振り子時計」か「ゼンマイ時計」である。しかし、常に揺れている船上で、振り子時計が役に立たないことは言うまでもない。当時のゼンマイ時計も、ゼンマイを巻いている間は針が止まってしまい、役に立たなかった。そうでなくとも、熱帯に行けば内部部品の金属が膨張し、寒冷地に行けば逆に縮んでしまい、動かなくなる。多湿地帯に行けば、あっというまに部品にカビやサビが発生し、止まってしまう。時計内部に刺す油も、寒冷地では固まってしまい、熱帯ではドロドロになって動きを止めてしまう。

いったい、揺れる船上で正確に時を刻み、あらゆる環境に対応する時計はないのか。経度を正確に知るための「海上時計」が開発されない限り、1707年の悲劇が、いつまた再発するか、わかったものではない。

業を煮やした大英帝国議会は、1717年に「経度法」を制定する。その中で、「海上で正確な経度を測定する方法を発見した者に、国王の身代金相当の賞金(現在の数百万ドル)を与える」と発表した。

これに反応したのが、天文学者たちだった。「ハレー彗星」の発見者で知られるハレーも、その一人だった。「海上時計」など、そう簡単にできるわけがない。だったら、太陽や月、星の位置から経度を割り出すほうが早い……あらゆる方法が研究されたが、一日中、太陽を見ているために、片目を失明する船員が続出したりした。結局、月の運行をもとに経度を測定する「月距法」が有利となった。だがこの方法は、分厚いデータブックをもとに膨大な計算をしなければならず、経度を割り出すまでに「4時間」もかかる有様だった。もちろん、嵐や曇天で天体が見えなければ測定はできない。それでも懸賞レースは、多くの天文学者たちによってリードされていた。

そこに、無名の時計職人が登場した。名はジョン・ハリソン。もともと大工だった。音楽が趣味で、聖歌隊の隊長などもやっていたが、学校にも行っていない無学な男……のはずだった。ところがこのハリソンは、いつしか時計に興味を持つようになり、大工をやめて時計を作るようになっていた。彼が、いつ頃から、なぜ時計を作るようになったのか、どのようにしてその技術を学んだのかは、いまでもよくわかっていないらしい。ただ、ほぼ「独学」であったことは、間違いないようだ。

懸賞の話を聞きつけたハリソンは、5年間をかけて、最初の海上時計第1号「H‐1」(ハリソン1号)を完成させた。上記、参考音源に挙げたロイヤル・マリーンズ・バンドのCDジャケットにある時計が、それだ。重さ34キロ、高さ2.1メートルのキャビネットにおさめられるほど巨大な時計だった。機能の秘密性を保持するため、内部構造はすぐには明らかにされなかったが、船上実験の結果、24時間で数秒の誤差しか生まれず、十分、海上時計として通用することが判明した(現在でも、ロンドンの博物館で、きちんと動いているらしい)。

だが、この大きさに実用性がないことはハリソン自身にも明白だった。改善点が多くあることも分かっていた。ここから、ハリソンの闘いが始まる。今回の≪ハリソンの夢≫は、ほぼ、その「闘い」を音楽にしていると考えて間違いない。

前述のように、当時の「経度測定法」開拓は、天文学者によって占められていた。天体の位置を測定して経度を割り出すか。あるいは、正確な海上時間を知って経度を割り出すか。ハリソンの闘いは、保守的な天文学者たちとの闘いでもあった。後半生の開発と戦いは、実質、息子に引き継がれた。

結局、数々の妨害を乗り越えて、最終的に使用可能な海上クロノメーター(高精度時計)が開発されるのだが、嫌がらせは長々と続き、懸賞金はハリソンの晩年まで、なかなか支払われなかったのである。

私たち日本人には、このジョン・ハリソンは、そう著名な存在ではない。だが、母国イギリスは、さすがに「7つの海を制した大英帝国」だけあって、彼に対する評価や人気度は、ずば抜けたものがあるようだ。

だから、彼をモチーフにした吹奏楽曲がイギリスで生まれたのも、当然といえば当然だった。

ただし、とんでもなく難しい曲になった。グレードは「7」と言われている。いったい、何だってこんなに難しい曲にしなければならいのか…とぼやきたくなってくるほどだ(しかも、この超難曲、もともとは「金管バンド」曲だったのである。イギリスの金管バンドのレベルが分ろうというものだ)。【注3】

特にストーリー・テリングな曲ではないが、最初に「時を刻む」様子が様々に入り乱れ、ハリソンが時計開発に苦労しているらしき様子が描かれる。同じ作曲者の人気曲≪ザ・レッド・マシーン≫が、超スピードで展開しているかのようである。中間部では、海上時計がなかったためにおきた数々の悲劇が回想されているようだ(この部分は、別途独立した≪エレジー≫なる曲としても発表されている)。

後半は、ハリソンの「夢」が実現し、海上時計が完成した栄光の部分であろう。時を正確に刻む時計の音が鳴り響く中、「栄光」の瞬間が訪れる、素晴らしいクライマックスが待っている。感情の爆発と冷静な知性が、たいへんバランスよく配置された名曲といえる。

というわけで、この曲は「時計」「時間」を吹奏楽で表現しているのである。しかも、≪おじいさんの古時計≫とか、≪シンコペーテッド・クロック≫などのような、のんびりした時計の話ではない。多くの悲劇を背景に背負った、生きるか死ぬかの「戦い」の世界なのだ。

この曲が日本で大きく注目されたのは、2003年の全日本吹奏楽コンクール全国大会・高校の部における、洛南高校(関西支部、京都府代表)の演奏だった。吹奏楽史上、最高難易度の曲を、すでに洛南名物になった「少人数」で、「楽器持ち替え」を駆使して見事にこなし、金賞を受賞したのだ(同年、川口市アンサンブル・リベルテも演奏して金賞を受賞している)。

作曲者ピーター・グレイアムは、イギリスの人気作曲家(作曲で博士号を取得しているようだ)。もともと金管バンド用の曲を多く作っていたが、昨今は、そのほとんどが吹奏楽版に移植され、世界中で演奏されている。特に≪ゲールフォース≫≪ザ・レッド・マシーン≫≪地底旅行≫などが人気を呼んでいる。【注4】

なお≪ハリソンの夢≫(吹奏楽版)は、2002年オストワルド賞を受賞した。
<敬称略>
※この曲の吹奏楽版の楽譜は、アメリカのAlfred Publishing (Warner Brothers Publishing内のレーベル)から発売されているが、Donald Hunsberger Wind Libraryシリーズの中の一点で、しかも、オリジナルが金管バンド曲だったせいか、日本では、時折「グレイアム作曲、ハンスバーガー編曲」といったような紹介のされ方をしている。これは間違いで、グレイアム自身によって、最初の金管バンド作曲とほぼ同時に吹奏楽版も作られたのである。ちなみに「Donald Hunsberger Wind Library」とは、ハンスバーガー自身が推薦・公認(または監修)したシリーズのこと。


【注1】この曲の日本語表記は「ハリソン」「ハリスン」の2種類がある。検索などの際には、ご注意を。

【注2】この本は、現在絶版で、一般書店では入手不可能。古書店や図書館で探されたい。

【注3】イギリスの金管バンドによる名演がいくつかCD化されているので、ぜひお聴きいただきたい。その柔らかで美しい響きは、普段「吹奏楽」のみに接している方には、たいへん新鮮に感じるはずだ。

【注4】作曲者Peter Grahamの日本語表記も、「グレアム」「グラハム」「グレイアム」など、数種類ある。今回は、バンドパワーでの表記に従って「グレイアム」とした。

■吹奏楽曲でたどる世界史【第24回】オランダ独立80年戦争(1567頃~1648) ~交響詩≪エグモント≫ (アッペルモント)

Text:富樫鉄火

●作曲:ベルト・アッペルモント Bert Appermont(1973~)
●原題:EGMONT~Symphonic Poem~
●発表:2004年初演
●出版:Beriato(ベルギー)
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/set-8300/
●参考音源:
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-1843/
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-0624/
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-0981/
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-3674/

●演奏時間:約18分半(約3分+約4分半+約5分半+約5分半)
●編成上の特徴:イングリッシュホーンあり。スパニッシュギターあり(代用可)。
●グレード:5

「エグモント」と聞けば、ほとんどの音楽ファンが、ベートーヴェンの名曲≪エグモント序曲≫を思い出すだろう。

実は、この「エグモント」とは、オランダ独立戦争に名を残す、史実の英雄の名前なのである。

1500年代のネーデルラント(オランダ)は、スペインに支配されていた。当時のスペインといえば、カトリック・パワーを背景に、絶大な権力を誇示する超大国だった。

だが、その頃のオランダでは、同じキリスト教でも、カトリックではなく、新派であるプロテスタントが広まっていた。

それを抑え込み、オランダに対して圧制を強いたのが、スペイン選出の神聖ローマ帝国皇帝カール五世である。

このカール五世に仕えるオランダ貴族の中に、「エグモント伯ラモラル」(1522~1568)なる人がいた。これが、今回の主役、通称エグモント氏である。

(近年、都内にベルギー・ビールの呑めるバーが増えているが、そこによく「エグモント」とか「ラモラル」なる銘柄のビールがある。これ、みんな「エグモント伯ラモラル」にちなんだビールなのだ。ベルギーは、当時、オランダ南部の一部の州だった)

スペインでカール五世が退位し、その息子フェリペ二世が王位を継いだあとも、エグモントは引き続き仕えた。特に、フェリペ二世とイギリスのメアリー一世との結婚交渉に際しては、かなり尽力した。さらに、スペインの対フランス戦争でも活躍し、フランドルなどの総督を命じられている。絵に描いたような立身出世コースではないか。

ところが、先述のとおり、当時のオランダでは、プロテスタントが大流行だった。カトリック政治で抑え込みにかかるスペインに対して、市民階級の中に、不満の声が沸き上がる。

今までスペインに仕えてきたエグモントだったが、次第に心はプロテスタントに傾くようになり、ついには、ほかの貴族たちとともに反乱運動に参加するようになる。

しかし、すでに運動の主導役は一般市民に移っており、エグモントたち貴族は、市民たちから相手にされなくなっていた。

そんな様子を見てとった支配国スペインは、この反乱運動を一気に鎮圧すべく、1567年、アルバ公爵を送り込んだ。そして「血の法廷」と呼ばれる大粛清が展開され、数千人の反乱者が処刑された。その中に、エグモントも含まれていた。皮肉なことに、かつて懸命に仕えた君主サイドに処刑されたのだ。

オランダは、これをきっかけに、通称「80年戦争」と称される、本格的な独立戦争に突入するのである。

よって、よく、エグモントのことを「オランダ独立の英雄」と称している資料があるが、正確に言うと「独立戦争のきっかけとなった、悲劇の貴族」と呼んだ方がいいのかもしれない。

このエグモントの物語を戯曲(悲劇)『エグモント』に仕立てたのが、文豪ゲーテである。恋人クレールヒェンとの悲恋をからめながら、処刑されるまでを描いている。そのゲーテの戯曲に音楽を付けたのが、ベートーヴェン。いわば劇判音楽で、計10曲が作曲されたが、いまでは、ほとんど、有名な序曲のみが演奏されている。

そして幾星霜、21世紀になって、再びエグモントを音楽(吹奏楽曲)にしたのが、地元ベルギーのアッペルモントというわけ。本書では、すでに≪ジェリコ≫【第7回】の項で紹介している若手人気作曲家だ。彼の作品は、どれも映画音楽風で親しみやすい。しかも、まるで眼前で、その場面が現実に起きているような、抜群の描写力を示す。今回も、その例にもれず、素晴らしい吹奏楽曲になっている。

全体は4部構成で、<結婚><フェリペ二世とエグモント(対立)><処刑><スペインに立ち向かう(独立戦争)>から成っている。全曲通すと20分弱だから、吹奏楽曲としては大曲である。

曲は、なんとも、凄まじいド迫力だ。吹奏楽とは、文字通り管打楽器で構成されているものだが、その特徴を知り尽くし、かつ、最後の一瞬まで飽きさせないようなつくりになっている。

構成上、エグモント処刑後のオランダ独立戦争(第4部)に重点が置かれているところが、何ともうまい。つまり、エグモントの死が、決して無駄ではなく、以後の独立戦争に多大な影響を与えたことが、音楽で強調されているのだ。

4部構成ながら、各部はアタッカ(切れ目なし)でつながっており、全曲演奏するには、相当な体力が必要だが、かなり明確に分かれているので、抜粋演奏も不可能ではないだろう。

編成上、イングリッシュホーンがあるが、ほとんどオプション的な扱いなので、ナシでも演奏できる。また、第2部でスパニッシュ・ギターが登場するが、前半ヴィブラフォン、後半ユーフォニアムで代用できるように書かれている。ただ、打楽器類が、人数も楽器も多めなので、バンドによってはたいへんかもしれない。

なお、参考までに、例のベートーヴェンが作曲した≪エグモント序曲≫も、そう頻繁に演奏されるわけではないが、吹奏楽版の楽譜が数種類、発売されている。演奏し(聴き)比べてみるのも、一興であろう。
【おまけ解説】
このエグモントの物語を読んで、オペラ・ファンだったら、「あれ? どこかで聞いたことある話だな」と感じた人がいるかもしれない。

そう、ヴェルディの名作オペラ≪ドン・カルロ≫(1867年初演)が、このエグモントの悲劇の時代を、スペイン側から描いた物語なのである。正確に言うと、エグモント処刑後の、スペインとオランダの関係が物語の背景になっている。

つまり、主人公「ドン・カルロ」とは、エグモントが仕えたフェリペ二世の息子なのである。

オペラの中で、ドン・カルロが、父フェリペ二世に対して「フランドルから来た使者の訴えを聞いてやってください」と歌う場面があるが、これは、エグモント処刑後の反乱運動のことを指している。ドン・カルロは、オランダに対して同情的だったのだ。

そして、オペラのラストシーンに登場する「亡霊」こそ、エグモントが最初に仕えたカール五世である。

≪エグモント≫に対する≪ドン・カルロ≫…同一題材が、支配側(スペイン)と、被支配側(オランダ)から、それぞれ別の視点で描かれているわけで、エグモントの物語を理解する上で、必携の“副題材”といえよう。
<敬称略>

■吹奏楽曲でたどる世界史【第23回】大航海時代以後(15~16世紀):キリスト教の世界進出 ~エル・カミーノ・レアル(アルフレッド・リード)

Text:富樫鉄火

●原題:El Camino Real ~A Latin Fantasy
●作曲:アルフレッド・リード Alfred Reed(1921~2005)
●発表:1985年、米第581空軍バンドの委嘱初演。
●出版:Hal Leonard
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/set-9669/
●参考音源:様々あり
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-3673/
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-3202/
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-0928/
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-1582/
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-3739/

●演奏時間:約10分
●編成上の特徴:標準編成に加えて、フルート1~3(3番ピッコロ持ち替え)、オーボエ1・2、イングリッシュホーン、バスーン1・2、コントラバスーン(代用可)、コントラバス・クラリネット、トランペット1~3+コルネット1・2など
●グレード:5

しばしば書いていることなのだが、以前、旧知のカメラマンが、カリフォルニアのシリコンヴァレーに取材で数週間滞在し、帰ってきて、みやげ話を聞かせてくれたことがある。シリコンヴァレーとは、コンピュータやIT産業の会社が多くある、ハイテク企業エリアの別名だ。

その時、カメラマン氏は、写真を見せながら、少々聞き捨てならない言葉を次々と発した。

「このレストランはねえ、エル・カミーノ・レアルにあるんだ。なかなかうまい店だった。牛丼のYOSHINOYA(吉野家)も、エル・カミーノ・レアル沿いにあったよ」「この会社は、エル・カミーノ・レアルから東へ○キロほど入った所にある」

しばしば「エル・カミーノ・レアル」が出てくるので、私は気になって、「あの…、さっきから『エル・カミーノ・レアル』って、何度も言ってるけど、それ、何?」と聞いた。

すると彼は、キョトンとして「国道101号線の別名だよ。現地の日本人は、よく『カミーノ街道』って呼んでたよ」と教えてくれた。

私は、その時初めて知ったのだが、「エル・カミーノ・レアル」とは、カリフォルニア州を南北に縦断する、大きな国道の別名であった。スペイン語で、「カミーノ」は「道」、「レアル」は「王」の意味なので、直訳すると「王の道」となる(ちなみに、スペインのサッカーチーム「レアル・マドリード」は「マドリードの王」の意味)。

なぜ、アメリカに、スペイン語の名前が付く国道があるのか。さらに、リードの名曲≪エル・カミーノ・レアル≫と、何か関係があるのだろうか。

カリフォルニア州の最南西端、サンディエゴは、メキシコ国境が目の前である。大きな海兵隊基地があり、トム・クルーズ主演の映画『トップガン』の舞台にもなった。

1542年、ポルトガル人のホアン・ロドリゲス・カブリヨが、このあたりに漂着し、「サンミゲル」と名付けた(フィリピンに、同名のビールがある)。その後来航した人物が、勝手に自分の守護聖者の名前をつけて、地名が「サンディエゴ」と変わり、植民地開拓が始まる。

1769年には、当時スペインに支配されていた、お隣のメキシコから修道士たちが入り込んできた(国境の向こう、メキシコ側にある町が「ティファナ」。そう、トランペット・ファンにはおなじみ「ハーブ・アルパート&ザ・ティファナ・ブラス」の、あのティファナです)。

修道士たちは、道沿いに修道院を建設しながら、北へ北へと進んでいった。「開拓」といえば聞こえはいいが、多くのキリスト教(聖フランシスコ修道会)布教進出と同じく、実態は「侵略」に近いものがあったとも言われている。スペインの布教活動は、宗教に名を借りた「世界征服」で、武器は「聖書」と「火器」だった、と…。

ただし、修道士たちは、土地土地でブドウを栽培し、キリストの血=ワインを生産することも忘れなかった。現在のカリフォルニアでワイン生産が盛んなのは、そのせいなのである。

この「北へ北へ」と伸びて行った道…これが、彼らが「エル・カミーノ・レアル」と名付けた道、つまり「王の道」である。現在では国道101号線となっているが、エリアによっていくつかの別名があり、その一部に、今でも「エル・カミーノ・レアル」の名が残っているらしいのだ。

この道は、サンフランシスコの北側まで続いた。道沿いには、20数箇所の修道院が建設された。牧場や畑も併設された、一種のコミュニティみたいな施設もあったという。

のち、メキシコがスペインから独立し、アメリカとメキシコが戦争となって、アメリカが勝ち、この「エル・カミーノ・レアル」を含むカリフォルニアは、アメリカの領土となったのだ。

こうして、たまたま、カリフォルニアを走っている「エル・カミーノ・レアル」が有名になってしまったが、聖フランシスコ修道会が進出した土地には、あちこちに、同名の道があるようだ。つまり、固有名詞というよりは、修道士たちが布教進出で通った道が、一般的に「エル・カミーノ・レアル」と呼ばれるようなのだ。

実は、「エル・カミーノ・レアル」は、日本にもある。神奈川・横浜の地に。ただし、それは「道」ではなくて「鐘」なのだが。

サンディエゴと横浜は、1957年に姉妹都市提携を結んだ(なぜ横浜=サンディエゴなのかは、よく分らない。何しろ、横浜は、世界中の8都市・6港と姉妹提携しているのだから!)。その後、サンディエゴから「水の守護神像」と「エル・カミーノ・レアルの鐘(ミッション・ベル)」のレプリカが送られ、現在、山下公園内の噴水前に設置されている(おそらく、「道」沿いに設置された修道院の鐘がモデルと思われる)。

さてさて、またも遠回りになってしまったが、今回のテーマは、我らがアルフレッド・リード作曲による名曲≪エル・カミーノ・レアル≫である。

この曲は、アメリカ第581空軍(予備隊)バンドの委嘱で、1984年に作曲され、翌85年4月に、同バンドの演奏、レイ・トゥーラー中佐の指揮で初演された。スコア冒頭には「合衆国空軍予備隊の男女、特に空軍予備隊バンドの演奏家たちと、指揮者であるレイ・E・トゥーラー大佐へ」と記されている。サブタイトルには≪ラテン・ファンタジー≫とある。

この時期のリードは、すでに≪アルメニアン・ダンス≫全曲、≪春の猟犬≫なども発表されたあとで、絶頂期だった。特に、イントロ部分は、一度聴いたら忘れられない。2小節目でいきなりフェルマータとなり、それを乗り越えると3小節目から「4拍子」と「3拍子」が交互に登場する、“乱舞”のような部分になる。冒頭のたった3小節で聴き手を取り込んでしまう手腕は、まことに見事だ。≪春の猟犬≫でも、異なった拍子が交互に登場する部分があったが、ここでは、さらに突き進めて、変拍子ながら、リズム感がはっきりした、ダンスのような雰囲気を出しているところがスゴイ。

この、フラメンコを思わせる出だしは「ホタ」という、スペイン東北部に伝わる3拍子の舞曲である(吹奏楽でもよく演奏されるファリャの≪三角帽子≫にも、ホタが登場する)。

中間部のゆったりした部分は、スペイン南部の舞曲「ファンダンゴ」を素材に、かなり変形させている。全体構成は、リードお得意の「急~緩~急」なので、最後は、再びホタ部分が登場して、華やかに終わる。

いまでこそ、中学や高校バンドでも演奏されている名曲だが、発表当初は難曲として知られていた。吹奏楽表現の限界に挑戦しているかのような部分も散見される。現に、過去、この曲でコンクール全国大会に進出できたバンドは、大学・職場・一般バンドのみである。つい、ブンチャカドンチャカやっていれば、それらしく聴こえてしまうだけに、ボロが出やすい曲でもあるのだ。

おそらく、アメリカに住むリードは、カリフォルニアを走る国道「エル・カミーノ・レアル」を知っていたことだろう。そこから、イメージを膨らませたのではないだろうか。様々な解説によれば、楽隊やダンサーを従えたスペイン国王の華麗な行列が、「王の道」を進んで行く様子を描写したものらしい。だが、あの有名な冒頭を聴くと、聖フランシスコ修道会が、あたりをなぎ倒さんばかりの勢いで突き進んで行く様子を描写しているようにも感じられる。

果たして、この曲をどんな風に聴くか。かつてのスペインの栄光時代を思うか、修道士たちの突進ぶりを思うか。あるいは、カリフォルニアのハイウェイ…? どのようにも聴けてしまう、そこが、リードの面白いところかもしれない。<敬称略>

■吹奏楽曲でたどる世界史【第22回】大航海時代(15~16世紀):マゼラン その2 ~マゼランの未知なる大陸への挑戦(樽屋雅徳)

Text:富樫鉄火

●英語題:Magellan’s Voyage to Unknown Continent
●作曲:樽屋雅徳 Masanori Taruya
●発表:2004年5月リリースの下記CDにて初演収録(加養浩幸指揮、土気シビックウインドオーケストラ)
●出版:CAFUAレコード(レンタル)
●参考音源:『華麗なる舞曲』(カフア)
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cdi-0029/
●演奏時間:約9分
●編成上の特徴: 標準編成+バスーン1・2、ハープ、ピアノあり。
●グレード:5

前回と重複するが、スペインの船乗りマゼランは、1519~1522年にかけて世界一周航路を発見し、「地球は丸い」ことを、見事に証明した。

ただし、マゼラン自身は、途中で死亡したため、実際には、世界一周は残りのメンバーによって達成されたのである。しかし、なぜマゼランは「死んだ」のだろうか…実は、彼は「戦死」だったのである。

前回の解説では、マゼラン艦隊が、主に東南アジアからの香辛料入手ルートを開拓したことを述べた。確かにそれは間違いないことで、「世界一周」以前に、彼は東回りでインドネシアのモルッカ諸島(香辛諸島)に到達していた。そして今度は、西回りで(要するに、地球を反対側からグルリと回って)モルッカ諸島を目指したのだ。成功すれば、事実上、「地球は丸い」ことの証明になる。

そんな彼の功績により、アジアから様々な香辛料がヨーロッパに届くのだが、この「西回り世界一周」航海は、マゼランにとっては、スペイン王の代理として「スペインとキリスト教で世界を征服する」旅でもあった。そのために、かなり荒っぽい行動を、途中、何度か演じている。

例えば、太平洋の航海中、食糧が尽いて餓えに苦しんでいたマゼラン艦隊は、ようやくたどりついた有人の島(グアム島のあたりらしい)で、島民を虐殺し、食糧を確保している。残った島民は怒って、マゼランの船を襲って奪われた食糧を奪還した。怒ったマゼランは彼らを「泥棒」と呼んだ(最初に奪ったのは自分なのに!)。ゆえに、この周辺諸島を「泥棒諸島」と名づけるのである(現在のラドロネス諸島)。

フィリピンに到達した時は、いくつかの島で、島民をキリスト教に改宗させたりもした。応じた島もあったし、猛反対する島もあった。特に、セブ島に隣接するマクタン島が抵抗した。

セブ島は、現在ではフィリピンを代表するリゾート地で、隣りのマクタン島とは、橋でつながっている近さである。一般的に「セブ島のリゾート施設」というと、隣りのマクタン島にある場合が多いようだ。

マゼランがセブ島に到着したのは1521年3月のことだった。島の族長ハマバールに、スペインへの服従と、キリスト教への改宗を迫った(マゼラン艦隊には修道士も乗っていた)。ハマバールは大人しく従った。以後、現在に至るまでセブ島はキリスト教を信仰する島である。

気を良くしたマゼランは、すぐに、隣りのマクタン島に渡った。だが、ここは一筋縄ではいかなかった。マクタン島の族長ラプ・ラプは、強固なイスラム教徒であり、マゼランの申し出に抵抗した。現代にも通じる「キリスト教とイスラム教の衝突」は、ここフィリピンの小さな島で、すでに起きていたのである。

過去、いくつかの島で、「服従」「改宗」に成功してきたマゼランは怒り狂った。さっそく武装させた攻撃隊を組織し、マクタン島に再上陸した。迎えるラプ・ラプ側は、十分な準備をしていただけでなく、島の気候や地の利を知り尽くしていただけに、勝負にならなかった。マゼラン隊はあっけなく破れて退却。マゼラン本人は戦闘の中で戦死した。

ラプ・ラプは、フィリピン民族の誇りと宗教を守った英雄となった。現在、マクタン島の中心部分には「ラプ・ラプ市」の名称が付けられており、銅像が建っている(すぐそばに、マゼランの上陸記念碑もあるそうだ)。

さて、リーダーを失ったマゼラン艦隊は、どうなったのか。

当初、5隻の艦隊で旅を始めたものの、この時点では、2隻になっていた。仕方なく、航海士エルカーノを新リーダーに再出発。途中、各地で香辛料を大量に仕入れるが、船は傷む一方で、結局「ヴィクトリア号」1隻が、ボロボロになってスペインに帰港する。乗っていたのはわずか18名だった(出発時は260余名)。

ゆえに、世界一周航路の完全航海を成したのはマゼラン自身ではないのだが、あくまで彼の艦隊が成し遂げた功績であるため、マゼランの名は歴史に残ることになった。だが、実は太平洋を経てフィリピン付近に到達した時点で、マゼランは、事実上世界一周の成功を確信していたのである。

というのも、彼の部下に、マレー人の奴隷がいた。その奴隷が、フィリピン周辺に上陸した時、現地人の言葉をほぼ理解したのである。つまり、地球をぐるりと回って、再び、同じ言語系統の地域に達したわけで、このことをもってして、すでに「地球が丸い」ことは証明されていたのである。

今回ご紹介する曲≪マゼランの未知なる大陸への挑戦≫は、そんな、航海の途中で戦死したマゼランの魂が、そのまま世界一周航海を成し遂げ、さらに地球上を巡る…との想定で描かれた、一種のファンタジーである。上記で説明した「マゼランの死」以後を描いた曲だともいえるだろう。

近年、これほど中学・高校の吹奏楽部を中心に、絶大な人気を得ている曲はない。各地のコンクールで演奏されているようだし(すでに全国大会にも2回、登場している)、さるアンケートでも「邦人吹奏楽作品・人気ランキング」で、堂々1位を獲得しているほどだ。

演奏はなかなか大変だが、とにかくカッコイイ曲である。おおむね急~緩~急~緩/終結部の4~5部構成。まるで写真集のページを次々とめくるように、場面が変化して行く。予備知識なしで、ハリウッド歴史大作映画のサントラとして聴かされたら、誰でも信じてしまうだろう(私見だが、≪パイレーツ・オブ・カリビアン≫よりずっとカッコイイと思う)。中間部の優しげな部分も、たいへん美しい。文字通り、マゼランの魂が地球のあちこちを飛び回るようなムードがある。アイリッシュ・ダンス風の部分もある。クライマックスでも、ケルトの味わいが一瞬見え隠れするので、もしかしたら作曲者は、マゼランをアイルランドの地へ行かせたかったのかもしれない。終結部の盛り上げ方なども、見事のひとことに尽きる。

作曲者・樽屋雅徳は、武蔵野音大作曲科卒業。作曲・編曲のほか、吹奏楽指導も手がけている。この≪マゼランの未知なる大陸への挑戦≫のほか、≪マリアの七つの悲しみ≫≪ラザロの復活≫≪絵のない絵本≫≪星の王子さま≫≪民衆を導く自由の女神≫など、歴史・文学を題材にした作品が多く、若手注目株ナンバーワンである。

<敬称略>

■吹奏楽曲でたどる世界史【第21回】大航海時代(15~16世紀):マゼラン その1 ~交響詩≪マゼラン≫(フェルレル・フェルラン)

Text:富樫鉄火

●原題:Magallanes ~Poema Sinfonico(スペイン語)
●作曲:フェルレル・フェルラン Ferrer Ferran
●発表:
●出版:IBER MUSICA(スペイン)
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/set-8397/
●参考音源:
『マゼラン~フェルレル・フェルラン作品集』(IBER MUSICA)
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-0866/
●演奏時間:約14分
●編成上の特徴: オーボエ・バスーン・ユーフォニアム各1・2あり。トランペット1~4あり。フリューゲルホーン1・2あり。ホルンは1~3まで。打楽器多数。管楽器奏者による声・歌唱のほか、自然音の模写(鳥笛や森のざわめきなど)あり。
●グレード:5

世界史年表を見ていると、1400年代末以降、やたらと「発見」「到達」の文字が目立つようになる。いわゆる「大航海時代」である。

もともと大昔のヨーロッパ人は、地中海沿岸が「世界のすべて」だと思っていた。それが、アレクサンダー大王の東方遠征(4世紀頃)あたりから、どうも、東の果てにもそれなりの文明があるらしいと分ってきた。

さらに11世紀末から十字軍が始まり【第17回参照】、多くのヨーロッパ人(キリスト教徒)が、アラブ世界に足を踏み入れることになった。十字軍は、キリスト教徒の無謀な軍事行動ではあったが、それなりの「産物」もあった。ヨーロッパとアラブの交易路が開拓され、両世界の商人が、交流を始めたのだ。ヨーロッパ→アラブへは、鉄鉱石などが売り込まれ、アラブ→ヨーロッパへは絹織物や香辛料が入り込んできた。

特に香辛料(コショウやクローブ、ナツメグなど)は、食物の味つけのみならず、保存・殺菌に絶大な効果があることが分り、ヨーロッパ中でこぞって求められた。だが、これらはアジア方面(亜熱帯・熱帯地域)の特産物であり、ヨーロッパで入手することは、簡単ではなかった。

ところが、1453年、オスマントルコ帝国によって東ローマ(ビザンティン)帝国が滅亡すると、アジアとヨーロッパをつなぐ貿易中継基地がなくなり、ヨーロッパ各国は、直接、高額な関税を払って物資を輸入しなければならなくなった。特に、香辛料や絹織物、陶器は、アジア近辺から直接求めるしかなくなり、新たな「交易ルート」の確保に迫られていた。

そこで、1400年代から1500年代にかけて、ポルトガルとスペインを中心に、未知の航路を開拓する「大航海時代」に突入する。それは、王侯貴族が探検家を雇い、一獲千金を求める「夢と冒険の時代」でもあった。

まず、ポルトガルが、エンリケ王子やヴァスコ・ダ・ガマによって、アフリカ周りインド航路を発見する。日本の種子島に鉄砲を伝えたのも、このルートである。

一方、スペインも、遅れをとるなとばかり、コロンブスを雇って大西洋横断航路を発見。バハマ諸島まで達する(コロンブスは、そこをインドと思っていたが、北米大陸の端であったことを、後年、アメリゴ・ヴェスプッチが証明する)。

これらの冒険で、彼らがテキストにしたのが、前回ご紹介した、マルコ・ポーロ(語り)&ルスティケロ(筆記)による『イル・ミリオーネ』(東方見聞録)であった。【第20回参照】 当初「ホラ吹き話」と嘲笑されていたこの本は、実は100年以上にわたって、多くの冒険家の夢とロマンをかき立てつづけていたのである。

こうなると、残されたのは「地球は丸い」ことを証明する、世界一周航路の発見である。

スペインに雇われたポルトガルの船乗りフェルディナンド・マゼラン(1480頃~1521)が、5隻からなる艦隊と200人以上の船員を引き連れ、西回り世界一周航路発見の旅に出たのは、1519年のことだった。

彼らは、まず大西洋を南下し、南米大陸の最南端に“通り道”があることを発見した(マゼラン海峡)。そこを抜け、南太平洋の大海原へ。ここから飢餓と病に苦しみながら、グアム島を経由し、フィリピンに達するが、マクタン島の酋長ラプ・ラプと戦闘状態になり、マゼランは殺害されてしまう(ラブラブは、英雄としてフィリピンで偉人となっている)。

残された一行は、マゼランの遺志を継ぎ、インドネシアで、コショウやナツメグなど、多くの香辛料を仕入れ、インドの南~アフリカ大陸の南から西側を通って母国スペインに向かう。

そして、1522年、生き残ったわずか18名の船員が、出港地に帰還したのである。持ち帰った香辛料は、現地価格の2000倍以上の値段で売れた。だが、あまりに長い航海と、リーダーが殺害されてしまうほど危険な航路であるとの理由で(ほかにも、数え切れないほどのトラブルがあった)、彼の開拓した航路がすぐに評価されることはなかった。それでも「地球が丸い」ことは見事に証明され、「香辛料の確保先」も判明したのである。

この航海を見事な吹奏楽曲による交響詩≪マゼラン≫に仕立て上げたのが、スペインのフェルレル・フェルランだ。この連載では、すでに【第14回】の≪キリストの受難≫で登場している。スケール豊かな曲想と、「超」が付く抜群の描写力を誇る作曲家だ。

しかも今回は、フェルラン自身の母国スペインの英雄が題材である。力の入りようも格別のものがあったに相違ない。とんでもなく難しい曲に仕上がったが、それでも全編、息をもつかせぬ展開である。

曲は、出港を思わせるファンファーレ風の出だしで、以後、波を蹴立てて艦隊が進む様子、さらには、嵐や、おそらくフィリピンでの戦闘場面と思われる、激しい描写に至る。そこでは、奏者が「叫び声」をあげる指示がある。そして、鳥笛や効果音を加えて、深い森の場面を経て、小声で「マゼラン…マゼラン…、マゼラン…」と、囁くように歌う。森の中で、島民に囲まれたのだろうか。

それでも最後は、本人が死んだとはいえ、世界一周航路を見つけて帰還した残りのメンバー、そしてマゼランの功績を讃えた終結部を迎える。

なかなかの大曲で、演奏時間も14分と、吹奏楽曲としては大曲だが、ぜひ挑戦していただきたい曲だ。

<敬称略>

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