■吹奏楽曲でたどる世界【第52回】米ソの宇宙開発競争(1950~1970年代)その2 この一歩は小さな一歩だが、人類にとっては偉大な一歩である ~マン・オン・ザ・ムーン [全曲版](清水大輔作曲)

Text:富樫鉄火

●作曲:清水大輔(1980~)
●初出:2006年、川越奏和奏友会[全曲版]初演。
初版は2002年、神奈川県立大原高校の委嘱初演。
●出版:ブレーン(レンタル)
●参考音源:現在、正式録音なし。

●演奏時間:全4楽章、計約20分(詳細、本文参照)。
●編成上の特徴:大型編成……オーボエ1・2、コントラバス・クラリネット、ソプラノ・サクソフォーン、ピアノ、ハープあり。div.のあるパート……B♭クラリネット3、トランペット3、ユーフォニアム、テューバ。スネア&バス・ドラム各2台必要。
●グレード:5

1961年に就任したアメリカの第35代大統領、J.F.ケネディ(1917~63)は、清新なイメージとニュー・フロンティア精神で、瞬時に世界中のヒーローになった。【注1】

彼は演説の名手としても有名だった。いまでも彼の演説は、そのほとんどが文章化されて出版されているほか、CDになって、日本でも英語教材として長い人気を獲得している(その多くは、ウェブ上でも公開されているので、検索して実際に聴いていただきたい)。

いちばん有名な演説は、1961年1月20日の大統領就任演説。「祖国があなたに何をしてくれるかではなく、あなたが祖国のために何ができるかを考えてほしい」、そして「自由のためなら、どんな困難にも立ち向かおう」とアメリカ国民に呼びかけた。

つづく同年5月25日、ケネディは議会で歴史的な演説を行う――「私たちは、1960年代が終わるまでに月へ行きます。困難であるがゆえの選択です。人類史上、最も危険で、最も大掛かりなこの冒険に、どうか神のご加護を!」

この瞬間、アメリカは「マン・オン・ザ・ムーン」(人類、月に立つ)を目指して、動き始めたのだ。

さらに1962年9月12日、ケネディは、ヒューストンにあるライス大学で、のちに「ムーン・スピーチ」と呼ばれる、これまた有名な演説を行った(同大学は、NASA=アメリカ航空宇宙局のために土地を寄付していた)。

「我々は月へ行くことを選択しました! 簡単ではありません。それが困難だからこそ選択したのです!」

これらの演説にはどれも「困難だからこそ立ち向かう」という彼のポリシーが含まれていて、たいへん感動的なのだが、特に3つ目の「ムーン・スピーチ」は、ケネディ演説の傑作と呼ばれている。この時のライヴ映像は、おなじみ動画サイト「YOU TUBE」で、「MOON SPEECH」と入力して検索すると簡単に見られるので、ぜひ、ご覧いただきたい。口調も力強く、特に「We choose to go to the moon!」(我々は月に行くことを選択しました!)を3度繰り返すと、聴衆から拍手と歓声があがっている。

いったいなぜ、ケネディは、これほど必死に「月へ行く」ことを訴えたのか。

前回【第51回】をお読みいただければ分るとおり、アメリカは、第2次世界大戦後、宇宙開発競争において、ソ連(ソヴィエト社会主義共和国連邦=現ロシア)に、圧倒的に遅れをとっていた。人類初の人工衛星の打ち上げも、初の有人宇宙飛行も、すべて、ソ連に先を越されていた。

地上での戦争は終わり、東西冷戦下(アメリカ陣営VSソ連陣営)、今度は宇宙を制することが課題となっていた。宇宙空間に衛星を常置させれば、常に敵国を監視できる。さらに技術が進めば「兵器」を搭載することも可能になるだろう。宇宙空間からスイッチ一つで「核」を敵国に落とせるのだ。「抑止力」としても、これほど強力なパワーはない。

しかし、人工衛星も有人宇宙飛行も、ソ連が先に達成してしまった。こうなると、それ以上の実力がアメリカにあることを示し、ソ連の宇宙進出をストップさせねばならない。残るは「マン・オン・ザ・ムーン」である。

まずアメリカは「マーキュリー計画」(1959~1963年)を実施【注2】。6人の有人宇宙飛行を成功させた。つづいて「ジェミニ計画」(1962~1966年)で、2人1組の有人宇宙飛行や、長時間の宇宙空間滞在に成功する。

そしていよいよ実施されたのが「月への飛行」=「アポロ計画」(1967~1972年)である。3人組のカプセルで、何回かに分けて次第に月へ近づき、周回を経験。そしてついに、1969年7月21日早朝(日本時間)、アポロ11号が見事に月面着陸に成功。アームストロング船長とオルドリン飛行士の2人が月面を「歩いた」のである。

もちろん、TVはぶっつづけで、月から届く映像をナマ中継で流し続けた。世界で7億人以上が同時に見たと言われる、史上最大のTV中継だ。日本での視聴率は68%に達した。

この時、私は小学校5年生だった。画面は粗く、ほとんど真っ暗だった。時々、砂漠のような地面が映って、宇宙服を着たロボットのような飛行士が、ゆっくりと地面の上で飛び跳ねていた。【注3】【注4】

音も途切れ途切れで、「ガー」とか「ピー」とかいう雑音の合間に、時折、人間の声らしき音声が聞こえてきた。ただでさえ英語で何を言っているのか分らない上、雑音だらけで、そのことがかえって月と地球の距離感を感じさせてリアルだった。

この時、NHKの中継では、スタジオで「西山千」(にしやま・せん)という「同時通訳者」が、アポロとNASA(ヒューストン)との交信を、その場で瞬時に通訳し、日本語で伝えていた。多くの一般日本人は、この時初めて「同時通訳者」という職業があることを知った。

確か西山さんは、ヘッドフォンのようなものを両耳にあてて、必死に雑音の中から交信を聞き取っていたような記憶がある。

西山さんが同時通訳したアームストロング船長の月面第一声は「この一歩は小さな一歩だが、人類にとっては偉大な一歩である」というものだった。西山さんは、この名文句を日本語に翻訳したことでも一躍有名になった。

だが、当時子供の私には、「こちらヒューストンです。……の調子は、どうですか」「すべて順調です」のほうが印象に強く残った。

というのも、実際には交信のほとんどが、この繰り返しだったからだ。月面第一声「偉大な一歩」も有名になったが、私たち子供には、この「すべて順調です」のほうが、たいへんカッコよく響き、すぐに学校で流行語になった。授業中に先生が「ちゃんと勉強してるか」と聞くと「すべて順調で~す」などと答えていた。

さてさて、脱線話になって恐縮だが、今回ご紹介する≪マン・オン・ザ・ムーン≫という曲は、以上の、アポロ11号月面着陸を描いた吹奏楽曲である。

前回のクラーク作曲≪ガガーリン≫が、ソ連による初の有人宇宙飛行を描いたのに対し、こちらは、ソ連に一矢を報いたアメリカの偉業である。

作曲者・清水大輔に関しては、すでに【第35回】≪仲間たちへ≫、【第38回】≪スピリット・オブ・セントルイス≫で紹介してあるので詳細は省く。近年大人気の若手作曲家だ。

清水は、冒頭で紹介したケネディの演説に触発されてこの曲を発想したという。だからサブタイトルには「Difficlty So,It Challengers」(困難だからこそ挑戦する)とある。全4楽章、演奏時間約20分。吹奏楽曲としては大作である。

第1楽章<A President Speech -by J.F.K->(ケネディ大統領の演説)約5分弱
ここでは、文字通りケネディ大統領の演説とアポロ計画のスタートを描写する。雄大で明るく、おなじみ「清水ブシ」が冒頭から大爆発である。ケネディが生きていてこれを聴いたら、きっと感動したのではないか。

■第2楽章<Plan of NASA -Full of Dreams and Full of Hopes->(NASAの計画~溢れる夢と溢れる希望)約4分
実音の変ニ長調(フラット5個)で始まる、一部のパートには少々やっかいな楽章。ゆったりとした中に緊張感を漂わせながら、NASAのスタッフたちの苦労の様子が描かれる。

■第3楽章<APOLLO 11 -The Launch,Welcome to Apollo 11,Go to the Moon->(アポロ11号~発射、ようこそアポロ11号へ、月へ飛べ)約5分半
第2楽章からアタッカでそのままなだれ込む。いよいよ発射。大空から成層圏を突き抜けて月へ向かうアポロ11号を描く。発射の場面は、迫真の音楽が展開する。

■第4楽章<Man on the Moon -Hymn,Ending->(人類、月に立つ~讃歌、終曲)約6分
ここも第3楽章からアタッカでつながる。いくつかの危機的状況を乗り越え、ついにアポロ11号が、月面の、通称「静かの海」に着陸する。ここからは、偉業を讃える壮大な讃歌となってクライマックスを作り上げる。

なお、コンサートでこの曲を演奏する際、ケネディ大統領の演説の一節を朗読し、間をおかずに第1楽章の第1音(スネア&バスドラムのフォルテ)の「ズズズズン!」になだれ込むと、効果抜群だと思う。あるいは、CDやウェブ上で公開されている実際の音声を流してもいいかもしれない。

あくまで全4楽章をかけて一つの世界を描く曲であり、特に第2~4楽章はアタッカでつながっているので、抜粋演奏はあまり意味がない。全曲演奏は、それなりの体力も必要そうだ。まだ正式録音が商品化されていないのが残念だが、ぜひともコンサートのトリなどで、じっくり取り組みたい曲だ。
<一部敬称略>

【参考】
清水大輔は、今年、≪マン・オン・ザ・ムーン≫の続編を発表している。

≪ロスト・ムーン~マン・オン・ザ・ムーン エピソード2≫と題する曲で、2007年6月、横浜栄区民吹奏楽団の委嘱初演。

今度は「輝かしき失敗」と呼ばれた、アポロ13号の1週間(1970年)を描いている。月へ向かう途中、酸素タンクが爆発し、月面着陸どころか地球への帰還すら危ぶまれた中、地上とアポロとの決死の対応で見事に帰還した“偉業”を描くものである。『アポロ13号奇跡の生還』(クーパー著、新潮文庫)や、『アポロ13』(ジム・ラベル&ジェフリー・クルーガー著、新潮文庫)などでノンフィクションになっており、後者は1995年に同題で映画化もされている。

筆者自身、まだ聴いていないのだが、前作と共通のテーマが使用され、やはりケネディのスピーチ描写から始まる4楽章構成の大曲だとのことである。

【注1】就任2年ちょっとの1963年11月23日、ケネディはダラスで車上パレード中、暗殺される。いまだに真相がはっきりしていない謎の事件とされ、『ダラスの熱い日』(1973)、『JFK』(1991)などの映画にもなった。
【注2】この「マーキュリー計画」を描いたドキュメント小説が、名作『ザ・ライト・スタッフ~七人の宇宙飛行士』(トム・ウルフ著、中公文庫。現在入手困難)。「個人の正しい資質」(ライト・スタッフ)に従いながらも「宇宙開発でソ連に勝つ」ために、重圧に耐えながら宇宙を目指した、草創期の宇宙飛行士の苦悩を描いた作品である。当時の米ソの緊張関係も、たいへんリアルに描かれている。1983年に『ライトスタッフ』(フィリップ・カウフマン監督)として映画になった。これも傑作。『ロッキー』で知られるビル・コンティの音楽は、明らかにチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲とホルストの≪惑星≫のミックスだったが、それなりに感動的で、アカデミー作曲賞を受賞した。
【注3】いま調べてみると、月面着陸は、日本時間7月21日(月)の明け方で、月面歩行は昼頃になっている。いったい私は、どこでこの中継を見たのだろう。学校で見たのか? 確か、家族全員で興奮しながら見た記憶があるのだが……。あるいはもう夏休みだったのか。または、夜、家で再放送を見たのか……。
【注4】余談だが、アメリカには「アポロは月に行っていない」という、通称「ムーン・ホークス」(月のでっち上げ)という見方が根強くある。あのTV中継はウソだったというのだ。まあ、いわゆる「トンデモ話」なのだが、「月面写真の、影の向きがおかしい」とか「真空でジャンプしたらもっと飛ぶはずだ」とか様々な「根拠」がある。これらの説をもとに作られた映画が『カプリコン1』(1977年、ピーター・ハイアムズ監督)。アメリカ初の有人火星着陸をNASAがでっち上げて、砂漠の中のスタジオから「火星着陸」を中継する政治サスペンスである。

■吹奏楽曲でたどる世界史【第38回】リンドバーグ、大西洋無着陸単独飛行(1927年) ~スピリット・オブ・セントルイス(清水大輔)

Text:富樫鉄火

●作曲:清水大輔 Shimizu Daisuke
●英語題:The Spirit of St.Louis
●初出:2005年1月、神奈川県横浜市の栄区民吹奏楽団の初演。
●参考音源:スピリット・オブ・セントルイス/清水大輔作品集 vol.1(Band Power)
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-1011/

●出版:バンドパワー(株式会社スペースコーポレーション)
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/set-8439/

●演奏時間:約8分
●編成上の特徴:ほぼ大型標準編成(E♭クラリネット、コントラバスクラリネットはオプション。テューバとユーフォニアムにdiv.あり。ピアノあり)
●グレード:4~5

第1次世界大戦が終わって、ようやく世界も落ち着いた1927年、大西洋をまたいで驚くべき偉業が達成された。

同年5月20~21日、アメリカの航空パイロット、チャールズ・リンドバーグ(1902~74)が、ニューヨーク→パリ間の大西洋横断・単独無着陸飛行を、世界で初めて、33時間半をかけて成功させたのだ。

すでに「単独」でない大西洋無着陸横断飛行は、1919年に、別人によって達成されていた。つまり2人のパイロットが交代で、カナダ東岸のニューファンドランド島から、アイルランドに飛行して成功していたのである。いわば、地図上の、大西洋のずっと上の方をまたいだのだ。

時代は一種の「開拓冒険」ムードだった。今度は、初の大西洋「単独」無着陸飛行成功者に、25000ドルの賞金がかけられた。リンドバーグはこれに挑戦し、見事成功。ニューヨークのルーズベルト飛行場から、大西洋のど真ん中を突っ切って、パリのル・ブルージェ空港までを、たった一人で飛んだわけだが、これは当時としては、まことに驚くべき出来事だった。

なぜなら、総距離6000km近くを、途中、燃料の補給なしで飛び続けるなど、当時の小型機のレベルからは考えられなかったし、しかも30時間以上を、たった一人で一睡もせず、神経を集中させながら操縦し続けるなんてのも、とうてい無理と思われていた(食事やトイレはどうする?)。

ところがリンドバーグは、愛機「スピリット・オブ・セントルイス号」を徹底的に改造し、燃料スペースを増やした。そのために、パイロットは1人しか乗れなかったし、操縦席から前方はほとんど見えなくなってしまった。

それほど厳しい条件下、冒険を成功させたリンドバーグは、一夜にして世界的ヒーローとなり、大金を手にして富豪となった。まさにアメリカン・ドリームそのものであった。

この曲は、その偉業をモチーフに、リンドバーグの旅路~パリ到着を描写しながら、彼のチャレンジ精神を音楽にしたもの。決して最高難易度の曲ではないが、雄大さやドラマティック部分の表現には、それなりのハードルがある。しかし、演奏していて、これほどいい心地になれる曲は、そうそうあるとは思えない。一種の「交響詩」ともいえよう。

作曲した清水大輔は、すでに【第25回】の≪仲間たちへ≫で紹介した、若手人気作曲家である。飛行場面を思わせる部分は清水ならではの爽やかさに溢れている。

曲名は、リンドバーグが乗った飛行機の愛称であると同時に(彼は、この当時、セントルイス~シカゴ間の郵便パイロットだった)、のちに綴った自伝の題名でもある。【注1】

この偉業には逸話が多い。いちばん有名なのは、パリ上空に差しかかった時、「翼よ、あれがパリの灯だ!」と叫んだという話。のちに自伝や映画の邦題にまでなった有名セリフだが、どうもこれは後年の創作話だとの説がある。実際は、着陸後、そこがパリかどうか自信がなくて、そばにいた人に訊ねた「誰か英語を話せますか? トイレはどこですか?」が第一声だったとか。真偽のほどはさておき、それほどフラフラになっていたということだろう。

だが、リンドバーグの人生は、これ以降が、驚くべき奇々怪々さだった。

多額の賞金を手にしたとたん、1歳8ヶ月の長男を誘拐され、身代金を要求された。「世紀の誘拐事件」と騒がれたが、長男は遺体で発見。犯人は逮捕されるが、この犯人が、最後まで犯行を否認したまま死刑となったので、様々な憶測を招くことになる。何と、事件の黒幕が父親リンドバーグ自身だったとか【注2】、さらに近年「自分が(誘拐殺害されたはずの)長男だ」と称する者までが現れたのだ。【注3】

この誘拐事件をきっかけに、リンドバーグ夫妻はヨーロッパへ移住してしまう。あまりにマスコミに追い回されて、半ばノイローゼ気味だった。ところが、ドイツで、リンドバーグは、夫人の目を盗んで晩年に至るまで愛人を持っており、しかも、その愛人との間に3人の子供までもうけていたことが、近年判明した(DNA鑑定が行なわれて、確かにリンドバーグの子供であることが証明されている)。

第2次大戦が始まると、なぜかナチスドイツに友好的な発言や行動を繰り返し、陸軍パイロットを解任されたりしている。

とにかく「奇人」リンドバーグは、その後も世界を騒がせ続けたのである。

晩年はガンを患ってハワイ・マウイ島に移住し、環境保護活動に専念しながら穏やかな最期を迎えている。夫人アン・モロー・リンドバーグも環境保護活動家として知られている。そんな彼の数奇な人生を思いながらこの曲を演奏する(聴く)と、また違った味わいを覚えるはずだ。
<敬称略>

【注1】この自伝はピューリッツアー賞を受賞した名著で、邦題は『翼よ、あれがパリの灯だ』(恒文社、ちくま少年文庫刊)。1957年、映画化もされた(邦題同様)。ビリー・ワイルダー監督、ジェームス・スチュワート主演の傑作映画である。

【注2】現場に残っていた証拠や、様々な状況から、リンドバーグ自身が関与していなければ実行できない犯行であることが、しばしば指摘されている。以前から、リンドバーグ自身にも、それを思わせるような奇行癖があった。遺体で発見された長男も、すぐさまアメリカでは珍しく「火葬」にされ、遺灰が海に撒かれたことも疑惑に拍車をかけた。この疑惑は、いまでも世界のジャーナリズムを騒がせつづけている。過去、日本で邦訳が出版されたノンフィクションだけでも、『誰がリンドバーグの息子を殺したか』(ルドヴィック・ケネディ/文藝春秋/1995年)、『リンドバーグの世紀の犯罪』(グレゴリー・アールグレン他/朝日新聞社/1996年)、『誘拐・リンドバーグ事件の真相』(G・ウォラー/文藝春秋/1963年)など、枚挙に暇がない。まさに、日本の「三億円事件」に匹敵する謎の大事件なのである。

【注3】この「長男」の出現は、ニュースでもずいぶん報道されたので、ご存知の方も多いと思う。確かに顔が父親そっくりなのだ。当人はDNA鑑定を申し出ているが、遺族が拒否しているので、いまだに真実は分らない。

■吹奏楽曲でたどる世界史【第35回】シャクルトン、南極からの奇跡の生還(1914~15年)~仲間たちへ ~シャクルトン、伝説の南極遠征(清水大輔)

Text:富樫鉄火

●作曲:清水大輔 Shimizu Daisuke
●英語題:To My Comrades~Shacleton’s Legendary Antartic Expedition~
●初出:2003年、大磯ウインドアンサンブル(神奈川県)の委嘱初演。
●参考音源:スピリット・オブ・セントルイス/清水大輔作品集 vol.1(Band Power)
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-1011/

●出版:バンドパワー(株式会社スペースコーポレーション)
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/set-8374/
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/set-0526/
●演奏時間:約8分
●編成上の特徴:ほぼ大型標準編成(バスーン、コントラバスクラリネットはオプション扱い)。ほかにピアノが加わるが演奏効果が高いので、カットは、できない。
●グレード:4~5

前回述べた、トルコによる二度目のアルメニア人虐殺が行なわれている頃、イギリスで、ある「大冒険」が話題になっていた。アイルランド生れの冒険家アーネスト・シャクルトン(1874~1922)による、人類初の「南極大陸横断旅行」である。近年、本や映画、ドラマ、ドキュメンタリーなどで、これほど再評価が高まっているエピソードはない。

1900年代初頭、人類初の南極点到達をめぐって、ノルウェーのアムンゼンと、イギリスのスコットが熾烈な争いを繰り広げていた。争いは、国家の威信をかけた代理戦争の様相を呈していた。

1902年、シャクルトンは、スコットが率いる第1回南極点到達隊に参加。だが直前で犬そりを失ったり、病人が発生したりして断念。

1909年、今度はシャクルトン自らが到達隊を組織し、再び南極点を目指す。だがこれも失敗(それでも、いままでで最も南極点に近い位置まで到達した)。

ところがその後、1911年にアムンゼン率いるノルウェー隊が先に南極点に到達してしまい、この代理戦争はノルウェーの勝利に終わる。イギリスは苦渋を呑まされる。

シャクルトンは、それでも諦めなかった。ノルウェーに先に越されたのを知ると、今度は目標を、「南極大陸横断」に変更。隊員募集を開始した。もはや執念以外のなにものでもなかった。

この時にシャクルトンが新聞に出した募集広告は、広告史に残る名コピーと言われている――「冒険隊の隊員募集。少しばかりの報酬。生命の保証なし。ただし成功の暁には多大の名誉を得る」

かくして27名の隊員が集まり、1914年、彼らはエンデュアランス号で出発した。

ところが、南極大陸目前で分厚い氷に阻まれ、身動きが取れなくなり、そのまま10ヶ月も、氷の中で足止めをくらう。

そのうち、氷の圧力で船が壊れ始める。シャクルトンは、船を放棄し、ボートによる脱出を決定。この時から、冒険の目的は「南極大陸横断」から、「27名全員の無事生還」に変更された。

(下記【注2】で紹介している、ランシング著の文庫本『エンデュアランス号漂流』の中に、船が沈没していく様子をとらえた写真が収録されている。手前で犬そりの犬たちが、呆然とその瞬間を見つめている……ように見える、何とも不思議な写真である)

この間、隊長シャクルトンは稀有なリーダーシップを発揮し、隊員たちを叱咤激励しながら、エレンファント島を経てサウス・ジョージア島へたどりつき、救助を求める。結果、1年8ヶ月もの漂流の果て、全員を無事生還させることに成功するのだ。

この出来事は「奇跡の生還」と賞賛されたばかりか、本来の目的であった「南極大陸横断」よりも困難な冒険を成功させた名リーダーとして、シャクルトンの名は一躍広まるのであった。【注1~3】

この奇跡の生還劇をモチーフにしたのが、清水大輔の≪仲間たちへ≫である。冒険への出発から、困難を乗り越えて生還するまでを圧縮し、見事に音楽化している。

清水大輔は、BP読者にはおなじみの、若き人気作曲家だが、この≪仲間たちへ≫は、1・2を争う人気曲だ。 【清水大輔に関しては、http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-1011/ 参照】

大自然と闘う人間の姿を、たいへん分りやすく、かつドラマチックに表現した吹奏楽曲である。

タイトルの≪仲間たちへ≫とは、明日の生命をも知れない環境下、1年8ヶ月を生き抜いた27名の隊員たちへの、シャクルトンの熱い想いを意味すると考えていいだろう。あるいは、時には争いつつも助け合い、最後まで頑張りぬいた仲間同士の、励ましのメッセージかもしれない。

決して簡単に演奏できる曲ではないが、相応の練習次第で十分、形になるはずだ。演奏しても聴いても多大な感動を得るだろう。
<敬称略>

【注1】現在、月に「シャクルトン・クレーター」なる名前が付いているクレーターがある。もちろん、このアーネスト・シャクルトンにちなんで命名されたもの。将来、ここに月面基地を建設する計画があるらしい。

【注2】 彼の冒険は、多くの書籍にもなっている。あまりにたくさんあるのできりがないのだが、もし演奏するのであれば、彼自身の自伝『エンデュアランス号漂流記』(アーネスト・シャクルトン著、木村義昌・谷口善也訳/中公文庫BIBLIO)、または冒険の全貌をリアルに描いたノンフィクション『エンデュアランス号漂流』 (アルフレッド・ランシング著、山本光伸訳/新潮文庫)などは、ぜひ読んでおきたい。思い入れが格段に変わって、熱のこもった演奏になるはずだ。

【注3】彼の冒険譚が、本国イギリスで、ケネス・ブラナー主演で大型TVドラマになっている。以前、NHKで放映された際の邦題は『シャクルトン 南極海漂流からの生還』だったが、その後、DVD化されており、現在の邦題は『シャクルトン 南極海からの脱出』(ジェネオン・エンタテインメント)。TVドラマとは思えない、見所満載の2枚組である。