「グル新」カテゴリーアーカイブ

【コラム】富樫鉄火のグル新 第388回【新刊紹介】「ニュータイプ文化人」の誕生を告げる、革命的な一書!

「ルーマニア」の作曲家といえば、やはりジョルジュ・エネスク(1881~1955)だろう(以前は「エネスコ」と綴られていた)。《ルーマニア狂詩曲》第1・2番などで知られる。ヴァイオリニストとしても有名だった。メニューヒン、グリュミオーは彼の弟子である。
むかし音楽の教科書に載っていたワルツ《ドナウ河のさざなみ》を作曲したヨシフ・イヴァノヴィチ(1845~1902)もルーマニア人だ。彼は歩兵連隊の軍楽隊長だった。
大ピアニストのクララ・ハスキル、ディヌ・リパッティ、ラドゥ・ルプ……これみんな、ルーマニア出身である。

文学で最大の存在は、作家・思想家のエミール・シオラン(1911~1995)か。あたしごときには、よくわからないのだが。
日本では、不条理劇『授業』で知られるウジェーヌ・イヨネスコ(1909~1994)のほうが有名かもしれない。中村伸郎が、10年余にわたって毎週金曜日に渋谷のジァン・ジァンで演じ続けた。

あと、ルーマニアといえばドラキュラ伝説(ブラム・ストーカーの創作だが)、そして独裁者チャウシェスク(1918~1989)。あるいはカンヌ映画祭でルーマニア初のパルムドール(最高賞)に輝いた映画『4ヶ月、3週と2日』(クリスティアン・ムンジウ監督、2007)か。

……と、思いつくままランダムにあげたが、あたしの場合、ルーマニアといえばこれくらいで、あとは、せいぜいEUフィルムデーズや東京アニメアワードフェステバルで、「そういえばルーマニアの映画やアニメを観たこともあったなあ……」といった程度だ。

それだけに、こういうひとがいて、こういう本が出たことには、心底から、驚いた。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第387回 究極のシネマ・コンサートだった『ブレードランナーLIVE』

しばしば書いているのだが、シネマ・コンサート(オーケストラによるナマ演奏)であまり満足できた経験がない。

理由は2点で、
(1)いくらオーケストラがナマ演奏しても、映画館特有の地響きのような大音響にはかなうべくもなく、かえってショボい印象になってしまう(『2001年宇宙の旅』など、前半で帰ってしまった)。
(2)会場が映画館でなく、(東京国際フォーラムのような)巨大多目的ホールが多い。すると、小さなスクリーンがステージ奥にかかっており、よほど前方席でないと「遠くに何か映っているな……」と、これまたショボいことになってしまう。

というわけで、どうもシネマ・コンサートには、いい印象がなかった。
(ただ一回だけ、佐渡裕指揮の『ウエスト・サイド物語』は、サントラの「声」が主役なので、当然ながらスピーカー越しにガンガン響いてきて、これは感動的だった)

しかしシンセサイザーなどの「電子音」中心の映画音楽だったら、PAでパワーアップされた音響のはずだから、きっと見ごたえ(聴きごたえ)があるのでは……と前から思っていた。それに、ついにめぐり会えた。しかも、素晴らしい内容だった!

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第386回【新刊紹介】抱腹絶倒にして深淵な「法廷文士劇」!

1970~80年代は、個性的な雑誌が山ほど出ており、書店の雑誌棚は縁日のような面白さだった。「ビックリハウス」「話の特集」「宝島」「奇想天外」「噂」「噂の真相」「モノンクル」……そして「面白半分」があった。
これは、作家が半年単位で編集長をつとめる「面白くてためにならない月刊誌」で、五木寛之編集長時代の「日本腰巻文学大賞」(オビに贈賞)、筒井康隆編集長時代のタモリの「ハナモゲラ語の思想」などが忘れられない。

だが、この雑誌が一躍その名を轟かせたのは、野坂昭如編集長時代の1972年7月号だった。永井荷風作と伝えられる春本小説『四畳半襖の下張』が伏字なしで全文掲載されたのだ。これに対し、警視庁がわいせつ文書販売罪(刑法175条)で野坂編集長と発行人を起訴したのである。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第385回【新刊紹介】古代ギリシャ人の「ワインダーク・シー」を説く、画期的論考!

近年の吹奏楽の人気曲に、ジョン・マッキー(1970~)作曲、吹奏楽のための交響詩《ワインダーク・シー》がある。2014年にテキサス大学ウインド・アンサンブルが初演し、翌年、ウィリアム・レベル作曲賞を受賞している。
日本では、2015年度の全日本吹奏楽コンクールで、名取交響吹奏楽団(宮城)が全国大会初演し、金賞を受賞したことで注目を集めた。以後、全国大会だけで計9回登場の人気曲となっているほか、東京佼成ウインドオーケストラやシエナ・ウインド・オーケストラなども定期で取り上げた。CDも、現在、国内外あわせて十種以上が出ている。

曲は、ホメロスの叙事詩『オデュッセイア』を3楽章(Ⅰ傲慢/Ⅱ不滅の糸、とても脆く/Ⅲ霊魂たちの公現)、40分近くをかけてドラマティックに描く、最高難度の大曲である。

で、これほどの人気曲だけあって、あたしもコンサート・プログラムやCDライナーで、何度となく本曲の解説を書き、FM番組でも語ってきた。
そのたびに頭を悩ませたのが、この叙事詩に枕詞のように何度も登場し、かつ曲名にもなっている《Wine-Dark Sea》の解説だった。直訳すると「葡萄酒のような暗い色の海」で、戦前から、日本では「葡萄の酒の色湧かす大海」(土井晩翠訳)、「葡萄酒色の海」などと訳されてきた。英訳テキストを検索してみると、全24歌中、10数か所に登場している。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第384回 音楽本大賞、創設!(2)

前回につづいて、思いついた「音楽本」のお薦め本のつづきです。今回はノンフィクション系。
文字通り「思いついた」本ですので、いわゆる精選リストではありません。

【国内ノンフィクション】
◆小澤征爾『ボクの音楽武者修行』(新潮文庫) 1962年初出。昭和30年代、26歳のオザワがスクーターでヨーロッパ一人旅に出て、コンクールなどに挑戦した3年間の記録。後年の『深夜特急』などに先駆けた海外放浪エッセイの名作。
◆志鳥栄八郎『冬の旅 一音楽評論家のスモン闘病記』(徳間文庫ほか) 1976年初出。レコード・コンサートでおなじみだったベテラン音楽評論家が、薬害スモン病で次第に視力を失っていく。それでも音楽を愛し、レコードを聴きまくる前向きな生き方に背筋がのびる。あたしの座右の書。
◆西村雄一郎『黒澤明 音と映像』(立風書房) 1990年初刊(1998年、増補版刊)。黒澤映画における音楽の意味、特徴、つくられ方などを本人へのインタビューも交えて徹底検証。映画音楽研究に新たな道を切り開いた名著。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第383回 音楽本大賞、創設!(1)

いまや出版界は「大賞」だらけである。
「本屋大賞」を嚆矢に、「新書大賞」「ノンフィクション本大賞」「日本翻訳大賞」「料理レシピ本大賞」「サッカー本大賞」「マンガ大賞」「手塚治虫文化賞~マンガ大賞」「ITエンジニア本大賞」「ビジネス書大賞」……さらには書店主催(紀伊国屋じんぶん大賞、キミ本大賞、啓文堂大賞、八重洲本大賞、未来屋小説大賞など)、地方別(宮崎本大賞、神奈川本大賞、広島本大賞、京都本大賞など)もある。
このまま増えていったら、書店の棚は、すべて「大賞別」に構成しなければならないのではと、妙な心配をしたくなる。

そこへまた、新たな大賞が加わった。「音楽本大賞」である。一瞬「またか」と思ったが、同時に「そういえば、なぜ、いままでなかったのだろう」とも感じた。
あたし自身が、編集・ライターとして音楽本にかかわってきながら、あまり考えたこともなかったが、これは、ぜひとも定着していただきたい大賞である。

実は、このニュースが流れた直後、仕事先で会った女性3人に、このことを話してみた。すると、ニュアンスこそちがうものの、誰もが「音楽本って、選ぶほど数が出てるんですか」との主旨の返事だった。
Aさんは嵐のファン。Bさんは中島みゆきのファン。Cさんは日本のシティ・ポップス好き。
(残念ながら、その場には、あたしの好きな吹奏楽やクラシックや映画音楽に感度のあるひとは、いなかった。もっとも、そんなひとは、どこへ行っても、まずいないのだが)
つまり、「音楽本」といっても、あまりにジャンルが広いわけで、そのなかのある特定の分野のファンにとっては、多くの「音楽本」が出ていることなど、視野に入っていないのである。

実は、音楽本は、数もジャンルも、実に膨大であり、ひとつの「世界」を形成しているといっても過言ではない。そういう意味では、この賞は(具体的にどういう部門があるのか不明だが)多くのジャンルの「音楽本」が出ていることを知ってもらう、いいチャンスのような気もする。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第382回 松本零士さんの閉じなかった「指環」

松本零士さん(1938~2023)は、福岡の久留米で生まれた。父親が陸軍航空隊のテスト・パイロットだった関係で、戦時中は各地を転々としていたが、終戦時(小学校3年)に小倉(現在の北九州市)に移り、以後、高校を卒業して上京するまで、小倉で育った。
終戦直後、道端に、いまでいう粗大ゴミの山がよく積まれていた。戦死したひとの遺品だった。
あるとき、松本さんは、そのゴミの山のなかから、大量のSPレコードを拾ってくる。家で蓄音機にかけると、地の底からうめくようなオーケストラの音が響いてきた。ワーグナーの〈ジークフリートの葬送行進曲〉だった。超大作《ニーベルングの指環》四部作の最終曲《神々の黄昏》の音楽だ。
これがきっかけで、松本さんは、クラシック、特にワーグナーに魅せられるようになるのだった。

1990年ころのことだったと思う。
上記の体験談を、すでに何かで読んで知っていたあたしは、松本さんに、「《ニーベルングの指環》をSF漫画にしてみませんか」と提案してみた(すでに何回かお会いして、ワーグナー話などで意気投合していた)。
このとき、松本さんが視線を合わせて目がキラリと真剣に光ったのを、いまでも覚えている。松本さんはサービス精神満点の方なので、リップサービスも多い。どんな話でも、笑顔で、いかにも乗り気のように応じてくれる。だがそれらはほとんどが”サービス”で、そう簡単には実現するものではない。しかし、”本気”になったときは、視線を合わせて目がキラリと光るのだ。

さっそく、話は進んだ。
「宇宙を統一できる指環の所有権をめぐって、神々の一族と、人間たちが争奪戦を繰り広げる話にしましょう」
お互い、ワーグナー・マニア、特に《ニーベルングの指環》好きとあって、話はいつまでも終わらなかった。あんなに楽しかった打合せは、あとにも先にもない。
「人間側は、ハーロック、トチロー、エメラルダス、メーテルたちのオールスターでいきましょう。彼らの幼少時代も描いてみましょうか」

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第381回 バート・バカラックも「吹奏楽ポップスの父」だった!

1972年2月、東芝音工(のちの「EMIミュージック・ジャパン」)から、1枚のLPがリリースされた。
『ダイナミック・マーチ・イン・バカラック』(指揮者記載なし、演奏:航空自衛隊航空音楽隊=当時の名称)。
この2月8日、94歳で亡くなった作編曲家・歌手、バート・バカラック(1928~2023)の曲を吹奏楽で演奏したもので、全12曲収録。編曲は、のちに「吹奏楽ポップスの父」と呼ばれる作編曲家の岩井直溥さん(1923~2014)である。
このLPこそが、日本で初めての本格的な「吹奏楽ポップス」だった。

よく、吹奏楽ポップスは『ニュー・サウンズ・イン・ブラス』(NSB)シリーズが最初のようにいわれるが、「NSB」第1集の発売は、同年7月である。『バカラック』のほうが半年近く先だった。

もちろん、このころ、日本の吹奏楽界には、秀逸なオリジナル曲が生まれていたが、まだ、マーチやクラシック編曲を中心に演奏しているスクール・バンドも多かった。学校の音楽室で、ポップスや歌謡曲、映画音楽を演奏することを歓迎しない空気も残っていた。
そこで岩井さんは、レコード会社やヤマハと組んで、「楽しい吹奏楽」の普及に取り組み始めた。

しかし、なぜ「ビートルズ」ではなく、「バート・バカラック」だったのだろう。
かつて、生前の岩井さんに聞き書き自伝の長時間インタビューをした際、おおむね、以下のような主旨のことを語っていた。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第380回 ある洋食店の閉店【補遺】

前回、書ききれなかった余話を。

「イコブ」の前身は、のちの三崎町店マスターMさんと、天神町店マスターNさんの2人が、昭和40年代に、紀尾井町の文藝春秋そばで開業したレストランだった。
そこから「イコブ」に発展・新規開業し、三崎町店をはじめ、系列店を増やしていった。

なにぶん、40年以上通ってきたので、その間、お二人からは、いろんな話を聞いた。
なかでも忘れられないのは、「飲食店が成功する出店エリア」の条件だった。
お二人の話をまとめると??

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第379回 ある洋食店の閉店

あたしが会社に入社したのは、1981(昭和56)年4月のことだった。入社してすぐ、先輩から「夕食に行くぞ」と誘われ、近所の洋食屋に連れていかれた。
それが、レストラン「IKOBU」(イコブ)天神町店だった(地下鉄東西線「神楽坂」駅のすぐそば)。安くてうまいだけあり、毎晩、「夜の社員食堂」と化していた。

会社で打ち合せ後、作家とここで食事をする編集者も多かった。
あたしが担当していた演出家の故・和田勉さんも大のお気に入りで、よく夕刻に来社されていたが、実は、そのあとの「イコブ」のほうが目的だったフシがある。焼酎のお湯割りと「カレー味の洋風揚げ餃子」が大好きで、「ガハハおじさん」だけあって、酔うにつれて大音声となり、さすがに店長に「もう少し、お声を低く…」と諭されたことがある(一緒に新幹線に乗ったときも、車掌に同じことをいわれた)。
また、あえて名前はあげないが、ある大ベストセラー作家が、「イコブのビーフカツがおいしかった」とエッセイに書いて、一時、女性客が押しかけたこともあった。

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