「グル新」カテゴリーアーカイブ

【コラム】富樫鉄火のグル新 第284回「脱グローバル」なのか

 全日本吹奏楽コンクール=通称「全国大会」(全日本吹奏楽連盟と朝日新聞社の共催)が中止となり、その予選にあたる支部大会や都道府県大会なども続々中止になっている。
 全国大会は10月末~11月の開催だが、地方によっては、初夏から予選が始まるし、練習を、ほとんどの団体は春から本格化させる。しかし、学校は休校で部活はできない(はず)。吹奏楽とは、密閉(遮音)された、ほとんどは狭い練習室に、50人前後の人間が集る「3密」が常態である。しかも、息を大きく吸ったり吐いたりして、飛沫も飛ぶ。
 よって、仮に開催時期には終息して、ワクチン接種が確実だとしても(まず考えられないが)、それ以前に練習ができないわけで、これでは無理だろう。

 ところが、東京都高等学校吹奏楽連盟は、「緊急事態宣言」真っ最中の4月14日付で、夏のコンクール(予選)実施、および参加申し込み受付と、説明会実施の通知を発表した(正確には「実施へ向けて準備を行って参ります」との表現だったが)。
 わたしはこれを見て、少々背筋が寒くなった。「規模を縮小」「演奏終了後、解散」「審査結果はHPで発表」などの配慮はあった。だが、無観客実施と思いきや、「観客の制限」を行ない、「チケットの一般販売は中止」するものの、「参加団体の割当チケットと追加チケット」は販売するとされていた。つまり参加団体と追加分(保護者の分だろう)の観客を想定していたようなのだ。大きな会場を長期間借り切る以上、経費が必要なのはわかるが、ちょっと驚く記述だった。
 
 だが、やがて読んでいるうちに、「不思議」な感覚も覚えた。
 この通知には「よく検討した上で、学校長の許可を得て、参加申込をお願いいたします」とあったが、参加する以上は「練習」が不可欠なわけで、これに関しては何も触れられていないのだ。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第283回 コロナが変えた金曜夕刊

 映画ファンにとって、毎週金曜日の新聞夕刊は欠かせない。
 どの新聞も映画情報で埋まっており、新作映画の話題、映画評、スタッフ・キャストのインタビューなどが山ほど載っているからだ。往年の「ぴあ」と「キネマ旬報」を合わせたような感じである。
 よって、毎週金曜日夜、駅の売店で、朝日・毎日・読売・東京の4紙を買うことが、私の楽しみでもある(4紙あわせてたった200円。なお日経は、映画記事の分量が少ないので、あまり買わない。ちなみに、コンビニでは朝刊しか売っていないので、夕刊は駅構内で買うしかない)。

 ところが、首都圏の映画館は、近々、徐々に解除されるようではあるが、いまのところ、封切館もシネコンも名画座もミニシアターも、すべて休館中である。多くの新作も公開延期となった。おそらく、これほど長い期間、映画館の休館がつづくのは、史上、初めてだろう。
 「日本映画データベース」によれば、日米開戦の年、1941(昭和16)年でさえ、275本の邦画が製作公開されている。それどころか、すべてが灰塵と帰したはずの敗戦の年、1945(昭和20)年に至ってもなお、50本近い映画が封切されているのだ。黒澤明監督の『続姿三四郎』は昭和20年の5月に、阪東妻三郎主演の名作『狐の呉れた赤ん坊』(丸根賛太郎監督)は11月に、それぞれ公開されている(後者はGHQの検閲指導を受けた、ほぼ最初期の作品)。

 ちなみに、昭和20年8月15日も、映画は上映されていた(といわれている)。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第282回 テレワークなので『テレマークの要塞』を観た

 こんなに長いこと、映画も芝居も演奏会も美術展も行かない日々は、初めてだ。音楽ライターの仕事もほとんどキャンセルになり、本業も半ばテレワークなので、この際、自宅DVDで、映画『テレマークの要塞』を観た。小学校低学年のころ、両親と「中野オデヲン座」で観た映画だ。

 「中野オデヲン座」は、青梅街道、鍋屋横丁の交差点にあった映画館で、昭和25年創設。父や祖父からは、このあたりは、戦前には3~4館の映画館があったとよく聞いていた。実はここは、江戸時代、堀之内・妙法寺へ参詣に行く際の参道入口にあたる場所だった。みんな、ここにあった茶屋「鍋屋」で一息入れてからふたたび歩き始めたのである。
 それだけに、終戦までは、中野でいちばんにぎわった一角だったというが、わたしが物心ついたころは、映画館は「中野オデヲン座」だけだった。
 ちなみに、「オデヲン座」とは、東亜興業が中央線沿線を中心に展開した映画館チェーンで、たしか、「阿佐ヶ谷オデヲン座」が第1号だったと思う(現在、ラピュタ阿佐ヶ谷の手前にある「トーアフィットネスクラブ」がそうだ)。
 いま「オデヲン座」は、吉祥寺にしかない。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第281回 小説の中の「無観客」歌舞伎

前回、国立劇場における歌舞伎公演の、無観客映像について述べた。
 実は「無観客の歌舞伎」を題材にしたユニークな短編ミステリ小説があるので、ご紹介しよう。
 戸板康二による、『尊像紛失事件』である。

 戸板康二(1915~93)は、歌舞伎評論家にして随筆家。「ちょっといい話」シリーズなどは、かつてエッセイのお手本のように読まれたものである。
 その戸板が、江戸川乱歩の薦めで書き出し、本業顔負けのワザを見せたのが、老優探偵・中村雅楽シリーズである。1970~80年代にかけて、十七世中村勘三郎主演でTVドラマ化されたので、それでご記憶のご年輩の方も多いだろう(江川刑事=山城新伍、竹野記者=近藤正臣)。

 高松屋こと中村雅楽は77歳の大ベテラン歌舞伎俳優。リュウマチで身体が少々不自由なので、いまでは時折、老け脇役で出る程度だが、むかしの芝居の型をよく知っているため、若手役者たちからも慕われ、大切にされている。
 だが、この雅楽には、もっとすごい才能があった。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第280回 無観客/平知盛 vs コロナ

 新型コロナ禍で、演奏会や芝居、スポーツなどの「無観客」実施が増えた(その後の「緊急事態宣言」で、それさえもなくなったが)。

 先日、この3月に上演予定ながら中止となった、国立劇場『義経千本桜』通しの、無観客映像がネットで公開され、あっという間に10万回再生を突破したという。
 これは、菊之助が、知盛・権太・狐忠信の3役を完役する、たいへん挑戦的な舞台として話題になっていた(権太のみ初役)。ほかに、道行の静御前を時蔵、義経を鴈治郎など。

 全体を3部に分け(二段目=Aプロ、三段目=Bプロ、四段目=Cプロ)、一か月の間、1日に2プロずつ、日によって入れ替えながら上演する。しかも会場が、通常は文楽などを上演する小劇場(522席)なので、大劇場や歌舞伎座とはちがい、役者の息吹を目の前で感じられるとあって、芝居好きにはたまらない公演となるはずだった。
 もちろんわたしも、3プロ通し券を買って、楽しみにしていた。

 結局、公演は中止となったのだが、その間、ゲネプロのように無観客で完全上演され、国立劇場は、その模様を映像におさめていた。それも「記録」用収録ではなく、最初から配信公開を前提とした、複数カメラによる収録だった。実際、菊之助自身、国立劇場のサイトでこう述べている。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第279回 続・余分なきマスクの余聞

 前回、海外で「マスク」(Mask/Masque)といえば、「仮面」「仮面劇」の意味合いが強かったと書いた。
 吹奏楽の世界でも「マスク」を題材とした曲は多い。

 いちばん知られているのは、おそらく、ウィリアム・フランシス・マクベス(1933~2012)作曲の《マスク》だろう。原題は《Masque》なので、正確に訳せば《仮面劇》となる。
 1967年に、アーカンソー州立大学にアート・センターが落成したのを記念して委嘱・作曲された。ここのシアターで仮面劇が上演されるとの“幻想”を音楽にしたものだ。
 いったい、この曲のどこが「仮面劇」なのか、よくわからないのだが、とにかくカッコいい曲で、1970~80年代にかけて、コンクールで大人気だった。特に、1972年に全国大会初演で金賞を受賞した福岡県立嘉穂高校の名演は、いまでも語り草である。

 マクベスといえば、古参の吹奏楽人間にとっては、なんといっても“マクベスのピラミッド”理論である。彼は、吹奏楽における音量や響きのバランスを正三角形のピラミッドにたとえ、下三分の一が「低音域」、真ん中の三分の一が「中音域」、最上部が「高音域」のイメージが理想的だ、と提唱したのであった。

 1978年は、全日本吹奏楽連盟の創立40周年だった。それを記念して、この年の全日本吹奏楽コンクール課題曲4曲中、2曲が、アメリカの人気作曲家に委嘱された

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第278回 余分なきマスクの余聞

 1935(昭和10)年の映画『乙女ごころ三人娘』(PCL映画製作所)は、名匠・成瀬巳喜男監督による初トーキー作品。浅草を舞台にした、流し芸人三姉妹の物語である。原作は川端康成の『浅草の姉妹』。音楽監督は、のちに占領軍専用ホール「アーニーパイル劇場」の楽団長をつとめる紙 恭輔(1902~1981)である(この楽団から、岩井直溥や河辺公一が巣立ち、戦後の吹奏楽全盛時代を築くのだ)。
 この映画に、しばしば、芝居小屋や、音楽小屋(いまでいうライブハウス)の場面が登場するが、なかに「マスク」を着用している観客がチラホラといる。
 そういえば、ほぼ同時期の、おなじ浅草を舞台にした映画『浅草の灯』(島津保次郎監督、松竹、1937年)にも、マスク姿の観客が映っていたような記憶がある(浅草オペレッタのバックステージもので、映画デビューの杉村春子がカルメンを歌い踊っている)。

 日本で、マスクは、炭鉱や建築現場労働者の防塵具として、明治初期から使用され始めたという。それが風邪の予防具として注目を浴びたのは、1918~20(大正7~9)年のスペイン風邪だった。世界中で5000万人、日本でも約40万人の命を奪った(諸説ある)、インフルエンザのパンデミックだ。日本銀行や東京駅丸の内駅舎で知られる建築家・辰野金吾や、劇作家・島村抱月などが、この風邪で亡くなっている。その後、1923(大正12)年に発売された「壽マスク」が商標登録品第1号となって、さらに一般市民にも知られるようになった。

 そんなマスクが、日本人の生活に完全に定着したのが、1934(昭和9)年のインフルエンザ大流行だった。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第277回 第1回大島渚賞

 わたしが初めて観た大島渚の映画は『ユンボギの日記』(1965)だった。1970年、小学校6年生のときだった。中野公会堂で、山本薩夫監督の記録映画『ベトナム』(1969)と2本立てだった。反戦団体による自主上映会だったと思う。原作本が、学校の図書室にあったので、題名だけは、前から知っていた。親友のオカモトくんと2人で行った。もちろん、自主的に行ったのではなく、担任の先生に薦められたのだ(当時の中野区は革新区政で、日教組全盛時代だった)。先生から無料入場券のようなものをもらったような気がする。

 これは、朝鮮戦争後の韓国における、貧困少年の日常を描く、フォト・ドキュメントである。小松方正のナレーションが強烈で、何度となく「イ・ユンボギ、君は10歳、韓国の少年」と執拗に述べられる。それが脳内にこびりついてしまい、「オカモトヒロト、君は12歳、中野の少年」などとからかいながら帰ったものだ。
 しかし、なにぶん全編がモノクロ写真静止画なので、小学生にはつらく、観ていて「なんだ、動かない映画なのか」と、がっかりした記憶がある

 ところが、大人になって、関連資料を読んで驚いた。あの写真は、

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【コラム】富樫鉄火のグル新 映像に頼らなかった『ナウシカ』

 新型コロナ禍で、のきなみコンサートや芝居が中止になっているが、映画館は、なんとか開館しているところが多い。そこで、METライブビューイングで、ベルクのオペラ《ヴォツェック》を観てきた。
 《ヴォツェック》といえば、1989年のウイーン国立歌劇場の来日公演が、忘れられない(クラウディオ・アバド指揮、アドルフ・ドレーゼン演出)。舞台セットもリアルで、「現代演劇」を思わせる、素晴らしい上演だった。
 今回のMET版は、“ヴィジュアル・アートの巨匠”ウィリアム・ケントリッジの演出。このひとは、METでは、ショスタコーヴィチ《鼻》、ベルク《ルル》につづく3回目の登場である。毎回、抽象的なセットを組み、不思議なドローイング・アニメを舞台全体に投影する。ああいうのを「プロジェクション・マッピング」と呼ぶのだと思う。
 しかし、わたしのような素人にはどれも同じに見え、過去2作と、大きなちがいを感じなかった。常に舞台全体になにかゴチャゴチャしたリアル映像が投影されているので、演技や歌唱にも没入できなかった(主演歌手2人は素晴らしかった)。

 最近の芝居は、舞台上にリアルな映像を投影する演出が多い。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第274回 オペラ《疫病流行時代の祝宴》

 ロシア5人組のひとり、セザール・キュイ(1835~1918)は、軍人が本業で、作曲はあくまで余技だった。だが彼は、5人組のなかではもっとも長寿で(ロシア帝国時代に生まれ、ソ連成立直後に83歳で亡くなった)、膨大な数の作品を残している。
 一般クラシック・ファンに知られる作品は少ないが、そのなかに《疫病流行時代の祝宴》なる恐ろしい題名のオペラがある(《ペストの時代の祝宴》などの邦題もあり)。
 1901年初演、30分ほどの、1幕ミニ・オペラである。

 原作はプーシキンの戯曲だ(邦題『ペスト蔓延下の宴』もあり)。
 元ネタはスコットランドの作家、ジョン・ウィルソン(1785~1854)の戯曲『ペストの都市』全3幕で、このなかの1場を取り上げ、書き換えたという。
(余談だが、プーシキンの原作は、「小さな悲劇」と題された4部作シリーズのなかの第2部。第1部にあたるのが、『アマデウス』の元ネタとなった『モーツァルトとサリエーリ』で、これはリムスキー=コルサコフがオペラ化している。第4部『石の客』もダルゴムイシスキーがオペラ化した)

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