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■吹奏楽曲でたどる世界【第64回】<補遺7>広島への原爆投下(1945年8月6日)その2 ~失わざるべき記憶 ~1945年8月6日~(原爆ドームにて)(飯島俊成作曲)

Text:富樫鉄火

●作曲:飯島俊成 Toshinari Iijima(1960~)
●発表:埼玉県立松山女子高校吹奏楽部の委嘱により作曲、2000年、同部定期演奏会で初演
●出版:ブレーン(レンタル)
●参考音源:CD 『響宴VI』(ブレーン) ※グラールウインドオーケストラ(佐川聖二指揮)の演奏。
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-0407/

●演奏時間:約12分
●編成上の特徴:ほぼ標準編成。ピッコロ/フルート1・2/オーボエ/バスーン1・2/クラリネット群…E♭、B♭1~3、アルト、バス/サクソフォーン群…標準4声/ホルン1~4/トランペット1~3/トロンボーン1~3/ユーフォニアム/テューバ/弦バス/ティンパニ/パーカッション4~5人
●グレード/4~5

長々と1年以上にわたってつづけてきたこの連載も、今回で終わりである。

最後は、再び、広島の原爆を題材にした吹奏楽曲で終わりにしたい。

広島の原爆投下については、【第46回】≪モーニング・アレルヤ~冬至のための≫(ロン・ネルソン作曲)が同じ題材であり、そこで詳しく述べたので、省く。以下は、【第46回】を再読した上でお読みいただければ幸いである。

今回は、「音楽」で、しかも「吹奏楽」で、社会的・歴史的な題材を描くことについて少しばかり考えてみたい。

今回ご紹介する≪失わざるべき記憶 ~1945年8月6日~(原爆ドームにて)≫を作曲した飯島俊成は、上記CDのライナーノーツ(初演時プログラムノートの採録)で、たいへん重要な問題に触れている。

飯島は、以前、存命中だった父親と議論をしたことがあるという。父親から「俊成は音楽を通じて何か社会の役に立つとか考えないのかい?」と聞かれた。これに対して飯島は「音楽は音楽のためにあればいいんだよ」と答えていた。

だがその後、飯島は<僕は間違っていました。音楽は思想や信条を表現するものではないかもしれません。でも、音楽は心を表現するものです…>との思いに至って、この曲を作ったようである。

つまり飯島の場合「音楽で社会的な題材を描き、何がしかの影響を与えようとする」ことに、最初は否定的だった。純粋に「音楽は音楽のためにあればいい」と思っていた。それが「変わった」というのである。

あるとき飯島は、修学旅行以来、二度目の原爆ドームへ行ったら、周辺は<川辺を散歩する人、なんとも日常的な、のどかな風景でした>。ところが、中へ入ると……<日陰になったドームの内部は……、そこには日常がまったく感じられない、山奥の廃屋にさえ存在する人間の気配がまったくない、異質な空間が広がっていました>。

さらに、思いはつづく……<鉄の融点よりはるかに高く、恒星の表面温度さえ越えてしまう高温の中で、そこにいた人はどのようにして死んだんだろうか、そう思った時に、人の気配のない異質な空間の意味がわかりました。そこにいた人は死んだのではない、消滅したのだと思い至ったのです>。

<愛する人を残して行く哀しみ、愛しむべき日常を断ち切られる哀しみ、残される側の哀しみ、せめてもう一度だけでも逢いたいと思いながら、でももう2度と逢うことがないと悟った時の絶望>

それは、まさに「不条理」である。何も悪いことをしていないのに、そんな目にあわなければならない、文字通り「条理」がない、「不条理」である。そして、飯島は、こう感じた……<そのことにすべての人が思いを巡らすことさえすれば>。

かくして、この曲が生まれた。

内容は、決して描写的ではない。抽象的な響きで始まる。途中、激しい部分もあるが、概して、作曲者の「思い」が、そのまま音楽になったような曲である。そして、全編が、たいへん美しい。「演奏する」こともさることながら、まずは、ぜひ多くの方々に聴いていただきたい音楽だ。

だが、それでは、飯島がかつて父親と議論したように、この曲によって、何かが変わっただろうか。実際に社会に影響を与えるとか、あるいは、核兵器がなくなったりしただろうか。

私は作曲家ではないし、音楽ライターとして勝手に言いたいことを述べているだけなので、軽々しいことは言えないが、これは、創作者の多くが常に自問自答している問題だと思う。

音楽で何かを変える、影響を与える……もっとわかりやすくいえば、音楽で世の中に平和をもたらす、争いをストップさせる、二度と過ちを繰り返させない……そんなことができるのだろうか、と。

私は思う。そんなこと「できない」のだ。可能ならば、もうとっくに、この地球上から戦争はなくなっているはずだし、平和で満ち溢れているはずだ。だが、有史以来、そして、音楽が誕生して以来、この地球上に争いがなかった瞬間なんて、ないのだ。そのことは、この連載の題材を一覧していただくだけでも分ると思う。

なのに、それでも音楽家は、音楽で何かを訴えようとする。

アーノルドは、労働運動の惨劇を音楽にした【第28回】。

アルフォードは、第1次世界大戦の死者を追悼するマーチを作曲した【第36回】。

バーンズは、ノルマンディ上陸作戦の戦死者の姿を音楽にした【第43回】。

ギリングハムは、ベトナム戦争の戦死・不明者に捧げる曲を作曲した【第49回】。

フサは、ソ連による「プラハの春」弾圧や、環境破壊への怒りを音楽にした【第53、54回】。

ブロッセは、コソボ紛争の悲しみを音楽にした【第56回】。

清水大輔は、9・11テロを見つめなおす音楽を書いた【第57回】。

天野正道は、特攻で散華した兵士たちへのレクイエムを書いた【第63回】。

……この連載で取り上げた中のほんの一部、しかも「吹奏楽曲」だけで、これだけある。どれも、争いや不条理に対する怒りや悲しみを音楽にしたものである。ほかのジャンル、たとえばクラシック音楽とかポピュラー音楽にまで広げれば、とてもこんな量ではない。

しかし、戦争は終わらない。ブロッセの曲のおかげでコソボ紛争が平和解決したなんて話は聞かないし、清水大輔の曲がきっかけでイスラムとアメリカの対立が終わったなんてこともない。

では、彼らが生み出した音楽は、ムダなのだろうか。単なる徒労なのだろうか。

これもまた「そんなことはない」と私は思う。ほんの少しかもしれないが、何かが変わっているはずなのだ。それは、そう簡単に目に見えるものではないかもしれない。だが、まずは「知る」ことだけでも、たいへん重要なことだと思う。それには、とにかく誰かが言いつづけていかなければならない。それを「吹奏楽」がやっていることを、私たちは再認識するべきだと思う。コンクールだのアンコンだのもけっこうだが、もっと広い視野を持とうではないか。

特に吹奏楽は、中高生を含む若者たちが携わっているケースが多い。仮にいまの中学生が、清水大輔の≪N.Y.2001/09/11≫を聴いたり演奏したりすれば、自分が幼稚園か小学校低学年で、まだ世の中が分らなかった頃に何があったかを知ることになる。天野正道≪Alas de Hierro ~虚空に散った若き戦士たちへの鎮魂歌(レクイエム)~≫を知れば、終戦間際に何があったのかを知ることになる。

それだけでも、いいと思うのだ。「何があったか」を、まずは概要だけでもいいから「知る」、それは、とても大切なことだと思うのだ。

そして、それを、若者たちが接している「吹奏楽」が、貪欲なまでに行なっていることを、私は、素晴らしいことだと思っている。難しい現代音楽でもなければ、読み通すのに苦労するノンフィクションでもない、「吹奏楽」ならば、多くの人たちが演奏できるし、聴くことができる。そして、「何があったか」を知ることができる。

人間は、学習する動物である。それゆえに、悲劇も再発させてしまうが、「知る」「学習する」ことで、防げることだって、あるはずだ。

その後も、飯島は社会的な題材を吹奏楽曲にしている。イラク戦争に材を得た≪砂塵 ~Toward Embrace for Peace I ~≫、モスクワで発生したチェチェン武装勢力による劇場占拠事件に材を得た≪祈り~その時、彼女は何を想ったのか~ドゥブロフカ劇場(モスクワ)2002.10.26≫ など。もちろん、これらの曲で、イラクに平和が来たり、チェチェン紛争が解決するわけはない。しかし、少なくとも「知る」きっかけにはなる。まずは、そこがすべての始まりではないだろうか。

こういう音楽がどんどん生まれている吹奏楽の世界を、私たちは、もっと誇りに思おうではないか。
<敬称略>

■吹奏楽曲でたどる世界【第63回】<補遺6> 太平洋戦争末期の特攻(1945年) ~≪Alas de Hierro ~虚空に散った若き戦士たちへの鎮魂歌(レクイエム)~≫(天野正道作曲)

Text:富樫鉄火

●作曲:天野正道 Masamicz Amano(1957~)
●発表:2004年、J.S.B.吹奏楽団(鹿児島)初演
●出版:ブレーン(レンタル)
●参考音源:CD『ニュー・オリジナル・コレクションVol.3/吹奏楽のためのゴシック』(ブレーン)※演奏:陸上自衛隊中央音楽隊、DVD『J-Spirits/J.S.B.吹奏楽団』(ブレーン)※当該曲は付属ボーナスCDに収録。
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-1416/
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/dvd-9076/

●演奏時間:約17分
●編成上の特徴:大型編成。ピッコロ(フルート3持ち替え)/フルート1・2/オーボエ1・2/イングリッシュ・ホーン/バスーン1・2/クラリネット群…E♭、B♭1~3、アルト、バス、コントラバス/サクソフォーン群…ソプラノ+標準4声/ホルン1~4/フリューゲルホーン1・2/トランペット1~3/トロンボーン…1・2、バス/ユーフォニアム(div.あり)/テューバ(div.あり)/弦バス/パーカッション…ティンパに含めて7人/ハープ

この連載は「世界史」なので、原則として「日本史」を題材にした曲は扱っていない。だが、太平洋戦争に関連する史実を扱った曲は、いくつかご紹介してきた。たとえば【第42回】≪キスカ・マーチ≫(キスカ島撤退作戦)、【第46回】≪モーニング・アレルヤ~冬至のための≫(広島原爆投下)などだ。

今回、補遺として取り上げるのも、やはり太平洋戦争にまつわる、日本史上の史実が題材である。

戦争末期、日本軍が「特攻」(特別攻撃)なる戦術をとったことは、若い方々でも聞いたことはあると思う。たとえば戦闘機に乗ったまま相手に突っ込み、自らの生命を犠牲にして体当たり攻撃することである。

この戦術に、アメリカ軍は頭を悩ませた。確かに機関銃や爆撃では、なかなか相手に命中しないが、人間が操縦しながら正確に体当たりで突っ込んでくるのだから、百発百中である。戦闘機以外にも、人間爆弾「桜花」、人間魚雷「回天」などがあった。陸軍、海軍、それぞれに存在した攻撃方法だが、特に海軍の「神風特別攻撃隊」が有名で、アメリカでは「Tokko」「Kamikaze」などと、そのまま英語になっている。

「特攻」が初めて行われたのは、1944年10月のレイテ沖海戦であった。太平洋戦争における最大の海戦として知られている。結果として、日本は、アメリカ軍のレイテ島上陸を阻止できなかったのだが、それでも敵艦に多大な損害を与えることができた。

以後「特攻」は、日本軍の究極の戦闘手段となるのである。

いまの若い方々には(私もその一員だが)、自らを犠牲にして敵陣に突っ込むなど、なかなか理解できないであろう。だが、昔から日本の軍隊には『戦陣訓』という教えがあり、特に「生きて虜囚の辱めを受けず」、つまり「敵に捕まったら生きているのは恥だ」との思想があった。そのため、敵陣から生還できないとなった際には、自爆したり、生きたまま敵陣に突っ込むなどの行動をとることが多かった、そんな背景も関係していると思われる。

では、兵士たちは、どういう形で「特攻」に参加したのか。一応、本人が志願し、上層部が許諾を判断することになっていたが、実際には、半ば強制的に参加させられたケースもあったようだ。兄弟のいない者(跡継ぎが当人以外にいない者)や、新婚間もない者は志願できないとの名目もあったようだが、戦争末期になると、それも守られなかったようである。また、ひとつの飛行隊が、まるごと特攻隊に指定されることもあったという。

これらの事実に対し、現代に生きる私たちがあれこれ言う資格はない――と私は思う。軽々しく揶揄・否定することも許されないし、かといって単純に賛美することも許されないと思う。ただ私たちは、あの時代に、ひたすらわが国のために生命を落とさざるを得なかった人たちに対して、謙虚に、祈りを捧げるべきではないだろうか。

実は、今回ご紹介する曲の存在を知ったとき、私はたいへん不安になった。特攻を題材にした吹奏楽曲だということは、すぐに分かったが、果たしてどういうスタンスで音楽化されているのか。作曲者がベテランだけに、よもやそんなことはあるまいと思ってはいたが、正直、もしかしたら特攻隊の姿が、いわゆる“戦争スペクタクル吹奏楽曲”として、ド派手に描かれているのではないか……と思うと、音源を聴くのが怖かった。

だがそれは杞憂だった。これは、ぜひ多くの方々に聴いていただき、そして、特攻や戦争の意義をあらためて考えていただきたい、素晴らしいレクイエムである。

作曲の経緯は、CDやスコアなどに併記されている、作曲者・天野正道自身や、初演したJ.S.B.吹奏楽団(鹿児島)の常任指揮者・ 東久照の解説などで明らかだが、それらによれば――

この曲は、2004年、J.S.B.吹奏楽団の第18回定期演奏会で委嘱初演された。たまたまその前年、同団のリハーサルのため、天野正道が鹿児島を訪れたとき、知覧町にある「知覧特攻平和会館」を訪れた。そこで涙を流すほどの衝撃を受けた天野は、東の「知覧特攻隊を風化させないため、そして二度とこんなことが起きないように、特攻を題材にした曲を書いてほしい」との依頼に、筆をとった。

「知覧」は、ある世代にとっては「特攻の町」のイメージがある。【注1】なぜなら、太平洋戦争末期、アメリカ軍が沖縄に上陸し、いよいよ本土決戦もやむなしとの状況に陥った時、本土最南端の航空基地として、陸軍特攻基地に指定され、多くの若い兵士たちが、ここから特攻に向かっていったからだ。

この知覧を中心に、南九州から特攻に飛び立って戦死した若者たちは、1000名を超えるそうだ。

また、基地近くにあった「富屋食堂」の経営者・島濱トメさん(1992年没)は、特攻に向かう兵士たちから母のごとく慕われ、“特攻の母”と称された。その事実は、多くの書籍、ドラマ、映画にまでなった。それらで知覧の名を知っている人も多いだろう。

この曲≪Alas de Hierro ~虚空に散った若き戦士たちへの鎮魂歌(レクイエム)~≫【注2】は、先述のとおり、単なる“音のパノラマ”ではない。天野作品には、描写・迫力満点の大曲が多いが、それを期待すると、拍子抜けするであろう。

曲は、ひたすら静かに、トランペット・ソロの追悼旋律で開始される。現代の、平和な日々。やがてひたすら静謐なまま、曲は広がって行く。目の前に広がる海を描写しているようだ。平和で静かな海。夜明けかもしれない。だが、次第に不吉な響きが覆い始める。時は遡り、“あの日々”が、眼前に甦ってくる。この場面転換を思わせる展開は、まことに見事しか言いようがない。しかも、すぐに“あの日々”に全面突入はしない。過去と現代を行きつ戻りつし、次第に曲は、昭和20年という時代を定着させる。

曲は、激しい“あの日々”を描写するが、決して大爆発にまでは至らない(これ以上の大爆発など、過去の天野作品にいくらでもあった)。たいへん冷静で、それでいて緊迫感は途切れない。戦闘機の墜落を思わせるトロンボーン木管群の下降グリッサンドが頻出する。やがて、強烈な不協和音がトゥッティで襲う。ある意味、ショッキングな部分である。

後半は、まさにマーラーを思わせるような深い瞑想によるレクイエムで、そっと静かに終わる。

もし演奏するのであれば、言うまでもないが「特攻」「知覧」に関する基礎知識なしで取り組んではならない。それは、特攻戦死者を冒涜することになる。もちろん知覧現地まで行ければいちばんいいが、そうもいかないケースもあろう。その際には、せめて本でもいいから、特攻の何たるかを、少しでも身近に引き寄せていただきたい【注3】

作曲者・天野正道は、【第5回】≪出エジプト記≫でも紹介した。いままさに「油が乗り切っている」どころか、「爆発している」と言ってもいいほどの勢いで、日本の吹奏楽界を牽引している人である(何しろ、最近では、ラヴェルの≪左手のためのピアノ協奏曲≫を吹奏楽曲にしてしまったほどなのだから!)

実は、作曲者・天野正道には、これもある意味、ショッキングな吹奏楽作品として、≪おほなゐ ~1995.1.17阪神淡路大震災へのオマージュ~≫もある。阪神淡路大震災をモチーフにした曲だが、地震や大災害の模様がかなりリアルに音楽化されている。こういった題材に正面から取り組んで、一般アマチュアが接しやすい「吹奏楽」という形態で直球勝負を仕掛けてくる姿勢には頭が下がる。

なお、鹿児島に行く機会があったら、ぜひ、この曲が生まれるきっかけとなった「知覧特攻平和会館」に寄っていただきたい。日本人として、知っておくべき何かが、ここには満ち溢れている。近海の海底から引き上げられた、ボロボロの零戦の現物に、言葉を失わない人は、いないはずだ。特攻兵士たちは、これに乗って、敵艦に突っ込み、生命を失ったのである。
<敬称略>

【注1】「知覧町」は、2007年の市町村合併により、現在は「南九州市」の一部となっている。なお、知覧は陸軍基地だが、海軍基地として、もうひとつの「特攻の町」として知られるのが、同じ鹿児島県の鹿屋(かのや)である。

【注2】タイトルの「Alas de Hierro」とは、スペイン語で「鉄の翼」の意味。

【注3】まず『知覧からの手紙』水口文乃(新潮社)は必読。結婚式直前に特攻出撃命令を受けた兵士。彼が残した婚約者への遺書。自分のことは忘れろと書く一方で、「会いたい、話したい、無性に」とも――涙なしでは読めないノンフィクションである。

『今日われ生きてあり』神坂次郎(新潮文庫)は、特攻隊少年飛行兵たちの手紙、日記、遺言、関係者談話によって構成された慟哭の記録集。

魚雷艇特攻を命じられ、敵艦に向かいながら奇跡の生還を遂げた著者の内面を文学に昇華させた“特攻文学”の最高傑作が、『魚雷艇学生』島尾敏雄(新潮文庫)

だが、いまの若い方々には、『8月15日の特攻隊員』吉田沙知(新潮社)がいちばん読みやすいかもしれない。自分のおじいちゃんは、最後の特攻隊だった。しかも、5時間前に終戦になっていたのに、出撃を敢行した。なぜ? 若い著者は、一人で関係者を訪ね、先祖の足跡を辿る。まさに、いまの若者たちのための戦争ノンフィクションだ。

■吹奏楽曲でたどる世界【第62回】<補遺5> 百年戦争(1337~1453)とジャンヌ・ダルク その3 ~コンサート・バンドのための音詩≪ジャンヌ・ダルク≫(フェルレル・フェルラン作曲)

Text:富樫鉄火

●原題:Juana de Arco~Tone poem for Concert Band
●作曲:フェルレル・フェルラン Ferrer Ferran(1967~) スペイン
●発表:詳細不明だが、2005年にスペインの市民バンドで初演されたようである。
●出版:IBER MUSICA(スペイン)
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/set-8517/

●参考音源:『エコ・ドゥ・ラ・モンターニュ~フェルレル・フェルラン作品集』(IBER MUSICA)
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-1076/

●演奏時間:約14分
●編成上の特徴:ほぼ標準編成にプラスアルファ。ピッコロ/フルート1・2/オーボエ1・2/バスーン1・2/クラリネット群…E♭、B♭1~3、バス(アルト、コントラバスなし)/サクソフォーン群…標準4声/ホルン1~3(4なし)/フリューゲル・ホーン1・2/トランペット1~3/トロンボーン1~3/ユーフォニアム1・2/テューバ1・2/弦バス/ティンパニ/マレット/パーカッション1~3
※ピアノ、ハープ不要。金管の代行を中心にキュー符が多めに書かれているので、上記編成を満たせなくても演奏可能。B♭クラリネット1とトロンボーン1にかなり長めで重要なソロがある。
●グレード:4~5

ジャンヌ・ダルクと英仏百年戦争に関しては、この連載の【第18回】坂井貴祐≪吹奏楽のための叙事詩≪ジャンヌ・ダルク≫で、詳しく述べたので、そちらを参照していただきたい。同じジャンヌ・ダルクを題材にした曲としては、【第19回】でも、ジェリー・グラステイル≪ジャンヌ・ダルク≫(打楽器8重奏)を紹介している。

上記の回を執筆している2007年初頭、ちょうど、フェルレル・フェルランの新曲≪ジャンヌ・ダルク≫が日本に入ってきたので、できればつづけて紹介したかったのだが、時間的に間に合わず、連載中は見送った。

その後、じっくり聴いたり、スコアを見る機会ができたので、今回、補遺として取り上げておきたい。

作曲者フェルランについては、【第14回】交響曲第2番≪キリストの受難≫、【第21回】交響詩≪マゼラン≫で紹介している。スペインの作曲家だ。スキンヘッドなので一見、年齢不詳だが、まだ42歳ほどである。

≪キリストの受難≫や≪マゼラン≫が各々かなりの大作で、しかも高めのグレードなので(前者などは約40分の大曲だ)、やっかいな大曲ばかり書いているのかと思いがちだが、意外や、この≪ジャンヌ・ダルク≫は、(決して簡単ではないが)日本のアマチュア・バンドにとってはグレード「4~5」くらいの曲である。演奏時間は約14分。

曲の全体は急~緩~急の3部構成。マーチ風の前半部は、当時の時代を感じさせる古風な響きを基調に、次第に戦いを連想させる盛り上がりにつながって行く。具体的なジャンヌの生涯を追うというよりは、彼女が参加した百年戦争末期を、総体的に音楽化しているように思える。

穏やかな中間部では、ソロ・トロンボーンが美しい旋律を奏でる。おそらくジャンヌを描写しているのであろう。女性のイメージをトロンボーンが表現するというのも珍しいケースだろう。しかも、かなり長い。なかなかの見せ場でもある。トロンボーンの腕達者がいるバンドは、ぜひ挑戦していただきたい。

後半は再び戦いを思わせる場面。暗く激しい響きがつづき、ジャンヌが捕われたらしき描写となり、ラストは感動的な「讃歌」となる。天に召されたジャンヌを讃える壮大な部分だ。フェルランならではの盛り上がりで聴かせる。

コンクールにおけるフェルラン作品としては、2004年に北海道遠軽高校と流通経済大学(茨城)が同時に全国大会初演した≪キリストの受難≫が有名だ。その後、2007年にも北海道札幌白石高校が取り上げている。

ところで今回は、ジャンヌ・ダルクや英仏百年戦争に関してすでに【第18回】【第19回】で詳しく述べてしまっているので、少々観点を変え、この≪ジャンヌ・ダルク≫を題材にして「小中編成バンドのレパートリー」について考えてみたい。

コンクール(A組)の中学・高校の部では、出場人数制限が上限50人である(2007年現在)。時折、30~40人くらいで挑戦している団体も見かけるが、全国大会ともなれば、ほぼ上限人数の編成が多い。

その中には、「部員が100人以上いて、選抜メンバーでコンクールに挑戦している」団体もあるようだ。だが、世の中のバンドは、すべてがそんな大人数を抱えているわけではない。特に昨今、少子化社会になってからは、十分な人数で編成を組めるバンドが少なくなっているのも事実である。

そんな中学高校の「小中編成バンド」がコンクールに挑むには、道は2つしかない。「小中編成のまま挑戦する」か、あるいは、A組を諦めて(つまり「普門館への道」を捨てて)、小中編成向け(上限35人)に開催される「B組に回る」か、だ。あるいは「10~35名部門」がある、日本管楽合奏コンテスト(日本管打・吹奏楽学会主催)に挑戦する道もある。中学校だったら、「TBSラジオこども音楽コンクール」を狙っている学校もあるだろう。【注1】

ただ、どこへ挑むにしても、問題となるのは「楽曲」である。

吹奏楽曲で、それなりの音楽性や高度な技術を披瀝できる楽曲となると、どうしても大編成を前提として書かれたものが多い。

で、またもここで道は2つに分かれるのである。

つまり「大編成向けの曲を、無理やり小中編成で演奏する」か、「小中編成向けの曲を探して演奏する」か、である。

ところが「小中編成向けの曲」となると、どうしてもグレード的に中レベルの曲が多い。よく、B組コンクールで「中学で吹奏楽部に入部して初めてやらされるような曲」を、高校生が演奏しているのを見かける。あの種の曲である。だが、相応の実力があって、音楽的にも技術的にも高度なものを追及したい小中編成バンドには、手応えがない――のが本音だろう。

そこで、いきおい「大編成向けの高度な曲を、無理やり小中編成で演奏する」バンドが出てくる。特にB組にはその傾向が強い。あえて曲名や団体名は挙げないが、本来、どう見ても40~50人でやる曲を、30人そこそこで演奏しているのである。

すると、どうなるか――オーボエやバスーンがそれぞれ2声で書かれているのに、1本ずつにするか、もしくはカットする。クラリネットは、B♭のほかにE♭、アルト、バス、コントラバスなどが書かれているのにカットする。ホルン4声を2~3本ですませる。バリトン・サクソフォーンをカットする。ピアノやハープなんて当然カット……そうやって大編成曲に挑んでいる小中編成バンドをよく見る。

もちろん中には、人数の問題以前に、それらの楽器がないという、物理的な事情もあるだろう。おそらく「楽器があれば、当然入れる。だけど“ない”以上、どうしようもない。しかし、それでもこの曲を演奏したい」という気持ちであろう。

その思いは、よくわかる。A組の大編成バンドが演奏していた「あの曲」をやりたい。CDで聴いた「この曲」をやりたい。だが、その結果、生まれてくる音楽はどうだろう。やはり、何かが足りない。いくら超絶技巧パッセージがこなせたとしても、それは本来、作曲家が書いた「音」ではない。

このような問題を抱えながら活動しているバンドは、けっこう多いのではないだろうか。そして、日々、悩んでいるのではないだろうか。「35人編成で、それなりの音楽性と技術を要し、スケール豊かな曲はないのか」と。

実はその願いに応えてくれる楽曲は、けっこう、あるのだ。たとえば今回の≪ジャンヌ・ダルク≫がそうだ。

この曲は、B♭クラリネット1~3を各3人とし、ほかをすべてワン・パート1人とすれば「43人」で演奏できる。もしB♭クラ1~3を各2人とすれば「40人」で演奏可能だ。

ところが、スコアをよく見ると、そこかしこに「キュー」(cue=小玉で書かれた代行符)が書かれている(フェルランは「def」と表記している。def=defavorable:デファヴォラブル=代理。cueと同じ意味)。

たとえば、ホルンのキューがアルト&テナー・サクソフォーンや、トロンボーンに。オーボエのキューがB♭クラリネットに。逆にトロンボーンのキューがサクソフォーンにあったりもする。

もちろん作曲者フェルランは、「楽器がない場合の代行」のつもりだけでキューを書いたのではないかもしれない。キューを加えることによって、さらに重厚な音になることを狙った部分もあるかもしれない。だが、少なくとも、キューを演奏すれば、元の楽器がなくても、その音は出る。

また、日本の通常編成にはあまりないフリューゲルホーン1・2も、突出して演奏する部分は1箇所もない。すべて、ほかの金管群や、サクソフォーン群に同調して書かれている。ヨーロッパは金管バンドが盛んで、フリューゲルホーン奏者が多い。おそらく、そんなことを配慮して書かれたパートにも思える(フリューゲルホーンが加わることによって、金管の響きが柔らかくなる効果もある)。だから、フリューゲルホーンと同じ音をほかの楽器がちゃんと出せるのであれば、ナシでも十分演奏可能なのだ。

こうやって詳細にスコアを眺めると、この≪ジャンヌ・ダルク≫は、十分「35人」で演奏できる。

しかもこの曲は「ソロ」がたいへん多い。トランペット1、B♭クラリネット1、トロンボーン1、アルト・サクソフォーン1、ホルン1(キュー:トロンボーン1)、フルート1などに、ソロとしての出番が与えられている。つまりアンサンブル色が強い曲であり、大編成とはちょっと違った考え方で書かれているのである。以上のソロ楽器さえちゃんと用意できれば、中編成の35人でやれるのだ。もちろん、ピアノ、ハープなどは最初から書かれていない。

実は、前回ご紹介した≪ガリア戦記≫も、似たような書かれ方をしている。≪ガリア戦記≫は、B♭クラリネット1~3を各2人とすれば「34人」で演奏可能だ。しかもバスーンのcueがバリトン・サクソフォーンに、オーボエのcueがトランペット1(ミュート)やB♭クラリネット1に書かれている。ということは、オーボエとバスーンなしの「32人」で演奏できるのだ(この曲も、ピアノ、ハープ不要)。

また、【第59回】で紹介した≪大いなる約束の大地~チンギス・ハーン≫も同様だ。この曲は、B♭クラリネット1~3を各3人とすれば46人、2人ずつなら43人で演奏できる。だが、たとえばフリューゲルホーン1・2は≪ジャンヌ・ダルク≫と同じ扱いだし、ハープが指定されているが、ピアノとほぼ同じラインを弾くので、ピアノさえあればナシでも可能だ(作曲者自身もそう語っていた)。オーボエやバスーンも他パートにそったラインで、突出する部分もない。中間部のフーガ風マーチの部分で、ソロ的な演奏をするパートさえちゃんと確保できれば、おそらく35人でも演奏できるのではないだろうか。

このように、そう無理をせずとも、小中編成で演奏でき、しかもある程度のレベルの音楽性・技術を披瀝できる吹奏楽曲は、けっこう、あるのだ。

もちろん、少ない人数になれば、それなりに音圧・音量は減る。吹奏楽ならではの分厚い和音の響きも薄くなるし、ボロも目立ちやすくなる。打楽器と管楽器の音量バランスの調整も、難しくなるだろう。だから、30人台で演奏することが必ずしもいいとはいえない。しかし、40~50人のために書かれた曲を、無理やり30数人で演奏するより、ずっといいと思う。

ここで思い出されるのが、イーストマン・ウインド・アンサンブルである。アメリカのイーストマン音楽院の学生を中心に、1952年、指揮者の故フレデリック・フェネルが提唱し、結成したバンドだが、ここの編成は、B♭クラリネット1~3と、テューバが各2名ずつで、あとはすべてワン・パート1人だった。これによって、精緻な管打楽器アンサンブルの響きを追求したのである。その結果、編成は最大でも40人ちょっとだった。これによって、吹奏楽界に「ウインド・アンサンブル」なる考え方が定着した。これでいいのである。

こういう考えを、また、小中編成向けでそれなりの曲があることを、作曲家や出版社は、もっとアピールするべきだと思う。同時に、吹奏楽に携わっている方々――特に中学高校の小中編成バンドで指導している先生は、もっと貪欲になるべきだと思う。生徒が、A組会場やCDで知った「大編成のカッコいい曲」、あるいは「中学校時代にやった、思い出のグレード2の曲」をやりたいと言ってくることがあるだろう。その時に「生徒の希望を叶えてあげたい」と考えるのはけっこうだが、その結果、無理な演奏、腰砕けの演奏になるくらいだったら「うちの編成で演奏できる、こういう曲もあるんだよ」と教えてあげていただきたい。

そのためには、少しばかり苦労をしなければならない。ネット上であちこちから情報を得たり、海外出版社の新譜デモCDを入手したりする必要がある。だが、プログラム開拓も立派な指導の一環だと思う。ぜひとも全国の小中編成バンドは、諦めず、逃げず、挑戦をつづけていただきたいと願うばかりだ。
<敬称略>

【注1】「TBSラジオこども音楽コンクール」は、小学校・中学校を対象にした、すでに50年つづいている伝統的な音楽コンクールである。全国から2300校、6万人が参加している。合唱や管楽合奏など、いくつかの部門があり、吹奏楽での参加も多い。「こども」だからといってバカにしてはいけない。何しろ、小学生が、グレイアム≪レッド・マシーン≫や、樽屋雅徳≪マゼランの未知なる大陸への挑戦≫を演奏してしまうのだから! その模様は、毎週(日)朝6時~、TBSラジオで放送されている。休日の早朝できついだろうが、一度、お聴きいただきたい。ぶっとびますよ。

■吹奏楽曲でたどる世界【第61回】<補遺4> カエサルのガリア遠征(紀元前58年~紀元前51年) ~ガリア戦記(バルト・ピクール作曲)

Text:富樫鉄火

●作曲:バルト・ピクール Bart Picqueur(1972~)ベルギー
●原題:De Bello Gallico
●初出:詳細不明だが、出版は2007年。下記CDが世界初録音と思われる。
●出版:Beriaro
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/set-8541/

●参考音源:『States of Mind/ギィデ交響吹奏楽団』(Beriato)
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-1284/
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-1506/

●演奏時間:全3楽章、約15分
●編成上の特徴:標準編成(アルト・クラリネットはなし)、ただしユーフォニアム1・2あり。※オーボエとバスーンのソロは、ほかの楽器にキュー(代行符)が用意されているので、工夫次第で小~中編成でも十分演奏可能(ピアノもハープも不要)。
●グレード:4~5

吹奏楽ファンならば、グレイアム≪ゲール・フォース≫(ケルトの力)、ウィーラン≪リヴァーダンス≫、ハーディマン≪ケルトの叫び≫などをご存知だろう。あの独特な曲想は、一般に「アイリッシュ音楽」もしくは「ケルト音楽」などといわれる。近年大人気の樽屋雅徳≪マゼランの未知なる大陸への挑戦≫のクライマックス部にも、同じ曲想が登場する。

ポピュラー音楽ファンには、「エンヤ」や「U2」「クラナド」「チーフタンズ」のほうが分かりやすいか。彼らの、どこか寂しげで哀愁があり、それでいて力強さを感じさせる音楽――あれも一種のケルト音楽である。その名もズバリ「ケルティック・ウーマン」という女性グループもいる。映画『タイタニック』の3等船室におけるダンス音楽もそうだ。

これらケルト音楽は、主に現在のアイルランドのものである。アイルランドは、イギリスの横、アイルランド島にある国だ。だから現在では、ケルト=アイルランドと思って差し支えない。

だが、ケルト文化は、もともとアイルランド特有のものではなかった。大昔、ケルト人は、ヨーロッパほぼ全域にいたのである。芸術文化にすぐれた感性を持つ民族だった。【注1】いわばケルト=ヨーロッパだったのだ。なのになぜ、いまではアイルランドにしか存在しないのか。

それは、ある時期、ヨーロッパ全域にいたケルト人は、ほぼ滅ぼされ、残りはブリタニア(イングランド)の一部と、その横のアイルランド島にのみ残ったからである。

いったい、そんなことをやったのは誰か。それが、今回の主人公、古代ローマの武将ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー、B.C.100~B.C.44)である。彼が、ケルト全域を征服し、ローマの支配下に置いた戦争を、一般に「ガリア戦役」という。この連載でいうと【第12回】交響詩≪スパルタクス≫(スパルタクスの反乱)につづく頃の話だ(そして、カエサル暗殺後、ローマは【第13回】≪パクス・ロマーナ≫の時代に入るのである)。

「ガリア」とは、おおむね現在のフランス(南仏を除く)を中心に、スイス、ベルギー、オランダ、そしてドイツの一部あたりを指した。ほぼ西欧全域といっていい。この一帯には、ケルト人が多く住んでおり、彼らが住んでいるエリアを古代ローマ人は「ガリア」と呼んでいた。

紀元前58年から51年にかけて、ローマの武将カエサルは、ガリア一帯に遠征して、ほぼ全域を征服した。『ガリア戦記』は、その一部始終をカエサル自身が、三人称で自信満々に綴った戦争記録だ。たいへんな名文で、しかもケルト人がいた頃のヨーロッパの様子が詳しく記録されていた。古代ケルト人は文字を持たなかったので、自分たちの記録を残さなかった。そのせいもあって、一躍、貴重な記録として評価され、著述家カエサルの名も決定的となった。

大著『ローマ人の物語』を書いた作家・塩野七生は、こう書いている――「ともあれこの二千年間、カエサルの業績に関しては意見が分かれないでもなかった史家たちだが、カエサルの文章力についてならば、讃嘆で全員が一致してきたのである。二千年後でさえ文庫本で版を重ねるという、物書きの夢まで実現した男であった」(塩野七生『ローマ人の物語Ⅳ/ユリウス・カエサル ルビコン以前』(新潮社)より/新潮文庫版だと『ローマ人の物語9』)。

また、岩波文庫版『ガリア戦記』の翻訳者・近山金次は、解説で、こう評している――「原文は簡潔、夢も望みも苦しみも、恐れも怒りも悲しみも、憂えも祈りも喜びも、生々しい姿で綴られている。それは人と人を結びつけて絶えず死に直面させる。冷酷な、それでいて感動的な記録である」(以後の原著引用も、同書から)

内容は、1巻に1年分の記録をあて、紀元前58年(第1巻)から始まって、紀元前51年(第8巻)まで、全8巻構成だ(最後の第8巻だけは、カエサルの死後、別人が書いた。だから岩波文庫版に、第8巻は収録されていない)【注2】。ただし全8巻といっても、全部あわせて文庫本1冊程度の分量である。

ガリア(ケルト)人は、西欧全域に多くの部族に分かれて住んでいたが、次第にゲルマン人が入り込んできた。ガリア人は、彼らを避けるため、大移動を開始した。ところが、そのためには、周辺にあるローマ属州の中を通過しなければならなかった。そうなると、必ず争いが起きる。そこでカエサルは、属州保護の名目で、ガリア人征伐を開始する。「勝手にあちこち動き回るな」というわけだ。多くの部族に分かれ、まとまることのなかったガリア人の地は次々とローマの支配下に落ちていった。

だが、カエサルのガリア平定は、決して平坦な路ではなかった。ローマ軍に真っ向から戦いを挑む部族もけっこういた。たとえばフランス(=ガリア)史上、最初の英雄といわれるウェルキンゲトリクス(B.C.72~B.C46)である。彼は20歳そこそこでガリア諸部族をまとめ、最後の最後までカエサル軍をさんざん苦しめた。【注3】

そんなガリア戦役の中で、初めて「カエサルが敵に背中を見せた」といわれたのが、ベルガエ人(ベルギー人、ガリア・ベルギカ人とも)の「ネルウィー族」との戦いである。『ガリア戦記』第2巻(紀元前57年)に記録されている。

今回ご紹介する吹奏楽曲≪ガリア戦記≫は、このネルウィー族との戦いを描いた曲である(つまり『ガリア戦記』全体を描いた曲ではないので注意。8年にわたった大遠征戦争の中の、紀元前57年におきた、特定の戦いを描いているのである)。作曲者ピクールにとっては母国で起きた戦争だ。

そしてもう一点重要なのは、この曲が、ローマ=カエサルの視点ではなく、攻められたガリア側=ネルウィー族の視点で描かれているということだ。曲名こそ≪De Bello Gallico≫(ガリア戦記)だが、内容は「ネルウィー族の抵抗」なのだ。これは、実際に曲を聴いていただければわかる。

だから、『ガリア戦記』第2巻のネルウィー族との戦いの部分を読まずしてこの曲を演奏することは、あり得ない。いや、読まずに演奏してはいけない。また、鑑賞するに際しても、この部分を読んでいるといないとでは、理解度が大きく変わる。原著(岩波文庫版)でいうと「Ⅱ-16」から始まる部分である。

では、どのような戦いだったのか。曲に即しておおまかに述べると――【注4】

第1楽章<Batllefield>戦いの荒野:約6分半
ネルウィー族は、現在のフランス北東部からベルギー一帯に住んでいた。贅沢を嫌い、武勇にすぐれ、周辺のベルガエ人がローマに屈したのを嘆いていた。

曲は木管群を中心に、pppで静謐に開始する。カエサル軍は、霧と深い森に覆われたガリアの地へと静かに歩を進めてくる(Ⅱ-16)。フルートやユーフォニアムのソロが、深遠な森の自然や、霧を描写する。やがてトゥッティとなり、カエサル軍の全容が霧の中からあらわれる。対岸には、ネルウィー族が6万の大軍勢で待ち構えている。

ネルウィー族は、木材を使って巨大な防護柵を大量につくり、茨のトゲをからませ、その陰に隠れてカエサル軍を待ち構えた。

曲は、いままでのゆったりしたテンポから一転、ティンパニとザイロフォンを合図に、快速テンポになだれ込む。いよいよ決戦だ。ここからの『ガリア戦記』の記述も、まさに迫真の戦闘描写である(Ⅱ-19~)。

ネルウィー族は、森の中から不意に襲いかかった。特製の防護柵が邪魔して、カエサル軍は容易に前へ進めなかった。

カエサルは混乱した。あちこちで戦っている各軍団に、同時にさまざまな指示を出さなければならなかった。旗も挙げねばならない、ラッパも吹かせなければならない、集合、演説、指示……とても、一人でそれだけのことは同時にできなかった。

カエサル軍は、一時退却を強いられた。これぞ、8年間に及んだガリア遠征の中で、カエサルが初めて「敵に背中を見せた」瞬間だった。この事実は「ローマ軍が敗退した」という大袈裟な噂となって、瞬時にガリア全域に広まった。

ネルウィー族は、前の戦士が倒れると、その死体を乗り越えて、また向かってきた。最後には、死体の山の上から、槍や石を投げてきた。カエサルはこう書いている――「このように勇敢な人々が広い河を渡って高い土手を上り、非常に不利なところまで押し寄せたのは無謀だったと考えてはならない」(Ⅱ-27)。カエサルは、彼らの武勇を評価しているのである。

曲調も、派手ながら、どこか不安げな様子がつづく。金管群の咆哮が、カエサル軍の苦悩を描写する。太鼓の響きがガリア=ケルト特有のムードを醸し出す。

だがさすがはローマ軍。司令官カエサルの指示はなくとも、十分に鍛えられた各現場指揮官は、その場で状況を察して、反撃に出た。輸送部隊も援軍に駆けつけたばかりか、常にカエサルを助けた副将ラビエヌスも、手空きの軍団を率いて援軍に参加した。

結局、瞬発力にはすぐれていても、持久力で劣るガリア人の特質が仇となって、いつしかネルウィー族は疲れ始め、体力で勝るローマ軍に打ち負かされた。

トゥッティで戦いの結末を奏で、第1楽章は、殺戮されたネルウィー族の遺体の山が散乱しているであろう荒野の様相を描写して、静かに終わる。

第2楽章<Ritual>儀式:約4分半
この戦いで、ネルウィー族の成人男子は、ほとんどが絶えた。戦いにあたって、女子供や年寄りは、近隣の安全な湿地帯に避難し、隠れていた。彼らは、もう勝ち目はないと察し、カエサルへ使者を送り、降伏した。使者は「600名いた元老が3名となり、武装できるもの6万が僅か500名になった」と言った。(Ⅱ-28)

この第2楽章は、第1楽章ラストのムードを、そのまま引きずって静かに開始する。おそらくネルウィー族が戦死者を悼む追悼儀式の様子と思われる。このタイトル「Ritual」は、直訳すれば「儀式」だが、ニュアンスとしては、宗教的祭礼儀式のイメージが強い。あるいは、使者がカエサルに降伏を申し出ている場面かもしれない。【注5】

曲は、ゆったりとパッサカリアのように進行し、壮大なクライマックスに至る。

第3楽章<Victory…As It Seems>勝利…のような:約4分
生き残ったネルウィー族の降伏を受け入れたカエサルは、彼らを殺さなかった。

『ガリア戦記』は、こう綴る――「カエサルは惨めなものや歎願するものに慈悲深いと思われるように、その部族の存続を許し、領地や町をそのまま使わせることにした。隣りの部族と仲間にもこれに乱暴をしたり損害をかけたりしないように命じた」(Ⅱ-28)

かくしてネルウィー族は滅亡を免れた。ケルト文化も残ることになった。第3楽章は、そんなケルトのお祭りである。タイトルにある<勝利…のような>とは、なんとも複雑なニュアンスだが、ネルウィー族にとっては、戦いに負けたものの、民族存続という点では「勝利」だった。だがカエサルにとっては「勝利」ではあったが、一時危機に陥っただけに、単純な勝利とはいえない……そんな意味合いが込められているのかもしれない。

第3楽章は、祭りの開幕を思わせるファンファーレにつづき、すぐにダンス部に入る。中盤からピッコロ&フルートと、E♭&B♭クラリネット1の掛け合いがケルト・ダンスとなって展開する(ここは一発でボロが出る難所)。ほかの管楽器奏者は全員、手拍子だ。いまではアイルランドにしか残っていないケルト文化が、本来ヨーロッパ大陸にあったことを訴えている部分ともいえる。

やがて管楽器奏者全員で「大合唱」になる。しかも各パートごと2部合唱になっており、吹奏楽曲でこれほど本格的な合唱が登場する曲も珍しいだろう。歌詞はラテン語とオランダ語が混じっている。スコアにはオランダ語部分のみ、4ヶ国語訳が載っているが、ここで、ラテン語部分も含めた(おそらく)本邦初公開、全文の日本語訳をお届けする(ご協力いただいたKF女史に感謝します)。

来たぞ、見たぞ
逃げちまったぞ
勝利だ勝利だ
さあ呑め歌え

ビールだビール、泡立つビールだ
苦くて甘いよ、天国行きだ
店のオヤジに乾杯だ
もっとジャンジャン持ってこい

来たぞ、見たぞ
逃げちまったぞ
ユリウス(・カエサル)のアホめ
我らこそ古代ベルギー人だ!

カエサル連戦連勝だったはずのガリア戦役の中で、ここまでケルト人が勝利の喜びを叫んだことは、まずなかったであろう。

もしコンクールで演奏するとなると、規定では「歌詞のあるスキャット(歌声)」はダメだから、ここは「単なる発声」に変えるか、音符どおり、楽器で演奏するしかない(楽器演奏でもかなりの迫力が出るものと思われる)。

祭りとダンスは最高潮に達し、「もう一段階、盛り上がりそうだ」と思ったその瞬間、突然終わる。

――作曲者バルト・ピクールは、ベルギー北部のゲントの音楽院で学んだ(ゲントは「北方ルネサンス誕生地」「花の町」として有名な古都で、『青い鳥』を書いたメーテルリンクの生地)。クラリネットが専門のようで、【第56回】で紹介したディルク・ブロッセにも学んだ。いままでは編曲が多かったようだが、近年、ベルギーのBriato社から、オリジナル作品も出し始めている。今後、注目の若手作曲家である。

なお、この曲のスコアには、「Jos “Assurancetourix” Van Der Cruysのために」と書かれている。「Assurancetourix」というニックネームの、Jos Van Der Cruysという人に捧げられた曲らしい。いったい何者なのか、あちこち調べたのだが、どうやらベルギーにMusicaloなる吹奏楽団があって、作曲者ピクールとも縁のあるバンドのようである。で、そこの打楽器奏者に同名の人がいる。おそらく、彼のことではないだろうか。ピクールの友人なのだろう。

では、ニックネームと思しき「Assurancetourix」(アシュランストゥリークス)とは何かというと、フランスの国民的人気漫画に『Asterix』(アステリックス)という作品がある(日本でも1970年代に邦訳本が出たが、定着しなかった)。フランスでシリーズ映画になっているばかりか、テーマパークまでがある。この漫画が、まさにガリア戦役が舞台で、たまたまローマの支配を逃れたガリア地方(現在のブルターニュの一角)の、小さな村を舞台にしたドタバタ・コメディ漫画なのだ。で、この漫画の登場人物の1人に、少々自信過剰でこっけいな音楽家が登場し、彼の名前が「Assurancetourix」(アシュランストゥリークス)なのである。どうやらそれがVan Der Cruys氏のニックネームらしい。まことに≪ガリア戦記≫に相応しいニックネームだ。もしかしたら≪ガリア戦記≫は、このMusicaloが初演したのかもしれない。

(…上記部分は、ネットそのほかで調べた情報ですが、なにぶんオランダ語やフランス語がよく分からないので、筆者の誤解があるかもしれません。詳しい情報をお持ちの方がいたら、ぜひご一報ください)。

大編成でなくとも演奏でき、特殊楽器も必要ない。抜群の描写力に加え、適度なグレードで最大限の効果が出るように書かれている。日本でも、もっと演奏されていい曲だと思う。大編成が組めないために、スケールの大きな曲をあきらめていたバンドに、ぜひ挑戦していただきたい。
<敬称略>

 

【注1】ケルト人は、金属加工技術にすぐれていた。たとえば「クラダ・リング」なる指輪がある。キムタクや、ドリカムの吉田美和が付けていた、ハート+王冠の銀細工リングである。これは現在、アイルランド政府の商標登録工芸品で、1600年代からアイルランドのクラダ村でつくられはじめたそうだが、イメージのルーツに古代ケルト文化があるともいわれている。アイルランド製のバングル(腕輪)にも「ケルティック・バングル」があり、古代ケルト人が愛好した複雑なデザイン模様が刻印されている。また、ワーグナー≪ニーベルングの指環≫に登場するニーベルング族(小人)や、『白雪姫』の7人の小人は、小柄だった古代ケルト人がモデルだといわれているが、そういえばみんな鉱夫で、キンコンカンコンと金属鋳造みたいなことをやっていた。

【注2】講談社学術文庫版『ガリア戦記』(國原吉之助訳)には、この別人が書いた第8巻部分も収録されている。

【注3】これが有名な「アレシアの戦い」(紀元前52年)。直木賞作家・佐藤賢一の小説『カエサルを撃て』(中公文庫)は、この戦争を描いたもので、ヴェルキンゲトリクスが主人公である。

【注4】この曲に関しては、作曲者も出版元も、あまり詳しい解説を発表していない。せいぜい「ベルガエ人であるネルウィー族とカエサル軍との戦いを描いた」程度のコメントがあるだけだ。よって、本稿には、多分に筆者の想像が加わっていることをご承知いただきたい。

【注5】古代ケルト人の宗教儀式が、たいへん有名なオペラに登場する。ベッリーニ作曲≪ノルマ≫(1831年初演)である。紀元前50年頃、ローマの支配下に入った、あるガリア地方が舞台だ。ここのケルト人たちが信仰するドルイド教団内で起きる恋愛事件(ローマ総督がからむ)が題材である。純粋なイタリア・オペラなので、音楽的にケルト色はないが、名旋律満載、オペラ史上に残る超傑作である。マリア・カラスが当たり役にしていたことで有名(ほとんどカラスの名演によって一般に親しまれるようになったといっても過言ではない)。

 

【『ガリア戦記』について】
『ガリア戦記』に関して、しつこく思われるのを承知で、もう少し述べておきたい。

若いBP読者には、こんな紀元前の戦争の記録、何の興味もないかもしれない。確かに、現在、岩波文庫に収録されている近山金次訳は、戦前の1942年(昭和17年)初版である。現行版は表記も現代仮名遣いにあらためられているが、それでも、そう読みやすい本ではない。昨今のケータイ小説に慣れている若者には、かなりしんどく感じるだろう。カエサル自身が書いたのに、「その時カエサルは……」などと三人称で書かれているのにも、違和感を覚えるかもしれない。

だが、少し我慢して、まず第1巻部分だけでも読んでみていただきたい(正味50頁ほどだ)。ここには、異文化に接する人間の驚きや感動がある。そして、それと戦わなければならない男の蛮勇と非情、時折は哀しみがある。ここに描かれたカエサルやケルト人たちの姿は、私たちとまったく同じだ。新しい学校や職場に入った時の戸惑い、いじめ、混乱――紀元前も21世紀のいまも、人間同士の関係は、たいして変化していないことが分かるはずだ。そうでなくとも、戦争シーンは、策謀の連続で迫力満点である。戦略ゲームの好きな方なら、たまらないだろう。

そして、このガリア戦役で、ヨーロッパ本土からケルト文化が消えてしまい、いまでは、片隅のアイルランドのみでひっそりと生き残っていること、また、それが吹奏楽の世界で盛んになっていることに、ぜひ思いを馳せていただきたい。その原点が、この『ガリア戦記』なのだ。

なお、『ガリア戦記』やカエサルに初めて興味を持った方には、まず、長谷川博隆『カエサル』(講談社学術文庫)をお薦めする。これは1967年に中高生向けに書かれた名著だが(当時は旺文社文庫版だった)、大人の鑑賞に十分耐えうる入門書の決定版である。これを読んでから、岩波文庫版『ガリア戦記』や、近年話題の、塩野七生『ローマ人の物語』シリーズ(新潮社)などに進んだほうがいい。

■吹奏楽曲でたどる世界【第60回】<補遺3> アメリカ、サーカス黄金時代(1800年代末~1900年代前半) ~マーチ≪バーナムとベイリーの人気者≫(カール・キング作曲)

Text:富樫鉄火

●作曲:カール・キング Karl L. King (1891~1971)アメリカ
●原題:Barnum and Bailey’s Favorite
●初出:1913年、リングリング・ブラザーズ=バーナム&ベイリー・サーカス・バンド
●出版:Barnhouseほか
●参考音源:各種あり
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-2331/
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-2266/
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-2731/

●演奏時間:約3分半
●編成上の特徴:標準編成(ただし、出版社ごと、校訂によって若干の違いがある)
●グレード:3~4

アメリカでラジオ放送が開始されたのが1920年(日本は1925年~)、TV放送の開始が1931年(日本は1953年~)である。

ラジオもTVもなかった頃、アメリカの人々の娯楽は何だったか。まず映画があった。だが、映画がアメリカで一般的に楽しまれるようになるのは、1900年代初頭からである。では、それ以前は……?

それは芝居やコンサートなどを含む、小屋(劇場)での出し物、いわゆる「見世物」であった。曲芸やダンスなど、小屋の中で、あらゆる「見世物」が披露されていた。家族連れには動物見世物小屋が人気を呼んでいた(動物園は大都市にしかなかった)。

それらが統合され、洗練され、大型化したのが「サーカス」である。アメリカ大衆文化を代表する娯楽だ(おおもとのルーツは、古代ローマ時代の戦車競争らしい)。そして、アメリカのサーカスを語る際、フィニアス・T・バーナム(1810~1891)なる男の存在を避けて通るわけにはいかない。アメリカ史上最大のサーカス興行師である。

バーナムはもともと山っ気のある男で、さまざまな事業を手がけては失敗の繰り返しで、浮き沈みの激しい前半生だった。インチキな見世物も多く、「フィジーの人魚」に至っては猿の上半身と魚の下半身をくっつけたものだった。それでも人々は、こぞって、バーナムの奇々怪々な見世物を、疑いつつも楽しんだ。

以来、バーナムはあらゆる見世物興行を打つようになる。映画もラジオもTVもない1800年代後半のことだ。失敗もあったが、おおむねバーナムの見世物は、どこでも大当たりだった。

1871年、バーナムは、ニューヨークのブルックリンで、それまでの見世物を総合化した「バーナムの大博物館、動物園、キャラヴァン、曲馬場、サーカス」なる長ったらしい名前のショーをスタートさせる。曲芸、見世物、ピエロのコント、空中ブランコ、ダンス、動物芸が次々と展開する出し物で観客たちの度肝を抜いた。これが、現在、我々がイメージする「サーカス」の始まりである。

それまでのサーカスは馬による「曲馬芸」が中心で、その延長線上に、先住民(インディアン)VSカウボーイ・騎兵隊の対決ショーなどを見せるものがほとんどだった(何しろ映画もTVもないから、都会人は、西部の荒野における先住民との戦闘風景など、見たことがなかった。それを再現するショーが人気出し物だった)。【注1】

あまりに巨大な見世物になったので、もはやテントで移動なんてことはやっておれず、バーナムは、1874年、マジソン・スクエア公園に「バーナムの巨大ローマ式ヒッポドローム」を設立。これは1万人収容の巨大劇場で、ここで「バーナムの地上最大のショー」(名称は、たびたび変更された)と銘打つメガ・サーカスを始める。この劇場こそ、現在のマジソン・スクエア・ガーデンである。

1880年、バーナムは、ジェイムズ・ベイリーが運営していたサーカス団を買収合併し、さらに巨大化させて、共同経営の「バーナム&ベイリー・サーカス」(BBサーカス)となる。この時期が、いわゆるアメリカにおけるサーカス黄金時代だ。

このBBサーカスの人気を一躍広めたのが一頭のアフリカ象である。体長約4メートル(史上、最も巨大な象といわれている)、ロンドン動物園の人気者だったのを買い取って、BBサーカスで見世物にし、大人気となった。
この象には、スワヒリ語で、挨拶の「こんにちわ」を意味する「ジャンボ」という名前が付いていた。ところがバーナムの巧みな宣伝演出で、いつの間にか「ジャンボ」=「巨大」の意味に変えさせてしまった。その後、航空機からスポーツ選手の愛称まで、「巨大なもの」を「ジャンボ」と呼ぶようになったのは、このバーナムのせいなのである(ちなみにジャンボは、1885年、線路脇で列車に轢かれそうになった小象を守るため、自ら列車に体当たりして死んだという……バーナムの作り話説もあるみたいだが)。

やがて1891年にバーナムが、1906年にベイリーが亡くなって、創業経営者を失ったBBサーカスは、1907年、当時新しかった「リングリング・ブラザーズ・サーカス」に買収され、現在の「リングリング・ブラザーズ=バーナム&ベイリー・サーカス」(RLB=BBサーカス)となって、再び「地上最大のショー」なるコピーのもと、アメリカ最大のサーカス団となって、いまに至るのである。【注2】【注3】

さて、サーカスには音楽が付き物である。どこも専属バンドと専属指揮者(作編曲者)を抱えており、そこから多くの名マーチやギャロップが生まれた。アメリカ・マーチの発祥のひとつが、たとえばスーザを中心とする「軍楽マーチ」とすれば、対極にあるのがこの「サーカス・マーチ」である。≪サーカス・ビー≫≪ヒズ・オーナー≫のヘンリー・フィルモア(1881~1956)も、≪マイアミ万歳≫≪カンザス大学マーチ≫のJ・J・リチャーズ(1878~1956)も、サーカス・バンド出身である。

その中で、RLB=BBバンドに所属し、そのものズバリ≪バーナムとベイリーの人気者≫【注4】【注5】なるマーチを書いたのが、カール・キング(1891~1971)である。

キングは、貧しい家の生まれで、新聞配達のアルバイトで得たカネでコルネットを買って吹いていた。やがて音楽レッスンを受けるようになり、バリトンに移る。以後、長いこと、各地のサーカス・バンドを渡り歩いて演奏した。サーカスには常に目新しいBGMが必要だったので、作曲も次々こなした。

RLB=BBバンドには、1913年、22歳の時に短期間、バリトン奏者として参加した。その後、いくつかのサーカス・バンドを転々とした後、26歳で再びRLB=BBバンドに戻り、指揮者に迎えられる。

この、最初にRLB=BBバンドに所属していた1913年に、バンド・リーダー、ネッド・ブリルの依頼で書かれたマーチが≪バーナムとベイリーの人気者≫である。すぐに人気曲となり、RLB=BBサーカスのテーマ曲となったばかりか、いまではスーザ作品と並ぶ、アメリカを代表するマーチとして世界中で愛されている。

曲はまことに軽快でカッコよく心地よく、楽しい。古きよき時代のサーカスの香り満点で、こんな曲がテントや野外劇場から聴こえてきたら、もうそれだけでワクワクしてしまい、子供たちはその場で「私をサーカスに連れてって!」と言い出すだろう。

一瞬≪コバルトの空≫(レイモンド服部作曲)を思わせる前奏で始まり、以後、時折、哀愁さえ感じさせる余裕ぶりで突き進む。トリオ部では、馬の蹄のパッカパッカ音が響き渡って、テント内を馬が走り回っている様子が描写される。コーダにおけるトリオ部の再現は、サーカス公演のクライマックスを思わせる。これぞ、アメリカ・サーカス黄金時代の空気を「音楽」で記録し、綴じ込めた、傑作マーチといえよう。

日本でこの曲を演奏させたら、「マーチの阪急」阪急百貨店吹奏楽団の右に出るバンドはないのではないか。現在、いくつかの音源で同団の演奏を聴くことができるが、1989年の第1回定期演奏会(団の設立は1960年)における、鈴木竹男氏指揮の演奏は、軽快などという言葉を超えて、これはもう快楽怒涛の演奏である。マーチはこうあってほしいと我々が考えている、そのとおりのド迫力演奏が展開するのだ。特にコーダは、もしナマで聴いていたら心臓が飛び出したのではないかと思われるほどの迫力だ。ライヴ録音なので、少々荒っぽい面もあるが、それでも、いまは亡き日本のアマチュア吹奏楽の牽引役・鈴木竹男氏の面目躍如たる演奏である。

これと対照的に、サーカス・マーチの軽快さを重視して、きれいにまとめているのが、フレデリック・フェネル指揮=東京佼成ウインドオーケストラの演奏である(CD『マーチ・ワールド Vol.1』ブレーン)。阪急のド迫力演奏と対極にあるアプローチだ。冒頭、ホイッスルの合図で始まり、終始、早めのテンポで展開する。いかにもアメリカ・サーカスの雰囲気満点だ。トリオ部では、馬の蹄が、かなり強めにパッカパッカと楽しげに鳴り響く。

まさにコンサートのアンコールはもちろん、オープニングにも通用する、アメリカン・サーカス・マーチの傑作である。文化祭や地域イベントなどのムード作りにも最適だろう(ただ、聴くとやるとでは大違いで、軽快かつ威勢よく演奏するのは、意外と大変)。

ちなみに、作曲者キングは、1920年にサーカス人生を終え、以後は市民バンドを中心に指導しながら、作曲をつづけた。アメリカ吹奏楽指導者協会(ABA)の会長もつとめた。特に、アイオワ州フォートダッジ市民バンドの指導はほぼ晩年までつづき、市内には彼の名の橋があるほか、現在、同バンド名にもカール・キングの名が冠せられている。
<一部敬称略>

※サーカスの歴史については、主として『サーカスが来た! アメリカ大衆文化覚書』(亀井俊介/東京大学出版会/1976)を参考にしました。


【注1】当時の曲馬ショーを舞台にした傑作ミュージカルが『アニーよ銃をとれ』(1946年ブロードウェイ初演)。バーナム以前のサーカスの姿が、たいへんうまく 描かれている。有名な劇中歌≪ショーほど素敵な商売はない≫は、吹奏楽でもさかんに演奏されている。1950年にベティ・ハットン主演で映画化されたが、 ある時期から「幻の映画」となり、長いこと観られなかった。近年になってやっとビデオ(DVD)化されるようになったが、それというのも、作中の先住民 (インディアン)の描き方が差別的であるとして、原曲の作曲者アーヴィング・バーリンから抗議され、公開禁止になっていたからだ(いまでは廉価盤DVDで 気軽に観られる)。

【注2】RLB=BBサーカスは、いまでもアメリカで大人気で、複数のツアー・グループに分かれて常に全米のどこかで開催されている。平日は夜1回公演で、土日は1日2~3公演開催されるようだ。料金は土地・会場によって差があるが、高いほうだと100ドルの席があるので、けっこうなお値段である。なお、通称「世界三大サーカス」といえば、このRLB=BBサーカスと、ボリショイ・サーカス(ロシア)、木下大サーカス(日本)を指す。

【注3】RLB=BBサーカスは、映画になっている。1952年のアメリカ映画、同団のキャッチフレーズをそのままタイトルにした超大作『地上最大のショウ』(セシル・B・デミル監督)である。同年のアカデミー賞作品賞を受賞した。サーカス団内部の様々なドラマや恋愛模様を描いた作品だが、何しろホンモノのRLB=BBサーカスが全面協力しているだけあって、その迫力と説得力は空前絶後である。アメリカのサーカスはこんなモノスゴイことを毎日やっているのかと、唖然呆然。空中ブランコ乗りを演じたベティ・ハットンは、かなりの部分をスタンドなしで演じてみせた。そうかと思えば名優ジェームズ・スチュワートがピエロに扮し、最後まで素顔を見せない贅沢さ(一ヶ所だけ素顔が出るのだが、それは観てのお楽しみ)。さらに観客の中に、ボブ・ホープやビング・クロスビーを登場させる豪華さ。その上ラストでは列車の大衝突まで見せてくれる。大味なムードもあるが、2時間半、一瞬たりと飽きさせない出血大サービス、これぞ映画の中の映画である。もし≪バーナムとベイリーの人気者≫を演奏するのなら、必見(残念ながら、この曲は出てこないが)。

【注4】この曲名≪Barnum and Bailey’s Favorite≫は、いまだに邦訳が定まっていないようだ。「Barnum and Bailey」が「バーナム&ベイリー・サーカス」であることは間違いないのだが、「Favorite」をどう解釈するかで、邦題が変わる。昔は単純直訳で「お気に入り」が多かったが、最近では「人気者」「愛好曲」などもある。おそらく「BBサーカスの人気出し物」とでもいったニュアンスだろうと思うので、今回は≪バーナムとベイリーの人気者≫とした(昔、このタイトルの意味は≪「バーナム」と「ベイリーの愛人」≫だとの冗談があった。三角関係のドタバタ騒ぎを描いた曲だというのだが……案外、ホントかも?)。

【注5】キングがこの曲を書いた時に所属していたサーカス団の名称は、もう「リングリング・ブラザーズ=バーナム&ベイリー・サーカス」(RLB=BBサーカス)になっていたはずである。なのに曲名に「リングリング兄弟」(RLB)名が入らず、「バーナム&ベイリー」(BB)のみなのは、なぜなのだろうか。あまりに長い名前なので略したのか、あるいは、「リングリング兄弟」よりも、昔ながらの「BBサーカス」名で認識されていたからなのだろうか。