「グル新」カテゴリーアーカイブ

【コラム】富樫鉄火のグル新 第236回 よみがえるサリエリ(中)

(前回よりつづく)
 わたしに、「作曲家」サリエリの魅力を教えてくれたのは、脚本家・作家の山崎巌さん(1929~1997)だった。
 巌(がん)さんは、日活のベテラン脚本家だった。小林旭主演の「渡り鳥」シリーズを筆頭に、『赤いハンカチ』などの裕次郎もの、さらには『こんにちは赤ちゃん』『大巨獣ガッパ』『ハレンチ学園』など、100本以上を書いた。後年はTVに舞台を移し、『プレイガール』『遠山の金さん捕物帳』『大江戸捜査網』など、とにかく娯楽シナリオを書かせたら右に出るものなき職人だった。
 そんな巌さんが、後年、小説を書くようになり、わたしが担当編集者になった。

 1990年代初頭、オーディオ音声ドラマ(カセット)で、ピーター・シェファーの『アマデウス』を制作することになったが、音声ドラマ台本のいい書き手が見つからず、困っていた。音声ドラマとは、耳で聴くものなので、映像台本とはちがった技法を要するのだ。
 あるとき、巌さんと食事しながら、その話をしたら、「それ、ボクに書かせてくれませんか」という。びっくりした。
 たちまち、夜霧にむせぶ横浜港が思い浮かんだ……。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第235回 よみがえるサリエリ(上)

 昨年、ナショナル・シアター・ライブ(英国立劇場の舞台映像)で『アマデウス』(ピーター・シェファー作、マイケル・ロングハースト演出)を観た。わたしは、それまで、この芝居を、日本版の舞台と、映画版(1984年/ミロス・フォアマン監督)でしか、観たことがなかった。どちらも何回も観ているが、ロンドンのオリジナル版舞台は、初めてだった。

 そのロンドン版で驚いたのは、全編、観客が大笑いしながら観ていることだった。日本版では、笑いが出る個所もあるが、おおむね息を詰めて観ている。全体に深刻な物語だとの印象が強い。特に、ラストで、サリエリが「わたしは、これから、あらゆる凡庸な人々の守り神になる」と宣言する場面では、ジワリと涙を流す観客もいる。

 ところがロンドン版では、ここでドッと最大の笑いが起きるのだ。
 その笑い方には「サリエリって、バカじゃないの」と、あきれ返ったような空気すら感じた。
 むかし、ドリフターズのコントで、クライマックスになると上から巨大なタライが落ちて来て、頭に喰らった加藤茶が目を回してひっくり返るパターンがあり、そのたびに我々は「また出た! バカバカしいなあ」と思いながら笑っていたものだが、あれに近いものを感じた。

 要するにオリジナル版『アマデウス』は、ドタバタお笑いコメディなのだ。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第234回 【古本書評】 岩城宏之『オーケストラの職人たち』ほか

 自宅のそばに、おいしい創作風のイタリア料理店があり、ときどき行く。
 しばらく前のことになるが、店長から、「今度入った、新人のスタッフです」と、小柄で美しいお嬢さんを紹介された。なんと、「彼女、岩城宏之さんの、お孫さんなんですよ」。

 わたしは、岩城宏之さん(1932~2006)のコンサートは中学生時代から行っていた。1970~80年代には「題名のない音楽会」の公開録画に10年ほど通い、その間、ゲストとして登場したのを、何度も見聴きした。だから、とても親しみをおぼえる指揮者だ。

 岩城さんが、東京佼成ウインドオーケストラの定期公演を初めて指揮したのは、1998年のことだった。曲目は、《トーンプレロマス55》を中心とする、盟友・黛敏郎の吹奏楽曲(管打アンサンブル曲)集だった。CD録音も行なわれ、翌年の文化庁芸術祭で、レコード部門優秀賞を受賞した。その間、インタビューや、受賞記念パーティーで何度か話をうかがった。
 このとき、岩城さんはTKWOのアンサンブル力の高さに感動し、「このような世界一の演奏団体が存在していたのを知らなかった不明を、恥ずかしいと思った」とまで書いた。わたしとの会話でも「せひ、また指揮したいですよ。今度は武満さんなんか、どうかなあ」とうれしそうに話していた(それは、2004年に実現する)。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第233回 イチロー引退

わたしはかなり重症のスポーツ音痴で、野球のルールもまともに知らない人間なので、以下に書くことは、かなりの的外れ、かつ、不快な思いを抱かせることと思う。よって、お叱りを承知で書く。

 イチローが引退を発表したが、直後のメディアの右へ倣えぶりには、驚いた。一般紙、スポーツ紙の騒ぎ方には、「イチロー引退を盛り上げなければならない」との無理やり感が、溢れていたように感じた(わたしはTVをあまり観ないのだが、たぶん、新聞よりすごかったのではないか。ラジオは、どこもほぼ通常通りだったが)。
 航空会社が、彼が乗る帰国便の搭乗ゲートを「51」に変更した、そのことを大ニュースのように報じるに至っては、大のおとながやることとは思えず、恥ずかしささえ、感じた。
 日本人は、本来、こういう騒ぎ方を嫌う民族ではなかったのか。その精神が、和歌や俳諧、茶・華・書道、相撲における力士の態度、さらには雅楽や、能・狂言を生んだのではなかったのか。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第232回 安重根と朴烈

 日韓関係が何かと話題になっているこの時期に、日本側に逮捕された朝鮮人死刑囚を描く作品が2作、映画と舞台に同時に登場した。

 まずは、文学座公演『寒花』(鐘下辰男:作、西川信廣:演出/3月4~12日、紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYAにて)。1997年に文学座アトリエ公演で初演された名作の再演である。

 明治末期。真冬の旅順の監獄。伊藤博文を暗殺した安重根(瀬戸口郁)が収監され、死刑の執行を待っている。監獄長、看守長、外務省官僚、監獄医など、様々な立場の日本人が登場し、安重根の処遇をめぐって対立する。維新時に賊軍扱いされたもの、世が世ならこんなところで働いているはずはない旧士族……中でももっとも接触が多い通訳の楠木(佐川和正)は、安重根のあまりに落ち着いた、そして、自らの死をキリストの磔刑と重ねあわせる姿に動揺と衝撃をおぼえる(安重根はクリスチャン)。楠木は兄を日露戦争で失っており、残された母親はそのショックで半ば錯乱状態である。
 その母親と安重根が抱きあうクライマックスは、忘れがたい名場面となった。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第231回 バッハのオペラ《村の出戻り娘》

 3月6日に亡くなった漫画家の砂川しげひささん(享年77)とは、1990年代の前半、担当編集者としてお付き合いがあった。たが、実際には、仕事を離れて、ご自宅そばの西荻窪駅前の焼き鳥屋で、音楽の話ばかりしていた。
 ご存知の通り、砂川さんは、たいへんなクラシック・マニアである。一時期、漫画よりも、クラシックに関するエッセイ本のほうが多かったくらいだ。
 砂川さんと語り合う音楽の話は、ほんとうに楽しかった。

 そんな砂川さんから、あるとき、CD-Rが送られてきた(MDだったかもしれない)。バッハのカンタータの抜粋集らしい。
 当時、砂川さんは、バッハのカンタータ全曲(約200曲)聴破に挑戦していたので、おそらく、ご自分で選んでダビングした「ベスト・カンタータ集」なのだろうと思い、聴いてみた。
 すると、どうも変な内容なのだ。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第230回 映画『よあけの焚き火』

 狂言の世界を題材にした、ユニークな映画が公開されている。題を『よあけの焚き火』という。監督は、小栗康平の監督助手などをつとめ、工芸技術の記録映画などを撮ってきた、土井康一。これが劇映画デビューらしい。
 主人公は、能楽師大藏流狂言方の大藏基誠(1979~)と、10歳の長男・大藏康誠(2008~)。650年以上の歴史をもつ狂言方の家で、基誠は、二十五世宗家大藏彌右衛門の次男である。

 映画は、この父子の稽古と日常を描く/演じるものだ。なぜ「描く/演じる」なんて妙な書き方をしたのかというと、この映画は、ドラマとドキュメンタリがない交ぜになった、不思議な構成なのである。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第229回「こちらヒューストン」「すべて順調です」

 今月のFM番組「BPラジオ/吹奏楽の世界へようこそ」(FMカオン:土曜23時~、調布FM:日曜正午~)で、「月面着陸50年! 吹奏楽で聴くアポロ計画ヒストリー」を放送する。たまたま、映画『ファースト・マン』が公開されているが、今年は、アポロ11号の月面着陸から50年にあたる。
 宇宙開発エピソードは、意外と多くの吹奏楽曲になっている。たとえば、人類初の宇宙飛行士、ソ連のガガーリンを描く《ガガーリン》(ナイジェル・クラーク作曲)、《アポロ11/月へのミッション》(オットー・シュワルツ作曲)、そして、清水大輔作曲の《マン・オン・ザ・ムーン》シリーズなど……。
 FMでは、これらの曲を流すのだが、やはり、わたしの世代には、1969年7月の、アポロ11号月面着陸が強烈な印象を残している。

 このとき、わたしは小学校5年生だった(月面第一歩は、日本時間で7月21日午前11時56分。ということは学校で見たのだろうか。もう夏休みだったのか、あるいは夜に自宅で再放送を見たのか)。
 スタジオで番組を仕切っていたのは、鈴木健二アナウンサーだった(らしい。当時はこんなひと、知らなかった)。先日、産経新聞に、当時を振り返るインタビューが載っていたが、月面第一歩の際、鈴木氏は“沈黙の中継”を行なったという。「何も言わず、無言で見守り、画面ではアームストロング船長の声だけが淡々と流れていました」。36年間のアナウンサー生活で「最高のアナウンスだった」と自負しているそうだ(産経新聞2月25日付「話の肖像画」より)。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第228回 古典派時代の「吹奏楽」

 来月の東京佼成ウインドオーケストラ第147回定期演奏会で、ルイ・シュポア(1784~ 1859、ドイツ)の《ノットゥルノ》Op.34が演奏される。1820年頃に作曲された管楽アンサンブル曲、つまり19世紀初頭の「吹奏楽」曲である。こういう曲が、吹奏楽コンサートで演奏されるのは珍しいことだ。

 この曲には、副題が付いている。校訂譜によって表現はちがうが、「For Harmonie and Janissary Band」または「For Turkish Band」。要するに「トルコ風軍楽のための」である。木管や金管などの「管楽器」のほかに、トライアングル、バスドラム、シンバルの3つの打楽器が加わる編成だ。これが「トルコ風軍楽」の特徴のひとつでもあった。当時の「吹奏楽」といえば、多くはこの「トルコ風軍楽」のことだった。このころ、ヨーロッパ、特にウィーンでは「トルコ文化」が大流行だったのだ。

 かねてよりオスマン帝国(トルコ)は、何度となくヨーロッパ中央部に侵攻してきた。その最大規模が、1683年の第二次ウィーン包囲だった。これをヨーロッパ諸国連合が討ち破った。以後、諸国連合とオスマンは長期戦に入り、大トルコ戦争の果て、オスマンは、史上初めて領土を割譲させられるのである。
 このときヨーロッパの、特にウィーンのひとびとは、巨大帝国に打ち勝った喜びをさまざまな形であらわし、やがて憧れのエキゾティシズムとなった。たとえば、パンのクロワッサン(三日月)は、オスマン(トルコ)の国旗の三日月を象ったものだ。また「コーヒー」も、敗走したオスマン軍が残していったコーヒー豆がきっかけで、ウイーンに定着し、カフェの発展を促したという。

 だが、もっともわかりやすいのは「音楽」だろう。

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【コラム】富樫鉄火のグル新 第227回 仕事を「目指す」

 2月の文楽公演(東京)の第3部で、《阿古屋琴責》の段(壇浦兜軍記)が上演された。
 平家の残党・景清の行方を捜索中の畠山重忠は、遊君・阿古屋を逮捕する。彼女は景清の愛人なので、行方を知っているはずだ。だが、いくら取り調べても、知らぬ存ぜぬの一点張り。そこで重忠は奇策を発案する。阿古屋に、三曲(琴、三味線、胡弓)を弾かせるのだ。もし音色に乱れが生じれば、ウソをついている証しになる……まさに劇画のような「奇策」だが、こういうトンデモ設定を平然と入れ込むところが、江戸エンタメの面白さでもある。
 今回は、この三曲を、鶴澤寛太郎(1987~)が見事にこなして、人形の阿古屋(桐竹勘十郎)ともども、喝采を受けていた(彼の三曲は、東京ではこれが2回目だと思う)。

 幕間にロビーの売店をのぞくと、新刊書籍が山積みになっていた。『うたかた 七代目鶴澤寛治が見た文楽』(中野順哉、関西学院大学出版会)とある。昨年9月に、89歳で逝去した人間国宝、七代目鶴澤寛治(1928~2018)の、聞き書き自伝である。「阿古屋」は、寛治の若いころの得意演目でもあった。

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