「グル新」カテゴリーアーカイブ

【コラム】富樫鉄火のグル新 第372回【新刊紹介】本名も住所も本籍も、まったく証明できない人間が、現代社会には、いる!

いろんな音楽解説を書いていると、作曲家の「没後」の哀れさに、胸を塞がれることがある。
モーツァルトがまともな葬儀もなく共同墓地に葬られたことは有名だ。結局、遺体がどこに埋葬されたのか、正確にはわかっていない。
ハイドンは、没後、頭蓋骨マニアに墓をあばかれ、頭部を切り取って盗まれた。もどされて全身が”合体”したのは、150年後のことだった。
パガニーニは、生前、あまりのヴァイオリン演奏の凄さに、「悪魔に魂を売った」といわれていた。そのため、没後は、教会が埋葬を拒否した。遺体は防腐処理され、36年間も棺のまま、各地をさ迷った。

人間には、没後も椿事がつきまとう。
しかし、いまの時代に、このような「没後」があろうとは。

2020年4月、兵庫県尼崎市内のアパートの一室で、75歳くらいの老女が遺体で発見された。死因はクモ膜下出血。

ところが、この老女、謎だらけだった。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第371回【新刊紹介】「手紙」が語る、巨匠と2人の日本人の、驚愕の交流!

驚くべきノンフィクションが出た。
あたしも、仕事柄、多くの音楽家の評伝を読んできた。特にバーンスタインは大好きだったので、日本で読めるものは、おおむね、目を通してきたつもりだ。そして、バーンスタインにかんしては、もう、出尽くしたように思ってきた。
しかし、まさか、いまになって、こんな素晴らしい評伝が出るとは、夢にも思わなかった。
この本に出会えて、ほんとうによかったと思うと同時に、こうやって紹介できることが、うれしくてたまらない。

本書は、ひとことでいってしまえば、レナード・バーンスタインの生涯を描いたノンフィクションである。指揮者、作曲家、ピアニスト、教育者として超人的な活躍をした、20世紀アメリカが生んだ天才だ。
だが、本書は「評伝」とはいうものの、そのアプローチ方法が、あまりにも特異である。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第370回【新刊紹介】「まじめ」に生きることが、新しい時代を生む――朝ドラのごとく気持ちのいい音楽本!

今年度(2022年度)前期のNHK朝ドラ『ちむどんどん』は、世評どおりのドラマだった。あまりのひどさに、最後は観るのをやめてしまった。
それに対し、現在放映中の後期作品『舞いあがれ!』は、とても気持ちのいい内容で、何度か涙ぐむ場面もあった。
このちがいは、何なのか。
ひとことでいうと、劇中人物が「まじめ」に生きているかどうか、だと思う。

前者は、誰もが生き方が場当たりで、「ふまじめ」だった。作者は面白くしたつもりだろうが、倉本聰のことばを借りれば「快感はあるが、感動はない」ドラマだった。
だが後者は、誰もが「まじめ」に生きている。小さな町工場を経営する家族、人力飛行機に奮闘する学生たち。
結局、わたしたちは、「まじめ」に生きている人間の姿に、感動をおぼえるのである。

本書は、クラシック音楽界における女性の活躍が歓迎されない時代に、多くの困難をぶち破って女性だけの交響楽団を組織した「女性指揮者」エセル・スタークの、「まじめ」な生涯を描いた、まさに朝ドラのようなノンフィクションである。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第369回 ユーミンの50年

ユーミン(松任谷由実)が、デビュー50周年を迎えた。連日、メディアではたいへんな露出である。記念のベストCDは、一時品切れになるほどの売れ行きで、多くのチャートで1位を獲得した。文化功労者にも選出された。

新宿駅東口、GUCCI裏手の雑居ビル3階に、とんかつ屋「卯作」はある。
あたしは、店主と中学時代の同級生だったので、開店時から通っている。老舗とまではいえないが、開店して30年になるので、そろそろ長寿店といってもいい。
こういう食べ物は好みがあるので、うまいかどうかはひとそれぞれだが、30年もつづいているのだから、すくなくとも、多くのひとたちに愛されていることは、まちがいない。
 
店内は殺風景だが、なぜか有線放送で、ユーミンが流れている。USEN「A44」チャンネルである。開店から閉店まで、ユーミンの楽曲だけを流している。いつからこうなったのか、覚えていないが、とにかく「卯作」へ行くと、常にユーミンが流れているのである。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第368回 ギンレイホール、閉館

東京・神楽坂下(飯田橋)の老舗名画座「ギンレイホール」が、11月27日夜に閉館した。今後は別の場所での再開を目指すという。
あたしは、2016年に、ここで「新潮社で生まれた名作映画たち」という特集上映を開催していただいた際に、たいへんお世話になった、忘れられない映画館である。

かつて、神楽坂下には、ギンレイホールの他、佳作座(洋画系)、飯田橋くらら(ピンク系)などの映画館もあり、特に佳作座は、総武線のホームや車内から、強烈な看板が見えて、壮観だった。『大脱走』と『レマゲン鉄橋』、『ナバロンの要塞』と『マッケンナの黄金』など、大作2本立てが多かった(うろ覚えだが、イメージとしては、そんな番組構成だった)。

今回のギンレイの閉館理由は建物の老朽化にともなうもので、決して不入りが理由ではなさそうなのだが、それにしても、いま、名画座は、特にコロナ禍以降、冬の時代を迎えている。
(ちなみに、ギンレイホールは、正確には「名画座」というよりは、数か月前の封切り作品を2本立てで上映する「二番館」のおもむきが強かった。番組は、女性向けの洋画ドラマが多く、年間1万円で見放題のパスポート制度で知られていた)

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第367回 東京国際映画祭の「成熟」度

 第35回東京国際映画祭(TIFF)が終わった(10月24日~11月2日)。
 TIFFといっても、よほどの映画好きでなければ「それがどうした」で終わりだろうが、国際映画製作者連盟(FIAPF)が日本で唯一公認しているオフィシャルな映画祭である。だから、俗にいう「世界三大映画祭」(カンヌ、ベルリン、ヴェネツィア)と、一応は同格(のはず)なのである。よって、映画好きには、見逃せないイベントなのだ。
 本年は、10日間で110本が出品され、上映動員数は約6万人だったという。コンペティション部門には、107国・地域から1,695本の応募があり、15本が選出・上映された(世界初上映8本、製作国外での初上映1本、アジア初上映6本)。

 あたしは、平日昼間は仕事があるので、夜しか行けない。せいぜいコンペ部門6本を含む10本しか観られなかった(しかもグランプリ受賞作には当たらなかった)。よって、とても映画祭の全容を理解しているとはいえないのだが、それでも、毎年数本ずつではあるが、もう30年近く通っているので、簡単に、印象を記しておきたい。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第366回 新刊紹介/「循環形式」の漫画『音盤紀行』

 たいへん味わいのある「音楽漫画」をご紹介したい。
 近年、アナログ・レコード(「針」で聴く、むかしながらのEPやLP)の人気が再燃している。ポップスやクラシックでも、CDと同時にアナログ盤がリリースされるケースも多いが、中古盤もたいへんな人気である。配信やサブスクの隆盛で、CDの売れ行きが激減しているのに比して、不思議な現象ともいえる。

 人気の理由のひとつに、「アナログ・レコードのほうが、デジタル(CDや配信)よりも、音が温かい」ことがあるという。
 人間は、下は20Hz前後から、上は20,000Hz前後までの音を「鼓膜」の振動で感知できるといわれている。ところが、実際のナマ演奏では、40,000Hz前後までの音が発生しているそうで、それらは、通常感覚では感知できない。だが、その「聴こえない」音が鼓膜や脳に与える刺激が、「温かい音」となって感じるらしい。デジタルは、その「聴こえない」部分をカットしてしまうが、アナログには残っている。だから、「温かい音」を感じる……のだという。

 そんな「温かい音」をもつアナログ・レコードをめぐる連作短編集が、毛塚了一郎著、漫画『音盤紀行』である。
 現在発売中の第1巻には、5話がおさめられている。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第365回 大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の音楽

 日刊ゲンダイDIGITALに、作曲家の三枝成彰氏が、気になるコラムを寄稿していた(10月8日配信)。タイトルは、「NHK大河『鎌倉殿の13人』“劇伴”への違和感…音楽にもウソが通る社会が反映される」と、挑発的である。

 内容を一部抜粋でご紹介する。
〈NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を見ていると、たびたび驚かされる。その音楽に、聞き覚えのあるメロディーが出てくるからだ。ドボルザークやビバルディなど、クラシックの名曲のメロディーである。〉
〈視聴者の受けも悪くないようで、「感動した」「大河にクラシックは素晴らしい」といった声も多いようだ。〉
〈私はどうにも違和感を禁じ得ない。これだけ引用が多いと意識的にやっていることは明らかで、「たまたま既成の曲と似てしまった」というレベルではない。もとより悪意があるはずもないのだろうが、私などは「剽窃(ひょうせつ)」だと考えてしまう。〉

 この文章は、紙幅の関係か、あるいは作曲家のエバン・コール氏に気を使っているのか、少々隔靴掻痒なので、補足しよう。
 要するに、あのドラマでは、しばしば、クラシックの有名旋律が、すこしばかり形を変えて流れるのだ(ほぼそのまま流れることもある)。ドヴォルザーク《新世界より》、バッハ《無伴奏チェロ組曲》、ヴィヴァルディ《四季》、オルフ《カルミナ・ブラーナ》……。
 原曲を知らなければ「カッコいい音楽だなあ」と感じるかもしれないが、原曲を知っていると、たしかにちょっとビックリするような”変容”が施された曲もあるのだ。
 三枝氏は、それらを「剽窃」と感じるという。そして、こう綴るのだ。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第364回 新刊紹介『カーザ・ヴェルディ 世界一ユニークな音楽家のための高齢者施設』

 もう30年ほど前のことになるが、イタリア・ミラノにある「カーザ・ヴェルディ」に行ったことがある。オペラCDブック全集の解説原稿のための取材だった。
 いまは亡き、オペラ研究家の永竹由幸さんのガイドで、約2週間かけて、イタリア国内の、ヴェルディとプッチーニゆかりの場所のほとんどを、大特急でまわった。
 
 「カーザ・ヴェルディ」(ヴェルディの家)は、大作曲家、ジュゼッペ・ヴェルディが建てた、引退した音楽家のための養老院で、正式名称は「音楽家憩いの家」という(ヴェルディは自分の名を冠することを許さなかった)。
 取材の主目的は、館内にある、ヴェルディのお墓だった。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第363回 文学座『マニラ瑞穂記』とスーザ

 文学座公演『マニラ瑞穂記』(秋元松代作、松本祐子演出)は、老舗劇団の底力を見せられた舞台だった(9月20日まで、文学座アトリエにて)。
 近年では、2014年の新国立劇場版(栗山民也演出)が最新上演だったと思うが(昨年、同劇場演劇研修所の終了公演も本作だった)、今回は、各役のイメージを若返らせ、アトリエの閉鎖的な空間に独特の躍動感を生んでいた。
 たとえば女衒の秋岡などは、”お父さん”よりも”アニキ”のような雰囲気だったし、からゆきさんを演じた5人の女優陣も空前の体当たり名演だった。
 チェーホフ『桜の園』を100倍辛口にしたようなラスト・シーンもふくめて、おそらく、この名作戯曲に初めて接した観客は、脳天をぶん殴られたのではないだろうか。

 舞台は1898(明治31)年、スペイン植民地下のフィリピン・マニラ。
 いまや米西戦争真っ盛りで、外では砲弾が飛び交っている。
 米西戦争とは、カリブ海(キューバ近辺)とフィリピン・グアムのスペイン植民地をめぐって、”支配者”スペインと、”解放者”アメリカが戦った海戦である。
 マニラの日本領事館に、官僚、帝国軍人、フィリピン独立闘争を支援する日本人志士、女衒のオヤジ、からゆきさんなど、様々な 日本人たちが、戦火を避けて逃げ込んでいる。
 彼らには、それぞれの思惑があるのだが、ことごとくうまく運ばない。
 海外での夢やぶれ、結局、アメリカの掌に乗せられてしまうのだ。

 初演は1964(昭和39)年。
 作者秋元松代は、敗戦から19年目の日本が、東京オリンピックで世界の一等国に躍り出た(かのように見えた)年に、冷や水を浴びせたのだ。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第362回 50年目の《ゴルトベルク変奏曲》

 日本を代表する鍵盤奏者、小林道夫氏(89)は、毎年12月に、チェンバロで、バッハ《ゴルトベルク変奏曲》を演奏するコンサートを、1972年からつづけている。
 昨年末が、記念すべき、50年連続/第50回となるはずだったが、体調を崩されて、直前に中止となってしまった。
 その代替公演が、8月29日、東京・上野の東京文化会館小ホールで開催された。

 残念ながら、ぴったり「50年連続」とはならなかったが、90歳になろうかというひとが、半世紀かけて、あのような複雑極まりない大曲を弾きつづけてきたわけで、まさに偉業としかいいようがない。
 なぜ、もっとメディアが注目しないのか、不思議でならない。
(わたしは、せいぜい2000年代に入ってから2回ほど行ったことがあるにすぎない。よって今回が3回目)
 2回のアリアと、全30曲におよぶ変奏は、ささやきかけるような、実に温かな響きだった。

 会場では、昨年に配布されるはずだった解説プログラムが、あらためて配布された。
 これが実に面白い内容で、50年間分のプログラムから、小林氏本人の解説や、寄稿エッセイなどを抜粋再録した、一種の”50周年記念誌”となっていた。
 そこで驚いたのは、第1回=1972年のプログラムに寄せた、小林氏自身による解説である。
 たとえば、こんな具合だ。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第361回 岩波ホールはいつも「満席」だった

 東京・神保町の岩波ホールが、7月いっぱいで閉館した。
 だが、新聞やSNS上の惜しむ声を読んで、わたしは、開いた口がふさがらなかった。
 普段はジェット機だの恐竜だの、叫んでキレるマンガ映画ばかり観ているのに、こういうときになると、とたんに「学生時代によく行った」とか、「今後、良質な映画を上映する場がなくなる」とか口にして、惜しむふりをする日本人の、なんと多いことか(チコちゃんの森田ナレーション)。
 そういうアナタが普段から行かないから、閉館したんじゃないか。
 
 岩波ホールは、1968年に開館した。
 当初は、講演会などに利用される、多目的ホールだった(だから、スクリーンの前に、あんな大きなステージがあるのだ)。
 映画専門館になったのは1974年で、その第一弾は、インド映画『大樹のうた』(サタジット・レイ監督、1959年)だった。
 当時わたしは高校生だったが、すでに映画マニアだったので、さっそく行ってみた。
 そのとき驚いたのは、「むかしのモノクロ映画」を、「各回入れ替え制」で上映していることだった。
 てっきり、新しい映画館だから、最新のカラー映画かと思ったら、古いモノクロ映画で、売れない作家がやたらとヒドイ目に合う、身も蓋もない話だった。
 しかも、それまで映画館は、上映時間など気にせず、好きなときに行って、上映中でも勝手に入って途中から観て、次の回の上映で「ああ、ここから観たんだっけ。じゃ、帰るか」と出てきたものだった。
 それが、次回の上映開始まで客席に入れず、ロビーで待たされるなんて経験は、初めてだった。

 まだ残っている岩波ホールのウェブサイトに、過去の全上映作品がリストアップされている。
 それを見ると、わたしは、おおむね6~7割を観ているようだ(大学がすぐそばだったので、特に学生時代は、全作を観ている。といっても、1本を最低1~3か月は上映するので、本数は、それほどでもない)。
 そこから、わたしの、岩波ホール・ベスト10を挙げる(順位は、上映順)。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第360回 石田民三と地唄《雪》

 先月、東京・京橋の国立フィルム・センター(NFAJ)で、小特集上映「没後50年 映画監督 石田民三」があった。
 石田民三(1901~1972)とは、戦前の映画監督。
 特に昭和初期(1930年代)、東宝京都を中心に、「花街・芸妓映画」の傑作を続々生んだ鬼才で、市川崑の師匠でもある。
 世情や男社会の犠牲となった女性の悲哀を描くのが得意だった。
 幕末~維新を舞台にした作品では、薩長軍が京都や江戸に迫るなか、運命を翻弄される芸妓たちの姿を、愛情込めて描いた。
 なかでも、『花ちりぬ』(昭和13年)、『むかしの歌』『花つみ日記』(昭和14年)の「花街三部作」は、わたしが熱愛する作品群で、名画座での上映には必ず駆けつけている(もちろん、今回も上映された)。

 いまなら、これらを「元祖フェミニズム映画」などと呼ぶのだろうが、石田の場合は、”芸妓フェミぶり”が尋常ではなかった。
 今回の上映にあわせ、「NFAJニューズレター」2022年7~9月号に、映画研究者の佐藤圭一郎氏が、「石田民三小伝」を寄稿している。
 それによれば、石田は、かねてより京都花街の上七軒に入り浸り、「上七軒の主」として有名だった。
 学生時代から江戸文学を愛好し、「女の子に小唄を唄わせ偶には自分も唸ったり」した。
 やがて上七軒の芸妓と結婚し、妻の営むお茶屋から撮影所に通ったという。
 花街は、石田にとって人生そのものだったのだ。

 そのことが如実にわかるのが、名ラスト・シーンで知られる、『むかしの歌』(昭和14年)である。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第359回 ウクライナと「左手」(3)

「ウィトゲンシュタイン」と聞いて、多くのひとは、哲学者、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインを思い出すだろう。
 だが20世紀前半、ヨーロッパで「ウィトゲンシュタイン」といえば、哲学者ルートヴィヒではなく、その兄でピアニストの「パウル・ウィトゲンシュタイン」(1887~1961)のほうが、ずっと有名だった。

 わたしがそのことを明確に知ったのは、2010年に邦訳刊行された『ウィトゲンシュタイン家の人びと――闘う家族』(アレグザンダー・ウォー著、塩原通緒訳、中央公論新社刊→現・中公文庫/原著2008年刊) を読んでからだった。
 この本は、書名通り、ウィトゲンシュタイン家を描くノンフィクションだが、大半が、ピアニストのパウルを描いている。なにしろ書き手が、イギリスの大作家、イーヴリン・ウォーの孫で、音楽批評家・作曲家でもあるだけに、すこぶる面白い。それこそ韓流ドラマのようなエピソードが次々に展開する。近年、これほど興味深く読んだ音楽家の評伝はなかった。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第357回 ウクライナと「左手」(2)

 ボルトキエヴィチとは、どんな作曲家なのか。 
 以下、『国境を超えたウクライナ人』(オリガ・ホメンコ著、群像社)での記述を中心に紹介する。

 一般に、このひとは「セルゲイ・ボルトキエヴィチ」と綴られる。だがこれは、ドイツ時代のスペルにもとづくらしい。ウクライナ人としては「セリヒーイ・ボルトケーヴィチ」が正確だという。

 彼は、帝政ロシアの末期に近い1877年、ウクライナ北東部のハリコフで生まれた(最近は「ハルキウ」と記すようだが)。ここは、ロシア国境にも近く、ウクライナで2番目の大都市だけあって、今回の侵攻でも壮絶な戦闘が繰り広げられた。
 実家は裕福で、子どものころから音楽が好きだった。長じてからはサンクト・ペテルブルクで法律と音楽の両方を学ぶ。
 ここからの彼の人生は、まことに波乱万丈で、よくまあ、著者ホメンコ氏も、この紙幅でおさめたものだと感心する。
 とりあえず、その足跡をダイジェストでたどると……

サンクト・ペテルブルクの大学時代に徴兵。だが、身体が弱くて除隊。
  ↓
ライプツィヒ音楽大学に留学、ベルリンで作曲活動、結婚。
  ↓
第1次世界大戦の勃発でハリコフにもどるが、ロシア革命でクリミアに疎開。難民となってトルコのコンスタンティノープルを経てオーストリアへ。
(この間、周囲の援助で、なんとか音楽活動はつづけてきた)

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第357回 ウクライナと「左手」(1)

 『国境を越えたウクライナ人』(オリガ・ホメンコ著/群像社刊)は、本年2月に刊行された。
 さっそく読みはじめたら、すぐにロシアによるウクライナ侵攻がはじまった。まるで、この日を予期していたかのような刊行タイミングに、驚いてしまった。
 なぜ、わたしが本書に興味をもったのかというと、ウクライナの作曲家、セルゲイ・ボルキエーヴィチ(1877~1952)について書かれていたからなのだが、その前に、本書のご紹介を。

 著者、オリガ・ホメンコ氏は、日本近現代史および経済史の研究者、ジャーナリストだ。キエフに生まれ、キエフ国立大学文学部を卒業。東京大学大学院地域文化研究科で博士号を取得した。キエフ経済大学などで教壇に立ち、現在はキエフ・モヒラ・ビジネススクール助教授でもある。
 2014年刊『ウクライナから愛をこめて』(群像社刊)が、「ウクライナ人が日本語で書いた」エッセイとして、話題になったので、ご記憶のかたもいるだろう(とてもいい本なので、強力推薦!)。

 本書は、母国を飛び出し、国際的に活躍したウクライナ人9人+1人(なにものかは、読んでのお楽しみ)を紹介したミニ評伝集である。1人あたり10頁前後でコンパクトにまとめられているので、たいへん読みやすい(訳者名がないので、これも日本語で書かれたようだ)。
 乳酸菌の効用を発見し、長寿研究の先駆けとなったイリヤ・メーチニコフ(1845~1916)。
 1964年に、現役女性画家として初めてルーヴル美術館で個展を開催した、ソニア・ドローネー(1885~1979)。
 ヘリコプターの生みの親、イーゴル・シコールスキイ(1889~1972)。
 終生、日本に憧れ、パリ日本館に暮らしながら著述に明け暮れた、ステパン・レヴィンスキイ(1897~1946)等々……。

 記述はとてもていねいで、エピソードもうまくまとめられている。
 たとえば、前掲、シコールスキイがひたすら空を飛ぶ夢を追いつづける姿など、微笑ましくさえ感じる。ところが、アメリカにわたり、航空機開発会社を設立するが、資金繰りがうまくいかない。落ち込む気分を、趣味のチャイコフスキーなどの故国の音楽を聴いて慰めていた。
 あるとき、母国の大作曲家・ピアニスト、ラフマニノフの訪米公演があると知り、大枚をはたいて出かけた。終演後、楽屋に挨拶に行き、資金難の状況をぼやくと、なんとラフマニノフは、その場で、当日の収入全額「5,000ドル」を貸してくれたという。後刻、会社が黒字になったとき、利子をつけて返済したそうだが、これなど、日本の落語か講談に出てきそうな話だ。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第356回 高昌帥〔コウ・チャンス〕、そして洪蘭坡〔ホン・ナンパ〕

 高昌帥〔コウ・チャンス〕(1970~)のコンサートが、大阪と東京でつづけて開催される。
 高昌帥は、いうまでもなく、主として吹奏楽の分野で活躍している大人気作編曲家、指揮者だ。大阪音楽大学教授もつとめている。全日本吹奏楽コンクール課題曲も、《吹奏楽のためのラメント》(2001年度/公募)、《吹奏楽のための「ワルツ」》(2018年度/委嘱)の2曲を書いている。

 コンサートは、まずは4月24日(日)に大阪で、Osaka Shion Wind Orchestraの第142回定期演奏会。
 1週間後の5月1日(日)に東京で、シエナ・ウインド・オーケストラの第52回定期演奏会。
 どちらも、当人の指揮で、曲目も自作が中心なので、一種の“個展”といってもいい。まったくの偶然らしいが、このようなコンサートが、東西で連続して開催されるのは、きわめて珍しい。高昌帥は主に関西で活躍しているひとなので、特に東京でのコンサートは、貴重な機会である。

 近年、全国の吹奏楽コンクールだけで600回以上も演奏されている大ヒット曲《吹奏楽のためのマインドスケープ》や、全5楽章の超大作《吹奏楽のための協奏曲》なども、東西双方で演奏される(もちろん原曲ノーカットで)。
 曲目の詳細は各楽団のサイト(文末にリンクあり)でご確認いただきたいが、ちょっと目を引く曲が、東京(シエナWO)の曲目にある。
 それが、《故郷(ふるさと)の春》(高昌帥編曲)である。韓国を代表する童謡で、”第二の国歌”と呼ぶひともいる。北朝鮮でも歌われているらしいので、”朝鮮半島を代表する童謡”といってもいいかもしれない。「わたしの故郷は花の里……あのこどもの日々が懐かしい」と、生まれ故郷を懐旧する曲で、日本の唱歌《故郷》のような、素朴で美しい曲である。

 まさか、この曲が、日本のプロ吹奏楽団の定期演奏会で取り上げられるとは、夢にも思わなかった。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第355回 第3回大島渚賞

 第3回大島渚賞が発表となった。
 受賞作は『海辺の彼女たち』(藤元明緒監督)である。

 「大島渚賞」といっても、まだ新しい賞なので、ご存じない方も多いだろう。
 主催は、PFF(ぴあフィルムフェスティバル)で、同映画祭の一部門として運営されている。「映画の未来を拓き、世界へ羽ばたこうとする、若くて新しい才能に対して贈られる賞」で、いわゆる映画監督の新人賞である(大島渚はPFFの審査員を長くつとめ、多くの新人を発掘した)。
 審査員は、坂本龍一(音楽家/審査員長)、黒沢清(映画監督)、荒木啓子(PFFディレクター)の3人。

 第1回は2020年3月に開催された(コロナ禍がはじまった時期だけに、記念上映会場は、緊張した雰囲気に包まれていた)。受賞作は、ドキュメンタリ『セノーテ』(小田香監督)。
 2021年の第2回は該当者ナシ。
 そして今年が第3回で、前記『海辺の彼女たち』(藤元明緒監督)が受賞した。

 これは、ベトナムから技能実習生として来た3人の女性たちの物語である。なんとか3か月頑張ってきたが、あまりに過酷、搾取が多く、家族へ送金もままならない。そこで、ある夜、密かに脱走する。少しでもギャラのいい仕事を求めて、怪しげなブローカーに紹介され、不法就労者として小さな港町で隠れて働くことになった。しかし、1人が体調を崩す。病院にかかりたいが、彼女たちには在留カードも身分証もない……。

 昨今、日本でも問題になっている外国人労働者の問題に迫った異色作で、全編、彼女たち3人の描写に終始する(よって、コトバはすべてベトナム語で、字幕付き)。一見ドキュメンタリかと見紛うリアルな描写で、”見てはいけないもの”を見せられているような迫力がある。

 わたしは、記念上映会(4月3日、丸ビルホールにて)で鑑賞し、藤本明緒監督と黒沢清監督たちのトークを聞きながら、なるほど、いかにも「大島渚賞」にふさわしい作品が選ばれたなあと思っていた。
 ところが、翌日の授賞式で、病気療養中のせいか、欠席した審査員長・坂本龍一のコメントを知って、驚いた。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第354回『動物農場』ウクライナ語版

 ジョージ・オーウェル(1903~1950)の寓話小説『動物農場』は、1945年にイギリスで刊行された。
 農場で、動物たちが「革命」を起こし、農場主のジョーンズ氏を「追放」、動物社会を樹立する。リーダーはブタのスノーボールとナポレオンだった。
 動物たちは、リーダーの指導の下、「平等」社会を目指し、日々、労働に励むが、どうもおかしい。収穫した食糧がきちんと分配されている気配がない。猛犬たちが「秘密警察」のように監視している。リーダーたちは陰で贅沢かつ安穏とした生活をおくっているようだ。やがてリーダー間で「抗争」が発生し、スノーボールは「追放」され、ナポレオンの「独裁政治」が確立する。

 要するに、ロシア革命による帝政崩壊~ソ連成立~スターリンの恐怖政治……を、農場に仮託して描いているのである。いうまでもなく、「ジョーンズ氏」がニコライ二世、「スノーボール」がトロツキー、「ナポレオン」がスターリンである。

 いまでは寓話小説の傑作として知られているが、1945年の刊行当初は、それほどの評価は得られなかった。ほかの国でも、すぐには翻訳刊行されなかった。
 ところが、なぜか「ウクライナ語版」なるヴァージョンがあって、早くも1947年11月に出ている。そしてオーウェルは、この「ウクライナ語版」だけに、かなり長い序文を寄せているのだ。
 しかし当時、ソ連の構成国だったウクライナで、このような本が刊行できたのだろうか。

 実はこの版は、ウクライナ国内で刊行されたものではない。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第353回 『ドライブ・マイ・カー』~「国際的」なるもの

 わたしは、一度だけ、南仏のカンヌへ行ったことがある。といっても映画祭ではなく、MIDEM(国際音楽産業見本市)に参加するためだった。世界100カ国以上、4,000社前後が出展する世界最大の音楽ビジネス・フェアである。
 カンヌといえば映画祭で有名だが、この町は「フェア」(展示会、見本市、〇〇祭)で食っているので、1年中、何かしらの巨大イベントが開催されているのだ。

 このとき驚いたのは、最寄りのニース空港に着いたら、空港内の広告スペースが、すべてMIDEM出展社の”アピール広告”で埋まっていることだった。レーベルや音楽出版社による新譜宣伝、イメージ・ポスターなど様々だったが、そのすべてから「MIDEMではぜひわが社のブースを訪れて!」「自社のアーティストを貴国で売って!」との強烈なメッセージが伝わってきた。なかには「連日、先着〇名様に新譜CDをプレゼント!」みたいな広告もあった。
 MIDEMクラシックCD賞の選考発表もあって、それ目当ての宣伝も多かった。まさに「MIDEMは空港からはじまっている」としかいいようがなく、呆気にとられた。

 あとでわかったのだが、イギリスのあるクラシック・レーベルなどは、会場近くのホテルの広い一室を借り切って、ビュッフェ付きの「1社MIDEM」を開催していた。ざわついた会場の狭いブースより、ずっと落ち着いて過ごせる。しかもそこで、自社アーティストによる室内楽のサロン・コンサートまで開催していた(もちろんCDの宣伝だ)。

 これが「カンヌ国際映画祭」になると、その何倍もの迫力であることは、いうまでもない。ある映画ジャーナリストが「海外の映画祭では、賞は、”もらう”のではなく、”奪い取りに行く”ものです」といっていたのを思い出す。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第352回 第二の「バビ・ヤール」

 ショスタコーヴィチの交響曲第13番には、副題として《バビ・ヤール》と付されている。
 これは、ウクライナ、キエフ近郊にある渓谷の名前で、1941年9月29・30日の2日間にわたって、ナチス・ドイツによるユダヤ人大虐殺がおこなわれた地である。

 この年、ソ連・ウクライナに侵攻したナチス・ドイツは45日間にわたってキエフを包囲。だが徹底抗戦もむなしく、キエフは占領される。
 ナチスはキエフの全ユダヤ人に出頭を命じ、バビ・ヤール渓谷に移送した。てっきり、そこから収容所に移されるものと思いきや、その場で次々と射殺。渓谷は遺体の山で埋まった。その数、2日間で約3万4000人。一か所で同時におこなわれた民族虐殺としては、最大数の犠牲者となった。
 その後も虐殺はつづき、最終的にキエフ周辺で10万人のユダヤ人が虐殺されたともいわれている。

 この悲劇を連作詩集『バビ・ヤール』(1961)として描いたのが、ソ連の詩人、エフトゥシェンコ(1933~2017)である。「バビ・ヤールに墓碑銘はない」ではじまる有名な詩だ。ショスタコーヴィチは、この詩集をもとに、男声バス独唱+男声バス合唱+管弦楽で悲劇を音楽化した。
 この編成から想像できるように、なんとも異様で壮絶な音楽である。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第351回 YAMAHA育ち(下)

 わたしは、高校時代、毎晩、ラジオにかじりついて、ニッポン放送の「コッキーポップ」を聴いていた(24:30~25:00)。ヤマハ音楽振興会が主催する「ヤマハポピュラーソングコンテスト」(通称「ポプコン」)の楽曲を紹介する番組だった。
 ここから生まれ、いまでも人気を保っているスターといえば、中島みゆきにとどめを刺す。

 1975年5月、第9回ポプコンつま恋本選会に入賞した中島みゆきの《傷ついた翼》を、「コッキーポップ」で聴いたときの感動は、いまでも覚えている。強烈なヴィブラートで、当時としては珍しいゆったりしたバラードだった。そして、後半で転調して曲想が拡大する見事な構成。「すごいシンガー・ソング・ライターがあらわれた」と、心底から思った。

(余談だが、第9回ポプコンは、このほか、柴田容子《ミスターロンサム》、八神純子《幸せの国へ》、PIA=のちの渡辺真知子《オルゴールの恋唄》、松崎しげる《君の住んでいた街》など、ウルトラ級の名曲がそろっていた)

 ところが、それはほんの序章だった。
 9月に、独特のワルツ《アザミ嬢のララバイ》でシングル・デビュー。そして10月の第10回ポプコンに《時代》で再出場してグランプリ。翌月の世界歌謡祭に同曲で日本代表として出場し、またもグランプリ。中島みゆきは、怒涛の進撃を開始した。
 まさに「YAMAHA」から生まれた、ポップスの大スターだった。

 以後、彼女は、いまに至るまで、ずっとヤマハをベースに活動している。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第350回 YAMAHA育ち(中)

 最近、気になっているピアニストに、フランスのエロイーズ・ベッラ・コーン(1991~)がいる。 
 彼女が昨秋、Hanssler Classicからリリースした、バッハ《フーガの技法》(エスケシュ補筆完全版)は、たいへん興味深いディスクだ。フランスの”鬼才オルガニスト”で作曲家のチエリ・エスケシュ(1965~)が補筆完成させた《フーガの技法》を、ピアノで演奏したアルバムなのだ(そもそも原曲は未完のうえ、スコアに楽器指定がない”謎の音楽”である)。

 本題とは関係ないので、いま、このアルバムの内容には踏み込まないが、こういう面白いプロジェクトに挑むとは、どういうピアニストなのだろうと気になった。
 さっそく彼女のウェブサイトでプロフィールを見ると、「パリに生まれ、4歳からヤマハ音楽教室で音楽を学び……」とある。
 その後は、名門、CNSMDP(パリ国立高等音楽・舞踊学校)を卒業したようなので、上原彩子のように、ヤマハ一筋ではないようだ。
 しかし、芸術の都パリにもヤマハ音楽教室があり、《フーガの技法》補筆完全版に挑むフランス人ピアニストを生んでいるとは、不勉強とはいえ、ちょっと意外だった(検索すると、教室はパリ以外にもいくつかあるようだ)。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第349回 YAMAHA育ち(上)

 2002年6月、チャイコフスキー国際コンクール(ピアノ部門)で上原彩子が優勝したとき、様々な点で驚かされた。
 まず、「日本人」として初の優勝だったこと。
 過去の優勝者は、ほとんどソ連/ロシア人である。「国際」の名が付いているが、実際はソ連/ロシア文化の優位性を西側社会に誇示するためのコンクールなのだ(なのに、1958年の第1回で、アメリカ人のクライバーンが優勝してしまったので、以後、ソ連/ロシア陣営がいっそう首位獲得にやっきとなってきた)。
 次に、史上初の「女性優勝者」だったこと。
 このコンクールは、よく「重量級」「男性的」といわれる。本選まで残ると、2週間は留め置かれ、チャイコフスキーなどの協奏曲を2曲、弾かねばならない。尋常な体力では最後まで貫けないのだ。

 小柄な日本女性、上原彩子の優勝は、これだけでも驚きだったが、さらに世界中が注目したのは、彼女が「音楽学校に行っていない」ことだった。「ゲイダイ」でも「キリトモ」でもなく、なんと「ヤマハ音楽教室」出身だという(彼女の最終学歴は、岐阜県立各務原西高校卒業)。
 このとき、世界中が、日本の「YAMAHA」は、単なる楽器メーカーや、町の音楽教室ではなく、世界最高のピアニストを育成するシステムを持っていることを、あらためて知ったのだった。

 そんな上原彩子の自伝エッセイ『指先から、世界とつながる~ピアノと私、これまでの歩み』(ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングス刊)が出た。
 彼女の語りを、音楽作家、ひのまどかが聴き取り、周辺取材も交えて構成した本だが、これがすこぶる面白い。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第348回 7年目の「イスラーム映画祭」

 今年で7回目になる「イスラーム映画祭」が、2月19~25日、東京・渋谷のユーロスペースで開催された。これは、その名のとおり、イスラム文化圏で製作された映画、あるいはイスラム文化を題材にした映画の特集上映だ。
 なにぶん、1週間で(アンコール上映も含めて)10数本の作品が上映されるので、とてもすべてを観ることはできない。それでも、わたしは、第1回からいままで、半分強の作品を観てきた。

 とにかく、どの映画も、抜群に「面白い」。恋愛、メロドラマ、不倫、コメディ、テロ、戦争、宗教対立、旅、家族、子ども、スポーツ、同性愛……あらゆる題材の映画が並ぶ。イスラム世界に、これほど豊かな映画文化があることに、驚かされる。マイ・カーでドライヴしながらえんえん話すとか、万引きで家族を養うとか、昨今の日本映画に慣れていると、脳天をぶち抜かれるだろう。

 しかもこれは、映画ファンの藤本高之さん個人が、「ひとり」で主宰しているイベントである(驚嘆すべきことなのだが、ここに触れると長くなるので割愛。ネット上にインタビューや紹介記事が山ほどある)。よくこれだけの作品を、個人で探し出し、交渉し、素材を輸入し、字幕を付けて上映するものだと、感動する。

 これからほかの都市での開催もあるし、来年以降のアンコール上映もあるかもしれないので、わたしがこの7年間で観てきたなかから、忘れられない作品をご紹介しておく。今後、機会があれば、万難を排して観ていただきたい、どれも素晴らしい映画である。

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