▲大阪城天守閣前で(2022年9月24日)
▲自称“ハンニバル・マスク”と自筆スコア(2022年9月22日、Shion練習場)
▲交響詩「アルプスの詩」自筆オリジナル・スコア(2022年9月25日、ザ・シンフォニーホール)
『ディアー・ユキヒロ、今晩、無事に帰宅した。(長旅で)たいへん疲れたけれど、今度の大阪での素晴らしい経験にとても満足している。
心から感謝したい。楽団スタッフとすべての関係者、そして、すばらしい聴衆にも。』
2022年(令和4年)9月25日(日)、大阪のザ・シンフォニーホールにおいて開催された「Osaka Shion Wind Orchestra 第144回定期演奏会」の指揮を終え、無事スイスの自宅に戻ったフランコ・チェザリーニ(Franco Cesarini)から帰宅後すぐに寄せられたメールだ。
フランコの帰路は、コンサート終了直後の18:09にJR「新大阪」駅を発った「のぞみ44号」で「品川」へと向かい、羽田空港にほど近いホテルで一泊。翌26日(月)の朝9:50、羽田空港第3ターミナル発のルフトハンザ LH 715便で、ドイツのミュンヘンへ。同空港で エア・ドロミテ EN 8278便に乗り継いでイタリアのミラノへ飛び、空港からスイスの自宅へは車を運転して帰るというルートだった。
コロナ禍で関西空港発着のスイス直行便が無くなったのに加え、国際便のフライトそのものが激減していたので、往路同様、各社の航空便をいろいろと乗り継ぐフライトとなり、羽田空港からのフライトとなった。(参照:《第175話:フランコ・チェザリーニ、日本のステージに向けて》)
前月の8月初旬に手術を受けたばかりで病み上がりのフランコにとっては、なにかと健康上の気を遣わないといけないハードな旅だった筈だ。
一方、今度の自作自演コンサートは、コロナ禍で2020年以降、延期を2度も余儀なくされていたShionのビッグ・プロジェクトだった。いつもなら、ファンとの交流会や終演後のパーティーなどが設けられるレベルの演奏会だったが、感染症予防措置の観点からも、残念ながらそれらはすべてなし。また、コロナが完全に終息したわけではない中、日本政府がいつ規制強化に転じる可能性もなくはなかったので、演奏会の実現それだけを最優先してすべてのオーガナイズが行なわれた。当然ながら、フランコへの個人的なアプローチもすべてお断りした。
そして、もうひとつの課題は、強烈な円安下での開催となったことだ。何事もないなら、各空港での送迎も筆者が大阪から向かうのが本筋だが、今回は、当初の計画時とは違い東京発着への大きな変更。不可抗力だからといって、今更東京2泊と新幹線往復運賃×2をShionに追加支出させるわけにはいかなかった。一方、フランコにあの複雑怪奇な首都圏の交通機関を乗りこなしてなんとか一人で大阪までたどり着いてくれなどと、友人としてとても言えなかった。どこかで迷子になるのがオチだからだ。そこで、関東在住でフランコとは旧知のユーフォニアム奏者、黒沢ひろみさんが、今度のShionの演奏会行きを計画していることを聞きつけ、これ幸いと無理を言って彼を大阪まで引っ張ってきてもらうことにした。
結果的に、これは大正解。JR「新大阪」駅でふたりをピックアップし、心斎橋のホテルにチェックインさせた筆者は、長旅後のフランコの体調と要望を確認しながら、その後の予定を決めた。単純に移動が長いだけでなく、地球を西から東に飛んだ後の時差調整に配慮する必要があったからだ。個人的な経験からは、到着当日はできるだけ起きていて日本時間に行動を合わせるのがベターな感じだ。結果、まず大阪名所の道頓堀まで徒歩で出て、打ち合わせを兼ねて食事をゆっくりととり、その後、タクシーで梅田スカイビルに出かけることにした。ここの空中庭園展望台からの晴れた日の夜景は本当にすばらしく、大阪の全景を見渡すことができる。その眺望がひょっとして自作のヒントにつながればいいなぐらいに思って、初めて来阪した作曲家を必ず連れて行くポイントのひとつだ。
案の定、フランコも前後左右にパノラマのように広がる夜景に感嘆し、アングルを何回も変えながら写真撮影に没頭。かなりの時間をここで過ごした。
『今度、Shionを指揮して日本初演する交響曲第3番「アーバン・ランドスケイプス(Urban Landscapes)」は、シカゴをテーマにしたって言っていたよね。実は、大阪とシカゴは、姉妹都市なんだ。だから連れてきたんだよ。』というと、『そいつは知らなかった。確かに似たようなところがあるね。』と、夜景を眺めながら、フランコはつぶやいた。
実は、この『アーバン・ランドスケイプス)』のスコアを筆者が受け取ったのは、2021年(令和3年)1月7日(木)にフランコからのメールでだった。この作品は、スペインのバルセロナ市立のプロフェッショナル・バンド、バンダ・ムニシパル・デ・バルセロナ(La Banda Municipal de Barcelona / バルセロナ市立吹奏楽団)の委嘱作で、スイスのティチーノの村レオンティカで作曲が行なわれた。完成は、2020年9月14日で、世界初演は、2021年4月25日(日)、バルセロナ市のコンサート・ホール、アウディトリ・バルセロナで、作曲者の客演指揮で行なわれ、同時ナマ配信も行なわれた。前述のように、シカゴに実在する建物やムードをモチーフにした都会的な作品で、大人のムードの漂う第1、第2楽章は、個人的にもお気に入りだ。
しかし、スコアを受け取ったそのときにも、世界初演が行なわれたときにも、販売譜は準備段階で未出版。よくよくスコアのコピーライト・ラインをチェックすると、そこには、これまでフランコの作品を出版してきた“Mitropa Music”に代わって、“Edition Franco Cesarini”という見慣れない文字を発見した。ヨーロッパで何かが起こっているようだったが、コピーライト・ラインの文字から察するに、どうやら、フランコが自身の出版社を立ち上げたらしかった。だとすると、何につけても慎重なフランコのこと。実際に販売譜が出来上がるのは、作品の規模から見て、2021年の夏あたりになろうことが容易に想像できた。
ただ、出版時期が未定なだけに、この曲のことは不用意に口にできなかった。すれば、必ず妙な期待を持たれ、日本特有の事情で何らかの騒ぎが起こるのがオチだったからだ。販売譜がまだ入手できない内に。しかし、実は筆者意外にも唯一、2021年(令和3年)4月18日(日)、ザ・シンフォニーホールにおける「第136回定期演奏会」で演奏予定の交響曲第2番『江戸の情景(Views of Edo)』(作品54)に向けて作曲者に直接コンタクトしたShionの当時のチーフライブラリアン、津村芳伯さんだけがフランコから『第3番』の存在を聞かされていた。
津村さんは、あるとき、『今度、第3番の初演の配信がありますよね。とても愉しみです。』と愉快そうに話しかけてきたことがある。そして、このときの関心の高まりが、2021年4月、厳しい入国制限でフランコの来日が適わず、代わって渡邊一正が第2番『江戸の情景』を指揮して、自作自演コンサート自体が再び延期されたとき、Shion内の会議で代わって第3番『アーバン・ランドスケイプス』が、2022年9月定期のメイン曲として浮上する要因になったのは明らかだ。
ただ、その時点で、それが日本初演になろうとは、Shionサイドは想定していなかった。楽譜が出たら誰だって演奏が可能になるからだ。
ところが、2022年(令和4年)2月14日(月)にヨーロッパから届いた一通のメールが、すべての事情を一変させた。メールの差出人は、筆者の古い友人であるハル・レナード・ヨーロッパのハルムト・ヴァンデルヴェーン(Garmt van der Veen)だった。彼は、出版社デハスケを立ち上げたひとりで、あるときはCEOまでつとめた男だ。
メールは、以下のような驚くべき内容だった。
「フランコを招いて、来る9月25日に行なわれるOsaka Shion Wind Orchestraで、もしも、彼の交響曲第3番を“日本初演”として取り上げてもらえるなら、我々は日本での楽譜の販売を9月1日以降に設定する準備があります。楽団の返事次第で、それは即日効力を発揮します。」
さあ、大変なことになったゾ!
早速、Shion楽団長の石井徹哉さんに直接会って話を振ると、「日本初演をさせてもらえるのはとても嬉しいんですが、楽譜の件までは望んでいません…。」という戸惑いの表情だった。
というのは、Shionにはその演奏史に残るあるトラウマがあったからだ。
それは、2007年(平成19年)6月8日(金)、オランダの作曲家ヨハン・デメイ(Johan de Meij)を招いてザ・シンフォニーホールで開かれた「第94回定期演奏会」で、自作自演による日本初演を計画していた『エクストリーム・メイク=オーヴァー(Extreme Make-over)』を僅か18日前に埼玉で演奏したバンドがあり、半年以上の時間をかけて念入りに演奏会を準備した市音(当時)はもとより、いき込んで来日したヨハンを大いに失望させてしまった一件だ。もちろん、楽譜が出たら誰が演奏しようと何の問題はない。しかし、以上の結果、市音では、これ以降、楽譜が出版されたら“日本初演”と謳わないという暗黙のルールが定着した。ただし、ヨハンは、自らが指揮をした市音の演奏を“公式日本初演”だと表明している。
しかし、この件は、ヨーロッパの出版社にも深いキズあとを残し、これ以降、出版社が“これは”と考えるような楽曲については、演奏アーティストを指名するようなかたちで話が持ち込まれるようになった。ヤン・ヴァンデルロースト(Jan Van der Roost)の『いにしえの時から(From Ancient Times)』しかり、フィリップ・スパーク(Philip Sparke)の交響曲第2番『サヴァンナ・シンフォニー(A Savannah Symphony)』しかり….だ。
意外に思われるかも知れないが、彼らは、商業出版社にありながら、作曲家や作品のステータスをとても大切に考えるパブリッシャーなのである。
ハルムトによると、フランコの交響曲第3番『アーバン・ランドスケイプス』も、自身が指揮者として初来日するこの機会にぜひとも自らの手で日本に紹介したい、という強い意向が働いたという。
また、同じ演奏会では、これまた新曲のシンフォニエッタ第3番『ツヴェルフマルグライエンのスケッチ(Zwolmalgreien Sketches)』(作品56)の日本初演も行なわれた。この曲は、イタリア南チロル地方の吹奏楽団、ムジカペレ・ツヴェルフマルグライエン(Musikkapelle Zwolfmalgreien)の創立100周年記念作として委嘱され、スイスのティチーノの村レオンティカで2020年7月22日に完成した。委嘱者による記念演奏会が当時の事情で延期が余儀なくされたため、初演は、2021年12月8日、スイス、ルガーノのパラッツォ・デイ・コングレッシにおける、作曲者指揮、シヴィカ・フィラルモニカ・ディ・ルガーノ(Civica Filarmonica di Lugano)の演奏となった。委嘱者のエリアに暮らす人々の営みや風土、景観を俯瞰、描写するようなタッチの美しく活力のある作品だ。2022年1月4日のフランコからのメールで作品の存在を知らされた筆者も、楽譜出版を今か今かと愉しみにしていた作品だ。
どんな演奏会にもドラマがある。
かくて、Osaka Shionの第144回定期は、これら2曲の日本初演を中核に、交響詩『アルプスの詩(Poema Alpestre)』、『ビザンティンのモザイク画(Mosaici Bizantini)』のとっておきの2曲を加えて開催された。
▲プログラム – Osaka Shion Wind Orchestra 第144回定期演奏会(2022年9月25日、ザ・シンフォニーホール)
▲同上、演奏曲目
▲スコア-Symphony No.3 “Urban Landscapes”, Op.55(2021年、Edition Franco Cesarini)
▲作曲者サイン(2022年9月25日、ザ・シンフォニーホール)
▲スコア- Sinfonietta No.3 “Zwolmalgreien Sketches”, Op.56(2021年、Edition Franco Cesarini)
▲Shion練習場で(2022年9月22日)