「グル新」カテゴリーアーカイブ

【コラム】富樫鉄火のグル新 第207回 2003年、北米大停電

2003年8月14日、わたしは、出張で、エージェントのY氏とともに、ニューヨークの出版社「MARVEL」本社にいた。夕方の16時過ぎ、打ち合わせしていると、突如「バチン!」と音がして、ビル内の電気がすべて消えた。同時に「全員、退出」を促すサイレンが鳴った。2年前の「9・11テロ」の経験からか、ひとびとの対応は素早かった。我々も、階段で外へ出て、ホテルへもどることにした。

マンハッタンは、たいへんなことになっていた。信号が消え、ひとの流れは四方八方メチャクチャとなり、ときどき、タクシー同士がぶつかったりしている。
タイムズ・スクエア近くのホテルに着くと、すさまじい状況だった。エレベータが動かないため、身動きのとれない宿泊客が、ロビーどころか、表の道路にまであふれかえって座り込んでいた。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第206回 『2001年宇宙の旅』70㎜上映

公開50年を記念して、映画『2001年宇宙の旅』(スタンリー・キューブリック監督/1968年、アメリカ)の、70㎜ニュープリントが作成され、世界巡回上映がはじまった。10月には、東京・京橋の国立映画アーカイブ(旧フィルムセンター)で上映される。

宣伝文句によれば、「公開時の映像と音の再現を追求して、オリジナル・カメラネガからデジタル処理を介さずにフォトケミカル工程だけで作成」され、「公開当時と同じ6チャンネルで、上映前の前奏曲、休憩時の音楽、終映時の音楽まで再現されている」とのことだ(ちなみに、序曲・休憩音楽はリゲティ《アトモスフェール》、エンドタイトルと退場音楽はヨハン・シュトラウスⅡ《美しく青きドナウ》である)。

かつて、超大作映画といえば『ベン・ハー』『アラビアのロレンス』など、多くが横長スクリーンの「70㎜」だった。近年、『ヘイトフル・エイト』や『ダンケルク』のように70㎜フィルム作品が復権しつつあるが、日本には、もう上映できる劇場がない(『2001年』は全10巻、おそらく200㎏近いのではないか)。

ところが昨年10月、ユネスコ「世界視聴覚遺産の日」イベントとして、フィルムセンター(当時)で『デルス・ウザーラ』(黒澤明監督/1975年、日ソ合作)が上映された。同館は映写機材などを再整備し、オリジナルの70㎜フィルムで上映した(素晴らしかった!)。これが成功し、同館は「日本で唯一、70㎜フィルムを上映できる劇場」として注目を浴びた。そこで今年の同イベントは、話題の『2001年』上映になったようだ。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第205回 ポール・ホワイトマンの指揮棒

音楽家の伝記映画はさまざまあるが、ジョージ・ガーシュウィン(1898~1937)を描いた『アメリカ交響楽』(1945年/原題“Rhapsody in Blue”)は、特筆すべき映画である。なぜなら、ガーシュウィンの死後わずか8年目に製作されただけに、製作者も出演者も、ほとんどが、ガーシュウインを直接知っていたひとたちなのだ(ガーシュウインは38歳で夭折した)。主人公のガーシュウインをプロ俳優(ロバート・アルダ)が演じているほかは、多くが本人の出演である。

中でももっとも有名なのが、オスカー・レヴァント(1906~72)だろう。彼は、ホロヴィッツやルービンシュタインとならぶ、大人気ピアニストだった。ガーシュウィンの《ラプソディ・イン・ブルー》や《ピアノ協奏曲》は自分のテーマ曲のようにレパートリーとしていた。その彼が、この映画への出演をきっかけに(もちろん、自分自身の役を演じた)、本格的なミュージカル俳優になってしまうのである。たとえば、映画『バンド・ワゴン』(1953年)の名場面、《ザッツ・エンタテインメント》を、フレッド・アステアなどと一緒に歌って踊っている、唇の分厚い、小柄なオジサン――彼が、オスカー・レヴァントである。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第204回 東京都高等学校 吹奏楽コンクール

毎年8月は、東京都高等学校吹奏楽コンクールのA組(いわゆる東京大会予選)を聴きに行く。今年も府中の森芸術劇場で、朝から夕刻まで、4日間、全75団体を聴いた(他部門もあわせると、6日間でのべ300団体弱が演奏する)。

若いころは、ほかの部門や、近県の大会にも行き、ひと夏で200団体ほど聴いていたのだが、さすがに還暦ともなるとしんどく、ここ数年は東京の高校A組だけに通っている。だが、わたしなど道楽だから、まだいい。審査員はわたしのように、疲れたからといってウトウトすることもできない。まことにたいへんな仕事だと思う。

作曲家の故・岩井直溥さんに、昔のコンクール審査についてうかがったことがある。

「地方予選に行くと、演奏中に船をこぎはじめ、終わるとハッと目が覚める審査員がよくいたよ。そして、隣りのボクに小声で『すいません。いまの演奏、どうでしたか』と聞いてくる。そんな時代でしたよ」

というのも、往時のコンクール進行は、かなり荒っぽかったようで、

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第203回 8月のBPラジオ余話

◆甲子園第100回

今年の甲子園、西東京代表は、おなじみ日大三高となった。以下の話は、数年前に書いたことなのだが、ちょうどいいタイミングなので、あらためて綴る。

ご存知の方も多いだろうが、「甲子園の応援演奏で、初めて女性指揮者が振った」吹奏楽部が、日大三高である。

1952(昭和27)年の甲子園、東京代表は日大三高だった。
この「昭和27年」とは、日本が主権を回復した年である。前年にサンフランシスコ講和条約が締結され、昭和27年4月に発効した。これによってアメリカによる占領は終わり、ようやく日本は自立し始めた、そんな年であった。

日大三高は、戦前に2回、夏の甲子園に出場していたが、戦後は、この年が初出場だった。しかも主権回復の直後とあって、おそらく、たいへんな盛り上がりだったろう。
そんな年の夏を、さらに盛り上げたのが、このとき、吹奏楽部を率いていた女性顧問の若林文先生だった。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第202回 7月のBPラジオから

遅ればせながら、7月放送分の『BPラジオ/吹奏楽の世界へようこそ』にまつわる雑談を。

◆生誕100年、大栗裕

大栗裕(1918~1982)の名は、吹奏楽やマンドリンをやっている方にとっては周知の作曲家だろうが、それ以外の、特に日本作曲家ファンでない方にとっては、なじみが薄いかもしれない。吹奏楽界では、コンクール課題曲などのほか、特に《大阪俗謡による幻想曲》で知られている。
この曲は、本来が、1956年に朝比奈隆がヨーロッパ公演で指揮するために委嘱された管弦楽曲で、まず日本で初演後、ベルリン・フィルや、ウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団(現在、佐渡裕が首席指揮者)で演奏された。その際、肉筆譜をベルリン・フィルに献呈してしまったので、大栗は、のちに記憶やスケッチをもとに曲を「復元」した。1970年、それを改訂して最終ヴァージョンとし、さらに1974年に吹奏楽版となり、主に、大阪府立淀川工科高校吹奏楽部がコンクールでテーマ曲のように繰り返し演奏し、人気曲となった。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第201回 橋幸夫と「つけそば」


記憶に残っているかぎり、わたしが生まれて初めて食べたラーメンは、「中野大勝軒」の、「つけそば」だった。昭和30年代後半のことである。よく、父に連れられていった。

太い麺と、堅めの短冊チャーシューが特徴で、こども心にも、うまい食べ物があるもんだなあ、と思った(いまのチャーシューはかなり柔らかくなっている)。

当時の名称は「もりそば」だったような気がするが、とにかく初めて食べたラーメンが「つけそば」だったから、わたしは、しばらく、「ラーメン」とは、ああいう食べ物なのだと思っていた。

いまでも月に1~2回は食べているが、ここのつけそばを食べるたびに、橋幸夫を思い出す。

昭和26年に開店した「中野大勝軒」は、かつては、現在地(中野駅南口)ではなく、さらに南の橋場町(いまの中央5丁目あたり。劇画のさいとう・プロダクションの近く)にあった。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第200回〈古本書評〉『おじさん・おばさん論』

第195回で、普門館のカラヤン公演に「クラシック好きの伯父に連れて行かれた」と書いたら、2人の方から「わたしも、おじ(おば)に影響を受けました」と聞かされた。1人は、やはりおじさんの影響で、音楽の道に進んだ男性。もう1人は着付けの先生をやっているおばさんに憧れて日本舞踊を学ぶようになった女性。

専門分野に進むものは、育った家の環境(父母の影響)が大きいものだが、父母のきょうだい=おじ/おばの存在が大きかったひとも、けっこういるようだ。

わたしの場合も、本と音楽は、伯父からの影響である。もしも伯父に出会わなかったら、いま、こんな仕事はやっていなかったと思う。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第199回 日本大学フェニックス

1976年7月、新宿にあった東京厚生年金会館大ホールで開催された、日本大学吹奏楽研究会の定期演奏会には度肝を抜かれた。

ステージ・マーチング・ショーに、日本大学フェニックス(アメリカンフットボール部)が賛助出演したのだ。「アメフトのハーフタイム・ショーに吹奏楽が登場」するのならわかるが、「吹奏楽のコンサートにアメフトが登場」したのである。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第198回 天狗界の楽器事情~『仙境異聞』

この3月以降、ツイッター上で、ある岩波文庫が、たいへんな話題となっている。

平田篤胤著(子安宣邦校注)『仙境異聞/勝五郎再生記聞』である。広島の書店員の推薦ツイートが最初だとか、熱心なファンのツイートが最初だとか諸説あるらしいが、とにかく「そんな面白い本が岩波文庫にあったのか」と火がつき、全国の店頭から瞬時に消えた。

岩波書店の本は、原則として買い切り制で、返品できないので、これは書店にとって僥倖だった。

ところが同書を求める声は一向におさまらず、アマゾンの中古価格は、一時、6万円台にまでエスカレートした。岩波書店は、おっかなびっくり、増刷をはじめた。

同書の校注監修者・子安宣邦氏(日本思想史家)は、文春オンラインのインタビューで、次のように述べている。

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