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【コラム】富樫鉄火のグル新 第29回 ポール・メイエ

 もう、いまから20年近く前のことだと思う。あるクラシック愛好家の自宅におけるサロン・コンサートに招かれたことがある。フランスから来た、若き天才クラリネット奏者が演奏するとの触れ込みだった。

 行ってみると、スラリと背の高い、たいへんなイケメン美青年があらわれた。

 曲は、プーランクやドビュッシーだった。個人宅の部屋だったので、10人ちょっとの聴衆が、すぐ目の前に迫っている。そのせいか、ちょっとやりにくそうで、照れているような感じが若々しかった。演奏はなかなかの名演で、確かに天才クラリネット奏者の出現だと思った。

 彼の名をポール・メイエといった。

 あの美青年が、東京佼成ウインドオーケストラ(TKWO)の首席指揮者に就任するとは、夢にも思わなかった。すでにTKWOの作曲コンクール本選会(2006年)や、昨年のコンクール課題曲参考演奏、特別コンサートなどで指揮しているが、20年前から、吹奏楽や指揮に興味があったのだろうか。

 2月19日(金)、TKWO第104回定期演奏会(東京芸術劇場)は、彼の首席指揮者就任記念コンサートであった。曲はモーツァルト≪13管楽器≫、ヒンデミット≪交響曲変ロ調≫、リヒャルト・シュトラウス≪ティル~≫(ハインズレー編曲)の3曲。自身の選曲らしい。

 その内容については、すでに福田滋氏の的確なレポートが掲載されているので、詳細はそちらをご覧いただきたい。

 メイエの演奏は、いま風のいい方だと「ライト感覚」とでもいうのか、全体にたいへん軽快でスピード感あふれるものだった。≪13管楽器≫など、ヨッフムやベームで聴いてきた私のような世代には、そうとう速い演奏に感じられた。だが、おそらくこういう演奏が、現代では(あるいはフランスでは)主流なのだろう。確かに、新しいTKWOサウンドとしては、実に新鮮であった。

 もちろん速いからといって乱れることなどあるわけはなく、TKWOのアンサンブル能力の高さが十二分に発揮された演奏だった。特にモーツァルトにおけるオーボエ・宮村和宏氏(副コンマス)の技術と、全体を牽引する力は特筆に価するものだった。いま、≪13管楽器≫を、あれほどのレベルで演奏できる吹奏楽団は、TKWOしかないはずだ。

 これから、メイエがどんな曲目で、どんなサウンドを引き出してくれるのか、実に楽しみである。

富樫鉄火(吹奏楽大好きの音楽ライター)


※本稿の著作権は富樫鉄火が、出版権はバンドパワーが独占しています。両者の許諾なく、出典元表記のない引用や、引用の範囲を超えた複写、コピー&ペーストを固く禁止します。

【コラム】富樫鉄火のグル新 第28回 浅田真央とキム・ヨナ

 アメリカの吹奏楽指導者で作編曲家のポール・ヨーダー(1908~90)が、1979年に来日した際、吹奏楽コンクール全国大会・中学の部を聴いて、こんな感想を述べている(全日本吹奏楽連盟会報「すいそうがく」34号=1980年1月発行より)。

「中学時代にこんなむずかしい曲をやってしまったら、彼らの将来にはどんな作品が残されているのでしょう」

「木管楽器のセクションでは身体を動かしている中学生を見ましたが、たしかに大人のすぐれた奏者にはそういう動作の人もいますが、それは音楽的な表現に必要な内面から出てくるものでなければならないのです。中学生のそれは、単にまねであって、一人一人の内面的な要求や必要からおこったものではないように思えました」

(ちなみに、この年ヨーダーが聴いたのは、チャイコフスキーの交響曲第4番第4楽章、ラヴェル《ダフニスとクロエ》、ドビュッシー《海》などだった)

 バンクーバー五輪、フィギュア女子を見ていて、この言葉を思い出した。

 同じ19歳で、あのちがいは、何なのだ。色香満点のキム・ヨナと、少女の面影を十二分に残す浅田真央。

 結果は、色香のキム・ヨナが、前人未到の点数でぶっちぎりの金メダル。完全なトリプル・アクセルに、色香が勝ったのだ。もちろん素人目に見てもキム・ヨナのほうが優れていたし、浅田真央はフリーで小さなミスもした。だから、あの順位は、当然だと思う。

 それにしても、あのキム・ヨナの点数は、何なのだ。そして、あの色香、ほんものに見えるか。どこか、生意気な19歳が背伸びしているような、つくりものの雰囲気がなかったか。

 フィギュア・スケートって、技術で点数を競う「スポーツ競技」じゃなかったのか。トリプル・アクセルを決めても、ニセ色香ではるかに上の点数を取れるのなら、アイス・ダンスやアイス・ショーと、どうちがうのか。

 現にキム・ヨナは、早くも引退→プロ転向の噂がある。ポール・ヨーダーの言葉をキム・ヨナに聞かせたい。

 そして、それでも文句一つ言わず堂々としていた浅田真央を、朝青龍や腰パンにいちゃんは、少しは見習ってほしい。

富樫鉄火(吹奏楽大好きの音楽ライター)


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【コラム】富樫鉄火のグル新 第27回 冬季オリンピックと吹奏楽(6)フィギュア・スケートの音楽

 フィギュア・スケートで使用される音楽の中には、すでに吹奏楽界でレパートリーになっている曲が多い。

 2006年のトリノ大会で荒川静香が使用して人気となった≪トゥーランドット≫の<誰も寝てはならぬ……>(プッチーニ)など、その典型で、すでにコンクール全国大会で、1995年に北海道札幌白石高校が初演している(ただし招待演奏)。

 浅田真央ちゃんの≪仮面舞踏会≫(ハチャトゥリアン)は、1991年に関西学院大学が初演しているし、鈴木明子の≪リヴァーダンス≫(ウィーラン)も、2001年に福光町立吉江中学(富山)が初演している。ともに、その後、人気曲として定着していることは、いうまでもない。

 数年前、ある女子フィギュアのジュニア選手の母親から、知人を通じて「音楽を制作してほしい」と頼まれたことがある。さる有名プロ・スポーツ選手のお嬢さんだった。

「曲を≪パイレーツ・オブ・カリビアン≫にしたいんですが、CDをもとに、規定時間内にピッタリ合うよう、編集してほしいんです。みんな、自宅のCDラジカセでそれらしいものをつくっているんですが、どうしても安っぽくなってしまうんです。曲のつなぎ目もきれいにできないし。ぜひ、ちゃんとした音楽スタジオで編集制作していただけませんか」とのことだった。

 いくつか、編集面や見せ場の希望をうかがって、素人作業ながら、知り合いのスタジオを借りて、エンジニアと一緒に、なんとかそれらしい音楽をつくりあげた。スフォルツァンドにあたる部分はダイナミックレンジを上げたり、いろいろな加工も施した。

 このとき「なるほど、フィギュアってのは、本格的にやると、手間とカネがかかるスポーツなんだなあ」と思ったものだ。

 幸い、この編集制作を気に入ってもらえて、引き続き「今度は富樫さんの好きな曲でつくってください」と注文が来た。

 そこで私は、≪GR≫(天野正道)からいくつか抜粋して、フィギュア用の音楽を編集制作した。もちろんクライマックスは<国際警察機構のテーマ>である。あの朗々としたメロディに乗って、可憐な少女が氷上を滑走、ラストをスピンで決めるなんて、カッコイイじゃないですか。

 そのお嬢さんは、あの2曲のCD-Rを持って海外へフィギュア留学したと聞いたが、いま、どうしているだろう。どこかで≪GR≫に乗って舞ってくれていることを祈るばかりだ。

富樫鉄火(吹奏楽大好きの音楽ライター)


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【コラム】富樫鉄火のグル新 第26回 第26回 冬季オリンピックと吹奏楽(5)ジョン・ウィリアムズ≪コール・オブ・チャンピオンズ≫

 「オリンピック音楽」といえば、いまの若い方々には、なんといっても、ジョン・ウィリアムズだろう。

 彼は、いままでに、オリンピックがらみの音楽を4回書いている。

(1)1984年 ロサンゼルス大会 ≪オリンピック・ファンファーレ&テーマ≫
(2)1988年 ソウル大会 ≪オリンピック・スピリット≫(NBCテレビ中継テーマ曲)
(3)1996年 アトランタ大会 ≪サモン・ザ・ヒーロー≫
(4)2002年 ソルトレイクシティ冬季大会 ≪コール・オブ・チャンピオンズ≫

 この4曲とも、アメリカで各種吹奏楽版が出版されている。(1)と(3)は、いまでも多くのバンドに演奏されているスタンダード人気曲だし、(2)は「TBSオールスター感謝祭」の中の「赤坂5丁目マラソン」のBGMとして知られている。

 吹奏楽版メドレー≪The Olympics: A Centennial Celebration≫(John Moss編曲/Hal Leonard版)は、グレード3のわりに演奏効果が高いので、中高吹奏楽部に人気がある楽譜だが、上記(1)(2)(3)がぶっつづけで登場する、事実上「ジョン・ウィリアムズ・メドレー」である。アメリカ人にとって「オリンピック音楽」といえば、いまやジョン・ウィリアムズなのだろう。

 ところが4曲中唯一の冬季曲(4)は、吹奏楽版も何種類か出ているし、なかなかいい曲なのだが、あまり演奏されている気配がない。やはり、冬季大会は、夏に比べると注目度が低いのだろうか。また、もともとが合唱を主体としたシンフォニック曲なので、吹奏楽だと原曲の味からかけ離れてしまうからかもしれない。

 だが、曲のせいばかりでもないような気がする。2002年のソルトレイクシティ冬季大会自体が、あまり後味のいい大会ではなかったせいもあるのではないか。

 この大会は、開催国アメリカの自己主張がたいへん強かった。開会式では、前年の9・11テロの際、貿易センタービルの残骸の中から発見された星条旗が掲げられた。ブッシュ大統領は、開会宣言で「誇り高きこの国を代表して」と、オリンピック憲章に定められた文言を無視した。ショートトラックでは、1位の韓国選手が進路妨害と認定され、アメリカ選手に金メダルが送られた。全体的にアメリカびいきの判定が多かった。

 そのほか、フィギュアでは審判買収疑惑、アルペンやクロスカントリーのドーピング大量失格など、ロクでもない騒動で終始した。

 世界中から訪れたマスコミ陣も、ストレスがたまって爆発寸前だった。9・11テロの影響で、警備や検査が異常なまでに厳しく、スムーズに会場を移動できなかった。ソルトレイクシティ自体が、モルモン教の聖地とあってアルコールを提供する店が少なかったことも拍車をかけた(コナン・ドイルが書いたシャーロック・ホームズ物第1作『緋色の研究』に、同地が建設される挿話が出てきて有名になった町だ。ただしその記述は誤解と偏見だらけである)。

 バンクーバー大会も、開会前に練習で急死する選手がいたかと思えば、「腰パン」騒ぎを起こす兄ちゃんがいたりと、周辺話題が豊富だが、後味の悪い終わり方だけはしてほしくないものだ。同時に、もう少し≪コール・オブ・チャンピオンズ≫も演奏されてほしい。

富樫鉄火(吹奏楽大好きの音楽ライター)


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【コラム】富樫鉄火のグル新 第25回 冬季オリンピックと吹奏楽(4)映画『白い恋人たち』

 1964年の東京オリンピックを記録した映画『東京オリンピック』(1965、市川崑監督)は、空前の大ヒットとなった。初公開時の観客動員数は1800万人。これは、2001年に『千と千尋の神隠し』が登場するまで、破られなかった。

 この映画は、独特の映像美の連続である。勝敗の結果などは、ほとんど説明されない。選手名や競技名さえ出てこないシーンがほとんどだ。マラソンでは、途中脱落する選手の姿をえんえんと追う。よって国会で「芸術か、記録か」の議論となった。

 このとき、市川崑の脳裏にあったのは、1936年のベルリン・オリンピックを記録した映画『民族の祭典』『美の祭典』(1938、レニ・リーフェンシュタール監督)だった。戦後、ナチスのプロパガンダ映画として半ば封印されていたが、これもまた独特の映像美で知られるドキュメント映画である。この手法を、市川崑は、さらに推し進めたのだ。

 以後、オリンピック記録映画のあり方は、ガラリと変わってしまった。その影響を最初に受けたのが、映画『白い恋人たち』(1968、クロード・ルルーシュ監督)である。これは、1968年にフランスのグルノーブルで開催された冬季オリンピックの記録映画だ。

 ここでは、もはやナレーションさえ登場しない(『東京オリンピック』では、三國一郎のナレーションが入っていた)。雪と氷の上で戦う人間たちや、男女の姿を、ひたすら美しく追った「映像詩」である。いったい、どうやれば、こんなに美しいスポーツ映像が撮れるのかといいたくなるほどだった。

 だが、「美しい」と感じるのは、映像の力だけではない。なんといっても、フランシス・レイの音楽が、特筆ものの素晴らしさだった。あの音楽が付かなかったら、これほど名を残す映画にはならなかったかもしれない。中には、画面中の選手の動きと音楽が、見事にシンクロしているような部分さえある。実は、クロード・ルルーシュ監督は、フランシス・レイに、先に音楽を書いてもらい、それにあわせてフィルムを編集したのである。いわば、プロモーション・ビデオの先駆けであった。この手法は、2年前の名作映画『男と女』(1966)ですでに実験すみであった。

 名曲≪白い恋人たち≫は、70年代、よく演奏している吹奏楽部があったが(スキー場やスケート場でも、必ず流れていた)、いまは、おそらくミュージック・エイト版くらいしか編曲譜はないのではないか。原曲は電子オルガン(たぶん「ハモンド・オルガン」)が主旋律を奏でる。それがあまりにドンピシャなので、吹奏楽で、あのムードを再現するのは容易ではない。

 しかし、冬季オリンピックを「ロマンチックな冬の祭典」に昇華させたのは、明らかに、映画『白い恋人たち』と、フランシス・レイのテーマ曲である。

※映画『白い恋人たち』の原題は『フランスの13日間』という、そっけないもの。この邦題、傑作だと思う。北海道のお菓子「白い恋人」の元ネタでもある。

富樫鉄火(吹奏楽大好きの音楽ライター)


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【コラム】富樫鉄火のグル新 第24回 冬季オリンピックと吹奏楽(3)矢代秋雄と三善晃

 1972年の札幌冬季オリンピックのことばかり書いているとバンクーバー大会が終わってしまうので、札幌の話題は今回で最後にする。

 札幌大会のファンファーレは、三善晃が書いた。そのカッコよさといったら! 当時の吹奏楽小僧たちは、みんなシビれてしまったものだ。

 このころの、NHKをはじめとするTVのオリンピック中継は、いまのようなイメージ・ソングなど流さず、ほとんどが、このファンファーレを番組オープニング曲にしていた。だから、2週間余で、耳にこびりついてしまった。

 当時、三善晃の名前は、まだ吹奏楽界には登場していなかったと思う。私も「難しい現代音楽と、合唱曲を多く書いているベテラン作曲家らしい」程度の認識だった。

 確か、コンクール全国大会に三善作品が登場したのは、1978年の秋田南高校による≪管弦楽のための協奏曲≫(天野正道編曲)が最初だったのではないだろうか。課題曲に≪深層の祭≫が登場するのは、ずっとあとの1988年である。

 だとしたら、この札幌大会ファンファーレは、三善晃の「最初の吹奏楽曲」かもしれない。

 私は全然気がつかなかったのだが、札幌大会の開会式では、矢代秋雄の、祝典序曲≪白銀の祭典≫も演奏されたらしい。いまでは中高吹奏楽部員でも知っている名前だが、当時、私は、そんな作曲家、聞いたことなかった。

 この≪白銀の祭典≫も矢代にとって初めての吹奏楽曲で、屋外スタジアムで演奏されたときの響きを考慮して書かれている。たいへん知的で美しい曲だ。東京佼成ウインドオーケストラのCDがあるので、ぜひ、お聴きいただきたい。

 札幌大会で初めて吹奏楽曲を書いたこの2人は、肩を並べて開会式に出席した。実は2人は、終戦直後の混乱期に、ともにパリで留学生として一緒に過ごした親友同士だったのだ。

 2人は、パリ留学から帰国後、ともに日フィルから新作を委嘱される。いまにつづく「日フィル・シリーズ」である。その第1弾が、矢代の≪交響曲≫(1958年初演)、第4弾が三善の≪交響三章≫(1960年初演)。現在、ともに吹奏楽版となって定着していることは、いうまでもない。

富樫鉄火(吹奏楽大好きの音楽ライター)


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【コラム】富樫鉄火のグル新 第23回 冬季オリンピックと吹奏楽(2)岩河三郎≪虹と雪≫

 1972年の札幌冬季オリンピックの入場行進で演奏された曲は、もちろん≪白銀の栄光≫(前回参照)だけではない。記録によれば、古関裕而≪純白の大地≫なども演奏されている。だが、ある意味、≪白銀の栄光≫以上に印象に残ったマーチもあった。

 岩河三郎の、行進曲≪虹と雪≫である。

 札幌オリンピックのテーマ曲としてNHKが制作した≪虹と雪のバラード≫(河邨文一郎作詞、村井邦彦作曲)は、多くの歌手が競作で歌ったが、最大のヒットとなったのは、トワ・エ・モア版だった。その後しばらく、音楽の教科書にも載っていた名曲である。

 この曲を入場行進曲用に編曲することになり、委嘱されたのが、NHKの音楽番組に関与していた、岩河三郎(1923~)だった。

 岩河は、本来、合唱曲が専門だったが、すでに吹奏楽コンクール課題曲≪南極点への序曲≫(1969年)などを書いており、吹奏楽には感度があった。

 ここで岩河は、≪虹と雪のバラード≫を、そのままマーチにするような単純な編曲はしなかった。前奏や第1主題は、完全なオリジナルで、TRIOに入って初めて原曲が登場する仕掛けを施したのである。これは実に新鮮だった。聴いていて、何の不自然さもなく、すんなりと≪虹と雪のバラード≫につながるのである。もし原曲を知らずに聴いたら、「何て素晴らしいマーチなんだ」と驚くであろう。

 以後、岩河は吹奏楽界にとって欠かせない人気作曲家となり、課題曲も≪北海の大漁歌≫(80年)、≪サンライズ・マーチ≫(82年)と、たてつづけに書くことになる。特に後者は、課題曲マーチ史上に残る名曲である。

 その原曲≪虹と雪のバラード≫が、1998年の長野冬季オリンピックの際、トワ・エ・モアによってリメイク発売された。だが、テレビやラジオは「自粛」して、ほとんど流さなかった。原曲の歌詞の2番に「雪の炎にゆらめいて 影たちが飛び去る ナイフのように」とあることが原因だという。当時、未成年によるナイフ殺傷事件が頻発していたのだ。まことにバカバカしい話であった。

■吹奏楽コンクール課題曲集Vol.3 (1977~1980) 
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-1196/
「南極点への序曲」「北海の大漁歌」「サンライズ・マーチ」(岩河三郎)を収録

富樫鉄火(吹奏楽大好きの音楽ライター)


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【コラム】富樫鉄火のグル新 第22回 冬季オリンピックと吹奏楽(1)山本直純≪白銀の栄光≫

 1971年の夏休み、中学生だった私は、東京・上野の東京文化会館で、新日フィルの「世界5大B演奏会」なる、不思議なコンサートに行った。バッハ、ベートーヴェン、ブラームス(ここまでは「3大B」)、ビートルズ、バート・バカラック……(いや、もっといて「7大B」とか「8大B」だったかもしれない)を演奏する、愉快な音楽会だった。

 このときの指揮が、ヒゲでおなじみの山本直純だった。私は「TVによく出てくるタレント指揮者」程度の認識でいた。

 その山本直純が、プログラム終了後、マイクをもって「さっき、バッハの≪小フーガト短調≫をやりましたが、冒頭のオーボエが、リードが割れかかっていました。お詫びします。もう一度演奏しますから、聴いてください」と言って、同曲をまた演奏した。「そういえば、ものすごいビブラートのかかった音だったなあ」とは思ったが、奏法の一種なのだと思い込んでいた。そんな裏事情を堂々と告白して、もう一度演奏する山本直純が、いっぺんで好きになってしまった。

 終演後、プログラムにサインをしてもらおうと、楽屋口で待ち構えていた。やがて出てくると、嫌な顔ひとつせず、「ハイハイ」と応じてくれる。しかも、こちらの差し出したボールペンを制して、自分のカバンから、24色もあろうかと思われるサインペン・セットを出して「どの色がいい?」と聞く。私のほかにも数人、サインをねだっているひとがいたが、いちいち好みの色でサインをしてあげていた。私はオレンジでサインをしてもらった。面白い指揮者だなあ、とさらにファンになった。

 その翌年の1972年。札幌で冬季オリンピックが開催された。TVで開会式の入場行進を見ていたら、実にカッコいい、モダンなマーチが聴こえる。いままで聴いたことのない曲だった。すでに吹奏楽部に入っていたから、「こういうマーチを演奏したいものだ」と思った。

 やがてそのマーチが、山本直純作曲≪白銀の栄光≫と知った。驚いた。あの、サインペンのヒゲのおじさんが作曲したというのだ。山本直純は、タレントどころか天才作曲家であることを、このとき、初めて知った。

 高校生になって、部室に≪白銀の栄光≫の楽譜があったので、やってみた。とんでもなく難しい曲だった。室内楽曲みたいな、すべてのパートがむき出しになる恐ろしい曲だった。低音リズム部が、よく聴くとちゃんとした「メロディ」になっているところも新鮮だった。

 いま、この曲の楽譜は、容易に入手できるのだろうか。現代のアマチュア吹奏楽は、当時よりずっとレベルがアップしているから、さほど難曲ではないだろうが、もっといろんなところで演奏されていい名曲だと思う。

 バンクーバー大会の開会式、先住民族のオン・パレードも独特のヴィジュアルだったが(どうも近年、夏も冬も、開会式は先住民族が主役のようなイメージがあるが)、≪白銀の栄光≫を凌駕する音楽は、まったく流れなかった……と私は思っている。

富樫鉄火(吹奏楽大好きの音楽ライター)


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【コラム】富樫鉄火のグル新 第21回 十束尚宏とシェーンベルク

 2月6日(土)、東京・立川の「アミュー立川」(立川市市民会館)で、シエナ・ウインド・オーケストラによる、子供向けのコンサートがあった。私も解説などでほんの少しお手伝いさせていただいたのだが、アンコール曲に仰天した。

 シェーンベルク作曲≪「グレの歌」のモチーフによるファンファーレ≫が演奏されたのである。

 あらためて述べるが、この日のコンサートは「こども音楽館in多摩」と題され、聴衆は小学生とその家族、それに中学生が中心。プログラムも≪アルメニアン・ダンス パート1≫や、≪ディズニー・メドレー≫≪はとぽっぽ世界旅行≫など、いわゆる「ファミリーで楽しめる曲」ばかりである。

 ゆえに、アンコールでは≪オーメンズ・オブ・ラブ≫あたりが演奏されるかと思いきや、なんと「シェーンベルク」とは!

 当日の指揮者は、十束尚宏氏である。

 十束氏は、昨年秋から、断続的にシエナWOの定演やコンサートに客演しており、高い評価を得ていた。ヴォーン=ウィリアムズ≪トッカータ・マルツィアーレ≫、グレインジャー≪リンカンシャーの花束≫、ホルストの≪第一組曲≫といった古典的オリジナルなど、近年聴いた中でトップクラスの名演だった。私は不勉強なので、十束氏が、過去にどれほど吹奏楽を指揮してきたのか知らないのだが「もしかしたら、十束氏と吹奏楽の相性はドンピシャなのでは?」と思わされるに十分だった。

 さすがに、佐渡裕氏のような、ポップス・ステージでの楽しいパフォーマンスまではないのだが、≪惑星≫のようなクラシックでも、リードの曲でも、また≪ディズニー・メドレー≫でも、とにかく徹底的に楽譜を読み込んでキチンとした音楽を聴衆に届けようとする姿勢にあふれているのがわかる。

 プレイヤー諸氏に聞いても「ひたすら真摯に楽譜に向き合って、細かいところまで的確な指示を出してくれる指揮者」と、多くが口をそろえていた。

 それにしても……いくらアンコールとはいえ、子供向けコンサートでシェーンベルクとは……だが、十束氏自身がマイクをもって解説してくれた話を聞いて、なるほどと思った。

 この曲は、音楽史に残るウルトラ級の超大作≪グレの歌≫の中のモチーフをいくつか使用し、金管アンサンブルと打楽器群のために、作曲者自身が2分弱にまとめたファンファーレである。ストコフスキー指揮=ハリウッド・ボウル・コンサートの、オープニング用に書かれた(ただし、本番には間に合わなかった)。

 十束氏は、シェーンベルクを、特に≪グレの歌≫をこよなく愛していた。ウィーンの住居も「シェーンベルク・センター」のそばだという。だが、≪グレの歌≫は、編成も演奏時間もあまりに巨大で、そうそう演奏されるものでもない。そこで、エッセンスが詰まった、このファンファーレを、いつか多くの人たちに聴いてもらいたいと願っていた。そのために、自ら楽譜を購入して、演奏の機会を待っていたのだという。

 確かに日本では、1992年に東京佼成ウインドオーケストラが、フレデリック・フェネルの指揮で録音したことがあるくらいで、そうそう頻繁に聴ける曲ではない。

 そこで今回は、子供向けのコンサートではあるが、こういう吹奏楽曲もあるのだということを知ってもらいたくて、とりあげたようだ。子供たちは、ビックリ仰天の表情だったが、少なくとも「なにやらスゴイ音楽があるんだなあ」と感じただろう。それで十分だと思う。当日、会場にいた子供たちの中の、何人かの脳裏に「シェーンベルク」「グレの歌」というキイワードが刻まれる、それが重要だと思う。

 「十束吹奏楽」は、今後、見逃せない何かを生むような気がする。

※≪グレの歌≫原曲は、語り手1人、ソロ歌手5人、男声4部合唱3群、混声8部合唱が必要。オケも、ホルン10、トランペット6、ティンパニ6台(2人)を含む、とてつもない編成。演奏時間は、ほぼ2時間。

【シェーンベルク「グレの歌」収録CD】
■セレブレーション!/東京佼成ウインドオーケストラ

富樫鉄火(吹奏楽大好きの音楽ライター)


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【コラム】富樫鉄火のグル新 第20回 『THIS IS IT』と美空ひばり

 マイケル・ジャクソンの映画『THIS IS IT』をご覧になった方も多いと思う。急逝によって中止となった公演のリハーサル風景を記録したドキュメント映画だ。最近DVD化されたが、たいへんな売れ行きのようで、タワー・レコードなど、なんとクラシック売場にまで並べている。

 私は、この「グル新」第1回で、マイケル・ジャクソンに触れたが、別にマイケルが嫌いなのではなく、さんざん「奇人変人」扱いしていながら、亡くなったら「聖人」扱いする、メディアの変節ぶりがイヤなのだ

(朝青龍引退報道も同様。あれほど引退を期待していながら、いざホントウに辞めたら、惜しい力士がいなくなるだの、親方にも責任があるだの、報じ方が変わった。確かに大ちゃん=高砂親方も情けないが、朝青龍はもうすぐ30歳の大人だよ?)。

 『THIS IS IT』で驚くのは、マイケルが、実に緻密に、熱心に、自ら参加して公演準備を進めていることだ。しかも、常にファンのことを気にしていて、「ファンが楽しめるものを」「誰も見たことのないものを見せる」「2時間だけ、ファンを別世界に連れて行く」と、見事なプロフェッショナルぶりである。≪スリラー≫≪今夜はビート・イット≫≪ブラック・オア・ホワイト≫などの往年のヒット曲では、ちゃんと、当時のままの振りつけや歌い方を再現する。

 これを観ていて思い出したのが、1988年4月の「不死鳥 美空ひばり in TOKYO DOME」公演である。ひばりの、退院後初の復活公演にして、最後の大型コンサートだった。

 私は、この公演を、一観客として東京ドームで観たあと、舞台裏の取材にかかわったことがある。そこで知った、本番にかけるひばりの姿勢は、まさに『THIS IS IT』のマイケルとそっくりだが、ひとつだけちがっていたことがある。ひばりのほうは、すでに体調が絶不調だったのだ。大腿骨骨頭壊死で「普通なら一歩も歩けない」状態だった。

 にもかかわらず、ひばりはラストで、≪人生一路≫にのって、強烈な腰の痛みに堪えながらアリーナ全長にわたる花道を見事に歩きとおした。このとき私は、「いま、たいへんな光景を見ているのだ」と興奮を抑えきれなかった(ひばりは、当初「私、こんなに長い距離、歩けない」とビビッていたのである)。だがこのとき、ひばりの脳裏にあったのは、ただひとつ「ファンを楽しませる」ことのみだった。

 さらに驚いたのは、昔の曲を歌うとき、振りだけでなく、声質までもが昔(のスタイル)にもどることだった。私が子供のころ、祖母が「ひばりは、昔の曲を昔のまんま歌ってくれるのがいい」とよくいっていたが、このことだったのかと納得したものだ。これまた、マイケルにそっくりである。

 マイケルが亡くなったのは、『THIS IS IT』本番直前だった。ひばりが亡くなったのは、東京ドーム公演から約1年後。そんな2人の(ほぼ)最期の姿が、ともに大がかりなコンサートがらみの映像で残っていることに、不思議な因縁を感じる。

※『不死鳥 美空ひばり in TOKYO DOME』も、コロムビアからDVD化されています。これが大病を抱えた病人かと思う、驚異の映像です。

富樫鉄火(吹奏楽大好きの音楽ライター)


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