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■樋口幸弘の「ウィンド楽書(ラクガキ)ノ-トファイル」File No.03 『ロバート・W・スミス:イーグルの翼にのって』

ロバ-ト・W・スミス:イ-グルの翼にのって
~アワー・シチズン・エアメン~
ON EAGLE’S WINGS(Our Citizen Airmen) (Robert W.Smith)

01:作品ファイル

[作曲年]1998年

[作曲の背景]
アメリカ・ジョ-ジア州のワーナー・ロビンズ空軍基地を本拠とするアメリカ空軍エア・フォ-ス・リザ-ヴ・バンド(The Band of the U.S.Air Force Reserve) と同隊長のN・アラン・クラ-ク大尉(Captain N.Alan Clark) の委嘱により、アメリカ合衆国予備空軍(エア・フォ-ス・リザ-ヴ)の50周年を祝うと同時に同記念CDのオ-プニング・セレクションを飾る作品として作曲。1998年1月に完成。

[編成]
Piccolo
Flutes (I、II)
Oboes (I、II)
B♭ Clarinets (I<div.>、II、III)
B♭ Bass Clarinet
E♭ Contrabass Clarinet
Bassoon <div.>
E♭ Alto Saxopones (I、II)
B♭ Tenor Saxophone
E♭ Baritone Saxophone
B♭ Trumpets (I<div.>、I、III)
F Horns (I、II、III、IV)
Trombones (I<div.>、II、Bass)
Euphonium
Tuba <div.>
String Bass
Timpani
Mallet Percussion (Tubular Bells、Xylophone )
Percussion (Snare Drum、Bass Drum、Suspended Cymbal、Clash Cymbals)

[楽譜]
1999年、アメリカのBelwin-Millsが版権を取得し、Warner Bros.から発売。図版番号は、BD9920C。
https://item.rakuten.co.jp/bandpower/set-9763/

[初演]
1998年2月11日、アメリカ・ジョ-ジア州メ-コンのメ-コン・シティ・オ-ディトリアムで行なわれたアメリカ空軍エア・フォ-ス・リザ-ヴ・バンド(前記 “作曲の背景” を参照)の演奏による “アメリカ合衆国予備空軍50周年” を記念するCD「Our Citizen Airmen」(BAFR50CD/非売品)のレコ-ディング・セッションにおいて。指揮は、隊長のN・アラン・クラ-ク大尉。日本では、2000年2月4日、兵庫県尼崎市の尼崎市総合文化センタ-(アルカイックホ-ル)で行なわれた堤 俊作指揮、大阪市音楽団演奏による大阪市音楽団自主企画CD「ニュ-・ウィンド・レパ-トリ-2000」(大阪市教育振興公社、OMSB-2806 /2000年4月25日発売)のレコ-ディング・セッションが初演奏となる。

【ロバ-ト・W・スミス/Robert W.Smith】


1958年10月24日、米アラバマ州南東部のフォ-ト・ルッカ-に生まれた。1979年、アラバマ州トロイのトロイ・ステ-ト大学で音楽学士号を取得し、1990年、フロリダ州マイアミのマイアミ大学で音楽修士号を取得した。トロイ・ステ-ト大学時代には故ポ-ル・ヨ-ダ-に、マイアミ大学ではアルフレッド・リ-ド、ジム・プログリスに師事した。すでに 300曲以上の作品があるが、ウィンド・バンドのジャンルだけでなく、ヘンリ-・マンシ-ニやデ-ヴ・ブル-ベックらの音楽のオ-ケストレ-ションを手がけるなど、コマ-シャル・ミュ-ジックの分野でも幅広く活躍。スミスがオ-ケストレ-ションを施した映画音楽の中には「ロッキ-」「スタ-・トレック」「ボディ-・ガ-ド」などの話題作が含まれている。現在は、ヴァ-ジニア州ハリスンバ-グにキャンパスがあるジェ-ムズ・マディソン大学で教鞭をとり、1996年のアトランタ・オリンピックのためのオリジナル音楽を手がけるなど、多岐にわたる方面で活躍がつづいている。

02:ヒント

2000年1月、大阪市音楽団から自主企画CD “ニュ-・ウィンド・レパ-トリ-2000” (大阪市教育振興公社、OMSB-2806)の収録曲のスコアが届いた。昼間の仕事を終えてから、早速、スコアのチェックに入る。このときまでにすでに買って持っていた酒井 格の「大仏と鹿」とマ-ティン・エレビ-の「新世界の踊り」の2曲を除いた残りの作品のスコアは、この日はじめて見るものばかりだ。

スコアを手にして最初にチェックすることは、まず “作曲者や作品についてどんなことが書かれているか” ということ。作品のバック・グラウンドを知ることは、ノ-トを書く立場の人間にとって最も重要なことだからだ。しかし、こちらが必要とする情報がスコアの上にすべて印刷されているとは限らない。ノ-トがまったくない場合もけっこう多い。従って、たいていの場合、この作業は “これから何を調べないといけないか” のチェックということになる。(その後、スコア・リ-ディング~アナリ-ゼ~執筆となる。)

ロバ-ト・W・スミスの「ON EAGLE’S WINGS」のスコアの表紙には、つぎのような献辞があった。

Commissioned by
Captain N.Alan Clark and the Band of the U.S.Air Force
Reserve in Celebration of the
50th Anniversary of the U.S.Air Force Reserve

なるほど、 “The U.S.Air Force Reserve の50周年を祝っての委嘱作品というわけか”
と、まずは、作曲に至った理由を押さえる。つづいて、作曲者スミスの署名がある短かいプログラム・ノ-トを読むと、こうあった。

「ON EAGLE’S WINGS (Our Citizen Airmen) は、その50周年を祝ってThe U.S.Air Force Reserve への感謝の印として作曲された。N・アラン・クラ-ク大尉とThe Band of the U.S.Air Force Reserve(ワ-ナ-・ロビンズ空軍基地、ジョ-ジア州)により委嘱され、作品はコンサ-トのオ-プナ-として、また、Our Citizen Airmenとタイトルが付けられた彼らの記念コンパクト・ディスクのためのオ-プニング・セレクションとして書かれた」

以上、プログラム・ノ-トには一見かなりの情報が入っているように思える。しかし、よく読んでみると、日本語ノ-トに必要な部分が不足していることがわかる。疑問部分を挙げてみると、

(1)The U.S.Air Force Reserve とは何?
(2)その50周年とは “いつ” ?
(3) “いつ” 作曲されたのか?
(4 初演されたのは “いつ?””どこで?””どんな機会に?”
(5)初演時の演奏バンドは?、指揮者は?
(ふつうは委嘱した者が初演の栄誉を担うが、ときたま違うケ-スもある)
(6)”Our Citizen Airmen”というCDは、どんなCDなのか?その “オ-プニング・セレクションとは?”

少なくとも以上を確認できないと、ノ-トなど書けやしない。作曲者のスミスは、ウィンド・ミュ-ジックのフィ-ルドだけの作曲家ではない(というより、それ以外のジャンルでの活動が中心)ので、多忙のときはまったく音信不通になってしまう。時間内に返答がこない可能性はあったが、早速スミスにコンタクトを試みる。と同時に、プログラム・ノ-トに書かれてある情報を手がかりに独自の調査もはじめることにした。

まずは作曲のきっかけを作った(1)についてだが、日本人にとってまったく馴染みがない組織だけに、それが一体どういうものなのかを大掴みできないうちは、どんどんと前に進んでいくわけにはいかない。しかし、この曲は “アメリカ” で出版された “アメリカの作品” だけに、作曲者の書いたプログラム・ノ-トでも、 “アメリカ人にとって一般常識的な事柄” についての説明は見事なぐらい省略されている。(1)に関しても、所在地以外はまったくノ-・インフォメ-ションだった。

アメリカ空軍には、”The U.S.Air Force Band,Washington,D.C..”(日本でもおなじみの”アメリカ空軍ワシントンDCバンド” )のほかにもいくつかバンドがあり、自主制作のCDやカセット(いずれも非売品)は、いずれも各バンドで独自に作られている。早速、”何かヒントがあるのではないか” と思って、手持ちのCDやカセットをガサゴソやってみた。すると、 “A Time of War… A Time of Peace” というタイトルの、かなり前にシカゴのミッド・ウェスト・バンド・クリニックでゲットした1枚のCDが目にとまった。演奏しているバンドは “The Command Band of the Air Force Reserve”。スミスのプログラム・ノ-トに書かれているバンド名とよく似ているが、全く同じというわけではない。しかし、”Air Force Reserve” という文字は同じだ。そこで、CDジャケットの写真を目を凝らして見ると、モスクワのクレムリン宮殿をバックにロシア陸軍中央軍楽隊と “The Command Band of the Air Force Reserve”(このCDの演奏者)が並行して整列し、アメリカ側の少なくとも前3列はスコットランド伝統のキルトの制服を身にまとったアメリカ空軍のバグパイプ鼓隊、という構図の写真だ。

▲”A Time of War…A Time of Peace”

写真は、冷戦終結後の1992年5月にモスクワの “赤の広場” で行なわれた “平和の勝利のパレ-ド” の際の撮影。ブックレットの説明によると、このバグパイプ鼓隊 “The Air Force Reserve Pipe Band”は、アメリカのミリタリ-・バンド組織の中で、唯一、常時演奏任務を与えられている正規のバグパイプ鼓隊だそうで、このCDでも2曲、物真似でない見事な “スコットランド風” の演奏を聞かせてくれる。

“アメリカにもこういうグル-プがあるんだ” と思いながらも、そのとき、筆者にとって重要なことは “このCDの演奏者とスミスに作品委嘱をしたバンドに関連が有るのか無いのか” ということだった。そこで、何げなく写真に写っているバグパイプ鼓隊のバス・ドラムに描かれているマ-クを見ると、一部が楽器に隠れて見えないが、それでも “….ATES AIR FORCE RESERVE” “…IPE BAND” という文字とともに “…OBINS AIR FORCE BASE” “GEROGIA”という文字がハッキリと確認できた。ここまで読めたらもう問題ない。このバグパイプ鼓隊は “ユナイテッド・ステ-ツ・エア・フォ-ス・リザ-ヴ・パイプ・バンド、ロビンズ・エア・フォ-ス・ベ-ス(空軍基地)、ジョ-ジア(州)” と書かれたバス・ドラムを使っているバンドだった

バンド名に使われている文字に多少の違いはあるが、もう間違いない。アメリカ空軍のバンド組織は90年代に大きな組織改編が行なわれたので、恐らくはそのときに同時に改名が行なわれたのだろう。このCDの演奏者とスミスに作品委嘱をしたバンドは、同一のバンドか、少なくとも同じ系譜にあるバンドだった。プロフィ-ルによると、43名編成で、プレイヤ-は全員 “正規の空軍のミュ-ジシャン” とのこと。 “エア・フォ-ス・リザ-ヴ” を名乗りながら、実質、アメリカ空軍のバンドということになる。このCDができあがった1992年当時で “50年” の歴史をもつという記述から、バンド誕生は第2次大戦中の1942年頃ということになる。

ここまできて、つぎに軍事関連やアメリカの資料を漁っていくと”Air Force Reserve/エア・フォ-ス・リザ-ヴ” は、その文字通り “予備空軍” であることがわかってきた。つまり “戦争などの緊急事態に際して、国内基地所属の航空隊に海外出動命令が下ったときなどに、普段は市民生活をおくっている空軍OBのパイロットなど、予備役を召集し、アメリカ本土防衛上の軍事的空白を生じさせないために本来の所属部隊が留守中の基地や人員を必要とする部署へ短時間のうちに展開させる” ことを目的のひとつに掲げる空軍組織で、本拠とする訓練基地(コマンド部隊を併設)をもち、航空機などの機材や装備を常備して有事に備えている(後発部隊として現場へ投入されることもある)。第1次大戦の国防意識の高まりの中に誕生し、古くは単に “パイロットを養成したり、趣味のために飛ぶ” ことが目的の民間の “飛行クラブ” のような形態をとっていたこともあるが、プロペラ機の時代ならいざ知らず、ジェット機が主流となる時代にそんな “のどかなこと” はやってはいられない。第2次大戦が終了したつぎの年の1946年7月1日には、テネシ-州メンフィスで戦後初の訓練飛行が実施され、1948年4月14日、正式に “アメリカ合衆国予備空軍/The United States Air Force Reserve”となった。この組織は、直後に起こった “朝鮮戦争(Korean War)”でさっそく機能し、最近では “湾岸戦争”(英語だと “The Persian Gulf War/ペルシャ湾戦争” という)のときにも、国防上大きな貢献をしたとされている。

組織全体の “正式発足” よりバンドの方が6年ほど前(1942年頃)にスタ-トしているが、当時は戦時下。すべてのことが各現場のおかれている状況や要望で臨機応変に動く。その結果、1992年当時のバンド名に “United States/アメリカ合衆国の” が入っていないのも、 “Air Force Reserve”当時にバンドが配置された “名残り” で、近年の組織改編のときに “正規のもの” に落ち着いたと考えると納得がいく。やっと全体像が見えてきた。

そこで、音楽に立ち戻ってスコアのコピ-ライト・ラインをチェックすると、1999年にベルウィン=ミルズ(Belwin-Mills Publishing Corp.) 社が著作権を設定している。スミスが書いている “アメリ合衆国予備空軍50周年” は、おそらく、この組織が正式に発足した1948年から50年を数えて “1998年” だろう。すると、スミスの多忙ぶりから推し量って”作曲は1998年か、それより少し前” だろう。

ここまでの下調べを終えて、あとはスミスからの返信を待つだけとなった。

03:イ-グル

2000年2月4日(金)の大阪市音楽団(市音)によるレコ-ディングも無事終了し、やがて月半ばを過ぎようとしていたが、作曲者スミスへ出した質問状の回答はまだだった。

市音プログラム編成委員の方々の “ねばり”(File No.02参照)に遇って、その解説ノ-トを書かねばならなくなった筆者としては、正直いうと心中穏やかではなかったが、この曲以外の調査~執筆も平行して行なわねばならなかったので、 “回答が来る頃には他の曲の部分は出来上がっているだろうし、それからこの曲に集中すればいい” ぐらいに考えていた。

実際、当時は、夜9時ごろに仕事の後始末を終え、ス-パ-に買い出しに行って食事をとってソファ-で仮眠。そうすると午前2時から2時半ぐらいに目が開くので、午前6時ぐらいまで(どういうわけかこの時間は頭がクリア-に冴えているので)ノ-トの調査・執筆や海外との連絡をこなし、6時半には始業準備に入って、その後、実家の客商売と母親の看病、という毎日を過ごしていたので、ノ-ト執筆に使える “時間” には物理的リミットがあった。そんなわけなので、一度に情報が集まったところですぐに処理できるわけでもなく、 “返答がこない” ことについては気にはなってはいたが、その時点における最優先事項というわけでもなかった。

また、このとき、収録曲の曲名を日本語にする作業において、実は簡単に解決できそうにない大きな難問にぶつかっていた。CDやブックレットを実際に制作する現場からは、「 “ノ-ト” はあとで結構ですので、まずは “曲名” だけ先にください。」という要望が市音を通じて来ていたが、筆者は「そんな約束はしていない。曲の中身がたいへんデリケ-トな民族的問題を含んでいる可能性があり、あらゆる手はつくしているがアルファベットの曲名も “何語” なのか確認できず、したがって発音も不明なのでカタカナにすらできないものがある。中身や言語がはっきりと確認できるまで待ってほしい。適当に訳した日本語曲名など、渡すわけにはいかない。」と応酬していた。

問題になっていたのは、後に「シリム~クレズマ-・ラプソディ」と訳すことができたピ-ト・スウェルツの “SHIRIM~A Krezmer Rhapsody” 。おもしろいことに、このタイトルに関しては、作曲者や出版社も語学上の問題を完全に把握・処理しているわけではなかった。この曲名を日本語にするために必要な資料は大きな図書館にも系統だって揃ってなく、結局、語学書、宗教書、旅行書など、結構高い本を新たに6冊も買うハメになった。エラい出費だ。外国盤だと、曲名は楽譜どおりのアルファベットだけで処理できるのに….。(File No.02)

一方、スミスのこの作品の日本語曲名を決める作業は、他の曲に比べてそんなにやっかいなことではなかった。市音のプログラム編成委員が訳した仮題(File No.02-参照)は「鷲の翼に」。初めてこの仮題を見たとき、 “鷲の(EAGLE’S)”も “翼(WINGS)” も和訳としては問題ないが、”ON”を “に” と訳していることには “何か曖昧な感じがして、オリジナル・タイトルとニュアンスが違うのでは” と感じた。また、全体としては、ジェット機時代の音楽のタイトルとしては “スピ-ド感” がなく、結構カッコいい曲なのに日本の戦時歌謡の曲名のようなイメ-ジがつきまとってしまうと思った。


▲“星条旗”と“白頭鷲”がデザインされたCD「I AM AN AMERICAN」

それでは、どうしよう。最初にこの曲のタイトルに使われている “EAGLE”だが、アメリカ合衆国で “EAGLE”と言えば、まずは国の紋章に使われている “はくとうわし” をさす。つまりこの曲名にある “EAGLE’S”は、意訳につとめると “アメリカ合衆国の” という意味を含む。そのあとに出てくる “WINGS”は文字通り航空機の “翼(つばさ)” もしくは “空軍の飛行大隊””パイロット記章” などなど、ときには派生して “空軍” それ自体を示す意味合いで使われることもある。従って、 “EAGLE’S WINGS”は “アメリカ合衆国空軍” を実際の言葉のウラに含んだネ-ミングであることがわかる。しかし、”EAGLE’S” を “アメリカの” もしくは “アメリカ合衆国の” と意訳してしまうと、音訳の “オン・イ-グルズ・ウィングズ” から遠く離れてしまう。できるだけ原題のイメ-ジを残すために “EAGLE’S”は “アメリカ合衆国” をシンボライズする象徴そのものを扱っているのだからそのまま直訳して “イ-グルの” とし、”WINGS” はより一般的な “翼” を使うことにした。すなわち”イ-グルの翼” 。漢字をひとつ減らすだけで随分とイメ-ジが変わった。残る “ON” は英和辞典やら英英辞典などから “~にのる” という用法を引っ張りだしてきた。

最終的にCDに使われた「イ-グルの翼にのって」という日本語曲名は、こうして完成した。 “翼” は “よく” ではなく “つばさ” と読んでほしい。大空にはばたく航空機のイメ-ジやスピ-ド感を多少なりとも残すことができていれば幸いだ。後日、市音プログラム編成委員の延原さん(File No.02参照)から「あのタイトル、結構気に入ってますよ。」と聞いて、まずは責任を果たせのではないかと安堵している。

余談ながら、アメリカには “イ-グル”(ボ-イング・マクドネル・ダグラス F-15/航空自衛隊も導入)という名前の戦闘機が実際に存在するが、スミスがそれを特定してネ-ミングをしたわけではないことは、作曲の “経緯” を綴ったプログラム・ノ-ト(FileNo.03 参照) の中で何も触れていないことから考えても明らかだ。かすかに引っ掛けてある可能性は否定できないが….。

また、アメリカをシンボライズして “EAGLE”を曲名に使った例は他にもいろいろある。筆者の大好きなマ-チ、ジョン・フィリップ・ス-ザ(John Philip Sousa) の「無敵の鷲(The Invincible Eagle)」もそのひとつ。この曲もLP時代に「無敵の荒鷲」という、今では信じられないような日本語曲名でレコ-ドが発売されていたことがあった。現在のそれと違う点は、わずかに “荒” という字が有るか無いかだが、これが一文字入るだけで曲名の日本語から受けるイメ-ジがガラッと変ってしまうからたいへんだ!! “荒鷲(あらわし)” は、今日ではほとんど死語に近いが、太平洋戦争当時には、日本軍の航空部隊もしくはその搭乗員を示す “代名詞” としてマスコミ紙上でさかんに使われていた。 “ブンブン荒鷲、ブンと飛ぶぞ~” という歌詞でさかんに歌われた戦時歌謡もあったぐらいだ。たぶん「無敵の荒鷲」という曲名が印刷されたLPを発売した関係者の中に戦中派スタッフがいらっしゃったのだろう。筆者も、学生時代、まったく疑うことなく「無敵の荒鷲」という曲名を鵜呑みにしていたが、あるとき、この曲の作曲の経緯と曲名に使われている “EAGLE”の本当の意味を知ったときに、「いったい何だ!! コリャ!?」とビックリ仰天してしまったことがある。それ以来、「無敵の鷲」を使うように努めたが、周囲には「無敵の荒鷲」を使う人がウジャウジャ。かくいう筆者も若い時代に頭の中にこびり付いてしまっていた「無敵の荒鷲」を消去するのにものすごいエネルギ-を必要とした。市音プログラム編成委員の仮題「鷲の翼に」を最初に見たときに、まるで “戦時歌謡の曲名” のようだと感じた理由も、以上の説明でご想像いただけよう。

この国では、単なるカタカナ化の作業も含めて、 “外国産” のものはすべて日本語に置き換えないと一般化できない。その結果、 “何年も学校で習ったはずなのに英語が話せない” “アルファベットをそのまま取り込めない” などなど、インタ-ネット時代にひとり日本だけが “取り残されがち” な理由の一端も実はここにある。音楽の曲名とて例外でない。それだけに、日本語曲名を作らねばならない場合には、よほど慎重な作業と、アルファベットで示されているオリジナルに含まれているさまざまなファクタ-を尊重する “真摯な態度” が必要だろう。 “思い込み” や “知ったかぶり” は絶対にいけない。近年、われわれの世界でも、あたかも映画の邦題のような “ウケ” を狙ったとしか思えない(それからオリジナル・タイトルが想像できなかったり、実際にもとに戻すことが不可能な)日本語曲名を見かけるようになった。一度ひとり歩きを始めた “曲名” は、それが明らかに誤ったイメ-ジを伝えていると判明してからもなかなか修正できない。要注意!!

▲「イーグルの翼にのって」が紹介されているWarner Bros./Belwinカタログ表紙

さて、そんな作業を繰り返しているうちに、2月も終わりに差し掛ってきた。しかし、スミスは何も打ち返してこない。もういけない。最初から “最後はそうしよう” と考えてはいたが、ここはアメリカ空軍の機動力を頼りにすることにしよう。そう思った筆者は、スミスに宛てた質問とほぼ同じ内容のメッセ-ジをワシントンDCのボ-リング空軍基地内、アメリカ空軍ワシントンDCバンドの広報官(Director of Public Affairs)のダナ・L・スタインハウザ-(Chief Master Sergeant Dana L.Steinhauser)宛てに発信した。”作曲者が多忙のようで返信がデッドラインに間に合いそうもない” と添え書きして。

相手先の事務所には、それこそ世界中から毎日膨大な数のメッセ-ジや照会、出演依頼などが届く。できれば、そんな先に煩わしい質問など送って相手の仕事を増やしたくなかったが、「何でも連絡してくれ。」と言われていた言葉だけを頼りに今回は無理をお願いすることにした。ジョ-ジア州にあるという “The Band of the U.S.Air Force Reserve”のアドレスなどを調べている時間的余裕ももう無かったし……。

04:新たな疑問

アメリカ空軍の “機動力” は想像以上にスゴかった。2月29日早朝(日本時間)に、ワシントンDCのボ-リング空軍基地内 “アメリカ空軍ワシントンDCバンド” の広報官に送られた筆者の “質問状” は直ちにジョ-ジア州ロビンズ空軍基地の “The Band of the U.S. Air Force Reserve” に転送され、3月1日付けで、 “アメリカ予備空軍” の名をもちながら “アメリカ空軍” に所属する人員で構成される同バンドの広報担当者ビル・グランジャ-(SSgt Bill Granger) からつぎのような回答がFAXで届いた。

「質問にある作品 “On Eagle’s Wings – Our Citizen Airmen”は、1998年のアメリカ合衆国予備空軍50周年を祝賀する栄誉を担う the Band of the United States Air Force Reserve によって委嘱された。それは、1998年1月にロバ-ト・W・スミスによって作曲され、1998年2月11日、ジョ-ジア州メ-コンのメ-コン市オ-ディトリアムでバンドのコマンダ-でありコンダクタ-の Captain N.Alan Clark の指揮のもと、The Band of the United States Air Force Reserve により初めての演奏が行なわれた。..(後略)」

“ほぼOKだ” 。この回答で上記した疑問点(2)~(5)のすべてのポイントがクリア-になった。残るは “Our Citizen Airmen” というタイトルの非売品のCDに関する(6)だけだったが、これは他のポイントに比べて少々掘り下げすぎかも知れないので場合によっては省略も可能だ。とはいうものの、できればクリア-にしておきたい。前記の回答につづいて “CD送付のための住所の確認” と “市音のCDが出来上がったらバンドへ送ってほしいという要望” が書かれていたので、早速 “お礼状” を打ち返し、それには “お互いのCDを交換できる喜び” を記しておいた。うまくいけば(6)もCDノ-トの “校了” 時点までには判明するかも知れない……。

そして、筆者は直ちに “さくら銀行吹奏楽団” の超有名吹奏楽人、井上 学(いのうえ まなぶ)さんに電話を入れた。実は、アメリカ空軍に “S.O.S.” を送る以前に、同吹奏楽団が第6回定期演奏会(3月25日<土>、東京・お茶ノ水スクエア “カザルスホ-ル” )に “アメリカ空軍バンド・オブ・ザ・パシフィック=アジア(The United States Air Force Band of the Pacific-Asia / “さくら銀行吹奏楽団” のプログラムでは<太平洋音楽隊>と表記されていた)”のコマンダ-&コンダクタ-、ディ-ン・L・ザムビンスキ-大尉(Captain Dean L.Zarmbinski)を客演指揮者に招いているという情報をキャッチしていたので、ひょっとするとこの人物ならば、空軍同士なので”Air Force Reserve の50周年” を知っていたり、”Our Citizen Airmen” というCDを持っているのではないか(持っていたら、”インレ-・カ-ド” や “ブックレット” に何が印刷されているか教えてもらおう)と思って、井上さんに “一度、尋ねてもらえませんか?” と頼んでいたからだ。ノ-トを引き受けた以上、考え得る手はすべて打たねばならない。スミスの返答を待つ間も、ただただ手をこまねいていたのではなかったわけだ。

さて、電話に出た井上さんにこちらからも “S.O.S.” を送って “打ち返し” があったことを伝えると、「あっそう。よかったですね-。こっちの方も頼まれたことやっとき(やっておき)ましたよー。ただ、本人がしばらく不在ということなんで、副官に質問事項を伝えておきました-。必ず伝えてくれるというんで、なんか返答があるでしょう。今は待っている状態です。スンマセンネー、何も進んでなくてー」と、いつもの軽妙な関西風味の受け答え(巷では、ほんまに “銀行員” かいな-?という “噂” もチラホラ出るらしい)。後は、いつもの “長時間雑談” になだれ込んだ。(後日、このザムビンスキ-・ル-トは、ご本人が “Air Force Reserve”の件のCDを持っていらっしゃらなかったので、結局 “よくわからない” ということで決着がついた)※

こうして、大阪市音楽団(市音)の自主企画CD “ニュ-・ウィンド・レパ-トリ-2000” の「イ-グルの翼にのって」のノ-ト執筆の準備は完了した。しかし、この時点までに費やしてしまった月日は、ほぼ1ヵ月半。市音やCDブックレットの制作担当者もきっとジリジリとしてノ-ト完成を待っていることだろう。

このCDには合計8曲入る予定だが内7曲がまったくの新曲だったので、この時点に至ってもまだ解決しないといけないポイントが若干残ってはいたが、それらもほぼ解決のめどがついたので、前記のアメリカからの返信を受け取った時点で残っていたノ-トの仕上げに一気に突入した。そして、ほぼ10日後の3月13日深夜、ついにノ-トは完成。昼間の16時間労働をこなした後に仮眠をとり、深夜に2~3時間しか執筆に使えない筆者にとってはこれが “最短” の着地点だった。(なにしろ、普通の睡眠をまるでとっていなかったものだから、昼間ウツロな目をしてボーッとしながらもアクセク動きまわっている筆者を見て周囲のものが “ほんとうに大丈夫?” と気遣ってくれるぐらいの “生きるか死ぬか” のフラフラ執筆だった。実際、このための資料として購入した本を母の病院に向かう途中の地下鉄の車内に置き忘れてしまい、何冊も同じものをもう一度買うハメになった。しかし、毎日の介護があるから倒れるワケにはいかない。気合いだけは充実していた)

完成したノ-トは、翌14日に市音とブックレットのデザイン担当者に届けられた。しかし、後で聞いた話だが、この間、市音と制作サイドの間では<発売日延期>が真剣に議論されており、もう1日ノ-ト完成が遅れていたら、本当に<延期>の決断をせまられるところまでいっていたという。

一方、このノ-トを書いている間、実はまたひとつ “新たな疑問点” が浮上していた。それは、バンドからの回答にあった “1998年2月11日” に行なわれたという初めての演奏に関してだった。つまり “これは実際に聴衆を前にした演奏だったのか?” という疑問。よくよく考えてみると、この種の “50周年記念用” のようなCDは、当然行なわれる筈の祝賀式典やパ-ティ-の事前に録音され、当日に関係者に配布されるのが普通だろう。すると、これは “録音日” だったのではなかったのか。ハタと困ってしまったが、2月11日が “初めて” 演奏が行なわれた日ということだけは “事実” だった。また、一方で、バンド側がすぐ動いてくれさえすれば、例のCDが時間内に届くかも知れないという期待もあった。アメリカ空軍の “機動力” はすでに実証済みだ。そして、CDさえ届けば(6)も解決するに違いない。そこで、筆者は「イ-グルの翼にのって」のノ-トを、この日を返答どおりに “初演奏” と書いて、場合によっては後で “部分的な差し替え” をすることで変更可能なスタイルで仕上げることにした。

そして、前記どおり、このノ-トは3月14日に担当者に渡ったが、それから8日後の3月22日、アメリカから待っていたCD “Our Citizen Airmen” が届いた。

早速、デ-タをチェックすると、このCDの録音日は “1998年2月9~13日” で、睨んだとおり “2月11日” は録音日だった。また、スミスのプログラム・ノ-トにある “オ-プニング・セレクション” の意味も判明した。CDを聴くと、お決まりの「アメリカ国歌」に続いて、ナレ-タ-がグリ-ティングとアメリカ合衆国予備空軍について説明をし、そのナレ-ションの最後で “50周年” 記念委嘱作であるスミスの「イ-グルの翼にのって」のタイトルが告げられるとオ-トマチックに音楽が始まるという一連の流れに添ったワン・セットの “オ-プニング・セレクション” が入っていたのだ。

さて、この時点で “ニュ-・ウィンド・レパ-トリ-2000” のブックレットの工程は、ほとんど “校了寸前” の状況にあった筈だ。それでも、すべての疑問点がクリア-になった筆者は、正しいデ-タをどうしても入れてもらうために急いで “部分的な改訂ノ-ト” を書いて制作担当者にFAXで送った後、電話で直接事情を説明して “差し替え” を依頼した。一瞬なんとも言えない “いやな空気” が漂うが、なんとかそれをOKしてもらう。しかし、発売予定日がどんどんと迫ってくる中で、その後にその部分の “著者校正(執筆者が校正)” を新たに行なうことなど、どう考えても時間的にすでに無理となっていたので、あとは先方にすべてを任せてしまう “責任校正(執筆者にゲラを廻さず担当者の責任で校正)” となることに同意した。もう、そんなに “切羽つまった” 状況になっていたのだ。そこへ降って沸いたような “差し替え” の依頼。なんという制作者泣かせの執筆者なんだろう。(少なくとも、先方はきっとそう思っていたに違いない)

しかし、どうにか、正しいデ-タをブックレットに盛り込むことができた。デッドラインぎりぎりセ-フ。そう思った瞬間、どっと “睡魔” が襲ってきた。

05:2つのプロジェクト

ロバ-ト・W・スミスの「イ-グルの翼にのって」は、威厳に満ちたファンファ-レに始まる祝賀ム-ド溢れる導入部につづいて、リズミカルなテンポにのった主部が展開し、ゆったりとした導入部の音楽が再現される短い中間部のあと、主部を再現し、コ-ダに至るという簡潔なスタイルで書かれた演奏時間が3分50秒から4分30秒くらいのサイズの作品。委嘱されたときの意図どおり、セレモニ-やコンサ-トのオ-プニングにピッタリの華やかな作品だ。スコアには指揮者への留意点をまとめた作曲者のノ-トがあるが、テンポに関しては厳密な指定はなく、ある程度指揮者任せなので、短い曲にもかかわらず演奏時間の幅を大きくとれる。したがって、演奏される機会の用途に応じ変化のある対応が可能で、 “どんなテンポや音楽的演出を使うか” が指揮者のちょっとした腕の見せどころとなってくる。また、他の多くのスミスの作品と同じく、フィ-ルドいっぱいに展開するマ-チング・バンドにとってもさまざまな演奏効果が期待できる作品といえるだろう。

スコアを見ながらそんなことを考えていたとき、バンドパワ-編集部のコタロー氏から電話が入った。「スミスの “イ-グル” って、今度出た “土気シビック” のCD(CAFUA、CACG-0010 )にも入ってるね。これって聴いた?」

“ア-、加養さんところの土気シビックウインドオ-ケストラもCD出したのか” と思いながら、「ヘェ-、そうなの。コタロ-さんも知ってのとおり、最近何ヵ月もCDショップへ行ってないし、というより実家を中心に半径 500メ-トルより遠いところへは物理的に移動不可能なんで、正直、今どんなCDが出ているかも知らないし、そのCDのことも全然知らなかった。」と答える。音楽から完全に足を洗って休憩なしの16時間労働と母親の介護だけの毎日を送り、ごくたまに思いだしたようにバンドパワーに “ラクガキ” を書き込む程度の筆者にとって、新しく聴くCDは内外の友人が送ってくれるものだけとなっていて、コタロー氏から知らされたこの情報はとても新鮮に耳に響いた。

しかし、同時にちょっと気になったこともあったので、こちらからも “質問” をくりだした。「ところで、そのCDの日本語タイトルはどうなっている?」

すると、コタロ-氏が「エ-ッと、ちょっと待ってね。今、見るから・・・・エ-と、”鷲の翼に” になってます。」との回答。

このタイトルは、市音のプログラム編成委員がCDの企画時に考えていたのとまったく同じだ。「結局、2種類の日本語タイトルのCDが市場に出まわることになってしまったね。まったく違ったところでほとんど同時に2つのレコ-ディング企画が進んでいたわけで、これはしょうがないか。」と、筆者はコタロ-氏に答えていた。


▲土気シビックウインドオーケストラVol.4

市音のCDに、今では市音の “お気に入り” となっている「イ-グルの翼にのって」という日本語タイトルを提供した張本人としては、ちょっと困惑する立場に立たされることになったが、 “土気シビック” の皆さんが自主的にお作りになったCDの内容に別段異義を唱えるつもりなどない。そして、この作品の日本語タイトルに関する筆者の考え方は、この原稿を読んでいただればそれで十分と思う。

しかし、一度印刷されて世に出たものは後々まで大きな影響力を行使する。出てしまった以上、多少の混乱は避けられないが、これもまた将来にまで語りつがれる “話題” のひとつになるんだろうな。

(余談ながら、市音の「ニュ-・ウィンド・レパ-トリ-1996」(大阪市教育振興公社、OMSB-2802)に提供した同じスミスの「ブラック・ホ-クが舞うところ(Where The Black Hawk Soars)」という日本語タイトルを訳出したときも、<BLACK><HAWK>という2つの英語の単語がともに日常的に使われる簡単な日本語に “訳せてしまう” ことから、<黒鷹>あるいは<黒い鷹>と訳してしまうか、原題にある<ブラック・ホ-ク>という “音(オン)” をそのまま残すかを秤りにかけた思い出がある。このときは、委嘱者である米ヴァ-ジニア州のハイ・スク-ルの新しい校舎に描かれた<ブラック・ホ-ク>の図柄のもとになった “同じ鳥” が日本の自然界に生息していないという生物学的な事実から、それをシンボライズして固有名詞として扱うことですべてが解決した。)

しかしながら、スミスのこの作品は、それぞれが直線距離 500キロをこえる地域で活動し、接点などまったくない関西のプロフェッショナルと関東の市民バンドが、結果的に、ほぼ同時にCD用レコ-ディング・アイテムとして選曲していたということであり、その事実ひとつをとっても、この作品がいかに “魅力ある作品” であるかの証明となっているように思えた。

06:スコアの留意点

・指揮者へのノ-ト

スコアには、作曲者から指揮者へあてた英語のノ-トがある。この楽曲の意図をつかむため、指揮者には、演奏前にこのノ-トを読まれることをお奨めしたい。(スミスが使う英語の勉強にもなる。)

・大阪市音楽団のレコ-ディング・セッションでの変更点

「3rd Trumpet 」・・・・・・・ 37、38、49、111、112、113の各小節の2拍目の<H>の音を<B♭>に変更して演奏。

その他、木管の各パ-ト(ピッコロ、フル-ト、オ-ボエ、クラリネット)にあるトリルを、全音トリルを使わず半音トリルを使って演奏した箇所があるが、これは作曲者の指定ではない。

Thanks to Mr.Hiroaki Nobuhara,the OMSB.

■樋口幸弘の「ウィンド楽書(ラクガキ)ノ-トファイル」File No.01『酒井 格:大仏と鹿』

酒井 格:大仏と鹿

01:作品ファイル

[作曲年]1998年

[作曲の背景]
奈良県吹奏楽連盟結成40周年記念作として、同連盟の委嘱により作曲。1998年8月に完成。オリジナル・スコアには、 “August 1998 in Hirakata” と記されている。

[編 成]
Piccolo
Flute (Ⅰ、Ⅱ)
Oboe
Bassoon
E♭ Clarinet
B♭ Clarinet (Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ)
E♭ Alto Clarinet
B♭ Bass Clarinet
E♭ Alto Saxophone (Ⅰ、Ⅱ)
B♭ Tenor Saxophone
E♭ Baritone Saxophone
B♭ Trumpet(Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ)
F Horn(Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ)
Trombone(Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ)
Euphonium
Tuba
String Bass
Timpani
Percussion
(Xylophone、Glockenspiel、Bass Drum、Snare Drum、Cymbals、 Suspended Cymbal、Triangle、Wood Block、Tambourine、Whip)

[楽 譜]
1999年、奈良県吹奏楽連盟加盟団体配布用に限定数印刷。
同年、オランダの出版社de haskeが版権を取得し出版。
オランダ版タイトルは、”DAIBUTSU TO SHIKA”。図版番号は、0991580。

[初 演]
1999年2月7日(日)、奈良県橿原市の奈良県橿原文化会館大ホ-ルで開催された「奈良県吹奏楽連盟結成40周年記念/第26回奈良県トップバンドフェスティバル」において、木村吉宏指揮、大阪市音楽団の演奏で。

【酒井 格/さかい いたる】

1970年3月24日、大阪府枚方市に生まれる。大阪音楽大学に学び、1996年に同大学院作曲専攻修了。作曲を千原英喜と田中邦彦、ピアノを前田則子と青井 彰、フルートを中務晴之の各氏に師事。現在は、大阪音楽大学附属音楽学院や京田辺市のそよかぜ幼稚園に勤務し、各種イベントの作・編曲を担当したり、ピアニストとしても演奏活動を行っている。現在、「たなばた」「おおみそか」「大仏と鹿」「若草山のファンファーレ」などのウィンド・バンド(吹奏楽)作品が、オランダのデ・ハスケ(de haske)社から出版されている。

02:電話

今年2月4日、久しぶりにわが家に帰ると、酒井 格さんからお手紙(1月16日付)が届いていた。それは、随分と前から構想とそのユニ-クな曲名を聞かされていた奈良県吹奏楽連盟創立40周年記念委嘱作「大仏と鹿」が完成し、その世界初演が大阪市音楽団をゲストに招いた同吹奏楽連盟主催のコンサ-トで行なわれるという知らせだった。早速、電話を入れる。

樋口(以下、H): お久しぶり。お手紙受け取りました。新曲できましたね。

酒井(以下、S): ハイ。ちょうど明日(2月5日)、市音で練習を聴かせてもらうことになっていましてね。それと、コンサ-トのチラシには載ってないんですけど、当日はそのコンサ-トのオ-プニング用に書いた “若草山のファンファ-レ” も中学生の合同バンドで演奏されるんです。

H: フ-ン。ところで、曲名は結局「大仏と鹿」になったんだね。

S: “奈良” といえば、これしかない。(筆者には “しか” の部分がシャレに聞こえた)。しかし、このタイトルは、実は生駒市立鹿ノ台中学校の坂東佳子先生のアイデアだったんです。

H: しかし、出版になるんなら英語のタイトルをどうするかでまた大変なことになるんじゃない?「たなばた」(作曲時の原題:Seventh Night of July)や「おおみそか」(同:New Year’s Eve)のときは、知らないうちにボクがタイトルを勝手に変えた犯人になっていたことがあったし。(あるとき、オランダの出版社de haskeのMr.Garmt van der Veen と食事をしたときに “日本ではこの日のことをどういうんだい?” と尋ねられて何げなく返答したら、答えた本人もオリジナルの曲名を決めた作曲者も知らない間にそれがタイトルとして使われるようになっていた。)今度は、日本語タイトルから英語タイトルを決める逆のパタ-ンになるけど。

S: ご心配なく。今では曲を書いたボク自身がいつの間にか「たなばた」や「おおみそか」と平気で呼んでいるくらいですから。それに、今度は英語タイトルは「グレ-ト・ブッダ・アンド・ディア-(Great Buddha and Deer) 」って決めていて、de haskeにも「これしかない。」って言ってありますから。(やっぱりシャレに聞こえる。しかし、作曲者の言から初演前からこの作品の出版の話が進んでいたことが判る!!)

H: それって、もろに直訳じゃないの(笑い)。ところで録音とかされるの?

S: 吹奏楽連盟の方でCDにして加盟団体に配るという話になっています。

H: 連盟も気合い入ってるね。市音を雇ってライヴCDまで作ってしまうとは。けどね、CDになるんだったらちょうどいい。今NHK-FMの<ブラスのひびき>で紹介できればいいなって思ったとこなんだけど、その録音、事前に借用できると有り難いんだけれどね。それに、もうすぐ4月分の番組内容の提案を出すタイミングなんだけど、この新曲はいつも4週目に放送している<バンド・ミュ-ジック・ナウ>のテ-マにピッタリだと思うんだ。ニュ-ス性も高いしね。でも、提案までに演奏時間も秒単位で正確に計っておいたり、演奏者やCDを作る会社など、著作権に絡む確認が必要になってきたり、いろいろと情報を整理する必要があるんでね。

S: 番組はいつも聴いていますよ。Gで始まるあのテ-マ曲がいいですよね。あれが流れてくると、目が醒めてゆくというか。

H: あれは、イギリスのエリック・コ-ツという人が書いた「ロンドン・アゲイン組曲」の中の「オックスフォ-ド・ストリ-ト」という題名の曲なんだけど、あのテ-マ、実は市音の演奏って知っていた?

S: 知りませんでした。

H: 話をすると少し長くなるんだけど、だいぶ前に市音の練習場で東芝EMIの<マスタ-ピ-ス・シリ-ズ>の録音のための試奏があったとき、その場で録音予定曲を急に変更する必要が起こってね。指揮をされていた木村吉宏団長(当時)がボクに「なんかエエ曲ないか?」と尋ねるんで、たまたま持ち合わせていた何曲かの中から「これなんかどうでしょうか。」って渡したのがあの曲だったんだ。そうしたら、その場ですぐに楽譜がプレイヤ-に配られて “音出し(初見演奏)”が始まって、それを聴いた東芝EMIのプロデュ-サ-(佐藤方紀さん。現在は独立。)にも「なかなかいい曲じゃないですか。明るいのがいい。これは喜ばれますよ。」とOKをいただいて録音即決定。あとはオ-ケストラの原調に戻したり、1930年代の手書きのオ-ケストラ・スコア(作曲年月日も書き込まれていた)をイギリスから取り寄せたりのドタバタが続いたけれど、今では、関係者の間ではまるで<ブラスのひびき>のオ-プニングのために録音された曲であるかのような言い方をされるようになって。NHKがテ-マ曲を決めたときも、チ-フ・プロデュ-サ-や番組担当のディレクタ-たちに曲名や演奏者名をまったく知らせないで候補曲をいくつか聴いてもらったら、なんと全員一致であの曲に決まったということなんだ。それほど番組のイメ-ジにピッタリだったらしい。

S: おもしろい話があるんですね。「大仏と鹿」の録音の件は、早速、連盟にお話ししてみます。

いつものことながら、とても礼儀正しく答える酒井さん。今度の新作の初演成功を心より祈りながら受話器を置いた。

03:世界初演

酒井 格の「大仏と鹿」の世界初演が盛り込まれた「奈良県吹奏楽連盟結成40周年記念/第26回奈良県トップバンドフェスティバル」は、1999年2月7日(日)、奈良県橿原文化会館大ホ-ルで午後1時30分に開演された。そして、この記念委嘱作品は、3部構成のコンサ-トの第2部、招待演奏のステ-ジで、大阪市音楽団名誉指揮者、木村吉宏が指揮する大阪市音楽団の演奏で多くのウィンド・ミュ-ジック・ファンに披露された。

作曲者は、コンサ-トのプログラムにつぎのようなメッセ-ジを寄せている。

「このたびは、奈良県吹奏楽連盟結成40周年に寄せて、新しい作品を書かせていただいたことを大変光栄に、そして嬉しく思っています。1300年の歴史を持つこの古都には、貴重な文化財が数多くありますが、なかでも東大寺の盧舎那仏座像(大仏)と、奈良公園の鹿たちはこの街の象徴と言えるでしょう。重厚な歴史と伝統、未来への生命の躍動、そして恵まれたこの地の風景、この街で暮らす人のエネルギ-。私はこれらをヒントに4つの主題を導き出し作品を構成しました。
もっとも作曲を進める上では、若い演奏者たちにも楽しんで演奏ができるよう、そしてコンク-ルに向けてある程度の時間をかけてこの曲に取り組むときに、常に新しい発見があるようにと、心がけました。この作品が、奈良を発信地として、世界中で愛奏されるようになることを夢見ています。
最後になりましたが、作曲の機会を与えて下さった奈良県吹奏楽連盟。初演をして下さる大阪市音楽団の皆さんと木村吉宏先生に、心より感謝いたします。    酒井 格」
(「第26回奈良県トップバンドフェスティバル」プログラムから。)

同じプログラムには、作品委嘱時に提示された条件(抜粋)も掲載されている。これがこの作品の演奏技術上の中身を決めていてなかなかおもしろい。

「中高生が楽しんで演奏でき、また、夏のコンク-ルでも使用できるものであること。難易度は、5段階で、3~4とする。全日本吹奏楽連盟が公募する「全日本吹奏楽コンク-ル課題曲」に準じた編成とする。ただし、25~30人程度のいわゆる小編成バンドでも演奏可能な楽曲であること。そのため、Oboe、Bassoon、String Bass等の楽器が単独の動きを行う場合は、必ず他の楽器にCueを入れておくこと。また、打楽器の場合は、5~6人程度であるが、4人でも演奏可能なように配慮する。もしくは、人数を減らす場合の方法を明記すること。」(同プログラムから。)

曲は、アレグロ・ヴィヴァ-チェの提示部に始まり、途中アンダンティ-ノにテンポを変え、ブリッジ的な導入からリステッソ・テンポへと展開してユ-フォニアムやクラリネット、オ-ボエ、フル-ト、アルト・サクソフォンの各ソロがフィ-チャ-されている穏やかな中間部を挟んだ後、元のテンポを取り戻して再現部となり、クロ-ジングをプレストでしめる比較的シンプルな構造をもっている。作曲者に尋ねると、4つの主題は曲中つぎのように現われる。まず、イントロのようにも聴こえる曲の冒頭のテ-マ、これが「奈良に暮らす人々のエネルギ-」を表現し、曲中もっとも多く現われる。つづいて、曲は少しのびやかに歌われる部分が移るが、この部分で「奈良の情景のイメ-ジ」を表している。その後、ティンパニのトレモロにつづきトランペットのユニゾンで現われるのが「大仏」のテ-マ(市音の初演では、トランペット6本で演奏された!!)で、つづいて「鹿」が跳躍を伴って現われる。このパッセ-ジは “子鹿が戯れる様子” を表現したもので “曲の終わりに向かって楽しい気分を盛り上げる大切な役割を果たしている” という。

「大仏と鹿」という漢字が入った曲名から、いかにも純和風の作品をイメ-ジする向きも多いかも知れないが、そうではなく、委嘱者の40周年を意識した祝賀調の華やかなム-ドをもつと同時に、その一方でまるでディズニ-・アニメのメルヘンの世界をのぞいているようなファンタスティックな気分にさせられる作品だ。

仕事上の都合から、ご招待いただいたにも拘らずコンサ-トに顔を出すことは適わなかったが、コンサ-ト終了後、酒井さんから初演成功の知らせとともにお願いしていた件に関する返答を電話でいただいた。それによると、CDの制作は残念ながら取り止めになったけれど、放送で紹介されることは連盟としても大歓迎で楽団サイドも快く了解してくれたという。録音テ-プは、後日、連盟の副理事長をつとめられている奈良県立志貴高等学校の山瀬真美先生から送っていただく手筈となった。

2月18日、「大仏と鹿」のDATテ-プが届いた。インデックス・カ-ドに書き込まれている演奏タイムは[6分55秒]。早速、テ-プを再生する。木村吉宏指揮、大阪市音楽団ならではの沸き立つようなライヴがヘッドホンを通じて伝わってくる。聴いていて元気が出てくるとても切れ味のいい演奏だ。他方、世界初演を聴く会場内の空気の微動もよく録れていたが、逆に会場ノイズ、とくに曲の中間にある緩やかな部分でのノイズがかなり気になった。しかし、少し手を加えればFM放送では問題にならない程度のノイズに小さくできるという結論に達した。

テ-プを聴いた印象が薄れないうちに、早速ワ-プロに向かう。通常、NHKへの提案は、最初に中核になる曲を1曲決めて文章で提案の趣旨を説明し、それが了承された後、秒単位のタイムの入った具体的な曲目一覧を提出する。これはその最初の趣旨説明だ。

「以前番組で取り上げて大好評を博した “たなばた””おおみそか” の作曲者、酒井格の待望の新曲 “大仏と鹿” が2月に世界初演された。番組では、そのライヴ演奏を中核に据えて・・・・・・」とワ-プロがカタカタと提案を打ち出していく。

まとめ上げた提案は、早速FAXで担当ディレクタ-氏に送られた後、提案会議を経て了承され、あとはスクリプトを完成させ、東京・渋谷のNHK放送センタ-での収録を待つばかりとなった。
ところが、ここに大ドンデン返しが待ち受けていた。

04:ハプニング


▲奈良県吹奏楽連盟発行の「大仏と鹿」スコア表紙

3月(1999年)に入り、NHK音楽番組部のチ-フ・プロデュ-サ-のAさんから「大至急、お会いしたい。」という急を要する電話が入った。

喫茶店で待ち合わせて話をうかがうと、その大筋は「来年度の予算の枠組みが決まりまして、FMは番組の多くを外部に制作を委託することになりました。」という衝撃的な内容だった。そして、多くの番組はすでに昨年末に民間委託が決まっていたが、<ブラスのひびき>はなかなか結論が出ず、3月に入ってやっと同じく外部制作が決まったという。さらに「NHKとしては、今後とも番組を続けていただくつもりで先方に申し入れたのですが、新しく<ブラスのひびき>を制作することになった民間の制作会社は、どうしても “東京の人” で番組を制作したいという強い姿勢を崩さないのです。ご了解いただけますでしょうか?」という。何のことはない。今世間で吹き荒れているリストラと同じ性格の話である。当時、こちらも母の病状の一進一退がつづき、東京・渋谷のスタジオとの間を8時間以上もかけて往復することに肉体的にも精神的にも疲労感を覚えていて、いつかは番組に迷惑をかけることになるのではないかと心配していたところだったので、一瞬考えた後にNHKの申し出に同意することにした。もちろん、番組のいくつかのテ-マを完結させることができず、リスナ-への重大な裏切り行為になるという思いが何度も頭をよぎったが、当時としては “もっと番組に集中できる人が作る方がいい” 、これが精一杯の結論だった。そして、3年間お世話になった同番組の卒業はこうして突然決まった。

Aさんはドタキャン(その時点で、担当ディレクタ-氏にはすでに5月放送予定分の提案まで伝えていた)をしきりに詫びながら、つづいて「どなたか “東京在住” で適任の方がいれば推薦していただけませんでしょうか。」と尋ねてくる。さらに、「もう3月もかなり日がたっているのに、4月3日にオンエアされる番組のコメンテ-タ-が決まっていないわけでして、正直焦っています。」ともいう。そして、「今のところ、N響のOBで行こうというセンが出ていまして・・・・・・・・・・。」と具体的な名前(思わずアッと驚いてしまった人物名だった)を口にする。

即座に「たいへん失礼ながら、そのような意見は現在のこの世界のことをほとんど何もご存知ない方のご意見と思われます。クラシックのようにレパ-トリ-がある程度固まったジャンルではなく、今グロ-バルなレベルで新しい動きがつぎつぎと起こっているこのジャンルを取り扱っている国内唯一の公共放送番組である<ブラスのひびき>は、常に世界中の最新情報に接していると同時に蓄積された知識の絶対量がポイントになります。ということから考えると、以前、番組をなさっていたBさん以外に適任者は考えられないのではないでしょうか。」とお答えした。

<ブラスのひびき>は、その後、4月最初の2週に筆者の提案にそって収録されたイギリスのブラス・バンド「グライムソ-プ・コリアリ-・バンド」の東京・オ-チャ-ドホ-ルでのライヴを取り上げたのを皮切りに新体制に移行した。OBとしては、番組のますますの発展を願うのみだ。
しかし、一方で「大仏と鹿」のオン・エアは無くなってしまった。

05:オ-プニング・テ-マ

1999年4月、NHK-FM<ブラスのひびき>の新体制移行に伴い、筆者の提案にあった「大仏と鹿」の初演ライヴのオン・エアも自動的にオクラ入りとなった。

その結果、すぐに酒井さんに経緯を説明する必要が生じたが、その前に “待てよ-” と、送っていただいたテ-プをもう一度聴き直してみることにした。するとどうだろう。ヘッドホンに演奏が流れだした瞬間、得体の知れないパルスがアタマの中をものすごいスピ-ドで駆け抜けるのを感じたのだ。 “アッ!!” 右手も反射的にストップウォッチを握っていた。

もう一度聴いてみる。 “コメント入りまでのタイムもOK!!””これは、番組のテ-マ音楽としても使える!!” 直感がそう教えてくれた。

この時ちょうど、収録が迫っていたNHK-FM<ブラスの祭典/第46回全日本吹奏楽コンク-ル>の番組テ-マを早急に決める時期がきていたのだ。

早速、番組ディレクタ-のCさんに電話を入れる。ひとしきり、今度のドタバタ劇についてのやりとりがあった後、「今度の “ブラスの祭典” のオ-プニングとエンディングのテ-マ音楽なんですが・・・・・・・・・・。」と用件を切りだした。すると、Cさんはテ-マ音楽の選曲について、そのすべてを一任してくれた。

3月14日、番組で使えるように微調整を終えた「大仏と鹿」のDATテ-プを携え、NHK放送センタ-のスタジオの中でもデジタル対応の最新設備が整った502スタジオに入る。早速、ディレクタ-氏の最終OKをもらうために音声さんにテ-プを委ねる。すると、一瞬の静寂の後スタジオのモニタ-スピ-カ-から市音のすばらしいサウンドがのびやかに聞こえてくる。 “OKだ!!” 心の中の自分の声が叫んでいた。Cさんももちろん大満足。そして、間を置かず番組本編の収録へと一気に進んでいく。(余談ながら、Cさんは “テイク1” を大切にされるディレクタ-で、筆者のコメントが少し淀んでも、ほとんど “気になりません” と言って録り直しを認めてくれない。マイクの微調整や使用音源の録音レベルのチェック以外、リハ-サルもない。この番組も<ブラスのひびき>も、ほとんど “ナマ放送” 同然だった。お聴き苦しかった箇所は、すべて筆者の責任です。)

収録の最後の頃に、日曜日にもかかわらず、チ-フ・プロデュ-サ-のAさんも顔を出されて3年間の労苦にねぎらいの言葉をいただいた。この後、2月13日に収録を終えていた<ブラスのひびき>3月27~28日放送予定分のエンディングを “お別れのメッセ-ジ” に差し替えるための収録を終え、3年間つづいたスタジオ通いは終わった。

帰宅後、酒井さんに電話を入れる。そして、ことの経緯を説明すると同時に、お世話になった奈良県吹奏楽連盟の方へも知らせていただくように頼んだ。このとき作曲者は、<ブラスのひびき>での紹介が無くなったことに少々ガッカリされたようだったが、代わって全国放送のテ-マ曲として使われることになったことをとても喜ばれていた。

番組は振り替え休日の月曜日、3月22日、朝9時からオン・エアされ、「大仏と鹿」のひとり歩きも同時に始まった。


▲「ブラスの祭典」の番組台本

06:金賞

古くからの友人のひとりに、現在、東京の武蔵境で歯科医院を開かれている山崎武久さんがいる。氏はLP時代からの筋金入りのウィンド・ミュ-ジックのファンであると同時に、レコ-ドやCDの蒐集家である。また、中高一貫教育で知られる東京の巣鴨学園吹奏楽班のOB会会長もつとめられている好人物で、現役時代はストリング・バスを弾いておられたのだそうだ。仕事で東京に出たときには、練馬のお宅にもちょくちょくお邪魔させていただき、音楽談義にあれこれ花を咲かせた間柄だ。あるときなどは、お邪魔したその場に指揮者のアントニン・キュ-ネル氏が居合わせていて少々面食らったこともあった。診療中にも、マルセル・ミュ-ルやロイヤル・エア・フォ-ス・バンドのCDが何気なくBGMで流れていることがあったりするから、やはりただものではない。

さて、NHKのコンク-ル番組の収録から何日かたったとき、氏と電話で話す機会があった。そして、「何かおもしろいことありませんか?」と尋ねる氏の問いに対し、「関東ではまだ誰も聴いたことがない音楽が今度FMでオン・エアされますよ。」といつものように軽く答えた。すると、電話越しに氏の声のト-ンが上がったのがはっきり分かった。そして、「それって、一体何ですか?」と切りこんでくる。

「例の “たなばた” や “おおみそか” に続く、同じ作曲家の新作 “大仏と鹿” ですよ。もっとも番組テ-マとして使わせていただくことになっていますので、本当は7分くらいの曲なんですが、放送されるのは頭から1分少々くらいになりますけどね。」と答えて、放送日、時間などを伝えると、「ぜひ、聴きます。」との興奮気味の返答。受話器の向こうで目を輝かせておられる氏の姿が容易に想像できた。

放送の翌日、早速、電話がくる。そして、「イヤ-、テ-プに録音してみんなで盛り上がりましたよ。ぜひとも演奏したいと思うのですが、どうすれば楽譜が入手できるでしょうか。」と質問がくる。やっぱりきたか。
最初に話したときの氏のボルテ-ジから、そんなこともあろうかと、このときまでに筆者はつぎの2つの手を打っていた。まず、出版する予定というオランダの出版社de haskeへその時期を問いあわせると “1999年の秋” という回答がきた。つづいて、作曲者を通じて奈良県吹奏楽連盟へ “出版までの間、楽譜を貸し出したり、販売したりすることは可能かどうか” を打診してもらった。連盟加盟団体に配布された楽譜セットを作ったときの余剰分が必ず残されているはずだと思ったからだった。そして、睨んだとおり、楽譜の残部は、作品委嘱をした県の連盟に保管されていた。

数週間後、連盟での協議をへて、このとき連盟が作って持っていた楽譜は、オランダで出版譜が発売されるまでの期間限定という条件つきで希望者に有料で貸し出されることになった。願っていたとおりの回答だ。しかも、有料といってもわずか¥5,000 という配慮の行き届いた料金!!どこかのレンタル譜とはエライ違いだ。

知らせを受けた巣鴨学園の行動は本当に素早かった。早速、楽譜を発注して、それを受け取ると、この曲を吹奏楽コンク-ルの自由曲に使うことを決定!! しかし、後で聞いた話だが、指揮者でもある顧問の三嶋 淳先生は、その後、「いい曲が見つかった」といって喜んでいる周囲の盛り上がりをヨソに、ひとりスコアを睨みつけながら悩まれていたんだそうだ。というのも曲がいきなりの<8分の3拍子>で書かれていたからだ。「どのように譜割りをして指揮をすればいいんだろうか?」三嶋先生は、武蔵野音楽大学の出身で、サクソフォンのソロイストとしても何度もステ-ジを踏まれている経験豊かな音楽家だ。その先生も演奏を聴いたときには予想できなかった拍子で曲が書かれていたのだ 。

後に、この話を伝え聞いた作曲者は、「そうらしいですね-。でも、仕掛けさえ解れば簡単なんですけどね-。」と涼しい顔。このあたり、作曲者と演奏者の楽譜を通したバトルを見るようで、なんともおもしろかった。
巣鴨学園吹奏楽班は、平成11年(1999年)8月17日、東京都府中市の “府中の森芸術劇場/どり-むホ-ル” で行なわれた第39回東京都高等学校吹奏楽コンク-ルA組1日目にこの新しい作品をひっさげて登場。見事金賞を得た。

この年、地元奈良県でこの曲がコンク-ルに使われることはなかったが、奈良県吹奏楽連盟の記録によると、オランダで印刷された正式の出版譜が発売されるまでの貸し出し期間中に、巣鴨学園の他にもう1校、岡山県御津郡御津町の御津中学校吹奏楽部が楽譜を借り出ている(第40回岡山県吹奏楽コンクール、中学校B部門最優秀賞)。曲はこうして広まっていくわけだ。そして、出版譜が日本に入ってきた同じ年の秋以降、全国各地での演奏がいよいよ始まった。

つぎに演奏されるのは、あなたのバンドかも知れない。

07:真犯人?

2000年1月、オランダの音楽出版社de haske(デ・ハスケ)から、かねてより発注していた「大仏と鹿」の出版スコアが入ったパ-セルが届いた。

早速、封を切って中身を確認する。「ア、ア-ッ!? !? !?」手にした新しいスコアの表紙を見て、筆者は、思わずズルッとイスから滑り落ちそうになるくらい、オ-バ-なアクションでズッコケてしまった。吉本新喜劇でおなじみの定番ギャグのように。

そして、事件は美しく印刷されたスコアの表紙、まさにその上で起こっていた。なんと曲名が、こともあろうにロ-マ字(!?)で印刷されていたのだ!!<DAIBUTSU TO SHIKA>と・・・・。すなわち、「たなばた」「おおみそか」の前2作につづいて、今度もまたまた、出版タイトルは作曲者の意向とは別物になってしまったのだ。

それにしても、作曲者があれほど「これしかない。」と言い、当然出版社にも伝わっていたはずの「GREAT BUDDHA AND DEER」は、一体どこへ行ってしまったのだろうか。慌ててスコアのペ-ジをめくる。

まず、開いて最初に目に入る中表紙には<Commissioned by the Nara Prefecture Band Association for their 40th Anniversary >と<奈良県吹奏楽連盟結成40周年記念委嘱作品>の英語と日本語の説明句。それにつづいて、ロ-マ字と漢字による曲名、作曲者名が印刷されている。さらにペ-ジをめくると、ついに発見”Great Buddha and Deer”という文字は、作曲者のプロフィ-ルを紹介したペ-ジの作品リストの中にあった。面白いことに、同じリストの「たなばた」が “Tanabata(The Seventh Night of July)”、「おおみそか」が “Omisoka(New Year’s Eve)”となっているのに、その流れだったら当然そうなっているべきはずの “DAIBUTSU TO SHIKA”の文字は見当らなかった。また、つづく作品ノ-トのペ-ジには両タイトルが混在。印刷著作物としての統一はなく、ちょっとした混乱が見てとれた。そして、これらの事実から、このスコアは、最初、作曲者の意向どおりに “Great Buddha and Deer”という曲名で印刷作業が進みながら、途中<何らかの理由>でロ-マ字タイトルに変更することになったが、最終的に細部まで目が行き届かなかった、ということが容易に想像できた。出版を急ぐ印刷物ではままあることだ(もちろん、未然に防ぐ努力は払われたのだろうが・・・・・・)。

しかし、<何らかの理由>とは、・・・・・・。ムムム・・・・・・。筆者は、思わず頭を抱え込んでしまった。この一件の真犯人(?)は、またしても筆者なのかも知れない。つまり、思い当たるフシがあるのだ。
それは、昨年(1999年)2月、スイスにいるde haskeのMr.Garmt van der Veen にこの曲のなるべく早い時期の出版とレコ-ディングを勧めたときのやりとりにまで遡る。

そのとき、ある程度予想されたことだったが、ハルムトはこちらの案件に対する返答だけでなく、「イタル・サカイの今度の新曲は、日本語ではどう読むのか?タイトルは本当にこれでいいのか?また、”Great Buddha”とは何なのか?」と尋ねてきていたのだ。西洋人にとって “大仏” と “鹿” を組合せているタイトルがよく理解できなかったのだろう。戸惑っている様子がアリアリだった。これに対し、筆者は「漢字(ハルムトはこれを “サイン” と表現する)を使ったオリジナル・タイトルは、日本語では “DAIBUTSU TO SHIKA”と読む。しかし、あなたも知ってのとおり、アルファベット・タイトルは作曲者がすでに “Great Buddha and Deer”と決めている。奈良県の吹奏楽連盟の40周年記念委嘱作品でもあるし、タイトルの変更は馴染まない。」と、まず予防線を張った。なぜなら、この出版社は曲のイメ-ジから出版時に曲のタイトルをガラリと変えることが過去に何度もあったからだ。今度は犯人になるわけにはいかない。筆者は、幾重にもクギをさしたその上で、「 “Great Buddha” も “Deer” も、かつて日本の都だった奈良を象徴するシンボルだ。もし、どうしてもイメ-ジできないのなら、ベルギ-のヤン(Mr.Jan Van der Roost)に尋ねたらいい。彼は奈良に行って実際に “現物” を見ているし、外国人向けの観光案内も持っているから。」とアドバイスした。

このやりとりを受けて、ハルムトはすぐにヤンに連絡をとったようだ。同じその日の内に「今、ハルムトから電話があった。」という内容のFAXがヤンから届いた。日本→スイス→日本→スイス→ベルギ-→日本。レコ-ディングの方も、4月に予定されていたリトアニアでのセッションに急遽組み入れられた。地球は狭い!!

しかし、しかしである。実際に出版された「大仏と鹿」のアルファベット・タイトルは<日本語タイトル>をストレ-トに読んだ<ロ-マ字タイトル>がメインとなってしまった。作曲者が決めた “Great Buddha and Deer”は、最終的に実際に音符が印刷されている最初のペ-ジには残されたものの、でかでかと印刷された “DAIBUTSU TO SHIKA”のすぐ下に、あたかもその説明句であるかのような小さな活字で・・・・・・・・。

今度、酒井さんに会ったとき、この一件をどう切りだせばいいのだろうか・・・・・・・・。

08:大団円

▲「大仏と鹿」録音中 指揮:堤 俊作

2月4日(2000年)、大阪市音楽団(市音)のトランペット奏者、田中 弘さんから、しばらくおいてクラリネット奏者の延原弘明さんから電話が入った。両氏は、ともに市音プログラム編成委員。電話は、兵庫県尼崎市のアルカイックホ-ルで前日から行なわれている市音自主企画CD「ニュ-・ウィンド・レパ-トリ-2000」のレコ-ディング・セッション終了後の “打ち上げ” へのお誘いだった。

仕事の関係で途中参加(普通、この “宴” は会場を変えながら翌日の未明まで続くのでかなり遅くから加わっても問題ないが、油断すると、つぎの日は多くの人が “安息日” を迎えることになる。巷には “反省は○○でもできる” という説があるらしいが・・・・・・)となったが、会場に入ると、龍城弘人団長をはじめ、レコ-ディングでディレクタ-をつとめられた佐藤方紀さん(File No.01-02 参照/現在、東京の(株)ハ-モニ-のプロデュ-サ-)、CD制作を技術面でサポ-トする広島のブレ-ン(株)の加藤雄一さんなど、一足早く盛り上がっている面々(久しぶりに顔を合わせる人ばかり!!)の少々手荒い歓迎が待ち受けていた。そして、「大仏と鹿」の作曲者、酒井さんもその場にいた。彼も、この “宴” に誘われていたのだ。

宴席を一巡したあと、作曲者の隣りに腰を落ち着ける。そして、今度のレコ-ディングについてふたりでひとしきり盛り上がった後、肝腎のテ-マを切りだしてみた。

▲モニタールームでの作曲者

樋口(以下、H):
ところで、デ・ハスケ版のスコア見た?

酒井(以下、S):
見た瞬間、もう「エッ?」ていう感じですよ。(と、彼も吉本新喜劇ばりにズルッと前方にすべる!?関西人はこれが自然体でできる。)

H: ボクもまったく同じ。なにしろ、タイトルがロ-マ字なんだもんね。

S: そうなんですよ。誰があんなこと(デ・ハスケに)教えたんでしょうか。

H: それ、ひょっとすると、またボクかも知れないんだ。今度もハルムト(Mr.Garmt van der Veen) に、タイトルの意味や読み方をしつこく尋ねられたことがあったからね。ただし、あなたが “Great Buddha and Deer”しかない” と先方に申し入れてあるって話されていたし、ボクも “作曲者がタイトルを決めていて、吹奏楽連盟の委嘱作でもあるし、変更は馴染まない” とクギをさしておいたんだけど・・・・・。まさか、ロ-マ字タイトルになっているとは・・・・・。(つ、ついに言ってしまった!!)

S: (再び、ズルッと大げさにすべりながら)本当に、こんな感じだったんですよ。

H: ただね。ロ-マ字タイトルになったことで、結果的にひとつだけいいこともあると思うよ。つまり、世界中の人があの作品を「ダイブツ・ト・シカ」って呼ぶようになった、ということなんだ。

S: アッ!! そう考えればいいんですよね。(と、急に笑顔に変わる)

H: 英語圏では「ダイブツ・トゥ-・シカ」ってなるかも知れないけど。(両者大笑い)

S: ところで、ボク、9才のときに “市音” を指揮したことがあるんですよ。まだ、天王寺に “市音” があった頃の話なんですが。

H: エッ!?そりゃ初耳!?パンダの家に変わる前の音楽堂で?(中国からジャイアント・パンダが贈られることが決まったとき、市音の旧練習場と天王寺音楽堂がとり壊されて跡地にパンダ専用の住まいが作られた。パンダの人気の前では “市音” も形無し。)それって “たそがれコンサ-ト” で?

S: そうなんです。母親が素人指揮者コ-ナ-に応募して当たってしまったんですよ。けれど、渡されたスコアの調が原曲とは違っていたので、ナマイキにも「なんで?」って思ってましたけど。

H: ( “9才でそんなこと考えていたなんて” と思いながら)記憶が定かではないけど、その “たそがれコンサ-ト” 聴いてたかも知れない。当時からよく “市音” におじゃましてたしね。しかし、今度「大仏と鹿」がレコ-ディングされたわけだし、その頃から “市音” とあなたの間には不思議な縁があったということになる。

S: そうなんです。

H: あの木の床が “ギシギシ” と音をたてる2階の合奏場でリハ-サルしたわけだ。

S: やりました。合奏の方は、もちろん、当時指揮をされていた永野慶作さんが下準備をしておいて下さったんですけど。

H: 当時のもの、ちゃんととってある?写真とか、録音とか。

S: 確か、市音からもらった指揮棒と、永野さんとボクの書き込みのあるスコアは残っていると思います(後日、現存を確認)。「教育大阪」って雑誌に写真入りで紹介されたし、NHKのラジオでも放送されたんですよ。母親が録音してくれたカセットはちゃんとは録れてなかったんですけれど・・・・・・・・。

H: 世紀の大スク-プ。それね、あなたのホ-ムペ-ジで、ぜひ紹介すべきです。みんな「エ-ッ!?」ってビックリするよ。プロフィ-ルにも「9才のときに、大阪市音楽団を指揮し、好評を博す」って書いたりしてね。(両者、大笑い)

この前日、大阪市音楽団首席指揮者、堤 俊作のタクトでレコ-ディングされた「大仏と鹿」は、作曲者も驚いたというほどのとても個性的な演奏だったんだそうだ。筆者の人生の大きな転機に出会ったとても素敵な作品「大仏と鹿」。その前途に幸多くあれ。

▲左から酒井 格さん、龍城弘人大阪市音楽団長、一人おいて佐藤方紀ディレクター

▲「大仏と鹿」録音中 於:アルカイックホール

09:作曲者からのメッセージ

◎ 「大仏と鹿」を演奏して下さる皆様へ

みなさん、こんにちは。この度、奈良県吹奏楽連盟からの委嘱により、皆様に私の新しい作品が届けられることを心よりうれしく思っています。今、みなさんはこの譜面を手にしてどんな気持ちでいらっしゃるのでしょう?すでに演奏に際してのイメージ作りをされている方に、作曲者のイメージを押しつけてしまうことになってしまうかもしれませんが、私の言葉を載せさせていただけるということなので、この曲が生まれる時のお話を少しばかりさせていただきます。

まず、「大仏と鹿」というタイトルですが、これは生駒市立鹿ノ台中学校で音楽科の教員をされている「ばんばん」こと坂東佳子先生のアイデアです。この作品を書くにあたって、もっとも最初に浮かび上がったメロディーは、練習番号[E]と[O]の部分です。奈良と言ったら真っ先に浮かぶのが、やっぱり奈良公園の鹿たちな訳で、この部分は、可愛らしい小鹿たちが戯れる様子を思い浮かべています。2番目に思いついたメロディーは、練習番号[B]そして”Tempo primo”からの部分です。流れるようなこのメロディーが表しているのは、奈良の美しくのどかな田園風景。または、そこを吹きぬける風のようなものでしょうか?

さて、ここまで来た時点で私はちょっと行き詰まってしまいました。この時点で私が考えていたタイトルも「鹿」という、キーワードは入れておきたいなぁと、漠然と考えていたに過ぎません。そこで、「ばんばん」から飛び出してきたアイディアが「大仏と鹿」というタイトルです。そうだ、大仏さんを忘れちゃいけないよね、というわけで生まれたのが練習番号[D]からのメロディーです。Timpaniのトレモロを伴ってTrumpet奏者全員によって奏することのメロディーはそれぞれの場面をつなぐ時には必ずといっていいほど現れますが、これは何を表しているのでしょう?

メロディーを思いついた時にはそれほど深く考えたこともないのですが、これは実際に奈良で生活する人々のエネルギーみたいなものじゃないかと感じるようになりました。大仏や奈良公園の鹿たちは、確かに奈良になくてはならないキャラクターですが、奈良が世界でも、最も魅力のある街の一つであるのは、その街で働き、暮らす人たちがいるからだと思います。

と言うわけで、一番最後に出来たメロディーが結局この曲の主役になってしまいました。以上、4つのメロディーがいろいろと変容されてこの曲を構成しています。どんなストーリーになっているかは、是非みなさんでイメージを膨らませていただきたいと思います。演奏する人の数だけ、この曲のストーリーが生まれることを心より望んでいます。

◎演奏のヒント

Allegro vivaceの8分の3拍子は♪=144または152くらいが適当だと思います。4分の4拍子になっても8分音符の長さは変わりません。中間部はややテンポを落としてゆったりと演奏して下さい。

157小節以降のTubaパートを演奏するのは、まだ楽器を始めたばかりの若いプレーヤーには困難かもしれません。やむを得ない場合は下の譜面を演奏して下さい。二つの音符が書いている箇所は、奏者が二人以上いるときは両方の音符を、一人の時は下の音符を演奏することをお薦めします。ただ、オリジナルの跳躍が多く含まれるパッセージは「子鹿が戯れる様子」をイメージしており、曲の終わりに向かって楽しい気分を盛り上げるのに大切な役割を果たしているので、最初から諦めずに是非挑戦してみて下さい!

打楽器パートはTimpaniを含めて5人の奏者で演奏するように書いてあります。打楽器奏者が4人しかいない場合は、基本的にはPercussion 4のパートを省略することになります。ただ、練習番号[ I ] [L] [M]にあるBass Drum,[E] [J]のTriangle,[M] [N]のWood BlockはPercussion 1または2の奏者が演奏するようにして下さい。

Timpaniパート、[D] 5小節目でのチューニングは楽器によって間に合わない場合があるかもしれません。その場合は[D]10小節目のLow Fを1オクターブ高いFで代用する方法があります。ただし、この方法は1st Trumpetとの間に発生する連続5度が強調されるので安易に変更することは勧められません。

10:出版楽譜の主な相違点

[ 奈良県吹奏楽連盟版(N)→de haske版(DH)]
(音符等の印刷ミスをのぞく)

31段スコア(N)→25段スコア(DH)
Flutes (1、2)、B♭Clarinets (II、III)、Alto Saxophones (I、II)、Trumpets(II、III)、Trombones(I、II)が各1段にまとめられ、4段で書かれていたPercussionが、Mallet Percussion と2段の Percussion パ-トに書き分けられた(計3段)。

(N)では、[A]~[R]の練習番号が付けられているが、(DH)ではそれを廃し、各小節に小節番号が付けられている。ただし、(DH)の小節番号中、□で囲まれているものは、(N)の練習番号に該当。
楽器名の変更:String Bass (N)→ Double Bass(DH)
(DH)では、編成の異なるヨ-ロッパのウィンド・バンドのためにE♭Horns やE♭ Bass の各パ-ト譜が新たに用意されたほか、Trombone、Euphonium、E♭Bass、B♭ Bass の各パ-ト譜は、高音部記号のものと低音部記号のものが用意されている。

■大仏と鹿
Daibutsu To Shika
作曲:酒井 格
https://item.rakuten.co.jp/bandpower/set-8093/

■ニュー・ウインド・レパートリー2000
大阪市音楽団
https://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-0085/

 

■樋口幸弘の「ウィンド楽書(ラクガキ)ノ-トファイル」File No.02 『マーティン・エレビー:新世界の踊り』

マ-ティン・エレビ-:新世界の踊り
NEW WORLD DANCES (Martin Ellerby)

01:作品ファイル
<Version I>原曲/ブラス・バンド版(Brass Band Version)

[作曲年]1996年

[作曲の背景]
作曲者がコンポ-ザ-・イン・レジデンス(専属作曲家)のポジションにあったイギリス青少年ブラス・バンド(The National Youth Brass Band of Great Britain) の1996年夏の同バンドのアメリカ演奏旅行のための新作オリジナルとして委嘱 により作曲。同年7月4日に完成。

[編成]
E♭ Cornet
B♭ Cornets
(Solo Cornets<I、II、III、IV>、Repiano Cornet、2nd Cornets <I、II>、
3rd Cornets<I、II>)
B♭ Flugel Horn
E♭ Horns(Solo、I、II)
B♭ Baritones(I、II)
Trombones (I、II、Bass)
Euphoniums (I、II)
E♭ Basses (I、II)
B♭ Basses (I、II)
Timpani
Mallet Percussion
(Xylophone、Glockenspiel、Vibraphone、Tubular Bells)
Percussion
(Snare Drum、Bass Drum、4 Pitched Drums、Bongos、Tam-Tam、
Clash Cymbals、 Suspended Cymbal、Hi-Hat Cymbals、
Ride Cymbal、Maracas、Mark Tree)

[楽 譜]
1999年、イギリスのStudio Musicが版権取得。

[初 演]
1996年7月24日、アメリカ・ノ-ス・カロライナ州カロウィ-のウェスタン・カロライナ大学ホウイ・オ-ディトリウムで開催されたイギリス青少年ブラス・バンド(National Youth Brass Band of Great Britain)のコンサ-トにおいて、同バンドの音楽監督ロイ・ニュ-サム(Dr.Roy Newsome)の指揮で世界初演。日本初演は、1999年10月27日、大阪のサンケイホ-ルで催されたブリ-ズ・ブラス・バンドの “ライムライト・コンサ-ト18” において、同バンドの常任指揮者、上村和義の指揮によって。

<Version II>ウィンド・バンド版(Wind Band Version)

[改作年]1998年

[改作の背景]
1998年、イギリス、マンチェスタ-のロイヤル・ノ-ザン音楽カレッジ(The Royal Northern College of Music)の委嘱により、同題のブラス・バンド曲をウィンド・バンド(吹奏楽)用のオ-ケストレ-ションに改める。

[編成]
Piccolo
Flutes (I、II)
Oboes (I、II<doubl.:Cor Anglais>)
E♭ Clarinet
B♭ Clarinets (I<div.>、II<div.>、III<div.>)
B♭ Bass Clarinet
Bassoons (I、II)
E♭ Alto Saxophones(I、II)
B♭ Tenor Saxophone
E♭ Baritone Saxophone
B♭ Trumpets (I、II、III、IV)
F Horns (I、II、III、IV)
Trombones (I、II、III)
Euphonium <div.>
Tuba <div.>
String Bass
Harp
Piano <doubl.:Celesta>
Timpani
Mallet Percussion
(Xylophone、Glockenspiel、Vibraphone、Tubular Bells)
Percussion
(Snare Drum、Bass Drum、4 Pitched Drums、Bongos、Tam-Tam、
Clash Cymbals、 Suspended Cymbal、Hi-Hat Cymbals、
Ride Cymbal、Maracas、Mark Tree)

[楽 譜]
1999年、イギリスのStudio Musicから出版。図版番号:M-050-03116-1。

[初 演]
1998年4月6日、マンチェスタ-のブリッジウォ-タ-・ホ-ルで開催された第17回英国シンフォニック・バンド&ウィンド・アンサンブル・アソシエ-ション(BASBWE)年次カンファレンスのコンサ-トにおいて、ティモシ-・レイニッシュ(Timothy Reynish) 指揮、ロイヤル・ノ-ザン音楽カレッジ・ウィンド・オ-ケストラ(The Royal Northern College of Music Wind Orchestra)の演奏で。

【マ-ティン・エレビ-/Martin Ellerby】

1957年10月22日、イングランドの北中部のノッティンガムシャ-州ワ-クソプに生まれる。最初にトランペットを、つづいてピアノを学び、ロンドン音楽カレッジを卒業後、同じくロンドンの王立音楽カレッジ(RCM)でジョ-ゼフ・ホロヴィッツに作曲を、W・S・ロイド=ウェッバ-に対位法を師事。さらに、作曲家ウィルフレッド・ジョ-ゼフズにもプライベ-トに学んだ。作品は、管弦楽、室内楽、声楽、器楽など、幅広いジャンルにあるが、師のホロヴィッツの影響もあってか、近年ウィンド・バンド(吹奏楽)とブラス・バンド(金管楽器と打楽器からなるバンド)の両ジャンルにも作品を数多く書いている。1994~95年、スイスのブラス・バンド “ブラス・バンド・ベルナ-オ-バ-ラント” のコンポ-ザ-・イン・レジデンス(専属作曲家)、1995~96年、イングランド芸術カウンシルのスポンサ-ドによる “イギリス青少年ブラス・バンド” のコンポ-ザ-・イン・レジデンス、1997年からはイングランドの名門ブラス・バンド “フェアリ-・バンド” のコンポ-ザ-・イン・レジデンスを歴任する一方、母校ロンドン音楽カレッジの作曲および現代音楽の主任教授をつとめ、1997年からは “ロイヤル・エア・フォ-ス音楽学校” の教務責任のある客員教授もつとめている。

02:号泣

昨年(1999年)11月の半ば、大阪市音楽団(以下:市音)のトランペッター、田中 弘(たなか ひろむ)さんに電話をした。田中さんは、市音の演奏プログラムを立案し準備する “プログラム編成委員” のひとり。スクール・バンドの世界で全国にその名を轟かせている京都の洛南高等学校の出身で、大阪音楽大学を経て市音に入団されたという、いわば “吹奏楽の虫” である。市音きっての人情家のひとりで、お酒にまつわる武勇伝にもこと欠かないが、少々怪しげな “関西風イングリッシュ” を駆使して、毎年12月にアメリカのシカゴで開かれる<ミッドウェスト・バンド&オーケストラ・クリニック>にも私費で参加されるなど、氏のウィンド・ミュージックにかける情熱は並々ならぬものがある。

しかし、何事に対しても直接あたって道を切り開いていく “まずは行動ありき” というタイプだけに、氏の行く先々では自然発生的にハプニングも起こってしまう。シカゴのクリニックでもこんな出来事があった。日本でも有名なアメリカのさる軍楽隊のブースに人々が行列をつくってCDをもらっているのを目ざとく見つけた氏は、すぐに列に並んで差し出された書類(もちろんすべて英語で印刷されている)に、氏名、年令、住所、所属バンド名などを記入してCDをゲットし、大喜びをされていたことがあった。しかし、後日アメリカからオフィシャル・レターが届いて、これは大きな勘違いであったことが判明した。レターは先の軍楽隊からで、そこにはこう書かれていた。

<たいへん申し訳ありませんが、貴殿はアメリカ国籍ではありませんので、先に提出された “入隊希望” にはお応えすることができません。>

以来、氏は “あの有名なアメリカの軍楽隊に入りそこなった” というこの一件で市音ではさらに一目置かれる存在となったという。(まったくの余談ながら、市音では、2000年4月22日(土)に京都コンサートホールで催されたオランダ海軍バンドのコンサートにおいて、オランダ側の依頼で、急病の奏者に代わってトランペット&コルネット奏者の村山広明さんが急遽ステージにのったことがあった。それを伝え聞いた口うるさい “ガクタイ雀ども” の間では、このとき村山さんが軍楽隊のユニフォームを着たのかどうかが一時話題になったが、当のご本人に尋ねると、いつも市音で着馴れている普通のステージ衣装だったとのことで一件落着。それにしても、プレイヤー急病という緊急事態に際し、演奏予定曲の音楽上の必要からエキストラ奏者を入れて演奏を行なったオランダ海軍バンドの態度はいかにもプロフェッショナルと言えた。)

それはさておき、田中さんとの電話は、筆者が “現役だった” 当時にミッドウェスト・クリニック直前の情報交換のためにどちらからともなく始まった毎年恒例のものだった。個人的な事情から現役から身を引いたこの年は、クリニックに参加する海外の友人に個人的なメッセージを伝えてもらおうと思ってのこちらからの電話だった。

しかし、話を始めると、氏は「ちょうどこちらからも電話しようと思っていたところでした。<ニュー・ウィンド・レパートリー2000>のことで相談にのっていただきたいことがありまして・・・・・・。」と言う。

▲左から、田中さん、延原さん、そして洛南高の宮本先生 (大阪市音楽団の「吹奏楽フェスタ’97」から。 1997.5.3 森ノ宮ピロティホールにて)

市音自主企画CD<ニュー・ウィンド・レパートリー>は、その立ち上げに参画したことから筆者にとっても思い入れのあるシリーズだ。実は、<ニュー・ウィンド・レパートリー>というCDのタイトル自体も筆者のアイディアだったりする。1999年は早々に “廃業宣言” をして、多くのレコード会社の解説原稿の執筆依頼をことごとくお断りしていたので、氏にも「解説ノートは書けませんよ。」とクギをさした上で、後日、仕事が終わる深夜にお会いして、ざっくばらんに話を聞くことにした。

深夜のミーティングは、やはり市音プログラム編成委員でクラリネット奏者の延原弘明(のぶはら ひろあき)さんも加わって始まった。延原さんも大阪音楽大学の出身で、市音では長年E♭クラリネットの名手としてならし、何十人ものプレイヤーによる合奏サウンドを下に従えて最高音域で自由にふるまえるこの楽器を演奏することに何にも代えがたい “快感” を覚えていると話されていたことがあった。近年、B♭クラリネットにパート換えになり、市音の組織上でも管理職のひとりとなられた。田中さんの大学の先輩であり市音では上司ということになる。

話は、まず<ニュー・ウィンド・レパートリー>収録予定曲の選曲についての相談から始まった。何でも、市音プログラム編成委員はこの時点までにものすごい数の曲を聴いていたのだが、リスト・アップの結果、もう少しこのCDの企画コンセプトに向く曲の情報を入手した方がいいということになったのだという。

筆者は、市音がすでにどんな曲をリスト・アップしているのか、まったく知らなかったが、思いつくままの意見でいいということだったので、まずは「日本の作品では、市音が世界初演を行なったという位置づけからも、酒井 格(さかい いたる)の「大仏と鹿」がいいのではないでしょうか。技術レベルも演奏時間の上でも無理がないし。」と発言した。すると、ふたりは “やはり” という顔をしながら、「偶然意見が一致しましたけど、その曲は候補曲に上がっています。」と言う。さらに「地元出身の作曲家という意味でも応援したいと思いますし・・・・。」とも言う。「大仏と鹿」に関しては、本来、何事も無かったら、NHK-FMの “ブラスのひびき” でも “バンドピーブル” 誌でも大きく取り上げていたはずの曲だっただけに、それを聞いて “まずは良かった” と胸をなで下ろす。

つづいて、ヨーロッパでは、フィリップ・スパークの「ディヴァージョンズ~スイスのフォークソングによる変奏曲」や「ノルウェーのロンド」、マーティン・エレビーの「新世界の踊り」と「パリのスケッチ」、ベルト・アッペルモントの「ノアの箱舟」などなど、アメリカでは、ロバート・W・スミスの新曲の中かから1曲を選んで・・・・・・、などと曲の概略を説明しながら自説を展開した。今度は、初めて耳にする曲名が多かったようだ。「お役にたてば」と作曲者からもらっていたCD-Rなどの音源を手渡して、まずはプログラム編成委員の皆さんに聴いていただくことにした。

しかし、そこからが問題だった。田中、延原両氏は、筆者にとって最もプレッシャーのかかる話を持ち出してきた。龍城弘人団長にも話を通し、大阪市音楽団の総意として、今度の2000年盤の楽曲ノートを依頼したいというのだ。筆者は、即座にお断りした。母親の看病と年中無休の実家の仕事をこなすだけで体力的に手一杯で、最大限の集中力を必要とするそんな大仕事を引き受けるのはあまりにも無責任だと思えたからだ。

実家の仕事はサービス業の一種で、1日に 200~300人ものお客をさばきながら、軽く 25000歩を超す運動量をこなさねばならない。16時間働いた後はクタクタで頭もカスミがかかったような状態になってしまう。聴きなじんでいるCDなどを聴いてもまったく違う音で聞こえるので、すでに頭の中はすでに限りなく脳死状態に近いのだろう。仕事の片手間に集中を必要とする執筆などとんでもない。ノートを書くとすると、わずかに残った寝る時間を削るしか方法がない。一番の問題は、仮に筆者が寝込むようなことがあれば、母の看病をする人間が事実上いなくなってしまうことだった。

“これは、フル・タイムで音楽解説を書いている人がすべき仕事だ!!” 筆者は、以上のような事情を話して頑としてクビをタテに振らなかったが、市音を代表してその場にいるふたりも一歩も引かない。話は平行線のまま時間だけがどんどん過ぎていった。ふたりはついに、実際にはまったく不可能なことながら、指示を出してもらえば資料の調査や筆者の昼間の仕事の手伝いまでもすると言いだした。時計はすでに午前4時をまわっている。容赦なく睡魔も襲ってくる。6時30分には始業準備に入らねばならない。しかし、ふたりはなおも頑張る。ギリギリの選択だった。ふたりの熱意に負けて、とうとう「今回だけはなんとかやってみましょう。」と言ってしまった。

すると、突然、田中さんが号泣を始め、延原さんが「良かったなー。」と言いながら、その肩をたたいている。ふたりの様子を見ながら、 “これはヘタなノートは書けないゾ” と思いながらも、筆者はつぎの条件をつけることにした。

「まずは、ノートの引き受けは今回だけということ。締切日の指定はしないこと。さらに、字数制限を設けないこと。」これは、事実上、ノートの仕上がり日如何で印刷・製本工程に物理的な無理が生じて発売延期を余儀なくされたり、字数によってはブックレットの予定ページ数も変って制作予算も変わってしまうケースがあるということを意味していた。「締め切り守って生活安定!!」「健康より原稿!!」というスローガン(!?)ばかりが横行するプロの物書きの世界には、普通こんな無茶苦茶な条件を出す執筆者などいない。しかし、手一杯の毎日を過ごしているこちらとしては、絶対にゆずれない最低限の条件だった。ふたりは、それでもいいという。筆者はとんでもないことを引き受けてしまったと後悔しながらも、海外の作曲家などと早急に連絡を取る必要があることから、収録曲の最終リストを一日も早く欲しいとお願いして、ふたりと別れた。

03:日本初演

エレビーの「新世界の踊り」のオリジナルは、1996年、サクソルン属金管楽器と打楽器を中心とする楽器で構成される合奏体、すなわち “ブラス・バンド編成” の楽曲として作曲された。当然ながら、日本における初演奏も、1999年10月27日(水)に大阪のサンケイホールにおいて催された “ブリーズ・ブラス・バンド(BBB)” の “ライムライト・コンサート18” で、同バンドの常任指揮者、上村和義の指揮で行なわれた。


▲「新世界の踊り」日本初演中のBBB(於:サンケイホール 1999.10.27)

この日本初演が最初に計画されたのは、作品の情報をBBBがキャッチした1997年のことだった。しかし、このときは以下のような理由から将来の機会に見送られた。まず、作品の著作権をもっているイギリスのステューディオ・ミュージック(Studio Music Co.)に問い合せた結果、その楽譜は出版予定だがまだ少し先になりそうだという回答が得られたこと。加えて作品の完成から一定期間、演奏権は作品の委嘱者(この作品の場合、イギリス青少年ブラス・バンド/The National Youth Brass Band of Great Britain)に属し、他は演奏できないケースがあることも容易に予想できたことからだった。結果、この作品は将来の演奏予定曲としてストックされた。

その演奏が再びプランに上がったのは、1999年春のことだった。この年、BBBは “大阪文化祭賞” の本賞を受賞し、その活動内容に注目したサンケイ企画が「いろいろあるBBBのコンサートの中でも、 “ライムライト・コンサート” を、ぜひとも、うちのホールで開催させてもらえないだろうか」と打診してきたときのことだった。 “うちのホール” とは、JR大阪駅にほど近い大阪北区の桜橋交差点の西側に位置するサンケイ新聞(産業経済新聞)大阪本社内の “サンケイホール” だった。

昭和28年(1953年)にオープンしたこのホールは、1452席の客席をもち、普段は「桂 米朝独演会」などの落語会や講演、演劇、映画などが開かれている多目的ホール。新聞社のホールだけに、大阪の人なら知らない人はいないというくらい有名なホールだが、建てられた時期が “敗戦” からそんな遠くない “復興の熱意はあるが何をやってもすべて手探り” の時代だっただけに、今のパブリック・ホールと比較すると、アコースティックな演奏団体がコンサートを開くには、設備面や音響特性など、事前に解決しておかないといけない課題も少なくないホールとなっていた。とくに大きな問題になりそうだったのは、ステージの奥行きが大きくとられていないこと、そして、音響特性がデッドな(いわゆる “響かない”)ことだった。そんな事情もあって、音楽専用ホールが増えてきた昨今、PAを使わないアコースティックなクラシック系コンサートが開かれることはごくごく稀だったが、近年、館長が代わってからは “音楽ホール” としても積極的に活用していくという方針を打ち出していた。

一方、 “ライムライト・コンサート” は、BBBの自主コンサートの中でも最も重要なシリーズであり、他の演奏団体の “定期演奏会” に相当する。ブラス・バンドの本場ヨーロッパに今流れている “風” をタイムラグなしに日本に届けるという明確なコンセプトのもとに、毎回、つぎつぎと創り出されるブラス・バンド・オリジナルの注目作を取り上げるだけでなく、シリーズ3回目のコンサートとなった1992年の “ライムライト・コンサート3” 以降、指揮者、作曲家、ソロイストなど、現在のブラス・バンド界の “顔” というべきゲストを海外から続々と招いている。ブラス・バンド・ファンだけでなく、演奏家にとっても本場ヨーロッパと日本を直結する “夢多き” コンサートなだけに、演奏サイドにも “持ち出し(自腹を切る)” がある一方で、いろいろな “こだわり” もある。コンサートに使うホールの “響き” も重要な要素だった。


▲「ライムライト・コンサート18」プログラム

BBBの常任指揮者、そして代表者でもある上村和義さんからサンケイ企画の提案について最初の相談があったとき、筆者は “ブラス・バンド” という合奏形態が、個々の管楽器が出す音を直接的に聴衆に届けるものではなく、ステージの上でブレンドさせた音を反響板などを利用して聴衆に間接的に届けて、あたかも “パイプ・オルガンであるかのような” 奥行きの深い合奏サウンドを作り出していることから、「ホールの “響き” を味方にできないホールでのコンサートは、できれば避けて通る方がいいのでは」と答えた。当然ながら、BBBのミーティングでも賛否両論の意見が出たという。

議論百出の末、「将来もっとコンサートを開くことのできるホールにするため、ぜひともチャレンジさせてほしい」とするホールの熱意ある提案でもあり、BBBもそれに真正面から取り組んでみることになった。そして、可能な限り音響を改善するために、ホールで実際に演奏を行なってみるなど、事前にさまざまな試みが行なわれ、既存ステージの上に反響板を特設したり、ステージ自体も客席をかなりつぶして前方に大きく張りだされることが決まった。

演奏プログラムや招聘ゲストもホールの音響特性から選ばれた。
一般に、ブラス・バンドは、残響が短くキャパシティーの大きなホールでは、聴く者を圧倒するようなパワフルな音楽においても、各パートの動きの細かいディティールをくっきりと、かつスリリングに表現することができる。言い換えると、動きの激しい現代作品向きというわけだ。他方、ディナーミクの設定が小さい音楽の場合は、できるだけ不協和音が使われておらず、音と音の隙間が少なく合奏音が “スカスカ” にならないようにオーケストレーションされている作品を選ぶことが肝要だ。BBBでの正式決定を受けて、6月下旬、上村さんが再び来宅され、筆者所有の音源を聴いたり、楽譜などの資料に目を通しながら、徹夜作業(毎度おなじみ!?)で、すでにアウトラインが決まっていたゲストの人選や選曲を一からやり直す作業に入った。

BBBの “ライムライト・コンサート” シリーズで事実上のメイン・プログラムになる “ブラス・バンド・オリジナル” は、ふつう実際にプログラムにあがる1~2年前から候補曲を絞りながら計画的にストックされていく。1999年秋の “ライムライト・コンサート18” の場合は、マーティン・エレビーの「ヴィスタス」とフィリップ・スパークの「海の風景」が候補曲となっていた。いずれも “山” や “海” をテーマとする壮大なスケールの作品で、何よりも音楽の中から “情景” や “詩情” といったものが浮かび上がってくる点が魅力だった。しかし、両者ともテーマがテーマだけに、実際に演奏が行なわれる空間に “響き” や “余韻” を十分に楽しむことができる “音響上のゆとり” が少ないと、演奏者がどんなにリハーサルを重ねて演奏を作っても、聴衆にその魅力を余すことなく伝えることがほとんど不可能に近い、そんなキャラクターの作品でもあった。

「今度のホールにふさわしい作品ではない。」ふたりは、まず、それを確認した。

代わって浮上してきたのが、アイディアをストックしたままにしていたエレビーの「新世界の踊り」だった。演奏時間8分程度のこの作品は、同15分以上という前記2曲に比べると作品のサイズこそ小さいが、現代的で斬新なアイディアを使って書かれたリズム感あふれる2つの音楽を前後にもち、その中間にフリューゲルホーン・ソロをフィーチャーした情感あふれるメロディーを聴かせるという、全く違った魅力をもったメリハリの効いた3曲構成(速い~ゆっくり~速い)の組曲だった。と同時に、何よりも今回与えられたホールの特性に対する選曲上の命題を見事にクリアする作品だった。さらに、音楽としてのおもしろさだけでなく、もともとがユース(青少年)・バンドのために書かれた作品だけに、演奏技術においてもアグレッシブにすぎる要求がなく、将来、日本のアマチュア・ブラス・バンドの重要なレパートリーになり得る可能性をもっている作品だと判断された。

まだまだ日本国内の “ブラス・バンド” のコンサートが少ないだけに、BBBのプログラミングは、たとえそれが自主コンサートであっても一人よがりの自己中心的陶酔の世界に走るのではなく、 “将来” を見据えての “提案” を常に盛り込んでいくというテーマをひとつの命題として行なわれているわけだ。

BBBの “ライムライト・コンサート18” の第1部のトリを彩るブラス・バンド・オリジナルは、こうして選曲された。早速、楽譜の手配に入ったが、実際には、ここからの道程も意外なほど長かった。

04:奥の手

ブリ-ズ・ブラス・バンド(BBB)の常任指揮者、上村和義さんとの真夜中のミ-ティングの後、まず「新世界の踊り」の出版権を持つイギリスの出版社ステュ-ディオ・ミュ-ジック(Studio Music Co.)に “オリジナル・ブラス・バンド版” の楽譜について問い合せてみた。順序として、曲を管理する出版社に問い合せるのが最もフォ-マルな方法だし、前回の問い合わせからかなり時間も経過し、バ-ジョンIIであるウィンド・バンド版も出版準備が進んでいたことから、「ひょっとすると、もうすでに・・・・・・」と考えたからである。しかし、珍しいことに、同社からはなかなか返答がこない。上村さんからは「返答ありましたか?」と矢のような催促の電話が何度もある。しかし、国際間のフォ-マルな問い合わせや交渉ごとには、多少時間がかかろうが必らず返答があるので、「ものには順序があります。お急ぎでしょうが、問い合わせはすでに出してありますから、待つしかありません」と返答する。

楽譜の出版は、とてもリスキ-な事業だ。 “時間がかかっている” というのは、先方になんらかの事情があるからと理解しなくてはならない。 “オリジナルで特殊楽器が使われているような場合、その扱いを出版楽譜でどうするのか決まっていない” とか “作曲家がバ-ジョン・アップのために手直ししたいと申し出てきている” など、楽曲自体の出版前の最終チェックが完了していなかったり、もっとも効果的な発売時期をさぐっていたり、ときには、突然の問い合わせに対する返答のためのミ-ティングまで行なっていることもあるからだ。今は待つしか手がない。

それから3週間近く経過した7月下旬、待っていた返答がやっときた。「できるだけ近いうちに出版の予定だが、まだ決定には至っていない。」
なんのことはない。前回と何ら変わらない回答だった。 “できるだけ近いうちに/アズ・ス-ン・アズ・ポッシブル(as soon as possible)”。英語には都合のいい言い方があるものだ。これは実際には “具体的には何も決まっていない” ということを意味する。間違っても “もうすぐなんだな” などと希望をもってはいけない。ただ、現実問題としては、一旦そう切り出されると、それ以上、何も話を進めることができなくなってしまうことが多いだけに困ってしまう。しかも、相手は質問に対して “誠意ある正確な回答” をしたことになるのだからなんとも始末が悪い。

しかし、今度は演奏会が決まっているだけに、「ハイ、そうですか」と簡単には引き下がれなかった。予定の行動ながら、早速、つぎの手に移ることにした。作品を委嘱した初演者と作曲家を “その場” に引っ張りだそうというのである。

幸いにも、作曲を委嘱し、世界初演したイギリス青少年ブラス・バンド(The National Youth Brass Band of Great Britain/略称:NYBB) の音楽監督ロイ・ニュ-サム博士(Dr.Roy Newsome)とは、1990年のジョン・フォスタ-・ブラック・ダイク・ミルズ・バンド(John Foster Black Dyke Mills Band /その後、2度バンド名を変更し、現在のバンド名は “Black Dyke Band (1855)” )の日本演奏旅行にゲスト指揮者として参加されていたときに意気投合して以来、お互いを <ロイ><ユキヒロ> とファ-スト・ネ-ムで呼び合うお付き合いをさせていただいていたし、作曲者のマ-ティン・エレビ-とは、1996年、ロンドンのロイヤル・アルバ-ト・ホ-ルで開催された “全英ブラス・バンド選手権(The National Brass Band Championship of Great Britain)”のチャンピオンシップ部門決勝で、例年だと前年のチャンピオン(つまり “ディフェンディング・チャンピオン”)が行なう “ガラ・コンサ-ト” のステ-ジを、ディフェンディング・チャンピオン “ブラック・ダイク・ミルズ・バンド” の代わりにブリ-ズ・ブラス・バンドが任されるという、歴史と格式を誇る全英選手権史上 “かつてなかった出来事” があったときに、コンサ-ト終了後のステ-ジの上で作曲家のジョ-ゼフ・ホロヴィッツ(Joseph Horovitz/エレビ-の作曲の師でもある)から紹介を受けて以来、旧知の間柄だった。


▲NYBB公式リーフレット

相手は知り合いとはいえ、これは “交渉ごと” なので双方に記録が残る必要がある。早速、ニュ-サム博士に依頼する用件を文面にしてFAXを発信した。内容の概要は、以下のようなものだった。

1)  ご承知のように、上村和義と<ブリ-ズ・ブラス・バンド>は、これまでに数多くの現代作曲家と “ブラス・バンド・オリジナル” を日本に紹介してきましたが、きたる1999年10月27日、大阪のサンケイホ-ルで行なわれる “ライムライト・コンサ-ト18” において、今度はマ-ティン・エレビ-があなたのNYBBのために作曲した「新世界の踊り」をぜひとも取り上げたいと希望しています。実現すれば、その演奏は日本初演になります。

2)  楽譜についてステュ-ディオ・ミュ-ジックに問い合せましたが、「出版予定」との回答で、コンサ-トに間に合わない可能性があることがわかりました。

3)  もちろん、BBBは出版がコンサ-トの準備期間の前になるなら、楽譜を購入して 演奏します。しかし、残念ながらそうでなさそうです。そこで、作曲者の同意が得られるなら、 “念のため” NYBB所有のスコアとパ-トを、この “コンサ-ト限定” という条件でお貸しいただけないでしょうか。(費用はBBBが全額負担)

博士のFAXナンバ-は電話兼用タイプ。博士の在宅時は「ハロ-!! ニュ-サム」と博士が受話器をとった後、相手がFAXだと気づいた場合すぐにFAXに切り変わる。不在の場合は、録音された応答メッセ-ジにつづいて自動受信に切り変わる。ところが、その日はなんらかの障害があるようで、博士が応答に出てFAXに切り変わるが、途中でアラ-ムが鳴ってうまく流れない。もう一度トライしたが、結果は同じだった。「こりゃ、ダメだ。」

どこまで文章が届いたかも、こちらではわからない。博士が在宅中なのは確かなので、筆者はすぐ電話をかけることにした。


▲ロイ・ニューサム博士

「ハロ-!!ニュ-サム。おお、ユキヒロか。 “新世界の踊り” の演奏を決めてくれてありがとう。あれはいい曲だ。」と、いきなり早口で話しかけてくる。どうやら、文面の一部は届いているようだ。しかも「新世界の踊り」の演奏に関しては間違いなく歓迎されている。

そこで、相手の話をさえぎって「ところで、ロイ。FAXは完全に届いている?」と訊ねてみた。すると、「いや、途中で切れている。ペ-パ-切れだ。ミュリエル(博士の奥さん。ブラス・バンドをやっている人は、みんな自分の子供か孫のように思っているとてもお茶目な “おばちゃま” で、ブラス・バンド関係者すべての人から愛されている。BBBがパワ-全開で練習を行なっている大音響のリハ-サル室の中で、それをさも “いつものこと” であるかのように軽く受け流しながら何時間も楽しげに編みものをされていた姿が忘れられない)に、新しいのを用意しておくように言っておいたんだけど・・・・。」とブツブツいい始めたが、すぐに話題に戻って「楽譜はNYBBのライブラリ-にあるので、 “貸し出し” については、マ-ティンにきいてみるから少し時間をくれないか。」と返答してくれた。どうやら、肝腎の用件部分は届いていたようだ。

一安心して「了解」と返事をすると、「今日は “ジャパン・デ-” だ。さっきも、サチ(内田佐智さん。大阪音楽大学で作曲を学んで中学校の音楽の先生になったが、BBBの演奏を聴いてブラス・バンドに魅せられ、単身イギリスのソルフォ-ド大学に留学。フィリップ・ウィルビ-やピ-タ-・グレイアムに作曲を学び、最近作曲したブラス・バンドのためのマ-チが作曲コンテストで一等賞に輝いて、近々出版予定という。京都府の久御山町立久御山中学校の先生をされていたときには、吹奏楽部の指揮者としてディルク・ブロッセの「エル・ゴルペ・ファタル」の日本における初演奏を行なった)から電話があったばかりで、それが終ったと思ったら、今度は君からのFAXと電話。とても愉しい日になった」と、博士はゴキゲンな様子。相手につられてお互いの近況やFAXの脱落部分などをしゃべっていると、結構な長電話になってしまった。

7月27日、博士からFAXで返答が届いた。「今朝、マ-ティン・エレビ-から電話があって、 “新世界の踊り” の楽譜についてはステュ-ディオ・ミュ-ジックから出版されることになっているので、同社から楽譜を買ってくれないか、と言っている。私はこれがベストな方法だと思う。なぜなら、もし、NYBBの楽譜セットを短期間そちらに送ったとしても、それは限られた短期間の貸出しになり、BBBがセットを買うなら、BBBは希望するときに何度でも演奏できるのだから。

そこで、同社にいるフィリップ・スパ-ク(Philip Sparke)にコンタクトすることをおすすめする。彼が君の助けになってくれると確信するので。しかし、もしうまくいかなかったら、もう一度、私に連絡してほしい。ただし、7月31日から8月15日までは、NYBBとブラス・バンド・サマ-・スク-ルのために留守にしている。今年は、およそ 100名というものすごい数の生徒の面倒をみることになって、・・・・・・・・・ 」

これで振り出しに戻った。少なくとも、この時点では当方の “せっばつまった” 事情が作曲者に伝わっていないのは確かだった。さて、どうする。博士は、筆者とフィリップが親交を結んでいるのをよく知っているので、彼の名を出したんだろう。取り急ぎ指示に従ってフィリップに連絡をとってみることにした。例年のサマ-・バケ-ションに入っていなければいいのだが、と祈るような気持ちで・・・・・・・・。

連絡をとると、フィリップはステュ-ディオ・ミュ-ジックの事務所にいた。用件とこれまでの経緯を伝えると、「ボクはすぐに長いバケ-ションに入るが、その間事務所に残る者に、すぐ “ファクシミリ・エディション” のフル・スコアとパ-ト譜を準備して送るように指示を出しておいた」と即答してくれた。BBBの活動と “ライムライト・コンサ-ト” を高く評価してくれているフィリップならではのすばやい対応だった。

“ファクシミリ・エディション” とは、出版社の承認の下に特別に作られる楽譜の清刷りコピ-のことで、アメリカの出版社あたりでも “オ-ソライズド・コピ-” と称して、出版社によっては “絶版” になった曲でもこの方法で手に入れることができる場合もあるので覚えておくと便利だ。

しかし、 “ファクシミリ・エディション” を用意できるということは、「新世界の踊り」のブラス・バンド版は、出版社の中ではすでに版下が校了していることを意味している。作曲者もそれを知っていたので楽譜を買って欲しいといったのだろう。しかし、これまでの経験で、筆者は版下が完全な状態になっていても楽譜がすぐに出版されないケ-スや、場合によっては “おクラ入り” になったケ-スをいくつも知っている。(実は、驚くべきことに、2000年4月に至っても「新世界の踊り」のオリジナル・ブラス・バンド版の出版は決まっていない)何はともあれ、大騒ぎの末ようやく楽譜を送ってもらう約束をとりつけて、まずは一安心。さっそく、上村さんに “演奏OK” の電話を入れた。BBBは、これでやっとコンサ-トの告知(チラシを作ったり、マスコミに情報を流したり、などなど)を進めることができるようになった。

しかし、現実はいつもドラマチック。実際には8月の下旬に至っても楽譜は到着せず、フィリップのバケ-ション明けを待って再度連絡をとると、彼もビックリ仰天。「なぜこうなってしまったのか、信じられない気持ちだが、作製を任せた者がそれをすっかり忘れてしまっていた!?」というシドロモドロの返答。結局、この “ファクシミリ・エディション” は、フィリップが大あわてで作製して自ら梱包し、9月上旬に無事到着した。

05:オリジナルの秘密

9月(1999年)、大騒動の末に「新世界の踊り」オリジナル・ブラス・バンド版の “ファクシミリ・エディション” が届いた。曲名 “NEW WORLD DANCES” の上部に印刷されている「For Roy Newsome and the National Youth Brass Band of Great Britain(ロイ・ニュ-サムとイギリス青少年ブラス・バンドのために)」という献辞が誇らしげだ。


▲イギリス青少年ブラス・バンド(NYBB公式リーフレットから)

スコアもパ-トも、あとはコピ-ライト・ライン(一般に楽譜の下部にある “著作権が何年に発効したか” とか “著作権の所有者が誰であるか” を明記している表示部分)などを活字にするだけで、すぐにでも “売りに出せる状態” 、つまり完全版下直前の状態だった。スコアは、フル・スコアがセットされていたが、それをはじめて見たとき、実は「エッ1?」という声が出てしまった。思いもよらない “29段” もあるスコアだったからだ。

一般的に “ブラス・バンド” という合奏形態は、25名の金管奏者と2名ないし3名の打楽器奏者からなる “基本編成” や “各パ-トの人数” が決まっている。これはイギリス国内のブラス・バンド・コンテストにおいて、出場する各バンドの編成に差異や不公平がでないように “レギュレ-ション” が定められたことがル-ツだ。従って、<全英選手権>や<全英オ-プン選手権>、<オ-ル・イングランド・マスタ-ズ選手権>などの主要コンテストでは、各バンドはすべて同一編成でステ-ジに登場し、また、それら選手権のためのテスト・ピ-ス(課題)として書かれた近年の新作 “ブラス・バンド・オリジナル” も、そのほとんどがこの “レギュレ-ション” にそって作曲されている。(() 救世軍のブラス・バンドの編成は若干違う)

しかし、公園のパブリック・コンサ-トや街頭のマ-チングで見かけるイギリスのブラス・バンドの編成がすべて同一なのかといえば、実際にはそうとは限らない。 “理想と現実” のギャップはいずこにもある話。 “ブラス・バンド王国イギリス” といえどもすべてのバンドが同じ力量のプレイヤ-を常時揃えることができるとは限らないので、各バンドの音楽監督の裁量でウィ-ク・ポイントとなっているパ-トにエキストラ・プレイヤ-を入れて補強するようなことは比較的自由に行なわれているからだ。しかし、その場合でも楽譜上にあるパ-トを省いたりすることはふつう考えられず、 “ブラス・バンド・オリジナル” の演奏などに際しては、音楽的に重要な箇所では楽譜どおりの “音数(おとかず)”で演奏される。

もちろん、音楽カレッジや音楽学校出身のプロもしくはプロ水準のレベルの高い均質なプレイヤ-を揃え、前記のようなトップ・コンテストへ常時出場をめざすような “チャンピオンシップ・セクション(Championship Section)” にランキングされるバンドは、普段から “基本編成” で演奏活動を行なっている。(余談ながら、映画「ブラス(Brassed Off!)」で、日本でもおなじみになった “グライムソ-プ・コリアリー・RJB・バンド” も、現在は “炭坑労働者によるアマチュア・バンド” というわけではない)

また、イギリスの人々は、いくつかのバンドが集まって合同で演奏を行なう、いわゆるマス・バンド(Massed Bands)が大好きだ。 “ミスタ-・ブラス・バンド” という敬称で人々に親しまれた故ハリ-・モ-ティマ-(Harry Mortimer)が率い、コンサ-トだけでなく、レコ-ディングやラジオ出演も積極的に行なった有名なブラス・オ-ケストラ “ブラスの男たち(メン・オ-・ブラス/Men O’ Brass)” も、モ-ティマ-が普段から指揮をしていた “B.M.C.(モ-リス)””フェアリ-””フォ-デンズ” という1950~60年代に名をはせた3つのトップ・ブラス・バンドによってスタ-トした金管75名プラス打楽器という超強力なグル-プだった。


▲モーティマー指揮、ブラスの男たち 英EMIのロングセラーLP “Sousa the Great” (Columbia, TW0113廃盤)

というわけで “ブラス・バンド” の編成の運用は、コンテストやオリジナル・ピ-スの作曲上のインストゥルメンテ-ションを除いて、イギリスでは日本人が想像するよりもっと柔軟に対応していることもあることを知っておいて欲しい。

さて、エレビ-が「新世界の踊り」を作曲した “イギリス青少年ブラス・バンド” は、もちろんコンテストをめざす種類のバンドではない。メンバ-はイギリス全土からオ-ディションや推薦を通じて集められ、その演奏活動に参加することを通じてイギリス音楽界の重鎮や世界的演奏家から直接いろいろなことを吸収できるすばらしいプログラムだ。そのときの社会情勢などの要因から定員は多少増減があるが、コンテスト出場をめざすバンドではなく、 “育成” や “将来” を睨んだプログラムなだけに、編成もブラス・バンドの”基本編成” のパ-ト数をそのままにして人員だけを拡大したサイズとなっている。わかりやすく言うと、このバンドでは、コンテスト用 “基本編成” では1人しか奏者がいないパ-トに、さらに1人以上の奏者をダブらせているわけだ。

「新世界の踊り」のオリジナル・ブラス・バンド版の楽器編成は、上記 <作品ファイル>に示したとおりで、ごく一般的なブラス・バンド・オリジナルだと必要に応じて各パ-ト内で<tutti → div. ><div.→ tutti>というように、音や動きを分けたり、ダブらせたりするところを、div.扱いが可能なら最初から独立パ-トとして扱っているのが大きな特徴である。

一例を挙げると、 “基本編成” のバンドだと最低4人の奏者がいる[ソロ・コルネット]パ-トでは、最大4つまで “異なった音” や “独立した動き” をdiv.で扱うことが可能だが、この曲では[ソロ・コルネット]パ-トを最初から[ソロ・コルネットⅠ]~[ソロ・コルネットⅣ]とさらに細分化して4つに分けている。そんなわけで、一般的なブラス・バンド・オリジナルだと20段程度のフル・スコアですべてのパ-トが納まるのに、「新世界の踊り」では29段という、ブラス・バンド・オリジナルとしては、にわかには信じ難い段数の多いスコアとなっている。エレビ-は、演奏要員の余裕を楽曲の上で有効に活用していたのである(結果的に、この “音数” の多さが、後日、パ-ト数が相当多いウィンド・バンド版への改作時に役にたったことは間違いない)。

しかし、一方で “基本編成” の人数ワクはギリギリのところで守られ、4パ-ト(ふつうのブラス・バンド曲は2~3パ-ト)ある打楽器用にエキストラ奏者を1名確保さえすれば、一般的な “基本編成” のブラス・バンドでも充分に演奏可能(瞬間的に奏者ひとりひとりがまったく違う独立パ-トを吹く可能性もあり、とてもスリリング!! しかし、誰かが “落ちて” しまい、一瞬でも演奏をやめてしまうと…)となっていた(打楽器が4パ-トもあることも、あるいは出版を遅らせる原因になったのかも知れない)。

BBBの上村さんも、スコアをチェックして一瞬驚かれたようだが、その後まもなくして、「もう1人 “タイコのトラ” 入れて、やろう(演奏しよう)と思います。4パ-トありますしね(大阪ロ-カル・ワ-ド)」との電話が入った。 “タイコのトラ “とは、エキストラのパ-カッション奏者を意味するのだが、結局、超ビンボ-なBBBに、またまた余計な出費を強いることになってしまった。

06:エッ!?

12月2日(1999年)、大阪市音楽団(市音)の田中 弘さんから市音自主企画CD “ニュ-・ウィンド・レパ-トリ-2000″(大阪市教育振興公社、OMSB-2806)の選曲が完了した、との電話が入った。話をうかがうと、「今回は、市音として正式な “原稿依頼” ですので、近々チ-フ・マネ-ジャ-がそちらへうかがいまして直接お願いすると申しておりますので、具体的な話はそのときに…」ということだったので、こちらもそれ以上つっこんだ話は切りださなかった(この時点では、まだオフィシャルにノ-ト執筆を引き受けていたわけでもなかったので)。

7日、帰宅すると、市音チ-フ・マネ-ジャ-の辻野宏一さん(長らく市音のオ-ボエ奏者として活躍された)から “自主制作CD「ニュ-・ウィンド・レパ-トリ-2000」の件と92年に収録した「大栗 裕」作品集の中の「大阪俗謡による幻想曲」を東芝EMIから音源使用許可をもらって大阪市歌とともにCD化することについて相談とご了解をいただきたい事がありまして” という内容のアポイントを求めるFAXが入っていた。

“一体どんなレパ-トリ-に決まったのかな”と思うのと同時に、”はて?「俗謡」の話とは何だろう?”と思いながらも、翌日、電話連絡の上、わざわざこちらまで足を運ばれた辻野さんとお会いして話をうかがうと…”オヤ!? ”

「先日は “プログラム” のほうでいろいろとありがとうございました。これ、お渡しするようにと預かってきました」と、まずは “収録予定曲” の参考音源が入ったカセットを手渡される。つづいて用件に…「実は今、2008年のオリンピック招致運動の関係で、制作費用を個人的に出すので、大阪のことを知ってもらうために市長が各国を訪問する際の関係者に配布するCDを音楽団の演奏で作ったらどうか、という話がありまして」

“アレッ!? どうなっているの? “と思いながらも話のつづきをうかがうと
「予算の関係もあって全部新しく録音するというわけにはいきませんので、大阪市歌のいろいろなバ-ジョンを新録音して、それに”なみはや国体のCD(非売品)” から何曲かと “大栗さんのCD(大栗 裕作品集、東芝EMI,TOCZ-9195)” から “俗謡(大阪俗謡による幻想曲)”の音源を東芝EMIから借りて、あとはマ-チ”を何曲か入れて1枚のCDにすることになりました」

“フ-ン、そんなプランがあるのか “と思っていると…
「そこで、樋口さんが書かれた “俗謡”の解説の部分を日本語と英語の両方でこのCDのブックレットにも使わせていただきたいと思いまして。大阪のいろいろなことや曲のことを詳しく調べて書かれていて資料性も高いと思いますし。ただ、スペ-スの関係で、英文の方は全訳を使って、日本語の方は短くして使いたいと思うのですが…」

“エッ!? “と思って、慌てて口をはさませてもらった。

「すいません。まず最初にお断りしておかないといけないと思うのですが、まず、あのノ-トは、英文になることをまったく想定して書いていませんので、あのままでは英文に訳せないと思います。あれを書いた当時は、3ヵ月くらいかけて現地を実際に歩いて取材してから書きましたので、音楽用語以外にも、地名や和楽器名のほか、大阪ロ-カルの固有名詞も多く、どなたが翻訳されるのか知りませんが、英語だけでなくいろんな専門知識がないと翻訳できないんではないかと。例えば、”天神祭り”や “獅子舞い” “地車囃子(だんじりばやし)”、”当り鉦(あたりがね)”など、読む人が日本人だと、詳しくは知らなくてもおおよその想像はできますけど、外国の人には何のことかわからない。少しは説明を加えてやらないと…。また、翻訳しにくいからといって “落とされる”のも困るし。

それに、今、日本語の方は短くしてと言われましたけど、書いた本人としては、あれを勝手にパッチワ-クされたのではかなわない。それに、あのブックレットでは、冒頭の方で作曲者のことをまとめて書きましたので、”俗謡”の解説部分には “作曲者のプロフィ-ル”がまったくなく、逆にそれを加えるぐらいでないと不親切なノ-トになってしまうと思いますし…」

ここまで言ったとき、辻野さんの顔はすでに苦渋に満ちた顔になっていた。しかし、安易な妥協はできない。

「それにですね、今年のはじめの方で、日本のある大手レコ-ド会社によって、書いた本人に何の連絡も行なわれないまま、以前その会社のCD用に書いたノ-トをいつの間にか “新しく発売された別のCD”のブックレットに転用されてしまうという信じられない”事件”がありまして…。

私は、著作物というものは、もし再度印刷されるチャンスを与えられるなら、不幸にして誤植された部分の訂正や絶えず明らかになる新しい事実を加筆したりするために、つねに見直されてバ-ジョン・アップされるべきだと思うんですよ。そうしないと、新たにCDを買う人に失礼でしょう。ですから、私はずっとそうしてきました。始めのノ-トを書いたときから随分と時間もたっていますからね。

それと、自分の名前で出るものをまったく知らない人に “切ったり””貼ったり”されるのもちょっと…。もし、どうしてもノ-トを短くしなければならないというのでしたら、著者名のある著作物はすべて書いた本人の責任下にあるわけですから、作業は自分の手でやりたいんですけど…。今は実家の仕事や看病に加えて “今度やらないといけなくなったこと(ニュ-・ウィンド・レパ-トリ-のノ-トのつもりでしゃべっている) “で、これ以上、時間はとれませんし…。もしお急ぎでしたら、どなたかまったく別の人に新しくノ-トを書いていただく方がいいのではないでしょうか。最初から執筆者に英文になることをお話しした上で…」

と、興奮気味に一気にしゃべって、この話自体は丁重にお断りすることにした。辻野さんは「帰って団長と相談してみます」と話されて帰られたが、しばらくして冷静に立ち戻ってみると、何か “おかしな”ことに気が付いた。

“ニュ-・ウィンド・レパ-トリ-は、一体どこへいってしまったのだろうか?”

渡されたカセットには、ほとんど何のデ-タもない。慌てて “プログラム編成委員” の方々に連絡をとってみると、そちらの方も、まさかの”エッ!?!?.… ”

市音内部でちょっとした”伝達上の混線”があったようだ。そこで、急いでレコ-ディング予定曲目リストをFAXしていただくと…。あったあった。酒井 格(さかいいたる)の「大仏と鹿」、マ-ティン・エレビ-の「NEW WORLD DANCES」、ピ-ト・スウェルツの「SHIRIM」…。クラシック音楽から1曲、ラヴェルの「ダフニスとクロエ」第2組曲が入っているが、それをのぞいた残りの “オリジナル・ピ-ス” はとてもバラエティにとんでいて、バランスもいい。

予感が走る。”これは、いいCDになりそうだ!! ”

▲「ニュー・ウィンド・レパートリー2000」最終リスト 日本語曲名は仮邦題

07:プロジェクト始動

例年12月の中頃にアメリカのシカゴで開かれる “ミッド・ウェスト・インタ-ナショナル・バンド&オ-ケストラ・クリニック” が間近に迫った12月11日、最終打ち合せのために、大阪市音楽団(市音)の田中、延原両氏と深夜のミ-ティングを行なった。紆余曲折の末、「ニュ-・ウィンド・レパ-トリ-2000」の折衝役を市音の “プログラム編成委員” が担当されることになったからだ。

アメリカやヨ-ロッパの出版社の多く(すべてではない)がブ-スを出す “ミッド・ウェスト” では、すでに市音が楽譜をもっている酒井 格(さかい いたる)さんの「大仏と鹿」と佐藤正人(さとう まさと)さんがトランスクライブを行なっている最中のラヴェルの「ダフニスとクロエ」をのぞく、すべての楽譜をその場で注文し、必要情報などを入手する手筈を整える必要から、この直前ミ-ティングはとても重要な意味をもってくる。

席上、まず延原さんが「リストの選曲どう思います?」と口火をきり、田中さんも「曲名の日本語表記はまだ仮りのもので、また樋口さんが直してくれはると思うんで、とりあえずということで…(大阪ロ-カル・ワ-ド)」と続ける。

これに対して、筆者は「クラシックのトランスクリプションとオリジナル・ピ-スが混在しているのは “なんで?” という感じなんですが、オリジナルだけをみるなら、バラエティーに富み、いろんなレベルの曲が入っているのでおもしろいと思いますよ。日本語表記に関しては修正しないといけないものが多々ありますが、そんなものはCDとして発売されたときにちゃんとしたものになっていればいいわけですから、気になさる必要はありません。ただ、ノ-トを書かないといけなくなった立場からすると、一筋縄でいきそうでない、いやな予感がする(後日、これが的中する)曲が入っていましてね…」と、まずピ-ト・スウェルツの “SHIRIM” を挙げる。

すると、延原さんが「すいません。もう1曲、民族音楽的な候補曲があって、その2曲からこちらを選んだんですが….。このタイトル、こちらでもいろいろ調べてみたんですが、ようわからんのですわ(よく分からないのです)。イスラエルの民謡みたいなん(のようなん)ですけど。まあ、樋口さんやったら、きっとなんとかしてくれはる(いただける)と思って….(大阪ロ-カル・ワ-ド)」と答える。

筆者は、「いや、これはなんともならないかも知れません。ユダヤやアラブのものを扱うときは、細心の注意が必要なんですよ。万が一にも間違ったことは書けない。この曲のオランダ盤CD(de haske、 DHR02.024-3)はボクももっていますけど、その英語のノ-トにもほんとにロクなこと書いてありませんし…」と、感想を続け、さらに「その他には、日本ではまったく知られていないダ-レン・ジェンキンズ。この人はアメリカ人なので、うまくいけばシカゴにきているかも知れません」と、そこまで言うと、「わかりました。それについては、シカゴでサザ-ン(アメリカのテキサスにある出版社 “Southern Music”)に頼んで、写真とプロフィ-ルを手配させますわ」と田中さんが即答する。

田中さんとは、これまでいくつも仕事をしてきた間柄なので、こっちの考えていることがツ-カ-で通じてしまうことがある。このときは “おお!?” と思いつつ、それをお願いすることにした。わずかでも役割分担してもらえると、作業の進行がスピ-ド・アップするからだ(たとえ、お願いしたことがうまくいかなかったとしても、こういう申し出はとてもうれしい)。

その後、この日の深夜ミ-ティングでは、他の収録予定曲についても1曲ごとに楽譜や情報の入手の段取りなどの細目が打ち合されていき、マ-ティン・エレビ-の「新世界の踊り」に関しては、万が一、楽譜出版が間に合っていなかった場合には、ブリ-ズ・ブラス・バンドのときと同じように、 “筆者があらためて出馬” することとなった。そして、こういう作業がすべてが終ったときには、とっくの昔に日付が変わり、また午前4時近く。眠い。

年が明けて2000年。ミレニアムの年だ。届いた年賀状を見ていると、いつも “ニュ-・ウィンド・レパ-トリ-” シリ-ズを製作技術面、販売面でサポ-トしている広島の(株)ブレ-ンの加藤雄一(かとう ゆういち)さんからの1枚が目にとまった。「…、又、市音のお仕事で解説をという話、伺いました。是非いい一枚にしたいものです」 “久しぶりにノ-トを書くということが、もう伝わっているのか”

昨年は、このシリ-ズの1999年盤も含めて、いくつもの “仕事” をお断りしていただけに、どうも今度のことをきっかけに “現場復帰” と思われているのかもしれない。この世界は狭い。 “尾鰭(オヒレ)がついて話が業界を駆けめぐる前に、ちゃんと話をしておかねば….。” 同社の仕事始めの日に、早速、電話を入れて筆者の置かれている状況が何も改善されていないことと今回の経緯を説明し、今度のノ-ト執筆はあくまで例外中の例外であること、練習や録音、編集には一切立ち合わない(これまでは、国内録音の場合、関係するすべての録音現場に “出没” していた)こと、などをお話しした。受話器の向こうの声は、少しがっかりされた様子だった。きっと気を悪くされたに違いない。

2000年1月8日、シカゴから帰国された延原、田中両氏が来宅されて、現地での進捗状況などの説明を受けた。OK、すべて順調だ。

そして、松の内もとれた頃、自宅の留守電になつかしい声のメッセ-ジが入っていた。それは作曲家の森田一浩(もりた かずひろ)さんからのものだった。氏とは、90年代に東芝EMIが “吹奏楽マスタ-ピ-ス・シリ-ズ” という全30枚というシリ-ズCDを制作していたときからのお付き合いだった。こちらがしばらく自宅に戻っていなかったもので、メッセ-ジが録音されてからすでに何日かが経過していたが、「ちょっと教えてほしいことがあって…」というメッセ-ジだったので、 “なんだろう?” と思いつつ、早速、受話器をとった。

「お久しぶり!!」と両者、お互いの近況をしゃべりあった後、用向きをたずねると、それは、3月にビクタ-・エンタテインメントから出す “バンド・レパ-トリ-・ネットワ-ク” というCD(VICG-60268、3/23発売)に関してのことだという。しかも、質問は、そのCDに入るエレビ-の「NEW WORLD DANCES」のことだという。

“恐らく、マスタ-ピ-ス・シリ-ズのときと同じように、レ-ベル原稿をチェックしたり、ブックレットの版下を校正したりするような仕事をされているのだろうな” と思いながら、氏の質問に答えていった。

森田さんは、まず「樋口クン、前に “バンドピ-プル” に書いてたけど、この作曲者の名前の呼び方は “エレビ-” でいいんだよね」と念を押すような最初の質問。「ハイ、エレビ-です」と答える。

続いて、タイトルについて「これは “ニュ-ワ-ルド・ダンス” なのか、それとも “ニュ-・ワ-ルドダンス” なのか、どっちなんだろうか」という質問。 “ン?おもしろい質問だ。<‘新しい世界’ の踊り><新しい ‘世界の踊り’>のどっちだろうなんて” と思いながら、「この “NEW WORLD” は、ドヴォルザ-クの “新世界” 交響曲なんかと同じで、ヨ-ロッパの側から見た “新世界” すなわちアメリカ新大陸のことをさしています。ですから、ボクは “新世界の踊り” というタイトルを使っています」と答える。

すると、続いて「これって、 “ア-ス・ダンス” ~ “ム-ン・ダンス” ~ “サン・ダンス” という3つの音楽が入っているでしょう。インタ-ネットなんかを調べると、2つ目が “月の踊り” で、3つ目が “太陽の踊り” というのはよくわかるんだけど、最初の音楽が “地球の踊り” じゃなくて “大地の踊り” となっているのがあったりするんだよ。これは一体どっちなんだろう」と、だんだん質問も踏み込んだ内容になってくる。

筆者は、「 “大地の踊り” と訳した “犯人” は、ボクです。放送(NHK-FM “ブラスのひびき” )のときにアレコレ考えましてね。まず、 “地球の踊り” ~ “月の踊り” ~ “太陽の踊り” と訳した場合、宇宙を題材にした曲のように誤解される可能性が高い。この曲は、フロンティア・スピリットの西部開拓時代をイメ-ジしていますので、開拓者や原住民が(いやおうなく)相対した神のようにも思える自然界の事象をタイトルに選んでいるんです。本当は、日本語の文字数を合わせたくて “地(チ)の踊り” ~ “月の踊り” ~ “陽(ヒ)の踊り” でいこうと思ったんですが、文字が伝えられずに声のアナウンスだけになるような場合、そうしゃべると意味が正しく伝わらない( “地” を “血” 、 “陽” を “火” という “音” が同じで、まったく “意味” が違う語だと思われてしまう)可能性が高いので、それはマズイと思いましてね。

もともとブラス・バンドの曲で、昨年の “ブリ-ズ・ブラス・バンド” のコンサ-トのときにも、 “大地の踊り” ~ “月の踊り” ~ “太陽の踊り” としていただききました。」と答えた。

すると、森田さんは「エッ?ブラス・バンドの曲なの?」とたいへん驚かれた様子。こちらは、何故そんなに驚かれているのかわからなかったが、 “イギリスのブラス・バンドの<アメリカ演奏旅行>に際して作曲されたこと” など、その時点で知っているかぎりの作曲の経緯をお話しした。

しかし、その後、心臓が飛びだしてしまいそうなぐらいビックリする質問がくる。

「今度、市音でもこの曲を録音するんだよね。これって、樋口クンの推薦なの?」

“エッ!? 録音プランが部外に洩れている!?” と思いながらも、「いいえ。確かに市音の方から新しい曲の情報を求められて、何曲かの資料をお渡ししましたけど、最終的に曲を選ばれたのは市音の方々です。市音のCDでもさっきお話ししたタイトルにして下さい、と申し入れてあります」とお答えした。

すると「佐藤方紀(さとう やすのり)さん(File No.01参照)がディレクタ-をされるので、きっとそういうことになるでしょう。あと、さっき言ってた “ブリ-ズ” の演奏って、CDになってないの?」と、さらなる質問。「残念ながら、なっていません」とお答えしたが、森田さんが録音プランを知っていた理由も今の発言で同時に判明。市音のレコ-ディングをディレクションする佐藤さんこそ、一方でビクタ-の「バンド・レパ-トリ-・ネットワ-ク」のシリ-ズを企画・制作しているプロデュ-サ-なのだから…。

日本のウィンド・バンド・ワ-ルド。本当に狭い!?

08:ト-ク・バック

大阪市音楽団(市音)の自主企画CD”ニュー・ウィンド・レパートリー2000”のレコーディング・セッションは、2000年2月1日(火)~2日(水)の2日間、大阪市中央区大阪城公園内にある大阪市音楽団合奏場で “練習” 、3日(木)~4日(金)の2日間、兵庫県尼崎市のアルカイックホ-ルで “本番” という日程で行なわれ、エレビ-の「新世界の踊り」は、本番2日目(4日)の午後の最初のセッションで収録された。ディレクタ-は、佐藤方紀(さとう やすのり)さん。 “ハプニング” は、その「新世界の踊り」のセッション直前に起こった。

「ディレクタ-の佐藤です」昼食を終えた指揮者とプレイヤ-がスケジュ-ルに従ってステ-ジに戻り、これからまさにレコ-ディング・セッションが開始されるときを見計らって、佐藤さんはト-ク・バック(録音スタッフがいるモニタ-・ル-ムから演奏家に連絡をするときに使う)のマイクに向かった。佐藤さんは続ける。「これから録音する曲には、すでにエア・フォ-ス(イギリスのロイヤル・エア・フォ-ス・セントラル・バンド/The Central Band of the Royal Air Force )のなかなかいい録音があります。この曲は、ぜひとも、それを上まわるものを録りたいと思います。よろしくお願いします」

前日から始まっていたセッションの流れは、各曲ごとに、まずステ-ジ上で部分的なリハ-サルを行ない、同時にモニタ-・ル-ム(このときは “ステ-ジ裏の楽屋” を使用)ではディレクタ-やエンジニアたちがスピ-カ-を通して聞こえてくる演奏を聴きながらバランスなどの調整(リハ-サル中に終わることが理想)を行なう。その後、ステ-ジ上とモニタ-・ル-ムの折り合いがついたところで<テスト・テイク>に入り、<プレイ・バック(指揮者、プレイヤ-を含めた関係者で今録ったばかりのテ-プを聴く)>の後、<本番テイク>に入る。そういう流れだ。

それだけに、まずステ-ジ上の演奏が出来上がることが優先で、ディレクタ-はひたすら指揮者からの “録音いきましょうか!!” の合図を待つのが普通の進め方だ。佐藤さんの “ト-ク・バック” は、そのリハ-サルに入る直前のタイミングで出た。筆者にも経験があるが、ト-ク・バック・スピ-カ-から流れてくるディレクタ-の発言は、顔や表情が見えない人からの言葉だけにみんな耳を澄ませて聞く。それだけに、ヘタをうつと、その場の空気をアッという間にシラケさせてしまったり、プレイヤ-に余計なプレッシャ-をかけるだけに終ってしまう(場合によっては “ドロヌマ” にはまってしまう)こともあるだけになかなか難しい。

あとで聞いた話だが、このときの “ト-ク・バック” を聴いたプレイヤ-の中には昔のことを想いだして “ギョッ!?”(*)としたベテランもいたらしいが、大部分は “オオ-ッ!! 佐藤さん、エライやる気になってはるな-(大阪ロ-カル・ワ-ド)” と受け取り、俄然モチベ-ションも上がったという。結果、昼食休憩で気分をリフレッシュしたバンド全体の空気を一気にひきしめ、見事な集中力を発揮させることになったのである。さすが、百戦錬磨のベテラン・ディレクタ-だ。

((*)佐藤さんの異名に<トランペット殺し>というのがある。氏はレコ-ディングで簡単に “OK” を出さない厳しいディレクター。それだけに金管奏者は恨めしく思えることも多々ある。東芝EMI時代の1975年2月に、佐藤さんが連続してディレクタ-をつとめた東京佼成ウィンドオ-ケストラ(吹奏楽ニュ-・コンサ-ト・シリ-ズ “吹奏楽オリジナル名曲集Vol.2″、TA-60012、LP) と大阪市音楽団(同 “吹奏楽オリジナル名曲集Vol.3″、TA-60013、LP) のセッションに参加したトランペット奏者が、何れも一人づつ、その後しばらくして亡くなるという不幸が偶然重なったこともあって、いつしかそう呼ばれるようになった。佐藤さんの名誉のために書いておかねばならないが、もちろんレコ-ディング・セッションが原因ではない)

しかし、この “ト-ク・バック” には別に伏線もあったという。

実は、 “ニュ-・ウィンド・レパ-トリ-2000” 発売の1ヵ月前の3月に発売になるビクタ-の “バンド・レパ-トリ-・ネットワ-ク”に同じ曲が選ばれて入ることになったという情報をレコ-ディングの直前にキャッチした “市音プログラム編成委員” には “ぶつけられた!!” という衝撃が走ったという。”選曲” はCDの生命線を握っている。 “売れなければ次がない” 自主企画盤だけに “選曲” の責任をすべて担うセクションとしては “同業他社” の企画には神経質にならざるを得ない。

ビクタ-盤のプロデュ-サ-でもある佐藤さんは、合奏場での “練習” に立ち合った日に、委員の面々に詰め寄られ、「あれよりエエもん録らな(いい録音を録らないと)、あきまへんでー」と、かなりソフトな言いまわしながら録音を委ねた側の意志がハッキリと伝わる大阪ロ-カル・ワ-ドでヤンワリと “ハッパ” をかけられたのだという。東芝EMI時代に落語家の “桂 米朝” や “桂 枝雀” などのCDやビデオを手がけられ、ひんぱんに大阪を訪れている佐藤さんには、そのロ-カル・ワ-ドの言わんとしているニュアンスはハッキリと伝わったはずだ。

その日の打ち上げの席で、プログラム編成委員の面々から、「ちょっと “ハッパ” かけといたら(セッションに入る直前に)突然マイクでしゃべりだしはりましてね…(大阪ロ-カル・ワ-ド)」と “逆に気合いを入れられた” という話を聞いた。プレッシャ-が掛かっていたのは、実は佐藤さんの方だったのかもしれない。しかし、レコ-ディング・セッションのディレクションが何であるかを知り尽くしているベテランならではの “絶妙のタイミングを見透かした” かのようなひと言。見事な演奏を引き出した、これぞ “ザ・プロフェッショナル!!” と呼びたくなるような、実に味のあるエピソ-ドだった。ご本人に伺ったわけではないが、録音が終了したあとのビ-ルはさぞかし旨かったに違いない。

同じ日、筆者は、エレビ-からエア・メ-ルを受け取っている。

「ディア-・ユキヒロ。ブリ-ズ・ブラス・バンドが演奏した “新世界の踊り” の録音を送ってくれて本当にありがとう。演奏を聴いてとってもエンジョイしている。彼らの輝かしい演奏に対するボクの “感謝の気持ち” と “祝辞” をバンドの方に伝えてほしい。

この前の週末、マンチェスタ-のロイヤル・ノ-ザン音楽カレッジの “ユ-フォニアム/テュ-バ・フェスティヴァル” に行ってきたんだけど、そこで聴いた若き日本人ユ-フォニアム奏者、ショ-イチロウ・ホカゾノ(航空中央音楽隊の外囿祥一郎さん)によるボクの “ユ-フォニアム協奏曲” の演奏、それは信じられないほどのすばらしさだった。日本のプレイヤ-やバンドは相当にいい演奏をしてくれているように思う」

エレビ-は、日本のプロフェッショナルたちの演奏に関して “常々スコア・リ-ディングと演奏解釈に感銘を受けている” と書いてきたことがある。この日も、返信で “市音” のレコ-ディング・セッションが無事終了したことを伝えると、 “CDができたら、ぜひ聴かせてほしい” と、興味津々の様子だった。

09:OK

2000年10月、「新世界の踊り」が収録されている大阪市音楽団(市音)の自主企画CD “ニュ-・ウィンド・レパ-トリ-2000″(大阪市教育振興公社、OMSB-2806)の感想をエレビ-から受け取った。

CDを贈ったのは実は5月。エレビ-が何事についても素早い反応をみせる人だけに、”ちょっと変だな” とかねがね思っていたので、同じく彼の作品である「パリのスケッチ~シンフォニック・ウィンド・オ-ケストラのためのオマ-ジュ(Paris Skeches~Homage for Symphonic Wind Orchestra) 」(1994)についていくつか質問を送った際、ついでにこのCDについても触れたのが契機だった。

「マ-ティン、ところで、 “新世界の踊り” が入っている市音のCDは届いている? まだだったら、それは輸送事故だから、知らせてほしい。もう一枚すぐに送るから。」

すると、即座に打ち返しがあった。どうやら、国際間の輸送や通信につきもの(!?)の”事故” があったようだ。

「大阪市音楽団のCDは、すでに受け取っているよ。そのCDについての感想は以前に書いた(行方不明になった)レタ-の中でキミに書き送ったんだけど。同時に、彼ら(市音)へボクの感謝の気持ちを伝えてほしいとも頼んでおいたんだけど……。演奏はエクセレントだ。録音もとてもよく録れていると思う。THANKS!」

手短かながら、市音のCDに関して、作曲者が好意的な印象をもっていることがよくわかる文面だった。とくに、文章のしめくくりで “ありがとう” という文字をわざわざすべて大文字にしていることから、彼の強い気持ちが伝わってくる。よし、OKだ。

早速、市音の延原弘明さんに電話を入れて、以上の件を伝えると、「そうですか!? 早速みんなに伝えておきます。」と、たいそう喜ばれていた。

イギリス青少年ブラス・バンドの1996年夏のアメリカ演奏旅行のための新作レパ-トリ-として “ブラス・バンド編成” の楽曲として作曲(Version Ⅰ)され、アメリカ合衆国の独立記念日にあたる1996年の “7月4日” に完成したこの作品は、その後、ロイヤル・ノ-ザン音楽カレッジ(Royal Northern College of Music)のティモシ-・レイニッシュの依頼で “ウィンド・バンド(吹奏楽)” 用のバ-ジョン(Version Ⅱ)も作られた。

最初に演奏される「大地の踊り」は、モルト・アレグロの力強い序曲。2曲目の「月の踊り」は、アンダンテの美しい間奏曲。フィナ-レの「太陽の踊り」は、プレストのとてもエネルギッシュなダンス。現代的で管楽器のサウンドがキラキラと煌めいているようなスピ-ディ-な展開を見せる2つの音楽の間に、荒野をいくキャラバンが休息をとる星空の下でのキャンプの一シ-ンを想い起こさせる、ロマンチックな “歌” をハ-トフルに聴かせるという、とても魅力あふれる組曲となっている。

ウィンド・バンド版の方は、1998年4月6日、マンチェスタ-のブリッジウォ-タ-・ホ-ルで開催された第17回英国シンフォニック・バンド&ウィンド・アンサンブル・アソシエ-ション(BASBWE)年次カンファレンスのコンサ-トで、同版への改編を委嘱したティモシ-・レイニッシュが指揮するロイヤル・ノ-ザン音楽カレッジ・ウィンド・オ-ケストラによって初演奏され、オリジナルのブラス・バンド版より先行して出版。

日本国内では、2000年6月16日、大阪のザ・シンフォニ-ホ-ルで催された「第80回大阪市音楽団定期演奏会」(指揮:堤 俊作)のプログラムの1曲目を飾った。(国内初演奏は、1999年9月18日(土)、東京都の練馬文化センター大ホールで行われた「陸上自衛隊中央音楽隊第50回定例演奏会」で、菅原 茂の指揮において。)

この市音の演奏会は、大阪の毎日放送(MBS)によって放送用にライヴ収録され、一部が7月に特別番組でオン・エア。フォンテックからもライヴCDとして2001年1月に発売されることが決まった。市音にとっては新たなプロジェクトのスタ-トというわけだ。ただ、惜しむらくは、収録時間の関係でエレビ-の「新世界の踊り」だけはおクラ入りとなることになってしまったが……。(もちろん、作曲者へは筆者が録音を送っている)

一方、作曲者のマ-ティン・エレビ-は、自身の出版社アングロ・ミュ-ジック・プレス(Anglo Music Press)を起こすために4月に退職したフィリップ・スパ-クの後任者として、2000年秋にロンドンのステュ-ディオ・ミュ-ジック(Studio Music Company)の編集者(エディタ-)に就任。今後、日本のバンド関係者との距離もグングンと縮まっていくことになるだろう。そんな強い追い風の吹く折りも折り、初期の代表作「パリのスケッチ」も東京佼成ウィンドオ-ケストラによってレコ-ディング(佼成出版社、KOCD-3905 /2000年12月発売)された。ウィンド・ミュ-ジックの世界に新風を呼び起こしそうなこれらの作品が今後どんな風に演奏されていくのだろうか。その展開に大いなる期待を抱きながら、今後とも応援していきたいと思った。

10:出版楽譜の注意点

大阪市音楽団のレコ-ディング・セッションで判明した出版楽譜(英Studio Music版)の問題や課題は、つぎの2点。

1) 第2曲<月の踊り>の練習番号・C・の5小節目の4拍目

[2nd バス-ン]のパ-ト譜にあるFの音は、F#が正しい。

(スコアは問題なし)

2) 第3曲<太陽の踊り>の7小節目の4拍目のウラ拍

[コントラバス]パ-トに、Dの音が出てくるが、この音は4弦の楽器では出ないので5弦の楽器の使用が望ましい。

[Special Thanks to Mr.Hiroaki Nobuhara,OMSB]

「天野正道 meets SEGA」 レコーディング終了 発売は4月23日

同じアルバムの中に吹奏楽ヴァージョンと
オリジナル・オケ・ヴァージョンを同時収録

 3月30、31日の2日間にわたって「天野正道 meets SEGA」(発売元:ウェーブマスター)のレコーディングが尚美バリオホールで行われた。

 このアルバムは、これまで天野正道氏が参加した「セガ」のゲームおよび映画音楽の中からベスト曲をチョイス、天野氏自身が吹奏楽ヴァージョンとして新アレンジをほどこしたもので、制作発表と同時に、吹奏楽ファンとゲーム・ファンの両方から熱い視線を浴びている注目作だ。

 今回、演奏を担当したのは尚美ウインドオーケストラ。収録された4曲は、いずれも演奏会用のレパートリーとしてはもちろん、コンクール自由曲としても大活躍できるよう、絶妙のアレンジが施されているので、お楽しみに!

 収録された吹奏楽ヴァージョンは、以下の通り。
指揮は1と4が佐藤正人、2と3が天野正道。

1. セイブ・ディス・ワールド
SAVE THIS WORLD (ファンタシースター ユニバースより)

2. 交響組曲「MK2」より/作曲:天野正道
(劇場版 甲虫王者ムシキング スーパーバトルムービー~闇の改造甲虫~より)

3. 「ファンタシースター ユニバース」より3つの断章 (小編成対応)
(ファンタシースター ユニバースより)

4. 「MK」セレクション
(劇場版 甲虫王者ムシキング グレイテストチャンピオンへの道 より)
~ロード・トゥー・グレイティスト・チャンピオン~

 なお、このアルバムには、ポーランド国立ワルシャワフィルをはじめ、ハリウッドの超一流アーティストが演奏した上記4曲のオリジナル音源(オーケストラ)も同時収録。吹奏楽とオーケストラ、それぞれの魅力がたっぷりと楽しめるようになっている。発売は4月23日。

 なお、このCDに関しての詳細などは、下記、「天野正道 meets SEGA 制作ブログ」で読むことができる。

天野正道 meets SEGA 制作ブログ http://ameblo.jp/blogams/


■天野正道 meets SEGA
~ベスト&吹奏楽ヴァージョン~【管弦楽、吹奏楽】

メーカー品番:WWCE-31178
価格 2,500円(税込)

http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-1482/


第100回定期演奏会を迎えた佼成ウインド!その舞台裏を探る。~秋山和慶氏と北爪道夫氏に聞く~

 

 1960年創団以来、常に我が国の吹奏楽界をリードしてきた東京佼成ウインド・オーケストラ。新しい響きを求め続け第100回定期演奏会を迎えた。

“from one to infinity”と名打った記念すべき100回目を迎えるTKWO定期演奏会。この演奏会では、佼成ウインドがこれまでに委嘱してきた作品群から、選りすぐりの曲を再演することで、これまでの足跡を振り返ると共に、北爪道夫の新作「雲の変容」を世界初演し、無限に広がるであろう吹奏楽の未来を展望した。満員の聴衆で埋まったホールは、過去にコンビを組んで多くの名演[注1]を残した秋山和慶。秋山の知的かつ精緻な音楽性がTKWOと融合して、壮大で新しい世界を切り開いた。

記念コンサートということで、リハーサルからゲネプロ、さらに終演後の打ち上げまでお付き合いをし、このジャンルのトップを走るプロ・バンドを余すところなく堪能させていただいたが、とくに今回の指揮者”秋山効果”がいたるところで発揮されており、ライブとして超一流の技を見せつけられた感がある。
指揮者、作曲者のおふたりにお話を伺った。

[注1]=記念コンサートに起用された秋山の佼成との付き合いは意外に古く、初期の定期演奏会(早くも第4回定期に登場)、また1979年から84年にかけて都合8枚の「東京佼成ウインド・オーケストラ・オリジナル・シリーズ」と名を打ったLPを制作している(これは後に6枚のCDとして再発売)。

■指揮者、秋山和慶氏に聞く

▲熱く語る秋山和慶氏(09.2.17)

-佼成との記念定期について

 「25年位前にはずっとお付き合いがありましたが、僕が外国に行っていた期間ご無沙汰でした。しかし、どういう訳か今回100回ということで声がかかりまして、何か古巣に帰ったようで嬉しいですね。東京佼成ウインド・オーケストラの熱心で、真摯な音楽創りには敬意を表します。また100回を数える定期演奏会の指揮者に選ばれたことはとても光栄に思います」

-記念コンサートの選曲について

「これは、佼成さんの方が新作を含む委嘱作品を構成したようです。この団体の歴史を知るという意味でも大変興味深いプログラムですね」

-佼成ウインドについて

「前の時とは時間が経ちましたからずいぶん若返っているように感じました。しかし、全員で音楽を創るという前向きさは今も昔も変わりません。ともするとプロ・オケなどでは”練習、早く終わろう”ということや演奏が出来ていないのに”なんで何度も繰り返し演奏させるんだ”みたいな意見がでることもあります。佼成さんは30年前と変わらず、上手くいかなければ”もう1度やってください”といった良い意識が継承されています。

-コンサートの聴きどころは?

「やはりウインド・オーケストラなので、管楽器の色彩豊かな響きを存分に楽しんで欲しいと思います。また北爪道夫先生の新作も非常に複雑なからみで書かれています。そのサウンドがどのようにホールに響くかということも聴きどころと言えるでしょう」

-吹奏楽を指揮して

「僕はもともとピアノ弾きでしたが、学生時代はホルンを演奏してもちろん吹奏楽も経験していますから、あの響きがやはり好きなんですよね。ということでチャンスがあれば吹奏楽は指揮したいと思っています。最近ではオーケストラでも吹奏楽の曲を演奏する機会が増えました。これからはそういった企画もどんどんやっていきたいと思っています」

-オケと吹奏楽の音楽作りについて

「オケも吹奏楽も作曲ではなく演奏面だとほとんど同じだと思っています。もちろん弦楽器がないということは大きいと思いますが…。例えば演奏する時のバランスですが、それはオーケストラでも難しいことです。リムスキー=コルサコフやR.シュトラウスのようにオーケストレーションが上手い作曲家のものはそのままやれば良いのですが、ベートーヴェン、ブラームス、シューマンなどは細かくバランスを作ってあげなければなりません。つまり指揮者・指導者は演奏をして今響いている音に対して常に理想的なバランスをとるということです。そういった練習、本番の積み重ね、長い経験を通してプレーヤーも育っていかなければいけませんね。これは時間のかかることです」

-先生からみた吹奏楽とは?

「コンクールはとても大切な要素があるのですが、それが最終目的になってしまうといけませんね。音楽とは幅の広いものですから練習した通りを演奏するのではなく、本番でどう動けるか、ということが非常に大切だと思います。ステージで鳴っている音は常に生きているのですから。また、吹奏楽の良い作品を増やすためには、作曲家の人たちが興味をもってくれる演奏を、そして誠意をもってくれる演奏とは何なのか、ということをもう一度考えなければいけません」

-指揮者、秋山和慶の今後の目標は?

「とくに今までと変わりはありませんが東京交響楽団と40年間やってきて、今は広島、九州とも同時にやっています。近年は地方のオケも大変力をつけて非常に面白い状態になっています。聴衆も大変増えています。今後はこれらを主体に日本の音楽をしっかりと育てていきたいと思っています」

-ありがとうございました。先生の今後の活躍を楽しみにしています


■委嘱作品「雲の変容」(世界初演)について      作曲家:北爪道夫

▲委嘱作について熱く語る北爪道夫氏

-完成おめでとうございます。

「いつもながら仕上がりが遅くってね(笑)。目に少々異常がおきて、五線が十本に見えていました。バンド維新から続いたのでストレスでしょうか。さて、今回の作品を書いていて感じたのは”バンドって難しい”ということでしょうか。難しいことはプロの佼成さんがやっても難しいっていうか、シンプルなことがまた難しいんですよね」

-今回の委嘱作「雲の変容」の狙い

「これからの”吹奏楽のありかた”についてでしょうか。これは言葉にするのは簡単ですが、それを音にするのは至難の業です」

-合奏の後、奏者と熱心に話し合っていますね

「いろいろバランスのとり方とか大変で、曲の形が見えてくると少し楽になります。吹奏楽は狙いを絞って演奏しないと、オーケストラよりも種々雑多なものになってしまう。しっかりとコントロールしていかないと放し飼いでは飽和状態になるでしょう。ライオンやトラを放牧しているようでは困ります。そうなるとネズミなんかは逃げまくるしかないし、ネズミの存在もわからないみたいになりやすいから。しかし、佼成ウインドさんなら大丈夫だと思っていたんですが、練習の初日ではやはり吹奏楽の体質は難しいっていうことを感じました」

-吹奏楽は、オケの管楽器の感覚とは違いますか

「弦楽器的な感性というのが音楽にどれだけ重要な位置を占めということを痛感しました。ウインドの人たちも言っていますね。でも、次の作品は吹奏楽のもっと不得意なことばかりで書いてやろうと思っているんです。最高メッゾ・ピアノくらいまでで、フォルテ以上のエリアは2割くらいしかない、みたいなね。テュッティであえてピアニッシモでちゃんと溶ける音を研究して。今回の作品のおまけに続編を書こうと思っています。ただ、演奏者や現場的には”なんだよう!”みたいなことになると思うけれど。そういった曲をもっと増やさないとこなれないでしょう。コンクール向けのひとつのパターンばかりではなくね。そういった作品を選らばざるをえないような世の中にしたいですね。そのような曲の良さは作品数が少ないとなかなか理解できないんです。現在の状況は”必要性、可能性があるのはわかるんだけど”このあたりまではいっていますよね。だからこういった曲が増えていけば、そのような作品の造り方、演奏テクニックも進化していくと思います。だから今後は曲の体質のパーセンテージを少し変化させていきたい。まぁ、吹き鳴らすことが悪いとは言わないのですが…」

-新作について

「この作品はしっかりと鳴らすところも多いのだけれども、不協和状態が突然に協和状態になる、とかが強調されないと意味がない。またカノンの部分では金管がバリバリとカノンを吹くんだけれども、バランスがオケと違うのか難しい。演奏面でも少し考えて欲しいところもあります」

-この曲の聴きどころは?

「ずばり、この作品は音質(トーンカラー)でしょうか。タイトル通り”雲”なんですね。つまり多層ですよね、今あったはずの雲がもう変化していく、といったものが欲しかったのです。和音みたいに見えるけれどそれは違っていて、次に響きの塊が奥にいる、また手前のものがいなくなるとその塊が見えてくるとか。そんなことばかり考えていました。響きの一番薄い部分、快晴ではなくて薄曇りの雲の層を打楽器とハープが帯のようにもっているんだけれど、そこに日が差してくるといった表現なんかは、ウインドで表現するってのがいかに難しいか、思い知っています」

-本番を前に今の心境は?

「先ほども言いましたが、徹底した曲をまたもう1曲書こうと思っています。定番ではないものがもっとあって良いでしょう。しかし、今の作曲家はみんな上手いですよね。人気のある作品は美味しいところと辛いところの組み合わせがしっかりしている。そういったパターン、役割を意識しない作曲家は、この世界を勉強しないしね。それで「バンド維新」っていうのをはじめたんですよ。名をなした作曲家に書いてもらって洗礼を受けてもらいたいのです。著名な作曲家ほどバンドについての捉え方に固定観念があると思いますよ。それは良くない、どんどん書いて欲しいですね」

-吹奏楽の可能性について

「広い音域でピアニッシモの表現が欲しいですよね。テュッティの合間に残っている弱音などが出来ると面白くなると思います。変わった楽器を使用すれば良いという人もいますが、あまりに大がかりな打楽器群、数台のマリンバなどを多様するのはどうかと思います。だったらオケを持ってきなさいということです。まぁ、今後は実験的に偏らず、音楽で」

-最後に練習現場の雰囲気は?

「秋山先生はとても信頼しています。作曲家のことをよく聞いてくださいますし、現場的ではニュートラルでとても良いですよ。作曲家が熱くなって騒ぐより冷静に本番に向かって仕上げる、これはプロの仕事です。演奏者も大変に良くやってくれます。個々の質問も大変多いですし、嬉しいですよ」

-長い間ありがとうございました。次回作も期待しています。


■佼成メンバーから一言

★須川展也(コンマス-サクソフォン)
「100回という節目を迎えられるということは多くの人の支えがあってのこと、それに応えるべく全身全霊を込めて演奏をしました。今日のプログラムは、いままで我々が吹奏楽の芸術性を高めたい、という想いをこめて委嘱した作品群で、これらを多くの方々に聴いていただき再認識してもらえたとことと、お客さんたちがその演奏に対して温かく答えてくれたこととが嬉しかったですね。今後とも佼成ウインドをよろしくお願いいたします」

★奥山泰三(トランペット)
「100回という記念すべき節目の今、現場にいられたことが嬉しいですね。この100回というのは佼成ウインドにとって歴史でもあり、また若い人に伝えていかなければいけないという積み重ねであったわけです。佼成ウインドはこんなにも素晴らしい作品を持っているということを若い団員に知って欲しかった」

★前田綾子(フルート)
「私自身は2001年に入団し8年目ということで、以前のことは想像するしかなかったのですが、こういうことがあった、あんなことがあったと先輩からお話を聞くといろいろな思いにはなりました。そういった経験豊かな人たちと一緒に演奏をして、団で暖め、育ててこられたレパートリーを音にしたときは”あぁこうなんだ”ということを実感できました。また、秋山先生の力は素晴らしく、本番の気迫は4日間の練習の時とは全く違いました」

★萩谷克己(トロンボーン)
「僕は以前にレコーディングをお願いしていた頃から秋山先生にはずっとコンサートをといい続けて、今回それが実現して本当に幸せでした。やはりライブは熱かったですね」

★松生知子(E♭ クラリネット)
「100回ということで、みんな凄い思い入れがあり、それに答えないといけないというプレッシャーがありました。私はまだ4年目ですが、北爪さんの委嘱作品などは、しっかりとベルアップして気持ち良く吹けました」

★パーカッション奏者(エキストラ)
「長くやってきたので、どの曲も想いがありますね。ホロヴィッツの”舞踏組曲”ではフェネルさんの指揮姿が想い出され演奏中にジーンときてしまいました。多くの偉大な先生方と音楽を創ってこれたことに今は感謝いたします。」

■身近な人たちの声

☆小貝俊一(レコーディング・エンジニア)
「秋山先生はもっと上品な指揮をする方だったと思っていたのですが、今日はねぇ、最初からアクションが大きく全然違いました。佼成のみなさんもテンションが高くなっているのが良く伝わってきました。僕は長い付き合いで、佼成の良いところも悪いところも知っているから、でもちゃんと良いところを引き出していましたね。指揮者って凄いと思いました」

☆秋山紀夫氏(吹奏楽研究家-プレ・トークを担当)
「大変おめでたいことですね。くしくも第50回の定期演奏会もここ東京芸術劇場でした。来年は創団50周年を迎え、また新しい指揮者(ポール・メイエ氏)も就任ということでますますのご発展をお祈りいたします。本日はおめでとうございました」

【プログラム】

セレブレーション/フィリップ・スパーク
Celebration/Philip Sparke

舞踏組曲/ジョセフ・ホロヴィッツ
Dance Suite/Joseph Horovitz

法華経からの三つの啓示/アルフレッド・リード
Three Revelations from Lotus Sutra/Alfred Reed

TKWO委嘱作品「雲の変容」(世界初演)/北爪道夫
Matamorphosis for the Clouds -TKWO commissioned Work(World Premiere)/Michio Kitazume

舞楽/ドナルド・グランサム
Court Music/Donald Grantham

 演奏を聴いた後、84年以来その死まで常任指揮者を務めたフレデリック・フェネルが「オーケストラは、400年かけて現在の位置を築いて来ました。私たちはとても若くどのようにしていけば良いのか、いま道を探し、今後開拓していかねばならないのです」と語った言葉を思い出し、その歩みは着実で間違っていなかったと確信できた。

次の200回定期までの時間で《吹奏楽》という分野はどのように変貌を遂げていくのであろうか。それは決して明るい前途ばかりではないと思うが、この100回記念を弾みに、他団体には真似のできないこれまでの方向性(多彩なプロのコンダクター起用、内外の著名な作曲家への委嘱・作品コンク-ル、また幅広い意味での後進の育成など、常にわが国の吹奏楽界のためを考えている姿勢。)をもって、ひたすら走り続けていって欲しい。
積み重ねてきた素敵なコンサートのひとつひとつに大きな拍手をおくりたい!

▲秋山和慶氏と須川展也氏によるサイン会は大人気
▲プレトーク担当の秋山紀夫氏とコンマスの須川展也氏
▲作曲者北爪氏の指示を聞く(リハーサルで)
▲委嘱作品「雲の変容」を聴く作曲者(北爪道夫氏)
▲秘密兵器!(ミュートが間に合わない部分に使用)
▲本日の練習予定!(ボード)

(2009.03.07)