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■落ちこぼれ笛吹きの“やればできる!”ON LINEセミナー 第10回(最終回)

音楽に熱中するあまり受験勉強について行けず中学で不登校、何とか音楽科の高校に進学するも休学し小さな町工場で電気配線と格闘する1年を経験。「やっぱり音楽がやりたい!」と復学し音大を卒業後、プロオケを目指して20回以上オーディションを受けるも全て撃沈。そんな“落ちこぼれ笛吹き”が30年間のプロ経験で得たものとは? その中に“明日からもっと楽しくフルートが吹けるヒント”がみつかるかも!

◆岡本 謙(フルート奏者)プロフィール◆
10歳よりフルートを始める。香川県高松第一高等学校音楽科を経て、1990年に国立音楽大学を卒業。同年、シエナ・ウインドオーケストラ結成メンバーとして入団。6年間の在籍期間中、ピッコロ及びフルート奏者としてコンサート、CDレコーディングを多数行う。その後、東京吹奏楽団に移籍、ピッコロ奏者を務める。現在はフリーとしてオーケストラ、吹奏楽、室内楽等において演奏活動を行う。また、ミュージカルのオーケストラ・プレーヤーとしても、数多くの演目にて年間を通じて活躍している。フルートアンサンブル“ザ・ステップ”タッド・ウインドシンフォニーメンバー。

フルートの音色を揃える?

みなさま、大変ご無沙汰してしまい申し訳ありません。『落ちこぼれ笛吹きの“やればできる!”ON LINEセミナー』最終回の執筆にあたり、随分と時間が空いてしまいました。ここまで遅れたことの“言い訳”は後ほど述べさせて頂きますが、今回は部活動におけるフルート指導の難しさに触れてみたいと思います。

吹奏楽指導の現場では、しばしば「フルートの音色(音質)が揃わないのですが・・・」と相談を受けます。確かにフルートは音程が不安定になりがちですし、音色も人によって千差万別です。しかもバンド全体の最高音を受け持つ楽器ですから、せっかく低音からサウンドを積み重ねてもフルートの音が合わないのでは、お話しになりません。ですので、前で指揮をされている先生からすると、「フルートの音色を揃えたい!」と思われるのは当然のことです。

しかしながら、フルートパート全員の“音色”を揃えるなんて不可能ですしナンセンスです。“フルートの音色が揃わない”と感じる原因は、“音質”ではなく“音程”が合っていなかったり、例えチューナー上で音程が合っていたとしても“息のスピード感”が揃っていないことが多いです。まずは個人個人がスピード感のある息を保って、しっかりと楽器を響かせることが大切です。あとは耳をしっかり使って自分の周りの音をよく聴くことです。

この二つを同時に行うことは、サッカー選手が全力疾走でドリブルしながら逆サイドの味方に正確なパスを出すことと同じくらい難しいですが、アンサンブルではとても大切なことです。これらが不十分なまま、ただチューナーのメーター上だけの判断で高いor低いと楽器を抜き差ししたり息のスピードを緩めたりすることはとても危険です。指導者の方は生徒に音程を注意する前に、まずその生徒が正しい奏法でしっかりと楽器を響かせられているかをチェックしてあげて下さい。

上記で述べたことは、ある程度成熟した技術を持つバンドなら、比較的簡単に実践できると思います。そういったバンドは技量の高い先輩にも恵まれており、自分の経験を元に後輩達を指導することができます。けれどもそういう伝統がないバンドでは、それ以前のもっと初歩的な部分で苦労しているのが現実ですね。

フルートは管楽器の中で唯一、息の通り道が“楽器の外”にあります。しかも楽器をあてている部分は下唇の僅かなスペースですので、ちょっとしたことですぐに位置がずれてしまいます。このため、初心者にとってはコツを掴むまでが非常に難しいです。中学1年生くらいですと、人によってはまだ身体も小さくフルートを構えること自体にも負担がある場合があります。ですのでアンブシュア(唇の形)も不安定になりがちで、歌口のベストポジションも決まりにくいです。このような場合、頭部管だけの練習に戻って確認するとよいでしょう。

まずは頭部管だけで効率良くロングトーンすることから始めます。ただ音が出ればよいというのではなく、クリアな発音から始まり一定の音色でロングトーンができること、そして息が無くなってきた際にも音程がぶら下がらないよう支えることを意識しましょう。

次に、頭部管の端(右手側)を手のひらで塞ぎ、複数の倍音が自在に操れるように練習しましょう。ここで大切なのは、発音(タンギング)と息のスピードのコントロールです。高い音、低い音が“まぐれ”で出せるのではなく、ちゃんと狙った音を的確に出せることが重要です。これらの唇、発音、息のスピードで自在にコントロールできる感覚をつかむことこそが、上達への近道です。

客観的にみれば、アンブシュアの形や大きさ、息の方向等をアドバイスしてあげられますが、これらは演奏中は自分からは見えません。自らの実践と経験によって感覚的に覚えるしかないのです。「あっ、今気持ちよく音が当たった!」という成功体験を積み重ねていきましょう。

それでも再び楽器全体を組み上げて吹いてみると、なかなか上手くいきません。これは、楽器全体の抵抗感が増えてしまうという要因もありますが、楽器を支えることばかりに意識が集中してしまい、下唇に楽器をあてる圧力が減ってしまうことが原因の場合もあります。

フルートの場合、下唇を少し薄くするようなイメージで楽器をあてると音が出やすいです。楽器のあて方、アンブシュアの位置、息を出す方向は人それぞれにベストポジションがあります。その生徒に合った吹き方を見つけるためには、ひとりひとり丁寧に時間をかけて付き合っていく必要があります。「教則本を見て練習しておいてね」では絶対に上達しません。最初から難しいことを要求するのではなく、焦らずじっくり時間をかけて「今のその音、良かったよ!」と自信を持たせてあげるよう心がけて下さい。

ある程度経験を積んできた上級生について、バランスよく上達する生徒もいますが、多くは次の二つの傾向に分かれます。

(1)とりあえず全音域に渡って音が出せるが、その音色は細くパワーがない。
(2)合奏で音量を要求され続けるうちに、とにかく息を沢山使って演奏する習慣が身につき、楽器本来の音色が損なわれている。

(1)は基本となるロングトーンの音色が確立される前に、音色はともかく高音や低音を出すことを要求された場合に起こりがちです。譜面にある音符は吹けるのですが、個々の音色に響きの芯がないので、結局吹奏楽の中では力になりません。こういった生徒たちには、大ホールでも通用する“本物のフルートの音色”を教えることから始めなければなりません。この方法については、第1回セミナーをご覧下さい。

(2)はいわゆるコンクール強豪校によくみられがちです。とにかく“息のスピード命”で、あたかも金管楽器のように強力な息を吹き込んできます。これはとても素晴らしいことなのですが、その息が全て効率的に使われているか?ときかれると、答えはノーです。楽器は常にオーバーブロー気味の息にさらされ、楽器本来の艶のある倍音がスポイルされていることも少なくありません。近くで聴くと凄く楽器が鳴っているように感じますが、倍音がきちんと響いていないので、その音色は少し焦点がボケてしまい結果的に遠くまで響かないし、他の楽器の音ともブレンドしません。大学のオーケストラや吹奏楽サークルの指導をしていると、こういった傾向の学生をよくみかけます。「きっと、中高の吹奏楽部で頑張っていたんだな。」と思う反面、もっと響きのある音色を出せる技術があるのにもったいないと思ってしまいます。

このような学生には、半分の息の量で今と同じ音量を出すように指導します。普通に考えると、息の量が減るのですから音量も小さくなるのが当然です。けれども“吹き矢”の要領で口元で息を絞り込み、上手く息のスピードを作り出すことができれば、それは可能なのです。ましてや、今までは必要のない息まで浪費していたのですから…。他の管楽器の先生方のレッスンを見学していても、必ず“口元で息を絞り込んでスピードを作り出す”という内容のことをおっしゃっています。具体的な方法は楽器によって違いはあると思いますが、限られた息から最も効率的にスピードを生み出す方法を、管楽器プレイヤーは常に意識して演奏しています。ただやみくもに「いっぱい吸って、いっぱい使う」だけでは豊かな響きは出ませんし、良い音楽はできません。今まで無駄にしていた息を効率よく使うことを意識してみましょう。そして余った息は、もっと音楽を表現することにまわせるといいですね。

▲ある大学オケサークルでの練習風景。オーケストラでは遠くまで響かせるスピードのある息と、弦楽器や他の木管楽器とブレンドする音色が何より大切!

新たな挑戦

さて冒頭で触れた“言い訳”について、ここからお話しさせて頂きます。実は昨年末、仲間のプレイヤーを通して私の元にある依頼がきたことにより、私のスケジュールがとても多忙になってしまいました。その依頼とは、とある中高一貫校の吹奏楽部の全体指導を任せたいというものでした。

引き受けるかどうか、正直迷いました。大勢の生徒たちの大切な青春の時間を預かるという大役が自分に務まるのか? またフルート奏者という仕事との両立が果たして可能なのか? それを考えると、気安く引き受けるわけにはいきません。といいますか、正直ビビってしまったというのが本音です。

しかしながら、学校に赴き顧問の先生方からお話しを聞くうちに、段々と私の決心も固まってきました。この吹奏楽部には音楽指導ができる顧問が不在で、しばらく生徒たちだけで活動してきたとのことです。そしてコンクール第一主義ではなく、生徒たちの自主性を重んじて部活動を楽しんでもらいたいという先生方の想いが伝わってきて、「私で役に立てるなら…」と指導を引き受けることにしました。

こうして、中高生併せて約70名ものバンドを突如率いることになったのですが、生徒たちとの初顔合わせの日が近づくにつれ、私の中で緊張感が増してきました。果たして自分は生徒たちに受け入れてもらえるのだろうか? そしていよいよ顔合わせの当日、初めて会う大勢の生徒たちの表情からは不安、期待、好奇心…様々な感情が読み取れました。

彼らから見れば、きっと私も同じだったと思います。最初の自己紹介で、私はバンドトレーナーではなく“笛吹き”として今まで歩んできたことをお話ししました。そして、みんなの前で1曲演奏しました。曲はナイジェル・ヘスが作曲した映画音楽『ラヴェンダーの咲く庭で』。シンプルながら、とても美しく親しみやすい曲です。さらにもう1曲、ジュナンの『ヴェニスの謝肉祭』を吹きました。この曲は、私が不登校真っ最中(第8回セミナーを参照)だった中学3年のときに初めて吹いた曲です。高校(音楽科)もこの曲で受験したので、『ヴェニスの謝肉祭』のおかげで今の音楽人生があるのかもしれません。2曲共に暗譜で演奏しました。

私のフルートの音色が生徒たちにどのように届いたかはわかりませんが、それが私にできる精一杯の自己紹介でした。少なくとも、「とりあえず、この先生について行ってみよう。」と思ってくれたのなら嬉しいですね。この日、私は生徒たちとひとつ約束をしました。それは、「この吹奏楽部をどのように運営していくかについて、部員(生徒)の意見を最大限尊重します」ということでした。指導者があれこれ決めるのではく、生徒たち自身で自分たちの進む道を決めてほしいと思ったからです。この吹奏楽部は今までも生徒の力で自主的に頑張ってきたので、これからもきっと上手くやれるに違いない!という期待もありました。

私に科せられた最初の大仕事は、年度末にある定期演奏会を指揮することでした。本番まで既に3ヵ月を切っていましたが、演奏曲は1曲も決まっていませんし、当然ながら曲の練習すら始まっていません。そこで私は生徒たちに、「とにかく自分たちがやりたいこと(曲、企画等)をどんどん提案して!」と伝えました。そこから生徒たちは「この曲、やってみたいです」とか、盛り沢山の企画案を出してきて、それについて話し合いを繰り返しながら決めていきました。

3月末で部活を引退する高校2年生にとって、定期演奏会は5年間の部活生活の最後を飾る晴れ舞台です。曲決め、台本作り、手作りの衣装&小道具製作等、ひとつひとつが進むにつれて、最初は漠然としていたコンサートのイメージが現実味を帯びてきます。あとは練習を積み重ねて曲を仕上げていくだけ…ですが、ここからが大変でした。

まず、この学校は部活に使える時間が非常に少なかったのです。平日は放課後の90分だけ、日祝は学校がお休みという状況です。土曜日はかろうじて午後の時間が使えるので、私もできる限りスケジュールを調整して土曜日を空けるようにしました。ところが2&3月は入試、期末試験、修学旅行等の学校行事が重なり、部活ができる日は実質半分程度とのこと。私もプレイヤーとしての仕事があるので、行ける日は限定されてしまいます。

果たして本番までに間に合うのだろうか? いざ合奏をしようと思っても、大勢いるはずのメンバーはその半分も揃いません。この部活には定休日という制度があり、部員は週2日のお休みを取ることができます。この定休日は生徒が学業や習い事のために時間を使えるようにと考えられた制度です。ですので合奏で部員全員が揃うなんてことは奇跡に近いです。常に誰かがいない歯抜けの状態でしか練習ができません。ということで、私が思い描いたようには曲が仕上がらず、不安と焦りが募る日々でした。

しかしながら指導者がイライラしていたのでは、生徒に悪い影響を与えるだけです。ここはドッシリと落ち着いて構え、生徒たちには「この曲はこんな音楽なんだよ!」というイメージが持てるように、地道に指導を続けました。合奏の録音は毎回ネット(部員専用のサイト)にアップロードし、合奏に参加できなかった部員も聴いて勉強できるようにしました。不思議なことに合奏中は「全然ダメ」と思った演奏も、改めて録音を聴くと生徒たちの良い部分も見えてきて、彼らなりに少ない練習時間を上手く使って頑張っているんだなと思えるようになってきました。

定期演奏会の2週間前。期末試験も終わり、高校2年も修学旅行から戻り、ようやく部活に専念できます。けれども学校行事等で、演奏会までに練習ができるのは1週間弱しかありません。高2が中心となって毎日の課題と練習メニューを考え、空き時間を活用して演技等の練習等、本番に向けて準備が進んでいきます。本番1週間前、受験を終えた高校3年生たちも合流し、総勢90人による大編成バンドでの練習が始まります。受験勉強で1年間のブランクがあるとはいえ、サウンド的にもさすがに高3は頼りになりました。

生徒が主役!

こうして迎えた本番当日。夜の本番までにやるべきことは山ほどあります。音楽的な確認はもちろんのこと、今回はかなり凝った演出を企画したので照明、音響、衣装替え、立ち位置や移動の確認には時間と手間がかかりました。ここではミュージカルでの経験が非常に役に立ちました。

ミュージカルの舞台稽古では演出、照明、音響その他の問題をひとつずつ解決しながら進めていくため、「今何が問題で、どの部署が時間を必要としているのか?」という気配りが大切です。この日のリハーサルでも、練習が長時間に渡るにつれて生徒たちが疲れてくる様が見てとれましたが、「今は照明の修正に時間が必要だよ」とか、「ここは少し時間がかかりそうだから、ステージから降りて少し休んでいいよ」等と状況を伝えながら進めていきました。最後の最後は、「今、一番疲れてきてキツイところだけど、みんなのために一生懸命仕事をしてくれている人がいるから頑張って!」と声をかけながら乗り切りました。結局リハーサルが終わったのは本番1時間前。ここから記念写真を撮影したりしているうちに、あっという間に開演時間です。

本番での生徒たちのパフォーマンスは、演奏面・演出面共に長いリハーサルでの疲れを感じさせない素晴らしいものでした。もちろん音楽的に多くの課題はありますが、お客様に心から楽しんで頂ける演奏会だったと思います。指揮をした私としては交通整理に追われた部分もありますが、練習でなかなか上手くできなかった生徒たちがひとつひとつ課題をクリアしていく様子に小さな喜びを感じつつ、充実した時間を過ごすことができました。

コンサート終盤の引退セレモニーでは内輪ウケに終わらず、一般のお客様にも共感して頂いたのを感じました。諸事情で一時はホールのキャンセルも考えたそうですが、こうして無事に定期演奏会を終えられて本当に良かったと思います。また、学校関係の方に「何よりも生徒が主役の素晴らしい演奏会でした!」と言って頂いたことは、心から嬉しかったです。ステージ上で“生徒が主役”になれるために、今日まで頑張ってきたのですから!

銅賞からの出発

4月から新体制での部活がスタートしました。吹奏楽部にとって最初の大切な仕事は、新入部員の勧誘です。この学校は高校からの入学者がいないので、中学1年の新入部員をいかに多く確保し、大切に育てていくかが重要です。部員たちは高2を中心に本当によく頑張り、新歓コンサート、楽器体験コーナーのイベントを繰り返し開催し、数年ぶりに20人を超える部員が入部してくれました。

こうなると1日でも早く楽器を決めて練習を始めさせたいところですが、この学校は大型楽器を除き備品の楽器がほぼゼロで、正式入部も5月に入ってからという状況です。ですのでパート決め→楽器購入という手順を経て、生徒の手元に楽器が届くのは6月中旬以降になってしまいます。これでは夏のコンクールに中1を出してもほとんど吹けないのは仕方ありませんが、それでも生徒全員でチャレンジすることになりました。

中学生がエントリーしたのは大編成のA組です。中3が7人、中2が17人に対して中1が約半数の22人という状況です。とはいえ中3&中2のモチベーションは高く、とても頑張って新入部員を指導してくれました。あるパートでは中2の生徒がほとんどひとりで新入生3人の面倒をみていました。そんな上級生たちの頑張りを見守っている側からすると少しでも良い賞を取らせてあげたかったのですが、結果は“銅賞”でした。

確かに、今の中学生全体のサウンドでは仕方のない結果です。マーチのオブリガートを吹いているのはテナー・サックスの1人だけ、クラリネットもちゃんと音が出ているのはたった2人、トロンボーンもほとんど1人で吹いているという状況では正直厳しいです。それでも、曲として成立させ聴かせてくれた生徒たちの努力は評価してあげたいと思います。審査講評でも、丁寧かつ繊細な音楽作りと評価して下さるコメントが多かったです。もちろん、全体サウンドの脆弱さや音程の乱れについては厳しいコメントを頂きましたが、これらについては私も承知の上でステージに立ちました。

嬉しかったことに、ある審査員は自由曲での各楽器のソロを高く評価して高得点を付けて下さいました。このような審査員からの応援の気持ちは、とても励みになりますね。私も審査をするときは常に心がけていることですが、実際に審査される立場になってみると、そのありがたさが身に浸みました。けれども、審査発表後の生徒たちの落胆ぶりは見ていられないほどで、座席から立ち上がれない子もいました。全員野球の精神でチャレンジしたA組でしたが、ここまで生徒たちに辛い思いをさせてしまったことは、指導者として本当に申し訳なく、思わず「みんな、私の指導力が足りなくてゴメンね」と言葉が出てしまいました。来年こそは、みんなが笑顔になれるコンクールにしたいと心の底から思います!

上には上がいる!

さて、中学生たちの“銅賞”という結果は、高校生たちにとっても相当ショックだったようです。「A組で出場させることを決めた私たちが悪かったのだろうか?」と悩んだ生徒もいました。けれど、私は決してそんなことはないと信じています。課題曲と自由曲の2曲を演奏するA組に出場することは決して簡単なことではありませんし、自分たちも経験してきたA組のステージを中学生に経験させたいという高校生たちの親心は、痛いほど理解できました。中学生全員で演奏した12分間は、きっと今後の成長の糧となったに違いありません!

数日後に迫った高校のコンクールに向けて、ここからの高校生たちの頑張りは目を見張るものがありました。「中学生の分も、私たちが頑張りますから!」と言った部長の言葉には、落ち込んでいた私も救われました。その言葉通り、高校生たちは頑張ってB組で“金賞&代表”を頂くことができました。しかしながら、ここまでの道のりは決して簡単ではありませんでした。

高校生は2学年あわせて27人と少なく、しかもクラリネットはたった3人という状況で、果たしてコンクールで演奏できる曲があるのだろうか?と悩みました。

曲選びで私が最も大切にしたことは、単純に点数狙いではなく音楽的に生徒たちが共感でき、自分たちのバンドの個性や個人のキャラクターが生きることです。何曲も候補を出しながら生徒たちと相談し、最終的に少人数で演奏するにはかなりハードルの高い曲を選びました。最初は譜読みが間に合わず、合奏をしても全く曲にならず「コンクールまでに間に合うだろうか?」、「自分は生徒たちの力を過大評価していたのだろうか?」と不安になることもありました。

この状況は、夏休みに入ってすぐの合宿で一変しました。5日間の合宿での生徒たちの上達は素晴らしく、合宿最終日の通し合奏では「もしかしたら、これはいいところまで行けるかも?」と思えるレベルまで達しました。ただ、この時点ではフルート2人を含む5人のメンバーが海外留学中で、まだ曲の全体像が見えていませんでした。

▲5日間練習した合宿場。この部屋で、朝から晩まで中学・高校それぞれの合奏を交互に行いました。この合宿で生徒たちは本当に成長しました!

コンクール4日前、ようやく高校生メンバー全員が揃いました。海外留学組はまる3週間楽器を吹いていないので、リハビリしながらの復帰です。中学生の悔しい結果を受けて、私の仲間のプレイヤーたちも忙しい中指導に駆けつけてくれました。実はこの学校の指導を引き受けるとき、私一人の力では限界があるので“最高のチーム”を組んで指導にあたりたいとお願いしました。生徒たちにも“本物のプロの音”に触れさせたいと考え、私が信頼するプレイヤーたちのレッスンを受ける中で、生徒たちの“音”に対する意識は確実に変わりつつあります。そんな素晴らしい仲間たちの協力も得て、何とか良い結果でコンクールを終えることができました。

コンクールでは生徒同士のチームワークも大切ですが、それをサポートする側の指導者、顧問の先生、保護者のみなさんのチームワークも欠かせません。そういった意味では、この吹奏楽部の生徒たちは恵まれた環境にあると思います。

後日行われた東日本大会への代表が決まるコンクールでは、残念ながら代表になることはできませんでした。ここまでくると“上には上”がいますし、私たちの演奏には克服しなければならない課題がまだまだあります。限られた練習時間の中で、生徒たちはここまで本当によく頑張りましたが、その何倍も頑張ってきた高校生たちがいっぱいいるということも、改めて知ることができたと思います。けれども「もっと努力すれば上を目指せたかも?」という手応えと悔しさは、それぞれの生徒が身をもって体験したようです。

みんなが笑顔になれる部活を!

このように“落ちこぼれ笛吹き”の吹奏楽の熱い夏は終わりました。私もここまで吹奏楽コンクールに専念したのは中学・高校の夏以来かもしれません。後日行われた部の反省会では、何人かの中学生はまだ立ち直れていない様子でした。高校生たちもやり切ったと感じる反面、悔しさも見え隠れしていましたが、しっかりと前向きなコメントを話していました。

この先、学園祭、アンサンブルコンテスト、そして定期演奏会と生徒たちが活躍できる機会は多数あります。気がつけば、以前はあんなに出席率が悪かったのに、最近では合奏となると大多数の部員が揃うようになってきました。少しずつ、生徒たちの意識も変わってきているのかもしれません。

部活動においては生徒同士の競争もあるので悔しい思いもするし、人間関係で悩むこともあるでしょう。けれど、それを自分たちで解決していくことも社会勉強です。その解決法のひとつは、とにかく楽器を一生懸命練習することです。何かに夢中になって打ち込めるものがあると、細かい小さな不満が気にならなくなります。全てにおいて中途半端な生活をしていると、余計なことばかり気になって人の悪口や不満を言ったりしがちです。ですので部活に来ている時間は、とことん音楽に没頭できるような環境作りを大切にしたい思います。もちろん、仲間同士遊んだりふざけたりして楽しむことも大事です。とにかく、ここに来れば“みんなが笑顔になれる”吹奏楽部を目指したいですね!

感謝のことば

これまで当セミナーにお付き合い下さいまして、誠にありがとうございます。ときには全く音楽と関係ない話題に脱線することもしばしばでしたが、読者のみなさまにとっても何か得るものがあれば嬉しく思います。特に最近よく話題になる“不登校問題”については、時代は違えど私の経験が何かしらの励みになればと思います。一度将来が真っ暗になった少年が、50歳になっても音楽と共に心豊かな生活をおくれているという現実が、ほんの僅かでも誰かの力になれば幸いです。

最後に、当セミナーの開講を勧めて下さったバンドパワーの鎌田小太郎氏には、心より感謝申し上げます。この機会に、当セミナー開講の経緯を少しお話しさせて頂きます。きっかけは私が所属するタッド・ウインドシンフォニーのニューイヤー・コンサート2016でした。この日のメインはスパークの交響曲第3番『カラー・シンフォニー』でしたが、この前座として演奏したのがナイジェル・ヘスの『ラヴェンダーの咲く庭で』でした。この曲のオリジナルはヴァイオリンがソロですが、ヘス自身による吹奏楽版ではフルートがソロを担当します。この日、私のフルートの音色が鎌田氏の心の琴線に触れたご様子で、終演後の打ち上げで話しが盛り上がりました。そこで、一緒に何か面白い企画ができないか?という話しになり、今回のセミナーの開催となりました。

とはいえ、最初から具体的なプランがあるわけではなく、一緒にお酒を飲みながらコンクールやシエナ発足時の思い出話しをしているうちに、「面白い、それやりましょう!」というふうに企画が先行してしまいました。ということで、吹奏楽好きの思い出話を発端とするセミナーに多くの方がお付き合い下さり、心より感謝いたします。約1年半の長きに渡り、本当にありがとうございました。

【おすすめCD】

タッド・ウィンド・コンサート(32)
フィリップ・スパーク/交響曲第3番『カラー・シンフォニー』
https://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-4230/

今回のセミナーでご紹介したタッド・ウインドシンフォニー ニューイヤー・コンサート2016のライブ演奏を収録したCD。スパークの「カラー・シンフォニー」(日本初演)も大注目ですが、フルートをフューチャーした『ラヴェンダーの咲く庭で』もお聴き頂ければ嬉しいです。また「ウチには上手なフルートがいるよ!」というバンドには、是非おすすめしたい1曲です!

タッド・ウィンド・コンサート(30)
フランコ・チェザリーニ/交響曲第1番『アークエンジェルズ』
https://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-4160/

フルート奏者でもある人気作曲家チェザリーニ氏の話題作『アークエンジェルズ』を世界初収録したCD。ちなみにこの演奏で私はピッコロを吹いています。今年(2017)は八王子学園八王子高等学校がこの曲で全国大会出場を決める等、益々人気が出そうな注目作です!

▲『アークエンジェルズ』日本初演のために来日したチェザリーニ氏と、タッド・ウインドシンフォニーのフルートメンバー。このCDではこちらのメンバーで演奏しています。

■落ちこぼれ笛吹きの“やればできる!”ON LINEセミナー 第9回

音楽に熱中するあまり受験勉強について行けず中学で不登校、何とか音楽科の高校に進学するも休学し小さな町工場で電気配線と格闘する1年を経験。「やっぱり音楽がやりたい!」と復学し音大を卒業後、プロオケを目指して20回以上オーディションを受けるも全て撃沈。そんな“落ちこぼれ笛吹き”が30年間のプロ経験で得たものとは? その中に“明日からもっと楽しくフルートが吹けるヒント”がみつかるかも!

◆岡本 謙(フルート奏者)プロフィール◆
10歳よりフルートを始める。香川県高松第一高等学校音楽科を経て、1990年に国立音楽大学を卒業。同年、シエナ・ウインドオーケストラ結成メンバーとして入団。6年間の在籍期間中、ピッコロ及びフルート奏者としてコンサート、CDレコーディングを多数行う。その後、東京吹奏楽団に移籍、ピッコロ奏者を務める。現在はフリーとしてオーケストラ、吹奏楽、室内楽等において演奏活動を行う。また、ミュージカルのオーケストラ・プレーヤーとしても、数多くの演目にて年間を通じて活躍している。フルートアンサンブル“ザ・ステップ”タッド・ウインドシンフォニーメンバー。

音大を目指すということ

今回のセミナーは、私が“心を打たれた”とある吹奏楽部での出来事からお話ししたいと思います。その日は、私が長年ご一緒に演奏しているプレーヤーの方にパートレッスンをお願いしていました。レッスンが終わって私たちが帰ろうとしていると、中学1年生の女の子が「先生、わたし音大に行きたいです!」と瞳をキラキラさせながら言ってきたのです。それはまるでドラマのワンシーンのような光景でした。大学受験を真剣に考える高校生ならときどきあることかもしれませんが、まだ楽器を吹き始めて年月の浅い中学1年生の口から飛び出した「音大に行きたい!」という純粋で熱意のある言葉に、正直圧倒されてしまいました。

みなさんは、身近な人が「音大に行きたい!」と言い出したら、どのように思われるでしょうか? 「それは素晴らしい、頑張って!」と思う反面、「音大を出ても仕事がないから、将来大変だよ」と心配される方もいらっしゃるでしょう。最近では時代の流れか現実的な考えの若者も多く、「音楽は好きだけれど、将来のことを考えると趣味の範囲にしておこう」という人が増えてきているように思います。私が長年指導している一般大学の管弦楽サークルにも、「一度は音大も考えたけれど…」という学生がときどき入団してきます。彼らの演奏は十分に音大受験でも通用するレベルですが、それでも“将来のことを考えて”音大という選択肢を諦めたようです。“音大を目指す”ということは本当に夢のあることの反面、“将来生活していく”という現実を考えたとき、“真っ暗な森の中を歩む”ような不安がつきまといます。それくらい未知数で何の保証もない道なのです。

それでは、私が音大生だった頃はどうだったのでしょうか。正直、将来の夢への目標と期待に胸を膨らませ、あまり不安は感じていなかったと思います。まずは受験をクリアするのに必死でしたし、音大には活躍している先輩方が毎日のように練習しに(遊びに?)いらしていたので、そういう先輩たちを間近で見ながら「自分もあの先輩のようになりたい!」と思ったものです。やがて卒業が迫るにつれて将来のことを真剣に考えるようにはなりますが、それでも“夢に向かって突き進む”学生生活を過ごせました。今から考えると、あまり深くも考えず無鉄砲なことでしたが、“夢を持ち続ける”ことができたのは幸せでした。

本音を言うと、音楽で生活していくだけの努力ができるのなら、それを勉強に向けたほうがよっぽど経済的余裕のある生活ができると思います。けれども、その“余裕のある生活”は本当に幸せなのでしょうか? その答えは私にはわかりません。少なくとも私は夢のある学生生活を過ごせたし、これまで好きな音楽を続けてこれました。正直、将来に不安を感じることは日常茶飯事ですし、生活が苦しいときだってあります。不安とイライラで眠れないことだってあります。しかしこれは普通に勉強して一般大学に進み、サラリーマンになっていたとしても同じことだったかもしれません。仕事のプレッシャー、上司や部下との人間関係、取引先との様々なトラブル等々。そう思うと、“一度しかない人生だから好きなことをとことんやる!”という自分自身の生き方は、間違っていなかったのかな?…多分…。

実は最近までの私は、余程才能がない限りは“音大に行く”ということに否定的な意見の持ち主でした。何故なら中途半端に音大に行っても将来苦労するだけだし、その努力と時間を他のことに向けて、音楽は趣味のほうが一生楽しめるという考えでした。実際に私の周りには音大を出たけれど結局音楽を諦めて別の道に進んだ人もいる一方、音楽を趣味として続けながら充実した人生を過ごされている方と接する機会も多いです。音楽を仕事にするといういうことは“自分のお店を持つ”ことと同じで、お客さんが来なければ閉店するしかありません。けれども趣味としてならば、好きな音楽を“一生続けることができる!”のです。

私は長年フリーランスのプレーヤーとして苦労を重ねるうちに、「こんな苦しくて不安だらけの生き方を、自分の子供にさせたくない」と思うようになりました。私のひとり娘は、幼い頃から自然と音楽に親しんできました。リトミック、ピアノ、そして小学3年からはフルートも始め、中学・高校と吹奏楽部に所属しました。しかしながら、ことあるごとに「音楽は大変だから…」と繰り返す私の言葉に、いつしか娘は「自分は音楽をやってはいけないんだ」と思い込むようになったようです。高校2年のとき、興味本位で私と家内の母校である国立音楽大学のオープンキャンパスに行ったときのことです。そこでは、東京フィルハーモニー交響楽団フルート奏者で国立音大でも後進の指導をされている名雪裕伸さんにレッスンを受けることができ、とても充実した時間を体験できたようです。私が大学1年のとき、先輩に「とっても上手な宮本クラス(※第3回セミナーを参照)の先輩が“牧神の午後への前奏曲”を吹くから聴きに行くぞ!」と誘われ、当時名雪さんが所属されていた神奈川フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会を聴きに行きました。初めて聴いた名雪さんの透明感のある美しい音色は、浪々かつ自然に会場の隅々にまで響いてきました。それ以来、私にとって名雪さんは尊敬すべき大好きなフルーティストのお一人です。その名雪さんのレッスンを受けた帰り道、娘が「もう、ここには来れないのかな…」と涙ぐみながら言っていたと家内から聞いたとき、私はとてもショックを受けました。自分のような苦労をさせたくないから…という自己中心的な思いから、私は娘に“好きな音楽”を我慢させていたことに気がつきました。本当に父親失格です。幸いなことに、娘は他に自分の“やりたりこと”を見つけ目標に向かって受験勉強真っ最中ですが、このことは一生悔やんでも悔やみきれません。

音楽家として若者へ伝えること

中学1年の女の子が「音大に行きたい!」と言ったとき、私の口から思わず出た言葉は、「素晴らしいね、できる限り応援するよ!」でした。以前の自分なら、絶対に出てこなかったフレーズです。彼女はまだまだ若いので、これからいろんな経験をしていくうちに将来の夢も変わってくるかもしれません。また周りから「音楽の道は大変だよ」と言われることもあるでしょう。それでも彼女の心の中に強く芽生えた夢を、ゆっくり大切に育ててあげることが、指導者である私たちの使命だと思います。確かに音楽の道は大変ですから、苦手なことも多いし余裕がなく追い詰められることもしばしばです。けれども、音楽をやっていなかったら絶対に経験できない幸せな瞬間は人生の宝物です。また、夢のある若者と一緒に音楽を勉強して作っていくことができる機会が多いもの、音楽家の特権かもしれませんね。そんなひとつひとつの幸せな時間を若者たちと一緒に楽しむことで、自分の生き方を正直に見せていければと思います。“現実に疲れた”音楽家ではなく、“いつまでも夢を追い続ける”音楽家の姿を若者たちに見せていくことが、私たちの責任かもしれません。

音楽は自分ひとりではできません。もちろん、ピアノのようにソロとして単体で成立する音楽もありますが、アンサンブルにはソロにはない魅力が沢山詰まっています。アンサンブルにおいては、「自分ひとりが上手ければいい」とか「自分が気持ちよく演奏できればいい」ということがありません。常に一緒に演奏する仲間たちとのコミュニケーションが大切になります。そしてお互いに影響を受け合いながら、音楽を高めていく喜びがあります。音楽の道を目指す方には、アンサンブルの機会をできるだけ多く持つことをお勧めします。ここでいうアンサンブルとは、二人のデュエットから吹奏楽やオーケストラまでの大編成までを意味します。きっと、そこで多くの素敵な仲間たちとの出会いがあるでしょう。私のような“落ちこぼれ笛吹き”が今まで音楽家としてやってこられたのは、“自分だけの力”ではなく“仲間に恵まれた”からだと思います。そういった意味で、吹奏楽部という環境はとても素晴らしい場所です。そこにはレベルの格差、様々な人間関係等、自分一人では解決できない問題がいろいろありますが、それらをクリアしてみんなで“ひとつの目標”に向かうことができたとき、かけがえのない素敵な経験ができることでしょう。

気持ちよく演奏すること

私が中高生の指導をするとき一番最初に教えてあげたいことで、その反面最も苦労することが“気持ちよく演奏させる”ということです。楽器の練習は、マラソンのような長距離走と似ているように思います。私のような運動音痴には、アスリートたちが何故あそこまで苦しい思いをしながら走るのか理解できませんが、きっとそれに代え難い気持ちよさや達成感があるのだと思います。そして、「また走ろう!」と思うように想像します。管楽器においては、“気持ちよく”音が出せるようになるまでに相当な練習が必要です。何度やってもスカスカの音しか出ないし、その一方で息はなくなり苦しいだけです。これでは、練習する意欲もなくなってしまいますね。フルートにおいては、音が気持ちよく当たるスイートスポットが非常に狭いので、ここに上手く息を命中させる必要があります。希に、最初から先天的な才能を持っていて良い音を出す子はいますが、多くは苦労します。しかし理想的な息がスイートスポットに命中したとき、楽器は非常に気持ちよく反応してくれます。一度これを経験すると、今までの苦労が嘘のように楽器を扱うことが楽になります。多分アスリートが苦しい練習を乗り越えたときも、私たちが知らない美しい風景が見えているのだと思います。

私たちは走り方のフォーム、呼吸法、練習法を教えることはできますが、走ることが気持ちいいと思えるまでトレーニングするのは、自分自身でやらなければなりません。ですので、最初に「この先には素晴らしい風景がある」ということを明確に伝えて、そこに向かって背中を押してあげます。時間はかかってもよいので、「あっ、楽器を吹くのって気持ちいい!」と思うことができれば、「また走ろう(練習しよう)!」という気持ちが芽生えるでしょう。これは教えるほうも根気と時間が必要な作業ですが、辛抱強く付き合っていかなければなりません。逆にいうと、短時間で成果が出ないからといって“自分には指導力がない”とは思わないで下さい。

管楽器を気持ちよく響かせるために必要なことは、安定した息の支えとスピードです。息のスピードは単純に“いっぱい吸って、いっぱい吐けばいい”というものではなく、口元で上手く空気を絞り込んで効果的にスピードを作り出すことが大切です。この口元でどのようにスピードを作り出すかは、楽器ごとに専門分野の勉強が必要です。また楽器によっては、気持ちよく吹くためのハードルが高いものもあります。例えば、同じ金管楽器でもホルンとユーフォニアムではマウスピースの大きさの影響で、一般的にホルンのほうがコントロールが難しいです。ユーフォニアムの子が音階を吹けるようになっても、同時にホルンを始めた子が苦労している場合もあります。もしかしたらホルンの子は、自分の努力が足りないのでは?と落ち込むかもしれません。最近、私が指導した学校のホルンの生徒に、「もしかしたら自分はこの楽器が向いていないのでは?」と思ったことがあるかと尋ねたら、大多数(上手な上級生も!)が手を上げました。私は、余程のことがなければ“その楽器に向いてない”なんてことはないよと教えました。確かにホルンは難しいし、他の楽器より苦労することは多いかもしません。けれどホルンの音色と響きは他にはない魅力があって、音階を吹くだけでも聴き手を感動させられる楽器だよと言いました。彼らが勇気と希望を持って“気持ちよく吹ける”ポイントまで、一日でも早く到達できることを見守りたいと思います。

感動したワンシーン

先日、昨年行われた第64回全日本吹奏楽コンクール全国大会での金賞団体の演奏を収録した『Japan’s Best for 2016』を購入しました。私が中高生の頃はLPレコードしか買えませんでしたが、今は映像で観られるのですから本当に嬉しい限りです。特に中学・高校の全国大会が名古屋に移ってからは、なかなか聴きに行くのが難しくなりましたし…。本当は私の母校(屋島中学校・高松第一高等学校)も含めて、全ての団体の演奏を聴いてみたいのは山々ですが、それらを全て入手するのは大変です。ということでこちらは折りをみてとして、まずは中学・高校の金賞団体の演奏から聴いてみました。

高等学校はとにかくハイレベルな上に、それぞれの学校の個性をアピールする熱演だらけでした。ここまでくると、金賞と銀賞の境界は、非常に微妙だったと想像します。緻密なアンサンブルと音楽性でアピールした団体、厚みのある重厚なサウンドでアピールした団体、個人技と色彩感のあるサウンドでアピールした団体と、単純に点数で評価できないというのが本音かもしれません。ここまでの演奏をするには、日頃から相当の練習を積み重ねてきたに違いありませんし、レギュラーメンバーになるために過酷な競争だってあったでしょう。こういう演奏を聴かされてしまうと、将来的に全国を目指してチャレンジしようという学校は気後れしてしまいそうですが、今や全国金が当たり前の学校でも昔は地区大会止まりからスタートしています。決してコンクールが全てではありませんが、全国レベルの演奏を聴いて、自分たちも頑張ってみよう!という気持ちが沸き上がれば素敵ですね。

中学校は、高校以上に各学校の個性が光っていたように思います。“どこかの演奏を真似した”のではなく、“自分たちの音楽”を作り上げてきた様子が伺え、会場で聴いていた人はとても楽しめたことでしょう。個人的に嬉しく思ったのは、単に技術的に高度な演奏をした学校だけが金賞だったのではく、多少中学生らしいアマチュアさがあっても音楽的に素晴らしい演奏した学校も金賞に選ばれたことです。それでも、とても中学生とは思えないくらい完璧で音楽的なソロの連続でしたし、プロでも大変な作品を見事に仕上げてきた演奏は圧巻でした。ある意味、高校の部以上に楽しめた演奏が多かったです。こうなりますと、特に中学については金賞以外の熱演も是非とも聴いてみたいという欲求が沸いてきますね。

最後に、映像ならではということで、私が感動したワンシーンをご紹介したいと思います。それは、長崎市立山里中学校の自由曲でした。曲は『イースト・コーストの風景』(ナイジェル・ヘス)で、タッド・ウインドシンフォニーで私も演奏したことがありますが、曲調の異なる3つの楽曲から成る色彩感豊かな素敵な作品です。山里中学校の演奏は、3曲のキャラクターを見事に表現していました。そして2楽章の“キャッツキルズ”では、浪々とした音色で素晴らしいコルネット・ソロを披露してくれました。このソロを吹くのにどれほど緊張感が必要かは、本番を経験した私もよくわかります。そのソロが終わったとき、コルネットを吹いていた女の子が満面の笑みを見せたのです! これを見た瞬間、私は思わず涙が出てしまいました。彼女が抱えていたプレッシャー、これまでの並々ならぬ努力、そしてそれを乗り越えた瞬間が、あの最高の笑顔だったのだと思います。「きっと相当練習したんだろうな」、「もの凄く緊張しただろうな」と、いろんな想いが私の頭の中を一瞬のうちに駆け巡り、不覚にも涙が出てしまったのでしょう。彼女にとって、指揮をされた先生や山里中学校吹奏楽部の全員にとって、そしてご父兄のみなさんにとって、この全国大会のステージは、かけがえのない宝物になったと思います。仮に、銀賞や銅賞であったとしても! 中学・高校を通して、12分の熱演が終わった瞬間の生徒たちの晴れやかな表情には、観ている私のほうが勇気をもらいました。きっと、日本各地で開催されたコンクール会場で、同じような素敵なシーンがあったと思います。そんな瞬間に出会えるチャンスを与えてくれるのが、コンクールの本当の素晴らしさかもしれません。

■落ちこぼれ笛吹きの“やればできる!”ON LINEセミナー 第8回

音楽に熱中するあまり受験勉強について行けず中学で不登校、何とか音楽科の高校に進学するも休学し小さな町工場で電気配線と格闘する1年を経験。「やっぱり音楽がやりたい!」と復学し音大を卒業後、プロオケを目指して20回以上オーディションを受けるも全て撃沈。そんな“落ちこぼれ笛吹き”が30年間のプロ経験で得たものとは? その中に“明日からもっと楽しくフルートが吹けるヒント”がみつかるかも!

◆岡本 謙(フルート奏者)プロフィール◆
10歳よりフルートを始める。香川県高松第一高等学校音楽科を経て、1990年に国立音楽大学を卒業。同年、シエナ・ウインドオーケストラ結成メンバーとして入団。6年間の在籍期間中、ピッコロ及びフルート奏者としてコンサート、CDレコーディングを多数行う。その後、東京吹奏楽団に移籍、ピッコロ奏者を務める。現在はフリーとしてオーケストラ、吹奏楽、室内楽等において演奏活動を行う。また、ミュージカルのオーケストラ・プレーヤーとしても、数多くの演目にて年間を通じて活躍している。フルートアンサンブル“ザ・ステップ”タッド・ウインドシンフォニーメンバー。

フルートを吹かなかった1年!

みなさま、明けましておめでとうございます。当セミナーを毎回楽しみにして頂いている方には、大変お待たせして申し訳ありませんでした。今回は実践的な内容に触れる前に、私が全くフルートを吹かなかった1年間についてお話ししたいと思います。

当セミナーの冒頭でも少し触れている通り、私は中学3年から高校1年にかけて“不登校”を経験しました。今でこそ“不登校”という言葉が使われますが、当時は“登校拒否”という表現をされていました。

不登校になった原因は幾つかあります。第1回セミナーでご紹介した通り、中学生だった私は徐々に音楽の魅力に取り憑かれ、毎日の部活(吹奏楽)を楽しみに登校していました。しかしながら、私のいた香川県は非常に教育熱心な土地柄でしたので、中学3年になると朝夕に補習授業が入り部活に行ける時間は大幅に少なくなり、学校に行く楽しみが半減しました。

さらに当時は校内暴力が激しくなったピークの時期でしたので、授業中に廊下を自転車で走る人がいたり、消火器をまき散らしたり爆竹を鳴らしたり、さらにはある日学校に行くと多くの窓ガラスが割られているという酷い状況でした。

そんな荒れた状況の中、自分の好きな音楽をできる時間が制限され、次第に勉強に身が入らなくなり成績も下がるにつれて、私の心のバランスが崩れていきました。朝起きても身体が怠い、学校に行こうとするとお腹が痛くなってくるという症状が続き、やがて学校に行けない日が増えてきました。いわゆる“うつ”という症状です。

ともすると“不登校”は「さぼっているだけ」とか「現実から逃げている」とか思われがちですが、当の本人は周りの友だちと同じよう普通に登校したいと、心の底から思っているのです。しかしながら、いざ学校に行こうとすると自律神経のバランスが崩れ、お腹が痛い等という症状となって表れます。こうなってしまうと、学校に行くということが“恐怖”以外の何ものでもありません。そして“朝起きられない→夜寝られない→食生活と生活リズムの乱れ”という負の連鎖が日常化してしまいます。当時は深夜に起きていても、テレビを観るとかラジオを聴くといった程度の娯楽しかありませんでしたが、今ではゲームやインターネットという存在が、生活リズムの乱れや引きこもりに輪をかけてしまうことも多いかもしれません。たった一人で家にいてもそこそこ楽しめますし、逆に煩わしい人間関係を気にする必要もないので、それはそれで楽な場合もあるでしょう。昔と違ってゲームやインターネットの普及は、“不登校”の長期化に影響を与えているのかもしれません。

このような状況でしたので、正直なところ私の中学3年次の出席日数は全体の半分にも満たなかったと思います。当然ながら、卒業式にも出席しませんでした。

そんな燦々たる中学3年でしたが、何とかフルートだけは続けていました。小学4年からお世話になっていた師匠の佐柄晴代先生は、お忙しい中しばしば自宅まで来てレッスンして下さいました。そのおかげで、学力だけでは絶対入学が無理だった高松第一高等学校の音楽科に、無事入学することができました。

とはいえ受験当日はかなり大変でした。何しろずっと家に引きこもっていた人間が、まるまる2日間も初めての場所に行って入試を受けるのです。試験1日目は学科5教科のテスト。母が作ってくれたお弁当はほとんど食べることはできませんでしたが、何とか無事に全科目受験することができました。2日目は実技(フルート)のテスト。控え室で待っているとき、案の定お腹が痛くなってきて、誘導係の方に無理を言ってお手洗いに行かせてもらった記憶があります。こうしてようやく始まった新たな高校生活ですが、1年目に登校できたのはたった2日だけでした。環境が変わったからといって、急に“不登校”が治るわけではないのです。

高校になっても学校に行けない日々が1箇月続いた頃、私の家庭に変化が訪れます。ある事情で、父の仕事が大阪になることが決まりました。家族会議の結果、このままずるずると引きこもっていてもらちがあかないので、家族全員で大阪に行くことになりした。中学生の妹は普通に転校できましたが、高校生の私は簡単ではありません。しかも不登校とあっては、例え行ける高校があっても難しい状況です。そこで高校は一旦休学し、淀川沿いの十三(じゅうそう)という町にある小さな電機工場で働くことになりました。

この工場は父の親友が専務を務めていて、私の事情を知った上で受け入れてくれることになりました。ここでは主に、生コンクリートのプラントの制御盤を製作していました。仕事内容は回路図に従ってリレーやタイマー等の部品を組み付け、何十本何百本という配線を繋いでいくというものでした。元々電気好きだった私は、先輩方に教えて頂きながら仕事を覚えていきました。毎日が圧着ペンチ、ニッパ、ドライバーを握りしめる日々でした。学校には行けなかった私ですが、朝夕の満員電車に乗って通勤することは、そこまで苦にはなりませんでした。時給は100円でしたが、何かをして毎月お給料を頂けることは楽しかったです(このとき貯めたお給料は、大学に入ってからバイクを買う資金になりました)。

大阪に行ってしばらくは、フルートのレッスンに通っていました。しかし一日中働いて帰ってくると疲れてしまって、練習する気力がわかない日々が続き、しばらくすると全く吹かなくなってしまいました。今から思うと、仲間たちと一緒に音楽をすることが楽しかっただけに、いざ一人で目的もなく練習することに退屈さを覚えていたのかもしれません。ただ、音楽を聴くことは好きで続けていました。

若さは無限の可能性!

毎日阪急電車に乗って工場へ通うとき一番辛かったのが、同年代の高校生たちの姿を目にするときでした。彼らがお揃いの制服を着て仲間たちと楽しそうにしている様子を見る度、本当に羨ましく思ったものです。高校生という存在がとてつもなく華やかで輝いて見えた反面、自分とは縁のない遠い世界のものに思えました。「いったい自分はここで何をしているのだろう?」、「このまま一生終わるのかな?」と寂しい気持ちになりました。

工場の先輩たちはとても親切にして下さいましたが、彼らの生き方からもいろいろと感じることがありました。もちろんプライドと信念を持って働いている方たちでしたが、楽しみといえばプロ野球と子供の成長のことだけ。正直、私は「このままで一生を終わりたくない!」と痛烈に感じました。そして「高校に戻れば、いろんな可能性が開けるのではないだろうか?」と考えるようになります。大好きな音楽だってできるし、必死で勉強すれば全く別の道だって開けるかもしれないと心底思いました。やがて、真剣に高校への復学を考えるようになっていきます。まさに、若ければ何だってできるという“無限の可能性”を肌身で感じたときでした。


▲工場での最後の仕事(生コン制御盤)、一人で全て組み上げました。

さて、高校に復学するためには幾つかのハードルがありました。まず高校のある香川にはもう家がないので、下宿先を探さなければなりません。幸い島が多い地方でしたので、そうした離島から通う高校生のための寮があり、私もそこに入ることになりました。“松平寮”という由緒ある名前の寮でしたが、決して環境のよいところではありませんでした。風呂は週に3日だけ、冷暖房もなく停電や断水も当たり前、悲惨で笑えるエピソードは山ほどあります(ここではご紹介しきれません!)。ただ、そこで苦楽を共にした友人たちは東大や早稲田に進学したりと頑張っていたので、友だちには恵まれました。

1年ぶりにフルートを吹いてみると…

復学すると決心した私ですが、相変わらずフルートをケースから出すことはありませんでした。実際にフルートを吹いてみたのは、高校に戻る数日前でした。寮では音出しができないので、誰もいない公園に行って恐る恐る吹いてみます。よかった、とりあえず音は鳴った! けれど唇が他人のようで、以前のように締まった音色にはほど遠いです。しかも唇の周りの筋肉がすぐにバテてしまいます。

私がいた高松第一高等学校の音楽科では、新1年生は最初の音楽の授業で一人ずつ演奏する慣習がありました。何でもいいから人前で吹かなければならないのですが、1年前の高校入試で演奏した『ヴェニスの謝肉祭』(ジュナン)はとても吹けません。その場で2時間くらいは練習したでしょうか。ようやく続けて吹けるくらいにコンディションが戻ってきました。とはいえ大した曲は吹けないので、何か簡単な小品を選んだように記憶しています。

私にとって最大の心配事は、本当に毎日学校に通うことができるのか?ということでした。またお腹が痛くなったりしないのか…等、不安が次々と頭をよぎります。フルートが吹けるかどうかは、とるに足らないことでした。始業日の前日は、ものすごく緊張していたと思います。しかも学校では1年年下と同級生になり、かつての同学年は先輩になります。大学まで行ってしまえば当たり前の話しですが、高校生の私にとっては複雑な思いでした。しかしながら、今から十三の町工場に戻って一生を終わるなんてことは、考えたくもありません。それを思うと、目の前の壁(ただ学校に行くだけ)をクリアする勇気が沸いてきました。1日目、行けた。2日目、また行けた。3日目…と学校に行って帰るだけの“あたり前”の日常が、緊張感はありつつもとっても嬉しい毎日でした。

再び学校に通い始めた最初の週末だったかと思いますが、1年ぶりにお会いした佐柄先生がホテルのレストランでステーキをご馳走して下さいました。あの時の美味しさは、今まで食べたステーキの中で一番だったかもしれません。こうして私は、再び音楽の道を志す高校生に戻ることができたのでした。

苦手なスケール(音階)を克服せよ!

音楽科の高校に戻った私は、まず音色についての猛特訓を野口博司先生から受けることになります(第1回セミナーを参照)。しかし音色については比較的スムーズに価値観を変えることができたので、そこまで苦労はありませんでした。私が最も苦労したのはテクニックです。元々そこまで指が速く動くほうではなかった上に、1年間基礎的なトレーニングを怠っていたので、細かい音符でとにかく指がすべり(転び)まくりました。楽器を演奏する上で、ロングトーンとスケール(音階)は最も大切です。その肝心のスケールで一音一音が均一に並ばず、それはそれは残念な状態でした。

いくら音色がよくてもスケールひとつまともに吹けないのでは、とても音楽になりません。この惨状を見かねた野口先生が課題として与えて下さったエチュード(練習曲)が、ドゥルーエの『フルートのための25の練習曲』でした。このエチュードは曲の大部分がスケールとアルペジオ(分散和音)から構成されていて、当時(今でも?)の私には、苦手中の苦手分野でした。レッスンで面白いくらい指がすべりまくった様子は野口先生の記憶にも強く焼き付いたようで、あれから30年以上経った今でも「あのときはホント酷かったね!」と、お酒を飲みながらよくおっしゃいます。

それでは、この悲惨な“指のすべり”をどのようにして克服していったのかをご紹介しましょう。

上記の譜例はヘ長調(F-Dur)ですので、フルートにとってはそこまで運指は難しくありません。しかしながらシンプルな故に指が“すべり”やすいです。このように16分音符が4つ並んだ場合、何故か2つずつの音符がくっつきがちです。


この場合、下記のようにリズムのパターンを変えて練習するのが効果的です。

これらのリズム練習は、1拍の中に16分音符を均等に整列させる効果があります。また、多くの場合裏拍が転びやすいので、裏拍にアクセントをつけてアフタービートを感じながらの練習も非常に有効です。

格好つけて速いパッセージを勢いよくパラパラ吹くより、これらの練習を根気強く続けることで、確実で正確なテクニックが身につきますよ。

『ドゥルーエのフルートのための25の練習曲』には3連符のエチュードも多数入っています。

この場合、3つの音符が団子になってくっつき気味になります。ですので同様にリズムを変えたり、拍子を変えた練習が効果的です。

このようにひとつひとつリズムに変化をつけながら繰り返し練習することは、とても根気が必要な作業です。ですので最初は上手くいかなくても、焦らずにゆっくりと楽しみながらやって下さい。今まで「このフレーズ、絶対に無理!」と思っていた部分が、きっと吹けるようになるはずです。そして「次はここをやってみよう!」とチャレンジする勇気が沸いてくることでしょう!

最後に、正確なテクニックを身につけるには正しい姿勢と持ち方が重要です。特に持ち方については、中高生に変な癖が多く見受けられます。主に右手のポジションに無理があるため、速いパッセージで楽器が不安定になります。そんな生徒には、ソレクサというメーカーの“サムポート”を私は薦めています。


▲サムポート(ソレクサ)

これは元々初心者用の補助器具ですが、使うことで楽器の安定感が増します。以前にタッド・ウインドシンフォニーで共演したクリスティーナ・ハッドリーさんが使われていて、「それ何ですか?」とお尋ねしたところ、「娘のために買ったのだけど、とっても良かったから私も使っているの!」と教えて下さいました。


▲クリスティーナさんとタッド・ウインドシンフォニーのフルートメンバー

クリスティーナさんはアメリカのオーケストラで活躍されている素晴らしいフルーティストですが、そんな高いテクニックを持つ方でも効果があるとのことで、私も早速使ってみました。実際に使ってみると最初は少し違和感があるもの、特に高音域での速いパッセージで楽器がブレにくく息の流れも安定するので、今まで音が潰れてしまいがちだった音符にもスムーズに息が入っていきます。高音域の速いパッセージで上手く音符が並ばない場合、指の動きに連動して微妙に楽器が内側(手前)に回り込むために、頭部管が塞がって音が鳴らないケースがよくあります。この“サムポート”はそれを補正してくれる役割があるので、初心者のみならずプロのフルーティストにもお奨めできると思います。高価なものではないので、興味のある方は是非試してみて下さい。

以上、最初は脱線気味で始まった今回のセミナーですが、いかがでしたでしょうか? “落ちこぼれ笛吹き”がお届けするこのON LINEセミナーも、残すところあと2回となりました。もし「こんなこと、きいてみたい」等というリクエストがございましたが、是非Band Powerさんまでご意見をお寄せ下さい。それでは、みなさまにとって新年も良い年になりますように!

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■落ちこぼれ笛吹きの“やればできる!”ON LINEセミナー 第7回

音楽に熱中するあまり受験勉強について行けず中学で不登校、何とか音楽科の高校に進学するも休学し小さな町工場で電気配線と格闘する1年を経験。「やっぱり音楽がやりたい!」と復学し音大を卒業後、プロオケを目指して20回以上オーディションを受けるも全て撃沈。そんな“落ちこぼれ笛吹き”が30年間のプロ経験で得たものとは? その中に“明日からもっと楽しくフルートが吹けるヒント”がみつかるかも!

◆岡本 謙(フルート奏者)プロフィール◆
10歳よりフルートを始める。香川県高松第一高等学校音楽科を経て、1990年に国立音楽大学を卒業。同年、シエナ・ウインドオーケストラ結成メンバーとして入団。6年間の在籍期間中、ピッコロ及びフルート奏者としてコンサート、CDレコーディングを多数行う。その後、東京吹奏楽団に移籍、ピッコロ奏者を務める。現在はフリーとしてオーケストラ、吹奏楽、室内楽等において演奏活動を行う。また、ミュージカルのオーケストラ・プレーヤーとしても、数多くの演目にて年間を通じて活躍している。フルートアンサンブル“ザ・ステップ”タッド・ウインドシンフォニーメンバー。

オケピから見たミュージカルの世界

最近では吹奏楽でも演奏される機会が多い“ミュージカル”。みなさんはミュージカルについて、どのようなイメージをお持ちでしょうか? エンターテイメント、ダンス、華やか、豪華な舞台装置…。そもそもミュージカルは音楽・芝居・ダンスが融合された総合芸術で、その歴史はオペラ(歌劇)→オペレッタ(喜歌劇)→ミュージカルと受け継がれており、当然ながら音楽はその中心的な役割を果たす大切な要素となっています。

吹奏楽の世界では、昔からオペラやオペレッタの作品は多数レパートリーとして演奏されていますし、その流れから『サウンド・オブ・ミュージック』や『ウエスト・サイド・ストーリー』というミュージカル作品が吹奏楽でも演奏されるのは自然なことだと思います。そして最近では『ミス・サイゴン』等の比較的新しい作品も吹奏楽編曲版として演奏されています。

ミュージカルの音楽は登場人物の心情や舞台上の情景と綿密に関わり合っているので、吹奏楽で演奏する際でもそのストーリーを理解して演奏することが大切ですね。きっとみなさんもDVDで視聴したり、本物の舞台を観に行く方もいらっしゃるかもしれません。そうしているうちにミュージカルそのものに興味を持たれる方も多いと思います。中には観ているだけでは気がすまず「私もオケピットで演奏してみたい!」という人もいらっしゃるでしょう。

実際にミュージカルを観劇に来られた中高生や音大生の方から、「私もフルートを吹いていますが、どうしたらミュージカルのオーケストラに入れるのですか?」と質問されることもあります。今回のセミナーではそんなみなさまのために、オーケストラピットから見たミュージカルの世界を、ちょっとだけ詳しくご紹介いたしましょう。

ミュージカルとの出会い

私とミュージカルとの出会いは大学3年の夏に訪れました。国立音楽大学で2年先輩のフルーティストの広川伸さんから、「岡本、ちょっと仕事を手伝ってほしいのだけど…」と頼まれたのです。それがミュージカル『ピーターパン』のお仕事でした。

当時、毎年夏にファミリー向けミュージカルとして上演されていた『ピーターパン』の木管セクションのリーダーは、国立音大の先輩フルーティストの中谷望さんでした。中谷さんは私と同じ宮本明恭クラスの卒業生で、スタジオプレーヤーとして活躍されていました。『ピーターパン』はフルートが2管編成で書かれていたので、中谷さんは国立音大出身で活躍している笛吹きを2nd奏者として呼んで下さっていました。その年は、今まで2ndを吹かれていた先輩のお一人が諸事情でフルートを辞めることになり、急に人が足りなくなったとのことです。

通常、学生にこのような仕事がまわってくることはめったにありませんが、中谷さんから「誰かピッコロを吹ける人を呼んできて!」と頼まれた広川さんが、幸運にも私に声をかけて下さいました。ここでも、ピッコロが私の将来の可能性を開いてくれたのですね(第5回セミナーを参照)。

時期は7月後半。ちょうど前期の授業も終わり、仕事といってもたまにある中高の吹奏楽の指導くらいでしたので、スケジュール的には暇にしていたときでした。既にリハーサルが始まっているとのことで、広川さんに連れられて早速稽古場へと向かいました。ミュージカルという未知の世界にワクワクすると同時に緊張しながら稽古場へ入ると、そこにはいかにも業界というオーラを醸し出す金管セクションのお兄様方、そして弦楽器のお姉様方の独特な雰囲気に、まだ学生だった私は「これがミュージカルオケの世界か!」と圧倒されました。木管セクションはプロオケの方も多く、とてもフレンドリーに接して下さり、少しずつその場の雰囲気に馴染んでいくことができました。

いよいよリハーサルが始まり、何よりも衝撃的だったのは中谷さんの圧倒的な響きの音色でした。スタジオプレーヤーということで、きっとマイク乗りのよい繊細で綺麗な音を出すのかな?と想像していましたが、中谷さんの音色は全く予想外でした。ドイツの名器ヘルムート・ハンミッヒに息を吹き入れた瞬間、倍音豊かな響きが天から降ってきて包み込まれるような錯覚を覚えたほどです。まさに、「こんなフルート、聴いたことがない!」と思いました。

中谷さんの音がどれほど凄かったか、ひとつエピソードをご紹介しましょう。それは私が大学を卒業しシエナ・ウインドオーケストラへの入団が決まったときのことです。

ある日、事前に選定したヤマハのフルートを受け取りにヤマハ銀座店へと向かいました。そこで担当の方から、「ジュリアス・ベーカーさんがいらしているので、会っていかれませんか?」と言われました。私が選んだフルートがまさにジュリアス・ベーカーモデルでしたので、是非にとお願いしました。ベーカーさんは、私の楽器をパラパラっと吹き、「うん、良い楽器だ!」とおっしゃって下さいました。それから一緒にランチに出かけようと店内を移動中、試奏室の前で突然ベーカーさんが「んんっ?、凄い笛吹きがいる!」と立ち止まりました。試奏室で吹いていたのは、何と中谷さんだったのです。しかもベーカーさんが「君はどのモデルを吹いているのか?」と興味津々尋ねると、それは中谷さんが知人から選定をお願いされた一番安いエントリーモデルだったのです! これにはベーカーさんもあっけにとられていました。それくらい、ベーカーさんにとっても中谷さんは印象的な笛吹きだったようです。

ミュージカルのリハーサルは、オーケストラだけの“オケ練習”、キャストと一緒の“歌合わせ”、本番通りの内容を稽古場で通す“通し稽古”を1週間以上かけて行います(キャストは、この1ヶ月位前から稽古を行っています)。そうしてようやく劇場に入ります。ここでは本番の衣装、照明、舞台装置、音響設備を使って“舞台稽古”を行います。

『ピーターパン』が上演された新宿コマ劇場のオーケストラピットは比較的浅い構造でしたので、舞台上の様子がよくわかりました。ですので、稽古が進むにつれてストーリーへの理解を深めることができました。ここでも中谷さんの音色と表現力の幅広さは圧巻で、隣で吹いていても客席で聴いていても学べることが山ほどありました。

『ピーターパン』はクラシカルな作品ですので、そのフレーズは美しくもシンプルなものも多くあります。中谷さんはクラシックだけでなくジャズ、ポピュラー、さらにはハワイアンや演歌等幅広い引き出しを持つ笛吹きでしたので、「たったこれだけのフレーズで、こんな表現ができるんだ!」、「中谷さんのように吹けるようになりたい!」と思ったものです。

本番が始まってから自分の乗り番でないときも、劇場に出かけて客席の通路脇で何度も何度も中谷さんの笛を聴いていました。そしてそれと同時に、いつしかミュージカルの魅力に引き込まれていったような気がします。

ミュージカルデビューはエキストラから

私が初めて『ピーターパン』で仕事をさせて頂いたのが1988年の夏でした。このときのフルートパートは中谷望さん、菅原潤さん、広川伸さん、そして私の4人でローテーションを組んでいました。まだ学生の私にとっては右も左もわかならい状況でしたが、必死に先輩方について行った記憶があります。とはいえ、今から思えばまだまだ“使えないやつ”だったと思います。けれども、周りの木管セクションの方々の温かな目があったからこそ、何とか仕事をさせて頂いたのでしょう。この時から、毎年夏のミュージカルは本当に楽しみな時間となりました。

次の年には私の1年後輩の中村めぐみさん(現在広島交響楽団フルート奏者)も仲間に加わり、共に仕事をしながら中谷さんから学べる“中谷塾”といった感じでした。残念ながら中谷さんはご病気で他界されたので、今あの音色を生で聴くことはできませんが、映画のサントラやCM、様々なアルバムを通して、知らず知らずのうちに中谷さんのフルートを耳にした方は多いかもしれません。

▲左から筆者、中谷さん、広川さん(新宿コマ劇場にて)

大学を卒業した後、中谷さんは『ピーターパン』以外の演目でもエキストラとして私を呼んで下さいました。『ピーターパン』では2ndフルートとしてでしたが、その他の演目ではフルートは1本ですので、中谷さんの代役を務めなければなりません。これは非常なプレッシャーでしたが、この経験がとても勉強になりました。

通常ミュージカルの現場では、最初からレギュラーとして頼まれることは少ないです。まずはエキストラとして、レギュラーの代役からスタートします。エキストラはオケ練からずっとレギュラーの隣に貼り付いて勉強し、時々はリハーサルで交代させてもらえるもの、ほぼいきなり本番で吹かなければなりません。これは大変な緊張感を要しますが、その反面予習をする時間はたっぷりあります。

まずはリハーサルでしっかり勉強し、初日が開けるとピット内で見学しながらその場の雰囲気を感じ、自分が本番で吹くイメージを固めていきます。もちろん最初から全てが上手くいくはずはありませんが、公演全体に支障がない範囲で演奏できれば及第点です。そこを出発点に、回を重ねる毎にクオリティを上げていけばよいのです。このルーティーンは、今でもエキストラとして仕事をするときは変わりません。例え何十回・何百回吹いたことがある演目でも、最終的にピットで見学して演奏者と同じ空気を感じることは大切にしています。

ミュージカルの公演は少なくとも1ヶ月、演目によっては何ヶ月も続きます。ですので、その時間の中で学べることが多くあります。私が大学を卒業して2年目のことだと思います。中谷さんから『赤毛のアン』というカナダから来日したミュージカルのエキストラを頼まれました。この時の周りのプレーヤーの方は一流の方ばかりでした。正直なところ、私はかなり周りに迷惑をかけていたようで、実際木管セクションでは少し問題になり、『ピーターパン』で一緒だった方が「まあ彼もまだ若いから、もう少し見守ってやってくれないか…」とフォローしてくれたこともありました。おかげで周りの方も少しずつアドバイスを下さったり、飲み会に誘って下さるようになり、私の中でも何かが変わったようでした。

実はこの仕事が始まる数ヶ月前、九州交響楽団のオーディションを受けました。伴奏者を伴って福岡まで行かなければならないので、相当な出費が必要になります。試験会場に行ってみるとフルートでの受験者はたった4人! 今では考えられないですね。一次審査ではまずまず上手く吹けたと思いましたが、たった4人の中でも二次審査に進むことはできませんでした。「何がいけなかったのだろう?」と自問自答するも、答えは見つかりませんでした。落ち込んでいたときに、中谷さんから『赤毛のアン』の仕事を頂きました。そしてこの仕事のすぐ後、再び九州交響楽団のオーディションが東京で行われました。今度は60名を超える応募があったと記憶しております。一次試験の結果、何と私ともう一人の二人が二次審査に残りました。前回のオーディションから3ヶ月しか経っていないのに、この違いは何なのでしょう。明確な答えはみつかりませんが、『赤毛のアン』の現場で経験したことが、私の笛の何かを変えたことは間違いないようです。残念ながら最終的に私は不採用となりましたが、“仕事をしながら学べることの大きさ”を実感した経験でした。

▲ミュージカル『赤毛のアン』の木管セクション

初めてのレギュラー

私が大学を卒業した頃は、まだ今のようにミュージカルの上演数は多くありませんでした。東京で年間を通じて公演を行っているのは劇団四季と東京宝塚劇場、そして1992年からロングランが始まった『ミス・サイゴン』くらいでした。私は中谷さんのエキストラとして年に2~3ヶ月の公演を手伝わせて頂く程度でしたが、それでもミュージカルの仕事に関われたことは幸運でした。

そんなある日、1本の電話がかかってきました。それは劇団四季からでした。内容は「今年の11月からのミュージカルをお願いしたいのですが…」とのこと。劇団四季で長年に渡って指揮をされている上垣聡さんが私を紹介して下さったそうです。上垣さんとは、それまでオーケストラや吹奏楽でご一緒する機会があり、私が時々ミュージカルの仕事をしていることもお話ししたことがありました。そんなご縁もあり、声をかけて下さったようです。

さて、こんな素敵な話しを断る訳がありません。「もちろん引き受けさせて頂きます!」と快諾し、電話の切り際に「あのう、一応1年はやると思いますので…」と言われ、さらにビックリ! この時引き受けた『美女と野獣』は、結局2年4ヶ月のロングランとなるのです。私にとっては初めてとなるレギュラーの仕事。公演パンフレットのオケメンバーの欄に自分の名前が載ったときは嬉しかったですね。しかも作曲のメンケンさんの音楽は素晴らしく、フルートもピッコロも本当に魅力的なフレーズが満載でした。演奏していて幸せになれる演目でしたよ。

ミュージカルをやると下手になる?

「ミュージカルって、毎日同じことをやるのでしょう。」とか「マンネリにならないの?」とか思われる方も少なくないでしょう。私にとって『美女と野獣』の2年4ヶ月というロングランは仕事という点では大成功でしたが、反省も大きい年月となりました。

この期間、ミュージカル以外の仕事も増え、午前中に音楽鑑賞教室で吹いてからミュージカルの2ステージをこなす等、気がつけば1ヶ月休みがないことも当たり前のように、仕事という点では充実していました。しかしながら肝心のミュージカルの本番では、神経を使い耳を使っての演奏が段々とおろそかになっていました。その結果、私のフルートのクオリティは下がっていったと思います。それにつれて周りのプレーヤーからの信頼も徐々に失われていくことになり、ピット内の人間関係も何となくギクシャクとしてきました。

もちろん、実際にイジメやケンカがあるわけではないのですが、「この人には信頼されてないな~ぁ」とわかる瞬間はありました。けれどもその原因は私自身にあったのだと、今ではよく理解できます。自分の音楽的なアピールばかりを意識して、もっと耳を使って周りの音を聴くというアンサンブルの基本姿勢が私には欠落していました。これに気づき、自分なりに勉強して修正するのには、その後かなりの年月を必要としました。

『美女と野獣』の公演が終わった数年後、久しぶりに一緒に仕事をしたプレーヤーの方に、「岡本の笛、良くなったね。一緒にアンサンブルしやすくなった!」と声をかけられたときは嬉しいやら恥ずかしいやら…。「あの頃はいっぱいご迷惑をおかけし、本当に申し訳ありません」と赤面するしかありませんでした。

この『美女と野獣』での苦い経験は、私を成長させてくれました。毎日同じことをやるからこそクオリティを維持することの難しさ、自分勝手な演奏がいかに周りに迷惑をかけるか、そして常に仲間とのアンサンブルを大切にすることを学ぶことができました。

その後、さすがに1年を超えるようなロングランは経験がありませんが、数ヶ月に渡るような長期公演は時々あります。もう二度と『美女と野獣』のときのような失敗は繰り返さないと、毎回気持ちを引き締めて公演に臨んでいます。

毎日当たり前のように本番を重ねていると、何となく楽器を吹いている気になってしまいます。しかしながら、本番は練習時間と別物だと私は思います。自分だけの“自分と向き合う”練習時間を毎日継続的に維持することはとても大切です。もしかしたら、吹奏楽コンクールに向けて何ヶ月も同じ曲を練習していると、これと同じようなことがあるかもしれませんね。毎日100%完璧な人間はいないので、小さなことからでも日々クオリティを上げていく姿勢は大切だと思います。

ミュージカルは音楽の多国籍軍

クラシック音楽とミュージカル音楽の違いは、幾つかあります。オーケストラ編成では作品にもよりますが、ほとんどのミュージカルはドラムとベースが入ります。ベースは古い作品ではウッドベース(コントラバス)が用いられ、新しい作品ですとエレキベース(ウッドベースへの持ち替えもあり)が多く使われます。最近の作品ではギター(アコースティック&エレキ)やシンセサイザーが使われることがほとんどです。ですのでアンサンブルにおいてはドラムとシンクロしたリズム(ビート)&テンポ感、そしてベースから積み上げていく和声感がとても重要になってきます。

そこで大切なことは“反応のよいクリアな発音”と“周りを聴く耳”です。これはクラシックでも同じことですが、残響の少ないオーケストラピットで、しかもマイクを使う現場ではこれらがとてもシビアになります。また取り入れられる音楽のジャンルが幅広いのもミュージカルの特徴です。特にジャズの要素は頻繁に登場し、クラシック畑の私たちには戸惑うことも多いです。スウィング一つとってもダサい跳ね方になり、「岡本のはチンドン屋のチャンチキだよ。」とよく言われます。これを克服するにはいろんなジャンルの音楽をいっぱい聴いて勉強するしかありません。ミュージカルの現場では、本物のジャズを専門とするプレーヤーもいっぱいいらっしゃいます。彼らのプレイに耳を傾け、ときには直接アドバイスを請うことが上達への近道です。実はそういう彼らも、私たちクラシックのプレーヤーの音色や奏法を少しでも盗もうと必死で勉強しているのです。

ミュージカルは音楽の多国籍軍です。クラシック、ジャズ等の様々な国籍を持つプレーヤーが一緒になって演奏します。専門外のジャンルに戸惑うこともありますが、こんなに刺激的で楽しく勉強になる現場はありません。

そういった意味では、吹奏楽でも同じことがいえるかもしれません。吹奏楽で演奏されるジャンルは幅広く無限大で、最近はプロ楽団でも様々なジャンルを超えたコラボにも意欲的です。みなさんが関わっている吹奏楽団で、もしクラシック以外のジャンルが登場したら、それは勉強のチャンスです。是非少しでも深く掘り下げてみて下さい。そうすることが、もしかしたら将来訪れるかもしれないミュージカルでの演奏の糧となるかもしれません。

 

■落ちこぼれ笛吹きの“やればできる!”ON LINEセミナー 第6回

音楽に熱中するあまり受験勉強について行けず中学で不登校、何とか音楽科の高校に進学するも休学し小さな町工場で電気配線と格闘する1年を経験。「やっぱり音楽がやりたい!」と復学し音大を卒業後、プロオケを目指して20回以上オーディションを受けるも全て撃沈。そんな“落ちこぼれ笛吹き”が30年間のプロ経験で得たものとは? その中に“明日からもっと楽しくフルートが吹けるヒント”がみつかるかも!

◆岡本 謙(フルート奏者)プロフィール◆
10歳よりフルートを始める。香川県高松第一高等学校音楽科を経て、1990年に国立音楽大学を卒業。同年、シエナ・ウインドオーケストラ結成メンバーとして入団。6年間の在籍期間中、ピッコロ及びフルート奏者としてコンサート、CDレコーディングを多数行う。その後、東京吹奏楽団に移籍、ピッコロ奏者を務める。現在はフリーとしてオーケストラ、吹奏楽、室内楽等において演奏活動を行う。また、ミュージカルのオーケストラ・プレーヤーとしても、数多くの演目にて年間を通じて活躍している。フルートアンサンブル“ザ・ステップ”タッド・ウインドシンフォニーメンバー。

一緒に演奏したい仲間!

5月から開講した当セミナーも、おかげさまで半年を迎えることができました。毎回、ご覧頂いているみなさまには、心より感謝申し上げます。

さて第6回セミナーを始める前に、私の大切な仲間とのお別れについて少し書かせて頂きたいと思います。ご存じの方も多いと思いますが、サクソフォーン奏者の新井靖志さんが先月ご病気のため永眠されました。

新井さんとの出会いは、シエナ・ウインドオーケストラへの入団でした。新井さんの柔らかく温いサックスの音色と自然で豊かな音楽性は本当に素敵でしたし、その穏やかで頼れるお人柄は私たちシエナの“お兄さん”のような存在でした。新井さんとは数多くの本番を共にしてきましたが、私が一番印象に残っているのは第1回定期演奏会で演奏した『ローマの祭』(レスピーギ)です。このとき演奏したアレンジでは“十月祭”のヴァイオリン・ソロがアルトサックスとピッコロのユニゾンで書かれていました。繊細なニュアンスを要求されるシビアな部分だけにアンサンブルは難しかったはずですが、とても自然に楽しく吹けた記憶しかありません。演奏会後の打ち上げで、新井さんが「謙ちゃん、あそこのソロ楽しかったね。またこういうのやりたいね!」と言って下さったのが、25年近く経った今でも忘れられません。


▲交響詩『ローマの祭』より“十月祭”の一部

シエナ退団後はしばらく新井さんとご一緒する機会はありませんでしたが、数年前よりタッド・ウインドシンフォニーで再び一緒に演奏する機会に恵まれました。近年では、『指輪物語』(デメイ)でのソプラノサックスとピッコロのユニゾン・ソロが楽しかった思い出です。

音楽家なら誰しも、上手なプレイヤーと共演できることはとても光栄なことですが、“上手だから”というだけでは一緒に演奏しても必ずしも楽しくないことだってあります。そういった意味で新井さんは“一緒に演奏したい!”、“一緒に演奏して幸せを感じられる”プレイヤーでした。そんな音楽家としての幸せがひとつ失われてしまったことは、本当に寂しい思いでいっぱいです。

私はとても新井さんの足下にも及びませんが、それでも仲間から“一緒に演奏したい”、“一緒に演奏して楽しい”と思ってもらえるようなプレイヤーを目指して頑張りたいと思います。

新井さん、出会えて一緒に演奏できたことに心から感謝申し上げます!

フルートが出来るまで

さて、今回のセミナーではフルートという楽器がどのようにして作られるのかをご紹介いたしましょう。まず、フルートは数ある楽器の中でも決して安価なものではありません。中学や高校の吹奏楽部で初めて楽器を始める方にの中には、「えっ、こんなに高いの! もっと安い楽器はないの?」と驚かれる方もいらっしゃるでしょう。

何故フルートは高いのか? その理由は、使われている材料と手間のかかる製造工程にあります。フルートに使われている材料は銀、金、プラチナという高価なものから、グラナディラのような特殊な木材まで様々です。その中でもメインとなるのが銀であることは、みなさんご存じのことでしょう。しかし銀は高価な素材ですので、エントリーモデルに気軽に使うことはできません。そこで初心者用の楽器には洋銀と呼ばれる銅とニッケルの合金が使われます。こちらは銀よりは軽量かつ安価なので、初心者には扱いやすく安く買うことができます。しかしながら楽器の製造工程においては、材料の価格に関係なくほぼ同じ手間がかかります。このあたりが、例え安価な材料の楽器であっても価格を抑えにくい理由です。

ということで、ご一緒にフルート製作の現場を見ていきましょう。今回、某ハンドメイド・フルート・メーカーのご厚意により、特別にアトリエ内の様子を取材させて頂きました。


▲管体の元となる銀の管(下)とそれに加工をしたもの(上)

ほとんどのフルート・メーカーは管体の元となる金属管を、専門の金属メーカーから仕入れています。金属の種類は銀だけでも銀純度90~99.8%と様々な上、管厚も複数のバリエーションがあります。当然ながらこの管自体が高価なものなので、フルート職人にとっても失敗の許されない仕事が要求されます。また、メーカーによっては“巻き管”という特殊な管の楽器も作っています。


▲巻き管の原料となる銀の板(上)とそれを管状に加工したもの(下)。矢印の部分は繋ぎ目となる部分で、最終加工後は素人には判別不可能。

この“巻き管”はフランスの名器ルイロットで採用されていて、倍音豊かな独特の明るい響きを奏でてくれます。ただ製作には熟練した職人技が必要でコストもかかるので、一部のメーカーのハイドメイド・フルートのみラインアップされています。

引き上げと半田付け

フルートはトーンホールの加工方法によって“引き上げ”と“半田付け”という2種類に分類されます。


▲トーンホールの形状、引き上げ(上)と半田付け(下)

現在では“引き上げ”が一般的で、“半田付け”は主に上級モデルに採用されます。“引き上げ”のメリットは材料費も安く作業の手間も少ないので、楽器製作のコストを抑えることができます。これに対して“半田付け”は別途リング状のトーンホールを作らなければならず、加工の手間もかかるので、価格の高いモデルしか採用できません。


▲半田付けのトーンホール、管体とのマッチングをベストにするため緻密な作業が要求される

“引き上げ”の作業工程はちょっと面白いので、詳しくご紹介いたしましょう。まず、金属管のトーンホール位置に穴を開けます。


▲トーンホール位置に穴を開けた銀管

これを“引き上げ”作業を行う機械にセットします。


▲“引き上げ”作業を行う機械

慎重に位置を合わせ、トーンホールを引き上げるためのアダプターをセットします。

ここからが職人の腕の見せどころです。アダプターの内部は見えないので、腕の感覚だけで作業を行わなければなりません。

すると不思議なことに管体から煙突状の筒が現れます! 実は管の内側にコマと呼ばれる金属パーツが仕込まれていて、これを回転しながら引き上げることによってこのような形状になります。


▲現れたトーンホール

次に、機械の先端をカッターに付け替え、何度も何度も確認しながら規定の高さまで加工していきます。

最後に、機械の先端をカーリング用のアダプターに付け替え、これを回転させながら筒に押しつけていくと…

不思議なことに筒の先端がロール状に丸くなっていき、見慣れたトーンホールの姿が現れます。

これらの作業を全てのトーンホールに施工し、さらに台座とポストを取り付けて、ようやくフルートの管体が出来上がりです。

このように“引き上げ”のほうがコストが低いとはいえ、そこには職人の細かい手作業があってフルートは作られます(大手メーカーでは専用の機械を使って複数のトーンホールを一度に引き上げたりもするようです)。

一般的に“半田付け”のほうが高級というイメージはありますが、“引き上げ”は軽量で管とトーンホールが一体となった響きの魅力があります。一方“半田付け”は吹奏感は重くなるものの、細かいパッセージで個々の音の粒立ちが明瞭になる等の利点もあり、価格で選ぶというよりは吹き心地や音色の好みで選択されるとよいでしょう。

尚、金の楽器の場合は“半田付け”ではなく“ロウ付け”という作業になり、銀よりもはるかにデリケートな熟練技が要求されます。ですので、価格もそれなりに高価になってしまうのは仕方ありませんね。

熟練職人による手作業の積み重ね

フルートは数多くのパーツによって構成されています。これらひとつひとつの部品の精度が悪いと、キーがスムーズに動かなかったりと演奏に支障が出てしまいます。そこで、いかに個々の部品の精度を上げるかが、フルート職人の腕にかかっています。


▲鋳型から出てきたキーの部品

細かいキーの部品は、鋳型に金属を溶かし込んで作ります。そして鋳型から出てきたときは、このようなツリー状になっています。これをひとつずつ切り離して使うのですが、このままでは精度が悪いので、こちらのメーカーではひとつひとつのパーツを職人が手作業で仕上げていきます。


▲加工に使用する金ヤスリ

最初は粗目の金ヤスリから作業を始め、徐々に細かな目のものへと何度も繰り返しながらヤスリをかけていきます。ここで手間をかければかけるほど、楽器の仕上がりは美しくなります(大手メーカーの量産モデルの場合は、研磨機械での削りが主となります)。また、後に説明する溶接の作業を精度よくスムーズに行うためにも、このヤスリがけ作業は重要になります。

キーのカップ部分は金属板を高圧でプレスすることで形成されます(メーカーによってはカップの内側を真っ平らにするため、削り出し加工を行っているところもあります)。

これにアーム(腕の部分)を溶接していくのですが、これがまた熟練技を必要とする作業になります。銀ロウをバーナーで溶かし込みながら、個々のパーツをひとつずつ溶接していきます。


▲パーツの溶接に使う銀ロウ、それぞれ異なる融点(溶ける温度)を持つものを複数使い分ける


▲バーナーで溶接しているところ、長年の経験と感覚が必要な職人技


▲こういうバネかけのような小さな部分も、ひとつずつ溶接していく

こうして、ひとつひとつのパーツが完成していきます。

頭部管はフルートの音色を決める最も重要な部分です。1本1本丁寧に仕上げられていきますよ。

組み立てとタンポ合わせ

こうして作られた部品たちは、いよいよ最終の組立工程へと入っていきます。

ここではパーツ同士の隙間が適当か、余分な遊びや緩衝がないかを入念にチェックして調整します。この作業が甘いと、何度調整しても楽器に狂いが生じてしまい、演奏していても思うようにキーがスムーズに動かないという悲劇を生みます。個々のパーツ同士の動きをチェックしながら丁寧に組み付けていきます。

末永く楽器を使い続けるために、最も重要な作業となります。

いよいよ最後は“タンポ合わせ”になります。実はこの作業が地道で大変かつ大切な行程になります。

タンポとトーンホール面が水平に密着するように、複数の厚さの調整紙を使って合わせていきます。


▲異なる厚さを持つ調整紙


▲キーに貼り付けるコルクも手作業でひとつひとつ製作

この作業は非常に地道なもので、楽器を組み立てては確認し、さらにもう一度部品を外して調整し直したりと、確認・調整を何度も繰り返すことになります。また気温や湿度によってもタンポの形状が変化するので、それを想定した調整は長年の経験を必要とします。

フルートのオーバーホールを経験された方はご存じかと思いますがタンポ全交換と調整で、多くの場合約8万円前後の修理代と数週間の期間が必要です。それほど時間と根気が必要な作業なのです。

このタンポ合わせの作業は、楽器のレスポンスや音色に直接影響を与えるので、どのフルート・メーカーでも熟練した職人がこの作業を担当します。そしてその職人さんたちはフルーティストとのコミュニケーションをとても大切にしておられ、演奏者が何を求めているのかを熟知していらっしゃいます。しかしながらそこに至るまでは苦労も多く、若い職人さんだと演奏者から叱られることもしばしばで、道半ばで辞めてしまう場合も少なくないようです。

ですので、優れた若い職人さんを育てるということも、フルート業界にとって大切な課題だと思います。それには、私たち演奏者が職人さんの技の奥深さをしっかり理解し、自分も一緒に勉強するというスタンスでつき合っていくことが大切かもしれませんね。

こうして多くの時間と職人さんの熟練技によって、ようやくフルートが完成します。

いかがでしょう、たまたまお店で売っていた楽器を気に入って買ったという方も、その楽器が完成するまでの過程にを思いを寄せることによって、より愛情が増してきたのではないでしょうか?

自分の楽器の“生い立ち”を知ることによって改めてフルートが好きになって頂ければ、こんなに嬉しいことはありません。また、これからフルートを購入しようかと考えている方には、「これだけの手間暇をかけて作られているんだ!」と知ってもらうことで、その価値や価格に納得して頂けるかもしれません。

現代は“何でもネットで安く手軽に買う”時代になりましたが、楽器の価値観はそれに当てはまらないということを、今回のセミナーから知って頂ければ幸いです。

■落ちこぼれ笛吹きの“やればできる!”ON LINEセミナー 第5回

音楽に熱中するあまり受験勉強について行けず中学で不登校、何とか音楽科の高校に進学するも休学し小さな町工場で電気配線と格闘する1年を経験。「やっぱり音楽がやりたい!」と復学し音大を卒業後、プロオケを目指して20回以上オーディションを受けるも全て撃沈。そんな“落ちこぼれ笛吹き”が30年間のプロ経験で得たものとは? その中に“明日からもっと楽しくフルートが吹けるヒント”がみつかるかも!

◆岡本 謙(フルート奏者)プロフィール◆
10歳よりフルートを始める。香川県高松第一高等学校音楽科を経て、1990年に国立音楽大学を卒業。同年、シエナ・ウインドオーケストラ結成メンバーとして入団。6年間の在籍期間中、ピッコロ及びフルート奏者としてコンサート、CDレコーディングを多数行う。その後、東京吹奏楽団に移籍、ピッコロ奏者を務める。現在はフリーとしてオーケストラ、吹奏楽、室内楽等において演奏活動を行う。また、ミュージカルのオーケストラ・プレーヤーとしても、数多くの演目にて年間を通じて活躍している。フルートアンサンブル“ザ・ステップ”タッド・ウインドシンフォニーメンバー。

1番じゃないと意味がない?

日本史上最多のメダルラッシュに盛り上がったリオ五輪が閉幕しました。見事メダルを獲得した選手はもちろんのこと、惜しくもメダルに手が届かなかった選手たちの頑張る姿に胸を打たれた方も多いと思います。特に金メダルが期待された選手にとっては、その期待通りの色のメダルを手にするために、長い年月をかけて苦しい練習を積み重ねてきたことでしょう。

金メダルを獲得した選手たちは本当に素晴らしいですが、それ以上に目標にあと一歩届かなかった選手たちの姿が強烈に心に残っている方も少なくないでしょう。そんな彼らの発した「1番じゃないと意味がないので…」という言葉が、私はとても印象に残りました。「決してそんなことはない!」と日本中の人が思ったはずです。しかしこれは、当人の正直な気持ちだと思います。

確かに世の中には“1番じゃないと意味がない”と思わされる現実はあります。音楽の世界でいうと、オーケストラのオーディションが同じような状況でしょうか。通常、募集人数は各パート1人です。しかも募集は数年に一度というときもあるので、そのたったひとつの席をめぐって数十人、場合によっては100人近くが競い合います。その中から楽団員、音楽監督等に認められた1番の人のみが採用されるのです。この場合、2番の人は意味がありません。もし次にオーディションがあったとしても採用される保証もなく、何回2番になろうともオーケストラには入れてくれません。これがプロオケに入る難しさで現実です。

私が音大を卒業した後、幸運なことに20回以上プロオケのオーディションを受けられるチャンスがありました。そのうちの何度かは二次審査に進むことができましたが、2度ほど2人のみが最終審査に残されたことがありました。50人以上の応募者から2人に絞られたとき、そこには1番と2番しか存在しません。1番にはプロオケ団員としての地位、安定した給料や社会的保証が待っています。2番は何の保証もなく不安定なフリーという現実のままです。この差はとてつもなく大きく、確かに“1番じゃないと意味がない”という現実ですね。

残念ながら私は1番になることはできませんでした。しかしながら、“1番じゃないと意味がない”とは決して思っていません。1番になれなかったのは運が悪かったのではなく“自分の力不足”だったからで、それは仮に1番になっていたとしても後にかなりの試練が待っていたと思います。また1番になった人もそれでゴールではなく、オケに入ってからの努力と試練は相当なものだと想像します。その努力ができ、試練を乗り越えられる人ことが“本当の1番”であり、プロオケの楽団員として活躍されているのです。

それでは、私が“1番じゃないと意味がない”と考えないのはどうしてでしょう? フリーという不安定な立場上(当時のシエナは固定給から歩合制へと移行)、仕事が続かなかったら楽器を辞めていた可能性だってあります。けれども“1番になれなかった”からこそ考えさせられたこと、出会えた人々、見えてきた道が沢山あります。

1番になれない理由はいろいろありますが、要は“何かが足りない(劣っている)”からです。全てに優れている人は文句なしに1番になってプロオケに入っています。1番になれなかった私のような音楽家たちは、その“何かが足りない”部分を少しでも向上させようと悪銭苦闘してることでしょう。もしかしたら、どんなに努力しても1番の人には追いつけないかもしれません。しかしながら、自分に足りない部分を認めてそれと向き合うことができて、初めて見えてくるものもあります。そして気がつけば50歳を目前に控えた今でも、まだフルートを吹き続けていられます。これは私にとって“とても意味のあること”なのだと思います。

ピッコロとの出会い

少し前置きが長くなってしまいましたが第5回となる今回のセミナーでは、ピッコロについてお話ししたいと思います。

▲私の愛器(ヘルムート・ハンミッヒ)

ピッコロはオーケストラや吹奏楽で最高音を担当する笛であることはみなさんご存じですが、その可愛らしい容姿とは裏腹にとてもコントロールの難しい楽器です。実際にフルート吹きの中にも、「ピッコロは苦手」とか「ピッコロは興味ない」という方もいらっしゃいます。

そういう私も、はじめは全くピッコロに興味がありませんでした。中学の吹奏楽部では、運動会でほんのちょっと吹いたことがあるくらいでした。その後進学した高松第一高校吹奏楽部でも、音楽科のフルート専攻生たちはピッコロを吹きたがらず、普通科の生徒がピッコロ担当でした。ですので普通だったらピッコロに全く触れないまま、私は高校を卒業していたかもしれません。

ところが高校2年のとき転機が訪れます。コンクールの県大会を2ヶ月後に控えたある日、私は吹奏楽部顧問の石川孝司先生に呼び出されました。そこで石川先生は、「岡本、コンクールでピッコロをやってくれ。」とおっしゃったのです。実はピッコロ担当の同級生が、諸事情で部活を辞めざるを得ない状況になったとのことでした。正直、私は迷いました。コンクールに出られるという期待と、ピッコロという慣れない楽器を吹く不安が交差したからです。

さらに当時の私は部活の欠席常習犯で、そんな自分がコンクール練習について行ける自信が持てませんでした。そこで、「僕より、真面目に部活に出ている他の同級生がやったほうが・・・」と石川先生に言ったところ、「おまえにやってもらいたいんだ。そのかわり、部活にはちゃんと出席しろよ!」と強い口調で先生はおっしゃいました。後で聞いた話しですが、当時の部の役員や先輩たちは、私がコンクールに出ることにみんな反対したそうです。それもそのはず、ろくに部活に来ない人をコンクールメンバーに入れられるはずがありません。

当時の私がどのくらい駄目な部員だったかというと、高校1年のときの全国大会への遠征で、1年の男子部員は手伝い要員として全員普門館まで同行しましたが、ただ一人私だけ連れて行ってもらえませんでした。それくらい、やる気のない生徒だったのです。しかし、そんな先輩たちの反対を押し切って、石川先生は私をコンクールメンバーに推したのです。今から思えば、「ちゃんと責任を負わせればコイツはやる!」と先生は見抜いていたのでしょう。

「おまえにやってもらいたいんだ!」という石川先生の言葉は、私の眠っていた心に火を付けました。その日から、私は真面目に部活に出席するようになりました。はじめのうちは先輩たちから、「おまえ、ちゃんと部活に来いよ!」と顔を合わす度に言われました。先輩とはいえ、休学前には一緒に高校受験した仲間ですので、その言葉は厳しくも「おまえ頑張れよ!」という温かいものでした。

ピッコロを吹くとフルートの調子が悪い?

ピッコロについては中学のときに少し吹いたことはあるものの、ほぼ初心者という状態でした。奏法や運指はフルートと同じですが、実際に吹いてみると高音で思うように音が出ません。自由曲はヴェルディの歌劇『運命の力』序曲、ピッコロが高音域まで使われている曲です。最初は譜面に書かれた音を出すのが精一杯でした。高い音を出そうとしてもヒット率は非常に低く、出るのは唾ばかり…。コンクールまで間もないだけに、焦る気持ちばかりが積もってきます。

さすがにこのままではまずいと思い、一旦フルートは後回しにしてピッコロ中心の練習へと切り替えました。まずはフルートと同じように「ソノリテについて」の最初のロングトーンから丁寧に行います。そして、徐々に高音域へと続けていきました。次にスケール(音階)練習。高音域では音が変わると息を入れるツボが微妙に変わるので、ちょっとしたことで音が出なくなります。それを修正しながら滑らかに音が繋がるまで繰り返しました。

しかしながら、高音の練習を続けていると耳鳴りがしてきました。これは、ピッコロ奏者の職業病のようなものです。当然、自分でも「うるさい!」と思うので、自然と息のスピードを緩めてしまいます。そうするとアンブシュアも閉まってしまい、高音は出しにくくなります。ですので、ピッコロ初心者の方には右耳だけ耳栓をして練習することを、私は勧めています。

まずはスピードのある息を保って、しっかりと高音域のロングトーンを行って下さい(但し周りの人からはできるだけ距離を離れて! 爆音で迷惑をかけますから…)。フルートと同様に十分に響きのある音色で高音が出せるようになると、フルートとピッコロは運指は同じでも実は“異なる楽器”であるということがわかってきます。フルートが吹ければピッコロも吹けるというものではないのです。しかしピッコロが吹ければ、それはフルートの高音域でのコントロールの幅が広がるという恩恵もあります。けれど私の場合、ピッコロの練習をすればするほどフルートの中低音の調子が悪くなってしまいました。ある日のレッスンで、「部活でピッコロを吹くようになって、フルートの調子が悪いのですが…」と野口博司先生(第1回セミナーを参照)に言ったことがあります。すると先生は、「将来オーケストラをやりたいのだったら、ピッコロは常識だよ。」とバッサリおっしゃいました。この言葉は胸に突き刺さりました。ピッコロを言い訳にしていた自分が恥ずかしかったですね。このときからピッコロは“フルートの練習の邪魔”になるものではなく、オケを目指す自分にとって“なくてはならないもの”になりました。

合奏で音が合わない!

さて、ようやく高音域でも音が当たるようになり楽譜通りに演奏できたところで、初めてコンクール合奏に参加しました。ところが、そこで驚くべき事態が発生します。あんなに苦労して吹けるようになった高音が、出る音出る音ことごとく音程が合いません。オケの編曲ものということで、オリジナルの1stヴァイオリンパートがピッコロ・フルート・クラリネットによるユニゾンで書かれているので確かに音程的にはシビアですが、それにしても吹く度にハウリングを起こし醜い状態でした。あまりにも音が合わないので、「おまえ、違う調で吹いないか?」とクラリネットの先輩から笑われる始末です。一人で練習しているときはそこまで酷い音程で吹いている自覚はありませんでしたが、周りの音を聴いて合わせるとか音色を工夫するという意識が欠落していたのですね。

それ以降、どうやったら周りと馴染む演奏ができるのかを追求する毎日でした。当時、個人で買える安価なチューナーは売っていませんでしたので、部活のチューナーを借りて楽器や自分の癖をチェックしたり、p から f までの音量の変化にできる限り対応する吹き方を研究しました。そうするうちに、あんなに合わなかった音程も気がつけば少しずつ周りとブレンドするようになっていきました。今でこそ個人個人がマイチューナーを持っていて手軽に音程をチェックできますが、私が中高生の頃はそれができなかった反面、各自がもっともっと耳を使って合わせていたと思います。

歌劇『運命の力』序曲で最も苦労した部分は、次のパッセージです。

▲歌劇『運命の力』序曲 206小節~(原調より短2度上)
オーケストラではヴァイオリンがオクターブのユニゾンで軽やかに演奏しますが、吹奏楽版ではピッコロ・フルート・クラリネットによる大ユニゾン大会になります。しかも私が演奏した版では原調より2度高い上、ピッコロはフルートよりオクターブ上で書かれていました。普通に吹けば相当騒がしいことになってしまいますが、この部分を弦楽器のようにいかに軽やかに吹けるかを研究することは、吹奏楽でピッコロを吹くにあたりとてもよい勉強になりました。吹奏楽においてピッコロは、最高音を担当するスパイス的な役割と同時に、バンド全体のサウンドの高音倍音に彩りを添える“かくし味”的な役割も担っています。そのためにはソリスティックな要素だけでなく音色のヴァリエーションや、何より耳を使った演奏が大切です。

最初はあんなに苦労した『運命の力』ですが、練習が進むにつれて周りとのアンサンブルが本当に楽しくなってきました。後にオーケストラでもこの曲を演奏しましたが、高校時代の吹奏楽のほうが“やりがい”がありましたね。残念ながらこの年は全国大会出場は成らず(第2回セミナーを参照)、私がピッコロに真剣に取り組んだのは四国大会までのたった3ヶ月弱でした。けれど、私のフルート人生にとってはとても意味のある時間でした。

ピッコロが運んできたチャンス

再び私がピッコロに出会うチャンスは、音大入学早々に訪れました。国立音楽大学では毎年5月に通称“C年ブラス”という新1年生による吹奏楽の演奏会が行われていました。指揮は管楽器専攻の4年生の先輩が務め、演奏する曲も先輩が選んで決めます。同期のフルート専攻生は12人いましたが、誰もピッコロを吹きたがらなかったので、私はすすんで立候補しました。演奏する曲はオーウェン・リード作曲の『メキシコの祭り』。3楽章からなる曲ですが、ピッコロは最高音のC(ド)が度々登場したり、第2楽章では叙情的なソロがあったりと大活躍です。

▲くにたちウインド・シンフォニカ(通称C年ブラス) 1986年、国立音楽大学講堂大ホール
この“C年ブラス”の演奏会が終わった後、出会う先輩たちが口々に「岡本、ピッコロすごく良かった!」と言って下さったのです。さらに同期生たちの間でも、いつしか“ピッコロの岡本”というイメージが定着していったように思います。またピッコロが吹けるからという理由で、先輩や同期生から中高の吹奏楽部の指導やアマチュアバンドのお手伝いの仕事を頼まれるようになりました。少し話しは逸れますが、先輩や仲間たちに認めて頂いたのにはもうひとつ理由があります。国立音楽大学ブラスオルケスター(以下ブラオケ)では新1年生の自己紹介の際、先輩たちの前で何かひとつ芸をする慣例がありました。私は、母校高松一高の応援歌『一高のファイト』を熱唱しました。熱唱といっても、「一高のファイトを知らないか」という歌詞をひたすら繰り返すだけです。幸運なことにこのインパクトが強かったようでして、「あいつは面白い」とか「あいつはピッコロが吹ける」と先輩たちに覚えてもらえたようです。

私が国立音楽大学を受験した理由のひとつに、ブラオケをやりたいという思いがありました。高校生のとき、ブラオケのレコードでラヴェルの『ダフニスとクロエ』第2組曲(藤田玄播編曲)を聴いたときは衝撃的でした。吹奏楽とは思えない色彩豊かなサウンドと、繊細かつダイナミックな演奏に感動しました。ブラオケはフルート18名、ピッコロ2名という独自の編成を基本とします。フルートパートを、まさにオケのヴァイオリンパートとして扱っているのです。

▲国立音楽大学ブラスオルケスター 1988年、国立音楽大学講堂大ホール
ブラオケのピッコロパートは、3年と2年の2人で担当する慣例でしたので、私は2年間ブラオケでピッコロを吹くことができました。ソロを除きピッコロ2本のユニゾンも多いので、2人のチームワークが大切になります。ここで最初の1年間は先輩の木次谷 緑さんと、次の1年間は後輩の中村めぐみさんとコンビを組んで演奏できたことは、非常に勉強になりました。1年先輩の木次谷さんとは後にシエナ・ウインドオーケストラでもご一緒でしたし(第3回セミナーを参照)、中村さんは広島交響楽団のフルート奏者として現在活躍されています。お二人共にピッコロもフルートも名手でいらしたので、その演奏や音楽に対する姿勢から学ばされたことは大きかったです。音大で過ごした4年間で誰かにピッコロのレッスンを受けたことは一度もありませんでしたが、このブラオケでの経験そのものが私の“ピッコロの師匠”でした。そしてこの大学生活の中で、益々ピッコロが大好きになっていきました。

高校2年のあのとき、石川孝司先生に「ピッコロをやってくれ。」と言われなかったら、シエナでピッコロを吹くことはなかったかもしれません。また初めて声をかけて頂いたプロオケの仕事もピッコロでしたし、ミュージカルのオーケストラでもピッコロ持ち替えが当たり前です。先生の言葉が、ピッコロ吹きとしての私の未来とチャンスを導いてくれました。ときに非常に厳しい先生でしたが、出会えたことに心から感謝しております。ピッコロで苦労されている方、チャレンジしたいけれど躊躇されている方、全く興味はないけれど…という笛吹きのみなさまにとって、少しでも私の経験が背中を押すことができれば幸いです。

余談ではありますが、私の母校高松一高は今年(2016年)19年ぶりの全国大会への切符を手にしました。指揮をされているのは石川先生の息子さんの石川幸司さんです。さらにもうひとつの母校である屋島中学校も全国大会出場が決まりました。ダブル母校の全国出場に、OBとしてこんなに嬉しいことはありません。両校ともに、讃岐パワー全開の演奏を全国大会でも披露してくれることでしょう。また全ての出場団体が持てる力を十分発揮して、最高の12分間を楽しまれることを願ってやみません。

★おすすめのピッコロCD

■ピッコロ・ジャンクション(ピッコロ:菅原 潤)
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-1884/

■ピッコロ・ジャンクション2(ピッコロ:菅原 潤)
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-2844/


ピッコロ吹きの巨匠、菅原 潤(NHK交響楽団)さんのピッコロ・アルバム。国立音楽大学の大先輩で、ピッコロ好きとしては学生時代からの憧れの先輩でした。確実で高度な技術力はもちろんのこと、包容力のある音色と表現の幅広さは必聴です! 他にも『Dedication for Piccolo』と『ピッコロ・アルバム』もおすすめ。

■ヴィヴァルディ:ピッコロ協奏曲集(ピッコロ:デュンシェーデ)
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-4097/


ベルリン・フィルのピッコロ奏者を務めたデュンシェーデのCD。柔らかい音色と繊細な表現力が本当に素晴らしいです。また、弦楽&チェンバロのアンサンブルの完成度が高く、とても7人での演奏とは思えません。ピッコロ好きなら、是非持っておきたい1枚です。

■落ちこぼれ笛吹きの“やればできる!”ON LINEセミナー 第4回

音楽に熱中するあまり受験勉強について行けず中学で不登校、何とか音楽科の高校に進学するも休学し小さな町工場で電気配線と格闘する1年を経験。「やっぱり音楽がやりたい!」と復学し音大を卒業後、プロオケを目指して20回以上オーディションを受けるも全て撃沈。そんな“落ちこぼれ笛吹き”が30年間のプロ経験で得たものとは? その中に“明日からもっと楽しくフルートが吹けるヒント”がみつかるかも!

◆岡本 謙(フルート奏者)プロフィール◆
10歳よりフルートを始める。香川県高松第一高等学校音楽科を経て、1990年に国立音楽大学を卒業。同年、シエナ・ウインドオーケストラ結成メンバーとして入団。6年間の在籍期間中、ピッコロ及びフルート奏者としてコンサート、CDレコーディングを多数行う。その後、東京吹奏楽団に移籍、ピッコロ奏者を務める。現在はフリーとしてオーケストラ、吹奏楽、室内楽等において演奏活動を行う。また、ミュージカルのオーケストラ・プレーヤーとしても、数多くの演目にて年間を通じて活躍している。フルートアンサンブル“ザ・ステップ”タッド・ウインドシンフォニーメンバー。

長い夏、短い夏

夏も本番真っ盛り。日本各地で開催されている吹奏楽コンクールでは、熱い演奏が繰り広げられていることと思います。どの団体も、少しでも“長い夏”にするべく日々の練習を続けていらっしゃることでしょう。日頃の努力の成果が実って見事先の大会へ進めた団体、あと一歩力が及ばず“短い夏”に涙している団体、それぞれだと思います。

私が指導に関わっている学校でも本番で十分に力を出し切れず、思った結果が出せずに悔し涙を流している光景を目にしました。特にコンクールを最後に引退する3年生にとってはこの悔しさをバネに、次の“受験”という新たな目標に切り替える必要があるのですが、これは決して簡単なことではありませんね。

とある全国大会金賞常連校の顧問の先生は、日々の練習の中で、「努力すれば必ず報われる!」と生徒たちに言っていました。実際その言葉の通り、この学校は数々の名演で輝かしい成績を積み重ねてきました。私もこの言葉は真実だと思います。

しかしながら現実には、努力を積み重ねた全ての団体が“金賞・代表”という結果で“報われる”わけではありませんね。そんなとき、「私たちはこんなに努力したのに、どうして報われないの?」という言葉を耳にします。私は彼らに、「君たちより、もっともっと2倍3倍努力した仲間がいたんだよ。」と言います。それでも、「私たち、必死で頑張ったよ!」という言葉が返ってくるとき、「それは、ライバルたちが君たちよりもっと前から頑張っていたのだと思うよ。」と応えます。

これから先の人生、もしかしたら同様の思いをすることがあるかもしれませんが、それでも自分たちが頑張ってきたことは、絶対に無駄ではありません。「自分も頑張った、けれどもライバルたちも頑張った!」という吹奏楽コンクールを通じた経験が、みなさんの人生を豊かにしてくれることを信じて止みません。

楽しく学ぶ音程のお話し

さて、今年は惜しくも“短い夏”になってしまった学校の下級生や顧問の先生方にとっては、今のこの時期はライバルたちよりもいち早く“スタートを切る”チャンスでもあります。今“何をするか?”で1年後の結果が大きく変わってきます。

本当はこの時期にきちんとレッスンを受けて基礎を固めるのが重要なのですが、多くの団体は部活の予算をコンクール練習で使い切ってしまっているので、講師の先生を呼ぶことは難しいと思います。ですので、まずは自分たちでできることから始めましょう!

はじめに、コンクールの審査講評をもう一度見直してみましょう。そこには何と書かれているでしょうか?

縦を合わせましょう、音程を合わせましょう、バランスを工夫しましょう、音がきたない、もっと表現をつけて・・・等々。何から手をつけてよいかわからず途方に暮れているかもしれません。

上に挙げた要素は、コンクールでは全て減点される可能性があるものです。逆にいうと、これらを一つ一つ解決していくと点数UPに繋がるということです。今回のセミナーでは、その一つの“音程”について勉強してみたいと思います。

音程については吹奏楽指導の現場では“ピッチ(Pitch)”と言われることが多いです。ピッチが悪い、ピッチが合わないと書かれた団体も多いと思います。この“ピッチ(Pitch)”という言葉は日本では“音程”という意味で使われることが多いですが、実際には音の周波数(振動)を表すもので、正確には“イントネーション(Intonation)”という言葉が“音程”にあたります。海外の方に“ピッチ”と言っても?な表情をされることもあるので、予備知識として知っておくとよいでしょう。

音程が悪いとなぜいけない?

楽器を演奏したことある人なら“音程”という言葉を聞くだけでドキッとする方も少なくないでしょう。「そこの音程悪い!」とか「もっと音程を合わせて!」とか叱られた経験は、誰でもあると思います。

自分はただ楽しく楽器を吹いているだけなのに、何で音程のことでここまで注意されなければならないのでしょうか?  少し想像してみて下さい。

誰もいないものすごく広大な広場があります。そこに自動車が1台ぽつんと置いてあります。あなたは自動車免許を持っていないかもしれませんが、現代の自動車の運転は簡単です。キーを回してエンジンをかけパーキングブレーキを解除し、シフトレバーをドライブに入れてアクセルを踏むだけで走らせることができます。何の障害物もない広場ですから、急ハンドルと速度の出し過ぎさえ注意すれば、気持ちよく車を走らせることができます。これは、一人だけで楽器を練習している状態に似ています。どんな運転をしようと誰にも迷惑をかけません。

ところが現実社会ではどうでしょうか。みんなが勝手な運転をすると、たちまちのうちに事故が多発し、大渋滞が発生します。それを防ぐために速度制限等の交通法規があり、ドライバーは周りの車に注意を払いマナーを守って運転します。“音程が合っていない”演奏は、例え本人たちが気がついていないとしても、実はあちこちで接触事故や渋滞が起こっています。このような演奏は聴いていても全く気持ちよくありません。指揮をされている先生には進むべき道や目的地が見えているのに、演奏する人たちの運転(演奏)技術が未熟かつ注意力が散漫な状況では、とても良い音楽にはなりません。当然、聴いている人たちにとってはサウンドが混沌とし、何を伝えたいのか全く理解できないということになりますね。そして最も重要なことは、演奏している本人たちが“気持ちよくない!”ということです。

合わない音は気持ち悪い!

吹奏楽指導の現場では、音程を合わせるために個人個人がチューナーを付けたり、指導者が一人一人に「この音高い」とか「その音低い」とか注意する光景を当たり前のように目にしますね。しかしながら、このような練習では何百回繰り返しても、最終的に音程は合いません。何故なら、演奏している生徒たちが“聴いて判断していない”からです。

それでは、どうすれば自分の耳で聴いて音程を合わせる能力が身につくのでしょうか? その答えは簡単です。実際に、音程の合わない音がどんなに気持ち悪いかを体験させてあげればよいのです。

幸運なことに私はフルートが吹けます。生徒と一緒に同じ音を演奏し、わざと音程を狂わせます。するとブォォーンという不快なハウリングが発生します。正常な感覚の持ち主なら、このハウリングをとても気持ち悪いと感じます。次に、もう一度同じ音を一緒に演奏します。今度は、音程をピタリと合わせてあげます。このとき、一瞬自分の音が聞こえなくなる瞬間を体験できます。これが音程が合った状態です。これらの音が合わない“気持ち悪い”状態と、音が合った“気持ち良い”状態を、自分の耳で体感できることがとても重要です。

人間の耳は音程が合わず不協和なハウリングが発生すると、不快と感じるようにできています。ですので「気持ち悪い! 何とかしないと・・・」という意識を積極的に持つことが、音程を合わせる近道です。

ここで、オススメの練習方法をご紹介しましょう。まずは二人でユニゾンを合わせる練習からスタートです。二人の楽器のチューニングを、一人は出来るだけ高く、もう一人はあり得ないくらい低く(頭部管が抜け落ちない程度!)します。「せーのー」で同じ音を吹きます。当然ながら音が合うはずもなく、気持ち悪いハウリングが発生します。さて、ここからがチャレンジです。この状態でも二人で音程が合うように、工夫してみましょう。音程は“高い”か“低い”の二つしかありません。お互いに上げたり下げたり…。二人の音程が近づくとハウリングが減ってきますが、逆に離れていくとよりハウリングが増幅して気持ち悪さが増してきます。二人が「この気持ち悪さを何とかしたい!」と歩みよることで、音程に神経を遣い合わせる能力が身につきます。

ある程度音が合ったら、今度は簡単な音階(スケール)を一緒に吹いてみるとよいでしょう。いつもは普通に吹いている音階でも、“何かをしなければ”音が合わないはずです。元々のチューニングが狂っているのですから、合わなくて当然です。ですので、音が合わなくても誰からも叱られません。それでも何とか合わせることができれば、それはあなたたちが“とても素晴らしいこと”をした証拠です。お互いに歩み寄ろうという気持ちと行動力こそが、良いアンサンブルの第一歩なのです。

実は、普通のチューニングの状態でも“ただ吹いているだけ”では絶対に音程は合いません。もちろん合いやすい音もありますが、ある特定の音になった途端、不快なハウリングが発生します。“相手の音をよく聴いて、何かをする”という習慣を、この“遊び”を通じて学んで下さい。大切なのは、ゲーム感覚で楽しむことです。「音程が合わないと叱られるから」ではなく、「音が合わないと気持ち悪いから」という意識を、演奏する全てのメンバーが持つことが大切ですね。

“音程高い恐怖症”を吹っ飛ばせ!

「フルート、音程が高い!」と叱られた経験は、フルート吹きなら誰でもあると思います。私もレッスンで、仕事の現場で、何度注意されたことか…。フルートに限らず、高音パートを受け持つ楽器は、しばしば「音程が高い!」と目の敵にされてしまいます。その結果、高音域でも絶対に高くならないようなチューニングをしたり、音程が高くならないように息を押さえ込んで吹くようになったりします。そして「音程が高いのは、すごく悪いことなんだ!」と信じ込み、442Hzを絶対に超えないような吹き方に執着するようになります。

そもそも、音程が高いのは悪いことなのでしょうか? 確かに極端に音程が高いと、気がつくと誰もついてこないという“一人旅”のような状態になります。しかしながら人間が演奏する吹奏楽は“生(なま)もの”です。演奏が盛り上がり、楽器が温まってくると自然とハイピッチになる場合だって珍しくありません。ドライブでもそうですが、見通しのよい道路でついついスピードが出てしまい、「ピ・ピー、時速1kmスピード違反ですよ!」言われたらどうでしょう? 実は、吹奏楽指導の現場ではこれと同じ状況をよくみかけます。各自がチューナーを付けられ、少しでも442Hzを超えてしまう場合は“スピード違反”と罰せられてしまいます。このような指導を受けた生徒たちは、ある程度安定した音程で演奏できるようにはなりますが、それはあくまで義務感を植え付けられているだけで、実施に自分の耳で聴いて心地よいと思ってはいません。音楽はそんなものではありません!

吹奏楽等のアンサンブルの中でフルート等の高音楽器に課せられた役割は、サウンドのトップとして明るく彩りを添えることです。このトップのパートが、たった時速1kmの速度超過で違反切符を切るような堅物だったとしたら、そのバンドは何と不幸なことでしょうか。みんなが気持ちよく走ろうとしている前に立ちふさがり、「はいはい、みんなもっとゆっくり走ろうね。」と制止されているのと同じことです。きっと、仲間たちはやる気をなくしてしまいますよね。「高くなければよい」のではなく、「ちょっとは高くても大丈夫」という気持ちと、「むしろ高音パートが低いのは悪」という意識と責任感が大切です。周りのパートも「フルートが低かったらおかしいだろう!」とか「私たちが支えてあげるから、安心して気持ちよく吹いてね!」という思いやりがあると嬉しいですね。

最後に、航空自衛隊のブルーインパルスは華麗な展示飛行を例えに説明したいと思います。6機の飛行機が大空を高速で飛びながら、アクロバティックな飛行で観客を魅了します。

この綺麗な編隊型は、美しい完璧なハーモニーと似ています。お互いの位置(音程)関係が正確であることは、ハーモニーを作る上で非常に大切です。ブルーインパルスの操縦士は速度計や高度計を見ているとは思いますが、大空では気流等の不確定要素も多いので、最終的には自らの感覚とお互いの信頼関係に頼って操縦しているのでしょう。しかも超高速で移動しながら…。

楽器を演奏するということは、大空を高速で突き進んでいるのと同じです。少しでも気を抜くとスピードが落ちて高度(音程)が下がります。しっかりと速度(息のスピード)を保ちながら、お互いの位置(音程)関係に神経を張り巡らせて演奏することが大切なのです。安定しないフラフラとした飛行状態(奏法)では、自分のポジションを把握することすら難しく、相手に音を合わせるどころか、周りに合わせてもらうことすら困難です。

さらにフルートは先頭を行く1番機の役割に似ています。自分勝手な操縦をしたら大事故に繋がりかねません。仲間を信頼して、しっかりとリードしていかなければなりません。ブルーインパルスは失敗が許されませんが、音楽で失敗しても誰かが怪我をすることはありません。まずは失敗を恐れずチャレンジして下さい。もし勢い余って誰もついてこれなかったら、「ごめんなさい、次は気をつけるね!」と謝ればよいのです。

ハーモニーの大切さについては、語り出すと奥が深いので別の機会にしたいと思いますが、常に音程というチームワークが求められているセクションはホルンとトロンボーンです。彼らは和声を担当させられることが多いので、自然とハーモニーを意識した演奏が求められます。特にプロの世界では、そのチームワークへの意識の高さは半端ではありません。合奏中、音程のことで迷ったら彼らの音に耳を傾けるとよいでしょう。きっとあなたの聴くべき音がそこにあるはずです。また、直接アドバイスを求めるのもよいですね。彼らほど、周囲の音にアンテナを張って演奏しているセクションはないと思います。そして、サウンドのトップを受け持つパートとして、自分の役割をしっかり果たしていくことが、私たちフルート吹きにとって大切なことだと思います。

■落ちこぼれ笛吹きの“やればできる!”ON LINEセミナー 第3回

音楽に熱中するあまり受験勉強について行けず中学で不登校、何とか音楽科の高校に進学するも休学し小さな町工場で電気配線と格闘する1年を経験。「やっぱり音楽がやりたい!」と復学し音大を卒業後、プロオケを目指して20回以上オーディションを受けるも全て撃沈。そんな“落ちこぼれ笛吹き”が30年間のプロ経験で得たものとは? その中に“明日からもっと楽しくフルートが吹けるヒント”がみつかるかも!

◆岡本 謙(フルート奏者)プロフィール◆
10歳よりフルートを始める。香川県高松第一高等学校音楽科を経て、1990年に国立音楽大学を卒業。同年、シエナ・ウインドオーケストラ結成メンバーとして入団。6年間の在籍期間中、ピッコロ及びフルート奏者としてコンサート、CDレコーディングを多数行う。その後、東京吹奏楽団に移籍、ピッコロ奏者を務める。現在はフリーとしてオーケストラ、吹奏楽、室内楽等において演奏活動を行う。また、ミュージカルのオーケストラ・プレーヤーとしても、数多くの演目にて年間を通じて活躍している。フルートアンサンブル“ザ・ステップ”タッド・ウインドシンフォニーメンバー。

本物の音を聴くということ!

早いもので、4月末から開講した『おちこぼれ笛吹きの“やればできる!”ON LINEセミナー』も3回目となりました。この春、中学や高校に入学された新入生のみなさまもようやく学校生活に慣れてきた頃だと思います。吹奏楽部に入部して初めての楽器を手にされた方は、きっと悪戦苦闘しながら練習されていることでしょう。フルートに関していいますと、なかなか音がまとまらず「どうやったら先輩たちのように綺麗な音が出るのだろう?」と悩んでいる人もいらっしゃるかもしれませんね。

フルートは楽器自体に振動体が付いていないので、吹いていても息の抵抗感を実感し辛い部分があります。ましてや、息の大半を外に捨てているようなものですので、“一生懸命吹けば吹くほど音にならない”と落ち込むことだってあります。

そんなとき、街角でパフォーマンスをしている大道芸人を想像してみましょう。現実には何もないのに、あたかもそこに透明な壁があるかのように手で押してみたり寄りかかったり…。フルートを吹くときも、自分の顔の前に透明な壁があると想像してみましょう。そして、その壁に当たった空気が跳ね返ってくるようなイメージを持つことができれば、息のスピード感やまとめ方、方向性が定まってきます。ちょっと強く押すと消えてしまうような壁ではなく、しっかりと息を跳ね返してくれるような壁をイメージして下さいね。それができれば、壁のどの部分にどれくらいの強さで息を当てればよいか工夫してみましょう。きっと、気持ちよく息が跳ね返ってくるポイントを見つけられるはずです。

さて、楽器が上達するには練習が大切ですが、それと同じくらい重要なことがあります。それは“本物の音を聴く”ということです! 楽器はひたすら机に向かって勉強するだけで100点満点が採れるようなものではありません。女性がファッション誌を見て「このヘアースタイル素敵!」とか「この服可愛い!」とか思うように、そこに具体的なイメージがあると上達は早くなります。身近にフルートの先生や上手な先輩がいることが理想的ですが、そうでない場合はCD等を聴くということも音のイメージ作りには有効です。今はYouTubeでも様々な名手の演奏を聴くことができますが、ネット上の音のクオリティーはかなり低いです。少しでも本物に近い音を体験するには、やはり圧縮されていないCD等の音源を聴くことをお勧めします。また、少しだけ高級なイヤフォン(ヘッドフォン)を使うということも効果的です。音楽を勉強する上で、品質の高い音の追求は大切にして下さいね。

生で聴く名手の音色

私が初めて世界的な名手の演奏を聴くチャンスは、高校1年のときに突然やってきました。当時ウィーン・フィルの首席フルート奏者だったヴォルフガング・シュルツさんが、香川県まで来て下さったのです! しかも正式なリサイタルではなく、音楽を勉強している人のために、地元大学の施設を使ってのプライベート的なコンサートでした。そこでは、とても身近な距離でシュルツさんの演奏を聴くことができました。それだけに、シュルツさんの暖かい音色とパワフルなオーラに、高校生の私は圧倒されっぱなしでした。シュルツさんもノリノリで、アンコールにも関わらずバッハのh-mollソナタの終楽章を演奏してくれたのがとても印象的でした。普通に考えて、アンコールにそんなキツい曲を演奏するなんて、信じられないですよね。今から思い出しても、感性の敏感な若い時期にこういう体験ができたことは、本当に幸せだったと思います。

高校時代に聴いたフルーティストで最も鮮明に印象に残っているのは、何といっても大好きだったオーレル・ニコレさんです。さすがにニコレさんは四国まで来て下さらなかったので、高校でフルートを専攻していた仲間たちと一緒に大阪まで聴きに行きました。金曜日、授業を早退して連絡船で本州に渡り、さらに在来線と新幹線を乗り継いで大阪まで約3時間の道のりでした。

大阪に着いて最初に向かったのは、当時関西随一のフルート楽譜が揃っていた三宅楽器さん。そこで夢中になってアンサンブルの楽譜を探したことを覚えています。そして阪急梅田駅の地下街にある喫茶店で軽い夕食をとった後、リサイタルが開催されるザ・シンフォニーホールへと向かいました。

ザ・シンフォニーホールという最高の音響空間で聴くニコレさんの音色は想像通り、いや想像以上に暖かく柔らかく私を包み込んでくれました。プログラムは、これまた大好きなオール・バッハ! とにかく最初から最後までテンション上がりまくりでした。その後、何度もニコレさんの演奏を聴きましたが、この時の感動は格別でした。終演後、どうしてもひと目ニコレさんに会いたくて楽屋口に行ってみると、幸運なことにサイン会が行われていました。私はバッハのソナタの楽譜にサインして頂きました。ニコレさんは今年(2016年)の1月に90歳で他界されましたが、このとき頂いたサインは私の一生の宝物です。


▲ニコレさんから頂いたサイン

さて、サインをもらうのに時間を費やしてしまい、私たちは高松へ戻る船の出航時間に間に合わなくなってしまいました。そこで、船が途中立ち寄る神戸まで国鉄で先回りすることで、何とか高松行きの船に乗ることができました。ところがこの夜、普段は穏やかな瀬戸内海が大しけで、あまり大きくない船の揺れること揺れること。翌朝、高松港に到着するまで、船酔いで気持ち悪くなりながら、ほとんど眠れないまま一夜を過ごしました。今となっては、田舎の高校生(私以外はみんな女の子!)のとんでもない珍道中でしたが、やはりあの時ニコレさんを聴けてよかったと思います。

忘れられない音色との出会い

自らのフルート人生を振り返ってみると、その時々で“忘れられない音色との出会い”があったことに気づかされます。第1回のセミナーでご紹介した野口博司先生や、シュルツさんやニコレさんとの出会いは、高校生だった私に大きな影響を与えました。そして国立音楽大学に進学した私に、さらなる“衝撃的な音”との出会いが待っていました!

私が4年間師事することになった先生は、この年の春までNHK交響楽団で首席フルート奏者を務めていた宮本明恭先生でした。そして最初のレッスンで聴いた宮本先生の音色には衝撃を受けました! それは、今まで聴いたことがないスピード感と情熱溢れるサウンドでした。先生の演奏は、まさにsemple appassionato(常に情熱的に)という言葉がぴったりでした。

当時の宮本クラスの門下生たちは、少しでも先生の音に近づこうと日々のロングトーンには余念がなく、誰が聴いてもすぐに“宮本クラス”とわかってしまうほどでした。宮本先生のレッスンでは、ちょっとでも魂のこもっていない音を出すと「音!、音!、音!」、「ヴィヴラート!、ヴィヴラート!」と叱られたものです。また少しでもリズムがぶれると「指!、指!、指!」と繰り返し注意されました。宮本先生は、「ロングトーンをするときもメトロノームを使いなさい。」とおっしゃいました。


その際、(a)のような遅いテンポではなく、その倍のテンポ(b)で行いなさいと。要するにロングトーンをするとき、ただ音を長く伸ばすのではなく、速いテンポを感じながら音を出すことが大切なのです。そうすることで、スピード感のある息を使って楽器を100%響かせることができると、先生から教わった気がします。そんな宮本先生の演奏の中で今でも忘れられない瞬間は、1988年のリサイタルで演奏されたエマヌエル・バッハのソナタの冒頭部分です。


▲C.Ph.E.バッハ:無伴奏フルートのためのソナタ 第1楽章より

曲はA(ラ)の音のオクターブ跳躍から始まりますが、このときのAの響きの輝きと奥深さは「フルートでこんな音出るの?」と思うくらい凄かったです。私の中でのフルートの価値観が変わった瞬間でした!

今から思えば、もっともっと宮本先生から学びたかったことが山ほどありますが、当時あまり練習熱心ではなかった私は、いつも早々にレッスン室を追い出されていました。あの頃、もっと真面目に練習していれば・・・と思ってもあとの祭りですね。しかしながら、そんな私でも先生から受けた影響が染み込んでいて、それが今までのフルート人生を支えてくれていると思います。宮本先生は先月80歳を迎えられ、そのフルートの音色もまだまだ健在のご様子です。納得がいかないところがあると、何度も何度も繰り返しさらいこむ先生のお姿からは、フルートと音楽に対する深い愛情を学ばせて頂きました。

音大を卒業してから…

音大での4年間は、非常に充実した時間でした。何より大好きな音楽に没頭できましたし、志を同じくする仲間たちとの時間は「この生活が一生続けばいいのに…」というくらい楽しかったです。しかしながら、そんな楽しい時間もいつしか過ぎていき、やがて卒業後の進路を考える時期となってきます。

私は「30歳までにプロ・オーケストラに入る!」という目標(結局、達成できませんでしたが…)を決めてはいましたが、やはり卒業後のことが不安でした。そこで、ちょうどこの年から宮本先生が大学院でも教鞭をとられることになったので、大学院を受験することにしました。同期のフルート専攻生では、同じ宮本クラスから3人が受験しました。先生は大学院受験の私たちのために、特別に時間を割いて指導して下さいました。試験の結果は私以外の2人は合格し、私だけ不合格でした。私の実力不足は当然として、大学院で何を学びたいかという具体的なビジョンもなく、何となく受けてしまったことも敗因かと、反省する日々でしたね。

年が明け、いよいよ卒業が迫ってきた頃、高校以来の友人から電話がかかってきました。彼は同じ高松第一高等学校でクラリネットを専攻し、同じく音大卒業を控えていた橋本眞介さん(現在:名古屋音楽大学准教授)です。そして次のように切り出したのです。

「俺たち、音大を卒業しても仕事ないよね。そこで考えたのだけど、俺たち吹奏楽好きだよね。だから、同じような吹奏楽好きが集まってお金を出し合い、年に何回かでも演奏会をやらないか?」

当然ながら、私は二つ返事でOKと答えました。気の合った仲間たちと、大好きな吹奏楽ができるチャンスを見逃すはずがありません! 橋本さんは武蔵野音大の仲間を中心に、私は国立音大の仲間たちに話しを持ちかけました。具体的なことは何も決まっていませんでしたが、楽器を吹き続けたいという人は興味を持ってくれました。1990年初め、音大の枠を超えて集まった仲間による吹奏楽団が、今まさに生まれようとしていました。

シエナ誕生秘話

~ブラス好きから生まれた夢のプロ楽団~

若い音楽家による自主的なプロ吹奏楽団を作るという発想。このアイディアが思わぬ急展開を迎えることになります。橋本さんがこの吹奏楽団のことをクラリネットの師匠である藤井一男先生に相談したところ、非常に興味を持って聞いて下さりました。そして少しでも若者の力になりたいと思われた藤井先生は、「ちょっと待って。自分たちでお金を出すのもいいけれど、何か応援できないか考えてみるよ。」と言って下さったのです。ここからがまさにミラクルといってよいほどのドラマティックな展開でした。

藤井先生が長年に渡って一緒に仕事をされてきた楽器メーカーのヤマハから“全面的にバックアップする!”とのご提案を頂いたのです。さらに、メンバーには毎月決まった給料も出すというではありませんか! 最初、この話しを聞いたときは本当に信じられませんでした。しかしこれは現実でメンバーの給料や運営にかかる経費、練習場の費用、打楽器の無償貸与、そして日本各地でのコンサートやクリニック等を、ヤマハが全面的にサポートしてくれることが決まりました。このスピード感は目まぐるしいほどで、ほんの数箇月で発足した新楽団にも関わらず、次から次へとコンサートの開催やCD録音が決まりました。そして楽団の運営については、藤井先生が代表を務める音楽事務所に一任するとのことでした。そこで先生は“定年を28歳にする”という斬新な提案を打ち出します。この楽団を若手中心に構成し“次なるステップへの架け橋”にしてもらいたいという思いの表れでした。この28歳定年制は、後に「もっと長期的に楽団の将来を考えて頑張りたい!」という団員の意向で撤廃されることになりますが、この定年制があったおかげで若くフレッシュな吹奏楽団が誕生することになります。

ところで、楽団をバックアップするヤマハより、2つ条件が提示されました。
(1) メンバーは全員ヤマハの楽器を使ってほしい。楽器は特別割引で提供する。
(2) メンバーは公募のオーディションで選出してほしい。

(1)については、巨額のバックアップをするわけですから、楽器メーカーとしては当然の希望ですね。もちろん宣伝効果も大切ですが、「オールヤマハのプロ楽団を聴いてみたい!」という楽器メーカーの夢もあったと思います。ただ人それぞれに愛用してきた楽器もあるだけに、このことでオーディションを受けるのを諦めた人も少なからずいました。

(2)も当然といえば当然の条件でしたが、吹奏楽団の創設を目指していた私たちにとっては、「俺たち、入れてもらえるのかな?」と焦ったのも事実です。実力重視のオーディションですので、情状酌量の余地は全くありません。フルートに限らず既に活躍されているフリーのプレーヤーは大勢いらっしゃったので、このオーディションは相当なプレッシャーになりました。募集人数はフルート奏者2名とピッコロ奏者1名。フルートはかなり高い競争率になると思い、私はちょっとだけ得意だったピッコロで受験することにしました。オーディション前夜は気持ちが高ぶって寝つけず、一睡もしない状態でオーディションに臨みました。数日後、無事合格の通知を頂いたときは本当にホッとしました。また、橋本眞介さんをはじめ一緒に楽団創設を目指してきた多くのメンバーたちも合格したと聞いたときは、本当に嬉しかったです。

さらにフルートで合格したのは、大学で1年先輩の木次谷 緑さんと伊達佳代子さん。お二人とも同じ宮本クラスでしたので、シエナ創立時の初代フルートパートはオール宮本クラスということになります。木次谷さんは大学時代からオーケストラや国立音大ブラスオルケスターで、ずっとお隣で吹かせて頂きました。残念ながらご病気で若くして他界されましたが、いつも笑顔で性格も明るくフルートもピッコロも本当に素敵な先輩でした。伊達さんとは、長年に渡ってご一緒にお仕事をさせて頂いております。ドイツの名器ヘルムート・ハンミッヒを自在に操り、その音色と音楽性には日本人離れした魅力がいっぱいのフルーティストです。

“シエナ”命名の由来

ようやくメンバーも決定し、これから新楽団が活動していこうとするとき、「楽団の名前はどうしよう?」ということになりました。「とにかく若々しい名称がいいよね。」と話していると、藤井先生が「シエナっていいと思わないかい?」とおっしゃいました。先生のお話しによると、北海道の函館に『シエナホテル』というとても素敵なホテルがあるとのこと。今でこそイタリアの地名として有名ですが、当時シエナを知っている日本人は少なかったと思います。そこで先生はホテルに電話して、「シエナってどういう意味ですか?」と質問されたそうです。そうするとイタリアの地名ということがわかり、そこからイタリア…明るい太陽…地中海…青い空…爽やかな風…とイメージが膨らみ、フレッシュな新楽団にはピッタリと思ったそうです。私たちも先生のお話しを聞いているうちに、イタリアの青い海と空が頭の中に浮かんできて、この若い楽団には相応しい名称だと思いました。余談ですが、当時イタリアに詳しい方からは、「イタリアの楽団で演奏されていらっしゃるのですね。」なんて言われることもありましたよ。

かくして1990年5月、平均年令23歳の若々しいプロ楽団『シエナ・ウインドオーケストラ』が誕生することになります。当時のバンドピープル誌には、メンバー全員の顔写真とプロフィールが掲載される等、吹奏楽界において非常に注目を集めました。またヤマハの強力なバックアップにより、設立1年目の年間稼働日数は何と144日にも達しました。音大を卒業したばかりで経験の浅い私たちにとってコンサート、CD録音、クリニック等、多くのことを学び経験できる貴重な場があったことは、本当にありがたいことでした。

バンドピープル1990年6月号
バンドピープル1990年7月号
バンドピープル1990年8月号

いよいよシエナがデビューするとき、残念ながら“言い出しっぺ”の橋本さんの姿はそこにありませんでした。彼は大学院への進学も決まっていましたが、同時に広島交響楽団への入団が決まったのです。この時のことを私はよく覚えています。明け方まで藤井先生のお宅でシエナ発足の準備や話し合いをし、「よし、これから一緒に頑張っていこう!」と別れました。まだ電車の始発前でしたので、私のバイクに橋本さんを乗せて江古田のアパートまで送りました。私が帰宅するとすぐに彼から電話がかかってきて、「広島交響楽団から採用通知が届いた!」と言われました。つい数時間前までシエナの未来像について熱く語り合っていただけに、後ろ髪を引かれる思いは相当強かったと想像しますが、彼はオーケストラ奏者の道を選びました。しかしながら、橋本さんの“吹奏楽への情熱”はあの頃と全く変わっていないと、今の活躍ぶりからも察することができます。その彼の情熱があったからこそ、シエナが生まれたのですね。橋本眞介さんと藤井一男先生のお二人こそが“シエナの生みの親”だと思います。そして、若者の夢を応援してくれるヤマハという“大きな支え”があったからこそ、“ブラス好きの夢”が現実になったことは、本当に素晴らしいことですね。

その後、バブル崩壊等の時代の変化は音楽業界にも打撃を与え、シエナ・ウインドオーケストラは苦難にさらされるときもありました。しかしながら、そんなときも団員同士が知恵を出して協力し合い、今や本当に素晴らしい楽団に成長されました。きっと簡単には語れないほどの努力と、多くの方の協力があったことでしょう。26年前の創立時には、今の輝かしいシエナの姿を想像することは正直できませんでした。“吹奏楽への情熱”、“若い音楽家の夢”から生まれたシエナは、今後50年・100年とさらに輝き続けることでしょう。シエナよ永遠なれ!

■落ちこぼれ笛吹きの“やればできる!”ON LINEセミナー 第2回

音楽に熱中するあまり受験勉強について行けず中学で不登校、何とか音楽科の高校に進学するも休学し小さな町工場で電気配線と格闘する1年を経験。「やっぱり音楽がやりたい!」と復学し音大を卒業後、プロオケを目指して20回以上オーディションを受けるも全て撃沈。そんな“落ちこぼれ笛吹き”が30年間のプロ経験で得たものとは? その中に“明日からもっと楽しくフルートが吹けるヒント”がみつかるかも!

◆岡本 謙(フルート奏者)プロフィール◆
10歳よりフルートを始める。香川県高松第一高等学校音楽科を経て、1990年に国立音楽大学を卒業。同年、シエナ・ウインドオーケストラ結成メンバーとして入団。6年間の在籍期間中、ピッコロ及びフルート奏者としてコンサート、CDレコーディングを多数行う。その後、東京吹奏楽団に移籍、ピッコロ奏者を務める。現在はフリーとしてオーケストラ、吹奏楽、室内楽等において演奏活動を行う。また、ミュージカルのオーケストラ・プレーヤーとしても、数多くの演目にて年間を通じて活躍している。フルートアンサンブル“ザ・ステップ”タッド・ウインドシンフォニーメンバー。


真島先生、ありがとうございます!

みなさま、こんにちは。落ちこぼれ笛吹きの“やればできる!”ON LINEセミナー第2回の開催です。

このセミナーの執筆中、ショッキングなニュースが飛び込んできました。作曲家・編曲家の真島俊夫先生が67歳の若さで他界されました。真島先生と聞くと、私が高校3年のときの課題曲『波の見える風景』(1985年)が真っ先に頭に浮かびます。冒頭からフルートの低音を活かしたオーケストレーションで、最初に参考演奏を聴いた瞬間からこの曲の虜になりました。中間部には水面にキラキラと反射する日光を模倣したかのような素敵なフルートソロもあり、「今年のコンクールでは絶対この曲をやりたい!」と思いました。後に、真島先生が沖縄の海をこよなく愛していらっしゃるというお話しを聞いたとき、「なるほど、だからこんな曲が生まれたんだ!」と思ったものです。ですので、私が通っていた高松第一高等学校(以下、高松一高)がこの曲をコンクールで演奏すると決めたとき、とてもワクワクしました。

その後、真島先生の作品を色々演奏させて頂きましたが、『波の見える風景』を吹く機会はまだありません。いつかまた、演奏できれば嬉しいなと思います。真島先生、本当に素敵な作品の数々を私たちに残して頂き、ありがとうございます!

全国大会への想い

さて高松一高吹奏楽部は、私が高校2年のときに全国大会の切符を逃していました。しかしながらこの時(1984年)のメンバーは木管セクションを中心に実力者揃いで、自由曲で演奏したヴェルディの歌劇『運命の力』序曲では、クラリネットセクションが弦楽器に劣ることない見事なアンサンブルを披露していました。実際、四国大会の審査員にいらしていたクラリネット界の巨匠ジャック・ランスロ氏は最高点を下さったと記憶しております。残念ながら金管の審査員の方からの評価が低く、この年は惜しくも代表を逃してしまいました。

▲1984年の四国大会。現在第一線でプロとして活躍中のプレイヤーも!

もし、このときの『運命の力』を全国大会で演奏できていたら、きっと吹奏楽コンクールの歴史に残る演奏になったのではと思います。このような経緯もあり、私が3年のときには「絶対に全国に行くぞ!」という並々ならぬ思いがありました。

吹奏楽コンクールで少しでも良い成績を得るため、どの団体も選曲には試行錯誤されていると思います。自分たちのバンドは何が弱点で何が得意なのか、課題曲とのバランス等、様々な要素を検証し尽くしていることでしょう。

この年(1985年)、高松一高が自由曲に選んだのはジェイガーの新作『タブロウ』でした。当時、高松一高の自由曲はクラシックの編曲物が当たり前でしたので革新的ともいえる選曲でしたが、フルート、サクソフォーン、ホルンに良い人材が揃っていたので、顧問の石川孝司先生もあえてオリジナル作品にチャレンジするという決断を下されました。そして課題曲はフルートが活躍する『波の見える風景』。その選択は吉と出て、見事2年ぶりに全国大会への切符を手に入することができました。

いざ、普門館へ!

当時、香川県にはジェット旅客機が着陸できる空港はありませんでしたので、大人数が東京まで移動するのはJR(当時は国鉄)が主流でした。さらに瀬戸大橋も建設途中でしたので、まずは連絡船で1時間かけて瀬戸内海を渡り、そこから新幹線が停まる岡山駅までは45分くらい在来線に乗ります。ようやく新幹線に乗り換え、さらに4時間でやっと東京に到着です。今思うと約6時間もの長旅だったのですね。宿泊場所は代々木にある青年の家のような施設でした。練習場所も、あまり広くない食堂のような場所だったと記憶しております。まさに合宿のような状況でしたね。普門館への移動も地下鉄で、大型バスで来ている他校が羨ましかったです。普門館に到着してからステージ裏までの記憶はあまりありません。何年か後、指導していた土気中学校の応援で普門館を訪れた際に、「裏はこうなっていたんだ。こんなところでチューニングしてたんだ。」と思ったものです。

私たち高松一高の出演順は一番最後。せっかくの全国大会でしたが、客席で他校の演奏を聴くことはできませんでした。唯一、ステージ裏で出番を待つときに聴けたのが、名門習志野高校! いろんな方から「前の団体の演奏は上手く聴こえるものだから・・・」と言われてはいましたが、それを差し引いても上手すぎ!です。それもそのはず、あの『ローマの祭』の名演が繰り広げられた年でしたから・・・。とにかく、動揺せずに自分たちの演奏をしたいという思いと、当時は“四国の高校はいつも銅賞”というレッテルを貼られていたので、何とかそれを覆したいという願いで、習志野高校の名演に会場内の興奮が冷めない中、ステージに上がりました。

失敗から学ぶこと

普門館のステージ上から見た景色は、真っ黒な床、だだっ広い客席、話しには聞いていた客席内のエスカレーター・・・。石川先生のタクトが振り下ろされた瞬間、「あれっ、周りの音が遠い!」とちょっと動揺。「自分の音も響いていないかも?」とちょっぴり不安な気持ち。今ではホール練習を当たり前のようにしている団体も多いですが、当時の高松一高はホール練習なんかは一度もありませんでした。コンクール、8月の定期演奏会、秋の文化祭くらいしかホールで演奏する機会はありません。事前に心積もりはしていても、やはり普門館の広大な空間と全国大会の雰囲気に力みが出たのでしょう。『波の見える風景』でソロの最初の音が少しひっくり返ってしまいました。確かにフルートにとっては攻めると外しやすい中音域のEの音でしたが、一瞬のこととはいえ相当ショックでした。

▲1985年の全国大会。おそらく『波の見える風景』のソロ部分

あのときの悔しさは今でも忘れられません。応援に来てくれた先輩からも「おまえ、ソロ外しただろう。」と言われてしまいました。けれども、分不相応に背伸びすると失敗するという、大変よい勉強になりました。

数年前、ある全国大会常連校のフルートの生徒が、力みすぎたためか地区予選でソロが少しひっくり返ったことがありました。もちろん彼女は強豪校の中でソロを任せられる、とても上手な生徒でした。この時、私の全国大会での失敗談を話してあげました。本番で攻める気持ちは大切だけれども、普段以上に自分を良く見せようと思うのではなく、場所や環境が変わっても“普段通りの丁寧な演奏をする”ことが大切だと言ってあげられたのは、自分の経験があったからです。失敗を経験したからこそ、ささやかながら人の気持ちに寄り添うことができたことに、自分の失敗も無駄ではなかったのかな?と思った瞬間でした。

とはいえ、その当時は銀賞(銅賞じゃなかった!)という結果にホッとする余裕もなく、宿舎に帰っても相当落ち込んでいたと思います。二段ベッドに潜り込んで本番の録音を何度も聴き返し、「大丈夫、カスったのは一瞬。自由曲のソロは上手くいっている。」と自分を納得させるのが精一杯でした。

音楽はチームプレー

そんな落ち込んだ気持ちが救われたのは、コンクールの数ヶ月後に発売されたバンドジャーナルの記事でした。全国大会の出場団体への批評で、審査員もされていた国立音楽大学の大阪泰久先生が「このバンドは課題曲冒頭でのフルートの響きが素晴らしい。他にも、要所でフルートの音色が光っていた・・・」という趣旨のコメントを下さったのです。この言葉には本当に救われました。コンクールメンバーのフルートパート全員は、音楽科のフルート専攻生でした。その中の一人、藤村恵子さんは練習熱心な努力家で、正確なテクニックと低音域の充実した音色を持っていました。学内の実技試験では一度も彼女を超えられたことはありませんでした。『波の見える風景』の冒頭での響きを作れたのは、藤村さんをはじめ、共に競い合ってきた仲間がいたからだと思います。そして、元をただせば“大ホールで通用する音色”を私たちに叩き込んで下さった野口博司先生のおかげに他なりません(第1回を参照)。吹奏楽コンクールの審査をしていると、課題曲冒頭の印象が大切だということがよくわかります。審査員の方は最初のフルートセクションの音色を聴いて、「このバンドはちょっと違うぞ!」と思って下さったのでしょうね。こういった魅力あるサウンドは個人だけで作れるものではなく、パートやセクションのチームプレーがあってこそ、初めて実現するものです。私は、これまで個人の些細なミスに落ち込んでいた自分を恥ずかしく思いました。吹奏楽やオーケストラの指導をしていると、自分中心に物事を考えている人と、常に周りへの気配り大切にしている人は、演奏を聴けばすぐにわかります。私はどちらかといえば前者だったと思いますが、そんな私でも(私だから?)知らず知らずのうちに周りの仲間たちに助けられていたのですね。

▲一緒にコンクールを戦ったフルートパートの仲間たち。真ん中が藤村恵子さん。私はミスを後悔してちょっと不機嫌そう…

余談ですが、藤村恵子さんは音大卒業後に高松一高で後進の指導にあたり、優秀なフルーティストを数多く育てられました。私が所属しているタッド・ウインドシンフォニーのフルートパート5人のうち、何と3人が彼女の教え子なんですよ。もちろん、3人共に野口先生のDNAも受け継いでおりますので、響きのある笛の音色には自信ありです!

2016年6月10日(金)のタッドWSの第23回定期演奏会では、熱い演奏をご期待下さい。日本初演のチェザリーニの新作シンフォニーも重厚なサウンドの意欲作だけに必聴です!

▲タッド・ウインドシンフォニーのフルートメンバー。左から横山由布子さん、井清順子さん、筆者、赤木香菜子さん、前田美保さん。横山さん、赤木さん、前田さんは藤村さんのお弟子さん!

ところで全国大会に出場した団体は、そのご褒美としてディズニーランドに行くという話しを聞いたりもしますが、私たちの高松一高にはそんな習慣は全くありませんでした。自由行動はコンクール翌日の午前中のみ。多くの生徒は銀座のヤマハへ行って、レコードや楽譜を買うのを楽しみにしていました。私と友人たち数人は、秋葉原の電気街に向かったものの開店時間が11時からだったので、それまで喫茶店で時間をつぶし、残り1時間でお店を巡りました。ということで最後の最後まで“落ちこぼれ”ぶりを発揮しておりましたが、今となっては全てがよい思い出です。

コンクール課題曲への実践

コンクールの話題が出たところで、フルート吹きの視点から今年度(2016年)の課題曲を見てみましょう。今年は、5曲共にフルートの役割が重要になっております。

Ⅰ『マーチ・スカイブルー・ドリーム』
この曲はオーケストレーションがシンプルに上手く書かれていて、パッと合わせてみても吹きやすく、サウンドもまとまりやすい作品です。でもその反面、どの団体が演奏しても似たようになってしまうという要素もありますので、それぞれの団体の創意工夫が腕の見せ所ですね。

フルートセクションは高音域のユニゾンが多いので、まずはここの音程が合わないと、非常に醜いことになってしまいます。特に高音のD・E♭・E・Fは個人差が目立つところなので、しっかりと合わせましょう。

また、8分音符、4分音符の長さやニュアンスも、テンポや曲調によって工夫する必要があります。譜面上には特にスタッカート等は書かれていませんが、場面によって吹き方はそれぞれ異なります。同時に同じリズムを演奏している楽器が何かによって、発音や音の長さを考えてみるのもよいかもしれません。これらのニュアンスを吹き分けることによって、より活き活きとしたマーチになると思います。

Ⅱスペインの市場で
この曲は冒頭からフルート&ピッコロのサウンドが主導権を握ります。細かな16分音符や6連符、スタッカートの8分音符のひとつひとつに響きがないと、キラキラと輝くような演奏になりません。また、気をつけたいのがトリルの音程幅です。高音域のC-Dのように、トリルの運指を使うことで音程の幅が狭くなり、響きが暗く聴こえる場合があります。次の譜例をトリルキーを使って吹いてみましょう。

Dの音程が驚くほど悪いことに気がつくはずです。トリルキーを使っても、本来の明るいDの音に近づくように息でコントロールしてみましょう。それに慣れてくると段々速くしてみましょう。明るい響きのトリルで演奏できるようになります。他の曲でも、トリルの際には気をつけてみるといいですね。

またこの作品は、フルートセクションによる3度・5度のハーモニーがとても重要です。音程&音色共に不安定になると全体のサウンドも濁ってしまうので、ロングトーンからしっかりと基礎を固めましょう。

Ⅲある英雄の記憶~「虹の国と氷の国」より
この曲もフルート&ピッコロ、さらにオーボエとのユニゾンが多いです。音程が濁らないよう、丁寧にアンサンブルを合わせましょう。[ K ] からの部分では、フルートの低音域の響きが重要です。しかも、そこにオーボエが低音で絡んできますが、必然的にオーボエが大きくなります。オーボエにこの音域の p を要求するのは厳しいので、逆にフルートを響かせることによってバランスをとりましょう。ですので、フルートの低音が鳴らないバンドはこの曲を選んではいけません。

[ P ] からの16分音符の掛け合いは、「フルート、全然聴こえないぞ!」という指導者の怒鳴り声が聞こえてきそうですね。16分音符の発音が遅れないことはもちろんのこと、細かな音符のひとつひとつに息を吹き込むような奏法が必要です。

Ⅳマーチ「クローバー グラウンド」
このマーチは面白い仕掛けがいっぱいある作品です。それだけに、しっかりとアンサンブルを揃えていかないとまとまりのない演奏になりがちです。多くの団体が、あえて木管と金管でアーティキュレーションを変えてある部分で悩むかもしれません。オーケストラでは管楽器にスラーが書いてあっても、同じ動きの弦楽器に書いていないということがよくあります。これはそれぞれの楽器の特性を生かせたニュアンスを重視しているためで、双方がブレンドすることで最大の演奏効果を得られるように計算されています。とはいえ、実際に8分音符が3つ並んでいるときに、木管はスラー、金管はスラー無しという場合、どうやってまとめればよいのでしょうか?
私なら最初の8分音符のタイミングと、3つめの音の切りを揃えることを考えるでしょう。まずはスラーがない金管のニュアンスを統一した後、木管の入りのタイミングと3つめの音の切りを金管に合わせます。そうすることで金管はリズミカルで活き活きとした表情で演奏し、木管はそれを響きで包み込むという役割が可能です。

[ G ] からのフレーズは、先に進むにつれてフレージングが長くなるようにスラーが付けられています。言葉で表現するなら、「朝がきた、さわやかな朝がきた、何だか素敵なことが起こりそうな朝がきた。」というような展開でしょうか。大事なことはスラーの切れ目は読点「、」であり、句点「。」ではないということです。そこで文章(フレーズ)が終わってしまってはいけません。楽譜の句読点を意識したフレージングは、こうしたメロディックな曲を演奏する際にとても大切です。

この曲は一瞬ですがフルート・ソロがあります。最高の音色で演奏して下さい。そして、くれぐれもディミヌエンドは早すぎないように!

Ⅴ焔
この曲を選ぶ団体は、当然ながらフルートとピッコロに自信があるところだと思います。冒頭から高音域でのフルート&ピッコロのユニゾンがありますが、高いB(♭)やHの音程がジャスト442Hzになることを意識したチューニングにはこだわらないで下さい。ff でこの音域を吹けば、多少ハイピッチにはるのは当たり前です。もし、ff で吹き込んでも442Hzに収まるようなチューニングをすると、かなり頭部管を抜くことになると思います。そうなると、この部分はよくても他で弊害が出てきます。中音域での弱奏部で音程がぶらさがったり、音色も暗くなってしまいます。中高生の指導に行くと、「音程が高くて・・・」と頭部管を抜きすぎている生徒をよくみかけます、

第3オクターブの音程をジャスト442Hzに収めるためにここまで抜かなければならない状況は理解できますが、これでは楽器本来の音色や正確な音程での演奏が不可能です。ここまで抜かないと他と音程が合わないというときは、奏法に問題があります。せめて下記の写真の範囲内を目安にして下さい。

この状態なら、普通に中低音を吹くだけなら、問題なく442Hzに合わせられるはずです。むしろ低音域では低くなる場合もあります。フルートの特性上、高音域をスピードのある息で吹けばどうしても音程は上がりますが、しっかり深く息を吹き込めばある程度安定させることが可能です。

まずは、中音域を普通に気持ちよく吹ける範囲でのチューニングをお願いします。私が吹奏楽のフルートパートを指導するときは、中音域のG・D・A・F♯・Gの音列を使ってチューニングすることを推奨しています。
最初のGはフルートでは音色&音程共に安定しているので、まずはこのGの音でしっかりチューニングします。続くDは管体を長く使うので、息のスピードが遅いと低くなりがちです。また、楽器が冷えているときも音程が下がりがちです。しっかり息を入れて響せ、明るい音色をキープすることが大切です。

次のAの音は、プロの世界ではチューニングの基本となる音です。DからAに移行すると、ともすると音程の幅が狭くAが低くなります。Dを基音とした長三和音(D・F♯・A)をイメージして、明るい5度の響きでAを吹きましょう。

最後のF♯は長三和音(D・F♯・A)で考えると低くとる必要がありますが、まずはジャスト真ん中の442Hzを狙いましょう。そして、最初のGに戻ります。このG・D・A・F♯・Gの音がパート内でしっかり合うということは、音程の合ったサウンド作りに欠かせません。さらにはこの音列を他の調に移調して練習することも有益です。実はこのチューニング、私も仕事の現場で実践しております!

課題曲Ⅴでは、フレージングの中で7度や8度(オクターブ)で跳躍するパターンが頻繁に登場します。冒頭のフルート&ピッコロのSoli もそうですが、どうしても跳躍する際に力が入ってしまいます。練習方法としては、上に跳躍する部分をオクターブ下げて演奏してみましょう。すると、実はシンプルな半音階進行であったりすることがわかります。こうすると、息は自然と最後までスムーズに入っていきます。この息づかいをイメージしたまま、譜面通りに演奏してみましょう。音の跳躍部分で多少緊張感は生じるものの、以前より自然でスムーズに音の跳躍が可能になります。この練習方法を適用できる箇所は幾つかあるので、「あっ、ここも使える。やってみよう!」と試してみるとよいでしょう。

以上、簡単ではありますが“落ちこぼれ”フルーティストから見た「2016年課題曲の演奏ポイント」でした。それでは、この夏も日本全国で熱い演奏が繰り広げられることを楽しみにしております!

■落ちこぼれ笛吹きの“やればできる!”ON LINEセミナー 第1回

音楽に熱中するあまり受験勉強について行けず中学で不登校、何とか音楽科の高校に進学するも休学し小さな町工場で電気配線と格闘する1年を経験。「やっぱり音楽がやりたい!」と復学し音大を卒業後、プロオケを目指して20回以上オーディションを受けるも全て撃沈。そんな“落ちこぼれ笛吹き”が30年間のプロ経験で得たものとは? その中に“明日からもっと楽しくフルートが吹けるヒント”がみつかるかも!

◆岡本 謙(フルート奏者)プロフィール◆
10歳よりフルートを始める。香川県高松第一高等学校音楽科を経て、1990年に国立音楽大学を卒業。同年、シエナ・ウインドオーケストラ結成メンバーとして入団。6年間の在籍期間中、ピッコロ及びフルート奏者としてコンサート、CDレコーディングを多数行う。その後、東京吹奏楽団に移籍、ピッコロ奏者を務める。現在はフリーとしてオーケストラ、吹奏楽、室内楽等において演奏活動を行う。また、ミュージカルのオーケストラ・プレーヤーとしても、数多くの演目にて年間を通じて活躍している。フルートアンサンブル“ザ・ステップ”タッド・ウインドシンフォニーメンバー。

はじめまして

みなさま、はじめまして。いきなりの“落ちこぼれ笛吹き”の登場で「こんな人にセミナーを任せて大丈夫?」と思われた方もいらっしゃると思います。私たち音楽家は“音を出してなんぼ(幾ら)”の世界に生きております。もちろん、○○楽団首席奏者とか○○大学教授という肩書きを持つすごい方も沢山いらっしゃいますが、そんな方々も楽器を演奏する瞬間を自らの人生の中心に置いています。

私たち業界では「楽器を持たないとただの人」なんて言葉をよく口にします。確かに、中学生や高校生たちの前にいきなり出て行って、この人が先生ですよと言われても、「この坊主頭のおじさんって誰?」と思われてしまうのがおちです。

そこで、私は初めて出会う生徒さんの前では必ず何か1曲、短い曲を演奏するようにしております。まずは音を聴いてもらい、今日これからこの先生に習ってみたいかどうかを、生徒さんに考えてもらうのです。とはいえ、「この先生に習いたくない!」と思ったとしても生徒さんが教室を出ていくことは現実的には難しいですが・・・。

ただここはONLINEセミナーですので、この人の話しには興味がないと思ったら、即座に退室することも読み飛ばすことも自由です。自分の必要に応じて情報を取捨選択できるのはネットの魅力ですね。当セミナーが皆さまのアンテナにビビっと反応するかどうか少々不安ではありますが、そこのところはシビアに判断して頂き、気に入ったチャンネルがあればチューナーを合わせて頂ければ幸いです。

音楽との出会い
~プロを目指すまでの道のり

さて、私と音楽の出会いですが、父が音楽好きだったので家にはクラシックのレコードが多数ありました。ですので、小学生になる頃には自分で好きなレコードを繰り返し聴くことが当たり前になっていました。小学1年のとき、妹のピアノの先生がリコーダーを教えてくれるとのことで、一緒にレッスンに通い始めます。実はこの先生の専門がフルートでしたので、発表会でフルートを目の当たりにするようになり、自分も大きくなったらフルートを吹いてみたいと思うようになりました。

その願いが叶うのは小学4年のときでした。身体も成長し、ようやくフルートに指が届くようになります。待ちに待った憧れのフルートですが、当然ながら最初から良い音なんて出るはずもなく、吹けども吹けどもスカスカの音しか出ず、全然気持ちよくありません。そんな毎日でしたが、ある日良い音の“コツ”を掴んだ瞬間を今でもよく覚えています。この時の体験については機会があればご紹介したいと思いますが、その後、中学では当然のごとく吹奏楽部に入部しました。香川県にある高松市立屋島中学校という中学ですが、当時は県大会で銀賞というごく一般的なバンドでした。ところが一昨年(2014)は全国大会に進むという快挙も達成してくれ、卒業生としては嬉しい限りです。

少しお話しが逸れましたが、この屋島中学校で吹奏楽部の顧問をされていた薄田信人先生との出会いは、私の音楽人生にとって決定的なものでした。薄田先生はホルン奏者でもいらしたので、コンクールの選曲も歌劇「盗むかささぎ」序曲(ロッシーニ)や歌劇「魔笛」序曲(モーツァルト)等、クラシックの名曲を選ばれていました。部活中でも数々の名曲のレコードを聴かせて下さり、いつしか私は音楽の虜になっていました。思い返せば、この時に私のその後の音楽人生が決まったようなものです。先生は、当時私が使っていたエントリーグレードのフルートを見て、「君はいつまでそのブリキのフルート吹いているんだ? 早く銀の楽器を買ってもらいないさい!」と口癖のようにおっしゃっていました。私の家庭はごく一般的な世帯でしたから、何十万もする銀の楽器は高嶺の花でしたが、毎日のように先生に言われているうちに、遂には両親が総銀製のフルートを買ってくれました。ムラマツのスタンダードという楽器で、当時は20万円弱でした。驚いたことに、その1ヶ月後に銀相場の高騰で、一気に50万円以上に価格改訂されました。本当にタイミングがよかったです。

当然ながら、この総銀製のフルートが私を大きく成長させてくれたことは紛れもない事実です。誤解のないように申し上げますが、どうせ買うなら良いものを・・・ということで、初心者に最初から高価な楽器を与えることはお勧めできません。何故なら、それは野球で小さい子供に重いバットを持たせるようなもので、とても扱えるようなものではありません。昔指導した高校生3人組のうち一人だけ、管体銀製の少し高価な楽器を持っていて、「みんなのように上手く音が出せないんです。」と悩んでいたことがあります。初心者だった彼女は、良い材質を使っているが故に抵抗の重い楽器に苦労していたのです。私は彼女に、高価な楽器ほど響かせるのに努力が必要なことを伝え、彼女は決して自分だけが下手だったわけではないことを理解し、その後とっても上手になりました。大学を出て就職し、結婚した今でもフルートを吹き続けています。このように、技量に見合った楽器を選ぶことはとても大切です。薄田先生は中学1年だった私の技量をみて、早く良い楽器を吹かせたほうがよいということを知っていたのだと思います。そして先生が出演する市民オーケストラの演奏を聴いているうちに、いつしか自分もプロのオーケストラで演奏してみたいと思うようになりました。残念ながら先生は私が中学3年になるときに他校へ転任されましたが、今の私があるのは薄田先生のおかげと感謝しております。

音色こそ命

私が進学した高松市立高松第一高等学校(以下高松一高)は、公立高ながら音楽科がある高校でした。顧問の石川孝司先生率いる吹奏楽部は全国大会常連で、音楽と吹奏楽が好きな生徒にはとても魅力的な高校です。諸々の訳あって(こちらも機会をみて書きたいと思います)、私は1年間の休学の後に復学するのですが、このときの部長さんはNHK交響楽団でトロンボーンを吹いていらっしゃる吉川武典さん、そして副部長さんは東京佼成ウインドオーケストラでクラリネットを吹いていらっしゃる大浦綾子さんという、今思うとスーパーな顔ぶれでした。他にも、音楽業界で活躍されている演奏家には高松一高の卒業生が多いことをご存じの方もいらっしゃると思います。

高松一高音楽科では月に1回、東京や大阪で活躍されている先生を中央講師として招いてレッスンを受けることができました。フルートは当時東京都交響楽団で首席奏者をされていた野口博司先生がいらしてくれました。野口先生の最初のレッスンで、フルート吹きとして最も大切なことを学ぶことになります。

東京で活躍するオーケストラの先生が教えてくれるということで、「どんな良い音なんだろう?」と期待に胸を膨らませてレッスンに向かいます。まず吹かされたのは、フルートで音大を目指す人なら毎日必ず行う基礎練習、マイセル・モイーズの『ソノリテについて』の最初の部分です。この教則本は中音域のHの音から始まりますが、その後の1時間に渡るレッスン時間の大半を、Hの音だけを吹くことに費やされてしまいました。これまで周りからは「綺麗な音だね」と言われることも多く、音色にはちょっと自信があったのですが、野口先生は「君の音は綺麗だけど、そんな音ではオーケストラでは通用しないよ!」とバッサリ切り捨てました。要するに、どんな綺麗な音でも遠くまで届かなければ意味がないということです。オーケストラをやるにも吹奏楽をやるにも、コンサートホールは1,500人とか2,000人という大きな会場が当たり前です。そこで、客席の一番後ろに座っている人に音が届かなければ駄目だと、先生はおっしゃったのです。

私が吹奏楽の指導に行くと、「フルートが聴こえないのです。もっと大きな音が出るようにして下さい。」と毎度のように指導者の先生に言われます。全国大会常連校でさえも、「音を大きくして下さい。」と言われるのが常です。しかしながら、どう頑張ったって吹奏楽の中でトランペットやトロンボーン、さらには打楽器よりも大きな音がフルートに出せるはずなんてありません。そんなことは物理的に無理ですし、無意味なことです。けれども、オーケストラや吹奏楽のサウンドの中から、フルートが突き抜けて響いてくるのを経験された方は多いと思います。それは何故でしょうか?

答えは“音量”ではなく“音色”にあります。それでは、どんな音色が遠くまで通るのでしょう。具体的には“倍音を多く含んだ音”が豊かな響きで遠くまで飛んで行きます。倍音とは、基準になる音の周波数の整数倍の波長の音列のことです。具体的には、Cの音を基準とすると2倍音がオクターブ上のC、3倍音がその5度上のG、4倍音が基準の2オクターブ上のC・・・という具合です。金管楽器が同じ運指で複数の音が出せるということは、同じ倍音列だからです。フルートでもオクターブが同じ運指なのは、同様の理屈です。どんな楽器の音色も、必ずその音の中に倍音を含んでいます。そしてその倍音の構成によって音色が異なります。オーボエが低音域でもよく音が通るのは倍音が多い音色だからで、フルートが聴こえにくいというのは倍音が少ない音色だからです。以上から、フルートを聴かせたければ倍音を増やせばよいのです。

倍音という舞台メイクでステージに立て!

具体的に野口先生から習った練習方法は下記の通りです。

(1)まず、低音域のHの音をスピードのある息で吹く。徐々に倍音の成分が増えてくる。

(2)そのままスピードを上げるとオクターブ上にひっくり返るので、その手前の厚みのある音色を維持する。

(3)低音のHで、倍音の豊かな音色が作れるようになったら、その音色のままオクターブ上のHの音にレガートで移行する。

(4)中音域のHの音でも同様に倍音の豊かな音が作れたら、『ソノリテについて』の方法に従って半音ずつ移行しながらロングトーンを続ける。

実際のところ、私の場合は(1)~(3)の課程で30分以上は要しました。何故なら、その“倍音を多く含んだ音”になかなか馴染めなかったのです。“純粋で透き通った音”を目指していた私にとって、“倍音を多く吹くんだ音”は口の周りでブーンという雑音が常に鳴っていて気持ち悪く感じました。実はここに“綺麗な音”と“遠くまで響く音”とのギャップが存在します。こういうことを書くと失礼かもしれませんが、狭いレッスン室で聴いた野口先生の音色は想像していたものとは違い、少しガサガサしたような雑味を感じてしまいました。今思えば、このガサガサしたような成分が豊かな倍音で、数年後に東京文化会館でホールを包み込むような先生の音色を聴いたとき、「先生はこのことをおっしゃっていたんだ!」と実感しました。

私が中高生に音色についてレッスンするとき、倍音はメイクのようなものだよと教えます。私は経験がありませんが、おそらく初めて化粧をするときは肌に違和感を感じるものだと思います。けれど、それによって女性がさらに美しくなれるのは事実ですし、倍音も同じような役割を果たしてくれます。さらにここで必要なのは自然なメイクではなくて、舞台で演じる役者さんが使うようなメイクです。

私は今月、東京宝塚劇場のオーケストラピットでも演奏しておりますが、宝塚ジェンヌさんのメイクって少女マンガの主人公が現実になったように凝っています。近くで見ると素顔がわからないくらいですが、ステージから離れた客席からは夢の世界の登場人物に見えます。フルートにも、この宝塚メイクのような倍音が必要です。とてもそのまま街中を歩けるような化粧ではありませんが、ステージ上で魅せるためには必要なものです。中高生に厚化粧をしなさいと言うのは少し罪悪感も感じますが、こういう例えをすると、みんなよく理解してくれます。

実際のレッスンでは、純音に近い素朴で綺麗な音と大ホールでも通用する倍音豊かな音を、生徒から近い場所と少し離れた場所で吹き比べます。客観的に倍音による舞台メイクを聴いてもらうことで、どんな化粧が自分に必要かを知ってもらうことができます。「私はすっぴんが自然で好き。」と思っていた生徒も、「お化粧って楽しいかも?」と思ってくれるようになります。この倍音メイク、すっぴんから自然な薄化粧、そして舞台メイクと自在に使いこなせるようになると、音色に幅が出てきます。音色の価値観の変革こそ、ホールで通用する音色作りには欠かせません。

フルートの音色で個性ある吹奏楽の響きへ

実はこの倍音メイク、良いことばかりではありません。倍音が豊かになってくるとその分個々の音色の個性が目立ってくるので、音色がブレンドしにくくなります。ましてや、フルートは決して音程が安定しているとはいえません。指揮をされている先生からは、目の前のフルート・パートの音が雑に聴こえてしまうかもしれません。そんなときは少し広い場所や、離れた距離から聴いてあげて下さい。きっと、今までとは違った響きが聴こえてくると思います。あとは、音程やニュアンスの統一を心がければよいでしょう。

フルートに限らず、楽器の音色というものは演奏者自身にどう聴こえているかということと同じくらい、客席でどう聴こえているのか?ということが大切です。耳に延長コードが付けられたらどんなによいかと思いますが現実的には無理なので、せめて気持ちだけでもホールの客席を想定した練習が必要です。私が野口先生から受けた最初の1時間のレッスンに、これらのことが凝縮されていると思います。そしてこの1時間のおかげで、今なおプロとしてフルートを吹き続けていられる自分がいるのだと思います。

吹奏楽においてフルートはソロ楽器と思われがちですが、フルートの音色が豊かなバンドは他と比べて、より多くの色彩のパレットを持っています。予算的に制約があるプロバンドでは、ほとんどの場合3人(フルート2人&ピッコロ1人)のフルート奏者しかおくことができませんが、アマチュアバンドではその倍近い人材をおくことも可能です。ある意味、プロバンドには出せないサウンドを作ることも可能なのです。実際、フルートの豊かな音色のおかげで個性的なサウンドを持つバンドも多いですね。私が所属しているタッド・ウインドシンフォニーでは、音楽監督の鈴木孝佳先生のセオリーで最低5人のフルート奏者を揃えるようにしています。そうすることで、とかく高音域で固い音色になりやすいクラリネット群をフルートの柔らかい音色で包み込むことも可能ですし、中低音のサウンドにも幅が出ます。コンクールの審査をしていても、フルートの音色が光っているバンドは、他とは異なる新鮮なサウンドを聴かせてくれることが多いです。指導者のみなさんにはフルートの音量ではなく、とことん音色にこだわったご指導を頂けると嬉しく思います。

以上、いろいろと脱線しながらとなってしまいましたが、こんな調子で今後もセミナーを続けていきたいと思います。機会があれば、シエナ・ウインドオーケストラ誕生秘話や、高校時代の全国大会の思い出等、いろいろとご紹介したいと思います。今後ともよろしくお願いいたします。


★おすすめの楽譜&CD

【楽譜】

■マイセル・モイーズ著 ソノリテについて(出版:LEDUC)
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/bk-4199
フルーティストにとってバイブルともいえる教則本。音大を目指すなら絶対必須。

■トレバー・ワイ  フルート教本1~音づくり~(出版:音楽之友社)
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/bk-4200
「ソノリテについて」は少し高価ですが、こちらはもう少しリーズナブルに手に入ります。音色について勉強するには、こちらでも必要十分な内容です。

【CD】

■バッハ:フルート・ソナタ全集((全5曲)フルート:オーレル・ニコレ
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-4006
私の最も尊敬するフルーティスト、オーレル・ニコレの音色と、その深い音楽は格別です。特にバッハやモーツァルトの演奏は圧巻。最近、廃盤になってしまったアルバムが多く残念ですが、フルートの神髄を聴かせてくれる巨匠の音色は必聴です!

■ザ・ステップ フルートコンサート III
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-2297/
手前味噌で恐縮ですが、私の所属する10人のフルーティストによるアンサンブルの3枚目のアルバムです。師匠の野口博司先生による「ダフニスとクロエ」のパントマイムのソロ、またピッコロ四重奏(モーツァルト)でのピッコロの妙技は是非お聴き頂きたいです。