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■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第95話 ナショナル・バンド・オブ・ニュージーランド来日

▲LP – The National Band of New Zealand at Expo’70(ニュージランドWorld Record Club、SLZ 8318)

▲SLZ 8318 – A面レーベル

▲SLZ 8318 – B面レーベル

1970年(昭和45年)は、気分が高揚するとてもハッピーな一年だった。

大阪・千里丘陵で開催された“日本万国博覧会”で、プロ、アマを問わず、地元バンドがホスト役となって大活躍し、世界各国から続々とバンドが来演したからだ!

そのときの気分をネイティブ語で言い換えるなら、“めっちゃ、おもろい!”

これを東京弁に翻訳すると、おそらく“信じられないぐらい愉しい!”とか“とっても面白い!”が交じり合ったちょうどその中間あたりのニュアンスになるんだろうが、それはともかく、この万国博では、吹奏楽が吹奏楽らしく躍動する役割を担っていた。

月刊誌「バンドジャーナル」(音楽之友社)も、東京発の全国誌としては例外的に思えるほど、この関西発ローカル・ネタに大きくページを割いていた。中でも、普段は聴くことがない海外からの来演バンドのニュースは新鮮に響いた。

そして、最寄りの大阪市営地下鉄御堂筋線「心斎橋」駅から電車に乗りさえすれば、会場入り口の北大阪急行電鉄「万博中央口」駅まで直通運転で一直線という、我が家の地の利の良さ、これがよくなかった。

世界のバンド三昧の始まりである!

世間では、アポロ12号が持ち帰った“月の石”が話題となった“アメリカ館”や、宇宙船が展示された“ソビエト館”のパビリオンが人気を集めていたが、筆者は、もっぱらナマのバンドのパフォーマンスを聴くために万博に向かった。(もちろん、米ソ両パビリオンにもそのついでに入場したが….。)

大阪音楽大学教授の木村寛仁さんとの雑談の中でこの話題で盛り上がったことがある。そのとき、氏は『ボクは7回行きました。』と言われていたが、筆者はいったい何度会場に足を運んだのだろうか!それは、もう記憶には残らないほどの数になっていたはずだ。

しかし、新聞、テレビ、口コミなど、いろいろな情報ソースをよりどころに、せっせと万博会場に向かっていた自分がいたことだけは覚えている。

とは言いながらも、万博会場では多種多彩な催しが同時進行的に行なわれた。その日になって、現場で突然決まる演奏や曲目もあり、当然、見逃しや聴き逃しもあった。

そんなとき、「バンドジャーナル」1970年8月号から11月号まで短期連載された伊藤信雄さんの「万博だより ── お祭り広場で活躍する世界のバンド」や関連インタビュー、グラビアが本当に役に立った。

また、博覧会閉幕後の座談会記事「万国博を終えて」(同、1970年11月号)も、当時の現場の空気や感想を活字で残すことになった。

座談会の出席者は、麻 正保(日本万国博覧会事業第一課長)、渡辺武雄(日本万国博覧会プロデューサー)、鈴木竹男(阪急少年音楽隊隊長)、松平正守(池田市立呉服小学校教頭)、松岡楽男(報徳学園教諭)の各氏。

座談会の中身も、関西らしく、いろいろな感想が自由に飛び交う様子がおもしろいが、その中で、現場を仕切った麻さんの口から出たつぎの発言が博覧会サイドの吹奏楽に寄せる期待を知る上でひじょうに印象に残る。

『お祭り広場は、アマチュアが参加するというのがたてまえでございます。これだけの広い空間を埋めていく人数的なことと、音ですね。それとの両方の調和、それには吹奏楽の演奏とパレードがぴったりくると考えたわけです。』(原文ママ)

兵庫県の西宮球場で催されていた「2000人の吹奏楽」の内容も何故かよく知っていた博覧会側のこの着想が、3月14日(土)の開会式から9月13日(日)の閉会式に至る博覧会期間中、吹奏楽が前面に出て活躍する原点となった。

そして、前記座談会メンバーのほか、開催前年の1969年まで全日本吹奏楽連盟理事長だった朝比奈 隆さんや作曲家の大栗 裕さん、大阪市音楽団長の辻井市太郎さん、大阪府音楽団指揮者の井町 昭さん、後に大阪音楽大学学長になった西岡信雄さんら、関西の音楽界全体が、オモテになりウラとなって催しを盛り上げたのは、周知のとおりだ。

このエネルギーが、各国のナショナルデーにも、イタリアのローマ・カラビニエーリ吹奏楽団(Banda dell’Arma di Carabinieri di Roma)やイギリスのスコッツ・ガーズ・バンド(The Band of the Scots Guards)など、演奏者の人数や楽器編成にもお国柄を感じさせる多種多彩なバンドの来演を実現させる原動力となった。

そんな来日バンドの中にあって、7月8日(水)のニュージーランド・ナショナルデーに来演した“ナショナル・バンド・オブ・ニュージーランド(National Band of New Zealand)”も忘れられないバンドの1つだ。

“太陽の中のキーウィ”と題されたこのショーは、ニュージーランド放送が一年前から企画を練ったもので、総出演者数は270名。“ナショナル・バンド”は、音楽監督エルガー・クレイトン(Elgar Clayton)ほか、バンドマスターを含めた57名のフルメンバーで登場し、マーチングとコンサートを披露した。

この“ナショナル・バンド”が組織されたのは1953年。ニュージーランド国内の50のバンドからオーディションで選抜されたメンバーで構成され、世界各国へ派遣されるなど、ニュージーランドを代表するブラスバンドとして世界的に知られる存在だ。レコードも、本国以外でも、アメリカ、イギリスなどでリリースされていた。

日本万国博覧会への来演は、ロシア、イギリス、オランダ、カナダ、アメリカを含む4ヶ月にわたる世界演奏旅行の一環として実現したもので、演奏旅行中に実に175回のコンサートやディスプレイが行なわれたことが記録に残っている。

関東方面での演奏がなかったためか、東京のブラスバンド関係者にもほとんど知られていないが、これが日本で初めてナマで響いた海外のブラスバンドのサウンドだった。

木管が入った吹奏楽の音しか知らなかった者にとって、サクソルン族の金管楽器を中心に編成させるナマの“ブラスバンド”のサウンドは、正しく“未知との遭遇”!

筆者に、大きく目を開かせることになった瞬間だった!

「バンドジャーナル」1970年10月号のグラビアのほか、万国博でのパフォーマンスの一部は、ニュージーランド・ナショナル・フィルム・ユニット(New Zealand National Fim Unit)が制作した短篇記録映画「THIS IS EXPO」(公開:1971年)に収録され、今でもネットを通じてニュージランドのフィルム・アーカイブから見ることができる。

その溌剌とした姿とハートに響くサウンドを聴く度に思う。

すばらしいかな、ナショナル・バンド!

▲LP – The National Band of New Zealand(英Great Bands、GBS 1012)

▲GBS 1012 – A面レーベル

▲GBS 1012 – B面レーベル

▲LP – Colonel Bogey on Parade(ニュージーランドSalem、XPS 5043)

▲XPS 5043 – A面レーベル

▲XPS 5043 – B面レーベル

▲LP – Polished Brass(米Orion、ORS 80932)

▲ORS 80932 – A面レーベル

▲ORS 80932 – B面レーベル

▲「バンドジャーナル」1970年10月号(管楽研究会編、音楽之友社)

▲「バンドジャーナル」1970年11月号(管楽研究会編、音楽之友社)

■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第94話 エキスポ ’70と大失敗

▲LP – Brass & Percussion(米RCA Victor、LSC-2080、1958年)

▲ RCA Victor、LSC-2080 – A面レーベル

▲RCA Victor、LSC-2080 – B面レーベル

『(試聴会は)、去る2月17日、日本ビクター東京スタジオで行なわれた。当日はオーディオ愛好家および技術雑誌編集部員が集まった。まず高柳氏の説明につづいて、われわれ(は)、初めて、一本溝の立体レコードを聞いたわけである。この45/45立体レコードについては本文45ページを参照して頂きたい。なにしろまだレコードは1枚しかはいっていないので音質云々などといえないが、立体に聞こえたということは事実である。操作・装置の点で今後テープに変って大衆化することであろう。』(カッコ内を除き、原文ママ)

スマートフォンにイヤフォンやヘッドフォンを接続して左右に拡がる“ステレオ”サウンドを気軽に愉しんでいる今日の若い世代にはピンとこないかも知れないが、これは、1958年(昭和33年)2月17日(月)、東京・築地にあった日本ビクターのスタジオで行なわれた日本最初の“ステレオ“レコードの試聴会を取材した月刊誌「無線と実験」1958年4月号(誠文堂新光社)の記事「わが国最初の45/45立体レコード試聴会(日本ビクター)」からの引用だ。

当時、“ステレオ”は“立体”と呼ばれていた。対して、1個のスピーカーやイヤフォンで再生する従来の記録方式を“モノラル”と呼ぶ。

45/45方式は、何種類か実用化までこぎつけたステレオ・レコードの記録方式の1つで、汎用性の高さから、日本のステレオ・レコードでもこの45/45方式の規格が採用された。

文中の高柳氏は、戦前、ブラウン管による電送・受像を世界で始めて成功させ、“日本のテレビの父”と呼ばれた工学博士、高柳健次郎さん(1899~1990)のことだ。氏は、日本ビクターの技術最高顧問であり、副社長、社長も歴任した。

また、同誌の45頁には、不二音響社長の中村久次さんが執筆した「1本溝の新ステレオディスク方式 45/45立体レコード」というステレオ盤についての解説も掲載されていた。

記事が“1本溝”という表現にこだわっているのは、ステレオの“右チャンネル”と“左チャンネル”の音をそれぞれ独立した2本の溝にカッティングしたレコードがこれ以前にアメリカで発表されていたからだ。もっとも、再生操作が難しく実用性が乏しかったので、いつの間にか消えてしまったが…。

また、この試聴会以前にも、AMラジオ2台を左右に置いてステレオを愉しむNHKの“立体音楽堂”のようなラジオ番組《参照:第22話 ギャルド1961の伝説》や、オープン・リール方式の音楽テープを専用のステレオ・テープレコーダーで再生するなど、いくつかの“ステレオ”の愉しみ方は知られていた。

しかし、市販されたステレオ音楽テープ1本の価格が、当時の初任給とほぼ同じぐらいだったので、庶民にはまるで高嶺の花。ホールを使ったステレオ・テープの鑑賞会が人気を集めるぐらいだったので、誰でも気軽に“ステレオ”を愉しめるような、もう少し安価なレコード盤の登場が待たれていたのである。

そんな折も折、ステレオの2チャンネルの音を1本の溝にカッティングする技術が、アメリカでついに実用化された!

そのアメリカから持ち込まれたたった1枚のレコードを使って、ステレオ・レコードの音が日本ではじめて公開されたのが、この日の試聴会だった。

使われたレコードは、モートン・グールド・アンド・ヒズ・シンフォニック・バンド(Morton Gould and his Symphonic Band)演奏の『ブラス&パーカッション(Brass & Percussion)』(米RCA Victor、LSC-2080)という、米プレスの30センチ・ステレオ盤だった。作編曲家としても指揮者としても有名なモートン・グールド(1913~1996)が、ニューヨークの主要オーケストラ・プレイヤーを集めて編成されたシンフォニック・バンドを指揮したアルバムだった!

レパートリーは、ジョン・フィリップ・スーザの『星条旗よ永遠なれ(The Stars and Stripes Forever)』やエドウィン・フランコ・ゴールドマンの『木陰の散歩道(On the Mall)』、 エドウィン・E・バグリーの『国民の象徴(National Emblem)』など、アメリカ人なら誰もが知っているマーチが中心!

そう!

日本で初めて“ステレオ”レコードのデモンストレーションが行なわれたときに使われたのが、実は“吹奏楽”のマーチ・アルバムだったのだ!

オーケストラでもポップスでもなく!!

このデモンストレーションの派手な成功体験と他社に与えた衝撃は小さくなかった。

その後、レコード各社がマーチの録音に邁進したのは、《第93話 “楽しいバンド・コンサート”の復活》などでお話したとおりだ。

もちろん、“ステレオ”というオーディオの技術革新が、派手な演奏効果を求めて“吹奏楽のマーチ”の録音に走らせたという側面もあった。

しかし、オーディオ技術の進歩は、日進月歩だ!

“ステレオ”レコードの登場から、10年ちょっとが過ぎた頃、今度は“4チャンネル録音”方式という新しい技術が登場し、レコード各社をして再び吹奏楽に目を向かわせるきっかけとなった。

だが、今はなき“4チャンネル”方式のレコードを言葉で説明するのは意外と難しい。

簡単に言うなら、“ステレオ”ではリスナーの前方、左右に1個ずつのスピーカーを並べて立体的なサウンドを愉しむが、“4チャンネル”は、リスナーの後方にも、さらに2個のスピーカーを加えて、前後左右の計4つのスピーカーから流れるサウンドで愉しむ方式だった。今でいうなら、さしづめサラウンド方式のようなものだ。

ただ、当時の“4チャンネル”が直面した問題は、レコード各社の4チャンネル規格がてんでバラバラで互換性がなかったことだ。ビクターが“CD-4”方式、ソニーは“SQ”方式…という具合に。

このため、各社は、市場で自社の“4チャンネル”の優位性を担保するため、自前の4チャンネル音源を増やす必要に迫られた。

そのとき、デモンストレーションで効果があがる吹奏楽の華やかなマーチのサウンドに再びスポットが当たった。

ビクターは、まず、1963~1964年の間、A.B.A.(アメリカ・バンドマスターズ・アソシエーション)の会長をつとめ、1965年以降、1968年、1969年と度々来日していたアメリカのポール・ヨーダー(Paul Yoder、1908~1990)を指揮者に起用。

レコーディングは、4度目の来日となった1970年3~4月に、東京・渋谷に前年開設されたばかりの同社の新スタジオ(301スタジオ)で、ヨーダー自身の作編曲を中心に“4チャンネル”に備えたマルチ録音方式で行なわれた。演奏は、既存の吹奏楽団ではなく、この目的のために集められたスタジオ・ミュージシャンたちだった。

そして、その成果は、同年夏、まず2チャンネルの通常のステレオ盤が先行して登場。

「ゴールデン・ポピュラー・マーチ、ポール・ヨーダー(指揮)吹奏楽団」(ビクター・ワールド・グループ、SWG-7190)および「ゴールデン・マーチ/日本軍歌集、ポール・ヨーダー(指揮)吹奏楽団」(ビクター・ワールド・グループ、SWG-7197)という2枚のLPといくつかのシングル・カットがリリースされた。

だが、正直に言うなら、このとき、このレコード(2枚の内の前者)を買うか買わないかで相当迷った。スタジオ録音の吹奏楽レコードの音が“まるで歌謡曲のようで”どうしても好きになれなかったからだ。ホールのような空気感もまるで感じられないし…。

しかし、時は1970年。地元大阪では“日本万国博覧会”が華やかに開催されていた。

迷いに迷った挙句、広告に印刷されている『万国博マーチ』という、ただ1曲の曲名の誘惑に負けてレコード店に注文してしまった。ひょっとして、大阪では、いろいろなバンドが毎日のように演奏していた川崎 優作曲の同名のマーチ《参照:第89話 朝比奈隆氏を送る全関西音楽祭
が入っているんじゃないかと思って!

だが、レコードが店に届いて、持ち帰ってジャケットを開いたとき、その夢は無残にも打ち砕かれた。

ヤラレター!!

ジャケットにも『万国博マーチ』と日本語で印刷されていたその曲は、指揮者のヨーダーが、日本万国博に捧げるため、岩井直溥さんが編曲した『八木節』の要素を積極的に取り込んで作った曲だった。英語曲名は“EXPO ’70”。今日では『エキスポ ’70』という曲名で知られる曲だ。

ついでに言うなら、この曲にはマーチらしさはカケラもなかった。

その後、この曲は、万博に来日するアメリカのバンドが好んで演奏。世界中で演奏され、有名バンドによってレコーディングもされた。

しかし、21世紀の今でも鮮明に覚えている!

いくらなんでも、『万国博マーチ』はないんじゃないの!!

若かりし頃、先走った末の大失敗である!!

▲ビクター・ワールド・グループの広告(1970年)

▲LP – ゴールデン・ポピュラー・マーチ(ビクター・ワールド・グループ、SWG-7190、1970年)

▲シングル – 月月火水木金金 / ラバウル小唄(ビクター・ワールド・グループ、SJET-1197、1970年)

▲シングル – 軍艦マーチ / 君が代行進曲(ビクター音楽産業、VIP-1047)

■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第93話 “楽しいバンド・コンサート”の復活

▲EP – 世界マーチ集 / アメリカ・マーチ(1)(日本コロムビア、ASS-10008、1964年7月)

▲EP – 世界マーチ集 / ドイツ・オーストリア・マーチ(1)(日本コロムビア、ASS-10023、1964年7月)

▲EP – 世界マーチ集 / ドイツ・オーストリア・マーチ(2)(日本コロムビア、ASS-10024、1964年7月)

▲EP – 世界マーチ集 / 日本マーチ(2)(日本コロムビア、ASS-10034、1964年7月)

大阪・千里丘陵で“日本万国博覧会”が開催された1970年(昭和45年)は、わが国のありとあらゆる事象が大きく変貌を遂げる1つの節目になった年だったと多くの人に記憶される。

ウィンド・ミュージックを扱うレコード業界の動きも、この年を境に大きく変貌を遂げた。

国内で新たに録音される吹奏楽レコードがすべて“マーチ”か“軍歌”だった1960年代初頭以降、レコード業界に起こった出来事を簡単に振り返ると…。

【1960年(昭和35年)】アメリカ空軍ワシントンD.C.バンドが3度目の来日。日本ビクター、日本コロムビア、クラウン、朝日ソノラマの各社が録音を依頼。それらはすべて各国国歌とマーチだった。《参照:第63話 U.S.エア・フォースの再来日》

【1961年(昭和36年)】フランスのギャルド・レピュブリケーヌが初来日。東芝音楽工業が『軍艦行進曲』(瀬戸口藤吉)や『君が代行進曲』(吉本光蔵)など、日本のマーチ8曲の録音を依頼。その内、6曲が録音され、現場でギャルド側の希望で『アルルの女』から“ファランドール”(ビゼー)、『牧神の午後への前奏曲』(ドビュッシー)、『ディオニソスの祭り』(シュミット)の3曲も録音された。レコードは、翌年リリース。マーチは再版を繰り返したが、コンサート曲は完売後の再プレスはなく、1969年まで長期お蔵入りとなった。《参照:第23話 ギャルド、テイクワンの伝説》

【1962年(昭和37年)】在京オーケストラのプレイヤーによる“ギャルド・日本吹奏楽団”が結成され、マスプレスにマーチの録音を開始。福田一雄、服部 正、須磨洋朔が指揮をつとめた。

【1963年(昭和38年)】東京吹奏楽団の設立。コンサート活動のほか、山本正人の指揮で、レコード各社に数多くのマーチを録音した。東京オリンピックをめざして、レコード各社のマーチ録音熱に拍車がかかり、日本ビクターは、契約レーベルのフィリップスを通じてオランダ王国海軍バンドに『軍艦行進曲』(瀬戸口藤吉)や『君が代行進曲』(吉本光蔵)など、マーチの録音を依頼する。東芝音楽工業は、イギリス原盤のロイヤル・マリーンズ・バンドのマーチを定期的に発売するようになった。《参照:第16話 エリック・バンクス「世界のマーチ名作集」》

【1964年(昭和39年)】東京オリンピック開催。古関裕而の『オリンピック・マーチ』が大ヒットし、レコード各社から盛んに国内録音のマーチが発売された。東芝音楽工業は、フランス原盤のギャルドのマーチ・アルバム3枚をリリース。

とまあ、1960年代の前半は、間違いなく“吹奏楽 = マーチ”の時代だった。スタジオ録りの吹奏楽演奏の戦時歌謡や軍歌のレコードもかなり発売されている。

その後、東京オリンピックの余韻の中、マーチ・ブームも続いたが、60年後半に入ると、それまでのマーチ一辺倒とは、少し違う動きが見られるようになってきた。

【1967年(昭和42年)】日本コロンビアが、加藤正二指揮、東京ウインド・アンサンブルの演奏による《楽しいバンドコンサート》(EP3枚)を新録音でリリース。これは、マーチを一切含まず、アメリカのオリジナル曲やコンサート曲が入る新しい感覚の吹奏楽レコードで、クリフトン・ウィリアムズの『献呈序曲』やジョセフ・オリヴァドーティの『イシターの凱旋』、ハロルド・ウォルターズの『フーテナニー』など、今も演奏される曲が紹介された。東芝音楽工業は、バッハの『トッカータやフーガ』やリストの『ハンガリー狂詩曲第2番』などが入ったギャルド・レピュブリケーヌのアルバム「栄光のギャルド」をリリースし、大ヒットとなった。《参照:第18話 楽しいバンドコンサート第81話 栄光のギャルド》

【1968年(昭和43年)】日本ビクターが、海外契約レーベルのフィリップス(Philips)の豊富なソースを編集して、《世界のブラスバンド》(LP2枚組、全5巻)を月に1巻のペースでリリース。イーストマン・ウィンド・アンサンブルのマーチ以外の演奏が初めて国内に紹介されたほか、フィリップス専属のオランダ王国海軍バンドに、川崎 優の行進曲『希望』、大栗 裕の『吹奏楽のための小狂詩曲』、塚原哲夫の『吹奏楽のための幻想曲』、團 伊久磨の『祝典行進曲』の邦人オリジナル作品の録音が依頼された。日本コロムビアは、ビクターを追い、海外原盤から「コロムビア世界吹奏楽シリーズ」(10タイトル)を月に1枚のペースでリリースしたが、1タイトルを除き、すべてがマーチだったためか、大きな話題とはならなかった。《参照:第19話 世界のブラスバンド》

【1969年(昭和44年)】東芝音楽工業が、海上自衛隊東京音楽隊演奏の既録音のマーチと東京佼成吹奏楽団を起用して新録音したアメリカのオリジナルなどを組み合わせて“マーチ篇”“ポピュラー篇”“オリジナル篇”のLP3枚組にまとめた《世界吹奏楽全集》をリリース。3枚の内、ジム・アンディ・コーディルの『バンドのための民話』やシーザー・ジョヴァンニ―ニの『コラールとカプリチオ』、クリフトン・ウィリアムズの『シンフォ二アンズ』などが入った“オリジナル篇”は、その後、単独盤として独立し、リリースを繰り返すヒット盤となった。ビクターは、前年の「世界のブラスバンド」などから、オランダ王国海軍バンド演奏の日本人作曲家の作品を中心にしたデラックス版「日本の吹奏楽」をリリースして注目を集めた。また、東芝音工は、長期お蔵だったギャルドの『ディオニソスの祭り』ほかを再発した。《参照:第27話 世界吹奏楽全集第90話 デラックス版「日本の吹奏楽」》

東京佼成ウインドオーケストラの元ユーフォニアム奏者、三浦 徹さんにこの頃の話をうかがうと、氏の東京藝術大学在学当時にも、いろいろなスタジオによく“軍歌”の録音で呼ばれたと言われていたから、レコード会社の中身や考え方がすっかり変わったわけではなかった。

しかし、それでも、コロムビアの《楽しいバンドコンサート》やビクターの《世界のブラスバンド》《日本の吹奏楽》、東芝の《世界吹奏楽全集》という、1960年代後半にリリースされたレコードによって、一般の音楽ファンがまったく知らない曲(とくにアメリカのオリジナル曲)が入ったレコードが少しずつ売れ始めたのである。もちろん、吹奏楽というごく限られたフィールドの中ではあったが…。

一般音楽ファンが知らない曲は、当然レコード会社も知らない。

その一方で、ひょっとして売れるかも知れないので、できるだけリスクなく吹奏楽のレコードを作りたい。

そんな思惑がレコード業界に広がり始めていた1970年3月17日(火)、杉並公会堂で、 ある1枚のEPレコードのレコーディング・セッションが行なわれた。

演奏は、大橋幸夫指揮、国立音楽大学ブラスオルケスター(総勢53名)で、曲目は、以下の2曲だった。

・チェスター(ウィリアム・シューマン)
Chester(William Schuman)

音楽祭のプレリュード(アルフレッド・リード)
A Festival Prelude(Alfred Reed)

録音・制作する日本コロムビアと、『チェスター』の楽譜を2年前に出版した音楽之友社、『音楽祭のプレリュード』を4月中旬に出版予定の東亜音楽社がタイアップをした企画で、文部省教科調査官の花村 大さんが監修し、村方千之さんが解説を、大阪市音楽団長の辻井市太郎さんが推薦文を書くという、コロムビアらしい手堅い布陣が組まれていた。

コロムビアとしては、この新譜は、1967年以来の《楽しいバンド・コンサート》シリーズの続編的意味合いがあったが、あれもこれも入れたいという欲張った考えを捨て、時流を着実に捉えて録音曲をアメリカのオリジナルだけに絞り、A面、B面に各1曲を収録するというシンプルなアイデアが斬新で潔かった!

「バンドジャーナル」誌(音楽之友社)の1970年5月号に掲載された当時の東亜音楽社の広告が最高に面白い。


全日本吹奏楽
コンクール自由曲の決定は今しばらくお待ち下さい。

レコードを助言者として、
今年のコンクールではすばらしい演奏を!

音楽祭のプレリュード
A FESTIVAL PRELUDE
アルフレッド・リード作曲

4月中旬発行 ── いましばらく、お待ち下さい。
コロムビア・レコードから同時発売されます。


なんとか“自由曲”に使ってもらいたいという、コピーから伝わる“必死さ”が実にいい!!

そして、レコードは、予定どおり5月新譜(4月発売)に!!

ところが、ここで思いがけない展開がこのレコードを待ち受けていた。

なんと『音楽祭のプレリュード』が《1970年度全日本吹奏楽コンクール 高校・大学・一般・職場の部 課題曲》として発表されたのだ!

既存出版曲から課題曲2曲が選ばれた年だった!

この結果、このEPは、アッという間に店頭から姿を消し、コロムビアは慌てて追加プレスの準備をしなければならない羽目に!

どれぐらい売れるか予想がつかないレコードが売れてしまった瞬間だった。

筆者の知人にも、『レコードが買えない!』とこぼしていた人が何人もいた。

楽譜出版の現場もたいへんなことになっていただろう。すでにアメリカ版で演奏していたバンドがあったとは言え、最低限、全国のコンクール出場団体の新規購入希望に添わないといけなかったのだから…。

コロムビアは、この成功で味をしめたためか、その後も、両出版社とタイアップした2曲入りのEPレコードを毎年1枚のペースでリリース。それらは、やがてLPに発展し、デジタル化されてCDとしてもリリースされるロングセラーとなった。

そして、これは、ソニーや東芝など、他社の同種のアルバムの先駆けとなった。

多分に“棚からぼた餅”的だが、間違いなく1970年代初頭を飾った大事件だった!

▲東亜音楽社広告(「バンドジャーナル」1970年5月号、音楽之友社)

▲EP – 楽しいバンド・コンサート(日本コロムビア、EES-400、1970年5月)

▲EP – 楽しいバンド・コンサート〈2〉(日本コロムビア、EES-451、1971年3月)

▲EP – 楽しいバンド・コンサート〈3〉(日本コロムビア、EES-473、1972年4月)

▲EP – 楽しいバンド・コンサート〈4〉(日本コロムビア、EES-474、1973年4月)

▲EP – 楽しいバンド・コンサート〈5〉(日本コロムビア、EES-605、1974年3月)

■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第92話 かくて歴史は書き換わる!

▲CD – 英Specialist、SRC110(2007年)

▲SRC110、バックインレー

▲マイク・プアートン

2006年(平成18年)、筆者は、スペシャリスト(Specialist / SRC)というイギリスの新興レーべルがリリースを決めた、あるアルバムに夢中になっていた。

それは、《グスターヴ・ホルスト:ミリタリー・バンドのための全作品集 – オラフ王を称えて(Holst’s Complete Music for Military Band – The Parise of King Olaf)》(Specialist、SRC110、2007年)(2枚組)という、その時点において存在が確認されている、ホルストがウィンド・バンド(吹奏楽)のために書いた全作品を収録した世界初のアルバムだった。

プロデューサーは、マイク・プアートン(Mike Purton)。

マイクは、1973年、厳格で鳴る指揮者サー・ジョン・バルビローリ(Sir John Barbirolli)率いる“ハレ管弦楽団(Halle Orchestra)”に21才の若さで首席ホルン奏者として迎え入れられた逸材だ。彼は、1858年に創設され、マンチェスターに本拠を持つイギリスで最も歴史のあるこのオーケストラで演奏する傍ら、1978~1991年の間にロイヤル・ノーザン音楽カレッジのホルンの主任教授、1991~1997年の間はフィリップ・ジョーンズのもとでトリニティ音楽カレッジの管打楽器科長をつとめ、1987年からはべネンデン音楽学校の音楽監督も兼任するというすばらしいキャリアを持っていた。

レコード・プロデュースの夢もこの間に実現し、Virgin Classics、EMI, Naxos, ASV, BMGなどのクラシック・レーベルのためにCDをプロデュースした。

ミリタリー・バンドの録音に特化したスペシャリストの設立は、トリニティ時代にコールドストリーム・ガーズ・バンド(The Band of the Coldstream Guards)の音楽監督デヴィッド・マーシャル(Major David Marshall)と知己を得たことが契機になったという。

そのマイクとは、彼の名がイギリスのバンド誌に盛んに登場するようになった頃、1990年代の後半にやりとりが始まった。遠く離れた日本からのいきなりのコンタクトに、最初マイクは驚いた様子だったが、ロイヤル・エア・フォースやコールドストリーム・ガーズ、ブラック・ダイク・ミルズなどの日本公演に参画し、放送やCD制作にも関わっている筆者の立ち位置に逆に関心を持ってくれ、コールドストリーム・ガーズのマーシャルが共通の知人ということもあってかなり濃い情報のやりとりが始まった。

プロデュースの心得や録音現場でのアーティストとの対応、失われてしまったかも知れない楽譜へのアプローチの手法など、マイクから教えられたことも多い。

そのマイクがミリタリー・バンドのフィールドでプロデュースした最高傑作が、レイフ・アルネ・タンゲン・ペデルセン(Leif Arne Tangen Pedersen)指揮、ノルウェー王国海軍バンド(Kongelige Norske Marines Musikkorps)を起用したCD「オラフ王を称えて」だった。

演奏者のノルウェー海軍バンドは、少人数ながら比類なきスキルと音楽性をもつバンドとして知られる。彼らについては、2009年の拙稿《ヴァイキングの末裔、ノルウェー王国海軍バンド…定員は29名!! 世界最高峰のウィンド・アンサンブルを聴く愉しみ!!》でお話したとおりだ。

そして、2006年2月13~17日、ノルウェーのテンスベルィ審判教会で収録されたこのアルバムには、以下の曲が収録された。

・3つの民謡
Three Folk Tunes

・ミリタリー・バンドのための組曲第1番 変ホ長調 作品28-1
First Suite in E flat for Military Band, Op.28 No.1

・「ハマースミス」 – プレリュードとスケルツォ 作品52
Hammersmith – Prelude & Scherzo Op.52

・ミリタリー・バンドのための組曲第2番 へ長調 作品28-2
Second Suite in F for Military Band, Op.28 No.2

・ジーグ風フーガ(ヨハン・セバスティアン・バッハ/ホルスト編)
Fugue A La Gigue (Johan Sebastian Bach, arr. Holst)

・ムーアサイド組曲(作曲者自身によるミリタリー・バンド用バージョン – 未完)
A Moorside Suite – Unfinished transcription for Military Band

・オラフ王を称えて
The Praise of King Olaf – For Choir and Military Band

・マーチング・ソング(「2つの無言歌」から)
Marching Song

・ムーアサイド組曲(ゴードン・ジェイコブ編)
A Moorside Suite (arr. Gordon Jacob)

・祖国よ、我は汝に誓う(レイフ・ヴォーン=ウィリアムズ編)
I Vow To Thee My Country (arr. Ralph Vaughan Williams)

・組曲『惑星』より”火星” (ジョージ・スミス編)
Mars from ‘The Planets’(arr. George Smith)

・組曲『惑星』より”木星” (ジョージ・スミス編)
Jupiter from ‘The Planets’(arr. George Smith)

プロデューサーのマイクからは、制作過程から意見を求められることも多く、そんなことを繰り返す内、自然な成り行きで、こちらの音楽的関心にもスイッチが入ってしまった!

その結果として、CDがリリースされた2007年、《樋口幸弘の「マイ・フェイヴァリッツ!!」オラフ王を称えて – グスターヴ・ホルスト:ミリタリー・バンドのための全作品集》全10篇を“吹奏楽マガジン バンドパワー”に寄稿。それが一段落した後、2008年と2009年の両年に“外伝”の形をとり、周辺事情に言及した5篇を新たに書き加えた。

この計15篇は、マイクがプロデュースしたCDだけでなく、ホルストの娘イモージェン(Imogen Holst)やアメリカのイーストマン・ウィンド・アンサンブル(Eastman Wind Ensemble)の創始者で指揮者のフレデリック・フェネル(Frederick Fennell)の著作、他のホルスト研究者の最新研究などを読み返し、いま日本にいてホルストのバンド作品に始めて接するとしたら、予備知識としてこれくらいは最低限知っておいた方がより作品についての理解が進みやすくなるだろうという事柄だけをピックアップしたもので、当時としては“ホルスト入門ガイド”程度にはまとめることができたのではないかと自負している。

フェネルの口から直接確認できた話も多かった。

ところが、寄稿から何年か過ぎたあるとき、筆者は、イギリスの中古レコード店から、およそ信じられないものを掘り当ててしまった。

それは、ジョージ・ミラー(Lt. George Miller、1877~1960)指揮、グレナディア・ガーズ・バンド(The Regimental Band of H.M. Grenadier Guards)が演奏した1枚のSPレコードだった。

A面が、「FIRST SUITE IN E FLAT – Part 1. – CHACONNE(Gustav Holst)」

B面が、「FIRST SUITE IN E FLAT – Part 2. – INTERMEZZO(Gustav Holst)」

(Speed 80.)と表示されているので、ターンテーブルの回転数が一般的なSPレコードの78回転ではなく、それより少し速い80回転のレコードだ。

そんなことはどうでもいい!

世界中に流布されている多くの書物やレコード会社Mercuryの広告、音楽メディア、あるいはフェネル自身の言質によって“世界初録音”とされているフェネル指揮のイーストマン・ウィンド・アンサンブルのLPレコード(米Mercury、MG 40015、モノラル録音、アルバム・タイトル:British Band Classic)より相当早い時期にリリースされたホルストの「組曲第1番」のレコード(英Columbia、3260、10インチ盤)を偶然掘り当ててしまったのだ。

しかし、見つけたのは、第1楽章の“シャコンヌ”と第2楽章の“インテルメッツォ”が表裏に入ったレコード1枚だけだった。当然、第3楽章の“マーチ”がどうなっているかが気になった。

そこで、SPレコードに詳しい知人に電話で問い合わせると、『とんでもないものを見つけたね。それは、ホルストの「組曲第1番」を2枚のレコードに分けて入れたもので、こちらのカタログでは、第3楽章が入った盤のレコード番号は、Columbia、3261となっている。3260と3261の2枚一組で売っていたものだよ。』と教えてくれた。

その後、郵送されてきたSP盤専門店のカタログのコピーを見ると、それには“アコースティック録音”だと書かれていた。

“アコースティック録音”とは、簡単に言うなら、ラッパのベルのような集音機に向かって全員で演奏して原盤をカッティングする方式の録音だ。当世はやりの“編集”などあり得ない、文字どおりの“一発勝負”の世界だ。“吹き込み”という日本語も、ここから生まれた。

調べると、英Columbiaが“アコースティック録音”をやめて、今日と同じくマイクを使う“電気録音”方式に移行したのは、1925年秋以降のことだった。

一方、ミラーがグレナディア・ガーズのバンドマスターに就任したのは、1921年だった。すると、この「組曲第1番」の“吹き込み”は、1921~1925年の間に行なわれたと特定できる!!

レーベルに印刷されているミラーの階級が、バンドマスターに就任した時の“中尉(Lt.)”であることも、この録音時期と見事に符合する!(1942年まで在職したミラーの最終階級は“中佐(Lieutenant Colonel)”だった。中尉→ 大尉→ 少佐→中佐と昇進した訳だ。)

いずれにせよ、1955年のフェネルの録音より、30年以上も前に、ロンドンで「組曲第1番」の全曲の録音が行なわれていたことは、これで動かぬ事実となった。

その後、筆者は、幸いにも、ジョージ・H・ウィルコックス(Captain George H. Willcocks、1899~1962)指揮、アイリッシュ・ガーズ・バンド(The Band of the Irish Guards)が演奏したホルストの「組曲第2番」第1楽章から第3楽章までが入ったSP盤(英Boosey & Hawkes、MT.2010、12インチ盤)も入手することができた。ウィルコックスがアイリッシュ・ガーズの音楽監督をつとめた時期は、1938~1948年だったことと、録音時の階級が“大尉(Captain)”(最終階級は“少佐(Major)”。大尉→少佐と昇進。)だったので、これもフェネルの録音時期よりかなり以前のものであることが明らかとなった。

とは言うものの、1955年録音のフェネルのLPレコードの音楽的価値が完全に色褪せたものになってしまうことは決してない。

ただ、今後、フェネルの録音について何らかのノートで触れられる人もいるかも知れない。

その際は、ぜひ、“LPレコードしては世界初録音”とされるか、あるいは“LPレコードしては”と注釈を入れられればと願う。

名曲ながら、本当の初演日すら特定されていないホルストの「組曲第1番」と「組曲第2番」。

今後も、さらに新たな事実が解き明かされる可能性がある!

マイクがプロデュースしたCD「オラフ王を称えて」は、圧倒的な評価を得ながらも、スペシャリスト(SRC)の解散で再プレスの可能性を閉ざされてしまった。

しかし、このアルバムによって、詳らかにされたこともとても多い!!

彼には、大きなブラボーを贈りたい!!

かくて歴史は書き換わる!!

▲SP – 英Columbia、3260(A面レーベル)

▲SP – 英Columbia、3260(B面レーベル)

▲SP – 英Boosey & Hawkes、MT.2010(A面レーベル)

▲SP – 英Boosey & Hawkes、MT.2010(B面レーベル)

▲▼「グレナディア・ガーズ、オーストラリア-ニュージーランド演奏旅行プログラム」から(1934-1935年)

■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第91話 U.S.マリン・バンドの残像

▲「第50回日本吹奏楽指導者クリニック」プログラム

▲「アメリカ海兵隊バンドによるスーザマーチの演奏法」プログラム

2019年(令和元年)5月、《アメリカ合衆国政府派遣音楽使節》として“大統領直属”アメリカ海兵隊バンド(“The President’s Own” United States Maine Band)が初来日した。

そのステータスや活動については、《第85話 U.S.マリン・バンドがやってきた!》や《第86話 U.S.マリン・バンド200周年》でお話したとおりだが、さすがは“1798年以来アメリカの音楽を演奏している(Playing America’s Music Since 1798)”とコピーで謳うバンドだ。

横浜、金沢、浜松、岩国の各地で行なわれたコンサートは、いずこもたいへん大きな反響を呼び、多くの音楽ファンにすばらしい音楽的感動と印象を残していった。

映像もいろいろと残されている。

テレビでは、7月16日(火)午前5時00分から5時55分まで、NHKのBSプレミアム《クラシック倶楽部》「アメリカ海兵隊バンド 日本公演」という番組名でオン・エア。5月16日に本多の森ホール(石川県金沢市)で収録された「かなざわ国際音楽祭2019 Vol.1 アメリカ海兵隊軍楽隊コンサート」から、以下の10曲が放送された。

・アメリカ合衆国国歌“星条旗”
(National Anthem“The Star Spangled Banner”)

・日本国歌“君が代”
(Kimigayo)

・ジョン・フィリップ・スーザ:行進曲“海を越える握手”
(John Philip Sousa:March“Hands Across the Sea”)

・ロバート・E・ジェイガー:エスプリ・ドゥ・コーア
(Robert E. Jager:Esprit de Corps)

・ケヴィン・ヴァルツィック:イロァ・イロァ
(Kevin Walczyk:Eloi, Eloi)

・スティーヴン・ブラ編:ルイ・アームストロングへのトリビュート
(Arr. Stephen Bulla:“Louis Armstrong” Tribute)
(トランペット:ダニエル・オーバン Daniel Oban)

・マイケル・ギルバートソン:「ユーソニアン・ドゥエリングズ」から
“第2楽章:タリアセン・ウエスト”“第3楽章:落水荘”

(Michael Gilbertson:Usonian Dwellings – “2nd Mov.:Taliesin West”&“3rd Mov.:Fallingwater”)

・ルイージ・アルディーティ、D・パターソン編:くちづけ
(Luigi Arditi、trans. D. Paterson:Il Bacio)
(メゾソプラノ:サラ・シェフィールド Sara Sheffield)

・レナード・バーンスタイン、ジェイソン・フェティッグ編:ミュージカル「ウエスト・サイド・ストーリー」から“サムホエア”
(Leonard Bernstein, arr. Jason Fettig:Somewhere, from “West Side Story”)
(メゾソプラノ:サラ・シェフィールド Sara Sheffield)

・ジョン・フィリップ・スーザ:行進曲「星条旗よ永遠なれ」
(John Philip Sousa:March“The Stars and Stripes Forever”)

横浜(5/15)と浜松(5/17、5/18)では、来場者限定頒布という触れ込みで、DVDやCDのための録画収録や録音が行なわれた。

もちろん、早速、購入の手続きをとる!!

(私事ながら、筆者の手元にあるレコードやCD、DVDの類いは、演奏家や作曲家などから特にプレゼントされたものを除き、99.99%、自費で購入したものだ。コピーやサンプルを求めたりする行為など、まったくもって論外と考えているからだ!)

一方、チケットが完売となった岩国(5/19)では、AFN Iwakuni(米軍放送網 American Forces Network 岩国局)がテレビ・クルーを入れ、コンサートの一部とディレクターのジェイソン・K・フェティッグ大佐(Colonel Jason K. Fettig, Director)へのインタビューをまとめた「U.S. Marine Band makes history in Japan(アメリカ海兵隊バンドは、日本でヒストリーを作る)」という公式動画をYouTubeにアップロードした。

これで、2019年の“大統領直属”アメリカ海兵隊バンド初来日は、すべてのホールでの演奏が、何らかのかたちで映像で収録されたことになる。

まさに映像文化花開く21世紀ならではの話!!歴史的な事件だった。

しかし、その後、ホンモノの事件が勃発する!

突然、アメリカ海兵隊バンドと陸上自衛隊中央音楽隊がジョイント・コンサートを行なった横浜のDVDが販売中止になったのだ!

『この度、ご購入いただきました2019年5月15日開催 横浜開港祭 ザブラスクルーズ特別公演「誠」の商品が販売中止となってしまいましたこと、深くお詫び申し上げます。販売中止の理由としましては、主催者側(横浜開港祭 ザブラスクルーズ実行委員会)と防衛省との間での DVD販売に話し合いに食い違いが生じたため、販売を中止せざるを得ない状況になってしまったとのことです。弊社といたしましても、主催者より収録・販売の依頼をされた状況のため、話し合いの詳しい内容については存じ上げておりません。….(後略)….。』(原文ママ)

販売元のプラーム横浜から封書で送られてきた【横浜開港祭特別公演「誠」販売中止のお詫びとお願い】には、そう書かれていた。

(これは事件だ!!)

6月6日、早速、プラーム横浜に電話で事情を問い合わせる。

きっと急な対応で追われているのだろう。電話口の応対に出た担当者は、『かなりのお客さまの御注文がありまして…。』と、控えめのトーンで質問に答えてくれた。その丁寧な応対ぶりから、逆に真相については何も知らされていないことをうかがい知ることができた。

(何があったかは知らないが、これは“上”の問題だな!)

同時に、プラーム横浜は、将来にわたり、販売の機会は二度と訪れないとも断言した。

たいへん残念ながら、同じ日に同じステージで同じマイクとカメラが捉えた日米両バンドのキャラクターの違いを音楽的に比較したり、考察できるチャンスは、こうして永遠に失われてしまった。日米友好のためにコンサートを行なった両バンドにとっても、さぞかし残念なことだったろう。

本当になんともならなかったのだろうか!

日本ならではの事情があったのだろうか!

いろいな想いが駆けめぐるが、残念ながら真相はよくわからなかった。

しかしながら、その後届いた浜松の第50回日本吹奏楽指導者クリニックの会場で収録された2本のDVD-R(「50周年記念スペシャルコンサート」「アメリカ海兵隊バンドによるスーザマーチの演奏法」)と、ほぼ同じ頃に購入したDVD「MASTERPIECES FOR SYMPHONIC BAND PROGRAMS 1-3」(Naxos、2.110589、リリース:2018年)は、やや沈んでいた筆者のハートにパッと明かりを灯し、一気に高揚した気分にさせてくれた。

すべて手元に置くべきアーカイブだが、中でも印象深かったのは、フェティッグ大佐が講師となったナマ演奏つきの「アメリカ海兵隊バンドによるスーザマーチの演奏法」だ!

アメリカのナショナル・マーチ『星条旗よ永遠なれ(The Stars and Stripes Forever)』で始まったこのレクチャーは、『ライフル連隊(Rhe Rifle Regiment)』、『忠誠(Semper Fidelis)』、『ワシントン・ポスト(The Washington Post)』、『マンハッタン・ビーチ(Manhattan Beach)』、『エル・カピタン(El Capitan)』、『外交官(The Diplomat)』、『弾丸と銃剣(Bullets and Bayonets)』という、おなじみのマーチの部分や全体を使ったとてもわかりやすいもの。

マーチ・ファンでなくても愉しめる進行で、最後に、アメリカン・バンドマスターズ・アソシエーション(A.B.A.)の名誉会員である秋山紀夫さんを客演指揮に迎えて、『サウンド・オフ(Sound Off)』でしめるあたり、演出も心憎かった!

蛇足ながら、フェティッグ大佐の英語もとてもわかりやすい。

とにかく、このバンドの第17代リーダーだったスーザがのこした音楽的遺産がとてつもなく大きいものだったこと、そして、間違いなくそれが21世紀の今に伝えられていることを再認識させるレクチャーだった。

他に追従を許さない固有のレパートリーをもつバンドは強い!

そして、さすがは、220年を超える歴史!!

初来日したアメリカ海兵隊バンド、それは、間違いなく世界第一級の楽団だった!

▲横浜開港祭 来場記念限定頒布お申込みのご案内

▲ CD-R – 2019 JAPAN BAND CLINIC 50周年記念スペシャルコンサート(CAFUA、CACJ-1901、2019年)

▲ DVD-R – 第50回日本吹奏楽指導者クリニック 23 アメリカ海兵隊バンドによるスーザマーチの演奏法(日本パルス、2019年)

▲DVD-R – 第50回日本吹奏楽指導者クリニック 30 50周年記念スペシャルコンサート(日本パルス、2019年)

▲DVD – MASTERPIECES FOR SYMPHONIC BAND PROGRAMS 1-3(Naxos、2.110589、2018年)

■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言第90話 デラックス版「日本の吹奏楽」

▲LP – デラックス版「日本の吹奏楽」(日本ビクター(Philips)、SFX-7146、1969年)

▲SFX-7146、ジャケット裏

▲SFX-7146、A面レーベル

▲SFX-7146、B面レーベル

▲楽譜 – 行進曲「希望」(川崎 優)(音楽の友社、OTB029、1963年)

1969年(昭和44年)、日本ビクターは、3月新譜で“デラックス版「日本の吹奏楽」”(Philips、SFX-7146)というたいへん特徴的なアルバム(LPレコード、ステレオ、30cm盤)をリリースした。

ジャケットが見開きである以外、何が“デラックス版”なのか今もってよくわからないが、“昭和”の香り漂うタイトルがつけられたそのアルバムが、当時、吹奏楽ファンのハートを惹きつけたのは、以下に列挙した収録曲中、2曲を除くすべてが日本人作曲家の作品で占められていたためだった。

《A面》

  1. オリンピック東京大会ファンファーレ
    (今井光也)
  2. オリンピック・マーチ
    (古関裕而)
  3. 君が代行進曲
    (吉本光蔵)
  4. 軍艦行進曲
    (瀬戸口藤吉)
  5. 扶桑歌
    (シャルル・ルルー)
  6. 行進曲「蛍の光」
    (伝承曲 / H・C・ヴァンレインスホーテン編)
  7. 君が代
    (林 広守)

《B面》

  1. 行進曲「希望」 
    (川崎 優)
  2. 吹奏楽のための小狂詩曲
    (大栗 裕)
  3. 吹奏楽のための幻想曲
    (塚原哲男)
  4. 祝典行進曲
    (團 伊玖磨)

吹奏楽の世界で“邦人作曲家”という言葉が自然に使われるようになる相当以前の話だ。これはとても新鮮に映った。

演奏はすべて、当時オランダのレコード会社フィリップス(Philips)の専属で、日本ビクターからも“ロイヤル・ネヴィー・バンド”もしくは“ロイヤル・ネイヴィー・バンド”のアーティスト名でかなりの数の日本プレスがリリースされていたオランダ王国海軍バンド(De marinierskapel der Koninklijke marine)!!

A面のトラック6を除き、すべてビクターのリクエストで録音された曲だった。

録音時期は、A面のトラック3~5および7が1963年、トラック1~2が1964年、B面が1968年とされる。

指揮は、1963年の録音をH・C・ヴァンレインスホーテン(Hendrikus Cornelis van Lijnschooten、1928~2006)が、1964年と1968年の録音を、1964年にヴァンレインスホーテンの後を継いだばかりのJ・P・ラロ(Johannes Petrus Laro、1927~1992)が担った。

(余断ながら、オランダ人、とくに演奏家は、ファースト・ネームにショート・ネームを使う人が多い。2人とも“海軍”というオフィシャルな立場にありながら、前者は“ヘンク(Henk)・ヴァンレインスホーテン”、後者は“ヨープ(Joop)・P・ラロ”という名をしばしば使った。その名が印刷された文献も結構ある。結局、事情はつかめなかったが、後者には“ジャン(Jean)・ピエール(Pierre)・ラロ”というフランス風のニックネームもあった。)

さて、このデラックス版「日本の吹奏楽」の曲目を21世紀の現時点からあらためて見返してみると、B面に収録された当時の日本の最新オリジナルが日本からの注文で海外の著名バンドによって録音されていたという事実が、際立ってすごいことのように映る。

なにしろ、当時は“吹奏楽といえばマーチ”の時代!

B面の4曲は、もともと《第19話:世界のブラスバンド》でお話した2枚組LP「世界のブラスバンド<第4巻>オリジナル・ブラス編」(日本ビクター(Philips)、SFL-9066~67、1968年12月25日発売)の目玉として、ビクターがオランダ・フィリップスを通じて海軍バンドにリクエストしたものだった。

企画の中心人物は、のちにカメラータを立ち上げる井阪 紘さん。録音曲の選曲は、同シリーズの<第3巻>と<第4巻>のプログラム・ノートを書かれた大石 清さんが行い、8月に楽譜を送付し、12月発売に間に合わせるというスケジュールが組まれた。

やがて、オランダから送られてきたテープを聴いた関係者は、その完成度に狂喜した!

そして、まるでホールでコンサートを聴いているような自然なプレゼンスで愉しめるこの新録音は、多くの評者やメディアからも絶賛された!!

とはいうものの、当時の大卒初任給が3万円ちょっとで、袋入りのインスタント・ラーメンが30円、大阪では、50円もあれば、おいしい“きつねうどん”に出来立ての“おにぎり”をつけて喰えた時代だ。調べると、東京の新橋から大阪までの国鉄運賃がなんと1,730円だったときだから、売れ始めてはいたものの、「世界のブラスバンド」シリーズ各巻の定価が3,000円(全巻買い揃えると15,000円なり!)というのは、個人には簡単に手を出しづらく、高嶺の花には違いなかった。

そこで、ビクターは、オランダ海軍バンドだけのLPアルバムも企画した。それが、すでに同社のドル箱として大ベストセラーとなっていた『軍艦行進曲』『君が代行進曲』『オリンピック東京大会ファンファーレ』『オリンピック・マーチ』と組み合わせたデラックス版「日本の吹奏楽」だった。定価も、抑え気味の1,950円!

オランダ海軍バンドが演奏したマーチが国内でかなりヒットしていたからとることができた両面作戦だった。

デラックス版「日本の吹奏楽」に収録されたマーチの内、1964年10月の東京オリンピックに向けて録音された『オリンピック東京大会ファンファーレ』と『オリンピック・マーチ』には、ちょっとした面白い話が残っている。

実は、セッション時、『オリンピック東京大会ファンファーレ』は、冒頭に“ドラム・ロールを入れた演奏”と“ドラム・ロールのない演奏”、『オリンピック・マーチ』は、“テンポ112の演奏”と“テンポ120の演奏”の、それぞれ2つのバージョンが録音された。

テープが送られてきたこれら4つのバージョンは、早速、EP「東京オリンピック / オリンピック・マーチ」(日本ビクター(Philips)、SFL-3052、1964年)にすべて収録された。《第16話:エリック・バンクス「世界のマーチ名作集」》でもとりあげたEPアルバムだ。

しかし、ビクターは、シングル・カットやその後のコンピレーション・アルバムでは、一貫してドラム・ロールのない『オリンピック東京大会ファンファーレ』とテンポ112の『オリンピック・マーチ』を採用した。デラックス版「日本の吹奏楽」でも同様の扱いとなっている。

個人的には、ファンファーレはそれでもいいが、マーチの方は、リピート等が楽譜どおりに演奏されているテンポ120の演奏がノリもよく優れていると思う。

ただ、リピート等がカットされている“テンポ112”の演奏時間は、3分55秒。楽譜に忠実な“テンポ120”の演奏時間は、5分18秒。

著作権管理団体の基準では、5分ごとに1曲とカウントされるので、5分以内の“テンポ112”の演奏だと著作権使用料は1曲分。“テンポ120”の演奏だと2曲分の使用料を支払う。

まさか、そんな理由で、CD化に至った今日でも“テンポ112”が採用され続けているのだとしたら、それは、あまりにもセコい!!

武士の情けだ!もちろん、そんなことはゼッタイなかったと信じているが,,,。

ともかく、筆者の知る限り、“テンポ120”の演奏がレコード化されたのは、EP「東京オリンピック / オリンピック・マーチ」だけだった。

余談ながら、両曲は、オランダでもシングル・カット(蘭Philips、327 766 JF、1964年)され、同盤には、ドラム・ロール入りの『オリンピック東京大会ファンファーレ』とテンポ112の『オリンピック・マーチ』が収録された。

1964年(昭和39年)10月10日(土)のオリンピック開会式で撮影された、旧国立競技場の聖火台へと駆け上がる最終聖火ランナー、坂井義則さんの姿をあしらったオランダ盤のジャケットは、とても誇らしげだ!!

▲EP – 東京オリンピック / オリンピック・マーチ」(日本ビクター(Philips)、SFL-3052、1964年)

▲SFL-3052、ジャケット裏

▲SFL-3052、A面レーベル

▲SFL-3052、B面レーベル

▲シングル – オリンピック・マーチ(日本ビクター(Philips)、FL-1137、1964年)

▲FL-1137、A面レーベル

▲FL-1137、B面レーベル

▲シングル – OLYMPISCHE SPELEL 1964-TOKYO(蘭Philips、327 766 JF、1964年)

▲327 766 JF、A面レーベル

▲327 766 JF、B面レーベル

■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第89話 朝比奈隆氏を送る全関西音楽祭

▲「月刊吹奏楽研究」1956年6・7月合併号(通巻32号)(月刊吹奏楽研究社)

▲「朝比奈隆氏を送る全関西音楽祭」の一コマ(関西音楽史のなかの大阪音楽大学より)

『全関西吹奏楽連盟理事長関西交響楽団常任指揮者朝比奈隆氏はベルリン・フイルハーモニーの招きで六月上旬渡独されることになったが、これを機会にその歓送のための全関西音楽祭が五月六日午後一時から大阪難波の大阪府立体育館で、全関西吹奏楽連盟、朝日放送、朝日新聞社の主催により盛大に催された。』(原文ママ / 朝日新聞社は、実際は“後援”として参画)

引用は、1956年(昭和31年)、国内唯一の吹奏楽専門誌「月刊吹奏楽研究」(月刊吹奏楽研究社、東京)の1956年6・7月合併号(通巻32号)の7ページに掲載された、同年5月6日(日)、大阪市内の大阪府立体育館で開催された「朝比奈隆氏を送る全関西音楽祭」の模様を伝えるリポート記事の書き出し部分である。

記事のタイトルは、「朝比奈隆氏をおくる =全関西音楽祭=」。

当時、朝比奈さんは、関西交響楽団(のちの大阪フィルハーモニー交響楽団)常任指揮者として関西の交響楽運動の先頭にたつ一方、アマチュア音楽の世界とも深く関わりあい、全関西吹奏楽連盟の理事長職だけでなく、1954年(昭和29年)11月14日に結成されたばかりの全日本吹奏楽連盟副理事長の要職にもあった。それは、《第74話:「月刊吹奏楽研究」と三戸知章》でお話したとおりだ。

大阪の事情からは遠い東京の音楽メディアからは、それら役職は一種の名誉職のように映っていたかも知れない。あるいは、クラシックの論壇が吹奏楽に触れることに対して“沽券に関わる”と思い込んでいたフシもある。これ以前も、その後も、東京発のメディアで、朝比奈さんが吹奏楽の世界と関わっていたことについて積極的に言及したものはほとんど存在しない。

しかし、朝比奈さんと吹奏楽のつながりは、そういった音楽メディアや論者からは意外に思われるほど密度が濃いものだった。

それは、《第88話:「大阪俗謡による幻想曲」ベルリンへ》で取りあげた「朝比奈 隆 音楽談義」(朝比奈 隆、小石忠男共著、芸術現代社、1978年)の巻頭献辞を、京都大学時代に同窓だった作家の井上 靖さん(1907~1991)と並んで、元全日本吹奏楽連盟理事長で音楽評論家の堀内敬三さん(1897~1983)という距離の近い友人に委ねていることからも窺える。

文部省唱歌『冬の星座』やドヴォルザーク『新世界交響曲』第2楽章の旋律につけた『家路 – 遠き山に日は落ちて』の作詞者としても知られる堀内さんは、NHKラジオ(第一放送)の自番組「音楽の泉」で吹奏楽の特集を組むほど、吹奏楽にも造詣が深く、1954年11月の全日本吹奏楽連盟発足とともに初代理事長に就任された。《第33話:ゴールドマン・バンドが遺したもの》でお話したように、日本でもよく演奏されるエドウィン・フランコ・ゴールドマン(Edwin Franko Goldman)作のアメリカのマーチ『On the Mall』に、『木陰の散歩道』という邦題をつけたのも、堀内さんだったとされる。

朝比奈さんの前記著作に寄せた堀内さんの献辞には、以下のようなくだりがある。

『…(前略)…。アマチュアの吹奏楽に対する貢献は、氏の音楽全般にわたる愛情の現われだろう。私が全日本吹奏楽連盟の理事長をしていた間、氏は副理事長を、そして私が退いた後は理事長を引き受けてくれた。私にとって連盟の会議や会合が楽しかったのは、普段は大阪に住んでいる朝比奈氏と、語り合える楽しみでもあった。朝比奈氏と一緒に、ある時期を同じ仕事に携わったことを、私は大変幸せに思っている。…(後略),,,。』(原文ママ)

西宮市立今津中学校や阪急百貨店吹奏楽団など、当時、全国的にその名を知られた関西のいくつかの吹奏楽団が、実際に朝比奈さんの指導を受けていた。吹奏楽コンクールの審査員もつとめ、関西吹奏楽の名物行事として今日に受け継がれる“3000人の吹奏楽”や“ブラス・エキスポ”でも、幾度となく合同演奏のタクトをとった。

《第77話:阪急少年音楽隊の記憶》でお話した、阪急百貨店吹奏楽団常任指揮者の鈴木竹男さん(1923~2005)が、1964年に朝比奈さんから『楽団は任せたよ。』と言われた、その言葉を受けて、いろいろな機会を捉えて『免許皆伝や!』と話されていたのは、関西では有名な話だ。

また、その鈴木さんから今津中を引き継いだ伝説的な吹奏楽指導者、得津武史さん(1917~1982)が口癖のように言われていた『ええか、血沸き肉踊るような演奏せな、あかんゾ!』というのも、あるいは、朝比奈直伝だったかも知れない。

話をもとに戻そう。

1956年、その朝比奈さんがベルリン・フィルの招きで客演指揮にドイツに出かけることになった。そのとき、全関西吹奏楽連盟が中心となって開催されたコンサートが、「朝比奈隆氏を送る全関西音楽祭」だった。

現時点からみても面白いのは、このとき、プロ、アマを問わず、関西の音楽界が総力を挙げてこのコンサートに望んでいることだ。

「月刊吹奏楽研究」の前記記事には、以下のように、この日の演奏団体名やプログラム(作曲者名等、一部補足)が載っている。

1. 全関西吹奏楽連盟中学校の部合同演奏
(京都府、大阪府、兵庫県下中学校 80名)
指揮:山下清孟、永田逸栄、鈴木竹男

行進曲「歓喜」(チュリーヌ、三戸知章編)
序曲「印度の女王」(キング、三戸知章編)
行進曲「偉大」(三戸知章編)

2. 全関西吹奏楽連盟高等学校の部合同演奏
(奈良県、大阪府、兵庫県下高等学校 110名)
指揮:平石享二

序曲「アンフィオン」(E・シュミット、三戸知章監修)
円舞曲「皇帝」(シュトラウス)

3. 全関西アマチュア交響楽団
(130名)
指揮:宮本政雄

交響曲「新世界」終楽章(ドヴォルザーク)

4. 大阪府音楽団、大阪市音楽団合同演奏
(60名)
指揮:辻井市太郎

組曲「イタリヤの印象」(シャルパンティエ)

5.大阪府、京都府警察音楽隊合同演奏
(80名)
指揮:山口 貞、藤本雄一

幻想曲「カリビアン・ファンタジー」(モリセイ)
序曲「詩人と農夫」(ズッペ)

6. 関西交響楽団
指揮:朝比奈 隆

行進曲「ラコッツイ」(ベルリオーズ)
円舞曲「碧きドナウ」(シュトラウス)

7. 関西交響楽団、関西歌劇団合唱部、アサヒコーラス
指揮:宮本政雄

交声曲「朝比奈隆をおくる歌」(永井幸次郎

記事には、5000人の聴衆が詰めかけたこの演奏会のラストは、「蛍の光」の大合唱で締め括られ、終演は午後5時だったとある。

「朝比奈隆氏を送る全関西音楽祭」は、“みんなで一緒に盛り上がることが大好きな”関西らしい、市民を巻き込んだ大イベントだった。

そして、この後も、関西では、事あるたびに、プロ、アマの垣根やジャンルの壁を超えた記念演奏会やイベントが行なわれてきた。

最大の成功例としては、1970年(昭和45年)3月15日から9月13日まで、大阪府吹田市の千里丘陵で繰り広げられた“日本万国博覧会”をまっ先に挙げることができる。

このときも、関西の音楽界の総力を挙げたプログラム作りが行なわれ、市内フェスティバルホールで行なわれるコンサートへの海外有名アーティストの招聘だけでなく、参加各国のナショナルデーなどへの海外の有名吹奏楽団の積極的な招致も行なわれた。

朝比奈さんが、全日本吹奏楽連盟理事長をつとめたのは、博覧会の準備期間とほぼ重なる1965年から1969年。

開会式の参加各国の入場シーンで、大阪市音楽団、大阪府音楽団、阪急少年音楽隊、西宮市立今津中学校など、プロ・アマ合同バンドが演奏した川崎 優の『万国博マーチ』(作曲:1968年10月)は、公式長編記録映画「日本万国博」(総監督:谷口千吉)のDVDなどで今も映像で見ることができる。開会セレモニーの後、お祭り広場のフロアに飛び出した池田市立呉服小学校のマーチングも、世界の衆目を集めた!

他方、市音と府音は“EXPOバンド”の名で期間中の会場演奏を担って大活躍。海外からも、ローマ・カラビニエーリ吹奏楽団、スコッツ・ガーズ・バンド、ナショナル・バンド・オブ・ニュージーランド、パデュー大学シンフォニック・バンドなどが、つぎつぎと来日した。

こういう展開に、当然、バンド・ファンは狂喜乱舞!

今もって思う。これほど吹奏楽が輝いた博覧会はなかった!!

▲DVD – 公式長編記録映画「日本万国博」(ジェネオンエンタテイメント、GNBD-1101)

▲楽譜 – 万国博マーチ(川崎 優)(カワイ楽譜、KB-13、1969年)

■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第87話 チェザリーニ:交響曲第2番「江戸の情景」への旅

▲タッド・ウインドシンフォニー第26回定期演奏会チラシ

▲タッド・ウインドシンフォニー第26回定期演奏会プログラム

▲同、演奏曲目

▲ここで「江戸の情景」が書き上げられた(作曲者提供)

2019年(令和元年)6月11日(火)の朝、筆者は、JR「新大阪」駅を午前6時16分発“のぞみ204号”で出発。途中、「品川」駅で“成田エクスプレス13号”へと乗り継ぎ、一路「成田空港」(空港第1ターミナル)駅を目ざしていた。

ミラノからのアリタリア航空機(AZ 786便)で来日するスイスの作曲家フランコ・チェザリーニ(Franco Cesarini)を出迎えるためである。

フランコの来日は、この3年前の2016年(平成28年)6月10日(金)、ティアラこうとう 大ホール(東京)で、タッド・ウインドシンフォニー(指揮:鈴木孝佳)が日本初演を行なった交響曲第1番「アークエンジェルズ」作品50(Symphony No.1 “The Archangels”、作品50 / 第67話“チェザリーニ:交響曲第1番「アークエンジェルズ」日本初演”参照)のコラボレーションのために来日して以来、これで2度目だ。

今回は、第82話“チェザリーニ:交響曲第2番「江戸の情景」の誕生”でお話したとおり、2018年夏に完成の交響曲第2番「江戸の情景」作品54(Symphony No.2 “Views of Edo”、作品54)の同ウインドシンフォニーによる“公式日本初演”のコラボのための再来日だった。

しかし、筆者の暮らす大阪から成田空港は、さすがに遠い!!

フランコの成田到着予定時刻は、10:35。時刻表どおりに列車が走ってくれれば、彼の到着前に着けるが、近頃のJRは平気で遅延する。途中、何かあったりしたら、結構ヤバい展開となってしまう。案の定、筆者の乗る成田エクスプレスは、「成田」駅の手前で完全に停まってしまった。車内放送によると、踏切で何かあったらしい。ひとりヤキモキするが、こればっかりはなんともならない。

10分近く停まっていただろうか。やがて動き出した成田エクスプレスは、モーレツな勢いで走り出し、「成田空港」駅のホームに定刻7分遅れの10:04に滑り込んだ。

下車後、国際線到着ロビーに足早で向かう。到着便を示すボードを見ると、フランコの搭乗機は定刻30数分前に“到着済”の表示。早ければ、そろそろ出てくる頃だ。

危ないところだった。ホッと胸を撫で下ろしていると、ほどなくフランコが出てきた。

12時間のフライトだが、元気そうだ!!

この日は、ほぼ同じ時刻に羽田空港に着くタッドWSの音楽監督、鈴木孝佳(タッド鈴木)さんと新松戸のホテルで合流し、ランチを共にするだけのゆったりとした予定なので、成田スカイアクセス線の列車の出発時刻まで、「成田空港」駅改札近くのカフェで近況を語り合う。

当然、新作の交響曲第2番「江戸の情景」についても質問する。すると、いくつも面白い事実が浮かび上がってきた。

まず、「江戸の情景」の作曲に着手したのが、タッドWSによる「アークエンジェルズ」日本初演から帰国後すぐだったということが判明。すると、着想を得たのが日本滞在中で、作曲には、2年2ヶ月近い月日が費やされたことになる。そして、「アークエンジェルズ」と同様、当初は誰にも告げずに!!

また、2016年の来日時、「アークエンジェルズ」が、絵画好きのフランコがいろいろな美術館をめぐりながらインスピレーションを深めていった、その成果でもあることを聞いた筆者が、アテンドをお願いした黒沢ひろみさんに、『フランコが“北斎”や“広重”の浮世絵や日本の寺や神社に関心を寄せているので、練習の空き時間にそういうところに案内してやってほしい。』と依頼したことも意味があったようだ。

もちろん、当時は、空き時間にちょっとだけ観光させてやろうという意図だったので、それが「江戸の情景」につながるなど、これっぽっちも想像してなかった。

だが、ネイティブ大阪人の筆者に、東京都内の美術館や神社仏閣のことなど、まったく不案内。なので、どこに行くかは黒沢さんに一任した。その結果、時間的に無理のない範囲で東京江戸博物館と浅草界隈をめぐり、フランコによると、それが「江戸の情景」の起点となったのだという。

その後、帰国前日の6月12日(日)にヤマハ銀座店を一緒に訪れたとき、2階CD売り場で急に和楽器の演奏が入ったCDが欲しいと言い出し、フロアのスタッフ、原田 真さんのサポートを受けながら、かなり時間をかけてCDをセレクトし、何枚も購入している。

出版されたスコアに、締太鼓、大太鼓、長胴太鼓、平胴太鼓、チャンチキ、木鉦(もくしょう)という和楽器名が見られるのは、このときの成果だ。ただ、スコアには、それらが使えないときのガイドも書かれてあるので、洋楽器での演奏も問題ない。

「江戸の情景」のスコアには、つぎのような献辞がある。

Commissioned by and dedicated to the “Civica Filarmonica di Lugano”, with the support of the Swiss foundation for the culture “Pro Helvetica”

(“シヴィカ・フィラルモニカ・ディ・ルガーノ”により委嘱され、同楽団に献じられた。スイス文化基金“プロ・ヘルヴェティカ”のサポートを得て。)

“シヴィカ・フィラルモニカ・ディ・ルガーノ”は、2018年12月9日(日)、交響曲第2番「江戸の情景」を世界初演したスイス、ルガーノ市の吹奏楽団だ。そして、この献辞をストレートに読むなら、「江戸の情景」は、まず同吹奏楽団からの委嘱の話があり、その後に作曲に着手したと“誤解”されてしまう可能性がある。

しかし、フランコによると真相は逆で、このシンフォニーは、前記のとおり、日本から帰国後すぐ、自発的に作曲を開始。曲を書いている途中で委嘱の話がきたのだという。

今後、この曲のプログラム・ノートを書く人もいるだろうが、これは、ミスリードにならないように押さえておきたいポイントの1つだ。

さて、2度目の来日となった今回のテーマは、日本を題材にした新しいシンフォニーの“公式日本初演”だ! フランコには、来日前から“前回は叶わなかった《今の東京》と《いにしえの江戸》の両方を見せるから”と約束していた。

事前に建てたプランは、つぎのようなものだった。

来日初日(6/11)、鈴木さんを交えたランチの後、スカイツリーに昇って現在の東京の全体像を俯瞰してもらい、2日目(6/12)には、今回もアテンドをお願いした黒沢さんに、「江戸の情景」第1楽章“増上寺塔赤羽根(The Pagoda of Zojoji Temple)”のテーマとなった“増上寺”の観光を依頼。“公式日本初演”の翌日(6/15)には、本人の希望があるなら、東京佼成ウインドオーケストラ、シエナ・ウインド・オーケストラの各定期演奏会の鑑賞。帰国前日(6/16)には“日光”の観光を組み込んだ。また、黒沢さんには、練習~本番とつづく日々の空き時間には、“フランコが行きたいというところには付き合ってやって欲しい”と依頼した。

タッド・ウインドシンフォニーの練習が始まると、まず、自身が指揮をした“シヴィカ・フィラルモニカ・ディ・ルガーノ”の世界初演では使えなかった和楽器をタッドWSがスコアの指示通りに使っているのに興味津々!!

『ほんものの和楽器を使ったときにどうなるか、ずっと関心があったんだ。』と言いながら、練習2日目(6/13)に和楽器専門店に出向いて“チャンチキ”と“木鉦”を購入。同じ日に、北斎美術館を訪れたフランコは、ほんものの“浮世絵”がどうしても欲しくなり、演奏会当日(6/14)のゲネ前に、神田神保町の古美術店で、第5楽章“千住の大はし(Senju Great Bridge)”のモチーフとなった同題の広重の浮世絵のオリジナルを購入して御満悦だった。

帰国直前、フランコは、ポツリと言った。

『実は、この1週間は、試験を受けている音大生のような気分だったんだ。』

“なぜ?”と訊くと、

『日本を題材にしたシンフォニーを書いてはみたものの、その作品が日本の方々にどう受け止められるのか、もう心配で心配で….。』と返ってきた。

いかにも、もの静かで思慮深いフランコらしい発言だ。

『しかし、タッドWSのプロフェッショナルたちは、熱意をこめたパフォーマンスで作品に向かい合ってくれ、聴衆もとても興奮してくれた。こんなすばらしい機会を与えてくれて本当にありがとう!』

重圧から開放された帰国前日、“江戸がそのまま残っているよ”と言いながら、ふたりで観光に訪れた日光の姿にも、夢ごこちのように感動していたフランコ。

スイス人作曲家フランコ・チェザリーニの「江戸の情景」への旅は、こうしてすばらしいハッピー・エンドを迎えた!!

▲「江戸の情景」公式日本初演中のタッドWS(2019年6月14日、杉並公会堂)(撮影:関戸基敬)

▲カーテンコール(同)

■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第86話 U.S.マリン・バンド200周年

▲アメリカ海兵隊バンド、日本語つきフォトブック

▲同、裏表紙

▲アメリカ海兵隊バンド(U.S.マリン・バンド)

“Playing America’s Music Since 1798”

“1798年以来アメリカの音楽を演奏している”

2019年5月に初来日し、横浜、金沢、浜松、岩国の各地で、記憶に残るすばらしい演奏を繰り広げた“大統領直属”アメリカ海兵隊バンド(“President’s Own” The United States Marine Band)が、プログラムや広報用印刷物で常に使っている誇り高きコピーである。

日本史の年表を開くと、1798年は、寛政(かんせい)10年。日本では、江戸幕府の第11代征夷大将軍、徳川家斉(いえなり)(将軍職:1787~1837)の治世であり、ヨーロッパでは、ナポレオンのエジプト遠征が始まった年だ。名曲と謳われるルードウィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770~1827)の『ピアノ・ソナタ第8番 ハ短調、Op.13(悲愴)』が作曲された年でもある。

U.S.マリン・バンドは、同年の7月11日、第2代アメリカ大統領ジョン・アダムズ(在職:1797年~1801年)がバンド設立の議会法に署名して創設。その後、歴代の大統領に仕えながら、ホワイトハウスの音楽を担ってきた。それは、第85話の“ U.S.マリン・バンドがやってきた!”でお話したとおりだ。

“プレジデンツ・オウン(大統領直属)”というステータスだけでなく、マリン・バンドが全米の関係者からリスペクトを集める理由の1つに、早くから“ライブラリアン”制を採用し、専従スタッフがライブラリーの管理にあたっていることが挙げられる。

彼らライブラリアンが担うのは、手持ち楽譜を管理するだけの単純な職責ではない。

マリン・バンドが行なう演奏活動のすべてを正確に記録することはもちろん、演奏した楽曲や作曲家に関する音楽資料の収集や保存・整理、部外からも寄せられる質問への調査・回答など、それは多岐にわたる。

結果、マリン・バンドのライブラリーには膨大な資料や情報が保管・蓄積されることになった。当然ながら、その内容はアメリカ音楽に関連するものが最も充実するが、“マーチ王”と謳われ、自分達の大先輩であるマリン・バンド第17代リーダー、ジョン・フィリップ・スーザ(John Philip Sousa, 1854~1932)に関する情報密度は、もう半端ではない。

東京佼成ウインドオーケストラ桂冠指揮者フレデリック・フェネル(Frederick Fennell, 1914~2004)も、リサーチのためにしばしばマリン・バンドのライブラリーに出入りしていた。

また、第46話「H・オーウェン・リードを追って」でお話した、『メキシコ民謡による交響曲「メキシコの祭り」(La Fiesta Mexicana, A Mexican Folk Song Symphony for Concert Band)』(U.S. マリン・バンドが初演)の作曲者H・オーウェン・リード(H. Owen Reed, 1910~2014)へのコンタクトも、チーフ・ライブラリアン、マイク・レスラー特務曹長(Master Gunnery Sergeant Mike Ressler)の尽力ではじめて可能になったことだった。

マリン・バンドのライブラリアンは、正しく音楽の“アーキビスト”もしくは“キュレーター”と呼ぶにふさわしい役割を担っているのだ。

さて、そんなマリン・バンドだが、第2次世界大戦以前は、発明王トーマス・エジソン(Thomas Edison, 1847~1931)の時代から、いろいろなレーベルがレコード(SPレコードなど)を発売していた。しかし、今は、特別な目的以外、アメリカの全ミリタリー・バンドの“商業録音”が禁止されているため、レコードやCDは、ほぼエデュケイショナル・プログラム(教育目的)のための自主制作盤となっている。

これらは、一般の音楽ファンには市販されないが、学校などの教育機関や公立の図書館、放送局などの公的機関には無償提供される。以前は、公的機関のオフィシャルなレターヘッドが印刷された用箋を使って申請したものだが、ネット時代に入ると、公式ホームページのメールリング・リストに公的機関の管理者がサインアップして申請するルールとなった。

彼らがレコーディングするレパートリーは、スーザ以来このバンドに受け継がれてきた伝統的なアメリカのコンサート・バンド・スタイルの音楽が中心だ。

スーザのマーチや作品にスポットをあてたシリーズも、第22代ディレクター、アルバート・F・ショーパー大佐(Colonel Albert F. Schoepper, 在職:1955~1972)、第24代ディレクター、ジャック・T・クライン中佐(Lieutenant Colonel Jack T. Kline, 在職:1974~1979)、そして現在の第28代ディレクター、ジェイソン・K・フェティッグ大佐(Colonel Jason K. Fettig, 現職:2014~)の3人のディレクターによって企画された。

そんな自主制作盤の中にあって、このバンドの特色が最もよく表れているのが、バンド創設200周年にあたる1998年に制作された「The Bicentennial Collection – Celebrating The 200th Anniversary of “The President’s Own” United States Marine Band」という、CD10枚組のボックス・セットだろう。

このCD10枚組の内容は、以下のようなものだった。

Disc 1 – Early Acoustic Recordings 1889-1914

Disc 2 – Acoustic Recordings 1914-1923

Disc 3 – Historic Soloists

Disc 4 – Historic Soloists(continued). Taylor Branson(1924-1940)
William F. Santelmann(1940-1955)

Disc 5 – Albert Schoepper(1955-72), Dale L. Harpham(1972-4)

Disc 6 – Jack T. Kline(1974-9), John R. Bourgeois(1979-96)

Disc 7 – Timothy W. Foley(1996-)

Disc 8 – Composers Conduct
Karel Husa, Michael Colgrass, Warren Benson

Disc 9 – Composers Conduct and Guest Conductors
Warren Benson, John Harbison, Ron Nelson, Donard Hunsberger,
Leonard Slatkin, LtCol Sir Vivian Dunn

Disc 10 – Guest Conductors
Frederick Fennell, Gunther Schuller, Timothy Reynish,
Leonard B. Smith, George W. Wilson, LtCol John Ware

収録音源は、それこそエジソンの時代の初期の録音から近年のものまで、歴史的に重要な録音が網羅され、客演をした指揮者や作曲家にも、カレル・フサ、マイケル・コルグラス、ウォーレン・ベンソン、ジョン・ハービスン、ロン・ネルソン、ドナルド・ハンスバーガー、レナード・スラットキン、サー・ヴィヴィアン・ダン中佐(ロイヤル・マリーンズ)、フレデリック・フェネル、ガンサー・シューラー、ティモシー・レイニッシュ、レナード・B・スミス、ジョージ・W・ウィルソン、ジョン・ウェアー中佐(ロイヤル・マリーンズ)と錚々たる顔ぶれが並んでいた。

また、ボックスには、78ページの解説ブックレットが内包されていた。各トラックの詳細なデータやプログラム・ノートはもちろん、数多くの写真が、このバンドの先人たちが歩んできた200年の道程を物語っていた。

言い換えれば、それは、アメリカのコンサート・バンドの歴史でもあった。

ライブラリアン・システムを確立したこのバンドの面目躍如たるところだろう。

翻って、たとえ音楽大学にあっても、建物の建て替えや経済的事情など、およそ音楽とは関係ない理由で、図書館所蔵資料すら平気に破棄、散逸してしまうわが国の状況を省みると、本当に何と言ったらいいのか、適当な言葉が見つからないほど残念な気持ちになる。とにかく、この国では、いきなり基礎資料が行方不明になり、何もかも分からなくなってしまうのだ。

そして、何も残らない!

U.S.マリン・バンドが制作したこのCDボックスは、その歴史的価値と特別な計らいにより、ミュージカル・ヘリテージ・ソサエティ(Musical Heritage Society)という、歴史的録音を扱う通販専門レーベルから、アメリカ国内に限って簡易版が頒布されることになった。また、第45代大統領ビル・クリントン時代の情報公開の規制緩和等により、他のミリタリー・バンドCDがアメリカ国内法の及ばない外国でリリースされることも起こった。

しかしながら、マリン・バンドの基本姿勢は、今も昔も変わらない。

ブックレット巻末近くのつぎの文言がすべてを物語っている。

This recording is produced for educational purposes and to enhence the public affairs and community relations programs of the Marine Corps.

(このレコーディングは、教育目的のため、そして海兵隊の広報および地域社会関係プログラムを高めるために制作されたものです。)

Because appropriated funds were used in the production of this recording, it may not be distributed for private use and is not for sale.

(このレコーディングの制作には、その目的に充当するための資金が使用されたため、それを個人使用のために頒布することはできず、販売することもできません。)

“変わらない”ことの凄さをあらためて感じた!!

▲CD – The Bicentennial Collection – Celebrating The 200th Anniversary of “The President’s Own” United States Marine Band(非売品)

▲同、バックインレー

▲同、ディスク – 1、ディスク – 2のバックインレー

▲同、ディスク – 3、ディスク – 4のバックインレー

▲同、ディスク – 5、ディスク – 6のバックインレー

▲同、ディスク – 7、ディスク – 8のバックインレー

▲同、ディスク – 9、ディスク – 10のバックインレー

■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第85話 U.S.マリン・バンドがやってきた!

▲アメリカ海兵隊バンド、日本語つきパンフレット

▲ 第28代ディレクター、ジェイソン・K・フェティッグ大佐

▲日本ツアー・ステッカー

▲CD – アメリカ海兵隊バンド セレクション(Power House、PHCD-1001~5

『あれ?ヒグチさん!!どないしはりました?えらいとこでお会いしますね!』

待ち合わせのため、先を急いでいた筆者に思いがけなく掛かったバリバリの大阪弁の方向を見ると、そこには、全日本学生吹奏楽連盟理事長の溝邊典紀さんと千修吹奏楽団常任指揮者の井上 学さんのふたりが笑顔で立っていた。

ふたりも面喰っている様子だったが、近年、なぜか大阪から鎌倉に移った井上さんはさておき、奈良の溝邊さんや大阪の筆者が遠く離れた横浜のホール近くで出くわすことなど、まずあり得ない。

2019年(令和元年)5月15日(水)、押し寄せる人の波でごった返す横浜みなとみらい大ホールの入り口近くで起こった“怪事件”である。

この日、みなとみらいホールでは、午後6時30分から、“U.S. マリン・バンド”、即ち“アメリカ合衆国政府派遣音楽使節”として初来日した“大統領直属”アメリカ海兵隊バンド(“The President’s Own” United States Maine Band)を、陸上自衛隊中央音楽隊がホストとなり、「横浜開港祭 日米友好チャリティー吹奏楽コンサート ザ ブラスクルーズ2019 ~特別公演~ 誠」というジョイント・コンサートが開かれることになっていた。

溝邊さんと井上さんは、そのリハーサルを見学した後、ちょうどホールから出てきたところだった。

一方、筆者が待ち合わせた相手は、Band Powerの名物編集長、鎌田小太郎(コタロー)さん。

これに遡ること20年前の2000年に、U.S.マリン・バンド供給のオリジナル録音を活用した5枚組CDボックス「アメリカ海兵隊バンド セレクション(The President’s Own United States Maine Band Selection)」(Power House、PHCD-1001~5)の国内リリースを企画し、“U.S.マリン”の存在を広く知らしめた中心的人物だ。氏の熱意がなかったら、この企画は成り立たなかった。

そして、この日、コタローさんと筆者は、“横浜開港祭 ザ ブラスクルーズ”実行委員会会長の小松俊之さんから直接コンサートに招待されていた。

『そういうことだったんですね。』と互いに事情がわかった関西組3人は、開場まで少し余裕があることを確認し、『お茶でも行きますか?』という溝邊さんに従って近くのファストフード店へ。井上さんがコタローさんへ携帯で居場所を知らせて、合流を促してもらうことになった。

そこでワイワイガヤガヤ騒いでいると、偶然横を通られた秋山紀夫さんや日本スーザ協会の会員などからつぎつぎ声がかかる。みんな声がでかいので、結構目立っている様子だ。その後も、元東京佼成ウインドオーケストラのユーフォニアム奏者、三浦 徹さんや洗足学園音楽大学の山本武雄さんなどと挨拶をかわす。アメリカまで行かないと聴けない“マリン”を日本のホールでナマで聴けるとあって、さすがに今日は吹奏楽関係の知人が多い。

実は、マリン・バンドがアメリカ国外に出てコンサートを行なうのは、2001年、スイスへの演奏旅行以来という、超レア・ケースだったのだ!

話を本題に戻そう。

初来日となったアメリカ海兵隊バンドは、この日の横浜みなとみらいを皮切りに、以下の4会場のコンサートおよびレクチャーに出演した。

・5/15(水)
横浜開港祭 日米友好チャリティー吹奏楽コンサート ザ ブラスクルーズ2019 ~特別公演~ 誠
(於:横浜みなとみらい大ホール、開演:18:30)

・5/16(木)
かなざわ国際音楽祭2019 Vol.1 アメリカ海兵隊軍楽隊コンサート
(於:石川県金沢の本多の森ホール、開演:19:00)

・5/17(金)
第50回 日本吹奏楽指導者クリニック 2019 50周年記念スペシャル・コンサート
(於:アクトシティ浜松大ホール、開演:18:00)

・5/18(土)
第50回 日本吹奏楽指導者クリニック 2019 スーザマーチの演奏法
(於:アクトシティ浜松大ホール、開演:9:00)

・5/19(日)
Viva! Music! 音の祭典 アメリカ海兵隊軍楽隊
(於:山口県民文化ホールいわくに シンフォニア岩国コンサートホール、開演:14:00)

バンドの歴史を紐解くと、創設は、1798年7月11日。第2代アメリカ大統領ジョン・アダムズ(在職:1797年~1801年)が、バンド設立の議会法に署名したときだ。以来、“プレジデンツ・オウン(大統領直属)”という、その名のステータスにふさわしく、外国要人も訪れるホワイトハウスで必要とされる音楽すべてを提供する任務を担っている。

現在のホワイトハウスの主は、ドナルド・トランプ第45代アメリカ大統領(在職:2017~)。

みなとみらいで配布されていた日本語つきのパンフレットにも、以下の文言が誇らしげに印刷されている。

“THE MISSION OF THE UNITED STATES MARINE BAND IS TO PROVIDE MUSIC FOR THE PRESIDENT OF THE UNITED STATES AND THE COMMANDANT OF THE MARINE CORPS.”

“「大統領直属」アメリカ海兵隊バンドの使命は、アメリカ大統領と海兵隊司令官のために演奏することである。”

この日のマリン・バンドの指揮者は、2014年7月に就任したジェイソン・K・フェティッグ大佐(Colonel Jason K. Fettig, Director)。ホワイトハウスの音楽アドバイザーであり、毎年500回以上の演奏を行なうこのバンドの第28代ディレクターだ。

そして、歴代ディレクターの中で最も有名なのが、このバンドの演奏を飛躍的に高め、1880年から1892年まで指揮をつとめた第17代リーダーのジョン・フィリップ・スーザ(John Philip Sousa、1854~1932)である。(当時は“Director”ではなく“Leader”と呼称された)

言うまでもなく、この日のプログラムにも入っていた「星条旗よ永遠なれ(The Stars and Stripes Forever)」(1886)の作曲者だ。

そして、1887年5月14日、ペンシルベニア州フィラデルフィアで初演されたこのマーチは、初演からほぼ100年後にあたる1987年12月11日、第40代アメリカ大統領ロナルド・レーガン(在職:1981~1985、1985~1989)の署名によって、議会で“アメリカ合衆国ナショナル・マーチ”(国の公式行進曲)に制定された。

この事実は、日本では意外と報じられていない。

みなとみらいでは、日米の両バンドは、両国の友好のため、ともにすばらしいプログラムを組んできたが、少し大袈裟な表現が許されるなら、この日、来場した聴衆の多くは、“マリン・バンド”が演奏するこの曲を目当てにこのホールに詰めかけたのかも知れない。

本家本元の演奏を聴きたいと!

かつて、“マリン・バンド”を客演し、自作の「ダンス・ムーブメント」を指揮した友人のイギリス人作曲家フィリップ・スパーク(Philip Sparke)が、このバンドを評してこう言っていた。

“どのセクションも最高のチェンバー・オーケストラに匹敵するすばらしいバンドだ!”

スコアの隅々まで浮かび上がるようなクリアさと清潔なハーモニー、そして各セクションの見事な統一感!使う道具(楽器)にも、強いこだわりが見て取れた。

もちろん、お目当ての「星条旗よ永遠なれ」もファンタスティック!!

以前にアメリカで聴いたときも、この日も“マリン・バンド”は“マリン・バンド”だった!

大阪に戻った後、一人でそんな感慨に耽っていたとき、浜松のクリニックでナマ演奏を聴いた人からもつぎつぎと連絡が入った。

“本当に感動しました。みんな30,000円(クリニック参加費)が安かったと言っていますよ!”

“中学生のときに聴いた“ギャルド”のレコード以来の感動でした!”

“我々は、長い年月をかけて何やってたんですかね!”

“スーザのマーチがあんなにすばらしいなんて!”

みんな興奮していた!!

聞くところによると、浜松のクリニックでは、例年、空席が目立つコンサート翌日朝一番の講座「スーザマーチの演奏法」(5/18)も超満員だったという。岩国もチケットが完売となった。

初来日したU.S. マリン・バンド!

それは、我々にすばらしい感動を残していってくれた!

▲チラシ – 横浜開港祭 日米友好チャリティー吹奏楽コンサート ザ ブラスクルーズ2019

▲プログラム – 横浜開港祭 日米友好チャリティー吹奏楽コンサート ザ ブラスクルーズ2019

▲曲目 – 日米友好チャリティー吹奏楽コンサート(横浜)

▲ 曲目 – 日本吹奏楽指導者クリニック 2019 50周年記念スペシャル・コンサート(浜松)

▲チラシ – かなざわ国際音楽祭2019 Vol.1 アメリカ海兵隊軍楽隊コンサート(金沢)

▲チラシ – Viva! Music! 音の祭典 アメリカ海兵隊軍楽隊(岩国)

▲LP – John Philip Sousa Vol.1(非売品、CFS-2722)]

▲CFS-2722 – A面レーベル

▲CFS-2722 – B面レーベル

▲LP – John Philip Sousa Vol.2(非売品、CFS-2723)

▲CFS-2723 – A面レーベル

▲CFS-2723 – B面レーベル

▲LP – John Philip Sousa Vol.3(非売品、CFS-2724)

▲CFS-2724 – A面レーベル

▲CFS-2724 – B面レーベル