「グル新」カテゴリーアーカイブ

【コラム】富樫鉄火のグル新 第369回 ユーミンの50年

ユーミン(松任谷由実)が、デビュー50周年を迎えた。連日、メディアではたいへんな露出である。記念のベストCDは、一時品切れになるほどの売れ行きで、多くのチャートで1位を獲得した。文化功労者にも選出された。

新宿駅東口、GUCCI裏手の雑居ビル3階に、とんかつ屋「卯作」はある。
あたしは、店主と中学時代の同級生だったので、開店時から通っている。老舗とまではいえないが、開店して30年になるので、そろそろ長寿店といってもいい。
こういう食べ物は好みがあるので、うまいかどうかはひとそれぞれだが、30年もつづいているのだから、すくなくとも、多くのひとたちに愛されていることは、まちがいない。
 
店内は殺風景だが、なぜか有線放送で、ユーミンが流れている。USEN「A44」チャンネルである。開店から閉店まで、ユーミンの楽曲だけを流している。いつからこうなったのか、覚えていないが、とにかく「卯作」へ行くと、常にユーミンが流れているのである。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第368回 ギンレイホール、閉館

東京・神楽坂下(飯田橋)の老舗名画座「ギンレイホール」が、11月27日夜に閉館した。今後は別の場所での再開を目指すという。
あたしは、2016年に、ここで「新潮社で生まれた名作映画たち」という特集上映を開催していただいた際に、たいへんお世話になった、忘れられない映画館である。

かつて、神楽坂下には、ギンレイホールの他、佳作座(洋画系)、飯田橋くらら(ピンク系)などの映画館もあり、特に佳作座は、総武線のホームや車内から、強烈な看板が見えて、壮観だった。『大脱走』と『レマゲン鉄橋』、『ナバロンの要塞』と『マッケンナの黄金』など、大作2本立てが多かった(うろ覚えだが、イメージとしては、そんな番組構成だった)。

今回のギンレイの閉館理由は建物の老朽化にともなうもので、決して不入りが理由ではなさそうなのだが、それにしても、いま、名画座は、特にコロナ禍以降、冬の時代を迎えている。
(ちなみに、ギンレイホールは、正確には「名画座」というよりは、数か月前の封切り作品を2本立てで上映する「二番館」のおもむきが強かった。番組は、女性向けの洋画ドラマが多く、年間1万円で見放題のパスポート制度で知られていた)

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第367回 東京国際映画祭の「成熟」度

 第35回東京国際映画祭(TIFF)が終わった(10月24日~11月2日)。
 TIFFといっても、よほどの映画好きでなければ「それがどうした」で終わりだろうが、国際映画製作者連盟(FIAPF)が日本で唯一公認しているオフィシャルな映画祭である。だから、俗にいう「世界三大映画祭」(カンヌ、ベルリン、ヴェネツィア)と、一応は同格(のはず)なのである。よって、映画好きには、見逃せないイベントなのだ。
 本年は、10日間で110本が出品され、上映動員数は約6万人だったという。コンペティション部門には、107国・地域から1,695本の応募があり、15本が選出・上映された(世界初上映8本、製作国外での初上映1本、アジア初上映6本)。

 あたしは、平日昼間は仕事があるので、夜しか行けない。せいぜいコンペ部門6本を含む10本しか観られなかった(しかもグランプリ受賞作には当たらなかった)。よって、とても映画祭の全容を理解しているとはいえないのだが、それでも、毎年数本ずつではあるが、もう30年近く通っているので、簡単に、印象を記しておきたい。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第366回 新刊紹介/「循環形式」の漫画『音盤紀行』

 たいへん味わいのある「音楽漫画」をご紹介したい。
 近年、アナログ・レコード(「針」で聴く、むかしながらのEPやLP)の人気が再燃している。ポップスやクラシックでも、CDと同時にアナログ盤がリリースされるケースも多いが、中古盤もたいへんな人気である。配信やサブスクの隆盛で、CDの売れ行きが激減しているのに比して、不思議な現象ともいえる。

 人気の理由のひとつに、「アナログ・レコードのほうが、デジタル(CDや配信)よりも、音が温かい」ことがあるという。
 人間は、下は20Hz前後から、上は20,000Hz前後までの音を「鼓膜」の振動で感知できるといわれている。ところが、実際のナマ演奏では、40,000Hz前後までの音が発生しているそうで、それらは、通常感覚では感知できない。だが、その「聴こえない」音が鼓膜や脳に与える刺激が、「温かい音」となって感じるらしい。デジタルは、その「聴こえない」部分をカットしてしまうが、アナログには残っている。だから、「温かい音」を感じる……のだという。

 そんな「温かい音」をもつアナログ・レコードをめぐる連作短編集が、毛塚了一郎著、漫画『音盤紀行』である。
 現在発売中の第1巻には、5話がおさめられている。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第365回 大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の音楽

 日刊ゲンダイDIGITALに、作曲家の三枝成彰氏が、気になるコラムを寄稿していた(10月8日配信)。タイトルは、「NHK大河『鎌倉殿の13人』“劇伴”への違和感…音楽にもウソが通る社会が反映される」と、挑発的である。

 内容を一部抜粋でご紹介する。
〈NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を見ていると、たびたび驚かされる。その音楽に、聞き覚えのあるメロディーが出てくるからだ。ドボルザークやビバルディなど、クラシックの名曲のメロディーである。〉
〈視聴者の受けも悪くないようで、「感動した」「大河にクラシックは素晴らしい」といった声も多いようだ。〉
〈私はどうにも違和感を禁じ得ない。これだけ引用が多いと意識的にやっていることは明らかで、「たまたま既成の曲と似てしまった」というレベルではない。もとより悪意があるはずもないのだろうが、私などは「剽窃(ひょうせつ)」だと考えてしまう。〉

 この文章は、紙幅の関係か、あるいは作曲家のエバン・コール氏に気を使っているのか、少々隔靴掻痒なので、補足しよう。
 要するに、あのドラマでは、しばしば、クラシックの有名旋律が、すこしばかり形を変えて流れるのだ(ほぼそのまま流れることもある)。ドヴォルザーク《新世界より》、バッハ《無伴奏チェロ組曲》、ヴィヴァルディ《四季》、オルフ《カルミナ・ブラーナ》……。
 原曲を知らなければ「カッコいい音楽だなあ」と感じるかもしれないが、原曲を知っていると、たしかにちょっとビックリするような”変容”が施された曲もあるのだ。
 三枝氏は、それらを「剽窃」と感じるという。そして、こう綴るのだ。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第364回 新刊紹介『カーザ・ヴェルディ 世界一ユニークな音楽家のための高齢者施設』

 もう30年ほど前のことになるが、イタリア・ミラノにある「カーザ・ヴェルディ」に行ったことがある。オペラCDブック全集の解説原稿のための取材だった。
 いまは亡き、オペラ研究家の永竹由幸さんのガイドで、約2週間かけて、イタリア国内の、ヴェルディとプッチーニゆかりの場所のほとんどを、大特急でまわった。
 
 「カーザ・ヴェルディ」(ヴェルディの家)は、大作曲家、ジュゼッペ・ヴェルディが建てた、引退した音楽家のための養老院で、正式名称は「音楽家憩いの家」という(ヴェルディは自分の名を冠することを許さなかった)。
 取材の主目的は、館内にある、ヴェルディのお墓だった。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第363回 文学座『マニラ瑞穂記』とスーザ

 文学座公演『マニラ瑞穂記』(秋元松代作、松本祐子演出)は、老舗劇団の底力を見せられた舞台だった(9月20日まで、文学座アトリエにて)。
 近年では、2014年の新国立劇場版(栗山民也演出)が最新上演だったと思うが(昨年、同劇場演劇研修所の終了公演も本作だった)、今回は、各役のイメージを若返らせ、アトリエの閉鎖的な空間に独特の躍動感を生んでいた。
 たとえば女衒の秋岡などは、”お父さん”よりも”アニキ”のような雰囲気だったし、からゆきさんを演じた5人の女優陣も空前の体当たり名演だった。
 チェーホフ『桜の園』を100倍辛口にしたようなラスト・シーンもふくめて、おそらく、この名作戯曲に初めて接した観客は、脳天をぶん殴られたのではないだろうか。

 舞台は1898(明治31)年、スペイン植民地下のフィリピン・マニラ。
 いまや米西戦争真っ盛りで、外では砲弾が飛び交っている。
 米西戦争とは、カリブ海(キューバ近辺)とフィリピン・グアムのスペイン植民地をめぐって、”支配者”スペインと、”解放者”アメリカが戦った海戦である。
 マニラの日本領事館に、官僚、帝国軍人、フィリピン独立闘争を支援する日本人志士、女衒のオヤジ、からゆきさんなど、様々な 日本人たちが、戦火を避けて逃げ込んでいる。
 彼らには、それぞれの思惑があるのだが、ことごとくうまく運ばない。
 海外での夢やぶれ、結局、アメリカの掌に乗せられてしまうのだ。

 初演は1964(昭和39)年。
 作者秋元松代は、敗戦から19年目の日本が、東京オリンピックで世界の一等国に躍り出た(かのように見えた)年に、冷や水を浴びせたのだ。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第362回 50年目の《ゴルトベルク変奏曲》

 日本を代表する鍵盤奏者、小林道夫氏(89)は、毎年12月に、チェンバロで、バッハ《ゴルトベルク変奏曲》を演奏するコンサートを、1972年からつづけている。
 昨年末が、記念すべき、50年連続/第50回となるはずだったが、体調を崩されて、直前に中止となってしまった。
 その代替公演が、8月29日、東京・上野の東京文化会館小ホールで開催された。

 残念ながら、ぴったり「50年連続」とはならなかったが、90歳になろうかというひとが、半世紀かけて、あのような複雑極まりない大曲を弾きつづけてきたわけで、まさに偉業としかいいようがない。
 なぜ、もっとメディアが注目しないのか、不思議でならない。
(わたしは、せいぜい2000年代に入ってから2回ほど行ったことがあるにすぎない。よって今回が3回目)
 2回のアリアと、全30曲におよぶ変奏は、ささやきかけるような、実に温かな響きだった。

 会場では、昨年に配布されるはずだった解説プログラムが、あらためて配布された。
 これが実に面白い内容で、50年間分のプログラムから、小林氏本人の解説や、寄稿エッセイなどを抜粋再録した、一種の”50周年記念誌”となっていた。
 そこで驚いたのは、第1回=1972年のプログラムに寄せた、小林氏自身による解説である。
 たとえば、こんな具合だ。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第361回 岩波ホールはいつも「満席」だった

 東京・神保町の岩波ホールが、7月いっぱいで閉館した。
 だが、新聞やSNS上の惜しむ声を読んで、わたしは、開いた口がふさがらなかった。
 普段はジェット機だの恐竜だの、叫んでキレるマンガ映画ばかり観ているのに、こういうときになると、とたんに「学生時代によく行った」とか、「今後、良質な映画を上映する場がなくなる」とか口にして、惜しむふりをする日本人の、なんと多いことか(チコちゃんの森田ナレーション)。
 そういうアナタが普段から行かないから、閉館したんじゃないか。
 
 岩波ホールは、1968年に開館した。
 当初は、講演会などに利用される、多目的ホールだった(だから、スクリーンの前に、あんな大きなステージがあるのだ)。
 映画専門館になったのは1974年で、その第一弾は、インド映画『大樹のうた』(サタジット・レイ監督、1959年)だった。
 当時わたしは高校生だったが、すでに映画マニアだったので、さっそく行ってみた。
 そのとき驚いたのは、「むかしのモノクロ映画」を、「各回入れ替え制」で上映していることだった。
 てっきり、新しい映画館だから、最新のカラー映画かと思ったら、古いモノクロ映画で、売れない作家がやたらとヒドイ目に合う、身も蓋もない話だった。
 しかも、それまで映画館は、上映時間など気にせず、好きなときに行って、上映中でも勝手に入って途中から観て、次の回の上映で「ああ、ここから観たんだっけ。じゃ、帰るか」と出てきたものだった。
 それが、次回の上映開始まで客席に入れず、ロビーで待たされるなんて経験は、初めてだった。

 まだ残っている岩波ホールのウェブサイトに、過去の全上映作品がリストアップされている。
 それを見ると、わたしは、おおむね6~7割を観ているようだ(大学がすぐそばだったので、特に学生時代は、全作を観ている。といっても、1本を最低1~3か月は上映するので、本数は、それほどでもない)。
 そこから、わたしの、岩波ホール・ベスト10を挙げる(順位は、上映順)。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第360回 石田民三と地唄《雪》

 先月、東京・京橋の国立フィルム・センター(NFAJ)で、小特集上映「没後50年 映画監督 石田民三」があった。
 石田民三(1901~1972)とは、戦前の映画監督。
 特に昭和初期(1930年代)、東宝京都を中心に、「花街・芸妓映画」の傑作を続々生んだ鬼才で、市川崑の師匠でもある。
 世情や男社会の犠牲となった女性の悲哀を描くのが得意だった。
 幕末~維新を舞台にした作品では、薩長軍が京都や江戸に迫るなか、運命を翻弄される芸妓たちの姿を、愛情込めて描いた。
 なかでも、『花ちりぬ』(昭和13年)、『むかしの歌』『花つみ日記』(昭和14年)の「花街三部作」は、わたしが熱愛する作品群で、名画座での上映には必ず駆けつけている(もちろん、今回も上映された)。

 いまなら、これらを「元祖フェミニズム映画」などと呼ぶのだろうが、石田の場合は、”芸妓フェミぶり”が尋常ではなかった。
 今回の上映にあわせ、「NFAJニューズレター」2022年7~9月号に、映画研究者の佐藤圭一郎氏が、「石田民三小伝」を寄稿している。
 それによれば、石田は、かねてより京都花街の上七軒に入り浸り、「上七軒の主」として有名だった。
 学生時代から江戸文学を愛好し、「女の子に小唄を唄わせ偶には自分も唸ったり」した。
 やがて上七軒の芸妓と結婚し、妻の営むお茶屋から撮影所に通ったという。
 花街は、石田にとって人生そのものだったのだ。

 そのことが如実にわかるのが、名ラスト・シーンで知られる、『むかしの歌』(昭和14年)である。

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