■吹奏楽曲でたどる世界【第55回】オクラホマ連邦ビル爆破事件(1995年) ~闇の中のひとすじの光(ア・ライト・アントゥ・ザ・ダークネス)(デヴィッド・ギリングハム作曲)

Text:富樫鉄火

●作曲:デヴィッド・ギリングハム David R. Gillingham (1947~)アメリカ
●原題:A Light unto The Darkness
●初出:1997年、マウント・プリザント高校の委嘱初演。
●出版:C. ALAN/MCCLAREN PRODUCTIONS
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/set-9656/

●参考音源:『ウィズ・ハート・アンド・ヴォイス~デヴィッド・ギリングハム作品集』(Mark Custom)、『子供の庭の夢 厚木西高等学校吹奏楽部』(CAFUA)、『心に宿る永遠の三日月 厚木西高等学校吹奏楽部』(CAFUA)など。
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-1098/

●演奏時間:約12分
●編成上の特徴:ほぼ標準編成。ただし、オーボエ1・2あり。イングリッシュ・ホーンあり。バスーン1・2あり。E♭クラリネットとアルト・クラリネットなし。コントラバス・クラリネット=オプション。トランペット1にフリューゲル・ホーン(またはミュート・トランペット)持ち替えあり。弦バス=オプション。ピアノあり。パーカッションはティンパニ以外に4人(ドラム・セットあり)。
●グレード:5

1991年に、東側(社会・共産主義)諸国を束ねていたワルシャワ条約機構が解散し、その中心的存在だった大国・ソヴィエト社会主義共和国連邦(ソ連=現ロシア)が崩壊すると、政治思想が対立する「東西冷戦」の時代は、完全に終わりを告げた。

これで世界は安定と平和の時代になる……かと思いきや、そうはいかなかった。どうやら人間は、常に「対立」「闘争」の中にいないとダメな生き物らしい。今度は、「宗教」「民族」対立などが理由となって、世界中が「テロ」の恐怖に脅える時代に突入したのである。

1995年4月19日、アメリカ・オクラホマ州の州都「オクラホマ・シティ」にある、9階建ての連邦政府ビルが爆破され、託児所の幼児19人を含む168人が死亡、数百人が負傷する大惨事が発生した。

この年は、日本でも1月に阪神・淡路大震災が発生、2~3月には、地下鉄サリン事件を含むオウム真理教関連の事件が立て続けに発生していた。その直後だけに、この事件は、私たち日本人が抱いていた不安感をさらに倍増させるニュースだった。

当初、捜査当局(FBI)は、イスラム系過激派の仕業とにらみ、周辺各地で、不審な中東系の男たちを次々に拘束した。捜査当局の中に、「犯人はイスラム系過激派であってほしい」との、先入観と差別に満ちた意識が潜んでいたとしか思えない。

だが、最終的に逮捕された犯人は、驚くべき人物だった。当時27歳、アメリカ陸軍兵として湾岸戦争で勲章まで授与した優秀な兵士、ティモシー・マクベイだったのだ。模範的な元アメリカ軍人がこのようなテロを引き起こしていた事実に、国中が愕然となった。同時に、イスラム系の人々は、先入観で犯人扱いされたことに、猛烈な怒り・抗議を示した。

しかし、なぜ、アメリカ市民であるマクベイは、このようなテロを引き起こしたのか。あまりに複雑怪奇なその内情を詳述する紙幅はないが、まず、陸軍を除隊後、次第に、高い税金や退役軍人に対する政府の措置に不満を持ち始めていたことが根底にある。

もうひとつ、指摘されているのが、犯行日(1995年4月19日)が、ブランチダヴィディアン事件(1993年4月19日)の2周年にあたっていた点だ。これは、カルト教団「ブランチダヴィディアン」を率いる教祖デヴィッド・コレシュが、テキサス州の教団施設に80名余の信者と立てこもり、FBIとの銃撃戦の果てに集団自殺した異様な事件である【注1】(教団には、児童虐待と銃火器不法所持の疑いがかけられていた)。

ところが、この事件後、「政府はやりすぎではないか」との世論が巻き起こった。というのも、一応、信者たちは「集団自殺」したことになっているのだが、実は、FBIの無理な突入攻撃が引き金になったのではないか、との説があるからだ。「宗教の自由に、政府は介入しすぎだ」との声も上がった。特にイスラム系の住民は、そう感じたことだろう。

この世論に、オクラホマ事件の犯人マクベイも、どうやら共感を覚えていたようである。現に、のちの公判で、マクベイは、動機のひとつに「ブランチダヴィディアンに対する政府の不当な弾圧への復讐だ」と述べているのである。

だが、今度ばかりは、さすがに世論は味方につかなかった。何しろ、現場ビルの1階には託児所があり、爆弾を積んだトラックは、そのまん前に停まっていた。それゆえ、その託児所が最も強烈な被害を受け(瞬時に吹き飛んだ)、預けられていた19人の幼児も即死したのである。

……いま、こうやってオクラホマ連邦ビル爆破事件の背景説明を綴っていると、何とも気分が悪くなってくる。このコラムは、吹奏楽曲の解説・紹介が目的のはずだ。なのに、何で、こんな不愉快で不気味な話を書かなければならないのだろう。

しかし、とにかくこの事件の犠牲者に捧げられた曲があり、それが吹奏楽の名曲である以上、書かないわけにはいかない。デヴィッド・ギリングハム作曲≪闇の中のひとすじの光≫である。スコアには「1995年4月19日オクラホマ惨劇の犠牲者168人へのオマージュ」と書かれている。

高校バンドのために書かれたせいもあって、ギリングハムの曲としては、決して最高難度の内容ではない。だが、これを音楽として高い純度で完成させることは、容易ではない。

全体は3部構成。最初にオクラホマの日常が描かれる。ジャズや田園風景を思わせるフレーズなども登場する。のどかな雰囲気に感じられるが、時折、これから襲う悲劇をかすかに予想させるような響きが交じる。このあたり、ギリングハムのテクニックがうかがえる部分だ。

つづいて、悲劇の描写。打楽器群の即物的な響きがビルの爆破、崩壊を描写する。サイレンや、災害救助に行き交う人々を思わせる部分がつづく。この部分は、私たち日本人には理解しにくいかもしれない。やはり、1995年4月19日にアメリカにいて、このニュースに直接に接したアメリカ市民でないと、本物の衝撃としては、とらえられないだろう。もしかしたら、アメリカ人には、演奏すること自体、つらいのではなかろうか。【注2】

最終部分は、タイトルにもある「暗闇の中への光」が描かれる。哀しい旋律の中から、次第に光明が差し始める。悲劇で命を落とした168人への鎮魂歌である。たいへん美しい、感動的な音楽だ。ギリングハムは、決して犯人への怒りを描いてはいない。悲劇を乗り越えることの重要さ、尊さを描いているようだ。

この最終部分について、ギリングハム自身は、こうコメントしてる――「私たち全員が、“暗闇への光”でなければならない。悪魔の中に“善”を見出すのだ。美しい168人の魂は、我々に、注意をうながしている。彼らこそ“暗闇への光”なのだ」。

曲は、極めて静謐で神聖なムードのまま、そっと終わる。

ギリングハムは、この連載では【第49回】≪戦死・不明の英雄たちよ~ベトナム・メモリアル≫で、すでに紹介している。よくジャーナリスティックな題材を選んで吹奏楽にしている人気作曲家だ。たとえば≪心に宿る永遠の三日月≫は、1997年に亡くなった3人の人物――ダイアナ元妃、マザー・テレサ、指揮者ゲオルグ・ショルティをモチーフにした吹奏楽曲である。作風は、たいへん知的で、単なる描写音楽の枠を超えた作品が多い。近年の日本では≪ウィズ・ハート・アンド・ヴォイス≫が大人気だ。

この曲は、ほかのギリングハム作品同様、神奈川県立厚木西高校(中山鉄也・指揮)によって、1999年に日本初演された。最新海外作品を積極的に取り入れ、日本に紹介する団体として知られている。最上部で挙げたCAFUAの2つのCDも、彼らの演奏である。

ところで……犯人マクベイは、死刑判決を下され、2001年6月11日、薬物による死刑が執行された。被害者の遺族が死刑執行に立ち会えることになったが、その数は800名を越えていた。そこで、抽選で一部の遺族のみが立ち会えることになり、執行の模様はテレビを通じてナマ中継された(ただし正式な遺族しか見られないよう、スクランブルがかけられた)。

死刑執行直前、マクベイは「アメリカは、近々、再び大災害に襲われるであろう」と不気味な言葉を残していた。その言葉からちょうど3ヵ月後の2001年9月11日、アメリカに何が起きたかは、もう説明の要はないだろう。
<敬称略>

【注1】アメリカのTVドラマ『Xファイル』第4シーズンの一編「追憶」は、この事件をモデルにした物語。

【注2】このあたりは、天野正道≪おほなゐ~1995.1.17.阪神淡路大震災へのオマージュ≫に近い感覚かもしれない。この曲を被災地の人たちが演奏するには、それなりの覚悟が必要なはずだ。

■吹奏楽曲でたどる世界【第54回】公害・環境破壊(1960~70年代) ~この地球を神と崇める(カレル・フサ作曲)

Text:富樫鉄火

●作曲:カレル・フサ Karel Husa(1921~)旧チェコスロバキア→アメリカ
●原題:Apotheosis of this Earth
●初出:1970年、ミシガン大学バンドの委嘱初演。
●出版:Associated Music Publishers(ニューヨーク)→Hal Leonard
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/set-9679/

●参考音源:『第7回世界吹奏楽大会コンサート・ライブ』(佼成出版社、10枚組)からす川音楽集団の全曲演奏/『アルティスティカ・ライブ ブニョール“アルティスティカ”交響吹奏楽団』(World Wind Music)ほか。コンクール・ライヴは、すべて第Ⅱ・Ⅲ楽章からの抜粋演奏。
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-2416/
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/dvd-9373/

●演奏時間:3楽章計25~26分(詳細本文参照)。
●編成上の特徴:極大編成。通常編成を超える部分……フルート1~3のほか、ピッコロがフルート持ち替え。オーボエ1~3。バスーン1・2。コントラバスーンあり。B♭クラリネット1~3に、各4声div.あり(つまり全部で12人必要)。コントラバス・クラリネットとバス・サクソフォーンあり(オプション)。トランペット1~4。トロンボーン1~4。ユーフォニアム1・2。ティンパニのほかにパーカッション1~4。「声」あり。
●グレード:6超

1962年にアメリカの生物学者レイチェル・カーソン(1907~64)が発表した書『沈黙の春』【注1】は、一大センセーションを巻き起こした。

当時、アメリカでは、有機塩素系の農薬(殺虫剤)「DDT」が、当たり前のようにばらまかれていた。大量生産が可能で、無害と思われていたこのDDTを使って、アメリカ政府は、農作物に対する害虫の絶滅計画を進めていたほどだった。

ところがカーソンは、この『沈黙の春』で、DDTがいかに恐ろしい薬剤であるかを告発した。DDTは、自然界では決して分解されることなく、永久に残留し、生態系を破壊する。現に、一部の生物は、オスが減少し、絶滅しかけているという。また、食物連鎖によって食品を通じて体内に取り込まれ、ホルモンなどにも影響を与えるというのだ。

この本の衝撃は大きかった。当時のケネディ大統領は、すぐさま専門機関に調査を命じ、その結果アメリカはDDTを禁止し、害虫絶滅計画も中止となった。【注2】

同時期、日本でも「4大公害病」が大問題となっていた。熊本水俣病、新潟水俣病、四日市ぜんそく、イタイイタイ病――である。すべて大企業が垂れ流した有害物質が原因だった。どれも1950~60年代あたりから顕在化し始め、特に1960~70年代に大きな問題となっていた。

そして1975年、日本で、公害や環境汚染の恐怖を決定的にした小説が、大ベストセラーになった。有吉佐和子『複合汚染』【注3】である。まさに『沈黙の春』日本版であった。農薬、合成洗剤、合成保存料、排気ガス、化学肥料……これらがいっしょくたになって川や海、土壌に流れ込み、生態系を破壊し、食物に入り込んで私たちの体内に蓄積される……その過程が、ノンフィクション・タッチでリアルに描かれた。当時これを読んだ多くの日本人は、本心から「日本のコメを食べることは、農薬を食べるのと同じだ」と感じたものである。

このように、1960年代~70年代は、世界中で、公害や環境破壊の恐怖が叫ばれた時期であった。

そして、この現実を吹奏楽曲で描いた作曲家がいた。またもカレル・フサである。前回の「プラハの春」弾圧事件をもとにした≪プラハ1968年のための音楽≫といい、今回の≪この地球を神と崇める≫といい、これほどまでに社会的な題材を選んで、吹奏楽曲で表現しつづけた人は、フサ以外にいない。しかも、たまたま表現手段が「吹奏楽」というだけであって、どの曲も、20世紀を代表する現代音楽の地位を獲得しているのだ。このような作曲家がいたことを、吹奏楽に携わっている私たちは、誇りに思いたい。

フサは、前回紹介した≪プラハ~≫発表の翌年、ミシガン大学バンドの委嘱で、この曲を発表した。同大学バンドの指揮者ウィリアム・レヴェッリ博士の引退に捧げられている。原題は、直訳すれば「この地球の神格化」となる。

フサ自身が、スコア冒頭に、かなり長めの文章を掲載している。要旨をまとめると、おおむね以下のような内容だ。

<この曲は、いまの人類が直面する様々な問題――戦争や飢餓、種の絶滅、環境汚染などが動機となって生まれた。この美しい地球の破壊や荒廃が、幻想に終わることを祈るばかりである。
第Ⅰ楽章Apotheosis<神格化>で、地球は宇宙の中の点として描かれ、次第に大きくなり、悲劇を予感させる。
第Ⅱ楽章Tragedy of Destruction<破壊の悲劇>は、放射能で破壊され、傷ついた地球が描かれる。
第Ⅲ楽章Postscript<その後>で、地球は宇宙の彼方に砕け散る。奏者は「この美しい地球」と声に出す。そしてこんな疑問が浮かび上がってくる――「なぜ、私たちはこんなことをしてしまったのだろうか?」と>

いかがであろうか。何とこの曲は、戦争や環境破壊による「地球崩壊」を描いているのである。しかも、まったく「救い」がない。最後に、明日への希望でも描かれるかと思いきや、「地球は砕け散る」というのだから、ただごとではない。

果たして、いったい、どんな音楽なのか……。

ご存知の方にはいうまでもないが、これは、前作≪プラハ~≫をはるかに上回る、難解で高度な音楽である。≪プラハ~≫の場合は、ワルシャワ条約機構軍によるチェコスロバキア蹂躙という、いわば「目に見える悲劇」が描かれた。だから、確かに前衛的な描写や手法はあったものの、全体はおおむね描写性に満ちていた。

だが、この≪~崇める≫で描かれた世界は、誰の目にも明快な悲劇とは、ちょっと違う。確かにモチーフは環境破壊だが、それによって蝕まれる「地球」が描かれるのだ。

当然、タッチは抽象的にならざるをえない。耳に残るキャッチーなメロディは、まったく出てこない。それゆえ、これほど、文章で説明するのが難しい曲もないのだ。まことにライター泣かせの曲であるが、この種の音楽に慣れていない若い方々には「泣いている曲」という表現が、いちばんわかりやすいかもしれない。第Ⅰ楽章冒頭部から、楽器が(いや、地球が)「泣いている」ように聴こえるはずだ。環境破壊に蝕まれて、破滅寸前の地球が、苦しさのあまり、末期の雄叫びを上げている曲――そんなふうにイメージしていいと思う。

全体は、そんな「泣いている」ような抽象的な音列と、具体的な奏法指示のオンパレードだ。これほど「音符」以外の様々な指定が書き込まれたスコアは、そうはあるまい。

たとえば、時折、音符のオタマジャクシの横、「♯」や「♭」に同化して「↑」「↓」といった矢印が書き込まれている。これは「クォーター・トーン」。つまり「半音」ならぬ「4分の1音」の指定である。たとえば「C♯」の「♯」部分に「↑」が付いていたら、「C♯」と「D」の中間の音程を出せというのだ。

第Ⅱ楽章のラスト音にはフェルマータの記号とともに「lunga」(長く自由に伸ばす)の指定がある。「lunga」は、アルフレッド・リードなどもよく用いていた指定だが、それに加えて文章で「8~10秒、もしくはそれ以上(伸ばせ)」と書かれている。

第Ⅲ楽章では、多くの奏者が「This beautiful Earth」(この美しい地球)と、口に出して言えとの指示がある。「歌う」のではなく、あくまで「口にする」のである。しかも、きわめてぎごちなく言うような指示部分もある。

「repeat ad lib.」(自由に繰り返す)なんて指示も頻繁に出てくる。全曲の最後は、ザイロフォンの5連符の音型が繰り返されて終わるのだが、ここにも「repeat ad lib.」とある。二重線でキチンと終わるスコアではないのだ。これは、ヨハン・シュトラウス≪常動曲≫も真っ青の「演奏者の意思で自由に終えていい」曲なのだ。

そのほか、一般の音楽教育の場では見る機会のない、おそらくこの曲のためにフサが考案した記号や指定が、あちこちに出てくる。

作曲者自身がスコアに示した演奏時間は、Ⅰ<Apotheosis>(神格化)が12分半、Ⅱ<Tragedy of Destruction>(破壊の悲劇)が7分、Ⅲ<Postscript>(その後)が6分――計25~26分の曲であるが、何しろ「自由に繰り返す」なんて指示があちこちに出てくる曲だから、演奏者によって時間は大きく変わる。楽章ごとに1~2分、減ったり増えたりするなんて日常茶飯事である。

この曲が、私たち日本人の前で初演されたのは、1973年7月5日、上野の東京文化会館における、国立音楽大学ブラスオルケスター(指揮・大橋幸夫)の、第14回定期演奏会であった。いまや、戦後の日本吹奏楽界の伝説となっているコンサートである。この演奏があまりに素晴らしく、また、曲の衝撃度もウルトラ級とあって、≪~崇める≫は、一夜にして知れ渡った。日本が、1970年の大阪万博で浮かれきり、高度経済成長も終焉、いささか疲れが見え始めた時期に、まさに「太平の眠りを覚ます蒸気船」のように、この曲は登場したのだ。

しかし、この曲が全日本吹奏楽コンクールの全国大会に登場するまでは、時間を要した(そもそも、この曲でコンクールに挑んだ団体がいることのほうが、驚きなのだが)。あまりの難度の高さもあったろうし、1970年代の環境破壊がモチーフだけに、その後、少々、時代性のずれを感じさせた点も否めない。

だが、結局、地球は、20世紀の終わりを迎えて、フサが描いたとおりの事態に陥った。地球温暖化だのエルニーニョだのオゾン層破壊だのと、ほんとうに、この曲そのままの地球になりかけたのだ。

それだけに、1993年、東京都立永山高校が、この曲でコンクール全国大会に進出したのは、ある意味、格好の時宜を得た出来事といえた。初演から20年以上を経ての、全国大会初演であった。同校は見事に金賞を獲得。いまにして思えば、まさに世紀末を告げる選曲であり、演奏であったといえよう。

≪プラハ~≫もそうだったが、時代の空気を吹奏楽という音楽形態に閉じ込め、それでいていつの時代にも通用する普遍を描くフサは、まことに恐るべき作曲家といわねばなるまい。

そして、フサのコメントを俟つまでもなく、この地球が、環境破壊の果てに「崩壊」することなどないよう、祈るばかりである。

 

【注1】最初の邦題は『生と死の妙薬』だった。その後、原題“Silent Spring” の直訳『沈黙の春』として新潮文庫に収録され、いまでも読み継がれている永遠のロングセラー。題は「生態系の破壊で、春になっても鳥が鳴かなくなる」といった意味である。現在では、内容の一部にカーソンの誤解が含まれていたことも明らかになっているが、それでも、環境破壊への最初の警句として、21世紀に生きる私たちが一度は読んでおくべき本である。なお、今年は、レイチェル・カーソン生誕100年にあたるそうで、最近、彼女の伝記『レイチェル・カーソン』上下(ポール・ブルックス著、新潮文庫)も出た。彼女と親しかった編集者による、真摯な伝記である。
【注2】ただしDDTは、マラリアの特効薬でもあった。そのため、DDT禁止後、後進国では、絶滅寸前だったマラリアが急増してしまうという、皮肉な結果を招いてしまった。
【注3】新潮文庫版。いま読んでもまったく色褪せていない、背筋が寒くなる小説である。初出は朝日新聞連載だが、よくぞこのような読み物が、新聞に連載されたものだと思う

■吹奏楽曲でたどる世界【第53回】「プラハの春」弾圧事件(1968年) ~プラハ1968年のための音楽(カレル・フサ作曲)

Text:富樫鉄火

●作曲:カレル・フサ Karel Husa(1921~)旧チェコスロバキア→アメリカ
●原題:Music for Prague 1968
●初出:1969年1月31日、イサカ大学バンドの委嘱初演。
●出版:Associated Music Publishers(ニューヨーク)→Hal Leonard
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/set-9678/

●参考音源:多数あり。最近の国内盤全曲録音は『シンフォニア・ハンガリカ/大阪市音楽団』(フォンテック)、『2006ジャパンバンドクリニック・コンサートセレクション』(カフア)など。コンクール・ライヴはすべて抜粋演奏。
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-2020/
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-1300/
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-0153/
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-0278/
●演奏時間:4楽章計18~20分(詳細本文参照)。
●編成上の特徴:大型編成。標準編成を超える部分…フルート1・2のほかに、ピッコロがフルート持ち替え。オーボエ1・2。イングリッシュ・ホルン。バスーン1・2。コントラ・バスーン。B♭クラリネット1~3に各div.あり。コントラバス・クラリネット(オプション)。バス・サクソフォーン。トランペット1~4に各div.あり。ユーフォニアム、テューバに各div.あり。パーカッションはティンパニを含めて5人(配置に細かい指示あり)。
●グレード:5超

ここ数回「東西冷戦」にまつわる曲をつづけて紹介している。「東西冷戦」とは、第2次世界大戦後の世界を覆った、政治体制の対立だ。大雑把にいえば、「東」=ソ連(ソヴィエト社会主義共和国連邦=現ロシア)中心の共産・社会主義陣営、「西」=アメリカ中心の自由主義陣営――である。

戦後の1949年、ソ連を中心とする共産・社会主義国家の台頭に対抗する意味で、アメリカ、イギリス、フランスなどを中心に「北大西洋条約機構」(NATO)が締結され、共同防衛体制が組まれた。強大な軍隊も結成された。

これに対し、ソ連側は、1955年、東欧の共産・社会主義諸国を中心に「ワルシャワ条約機構」(WTO)を結成、これまた軍隊を設置する。

かくして世界は、東(WTO)と西(NATO)に分裂し、長い「一触即発の状態」、つまり「東西冷戦」時代に突入するのである。

この時代に様々な出来事が起きているが、典型的な事件が吹奏楽曲になっている。カレル・フサ作曲≪プラハ1968年のための音楽≫である【注1】。あまりに有名な曲なので「今さら……」の感もあるが、吹奏楽曲であるなしに関わらず20世紀を代表する楽曲の一つであり、音楽に関心を持つ以上、必ず知っておかなければならない重要な作品である。よって、少々長くなるが、詳しく取り上げておくことにした。

荒井由実時代のユーミンが作詞・作曲して、バンバンが歌った≪いちご白書をもう一度≫なる曲がある(1975年リリース)。この『いちご白書』とは、映画の題名である。1970年公開のアメリカ映画だ。

舞台は「1968年」のコロムビア大学。近くの遊園地が軍事施設に建て替えられることに反発する学生たちの闘いを描いたものだ。ラストでは、警察当局の一斉検挙によって学生たちのストライキが鎮圧させられる。パフィー・セント・メリーが歌った主題歌≪サークル・ゲーム≫は、いまでもアメリカン・フォークの名曲として愛されている。

この例で分かるように、「1968年」は、まさに「政治の季節」だった。アメリカでは黒人公民権運動の父・キング牧師が暗殺された。J・F・ケネディ大統領【第52回参照】の実弟で、司法長官をつとめていたロバート・ケネディも兄につづいて暗殺された。フランス全土では、学生を中心に1000万人がストライキに参加した「5月革命」が起きた。日本では、国際反戦デーで若者たちが新宿駅を占拠し、警察と大乱闘になった「新宿騒乱事件」が発生した。ベトナム戦争は泥沼化に突入しており【第4950回参照】、アメリカは、一時、北ベトナムへの爆撃を停止した。

「1968年」は、政治体制の抑圧に対する反発が、世界中で爆発していたのだ。

東欧のチェコスロバキアも例外ではなかった。この国は、1960年に社会主義共和国となって、ソ連を中心とするWTO陣営に組み込まれていた。だが、すべてを国家が管理する政治体制は、すぐにボロを見せ始める。

1968年初頭、この国で、ドプチェクがチェコ共産党第一書記に就任した。

ドプチェクは、経済成長の伸び悩みを解消するべく「人間の顔をした社会主義」を提唱する。何でもかんでも国家が決定・指示するのではなく、民衆の自主性を尊重し、市場経済を導入、言論活動の自由を認めた。

この民主化傾向を、通称「プラハの春」と呼ぶ(「プラハ」は、チェコスロバキアの首都名)。

しかし、WTO陣営を牛耳るソ連は「プラハの春」を許さなかった。「親を無視して勝手な行動をとる子供は許さない」というわけだ。もしもチェコスロバキアが自由主義国家になれば、まさに蟻の一穴、世界の東西バランスは崩れるかもしれない。ソ連は、次第に圧力を加えてくる。

元の暗黒国家に戻ることを憂慮した作家ヴァツリークは「2000字宣言」と題するアピールを発表し、ドプチェクたち改革派への支援を訴える。

だが、再三にわたる「勧告」を無視したチェコスロバキアに対し、ついに8月20日、ソ連軍を中心とするWTO軍が軍事介入。一夜にして全土は制圧・占領された。一般市民は戦車に襲われ、学生のヤン・バラフは抗議の焼身自殺を遂げる(いまでも現場には献花が絶えないという)。

この模様は、世界中に報道され、非難が殺到した。もう戦争も終わって20年以上たっているのに、またもこのような悲劇が繰り返されるのか。日本のソ連大使館にも抗議のデモ隊が押し寄せた。ドプチェクら改革派幹部はソ連に強制連行され、改革中止を確約させられる。こうして「プラハの春」は、半年ちょっとで消え去った。

この一連の出来事に対する思いを吹奏楽曲にしたのが≪プラハ1968年のための音楽≫である。

作曲者カレル・フサ【注2】は、母国チェコスロバキアのプラハ音楽院やフランスで、作曲・指揮を学んだ。1954年、アメリカのコーネル大学に招聘され、以後、音楽教授としてアメリカで過ごしていた。

そんなフサにとって、1968年夏に伝わってきた、母国の「プラハの春」弾圧事件は、衝撃以外のなにものでもなかったようだ。怒り、哀しみ、絶望……様々な思いがよぎったことだろう。複雑な感情を、ほぼ思いのままに音楽化した。

曲は全4楽章。中心となるのは≪フス教徒の賛歌≫である。15世紀に活躍し、反逆者として処刑されたボヘミアのカトリック改革者ヤン・フス(1369~1415)【注3】を信奉する一派によって歌われたコラールだ。スメタナの交響詩≪わが祖国≫の後半部にも使用されている、東欧方面では有名な「抵抗の旋律」である。

【第1楽章】Introduction and Fanfare(序奏とファンファーレ)…約5分
静寂と不安。これから襲い来る悲劇の予告。≪フス教徒の賛歌≫が、ピッコロ・ソロ(自由の象徴である鳥の鳴き声。ただし暗い)の陰で、ティンパニでとぎれとぎれに奏でられ、曲は始まる。そうと意識して聴かなければ、これが≪フス教徒の賛歌≫だとは、ちょっと気がつかない。これに対し、WTO軍の制圧をイメージさせるファンファーレが対応する。悲劇の始まりである。いわばこの楽章は、事件の全体像を凝縮しているのである。

【第2楽章】Aria(アリア)…約5分
「アリア」と聞くと、つい美しい流れるような旋律をイメージするが、とんでもない。なんとも重苦しいアリアである。WTO軍に襲われる直前の深夜の不安を描いているのではないだろうか。

【第3楽章】Interlude(間奏曲)…約3分
パーカッションだけで奏でられる、強烈な断章。プラハは塔が多く、鐘の音がよく町中に響く。それらを模倣しながら、ぼやけた輪郭が次第に鮮明になって、悪夢の現実に引き戻されていく。最後は、スネアドラムのロールが、クレシェンドのフェルマータで延々と奏でられるのだが、スコアには「pから始めて、ほとんど耐えられない(大きさ)までクレシェンドする」という、驚くべき指示がある。おそらくあらゆる打楽器が演奏する曲の中で、最も長く壮大なクレシェンドであろう。ここから曲はアタッカで、そのまま第4楽章に突入する。

【第4楽章】Toccata and Chorale(トッカータとコラール)…約6分
激しい全奏は、まさにWTO軍によって蹂躙される様子を描いているかのようだ。複雑なリズムが交錯し、音楽は頂点に向かう。クライマックス、「フス教徒の賛歌」が雄大に流れる。この部分を「民衆の勝利」と解釈する解説もよくあるが、果たしてそう聴こえるだろうか。こんなにむなしい「勝利」があるだろうか。フサは、怒り→反感→抵抗→失意→絶望→あきらめ……の果てに襲ってくる人間の感情を音楽にしたとしか、私には思えないのだが。

これほど深刻で真摯、絶望に満ちた吹奏楽曲は、いままでなかった。本来、明るさや力強さを売り物とする吹奏楽で、このような表現が達成されたことに、誰もが驚いた。全編が、いままでの吹奏楽曲には見られなかった新しい響きに満ちており、前衛的な手法も随所に使用されている。サウンド・クラスター(音型の自由な組み合わせ)もあるし、ラスト近くでは「この音型を12~16秒間、繰り返す」なんて指示も登場する。にもかかわらず、曲全体が描写性に満ちている点は、たいへん新鮮で、現代音楽になじみのない者でも、十分受け入れることができた。

そんな曲を、全日本吹奏楽コンクール(全国大会)で初演したのは、なんと「中学生」だった。1978年、岡山県の総社市総社東中学である(第4楽章)。惜しくも銀賞だったが、いま考えても、なぜ、こんな難曲を当時の中学生が演奏できたのか、信じられない思いだ。

その後この曲は、愛知工業大学名電高校が、事実上のテーマ曲のようにして何度も演奏しつづけた。1983年、85年、87年、92年と、この曲で全国大会に進出し、85年と87年では、見事、金賞を受賞している。この曲で金賞を獲得することがいかに至難か、曲をご存知の方には十分理解できるであろう【注4】。まさに≪プラハ~≫は、名電高校によって日本の吹奏楽界に定着したといっても過言ではないのだ。作曲者自身が来日し、名電の定期演奏会で指揮したこともあった。

また、この曲を聴いて感動した名指揮者ジョージ・セル(1897~1970)が、フサに管弦楽版への編曲を依頼し(1970年初演)、現在では、オーケストラ曲としても知られている。セルはハンガリー系なので、同じ東欧系の人間として、感じるものがあったのであろう。2004年に下野竜也の指揮で札幌交響楽団が日本初演している。

ところで、チェコスロバキアのその後だが――。

1989年、WTO加盟国を含む東欧諸国で、いっせいに「東欧革命」と称される民主化革命が続出した。ソ連も弱体化しており、その傘下にいる意味もなくなってきた。チェコスロバキアでも、あのドプチェクが議長にカムバック。今度はソ連もそれを抑えることはできなかった。もう「東西冷戦」だの「社会主義」だのの時代ではなくなっていた。フサは、この年、故国を訪れて≪プラハ~≫チェコ初演を実現させる。つづいて91年、ついにWTO(ワルシャワ条約機構)解散。同年末、ソ連崩壊。92年、ドプチェクは交通事故が原因で死去。その後、93年、チェコスロバキアは連邦を解体し、「チェコ共和国」と「スロバキア」に分離した。≪プラハ1968年のための音楽≫から四半世紀がたっていた。プラハは現在、「チェコ共和国」の首都である。「チェコスロバキア」なる国は、もうない。
<敬称略>
【注1】この曲の邦題は≪プラハのための音楽1968≫が多い。だがスコアに記された原題は≪Music for Prague 1968≫であり、≪Music for Prague:1968≫ではない。「プラハ(で)1968年(に起きた出来事)のための音楽」というニュアンスが強い。よって、本稿では≪プラハ1968年のための音楽≫と記す。
【注2】なにぶんチェコの名前なので、発音が難しい。英語風に「カレール・フーサ」などと発音・表記されることもある。
【注3】ドボルザークにも、序曲≪フス教徒≫なる管弦楽曲がある。この中の旋律に似た動機が、彼の交響曲第7番に使用されていることで知られている。
【注4】現に、名電の2回以外に、この曲で全国大会金賞を獲得した団体は、1988年の東海大学第四高校(北海道)だけである。

■吹奏楽曲でたどる世界【第52回】米ソの宇宙開発競争(1950~1970年代)その2 この一歩は小さな一歩だが、人類にとっては偉大な一歩である ~マン・オン・ザ・ムーン [全曲版](清水大輔作曲)

Text:富樫鉄火

●作曲:清水大輔(1980~)
●初出:2006年、川越奏和奏友会[全曲版]初演。
初版は2002年、神奈川県立大原高校の委嘱初演。
●出版:ブレーン(レンタル)
●参考音源:現在、正式録音なし。

●演奏時間:全4楽章、計約20分(詳細、本文参照)。
●編成上の特徴:大型編成……オーボエ1・2、コントラバス・クラリネット、ソプラノ・サクソフォーン、ピアノ、ハープあり。div.のあるパート……B♭クラリネット3、トランペット3、ユーフォニアム、テューバ。スネア&バス・ドラム各2台必要。
●グレード:5

1961年に就任したアメリカの第35代大統領、J.F.ケネディ(1917~63)は、清新なイメージとニュー・フロンティア精神で、瞬時に世界中のヒーローになった。【注1】

彼は演説の名手としても有名だった。いまでも彼の演説は、そのほとんどが文章化されて出版されているほか、CDになって、日本でも英語教材として長い人気を獲得している(その多くは、ウェブ上でも公開されているので、検索して実際に聴いていただきたい)。

いちばん有名な演説は、1961年1月20日の大統領就任演説。「祖国があなたに何をしてくれるかではなく、あなたが祖国のために何ができるかを考えてほしい」、そして「自由のためなら、どんな困難にも立ち向かおう」とアメリカ国民に呼びかけた。

つづく同年5月25日、ケネディは議会で歴史的な演説を行う――「私たちは、1960年代が終わるまでに月へ行きます。困難であるがゆえの選択です。人類史上、最も危険で、最も大掛かりなこの冒険に、どうか神のご加護を!」

この瞬間、アメリカは「マン・オン・ザ・ムーン」(人類、月に立つ)を目指して、動き始めたのだ。

さらに1962年9月12日、ケネディは、ヒューストンにあるライス大学で、のちに「ムーン・スピーチ」と呼ばれる、これまた有名な演説を行った(同大学は、NASA=アメリカ航空宇宙局のために土地を寄付していた)。

「我々は月へ行くことを選択しました! 簡単ではありません。それが困難だからこそ選択したのです!」

これらの演説にはどれも「困難だからこそ立ち向かう」という彼のポリシーが含まれていて、たいへん感動的なのだが、特に3つ目の「ムーン・スピーチ」は、ケネディ演説の傑作と呼ばれている。この時のライヴ映像は、おなじみ動画サイト「YOU TUBE」で、「MOON SPEECH」と入力して検索すると簡単に見られるので、ぜひ、ご覧いただきたい。口調も力強く、特に「We choose to go to the moon!」(我々は月に行くことを選択しました!)を3度繰り返すと、聴衆から拍手と歓声があがっている。

いったいなぜ、ケネディは、これほど必死に「月へ行く」ことを訴えたのか。

前回【第51回】をお読みいただければ分るとおり、アメリカは、第2次世界大戦後、宇宙開発競争において、ソ連(ソヴィエト社会主義共和国連邦=現ロシア)に、圧倒的に遅れをとっていた。人類初の人工衛星の打ち上げも、初の有人宇宙飛行も、すべて、ソ連に先を越されていた。

地上での戦争は終わり、東西冷戦下(アメリカ陣営VSソ連陣営)、今度は宇宙を制することが課題となっていた。宇宙空間に衛星を常置させれば、常に敵国を監視できる。さらに技術が進めば「兵器」を搭載することも可能になるだろう。宇宙空間からスイッチ一つで「核」を敵国に落とせるのだ。「抑止力」としても、これほど強力なパワーはない。

しかし、人工衛星も有人宇宙飛行も、ソ連が先に達成してしまった。こうなると、それ以上の実力がアメリカにあることを示し、ソ連の宇宙進出をストップさせねばならない。残るは「マン・オン・ザ・ムーン」である。

まずアメリカは「マーキュリー計画」(1959~1963年)を実施【注2】。6人の有人宇宙飛行を成功させた。つづいて「ジェミニ計画」(1962~1966年)で、2人1組の有人宇宙飛行や、長時間の宇宙空間滞在に成功する。

そしていよいよ実施されたのが「月への飛行」=「アポロ計画」(1967~1972年)である。3人組のカプセルで、何回かに分けて次第に月へ近づき、周回を経験。そしてついに、1969年7月21日早朝(日本時間)、アポロ11号が見事に月面着陸に成功。アームストロング船長とオルドリン飛行士の2人が月面を「歩いた」のである。

もちろん、TVはぶっつづけで、月から届く映像をナマ中継で流し続けた。世界で7億人以上が同時に見たと言われる、史上最大のTV中継だ。日本での視聴率は68%に達した。

この時、私は小学校5年生だった。画面は粗く、ほとんど真っ暗だった。時々、砂漠のような地面が映って、宇宙服を着たロボットのような飛行士が、ゆっくりと地面の上で飛び跳ねていた。【注3】【注4】

音も途切れ途切れで、「ガー」とか「ピー」とかいう雑音の合間に、時折、人間の声らしき音声が聞こえてきた。ただでさえ英語で何を言っているのか分らない上、雑音だらけで、そのことがかえって月と地球の距離感を感じさせてリアルだった。

この時、NHKの中継では、スタジオで「西山千」(にしやま・せん)という「同時通訳者」が、アポロとNASA(ヒューストン)との交信を、その場で瞬時に通訳し、日本語で伝えていた。多くの一般日本人は、この時初めて「同時通訳者」という職業があることを知った。

確か西山さんは、ヘッドフォンのようなものを両耳にあてて、必死に雑音の中から交信を聞き取っていたような記憶がある。

西山さんが同時通訳したアームストロング船長の月面第一声は「この一歩は小さな一歩だが、人類にとっては偉大な一歩である」というものだった。西山さんは、この名文句を日本語に翻訳したことでも一躍有名になった。

だが、当時子供の私には、「こちらヒューストンです。……の調子は、どうですか」「すべて順調です」のほうが印象に強く残った。

というのも、実際には交信のほとんどが、この繰り返しだったからだ。月面第一声「偉大な一歩」も有名になったが、私たち子供には、この「すべて順調です」のほうが、たいへんカッコよく響き、すぐに学校で流行語になった。授業中に先生が「ちゃんと勉強してるか」と聞くと「すべて順調で~す」などと答えていた。

さてさて、脱線話になって恐縮だが、今回ご紹介する≪マン・オン・ザ・ムーン≫という曲は、以上の、アポロ11号月面着陸を描いた吹奏楽曲である。

前回のクラーク作曲≪ガガーリン≫が、ソ連による初の有人宇宙飛行を描いたのに対し、こちらは、ソ連に一矢を報いたアメリカの偉業である。

作曲者・清水大輔に関しては、すでに【第35回】≪仲間たちへ≫、【第38回】≪スピリット・オブ・セントルイス≫で紹介してあるので詳細は省く。近年大人気の若手作曲家だ。

清水は、冒頭で紹介したケネディの演説に触発されてこの曲を発想したという。だからサブタイトルには「Difficlty So,It Challengers」(困難だからこそ挑戦する)とある。全4楽章、演奏時間約20分。吹奏楽曲としては大作である。

第1楽章<A President Speech -by J.F.K->(ケネディ大統領の演説)約5分弱
ここでは、文字通りケネディ大統領の演説とアポロ計画のスタートを描写する。雄大で明るく、おなじみ「清水ブシ」が冒頭から大爆発である。ケネディが生きていてこれを聴いたら、きっと感動したのではないか。

■第2楽章<Plan of NASA -Full of Dreams and Full of Hopes->(NASAの計画~溢れる夢と溢れる希望)約4分
実音の変ニ長調(フラット5個)で始まる、一部のパートには少々やっかいな楽章。ゆったりとした中に緊張感を漂わせながら、NASAのスタッフたちの苦労の様子が描かれる。

■第3楽章<APOLLO 11 -The Launch,Welcome to Apollo 11,Go to the Moon->(アポロ11号~発射、ようこそアポロ11号へ、月へ飛べ)約5分半
第2楽章からアタッカでそのままなだれ込む。いよいよ発射。大空から成層圏を突き抜けて月へ向かうアポロ11号を描く。発射の場面は、迫真の音楽が展開する。

■第4楽章<Man on the Moon -Hymn,Ending->(人類、月に立つ~讃歌、終曲)約6分
ここも第3楽章からアタッカでつながる。いくつかの危機的状況を乗り越え、ついにアポロ11号が、月面の、通称「静かの海」に着陸する。ここからは、偉業を讃える壮大な讃歌となってクライマックスを作り上げる。

なお、コンサートでこの曲を演奏する際、ケネディ大統領の演説の一節を朗読し、間をおかずに第1楽章の第1音(スネア&バスドラムのフォルテ)の「ズズズズン!」になだれ込むと、効果抜群だと思う。あるいは、CDやウェブ上で公開されている実際の音声を流してもいいかもしれない。

あくまで全4楽章をかけて一つの世界を描く曲であり、特に第2~4楽章はアタッカでつながっているので、抜粋演奏はあまり意味がない。全曲演奏は、それなりの体力も必要そうだ。まだ正式録音が商品化されていないのが残念だが、ぜひともコンサートのトリなどで、じっくり取り組みたい曲だ。
<一部敬称略>

【参考】
清水大輔は、今年、≪マン・オン・ザ・ムーン≫の続編を発表している。

≪ロスト・ムーン~マン・オン・ザ・ムーン エピソード2≫と題する曲で、2007年6月、横浜栄区民吹奏楽団の委嘱初演。

今度は「輝かしき失敗」と呼ばれた、アポロ13号の1週間(1970年)を描いている。月へ向かう途中、酸素タンクが爆発し、月面着陸どころか地球への帰還すら危ぶまれた中、地上とアポロとの決死の対応で見事に帰還した“偉業”を描くものである。『アポロ13号奇跡の生還』(クーパー著、新潮文庫)や、『アポロ13』(ジム・ラベル&ジェフリー・クルーガー著、新潮文庫)などでノンフィクションになっており、後者は1995年に同題で映画化もされている。

筆者自身、まだ聴いていないのだが、前作と共通のテーマが使用され、やはりケネディのスピーチ描写から始まる4楽章構成の大曲だとのことである。

【注1】就任2年ちょっとの1963年11月23日、ケネディはダラスで車上パレード中、暗殺される。いまだに真相がはっきりしていない謎の事件とされ、『ダラスの熱い日』(1973)、『JFK』(1991)などの映画にもなった。
【注2】この「マーキュリー計画」を描いたドキュメント小説が、名作『ザ・ライト・スタッフ~七人の宇宙飛行士』(トム・ウルフ著、中公文庫。現在入手困難)。「個人の正しい資質」(ライト・スタッフ)に従いながらも「宇宙開発でソ連に勝つ」ために、重圧に耐えながら宇宙を目指した、草創期の宇宙飛行士の苦悩を描いた作品である。当時の米ソの緊張関係も、たいへんリアルに描かれている。1983年に『ライトスタッフ』(フィリップ・カウフマン監督)として映画になった。これも傑作。『ロッキー』で知られるビル・コンティの音楽は、明らかにチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲とホルストの≪惑星≫のミックスだったが、それなりに感動的で、アカデミー作曲賞を受賞した。
【注3】いま調べてみると、月面着陸は、日本時間7月21日(月)の明け方で、月面歩行は昼頃になっている。いったい私は、どこでこの中継を見たのだろう。学校で見たのか? 確か、家族全員で興奮しながら見た記憶があるのだが……。あるいはもう夏休みだったのか。または、夜、家で再放送を見たのか……。
【注4】余談だが、アメリカには「アポロは月に行っていない」という、通称「ムーン・ホークス」(月のでっち上げ)という見方が根強くある。あのTV中継はウソだったというのだ。まあ、いわゆる「トンデモ話」なのだが、「月面写真の、影の向きがおかしい」とか「真空でジャンプしたらもっと飛ぶはずだ」とか様々な「根拠」がある。これらの説をもとに作られた映画が『カプリコン1』(1977年、ピーター・ハイアムズ監督)。アメリカ初の有人火星着陸をNASAがでっち上げて、砂漠の中のスタジオから「火星着陸」を中継する政治サスペンスである。

■吹奏楽曲でたどる世界【第51回】米ソの宇宙開発競争(1950~1970年代)その1  ~地球は青かったガガーリン~3つの交響的情景(ナイジェル・クラーク作曲)

Text:富樫鉄火

●作曲:ナイジェル・クラーク Nigel Clarke(1960~)イギリス
●原題:Gagarin~Three Symphonic Scenes
●初出:2004年(?)、セント・トーマス大学バンドの委嘱初演(アメリカ・ミネソタ州)
●出版:Stuido Music(ロンドン)
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/set-9924/
●参考音源:『ビスカヤ/Vizcaya~Great British Music for Wind Band Vol.10』(Polyphonic)
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-0719/

●演奏時間:3楽章計約15分……I : Road to the Stars(宇宙への道)、II : Orbit(軌道)、III : Homecoming(帰還)各楽章5分前後
●編成上の特徴:スコア未見につき詳細不明なれど、大型編成と思われる。ピアノ、ハープあり。コーラスも登場する。
●グレード:5

前回までに述べたように、朝鮮戦争やベトナム戦争は、アメリカとソ連(ソヴィエト社会主義共和国連邦=現ロシア)の代理戦争だったわけだが、同時期、米ソの代理戦争どころか「直接対決」が「宇宙」を舞台に繰り広げられていた。

第2次世界大戦後の1955年、アメリカとソ連は同時に、人工衛星の打ち上げ計画を発表した。だが、この競争は、ソ連が圧倒的優位に立った。

ソ連は1957年に、人類初の人工衛星「スプートニク1号」の打ち上げに成功。同年中には、犬のライカを乗せた「スプートニク2号」を打ち上げる。この「2号」は、地球を100分ちょっとで1周したが、当初から帰還の予定はなく、宇宙の藻屑と消えることが決まっていた。そして予定通り、数ヵ月後に落下を始め、大気圏に突入して燃えつきて消えた。もちろん犬のライカもろとも(実際には、打ち上げ直後のショックですぐに死んだらしい)。

この話は、当時はそれほどの騒ぎにならなかったが、今だったら、世界中から非難轟々だったろう。いたいけな犬を小さな人工衛星のカプセルに押し込め、宇宙へ飛ばしてそのまま死なすなんて、あんまりな話だ。その後もソ連は、続々と犬を宇宙へ打ち上げ、やがて、生きて帰ってくる犬も出るようになる。何しろ、犬を宇宙から生きたまま戻すことは、いつか人間を宇宙へ進出させるための前哨戦だったのだから。

この年(1957年)、アメリカも人工衛星の打ち上げに挑んだが失敗している。この失敗、および、ソ連のスプートニク計画成功は、アメリカに多大なショックを与えた。何しろ、このままだと常に上空にいるソ連の衛星が、いつか兵器を積んで、アメリカ大陸に向けて攻撃してくるかもしれないのだ。地上での戦争は終わったが、今度は、どちらが先に宇宙を制するかが、緊急課題となった。

かくして焦ったアメリカは、1958年、NASA(アメリカ航空宇宙局)を設立し、ようやく人工衛星の打ち上げに成功するのである。

こうなると、次の課題は「どちらが先に、人間を宇宙へ送り込むか」であった。

これもソ連の勝ちだった。ソ連は、1961年4月12日、空軍の宇宙飛行士ユーリ・ガガーリン(1934~1968)を乗せた「ボストーク1号」を打ち上げ、2時間弱で地球を1周し、無事に帰還させることに成功したのだ。

「人類初の有人宇宙飛行の成功」――このニュースに、世界中が大騒ぎになった。「神」以外に、地球を宇宙から眺めた人間が、ついに誕生したのだ。

ガガーリンは、宇宙から見た地球を「地球は青かった」と評した。この文句は世界中で流行語になった。ただし正確には「宇宙から見た地球は、青いヴェールに包まれた花嫁のようだった」と言ったのが、短縮されて伝わったのだそうだ。【注1】

帰還後のガガーリンは、一躍、ソ連の英雄となって世界中で大歓迎された。社会主義の超大国ソ連にとっては、最高の宣伝マンであった。勲章も山ほどもらい、昇進して、大スターとなった。

この一連の出来事を吹奏楽曲にしたのが、イギリスのナイジェル・クラーク作曲≪ガガーリン~3つの交響的情景≫である。

演奏は容易ではないが、実にドラマティックで、効果抜群の曲だ。サブタイトルにあるように3部構成で、全編にソ連国歌がちりばめられている。

I <宇宙への道>では、ガガーリンの宇宙飛行成功までの道のリが、抽象的ながら迫真のタッチで描かれる。単純な映画音楽風を突き抜けた、それこそクラシックの交響詩を思わせる部分も多い。クライマックスは、まさに宇宙へ向かう「ボストーク1号」を描いているようだ。

II <軌道>は、宇宙空間の描写である。コーラスを加えた、たいへん静謐で美しい断章だ。それこそ「地球は青かった」と言いたくなる。ソ連国歌の一節が流れ、盛り上がって偉業の達成を讃える。

曲は、ソ連国歌からそのままIII <帰還>になだれ込む。ここが作曲者クラークのユニークなところで、III はロシアン・ダンスの饗宴――つまり、ガガーリンの成功・帰還を祝うお祭りになるのである。おそらくクラークは、このロシアン・ダンスの熱狂を描きたくて、≪ガガーリン≫を書いたのではなかろうか。ちょうど、ヴァンデルローストの≪プスタ≫や≪リクディム≫、あるいはアッペルモント≪ジェリコ≫【第7回参照】のクライマックスのイメージである。奏者のかけ声なども登場して、オリエンタル・ムードも満載だ。再びソ連国歌の一部が高鳴ってコーダとなる。

ここで使用されているソ連国歌は、旧ソ連時代におなじみだったメロディ。連邦解体後、ロシアになってからはしばらく使用されていなかったのだが、プーチン大統領時代になって、2000年から再びロシア国歌として復活し、現在も愛唱されている曲だ。かつてオリンピックの表彰式でやたらと流れていたので、耳についている人も多いはずだ。

しかし、いったいなぜ、こんな昔のソ連の偉業を、ソ連国歌まで使用して、イギリスの作曲家が吹奏楽曲にし、アメリカの大学バンドが初演したのだろうか。クラークは、ロシア系なのだろうか。あるいは、委嘱した大学バンドにロシア系の人がいたのだろうか。いや、もう時代は一巡して、ソ連だのロシアだのも関係ない、世界史に残る偉業だから題材にしたのだろうか……。

どうやらガガーリンの生誕70年(2004年)という節目が関係していたようなのだが――ただしガガーリン本人は、宇宙から戻った後はノイローゼ、アル中気味になって、1968年、訓練機に搭乗中、原因不明の墜落死を遂げている。34歳の若さだった。【注2】

作曲者クラークは、もともとトランペットを専攻していたようだが、ポーランドで作曲を学び、イギリスの王立音楽院に進んだ。近年人気のイギリスの作曲家だが、彼の名前が日本の吹奏楽ファンに強烈に焼きついたのが、1995年に静岡・浜松で開催された、第7回世界吹奏楽大会(WASBE)だった。

この時、イギリスのロイヤル・ノーザン音楽カレッジWOが、WASBEのための新曲を引っ提げて来日し、世界初演したのが、クラークの≪サムライ≫だった【注3】。のちに東京佼成WOなども取り上げているが、和太鼓を使って日本の戦国時代の戦闘を再現した、そのド迫力にはびっくりさせられたものだ(ここでも、日本の祭りを思わせる部分や、かけ声がある。クラークは、お祭り好きなのか?)。その後もクラークは、ブラスバンドや吹奏楽曲を多く発表し、映画音楽なども手がけているほか、近年では、ハガードの名作小説を音楽化した≪ソロモン王の洞窟≫なども発表している。

それにしてもこの≪ガガーリン≫、日本で大ヒットするかと思ったのだが、それほどでもなかった。各楽章5分前後で、特に II と III はアタッカでつながっており、工夫すれば、十分コンクール自由曲に使える。もっと演奏されていいと思うのだが、どうも「ガガーリン」だの「地球は青かった」だの、そんな話、いまの若い方々にはピンとこないのかもしれない。指導者でも、50歳以上の方でないと、同時代としての記憶はないだろう。旧ソ連国歌(現ロシア国歌でもあるのだが)が出てくるところも敬遠された理由かもしれない。「明治は遠く……」、いや「ソ連は遠くなりにけり」である。

ところで……今回は、宇宙開発競争におけるソ連の「勝利」をお伝えしたのだが、もちろん、アメリカも黙ってはいなかった。有人宇宙飛行で先を越されたアメリカは、ついに、ソ連より先に、人類を月に送り込むのである! 次回、乞ご期待!
<敬称略>
【注1】宇宙で生まれた流行語には「私はカモメ」もある。1963年、これもソ連の「ボストーク6号」に乗った人類初の女性宇宙飛行士テレシコワの、宇宙からの交信第一声である。「カモメ」とは、単なるコールサインだったとか、チェーホフの名作戯曲『かもめ』の台詞だとか、文字通り自分を空飛ぶカモメに例えたのだとか、由来は様々な説があるようだ。
【注2】彼の死因に関しては怪情報てんこ盛りで、近くを飛んでいた空軍機とのニアミスだったとか、整備ミスだったとか、酒を呑んでいたとか、あまりにあれこれと説があった(私、子供の頃、ガガーリンは、宇宙を飛んだ際にUFOだか宇宙人だかを目撃してしまい、帰還後、その宇宙人のUFOに狙われて撃墜されたとの話を少年雑誌で読んだ記憶がある)。
【注3】この≪サムライ≫世界初演の模様は、CD『第7回世界吹奏楽大会コンサート・ライブ』(佼成出版社、10枚組)に収められているほか、CD『メトロポリス』(Klavier) 『イーストマン・ウインド・アンサンブル50周年記念盤』(Warner Bros.3枚組)などにも収録されている。

■吹奏楽曲でたどる世界第41回】第2次世界大戦(1939~1945) その2 ~泰緬鉄道建設工事 組曲≪戦場にかける橋≫(マルコム・アーノルド作曲/木村吉宏編曲)

Text:富樫鉄火

●作曲:サー・マルコム・ヘンリー・アーノルド Sir Malcolm Henry Arnold(イギリス/1921~2006年)
●編曲:木村吉宏 Yoshihiro kimura
●原題:The Bridge On The River Kwai
●初出:映画公開1957年
●出版:ブレーン(レンタル)
●参考音源:『戦場にかける橋/広島ウインドオーケストラ』(ブレーン)他
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-0288/

●演奏時間:約25分(本文参照)
●編成上の特徴:大型編成。フルートⅠ~Ⅳあり。トランペットⅠ~Ⅲの他に、コルネットⅠ・Ⅱ必要。ハープ、ピアノ各2必要。
●グレード:5

太平洋戦争が始まって、日本軍は東南アジア各地に侵攻した。

外地での戦争となった時、重要なのは「人(兵士)」「弾薬(武器)」「食糧」の3点セットだと、よく言われる。これらのどれかが足りなくても、前線で勝利をおさめることはできない。「人」は、1回送り込めば、戦死しない限り、ずっとそこに留まることができる。だが、「弾薬」と「食糧」は、消耗品である。どんどん足りなくなるから、どんどん補給しなければならない。腹が減っては戦はできず、弾(タマ)がなければやられるのみ、である。「補給」がちゃんと行なわれるかどうかが、勝敗の分かれ道になると言っても過言ではない。

だから外地では「補給路」が重要になる。前線の兵士たちに、後方から、どんどん弾薬や食糧を届けるルートである。車、船、鉄道…あるいは、空から落下させる、なんて方法もあろう。

東南アジア周辺は、海に囲まれているが、それだけに海路だと敵艦に遭遇する可能性が高くなる。海上に補給路を求めることは極めて危険であった。なるべく内陸地に補給路を確保したかった。

1942年(昭和17年)、日本軍はビルマ(現ミャンマー)を占領した。そして、タイとビルマを結ぶ鉄道建設を計画する。

当時の日本軍は、東南アジア周辺に、大量の連合軍捕虜を収容していた。彼らを使え、となっておよそ6万人が強制労働に駆り立てられた。また、周辺諸国の住民、タイ、ビルマ、マレーシア、インドネシアなどからも一般労働者が集められてきた。その数、計40万人とも50万人とも言われている。【注1】

そんな彼らを酷使し、劣悪な環境の下、強制労働で突貫建設されたのが「泰緬鉄道」(たいめんてつどう)である。

いったい、あんな山奥に鉄道なんか敷けるのか…最初は誰もがそう思ったが、1年半ほどで完成してしまった。何しろ、労働者の半分近くが事故や病気で死んだと伝えられている、それほどの強行突貫工事だったのである。

この工事で最も難関だったのが、クワイ河(現地では「クェー河」とも発音するようだ)に架ける鉄橋工事であった。あまりに急流で、地形も複雑だったため、本鉄橋工事と同時に、近くに建設物資などを搬送するための木造の仮橋を建設した。本鉄橋はのちに完成したが、ここが連合軍の攻撃ポイントとなり、しばしば爆撃を受けた。日本軍は、本鉄橋が破壊されると木橋を利用したり、応急工事で復活させるなどして臨機応変に対応したため、最終的に連合軍は、クワイ河を渡る鉄路を完全に遮断することはできなかった。

この史実をもとに、1957年に製作されたイギリス映画が『戦場にかける橋』である。原作ピエール・ブール【注2】。監督デヴィッド・リーン。アカデミー賞作品賞を含む6部門で受賞した名作だ。

工事現場の日本軍責任者に早川雪洲。工事に従事させられるイギリス軍捕虜のリーダーにアレック・ギネス。鉄橋を爆破するアメリカ兵にウィリアム・ホールデン。早川雪洲は、捕虜を酷使しながらもイギリス人魂に尊敬の念を覚えてしまう。アレック・ギネスは捕虜の立場ながらイギリス兵の誇りを捨てずに鉄橋建設に邁進する。ウィリアム・ホールデンは、そんなことおかまいなしに鉄橋爆破に挑む。

デヴィッド・リーン監督の生涯のテーマでもある「異文化の衝突」が見事に描かれた傑作映画であった。

音楽は、マルコム・アーノルド。吹奏楽界では、≪第六の幸福をもたらす宿≫や、狂詩曲≪サウンド・バリアー≫、≪ピータールー序曲≫などが有名だ。【第28回】参照【注3】

この映画の音楽から、4曲が抜粋されて、木村吉宏編曲で吹奏楽組曲になっている。構成は、Ⅰ<前奏曲>(約7分)、Ⅱ<夕暮れ>(約8分)、Ⅲ<ジャングルの旅>(約7分)、Ⅳ<クワイ河マーチ>(約3分)となっている。いかにもイギリスの品格ある映画音楽といった感じで、クラシックな味わいがある名曲である。すでにコンクールにも登場しているスコアだ。抜粋演奏をすれば、コンクール向きなのは確かだが、スコアはたいへん巨大な編成である。しかも、音楽自体もドラマティックで、まとまった演奏の形に持っていくのは容易ではない。

なお、この連載でしばしば書いていることなのだが、この映画の中で、アルフォード作曲の有名なマーチ≪ボギイ大佐≫【第36回参照】が使用され、これに重ねてアーノルド作曲の≪クワイ河マーチ≫が流れる。音楽でアジアと西洋を対比・合体させているわけだ。ところが、そのために、≪ボギイ大佐≫と≪クワイ河マーチ≫が同一曲であるかのような誤解が流布している。この2曲は、まったく別の曲である。だから、この木村版スコアを演奏しても、≪ボギイ大佐≫の旋律はまったく出てこないので、誤解なきよう。

ちなみに、この吹奏楽版のもととなったオーケストラ組曲版が、シャンドス・レーベルからCD化されている。『The Film Music of Sir Malcolm Arnold Vol. 1 』(リチャード・ヒコックス指揮、ロンドン交響楽団)。この原曲では、前記≪ボギイ大佐≫も含めた5曲構成となっている。このCDには、≪サウンドバリアー≫や、≪六番目の幸福をもたらす宿≫なども収録されているので、オーケストラ原曲を聴いてみたい方にはお薦めである。

なお、泰緬鉄道は、戦後、一部を除いてほとんどが連合軍によって撤去された。あまりに奥地にあるので、メンテナンスが大変だったようだ。また、当初、建設工事で多くの捕虜や現地人が酷使され、生命を失った事実に関しては、当初あまり知られていなかったが、次第に証言が浮かび上がり、今では、戦時中に日本軍が行なった残虐非道行為の一つとして有名になっている。

確かにこの音楽は「映画音楽」であり、ということは「娯楽音楽」といってもいいのだが、もし演奏する際には、史実がもとになった音楽であることを、ぜひ忘れないでいただきたい。

当のクワイ河鉄橋は、戦後補修され、今では周辺に追悼碑などがある観光名所になっているようだ。
<敬称略>

※「木村吉宏」の「吉」は、正確には上部が「土」です。

【注1】もちろん日本からも建設に参加したが、その数は1万人ちょっとだった。

【注2】これも以前にも述べたが、あらためて。この映画の原作は、フランスの作家ピエール・ブールによる体験実話小説。彼は戦時中、ビルマで日本軍の捕虜となっており、終生、日本人=黄色人種を憎み続けた。『戦場にかける橋』は、日本人への恨みが込められていたのだ。ところがこの小説だけでは怒りがおさまらなかったと見えて、今度は日本人=黄色人種をサルに見立てたSF小説まで書いた。それが映画にもなった『猿の惑星』である。

【注3】ちなみに≪第六~≫も、第2次大戦中、日本に侵攻された中国を舞台にした戦争映画『六番目の幸福』(1958年)の音楽である。

■吹奏楽曲でたどる世界【第50回】ベトナム戦争(1960~75)その2 ~≪ミス・サイゴン≫より(シェーンベルク作曲/宍倉晃、デメイ編曲など)

Text:富樫鉄火

●作曲:Claude-Miche Schonberg(作詞=Alain Boublil)
●原題:Miss Saigon
●初出:1989年ロンドン初演
●編曲:宍倉晃、ヨハン・デメイなど
●出版:宍倉版……ブレーン、デメイ版……Molenaar
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/set-8589/
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/set-9814/

●参考音源:宍倉版……コンクール・ライヴなど数種あり。デメイ版……『ベスト・オブ・ヨハン・デ=メイ』(Molenaar)
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-1705/
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-3632/

●演奏時間:宍倉版(約6~7分)、デメイ版(約17~19分)
●編成上の特徴:ともに大型編成。
※宍倉版……オーボエ1・2、バスーン1・2、ソプラノサクソフォーン(持ち替え)、ピアノ、ハープあり。
※デメイ版……オーボエ1・2、イングリッシュホーン、バスーン1・2、トランペット1~4、トロンボーン1~4、ユーフォニアム1・2、ピアノあり。
●グレード:ともに5

私事で恐縮だが、1990年代の前半頃、ニューヨークのブロードウェイで、ミュージカル≪ミス・サイゴン≫を観た時の衝撃は忘れられない。

その頃、私は、たまたまニューヨークへ行く機会が多く、毎晩のようにミュージカルやオペラ、コンサートなどを片っ端から見ていたのだが、≪ミス・サイゴン≫だけは、終演後の印象が、あまりにも強烈で複雑だった。まさかベトナム戦争がミュージカルになるとは、夢にも思わなかった。こういう題材に、西洋人が(正確に言うと、フランス人とイギリス人が)、よくぞ挑んだものだと思った。感動できる部分もあったし、西洋人特有の誤解もあった。しかしそれでもなお、ベトナム戦争をミュージカルにして、世界中で大ヒットさせた、スタッフたちの豪腕ぶりには、頭が下がったものだ。

このミュージカルは、1989年にウエストエンドで初演された「ロンドン・ミュージカル」である。

作曲は、フランス人作曲家クロード=ミシェル・シェーンベルク。この人は、あの十二音技法で音楽史に名を残す大作曲家アーノルド・シェーンベルクの兄弟の孫なんだそうだ。

彼が、作詞家のアラン・ブーブリルとともに、1985年、地元フランスで≪レ・ミゼラブル≫を発表したが、まったく評判にならなかった。それを、≪キャッツ≫≪オペラ座の怪人≫で知られる大プロデューサーのキャメロン・マッキントッシュが見出し、全面的に再構成してロンドンで上演したら超大ヒット。

その同じスタッフが、柳の下のドジョウを狙って第2弾として発表したのが、この≪ミス・サイゴン≫なのである。

もちろん、これもロンドンからブロードウェイへ渡り、世界中で大ヒット。特にブロードウェイでは、1991~2001年まで、足かけ11年間にわたって4092公演のロングランを記録した。日本でも何回となく上演されている。【注1】

物語は、プッチーニのオペラ≪蝶々夫人≫とほぼ同じ。【注2】

ベトナム戦争末期の1975年、陥落寸前のサイゴンが舞台【注3】。疲れきった米兵クリスと、17歳のベトナム人少女キムは恋に落ちる。やがてサイゴン解放の大混乱で、2人は引き裂かれる。クリスは帰国して、アメリカ人女性と結婚。だが、その頃キムは、クリスとの間に生れた男の子を育てながら、いつか彼が自分を迎えに来てくれるものと信じ、ひたすら待っていた。そして、キムの生存を知らされたクリスは、彼女に会うために逃亡先のバンコクへ向かう……。

全編を覆う、あまりに美しすぎるメロディと、健気で哀れなキム、そして目を奪うステージ上の大仕掛け。特に巨大なホー・チ・ミン【注4】の銅像や、上空から降りてくる実物大のヘリコプター、客席内を縦横無尽に飛び交うマルチ音響システムなど、見所満載のミュージカルである。アジア人に対するステレオタイプな欧米人の視点を感じながらも、やはりクライマックスでは涙が出てしまう。2人の悲劇を客観的に眺めながら狂言回しを演じるフランスとベトナムの混血男「エンジニア」の存在も、物語を立体的に構成することに役立っている。

ブロードウェイ初演では、ミュージカル史上に残る騒動が発生した。上記エンジニア役を、ロンドンでは、白人俳優ジョナサン・プライスが演じて大絶賛されていたのだが、プロデューサーは、そのままブロードウェイでも、彼を起用しようとした。

これに対し、ニューヨークの俳優組合が猛反発を示した。「アジア系の役は、アジア系の俳優に演じさせろ」というのだ。しかもプライスは、ロンドン版では、一種の特殊メイキャップでアジア系の顔を造っていたので、そのこと自体が「アジア人蔑視である」とも言われた。

対立は一触即発の状態になり、もし組合側の要望を受け入れなければ、俳優組合はブロードウェイ全体で大規模ストライキを起こさんばかりの勢いだった。このままでは≪ミス・サイゴン≫の初日の幕が開かなくなるどころか、ブロードウェイの多くの舞台がストップしてしまうことは確実だった。世界中がこの騒ぎを見守ることになった。

だが、どうやらプロデューサーのマッキントッシュは、そんなことは百も承知だったようだ。最終的に、あまりにゴネる俳優組合に対し、世間の視線が冷たくなり、組合は折れる。まるで一連の騒動は、マッキントッシュによる「話題づくり」にさえ思えた。かくして1991年4月11日、世界注視の中、≪ミス・サイゴン≫はブロードウェイ・シアターで無事に初日の幕を開け、以後足かけ11年にわたるロングランとなるのであった。もちろん、1991年のトニー賞はほぼ独占。

だが結局、この作品は大ヒットこそしたものの、前作≪レ・ミゼラブル≫をしのぐことはできなかった【注5】。それが、日本では「吹奏楽史上最大ヒットのミュージカル・メロディ」となった。コンクールでおなじみのスコアとなって、全国大会でも、この曲で金賞を獲得した団体がいくつも出ている。

吹奏楽版は、宍倉晃版と、≪指輪物語≫でおなじみのデメイ版がある。デメイ版はミュージカル全体をなぞった構成で、約20分近くを要する大曲である。当然、コンクールでは、大幅な抜粋をしなければならないが、コンサートなどは、ぜひ全曲演奏に挑戦していただきたいスコアだ。休む間もなく登場する名旋律の数々に、演奏するほうも聴くほうもうっとりさせられるはずだ。

宍倉版は、明らかにコンクールを意識した構成で、約6分。<序曲><我が心の夢><サイゴン陥落><今がこのとき>の4部構成。コンパクトながらミュージカルの要所を抑えたうまい構成である。ヘリコプターのプロペラ音の再現を、どこの団体も工夫しており、ちょっとしたヴィジュアル上の見ものになっている。

どちらもコンクール全国大会でも通用するスコアなのだから、それなりの難度である。特に冒頭の<序曲>部などは、様々な音型やリズムが交錯する複雑な出だしで、バンドや指揮者の力量が一瞬で判明してしまう、怖い部分だ。

宍倉版もデメイ版も、当然ながら原曲からの抜粋スコアである。演奏するのであれば、ぜひ、日本版でいいからオリジナルのステージを観るか、あるいは、全曲CDが出ているので、それらでミュージカルの全体構造を知った上で取り組んでいただきたい。たとえば、打楽器奏者がヘリコプターのプロペラ音を必死に模倣するのはいいのだが、≪ミス・サイゴン≫において、このヘリコプターにどういう意味があるのかご存知だろうか。別に「攻撃」に飛んできたわけではないのだ。それを知るだけで、単なるプロペラ音の表現にも、無意識に取り組むことはできなくなるはずだ。
<敬称略>

【注1】日本では、ヒロインのキム役を、故・本田美奈子が演じて話題となった。ほかには、≪ピーターパン≫の笹本玲奈や、松たか子 、知念里奈なども演じている。日本版は東宝によって1992年から帝国劇場で断続的に上演されており、すでに2008年7月~10月公演が発表されている
http://www.tohostage.com/miss_saigon/index.html)。
【注2】ほかに、フランスの戯曲『マダム・クリサスマム』なる作品も元ネタらしい。

【注3】このあたり、ベトナム戦争の概要については、前回(第49回)参照

【注4】「ホー・チ・ミン」とは、北ベトナムの革命指導家。のちに、ベトナム民主共和国の初代大統領。現在でもベトナム建国・統一の父として尊敬されている。ちなみに、このミュージカルの舞台となった「サイゴン市」は、現在はこの偉人の名を冠して「ホー・チ・ミン市」と改名されている。

【注5】≪レ・ミゼラブル≫ブロードウェイ版は、第1次公演が1987~2003年で6680公演。リバイバル公演が2006年11月からスタートしており、現在も上演中である。

■吹奏楽曲でたどる世界【第49回】ベトナム戦争(1960~75)その1 ~戦死・不明の英雄たちよ~ベトナム・メモリアル(ギリングハム)

Text:富樫鉄火

●作曲: ディヴィッド・ギリングハム David R. Gillingham(1947~)
●原題:Heroes, Lost and Fallen(A Vietnam Memorial)
●初出:1989年、ミシガン州アン・アーバー・シンフォニックバンド初演)/1990年国際バーロー作曲コンテスト優勝作品
●出版:Composer’s Editions/Hal Leonard
●参考音源:『Legendary 関東第一高等学校吹奏楽部』(廃盤)…「ベトナムの回顧」というタイトルで収録
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-2020/

●演奏時間:約12分
●編成上の特徴:オーボエ1・2、コントラ・バスーン、ピアノあり。クラリネット群は、クラ(B♭)1~3とバス・クラのみ。打楽器の数が多く、特殊奏法多用。
●グレード:5超~6

第2次世界大戦後、アジア・アフリカ・中南米の小国が、次々と独立を求め始めた。そうなると、必ずといっていいほど、かつての支配国との間に争いが発生した。

アジアの一角に古くから王朝を築いてきたベトナムは、19世紀にフランスの侵略を受け、植民地「仏領インドシナ」となっていた。その後、第2次世界大戦で日本軍が北部に進駐したりしたが、1945年の終戦と同時に共産革命が勃発し、「ベトナム民主共和国」(のちの北ベトナム)が誕生する。

しかし、これを快く思わないフランスが抑えにかかり、「第1次インドシナ戦争」が発生。その結果、1954年にジュネーブ協定が交わされ、ベトナムは南北2国に分断された。

だが、共産主義の北ベトナムに対し、南に新しく生れた「ベトナム国」は、事実上、フランスによる傀儡国家であった。アメリカもフランスを支持し、翌年には、この南の国は、アメリカが陰から支配する「ベトナム共和国」(南ベトナム)となった。

のち、この南ベトナムでは、アメリカの援助で権力を支配する大統領一族の横暴がつづき、国内は大混乱に陥る。それを見た北ベトナムは、この機に国家統一を実現させようと、ゲリラ組織「南ベトナム民族解放戦線」(ベトコン)を結成。南に侵入し始めた。

こうして、15年にも及ぶ「第2次インドシナ戦争」、別名「ベトナム戦争」が始まるのである。

当然ながらアメリカは「南」を応援し、ソ連と中国は「北」を応援した。かくしてこの戦争は、アジアの小国を舞台にした、大国による代理戦争となったのだ。第47回で解説した朝鮮戦争もそうだったが、第2次世界大戦後に世界各地で勃発した戦争の多くは、アメリカとソ連の代理戦争だったのだ。

この戦争は、今までの戦争とはまったく違っていた。

いわゆる「最前線」となる戦場が存在しなかった。南ベトナム領内に忍び込んだ北のベトコンたちが、いつ、どこから現れるか、一寸先も読めない状況下でのゲリラ戦だった。
年代的にマスメディアも発達していたため、戦況は、多くのジャーナリストによって逐一、世界中に、文章・写真・映像で同時に伝えられた。いわば、人類史上初の「メディアによって世界中が同時ウォッチングした戦争」でもあった。

そこで伝えられた光景は、世界を牛耳る大国アメリカが、アジアの片隅の貧しい農民たちを虐殺する姿だった。アメリカ国内はもとより、世界中で反米の嵐が沸き起こった。

その間、アメリカでは、ケネディ~ジョンソン~ニクソンと3代の大統領が関与したが、いっこうに出口は見えなかった。アメリカは、年間50万人以上の米兵を送り込み、次第に天文学的な額の出費に悩まされ始める。今まで経験したこともない、熱帯森林での長期ゲリラ戦に、兵士の士気も低下する一方だった。

そして1973年、疲れきったアメリカは北ベトナムに対する攻撃停止を表明。和平交渉が開始され、翌74年にニクソン大統領はウォーターゲート事件でボロボロになって辞任。フォード大統領があとを引継ぐと、75年4月、南ベトナムの首都サイゴン(現ホーチミン市)が陥落して、15年に及ぶベトナム戦争は、ようやく終了したのだった。アメリカにとって、建国以来、初めて経験した「完敗」だった。

この間、南北ベトナムにおける犠牲者は200万人、アメリカ軍の戦死者だけでも6万人近くに上っていた。アメリカが空中散布した枯葉剤(ダイオキシン)による後遺症は、のちのちまで多くの悲劇を生む。

この戦争を題材に吹奏楽曲≪戦死・不明の英雄たちよ~ベトナム・メモリアル≫【注】を書いたのが、アメリカの作曲家ギリングハムである。

そもそも彼は、ジャーナリスティクな題材をよく選ぶようだ。のちに紹介する予定の≪闇の中のひとすじの光≫は、1995年のオクラホマ州連邦ビル爆破事件をモチーフにしたものだし、≪目覚める天使たち≫は、エイズによる死者に捧げられた曲だ。

今回も、作曲にあたって彼自身による詩のような言葉が書かれ、それに基づいて音楽化されている。その要旨は、

<あの恐ろしい戦争、そのすべてを忘れたい/苦痛や死が二度と訪れないよう、この矛盾を解いてくれ/そして永遠の平和が、戦死・不明の英雄たちに訪れんことを>

……といったような内容である。

曲は、恐ろしいほど真摯で厳しく、緊張感に富んでいる。タイトルからすると、戦死兵を讃える曲のように思えるかもしれないが、それほど単純な内容ではない。勝者・敗者を超えて、戦争で命を失ったすべての人たちに対するレクイエムに思える。全体を、何とも言えぬ虚しさが支配しており、時折、勇敢さを表現しているようなモチーフも散見されるが、すぐに打ち消される。後半は、戦死者たちの魂が天上へ誘われて行く光景を描いているようだ。

演奏は、並大抵の難度ではない。無調の現代音楽的な響きが全体を支配しているようで、打楽器に至っては、鍵盤を弦楽器の弓でこするなど、特殊奏法の連発である。通常の吹奏楽曲を連想すると、面食らうであろう。奏者のテクニック面もさることながら、このような曲をまとめ上げるには、指揮者にも尋常ならざる力量を求められる。楽譜どおりに演奏する以上の、目に見えない何かをつかむような力がないと、曲の真意を表現することも絶対にできない。

この曲を日本初演したのが神奈川県立厚木西高校であることは有名な話だが、本項で紹介している参考音源も関東第一高校の演奏なので、一瞬、高校生でも演奏できるような先入観を持つかも知れないが、それはたいへんな勇み足である。この2校は、いわゆる“超高校級”であって、これもまた、尋常ならざる力量を持っているのだ。演奏にあたっては、よくよく考え、かつベトナム戦争の何たるかを十二分に把握した上でチャレンジしていただきたい。
<敬称略>
【注】この曲の邦題は、演奏団体やレーベルによって様々で、確定的な邦題は、まだないようだ。本項の邦題も、あくまで筆者による訳である。よって、楽譜やCDを探す際には、必ず、原題で確認するようにしていただきたい。

■吹奏楽曲でたどる世界【第48回】スターリン死去(1953年) ~祝典序曲(ショスタコーヴィチ作曲/ハンスバーガー編曲ほか)

Text:富樫鉄火

●作曲:ドミトリ・ショスタコーヴィチ Dmitrii Shostakovich(1906~1975)ロシア
●原題:Festive Ouverture(英語表記の場合の一例)
●初出:1954年原曲初演
●編曲:ドナルド・ハンスバーガー、上埜孝など
●出版:HAL LEONARD(ハンスバーガー版)、ウインドギャラリー(上埜版、レンタル)
●参考音源:各種あり
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-0430/
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-2378/
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-0277/

●演奏時間:約7分
●編成上の特徴:大型編成。正式演奏版(上埜版)はバンダ(金管別働隊)あり。
●グレード:5

今回の曲は、本来が管弦楽曲であるが、いまでは吹奏楽曲としてスタンダードとなっており、読者諸氏の中でも演奏したり、聴いたりしたことのある方も多いと思う。

ソ連(=旧ソヴィエト社会主義共和国連邦、現ロシア)は、第2次世界大戦の「戦勝国」である。日ソ不可侵条約を結んで、お互い、敵同士となっても互いの国内での戦闘をしない約束だったのに、終戦直前、連合軍の勝利を確実と見たソ連は、条約を無視してソ満国境を越え、日本に攻め入ってきた。そして「勝利」……。

私の両親の世代には、いまでもこの時のことを引き合いに出して「ロシア(ソ連)は約束を平気で破る国だ。だから信用できない」と言う人が多い。

終戦後、ソ連は戦勝国としてアメリカと並ぶ世界の2大国となった。ただし、社会主義国だったので、その発展ぶりは、アメリカとは大いに違った。大戦を「勝利」に導いた独裁者スターリンによる超ワンマン国家として発展したのだ。このソ連が生んだ20世紀最大の天才作曲家がショスタコーヴィチである。(スターリンやショスタコーヴィチについては、第45回≪ベルリン陥落≫の回を参照)。

彼の生涯は、まことに複雑だった。当時のソ連は、すべてが独裁者スターリンによって決められていた。とにかく政府=スターリンのお気に召さない芸術は、ことごとく葬られた。ショスタコーヴィチも、新機軸の音楽を開拓するたびに政府から「西洋かぶれ」「人民の敵」「もっと大衆向けに」と批判され、その都度、あらためてお褒めに預かれる音楽を書く――そんなことの繰り返しだった。要するに独裁者スターリンとの闘いの毎日だったのだ。だったら亡命すればよさそうなものだが、家族思いで生真面目だった彼は、そこまでは踏み切れなかった。

だが、そのために彼の音楽は、様々な側面を持つことになり、まさに20世紀現代社会の縮図のような面白さを我々に与えてくれている。

1945年、ショスタコーヴィチは「ロシア革命37周年記念」「ボルガ=ドン運河開通記念」曲として、この《祝典序曲》を発表した。もちろん初演は大成功で、喝采を浴びた。

だが……ロシア革命「37周年」記念で曲を書くとは、少々、中途半端には思えないか。さらに「ボルガ=ドン運河の開通」は、もう2年前の話なのである。運河の開通を2年後に祝うというのも、どうもピンと来ない。ほんとうにこの曲は、それらのお祝いの音楽なのだろうか……?

実は、それ以前の1947年に、ショスタコーヴィチは「戦後復興に打ち込んでいる人民のための、革命30周年記念曲を書いている」と書いている。ところが、どうも、それにあたる曲がないのだ。そこで、もしかしたら、ここで書いている「記念曲」が≪祝典序曲≫なのではないか、との説がある。だがそうだとしたら、なぜすぐに初演せず、7年もたってから世に出したのだろうか?

実はショスタコーヴィチが「記念曲を書いている」と記した直後、彼は政府から徹底的に批判されていた。「抽象的な音楽はダメ。国家の意向に沿った分りやすい音楽を書け」と。このままでは作曲活動を続けられなくなると判断したショスタコーヴィチは、オラトリオ≪森の歌≫などの「分りやすい音楽」を書いて“反省”を国家に示していた。そんな時期だったので、神経質になって引っ込めたのだろうか……だがそれにしては≪祝典序曲≫は、たいへん「分りやすい音楽」だと思うのだが……。

ここでまたも、新たな想像をしたくなってくる。

実は、独裁者スターリンが、1953年に死んでいるのだ。≪祝典序曲≫の初演は、その翌年1954年……。

もしかしたら……1947年に書いていながら、政府の批判を浴びて神経質になっていたので一時ボツにした……そうしたら、1953年に、やっかいなスターリンがいなくなった……これからは、好きなように音楽を書ける。いまこそ≪祝典序曲≫を世に出して、その歓びをあらわしたい……?

だとしたら≪祝典序曲≫は、スターリンの死を祝う曲なのか?

以上はもちろん推測だが、そう考えた方がピッタリくるほど、この《祝典序曲》は、華々しい祝祭気分に満ちている(人の死を祝う曲というのも変な話だが)。

原曲は管弦楽曲で、ラスト部分にバンダ(金管別働隊)が加わる派手な曲で、いまでは吹奏楽版の方が演奏の機会が多い。かつてはハンスバーガー編曲版が人気だったが、最近は上埜孝版などもある。

ソ連はスターリンの死後、フルシチョフによって「雪解け路線」がとられ、次第に東西冷戦も沈静化し、1991年に連邦解体となった。いま「ソ連」なる国は、もうない。

ちなみに独裁者スターリンは、クラシック音楽を愛好する一面も持っていた。旧ソ連に、マリア・ユーディナ(1899~1970)という「幻」の女流ピアニストがいた。亡くなるまで一度もソ連を出たことがなかったので、西側では、レコードで聴くしかなかったが、ソ連では最も尊敬された骨太なピアニストだった。

ある時、独裁者スターリンが、放送局に自ら電話をかけてきて「ユーディナが弾いた、モーツァルトの23番のコンチェルトのレコードがあるか」と聞いてきた。

放送局のスタッフは、驚かんばかりに飛び上がってしまった。独裁者からのご下問に、まさか「ない」とは言えない。急きょ、ユーディナ本人をはじめ、オーケストラや録音スタッフが放送局に呼び集められ、徹夜で録音、レコード制作が行なわれ、翌朝、スターリンのもとへレコードが届けられた。

1953年3月5日、脳卒中で亡くなったスターリンの部屋のプレーヤーには、そのレコードが載っていたという。【注】
<敬称略>
【注】この話は、有名なヴォルコフ編『ショスタコーヴィチの証言』(中公文庫)など、いくつかの本で紹介されているが、最近では、高橋敏郎『LPジャケット美術館~クラシック名盤100選』新潮社)の中で、ユーディナのLPジャケット肖像写真とともに紹介されている。

■吹奏楽曲でたどる世界【第47回】朝鮮戦争~クロマイト作戦(1950~53) ~仁川<インチョン>(ロバート・W・スミス作曲)

Text:富樫鉄火

●作曲:ロバート・W・スミス Robert W.Smith (1958~)
●原題:INCHON
●初出:2000年(作曲者自身の指揮で、退役軍人の日記念コンサートにて初演)
●出版:Belwin-Mills/Warner
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/set-9649/

●参考音源:『INCHON~The Music of Robert W.Smith Vol.2』 (Warner)、『ニューウインドレパートリー2002』(大阪市教育振興公社)
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-0200/
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-1139/

●演奏時間:約10分
●編成上の特徴:大型編成。標準編成を超える指定・・・尺八もしくはアルトフルート(フルート代用可)、オーボエ1・2(内、1本イングリッシュホーン持ち替え)、コントラバス・クラリネット、ピアノ(もしくはシンセサイザー)、打楽器5パート(ティンパニ含む。舞台裏でオーシャンドラム必要)。
●グレード:5

第2次世界大戦は、1945年に終わった。これでアジアにも平穏な日々が訪れるかと思いきや、そうはいかなかった。

戦後すぐ、朝鮮半島北部に、パルチザン・リーダーの金日成を中心とする共産勢力が集結し始めた(言うまでもないが、この金日成とは、昨今、拉致問題などで注目を浴びている金正日将軍の父親である)。これに対し、南部では、李承晩による反対勢力が臨時政府を樹立。朝鮮半島は、一触即発の状態に陥った。

やがて1948年、李承晩はアメリカの後押しで、南部に「大韓民国」を設立。対抗して金日成は、ソ連のバックアップを得て、北部に「朝鮮民主主義人民共和国」(北朝鮮)を設立。朝鮮半島は、事実上、米ソによって南北に分断された。

北朝鮮を支援していたソ連軍は、アメリカとの直接対決を嫌い、のちに撤退。北朝鮮は孤立する一方、自ら半島を統一しようとする。

そして1950年6月、約10万の北朝鮮軍が38度線を突破し南下を開始。ここに「朝鮮戦争」が始まった。

国連安保理事会は、すぐにアメリカ軍25万人を主力とする「国連軍」を結成、派遣するが、北朝鮮軍の勢いは止められず、あっという間にソウルが陥落する。

さっそく、日本に駐留していたアメリカ軍が追加投入されるが【注1】、それでも北朝鮮軍の優勢は変わらず、戦況は行き詰まる。国連軍は釜山(プサン)近辺で何とか踏み止まっていた。

同年9月、占領軍総司令官マッカーサー元帥は、一発逆転を目指し、決死の「クロマイト作戦」を敢行する。海沿いの町・仁川(インチョン)に国連軍を一挙に上陸させ、北朝鮮軍を、釜山と仁川から挟み撃ちにする作戦だった。これが見事に成功し、北朝鮮軍は敗走。ソウルは国連軍の手で奪回された。

これで朝鮮戦争も一段落しかけたかに見えたが、その後も韓国=国連軍が北朝鮮の首都・平壌(ピョンヤン)を制圧したかと思えば、今度は中国=ソ連軍が圧倒的な戦力で北朝鮮軍を援助。あっという間に平壌は奪回され、それどころか、ソウルまでもが再び陥落。韓国・国連軍は壊滅状態に陥るなど、戦況は一進一退を繰り返し、「シーソー戦争」と称される泥沼状態に陥った。

半島全土は荒廃の一途をたどり、ようやくソ連側の提案で休戦協定が結ばれたのは、1953年7月。この間、両陣営あわせて400万人の死傷者を数え、無数の離散家族を生んだ。しかし結局、朝鮮半島は南北に分断されたまま、いまに至っている。

この戦争が契機のひとつとなって、日本に警察予備隊(現・陸上自衛隊)が誕生し、日米安保条約の改定につながった。また、アメリカ軍兵士のほとんどが日本国内の米軍基地から参戦した関係上、多くの兵器製造・修理・調達を日本の大企業が請け負い、「朝鮮特需」と呼ばれる好景気に見舞われた。当時、日本は米軍の要請に応じて掃海艇を極秘派遣しており(事実上の戦争参加)、犠牲者も出ている。このことは、後日、国会で明らかになり、大問題になった。

作曲家ロバート・W・スミスの父親は、この戦争に参加していたそうで、父親への思い出として、仁川上陸作戦=通称「クロマイト作戦」を音楽化したのが、この≪インチョン≫である。

冒頭、オーシャンドラム(波の音)が海岸線を描写し、尺八(もしくはフルート)のアジア風旋律が流れる。そこへ、打楽器群が模写するヘリコプターのプロペラ音が近づいてきて、戦闘が始まる(小型ヘリコプターが活躍した最初の戦争だった)。

やがて音楽は、朝鮮民謡≪アリラン≫のモチーフを織り交ぜながら【注2】、激しい戦争の描写に移る。我々日本人が聴くと、朝鮮と中国が一体になっているように感じられる部分もあるが、演奏時間約10分、とにかく迫真の戦闘描写がつづく。ラストには、何ともいえない虚しさも漂っている。

決して戦争賛美の音楽ではないが、朝鮮戦争は日本のすぐ隣りで発生した悲劇であり、様々な意味でわが国も関与した戦争だったので、それがアメリカで吹奏楽曲化されたのは、少々複雑な思いである。

しかもこの戦争は、はるか彼方の歴史上の出来事ではなく、つい最近、我々の目の前で起きた戦争だ。それゆえ、この曲を若い人たち(特に中高生)が演奏する際は、指導者が、キチンと戦争の実情や意義を伝え、単なる音のパノラマ再現にならないよう、十分配慮をしていただきたい。この曲は、あくまで「アメリカ人スミス」の視点によってつくられており、我々日本人の見方とは、どこか違っている。非アジア人によって創作された音楽であることを、演奏者は忘れてはならないと思う。

作曲者スミスは、いま、世界で最も注目されている一人。たいへんな多作家で、日本では≪海の男たちの歌(船乗りと海の歌)≫や、ダンテの詩篇をもとにした≪神曲≫などで知られている。スケール豊かな大曲から、初級レベルの小曲まで、様々なタイプの音楽を書くオールマイティである。編曲も多い。≪神曲≫は全4楽章の大作だが、日本では、第1楽章<地獄篇>がよく演奏されているようだ。本連載では、第31回≪機関車大追跡≫で登場した作曲家だ。

なお、この≪インチョン≫は、後日、作曲者自身によって、フル・オーケストラ版に編曲されている。
<敬称略>
【注1】
当時、朝鮮半島に投入されたアメリカ軍兵士の多くは、一度日本の米軍基地に降り立ち、そこから飛び立って行った。そのため、この頃の日本国内の米軍基地は「大混雑」だった。

1950年7月11日深夜、九州・小倉(現・北九州市)の米軍基地内に朝鮮行きのため待機させられていた黒人兵数百人が集団脱走し、小倉市内で暴動を起こして多くの日本女性がレイプされる事件が発生した。彼らは武装しており、鎮圧に乗り出した占領軍憲兵隊との間で、市街銃撃戦にまでなった。

この事実は、アメリカ占領軍による報道管制によって伏せられ、当初、まったく報道されなかった。襲撃を受けた小倉市民や、レイプされた女性たちは、泣き寝入りするしかなかったのだ。1958年、作家・松本清張が、この事件を『黒地の絵』と題して小説化したことで、ようやく一般人にも広く知られるようになった。

脱走暴動を起こした兵士たちは、明日にも朝鮮戦争の最前線へ送り込まれる自らの身を案じ、自暴自棄になっていたのである。しかも、全員、黒人兵だった。危険な戦場の最前線には、まず黒人を送り込む……アメリカという国の実像を見せつけられた事件であった。
【注2】
この曲にかすかに流れる朝鮮民謡≪アリラン≫が、やはりアメリカで吹奏楽曲になっており、長年にわたって演奏されつづけている。ジョン・バーンズ・チャンス(1932~72)作曲の≪朝鮮民謡の主題による変奏曲≫だ。

作曲者チャンスは、陸軍バンド時代、朝鮮戦争後の韓国に赴任しており、現地でこのメロディを何度か耳にしたそうで、退役後、吹奏楽曲としてまとめた。特に朝鮮戦争をテーマにした曲ではないが、チャンス自身の内面には、それなりに思うところがあったに違いない。

有名な≪アリラン≫のメロディが、5種類の変奏で表現されている。オストワルド賞やABA(アメリカ吹奏楽指導者協会)作曲賞も受賞しており、発表以来、いまでも演奏されている、スタンダード・ロングセラーである。それだけ、音楽的にもたいへんまとまった、優れた曲なのだ。

特に、すべての楽器に、基本的な奏法のほとんどがうまく駆使されているので、特にアマチュア・バンドにとってはテキストの一種としても通用するだろう。標準編成を超える指定はコントラバス・クラリネットくらいだが、これはいくらでも対応できる。ただ、打楽器の活躍する部分が多く(チャンスは打楽器奏者だった)、スコアには6パートが指定されている。

ちなみに、作曲者チャンスは、このほかにも≪呪文と踊り≫など、音楽的に充実した素晴らしい吹奏楽曲をたくさん書いた。長く活躍することが期待されていたが、1972年、自宅の裏庭で電流フェンスに触れて感電死するという、ショッキングな最期を迎えている。若干40歳であった。