「訃報」タグアーカイブ

■イギリスの作曲家、デリック・ブルジョワ(Derek Bourgeois)が死去

「コンチェルト・グロッソ」「ブリッツ」「コッツウォルド・シンフォニー」など多くのブラスバンドと吹奏楽のための作品を書いたイギリスの作曲家、デリック・ブルジョワ(Derek Bourgeois)が9月6日に亡くなった。ご冥福をお祈りいたします。

■デリック・ブルジョワ(Derek Bourgeois)の主な作品

■初代バンドピープル編集長、冨田尚義さんが死去

初代バンドピープル編集長、冨田尚義さんが6月5日に亡くなった。74歳だった。それまでクラブ活動の発表の場でしかなかった吹奏楽コンクールをエンターテインメントとして紹介するなど、斬新なアイディアと誌面作りで吹奏楽の面白さ、楽しみ方をサポートし続けた。もしバンドピープル(1980年創刊、1999年休刊)がなければ、吹奏楽の世界が今のようになっていたかどうか・・・。心よりご冥福をお祈りします。

■【訃報】サクソフォーン奏者・新井靖志氏が逝去

トルヴェール・クヮルテットのメンバーであり、タッド・ウインド・シンフォニーのコンサートマスター、新井靖志(あらいやすし)が脳出血のため2016年9月9日(金)午前0時15分に亡くなった。

たくさんの素晴らしい音楽をありがとうございました。心よりご冥福をお祈りいたします。

なお、葬儀は藤岡市偕同苑(群馬藤岡駅)で行われる。
お通夜:9月10日 18:00
告別式:9月11日 12:30

ベルギーの作曲家アンドレ・ウィニアン亡くなる

2015年11月22日、ベルギーの作曲家アンドレ・ウィニアンが亡くなった。享年73才。

多作家で、シンフォニックな大作からポップな小品まで、多岐にわたるジャンルに作品を書き、ロブ・アレス、ローラント・ケルネンなどの筆名を使った曲もある。

日本でも『シンフォニックバンドのためのデュナミス』『アルト・サクソフォンとウィンドオーケストラのためのニ章』などが注目を集めた。
◎アンドレ・ウィニアンの作品収録のCDをチェックする

■アンドレ・ウィニアン:シークレット・オブ・ザ・ヒルズ
~ベルギー吹奏楽傑作選~ 
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-2672/

■ドラゴン・ファイト 
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-1114/

■エンペラー(皇帝)
~ベスト・セレクションズ・フォー・コンサート・バンド 
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-2059/

■メイド・イン・ベルギー
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-1417/

 

フランスの作曲家・指揮者、デジレ・ドンデイヌ氏が死去

 フランスの作曲家・指揮者、デジレ・ドンデイヌ氏が2月12日に亡くなりました。
1954年から1979年の四半世紀に渡って、指揮者としてパリ警視庁音楽隊を率いた名匠で、吹奏楽というものの1つの黄金期を築いたという意味では、フランス吹奏楽界での存在感は格別で、彼の右に出る音楽家はいないでしょう。

私は、個人的にパリでドンデイヌ氏にお目にかかる機会があり、パリ警視庁音楽隊の演奏会で拙作「旅人」の演奏を聞いて頂いた事もあります。しかし、私にとっての彼の思い出は、何と言っても、2006年フランスで開催された「第1回ランベルサール国際吹奏楽作曲コンクール」で審査委員長を務められた時の事です。私は、このコンクールの「アルトサキソフォン協奏曲部門」で「セドナ」により優勝しましたが、公開の演奏会形式による審査の後、表彰式で私の名前が読み上げられた時、彼は私の手を取ってステージ上まで導いてくださりました。そして、ステージで私に賞状を手渡しながら言葉をかけてくださったのです。「マドモワゼル、お続けなさい。作曲をお続けなさい」と。この言葉に、どれほど励まされたことでしょう。「絶対に、続ける」と心に誓いました。

彼は、教育者としても多大なる功績を残されましたが、彼の音楽的精神は、今後もフランスのみならず、多くの国で長く引き継がれていくことでしょう。享年93歳。ご冥福をお祈り致します。

Text:田中久美子(作曲家・大阪芸術大学音楽学科准教授)

【関連CD】

■吹奏楽のためのロマン派のコンサート
パリ警視庁音楽隊
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-2842/

■セルジュ・ランセン作品集
パリ警視庁音楽隊
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-3051/

【コラム】富樫鉄火のグル新 第101回 追悼/最期まで現役だった、河辺浩市さん

 吹奏楽コンクール課題曲の歴史上、「ポップス」という名の基礎レールを敷いたのは、1972年の《シンコペーテッド・マーチ「明日に向かって」》(岩井直溥作曲)だった。ポップスの香りがかすかに漂うマーチだった。

このレールの上を最初に堂々と走ったポップス課題曲第1号が、1974年《高度な技術への指標》(河辺公一=現浩市作曲)である。課題曲史上、初めてドラムセットが導入された。やがてこのレールの上を《ポップス描写曲「メイン・ストリートで」》(岩井直溥作曲)が疾走し、《ディスコ・キッド》(東海林修作曲)が爆走する。河辺さんは、課題曲の路線を大きく変えたのだ。不思議なタイトルは「芥川也寸志さんが勝手に付けたんだよ」と笑っていた。

《高度な技術への指標》を聴いた時の衝撃は、いまでも忘れられない。わたしは高校生だった。予選会場で「こんな難曲、中高生には無理だろ」と呆然となった(この年は部門に関係なく選択できた)。実際、どの団体の演奏もヨレヨレだった。

河辺さんは、ジャズ・トロンボーン奏者であり、映画音楽の作曲・演奏家でもあった。
昭和24年に東京音楽学校(現・東京藝術大学)を卒業後、名門ブルーコーツなどでジャズ・トロンボーン奏者として活躍したが、同時に、映画音楽の世界で引っ張りだことなる。戦後から昭和50年前後までの日本映画で、トロンボーンが鳴っていたら、その多くは河辺さんだと思って間違いない。『七人の侍』『豚と軍艦』『野火』『幕末太陽伝』『狂った果実』『男はつらいよ』…などで聴こえるトロンボーンは、すべて、河辺さんの音である。『嵐を呼ぶ男』(1966年、舛田利雄監督、伊部晴美音楽)では、有名な石原裕次郎のドラム合戦の場面に出演している。そればかりか、『お早よう』(1959年、小津安二郎監督、黛敏郎音楽)の子供の「オナラ」も、『河内カルメン』(1966年、鈴木清順監督、小杉太一郎音楽)の「ほら貝」も、実は河辺さんがトロンボーンで作り上げた音だった。藝大以来の盟友、黛敏郎・小杉太一郎の映画音楽には欠かせない存在だった。

映画音楽作曲家としても、生涯に40本以上を手がけた。『誇り高き挑戦』(1962年、深作欣ニ監督)の強烈なモダン・ジャズ、『嵐を呼ぶ楽団』(1960年、井上梅次監督)の楽しさなど、忘れられない。

87歳の今年になっても、ジャズ・ライブを欠かさなかった。亡くなる10日前もライブに出演し、その後もトークショーや、アマチュア・ジャズ・バンドの指導をこなして9月2日に帰って寝たら、そのまま息を引き取られていたという。大往生だった。

この7日の葬儀では、棺の中の河辺さんに、仲間が「河辺さん、寝てる場合じゃないよ、起きて演奏しなきゃ」と声をかけていた。亡くなる直前まで、現役のジャズ・トロンボーン奏者だった。

※河辺浩市(旧名・公一)さんは、9月3日、87歳で亡くなられました。私と、バンドパワーの鎌田小太郎編集長は、近年、何回かお会いする機会に恵まれ、貴重なお話をうかがうことができました。ご冥福をお祈りいたします。なお、FMカオン「BPラジオ/吹奏楽の世界へようこそ」では、10月に、河辺さんの追悼番組を放送する予定です。

富樫鉄火(音楽ライター)
FMカオン、毎週(土)23時~「BPラジオ/吹奏楽の世界へようこそ」パーソナリティもやってます。9月は「吹奏楽で聴くシェイクスピア」を放送するほか、5月に放送した「緊急特別番組:追悼/岩井直溥、90年の軌跡」の再放送があります。パソコンやスマホでも聴けます。


※本稿の著作権は富樫鉄火が、出版権はバンドパワーが独占しています。両者の許諾なく、出典元表記のない引用や、引用の範囲を超えた複写、コピー&ペーストを固く禁止します。

【コラム】富樫鉄火のグル新 第98回 「革命家」フランス・ブリュッヘン

『涙のパヴァーヌ~オリジナル楽器によるブロックフレーテ曲集1』
フランス・ブリュッヘン(ブロックフレーテ)、
ニコラウス・アーノンクール(ヴィオラ・ダ・ガンバ)、
グスタフ・レオンハルト(チェンバロ) 1965年11月録音

 1970年代、リコーダー(ブロックフレーテ)奏者として来日したフランス・ブリュッヘンのソロ公演は忘れられない。無造作に伸ばした長髪で、ラフなジャケットとネクタイ姿のままステージに登場した。椅子に座ると、長身を持て余すように背を丸め、長い足を組む(ステージ上で足を組む演奏家なんて、初めて見た)。確か靴も、いまでいうウォーキング・シューズみたいなカジュアルなものだったと思う。そしてリコーダーを斜めに構え、頬を膨らませながら吹いた。その辺を散歩していた外人が、ちょっと演奏したくなったので寄ってみた、とでもいうような雰囲気だった。古楽のイメージがガラリと変わった。

 彼の出す音は、どこか「不安定」だった。音色も曇っていて、学校で吹いていたリコーダーとは、あまりにちがう響きだった。合っているような、いないような、ふわふわした音程だった。どうやら古楽とはそういうものらしいと、初めて知った。

 バッハの≪無伴奏チェロ組曲≫をリコーダーで演奏したのも新鮮だった。その編曲譜が全音から出版され、私同様、多くの〝リコーダー小僧〟が買いに走ったものだ。アルト・リコーダー用の譜面のはずが、ヘ音記号で書かれていて仰天した。

エイク/ダウランド≪涙のパヴァーヌ≫や、コレッリ≪ラ・フォリア≫などがポピュラー名曲になったのは、明らかに彼の功績だ。シェイクスピアと同時代に「涙の」なんて演歌みたいな題名の曲があったなんてこと自体、驚きだった。

 大ヒットしたLPアルバム『涙のパヴァーヌ』のジャケットを見ると、なんともいえない、懐かしい思いに駆られる往年のファンも多いだろう。あのころ、ブリュッヘンはクラシック界のヒーローであり、アイドルだった。大音量も、大人数も、派手なヴィジュアルも必要ない、革命は1本のリコーダーで成立する――そういっているようだった。少しあとにカラヤンがベルリン・フィルを率いて来日し、普門館でベートーヴェン交響曲の全曲演奏会を開催した。私はそちらにも行ったが。まったくちがう2人なのに、なぜか比較対照して、明らかにブリュッヘンのほうがカッコいいなどと思い込んだ。巨象が闊歩するクラシック界に単身挑む姿は、私には『忍者武芸帳』の影丸に思えた(外見も似ていた)。

 1980年代に入ると、「もうテレマンは十分だ」みたいな意味の発言をして、18世紀オーケストラを組織し、指揮に移った。その後の業績、活躍ぶりはいまさら述べるまでもないが、相変わらず1人で闘っているように見えた。

フランス・ブリュッヘンは最期まで革命家だった。
(Frans Bruggen 2014年8月13日逝去、享年79)

富樫鉄火(音楽ライター)
FMカオン、毎週(土)23時~「BPラジオ/吹奏楽の世界へようこそ」 パーソナリティもやってます。パソコンやスマホでも聴けます。


※本稿の著作権は富樫鉄火が、出版権はバンドパワーが独占しています。両者の許諾なく、出典元表記のない引用や、引用の範囲を超えた複写、コピー&ペーストを固く禁止します。

作曲家・岩井直溥さん死去…日本でもっとも愛され、演奏された譜面:富樫鉄火(音楽ライター)

 すでに新聞報道でご承知のとおり、作編曲家の岩井直溥先生が、5月10日午後3時43分、呼吸不全のため、亡くなられました(行年90)。

当バンドパワーでは、2008年6月から約1年にわたり、全29回で、自伝「岩井直溥自伝 吹奏楽ポップスの父、昭和大爆走!」(聞き書き:富樫鉄火)を連載していただ きました。ご自身の祖父の代から語りおこし、これからの吹奏楽界への思いまで、公式に綴られた、唯一の本格的自伝でした。

いま、そのバックナンバーを読み返すと、BP編集長・鎌田小太郎氏と2人で、横浜のご自宅へ何度もうかがい、山ほどの資料を出していただきながら、あれこれとお話をうかがった日々が蘇ってきて、言葉もありません。

昨年12月には、体調を崩されたと聞き、お見舞いと打ち合わせをかねてうかがいました。
すると、まったくお元気で、ちょうど、ブレーンのCD『岩井直溥コレクション』シリーズが大好評だったのですが、そのことを、とても喜んでおられました。
そのうち、「いま、《私の青空 My Blue Heaven》をアレンジしかけてるんだ。ぜひ、いいスコアにしたいんだよなあ」と、楽しそうに語っていたかと思うと、「そろそろ、行きましょうか」と、なんと、暮れの夜の寒空のもと、ご家族の運転する車に乗り込み、居酒屋へ繰り出されたのです。
そして、生ビールをジョッキで2杯、さらに熱燗2合をペロリと呑み干されました。
90歳の方と、こんなに大酒を酌み交わしたのは、あとにも先にも、初めてで、仰天しました。

日本で、もっともたくさんの人たちに愛され、演奏された譜面は、ツェルニーでも、ブルグミュラーでも、モーツァルトでもありません。
間違いなく「岩井直溥」の4文字が入った譜面です。

 岩井先生、お世話になりました。
ただし、安らかに眠るなんて、ダメです。
天上でも楽しいスコアを、どんどん書き続けてください。
(2014年5月11日記)

【追記】
FMカオンで毎週(土)23時より放送中の「BPラジオ 吹奏楽の世界へようこそ」
で、緊急追悼番組を予定しています。
放送日は、決定次第、本サイトでお知らせします。
http://www.bandpower.net/news/2014/03/16_bpradio/01.htm