「グル新」カテゴリーアーカイブ

【コラム】富樫鉄火のグル新 第240回 《4分33秒》

 わたしは、ジョン・ケージ(1912~92)の名曲《4分33秒》(1952年初演)の実演を、2回、聴いたことがある。
 どちらも、黛敏郎時代の「題名のない音楽会」だった(何度か書いているが、わたしは、中学以来、20歳代までの十数年間、渋谷公会堂での公開録画のほとんどに、通っていた)。
 1回目は、ピアノ独奏版、2回目はオーケストラ版だった。
 ピアノ版のときは、たしか、ジョン・ケージの特集で、ピアニストが何の前触れもなく登場し、演奏を開始した。
 やがて渋谷公会堂の客席は、次第にざわつきはじめ、低い笑い声が聴こえはじめた。
 演奏終了後、まばらな拍手がおき、ピアニストが下がると、司会の黛敏郎が登場し、「ただいまの4分33秒の間、みなさんは、様々な笑い声やざわめき、雑音を聴いたことでしょう。それこそが、ケージが聴かせたかった、偶然の音楽なのです」といったような主旨の解説をした(2回目のオーケストラ版のときは、もうかなり有名になっていて、客席はお笑い状態だった)。

 4月20日に、神奈川フィルハーモニー管弦楽団が、定期演奏会で、この曲を取り上げた(指揮・太田弦)【公式ライヴ映像あり】。よほど行こうかと思ったのだが、仕事の都合で時間が空かず、てっきり忘れていた。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第239回「令和」が説くこと

 新元号「令和」時代がはじまった。
 どのメディアも、「令和」が、「万葉集」から取られたことを報じている。「万葉集」巻五に、「梅花の歌三十二首」なる歌群がある(815~846)。
 天平2(西暦730)年正月13日に、九州大宰府にある大伴旅人の邸宅で、梅を愛でる宴会が催された。そこで詠まれた32首をまとめ、(旅人が書いたと思われる)漢詩の序文が添えられた。そのなかに「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわら)ぐ」とある。ここから「令」「和」を抜き出した。「令月」は、「よき月」を意味するという。
 まさに、大むかしの、のんびりした歌会の光景が目に浮かぶ。きれいな月が出ている夜、庭で、満開の梅を眺めながら、やんごとなきひとたちが、歌を詠んでいる……。

 だが、よく考えると――当時の1月13日は、現在の2月上旬だ。九州は暖かいとはいえ、梅が咲いているだろうか。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 238回 平成の終わりの、干刈あがた

 わたしより上の世代にとって、「干刈あがた」(1943~1992)は、忘れがたい作家である。
 1980年代初頭に、女性たちが突き当りはじめたシングル・マザーや、離婚、自立などの問題を、さりげない形で小説にして「応援」をおくってくれた。男のわたしでも、新鮮に感じた。
 たとえば、芥川賞候補になった代表作『ウホッホ探検隊』(1983年)は、離婚し、小学生の男子2人を抱え、シングル・マザーとして生きる女性の物語だが、全編、長男への「呼びかけ」で書かれている。
 たとえば冒頭は、
「太郎、君は白いスニーカーの紐をキリリと結ぶと、私の方を振り返って言った。『それじゃ行ってくるよ』」
 通常、「太郎は白いスニーカーの紐をキリリと結ぶと」と書かれそうなものだが、本作は母親の一人称で書かれており、しかも息子に「君」と呼びかける。それは、父親がいなくなった家庭で、小学生の息子と対等な関係を築き、これから新たに生きていこうとする、決意表明のようにも読めた。
 いまから40年近くも前に、こういう小説を書いていたのが、干刈あがただった。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 237回 よみがえるサリエリ(下)

(前回よりつづく)
 1979年にロンドンで初演された舞台『アマデウス』に、もっとも早い時期に注目した日本人は、おそらく、文学座のベテラン俳優、江守徹さんだった。
 もともとシェファーが好きだったうえ、クラシック音楽ファンでもあった江守さんは、噂を聞いて、すぐにロンドンから台本を取り寄せ、読んだ。
「あまりの面白さに、一気に読んでしまいました。だいたい、読んで面白い戯曲なんて、あまりないもんですが、これは違いましたね」

 そこで、さっそく文学座での上演を企画する。だが、文学座は劇団組織である。会議にかけなければならない。それには、荒っぽくてもいいから翻訳し、みんなに読んでもらう必要がある。たまたま、大きな舞台が入っていない時期だったので、江守さんは自分で翻訳を開始した(この江守訳は、のちに劇書房から刊行された。上演は別翻訳)。
 だが、その間に、松竹が上演権を獲得してしまう。主演(サリエリ役)は九世松本幸四郎(現・二世松本白鷗 )。そしてなんと、江守さんにモーツァルト役のオファーが来た。
「正直言って悩みました。この作品に惚れ込んだ以上、やはりサリエリ役をやりたいと思っていましたから」
 しかし、考えた末、江守さんはモーツァルトを演じる決意をする。コンスタンツェ役は藤真利子。
 1982年6月、サンシャイン劇場での初演だった。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第236回 よみがえるサリエリ(中)

(前回よりつづく)
 わたしに、「作曲家」サリエリの魅力を教えてくれたのは、脚本家・作家の山崎巌さん(1929~1997)だった。
 巌(がん)さんは、日活のベテラン脚本家だった。小林旭主演の「渡り鳥」シリーズを筆頭に、『赤いハンカチ』などの裕次郎もの、さらには『こんにちは赤ちゃん』『大巨獣ガッパ』『ハレンチ学園』など、100本以上を書いた。後年はTVに舞台を移し、『プレイガール』『遠山の金さん捕物帳』『大江戸捜査網』など、とにかく娯楽シナリオを書かせたら右に出るものなき職人だった。
 そんな巌さんが、後年、小説を書くようになり、わたしが担当編集者になった。

 1990年代初頭、オーディオ音声ドラマ(カセット)で、ピーター・シェファーの『アマデウス』を制作することになったが、音声ドラマ台本のいい書き手が見つからず、困っていた。音声ドラマとは、耳で聴くものなので、映像台本とはちがった技法を要するのだ。
 あるとき、巌さんと食事しながら、その話をしたら、「それ、ボクに書かせてくれませんか」という。びっくりした。
 たちまち、夜霧にむせぶ横浜港が思い浮かんだ……。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第235回 よみがえるサリエリ(上)

 昨年、ナショナル・シアター・ライブ(英国立劇場の舞台映像)で『アマデウス』(ピーター・シェファー作、マイケル・ロングハースト演出)を観た。わたしは、それまで、この芝居を、日本版の舞台と、映画版(1984年/ミロス・フォアマン監督)でしか、観たことがなかった。どちらも何回も観ているが、ロンドンのオリジナル版舞台は、初めてだった。

 そのロンドン版で驚いたのは、全編、観客が大笑いしながら観ていることだった。日本版では、笑いが出る個所もあるが、おおむね息を詰めて観ている。全体に深刻な物語だとの印象が強い。特に、ラストで、サリエリが「わたしは、これから、あらゆる凡庸な人々の守り神になる」と宣言する場面では、ジワリと涙を流す観客もいる。

 ところがロンドン版では、ここでドッと最大の笑いが起きるのだ。
 その笑い方には「サリエリって、バカじゃないの」と、あきれ返ったような空気すら感じた。
 むかし、ドリフターズのコントで、クライマックスになると上から巨大なタライが落ちて来て、頭に喰らった加藤茶が目を回してひっくり返るパターンがあり、そのたびに我々は「また出た! バカバカしいなあ」と思いながら笑っていたものだが、あれに近いものを感じた。

 要するにオリジナル版『アマデウス』は、ドタバタお笑いコメディなのだ。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第234回 【古本書評】 岩城宏之『オーケストラの職人たち』ほか

 自宅のそばに、おいしい創作風のイタリア料理店があり、ときどき行く。
 しばらく前のことになるが、店長から、「今度入った、新人のスタッフです」と、小柄で美しいお嬢さんを紹介された。なんと、「彼女、岩城宏之さんの、お孫さんなんですよ」。

 わたしは、岩城宏之さん(1932~2006)のコンサートは中学生時代から行っていた。1970~80年代には「題名のない音楽会」の公開録画に10年ほど通い、その間、ゲストとして登場したのを、何度も見聴きした。だから、とても親しみをおぼえる指揮者だ。

 岩城さんが、東京佼成ウインドオーケストラの定期公演を初めて指揮したのは、1998年のことだった。曲目は、《トーンプレロマス55》を中心とする、盟友・黛敏郎の吹奏楽曲(管打アンサンブル曲)集だった。CD録音も行なわれ、翌年の文化庁芸術祭で、レコード部門優秀賞を受賞した。その間、インタビューや、受賞記念パーティーで何度か話をうかがった。
 このとき、岩城さんはTKWOのアンサンブル力の高さに感動し、「このような世界一の演奏団体が存在していたのを知らなかった不明を、恥ずかしいと思った」とまで書いた。わたしとの会話でも「せひ、また指揮したいですよ。今度は武満さんなんか、どうかなあ」とうれしそうに話していた(それは、2004年に実現する)。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第233回 イチロー引退

わたしはかなり重症のスポーツ音痴で、野球のルールもまともに知らない人間なので、以下に書くことは、かなりの的外れ、かつ、不快な思いを抱かせることと思う。よって、お叱りを承知で書く。

 イチローが引退を発表したが、直後のメディアの右へ倣えぶりには、驚いた。一般紙、スポーツ紙の騒ぎ方には、「イチロー引退を盛り上げなければならない」との無理やり感が、溢れていたように感じた(わたしはTVをあまり観ないのだが、たぶん、新聞よりすごかったのではないか。ラジオは、どこもほぼ通常通りだったが)。
 航空会社が、彼が乗る帰国便の搭乗ゲートを「51」に変更した、そのことを大ニュースのように報じるに至っては、大のおとながやることとは思えず、恥ずかしささえ、感じた。
 日本人は、本来、こういう騒ぎ方を嫌う民族ではなかったのか。その精神が、和歌や俳諧、茶・華・書道、相撲における力士の態度、さらには雅楽や、能・狂言を生んだのではなかったのか。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第232回 安重根と朴烈

 日韓関係が何かと話題になっているこの時期に、日本側に逮捕された朝鮮人死刑囚を描く作品が2作、映画と舞台に同時に登場した。

 まずは、文学座公演『寒花』(鐘下辰男:作、西川信廣:演出/3月4~12日、紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYAにて)。1997年に文学座アトリエ公演で初演された名作の再演である。

 明治末期。真冬の旅順の監獄。伊藤博文を暗殺した安重根(瀬戸口郁)が収監され、死刑の執行を待っている。監獄長、看守長、外務省官僚、監獄医など、様々な立場の日本人が登場し、安重根の処遇をめぐって対立する。維新時に賊軍扱いされたもの、世が世ならこんなところで働いているはずはない旧士族……中でももっとも接触が多い通訳の楠木(佐川和正)は、安重根のあまりに落ち着いた、そして、自らの死をキリストの磔刑と重ねあわせる姿に動揺と衝撃をおぼえる(安重根はクリスチャン)。楠木は兄を日露戦争で失っており、残された母親はそのショックで半ば錯乱状態である。
 その母親と安重根が抱きあうクライマックスは、忘れがたい名場面となった。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第231回 バッハのオペラ《村の出戻り娘》

 3月6日に亡くなった漫画家の砂川しげひささん(享年77)とは、1990年代の前半、担当編集者としてお付き合いがあった。たが、実際には、仕事を離れて、ご自宅そばの西荻窪駅前の焼き鳥屋で、音楽の話ばかりしていた。
 ご存知の通り、砂川さんは、たいへんなクラシック・マニアである。一時期、漫画よりも、クラシックに関するエッセイ本のほうが多かったくらいだ。
 砂川さんと語り合う音楽の話は、ほんとうに楽しかった。

 そんな砂川さんから、あるとき、CD-Rが送られてきた(MDだったかもしれない)。バッハのカンタータの抜粋集らしい。
 当時、砂川さんは、バッハのカンタータ全曲(約200曲)聴破に挑戦していたので、おそらく、ご自分で選んでダビングした「ベスト・カンタータ集」なのだろうと思い、聴いてみた。
 すると、どうも変な内容なのだ。

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