「グル新」カテゴリーアーカイブ

【コラム】富樫鉄火のグル新 第366回 新刊紹介/「循環形式」の漫画『音盤紀行』

 たいへん味わいのある「音楽漫画」をご紹介したい。
 近年、アナログ・レコード(「針」で聴く、むかしながらのEPやLP)の人気が再燃している。ポップスやクラシックでも、CDと同時にアナログ盤がリリースされるケースも多いが、中古盤もたいへんな人気である。配信やサブスクの隆盛で、CDの売れ行きが激減しているのに比して、不思議な現象ともいえる。

 人気の理由のひとつに、「アナログ・レコードのほうが、デジタル(CDや配信)よりも、音が温かい」ことがあるという。
 人間は、下は20Hz前後から、上は20,000Hz前後までの音を「鼓膜」の振動で感知できるといわれている。ところが、実際のナマ演奏では、40,000Hz前後までの音が発生しているそうで、それらは、通常感覚では感知できない。だが、その「聴こえない」音が鼓膜や脳に与える刺激が、「温かい音」となって感じるらしい。デジタルは、その「聴こえない」部分をカットしてしまうが、アナログには残っている。だから、「温かい音」を感じる……のだという。

 そんな「温かい音」をもつアナログ・レコードをめぐる連作短編集が、毛塚了一郎著、漫画『音盤紀行』である。
 現在発売中の第1巻には、5話がおさめられている。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第365回 大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の音楽

 日刊ゲンダイDIGITALに、作曲家の三枝成彰氏が、気になるコラムを寄稿していた(10月8日配信)。タイトルは、「NHK大河『鎌倉殿の13人』“劇伴”への違和感…音楽にもウソが通る社会が反映される」と、挑発的である。

 内容を一部抜粋でご紹介する。
〈NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を見ていると、たびたび驚かされる。その音楽に、聞き覚えのあるメロディーが出てくるからだ。ドボルザークやビバルディなど、クラシックの名曲のメロディーである。〉
〈視聴者の受けも悪くないようで、「感動した」「大河にクラシックは素晴らしい」といった声も多いようだ。〉
〈私はどうにも違和感を禁じ得ない。これだけ引用が多いと意識的にやっていることは明らかで、「たまたま既成の曲と似てしまった」というレベルではない。もとより悪意があるはずもないのだろうが、私などは「剽窃(ひょうせつ)」だと考えてしまう。〉

 この文章は、紙幅の関係か、あるいは作曲家のエバン・コール氏に気を使っているのか、少々隔靴掻痒なので、補足しよう。
 要するに、あのドラマでは、しばしば、クラシックの有名旋律が、すこしばかり形を変えて流れるのだ(ほぼそのまま流れることもある)。ドヴォルザーク《新世界より》、バッハ《無伴奏チェロ組曲》、ヴィヴァルディ《四季》、オルフ《カルミナ・ブラーナ》……。
 原曲を知らなければ「カッコいい音楽だなあ」と感じるかもしれないが、原曲を知っていると、たしかにちょっとビックリするような”変容”が施された曲もあるのだ。
 三枝氏は、それらを「剽窃」と感じるという。そして、こう綴るのだ。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第364回 新刊紹介『カーザ・ヴェルディ 世界一ユニークな音楽家のための高齢者施設』

 もう30年ほど前のことになるが、イタリア・ミラノにある「カーザ・ヴェルディ」に行ったことがある。オペラCDブック全集の解説原稿のための取材だった。
 いまは亡き、オペラ研究家の永竹由幸さんのガイドで、約2週間かけて、イタリア国内の、ヴェルディとプッチーニゆかりの場所のほとんどを、大特急でまわった。
 
 「カーザ・ヴェルディ」(ヴェルディの家)は、大作曲家、ジュゼッペ・ヴェルディが建てた、引退した音楽家のための養老院で、正式名称は「音楽家憩いの家」という(ヴェルディは自分の名を冠することを許さなかった)。
 取材の主目的は、館内にある、ヴェルディのお墓だった。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第363回 文学座『マニラ瑞穂記』とスーザ

 文学座公演『マニラ瑞穂記』(秋元松代作、松本祐子演出)は、老舗劇団の底力を見せられた舞台だった(9月20日まで、文学座アトリエにて)。
 近年では、2014年の新国立劇場版(栗山民也演出)が最新上演だったと思うが(昨年、同劇場演劇研修所の終了公演も本作だった)、今回は、各役のイメージを若返らせ、アトリエの閉鎖的な空間に独特の躍動感を生んでいた。
 たとえば女衒の秋岡などは、”お父さん”よりも”アニキ”のような雰囲気だったし、からゆきさんを演じた5人の女優陣も空前の体当たり名演だった。
 チェーホフ『桜の園』を100倍辛口にしたようなラスト・シーンもふくめて、おそらく、この名作戯曲に初めて接した観客は、脳天をぶん殴られたのではないだろうか。

 舞台は1898(明治31)年、スペイン植民地下のフィリピン・マニラ。
 いまや米西戦争真っ盛りで、外では砲弾が飛び交っている。
 米西戦争とは、カリブ海(キューバ近辺)とフィリピン・グアムのスペイン植民地をめぐって、”支配者”スペインと、”解放者”アメリカが戦った海戦である。
 マニラの日本領事館に、官僚、帝国軍人、フィリピン独立闘争を支援する日本人志士、女衒のオヤジ、からゆきさんなど、様々な 日本人たちが、戦火を避けて逃げ込んでいる。
 彼らには、それぞれの思惑があるのだが、ことごとくうまく運ばない。
 海外での夢やぶれ、結局、アメリカの掌に乗せられてしまうのだ。

 初演は1964(昭和39)年。
 作者秋元松代は、敗戦から19年目の日本が、東京オリンピックで世界の一等国に躍り出た(かのように見えた)年に、冷や水を浴びせたのだ。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第362回 50年目の《ゴルトベルク変奏曲》

 日本を代表する鍵盤奏者、小林道夫氏(89)は、毎年12月に、チェンバロで、バッハ《ゴルトベルク変奏曲》を演奏するコンサートを、1972年からつづけている。
 昨年末が、記念すべき、50年連続/第50回となるはずだったが、体調を崩されて、直前に中止となってしまった。
 その代替公演が、8月29日、東京・上野の東京文化会館小ホールで開催された。

 残念ながら、ぴったり「50年連続」とはならなかったが、90歳になろうかというひとが、半世紀かけて、あのような複雑極まりない大曲を弾きつづけてきたわけで、まさに偉業としかいいようがない。
 なぜ、もっとメディアが注目しないのか、不思議でならない。
(わたしは、せいぜい2000年代に入ってから2回ほど行ったことがあるにすぎない。よって今回が3回目)
 2回のアリアと、全30曲におよぶ変奏は、ささやきかけるような、実に温かな響きだった。

 会場では、昨年に配布されるはずだった解説プログラムが、あらためて配布された。
 これが実に面白い内容で、50年間分のプログラムから、小林氏本人の解説や、寄稿エッセイなどを抜粋再録した、一種の”50周年記念誌”となっていた。
 そこで驚いたのは、第1回=1972年のプログラムに寄せた、小林氏自身による解説である。
 たとえば、こんな具合だ。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第361回 岩波ホールはいつも「満席」だった

 東京・神保町の岩波ホールが、7月いっぱいで閉館した。
 だが、新聞やSNS上の惜しむ声を読んで、わたしは、開いた口がふさがらなかった。
 普段はジェット機だの恐竜だの、叫んでキレるマンガ映画ばかり観ているのに、こういうときになると、とたんに「学生時代によく行った」とか、「今後、良質な映画を上映する場がなくなる」とか口にして、惜しむふりをする日本人の、なんと多いことか(チコちゃんの森田ナレーション)。
 そういうアナタが普段から行かないから、閉館したんじゃないか。
 
 岩波ホールは、1968年に開館した。
 当初は、講演会などに利用される、多目的ホールだった(だから、スクリーンの前に、あんな大きなステージがあるのだ)。
 映画専門館になったのは1974年で、その第一弾は、インド映画『大樹のうた』(サタジット・レイ監督、1959年)だった。
 当時わたしは高校生だったが、すでに映画マニアだったので、さっそく行ってみた。
 そのとき驚いたのは、「むかしのモノクロ映画」を、「各回入れ替え制」で上映していることだった。
 てっきり、新しい映画館だから、最新のカラー映画かと思ったら、古いモノクロ映画で、売れない作家がやたらとヒドイ目に合う、身も蓋もない話だった。
 しかも、それまで映画館は、上映時間など気にせず、好きなときに行って、上映中でも勝手に入って途中から観て、次の回の上映で「ああ、ここから観たんだっけ。じゃ、帰るか」と出てきたものだった。
 それが、次回の上映開始まで客席に入れず、ロビーで待たされるなんて経験は、初めてだった。

 まだ残っている岩波ホールのウェブサイトに、過去の全上映作品がリストアップされている。
 それを見ると、わたしは、おおむね6~7割を観ているようだ(大学がすぐそばだったので、特に学生時代は、全作を観ている。といっても、1本を最低1~3か月は上映するので、本数は、それほどでもない)。
 そこから、わたしの、岩波ホール・ベスト10を挙げる(順位は、上映順)。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第360回 石田民三と地唄《雪》

 先月、東京・京橋の国立フィルム・センター(NFAJ)で、小特集上映「没後50年 映画監督 石田民三」があった。
 石田民三(1901~1972)とは、戦前の映画監督。
 特に昭和初期(1930年代)、東宝京都を中心に、「花街・芸妓映画」の傑作を続々生んだ鬼才で、市川崑の師匠でもある。
 世情や男社会の犠牲となった女性の悲哀を描くのが得意だった。
 幕末~維新を舞台にした作品では、薩長軍が京都や江戸に迫るなか、運命を翻弄される芸妓たちの姿を、愛情込めて描いた。
 なかでも、『花ちりぬ』(昭和13年)、『むかしの歌』『花つみ日記』(昭和14年)の「花街三部作」は、わたしが熱愛する作品群で、名画座での上映には必ず駆けつけている(もちろん、今回も上映された)。

 いまなら、これらを「元祖フェミニズム映画」などと呼ぶのだろうが、石田の場合は、”芸妓フェミぶり”が尋常ではなかった。
 今回の上映にあわせ、「NFAJニューズレター」2022年7~9月号に、映画研究者の佐藤圭一郎氏が、「石田民三小伝」を寄稿している。
 それによれば、石田は、かねてより京都花街の上七軒に入り浸り、「上七軒の主」として有名だった。
 学生時代から江戸文学を愛好し、「女の子に小唄を唄わせ偶には自分も唸ったり」した。
 やがて上七軒の芸妓と結婚し、妻の営むお茶屋から撮影所に通ったという。
 花街は、石田にとって人生そのものだったのだ。

 そのことが如実にわかるのが、名ラスト・シーンで知られる、『むかしの歌』(昭和14年)である。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第359回 ウクライナと「左手」(3)

「ウィトゲンシュタイン」と聞いて、多くのひとは、哲学者、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインを思い出すだろう。
 だが20世紀前半、ヨーロッパで「ウィトゲンシュタイン」といえば、哲学者ルートヴィヒではなく、その兄でピアニストの「パウル・ウィトゲンシュタイン」(1887~1961)のほうが、ずっと有名だった。

 わたしがそのことを明確に知ったのは、2010年に邦訳刊行された『ウィトゲンシュタイン家の人びと――闘う家族』(アレグザンダー・ウォー著、塩原通緒訳、中央公論新社刊→現・中公文庫/原著2008年刊) を読んでからだった。
 この本は、書名通り、ウィトゲンシュタイン家を描くノンフィクションだが、大半が、ピアニストのパウルを描いている。なにしろ書き手が、イギリスの大作家、イーヴリン・ウォーの孫で、音楽批評家・作曲家でもあるだけに、すこぶる面白い。それこそ韓流ドラマのようなエピソードが次々に展開する。近年、これほど興味深く読んだ音楽家の評伝はなかった。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第357回 ウクライナと「左手」(2)

 ボルトキエヴィチとは、どんな作曲家なのか。 
 以下、『国境を超えたウクライナ人』(オリガ・ホメンコ著、群像社)での記述を中心に紹介する。

 一般に、このひとは「セルゲイ・ボルトキエヴィチ」と綴られる。だがこれは、ドイツ時代のスペルにもとづくらしい。ウクライナ人としては「セリヒーイ・ボルトケーヴィチ」が正確だという。

 彼は、帝政ロシアの末期に近い1877年、ウクライナ北東部のハリコフで生まれた(最近は「ハルキウ」と記すようだが)。ここは、ロシア国境にも近く、ウクライナで2番目の大都市だけあって、今回の侵攻でも壮絶な戦闘が繰り広げられた。
 実家は裕福で、子どものころから音楽が好きだった。長じてからはサンクト・ペテルブルクで法律と音楽の両方を学ぶ。
 ここからの彼の人生は、まことに波乱万丈で、よくまあ、著者ホメンコ氏も、この紙幅でおさめたものだと感心する。
 とりあえず、その足跡をダイジェストでたどると……

サンクト・ペテルブルクの大学時代に徴兵。だが、身体が弱くて除隊。
  ↓
ライプツィヒ音楽大学に留学、ベルリンで作曲活動、結婚。
  ↓
第1次世界大戦の勃発でハリコフにもどるが、ロシア革命でクリミアに疎開。難民となってトルコのコンスタンティノープルを経てオーストリアへ。
(この間、周囲の援助で、なんとか音楽活動はつづけてきた)

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第357回 ウクライナと「左手」(1)

 『国境を越えたウクライナ人』(オリガ・ホメンコ著/群像社刊)は、本年2月に刊行された。
 さっそく読みはじめたら、すぐにロシアによるウクライナ侵攻がはじまった。まるで、この日を予期していたかのような刊行タイミングに、驚いてしまった。
 なぜ、わたしが本書に興味をもったのかというと、ウクライナの作曲家、セルゲイ・ボルキエーヴィチ(1877~1952)について書かれていたからなのだが、その前に、本書のご紹介を。

 著者、オリガ・ホメンコ氏は、日本近現代史および経済史の研究者、ジャーナリストだ。キエフに生まれ、キエフ国立大学文学部を卒業。東京大学大学院地域文化研究科で博士号を取得した。キエフ経済大学などで教壇に立ち、現在はキエフ・モヒラ・ビジネススクール助教授でもある。
 2014年刊『ウクライナから愛をこめて』(群像社刊)が、「ウクライナ人が日本語で書いた」エッセイとして、話題になったので、ご記憶のかたもいるだろう(とてもいい本なので、強力推薦!)。

 本書は、母国を飛び出し、国際的に活躍したウクライナ人9人+1人(なにものかは、読んでのお楽しみ)を紹介したミニ評伝集である。1人あたり10頁前後でコンパクトにまとめられているので、たいへん読みやすい(訳者名がないので、これも日本語で書かれたようだ)。
 乳酸菌の効用を発見し、長寿研究の先駆けとなったイリヤ・メーチニコフ(1845~1916)。
 1964年に、現役女性画家として初めてルーヴル美術館で個展を開催した、ソニア・ドローネー(1885~1979)。
 ヘリコプターの生みの親、イーゴル・シコールスキイ(1889~1972)。
 終生、日本に憧れ、パリ日本館に暮らしながら著述に明け暮れた、ステパン・レヴィンスキイ(1897~1946)等々……。

 記述はとてもていねいで、エピソードもうまくまとめられている。
 たとえば、前掲、シコールスキイがひたすら空を飛ぶ夢を追いつづける姿など、微笑ましくさえ感じる。ところが、アメリカにわたり、航空機開発会社を設立するが、資金繰りがうまくいかない。落ち込む気分を、趣味のチャイコフスキーなどの故国の音楽を聴いて慰めていた。
 あるとき、母国の大作曲家・ピアニスト、ラフマニノフの訪米公演があると知り、大枚をはたいて出かけた。終演後、楽屋に挨拶に行き、資金難の状況をぼやくと、なんとラフマニノフは、その場で、当日の収入全額「5,000ドル」を貸してくれたという。後刻、会社が黒字になったとき、利子をつけて返済したそうだが、これなど、日本の落語か講談に出てきそうな話だ。

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