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■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言第5話 ヴァンデルローストの日本語教師

▲「バンドピープル1995年2月号の表紙」と「[ライムライト・コンサート8の表紙」

第5話 ヴァンデルローストの日本語教師

これまでに招いた外国人音楽家の中で、会話に意識的に日本語をまぜこみ、コミュニケーションを深めようと努めているのは、間違いなくベルギーのヤン・ヴァンデルローストだ。

東京佼成ウインドオーケストラの桂冠指揮者フレデリック・フェネル(Frederick Fennell, 1914~2004)が、手書きした日本語(カンニングペーパーのようなもの)を指揮台に置いて練習に臨んだことは有名だが、何も見ずいきなり飛び出すヤンの日本語の頻度は、フェネルのそれをはるかに上回る!

このため、ヤンが繰り出す日本語には、いかにもアヤシイ(?)ものが多い。しかし、それがうまくいかなかったときにオーバー・アクションで悔しがる姿もある種ユーモラスであり、親近感を覚える人も多い。

初来日は1994年で、春秋の2シーズンに日本のステージに登場!

三重県・合歓の郷における日本吹奏楽指導者クリニックでは、5月15日(日)のシエナ・ウインド・オーケストラのコンサートで『アマゾニア(Amazonia)』『ブスタ(Puszta』『オリンピカ(Olympica)』『ハイランド・ラプソディー(Highland Rhapsody)』を指揮。予定にはなかった5月17日(火)の大阪市音楽団のコンサートでも、客席から飛び入りで『フラッシング・ウィンズ(Flashing Winds)』を指揮した。5月19日(木)には、埼玉・川口総合文化センター・リリアで行なわれた東京ブリリアントブラス特別演奏会にも登場し、『フラッシュライト(Flashlight)』『エクスカリバー(Excalibur)』を客演指揮した。

秋は、プリーズ・ブラス・バンドのツアーに客演指揮で登場。11月18日(火)、森ノ宮ピロティホール(大阪)の「ライムライト・コンサート8」を皮切りに松本~東京と続いたツアーで、『トッカータ・フェスティヴァ(Toccata Festiva)』『カンタベリー・コラール(Canterbury Chorale)』『ファイアワーク(Firework))』『オマージュ(Homage)』『エクスカリバー(Excalibur)』の自作自演を行なった。

ヤンの日本語には、大阪弁の“なんでやねん”のように、発音やイントネーションから使うタイミングまで、大阪に住む者が“免許皆伝”を授けたくなるほど完璧なものもある。四六時中、大阪弁が飛び交うこのツアーに参加したことが大いに“役に立った”のは、言うまでもない!

すっかり忘れてしまったが、筆者は、どこかのタイミングで“今後日本に来ることがあったときにきっと役立つから”と言って、1冊の日本語会話ハンドブックを選んでプレゼントしていたようだ。

以後、ヤンは来日のたびにハンドブックから学んだ日本語をつぎつぎと試すようになった。筆者はそのたびに採点。いつの間にか、ヤンから“日本語の先生”という栄誉ある地位を与えられてしまった。

しかし、後で“しまった”と思っても、もう遅い!

第1話でお話ししたシエナ・ウインド・オーケストラの委嘱作『グロリオーゾ(Glorioso)』の曲名選択時の質問だけではない。ヤンからは、日本に関わるありとあらゆる質問がくるようになった。

近々の例では、2017年5月の…。

『Maido Yukihiro-san genki-deska ? (まいど、ユキヒロさん、元気ですか?)

現在、6つの大陸で実際に歌われている典型的なクリスマス・ソングをフィーチャーした“クリスマス組曲”(オーケストラと合唱のための)に取り組んでいます。

これまで、実際のキャロルやクリスマス・ソングを“届けて”もらった国々は、以下のとおりです。ヨーロッパはベルギー、北米はアメリカ合衆国、南米はコロンビア、アフリカは南アフリカ、オセアニアはオーストラリア。

それで、アジアは日本(???)だと考えているんですが、現在、この“アジア”の曲だけがまだ“欠落”状態です。ご協力願えれば幸いです。』(冒頭を除き、原文は英語)

これは難問だ!

ヤンは、クリスマスが基本的にキリスト教にかかわる事柄で、日本人の多くがクリスチャンでないことを十分承知しているはずなのに。なんでやねん。推薦曲がないなら、誰か知り合いの合唱指揮者か歌手の名前とメールアドレスを教えてほしいとまで書かれてある。打診すれば何かマニアックな曲は出てくるかも知れないが、日本の教会で歌われているのは、たいてい西洋の賛美歌と同じかそれをベースにしたものだ。ウーム。

そこで、日本にはトラディッショナルなクリスマス・ソングがないことをまず説明。クリスマス・シーズンに流れる人気曲のいろいろなリストを探し出し、どのリストでもダントツ1位か2位に入っている2曲を選んで連絡した。

『今、日本人の多くが“クリスマスの歌”として親しんでいる代表的な曲は、タツロー・ヤマシタという歌手の“Christmas Eve (クリスマスイブ)”、もくしはユミ・マツトウヤの“Koibito Ga Santa Claus (My Baby Santa Claus)(恋人がサンタクロース)”だ。』と。

これらは、どこから聴いても完全なポップ。たぶん、この回答で日本の音楽を使うことを諦めるだろうと踏んでいたのだが、敵もなかなかしぶとい!

ネットを通じて曲を聴いたヤンから、『組曲のクライマックスに使うには、盛り上がりのある“恋人がサンタクロース”がいいように思う。楽曲の著作権の管理者から許諾をとれますか?』との超真面目な打ちかえし!

オイオイ、面倒なことになりそうだゾ、と数日返答を保留していたら、再びヤンからのメールがきた。

『出版社から“著作権が存在する楽曲は使わないように”と言われました。そこで、リクエストを変更し、クリスマス・ソングではなく、なにか“冬”をイメージする日本の曲を教えて下さい。例えば、ルロイ・アンダーソンの“そりすべり(Sleigh Ride)”の類いの…。もちろん、著作権が存在しない曲でないといけませんが。』

トーマス・ドスの『白雪姫』で大変な目にあったばかりのHal Leonard MGBが同意するわけなかった。当然だ!

一方、冬の歌なら、いくらでも思いつく。

早速、“YUKI YA KONKO (ゆきやこんこ)”、“FUYU NO YORU (冬の夜)”、“FUYUGESHIKI(冬景色)”、“FUYU NO SEIZA (冬の星座)”(原曲は19世紀のアメリカ曲)、“TROIKA (トロイカ)”(原曲はロシア民謡)の5曲を、簡単な楽曲説明を添えて返信した。

すると、メロディーラインから“冬の夜”がいいとの返答。しかし、出版社から厳命されているためか、再び著作権の有無を訊ねてきた。

そこで、『“冬の夜”は、日本国の旧文部省が1912年に発行した小学校3年生用の唱歌だ。作曲者も作詞者も不明で、著作権はすでに消滅している。』と回答すると、ありがとうとの返信。

これにて一件落着と思っていたら、もうすっかり忘れていた8月になって、さらに追加のメールがきた。

『オーケストラと合唱のためのインターナショナルなクリスマス組曲は書き上がりました。しかし、歌詞を必要とします。“冬の夜”の歌詞を、Roma-ji(ローマ字)に直してもらえますか?』

やれやれ、日本語教師は忙しい!

■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言:第4話 スパーク・コンダクツ・スパーク

▲「ライムライト・コンサート6」のパンフレット表紙

▲CD「ロマンス」

第4話 スパーク・コンダクツ・スパーク

フィリップ・スパークが、初めて日本のステージに立ったのは、1993年11月8日(月)、大阪厚生年金会館中ホールで開催されたプリーズ・ブラス・バンド(BBB)の「ライムライト・コンサート6」だった。

サブ・タイトルは“SPARKE CONDUCTS SPARKE”!

この日、中ホールながらも座席数1100を誇るこのホールは、満員札止め。開場前の入り口付近は人が車道まで溢れ、客席最前列から2階最後部までビッシリ埋めつくされた状況には舞台スタッフもビックリ仰天!

後日談だが、同じ日に併設の大ホール(現オリックス劇場)であったさる有名アーティストの公演を目当てに集まった“ダフ屋”のお兄さんたちも対する警備陣も面喰うほどの大盛会となった。

もともとがジョーク好き。笑いと活力にあふれる大阪の街がすっかり気に入ってしまったフィリップも、“もうかりまっか”“ぼちぼちでんなー”と受け応えをする、古きよき時代の大阪商人の慣用句をアッと言う間にマスターしてしまった!

筆者は、今でもときどき、その日のライヴの一部を収録したCD「ロマンス」(BBB自主制作、BBBCD 006)を取り出して聴くことがある。

イギリス・ブラスバンド界の重鎮でブラック・ダイク・ミルズ・バンド常任指揮者だったロイ・ニューサム(Roy Newsome、1930~2011)さんも賞賛を惜しまなかった『祝典のための音楽(Music for a Festival)』、“こんばんわ”で始まるフィリップ自身による楽曲紹介(声が若い!)、フリューゲルホーンの名手、古部幸仁さんのソロをフィーチャーした『ロマンス(Romance)』とつづく流れを聴くたび、当夜の興奮が鮮やかによみがえってくる!

自ら録音・制作したCDの中でも、とくにお気に入りの1枚だ。

さて、そのフィリップだが、この初来日時から今日までずっと守っていることがある。

それは、自作を指揮するとき、いつも新しい印刷スコアを持ってくることだ。

自作と言えども毎回新しい発見があることは無論のこと、出版されている楽曲をコピーを使って指揮するなど、もってのほかと考えているからだ。未出版や絶版の楽曲も、著作権法のルールに従い、出版社に頼んで手書きスコアのオーソライズド・コピー(出版社許諾のコピー)を製本してもらっている。

指揮で使ったスコアは、彼にとって大切な宝ものだ!

日本で、スコアのコピーにサインをねだる人がいることが、どうしても理解できないでいる。

そんなフィリップから“I have a BIGGGGG favour to ask you.”とS.O.S.のメールが入ったのは、2015年11月20日のことだった。Gをいくつも重ねているから、とくに重大な案件だ!

『知っての通り、来年1月にBBCを指揮して“山の歌(Mountain Song)”を演奏する。そのため、自分用のスコアを準備しているんだが、オリジナル原譜を複写して作ったフルスコアを見つけることができないんだ。そこで、スタンに新たに別のコピーを作ってもらうように頼んだんだけど、なんと彼は私の原譜をロストしてしまったようなんだ!』

なんてことだ!!

BBCとは“ザ・バンド・オブ・ザ・ブラック・コルト”という名の東京のブラスバンド。2016年1月10日(日)、保谷こもれびホール(西東京市)で、フィリップを招聘して創立40周年記念の第54回定期演奏会を開催することがアナウンスされていた。スタンとは、英ステューディオ・ミュージックのボスだ。

フィリップのメールは、そのメイン・プロ『ピッツバーグ交響曲(A Pittsburgh Symphony)』の第3楽章“山の歌”の手書き原譜のフルスコアの喪失を知らせるものだった。

実はブラスバンド曲の“山の歌”の出版譜には、コンデンス・スコアしかセットされていない。フルスコアは作曲時の手書きオリジナルだけなのだ。

フィリップのメールには、その喪失の事実に続き、ひょっとして記憶違いかも知れないがと断りながら、“プリーズと一緒に演奏し、一種の贈り物としてスコアを残していったかも知れないので、それをチェックしてくれないか”というリクエストが書かれていた。

遠い記憶をたどると、プリーズとフィリップはその後何度も共演し、1995年11月13日(月)~15日(水)に、東京~松本~大阪とまわった5周年記念シリーズでは、確かに“山の歌”を演奏していた。

しかし、プリーズが“山の歌”の手書きスコアとパートをフィリップから贈られたのは、それより4年前の1991年6月17日(月)、大阪厚生年金会館中ホールで開かれた初の「ライムライト・コンサート」の前だった。その後、“山の歌”は何度も演奏されているので、フルスコアもパートも指揮者の上村和義さんのライブラリーに必ず存在するはずだ。

また、引っ越しを繰り返したので確信は持てなかったが、筆者の楽譜ロッカーには、1997年11月19日(水)、大阪府立青少年会館大ホールの「ライムライト・コンサート14」で『ピッツバーグ交響曲』の日本初演(指揮:上村和義)が行なわれた際、スタン・キッチンに頼んで会場限定販売用として10冊ほど特別に製本してもらったシンフォニー全曲の手書きスコアのファクシミリ・エディションが1冊入っているはずだった。そして、無事発見!

早速これらのニュースを知らせると、間髪を入れず打ち返しがあった。

『すごい!!!!!!“山の歌”のスコアに対して最大級の感謝だ!スタンは、他の楽章は見つけている。もちろん、我々が次に会うとき、君にビールをおごろう!Thank you SOOOO much。』

またまた、Oが3つも多い!

スコアは、その日の内に国際エクスプレス便で発送して、一件落着!

しかし、ビールはまだごちそうしてもらっていない。まあ、いいか。

■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言:第3話 スパーク“ピッツバーグ交響曲”

Text:樋口幸弘

第3話 スパーク“ピッツバーグ交響曲”

イギリスの作曲家フィリップ・スパークは、これまでウィンドオーケストラのための交響曲を3曲、シンフォニエッタ(小交響曲)を4曲発表している。だが、彼が“交響曲”とネーミングした作品は、前記以外にも2曲ある。

最初の交響曲は、10代に書いた管弦楽作品だった。

フィリップと知り合った頃、それがどんな作品なのか一度質問したことがある。

その時、彼は『若気の至りで書いた習作のようなものなんで、その後行方不明になったスコアが二度と陽の目を見ないことを祈っているんだ!』と笑い飛ばしていた。

スコアが紛失されているので、それは永遠に謎となってしまった。

もう1つは、ブラスバンドのための作品『ピッツバーグ交響曲(A Pittsburgh Symphony)』だ!

そのルーツは、アメリカ合衆国ペンシルベニア州ピッツバーグ(Pittsburgh)を本拠とするプロのブラスバンド“リバー・シティ・ブラス・バンド(River City Brass Band)”の委嘱作として1987年に作曲され、1988年2月に初演された“山の歌(Mountain Song)”(後に、シンフォニーの第3楽章に組み込まれる)にまで遡る。

リバー・シティ・ブラス・バンドは、ピッツバーグ市のBGMに演奏が使われるほど同市では有名な存在。実際、『市内のBGMから「山の歌」が流れてきたのには驚きました!』という土産話を木村寛仁さん(大阪音楽大学教授)から聞かされたことがある。

フィリップとスタン・キッチン(英Studio Musicのボス)に誘われ、3人でクリスマス・コンサートを聴きに行ったことがある。テナーホーンの代わりにフレンチ・ホルンが使われていた以外は、イギリスのブラスバンドと同じ編成を採用していたが、トータル・サウンドは、ややアメリカナイズされていた。

作曲家としても知られる指揮者のロバート(ボブ)・バーナット(Robert Bernat、1931-1994)は、開演前に5番目の奥さんと仲良く連れだって現れた。フィリップとおしゃべりを楽しんでいる筆者を見つけると、遠い国から現れたかつての敵国人“ジャパニーズ”に興味津々。ニヤリと笑いながら『日本人と話すのは、小澤征爾以来だ。』と嘯く挑発的な第一声は、パンチが効いてなかなか強烈! しかし、その一方で、アメリカでのプロ楽団の運営についての質問には丁寧に答えてくれ、コンサートでは、超満員の聴衆に向って、ユーモアを交えながら筆者を特別なゲストとして紹介してくれた。

そして、ロバート・バーナット、この人こそ、『ピッツバーグ交響曲』成立の推進役を果たした人物だった。

1987年に完成した委嘱作“山の歌”に感銘を覚えたバーナットは、ついで作曲者に“2曲を加えて組曲にしてほしい”という追加リクエストをする。当時、フィリップは多くの委嘱をかかえ多忙を極めていたので、“1年に1曲を書いて完結させる”という条件をもとにそれを承諾。その際2人は、完成時の曲名を「リバー・シティ組曲」とすることでも合意した。

この流れで“山の歌”についで1988年に書き上がったのが、“リバー・シティ・セレナーデ(River City Serenade)”(後に、シンフォニーの第2楽章に組み込まれる)である。

アレゲニー川とモノンガヒラ川の2つの流れが合流し、オハイオ川の起点となるロケーションに広がる都市ピッツバーグのイメージから着想した川の流れを感じさせる美しいセレナーデだ。

“リバー・シティ・セレナーデ”のスコアを受け取ったバーナットはたいへん喜び、この後、約束どおり1989年にフィリップがもう1曲を書き加えてくれれば、2人の組曲計画は無事成就するはずだった。

しかし、ここで思いもよらぬ事件が勃発する!

なんと、組曲完成予定の1989年、フィリップが3曲目を書く前に、やはりバーナットから新作を頼まれていたアメリカの作曲家ジェームズ・カーナウ(James Curnow)が、その名も『リバー・シティ組曲(River City Suite)』というブラスバンド作品をリバー・シティ・ブラス・バンドの委嘱作として完成させてしまったのだ!

ここで、カーナウの名誉のために書いておかないといけないが、彼は2人のプランをまったく知らなかった。曲名が同じになったのもまったくの偶然だった。

一方で、大慌てのバーナットは、フィリップにさらに1曲を加えて4楽章構成の“交響曲”にして欲しいとリクエストを拡大する。

作曲の構想が完全に崩れてしまったフィリップは、最初難色を示したが、この当時(1989)、スイスのバンド・コンテスト“ムジークプライス・グレンヘン 1990(Musikpreis Grenchen 1990)”から委嘱されてテストピース(課題)として書き上げたばかりのウィンド・バンド(吹奏楽)のための作品『シアター・ミュージック(Theatre Music)』の第3楽章“フィナーレ(Finale)”を改作すれば、曲をしめくくる終楽章らしい音楽になると思いつき、バーナットにこれを提案。同意を得られたことから作曲を再開する。

こうして、1989年に吹奏楽曲『シアター・ミュージック』の第3楽章“フィナーレ”を改作し、シンフォニーの第4楽章となる“バーレスク(Burlesque)”が完成。

1年開けた1991年、作品の幕開けにふさわしいファンファーレで始まり、シンフォニー第1楽章となる“ピッツバーグ序曲(A Pittsburgh Overture)”が書き上がり、4つの楽章からなる『ピッツバーグ交響曲』が完結した!

手許にあるこのシンフォニーの手書きスコアのファクシミリ・エディション(現在、入手不能)を見ると、以上の経緯がよくわかる。

単独曲として書かれた第3楽章“山の歌”、組曲の1部として書かれた第2楽章“リバー・シティ・セレナーデ”のページには交響曲を類推させる記載が全くないのに、4楽章構成の交響曲になることが決まった後に書かれた第4楽章“バーレスク”のタイトルまわりには[From “A Pittsburgh Symphony”]、第1楽章“ピッツバーグ序曲”にはカッコに入った[A Pittsburgh Symphony I]という作曲者手書きの文字が現われる。

また、『シアター・ミュージック』第3楽章“フィナーレ”と『ピッツバーグ交響曲』第4楽章“バーレスク”はまったく同一ではない。『シアター・ミュージック』第3楽章には、その第1楽章“序曲(Overture)”に使われている音楽的フラグメントの影響がハッキリと現われる一方、『ピッツバーグ交響曲』第4楽章では、可能な限りそれを省こうとしている。別の作品として音楽を扱っていたことが分かっておもしろい。

どちらかというと交響曲というより組曲の性格を有した作品だ、と作曲者が自ら語ったのも以上のような経緯から。

音楽のバック・ステージにドラマあり!!

『ピッツバーグ交響曲』の初演は、1992年2月6~15日、作曲者を客演指揮者に迎えたリバー・シティ・ブラス・バンドのシリーズ・コンサート“スパークラーズ&フローリッシ―ズ”で行われ、公演初日の会場は、モンローヴィルのゲートウェイ・ハイスクールのホールだった。


【関連作品】

■山の歌
作曲:フィリップ・スパーク
https://item.rakuten.co.jp/bandpower/set-8279/

■ピッツバーグ序曲
作曲:フィリップ・スパーク
https://item.rakuten.co.jp/bandpower/set-9926/

シアター・ミュージック
作曲:フィリップ・スパーク

https://item.rakuten.co.jp/bandpower/set-8137/

■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言:第2話トーマス・ドス“白雪姫”騒動記

Text:樋口幸弘

第2話トーマス・ドス“白雪姫”騒動記

複雑な現代社会。我々をとりまく世界は、ありとあらゆる物や活動に“権利”や“権益”が影のようにつきまとう。我々、ウィンド・ミュージックに関わる者とて、そのルールや縛りと無関係ではいられない。

2017年5月に浜松で行われた日本吹奏楽指導者クリニックへの出演を前にした5/16の名古屋芸術大学ウィンドオーケストラのリハーサルでも、現場関係者が大慌てをする破目になった、とある事件が発覚した。

この日午後の合奏は、前半が「イブニング・コンサート」(5/20)の重要レパートリーであるフィリップ・スパークの『ゾディアック・ダンス(Zodiac Dances)』とヤン・ヴァンデルローストの『グロリオーゾ(Glorioso)』のフル・リハーサル、後半がクリニック委員会オススメの2017年新譜を紹介する「レパートリー研究講座」(5/21)の演奏曲の練習があてられていた。

当日の筆者の役割は、作曲者や出版社と連絡を取り合い、楽譜の準備などのサポートをした前半2曲で終っていたが、帰阪までまだ時間的余裕もあったので、指揮の竹内雅一さんに求められるまま、後半も聴くことに….。聞けば、研究講座の方は、旧知の小野川昭博さん(大阪音楽大学/クリニック委員会委員)が指揮をするとのこと。一体どんな曲をするのかと興味を覚えたことも居残った理由だった。

早速、テーブル上に積み上げられたスコアの山(もちろん、この日が初見)を崩す。すると、その中に思いがけない1曲があるのを発見。瞬間的に『アッ!』と驚きの声を小さく洩らしてしまう。

何事か、と竹内さんもこちらを振り向く。

少々難しい顔をしながら、『ドスの“白雪姫”をやるんですね。これはとてもいい曲なんで、オススメの理由もよくわかるんですが、これって4月始めに絶版になったってご存知ですか?』と言うと、竹内さんも驚きの表情!

トーマス・ドスの『白雪姫(Snow White)』は、ドイツのバイエルン州ウンターフランケン、マイン=シュペッサルトの青少年吹奏楽団“クライスユーゲントオルケスター・マイン=シュペッサルト(Kreisjungendorchester Main-Spessart)”の25周年記念作で、初演は、2016年1日6日、近郊のゲミュンデン・アム・マイン(Gemunden am Main)のホール“シェレンベルクハレ(Scherenberghalle)”で行なわれた。

有名なグリム童話「白雪姫(Schneewittchen)」のストーリーに基づくファンタジー・アドヴェンチャーで、「むかしむかし…(Once Upon a Time…)」、「七人のこびと(The Seven Dwarfs)」、「ガラスの棺(The Glass Coffin)」、「白雪姫の目覚めと婚礼(Snow White’s Release and Wedding)」という小題がつけられた短い4つの楽章で構成されていた。

青少年吹奏楽団のために書かれたグレード3の作品で、童話のストーリーどおりの楽曲構成と親しみやすいメロディーライン、さらには小編成から大編成まで演奏可能なオーケストレーションが施されているなど、多くの特徴をもった作品だ。このため、2016年の出版後、ヨーロッパではアッと言う間にヒット作の仲間入り!!

だが、もともと白雪姫には、1937年公開の有名なディズ二ー・アニメ「白雪姫(Snow White and the Seven Dwarfs)」のほか、原作に大幅に手を加えたアメリカ映画「スノーホワイト(Snow White & the Huntsman)」(2012)とその続編「スノーホワイト/氷の王国(The Huntsman: Winter’s War)」(2016)などがあり、著作権、隣接著作権、商標権など、複雑に絡み合った権利関係が存在する。

「SNOW WHITE ~ A Fantasy Adventure」という“英語タイトル”で出版されたドスの吹奏楽曲は、そのいずれかに抵触してしまったのだ。筆者は、4月のかなり早い時期に、現行楽譜の絶版とタイトル変更後に再出版という連絡を受けていたので、クリニック委員会も何らかの情報を掴んでいたはずだ。

話を聞いた竹内さんは、大学側で選んだ曲ではないものの、“絶版”になった楽譜をそのまま“オススメ新譜”として紹介することはあまりにも不都合なので、大慌てでクリニックの実行委員長に電話を入れる。しかし、要領を得ない様子で困惑気味。結局、再出版の時期などの詳細を筆者が出版社に問い合わせることになった。

Hal Leonard MGBの極東マネージャー、ユルーン・ヴェルベークからの返答は、5月17日夜にあった。翌18日に東京のクリニック委員会に電話するが、もう浜松に向っているのか留守電だけの対応。用件を録音したが、ミスリードの不安感はぬぐえない。

一計を案じた筆者は、古い手帳を探し出して指揮の小野川さんの携帯に直電を試みる。番号が変更されていないことを祈りながら…。

幸いなことに、電話は、今まさに浜松に向っていた東海道新幹線「こだま」車中の小野川さんに繋がった!

先方も面喰らった様子で、早速、用向きを伝え、もの凄い轟音が響く中、スコアを持ってデッキに移動した小野川さんに以下の修正ポイントを書きこんでもらう。

【出版タイトル】SNOW WHITE(白雪姫) ⇒ A PRINCESS’S TALE(プリンセスの物語)

【サブタイトル】A Fantasy Adventure <変更点なし>

【第1楽章】Once Upon a Time…(むかしむかし…) <変更点なし>

【第2楽章】The Seven Dwarfs(七人のこびと) ⇒ The Dwarfs(こびとたち)

【第3楽章】The Glass Coffin(ガラスの棺) <変更点なし>

【第4楽章】Snow White’s Release and Wedding(白雪姫の目覚めと婚礼) ⇒ Princess’s Release and Wedding(プリンセスの目覚めと婚礼)

【再出版予定時期】5月の末頃

この通話後、念のため、上記内容を他の曲で気がついたことを含めてメールで送信する。

その後、小野川さんから『非常に助かりました!一緒に講座を担当する中橋君(作曲家の中橋愛生さん)にも伝えると“宜しくお伝え下さい”とありました。』とのメールが入り、これにて一件落着!

変更点から、権利関係でぶつかったのは、英語の“Snow White”と“The Seven Dwarfs”であることがよくわかる。ドスはドイツ語圏のオーストリアの作曲家。ドイツで世界初演されたときにプログラムに載ったドイツ語の曲名「Schneewittchen」での出版だったら、たぶん、こんな面倒な事態に発展しなかっただろうに!!

さらば、『白雪姫』!

■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言:第1話“ゾディアック・ダンス”と“グロリオーゾ”

Text:樋口幸弘

第1話“ゾディアック・ダンス”と“グロリオーゾ”

2017年の日本吹奏楽指導者クリニック(浜松)も間近かにせまった5月16日(火)の午後、クリニックのイブニング・コンサートに出演する名古屋芸術大学ウィンドオーケストラの練習にお邪魔した。

同大学大学院教授でウィンドオケの指揮にあたる竹内雅一さんとは、デハスケ・レーベル(ハル・レナード・MGB)のレコーディングがスタートして以来のつき合い。オランダ側プロデューサーの来日が叶わなかった年には、レコーディングのスーパーバイザーをつとめさせていただいたこともある。

この日は、クリニックで演奏するフィリップ・スパークの『ゾディアック・ダンス(Zodiac Dances)』とヤン・ヴァンデルローストの『グロリオーゾ(Glorioso)』の合奏が予定されていた。

 『ゾディアック・ダンス』は、大阪府の泉大津市吹奏楽団の結成50周年記念委嘱作。日本でもよく演奏される『祝典への前奏曲(Prelude to a Celebration)』につづく同団からスパークへの委嘱第2弾。初演プログラムに印刷された曲名は“ZODIAC DANCES/干支の舞”。作品名“ZODIAC DANCES”は、委嘱者の提案を作曲者が受け入れたもので、将来出版される楽譜には日本語の“干支の舞”も印刷して欲しいとの希望も出たが、そちらは叶わなかった。

“ホース”、“ドラゴン”、“タイガー”、“ラット”、“ドッグ”、“モンキー”と小題がつけられた6つの楽章で構成される愉しい組曲で、それらは楽団結成の1966年の干支である“午<うま>”に始まり、10周年ごとの各干支(“辰<たつ>”、“寅<とら>”、“子<ね>”、“戌<いぬ>”、“申<さる>”)にまつわる生き物(架空を含む)のキャラクターからインスパイアーされている。十二支をヒントとするが、日本的情緒を追い求めた作品ではなく、音楽的アプローチはあくまで西洋音楽。スパーク版“動物の謝肉祭”と言えなくもない。(初演:2016年11月20日、泉大津市民会館)

もう一方の『グロリオーゾ』は、シエナ・ウインド・オーケストラ第43回定期演奏会のための委嘱作。

ロシアの作曲家ドミトリ・ショスタコーヴィチ(1906~1975)へのオマージュとして書かれ、ヴァンデルローストが若い頃に多用した手法、すなわち作品に使いたいテーマ(この曲の場合は“ショスタコーヴィチ”の名前)のアルファベット表記のアナグラム(文字を入れ替えて別の単語を作る一種の言葉遊び)から導かれた音列やその派生的フレーズ、コードなどで作られている。委嘱当初はおよそ10分の作品という約束でスタートしながら、書いている内に熱が入って、結局は14分程度の序曲にスケールアップして完成した。近年の作品中、例外的にブライトであり、エネルギッシュなタッチで書かれている。(ラッパさんはとてもキツい!)

作曲中、2種類の曲名が考えられていたが、完成前に突然『どちらがいい?』と意見を求められたので、スコアから受ける音楽的なイメージから反射的に『グロリオーゾがいいね。』と答えたら、何日かすると本当に曲名に決まっていた。筆者としても最も親近感を覚える作品の1つである。(もちろん、シエナの面々には、初演を前にしたステージ上で“すいません”と詫びを入れたが・・・。)(初演:2017年2月11日、文京シビックホール、東京)

ともに“日本の演奏団体が委嘱し、作曲者の指揮で世界初演されたばかりの新作”というメッセージ性から、クリニックのステージでは長年ハル・レナード・MGBの録音を担ってきたステータスにふさわしい作品を取り上げたいとする竹内さんのリクエストにピッタリ。ちょうど来日中(前年11月)だった両作曲者に会ってその旨を伝えたところ、2人はとても喜んでくれて即座にOK。委嘱団体の同意も彼らがとりつけてくれた。

名芸の合奏では、両曲の初演に臨席し、作曲者から贈られた初稿スコアを持参していた筆者は、竹内さんに求められるままに、作品の背景や実際の演奏で起こったこと、その他要注意ポイントなどをアドバイスした。

すでに両曲はほとんど仕上がっていた。

浜松のステージは、間違いなくすばらしいものになるだろう。