■アルフレッド・リード(Alfred Reed)

アルフレッド・リードは、1921年1月25日アメリカのニューヨーク市に生まれ。ジュリアード音楽院に学び、作曲をヴィットリオ・ジャンニーニに師事。放送局の作・編曲者として、また音楽出版社の編集者としても活躍。作曲家として「 アルメニアン・ダンス」「エル・カミーノ・レアル」「音楽祭のプレリュード」など記憶に残る数多くの作品を発表した。2005年9月17日、フロリダ州コーラルゲーブルスにて死去。20世紀後半から21世紀にかけてのウィンド・ミュージックを文字どおりリードした天才音楽家だった。

オランダ王国陸軍バンドが、1993年にアルフレッド・リードをゲスト指揮者に招いて自主制作したひじょうに野心的な自作自演アルバム!「ポートレイト・オブ・アルフレッド・リード(自作自演盤)」

オランダ国民に“KMK(カーエムカー)”の愛称で親しまれたオランダ王国陸軍バンドが、1993年、アメリカの作曲家アルフレッド・リード(1921~2005)をゲスト指揮者に招いて自主制作したひじょうに野心的な自作自演アルバム!!

もともと公なバンドが作ったプライベート盤のため、バンド直売が基本!!

若干数が録音技術協力を得たオランダKRO放送やプレスを担当したミラ・サウンドの関連ショップなどの限られたルートを通じて販売されたが、全曲リードの指揮とあってたいへんな話題を呼び、瞬く間に完売したというシロモノ!

商業用にリリースされたCDでないため、もちろん追加再プレスはなし。

当然ながら、なんらかのルートを通じて日本に流れてきた数もひじょうに少なかった!

それが今回、まるでタイムマシンに乗って20年以上前に遡って買ってきたような奇跡的な出土!!

収録されているのは、『祝典序曲』(1963)、『アルメニアン・ダンス(パートI)』(1973)、『夕暮れ』(1989)、『交響曲第4番』(1992)、『ワーグナーの“ポラッツィ”の主題(1882)による変奏曲』(1988)、『エル・カミーノ・レアル』(1985)という、作曲家アルフレッド・リードを語る上で欠かせない曲ばかりだが、この内、当時、最も注目を集めたのが、世界初録音となった『交響曲第4番』だった。

3楽章構成、演奏時間約18分のこのシンフォニーは、1993年7月、オランダのケルクラーデ市で開催された“世界音楽コンクール(WMC)”1993年大会のウィンドオーケストラ部門最上位の“コンサート・ディヴィジョン”のテストピース(課題)として委嘱され、前年の1992年に書き上がったばかりのこの時点としてはバリバリの新作!!

つまり、誰も聴いたことがない作品であるとともに、その年の夏に行なわれる予定の音楽コンクールの課題でもあったのだ。しかも、曲を書いたのが、当時飛ぶ鳥を落とす勢いの超人気作曲家のリード!!

プライベート盤とは言え、そんな超話題作の初収録CDをファンが見逃す訳がなかった!!

その後、リードの『交響曲第4番』は、レコーディング翌月の3月、オランダ南東部、リンブルフ州フェンロで開催されたオランダ王国陸軍バンドのコンサートで、作曲者リード自身の客演指揮で世界初演され、7月の世界音楽コンクールでは、ハインツ・フリーセン指揮、トルン聖ミカエル吹奏楽団が優勝を飾った。

リードも称賛したそのフリーセン指揮トルンのライヴCDもすでに絶版!!

今回、奇跡的に出土したこのCDは、まだ手垢がついていなかったこの傑作シンフォニーの最初期のパフォーマンスを今に伝えるとても貴重な音源だ!!

レコーディングは、デン=ハーフ市内の教会オブスタンディングスケルク。

声を大にして何度でも言うが、これは“超”の字をいくつ付けてもいいほどのレア・アイテム!!

自作自演盤というだけでなく、曲目も人気曲がズラリ! ぜったい見逃せないアルバムだ!!!

【このCDをBPショップでチェックする】
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-3739/

・演奏団体:オランダ王国陸軍バンド(Koninklijke Militaire Kapel)
・指揮者:アルフレッド・リード(Alfred Reed)

・録音:1993年2月、Opstandingskerk、Den Haag (Holland)
・発売元(自主制作):オランダ王国陸軍バンド/オランダKRO放送 (KMK/KRO)
・発売年:1993年

【収録曲】
【作曲(全曲):アルフレッド・リード(Alfred Reed)】

1. 祝典序曲 【8:47】
A Festive Overture

2. アルメニアン・ダンス(パートI) 【11:56】
Armenian Dances (Part 1)

3. 夕暮れ (ソング・オブ・サンセット) 【8:17】
Eventide, A Song of Sunset

4. 交響曲第4番 (世界初録音) 【17:45】
Symphony nr. 4
I)第1楽章:エレジー I. Elegy 【7:15】
II)第2楽章:インターメッツォ II. Intermezzo 【6:16】
III)第3楽章:タランテラ III. Tarantella 【4:14】

5. ワーグナーの“ポラッツィ”の主題(1882)による変奏曲  【7:49】
Variations on the “Porazzi” Theme

6. エル・カミーノ・レアル (ラテン・ファンタジー) 【10:01】
El Camino Real, A Latin Fantasy

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日本コロムビアから、あの名盤が復刻!「アルフレッド・リード自作自演集」(5枚組)

佼成出版社のカタログより選りすぐりの名盤を再発売する吹奏楽銘盤選シリーズに「アルフレッド・リード自作自演集」(5枚組)が登場する。

これまでリード自身が指揮して、東京佼成ウインドオーケストラと録音した曲は84曲。このボックスには、その中から「音楽祭のプレリュード」「オセロ」「アルメニアン・ダンス」など厳選された33曲が収録。

 また、今回は旧盤にはなかった秋山紀夫氏による解説もついており、リード作品の偉大さを十分堪能できる内容となっている。

 発売は2015年2月20日(予定)

【収録曲などCDの詳細をBPショップでチェックする】
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■アルフレッド・リード関連のCD、楽譜
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/c/0000000505/

■吹奏楽曲でたどる世界史【第37回】第一次世界大戦(1914~18年)その2 ~映画『アラビアのロレンス』のテーマ(モーリス・ジャール作曲/アルフレッド・リード編曲)

Text:富樫鉄火

●作曲:モーリス・ジャール Maurice Jarre(1924~)
●編曲:アルフレッド・リード Alfred Reed(1921~2005)
●英語題:Lawrence of Arabia
●初出:1962年(映画公開)
●出版:ミュージックエイト
●参考音源:「栄光への脱出~A・リード シンフォニック・ポップス」(佼成出版社)、「吹奏楽決定版101」(日本クラウン) ※その他、リード以外の編曲譜・音源が、海外版でいくつかある。

●演奏時間:約3分半~約4分
●編成上の特徴:リード作品における標準編成(トランペット3+コルネット2など)。打楽器5パート(ティンパニ別)。
●グレード:3

第1次世界大戦(1914~18)が、ドイツ、オーストリアを中心とする「中央同盟国」と、イギリス、ロシア、フランスを中心とする「連合国」に分かれた戦いであることは、前回、述べた。そのため、主戦場はヨーロッパになったが、開戦するや、オスマン帝国(トルコ)が同盟国側に参戦したため、舞台は中東にまで拡大した。

特にトルコは、スエズ運河周辺を制圧したため、イギリスは、困ってしまった。ただでさえ、中東周辺は石油の産地であり、このあたりはインドや東洋への重要な中継地域である。大英帝国としては、何としても、アラブ周辺をコントロール下におさめておきたかった。だが、アラブ民族は、イギリス人にとっては未知の人々だ。土地柄も砂漠ばかりで、不明な点が多い。

ところが、ここに格好の人材がいた。イギリス軍人トーマス・エドワード・ロレンス(1888~1935)である。

ロレンスは、オックスフォード大学を出た秀才で、学生時代から、アラブ周辺の遺跡に興味を持つ考古学者でもあった。トルコやアラブに何度も行っており、現地に知人も多く、アラビア語もペラペラだった。陸軍情報部で地図製作に携わり、その後、外務省の中東部門へ異動となっていた。

軍上層部は、彼のことを「アラブ好きな変人」と見て、少々、扱いに困っていたのだが、いよいよ出番を与えられそうだ。では、イギリス軍は、彼に何をやらせたのか。

アラブ周辺には、トルコに不満を覚えている部族が多い。そこへロレンスを送り込み、彼らを結集させ、トルコに対する反乱工作を仕掛けるのだ。その混乱に乗じて、イギリス軍が一気にトルコを叩き、アラブ周辺の覇権を握ってしまおうとの腹づもりだった。

かくしてロレンスは、イギリス軍のスパイとしてアラブに潜入。現地部族の長と接触し、ともにゲリラ活動に身を投じることになる。特に、トルコに支配されていたアカバやダマスカスを解放させたことで、一夜にして「天才軍略家、アラビアのロレンス」として名を轟かした。

終戦後は、イギリス政府の中東政策顧問になったが、政府の方針に不満を覚えて辞任。46歳の時、オートバイに乗っていて事故にあい、急死する。

彼は生涯独身だった。特にゲイではなかったようだが、極端な女嫌いだった。ただ、一種の被虐趣味者(マゾヒスト)だったことは確かなようで、自著の中で、トルコ兵に捕まって拷問された時、性的興奮を覚えたとの記述がある。【注1】

この不思議な男が日本で初めて知られたのは、英文学者・中野好夫が1940(昭和15)年に岩波新書で刊行した『アラビアのロレンス』だった【注2】。東大の学生時代に、イギリス人教授から聞いたロレンス像に興味を持った中野は、その後、コツコツと史料を読んで、本書を書き上げたのだ。

だが、人気が決定的になったのは、やはり、1962年の映画『アラビアのロレンス』(デヴィッド・リーン監督)だろう。【注3】

この映画が、あまりに素晴らしく、感動的で、しかもアカデミー賞を作品賞以下7部門で受賞したとあって、ロレンスのイメージは、ほぼこの映画とイコールになってしまった。

この映画におけるロレンスは、「西洋」と「アラブ」の狭間で悩む若者になっている。まさにリーン監督の永遠のテーマである「異文化の衝突」を象徴する人物だった。

ロレンスは、確かにアラブのために、反乱を指導しに砂漠に身を投じた。しかし、アラブ民族統一の夢は果たせなかった。アラブの衣裳を着てみんなに慕われたが、アラブ人にはなれない。それどころか、結局は、イギリスの権益のために働かされていたことを知り、失意のうちにアラブを去る。その姿は、夢や革命を望みながら果たせない、いつの世にもある若者たちの象徴だった。

だが、実際のロレンスはどうだったのか。確かにあの映画のように「アラブのために働いて、夢敗れた男」との見方もあるし、「いや、あの映画は大袈裟。明らかにイギリス権益のために、アラブを利用していただけだ」との声もある。

ただ、実際のロレンスと、演じたピーター・オトゥールが、あまりにそっくりだったことは世界中を驚かせた。先の岩波新書『アラビアのロレンス』冒頭に、ロレンス本人の肖像写真が載っているが、何気なく見たら、ピーター・オトゥール演じる映画のスチール写真と勘違いしそうだ。

さてさて、遠回りしたが、今回は、その映画『アラビアのロレンス』の音楽である。モーリス・ジャール作曲、アカデミー作曲賞を受賞した映画音楽史に残る名スコアである。あのゆったりとした壮大なメロディを、聴いたことのない人はいないだろう。サントラLPも大ヒットした。一部に、電子楽器オンド・マルトノが使用されていることでも話題になった。

そのメイン・テーマが、アルフレッド・リードによって、原曲の味を忠実に再現した吹奏楽版になっている。

この曲は、もともと打楽器群が大活躍する。というのも、作曲者ジャールは、パリのコンセルヴァトワール出身で、オネゲルに「作曲」を学んだが、専門分野は「打楽器」なのである。『パリは燃えているか』(1966)や『グラン・プリ』(1966)などでも打楽器が大活躍した。【注4】『アラビアのロレンス』も同様。冒頭は、ティンパニ(ハード・フェルト・スティック)にトムトムやシンバルの乱打から始まる。アラブの野性的なムードを再現している部分で、ここからして吹奏楽にピッタリなのだ。

現在、リード自身の指揮による演奏が佼成出版社からCD化されているが、これは、長年、原曲(サントラ)を聴いてきた身には、かなり速い演奏に感じる。スコア冒頭に「Fast,driving tempo」(速く、ドライヴするテンポで)と記されており、そう書いた編曲者リード自身の指揮なのだから何も言えないのだが、サントラに準ずれば、もっとゆっくり、じっくり演奏されてもいいと思う。【注5】

それでも、あの雄大な旋律に、ホルンの雄叫びが重なる部分は、何ともいえない興奮を誘う。無限に広がる砂漠を表現して、これほど優れた音楽はない。ちょっと≪アルメニアン・ダンス パート1≫の冒頭を思い出させる。ホルン奏者は、きっと気持ちよく吹けるだろう。

ちなみに、このスコアは、あくまでメイン・テーマのみである。サントラには、前回紹介したアルフォードの行進曲≪砲声≫や、ほかにもいくつか魅力的なメロディが登場するが、それらは含まれていない。

短い曲だが、音楽的にはしっかりした内容なので、コンサートなどでも十分使用に耐えるだろう。

このリード版は、もともとアメリカで出版されていた人気スコアだったが、長いこと絶版になったままだった。それが最近、日本のミュージックエイト社から復刻出版された。まことにうれしい復刊だ。同社のスタッフが、生前のリードと食事中、偶然に話が出て、復刊が決まったらしい。そのことを大喜びしたリードは、スコアにサインをしてくれたという。現在、同社から復刊されたスコアの冒頭には、そのサインが印刷されている。
<敬称略>


【注1】 ロレンスの自著『知恵の七柱』(東洋文庫、平凡社)の中に、その記述があり、映画にも登場する。ムチで打たれると、ロレンスが、痛みにこらえながらも、目にうっとりした表情が浮かぶ。ピーター・オトゥール一世一代の、ウルトラ級名演技が堪能できるシーンである。
【注2】この本は、その後も改訂を経て超ロングセラーとなったが、現在は品切れ中のようだ。いま読むと、いささか古くも感じるが、有名な映画公開の20年以上前、しかも戦前に、このような本が日本で出ていたとは驚きである。
【注3】 その後、1988年に、初公開時にカットされていた部分を復元した「完全版」が製作された。現在DVD化されているのは、この完全版である。初公開版は207分で、完全版は227分。よく、劇場公開後に「ディレクターズ・カット版」などと称して、やたらと長いヴァージョンがDVD化されることがある。それらの多くは、長すぎることで弛緩した構成になっていることが多い。だが、こちらはまったく違う。227分の長さを感じさせない奇跡の映画である。復元部分の音声トラックが失われていたので、当時の俳優を召集し、声のみを再録音。コンピュータで若い頃の声に修正・復元してあてはめたという、まさに執念の完全版である。
【注4】 この『グラン・プリ』(1966)は、F1レースを描いた大作映画だが、音楽は、激しい打楽器群のリズムをバックに、オケが急速なクレシェンドとデクレシェンドの繰り返しで、目の前をF1カーが通過する様子を描写した、たいへんユニークな内容である。
【注5】 この佼成出版社のCD(上記データ欄参照)は、全編がリード自身の指揮・編曲によるポップス系曲で、貴重な音源。特にイギリスの故チャーチル首相の回想録を映像化した英BBC放送のTVドキュメンタリーのテーマ曲≪ザ・ヴァリアント・イヤーズ≫(リチャード・ロジャーズ作曲)は、品格に満ちたシンフォニック曲で、コンサートのオープニングにピッタリの名曲だ。CD中の曲では、≪アラビアのロレンス≫の他、≪枯葉≫≪想い出のサンフランシスコ≫≪黄金の腕≫≪マンシーニ!≫が、現在ミュージックエイト社から復刻出版されている。特に≪黄金の腕≫(エルマー・バーンスタイン作曲、1956年の同名映画から)は、ジャズとシンフォニックが合体した見事なスコアで、演奏時間約9分、組曲風の大型スコアである。

■吹奏楽曲でたどる世界史【第34回】アルメニア人虐殺(1800年代末~1900年代初頭) ~アルメニアン・ダンス パート1、2(アルフレッド・リード)

Text:富樫鉄火

●作曲:アルフレッド・リード Alfred Reed
●英語題:Armenian Dances
●初出:パート1=1973年初演、パート2=1978年初演
●出版:パート1=Sam Fox、パート2=Barnhouse
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/set-9635/
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/set-9335/

●参考音源: 無数にあり。
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-3948/
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-1983/
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-1811/

●演奏時間:パート1=約11分、パート2=約6分+約5分+約10分
●編成上の特徴:ほぼ大型標準編成(トランペット1~3+コルネット1・2など、他のリード作品とほぼ同様)
●グレード:5

リードの≪アルメニアン・ダンス≫といえば、吹奏楽史に残る名曲だが、特に、世界史上の史実を題材にしたものではない。

だが、この曲のルーツには、たいへん重要な歴史的事件がからんでいるので、あえて、取り上げておくことにした。

曲名にある「アルメニア」とは、「アルメニア共和国」のこと。旧ソ連時代には、ソ連邦の一員「アルメニア社会主義共和国」だったが、1991年、ソ連国内のクーデター未遂を機に独立し、現在の「アルメニア共和国」になった。

歴史上は、西暦301年に、世界で初めてキリスト教を国教に指定した国として知られている(隣りのトルコはイスラム。これものちの対立の一因)。また「旧約聖書」に登場する「ノアの方舟」が漂着したアララト山が、隣国トルコから、このアルメニアにかけて裾野が広がっていることでも有名だ。【第1回】【第2回】参照

だが、名前ばかりが知られていて、私たち日本人には、どこにあるのかイメージがつかみにくい国であることも確かだ。大雑把にいうと、アジアとヨーロッパの中間にあり、南がイラン、西がトルコに接している位置にある。

この「中間位置」にあることが、アルメニアを何度となく苦しめる一因となった。紀元前には、西から古代ローマ帝国、東からササン朝ペルシャ帝国に蹂躙された。アラブに支配されたり、アジア寄りの王朝が興ったり、国のありようは目まぐるしく変わった。1600年代には、オスマントルコ帝国とサファヴィ朝ペルシャ帝国(現在のイランあたり)に攻め込まれ、国家は分断、両国の分割統治となった。

その後、ペルシャ領がロシア領となり、アルメニアは、トルコとロシアに乗っ取られたような状態がつづくことになる。

1800年代後半、トルコの支配に対して、アルメニア人たちが不満を訴えるようになり、対立が激化した。そしてついにトルコは実力行使――1800年代末と1900年代初頭の二度にわたるアルメニア人虐殺に踏み切るのである。犠牲者の数は諸説あるが、少なくとも60万~80万人。一説には、累計150~200万人のアルメニア人が虐殺されたとの説もある。

民族虐殺といえば、ナチスドイツのユダヤ人虐殺が思い浮かぶ(500~700万人、他民族まで含むと1000万人前後が虐殺されたと言われている)。だが、ドイツがユダヤ人虐殺の事実を認め、謝罪をつづけているのに対して、こちらの加害者(であるはずの)トルコは、いまだにその事実を認めていない。トルコが、国家として正式に「アルメニア人虐殺指令」を出した、との説さえあるのだが……。

だが、トルコは、とにかくこの事実を認めようとしない。「殺害」があったのは事実だが、国として行なわれた行為ではなく、犠牲者の数もそれほどではない……というのが現トルコ政府の主張だ。2006年のノーベル文学賞を受賞したトルコ人作家オルハン・パムクは、虐殺を認めて非難したために、トルコ国内で国家侮辱罪に問われたほどである。【注1】

ユダヤ人虐殺問題に比して、アルメニア人虐殺問題は大きく取り上げられることが少ないため、私たち日本人にはなじみの薄い事件だが、ヨーロッパではいまでも大問題とされている。特にトルコがEU(欧州連合)に加盟できないのは、この虐殺を認めないことが一因と言われている。また、アルメニアからの移民や有力者が多いフランスでは、虐殺の事実を否定すること自体が犯罪となる法律が制定されているほどだ。

ちなみに1948年に国連で採択された「ジェノサイド(集団殺戮)条約」で、処罰対象の条件に、このアルメニア人虐殺は適合しているとされている。

さて、話は変わる。

19世紀末、このアルメニアに、コミタス(1869~1935)なる音楽家がいた。本名「ソゴモン・ソゴモニャン」。神学校で音楽を学んで聖歌研究や民謡蒐集に打ち込み、1894年に、7世紀アルメニアの賛歌作者の名「コミタス」を継ぎ、「ヴァルダペト」(修道士)となった。1896年にはベルリンに留学し、同国で初めて西洋音楽教育を受けた人物となる。

その後、教会音楽活動を中心に、アルメニア各地の民謡や舞曲の蒐集研究をつづける一方、合唱団を組織し、ヨーロッパ公演なども行なって、母国の音楽を広めた。

だが、1915年、トルコの迫害干渉が強まり、二度目の虐殺が始まった。幸い、コミタスは虐殺対象とならず、国外追放となってパリへ逃れた。だが、よほどショックだったのであろう。精神と肉体の双方を病んで、以後は一切の音楽活動をすることなく、1935年にパリで客死する。

1970年代に入って、アルメニア系アメリカ人のバンド指導者ハリー・ベギアンが、コミタスが蒐集した民謡舞曲をもとにした吹奏楽オリジナル曲を、リードに委嘱する。

これは予想だが、おそらくベギアンの両親か祖父母は、トルコの虐殺を逃れてアメリカにやってきた移民ではないだろうか。

もともとアルメニア人は、芸術や商工業に卓越した才能を持っており、世界各地に進出していた。ちょうど、ユダヤ人や中国人(華僑)が、様々な土地へ移って成功しているのとどこか似ていた。そこへ来て、二度の虐殺迫害で多くのアルメニア人が国外へ脱出することになり、アルメニア人は、さらに世界各地で活躍するようになった。

たとえば、バレエ《ガイーヌ》(剣の舞)で知られる作曲家ハチャトゥリアンもアルメニア人だ(彼も《アルメニアン・ダンス》を作曲している)。指揮者カラヤンも、先祖にはアルメニアの血が入っているという。ほかにも、シャンソン歌手シャルル・アズナヴール、ヴィオラ奏者キム・カシュカシアン、作家ウィリアム・サローヤン、歌手・女優のシェール【注2】、作曲家アラン・ホヴァネス、映画監督アトム・エゴヤン【注3】……みんなアルメニア系。枚挙に暇がない。

話がそれたが、かくしてベギアンの委嘱で、コミタスが蒐集したアルメニアン・メロディをもとに、リードが作曲したのが、名曲≪アルメニアン・ダンス≫なのである。

全曲は4楽章構成だが、パート1(第1楽章)が1973年に発表され、78年にパート2(第2~4楽章)が加わって全曲完成となった。諸事情から、パート1と2が別々の出版社から刊行されたため、別の曲のように思われているが、当初から4楽章で構想されていた曲である。

パート1(第1楽章)は、全曲中、最も長い楽章。アルメニア民謡<あんずの木><やまうずらの歌><おーい、僕のナザン><アラギャズ山><行け、行け>の5曲がメドレーとなった一種の狂詩曲である。パート2は、第2楽章<農民の訴え>、第3楽章<結婚の踊り>、第4楽章<ロリ地方の農民歌>……どれもコミタスが蒐集したメロディ-がもとになっているとのことだが、このあたりに関しては、私のような道楽者の言い分よりも、キチンとした研究家によるサイト――「The Music-makers’ Paradise」http://www.asahi-net.or.jp/%7Ezi6y-mrkm/ などをご覧いただきたい。

ただ、私がいままでCDで聴いてきた原曲(もしくは、それに近いアルメニア人による演奏)と比べてみると、リードはたいへんうまく原旋律を昇華させており(別の言い方をすれば「アメリカナイズ」かもしれない)、機会があれば、その変貌ぶりを楽しむのも一興かも知れない。

曲の内容については、この連載をお読みの方だったら、いまさらあれこれと細かく解説する必要はないだろう。

特にパート1(第1楽章)の人気は凄まじく、コンクール全国大会の登場回数は38回。オリジナル曲でダントツ1位の人気度を獲得している。雄大で感動的な出だし、次々と移り変わる曲想、そして興奮と感動のラスト……それらは、リードに限らず吹奏楽作品に多い「前奏~急~緩~急~コーダ」形式とはまた違う、独特の魅力に溢れている。メロディーが、どこか私たち日本人になじみ深いムードがあったことも重要だ。アルメニアがアジアとヨーロッパの中間にあることを思い出させてくれる。

ステージでもCDでも、いまでは、いやでも耳に入ってくる名曲だが、できれば、アルメニア人虐殺問題や、その悲劇の中で原曲を蒐集したコミタスの存在を、ほんの少しでいいから思い出しながら聴いてほしい。
<敬称略>
【注1】2006年にノーベル文学賞を受賞したオルハン・パムクの作品は、現在、『私の名は紅(あか』『雪』の2作が訳出されている(ともに和久井路子訳、藤原書店刊)。どちらもトルコが抱える問題がモチーフになっているが、アルメニアに関する問題も、しばしば語られ、特に『雪』は、なかなかにロマンチックな設定。かなり内省的な小説だが、読書好きには応えられない一冊である。
【注2】アルメニアは、美女が多いと言われている。この歌手・女優シェールは、本名を「シェーリン・ラ・ピエ・サーカシアン」という。1971年に《悲しきジプシー》を大ヒットさせ、以後、映画女優としても大成功し、ハリウッド大富豪の1人にまでのし上がった。実父がアルメニア難民で「サーカシアン」は、そのものズバリ、アルメニア系の名前。母親はアイルランドやドイツの血を引くチェロキー(ネイティヴ・アメリカン)。だから彼女の顔つきは、かなりたくさんの民族の血が混じっているのだが、それでも、たいへんアルメニアの特徴が色濃く出ているほうだ。ああいう、面長でキリッとした目つきがアルメニア美人なのである。彼女が主演して、見事アカデミー主演女優賞を受賞した名作映画『月の輝く夜に』(1987年、ノーマン・ジュイソン監督)は、シェールの魅力満載、ぜひ見ていただきたい名作だ(メトロポリタン歌劇場がバッチリ出てきて、オペラ・ファンにはたまらん内容)。
【注3】映画監督アトム・エゴヤンは、カナダ在住のアルメニア系だが、2002年に、アルメニア人虐殺をテーマにした映画『アララトの聖母』をつくっている。虐殺問題を描く映画にかかわる人たちを通して、事件を見つめなおす壮大な感動作だ。主演は、フランスの大シャンソン歌手シャルル・アズナヴール(彼の本名は「アズナヴーリヤン」。父がグルジア人、母がアルメニア人である)。DVD化されているので、ぜひご覧いただきたい。≪アルメニアン・ダンス≫のルーツに隠された悲惨なドラマが、身近に感じられるはずだ。

■吹奏楽曲でたどる世界史【第23回】大航海時代以後(15~16世紀):キリスト教の世界進出 ~エル・カミーノ・レアル(アルフレッド・リード)

Text:富樫鉄火

●原題:El Camino Real ~A Latin Fantasy
●作曲:アルフレッド・リード Alfred Reed(1921~2005)
●発表:1985年、米第581空軍バンドの委嘱初演。
●出版:Hal Leonard
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/set-9669/
●参考音源:様々あり
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-3673/
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-3202/
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-0928/
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-1582/
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-3739/

●演奏時間:約10分
●編成上の特徴:標準編成に加えて、フルート1~3(3番ピッコロ持ち替え)、オーボエ1・2、イングリッシュホーン、バスーン1・2、コントラバスーン(代用可)、コントラバス・クラリネット、トランペット1~3+コルネット1・2など
●グレード:5

しばしば書いていることなのだが、以前、旧知のカメラマンが、カリフォルニアのシリコンヴァレーに取材で数週間滞在し、帰ってきて、みやげ話を聞かせてくれたことがある。シリコンヴァレーとは、コンピュータやIT産業の会社が多くある、ハイテク企業エリアの別名だ。

その時、カメラマン氏は、写真を見せながら、少々聞き捨てならない言葉を次々と発した。

「このレストランはねえ、エル・カミーノ・レアルにあるんだ。なかなかうまい店だった。牛丼のYOSHINOYA(吉野家)も、エル・カミーノ・レアル沿いにあったよ」「この会社は、エル・カミーノ・レアルから東へ○キロほど入った所にある」

しばしば「エル・カミーノ・レアル」が出てくるので、私は気になって、「あの…、さっきから『エル・カミーノ・レアル』って、何度も言ってるけど、それ、何?」と聞いた。

すると彼は、キョトンとして「国道101号線の別名だよ。現地の日本人は、よく『カミーノ街道』って呼んでたよ」と教えてくれた。

私は、その時初めて知ったのだが、「エル・カミーノ・レアル」とは、カリフォルニア州を南北に縦断する、大きな国道の別名であった。スペイン語で、「カミーノ」は「道」、「レアル」は「王」の意味なので、直訳すると「王の道」となる(ちなみに、スペインのサッカーチーム「レアル・マドリード」は「マドリードの王」の意味)。

なぜ、アメリカに、スペイン語の名前が付く国道があるのか。さらに、リードの名曲≪エル・カミーノ・レアル≫と、何か関係があるのだろうか。

カリフォルニア州の最南西端、サンディエゴは、メキシコ国境が目の前である。大きな海兵隊基地があり、トム・クルーズ主演の映画『トップガン』の舞台にもなった。

1542年、ポルトガル人のホアン・ロドリゲス・カブリヨが、このあたりに漂着し、「サンミゲル」と名付けた(フィリピンに、同名のビールがある)。その後来航した人物が、勝手に自分の守護聖者の名前をつけて、地名が「サンディエゴ」と変わり、植民地開拓が始まる。

1769年には、当時スペインに支配されていた、お隣のメキシコから修道士たちが入り込んできた(国境の向こう、メキシコ側にある町が「ティファナ」。そう、トランペット・ファンにはおなじみ「ハーブ・アルパート&ザ・ティファナ・ブラス」の、あのティファナです)。

修道士たちは、道沿いに修道院を建設しながら、北へ北へと進んでいった。「開拓」といえば聞こえはいいが、多くのキリスト教(聖フランシスコ修道会)布教進出と同じく、実態は「侵略」に近いものがあったとも言われている。スペインの布教活動は、宗教に名を借りた「世界征服」で、武器は「聖書」と「火器」だった、と…。

ただし、修道士たちは、土地土地でブドウを栽培し、キリストの血=ワインを生産することも忘れなかった。現在のカリフォルニアでワイン生産が盛んなのは、そのせいなのである。

この「北へ北へ」と伸びて行った道…これが、彼らが「エル・カミーノ・レアル」と名付けた道、つまり「王の道」である。現在では国道101号線となっているが、エリアによっていくつかの別名があり、その一部に、今でも「エル・カミーノ・レアル」の名が残っているらしいのだ。

この道は、サンフランシスコの北側まで続いた。道沿いには、20数箇所の修道院が建設された。牧場や畑も併設された、一種のコミュニティみたいな施設もあったという。

のち、メキシコがスペインから独立し、アメリカとメキシコが戦争となって、アメリカが勝ち、この「エル・カミーノ・レアル」を含むカリフォルニアは、アメリカの領土となったのだ。

こうして、たまたま、カリフォルニアを走っている「エル・カミーノ・レアル」が有名になってしまったが、聖フランシスコ修道会が進出した土地には、あちこちに、同名の道があるようだ。つまり、固有名詞というよりは、修道士たちが布教進出で通った道が、一般的に「エル・カミーノ・レアル」と呼ばれるようなのだ。

実は、「エル・カミーノ・レアル」は、日本にもある。神奈川・横浜の地に。ただし、それは「道」ではなくて「鐘」なのだが。

サンディエゴと横浜は、1957年に姉妹都市提携を結んだ(なぜ横浜=サンディエゴなのかは、よく分らない。何しろ、横浜は、世界中の8都市・6港と姉妹提携しているのだから!)。その後、サンディエゴから「水の守護神像」と「エル・カミーノ・レアルの鐘(ミッション・ベル)」のレプリカが送られ、現在、山下公園内の噴水前に設置されている(おそらく、「道」沿いに設置された修道院の鐘がモデルと思われる)。

さてさて、またも遠回りになってしまったが、今回のテーマは、我らがアルフレッド・リード作曲による名曲≪エル・カミーノ・レアル≫である。

この曲は、アメリカ第581空軍(予備隊)バンドの委嘱で、1984年に作曲され、翌85年4月に、同バンドの演奏、レイ・トゥーラー中佐の指揮で初演された。スコア冒頭には「合衆国空軍予備隊の男女、特に空軍予備隊バンドの演奏家たちと、指揮者であるレイ・E・トゥーラー大佐へ」と記されている。サブタイトルには≪ラテン・ファンタジー≫とある。

この時期のリードは、すでに≪アルメニアン・ダンス≫全曲、≪春の猟犬≫なども発表されたあとで、絶頂期だった。特に、イントロ部分は、一度聴いたら忘れられない。2小節目でいきなりフェルマータとなり、それを乗り越えると3小節目から「4拍子」と「3拍子」が交互に登場する、“乱舞”のような部分になる。冒頭のたった3小節で聴き手を取り込んでしまう手腕は、まことに見事だ。≪春の猟犬≫でも、異なった拍子が交互に登場する部分があったが、ここでは、さらに突き進めて、変拍子ながら、リズム感がはっきりした、ダンスのような雰囲気を出しているところがスゴイ。

この、フラメンコを思わせる出だしは「ホタ」という、スペイン東北部に伝わる3拍子の舞曲である(吹奏楽でもよく演奏されるファリャの≪三角帽子≫にも、ホタが登場する)。

中間部のゆったりした部分は、スペイン南部の舞曲「ファンダンゴ」を素材に、かなり変形させている。全体構成は、リードお得意の「急~緩~急」なので、最後は、再びホタ部分が登場して、華やかに終わる。

いまでこそ、中学や高校バンドでも演奏されている名曲だが、発表当初は難曲として知られていた。吹奏楽表現の限界に挑戦しているかのような部分も散見される。現に、過去、この曲でコンクール全国大会に進出できたバンドは、大学・職場・一般バンドのみである。つい、ブンチャカドンチャカやっていれば、それらしく聴こえてしまうだけに、ボロが出やすい曲でもあるのだ。

おそらく、アメリカに住むリードは、カリフォルニアを走る国道「エル・カミーノ・レアル」を知っていたことだろう。そこから、イメージを膨らませたのではないだろうか。様々な解説によれば、楽隊やダンサーを従えたスペイン国王の華麗な行列が、「王の道」を進んで行く様子を描写したものらしい。だが、あの有名な冒頭を聴くと、聖フランシスコ修道会が、あたりをなぎ倒さんばかりの勢いで突き進んで行く様子を描写しているようにも感じられる。

果たして、この曲をどんな風に聴くか。かつてのスペインの栄光時代を思うか、修道士たちの突進ぶりを思うか。あるいは、カリフォルニアのハイウェイ…? どのようにも聴けてしまう、そこが、リードの面白いところかもしれない。<敬称略>