■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第130話 ミャスコフスキー「交響曲第19番」日本初演

▲チラシ – 第5回大阪市音楽団特別演奏会(1962年5月8日、毎日ホール)

▲プログラム – 同

▲同、演奏曲目

▲「月刊 吹奏楽研究」1962年6.7月合併号(通巻79号、吹奏楽研究社)

『今までの多くの作曲家を交響曲の作品数でランキングをつけると、第1位がハイドン、第2位がモーツァルト、そして第3位がミアスコフスキーということになります。ミアスコフスキーはこのように交響曲の数の多さでよく知られていますが、作品そのものは殆どといつていいくらい知られておりません。大変美しく感動的な曲もあるということですが、日本での紹介がおくれているのは何としても残念なことです。』(一部異体字の変更以外、原文ママ / 作曲者カナ表記“ミアスコフスキー”は演奏会プログラムどおり)

1962年(昭和37年)5月8日(火)、旧ソヴィエト連邦(現ロシア)の作曲家、ニコライ・ミャスコフスキー(Nikolai Myaskovsky、1881~1950)の『交響曲第19番 変ホ長調』(作品46)の日本初演が行なわれた「第5回大阪市音楽団特別演奏会」(於:毎日ホール、開演:18時30分)のプログラムに、辻井英世さん(1934~2009)が書いた同曲の解説文冒頭の引用である。氏は、吹奏楽作品もある在阪の現代作曲家として知られ、当夜の指揮者、大阪市音楽団団長の辻井市太郎さん(1910~1986)の長男でもある。後年、会食をともに愉しんだこともあった。

ロシア語の人名を我々が普段使っているラテン文字のアルファベットに変換する手法には、いくつかルールがある。それぞれ一長一短があり、今のところ決定打はない。今回の話の主人公ニコライ・ミャスコフスキーのケースだと、筆者が実際にこの目で確認したスペルだけでも、ファースト・ネームに“Nikolai”や“Nikolay”、ファミリー・ネームにも“Miaskovsky”や“Myaskovsky”、“Myaskovskii”がある。さらにロシア人の名前の“v”を“w”と表記するケースも結構あるので、現実にはまだまだあるかも知れない。また、それらのスペルを見ながら考案されてきた日本語カナ表記に至っては、問題はさらに複雑だ。辻井さんは“Miaskovsky”に従い、筆者は“Myaskovsky”あるいは“Myaskovskii”に従っている。そして、ロシア人が喋るのを聞いていると、たとえ日本で使われているカナ表記を意識しながらヒヤリングしても“ア”や“ャ”は案外聞こえない(筆者の耳が悪いだけかも知れないが)ので、あるいは“ミスコフスキー”が近いのかも知れない。逆に英米人は我々に近い。ただ、文字としてのカナ表記“ミャスコフスキー”は、アルファベットのスペルを想像しやすいという利点もあるので、一応OKだと思う。

我々が何の疑いもなく使っているチャイコフスキーやムソルグスキーの横文字表記にも、実は同じような課題が存在する。

出版社などから、ときどき『ネット検索できないから、なんとかまとめてくれ。』というリクエストがくるが、そんな場合は『それならロシア文字で表記したら?』と笑いながら答えるようにしている。すると、相手はたいてい音を上げる。恐らくは、“こいつ使えない!”と思われているだろうが…。

話を元に戻そう。

1962年5月8日、ミャスコフスキーの『交響曲第19番』の日本初演を行なった“大阪市音楽団(市音)”は、21世紀の民営化後、“Osaka Shion Wind Orchestra (オオサカ・シオン・ウインド・オーケストラ)”の名で活躍を続けている。“大阪市音楽団”は、大阪市直営当時の名称だ。

当夜の演奏会は全国的な注目を集めた。吹奏楽専門誌「月刊 吹奏楽研究」1962年6.7月合併号(通巻79号、吹奏楽研究社)は、表紙に当日のステージ写真をあしらい、「最高レベルのシムフォニックバンド 大阪市音楽団 第5回特別演奏会」という題する2頁記事(12~13頁)を入れた。現場取材の同記事が伝える出席者の顔ぶれも次のようにひじょうに多彩だ。

『この日、この音楽団の多くの固定ファンや関西方面の好楽家、吹奏楽関係者で会場が埋り、一曲ごとに感激の拍手がをくられた。大フィルの指揮者朝比奈隆氏、NHK西川潤一氏、毎日新聞渡辺佐氏、大阪新聞中田都史男氏、音楽新聞佐藤義則氏、評論家上野晃氏、松本勝男氏、滝久雄氏や大阪府警音楽隊の山口貞隊長、大阪府音楽団小野崎設団長、阪急少年音楽隊の鈴木竹男隊長や、関西吹奏楽連盟の矢野清氏、得津武史氏など地元の人たちの外、東京から、芸大の山本正人、小宅勇輔、大石清の諸氏、東京都吹奏楽連盟の広岡淑生理事長、前警視庁音楽隊長山口常光氏、広島から広島大学の佐藤正二郎氏、岡山の前野港造氏なども来朝、この音楽団の発展を祝福した。』(原文ママ)

関西一円の吹奏楽関係者だけでなく、記事の中にやがて全日本吹奏楽連盟理事長に就任する朝比奈 隆さんや、「東京吹奏楽協会」のアーティスト名でレコードやソノシートにマーチをさかんに録音していた東京藝術大学の山本正人さん(指揮者)、小宅勇輔さん(打楽器)、大石 清さん(テューバ)の諸氏の名があることも目をひく。これは、当時の東西の人的交流の様子や、市音が1960年にはじめたコンサート・ホールでの定期演奏活動がいかに注目を集めていたかを如実に物語っている。山本さんが創立指揮者となる「東京吹奏楽団」が1963年に立ち上がる以前の話である。(参照:《第122話 交響吹奏楽のドライビングフォース》《第129話 東京吹奏楽団の船出》

メイン・プロとなった『交響曲第19番』について、「吹奏楽研究」はこう記している。

『ソヴィエトの作曲家として、新しいソ連の音楽…大衆と密着した音楽という理念にもとづいて数多くの交響曲を作っているミアスコフスキーの、輝やかしいすぐれた交響曲の四つの楽章全曲が本邦初演された。』(原文ママ / “ミアスコフスキー”はプログラム表記どおり)

ニコライ・ミャスコフスキーは、生涯を通じて27曲の交響曲を作曲した。『交響曲第19番』は、その中で唯一吹奏楽編成で書かれた作品で、作曲者がモスクワ音楽院の院長をしていた当時、友人のモスクワ騎兵軍楽隊の隊長イワン・ペトロフの依頼を受け、1939年に作曲された。初演は、1939年2月15日、ペトロフ指揮の同軍楽隊のラジオ放送の中で行なわれ、公開演奏は、一週後の赤軍記念日にモスクワ音楽院で催されたコンサートで同軍楽隊によって行なわれた。評者も称賛!大成功を収めた。

ドイツ式楽器編成をルーツとする旧ソ連のミリタリー・バンドの楽器編成は、サクソフォンを使わない代わりに、アルト、テノール、バリトン、バスのサクソルン系の金管楽器を含んでおり、この交響曲もその特徴的な編成で書かれていた。初演はひじょうに好評で、たちどころにソ連のミリタリー・バンドのレパートリーとなった。その後、ゲンナジー・ロジェストヴェンスキーやエフゲニー・スヴェトラーノフといったクラシック畑で活躍する指揮者もレコーディングを行なっている。スヴェトラーノフは、ミャスコフスキーの交響曲全集を録音した指揮者だ。

この作品を日本人が知ったのは、1959年にアメリカでリリースされ、日本にも少数が輸入されてきたLP「MIASKOVSKY / SYMPHONY FOR BAND」(米Monitor、MC 2038、モノラル録音)だった。このレコードは、間違いなく、旧ソヴィエト国営レーベル“メロディア”がオリジナル原盤で、演奏者は、イワン・ペトロフ(Ivan Petrov)指揮、モスコー・ステート・バンド(Moscow State Band)とあった。また、ジャケットには、“A First Recording(初録音)”の小さな文字も印刷されていた。

後年、筆者がこのレコードを手にしたとき、指揮者が初演を振ったペトロフであることはすぐに気がついた。だが、バンド名の“モスコー・ステート・バンド”がどうしても謎だった。当時、共産党政権下のモスクワにミリタリー・バンド以外に民間吹奏楽団ができたというニュースはついぞ聞いたことがなかったからだ。“モスコー”が“モスクワ”、“ステート”が“ソヴィエト連邦”を意味していそうだとはおぼろげに想像できたが、実際にこれを日本語にするとなると、一体どう訳せばいいのだろうか。また、録音のための臨時編成なのか、常設のバンドなのか。それによっても日本語訳はかなり変わってくる。

この謎が解決したのは、その後、何十年も過ぎてから、AB両面のカップリング曲こそ違うが、同じ『第19番』の演奏が入っているメロディア盤を中古市場で手に入れたときだった。もちろん、レーベルに印刷されているロシア文字はチンプン・カンプンだったが、一文字ずつ照らし合わせていくと、レーベル最下部に指揮者のイワン・ペトロフ(ファースト・ネームはイニシャルのみ表記)の名が印刷され、その上に演奏者名があるらしいことが分かってきた。また、演奏者名は2行で構成され、最後の文字は“CCCP(ソヴィエト社会主義共和国連邦)”だった。ということは、それは間違いなく“公”の楽団であることを示していた。そして、その時点で“民間楽団説”は泡のように消えた。

同時に、外貨獲得目的で海外輸出用に製造されたメロディア盤のジャケットには、ロシア語名のほかに“ちょっと怪しい英訳”が印刷されていることが多いことを思い出した。そこで、30枚程度ある手持ちのメロディア盤を片っ端からあたっていくと…。

ハイ、ハイ、ほぼ同じ演奏団体名が、英訳付きでゾロゾロ出てきた!

文字化けの可能性もあるので、ここにロシア名は記さないが、英訳の方は、“ORCHESTRA OF THE USSR MINISTRY OF DEFENCE(ソヴィエト国防省吹奏楽団)”とあった。彼らはモスクワを本拠とするソヴィエト連邦最優秀、最大編成のミリタリー・バンドだ。さらに調べると、指揮者イワン・ペトロフは、初演の後、着実に昇進し、1950年から1958年までソ連邦最高峰のこのバンドの楽長をつとめていた。階級が少将とあったので、最高位の楽長だったことは間違いない。

以上のペトロフの履歴から、オーディオ好きの人は、ひょっとするとピンときただろう。

そう。アメリカでステレオ用カッティング・マシーンが実用化され、ステレオ録音のレコードがプレスされるようになったのが、実は1958年だった。それまでリリースされたレコードがすべてモノラル盤だったので、ペトロフが指揮したミャスコフスキーの『交響曲第19番』の世界初録音盤がモノラル録音であることも見事に辻褄が合った。

当時は、折りしも米ソ冷戦下。厚いベールに包まれたソヴィエトの国内情報のディティールに欠ける恨みはあるが、ここで追加情報をまじえて時系列的に整理すると、『交響曲第19番』の楽譜がソヴィエト国営の出版社から出版されたのは1941年。エドウィン・フランコ・ゴールドマン指揮、ゴールドマン・バンド(参照:《第33話 ゴールドマン・バンドが遺したもの》)が全曲のアメリカ初演を行なったのが、1948年7月7日(部分初演は、同年1月3日)。その後、ペトロフ指揮の世界初録音が1950~1958年の間に行なわれ、そのアメリカ盤がリリースされたのが1959年だったという流れとなる。

この間、作曲者のミャスコフスキーは、1950年8月8日、モスクワで亡くなっている。

それにしても、西側初のレコードで作品情報に接してから、僅かな年月で日本初演にまでこぎつけた市音の情報収集力とモチベーションはすごい!!

ウィンド・ミュージックにかけるこの楽団の情熱がひしひしとして伝わってくる1つのエピソードだ!

▲Nikolai Myaskovsky

▲LP – MIASKOVSKY / SYMPHONY FOR BAND(米Monitor、MC 2038、1959)

▲MC 2038 – A面レーベル

▲MC 2038 – B面レーベル

▲〈露語記号略〉5289-56 – A面レーベル(ソヴィエトMelodia、無地ジャケット入り)

▲〈同〉5289-56 – B面レーベル(ソヴィエトMelodia、無地ジャケット入り)

■サクソフォン・高橋龍之介、ピアノ・柳川瑞季 The Show is On~from Gershwin(11月22日)

サクソフォニスト高橋龍之介、ピアニスト柳川瑞季によるコンサート。ジョージ・ガーシュウィンの作品を中心にお届けいたします。新型コロナウイルス感染拡大防止を考慮した公演です。

日時 : 2020年11月22日(日) 開場 13:15 、開演 14:00
会場 : フィリアホール(横浜市青葉区民文化センター)
交通手段 : 東急田園都市線「青葉台駅」より徒歩3分
東急スクエアSouth-1 本館5階
料金 : 全席指定(税込)2000円
曲目 : ジョージ・ガーシュウィン:3つの前奏曲
ロジェ・ブートリー:ディベルティメント
ジョージ・ガーシュウィン:ラプソディー・イン・ブルー、ほか
問合せ :

担当者TR_Office(高橋)
E-Mailtr.office.concert@gmail.com
HomePagehttps://takahashiryunosuke.wordpress.com/

■ブリリアント・トロンボーンズ 真夏のトロンボーン・オンライン・セッション&ミニコンサート2020 with マーティン・スキッパース(8月30日)

◆日時 : 2020年8月30日(日) 18:00~20:00
(マスタークラスは16:00~)

18:00~
★計70分間、じっくり習って一緒におさらいができるセッション!
・ウォーミングアップ (±35分)
・トロンボーン・ベーシック(±35分)=スライドテクニック、アーティキュレーション、レガートについて

19:20頃~
★ミニコンサート!
今回のための完全初出しパフォーマンスをお楽しみに♪

19:40頃~
★Q&Aセッション
時間の限りどなたでも遠慮なく、通訳を介してご質問いただけます。
世界最高峰のオーケストラでテナーとバスを自在に吹き分けユーフォニウムやバストランペットも吹きこなす名手、そしてスイス・ルツェルン音大をはじめ世界各地に招聘され教育活動を行う彼に、アドバイスやアイディアをもらえるチャンスです。ぜひ訊いてみたい質問を用意して参加しましょう!

◎セッション参加者はマスタークラスを自由に見学出来ます!

◆参加費: 一般2000円 学生1500円
◆参加方法: zoomミーティングを使用します
◆お申込み先: https://britro.stores.jp
(クレジットカード、コンビニ決済、翌月後払い Paypal 銀行振込、各キャリア決済 楽天ペイでのお支払いが可能です)
◆受付締切: 8月28日(金)23:59

セッション・マスタークラスともにお問い合わせはbrillianttrombones@gmail.com
まで♪

トロンボーンをもっての参加・聴講参加のいずれも可能です。全国各地のみなさまのご参加をお待ちしております~!!

日時 : 2020年8月30日(日) 開場 17:45 、開演 18:00
会場 : オンライン(zoom)
交通手段 : 事前にEメールでzoomのURLをご案内いたします
料金 : 一般 2000円 / 学生 1500円
曲目 : 今回のための完全初出しパフォーマンスをお楽しみに♪

問合せ :

担当者ブリリアント・トロンボーンズ
E-Mailbrillianttrombones@gmail.com
HomePagehttps://britro.stores.jp/

■フィルハーモニック・ウインズ 大阪 第30回定期演奏会

飯森×オオサカン
初のタッグで吹奏楽の名曲を描く―。

日時 : 2020年9月13日(日) 開場 15:30 、開演 16:00
会場 : 住友生命いずみホール
交通手段 : [JRをご利用の場合]
大阪環状線
「大阪城公園駅」改札より線路沿い(線路が右側)に玉造筋を京橋方面へお進みください。徒歩5分
(約400メートル)

東西線/大阪環状線
「京橋駅」南口改札を出て右に進みJRの高架線路をくぐり、ytv「読売テレビ」を目印に連絡橋を渡る。
線路沿い(線路が左側)に玉造筋を南(大阪城公園方面)へ直進。徒歩10分
(約700メートル)

[京阪電車をご利用の場合]

京阪本線
「京橋駅」片町口(OBP連絡口)よりプロムナードをとおり 大阪ビジネスパーク「OBP」方面へお進みください。徒歩15分
(約900メートル)
[地下鉄をご利用の場合]

長堀鶴見緑地線
「大阪ビジネスパーク駅」1番出口を出て、川を右手に見る方向に真っすぐお進みください。徒歩10分
(約600メートル)

料金 : 一般:5000円  学生(高校生以下):1000円  一般ペア(バルコニー限定18組):8000円
曲目 : ・献呈序曲/クリフトン・ウィリアムズ
 ・シンフォニック・プレリュード/アルフレッド・リード
 ・交響詩「アルプスの詩」/フランコ・チェザリーニ
 ・Mont Fuji(富士山)~北斎の版画に触発されて~/真島 俊夫
 ・吹奏楽のための協奏曲/高 昌帥
  ※内容は変更になる可能性があります。
問合せ :

担当者オオサカン事務所
FAX0727418236
E-Mailkouen@osakan.jp
HomePagehttp://osakan.jp/concert/teiki_.html

■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第129話 東京吹奏楽団の船出

▲「月刊 吹奏楽研究」1963年12月号(通巻86号、吹奏楽研究社)

▲東京吹奏楽団パンフレット(1970年代前半)

▲東京吹奏楽団、吹奏楽テープ・リスト(1972年頃)

『これまで、わが国のプロ吹奏楽団は、自衛隊、警察、消防などの外、大阪府・市の両音楽団くらいのもので、何れも官庁が設けているものであるが、民間のプロ吹奏楽団として、わが国ではじめて「東京吹奏楽団」が誕生した。このメンバーは専門家だけの、日本の吹奏楽界のトップを行く人たちばかりである。十月二十四日の夜、第一ホテルで結成披露パーティが催され、吹奏楽関係の人たち百余人が集り、この楽団の前途を祝福した。…(後略)…』(原文ママ)

1963年(昭和38年)10月24日(木)、東京・新橋の第一ホテル(旧)で行なわれた東京吹奏楽団結成披露パーティを伝える吹奏楽専門誌「月刊 吹奏楽研究」1963年12月号(通巻86号、吹奏楽研究社)の28ページに掲載された「新しく生れたプロバンド 東京吹奏楽団」というニュースの冒頭部分の引用だ。

「月刊 吹奏楽研究」は、1953年(昭和28年)に、タブロイド版の“月刊新聞”でスタート。1956年(昭和31年)5月号(通巻31号)から雑誌に姿を変え、1964年(昭和39年)3月号(通巻87号)まで刊行された吹奏楽の現場で活動する専門家による吹奏楽専門誌だ。記事の執筆者は不詳だが、この書き手が“プロ吹奏楽団”というカテゴリーをどのように捉えていたのか、当時の認識がよくわかってたいへん興味深い。(参照:《第74話 「月刊吹奏楽研究」と三戸知章》ほか)

関東エリアの吹奏楽に限ると、以上のほかに、1951年から東京藝術大学で、1953年から武蔵野音楽大学で、1960年から国立音楽大学で始まったアカデミックな活動もよく知られていたが、東京吹奏楽団の1963年の結成は、これら専門大学の動きからもさらに一歩踏み出して一線を画す、新たな職業吹奏楽団の旗揚げとしてたいへん注目を集めることになった。

記事によると、東京吹奏楽団(東吹)は、当時、東京都中央区銀座東1-10の三晃社ビルに事務局を構え、楽団員は60名。当初は常任指揮者は置かず、事務局は、以下の諸氏が束ねていた。

会長:河合 滋
理事長:加藤成之
専任理事:川崎 優、前沢 功
常任理事:梅原美男、江間恒雄、大塚茂之、春日 学
事務局長:沢野立二郎

この内、会長の河合 滋さん(1922~2006)は、河合楽器製作所二代目社長(後に会長)であり、理事長の加藤成之さん(1893~1969)は、元貴族院男爵議員で、東京音楽学校(東京藝大の前身)の校長をつとめ、学制改革で東京藝術大学が発足するとその初代音楽学部長となった人物だ。よく見ると、専任理事に東京音楽学校でフルート、作曲、指揮法を専攻した作曲家の川崎 優さん、常任理事に東京音楽学校でオーボエを専攻し、東京藝術大学教授となった梅原美男さん、海軍省委託学生として東京音楽学校を修了し、後に全日本吹奏楽連盟理事長、日本吹奏楽指導者協会(JBA)会長を歴任した春日 学さんの各氏の名前が見られる。これらから、東吹が、河合楽器がスポンサードし、東京藝大とつながりが深い楽団として出発したことは誰の目にも明らかだった。(経営母体は、2006年に(株)グローバルに移管。)

「吹奏楽研究」の記事中の“このメンバーは専門家だけの、日本の吹奏楽界のトップを行く人たちばかりである”や、東吹の初期のプログラムに記載されていた“演奏者は、音楽の基礎を身につけた専門家ばかりで、誰一人みても日本吹奏楽界のトップレベルの人達ばかりである”という文脈から、当時、東吹にどのような演奏家が参加していたかがよくわかるだろう。

東京吹奏楽団の「第1回定期演奏会」は、結成披露パーティ翌月の1963年(昭和38年)11月5日(火)午後6時30分から、東京・千代田区の九段会館で開催され、プログラムは以下のとおりだった。

・喜歌劇「こうもり」序曲
(ヨハン・シュトラウス〈子〉)

・ヒル・ソング第2番
(パーシー・グレインジャー)

・吹奏楽のための交響曲
(ポール・フォーシェ)

・交響組曲「シェヘラザード」
(ニコライ・リムスキー=コルサコフ)

(管弦楽曲の編曲者名はなし。楽団公式ホームページには、このときのプログラム、ステージ写真、新聞レビューなど、歴史的資料がアップロードされている。)

この演奏会の指揮者は、山本正人さん(1916~1986)だった。山本さんは、東京音楽学校でトロンボーンを専攻し、同研究科を修了。同学教員になった後、1951年(昭和26年)、東京藝術大学吹奏楽研究部を組織し、指揮者として活躍。年2回の定期演奏会のほか、レコーディングにも進出するなど、同学吹奏楽の立役者だった。東吹結成以前に山本さんの指揮で発売された吹奏楽レコードやソノシートの演奏者クレジットは、“東京藝術大学吹奏楽研究部”あるいは“東京吹奏楽協会”の2種類があるが、いずれも東京藝大の教官と学生による演奏だった。時系列的検証をすると、東吹がこの流れの中から生まれた楽団であることがよくわかるだろう。当初、常任指揮者をおかないとプレスリリースした東京吹奏楽団だが、公式サイト(2020年現在)では、山本さんは“創立指揮者”および“桂冠名誉指揮者”としてリスペクトされている。東吹定期には、指揮者として計24回登場。藝大関係者には、“トロさん”とか“トロ先生”の愛称で親しまれた。

その後、東吹定期に登場した指揮者には、外山雄三、山田一雄、金子 登、加藤正二、大橋幸夫、朝比奈 隆、中山冨士雄、石丸 寛、荒谷俊治、三石精一、汐澤安彦、上垣 聡、時任康文、エリック ウィッテカー、岩村 力、フィリップ・スパーク…という錚々たる顔ぶれが並ぶ。この内、拙稿《第124話 ウィンド・ミュージックの温故知新》にも登場する汐澤安彦さんは、1983年に東吹の“常任指揮者”となり、2009年の東吹結成45周年を機に“名誉指揮者”に就任。創立指揮者の山本さんは、藝大時代のトロンボーンの師であり、東吹とは切っても切れない関係にある。

他方、大阪ネイティヴの筆者としては、1967年(昭和45年)4月27日(木)、日比谷公会堂で行なわれた「第12回定期演奏会」に朝比奈 隆さんが指揮者として登場し、日本では《運命》と呼ばれるべ一トーヴェンの『交響曲第5番』を演奏したと少したってから聞かされて腰を抜かした記憶がある。《運命》を吹奏楽で演奏しただけでなく、この演奏会では、同じベートーヴェンの『エグモント』序曲やドン・ギリスの交響的肖像『タルサ』、モートン・グールドの『サンタ・フェ・サガ』、フローラン・シュミットの『ディオニソスの祭り』が演奏されていた。

なんとも、派手なプログラミングだ!

しかしながら、若い頃は、遠い東京で開かれる東吹定期は、そう簡単に聴きに行けなかった。国鉄東海道本線の東京~大阪間を毎日走っていた夜行の寝台急行「銀河」の往復利用で宿泊なしの弾丸ツアーを決行しても、かなりの出費だったからだ。やはり、東京は遠かった。

それでも、コロムビアやビクター等から発売されたマーチのレコードは、結構な数が手許に残っている。中でも、日本コロムビアからマーチ4曲入りのEPレコードとしてリリースされた《世界マーチ集》シリーズ(全55タイトル、1964~1965)には、かなりレアな曲が含まれ、マーチ・コレクションとして評価が高い。

また、その後いつしかサービス終了となったが、演奏会ライヴの一部をリクエストごとにオープン・リールのテープにコピーして頒布するサービスも、ひじょうに先進性があった。

1972年(昭和47年)に郵送してもらった頒布可能曲のリストを見ると、奥村 一、草川 敬、秋山紀夫、斎藤高順、保科 洋、陶野重雄、森村寛治、小川原久雄、清水 脩、黛 敏郎、兼田 敏、菅原明朗、岩河三郎、名取吾朗、小山清茂、浦田健次郎による邦人のオリジナル吹奏楽曲がズラリと並んでいた。ほとんどがレコードがない曲だったが、その中から多くが、河合楽器系列のカワイ楽譜から出版されることになった。

まるで“吹奏楽の総合商社”のようだが、楽譜とタイアップしながらの定期演奏活動はひじょうに画期的だった。

東吹がスタートした1960年代の初めは、1960年1月にアメリカ空軍バンドが3度目の来日、同4月に大阪市音楽団(現Osaka Shion Wind Orchestra)がコンサート・ホールにおける定期演奏活動を開始、1961年11月にフランスからギャルド・レピュブリケーヌ交響吹奏楽団(公演名)が初来日したなど、わが国の吹奏楽をとりまく環境がダイナミックに変貌を遂げつつあった時期と重なる。

それでも、プロ楽団の立ち上げは、大きな挑戦だ!

『その運営が軌道にのるためには、いろいろいばらの道を歩むことであろうが、順調な発展成長を期待したいものである。』

「月刊 吹奏楽研究」も、記事後半にこう記し、新しい楽団の船出にエールを贈っていた!!

▲EP – 世界のマーチ集(アメリカ・マーチ その18)(日本コロムビア、ASS-10040、1964年)

▲EP – 世界のマーチ集(アメリカ・マーチ その19)(日本コロムビア、ASS-10041、1964年)

▲EP – 世界のマーチ集(アメリカ・マーチ その20)(日本コロムビア、ASS-10042、1964年)

▲EP – 世界のマーチ集(ドイツ・オーストリア・マーチ その8)(日本コロムビア、ASS-10044、1964年)

▲EP – 世界のマーチ集(ドイツ・オーストリア・マーチ その9)(日本コロムビア、ASS-10045、1964年)

▲EP – 世界のマーチ集(日本・マーチ その7)(日本コロムビア、ASS-10052、1964年)

▲プログラム – 東京吹奏楽団第20回定期演奏会“吹奏楽オリジナル作品の夕べ”(1971年10月21日、郵便貯金会館)

▲同、演奏曲目等

■ジェームズ・ワトソン(演奏:ブラック・ダイク・ミルズ)

1994年4月、ウェスト・ヨークシャーのアセット・タウン・ホールとマンチェスターのソルフォード大学ピール・ホールでレコーディングされたブラック・ダイク・ミルズ・バンド伴奏のすばらしいソロ・アルバムで、ソロイストは、トランペットのジェームズ・ワトソンだ! プロデューサーは、ニコラス・チャイルズとアリスン・チャイルズで、バランス・エンジニアは、ハロルド・バーンズとバリー・ダヴェンポートが担っている。

ソロイストのワトソン(1951~2011)は、ロイヤル・フィルやコヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団の首席トランペット奏者として広く知られる名トランペット奏者で、フィリップ・ジョーンズ・ブラス・アンサンブルでもプレイしたレジェンドだ。同時に、1992年から2000年の間、ブラック・ダイクの首席指揮者をつとめた。ソロイストをつとめているこのCDでは、ソロ・ユーフォニアムでバンドマスターのロバート・チャイルズとこのアルバムの5曲の編曲を書いたロジャー・ハーヴェイが指揮をとっている。ハーヴェイは、ハレ管弦楽団やフィリップ・ジョーンズ・ブラス・アンサンブルなど、オーケストラを主にトロンボーン奏者として活躍したが、1986年のフィリップ・ジョーンズの引退後、あとを引き継いだロンドン・ブラスの監督となった。当然、ワトソンとは気心の知れたプレイ仲間だ。

収録レパートリーは、アルチュニアンの『コンサート・スケルツォ』や『トランペット協奏曲』、ゲディケの『トランペット協奏曲』や『コンサート・エチュード』、カール・へーネの『スラヴ幻想曲』など、トランペット・ファンには、おなじみの曲がズラリ! 鮮やかなワトソンのソロ・ワークだけでなく、ドライヴ感あふれるブラック・ダイクの伴奏も聴きもので爽快そのもの! 期待を裏切らないごきげんなアルバムとなっている!

■ジェームズ・ワトソン
演奏:ブラック・ダイク・ミルズ

James Watson【ブラスバンド CD】
http://www.bandpower.shop/shopdetail/000000000279/

【データ】

・演奏団体:ブラック・ダイク・ミルズ・バンド(Black Dyke Mills Band)
・指揮者:ロバート・チャイルズ(Robert Childs)1、3~5、7~9 / ロジャー・ハーヴェイ(Roger Harvey)2、6
・発売元:ドイエン(Doyen)
・発売年:1995年
・収録:1994年4月、Ossett Town Hall and Peel Hall, Salford University (U.K.)
・メーカー品番:

【収録曲】

  1. コンサート・スケルツォ
    /アレクサンドル・アルチュニアン(arr. ロジャー・ハーヴェイ)【2:35】
    Concert Scherzo/Alexandre Arutiunian(arr. Roger Harvey)
  2. トランペット協奏曲/アレクサンドル・ゲディケ(arr. ロジャー・ハーヴェイ)【13:51】
    Trumpet Concerto/Alexander Goedicke(arr. Roger Harvey)
  3. アルバムブラット/グラズノフ(arr. ターリング)【4:50】
    Albumblatt/Alexander Glazunov(arr. Tarling)
  4. スラヴ幻想曲/カール・へーネ(arr. ファーガスン)【8:11】
    Slavische Fantasie/Carl Hohne(arr. Ferguson)
  5. 「四季」から“6月 舟歌”/チャイコフスキー(arr. ロジャー・ハーヴェイ)【5:39】
    June From ‘The Seasons’ Op.37a/Pyotr Ilyich Tchaikovsky(arr. Roger Harvey)
  6. トランペット協奏曲/アルチュニアン(arr. ロジャー・ハーヴェイ)【15:20】
    Trumpet Concerto/Alexandre Artutunian(arr. Roger Harvey)
  7. ヴォカリーズ(作品34の14)/ラフマニノフ(arr. ロジャー・ハーヴェイ)【5:17】
    Vocalise, Op.34 No.14/Sergei Rachmaninov(arr. Roger Harvey)
  8. 感傷的なワルツ(作品51の6)/チャイコフスキー(trans. ファーガスン)【2:15】
    Valse Sentimentale/Pyotr Ilyich Tchaikovsky(trans. Ferguson)
  9. コンサート・エチュード/アレクサンドル・ゲディケ(arr. ジョン・アイヴスン)【3:06】
    Concert Etude/Alexander Goedicke(arr. John Iveson)

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【レアCD】大阪市音楽団創立80周年記念誌「80」【CD付】

大阪市音楽団(オオサカ・シオン・ウインド・オーケストラ)が2003年に創立80周年を記念して部数限定で発行した記念誌。団の歴史やヴァンデルローストなど関わりの強い関係者との対談、過去の定期演奏会記録やCD情報など、市音のすべてがつまった、まさにコレクターズ・アイテムといっていい1冊だ。さらに注目はしたいのが、この記念誌に同梱されている記念CDの収録曲と演奏の素晴らしさ! なかでも1992年に飯森範親の指揮で演奏された「華麗なる舞曲」のライブは、今や伝説となっているほど。もちろん、CD化されたものは、この盤以外にはない!

【データ】

・演奏団体:大阪市音楽団、陸軍第四師団軍楽隊
・指揮者:曲名蘭に記載
・発売元:自主制作
・発売年:2003年
・収録:
・メーカー品番:

【CD収録内容】

1.ミュージカル「ウエスト・サイド物語」からシンフォニック・ダンス
/バーンスタイン(ルイス・サンハイメ)【21:32】
Symphonic Dances from West Side Story/Leonard Bernstein(arr.Luis Sanjaime)
第73回定期演奏会(1996年11月1日 フェスティバルホール)
指揮:ハインツ・フリーセン(Heinz Friesen)

2.歌劇「レニャーノの戦い」序曲/ヴェルディ(arr.W.カリシュニク)【8:35】
Overture“La Battaglia di Legnano”/Giuseppe Verdi(arr.Walter Kalischnig)
第61回定期演奏会(1990年11月9日 フェスティバルホール)
指揮:フレデリック・フェネル(Frederick Fennell)

3.フェスティヴァル・ヴァリエーションズ/クロード・T・スミス【9:46】
Festival Variations/Claude T. Smith
アルカイック・ブラス・フェスティバル(1993年2月12日 アルカイックホール)
指揮:金洪才

4.エル・カミーノ・レアル/アルフレッド・リード【10:28】
El Camino Real A Latin Fantasy/Alfred Reed
第77回定期演奏会(1998年11月11日 フェスティバルホール)
指揮:アルフレッド・リード(Alfred Reed)

5.華麗なる舞曲/クロード・トーマス・スミス【8:38】
Danse Folatre/Claude Thomas Smith
大阪市音楽団演奏会(1992年7月19日 岡山シンフォニーホール)
指揮:飯森範親(Iimori Norichika)

6.コマンドマーチ/サミュエル・バーバー【3:23】
Commando March/Samuel Barber
大阪市音楽団演奏会(1992年7月19日 岡山シンフォニーホール)
指揮:飯森範親(Iimori Norichika)

7.歌劇「リゴレット」から/ヴェルディ【3:27】
Rigoletto/Giuseppe Verdi
陸軍第四師団軍楽隊(大阪歴史博物館所蔵SP盤)

【記念誌コンテンツ】

〇吹奏楽の可能性を求めて、新しいサウンドへの挑戦
秋山和慶/辻野宏一
〇吹奏楽の魅力をひきだす 市音の「技」と「音」
ヤン・ヴァンデルロースト
〇多彩な美しい音色こそ。吹奏楽の魅力
ハインツ・フリーセン
〇木村サウンドを探る「より多くの人に、吹奏楽の魅力をもっと」
木村吉宏/佐藤方紀
〇大阪市音楽団80年のあゆみ
〇音楽劇「ぼたんの花とねずみ」
〇吹奏楽の特殊打楽器
〇大阪市音楽団の選んだベーシック・レパートリー&ニュー・サウンド・レパートリー
〇定期演奏会プログラム
〇大阪市音楽団CD収録リスト
〇選抜高等学校野球大会入場行進リスト
〇大阪市音楽団友の会
〇創立80周年記念CD

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第291回 薄氷を踏む歌舞伎座

 8月に入って、歌舞伎座が公演を再開させた。
 日本を代表する大劇場が、定例公演を再開させるとあって、演劇界・興行界は、固唾をのんで見守っている。
 わたしも、お盆の最中、2日にわけて、行ってきた。
 
 本来は、3幕ワンセット(ほぼ3~4時間)で、昼夜2公演おこなっていた。
 今回は、1幕1時間で、入れ替え4部制になった(第2部《棒しばり》は、45分)。観客はもちろん、役者も裏方も、幕ごとに入れ替えとなった。
 入り口で検温、手の消毒。切符は自分でもぎって、半券を箱に入れる。
 席は市松模様(1席おき)で、幕見席や桟敷席、花道の両側(3~4席)は販売されない。よって1,808席ある劇場だが、売られるのは半分以下の823席しかない。
 客席は各部ごとに完全入れ替えで、そのたびに、外へ出なければならない。幕間によっては、2時間近く空くこともあり、つづけての見物は、その間の過ごし方が難しい(近隣の喫茶店などは、のきなみ満席になる)。

 上演中、客席後方ドアや、桟敷席のドア・カーテンは「全開」である。上演中、晴海通りの車の音が、かすかに聞こえてくる。桟敷席の後ろは、ロビーの壁が丸見えだ。
 大向こう、掛け声は禁止。客席の飲食や会話もお控えくださいといわれる。
 イヤホンガイド、字幕器などのレンタルも、ない。
 筋書きも売っておらず、簡単なあらすじを書いたペーパーが置いてある。
 舞台写真(ブロマイド)も、場内では売っていない。
 食堂や売店はすべて休止。ペットボトル飲料のみ、売っている。
 1階の喫茶店と手前の土産売場は営業していたが、劇場内部から直接入れず、いったん外に出てから入る。とにかく劇場内に、ひとが滞留しないことが優先されている様子だった。
 (ただし、東銀座駅から直結している地下の「木挽町広場」は全面営業中で、呼び込みなどで、すごい賑わいだった。舞台写真は、ここで売っており、長蛇の列である)

 かくして、どういう観劇になるか。

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■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第128話 ヴァルター・ブイケンスとクラリネット合奏団

▲ヴァルター・ブイケンス – プロフィール&ディスコグラフィ(Buffet Crampon)

▲CD – ヴァルター・ブイケンス・クラリネット合奏団 ライヴ・イン・ジャパン(佼成出版社、KOCD-2502、1993年)

▲KOCD-2502、インレーカード

1993年(平成5年)7月1日(木)、東芝EMIプロデューサーの佐藤方紀さん、音楽出版社デハスケ(de haske)マネージャーのハルムト・ヴァンデルヴェーン(Garmt van der Veen)の2人と、オランダから列車でベルギーのアントワープ入りした筆者は、同夜、友人のヤン・ヴァンデルロースト(Jan Van der Roost)が手配してくれた中華レストランでプライベートな会食をもった。

このとき、一足先にレストランに着いて、我々を待っていたのは、クラリネット奏者、ヴァルター・ブイケンス(Walter Boeykens、1938~2013)夫妻だった。

ブイケンスは、筆者の姿を見つけるなり、駆け寄ってきて、『本当にすばらしいレコーディングをありがとう。とにかく、いいライヴに録ってくれて、みんなとても気に入っているよ!』と言いながら握手を求めてきた。そして『私の妻だ。』と傍らの奥さんを紹介される。こちらは、初対面だ。

ヴァルター・ブイケンスは、1964年から1984年までの20年にわたり、当時はBRTと言ったベルギー国営放送のオーケストラ“ベルギー放送フィルハーモニー管弦楽団(BRT Filharmonisch Orkest / その後、ブリュッセル・フィルハーモニック Brussels Philharmonic に改称)”の首席クラリネット奏者をつとめ、ベルギーを代表するクラリネット奏者として、日本はもとより世界的な知名度を誇っていた。

その彼が言うレコーディングとは、一年前の1992年(平成4年)11月8日(日)、東京・御茶ノ水のカザルス・ホールでライヴ収録したCD「ヴァルター・ブイケンス・クラリネット合奏団 ライヴ・イン・ジャパン」(佼成出版社、KOCD-2502、1993年5月25日リリース)のことだった。

ヤンも、『あのディスクは、ナイス・レコーディングだ! こっちでもかなり話題になっているよ。』と言葉をかぶせてくる。実は、奥さんがブイケンスの秘書をしている関係で両者は家族ぐるみの付き合いがあり、当然このCDも聴いていた。

演奏者の“ヴァルター・ブイケンス・クラリネット合奏団”は、1981年、ブイケンスが教鞭をとっていたアントワープ音楽院で組織された大編成のクラリネット合奏団で、全員がブイケンスの教えを受けた現役学生と卒業生のプロで構成。音色の暖かさと滑らかさから“ブイケンス・クラリネット・スクール”とも呼ばれる統一したスタイルでトレーニングされていた。

そのクラリネット合奏団が、東京のビュッフェ・クランポン社の招聘で来日したのが1992年。

当時のプログラムを開くと、彼らは以下のような人数で日本にやって来ていた。

2 Sopranino Clarinet in Eb

29 Soprano Clarinet in Bb

1 Soprano Clarinet in A

4 Alto Clarinet in Eb

5 Bass Clarinet in Bb

2 Contra-Alto Clarinet in Eb

2 Contra-Bass Clarinet in Bb

(各楽器名は、公演プログラムどおり)

総勢45名。引き合いとしてはあまりいい例ではないかも知れないが、フランスのギャルド・レピュブリケーヌやベルギーのロワイヤル・デ・ギィデといったフランス系の吹奏楽団のクラリネット・セクションをそっくり引き抜いてさらに補強したような楽器編成をもつクラリネットだけの同族合奏団だ。

ブイケンスは、クラリネットだけで構成されるこのグループの音楽的な可能性を切り開くため、現代作曲家への委嘱を含めた新しいレパートリーの開発に取り組み、積極的な演奏活動を展開。ベルギー国内の重要なコンサート・シリーズにすべて登場するとともに、オランダやフランスにも進出。ブイケンスの指揮者としての人気や名声も手伝って、いずこも満席の成功を収めていた。

また、テレビやラジオにも積極的に出演し、来日までに「The Walter Boeykens Clarinet Choir, The Antwerp Clarinet Quartet」(LP:ベルギーTerpsichore、1982 007、1982年)、「From J.S. Bach to J.L. Coeck」(CD:ベルギーRene Gailly、CD87 003、1986年)の2枚のアルバムのレコーディングも行なっていた。

佼成出版社の「ヴァルター・ブイケンス・クラリネット合奏団 ライヴ・イン・ジャパン」は、彼らの3枚目のアルバムということになる。

ただ、このアルバムに筆者が関わることになったのは、いくつかの小さな偶然の重なりからだった。

筆者は、1980年代の終わり頃から、東京のビュッフェ・クランポン社代表取締役、保良 徹さんの意向を受けて、同社が企画する公演のプログラム・ノート(楽曲解説)の執筆依頼を引き受けることが多くあった。その後、さまざまな音楽シーンで活動をともにすることになる担当の千脇健治さん(後、代表取締役社長兼CEO)と知己を得たのもその頃のことだ。

そして、ちょうど「ヴァルター・ブイケンス・クラリネット合奏団」の公演プログラム用のノートの執筆に取り組んでいた時、相次いで東京からの電話を受けた。『何か面白い話ない?』といった感じの。

最初の電話の主は、1992年8月16日(日)にNHK-FMの特別番組「生放送!ブラスFMオール・リクエスト」(参照:第58話 NHK 生放送!ブラスFMオール・リクエスト)をやって以後、定期的な情報交換を行なっていたNHKの梶吉洋一郎さん。ついで、電話があったのは、筆者が提案・選曲したフィリップ・スパーク自作自演CD「オリエント急行」(佼成出版社、KOCD-3902、リリース:1992年12月21日 / 参照:第48話 フィリップ・スパークがやってきた)を制作した同社の水野博文さん(後、社長)だった。

ふたりは、筆者のもとに、東京の音楽界ではまったく話題に上らない地方発の“怪しい”ネタが眠っているかも知れないと思っていたふしがある。ときどき雑談がてら電話が架かってきた。当然、その時やっている仕事の話はする。もちろん、両者には同じ話を誰にしたかなんて無粋なことは言っていない。それは、東京には東京の複雑に入り組んだ事情があり、関西ローカルの“とある情報筋”との雑談をどう扱うかは彼ら次第、というスタンスだったからだ。

だが、意外にも結果は早く出た。NHKでは、自分たちが認知していない新しいものにはことごとくアレルギー反応を示す放送局らしく、アッという間にボツ。逆に、それまでの枠を超えてポジティブに新しいものに取り組みたいとする水野さんは、前記の千脇さんと話を詰めて、即攻でライヴ収録を決めてしまった!

録音エンジニアも、すぐに藤井寿典さん(後、auftactを設立)に決定。当時、ブレーン(広島)にいた藤井さんは、プロ、アマのライヴ収録を数多く手がけていた適任者で、これで、あとはライヴの日を待つばかり、となる手筈だった。

しかし、その後、ブイケンス側からゲネの時間に難しい曲を完全に録音しておきたいというリクエストが出て、プロデューサー(日本流に言うと“ディレクター”)をつけてくれという話になったから、企画サイドは少し慌てた。何しろ人探しの日が無い。結局、大阪ネイティブの筆者が、11月4日(水)、大阪厚生年金会館中ホールの大阪公演を聴いた上で、急遽、プロデューサーとして上京することになった。ビュッフェ・クランポンから、収録用スコア(ほぼ手書譜のコピー)を受け取ったのも、収録前夜に宿泊した東京のホテルという慌しさで、もちろん断酒で深夜まで猛勉強した!

当日のコンサートは、午後2時開演のマチネで、食事休憩のことも考えると、午前中、ゲネに使える時間はそんなにはなかった。リクエストされた曲は、完全にセッション収録したが、正直に言わせてもらうなら、これは演奏者の“精神安定剤”のような気休め程度のもので、本当は不要だったかも知れない。ツアー最終日に寝起きでやったゲネと満員で盛り上がった本番のコンサートとでは、まるで音楽のテンションが違ったからだ。

唯一、どうするか悩んだのは、高揚した世界的名手がカデンツの駆け上がりで唯一リードをキッと鳴らしたロッシーニの『序奏、主題と変奏』だった。これはゲネでも録った曲だった。なので、そこだけ見事に音色もテンションもテンポまで変わってしまうが、編集は可能かも知れなかった。また、CDの収録時間上の制約もあるので、あるいは“お蔵入り”という手もあるかも知れない。終演後、そんなことをひとり考えていたとき、突然、合奏団のマネージャー氏が赤く興奮した面持ちでモニター席に飛びこんで来た。

『ロッシーニは、ライヴを使ってくれ!! 圧倒的にライヴがいい!!』

結局、思い悩んだ挙句、そのままCDに収録した。もちろん、その責はひとり筆者に帰する。

そして、アントワープでの会食で愉快にビールを飲み交わしながら、ブイケンスは悪戯っぽい表情でこう言った。

『こちらで録ったものより、圧倒的にいい。ただ、1つだけ“ユニークな音”が入っていたけど。』

あ~あ、言われてしまった!!

▲プログラム- ヴァルター・ブイケンス・クラリネット合奏団(ビュッフェ・クランポン、1992年)

▲同上、スケジュールとAプロ

▲同上、Bプロ、Cプロ

▲CD – From J.S. Bach to J.L. Coeck(ベルギーRene Gailly、CD87 003、1986年)

▲CD87 003、インレーカード

CD – Rikudim(蘭de haske、14.001、1997年)

▲14.001、インレーカード

▲ヴァルター・ブイケンス・クラリネット合奏団

【コラム】富樫鉄火のグル新 第290回 「非常勤」はつらいよ

 こんなわたしでも、もう20年近く、大学で非常勤講師なんてことをやっている。もちろん、今年度の前期は、他の多くの大学同様、登校禁止なので、リモート(遠隔)授業である。

 リモート授業には、ほぼ3種類ある。
【A】オンライン授業……Zoomなどで教員と学生をつなぐ、リアルタイム授業。
【B】オンデマンド授業……動画授業を、YOUTUBEなどで配信。学生は好きな時間に受講(視聴)する。
【C】課題送付授業……授業内容を、レジュメもしくはパワーポイント画像などで送信し、学生はそれを見る(読む)。

 どのシステムでも、毎回「課題」を提出し、双方向的な授業にするよう、大学側から強くいわれている。しかも、たとえば「事前学習30分」「オンライン/オンデマンド授業30分」「課題作成30分」などにして、90分の対面授業と同格にしろという(学生からの「学費減免」要求を退ける理由のひとつにするためもありそうだ)。

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