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■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第85話 U.S.マリン・バンドがやってきた!

▲アメリカ海兵隊バンド、日本語つきパンフレット

▲ 第28代ディレクター、ジェイソン・K・フェティッグ大佐

▲日本ツアー・ステッカー

▲CD – アメリカ海兵隊バンド セレクション(Power House、PHCD-1001~5

『あれ?ヒグチさん!!どないしはりました?えらいとこでお会いしますね!』

待ち合わせのため、先を急いでいた筆者に思いがけなく掛かったバリバリの大阪弁の方向を見ると、そこには、全日本学生吹奏楽連盟理事長の溝邊典紀さんと千修吹奏楽団常任指揮者の井上 学さんのふたりが笑顔で立っていた。

ふたりも面喰っている様子だったが、近年、なぜか大阪から鎌倉に移った井上さんはさておき、奈良の溝邊さんや大阪の筆者が遠く離れた横浜のホール近くで出くわすことなど、まずあり得ない。

2019年(令和元年)5月15日(水)、押し寄せる人の波でごった返す横浜みなとみらい大ホールの入り口近くで起こった“怪事件”である。

この日、みなとみらいホールでは、午後6時30分から、“U.S. マリン・バンド”、即ち“アメリカ合衆国政府派遣音楽使節”として初来日した“大統領直属”アメリカ海兵隊バンド(“The President’s Own” United States Maine Band)を、陸上自衛隊中央音楽隊がホストとなり、「横浜開港祭 日米友好チャリティー吹奏楽コンサート ザ ブラスクルーズ2019 ~特別公演~ 誠」というジョイント・コンサートが開かれることになっていた。

溝邊さんと井上さんは、そのリハーサルを見学した後、ちょうどホールから出てきたところだった。

一方、筆者が待ち合わせた相手は、Band Powerの名物編集長、鎌田小太郎(コタロー)さん。

これに遡ること20年前の2000年に、U.S.マリン・バンド供給のオリジナル録音を活用した5枚組CDボックス「アメリカ海兵隊バンド セレクション(The President’s Own United States Maine Band Selection)」(Power House、PHCD-1001~5)の国内リリースを企画し、“U.S.マリン”の存在を広く知らしめた中心的人物だ。氏の熱意がなかったら、この企画は成り立たなかった。

そして、この日、コタローさんと筆者は、“横浜開港祭 ザ ブラスクルーズ”実行委員会会長の小松俊之さんから直接コンサートに招待されていた。

『そういうことだったんですね。』と互いに事情がわかった関西組3人は、開場まで少し余裕があることを確認し、『お茶でも行きますか?』という溝邊さんに従って近くのファストフード店へ。井上さんがコタローさんへ携帯で居場所を知らせて、合流を促してもらうことになった。

そこでワイワイガヤガヤ騒いでいると、偶然横を通られた秋山紀夫さんや日本スーザ協会の会員などからつぎつぎ声がかかる。みんな声がでかいので、結構目立っている様子だ。その後も、元東京佼成ウインドオーケストラのユーフォニアム奏者、三浦 徹さんや洗足学園音楽大学の山本武雄さんなどと挨拶をかわす。アメリカまで行かないと聴けない“マリン”を日本のホールでナマで聴けるとあって、さすがに今日は吹奏楽関係の知人が多い。

実は、マリン・バンドがアメリカ国外に出てコンサートを行なうのは、2001年、スイスへの演奏旅行以来という、超レア・ケースだったのだ!

話を本題に戻そう。

初来日となったアメリカ海兵隊バンドは、この日の横浜みなとみらいを皮切りに、以下の4会場のコンサートおよびレクチャーに出演した。

・5/15(水)
横浜開港祭 日米友好チャリティー吹奏楽コンサート ザ ブラスクルーズ2019 ~特別公演~ 誠
(於:横浜みなとみらい大ホール、開演:18:30)

・5/16(木)
かなざわ国際音楽祭2019 Vol.1 アメリカ海兵隊軍楽隊コンサート
(於:石川県金沢の本多の森ホール、開演:19:00)

・5/17(金)
第50回 日本吹奏楽指導者クリニック 2019 50周年記念スペシャル・コンサート
(於:アクトシティ浜松大ホール、開演:18:00)

・5/18(土)
第50回 日本吹奏楽指導者クリニック 2019 スーザマーチの演奏法
(於:アクトシティ浜松大ホール、開演:9:00)

・5/19(日)
Viva! Music! 音の祭典 アメリカ海兵隊軍楽隊
(於:山口県民文化ホールいわくに シンフォニア岩国コンサートホール、開演:14:00)

バンドの歴史を紐解くと、創設は、1798年7月11日。第2代アメリカ大統領ジョン・アダムズ(在職:1797年~1801年)が、バンド設立の議会法に署名したときだ。以来、“プレジデンツ・オウン(大統領直属)”という、その名のステータスにふさわしく、外国要人も訪れるホワイトハウスで必要とされる音楽すべてを提供する任務を担っている。

現在のホワイトハウスの主は、ドナルド・トランプ第45代アメリカ大統領(在職:2017~)。

みなとみらいで配布されていた日本語つきのパンフレットにも、以下の文言が誇らしげに印刷されている。

“THE MISSION OF THE UNITED STATES MARINE BAND IS TO PROVIDE MUSIC FOR THE PRESIDENT OF THE UNITED STATES AND THE COMMANDANT OF THE MARINE CORPS.”

“「大統領直属」アメリカ海兵隊バンドの使命は、アメリカ大統領と海兵隊司令官のために演奏することである。”

この日のマリン・バンドの指揮者は、2014年7月に就任したジェイソン・K・フェティッグ大佐(Colonel Jason K. Fettig, Director)。ホワイトハウスの音楽アドバイザーであり、毎年500回以上の演奏を行なうこのバンドの第28代ディレクターだ。

そして、歴代ディレクターの中で最も有名なのが、このバンドの演奏を飛躍的に高め、1880年から1892年まで指揮をつとめた第17代リーダーのジョン・フィリップ・スーザ(John Philip Sousa、1854~1932)である。(当時は“Director”ではなく“Leader”と呼称された)

言うまでもなく、この日のプログラムにも入っていた「星条旗よ永遠なれ(The Stars and Stripes Forever)」(1886)の作曲者だ。

そして、1887年5月14日、ペンシルベニア州フィラデルフィアで初演されたこのマーチは、初演からほぼ100年後にあたる1987年12月11日、第40代アメリカ大統領ロナルド・レーガン(在職:1981~1985、1985~1989)の署名によって、議会で“アメリカ合衆国ナショナル・マーチ”(国の公式行進曲)に制定された。

この事実は、日本では意外と報じられていない。

みなとみらいでは、日米の両バンドは、両国の友好のため、ともにすばらしいプログラムを組んできたが、少し大袈裟な表現が許されるなら、この日、来場した聴衆の多くは、“マリン・バンド”が演奏するこの曲を目当てにこのホールに詰めかけたのかも知れない。

本家本元の演奏を聴きたいと!

かつて、“マリン・バンド”を客演し、自作の「ダンス・ムーブメント」を指揮した友人のイギリス人作曲家フィリップ・スパーク(Philip Sparke)が、このバンドを評してこう言っていた。

“どのセクションも最高のチェンバー・オーケストラに匹敵するすばらしいバンドだ!”

スコアの隅々まで浮かび上がるようなクリアさと清潔なハーモニー、そして各セクションの見事な統一感!使う道具(楽器)にも、強いこだわりが見て取れた。

もちろん、お目当ての「星条旗よ永遠なれ」もファンタスティック!!

以前にアメリカで聴いたときも、この日も“マリン・バンド”は“マリン・バンド”だった!

大阪に戻った後、一人でそんな感慨に耽っていたとき、浜松のクリニックでナマ演奏を聴いた人からもつぎつぎと連絡が入った。

“本当に感動しました。みんな30,000円(クリニック参加費)が安かったと言っていますよ!”

“中学生のときに聴いた“ギャルド”のレコード以来の感動でした!”

“我々は、長い年月をかけて何やってたんですかね!”

“スーザのマーチがあんなにすばらしいなんて!”

みんな興奮していた!!

聞くところによると、浜松のクリニックでは、例年、空席が目立つコンサート翌日朝一番の講座「スーザマーチの演奏法」(5/18)も超満員だったという。岩国もチケットが完売となった。

初来日したU.S. マリン・バンド!

それは、我々にすばらしい感動を残していってくれた!

▲チラシ – 横浜開港祭 日米友好チャリティー吹奏楽コンサート ザ ブラスクルーズ2019

▲プログラム – 横浜開港祭 日米友好チャリティー吹奏楽コンサート ザ ブラスクルーズ2019

▲曲目 – 日米友好チャリティー吹奏楽コンサート(横浜)

▲ 曲目 – 日本吹奏楽指導者クリニック 2019 50周年記念スペシャル・コンサート(浜松)

▲チラシ – かなざわ国際音楽祭2019 Vol.1 アメリカ海兵隊軍楽隊コンサート(金沢)

▲チラシ – Viva! Music! 音の祭典 アメリカ海兵隊軍楽隊(岩国)

▲LP – John Philip Sousa Vol.1(非売品、CFS-2722)]

▲CFS-2722 – A面レーベル

▲CFS-2722 – B面レーベル

▲LP – John Philip Sousa Vol.2(非売品、CFS-2723)

▲CFS-2723 – A面レーベル

▲CFS-2723 – B面レーベル

▲LP – John Philip Sousa Vol.3(非売品、CFS-2724)

▲CFS-2724 – A面レーベル

▲CFS-2724 – B面レーベル

■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第76話 ヤン・ヴァンデルローストのメモ

▲ヤン・ヴァンデルロースト(2018年9月30日、飛騨芸術堂)(提供:月刊さるぼぼ)

▲高山市民吹奏楽団創立50周年記念誌(2018年6月発行)

▲高山市吹50周年の特集記事が組まれた「月刊さるぼぼ」(2018年11月号)

2018年(平成30年)9月29日(土)、モーレツな暴風域を伴った台風24号が日本列島を窺う中、筆者は、オープン・キャンパスが開かれている名古屋芸術大学を訪れていた。

2日前、教授の竹内雅一さんからの電話で、ヤン・ヴァンデルロースト(Jan Van der Roost)の来学を聞かされていたからだ。ヤンは、同大学の名誉教授でもある。

実はこの時、ヤンには、訊かねばならない質問が山のようにあった。しかし、午前中のウィンド・オーケストラのリハを終え、3人で昼食をとったとき、こちらが何かを切り出す前に、彼はポケットから何やらメモのようなものを取り出しながら、こう言った。

『ちょっと相談にのって欲しいことがあるんだ….。』

(こういうノリの“相談”が、実は怖い!)

ペン書きのメモには、何やら箇条書きのような文字が並んでいた。

『明日、タカヤマで50周年委嘱作のリハーサルをやるんだけど。まだタイトルが固まっていないんだ…。』

(ほーら、きたきた!)

ヤンの言う“タカヤマ”とは、春・秋に行われる有名な“高山祭”で知られる岐阜県高山市で活動する“高山市民吹奏楽団”のことだ。記念演奏会は、竹内さんの指揮で、11月18日(日)に予定されていた。

バンド創立以来のメンバーもプレイする、そんなこのバンドと付き合いが始まったのは、ヤンのジングシュピール「むかしむかし…(Es War Einmal…)」日本語版の世界初演プロジェクトが立ち上がった2014年のことだった。(第34話、参照

そして、同公演(2016年9月18日、高山市民文化会館)を満員札止めの大成功に導いた飛騨高山文化芸術祭実行委員会会長の大萱真紀人さんが、実は高山市民吹奏楽団の理事長でもあった。

頂戴した「高山市民吹奏楽団創立50周年記念誌」に、団長の原田政彦さんが書かれている“市吹半世紀の時を刻む”という挨拶文を拝見すると、このバンドは、1968年(昭和43年)に高山ウインドアンサンブルの名で誕生。その翌年の1969年に現在のバンド名に改称し、今日に至っているという。

“我々団員は、吹奏楽を通して団員各自の教養と情操を高め、団員相互の理解と親睦を深めるとともに、地域社会の文化発展と国際交流に寄与しよう。”という、活動の理念としてまとめられた綱領がすばらしい。

その言葉どおり、“仲間と、音楽と、地域と・・・”と綴られる50年の活動をみると、1994年、2000年、2014年の3回に渡って、高山の姉妹都市デンバー(アメリカ合衆国コロラド州)を公式訪問。コンクール出場をめざすのではなく、この地域の吹奏楽祭を主催したり、コンクールの運営協力を行うなど、積極的に地域と係ってきた。

また、高山の子供たちにいいものを聴いてもらおうと、エリック・ミヤシロ、津堅直弘、田中靖人、小田桐寛之、露木 薫など、ポップからクラシックまで著名なソロイストが招かれ、客演指揮者にも、アルフレッド・リード、ヤン・ヴァンデルロースト、ヤン・デハーン、岩井直溥など、多彩な顔ぶれが招かれてきた。

とくに“ニュー・サウンズ”でおなじみの岩井さんとは、1993年(平成5年)からほぼ20年にわたって定期演奏会での共演が続き、このバンドに関わるすべての人々の音楽的財産となっている。

円谷プロの協力を得て、ウルトラマン、ウルトラセブン、ウルトラマン・ジャック、ウルトラマンタロウ、バルタン星人、レッドキングが出演したことまであった。

話を元に戻そう!

ヤンは、曲名のアイデアが書かれているメモを見せながら、こう続けた。

『明日のリハーサルの後、タカヤマのみんなと曲名について議論することになっているんだけど、議論のまとめ役をしてほしいんだ。』

(“一緒に高山に行ってくれ”というわけ?)

ヤンはまた、『英語の出版タイトルには、最終的に“ネイティブ”(アメリカ人の責任者)のチェックが入るんだ!』とも言う。

これにはさすが驚いた!

アメリカとヨーロッパでは、英語の単語1つをとっても、発音だけでなく、意味やニュアンス、使われ方が違うことが多いからだ。こんなところにまで、アメリカン・スタンダードが押し出してくるのか!

第一、“作曲家に自由な曲名の裁量権がない”なんて!?

すぐ演奏課に戻り、ホテル情報をチェックしてもらうと、台風直撃予想のためか空室が多く、アッという間に高山行きが決定! オープン・キャンパス終了後、3人で高山に向かうことになった。

9月30日(日)、ヤンが指揮をした“飛騨・世界生活文化センター 飛騨芸術堂”(高山市千島町)でのリハーサルは、“飛騨 地域みっちゃく生活情報誌「月刊さるぼぼ」”の取材も入り、とても充実したものとなった。

これまで何度も高山を訪れ、この町の風土や歴史をよく噛みしめていたのであろう。ヤンは、冒頭部分に特に感情移入し、まるで日本人作曲家が書いたようなピッコロ・ソロ(もしくは、ソリ)のメロディーを書いていた。それは、和音階(和のペンタニック)を見事に消化し、和楽器の篠笛に持ち替えてもいいほど、和に同化していた。実際、高山祭では“祭笛”が大活躍する。

中間あたりでは堂々とした展開が聴かれる。曲を書いた本人は、『ここは高山を支配した“将軍”の権威をあらわしている…。』と説明してくれたが、『高山は、確かに天領(幕府直轄領)だったが、“将軍”が暮らしたのは江戸(今の東京)だった。』と言うと、大笑い。彼も『それじゃ、ここはこの地方を治めた“支配者”の権威ということにしよう。支配者はいたんだろう?』と、なんとか“落としどころ”を見つけて一件落着。ただ、ヤンに“天領”とか“代官”、“郡代”を理解させることは、とうてい不可能なことのように思えた。

また、曲には、直接的な引用ではないが、祭りのイメージも随所に盛り込まれ、ヤンが曲名から、アルファベットの“TAKAYAMA”という文字だけははずせないと言った理由もよく理解できた。

ヤンがあまりにも見事に和音階を取り込んだ音楽を書いてきたため、リハーサル後の食事会を兼ねたミーティングでは議論百出!日本文字の“宴”とか“祭”を曲名にできないだろうか、という意見まで出た。

他方、曲は、高山市吹50周年の祝典曲の性格も担っていた。ヤンのメモには、「TAKAYAMA ~」という候補がいくつも書かれ、その最上部に「CELEBRATION」という文字があった。ヤンもかなり前向きだったことから、この日は、意見集約の第一案として、臨機応変にこの2つの意味を組み合わせ、サブに「U-TA-GE」とするのはどうだろうかとヤンに提案した。もちろん、“ネイティブ”がどう言うかはまったく気にせずに!

次の日の10月1日(月)、朝起きると、台風24号の被害のため、交通網は大混乱。帰路は、午後になってやっと動き出した高山本線の特急「ひだ14号」となった。

その車中、車窓を流れる景色と、聴いたばかりのヤンの新作の印象が重なり何度も何度もリフレインする。そのとき、不意に『高山の印象』という日本語が頭をよぎった。英語に訳すなら、「Impressions of Takayama」もしくは「Impressions from Takayama」という感じになるかも知れない。

(曲想ともマッチングする!第二案は、これでいくか!)

その後、第一案を持ち帰ったヤンからも、出版社とのバトルを終え、メールが入った。

そこには、こう書かれていた。

『TAKAYAMA IMPRESSIONS』

2人は、同じことを考えていた!

▼リハーサル風景(2018年9月30日、飛騨芸術堂)(撮影:竹内雅一) 

■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第71話 デメイ:交響曲第2番「ビッグ・アップル」完成前夜


▲ヨハン・デメイ

▲愛用のピアノに向かうヨハン

▲交響曲第2番「ビッグ・アップル」のスコア表紙の見本を見せるヨハン

交響曲第1番『指輪物語』(Symphony No.1 “The Lord of the Rings”)の世界的ヒットで知られるオランダの作曲家ヨハン・デメイ(Johan de Meij)のアムステルダムの自宅に招かれたのは、1993年6月27日(日)のことだった。

前夜、ブーニゲンで聴いたオランダ王国陸軍バンドのコンサート(第70話:オランダKMK(カーエムカー)の誇り”、参照)の興奮がまだ冷めやらない、オランダ滞在2日目のことである。

この日の朝、筆者の泊るホテルまで車で迎えに来てくれたヨハンは、“今日は、自分のことをいろいろ知って欲しいんだ”と言いながら、まず、彼が所属するコンテンポラリー・ミュージック(現代音楽)合奏団“オルケスト・デ・フォルハルディンフ(Orkest de Volharding)”の練習へと筆者を誘う。

オランダは、コンテンポラリー・ミュージックの演奏がひじょうに盛んな国だ。

ヨハンは、金管楽器、サクソフォン、ピアノ、ギターからなるこのグループのセカンド・トロンボーン奏者でもあった。

この日聴いた曲は、はじめて耳にするものばかりだった。しかし、練習は、近く予定されているレコーディングのためのリハーサルだということで、演奏はすでにほとんど仕上がっていた。それを、他に聴衆がいない中、自分の好みの“特等席”で自由に聴けるとは、正しく贅沢の極みだ!

オランダの管楽器プレイヤーの個々の実力を間近で聴くことができるすばらしい時間となった。

練習終了後、ヨハンは、“せっかくオランダに来たんだから、オランダ流のランチにしよう!”と言って、車でアムステルダム北方のどこかの田舎町(これが思い出せない)のパンケーキのレストランに連れていってくれた。

昨夜につづき、ヨハンは、『この店には、日本からの観光客はまだ誰も来たことが無いはずだ!』とやけに自信満々だ!

そこは、日本のような派手なネオン類が一切ない店だった。ヨハンの“ここのがうまいんだ!”という言葉に促されながら一歩店内に入ると、そこは常連とおぼしき人たちで一杯で、ワイワイガヤガヤと、まるで村の集会場といった感じだった。

しかし、オランダ語で書かれたメニューらしきものは、もちろん、まるでチンプンカンプン。なので、彼に注文を任せると、いろいろ違った種類のものが出てきた。

日本で知る“パンケーキ”とはまるで違う。しかもどれも結構ボリュームがあった。

“そうか、オランダ人は、こういうものを毎日のように喰っているので、あんなに背が高くなるんだ!”などと、勝手に自分を納得させながら、二人でランチを愉しんだ。

ランチの後、今度は、“マルケン”というアムステルダム近郊の港町で“ハーバー・フェスティヴァルをやっているので行こう!”ということになった。

マルケンのハーバーに着くと、大きな仮設テントがしつらえてあり、その中で4つの町のコミュニティ・バンドが得意の曲を披露していた。座席もテントの中にあり、各町の応援団が押しかけていた。

しかし、演奏するバンドは我々が知るいわゆる“吹奏楽団”ではなかった。 。ヨハンの説明によると、この日演奏した4つの団体すべてが、フリューゲルホーンを主たるリード楽器とし、ソプラノからバスまでのサクソフォン、若干のトランペットやクラリネットを加えた“ファンファーレ・オルケスト”スタイルのバンドだった。オランダでは、“ウィンドオーケストラ”スタイルより、“ファンファーレ・オルケスト”スタイルが一般的で、コミュニティ(町)を代表するバンドは、ほとんど“ファンファーレ・オルケスト”なんだという。

“ファンファーレ・オルケスト”のために作曲されたオリジナル曲もかなりあるというから、驚きだ。

そして、ヨハンは、ちょうど着いた時に演奏を始めたバンドでは、“少し前まで指揮を務めていたんだ”と説明してくれた。

道理で、サポーターからも演奏メンバーからもヨハンに向けて親しみを込めた目くばせが飛ぶ訳だ。

演奏が終わると、ヨハンから自分の後任だという指揮者テーオ・ヤンセン(Theo Jansen)を紹介された。

彼はなんとアムステルダム・ウィンド・オーケストラ(Amsterdam Wind Orchestra)のテューバ奏者だった。

自己紹介に続いて、氏から『日本からとは珍しい。実は来週に日本の東芝EMIのための録音があるんですが、のぞきに来ませんか?』と“お誘い”を受ける。

東芝EMIのための録音とは、第54話「ハインツ・フリーセンとの出会い」でお話ししたCD「吹奏楽マスターピース・シリーズ 第6集」の1枚、「バッハの世界」(TOCZ-0017)のセッションのことだった。

そこで、“そのために来た”と話すと、氏はビックリ仰天し、きびすを返すや、いきなりハイネケン(オランダのビール)を注文し“さあ、何杯でも呑んでくれ!”と熱烈歓迎状態となった。

大盛り上がりのマルケンの後、ヨハンは、アムステルダムの自宅に案内してくれた。

部屋に通されたとき、いきなり目に飛び込んできたのは、壁に飾られた交響曲第1番『指輪物語』の初演(1988年、演奏:ロワイヤル・デ・ギィデ)のポスターだった。

“すべてはそこから始まった!”

ヨハンにとっては、それは正しく“宝物”だ!

そして、“これを見て欲しい”と言いながら、最終頁あたりを残すだけとなっていた書いている最中の新作のスコアを見せてくれる。

曲は、アメリカ空軍ワシントンD.C.バンド(The United States Air Force Band, Washington D.C.)から委嘱された交響曲第2番『ビッグ・アップル(ニューヨーク・シンフォニー)』(Symphony No.2 “The Big Apple” – A New York Symphony)だった。

それは、“指輪”とは、かなり図柄の違うスコアで、音数がかなり多い。

もとは3楽章構成のシンフォニーとして書き始めたと説明されたが、目の前にあるのは、第1楽章「Skyrine(スカイライン)」と第2楽章「Gotham(ゴーサム)」の2つの楽章だけだった。“もう1つはどうなったの?”と訊ねると、“途中で考えが変って、対照的な2つの楽章の間に、ブリッジのようなつなぎのインタールードを入れることにしたんだ”という。

さらに“それは、どうなるの?”と尋ねると、“今度アメリカに行ったときにニューヨークの雑踏を録音して使おうと思うんだ。どうだい、面白いだろう!”との返答が返ってきた。

いかにも、コンテンポラリー・ミュージックを演奏するヨハンらしい着想だ。これは、後に「Times Square Cadenza(タイムズ・スクエア・カデンツァ)」と名付けられ、“ニューヨークの街の雑踏と地下鉄の音”の録音(楽譜では、付属CDに収録)として実現する。

食い入るようにスコアに目を走らしていると、ヨハンは愛用のピアノでいくつかのテーマを弾いてくれたり、シンセで作ったハーモニーの断片を聴かせてくれる。

中でも、第1楽章で現われる“スカイライン・モチーフ”のカッコよさは、とくに耳に残った。

しかし、話を聞いている内、なんとなくぼんやりとだが、目の前にいるこの作曲家が、既存の“吹奏楽”の固定的概念や限界を超える音楽を書き始めていることを感じ始める自分がいた。

交響曲第2番『ビッグ・アップル(ニューヨーク・シンフォニー)』は、その後、当初1993年10月に計画されていた“委嘱者による公式初演”が1994年3月に変更されたため、1994年2月20日、ユトレヘトで行われたハインツ・フリーセン(Heinz Friesen)指揮、アムステルダム・ウィンド・オーケストラによる“オランダ初演”が日としては先になるというハプニングもあった。

1つのウィンドオーケストラの作品が、国境という枠組みを簡単に超えて世界中で演奏されるようになったればこそのハプニングだった。

しかし、その“オランダ初演”直後に同じアムステルダム・ウィンド・オーケストラによってセッション・レコーディングされたCDは、発売されるや世界的ヒットとなり、ヨハン・デメイの名に再び脚光をあてることになった。

作品のルーツに思わぬハプニングあり!

これだから、バックステージは面白い!

▲「ビッグ・アップル」の紹介パンフ(1994年)

▲同、説明

▲“オランダ初演”の成功を伝える現地新聞(作曲者提供)

▲CD – The Big Apple(蘭World Wind Music, WWM 500.003、リリース:1994年)

▲同、収録曲