「グル新」カテゴリーアーカイブ

【コラム】富樫鉄火のグル新 第300回 怪女優、浪花千栄子

 現在の朝ドラ『おちょやん』は、浪花千栄子(1907~1973)がモデルだという。
 NHKの番組サイトによれば、「明治の末、大阪の南河内の貧しい家に生まれたヒロイン」が、「さまざまなトラブルを乗り越えて」「ラジオドラマで、12人の子どもを抱える母親役を演じ」「大きな反響を呼び、10年にわたる人気番組となった」とある。
 そして、「『大阪のお母さん』として絶大な人気を獲得し、名実ともに上方を代表する女優となっていく」そうだ。
 わたしは時々、見逃し配信で見ていたのだが、相変わらずのドタバタと、同じようなパターンの展開で、すぐに飽きてしまった。

 上記の「ラジオドラマ」とは、花菱アチャコと共演した『お父さんはお人好し』のことで、わたしの子ども時代、まだ放送されていた(1954~65年放送)。だがわたしには、映画版のほうが印象が強い。浪花が演じた子だくさんの気丈な母親像は、たしかに頼もしい「大阪のお母さん」だった(東宝版の四女=環三千世のかわいらしさ、知人の娘=安西郷子の美しさも忘れがたい)。
 
 そのほか、いま書店に行くと、浪花千栄子の関連本が多く出ており、「昭和日本を笑顔にしたナニワのおかあちゃん大女優」「大阪のお母さん 浪花千栄子の生涯」「浪花千栄子の人生劇場」などの惹句が目につく。
 だが、浪花千栄子は、「大阪のお母さん」以前に、稀代の「怪女優」だった。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第299回 柳の下のガイドブックたち(3)

 1975年に邦訳刊行以来、(増補改訂版も含め)現在まで増刷がつづき、読まれているガイドブックがある。『クヮルテットのたのしみ』(エルンスト・ハイメラン、ブルーの・アウリッヒ共著、中野吉郎訳/アカデミア・ミュージック刊)だ。
 書名のとおり、「弦楽四重奏」のガイドなのだが、正確にいうと、鑑賞者のためではなく、弦楽四重奏を楽しんでいるアマチュア演奏家のためのガイドである。序文から察するに、原著初刊は1936年のようだ。

 わたしは、吹奏楽(管打楽器)には、子供のころから親しんでいるが、弦楽器となるとあまり詳しくない。よって、日本に、そんなに「弦楽四重奏」を楽しんでいるアマチュアがいるのか、よくわからない。「毎週土曜日は、所属している市民吹奏楽団の練習があるんですよ」と言うひとにはよく会うが、「弦楽四重奏の練習があるので……」とは、聞いたことがない(わたしの交友が狭いだけかもしれないが)。
 なのに、「アマチュアの弦楽四重奏愛好者のため」の、このようなガイドブックが、半世紀近くにわたって読まれつづけているのだ。あるひとは、「音楽大学で弦楽器を専攻している学生が、選曲の参考に読むのでは」と言っていた。たしかに内容は選曲ガイドが大半なのだが、前半の具体的なアドバイスも、なかなか面白い。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第298回 柳の下のガイドブックたち(2)

 前回とりあげた、『1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365』(デイヴィッド・S・キダーほか著、小林朋則訳/文響社)の「音楽」欄について、「視点がシニカルというか皮肉たっぷりで、その突き放したような筆致に、時折含み笑いを禁じ得ない」と述べた。
 ああいうタッチを、「エスプリ」(軽妙洒脱)と呼ぶのかもしれない。「esprit」と、特にフランス語で流布しているところを見ると、フランス人お得意の分野なのだろう。
 そこで――「フランス」の、「エスプリ」ある「ガイドブック」といえば、やはり、〈文庫クセジュ〉だろう。

 原著は、戦時中にPUF(フランス大学出版局)によってスタートしたコンパクトな教養入門書で、いわば”フランス版岩波新書”である。シリーズ名〈クセジュ〉は、モンテーニュが『エセー』で述べた「Que sais-je?」 (私は何を知っているというのか?)から来ている(カバーにデザインされている)。
 邦訳版は、1951(昭和26)年より白水社から刊行されはじめた。2021年1月の新刊『ジュネ―ヴ史』(アルフレッド・デュフール著、大川四郎訳)で、通し番号が「Q1041」となっているので、もう1,000点を突破しているようだ(ただし目録上は、欠番=絶版や品切れが多い)。原著のほうは2018年の時点で4,000点を突破しているという。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第297回 柳の下のガイドブックたち(1)

 仕事柄、本や音楽のガイドブックにはよく目を通す。最近気になったガイドブックに関するあれこれを、何回かにわたって綴る。

 近年、もっとも売れたのは、『1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365』(デイヴィッド・S・キダーほか著、小林朋則訳/文響社)だろう。原著シリーズは累計100万部、邦訳シリーズも累計60万部を突破しているらしい。
 これは、月曜日から順に、各曜日ごと「歴史」「文学」「視覚芸術」「科学」「音楽」「哲学」「宗教」の7分野を、1項目1ぺージに割り振って構成された、「教養」というよりは「雑学」コラム集である。
 ジャンルごとに書き手がちがうせいか、統一性はあまりなくて、たとえば「文学」などは、突然、ジェイムス・ジョイスの『ユリシーズ』(1922年)からはじまるので驚く。2週目がヘミングウェイ。シェイクスピアは37週目に登場し、47週目には彼の「ソネット18番」だけが独立して解説されるなど、かなり書き手の嗜好が反映されている。ちなみに、最終第52週が、ジョン・キーツの『ギリシアの壺に寄す頌歌』(1819年)なのも、なんともいえない構成だ。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第296回 ありがとう、山下国俊さん

 編曲家の山下国俊さんが亡くなった。
 所属する音楽出版社「ミュージックエイト」社(以後「M8社」)のサイトによれば、昨年12月31日に、胃がんのため逝去されたという。享年76。
 おそらく、吹奏楽に携わっていて、「山下国俊編曲」と記された楽譜を演奏したことのないひとは、少ないのではないか。
 ご本人は謙虚な方で、めったに表に出なかった。しかも、キャリアが長く、むかしからいまに至るまで、常に名前を見るので「実在する人物なのか」「複数アレンジャーの合体ペンネームでは」なんて、都市伝説まがいの冗談まで飛び交っていた。

 M8社は、1963年創業、吹奏楽の楽譜を中心とする音楽出版社の老舗である。
 青森の八戸高校でトランペットを吹いていた山下国俊さんは、1960年に上京、働きながら音楽を勉強するため、当時二部のあった国立音楽大学へ進む(最終的に中退したらしい)。
 在学中に、M8創業者の助安由吉氏(元・陸上自衛隊東部方面音楽隊員)と知り合い、同社の吹奏楽アレンジを担当するようになる。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第295回 睡魔に襲われる映画

 第293回で、ヴィヴァルディが効果的に使われている映画を紹介した。
 だが、クラシックさえ流せば映画に格が生まれるわけではなく、かえって逆効果になりかねないこともある。今回は、そんな映画をご紹介する(映画そのものがダメなわけではないので、ご了承を)。

 2019年に、ルーヴル美術館で「レオナルド・ダ・ヴィンチ没後500年展」が開催された。準備に10年を費やした空前絶後の美術展で、日時指定のチケットは早くから完売、最終的に107万人の大記録を達成した。わたしの知己の美術ジャーナリストも、チケットが入手できず、地団駄を踏んでいた。
 その美術展を、閉館後の深夜、接写撮影でじっくりカメラにおさめ、2人の学芸員が解説してくれる、美術ファン垂涎のドキュメント映画が『ルーブル美術館の夜/ダ・ヴィンチ没後500年展』である。下絵なども一緒に見せてくれるので、ダ・ヴィンチが、どのような考え方で作品に取り組んだのか、とてもよくわかった。「モナリザ」はもちろん、「聖アンナと聖母子」なども圧巻だった。

 しかし……一瞬たりと睡魔に襲われることなく、この映画を最後まで観通したひとは、少ないのではないか。マスクで少々息苦しくなっている観客は、あちこちからかすかな寝息を立てていた。SNS上でも「寝てしまった」との感想が多い。おそらく近年、もっとも「居眠り率」の高い劇場映画だと思う。
 理由はさまざまあろう。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第294回 のた打ち回る《大フーガ》

 ベートーヴェンは、最後の交響曲が第9番なので、なんとなく、あの《第九》が死の直前の作品のように思われがちだ。だが《第九》の初演は1824年5月で(53歳)、彼が56歳で亡くなったのは1827年3月。つまり《第九》後、3年近く生きたのである(しかもスケッチらしきものがあるだけだが、交響曲第10番も視野に入っていた)。
 ピアノ・ソナタはもっと前に“打ち止め”していて、最後の第32番は1822年(51歳)の作曲である。(ただし、翌年に《ディアベッリ変奏曲》を書いている)。大作《ミサ・ソレムニス》が完成したのも同年だ。

 では、これらウルトラ級の名作を書き上げたあと、ベートーヴェンは、何をやっていたのか。たしかに体調はボロボロだったし、耳も聴こえなくなっていた。だが、決して寝たきりだったわけではない。
 彼は、人生最後の3年間を、弦楽四重奏曲に打ち込んだのである。
 弦楽四重奏曲は、1811年の第11番《セリオーソ》Op.95以後、書いていないので、《第九》初演の時点で、すでに14年間の空白があった。おそらく周囲は、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲も“打ち止め”になったものと思っていたのではないか。
 ところが、ここから彼は、怒涛の勢いで5曲+αの弦楽四重奏曲を書きあげるのである。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第293回 ヴィヴァルディを聴く映画

 1979年、ヴィヴァルディの音楽を使用したアメリカ映画が3本公開された。しかも、どれもたいへんな名作だった。

『リトル・ロマンス』(ジョージ・ロイ・ヒル監督/1979/米) 
 名優ローレンス・オリヴィエが出演。ダイアン・レインの映画デビュー作でもある(撮影時13歳、かわいい!←いま55歳)。音楽担当はジョルジュ・ドルリューで(本作で、アカデミー作曲賞受賞)、《室内協奏曲》ニ長調RV93をアレンジして流していた。

『クレイマー、クレイマー』(ロバート・ベントン監督/1979/米)  
 アカデミー賞5部門受賞の名作。妻に家出されたダスティン・ホフマンが、男手ひとつで5歳の息子を育てる奮闘記。《マンドリン協奏曲》ハ長調RV425が上品に、うまく使われていた。

『オール・ザット・ジャズ』(ボブ・フォッシー監督/1979/米) 
 カンヌ映画祭最高賞受賞。ブロードウェイの名振付師による自伝的作品。毎朝、シャワーを浴びながら《協奏曲》ト長調〈アラ・ルスティカ〉RV 151を流しては、「さあみなさん、ショータイムです!」と疲れきった自らを鼓舞する(わたしは、この曲を大学のオンデマンド授業のテーマ曲に使用した)。

 ほかにも、たとえば『八月の狂詩曲』(黒澤明監督/1991/日本)では、《スターバト・マーテル》RV 621が流れた。さほど有名な曲ではなかったのだが、この映画が契機で注目を浴びた。使用された音源は、クリストファー・ホグウッド指揮/エンシェント室内管弦楽団/ジェイムズ・ボウマン(カウンター・テナー)のDecca盤(1975年録音)で、いまでも名盤として知られている。

 かようにヴィヴァルディが流れる映画は多いのだが、ひさびさに決定打が登場したのでご紹介したい。
 『燃ゆる女の肖像』(セリーヌ・シアマ監督/2019/仏)だ。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第292回 筒美京平、半歩立ち止まる。

 初秋に、さほど深刻ではなかったものの、少々、体調を崩した。
 わたしは、10余年前に受けた食道(噴門)癌手術の後遺症のようなものを抱えている。普段はクスリでおさえており、何ということもないのだが、数年に一度、調子が悪くなる。そのたびに、短期入院もした(今回は、そこまでには、至らなかったが)。
 昨年秋には、再発と思われる腎臓腫瘍の切除手術も受けた(悪性ではなかったが)。

 そんなせいで、力が入らない日々を過ごしていると、ただでさえコロナ禍で、多くの仕事がうまく進まないところへ、著名人の逝去のニュースがつづき、気が滅入ってきた。
 その後、体調もほぼ回復したので、当コラムを再開しようと考えていた矢先でもあったので、出鼻をくじかれたような気分だった。

桑田二郎(漫画家)、エンニオ・モリコーネ(映画音楽作曲家)、弘田三枝子(歌手)、外山滋比古(言語学者)、濱野彰親(挿絵画家)、須藤甚一郎(目黒区議、元芸能レポーター)、渡哲也(俳優)、豊竹嶋太夫(義太夫)、かぜ耕士(作詞家)、井出孫六(作家)、近藤等則(ジャズ・トランぺッター)、大城立裕(作家)……かつて仕事でお世話になったり、敬愛してきたひとの訃報は、つらい。

 なかでも、作曲家・筒美京平の逝去には、特にガックリ来た。
 (その後、中村泰士、なかにし礼の訃報までがつづいた)

 筒美作品の魅力は「半歩立ち止まる旋律」にあると、わたしは、むかしから思っていた。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第291回 薄氷を踏む歌舞伎座

 8月に入って、歌舞伎座が公演を再開させた。
 日本を代表する大劇場が、定例公演を再開させるとあって、演劇界・興行界は、固唾をのんで見守っている。
 わたしも、お盆の最中、2日にわけて、行ってきた。
 
 本来は、3幕ワンセット(ほぼ3~4時間)で、昼夜2公演おこなっていた。
 今回は、1幕1時間で、入れ替え4部制になった(第2部《棒しばり》は、45分)。観客はもちろん、役者も裏方も、幕ごとに入れ替えとなった。
 入り口で検温、手の消毒。切符は自分でもぎって、半券を箱に入れる。
 席は市松模様(1席おき)で、幕見席や桟敷席、花道の両側(3~4席)は販売されない。よって1,808席ある劇場だが、売られるのは半分以下の823席しかない。
 客席は各部ごとに完全入れ替えで、そのたびに、外へ出なければならない。幕間によっては、2時間近く空くこともあり、つづけての見物は、その間の過ごし方が難しい(近隣の喫茶店などは、のきなみ満席になる)。

 上演中、客席後方ドアや、桟敷席のドア・カーテンは「全開」である。上演中、晴海通りの車の音が、かすかに聞こえてくる。桟敷席の後ろは、ロビーの壁が丸見えだ。
 大向こう、掛け声は禁止。客席の飲食や会話もお控えくださいといわれる。
 イヤホンガイド、字幕器などのレンタルも、ない。
 筋書きも売っておらず、簡単なあらすじを書いたペーパーが置いてある。
 舞台写真(ブロマイド)も、場内では売っていない。
 食堂や売店はすべて休止。ペットボトル飲料のみ、売っている。
 1階の喫茶店と手前の土産売場は営業していたが、劇場内部から直接入れず、いったん外に出てから入る。とにかく劇場内に、ひとが滞留しないことが優先されている様子だった。
 (ただし、東銀座駅から直結している地下の「木挽町広場」は全面営業中で、呼び込みなどで、すごい賑わいだった。舞台写真は、ここで売っており、長蛇の列である)

 かくして、どういう観劇になるか。

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