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■落ちこぼれ笛吹きの“やればできる!”ON LINEセミナー 第10回(最終回)

音楽に熱中するあまり受験勉強について行けず中学で不登校、何とか音楽科の高校に進学するも休学し小さな町工場で電気配線と格闘する1年を経験。「やっぱり音楽がやりたい!」と復学し音大を卒業後、プロオケを目指して20回以上オーディションを受けるも全て撃沈。そんな“落ちこぼれ笛吹き”が30年間のプロ経験で得たものとは? その中に“明日からもっと楽しくフルートが吹けるヒント”がみつかるかも!

◆岡本 謙(フルート奏者)プロフィール◆
10歳よりフルートを始める。香川県高松第一高等学校音楽科を経て、1990年に国立音楽大学を卒業。同年、シエナ・ウインドオーケストラ結成メンバーとして入団。6年間の在籍期間中、ピッコロ及びフルート奏者としてコンサート、CDレコーディングを多数行う。その後、東京吹奏楽団に移籍、ピッコロ奏者を務める。現在はフリーとしてオーケストラ、吹奏楽、室内楽等において演奏活動を行う。また、ミュージカルのオーケストラ・プレーヤーとしても、数多くの演目にて年間を通じて活躍している。フルートアンサンブル“ザ・ステップ”タッド・ウインドシンフォニーメンバー。

フルートの音色を揃える?

みなさま、大変ご無沙汰してしまい申し訳ありません。『落ちこぼれ笛吹きの“やればできる!”ON LINEセミナー』最終回の執筆にあたり、随分と時間が空いてしまいました。ここまで遅れたことの“言い訳”は後ほど述べさせて頂きますが、今回は部活動におけるフルート指導の難しさに触れてみたいと思います。

吹奏楽指導の現場では、しばしば「フルートの音色(音質)が揃わないのですが・・・」と相談を受けます。確かにフルートは音程が不安定になりがちですし、音色も人によって千差万別です。しかもバンド全体の最高音を受け持つ楽器ですから、せっかく低音からサウンドを積み重ねてもフルートの音が合わないのでは、お話しになりません。ですので、前で指揮をされている先生からすると、「フルートの音色を揃えたい!」と思われるのは当然のことです。

しかしながら、フルートパート全員の“音色”を揃えるなんて不可能ですしナンセンスです。“フルートの音色が揃わない”と感じる原因は、“音質”ではなく“音程”が合っていなかったり、例えチューナー上で音程が合っていたとしても“息のスピード感”が揃っていないことが多いです。まずは個人個人がスピード感のある息を保って、しっかりと楽器を響かせることが大切です。あとは耳をしっかり使って自分の周りの音をよく聴くことです。

この二つを同時に行うことは、サッカー選手が全力疾走でドリブルしながら逆サイドの味方に正確なパスを出すことと同じくらい難しいですが、アンサンブルではとても大切なことです。これらが不十分なまま、ただチューナーのメーター上だけの判断で高いor低いと楽器を抜き差ししたり息のスピードを緩めたりすることはとても危険です。指導者の方は生徒に音程を注意する前に、まずその生徒が正しい奏法でしっかりと楽器を響かせられているかをチェックしてあげて下さい。

上記で述べたことは、ある程度成熟した技術を持つバンドなら、比較的簡単に実践できると思います。そういったバンドは技量の高い先輩にも恵まれており、自分の経験を元に後輩達を指導することができます。けれどもそういう伝統がないバンドでは、それ以前のもっと初歩的な部分で苦労しているのが現実ですね。

フルートは管楽器の中で唯一、息の通り道が“楽器の外”にあります。しかも楽器をあてている部分は下唇の僅かなスペースですので、ちょっとしたことですぐに位置がずれてしまいます。このため、初心者にとってはコツを掴むまでが非常に難しいです。中学1年生くらいですと、人によってはまだ身体も小さくフルートを構えること自体にも負担がある場合があります。ですのでアンブシュア(唇の形)も不安定になりがちで、歌口のベストポジションも決まりにくいです。このような場合、頭部管だけの練習に戻って確認するとよいでしょう。

まずは頭部管だけで効率良くロングトーンすることから始めます。ただ音が出ればよいというのではなく、クリアな発音から始まり一定の音色でロングトーンができること、そして息が無くなってきた際にも音程がぶら下がらないよう支えることを意識しましょう。

次に、頭部管の端(右手側)を手のひらで塞ぎ、複数の倍音が自在に操れるように練習しましょう。ここで大切なのは、発音(タンギング)と息のスピードのコントロールです。高い音、低い音が“まぐれ”で出せるのではなく、ちゃんと狙った音を的確に出せることが重要です。これらの唇、発音、息のスピードで自在にコントロールできる感覚をつかむことこそが、上達への近道です。

客観的にみれば、アンブシュアの形や大きさ、息の方向等をアドバイスしてあげられますが、これらは演奏中は自分からは見えません。自らの実践と経験によって感覚的に覚えるしかないのです。「あっ、今気持ちよく音が当たった!」という成功体験を積み重ねていきましょう。

それでも再び楽器全体を組み上げて吹いてみると、なかなか上手くいきません。これは、楽器全体の抵抗感が増えてしまうという要因もありますが、楽器を支えることばかりに意識が集中してしまい、下唇に楽器をあてる圧力が減ってしまうことが原因の場合もあります。

フルートの場合、下唇を少し薄くするようなイメージで楽器をあてると音が出やすいです。楽器のあて方、アンブシュアの位置、息を出す方向は人それぞれにベストポジションがあります。その生徒に合った吹き方を見つけるためには、ひとりひとり丁寧に時間をかけて付き合っていく必要があります。「教則本を見て練習しておいてね」では絶対に上達しません。最初から難しいことを要求するのではなく、焦らずじっくり時間をかけて「今のその音、良かったよ!」と自信を持たせてあげるよう心がけて下さい。

ある程度経験を積んできた上級生について、バランスよく上達する生徒もいますが、多くは次の二つの傾向に分かれます。

(1)とりあえず全音域に渡って音が出せるが、その音色は細くパワーがない。
(2)合奏で音量を要求され続けるうちに、とにかく息を沢山使って演奏する習慣が身につき、楽器本来の音色が損なわれている。

(1)は基本となるロングトーンの音色が確立される前に、音色はともかく高音や低音を出すことを要求された場合に起こりがちです。譜面にある音符は吹けるのですが、個々の音色に響きの芯がないので、結局吹奏楽の中では力になりません。こういった生徒たちには、大ホールでも通用する“本物のフルートの音色”を教えることから始めなければなりません。この方法については、第1回セミナーをご覧下さい。

(2)はいわゆるコンクール強豪校によくみられがちです。とにかく“息のスピード命”で、あたかも金管楽器のように強力な息を吹き込んできます。これはとても素晴らしいことなのですが、その息が全て効率的に使われているか?ときかれると、答えはノーです。楽器は常にオーバーブロー気味の息にさらされ、楽器本来の艶のある倍音がスポイルされていることも少なくありません。近くで聴くと凄く楽器が鳴っているように感じますが、倍音がきちんと響いていないので、その音色は少し焦点がボケてしまい結果的に遠くまで響かないし、他の楽器の音ともブレンドしません。大学のオーケストラや吹奏楽サークルの指導をしていると、こういった傾向の学生をよくみかけます。「きっと、中高の吹奏楽部で頑張っていたんだな。」と思う反面、もっと響きのある音色を出せる技術があるのにもったいないと思ってしまいます。

このような学生には、半分の息の量で今と同じ音量を出すように指導します。普通に考えると、息の量が減るのですから音量も小さくなるのが当然です。けれども“吹き矢”の要領で口元で息を絞り込み、上手く息のスピードを作り出すことができれば、それは可能なのです。ましてや、今までは必要のない息まで浪費していたのですから…。他の管楽器の先生方のレッスンを見学していても、必ず“口元で息を絞り込んでスピードを作り出す”という内容のことをおっしゃっています。具体的な方法は楽器によって違いはあると思いますが、限られた息から最も効率的にスピードを生み出す方法を、管楽器プレイヤーは常に意識して演奏しています。ただやみくもに「いっぱい吸って、いっぱい使う」だけでは豊かな響きは出ませんし、良い音楽はできません。今まで無駄にしていた息を効率よく使うことを意識してみましょう。そして余った息は、もっと音楽を表現することにまわせるといいですね。

▲ある大学オケサークルでの練習風景。オーケストラでは遠くまで響かせるスピードのある息と、弦楽器や他の木管楽器とブレンドする音色が何より大切!

新たな挑戦

さて冒頭で触れた“言い訳”について、ここからお話しさせて頂きます。実は昨年末、仲間のプレイヤーを通して私の元にある依頼がきたことにより、私のスケジュールがとても多忙になってしまいました。その依頼とは、とある中高一貫校の吹奏楽部の全体指導を任せたいというものでした。

引き受けるかどうか、正直迷いました。大勢の生徒たちの大切な青春の時間を預かるという大役が自分に務まるのか? またフルート奏者という仕事との両立が果たして可能なのか? それを考えると、気安く引き受けるわけにはいきません。といいますか、正直ビビってしまったというのが本音です。

しかしながら、学校に赴き顧問の先生方からお話しを聞くうちに、段々と私の決心も固まってきました。この吹奏楽部には音楽指導ができる顧問が不在で、しばらく生徒たちだけで活動してきたとのことです。そしてコンクール第一主義ではなく、生徒たちの自主性を重んじて部活動を楽しんでもらいたいという先生方の想いが伝わってきて、「私で役に立てるなら…」と指導を引き受けることにしました。

こうして、中高生併せて約70名ものバンドを突如率いることになったのですが、生徒たちとの初顔合わせの日が近づくにつれ、私の中で緊張感が増してきました。果たして自分は生徒たちに受け入れてもらえるのだろうか? そしていよいよ顔合わせの当日、初めて会う大勢の生徒たちの表情からは不安、期待、好奇心…様々な感情が読み取れました。

彼らから見れば、きっと私も同じだったと思います。最初の自己紹介で、私はバンドトレーナーではなく“笛吹き”として今まで歩んできたことをお話ししました。そして、みんなの前で1曲演奏しました。曲はナイジェル・ヘスが作曲した映画音楽『ラヴェンダーの咲く庭で』。シンプルながら、とても美しく親しみやすい曲です。さらにもう1曲、ジュナンの『ヴェニスの謝肉祭』を吹きました。この曲は、私が不登校真っ最中(第8回セミナーを参照)だった中学3年のときに初めて吹いた曲です。高校(音楽科)もこの曲で受験したので、『ヴェニスの謝肉祭』のおかげで今の音楽人生があるのかもしれません。2曲共に暗譜で演奏しました。

私のフルートの音色が生徒たちにどのように届いたかはわかりませんが、それが私にできる精一杯の自己紹介でした。少なくとも、「とりあえず、この先生について行ってみよう。」と思ってくれたのなら嬉しいですね。この日、私は生徒たちとひとつ約束をしました。それは、「この吹奏楽部をどのように運営していくかについて、部員(生徒)の意見を最大限尊重します」ということでした。指導者があれこれ決めるのではく、生徒たち自身で自分たちの進む道を決めてほしいと思ったからです。この吹奏楽部は今までも生徒の力で自主的に頑張ってきたので、これからもきっと上手くやれるに違いない!という期待もありました。

私に科せられた最初の大仕事は、年度末にある定期演奏会を指揮することでした。本番まで既に3ヵ月を切っていましたが、演奏曲は1曲も決まっていませんし、当然ながら曲の練習すら始まっていません。そこで私は生徒たちに、「とにかく自分たちがやりたいこと(曲、企画等)をどんどん提案して!」と伝えました。そこから生徒たちは「この曲、やってみたいです」とか、盛り沢山の企画案を出してきて、それについて話し合いを繰り返しながら決めていきました。

3月末で部活を引退する高校2年生にとって、定期演奏会は5年間の部活生活の最後を飾る晴れ舞台です。曲決め、台本作り、手作りの衣装&小道具製作等、ひとつひとつが進むにつれて、最初は漠然としていたコンサートのイメージが現実味を帯びてきます。あとは練習を積み重ねて曲を仕上げていくだけ…ですが、ここからが大変でした。

まず、この学校は部活に使える時間が非常に少なかったのです。平日は放課後の90分だけ、日祝は学校がお休みという状況です。土曜日はかろうじて午後の時間が使えるので、私もできる限りスケジュールを調整して土曜日を空けるようにしました。ところが2&3月は入試、期末試験、修学旅行等の学校行事が重なり、部活ができる日は実質半分程度とのこと。私もプレイヤーとしての仕事があるので、行ける日は限定されてしまいます。

果たして本番までに間に合うのだろうか? いざ合奏をしようと思っても、大勢いるはずのメンバーはその半分も揃いません。この部活には定休日という制度があり、部員は週2日のお休みを取ることができます。この定休日は生徒が学業や習い事のために時間を使えるようにと考えられた制度です。ですので合奏で部員全員が揃うなんてことは奇跡に近いです。常に誰かがいない歯抜けの状態でしか練習ができません。ということで、私が思い描いたようには曲が仕上がらず、不安と焦りが募る日々でした。

しかしながら指導者がイライラしていたのでは、生徒に悪い影響を与えるだけです。ここはドッシリと落ち着いて構え、生徒たちには「この曲はこんな音楽なんだよ!」というイメージが持てるように、地道に指導を続けました。合奏の録音は毎回ネット(部員専用のサイト)にアップロードし、合奏に参加できなかった部員も聴いて勉強できるようにしました。不思議なことに合奏中は「全然ダメ」と思った演奏も、改めて録音を聴くと生徒たちの良い部分も見えてきて、彼らなりに少ない練習時間を上手く使って頑張っているんだなと思えるようになってきました。

定期演奏会の2週間前。期末試験も終わり、高校2年も修学旅行から戻り、ようやく部活に専念できます。けれども学校行事等で、演奏会までに練習ができるのは1週間弱しかありません。高2が中心となって毎日の課題と練習メニューを考え、空き時間を活用して演技等の練習等、本番に向けて準備が進んでいきます。本番1週間前、受験を終えた高校3年生たちも合流し、総勢90人による大編成バンドでの練習が始まります。受験勉強で1年間のブランクがあるとはいえ、サウンド的にもさすがに高3は頼りになりました。

生徒が主役!

こうして迎えた本番当日。夜の本番までにやるべきことは山ほどあります。音楽的な確認はもちろんのこと、今回はかなり凝った演出を企画したので照明、音響、衣装替え、立ち位置や移動の確認には時間と手間がかかりました。ここではミュージカルでの経験が非常に役に立ちました。

ミュージカルの舞台稽古では演出、照明、音響その他の問題をひとつずつ解決しながら進めていくため、「今何が問題で、どの部署が時間を必要としているのか?」という気配りが大切です。この日のリハーサルでも、練習が長時間に渡るにつれて生徒たちが疲れてくる様が見てとれましたが、「今は照明の修正に時間が必要だよ」とか、「ここは少し時間がかかりそうだから、ステージから降りて少し休んでいいよ」等と状況を伝えながら進めていきました。最後の最後は、「今、一番疲れてきてキツイところだけど、みんなのために一生懸命仕事をしてくれている人がいるから頑張って!」と声をかけながら乗り切りました。結局リハーサルが終わったのは本番1時間前。ここから記念写真を撮影したりしているうちに、あっという間に開演時間です。

本番での生徒たちのパフォーマンスは、演奏面・演出面共に長いリハーサルでの疲れを感じさせない素晴らしいものでした。もちろん音楽的に多くの課題はありますが、お客様に心から楽しんで頂ける演奏会だったと思います。指揮をした私としては交通整理に追われた部分もありますが、練習でなかなか上手くできなかった生徒たちがひとつひとつ課題をクリアしていく様子に小さな喜びを感じつつ、充実した時間を過ごすことができました。

コンサート終盤の引退セレモニーでは内輪ウケに終わらず、一般のお客様にも共感して頂いたのを感じました。諸事情で一時はホールのキャンセルも考えたそうですが、こうして無事に定期演奏会を終えられて本当に良かったと思います。また、学校関係の方に「何よりも生徒が主役の素晴らしい演奏会でした!」と言って頂いたことは、心から嬉しかったです。ステージ上で“生徒が主役”になれるために、今日まで頑張ってきたのですから!

銅賞からの出発

4月から新体制での部活がスタートしました。吹奏楽部にとって最初の大切な仕事は、新入部員の勧誘です。この学校は高校からの入学者がいないので、中学1年の新入部員をいかに多く確保し、大切に育てていくかが重要です。部員たちは高2を中心に本当によく頑張り、新歓コンサート、楽器体験コーナーのイベントを繰り返し開催し、数年ぶりに20人を超える部員が入部してくれました。

こうなると1日でも早く楽器を決めて練習を始めさせたいところですが、この学校は大型楽器を除き備品の楽器がほぼゼロで、正式入部も5月に入ってからという状況です。ですのでパート決め→楽器購入という手順を経て、生徒の手元に楽器が届くのは6月中旬以降になってしまいます。これでは夏のコンクールに中1を出してもほとんど吹けないのは仕方ありませんが、それでも生徒全員でチャレンジすることになりました。

中学生がエントリーしたのは大編成のA組です。中3が7人、中2が17人に対して中1が約半数の22人という状況です。とはいえ中3&中2のモチベーションは高く、とても頑張って新入部員を指導してくれました。あるパートでは中2の生徒がほとんどひとりで新入生3人の面倒をみていました。そんな上級生たちの頑張りを見守っている側からすると少しでも良い賞を取らせてあげたかったのですが、結果は“銅賞”でした。

確かに、今の中学生全体のサウンドでは仕方のない結果です。マーチのオブリガートを吹いているのはテナー・サックスの1人だけ、クラリネットもちゃんと音が出ているのはたった2人、トロンボーンもほとんど1人で吹いているという状況では正直厳しいです。それでも、曲として成立させ聴かせてくれた生徒たちの努力は評価してあげたいと思います。審査講評でも、丁寧かつ繊細な音楽作りと評価して下さるコメントが多かったです。もちろん、全体サウンドの脆弱さや音程の乱れについては厳しいコメントを頂きましたが、これらについては私も承知の上でステージに立ちました。

嬉しかったことに、ある審査員は自由曲での各楽器のソロを高く評価して高得点を付けて下さいました。このような審査員からの応援の気持ちは、とても励みになりますね。私も審査をするときは常に心がけていることですが、実際に審査される立場になってみると、そのありがたさが身に浸みました。けれども、審査発表後の生徒たちの落胆ぶりは見ていられないほどで、座席から立ち上がれない子もいました。全員野球の精神でチャレンジしたA組でしたが、ここまで生徒たちに辛い思いをさせてしまったことは、指導者として本当に申し訳なく、思わず「みんな、私の指導力が足りなくてゴメンね」と言葉が出てしまいました。来年こそは、みんなが笑顔になれるコンクールにしたいと心の底から思います!

上には上がいる!

さて、中学生たちの“銅賞”という結果は、高校生たちにとっても相当ショックだったようです。「A組で出場させることを決めた私たちが悪かったのだろうか?」と悩んだ生徒もいました。けれど、私は決してそんなことはないと信じています。課題曲と自由曲の2曲を演奏するA組に出場することは決して簡単なことではありませんし、自分たちも経験してきたA組のステージを中学生に経験させたいという高校生たちの親心は、痛いほど理解できました。中学生全員で演奏した12分間は、きっと今後の成長の糧となったに違いありません!

数日後に迫った高校のコンクールに向けて、ここからの高校生たちの頑張りは目を見張るものがありました。「中学生の分も、私たちが頑張りますから!」と言った部長の言葉には、落ち込んでいた私も救われました。その言葉通り、高校生たちは頑張ってB組で“金賞&代表”を頂くことができました。しかしながら、ここまでの道のりは決して簡単ではありませんでした。

高校生は2学年あわせて27人と少なく、しかもクラリネットはたった3人という状況で、果たしてコンクールで演奏できる曲があるのだろうか?と悩みました。

曲選びで私が最も大切にしたことは、単純に点数狙いではなく音楽的に生徒たちが共感でき、自分たちのバンドの個性や個人のキャラクターが生きることです。何曲も候補を出しながら生徒たちと相談し、最終的に少人数で演奏するにはかなりハードルの高い曲を選びました。最初は譜読みが間に合わず、合奏をしても全く曲にならず「コンクールまでに間に合うだろうか?」、「自分は生徒たちの力を過大評価していたのだろうか?」と不安になることもありました。

この状況は、夏休みに入ってすぐの合宿で一変しました。5日間の合宿での生徒たちの上達は素晴らしく、合宿最終日の通し合奏では「もしかしたら、これはいいところまで行けるかも?」と思えるレベルまで達しました。ただ、この時点ではフルート2人を含む5人のメンバーが海外留学中で、まだ曲の全体像が見えていませんでした。

▲5日間練習した合宿場。この部屋で、朝から晩まで中学・高校それぞれの合奏を交互に行いました。この合宿で生徒たちは本当に成長しました!

コンクール4日前、ようやく高校生メンバー全員が揃いました。海外留学組はまる3週間楽器を吹いていないので、リハビリしながらの復帰です。中学生の悔しい結果を受けて、私の仲間のプレイヤーたちも忙しい中指導に駆けつけてくれました。実はこの学校の指導を引き受けるとき、私一人の力では限界があるので“最高のチーム”を組んで指導にあたりたいとお願いしました。生徒たちにも“本物のプロの音”に触れさせたいと考え、私が信頼するプレイヤーたちのレッスンを受ける中で、生徒たちの“音”に対する意識は確実に変わりつつあります。そんな素晴らしい仲間たちの協力も得て、何とか良い結果でコンクールを終えることができました。

コンクールでは生徒同士のチームワークも大切ですが、それをサポートする側の指導者、顧問の先生、保護者のみなさんのチームワークも欠かせません。そういった意味では、この吹奏楽部の生徒たちは恵まれた環境にあると思います。

後日行われた東日本大会への代表が決まるコンクールでは、残念ながら代表になることはできませんでした。ここまでくると“上には上”がいますし、私たちの演奏には克服しなければならない課題がまだまだあります。限られた練習時間の中で、生徒たちはここまで本当によく頑張りましたが、その何倍も頑張ってきた高校生たちがいっぱいいるということも、改めて知ることができたと思います。けれども「もっと努力すれば上を目指せたかも?」という手応えと悔しさは、それぞれの生徒が身をもって体験したようです。

みんなが笑顔になれる部活を!

このように“落ちこぼれ笛吹き”の吹奏楽の熱い夏は終わりました。私もここまで吹奏楽コンクールに専念したのは中学・高校の夏以来かもしれません。後日行われた部の反省会では、何人かの中学生はまだ立ち直れていない様子でした。高校生たちもやり切ったと感じる反面、悔しさも見え隠れしていましたが、しっかりと前向きなコメントを話していました。

この先、学園祭、アンサンブルコンテスト、そして定期演奏会と生徒たちが活躍できる機会は多数あります。気がつけば、以前はあんなに出席率が悪かったのに、最近では合奏となると大多数の部員が揃うようになってきました。少しずつ、生徒たちの意識も変わってきているのかもしれません。

部活動においては生徒同士の競争もあるので悔しい思いもするし、人間関係で悩むこともあるでしょう。けれど、それを自分たちで解決していくことも社会勉強です。その解決法のひとつは、とにかく楽器を一生懸命練習することです。何かに夢中になって打ち込めるものがあると、細かい小さな不満が気にならなくなります。全てにおいて中途半端な生活をしていると、余計なことばかり気になって人の悪口や不満を言ったりしがちです。ですので部活に来ている時間は、とことん音楽に没頭できるような環境作りを大切にしたい思います。もちろん、仲間同士遊んだりふざけたりして楽しむことも大事です。とにかく、ここに来れば“みんなが笑顔になれる”吹奏楽部を目指したいですね!

感謝のことば

これまで当セミナーにお付き合い下さいまして、誠にありがとうございます。ときには全く音楽と関係ない話題に脱線することもしばしばでしたが、読者のみなさまにとっても何か得るものがあれば嬉しく思います。特に最近よく話題になる“不登校問題”については、時代は違えど私の経験が何かしらの励みになればと思います。一度将来が真っ暗になった少年が、50歳になっても音楽と共に心豊かな生活をおくれているという現実が、ほんの僅かでも誰かの力になれば幸いです。

最後に、当セミナーの開講を勧めて下さったバンドパワーの鎌田小太郎氏には、心より感謝申し上げます。この機会に、当セミナー開講の経緯を少しお話しさせて頂きます。きっかけは私が所属するタッド・ウインドシンフォニーのニューイヤー・コンサート2016でした。この日のメインはスパークの交響曲第3番『カラー・シンフォニー』でしたが、この前座として演奏したのがナイジェル・ヘスの『ラヴェンダーの咲く庭で』でした。この曲のオリジナルはヴァイオリンがソロですが、ヘス自身による吹奏楽版ではフルートがソロを担当します。この日、私のフルートの音色が鎌田氏の心の琴線に触れたご様子で、終演後の打ち上げで話しが盛り上がりました。そこで、一緒に何か面白い企画ができないか?という話しになり、今回のセミナーの開催となりました。

とはいえ、最初から具体的なプランがあるわけではなく、一緒にお酒を飲みながらコンクールやシエナ発足時の思い出話しをしているうちに、「面白い、それやりましょう!」というふうに企画が先行してしまいました。ということで、吹奏楽好きの思い出話を発端とするセミナーに多くの方がお付き合い下さり、心より感謝いたします。約1年半の長きに渡り、本当にありがとうございました。

【おすすめCD】

タッド・ウィンド・コンサート(32)
フィリップ・スパーク/交響曲第3番『カラー・シンフォニー』
https://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-4230/

今回のセミナーでご紹介したタッド・ウインドシンフォニー ニューイヤー・コンサート2016のライブ演奏を収録したCD。スパークの「カラー・シンフォニー」(日本初演)も大注目ですが、フルートをフューチャーした『ラヴェンダーの咲く庭で』もお聴き頂ければ嬉しいです。また「ウチには上手なフルートがいるよ!」というバンドには、是非おすすめしたい1曲です!

タッド・ウィンド・コンサート(30)
フランコ・チェザリーニ/交響曲第1番『アークエンジェルズ』
https://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-4160/

フルート奏者でもある人気作曲家チェザリーニ氏の話題作『アークエンジェルズ』を世界初収録したCD。ちなみにこの演奏で私はピッコロを吹いています。今年(2017)は八王子学園八王子高等学校がこの曲で全国大会出場を決める等、益々人気が出そうな注目作です!

▲『アークエンジェルズ』日本初演のために来日したチェザリーニ氏と、タッド・ウインドシンフォニーのフルートメンバー。このCDではこちらのメンバーで演奏しています。

■落ちこぼれ笛吹きの“やればできる!”ON LINEセミナー 第9回

音楽に熱中するあまり受験勉強について行けず中学で不登校、何とか音楽科の高校に進学するも休学し小さな町工場で電気配線と格闘する1年を経験。「やっぱり音楽がやりたい!」と復学し音大を卒業後、プロオケを目指して20回以上オーディションを受けるも全て撃沈。そんな“落ちこぼれ笛吹き”が30年間のプロ経験で得たものとは? その中に“明日からもっと楽しくフルートが吹けるヒント”がみつかるかも!

◆岡本 謙(フルート奏者)プロフィール◆
10歳よりフルートを始める。香川県高松第一高等学校音楽科を経て、1990年に国立音楽大学を卒業。同年、シエナ・ウインドオーケストラ結成メンバーとして入団。6年間の在籍期間中、ピッコロ及びフルート奏者としてコンサート、CDレコーディングを多数行う。その後、東京吹奏楽団に移籍、ピッコロ奏者を務める。現在はフリーとしてオーケストラ、吹奏楽、室内楽等において演奏活動を行う。また、ミュージカルのオーケストラ・プレーヤーとしても、数多くの演目にて年間を通じて活躍している。フルートアンサンブル“ザ・ステップ”タッド・ウインドシンフォニーメンバー。

音大を目指すということ

今回のセミナーは、私が“心を打たれた”とある吹奏楽部での出来事からお話ししたいと思います。その日は、私が長年ご一緒に演奏しているプレーヤーの方にパートレッスンをお願いしていました。レッスンが終わって私たちが帰ろうとしていると、中学1年生の女の子が「先生、わたし音大に行きたいです!」と瞳をキラキラさせながら言ってきたのです。それはまるでドラマのワンシーンのような光景でした。大学受験を真剣に考える高校生ならときどきあることかもしれませんが、まだ楽器を吹き始めて年月の浅い中学1年生の口から飛び出した「音大に行きたい!」という純粋で熱意のある言葉に、正直圧倒されてしまいました。

みなさんは、身近な人が「音大に行きたい!」と言い出したら、どのように思われるでしょうか? 「それは素晴らしい、頑張って!」と思う反面、「音大を出ても仕事がないから、将来大変だよ」と心配される方もいらっしゃるでしょう。最近では時代の流れか現実的な考えの若者も多く、「音楽は好きだけれど、将来のことを考えると趣味の範囲にしておこう」という人が増えてきているように思います。私が長年指導している一般大学の管弦楽サークルにも、「一度は音大も考えたけれど…」という学生がときどき入団してきます。彼らの演奏は十分に音大受験でも通用するレベルですが、それでも“将来のことを考えて”音大という選択肢を諦めたようです。“音大を目指す”ということは本当に夢のあることの反面、“将来生活していく”という現実を考えたとき、“真っ暗な森の中を歩む”ような不安がつきまといます。それくらい未知数で何の保証もない道なのです。

それでは、私が音大生だった頃はどうだったのでしょうか。正直、将来の夢への目標と期待に胸を膨らませ、あまり不安は感じていなかったと思います。まずは受験をクリアするのに必死でしたし、音大には活躍している先輩方が毎日のように練習しに(遊びに?)いらしていたので、そういう先輩たちを間近で見ながら「自分もあの先輩のようになりたい!」と思ったものです。やがて卒業が迫るにつれて将来のことを真剣に考えるようにはなりますが、それでも“夢に向かって突き進む”学生生活を過ごせました。今から考えると、あまり深くも考えず無鉄砲なことでしたが、“夢を持ち続ける”ことができたのは幸せでした。

本音を言うと、音楽で生活していくだけの努力ができるのなら、それを勉強に向けたほうがよっぽど経済的余裕のある生活ができると思います。けれども、その“余裕のある生活”は本当に幸せなのでしょうか? その答えは私にはわかりません。少なくとも私は夢のある学生生活を過ごせたし、これまで好きな音楽を続けてこれました。正直、将来に不安を感じることは日常茶飯事ですし、生活が苦しいときだってあります。不安とイライラで眠れないことだってあります。しかしこれは普通に勉強して一般大学に進み、サラリーマンになっていたとしても同じことだったかもしれません。仕事のプレッシャー、上司や部下との人間関係、取引先との様々なトラブル等々。そう思うと、“一度しかない人生だから好きなことをとことんやる!”という自分自身の生き方は、間違っていなかったのかな?…多分…。

実は最近までの私は、余程才能がない限りは“音大に行く”ということに否定的な意見の持ち主でした。何故なら中途半端に音大に行っても将来苦労するだけだし、その努力と時間を他のことに向けて、音楽は趣味のほうが一生楽しめるという考えでした。実際に私の周りには音大を出たけれど結局音楽を諦めて別の道に進んだ人もいる一方、音楽を趣味として続けながら充実した人生を過ごされている方と接する機会も多いです。音楽を仕事にするといういうことは“自分のお店を持つ”ことと同じで、お客さんが来なければ閉店するしかありません。けれども趣味としてならば、好きな音楽を“一生続けることができる!”のです。

私は長年フリーランスのプレーヤーとして苦労を重ねるうちに、「こんな苦しくて不安だらけの生き方を、自分の子供にさせたくない」と思うようになりました。私のひとり娘は、幼い頃から自然と音楽に親しんできました。リトミック、ピアノ、そして小学3年からはフルートも始め、中学・高校と吹奏楽部に所属しました。しかしながら、ことあるごとに「音楽は大変だから…」と繰り返す私の言葉に、いつしか娘は「自分は音楽をやってはいけないんだ」と思い込むようになったようです。高校2年のとき、興味本位で私と家内の母校である国立音楽大学のオープンキャンパスに行ったときのことです。そこでは、東京フィルハーモニー交響楽団フルート奏者で国立音大でも後進の指導をされている名雪裕伸さんにレッスンを受けることができ、とても充実した時間を体験できたようです。私が大学1年のとき、先輩に「とっても上手な宮本クラス(※第3回セミナーを参照)の先輩が“牧神の午後への前奏曲”を吹くから聴きに行くぞ!」と誘われ、当時名雪さんが所属されていた神奈川フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会を聴きに行きました。初めて聴いた名雪さんの透明感のある美しい音色は、浪々かつ自然に会場の隅々にまで響いてきました。それ以来、私にとって名雪さんは尊敬すべき大好きなフルーティストのお一人です。その名雪さんのレッスンを受けた帰り道、娘が「もう、ここには来れないのかな…」と涙ぐみながら言っていたと家内から聞いたとき、私はとてもショックを受けました。自分のような苦労をさせたくないから…という自己中心的な思いから、私は娘に“好きな音楽”を我慢させていたことに気がつきました。本当に父親失格です。幸いなことに、娘は他に自分の“やりたりこと”を見つけ目標に向かって受験勉強真っ最中ですが、このことは一生悔やんでも悔やみきれません。

音楽家として若者へ伝えること

中学1年の女の子が「音大に行きたい!」と言ったとき、私の口から思わず出た言葉は、「素晴らしいね、できる限り応援するよ!」でした。以前の自分なら、絶対に出てこなかったフレーズです。彼女はまだまだ若いので、これからいろんな経験をしていくうちに将来の夢も変わってくるかもしれません。また周りから「音楽の道は大変だよ」と言われることもあるでしょう。それでも彼女の心の中に強く芽生えた夢を、ゆっくり大切に育ててあげることが、指導者である私たちの使命だと思います。確かに音楽の道は大変ですから、苦手なことも多いし余裕がなく追い詰められることもしばしばです。けれども、音楽をやっていなかったら絶対に経験できない幸せな瞬間は人生の宝物です。また、夢のある若者と一緒に音楽を勉強して作っていくことができる機会が多いもの、音楽家の特権かもしれませんね。そんなひとつひとつの幸せな時間を若者たちと一緒に楽しむことで、自分の生き方を正直に見せていければと思います。“現実に疲れた”音楽家ではなく、“いつまでも夢を追い続ける”音楽家の姿を若者たちに見せていくことが、私たちの責任かもしれません。

音楽は自分ひとりではできません。もちろん、ピアノのようにソロとして単体で成立する音楽もありますが、アンサンブルにはソロにはない魅力が沢山詰まっています。アンサンブルにおいては、「自分ひとりが上手ければいい」とか「自分が気持ちよく演奏できればいい」ということがありません。常に一緒に演奏する仲間たちとのコミュニケーションが大切になります。そしてお互いに影響を受け合いながら、音楽を高めていく喜びがあります。音楽の道を目指す方には、アンサンブルの機会をできるだけ多く持つことをお勧めします。ここでいうアンサンブルとは、二人のデュエットから吹奏楽やオーケストラまでの大編成までを意味します。きっと、そこで多くの素敵な仲間たちとの出会いがあるでしょう。私のような“落ちこぼれ笛吹き”が今まで音楽家としてやってこられたのは、“自分だけの力”ではなく“仲間に恵まれた”からだと思います。そういった意味で、吹奏楽部という環境はとても素晴らしい場所です。そこにはレベルの格差、様々な人間関係等、自分一人では解決できない問題がいろいろありますが、それらをクリアしてみんなで“ひとつの目標”に向かうことができたとき、かけがえのない素敵な経験ができることでしょう。

気持ちよく演奏すること

私が中高生の指導をするとき一番最初に教えてあげたいことで、その反面最も苦労することが“気持ちよく演奏させる”ということです。楽器の練習は、マラソンのような長距離走と似ているように思います。私のような運動音痴には、アスリートたちが何故あそこまで苦しい思いをしながら走るのか理解できませんが、きっとそれに代え難い気持ちよさや達成感があるのだと思います。そして、「また走ろう!」と思うように想像します。管楽器においては、“気持ちよく”音が出せるようになるまでに相当な練習が必要です。何度やってもスカスカの音しか出ないし、その一方で息はなくなり苦しいだけです。これでは、練習する意欲もなくなってしまいますね。フルートにおいては、音が気持ちよく当たるスイートスポットが非常に狭いので、ここに上手く息を命中させる必要があります。希に、最初から先天的な才能を持っていて良い音を出す子はいますが、多くは苦労します。しかし理想的な息がスイートスポットに命中したとき、楽器は非常に気持ちよく反応してくれます。一度これを経験すると、今までの苦労が嘘のように楽器を扱うことが楽になります。多分アスリートが苦しい練習を乗り越えたときも、私たちが知らない美しい風景が見えているのだと思います。

私たちは走り方のフォーム、呼吸法、練習法を教えることはできますが、走ることが気持ちいいと思えるまでトレーニングするのは、自分自身でやらなければなりません。ですので、最初に「この先には素晴らしい風景がある」ということを明確に伝えて、そこに向かって背中を押してあげます。時間はかかってもよいので、「あっ、楽器を吹くのって気持ちいい!」と思うことができれば、「また走ろう(練習しよう)!」という気持ちが芽生えるでしょう。これは教えるほうも根気と時間が必要な作業ですが、辛抱強く付き合っていかなければなりません。逆にいうと、短時間で成果が出ないからといって“自分には指導力がない”とは思わないで下さい。

管楽器を気持ちよく響かせるために必要なことは、安定した息の支えとスピードです。息のスピードは単純に“いっぱい吸って、いっぱい吐けばいい”というものではなく、口元で上手く空気を絞り込んで効果的にスピードを作り出すことが大切です。この口元でどのようにスピードを作り出すかは、楽器ごとに専門分野の勉強が必要です。また楽器によっては、気持ちよく吹くためのハードルが高いものもあります。例えば、同じ金管楽器でもホルンとユーフォニアムではマウスピースの大きさの影響で、一般的にホルンのほうがコントロールが難しいです。ユーフォニアムの子が音階を吹けるようになっても、同時にホルンを始めた子が苦労している場合もあります。もしかしたらホルンの子は、自分の努力が足りないのでは?と落ち込むかもしれません。最近、私が指導した学校のホルンの生徒に、「もしかしたら自分はこの楽器が向いていないのでは?」と思ったことがあるかと尋ねたら、大多数(上手な上級生も!)が手を上げました。私は、余程のことがなければ“その楽器に向いてない”なんてことはないよと教えました。確かにホルンは難しいし、他の楽器より苦労することは多いかもしません。けれどホルンの音色と響きは他にはない魅力があって、音階を吹くだけでも聴き手を感動させられる楽器だよと言いました。彼らが勇気と希望を持って“気持ちよく吹ける”ポイントまで、一日でも早く到達できることを見守りたいと思います。

感動したワンシーン

先日、昨年行われた第64回全日本吹奏楽コンクール全国大会での金賞団体の演奏を収録した『Japan’s Best for 2016』を購入しました。私が中高生の頃はLPレコードしか買えませんでしたが、今は映像で観られるのですから本当に嬉しい限りです。特に中学・高校の全国大会が名古屋に移ってからは、なかなか聴きに行くのが難しくなりましたし…。本当は私の母校(屋島中学校・高松第一高等学校)も含めて、全ての団体の演奏を聴いてみたいのは山々ですが、それらを全て入手するのは大変です。ということでこちらは折りをみてとして、まずは中学・高校の金賞団体の演奏から聴いてみました。

高等学校はとにかくハイレベルな上に、それぞれの学校の個性をアピールする熱演だらけでした。ここまでくると、金賞と銀賞の境界は、非常に微妙だったと想像します。緻密なアンサンブルと音楽性でアピールした団体、厚みのある重厚なサウンドでアピールした団体、個人技と色彩感のあるサウンドでアピールした団体と、単純に点数で評価できないというのが本音かもしれません。ここまでの演奏をするには、日頃から相当の練習を積み重ねてきたに違いありませんし、レギュラーメンバーになるために過酷な競争だってあったでしょう。こういう演奏を聴かされてしまうと、将来的に全国を目指してチャレンジしようという学校は気後れしてしまいそうですが、今や全国金が当たり前の学校でも昔は地区大会止まりからスタートしています。決してコンクールが全てではありませんが、全国レベルの演奏を聴いて、自分たちも頑張ってみよう!という気持ちが沸き上がれば素敵ですね。

中学校は、高校以上に各学校の個性が光っていたように思います。“どこかの演奏を真似した”のではなく、“自分たちの音楽”を作り上げてきた様子が伺え、会場で聴いていた人はとても楽しめたことでしょう。個人的に嬉しく思ったのは、単に技術的に高度な演奏をした学校だけが金賞だったのではく、多少中学生らしいアマチュアさがあっても音楽的に素晴らしい演奏した学校も金賞に選ばれたことです。それでも、とても中学生とは思えないくらい完璧で音楽的なソロの連続でしたし、プロでも大変な作品を見事に仕上げてきた演奏は圧巻でした。ある意味、高校の部以上に楽しめた演奏が多かったです。こうなりますと、特に中学については金賞以外の熱演も是非とも聴いてみたいという欲求が沸いてきますね。

最後に、映像ならではということで、私が感動したワンシーンをご紹介したいと思います。それは、長崎市立山里中学校の自由曲でした。曲は『イースト・コーストの風景』(ナイジェル・ヘス)で、タッド・ウインドシンフォニーで私も演奏したことがありますが、曲調の異なる3つの楽曲から成る色彩感豊かな素敵な作品です。山里中学校の演奏は、3曲のキャラクターを見事に表現していました。そして2楽章の“キャッツキルズ”では、浪々とした音色で素晴らしいコルネット・ソロを披露してくれました。このソロを吹くのにどれほど緊張感が必要かは、本番を経験した私もよくわかります。そのソロが終わったとき、コルネットを吹いていた女の子が満面の笑みを見せたのです! これを見た瞬間、私は思わず涙が出てしまいました。彼女が抱えていたプレッシャー、これまでの並々ならぬ努力、そしてそれを乗り越えた瞬間が、あの最高の笑顔だったのだと思います。「きっと相当練習したんだろうな」、「もの凄く緊張しただろうな」と、いろんな想いが私の頭の中を一瞬のうちに駆け巡り、不覚にも涙が出てしまったのでしょう。彼女にとって、指揮をされた先生や山里中学校吹奏楽部の全員にとって、そしてご父兄のみなさんにとって、この全国大会のステージは、かけがえのない宝物になったと思います。仮に、銀賞や銅賞であったとしても! 中学・高校を通して、12分の熱演が終わった瞬間の生徒たちの晴れやかな表情には、観ている私のほうが勇気をもらいました。きっと、日本各地で開催されたコンクール会場で、同じような素敵なシーンがあったと思います。そんな瞬間に出会えるチャンスを与えてくれるのが、コンクールの本当の素晴らしさかもしれません。

■落ちこぼれ笛吹きの“やればできる!”ON LINEセミナー 第8回

音楽に熱中するあまり受験勉強について行けず中学で不登校、何とか音楽科の高校に進学するも休学し小さな町工場で電気配線と格闘する1年を経験。「やっぱり音楽がやりたい!」と復学し音大を卒業後、プロオケを目指して20回以上オーディションを受けるも全て撃沈。そんな“落ちこぼれ笛吹き”が30年間のプロ経験で得たものとは? その中に“明日からもっと楽しくフルートが吹けるヒント”がみつかるかも!

◆岡本 謙(フルート奏者)プロフィール◆
10歳よりフルートを始める。香川県高松第一高等学校音楽科を経て、1990年に国立音楽大学を卒業。同年、シエナ・ウインドオーケストラ結成メンバーとして入団。6年間の在籍期間中、ピッコロ及びフルート奏者としてコンサート、CDレコーディングを多数行う。その後、東京吹奏楽団に移籍、ピッコロ奏者を務める。現在はフリーとしてオーケストラ、吹奏楽、室内楽等において演奏活動を行う。また、ミュージカルのオーケストラ・プレーヤーとしても、数多くの演目にて年間を通じて活躍している。フルートアンサンブル“ザ・ステップ”タッド・ウインドシンフォニーメンバー。

フルートを吹かなかった1年!

みなさま、明けましておめでとうございます。当セミナーを毎回楽しみにして頂いている方には、大変お待たせして申し訳ありませんでした。今回は実践的な内容に触れる前に、私が全くフルートを吹かなかった1年間についてお話ししたいと思います。

当セミナーの冒頭でも少し触れている通り、私は中学3年から高校1年にかけて“不登校”を経験しました。今でこそ“不登校”という言葉が使われますが、当時は“登校拒否”という表現をされていました。

不登校になった原因は幾つかあります。第1回セミナーでご紹介した通り、中学生だった私は徐々に音楽の魅力に取り憑かれ、毎日の部活(吹奏楽)を楽しみに登校していました。しかしながら、私のいた香川県は非常に教育熱心な土地柄でしたので、中学3年になると朝夕に補習授業が入り部活に行ける時間は大幅に少なくなり、学校に行く楽しみが半減しました。

さらに当時は校内暴力が激しくなったピークの時期でしたので、授業中に廊下を自転車で走る人がいたり、消火器をまき散らしたり爆竹を鳴らしたり、さらにはある日学校に行くと多くの窓ガラスが割られているという酷い状況でした。

そんな荒れた状況の中、自分の好きな音楽をできる時間が制限され、次第に勉強に身が入らなくなり成績も下がるにつれて、私の心のバランスが崩れていきました。朝起きても身体が怠い、学校に行こうとするとお腹が痛くなってくるという症状が続き、やがて学校に行けない日が増えてきました。いわゆる“うつ”という症状です。

ともすると“不登校”は「さぼっているだけ」とか「現実から逃げている」とか思われがちですが、当の本人は周りの友だちと同じよう普通に登校したいと、心の底から思っているのです。しかしながら、いざ学校に行こうとすると自律神経のバランスが崩れ、お腹が痛い等という症状となって表れます。こうなってしまうと、学校に行くということが“恐怖”以外の何ものでもありません。そして“朝起きられない→夜寝られない→食生活と生活リズムの乱れ”という負の連鎖が日常化してしまいます。当時は深夜に起きていても、テレビを観るとかラジオを聴くといった程度の娯楽しかありませんでしたが、今ではゲームやインターネットという存在が、生活リズムの乱れや引きこもりに輪をかけてしまうことも多いかもしれません。たった一人で家にいてもそこそこ楽しめますし、逆に煩わしい人間関係を気にする必要もないので、それはそれで楽な場合もあるでしょう。昔と違ってゲームやインターネットの普及は、“不登校”の長期化に影響を与えているのかもしれません。

このような状況でしたので、正直なところ私の中学3年次の出席日数は全体の半分にも満たなかったと思います。当然ながら、卒業式にも出席しませんでした。

そんな燦々たる中学3年でしたが、何とかフルートだけは続けていました。小学4年からお世話になっていた師匠の佐柄晴代先生は、お忙しい中しばしば自宅まで来てレッスンして下さいました。そのおかげで、学力だけでは絶対入学が無理だった高松第一高等学校の音楽科に、無事入学することができました。

とはいえ受験当日はかなり大変でした。何しろずっと家に引きこもっていた人間が、まるまる2日間も初めての場所に行って入試を受けるのです。試験1日目は学科5教科のテスト。母が作ってくれたお弁当はほとんど食べることはできませんでしたが、何とか無事に全科目受験することができました。2日目は実技(フルート)のテスト。控え室で待っているとき、案の定お腹が痛くなってきて、誘導係の方に無理を言ってお手洗いに行かせてもらった記憶があります。こうしてようやく始まった新たな高校生活ですが、1年目に登校できたのはたった2日だけでした。環境が変わったからといって、急に“不登校”が治るわけではないのです。

高校になっても学校に行けない日々が1箇月続いた頃、私の家庭に変化が訪れます。ある事情で、父の仕事が大阪になることが決まりました。家族会議の結果、このままずるずると引きこもっていてもらちがあかないので、家族全員で大阪に行くことになりした。中学生の妹は普通に転校できましたが、高校生の私は簡単ではありません。しかも不登校とあっては、例え行ける高校があっても難しい状況です。そこで高校は一旦休学し、淀川沿いの十三(じゅうそう)という町にある小さな電機工場で働くことになりました。

この工場は父の親友が専務を務めていて、私の事情を知った上で受け入れてくれることになりました。ここでは主に、生コンクリートのプラントの制御盤を製作していました。仕事内容は回路図に従ってリレーやタイマー等の部品を組み付け、何十本何百本という配線を繋いでいくというものでした。元々電気好きだった私は、先輩方に教えて頂きながら仕事を覚えていきました。毎日が圧着ペンチ、ニッパ、ドライバーを握りしめる日々でした。学校には行けなかった私ですが、朝夕の満員電車に乗って通勤することは、そこまで苦にはなりませんでした。時給は100円でしたが、何かをして毎月お給料を頂けることは楽しかったです(このとき貯めたお給料は、大学に入ってからバイクを買う資金になりました)。

大阪に行ってしばらくは、フルートのレッスンに通っていました。しかし一日中働いて帰ってくると疲れてしまって、練習する気力がわかない日々が続き、しばらくすると全く吹かなくなってしまいました。今から思うと、仲間たちと一緒に音楽をすることが楽しかっただけに、いざ一人で目的もなく練習することに退屈さを覚えていたのかもしれません。ただ、音楽を聴くことは好きで続けていました。

若さは無限の可能性!

毎日阪急電車に乗って工場へ通うとき一番辛かったのが、同年代の高校生たちの姿を目にするときでした。彼らがお揃いの制服を着て仲間たちと楽しそうにしている様子を見る度、本当に羨ましく思ったものです。高校生という存在がとてつもなく華やかで輝いて見えた反面、自分とは縁のない遠い世界のものに思えました。「いったい自分はここで何をしているのだろう?」、「このまま一生終わるのかな?」と寂しい気持ちになりました。

工場の先輩たちはとても親切にして下さいましたが、彼らの生き方からもいろいろと感じることがありました。もちろんプライドと信念を持って働いている方たちでしたが、楽しみといえばプロ野球と子供の成長のことだけ。正直、私は「このままで一生を終わりたくない!」と痛烈に感じました。そして「高校に戻れば、いろんな可能性が開けるのではないだろうか?」と考えるようになります。大好きな音楽だってできるし、必死で勉強すれば全く別の道だって開けるかもしれないと心底思いました。やがて、真剣に高校への復学を考えるようになっていきます。まさに、若ければ何だってできるという“無限の可能性”を肌身で感じたときでした。


▲工場での最後の仕事(生コン制御盤)、一人で全て組み上げました。

さて、高校に復学するためには幾つかのハードルがありました。まず高校のある香川にはもう家がないので、下宿先を探さなければなりません。幸い島が多い地方でしたので、そうした離島から通う高校生のための寮があり、私もそこに入ることになりました。“松平寮”という由緒ある名前の寮でしたが、決して環境のよいところではありませんでした。風呂は週に3日だけ、冷暖房もなく停電や断水も当たり前、悲惨で笑えるエピソードは山ほどあります(ここではご紹介しきれません!)。ただ、そこで苦楽を共にした友人たちは東大や早稲田に進学したりと頑張っていたので、友だちには恵まれました。

1年ぶりにフルートを吹いてみると…

復学すると決心した私ですが、相変わらずフルートをケースから出すことはありませんでした。実際にフルートを吹いてみたのは、高校に戻る数日前でした。寮では音出しができないので、誰もいない公園に行って恐る恐る吹いてみます。よかった、とりあえず音は鳴った! けれど唇が他人のようで、以前のように締まった音色にはほど遠いです。しかも唇の周りの筋肉がすぐにバテてしまいます。

私がいた高松第一高等学校の音楽科では、新1年生は最初の音楽の授業で一人ずつ演奏する慣習がありました。何でもいいから人前で吹かなければならないのですが、1年前の高校入試で演奏した『ヴェニスの謝肉祭』(ジュナン)はとても吹けません。その場で2時間くらいは練習したでしょうか。ようやく続けて吹けるくらいにコンディションが戻ってきました。とはいえ大した曲は吹けないので、何か簡単な小品を選んだように記憶しています。

私にとって最大の心配事は、本当に毎日学校に通うことができるのか?ということでした。またお腹が痛くなったりしないのか…等、不安が次々と頭をよぎります。フルートが吹けるかどうかは、とるに足らないことでした。始業日の前日は、ものすごく緊張していたと思います。しかも学校では1年年下と同級生になり、かつての同学年は先輩になります。大学まで行ってしまえば当たり前の話しですが、高校生の私にとっては複雑な思いでした。しかしながら、今から十三の町工場に戻って一生を終わるなんてことは、考えたくもありません。それを思うと、目の前の壁(ただ学校に行くだけ)をクリアする勇気が沸いてきました。1日目、行けた。2日目、また行けた。3日目…と学校に行って帰るだけの“あたり前”の日常が、緊張感はありつつもとっても嬉しい毎日でした。

再び学校に通い始めた最初の週末だったかと思いますが、1年ぶりにお会いした佐柄先生がホテルのレストランでステーキをご馳走して下さいました。あの時の美味しさは、今まで食べたステーキの中で一番だったかもしれません。こうして私は、再び音楽の道を志す高校生に戻ることができたのでした。

苦手なスケール(音階)を克服せよ!

音楽科の高校に戻った私は、まず音色についての猛特訓を野口博司先生から受けることになります(第1回セミナーを参照)。しかし音色については比較的スムーズに価値観を変えることができたので、そこまで苦労はありませんでした。私が最も苦労したのはテクニックです。元々そこまで指が速く動くほうではなかった上に、1年間基礎的なトレーニングを怠っていたので、細かい音符でとにかく指がすべり(転び)まくりました。楽器を演奏する上で、ロングトーンとスケール(音階)は最も大切です。その肝心のスケールで一音一音が均一に並ばず、それはそれは残念な状態でした。

いくら音色がよくてもスケールひとつまともに吹けないのでは、とても音楽になりません。この惨状を見かねた野口先生が課題として与えて下さったエチュード(練習曲)が、ドゥルーエの『フルートのための25の練習曲』でした。このエチュードは曲の大部分がスケールとアルペジオ(分散和音)から構成されていて、当時(今でも?)の私には、苦手中の苦手分野でした。レッスンで面白いくらい指がすべりまくった様子は野口先生の記憶にも強く焼き付いたようで、あれから30年以上経った今でも「あのときはホント酷かったね!」と、お酒を飲みながらよくおっしゃいます。

それでは、この悲惨な“指のすべり”をどのようにして克服していったのかをご紹介しましょう。

上記の譜例はヘ長調(F-Dur)ですので、フルートにとってはそこまで運指は難しくありません。しかしながらシンプルな故に指が“すべり”やすいです。このように16分音符が4つ並んだ場合、何故か2つずつの音符がくっつきがちです。


この場合、下記のようにリズムのパターンを変えて練習するのが効果的です。

これらのリズム練習は、1拍の中に16分音符を均等に整列させる効果があります。また、多くの場合裏拍が転びやすいので、裏拍にアクセントをつけてアフタービートを感じながらの練習も非常に有効です。

格好つけて速いパッセージを勢いよくパラパラ吹くより、これらの練習を根気強く続けることで、確実で正確なテクニックが身につきますよ。

『ドゥルーエのフルートのための25の練習曲』には3連符のエチュードも多数入っています。

この場合、3つの音符が団子になってくっつき気味になります。ですので同様にリズムを変えたり、拍子を変えた練習が効果的です。

このようにひとつひとつリズムに変化をつけながら繰り返し練習することは、とても根気が必要な作業です。ですので最初は上手くいかなくても、焦らずにゆっくりと楽しみながらやって下さい。今まで「このフレーズ、絶対に無理!」と思っていた部分が、きっと吹けるようになるはずです。そして「次はここをやってみよう!」とチャレンジする勇気が沸いてくることでしょう!

最後に、正確なテクニックを身につけるには正しい姿勢と持ち方が重要です。特に持ち方については、中高生に変な癖が多く見受けられます。主に右手のポジションに無理があるため、速いパッセージで楽器が不安定になります。そんな生徒には、ソレクサというメーカーの“サムポート”を私は薦めています。


▲サムポート(ソレクサ)

これは元々初心者用の補助器具ですが、使うことで楽器の安定感が増します。以前にタッド・ウインドシンフォニーで共演したクリスティーナ・ハッドリーさんが使われていて、「それ何ですか?」とお尋ねしたところ、「娘のために買ったのだけど、とっても良かったから私も使っているの!」と教えて下さいました。


▲クリスティーナさんとタッド・ウインドシンフォニーのフルートメンバー

クリスティーナさんはアメリカのオーケストラで活躍されている素晴らしいフルーティストですが、そんな高いテクニックを持つ方でも効果があるとのことで、私も早速使ってみました。実際に使ってみると最初は少し違和感があるもの、特に高音域での速いパッセージで楽器がブレにくく息の流れも安定するので、今まで音が潰れてしまいがちだった音符にもスムーズに息が入っていきます。高音域の速いパッセージで上手く音符が並ばない場合、指の動きに連動して微妙に楽器が内側(手前)に回り込むために、頭部管が塞がって音が鳴らないケースがよくあります。この“サムポート”はそれを補正してくれる役割があるので、初心者のみならずプロのフルーティストにもお奨めできると思います。高価なものではないので、興味のある方は是非試してみて下さい。

以上、最初は脱線気味で始まった今回のセミナーですが、いかがでしたでしょうか? “落ちこぼれ笛吹き”がお届けするこのON LINEセミナーも、残すところあと2回となりました。もし「こんなこと、きいてみたい」等というリクエストがございましたが、是非Band Powerさんまでご意見をお寄せ下さい。それでは、みなさまにとって新年も良い年になりますように!

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■落ちこぼれ笛吹きの“やればできる!”ON LINEセミナー 第7回

音楽に熱中するあまり受験勉強について行けず中学で不登校、何とか音楽科の高校に進学するも休学し小さな町工場で電気配線と格闘する1年を経験。「やっぱり音楽がやりたい!」と復学し音大を卒業後、プロオケを目指して20回以上オーディションを受けるも全て撃沈。そんな“落ちこぼれ笛吹き”が30年間のプロ経験で得たものとは? その中に“明日からもっと楽しくフルートが吹けるヒント”がみつかるかも!

◆岡本 謙(フルート奏者)プロフィール◆
10歳よりフルートを始める。香川県高松第一高等学校音楽科を経て、1990年に国立音楽大学を卒業。同年、シエナ・ウインドオーケストラ結成メンバーとして入団。6年間の在籍期間中、ピッコロ及びフルート奏者としてコンサート、CDレコーディングを多数行う。その後、東京吹奏楽団に移籍、ピッコロ奏者を務める。現在はフリーとしてオーケストラ、吹奏楽、室内楽等において演奏活動を行う。また、ミュージカルのオーケストラ・プレーヤーとしても、数多くの演目にて年間を通じて活躍している。フルートアンサンブル“ザ・ステップ”タッド・ウインドシンフォニーメンバー。

オケピから見たミュージカルの世界

最近では吹奏楽でも演奏される機会が多い“ミュージカル”。みなさんはミュージカルについて、どのようなイメージをお持ちでしょうか? エンターテイメント、ダンス、華やか、豪華な舞台装置…。そもそもミュージカルは音楽・芝居・ダンスが融合された総合芸術で、その歴史はオペラ(歌劇)→オペレッタ(喜歌劇)→ミュージカルと受け継がれており、当然ながら音楽はその中心的な役割を果たす大切な要素となっています。

吹奏楽の世界では、昔からオペラやオペレッタの作品は多数レパートリーとして演奏されていますし、その流れから『サウンド・オブ・ミュージック』や『ウエスト・サイド・ストーリー』というミュージカル作品が吹奏楽でも演奏されるのは自然なことだと思います。そして最近では『ミス・サイゴン』等の比較的新しい作品も吹奏楽編曲版として演奏されています。

ミュージカルの音楽は登場人物の心情や舞台上の情景と綿密に関わり合っているので、吹奏楽で演奏する際でもそのストーリーを理解して演奏することが大切ですね。きっとみなさんもDVDで視聴したり、本物の舞台を観に行く方もいらっしゃるかもしれません。そうしているうちにミュージカルそのものに興味を持たれる方も多いと思います。中には観ているだけでは気がすまず「私もオケピットで演奏してみたい!」という人もいらっしゃるでしょう。

実際にミュージカルを観劇に来られた中高生や音大生の方から、「私もフルートを吹いていますが、どうしたらミュージカルのオーケストラに入れるのですか?」と質問されることもあります。今回のセミナーではそんなみなさまのために、オーケストラピットから見たミュージカルの世界を、ちょっとだけ詳しくご紹介いたしましょう。

ミュージカルとの出会い

私とミュージカルとの出会いは大学3年の夏に訪れました。国立音楽大学で2年先輩のフルーティストの広川伸さんから、「岡本、ちょっと仕事を手伝ってほしいのだけど…」と頼まれたのです。それがミュージカル『ピーターパン』のお仕事でした。

当時、毎年夏にファミリー向けミュージカルとして上演されていた『ピーターパン』の木管セクションのリーダーは、国立音大の先輩フルーティストの中谷望さんでした。中谷さんは私と同じ宮本明恭クラスの卒業生で、スタジオプレーヤーとして活躍されていました。『ピーターパン』はフルートが2管編成で書かれていたので、中谷さんは国立音大出身で活躍している笛吹きを2nd奏者として呼んで下さっていました。その年は、今まで2ndを吹かれていた先輩のお一人が諸事情でフルートを辞めることになり、急に人が足りなくなったとのことです。

通常、学生にこのような仕事がまわってくることはめったにありませんが、中谷さんから「誰かピッコロを吹ける人を呼んできて!」と頼まれた広川さんが、幸運にも私に声をかけて下さいました。ここでも、ピッコロが私の将来の可能性を開いてくれたのですね(第5回セミナーを参照)。

時期は7月後半。ちょうど前期の授業も終わり、仕事といってもたまにある中高の吹奏楽の指導くらいでしたので、スケジュール的には暇にしていたときでした。既にリハーサルが始まっているとのことで、広川さんに連れられて早速稽古場へと向かいました。ミュージカルという未知の世界にワクワクすると同時に緊張しながら稽古場へ入ると、そこにはいかにも業界というオーラを醸し出す金管セクションのお兄様方、そして弦楽器のお姉様方の独特な雰囲気に、まだ学生だった私は「これがミュージカルオケの世界か!」と圧倒されました。木管セクションはプロオケの方も多く、とてもフレンドリーに接して下さり、少しずつその場の雰囲気に馴染んでいくことができました。

いよいよリハーサルが始まり、何よりも衝撃的だったのは中谷さんの圧倒的な響きの音色でした。スタジオプレーヤーということで、きっとマイク乗りのよい繊細で綺麗な音を出すのかな?と想像していましたが、中谷さんの音色は全く予想外でした。ドイツの名器ヘルムート・ハンミッヒに息を吹き入れた瞬間、倍音豊かな響きが天から降ってきて包み込まれるような錯覚を覚えたほどです。まさに、「こんなフルート、聴いたことがない!」と思いました。

中谷さんの音がどれほど凄かったか、ひとつエピソードをご紹介しましょう。それは私が大学を卒業しシエナ・ウインドオーケストラへの入団が決まったときのことです。

ある日、事前に選定したヤマハのフルートを受け取りにヤマハ銀座店へと向かいました。そこで担当の方から、「ジュリアス・ベーカーさんがいらしているので、会っていかれませんか?」と言われました。私が選んだフルートがまさにジュリアス・ベーカーモデルでしたので、是非にとお願いしました。ベーカーさんは、私の楽器をパラパラっと吹き、「うん、良い楽器だ!」とおっしゃって下さいました。それから一緒にランチに出かけようと店内を移動中、試奏室の前で突然ベーカーさんが「んんっ?、凄い笛吹きがいる!」と立ち止まりました。試奏室で吹いていたのは、何と中谷さんだったのです。しかもベーカーさんが「君はどのモデルを吹いているのか?」と興味津々尋ねると、それは中谷さんが知人から選定をお願いされた一番安いエントリーモデルだったのです! これにはベーカーさんもあっけにとられていました。それくらい、ベーカーさんにとっても中谷さんは印象的な笛吹きだったようです。

ミュージカルのリハーサルは、オーケストラだけの“オケ練習”、キャストと一緒の“歌合わせ”、本番通りの内容を稽古場で通す“通し稽古”を1週間以上かけて行います(キャストは、この1ヶ月位前から稽古を行っています)。そうしてようやく劇場に入ります。ここでは本番の衣装、照明、舞台装置、音響設備を使って“舞台稽古”を行います。

『ピーターパン』が上演された新宿コマ劇場のオーケストラピットは比較的浅い構造でしたので、舞台上の様子がよくわかりました。ですので、稽古が進むにつれてストーリーへの理解を深めることができました。ここでも中谷さんの音色と表現力の幅広さは圧巻で、隣で吹いていても客席で聴いていても学べることが山ほどありました。

『ピーターパン』はクラシカルな作品ですので、そのフレーズは美しくもシンプルなものも多くあります。中谷さんはクラシックだけでなくジャズ、ポピュラー、さらにはハワイアンや演歌等幅広い引き出しを持つ笛吹きでしたので、「たったこれだけのフレーズで、こんな表現ができるんだ!」、「中谷さんのように吹けるようになりたい!」と思ったものです。

本番が始まってから自分の乗り番でないときも、劇場に出かけて客席の通路脇で何度も何度も中谷さんの笛を聴いていました。そしてそれと同時に、いつしかミュージカルの魅力に引き込まれていったような気がします。

ミュージカルデビューはエキストラから

私が初めて『ピーターパン』で仕事をさせて頂いたのが1988年の夏でした。このときのフルートパートは中谷望さん、菅原潤さん、広川伸さん、そして私の4人でローテーションを組んでいました。まだ学生の私にとっては右も左もわかならい状況でしたが、必死に先輩方について行った記憶があります。とはいえ、今から思えばまだまだ“使えないやつ”だったと思います。けれども、周りの木管セクションの方々の温かな目があったからこそ、何とか仕事をさせて頂いたのでしょう。この時から、毎年夏のミュージカルは本当に楽しみな時間となりました。

次の年には私の1年後輩の中村めぐみさん(現在広島交響楽団フルート奏者)も仲間に加わり、共に仕事をしながら中谷さんから学べる“中谷塾”といった感じでした。残念ながら中谷さんはご病気で他界されたので、今あの音色を生で聴くことはできませんが、映画のサントラやCM、様々なアルバムを通して、知らず知らずのうちに中谷さんのフルートを耳にした方は多いかもしれません。

▲左から筆者、中谷さん、広川さん(新宿コマ劇場にて)

大学を卒業した後、中谷さんは『ピーターパン』以外の演目でもエキストラとして私を呼んで下さいました。『ピーターパン』では2ndフルートとしてでしたが、その他の演目ではフルートは1本ですので、中谷さんの代役を務めなければなりません。これは非常なプレッシャーでしたが、この経験がとても勉強になりました。

通常ミュージカルの現場では、最初からレギュラーとして頼まれることは少ないです。まずはエキストラとして、レギュラーの代役からスタートします。エキストラはオケ練からずっとレギュラーの隣に貼り付いて勉強し、時々はリハーサルで交代させてもらえるもの、ほぼいきなり本番で吹かなければなりません。これは大変な緊張感を要しますが、その反面予習をする時間はたっぷりあります。

まずはリハーサルでしっかり勉強し、初日が開けるとピット内で見学しながらその場の雰囲気を感じ、自分が本番で吹くイメージを固めていきます。もちろん最初から全てが上手くいくはずはありませんが、公演全体に支障がない範囲で演奏できれば及第点です。そこを出発点に、回を重ねる毎にクオリティを上げていけばよいのです。このルーティーンは、今でもエキストラとして仕事をするときは変わりません。例え何十回・何百回吹いたことがある演目でも、最終的にピットで見学して演奏者と同じ空気を感じることは大切にしています。

ミュージカルの公演は少なくとも1ヶ月、演目によっては何ヶ月も続きます。ですので、その時間の中で学べることが多くあります。私が大学を卒業して2年目のことだと思います。中谷さんから『赤毛のアン』というカナダから来日したミュージカルのエキストラを頼まれました。この時の周りのプレーヤーの方は一流の方ばかりでした。正直なところ、私はかなり周りに迷惑をかけていたようで、実際木管セクションでは少し問題になり、『ピーターパン』で一緒だった方が「まあ彼もまだ若いから、もう少し見守ってやってくれないか…」とフォローしてくれたこともありました。おかげで周りの方も少しずつアドバイスを下さったり、飲み会に誘って下さるようになり、私の中でも何かが変わったようでした。

実はこの仕事が始まる数ヶ月前、九州交響楽団のオーディションを受けました。伴奏者を伴って福岡まで行かなければならないので、相当な出費が必要になります。試験会場に行ってみるとフルートでの受験者はたった4人! 今では考えられないですね。一次審査ではまずまず上手く吹けたと思いましたが、たった4人の中でも二次審査に進むことはできませんでした。「何がいけなかったのだろう?」と自問自答するも、答えは見つかりませんでした。落ち込んでいたときに、中谷さんから『赤毛のアン』の仕事を頂きました。そしてこの仕事のすぐ後、再び九州交響楽団のオーディションが東京で行われました。今度は60名を超える応募があったと記憶しております。一次試験の結果、何と私ともう一人の二人が二次審査に残りました。前回のオーディションから3ヶ月しか経っていないのに、この違いは何なのでしょう。明確な答えはみつかりませんが、『赤毛のアン』の現場で経験したことが、私の笛の何かを変えたことは間違いないようです。残念ながら最終的に私は不採用となりましたが、“仕事をしながら学べることの大きさ”を実感した経験でした。

▲ミュージカル『赤毛のアン』の木管セクション

初めてのレギュラー

私が大学を卒業した頃は、まだ今のようにミュージカルの上演数は多くありませんでした。東京で年間を通じて公演を行っているのは劇団四季と東京宝塚劇場、そして1992年からロングランが始まった『ミス・サイゴン』くらいでした。私は中谷さんのエキストラとして年に2~3ヶ月の公演を手伝わせて頂く程度でしたが、それでもミュージカルの仕事に関われたことは幸運でした。

そんなある日、1本の電話がかかってきました。それは劇団四季からでした。内容は「今年の11月からのミュージカルをお願いしたいのですが…」とのこと。劇団四季で長年に渡って指揮をされている上垣聡さんが私を紹介して下さったそうです。上垣さんとは、それまでオーケストラや吹奏楽でご一緒する機会があり、私が時々ミュージカルの仕事をしていることもお話ししたことがありました。そんなご縁もあり、声をかけて下さったようです。

さて、こんな素敵な話しを断る訳がありません。「もちろん引き受けさせて頂きます!」と快諾し、電話の切り際に「あのう、一応1年はやると思いますので…」と言われ、さらにビックリ! この時引き受けた『美女と野獣』は、結局2年4ヶ月のロングランとなるのです。私にとっては初めてとなるレギュラーの仕事。公演パンフレットのオケメンバーの欄に自分の名前が載ったときは嬉しかったですね。しかも作曲のメンケンさんの音楽は素晴らしく、フルートもピッコロも本当に魅力的なフレーズが満載でした。演奏していて幸せになれる演目でしたよ。

ミュージカルをやると下手になる?

「ミュージカルって、毎日同じことをやるのでしょう。」とか「マンネリにならないの?」とか思われる方も少なくないでしょう。私にとって『美女と野獣』の2年4ヶ月というロングランは仕事という点では大成功でしたが、反省も大きい年月となりました。

この期間、ミュージカル以外の仕事も増え、午前中に音楽鑑賞教室で吹いてからミュージカルの2ステージをこなす等、気がつけば1ヶ月休みがないことも当たり前のように、仕事という点では充実していました。しかしながら肝心のミュージカルの本番では、神経を使い耳を使っての演奏が段々とおろそかになっていました。その結果、私のフルートのクオリティは下がっていったと思います。それにつれて周りのプレーヤーからの信頼も徐々に失われていくことになり、ピット内の人間関係も何となくギクシャクとしてきました。

もちろん、実際にイジメやケンカがあるわけではないのですが、「この人には信頼されてないな~ぁ」とわかる瞬間はありました。けれどもその原因は私自身にあったのだと、今ではよく理解できます。自分の音楽的なアピールばかりを意識して、もっと耳を使って周りの音を聴くというアンサンブルの基本姿勢が私には欠落していました。これに気づき、自分なりに勉強して修正するのには、その後かなりの年月を必要としました。

『美女と野獣』の公演が終わった数年後、久しぶりに一緒に仕事をしたプレーヤーの方に、「岡本の笛、良くなったね。一緒にアンサンブルしやすくなった!」と声をかけられたときは嬉しいやら恥ずかしいやら…。「あの頃はいっぱいご迷惑をおかけし、本当に申し訳ありません」と赤面するしかありませんでした。

この『美女と野獣』での苦い経験は、私を成長させてくれました。毎日同じことをやるからこそクオリティを維持することの難しさ、自分勝手な演奏がいかに周りに迷惑をかけるか、そして常に仲間とのアンサンブルを大切にすることを学ぶことができました。

その後、さすがに1年を超えるようなロングランは経験がありませんが、数ヶ月に渡るような長期公演は時々あります。もう二度と『美女と野獣』のときのような失敗は繰り返さないと、毎回気持ちを引き締めて公演に臨んでいます。

毎日当たり前のように本番を重ねていると、何となく楽器を吹いている気になってしまいます。しかしながら、本番は練習時間と別物だと私は思います。自分だけの“自分と向き合う”練習時間を毎日継続的に維持することはとても大切です。もしかしたら、吹奏楽コンクールに向けて何ヶ月も同じ曲を練習していると、これと同じようなことがあるかもしれませんね。毎日100%完璧な人間はいないので、小さなことからでも日々クオリティを上げていく姿勢は大切だと思います。

ミュージカルは音楽の多国籍軍

クラシック音楽とミュージカル音楽の違いは、幾つかあります。オーケストラ編成では作品にもよりますが、ほとんどのミュージカルはドラムとベースが入ります。ベースは古い作品ではウッドベース(コントラバス)が用いられ、新しい作品ですとエレキベース(ウッドベースへの持ち替えもあり)が多く使われます。最近の作品ではギター(アコースティック&エレキ)やシンセサイザーが使われることがほとんどです。ですのでアンサンブルにおいてはドラムとシンクロしたリズム(ビート)&テンポ感、そしてベースから積み上げていく和声感がとても重要になってきます。

そこで大切なことは“反応のよいクリアな発音”と“周りを聴く耳”です。これはクラシックでも同じことですが、残響の少ないオーケストラピットで、しかもマイクを使う現場ではこれらがとてもシビアになります。また取り入れられる音楽のジャンルが幅広いのもミュージカルの特徴です。特にジャズの要素は頻繁に登場し、クラシック畑の私たちには戸惑うことも多いです。スウィング一つとってもダサい跳ね方になり、「岡本のはチンドン屋のチャンチキだよ。」とよく言われます。これを克服するにはいろんなジャンルの音楽をいっぱい聴いて勉強するしかありません。ミュージカルの現場では、本物のジャズを専門とするプレーヤーもいっぱいいらっしゃいます。彼らのプレイに耳を傾け、ときには直接アドバイスを請うことが上達への近道です。実はそういう彼らも、私たちクラシックのプレーヤーの音色や奏法を少しでも盗もうと必死で勉強しているのです。

ミュージカルは音楽の多国籍軍です。クラシック、ジャズ等の様々な国籍を持つプレーヤーが一緒になって演奏します。専門外のジャンルに戸惑うこともありますが、こんなに刺激的で楽しく勉強になる現場はありません。

そういった意味では、吹奏楽でも同じことがいえるかもしれません。吹奏楽で演奏されるジャンルは幅広く無限大で、最近はプロ楽団でも様々なジャンルを超えたコラボにも意欲的です。みなさんが関わっている吹奏楽団で、もしクラシック以外のジャンルが登場したら、それは勉強のチャンスです。是非少しでも深く掘り下げてみて下さい。そうすることが、もしかしたら将来訪れるかもしれないミュージカルでの演奏の糧となるかもしれません。

 

■落ちこぼれ笛吹きの“やればできる!”ON LINEセミナー 第6回

音楽に熱中するあまり受験勉強について行けず中学で不登校、何とか音楽科の高校に進学するも休学し小さな町工場で電気配線と格闘する1年を経験。「やっぱり音楽がやりたい!」と復学し音大を卒業後、プロオケを目指して20回以上オーディションを受けるも全て撃沈。そんな“落ちこぼれ笛吹き”が30年間のプロ経験で得たものとは? その中に“明日からもっと楽しくフルートが吹けるヒント”がみつかるかも!

◆岡本 謙(フルート奏者)プロフィール◆
10歳よりフルートを始める。香川県高松第一高等学校音楽科を経て、1990年に国立音楽大学を卒業。同年、シエナ・ウインドオーケストラ結成メンバーとして入団。6年間の在籍期間中、ピッコロ及びフルート奏者としてコンサート、CDレコーディングを多数行う。その後、東京吹奏楽団に移籍、ピッコロ奏者を務める。現在はフリーとしてオーケストラ、吹奏楽、室内楽等において演奏活動を行う。また、ミュージカルのオーケストラ・プレーヤーとしても、数多くの演目にて年間を通じて活躍している。フルートアンサンブル“ザ・ステップ”タッド・ウインドシンフォニーメンバー。

一緒に演奏したい仲間!

5月から開講した当セミナーも、おかげさまで半年を迎えることができました。毎回、ご覧頂いているみなさまには、心より感謝申し上げます。

さて第6回セミナーを始める前に、私の大切な仲間とのお別れについて少し書かせて頂きたいと思います。ご存じの方も多いと思いますが、サクソフォーン奏者の新井靖志さんが先月ご病気のため永眠されました。

新井さんとの出会いは、シエナ・ウインドオーケストラへの入団でした。新井さんの柔らかく温いサックスの音色と自然で豊かな音楽性は本当に素敵でしたし、その穏やかで頼れるお人柄は私たちシエナの“お兄さん”のような存在でした。新井さんとは数多くの本番を共にしてきましたが、私が一番印象に残っているのは第1回定期演奏会で演奏した『ローマの祭』(レスピーギ)です。このとき演奏したアレンジでは“十月祭”のヴァイオリン・ソロがアルトサックスとピッコロのユニゾンで書かれていました。繊細なニュアンスを要求されるシビアな部分だけにアンサンブルは難しかったはずですが、とても自然に楽しく吹けた記憶しかありません。演奏会後の打ち上げで、新井さんが「謙ちゃん、あそこのソロ楽しかったね。またこういうのやりたいね!」と言って下さったのが、25年近く経った今でも忘れられません。


▲交響詩『ローマの祭』より“十月祭”の一部

シエナ退団後はしばらく新井さんとご一緒する機会はありませんでしたが、数年前よりタッド・ウインドシンフォニーで再び一緒に演奏する機会に恵まれました。近年では、『指輪物語』(デメイ)でのソプラノサックスとピッコロのユニゾン・ソロが楽しかった思い出です。

音楽家なら誰しも、上手なプレイヤーと共演できることはとても光栄なことですが、“上手だから”というだけでは一緒に演奏しても必ずしも楽しくないことだってあります。そういった意味で新井さんは“一緒に演奏したい!”、“一緒に演奏して幸せを感じられる”プレイヤーでした。そんな音楽家としての幸せがひとつ失われてしまったことは、本当に寂しい思いでいっぱいです。

私はとても新井さんの足下にも及びませんが、それでも仲間から“一緒に演奏したい”、“一緒に演奏して楽しい”と思ってもらえるようなプレイヤーを目指して頑張りたいと思います。

新井さん、出会えて一緒に演奏できたことに心から感謝申し上げます!

フルートが出来るまで

さて、今回のセミナーではフルートという楽器がどのようにして作られるのかをご紹介いたしましょう。まず、フルートは数ある楽器の中でも決して安価なものではありません。中学や高校の吹奏楽部で初めて楽器を始める方にの中には、「えっ、こんなに高いの! もっと安い楽器はないの?」と驚かれる方もいらっしゃるでしょう。

何故フルートは高いのか? その理由は、使われている材料と手間のかかる製造工程にあります。フルートに使われている材料は銀、金、プラチナという高価なものから、グラナディラのような特殊な木材まで様々です。その中でもメインとなるのが銀であることは、みなさんご存じのことでしょう。しかし銀は高価な素材ですので、エントリーモデルに気軽に使うことはできません。そこで初心者用の楽器には洋銀と呼ばれる銅とニッケルの合金が使われます。こちらは銀よりは軽量かつ安価なので、初心者には扱いやすく安く買うことができます。しかしながら楽器の製造工程においては、材料の価格に関係なくほぼ同じ手間がかかります。このあたりが、例え安価な材料の楽器であっても価格を抑えにくい理由です。

ということで、ご一緒にフルート製作の現場を見ていきましょう。今回、某ハンドメイド・フルート・メーカーのご厚意により、特別にアトリエ内の様子を取材させて頂きました。


▲管体の元となる銀の管(下)とそれに加工をしたもの(上)

ほとんどのフルート・メーカーは管体の元となる金属管を、専門の金属メーカーから仕入れています。金属の種類は銀だけでも銀純度90~99.8%と様々な上、管厚も複数のバリエーションがあります。当然ながらこの管自体が高価なものなので、フルート職人にとっても失敗の許されない仕事が要求されます。また、メーカーによっては“巻き管”という特殊な管の楽器も作っています。


▲巻き管の原料となる銀の板(上)とそれを管状に加工したもの(下)。矢印の部分は繋ぎ目となる部分で、最終加工後は素人には判別不可能。

この“巻き管”はフランスの名器ルイロットで採用されていて、倍音豊かな独特の明るい響きを奏でてくれます。ただ製作には熟練した職人技が必要でコストもかかるので、一部のメーカーのハイドメイド・フルートのみラインアップされています。

引き上げと半田付け

フルートはトーンホールの加工方法によって“引き上げ”と“半田付け”という2種類に分類されます。


▲トーンホールの形状、引き上げ(上)と半田付け(下)

現在では“引き上げ”が一般的で、“半田付け”は主に上級モデルに採用されます。“引き上げ”のメリットは材料費も安く作業の手間も少ないので、楽器製作のコストを抑えることができます。これに対して“半田付け”は別途リング状のトーンホールを作らなければならず、加工の手間もかかるので、価格の高いモデルしか採用できません。


▲半田付けのトーンホール、管体とのマッチングをベストにするため緻密な作業が要求される

“引き上げ”の作業工程はちょっと面白いので、詳しくご紹介いたしましょう。まず、金属管のトーンホール位置に穴を開けます。


▲トーンホール位置に穴を開けた銀管

これを“引き上げ”作業を行う機械にセットします。


▲“引き上げ”作業を行う機械

慎重に位置を合わせ、トーンホールを引き上げるためのアダプターをセットします。

ここからが職人の腕の見せどころです。アダプターの内部は見えないので、腕の感覚だけで作業を行わなければなりません。

すると不思議なことに管体から煙突状の筒が現れます! 実は管の内側にコマと呼ばれる金属パーツが仕込まれていて、これを回転しながら引き上げることによってこのような形状になります。


▲現れたトーンホール

次に、機械の先端をカッターに付け替え、何度も何度も確認しながら規定の高さまで加工していきます。

最後に、機械の先端をカーリング用のアダプターに付け替え、これを回転させながら筒に押しつけていくと…

不思議なことに筒の先端がロール状に丸くなっていき、見慣れたトーンホールの姿が現れます。

これらの作業を全てのトーンホールに施工し、さらに台座とポストを取り付けて、ようやくフルートの管体が出来上がりです。

このように“引き上げ”のほうがコストが低いとはいえ、そこには職人の細かい手作業があってフルートは作られます(大手メーカーでは専用の機械を使って複数のトーンホールを一度に引き上げたりもするようです)。

一般的に“半田付け”のほうが高級というイメージはありますが、“引き上げ”は軽量で管とトーンホールが一体となった響きの魅力があります。一方“半田付け”は吹奏感は重くなるものの、細かいパッセージで個々の音の粒立ちが明瞭になる等の利点もあり、価格で選ぶというよりは吹き心地や音色の好みで選択されるとよいでしょう。

尚、金の楽器の場合は“半田付け”ではなく“ロウ付け”という作業になり、銀よりもはるかにデリケートな熟練技が要求されます。ですので、価格もそれなりに高価になってしまうのは仕方ありませんね。

熟練職人による手作業の積み重ね

フルートは数多くのパーツによって構成されています。これらひとつひとつの部品の精度が悪いと、キーがスムーズに動かなかったりと演奏に支障が出てしまいます。そこで、いかに個々の部品の精度を上げるかが、フルート職人の腕にかかっています。


▲鋳型から出てきたキーの部品

細かいキーの部品は、鋳型に金属を溶かし込んで作ります。そして鋳型から出てきたときは、このようなツリー状になっています。これをひとつずつ切り離して使うのですが、このままでは精度が悪いので、こちらのメーカーではひとつひとつのパーツを職人が手作業で仕上げていきます。


▲加工に使用する金ヤスリ

最初は粗目の金ヤスリから作業を始め、徐々に細かな目のものへと何度も繰り返しながらヤスリをかけていきます。ここで手間をかければかけるほど、楽器の仕上がりは美しくなります(大手メーカーの量産モデルの場合は、研磨機械での削りが主となります)。また、後に説明する溶接の作業を精度よくスムーズに行うためにも、このヤスリがけ作業は重要になります。

キーのカップ部分は金属板を高圧でプレスすることで形成されます(メーカーによってはカップの内側を真っ平らにするため、削り出し加工を行っているところもあります)。

これにアーム(腕の部分)を溶接していくのですが、これがまた熟練技を必要とする作業になります。銀ロウをバーナーで溶かし込みながら、個々のパーツをひとつずつ溶接していきます。


▲パーツの溶接に使う銀ロウ、それぞれ異なる融点(溶ける温度)を持つものを複数使い分ける


▲バーナーで溶接しているところ、長年の経験と感覚が必要な職人技


▲こういうバネかけのような小さな部分も、ひとつずつ溶接していく

こうして、ひとつひとつのパーツが完成していきます。

頭部管はフルートの音色を決める最も重要な部分です。1本1本丁寧に仕上げられていきますよ。

組み立てとタンポ合わせ

こうして作られた部品たちは、いよいよ最終の組立工程へと入っていきます。

ここではパーツ同士の隙間が適当か、余分な遊びや緩衝がないかを入念にチェックして調整します。この作業が甘いと、何度調整しても楽器に狂いが生じてしまい、演奏していても思うようにキーがスムーズに動かないという悲劇を生みます。個々のパーツ同士の動きをチェックしながら丁寧に組み付けていきます。

末永く楽器を使い続けるために、最も重要な作業となります。

いよいよ最後は“タンポ合わせ”になります。実はこの作業が地道で大変かつ大切な行程になります。

タンポとトーンホール面が水平に密着するように、複数の厚さの調整紙を使って合わせていきます。


▲異なる厚さを持つ調整紙


▲キーに貼り付けるコルクも手作業でひとつひとつ製作

この作業は非常に地道なもので、楽器を組み立てては確認し、さらにもう一度部品を外して調整し直したりと、確認・調整を何度も繰り返すことになります。また気温や湿度によってもタンポの形状が変化するので、それを想定した調整は長年の経験を必要とします。

フルートのオーバーホールを経験された方はご存じかと思いますがタンポ全交換と調整で、多くの場合約8万円前後の修理代と数週間の期間が必要です。それほど時間と根気が必要な作業なのです。

このタンポ合わせの作業は、楽器のレスポンスや音色に直接影響を与えるので、どのフルート・メーカーでも熟練した職人がこの作業を担当します。そしてその職人さんたちはフルーティストとのコミュニケーションをとても大切にしておられ、演奏者が何を求めているのかを熟知していらっしゃいます。しかしながらそこに至るまでは苦労も多く、若い職人さんだと演奏者から叱られることもしばしばで、道半ばで辞めてしまう場合も少なくないようです。

ですので、優れた若い職人さんを育てるということも、フルート業界にとって大切な課題だと思います。それには、私たち演奏者が職人さんの技の奥深さをしっかり理解し、自分も一緒に勉強するというスタンスでつき合っていくことが大切かもしれませんね。

こうして多くの時間と職人さんの熟練技によって、ようやくフルートが完成します。

いかがでしょう、たまたまお店で売っていた楽器を気に入って買ったという方も、その楽器が完成するまでの過程にを思いを寄せることによって、より愛情が増してきたのではないでしょうか?

自分の楽器の“生い立ち”を知ることによって改めてフルートが好きになって頂ければ、こんなに嬉しいことはありません。また、これからフルートを購入しようかと考えている方には、「これだけの手間暇をかけて作られているんだ!」と知ってもらうことで、その価値や価格に納得して頂けるかもしれません。

現代は“何でもネットで安く手軽に買う”時代になりましたが、楽器の価値観はそれに当てはまらないということを、今回のセミナーから知って頂ければ幸いです。