Text:富樫鉄火
●作曲:バルト・ピクール Bart Picqueur(1972~)ベルギー
●原題:De Bello Gallico
●初出:詳細不明だが、出版は2007年。下記CDが世界初録音と思われる。
●出版:Beriaro
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/set-8541/
●参考音源:『States of Mind/ギィデ交響吹奏楽団』(Beriato)
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-1284/
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-1506/
●演奏時間:全3楽章、約15分
●編成上の特徴:標準編成(アルト・クラリネットはなし)、ただしユーフォニアム1・2あり。※オーボエとバスーンのソロは、ほかの楽器にキュー(代行符)が用意されているので、工夫次第で小~中編成でも十分演奏可能(ピアノもハープも不要)。
●グレード:4~5
VIDEO
吹奏楽ファンならば、グレイアム≪ゲール・フォース≫(ケルトの力)、ウィーラン≪リヴァーダンス≫、ハーディマン≪ケルトの叫び≫などをご存知だろう。あの独特な曲想は、一般に「アイリッシュ音楽」もしくは「ケルト音楽」などといわれる。近年大人気の樽屋雅徳≪マゼランの未知なる大陸への挑戦≫のクライマックス部にも、同じ曲想が登場する。
ポピュラー音楽ファンには、「エンヤ」や「U2」「クラナド」「チーフタンズ」のほうが分かりやすいか。彼らの、どこか寂しげで哀愁があり、それでいて力強さを感じさせる音楽――あれも一種のケルト音楽である。その名もズバリ「ケルティック・ウーマン」という女性グループもいる。映画『タイタニック』の3等船室におけるダンス音楽もそうだ。
これらケルト音楽は、主に現在のアイルランドのものである。アイルランドは、イギリスの横、アイルランド島にある国だ。だから現在では、ケルト=アイルランドと思って差し支えない。
だが、ケルト文化は、もともとアイルランド特有のものではなかった。大昔、ケルト人は、ヨーロッパほぼ全域にいたのである。芸術文化にすぐれた感性を持つ民族だった。【注1】 いわばケルト=ヨーロッパだったのだ。なのになぜ、いまではアイルランドにしか存在しないのか。
それは、ある時期、ヨーロッパ全域にいたケルト人は、ほぼ滅ぼされ、残りはブリタニア(イングランド)の一部と、その横のアイルランド島にのみ残ったからである。
いったい、そんなことをやったのは誰か。それが、今回の主人公、古代ローマの武将ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー、B.C.100~B.C.44)である。彼が、ケルト全域を征服し、ローマの支配下に置いた戦争を、一般に「ガリア戦役」という。この連載でいうと【第12回】交響詩≪スパルタクス≫(スパルタクスの反乱) につづく頃の話だ(そして、カエサル暗殺後、ローマは【第13回】≪パクス・ロマーナ≫ の時代に入るのである)。
「ガリア」とは、おおむね現在のフランス(南仏を除く)を中心に、スイス、ベルギー、オランダ、そしてドイツの一部あたりを指した。ほぼ西欧全域といっていい。この一帯には、ケルト人が多く住んでおり、彼らが住んでいるエリアを古代ローマ人は「ガリア」と呼んでいた。
紀元前58年から51年にかけて、ローマの武将カエサルは、ガリア一帯に遠征して、ほぼ全域を征服した。『ガリア戦記』は、その一部始終をカエサル自身が、三人称で自信満々に綴った戦争記録だ。たいへんな名文で、しかもケルト人がいた頃のヨーロッパの様子が詳しく記録されていた。古代ケルト人は文字を持たなかったので、自分たちの記録を残さなかった。そのせいもあって、一躍、貴重な記録として評価され、著述家カエサルの名も決定的となった。
大著『ローマ人の物語』を書いた作家・塩野七生は、こう書いている――「ともあれこの二千年間、カエサルの業績に関しては意見が分かれないでもなかった史家たちだが、カエサルの文章力についてならば、讃嘆で全員が一致してきたのである。二千年後でさえ文庫本で版を重ねるという、物書きの夢まで実現した男であった」(塩野七生『ローマ人の物語Ⅳ/ユリウス・カエサル ルビコン以前』(新潮社)より/新潮文庫版だと『ローマ人の物語9』)。
また、岩波文庫版『ガリア戦記』の翻訳者・近山金次は、解説で、こう評している――「原文は簡潔、夢も望みも苦しみも、恐れも怒りも悲しみも、憂えも祈りも喜びも、生々しい姿で綴られている。それは人と人を結びつけて絶えず死に直面させる。冷酷な、それでいて感動的な記録である」(以後の原著引用も、同書から)
内容は、1巻に1年分の記録をあて、紀元前58年(第1巻)から始まって、紀元前51年(第8巻)まで、全8巻構成だ(最後の第8巻だけは、カエサルの死後、別人が書いた。だから岩波文庫版に、第8巻は収録されていない)【注2】 。ただし全8巻といっても、全部あわせて文庫本1冊程度の分量である。
ガリア(ケルト)人は、西欧全域に多くの部族に分かれて住んでいたが、次第にゲルマン人が入り込んできた。ガリア人は、彼らを避けるため、大移動を開始した。ところが、そのためには、周辺にあるローマ属州の中を通過しなければならなかった。そうなると、必ず争いが起きる。そこでカエサルは、属州保護の名目で、ガリア人征伐を開始する。「勝手にあちこち動き回るな」というわけだ。多くの部族に分かれ、まとまることのなかったガリア人の地は次々とローマの支配下に落ちていった。
だが、カエサルのガリア平定は、決して平坦な路ではなかった。ローマ軍に真っ向から戦いを挑む部族もけっこういた。たとえばフランス(=ガリア)史上、最初の英雄といわれるウェルキンゲトリクス(B.C.72~B.C46)である。彼は20歳そこそこでガリア諸部族をまとめ、最後の最後までカエサル軍をさんざん苦しめた。【注3】
そんなガリア戦役の中で、初めて「カエサルが敵に背中を見せた」といわれたのが、ベルガエ人(ベルギー人、ガリア・ベルギカ人とも)の「ネルウィー族」との戦いである。『ガリア戦記』第2巻(紀元前57年)に記録されている。
今回ご紹介する吹奏楽曲≪ガリア戦記≫は、このネルウィー族との戦いを描いた曲である(つまり『ガリア戦記』全体を描いた曲ではないので注意。8年にわたった大遠征戦争の中の、紀元前57年におきた、特定の戦いを描いているのである)。作曲者ピクールにとっては母国で起きた戦争だ。
そしてもう一点重要なのは、この曲が、ローマ=カエサルの視点ではなく、攻められたガリア側=ネルウィー族の視点で描かれているということだ。曲名こそ≪De Bello Gallico≫(ガリア戦記)だが、内容は「ネルウィー族の抵抗」なのだ。これは、実際に曲を聴いていただければわかる。
だから、『ガリア戦記』第2巻のネルウィー族との戦いの部分を読まずしてこの曲を演奏することは、あり得ない。いや、読まずに演奏してはいけない。また、鑑賞するに際しても、この部分を読んでいるといないとでは、理解度が大きく変わる。原著(岩波文庫版)でいうと「Ⅱ-16」から始まる部分である。
では、どのような戦いだったのか。曲に即しておおまかに述べると――【注4】
■第1楽章<Batllefield>戦いの荒野 :約6分半
ネルウィー族は、現在のフランス北東部からベルギー一帯に住んでいた。贅沢を嫌い、武勇にすぐれ、周辺のベルガエ人がローマに屈したのを嘆いていた。
曲は木管群を中心に、pppで静謐に開始する。カエサル軍は、霧と深い森に覆われたガリアの地へと静かに歩を進めてくる(Ⅱ-16)。フルートやユーフォニアムのソロが、深遠な森の自然や、霧を描写する。やがてトゥッティとなり、カエサル軍の全容が霧の中からあらわれる。対岸には、ネルウィー族が6万の大軍勢で待ち構えている。
ネルウィー族は、木材を使って巨大な防護柵を大量につくり、茨のトゲをからませ、その陰に隠れてカエサル軍を待ち構えた。
曲は、いままでのゆったりしたテンポから一転、ティンパニとザイロフォンを合図に、快速テンポになだれ込む。いよいよ決戦だ。ここからの『ガリア戦記』の記述も、まさに迫真の戦闘描写である(Ⅱ-19~)。
ネルウィー族は、森の中から不意に襲いかかった。特製の防護柵が邪魔して、カエサル軍は容易に前へ進めなかった。
カエサルは混乱した。あちこちで戦っている各軍団に、同時にさまざまな指示を出さなければならなかった。旗も挙げねばならない、ラッパも吹かせなければならない、集合、演説、指示……とても、一人でそれだけのことは同時にできなかった。
カエサル軍は、一時退却を強いられた。これぞ、8年間に及んだガリア遠征の中で、カエサルが初めて「敵に背中を見せた」瞬間だった。この事実は「ローマ軍が敗退した」という大袈裟な噂となって、瞬時にガリア全域に広まった。
ネルウィー族は、前の戦士が倒れると、その死体を乗り越えて、また向かってきた。最後には、死体の山の上から、槍や石を投げてきた。カエサルはこう書いている――「このように勇敢な人々が広い河を渡って高い土手を上り、非常に不利なところまで押し寄せたのは無謀だったと考えてはならない」(Ⅱ-27)。カエサルは、彼らの武勇を評価しているのである。
曲調も、派手ながら、どこか不安げな様子がつづく。金管群の咆哮が、カエサル軍の苦悩を描写する。太鼓の響きがガリア=ケルト特有のムードを醸し出す。
だがさすがはローマ軍。司令官カエサルの指示はなくとも、十分に鍛えられた各現場指揮官は、その場で状況を察して、反撃に出た。輸送部隊も援軍に駆けつけたばかりか、常にカエサルを助けた副将ラビエヌスも、手空きの軍団を率いて援軍に参加した。
結局、瞬発力にはすぐれていても、持久力で劣るガリア人の特質が仇となって、いつしかネルウィー族は疲れ始め、体力で勝るローマ軍に打ち負かされた。
トゥッティで戦いの結末を奏で、第1楽章は、殺戮されたネルウィー族の遺体の山が散乱しているであろう荒野の様相を描写して、静かに終わる。
■第2楽章<Ritual>儀式 :約4分半
この戦いで、ネルウィー族の成人男子は、ほとんどが絶えた。戦いにあたって、女子供や年寄りは、近隣の安全な湿地帯に避難し、隠れていた。彼らは、もう勝ち目はないと察し、カエサルへ使者を送り、降伏した。使者は「600名いた元老が3名となり、武装できるもの6万が僅か500名になった」と言った。(Ⅱ-28)
この第2楽章は、第1楽章ラストのムードを、そのまま引きずって静かに開始する。おそらくネルウィー族が戦死者を悼む追悼儀式の様子と思われる。このタイトル「Ritual」は、直訳すれば「儀式」だが、ニュアンスとしては、宗教的祭礼儀式のイメージが強い。あるいは、使者がカエサルに降伏を申し出ている場面かもしれない。【注5】
曲は、ゆったりとパッサカリアのように進行し、壮大なクライマックスに至る。
■第3楽章<Victory…As It Seems>勝利…のような :約4分
生き残ったネルウィー族の降伏を受け入れたカエサルは、彼らを殺さなかった。
『ガリア戦記』は、こう綴る――「カエサルは惨めなものや歎願するものに慈悲深いと思われるように、その部族の存続を許し、領地や町をそのまま使わせることにした。隣りの部族と仲間にもこれに乱暴をしたり損害をかけたりしないように命じた」(Ⅱ-28)
かくしてネルウィー族は滅亡を免れた。ケルト文化も残ることになった。第3楽章は、そんなケルトのお祭りである。タイトルにある<勝利…のような>とは、なんとも複雑なニュアンスだが、ネルウィー族にとっては、戦いに負けたものの、民族存続という点では「勝利」だった。だがカエサルにとっては「勝利」ではあったが、一時危機に陥っただけに、単純な勝利とはいえない……そんな意味合いが込められているのかもしれない。
第3楽章は、祭りの開幕を思わせるファンファーレにつづき、すぐにダンス部に入る。中盤からピッコロ&フルートと、E♭&B♭クラリネット1の掛け合いがケルト・ダンスとなって展開する(ここは一発でボロが出る難所)。ほかの管楽器奏者は全員、手拍子だ。いまではアイルランドにしか残っていないケルト文化が、本来ヨーロッパ大陸にあったことを訴えている部分ともいえる。
やがて管楽器奏者全員で「大合唱」になる。しかも各パートごと2部合唱になっており、吹奏楽曲でこれほど本格的な合唱が登場する曲も珍しいだろう。歌詞はラテン語とオランダ語が混じっている。スコアにはオランダ語部分のみ、4ヶ国語訳が載っているが、ここで、ラテン語部分も含めた(おそらく)本邦初公開、全文の日本語訳をお届けする(ご協力いただいたKF女史に感謝します)。
来たぞ、見たぞ
逃げちまったぞ
勝利だ勝利だ
さあ呑め歌え
ビールだビール、泡立つビールだ
苦くて甘いよ、天国行きだ
店のオヤジに乾杯だ
もっとジャンジャン持ってこい
来たぞ、見たぞ
逃げちまったぞ
ユリウス(・カエサル)のアホめ
我らこそ古代ベルギー人だ!
カエサル連戦連勝だったはずのガリア戦役の中で、ここまでケルト人が勝利の喜びを叫んだことは、まずなかったであろう。
もしコンクールで演奏するとなると、規定では「歌詞のあるスキャット(歌声)」はダメだから、ここは「単なる発声」に変えるか、音符どおり、楽器で演奏するしかない(楽器演奏でもかなりの迫力が出るものと思われる)。
祭りとダンスは最高潮に達し、「もう一段階、盛り上がりそうだ」と思ったその瞬間、突然終わる。
――作曲者バルト・ピクールは、ベルギー北部のゲントの音楽院で学んだ(ゲントは「北方ルネサンス誕生地」「花の町」として有名な古都で、『青い鳥』を書いたメーテルリンクの生地)。クラリネットが専門のようで、【第56回】で紹介したディルク・ブロッセにも学んだ 。いままでは編曲が多かったようだが、近年、ベルギーのBriato社から、オリジナル作品も出し始めている。今後、注目の若手作曲家である。
なお、この曲のスコアには、「Jos “Assurancetourix” Van Der Cruysのために」と書かれている。「Assurancetourix」というニックネームの、Jos Van Der Cruysという人に捧げられた曲らしい。いったい何者なのか、あちこち調べたのだが、どうやらベルギーにMusicaloなる吹奏楽団があって、作曲者ピクールとも縁のあるバンドのようである。で、そこの打楽器奏者に同名の人がいる。おそらく、彼のことではないだろうか。ピクールの友人なのだろう。
では、ニックネームと思しき「Assurancetourix」(アシュランストゥリークス)とは何かというと、フランスの国民的人気漫画に『Asterix』(アステリックス)という作品がある(日本でも1970年代に邦訳本が出たが、定着しなかった)。フランスでシリーズ映画になっているばかりか、テーマパークまでがある。この漫画が、まさにガリア戦役が舞台で、たまたまローマの支配を逃れたガリア地方(現在のブルターニュの一角)の、小さな村を舞台にしたドタバタ・コメディ漫画なのだ。で、この漫画の登場人物の1人に、少々自信過剰でこっけいな音楽家が登場し、彼の名前が「Assurancetourix」(アシュランストゥリークス)なのである。どうやらそれがVan Der Cruys氏のニックネームらしい。まことに≪ガリア戦記≫に相応しいニックネームだ。もしかしたら≪ガリア戦記≫は、このMusicaloが初演したのかもしれない。
(…上記部分は、ネットそのほかで調べた情報ですが、なにぶんオランダ語やフランス語がよく分からないので、筆者の誤解があるかもしれません。詳しい情報をお持ちの方がいたら、ぜひご一報ください)。
大編成でなくとも演奏でき、特殊楽器も必要ない。抜群の描写力に加え、適度なグレードで最大限の効果が出るように書かれている。日本でも、もっと演奏されていい曲だと思う。大編成が組めないために、スケールの大きな曲をあきらめていたバンドに、ぜひ挑戦していただきたい。
<敬称略>
【注1】 ケルト人は、金属加工技術にすぐれていた。たとえば「クラダ・リング」なる指輪がある。キムタクや、ドリカムの吉田美和が付けていた、ハート+王冠の銀細工リングである。これは現在、アイルランド政府の商標登録工芸品で、1600年代からアイルランドのクラダ村でつくられはじめたそうだが、イメージのルーツに古代ケルト文化があるともいわれている。アイルランド製のバングル(腕輪)にも「ケルティック・バングル」があり、古代ケルト人が愛好した複雑なデザイン模様が刻印されている。また、ワーグナー≪ニーベルングの指環≫に登場するニーベルング族(小人)や、『白雪姫』の7人の小人は、小柄だった古代ケルト人がモデルだといわれているが、そういえばみんな鉱夫で、キンコンカンコンと金属鋳造みたいなことをやっていた。
【注2】 講談社学術文庫版『ガリア戦記』(國原吉之助訳)には、この別人が書いた第8巻部分も収録されている。
【注3】 これが有名な「アレシアの戦い」(紀元前52年)。直木賞作家・佐藤賢一の小説『カエサルを撃て』(中公文庫)は、この戦争を描いたもので、ヴェルキンゲトリクスが主人公である。
【注4】 この曲に関しては、作曲者も出版元も、あまり詳しい解説を発表していない。せいぜい「ベルガエ人であるネルウィー族とカエサル軍との戦いを描いた」程度のコメントがあるだけだ。よって、本稿には、多分に筆者の想像が加わっていることをご承知いただきたい。
【注5】 古代ケルト人の宗教儀式が、たいへん有名なオペラに登場する。ベッリーニ作曲≪ノルマ≫(1831年初演)である。紀元前50年頃、ローマの支配下に入った、あるガリア地方が舞台だ。ここのケルト人たちが信仰するドルイド教団内で起きる恋愛事件(ローマ総督がからむ)が題材である。純粋なイタリア・オペラなので、音楽的にケルト色はないが、名旋律満載、オペラ史上に残る超傑作である。マリア・カラスが当たり役にしていたことで有名(ほとんどカラスの名演によって一般に親しまれるようになったといっても過言ではない)。
【『ガリア戦記』について】
『ガリア戦記』に関して、しつこく思われるのを承知で、もう少し述べておきたい。
若いBP読者には、こんな紀元前の戦争の記録、何の興味もないかもしれない。確かに、現在、岩波文庫に収録されている近山金次訳は、戦前の1942年(昭和17年)初版である。現行版は表記も現代仮名遣いにあらためられているが、それでも、そう読みやすい本ではない。昨今のケータイ小説に慣れている若者には、かなりしんどく感じるだろう。カエサル自身が書いたのに、「その時カエサルは……」などと三人称で書かれているのにも、違和感を覚えるかもしれない。
だが、少し我慢して、まず第1巻部分だけでも読んでみていただきたい(正味50頁ほどだ)。ここには、異文化に接する人間の驚きや感動がある。そして、それと戦わなければならない男の蛮勇と非情、時折は哀しみがある。ここに描かれたカエサルやケルト人たちの姿は、私たちとまったく同じだ。新しい学校や職場に入った時の戸惑い、いじめ、混乱――紀元前も21世紀のいまも、人間同士の関係は、たいして変化していないことが分かるはずだ。そうでなくとも、戦争シーンは、策謀の連続で迫力満点である。戦略ゲームの好きな方なら、たまらないだろう。
そして、このガリア戦役で、ヨーロッパ本土からケルト文化が消えてしまい、いまでは、片隅のアイルランドのみでひっそりと生き残っていること、また、それが吹奏楽の世界で盛んになっていることに、ぜひ思いを馳せていただきたい。その原点が、この『ガリア戦記』なのだ。
なお、『ガリア戦記』やカエサルに初めて興味を持った方には、まず、長谷川博隆『カエサル』(講談社学術文庫)をお薦めする。これは1967年に中高生向けに書かれた名著だが(当時は旺文社文庫版だった)、大人の鑑賞に十分耐えうる入門書の決定版である。これを読んでから、岩波文庫版『ガリア戦記』や、近年話題の、塩野七生『ローマ人の物語』シリーズ(新潮社)などに進んだほうがいい。