「グル新」カテゴリーアーカイブ

【コラム】富樫鉄火のグル新 第259回 『ブラスの祭典』20年

 21世紀を目前にひかえた1999年の夏は、やたらと暑かった。
 なぜ覚えているかというと、この夏、佐渡裕指揮、シエナ・ウインド・オーケストラの初レコーディングがあり、収録会場のすみだトリフォニー・ホールへ、汗を拭き拭き、ヒイコラ言いながら取材に通ったからだ。

 そのCD『ブラスの祭典』は、フランスの名門レーベル「ERATO」からの発売だった。
 日本の吹奏楽団が、フランスのクラシック・レーベルから新譜を出す、しかも指揮が、定期会員の減少などで不振だったラムルー管弦楽団を人気オケによみがえらせた佐渡裕とあって、ちょっとしたニュースになっていた。ERATOも、フランス本国からディレクターを派遣する力の入れようだった。
 このとき、佐渡&シエナは、リハーサル、(CDとほぼ同じ内容の)コンサート、レコーディングに、ぶっ続けで10日間を費やしていた。驚くべき力の入れ方だった。
 そして、収録曲を見て、驚いた。佐渡裕の指揮だというので、てっきりクラシック編曲ばかりかと思いきや、オリジナル名曲を含む、正統派の吹奏楽CDだったのだ。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第258回「ハズレ」が許せないひとたち

 今年の東京国際映画祭[TIFF](10/28~11/5)は、『わたしの叔父さん』(デンマーク/フラレ・ピーダセン監督)がコンペ部門グランプリを受賞した。この作品は早々と完売しており、わたしは観られなかったが、それでも今年は7本を観た。そのうち1本が(個人的な好みで)「大アタリ」、2本が「並アタリ」、あとの4本は、ほぼ「ハズレ」だった。
 なにぶん、9日間で170本もの作品が上映され、そのなかから、時間が空いていて観られるものを無作為に7本選んだので、ほとんどギャンブルである。しかし、7本中、1本が大アタリだったのだから、まあまあの成績だと思う。

 映画祭や特集上映は、イチかバチかである。チラシやIMDbなどで、可能なかぎり事前情報は得るが、大半はハズレだと思ったほうがいい(世界初上映、つまり事前情報ゼロも多い)。1本のアタリに出会うために、10本はムダにする覚悟が必要だ。これは本や芝居、美術展、演奏会も同様である。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第257回 ラヴェルと日本

 「作曲家◎人と作品シリーズ」(音楽之友社)に、待望の『ラヴェル』が加わった。著者は、フランス近代音楽史の研究家で、愛知県立芸術大学教授の井上さつき。シリーズのほかの本同様、「評」伝色を極力排し、事実と資料の積み重ねだけで、あまりに特異なラヴェルの人生を浮き彫りにした、みごとな伝記である(巻末の作品リストや年譜も微に入り細に入る)。

 邦訳のラヴェル伝といえば、少なくとも近年では、『ラヴェル 生涯と作品』 (ロジャー・ニコルス、渋谷和邦訳/泰流社、1996年刊)や、同名の『ラヴェル 生涯と作品』(アービー・オレンシュタイン、井上さつき訳/音楽之友社、2006年刊)などがあり、特に後者は決定版の貫禄十分だった。
 そのほか、ジャン・エシュノーズ『ラヴェル』(関口涼子訳、みすず書房、2007年刊)などもあり、わたしは大好きなのだが、これは、ラヴェル最後の十年をたどる「小説」である。

 その後、(本書あとがきによれば)上記前者のロジャー・ニコルスによる新版や、後者オレンシュタインがまとめた書簡集などが出たそうで、本書は、それらの最新情報をも取り込んだ内容となっている。そのため、ラヴェル自身が、自作や、かかわりのある人間について、どのような思いを抱いていたかが生き生きと伝わってくる。

 だが本書で、わたしが面白く読んだのは、「日本」とのかかわりである。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第256回 名古屋五輪をやめさせる会

 東京五輪のマラソン・競歩の会場が「札幌」になった。これに対し、「真夏の東京の酷暑は、最初からわかっていたはずだ」とみんな言うが、そうだろうか。招致のプレゼンで海外委員に向かって「東京の夏は、熱中症でひとが死ぬ暑さです」と誰か正直に言っただろうか。「福島の放射能は完全に制御されています」とか「おもてなしの精神でお迎えします」とか、調子のいいことばかり言って、真実は伏せられたまますべては進行したのではないか。
 そもそも、最初に立候補したときの文書には「夏の東京はスポーツに最適」といった主旨の記述があったはずだ。要するに海外委員たちは、「渋谷スクランブル交差点」や、「浅草雷門」のデジタル修正映像を見せられ、夏の東京がさわやかな未来都市だとだまされて一票を投じたのだ。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第255回 そこにいるだけで

八千草薫さんが亡くなった。昭和6年生まれ、享年86。
 この年代は、日本映画史を彩る大女優が多い。同年生まれに、山本富士子、香川京子、千原しのぶらがいる(1年下の昭和7年生れには、有馬稲子、岸恵子、久我美子、渡辺美佐子、久保菜穂子など)。
 男優もそうそうたる顔ぶれで、特に、いまは亡き高倉健、市川雷蔵も昭和6年生まれだ。

 その市川雷蔵と(おそらく)唯一の共演作が『濡れ髪剣法』(昭和33年、大映/加戸敏監督)で、わたしは「八千草薫」の4文字を見るたびに、この映画を思い出す。
 大映の「濡れ髪」シリーズは、雷蔵がバカ殿や坊ちゃん侍を演じるコメディ時代劇だが、チャンバラやドンデン返しなど、締めるところは締める立派なエンタメ時代劇である。たしか4~5本つくられたはずで、一般には、京マチ子と共演した『濡れ髪牡丹』(昭和36年、大映、田中徳三監督)が傑作と称されている。
 だがわたしは、シリーズ第1作『濡れ髪剣法』で鶴姫を演じた八千草薫の、心臓が止まるかと思うほどの可憐さが忘れられない。こればかりは映画を観ていただくしかないが、たいした芝居をしているわけではないのに、そこにいるだけで、スゴイのである。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第254回 芸能山城組の『AKIRA』

 大友克洋の漫画『AKIRA』は、1982年に連載がはじまった(一時中断を挟んで1990年に完結)。ものがたりの舞台は2019年、第3次世界大戦後の東京。翌2020年には東京オリンピックが開催される設定になっていた。当時は、ずいぶん先の話だなあと思っていたが、ついに現実が追いつき、漫画同様にオリンピックが開催されることになった。
 つまり、今年はまさに『AKIRA』の年なわけで、そのせいか、再上映のほか、実写映画やアニメ版リメイクの製作発表など(過去にもその種の発表は何度かあったが)、いくつかの話題がつづいた。

 漫画『AKIRA』が、原作者自らの監督で、大作アニメ映画となって公開されたのは1988年だった。当時、まだ原作は完結していなかったので、いささかダイジェスト的な構成になっていた。それでも、「最後の手描き大作アニメ」と呼ばれただけあり、クライマックス、鉄雄の“変貌”や、AKIRAの覚醒シーンは、CG以前の、独自の魅力にあふれていた。
 だがそれ以上に驚いたのは、音楽を「芸能山城組」が担当したことだった。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第253回 「させていただく」

 学生時代、山田稔『スカトロジア 糞尿譚』(講談社文庫、1977/原著は未来社刊、1966)を読んで仰天した。オシッコ、ウンコ、垂れ流し、オナラ、トイレ……について、西洋文学でどう扱われているかを集めて考察した、すさまじい文芸エッセイだった(本書で、わたしは、スウィフトの『ガリヴァー旅行記』が世界最高の“スカトロ文学”であることを知った)。
 知性と品のある文章も忘れられない。著者・山田稔(1930~)は、仏文学者である。バルザック、ゾラ、フローベールなどの翻訳者として知られる。岩波文庫の名著『フランス短篇傑作選』は、このひとの訳編である(実に面白いセレクションなので、一読をお薦めする)。
 だがもうひとつ、山田稔は短篇小説作家、そして名エッセイストでもある。『コーマルタン界隈』(河出書房新社、1981/現・編集工房ノア)で芸術選奨文部大臣賞を、『ああ、そうかね』(京都新聞出版センター、1996)で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞している。

 そんな山田の自選集の刊行が始まった(『山田稔自選集1』編集工房ノア)。
 さすがに何重ものフィルターを通過してきたような名エッセイばかりで、わたしが講師をしているエッセイ教室でもさっそくテキストにしたほどだ。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第252回 信長貴富編曲〈ヨイトマケの唄〉

 以前より興味があった合唱曲を、(一部だが)ようやく実演で聴くことができた。
 信長貴富編曲の、《若者たち~昭和歌謡に見る4つの群像》である。〈戦争を知らない子供たち〉(1971年)、〈拝啓大統領殿〉(1968年)、〈ヨイトマケの唄〉(1965年)、〈若者たち〉(1966年)の4曲を合唱に編曲した組曲だ。原曲は混声合唱なのだが、YouTubeに男性合唱版がアップされており、わたしは、それでしか知らなかった。

 このYouTube映像はなかなか衝撃的で、東京のアマチュア男声合唱団「お江戸コラリアーず」の定期演奏会(男声版の委嘱初演)らしいのだが、信長アレンジの面白さ、男性合唱の迫力などが十二分に伝わってきて、何度観ても飽きない。
 ちなみに、「お江コラ」とは、全日本合唱コンクール(全国大会)で、何度となく金賞を獲得している超強豪団体である。吹奏楽でいうと、東京隆生吹奏楽団とか、ブリヂストン吹奏楽団久留米などに匹敵する実力派だ。

 で、――9月1日(日)、文京シビックホールにおける、恒例の東京都合唱コンクール=中学高校の部(全国大会予選)に行ったら、彼らがゲスト出演していたのである。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第251回 《ブリュッセル・レクイエム》

 今年も、東京都高等学校吹奏楽コンクール(いわゆる“都大会の予選”)のA組に4日間通って、全67団体の演奏をすべて聴いた(コンクール全体では、のべ286団体が出場)。
 今年のA組は、ベルト・アッペルモント作曲《ブリュッセル・レクイエム》が大人気だった。4団体が演奏し、そのうち3団体が代表金賞を獲得して、都大会(全国大会予選)に進んだ(東海大学菅生高校、駒澤大学高校、都立墨田川高校/念のため、都大会の高校の部には計12団体が出場する)。

 《ブリュッセル・レクイエム》は、ベルギーの人気作曲家、ベルト・アッペルモント(1973~)が、オーストリアのBrass Band Oberosterreichの委嘱で作曲した「ブラスバンド」曲が原曲である。2017年4月に全欧ブラスバンド選手権で初演された。その後、吹奏楽版やファンファーレ・バンド版も出版された。約16~17分の曲だ(日本のコンクールでは演奏時間規定がもっと短いので、7分前後で抜粋演奏される)。
 ブラスバンド曲の吹奏楽版は、難曲が多い。ピーター・グレイアムの《ハリソンの夢》《メトロポリス1927》、フィリップ・スパーク《ドラゴンの年》《オリエント急行》《陽はまた昇る》……すべてブラスバンド原曲である。全英/全欧ブラスバンド選手権などの最上級部門の課題曲や自由曲として作曲されたものも多い。

 曲のモチーフは、2016年3月22日に発生した、ブリュッセル連続テロ事件である。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第250回 佐伯茂樹さんと牛友カレー

 古楽器演奏家で、音楽評論・楽器研究家の佐伯茂樹さんが亡くなった(享年58)。
 
 佐伯さんとわたしは、ほぼ同年だった。雑司ヶ谷の居酒屋Nで、よく呑んだ。
 もう10年くらい前。呑んでいると、「ベートーヴェン《運命》冒頭のジャジャジャジャーンが、鳥の鳴き声だって、ご存知でしたか」という。さらに「《田園》は、死がモチーフの縁起悪い曲なんですよ」など、次々に独自の“解釈”を披露してくれる。
 あまりに面白かったので「その種の話を集めて新書にしよう」と盛り上がった。さっそく、ほかのネタもいくつか聞き出して、《名曲に秘められた暗号~《運命》は鳥の鳴き声だった!》と題して、仕事先の企画会議に提案し、GOサインが出た。
 ところが、やがて佐伯さんから原稿がとどきはじめると、少々、困ってしまった。確かに、酒場で聞いたような、面白い話もあった。ラヴェル《ボレロ》におけるトロンボーンやサクソフォンのソロの裏話など、目からウロコが落ちた。

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