「ウインド交友録」カテゴリーアーカイブ

■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第175話 フランコ・チェザリーニ、日本のステージに向けて

▲Shion タイムズ No.49(2020年3月号)

▲チラシ – Osaka Shion Wind Orchestra 第130回定期演奏会(2020年4月23日、ザ・シンフォニーホール、中止)

▲Osaka Metro 駅構内に張り出された第130回定期演奏会(中止)のポスター(撮影:2020年3月13日)

2022年(令和4年)9月21日(水)午前8時33分、ウィーン発のオーストリア航空 OS51 便で、スイスの作曲家フランコ・チェザリーニ(Franco Cesarini)が成田空港第1ターミナルに降り立った。

9月25日(日)、大阪のザ・シンフォニーホールで開かれる「Osaka Shion Wind Orchestra 第144回定期演奏会」のステージに指揮者として立つためである。

この日、フランコの搭乗機は、強い偏西風にも後押しされ、定刻より17分早く成田にランディングした。空港では、東京からのアテンドを依頼した黒沢ひろみさんと合流し、JR「成田空港」駅を 9:45発の「成田エクスプレス10号」、「東京」駅を12:30発の「のぞみ33号」と乗り継いで、筆者がホームで待ち受ける「新大阪」駅へは、定刻の15:00に到着した。

旅程は、コロナ禍によりスイスから関西空港への直行便が無くなったため、日付を跨いだスイス(ルガーノ)~イタリア(ミラノ)~オーストリア(ウィーン)~東京~大阪と大移動する長旅となった。しかし、思いのほか元気そうだ。

余談ながら、同じ時期に入国したヤン・ヴァンデルロースト(Jan Van der Roost)も、ヨハン・デメイ(Johan de Meij)も、コロナ禍の減便につぐ減便で、航空券の手配が大変だったようで、結局、ふたりとも関東方面の本番がまったく無いにも拘わらず、成田空港への入国となっている。また、フランコとヤンは、日本への往復航空券が同じ航空会社では取れなかった。(参照:第174話 台風14号と3人の作曲家たち

フランコの初来日は、この6年前の2016年(平成28年)6月10日(金)、鈴木孝佳指揮、タッド・ウインドシンフォニーの演奏で行なわれた交響曲第1番『アークエンジェルズ(The Archangels)』(作品50)の日本初演(於:ティアラこうとう大ホール、東京)に立ち会ったときだった。その3年後の2019年(令和元年)6月14日(金)、同じタッドWSによる交響曲第2番『江戸の情景(Views of Edo)』(作品54)の公式日本初演(於:杉並公会堂、東京)にも立ち会っているので、今回で都合3度目の来日となる。ただ、今回が前2回と違うのは、これがはじめての指揮者としての来日だったことだろう。(参照:第67話 チェザリーニ:交響曲第1番「アークエンジェルズ」日本初演 / 第87話 チェザリーニ:交響曲第2番「江戸の情景」への旅

Osaka Shion Wind Orchestraのフランコ招聘プロジェクトは、2019年6月にスタートした。

これは、Shion楽団長で、その運営母体の公益社団法人「大阪市音楽団」理事長でもある石井徹哉さんの意向を受けて始まったプロジェクトで、当初は、2020年(令和2年)4月23日(木)、ザ・シンフォニーホールで開催予定の「第130回定期演奏会」に向けての招聘計画だった。

“毎月、定期を開ければ….”を目標に掲げるShionサイドの“毎年4月の定期は、作曲家を招いた自作自演を行ないたい”というビジョンに基づくものだった。

いろいろな名前が上がる中、最終的にフランコに白羽の矢が立ったのは、『ビザンティンのモザイク画(Mosaici Bizantini)』(作品14)や交響詩『アルプスの詩(Poema Alpestre)』(作品21a)、『ブルー・ホライズン(Blue Horizons)』(作品23b)という、日本でもよく演奏される作品が知られ、前述の交響曲第1番『アークエンジェルズ』がたいへんな話題を呼んでいたことが大きい。

Shionの定期においても、2019年(令和元年)11月30日(土)、ザ・シンフォニーホールにおける「第127回定期演奏会」(指揮:西村 友)で『ブルー・ホライズン』が、2020年(令和2年)1月23日(木)、同ホールでの「第128回定期演奏会」(指揮:現田茂夫)で交響曲第1番『アークエンジェルズ』がプログラムに上がっていた。

加えて、ヨーロッパの情報があまり伝わっていない日本ではほとんど知られていないが、若い頃に本格的に指揮の勉強をしたフランコが、ヨーロッパでは作曲家としてだけでなく、指揮者としても広く知られる実力者だったこともある。

その“指揮者”が、日本のステージにはじめて登場する訳である。

単なる自作自演ではない。日本の聴衆には、これがある種サプライズになる予感すらあった。

いろいろな視点で機は熟していたのである。

そして、そんな追い風にも乗った「Shion 第130回定期演奏会」は、以下のようなプログラムの作曲者自作自演コンサートとして企画された。

・交響詩「アルプスの詩」作品21

・ビザンティンのモザイク画 作品14

・交響曲「江戸の情景」作品54

日本でもよく知られ、フランコのベスト・ヒットに数えられる中から選ばれた2曲と、前年、東京で公式日本初演が行なわれたばかりで関西初お目見えとなる最新シンフォニー『江戸の情景』を作曲者自身の指揮で!というコンセプトで、巷間での関心もかなり高かった。

しかし、この盛り上がりに水を差したのは、全世界を巻き込んだコロナ禍だった。

日本では、2020年2月27日、当時の首相の突然の全国一斉休校の要請に始まり、4月7日の緊急事態宣言の発出で、多くの人が集まる催しはつぎつぎと中止された。また、江戸時代の鎖国のように、外国人の入国にも著しく制限が加えられたので、残念ながら、Shionの企画も延期せざるを得なくなってしまった。

だが、このとき、フランコはすでにShionのリクエストを受けてチューリッヒから関西空港へのスイス航空の直行便チケットを購入済みで、一方でビジネス目的での入国者に必須の在留許可の申請(いわゆるビザ申請)の手続きも進んでいた。つまり、あとは来日を待つばかりという進捗状況だったのである。

結果的に、延期によって、Shionは経済的にも大きなダメージを負うことになった。しかし、いろいろなキャンセル手続きの中で、意外にも手こずったのが、搭乗前の航空券の処理だった。

結局、この件はフランコに詰めてもらうことになったが、当初スイス航空が搭乗予定日が近いという理由でキャンセルによる返金を拒んだため、大バトルに発展。粘り強く折衝を重ねていく内、なんとか一回に限り振替便の利用を認めるという条件を引き出すことができた。きっと、既定の約定どおりの杓子定規な応対なんだろうが、スイス航空が同国を代表するフラッグ・キャリアだけに、コロナ禍の非常事態下の対応として果たしてどうだったのだろうか。政府の決定による不可抗力だけに、筆者にはどうにも腑に落ちなかった。しかも振替便のブッキング後のフライトの変更は一切受け付けないというものだった。

海外ではよく聞く話だが、何か高飛車だなあ、という印象だけが残った。

だが、このフランコからの連絡を受けて、演奏会日程も組み直しが可能となり、即行で、ホールの空き日、Shionとフランコのスケジュールなどを摺り合わせた結果、同じプログラムのコンサートが、2021年(令和3年)4月18日(日)、ザ・シンフォニーホールで「第136回定期演奏会」として開かれることになった。

偶然、今度の演奏会当日は、フランコの60回目の誕生日にあたり、もしも実現していたら、大ハッピー・バースデー・コンサートになるはずだった。

しかし、この夢も再びコロナが奪った。

2020年4月、コロナの世界的蔓延を受けて、スイス航空がまずチューリッヒからの関空直行便を運休。夏ダイヤも冬ダイヤも運休と発表されて一瞬真っ青になったが、その後、2021年3月5日から再開させる計画だと発表されたので一安心。しかし、一方で日本政府による旅行支援策も実施されていた秋口から年末にかけて、全国的に感染が拡大。2021年1月7日、埼玉、千葉、東京、神奈川に緊急事態宣言が再び発出され、同13日には大阪を含む6府県にも適用区域が拡大されるにおよび、2月7日、スイス航空は、3月5日からの運行再開の延期を決定した。演奏会までまだ少し日があるものの、航空券についてはこれでほぼ万事休すだ。

フランコからも再延期するかどうかの問い合わせが入り、一方で外国人の出入国規制も一段と厳しくなった。

当時、Shionでは、最善と思われる感染予防対策を実施しながら公演を行なっていた。なので、経験値から、演奏会の実施それ自体には自信を深めていたが、残念ながら、再び指揮者入国が困難になってしまった今回の事態を受け、2021年3月、フランコの同意を求めた上で、「第136回定期演奏会」は、新たに指揮者に渡邊一正をたて、以下のように曲目を変更して行なわれることが決まった。

・楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第1幕への前奏曲 (リヒャルト・ワーグナー / 木村吉宏編)

・メトロポリス1927
(ピーター・グレイアム)

・交響曲第2番「江戸の情景」作品54
(フランコ・チェザリーニ)

『アルプスの詩』と『ビザンティンのモザイク画』だけは、やはり将来の自作自演コンサートで聴衆に届けたいというShionの想いと、直前の2月24日に亡くなった市音元団長の木村吉宏さんへの追悼、そして、『江戸の情景』を含む人気作曲家の最新作の紹介をミックスさせたいかにもShionらしい切り替えだった。

その一方、舞台裏では、フランコを招聘する新たな日程作りも始まった。その結果、前回と同様の摺り合わせを経て、最終的に、コンサートは、2022年(令和4年)9月25日(日)の「第144回定期演奏会」と決まり、その後の紆余曲折を経て、下記のような意欲的なレパートリーが演奏されることになった。

・シンフォニエッタ第3番「ツヴェルフマルグライエンのスケッチ」作品56(日本初演)

・ビザンティンのモザイク画 作品14

・交響詩「アルプスの詩」作品21a

・交響曲第3番「アーバン・ランドスケイプス」作品55(日本初演)

こうして、2019年に始まった企画は、約3年という時間を経てついに実現され、Shionは、圧倒的な音楽的成果を得た!

ナマ演奏を直接耳にした率直な感想だ。この感動は、CDや配信では味わえない。

しかし、その実現までには、これまでにお話ししたこと以外にも、いかにも“わが国特有の”複雑な事情から、およそ想像できなかった障壁が幾重にも立はだかり、そのつど関係者が右往左往させられることになった。

おそらく、コロナ禍の日本では、こういうことが各地で起こっていたのだろう。

演奏家も事務局もない。それらを乗り越え、この日の成果に結び付けたShionの各位には、特大のブラボーを贈りたい!!

▲チラシ- Osaka Shion Wind Orchestra 第127回定期演奏会(2019年11月30日、ザ・シンフォニーホール)

▲チラシ- Osaka Shion Wind Orchestra 第128回定期演奏会(2020年1月23日、ザ・シンフォニーホール)

▲Osaka Shion Wind Orchestra 第136回定期演奏会のご案内(2021年3月)

▲有名なShionのトラックと(2022年9月25日、ザ・シンフォニーホール搬入口)

■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第174話 台風14号と3人の作曲家たち

▲チラシ – 名古屋芸術大学第41回定期演奏会(2022年9月21日、東海市芸術劇場)

▲チラシ – フィルハーモニック・ウインズ 大阪 第36回定期演奏会(2022年9月19日、住友生命いずみホール)

▲チラシ – 九州管楽合奏団 下関特別公演(2022年9月25日、下関市生涯学習プラザ)

2022年(令和4年)9月18日(日)の午後、名古屋芸術大学教授の竹内雅一さんから一本の電話が入った。

『今、そちらに(大阪に)向かっているところです。』

“エッ!?”と一瞬驚きながらも話を伺うと、『行けなくなるといけないんで、予定を早めたんです。』とのこと。

実は、この少し前まで、竹内さんは、翌19日(月・祝)に住友生命いずみホールで開かれるヤン・ヴァンデルロースト(Jan Van der Roost)指揮の「フィルハーモニック・ウインズ 大阪 第36回定期演奏会」を聴くために愛車を駆って来阪。9月21日(水)に東海市芸術劇場大ホールで行なわれる「名古屋芸術大学ウィンドオーケストラ第41回定期演奏会」のための大学での練習に向けて、ヤンとともに前日の20日(火)朝10時に車で大阪をたつプランをたてていた。

同時に、筆者も、竹内さんから、この名古屋行きのドライブに『一緒にどうですか?』と声を掛けられていた。丁度、こちらの予定が20日だけ空いていたからだ。その結果、明くる21日に大阪でどうしても外すことができない大切な役回りがあった筆者は、残念ながら演奏会本番を聴くことは適わないものの、20日名古屋入りの後、名芸の練習を見学し、その日の内に大阪に舞い戻るプランを立てた。

本当に久しぶりに顔を合わせることになるトリオで“ワイワイがやがや”と騒ぎながら、竹内さんの車で名古屋に向かおうという計画があったのだ!

しかし、そのささやかな愉しみを奪ったのが、日本列島めがけて勢力を強めながらゆっくりと近づき、気象庁から九州では初めてという“台風特別警報”まで発表された台風14号だった。

「大型で猛烈な」とか「史上最強クラスで上陸か」という、マスコミが勢いづく派手な触れこみで来襲した台風14号は、本当に迷惑な台風だった。勢力範囲が広いだけでなく、予想進路や到達予想時刻もどうにもはっきりしなかったからである。

実際、ある予想図では、ヤンのコンサートがある19日に大阪直撃の様相を示し、またある予想では我々が名古屋に向かう予定の20日、真上を台風が通過中かも知れないという進路図が示されていた。万が一、そうなると高速道路は通行禁止になる可能性もあるし、運よく名古屋に入れたとしても、今度は鉄道運休で大阪に戻れないかも知れなかった。大学も台風直下になれば、登校禁止でリハどころではなくなる可能性もあった。

気が気でない筆者も竹内さんも16日あたりから連日気象庁の発表やウェザーニュースをチェックしながら連絡を取り合った。しかし、我々素人には台風の動きはまったく読めない。気象の専門家も、とくに九州北部あたりから速度を上げて日本列島に沿って太平洋に抜けるのがいつ頃になるのか、よく分からないようだった。

そして、それが冒頭の“行けなくなるかも”の原因だった。

そうは言っても、筆者ひとりのためにふたりに迷惑を掛けるわけにはいかない。

そこで、17日、『私のことなど気にせず、19日の終演後、直ちに名古屋に向かうのがベターかと思うので、ふたりでよく相談して欲しい。』と両者にメールを入れ、今回の自身の名古屋行きを断念した。

折り返しで、『いまのところ、危なそうですね。』と竹内さんからメールが入り、一応、18日のホテルを予約した旨も書かれていた。念のための前日入りのために。

その数分後のことである。

“成田に着いた”ヨハン・デメイ(Johan de Meij)からメールが飛び込んできた!!

かの交響曲第1番「指輪物語(The Lord of the Rings)」の作曲者としておなじみの彼は、現在、九州管楽合奏団の首席客演指揮者をつとめている。今回の来日は、9月22日(木)、宝山ホール(鹿児島県文化センター)で開かれる「九州管楽合奏団 鹿児島特別公演」および9月25日(日)、下関市生涯学習プラザ(ドリームシップ)海のホールで開催される「同 下関特別公演」の客演指揮のためのものだった。

しかし、メールの中身には、つぎのようなとても気になる内容も含まれていた。

『成田から福岡へのフライトはキャンセルされたので、月曜日朝の便をとり直した。今、空港のホテルをとるところだ。』

つまり、9月19日の便で福岡に向かうつもりでいるようだ。

しかし、これからヨハンが向かおうとしているのは、台風14号が正にやってこようとしている九州だ。ヤンの一件ですっかり台風14号と交通情報のスペシャリストと化していた筆者は、一瞬にして彼の判断は危ないと思った。

実際、これからの九州便の多くの欠航が予想され、JR九州管轄の九州新幹線も、台風の動きに応じた計画運休がすでに発表されていた。

そこで、間髪を入れず、ヨハンに『予約した19日の福岡便はキャンセルになると予想されるので、何としても明日18日の新幹線に切り替えて博多に向かうことを強く勧める。』とメールを送った。

九州新幹線がたとえ全線運休になっても、JR西日本管轄の山陽新幹線は、間違いなく終点の博多までは走るだろうから。ネイティブの言うことは聞け、という訳だ。

その後、ヨハンは筆者のアドバイスを受け入れ、東海道・山陽新幹線で博多に向かったようだ。18日の夜19時18分に「Made it!(うまくいった)」というメールが入り、それにはこう書かれていた。

『新幹線で、安全に、今まさに博多にいる。(キミの言うとおり)、明日のフライトも列車もすべてキャンセルとなった。今、ホテルの部屋にたたずんで、台風が通り過ぎるのを眺めているよ。』

一方、ちょうど同じ頃、予定をかなり早めて大阪に入りした竹内さんと筆者は、氏が泊る江坂のホテル近辺で食事をかねて情報交換の場をもっていた。

日本政府は安易にリモートばかり推奨しているが、実際に会って行なうすり合わせは、やはり密度が違う。

台風情報の交換だけではない。名芸の現状のほか、9月15日(木)に成田空港に到着したヤンが、入国時に日本語で印刷された書類を差し出されて記入を求められ、『私は日本人ではない。』と言って面喰った事件があったことなど、この直後、9月21日(水)に、フランコ・チェザリーニ(Franco Cesarini)の成田空港での入国を控えている当方にとっても参考になる情報も多々あった。また、直前に主催者から竹内さんに電話があって、19日のヤンのコンサートの開演時刻が2時間早められることもこのとき知った。JR各線などの計画運休が発表された(つまり終演後の電車がない)ための措置だろうが、チケット購入者への告知は本当に大丈夫なんだろうか。妙なことが気になってしまう。

しかし、台風の動きはその後も微妙だった。

すでに国内に入っているヤンとヨハンのふたりは主催者のもとにいるので問題ないが、これから入国するフランコのフライトは、21日の朝8:50の到着予定で、台風の影響をもろに受けるかも知れない時間帯だった。分かりやすく言うと、台風が関東地方をすばやく通過していった場合は、ほぼ問題ないが、台風の動きが遅かったり、空港が被害を受けた場合は、降りる空港が変更される可能性もあった。

フランコの来日は、9月25日(日)、大阪のザ・シンフォニーホールで開かれる「Osaka Shion Wind Orchestra 第144回定期演奏会」の指揮のためのもので、リハーサルは22~24日の3日間。だから、21日中に大阪に入れれば何の支障も発生しない。

早速、成田での出迎えとアテンドを依頼した黒沢ひろみさんに、どこに降りても対応できるように詳細な指示を出し、同時に、フランコとも電話番号を交換。万が一、入国審査や検疫で時間をとられても、臨機応変の対応ができるようにした。先のヤンだけでなく、成田での対応では相変わらずいろいろなことが起こっていると聞いていたので。

それにしても、同じ時期にヨーロッパの友人3人が揃って日本の土を踏み、別々の演奏会で指揮をすることになろうとは!?

いずれも、過去2年間のコロナ禍による中止や延期の末の偶然の結果だが、筆者からのメールでそれを知った3人は、皆一様に“本当か?”と大盛り上がりをし、互いに互いを称え合っていた。“よろしく伝えて欲しい”と言葉を添えながら。

こんなことは滅多に起こりえない!

2022年9月。大阪の私設トラベル・ビューローは、大忙しだった。

▲▼チラシ – Osaka Shion Wind Orchestra 第144回定期演奏会(2022年9月25日、ザ・シンフォニーホール)

▲チェザリーニ ミラノ – ウィーン – 成田のフライト

■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第173話 交響曲シリーズ、監修者のつとめ

▲「市音タイムズ」第85号(大阪市音楽団友の会、1995年1月1日発行)

▲木村吉宏

『交響曲と名の付く曲は、その作曲家が心血を注いで作った曲であり、難しい曲が多いのですが、芸術性の高い曲がたくさんあります。これは、管弦楽、吹奏楽共にいえることです。管弦楽、特にクラシックの分野の曲は、よく演奏されCDにもなっておりますが、吹奏楽では、あまり系統だった録音もなく、一般の音楽ファンに知られていない曲が多いのです。

吹奏楽オリジナルの交響曲は、現在約七十曲ほどが知られておりますが、その全てを聞いた事がある人は、まずいないのではないでしょうか。

もし全ての曲を録音したCDがあれば、非常によい資料になると思います。また、私は、単なる資料のための録音ではなく、芸術性も追求し、一般の音楽ファンの方にも聞いてもらえるような物にしたいのです。そうすると、吹奏楽のすそ野も広がりますし、現代に生きてる作曲家たちの刺激にもなるのではないでしょうか。作曲家がどんどんと新曲を書いてくだされば吹奏楽も今以上に発展して行くでしょう。…..』(原文ママ)

以上は、「市音タイムズ」第85号(大阪市音楽団友の会、1995年1月1日発行)に掲載された当時の大阪市音楽団(市音:現Osaka Shion Wind Orchestra)の団長で常任指揮者だった木村吉宏(1939~2021)さんへのインタビュー記事「ウィンド・オーケストラのための交響曲のCD 新発売」からの引用だ。

インタビューは、オランダのヨハン・デメイ(Johan de Meij)の交響曲第2番『ビッグ・アップル~ニューヨーク交響曲』(Symphony No.2“The Big Apple”- A New York Symphony)とフランスのセルジュ・ランセン(Serge Lancen)の『マンハッタン交響曲』(Manhattan Symphony)がカップリングされた第1弾「ウィンド・オーケストラのための交響曲[1]」(東芝EMI、TOCZ-9242)が1994年(平成6年)12月21日にリリースされるにあたり、大阪市音楽団友の会の中村順七さんの質問に答える形で行なわれている。(参照:《第144話 ウィンド・オーケストラのための交響曲》)

「ウィンド・オーケストラのための交響曲」は、文字どおり、ウィンドオーケストラのために作曲された交響曲だけで構成された世界初のCDシリーズで、1993年(平成5年)5月のとある昼食時、木村さんから呼び出され、“次の自主企画”のアイデアを求められた筆者が出した『吹奏楽のオリジナル交響曲全集なんてどうでしょうか。』という提案に対し、木村さんが『よし! その話、こうた(買った)!!』という瞬間的なやりとりがあって動き出したプロジェクトだった。

同時に、筆者は、全体の“監修”を委ねられた。

とても名誉な指名だったが、一方で、筆者の頭の中には、市音の自主制作盤としてスタートするこのプロジェクトの実現のためにやらねばならないことがつぎつぎと浮かんできた。

まずは、マーケットのリサーチだ。“世界初企画”ということは、言い換えれば、世界中にひしめく商業レコード会社がどこも手をつけていない企画であることを意味している。“担当者が企画倒れになることをとても怖がっているのか”、“吹奏楽への誤った先入観から価値を見いだせないでいるのか”etc….。いずれにせよ、レコード業界にはびこる常識は、すべてが否定的なものだった。

かつて、イーストマン・ウィンド・アンサンブル(Eastman Wind Ensemble)の創始者で指揮者のフレデリック・フェネル(Frederick Fennell、1914~2004)が、米マーキュリー・レーベル(Mercury)のクラシック部門の責任者デーヴィッド・ホール(David Hall)に録音レパートリーを提示したときに、『ねえ、フレッド、君はそれらの10枚も売り上げることはないでしょう。しかし、我々は、それらをいつでも卒業生たちに差し上げることができます。』(註:フレッドは、フェネルの愛称。)と遠回しに“採算が見込めない”と言われた場面もきっとこんな感じだったのだろう。

加えて、熱心な吹奏楽ファンの間でも、当時はまだ、オリジナルといえばアメリカの作品をさす風潮が強く、市音が本邦初演に力を注いでいたヨーロッパの作品は、他のエリアではほとんど実演すらされていないという地域差も受け入れねばならなかった。

そして、リサーチから導かれたひとつの結論は、このシリーズは、国内マーケットだけでは完結できない可能性もあるので、最初から広く海外の作曲家や出版社を巻き込んで、世界に向けたプロデュースやディストリビューションを考える必要がある、ということだった。

幸い、身近には、東京の佼成出版社のように、アメリカやヨーロッパの出版社とタイアップして、東京佼成ウインドオーケストラのCDのディストリビューションに成功しているというすばらしい成果を挙げている実例もあった。

楽団の自主制作盤なら、いろいろと参考になることも多いだろう。

しかし、海外を巻き込むには、世界中に企画の意義と録音のスタートを発信するだけでなく、まず市音の存在も演奏も知ってもらわないといけなかった。

そこで思いついたのが、大阪市音楽団演奏のベストセラーCD「大栗裕作品集」(東芝EMI、TOCZ-9195、リリース:1993年1月21日)の名刺的活用だ。

市音初の単独リリースCDであるだけでなく、わが国を代表する吹奏楽CDの1枚だと考えていたからだ。

そして、この時たまたま、1993年6~7月に東芝EMIの「吹奏楽マスターピース・シリーズ」の録音でオランダとベルギーに渡欧することになっていたので、それを前に、このCDを100枚購入。両国で出会った作曲家や指揮者、出版社などと“交響曲CD”の企画の話をする機会にこのCDを片っ端から撒きまくった。(参照:《第54話 ハインツ・フリーセンとの出会い》、《第55話 ノルベール・ノジとの出会い》)

結果的に、CDを名刺代わりに使ったこの作戦は大成功だった。

出版社では、モレナール(Molenaar)の社長ヤン・モレナール(Jan Molenaar)が“交響曲シリーズ”に大きな関心を寄せたの対し、デハスケ(de haske)のヤン・デハーン(Jan de Haan)は、他の出版社の作品が入るCDにはまったく無関心だった。このあたり、出版社の性格が現れており、とても面白い。

その後、筆者は、同年12月のシカゴのミッドウェスト・クリニックに際しても、CDを追加購入し同様のアクションを起こした。これで、市音の名前と演奏、そして彼らが“交響曲シリーズ”の録音を開始するというニュースも少しは関係者の知るところとなったはずだ。

一方、作曲家たちは、ヨーロッパでもアメリカでも、“交響曲”という言葉に一様に目を輝かせて話を聞いてくれた。これが、その後の彼らの創作活動の動機の一端にでもなっているとしたら、これほど愉快な話はない。

アルフレッド・リード(Alfred Reed)やヨハン・デメイ(Johan de Meij)、ヤン・ヴァンデルロースト(Jan Van der Roost)などからも、“ブックレットには日本語だけでなく英語のノートも必ず必要になる”などと、熱のこもった具体的なアドバイスやアイデアも寄せられ、大いに助けられた。また、交響曲だけでなく、新しい作品の情報もつぎつぎと寄せられるようになった。

その後、筆者は、市音での会議などでリストアップされた交響曲を「1.現代ヨーロッパの作曲家の交響曲」「2.現代アメリカの作曲家の交響曲」「3.古典的作品群」の3つのタイプに分類し、あとは市音からのGOサインを待つばかりとなった。

しかし、市音は市の楽団だけに新たな自主活動のための予算となると、まず役所の決済を得なくてはならない。実際、それは外野で見ているよりたいへんな作業のようだった。

そうこうする内、新年の1994年を迎えると、事態は大きく動き出した。この話を聞き込んだ東芝EMIが関心を示して途中参画し、同社の商業CDとして発売されることが決まったのだ。

予算の心配がなくなった市音には、正直ウェルカムだったろう。

しかし、大阪とは空気の違う東京の大手レコード会社の意向は、プロジェクトの組み立てに少なからず影響を及ぼすことになった。

今や昔。創作意欲のエネルギーに満ちた頃の1つのエピソードである。

▲交響曲シリーズ・ワークシート(1994年9月)

■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第172話 ドス:交響曲第3番「シンフォニー・オブ・フリーダム」とタッドWS

▲トーマス・ドス(Thomas Doss)

▲スコア – Thomas Doss – Symphony of Freedom(Mitropa、2020年)

オーストリアの作曲家トーマス・ドス(Thomas Doss)の交響曲第3番『シンフォニー・オブ・フリーダム』(原題:Sinfonie Nr. 3 Sinfonie der Fteiheit)は、大作曲家ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven、1770~1827)の“生誕250周年(ベートーヴェン・イヤー 2020)”の幕開けを彩るドイツ・ノルトライン=ヴェストファーレン州の青少年吹奏楽団「ノルトライン=ヴェストファーレン州ユンゲ・ブレサー・フィルハーモニー(Junge Blaserphilharmonie Nordrhein-Westfalen)」の記念コンサート「GREETINGS TO BEETHOVEN(ベートーヴェンへの表敬)」のための委嘱作として作曲され、2020年1月5日(日)、同州ライネのシュタットハレ・ライネ(Stadthalle Rheine)において、ティモール・オリヴァー・チャディク(Timor Oliver Chadik)の指揮で初演。同じ月内に、州内の他の3都市でも演奏が行なわれた。(参照:《第171話 ドス:交響曲第3番「シンフォニー・オブ・フリーダム」の完成》)

ベートーヴェンの関連楽曲だけで構成されたこのユニークなコンサートのフィナーレを飾った新作シンフォニーは、トーマスが、ベートーヴェンの魂の中に生きていると感じている“人間の自由”と“フランス革命の理念”、即ち「自由」「平等」「友愛」という価値観をもとに書かれている。

曲は、アレグロ・リゾルートの第1楽章「自由を求める叫び」、アンダンテ・カルモの第2楽章「自由の夢」、ヴィヴァーチェの第3楽章「何よりも自由」の3楽章構成で、すべての楽章のタイトルに“自由”の文字が使われ、ベートーヴェンの理念や価値観を賛美する意味で、ベートーヴェン自身、それに加えて親近性を感じさせるアントン・ブルックナー(Anton Bruckner、1824~1896)の楽句や旋律の引用も見られる。トーマスによると、それらは、この作曲に取り組んだとき、真っ先に頭の中に思い浮かんだものだったという。

その一方、人々が自由を愛した時代に生きたベートーヴェンを彷彿とさせるタイトルをもつこの交響曲には、現代社会が抱える“自由”に連なる問題意識も盛り込まれている。

それは、第1楽章に込められた、チベット仏教の最高指導者でノーベル平和賞受賞者のダライ・ラマの悲痛な“叫び”への応答であったり、第2楽章に表された、難民ボートで海を渡る最中に溺死し、海岸に打ち上げられた2歳のクルド族の少年アラン・クルディの悲劇的な画像を通して感じた哀しみに顕著だ。そこでは、少年の死をただ単に悲劇のひとつとして描くのではなく、少年の失われた未来へ向けた夢も描かれている。その美しさは、心を揺さぶられるようだ。

フィナーレの第3楽章のテーマは、文字通り“生きる喜び”だ。ブルックナーもウィーンでの初演を聴いたとされるベートーヴェンの交響曲第9番の「歓喜の歌」(An die Freude)の断片が随所に盛り込まれた華やかな楽章となっている。また、楽章冒頭に現れるブルックナーのモテット「ルクス・イステ(Lucus iste)」(この場所は神が作り給いぬ)のテーマも大きな役割を果たしている。

このように、単なるベートーヴェン賛美だけの記念曲に終わらないところが、現代作曲家トーマスの真骨頂だ。

そして、新作完成のニュースは、瞬く間にヨーロッパを駆けめぐり、ドイツ以外の他の諸国のウィンドオーケストラからも演奏に名乗りを上げるところがつぎつぎと現れた。

ここで、ユニークだったのは、トーマスの楽曲を出版管理するミトローパ・ミュージックを擁するハル・レナード・ヨーロッパ社の楽譜供給への対応だった。

それは、当時の同社音楽部門の責任者ベン・ハームホウトス(Ben Haemhouts)の方針によるもので、これと決めた特定の作品については、委嘱者のためのプロテクト期間を含め、作曲者の意向を受けて各国で初演を行なう楽団への楽譜供給を優先させ、一般販売用の楽譜は、各国初演後にそれぞれの国への供給を開始するというものだった。さすがは、ドイツのメジャー・オーケストラ、バンベルク交響楽団(Bamberger Symphoniker ? Bayerische Staatsphilharmonie)の元首席トロンボーン奏者だ。商業出版社の長でありながら、ビジネスよりも、作曲者や作品を第一に考える姿勢に、当時深い共感を覚えたものだ。(参照:《第108話 ヴァンデルロースト「オスティナーティ」世界初演》)

一方、日本では、ベンもトーマスも実際にその耳で演奏を聴き、その音楽に高い信頼を置いていたタッド・ウインドシンフォニーの音楽監督、鈴木孝佳さんにまずスコアを見てもらうべきだという話になった。実は、このとき、鈴木さんは、次の定期演奏会では、同じトーマスの交響曲第2番『シンフォニー・イン・グリーン』(Symphony No.2、Symphony in Green)に取り組もうと考えていたのだが、ふたりの話を筆者から伝え聞いた氏は、第3番のスコアにザッと目を通した後、予定のプログラム案を変更。2020年(令和2年)6月5日(金)、杉並公会堂大ホールで行なわれる予定の「第27回定期演奏会」では、タイムリーな新作の交響曲第3番の本邦初演が行なわれることとなった。

当時のメモによると、演奏会当日には、トーマスも自費でふたたび来日し、会場では、スコアの頒布も行なわれることになっていた。

他国でも同じようなアプローチが見られ、これで何事も無ければ、“ベートーヴェン・イヤー 2020”の話題性も追い風になって、この新作は、ヨーロッパを中心に、かなりの国で演奏される予定だった。

しかし、ここで、コロナのパンデミックが世界を襲った。

ヨーロッパ各国ではつぎつぎとロックダウンが実施され、コンサートやイベントが軒並み中止や延期に。トーマスの交響曲第3番も、1月の委嘱者によるドイツ国内の4回のコンサートと2月のポルトガル初演までは予定どおり行なわれたが、その後、委嘱者が5月にも計画していた4回のコンサートを含め、それ以外の演奏もつぎつぎと取りやめとなった。

日本でも、2月末の首相による突然の全国一斉休校の要請に始まり、その後の緊急事態宣言の発出など、社会全体に大きな動揺が及び、当然、多くの人が集まる催しはつぎつぎと中止。タッドWCの「第27回定期演奏会」も無期延期となった。

この報せを筆者から受けたベンは、落胆しながらも、『よくわかった。こちらでも同様だ。この曲の日本への供給開始は、タッドの次の演奏会まで待つことに決めた。』と返答してきた。ベンとは、そういう男だ。

その後、海外からの入国規制で、鈴木さんのアメリカからの再入国時期もハッキリしない中、タッドWSでは、延期した演奏会をいつ開催するのかで議論が重ねられ、その結果、彼らは、2021年(令和3年)11月6日(土)、大和市文化創造拠点シリウスで、延期された演奏会を開催することとなった。

予定プログラムは、以下のような意欲的なものだった。

アルヴァマー序曲
Alvamer Overture (James Barnes)

・バイエルン王ルートヴィヒII世に捧ぐ「誓忠行進曲」
Huldigungsmarsch (Richard Wagner)

・空、川、湖、そして山に
Of Skies, Rivers, Lakes and Mountains(Philip Sparke)

・ロシアのクリスマス音楽
Russian Christmas Music(Alfred Reed)

・交響曲第3番「シンフォニー・オブ・フリーダム」
Symphony No.3 (Thomas Doss)

これは、久しぶりのタッドWSの演奏会として、ファンの注目を集めた。だが、その後、信じられないことに、今度は指揮者の鈴木さんの入院と2度にわたる手術という誰もが予想しなかった事態が起こり、演奏会は再び流れてしまった。

しかし、幸いなことに氏の術後リハビリの経過は良好で、2022年春には現場復帰。

同年7月11日(月)、広島でお茶をご一緒したときも、おなじみのダジャレが完全復活し、流した演奏会についてもできるだけ早期に行なえれば、と強い意欲が示された。

オーシ!そうこなくっちゃ!!

▲鈴木孝佳

▲チラシ – タッド・ウインドシンフォニー第27回定期演奏会(中止)(2021年11月6日、大和市文化創造拠点シリウス)

■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第171話 ドス:交響曲第3番「シンフォニー・オブ・フリーダム」の完成

▲Thomas Doss(2018年6月18日、東京、黒沢ひろみ氏提供)

▲Manuscript Score – Sinfonie Nr. 3 Sinfonie der Fteiheit(Thomas Doss、2019年)

2019年(平成31年)2月22日(金)、オーストリアの作曲家トーマス・ドス(Thomas Doss)から一通のメールが届いた。

驚いたことに、それには、出来上がったばかりの新曲のマニュスクリプト・スコアが添付されていた。“マニュスクリプト”は本来“手書き”のものに対して使われるワードだが、現代のマニュスクリプト・スコアは、たとえそれがコンピュータ・ソフトを使って作られたものであっても、ぺンや鉛筆で楽譜が書かれた時代の名残りで慣例的にそう呼ばれる。大抵の場合、作曲者の“自筆譜”と同じ扱いを受ける完成初稿を意味する。

また、それは同時に、出版社等に作品を見せる前の、まだ作曲者が全ての権利を有しているスコアであるという意味合いを有している。

この曲の場合、スコア上の複製権(著作権)を示すコピーライト・ラインには、Copyright by Thomas Doss Manuskript Ausgabe と明示されていた。

『ディアー・ユキヒロ

元気にしているかい!ちょっと知らせたいことがある。6月に書いたとおり、私は今、交響曲第3番を仕上げたところだ。初演は、2020年1月だ。キミのために、マニュスクリプト・スコアを添付したので見て欲しい。この曲は、7月以降は、自由に演奏していいようになる。

トーマス』

これが発信されたとき、突然のPCクラッシュと自身の体調不良で3週間あまり寝込んでいた時期とがたまたま重なったため、実際に筆者がメールを読んだのは、6日後の2月28日となった。だが、その内容はとても刺激的なものだった。

ここで時系列を少し整理しておきたい。

まず、メール文中の“6月”は、鈴木孝佳指揮、タッド・ウインドシンフォニーが「第25回定期演奏会」(2018年6月15日、杉並公会堂大ホール)で彼の新作『アインシュタイン(Einstein)』の本邦初演を行なった際、それに立ち会ったトーマスが、帰国後に送って寄こした“2018年6月末のメール”をさしている。実は、彼は、その中で“今、交響曲を書いている”と近況を報せてきていたのだ。ただ、いろんなジャンルの曲を書く作曲家だけに、その時点では、その“交響曲”が管弦楽編成なのか、吹奏楽編成なのか、はたまた他の編成のものなのか、何も触れられてなかったので、それ以上に話題を膨らませることはしなかった。しかし、いずれにせよ、今度の2019年2月のメールでそれが完成したことがわかった。そして、これが、今回のストーリーの起点となった。(参照:《第50話 トーマス・ドスがやってきた》)

また、後ろの方に出てくる“7月”は、明らかに作品初演後を意識したくだりに書かれているので“2020年7月”を意味する。即ち、同年7月以降は、委嘱者のプロテクト(独占演奏権)が解けて、楽譜さえ入手できれば、誰でも演奏可能になるということを意味していた。

つまりは、暗に“日本で演奏してくれるところがあれば、いいなぁ”という、筆者への個人的なリクエストも込められていると、このとき感じた。

しかし、トーマスが交響曲を書こうと思い立ったのはいつだったのだろうか。その後の経緯から、その時点で彼が何らかの委嘱を引き受けていたことは確かだが、今振り返ると、思い当たるそのタイミングは、タッド・ウインドシンフォニーが『アインシュタイン』を本邦初演したときのリハーサルで、フィリップ・スパーク(Philip Sparke)の交響曲第1番『大地、水、太陽、風(Symphony No.1 ? Earth, Water, Sun, Wind)』を初めて耳にしたときだったような気がしてならない。

フィリップが、グスタフ・マーラー(Gustav Mahler、1860~1911)への明らかな傾倒を隠すことなく示した初のシンフォニーだ。指揮の鈴木孝佳さんのアプローチもひじょうに繊細で、自作以外の作品にもかかわらず、トーマスも真顔で聴き入っていた。

そして、そのリハーサルのあと、トーマスは、リンツの自宅にフィリップを招いたときに交わした議論など、しきりにフィリップとの話題を口にするようになった。

敬愛するアントン・ブルックナー(Anton Bruckner、1824~1896)が眠るリンツに暮らすトーマスと、マーラーの音楽をリスペクトするフィリップの間に音楽談義が交わされたというだけで興味深いが、それをタッドのリハーサル後に大きな身振りをまじえながらものすごい勢いで話すトーマスの姿を見て、突然“何かのスイッチが入ったな”と感じたのは事実だった。(参照:《第125話 スパーク:交響曲第1番「大地、水、太陽、風」の衝撃》)

こいつは面白い!!

タッドのリハーサルのときのシーンを想い出して、今度の新曲に一気に関心をもった筆者は、早速、添付ファイルのスコアを開く。すると、表紙には、ドイツ語で“Sinfonie Nr. 3 Sinfonie der Fteiheit”と曲名が書かれてあるのを発見。それを英語に訳すと、“Symphony No.3 Symphony of Freedom”、日本語だと、交響曲第3番『シンフォニー・オブ・フリーダム』となる。いいタイトルだ。編成は、ドイツでいうブラースオルケスタ、即ちウィンドオーケストラで、演奏時間はおよそ30分。3楽章構成の立派な交響曲だ。

また、曲名の上部に付記された「ノルトライン=ヴェストファーレン州ブレサー・フィルハーモニーの委嘱により(Im Auftrag der Blaser philharmonie NRW)」という献辞から、作品が、ドイツのノルトライン=ヴェストファーレン州音楽評議会と同州青年アンサンブル推進協会が組織・運営する州内から選抜した優れたメンバーによる青少年吹奏楽団(ユンゲ・ブレサー・フィルハーモニー)のために委嘱されたものであることがわかった。ドイツでは、州単位や地区単位でこのような組織が作られ、将来を担う若者たちの音楽活動をサポートしている。これもそんな組織のひとつである。

そして、マニュスクリプト・スコアには、表紙に続き、国連人権憲章の世界人権宣言第一条がドイツ語で書かれていた。

“すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。 人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない。”

また、作品は、ノルトライン=ヴェストファーレン州ユンゲ・ブレサー・フィルハーモニーが2020年1月に企画した「GREETINGS TO BEETHOVEN(ベートーヴェンへの表敬)」というベートーヴェン関連楽曲だけで構成されたシリーズ・コンサートのための委嘱作品で、作曲の経緯も手短かに書かれている。

『委嘱を受けたとき、2020年に生誕250年の誕生日を迎えるルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770~1827)との関連性を築き上げることがクライアントの願いでした。アントン・ブルックナーの音楽に近似性をもたらしたベートーヴェンの節目の誕生日は、彼の卓越した人生の理想、つまり人間の自由とフランス革命の理想を強調する理由になるはずです。自由-平等-友愛、これらの価値観は、国連人権憲章の世界人権宣言の第一条にも記載されています。』

交響曲は、つぎの3つの楽章で構成されている。

第1楽章:Schrei nach Freiheit(自由を求める叫び)- Allegro risoluto

第2楽章:Traum der Freiheit(自由の夢) – Andante calmo

第3楽章:Freiheit uber alles(何よりも自由)- Vivace

世界初演は、2020年1月5日(日)、ドイツ・ノルトライン=ヴェストファーレン州ライネのシュタットハレ・ライネ(Stadthalle Rheine)において、ティモール・オリヴァー・チャディク(Timor Oliver Chadik)指揮、ノルトライン=ヴェストファーレン州ユンゲ・ブレサー・フィルハーモニーの演奏で行なわれ、1月10日(金)にはアーハウスのシュタットハレ・アーハウス、11日(土)にはジーゲンのジーラントハレ・ジーゲン、18日(土)にはギュータースローのシュタットハレ・ギュータースローと、初演に続いて州内の3都市でも演奏された。

一方、“ベートーヴェン・イヤー2020”のためにトーマスが交響曲を書いたというニュースは、ヨーロッパ各国で拡散され、プロテクトもなんのその、早速、2020年2月2日(日)、ポルトガル、アルベルガリア=ア=ヴェーリャ(Albergaria-a-Velha)のシネテアトロ・アルバ(Cineteatro Alba)において、パアロ・マルチンス(Paulo Martins)指揮、アミーゴス・ダ・ブランカ吹奏楽団(Associacao Recreativa e Musical Amigos da Branca)のポルトガル初演が決まるなど、ドイツ以外の国での演奏がつぎつぎと企画され、日本でも、6月5日(金)、杉並公会堂大ホールにおいて、鈴木孝佳指揮、タッド・ウインドシンフォニーによる本邦初演が行なわれることになった。

しかし、ここで誰もが予期しなかった事態が発生する。

それは、世界的なコロナ禍の襲来だった!

▲▼プログラム – GREETINGS TO BEETHOVEN(2020年1月5日、Rheine、Germany)

■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第170話 Osaka Shion – 愛知初の主催公演

▲チラシ – Osaka Shion Wind Orchestra 愛知特別演奏会(2022年5月21日、愛知県芸術劇場コンサートホール)

▲プログラム – Osaka Shion Wind Orchestra 愛知特別演奏会(同上)

▲同上、演奏曲目

2022年(令和4年)5月21日(土)、筆者は、「大阪難波」駅、午前10時30分発の近鉄特急アーバンライナー(110列車)で、名古屋市東区の愛知県芸術劇場コンサートホールで開かれる「Osaka Shion Wind Orchestra 愛知特別演奏会」を愉しむため、名古屋に向かった。

この時、新幹線ではなく、近鉄を使ったのには訳がある。新幹線だと、筆者が生息するエリアからいったんJR「新大阪」駅に出なければならないが、それには意外と時間がかかる。一方、近鉄だと、歩いて10分ほどの千日前通の地下に「大阪難波」駅がある。しかも、特急料金も割安だ。座席も広いし、時間に余裕があるときはこれに限る。

また、この日は、成り行きで全日本学生吹奏楽連盟理事長の溝邉典紀さんも同行するという話になったから、「大和西大寺」駅を出た溝邉さんとアーバンライナーが途中停車する「大和八木」駅で合流できるこのルートが最適だった。ただ、全車座席指定の列車なので、指定席特急券は、筆者が事前にブッキングすることになった。

そんな流れだったので、行きの道中は、まるで学生時代の遠足のバスの車中のように、ワイワイガヤガヤと吹奏楽がらみのさまざまな話題で大いに盛り上がる。当然、いい話題もあったが、残念な話題も….。

しかし、夢中になって喋っていると、時間が経つのはアッという間だ。

アーバンライナーは、やがて、終点「近鉄名古屋」駅に到着。駅周辺でランチを済ませた二人は、地下鉄東山線に乗り換えてホールに向かった。

演奏会場の愛知県芸術劇場コンサートホールは、2020年(令和2年)に急逝した親友、元NHKプロデューサーの梶吉洋一郎さんと、ヨハン・デメイ(Johan de Meij)の交響曲第1番『指輪物語』管弦楽版の日本初演(大勝秀也指揮、名古屋フィルハーモニー交響楽団、2004年2月5日)を手がけた想い出が残るホールだ。(参照:《第131話 デメイ:交響曲第1番「指輪物語」管弦楽版日本初演》)

他方、ヤン・ヴァンデルロースト(Jan Van der Roost)や竹内雅一さんが指揮する名古屋芸術大学ウィンドオーケストラの定期演奏会もしばしばこのホールで開かれ、コロナ禍以前はよく訪れていた。客席で聴く残響感の居心地の良さから、個人的には好きなホールだ。だから、溝邉さんとこのShionの演奏会が話題に上がったとき、“響きのいいホールですよ。近鉄で行けますし。”と言うと、“それなら行きます。”と即答が返って来た。

コロナ禍のため、3ヵ月前の2月23日(水・祝)に東海市芸術劇場大ホールで予定されていた演奏会が公演前日に中止されたため、結果的に、この日は、Osaka Shion初の愛知での主催公演となった。そして、そのプログラムは、以下のようにひじょうに意欲的なものだった。

・ドラゴンの年(2017版):フィリップ・スパーク
The Year of the Dragon(2017)(Philip Sparke)

・ブリュッセル・レクイエム:ベルト・アッぺルモント
A Brussels Requiem(Bert Appermont)

・交響曲第1番「指輪物語」:ヨハン・デメイ
Symphony No.1“The Lord of the Rings”(Johan de Meij)

指揮者は、西村 友。シンフォニーをフィナーレに据え、オール・オリジナルで組まれた堂々たるプログラミングで、筆者自身にとっても、作曲者全員が友人で縁浅からぬ間柄の面々が書いた曲だけがプログラムに上がるスペシャルなコンサートだった!

この内、メイン・プロの交響曲第1番『指輪物語』は、Osaka Shionの演奏メニューの中でもいわゆる“定番人気曲”の1つだ。それは、楽団の民営化以前、まだ“大阪市音楽団(市音)”という楽団名だった、ちょうど30年前の1992年(平成4年)5月13日(水)、大阪のザ・シンフォニーホールに於ける「第64回大阪市音楽団定期演奏会」で木村吉宏の指揮で日本初演。NHKもライヴ収録し、同年8月16日(日)にオンエアされてセンセーショナルな成功を収めた。(参照:《第59話 デメイ:交響曲第1番「指輪物語」日本初演》)

あれから30年が過ぎたのか!

実は、そのときのNHKの担当者も前述の梶吉さんだった。つまり、氏は、『指輪物語』のオリジナルであるウィンドオーケストラ(吹奏楽)版の日本初演のときも、その後に編曲された管弦楽版の日本初演のときもプロデュースをつとめたことになる。幸い、これら2本のライヴ録音は、放送終了後、筆者がCD化のお膳立てをする運びとなった。なので、この交響曲を彼と協力して国内に紹介できた記憶は、ささやかながら、個人的な誇りとなっている。(参照:《第64話 デメイ「指輪物語」日本初CD制作秘話》)

一方、演奏者のShionは、日本初演後も『指輪物語』の再演を繰り返し、近々では、航空自衛隊航空中央音楽隊の特別出演を得た2021年(令和3年)10月9日(土)、京都コンサートホール大ホールにおける「第4回京都定期演奏会」でも、西村 友の指揮で演奏していた。

名古屋でのパフォーマンスでは、同じ指揮者ながら、まるで第3楽章の主人公“ゴラム”が乗り移ったかのように振る舞う指揮者の“ゴラム化”は京都よりさらに進み、とくに曲調に合わせて指揮台の上で大きくシコを踏むような所作は、大いに場内を沸かせることになった。

京都、名古屋の両演奏会を聴いた溝邉さんも、『京都のときとまた違う演奏でしたね。』と、同じ曲の表現の違い、音楽の機微というものを愉しまれていた。

それにしても、このところのShionのプログラミングは、どうだ!

「第4回京都定期演奏会」からこの日の名古屋までの主催公演だけをピックアップしても、計5回のコンサートが、実は、ウィンドオーケストラのために作曲されたオリジナル作品だけで企画・構成されているのだ。

その内、3回がザ・シンフォニーホールにおける定期演奏会で、2021年11月28日(日)の「第139回」(指揮:秋山和慶)では、アルフレッド・リード(Alfred Reed)の生誕100周年を祝って、『春の猟犬(The Hounds of Spring)』や『エル・カミーノ・レアル(El Camino Real)』、『法華経からの三つ啓示(Three Reverations from the Lotus Sutra)』などの名作をセレクト。2022年3月26日(土)の「第141回」(指揮:山下一史)では、スペインのルイス・セラーノ・アラルコン(Luis Serrano Alarcon)の『インヴォカシオン(Invocacion)』、アメリカのジェームズ・M・スティーヴンソン(James M. Stephenson)の『交響曲第2番“ヴォイセス”(Symphony No.2 “Voices”)』、アンドリュー・ボス(Andrew Boss)の『サウンド・アスリープ(Sound Asleep)』、ジェームズ・バーンズ(James Barnes)の『交響曲第7番“シンフォニック・レクイエム”(Symphonic Requiem“Seventh Symphony”)』という、ウィンド・ミュージックの先端を走る作品にチャレンジ。同4月24日(日)の「第142回」では、『ウインドオーケストラのためのマインドスケープ』で知られる作曲家、高 昌師を客演指揮者に迎えた自作自演演奏会とほんとうにバラエティ豊か!

残念ながら中止になった東海市での「愛知特別演奏会」も、以下のとおり、ひょっとすれば、地元大阪の定期以上にポジティブなプログラムだったかも知れない。

・トラベラー:デイヴィッド・マスランカ
Traveler(David Maslanka)

・コルシカ島の祈り:ヴァーツラフ・ネリベル
Corsican Litany(Vaclav Nelhybel)

・リンカーンシャーの花束:パーシー・グレインジャー
Lincolnshire Posy(Percy Grainger)ed. Frederick Fennell

・オセロ:アルフレッド・リード
Othello(Alfred Reed)

・コロニアル・ソング:パーシー・グレインジャー
Colonial Song(Percy Grainger)ed. R. Mark Rogers

・知られざる旅:フィリップ・スパーク
Unknown Journey(Philip Sousa)

もう、一口に“オリジナル作品”とは語れない、そんな時代になってきたようだ。

そして、戦前から“交響吹奏楽”をテーマに掲げて演奏を積み重ねてきた、いかにもこの楽団らしい変幻自在のプログラミングだ!!

“月に一度の定期演奏会の開催”を目標に掲げるShionの夢の実現が、もうすぐそばに近づいているのかも知れない!

名古屋への小旅行の帰路は、「近鉄名古屋」駅、20時08分発の特急ひのとり(68列車)。

今日聴いてきたばかりの音楽の興奮を肴に、大いに盛り上がる二人だった。

▲▼Osaka Shion Wind Orchestra 愛知特別演奏会(2022年5月21日、愛知県芸術劇場コンサートホール)(写真:楽団提供)

▲チラシ – Osaka Shion Wind Orchestra 第4回京都定期演奏会(2021年10月9日、京都コンサートホール大ホール)

▲チラシ – Osaka Shion Wind Orchestra 第139回定期演奏会(2021年11月28日、ザ・シンフォニーホール)]

▲チラシ(中止公演) – Osaka Shion Wind Orchestra 愛知特別演奏会(2022年2月23日、東海市芸術劇場大ホール

▲チラシ – Osaka Shion Wind Orchestra 第141回定期演奏会(2022年3月26日、ザ・シンフォニーホール)

▲チラシ – Osaka Shion Wind Orchestra 第142回定期演奏会(2022年4月24日、ザ・シンフォニーホール)

■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第169話 「ニュー・ウィンド・レパートリー1998」に向けて

▲▼NHK大阪放送局で(1997年11月19日)

▲ライムライト・コンサート 14(1997年11月19日、大阪府立青少年会館)

▲プログラム – ライムライト・コンサート 14 & ブリーズ in 京都(1997年11月)

▲同上、演奏曲目

『ディアー・フレンド・ユキヒロ、先週、大阪で一緒に過ごした時間は、本当にすばらしいものだった。BBB(ブリーズ・ブラス・バンド)との3度目の共演は、リハーサル、コンサートを通じてエクセレントだったし、友情を深めるグレートな機会となった。加えて、大阪音楽大学やNHK、大阪市音楽団のミスター木村、近畿大学などとも….。』

1997年(平成9年)11月15日(土)に来阪し、21日(金)まで滞在したベルギーの作曲家ヤン・ヴァンデルロースト(Jan Van der Roost)が、帰国後の29日に送って寄こしたFAXの書き出しだ。

大阪滞在中、ヤンは、17日の「ブリーズ in 京都」(京都外国語大学森田記念講堂)、19日の「ライムライト・コンサート 14」(大阪府立青少年会館)の2回のBBBの演奏会で客演指揮をしたほか、自作の祝典序曲『オリンピカ(Olympica)』などを教材とした大阪音楽大学での吹奏楽授業(18日)、大阪市音楽団への表敬訪問(18日)、NHK大阪放送局でFM「ブラスのひびき」のためのコメント録り(19日)、近畿大学吹奏楽部のレッスン(20日)、雑誌「バンドピープル」のインタビュー(21日)というタイトなスケジュールをこなし、離日後は、アメリカのシアトルへ飛び、約一週間滞在して大学で講義などを行なった後、ベルギーに帰国したばかりだった。

いつものことながら、本当にアクティブだ。

そして、大阪滞在中の感謝の意に始まったこのFAXの文面は、それに続いて、宿泊先のホテルで手渡した「大阪市音楽団第75回定期演奏会」における交響詩『モンタニャールの詩(Poeme Montagnard)』の本邦初演(指揮:木村吉宏、1997年10月30日、フェスティバルホール)の録音を収めたMD(ミニ・ディスク)についての感想が綴られていた。旅の途上だけでなく、帰国してからも丹念に聴き直した感想だ。

『その間にも、私は、MDに入っている市音の“モンタニャールの詩”のレコーディングを愉しんだ。それはファンタスティックな演奏だった。オーケストラのサウンドは、圧倒的に並外れた実力を示しているし、録音のクオリティもエクセレントだった。ヨシヒロとすべてのメンバーに“おめでとう”と伝えて欲しい。彼の解釈はあらゆる点においてたいへん愉しませてもらった。それは、いかなる疑問を挿む余地なく、ベリー・グッドなライヴ・パフォーマンスだ。私はとても嬉しかった。』

加えて、このFAXには、同時に録音から気づいたいくつかのアドバイスが書かれていた。それは、18日の市音訪問時に、木村さんから、『この曲をぜひともレコーディングしたい。』と聞かされていたからで、ヤンのアドバイスは、翌1998年(平成10年)2月5~6日(木~金)、兵庫県尼崎市のアルカイックホールでセッションが行なわれた市音自主制作CD「ニュー・ウィンド・レパートリー1998」(大阪市教育振興公社、OMSB-2804、1998年)に生かされることになった。

話を本邦初演に戻そう。

交響詩『モンタニャールの詩』の本邦初演が行なわれた「大阪市音楽団第75回定期演奏会」のライヴ収録は、市音OBの元ホルン奏者で、退職後、兵庫県宝塚市のベガ・ホールの音響のチーフなどをつとめられていた塚田 清さん(市音在職:1946~1978)とフェスティバルホールの音響スタッフによって行なわれた。メイン・マイクのほか、ステージ上の天板から垂直に垂らした複数の無指向性マイクから上がってくる音をミキシングする、よくヨーロッパのクラシックの放送現場なんかで見かけるマイキングだ。

日本では、仕込み時間や人手、バランス調整が大掛かりになるため、効率も考慮してあまり採られないが、今回が市音の重要な演奏会であるだけでなく、出版社に掛け合って出版前の楽譜提供に尽力してくれたヤンからも“ぜひ録音を聴きたい”と再三リクエストがあり、自身も当時コメンテーターをつとめていたNHK-FMの番組「ブラスのひびき」でのオンエアも視野に入れていたので、現場のこの積極的な取り組みは正直嬉しかった。もちろん、マイキング等の選択は現場裁量になるが、この日の録音スタッフには、最終的に、単なる記録録音以上のすばらしい結果を導き出してもらったと思う。

録音は、終演後の楽屋前で、マネージャーの小梶善一さんからDATテープで受け取った。それを持ち帰り、ヤンのリクエストに応えてDATからMDに落とすのが筆者の役割だった。当時、自宅に3台のDATプレイヤーのほか、大きなMD専用デッキを備えていたからだった。

その結果、とてもラッキーなことに、筆者は、この日ホールでナマで聴いたばかりの『モンタニャールの詩』本邦初演の録音を演奏当日の深夜に確認することになった。

“とてもバランスのいいナチュラルな音だ。ステージからのサウンドが湧き上がってくるようだ!”

一聴して、率直にそう感じた。

ただ、現実のFM放送では、聴感上、独特の圧縮がかかることや、収録時の瞬間的なフェーダーの動きやアンビエンスなど、微調整の要を感じるポイントもほんのわずかあった。が、それ以外は何のストレスも感じない。

当然、演奏それ自体に手を加える必要はまったくない。すばらしい演奏だ。

そう感じた筆者は、直ちにスコアでチェックしながら何度かテープを走らせてマスタリングのリハーサルを繰り返し、翌朝までにラジオ用のDATマスターとヤンに渡すためのMDを完成させた。気力充実の若い頃だからできた作業だった。

早速、市音の指揮者、木村さんに結果報告の電話を入れる。すると、『どうや?、使えそうか?』と返ってきた。どうやら、木村さんは、ヤンに録音を聴かせることより、NHKの放送に使えるかどうかの方が気になっている様子だった。で、『大丈夫です。これは反響を呼びますよ。来月の局への番組提案に盛り込んでおきます。』と自信をもって答えた。それを聞いた木村さんもとても嬉しそうだった。

その後、筆者は、予定どおり、NHKの音楽番組部へ新年の放送予定曲の1曲として提案書を提出。交響詩『モンタニャールの詩』の本邦初演ライヴは、1998年(平成10年)4月25日(土)午前7時15分~8時のFM「ブラスのひびき」~バンド・ミュージック・ナウ~の3曲目としてオンエアされ、翌26日(日)午前5時~5年45分にも再放送された。

これは、1992年(平成4年)8月16日(日)の「生放送!ブラスFMオール・リクエスト」でオンエアしたヨハン・デメイ(Johan de Meij)の交響曲第1番『指輪物語(The Lord of the Rings)』の本邦初演、1996年(平成8年)8月31日(土)の「ブラスのひびき」~世界のコンサート~でオンエアしたピート・スウェルツ(Piet Swerts)の『マルテニッツァ~春の序曲(Martenizza)』とジェームズ・バーンズ(James Barnes)の交響曲第3番(Third Symphony)第3、第4楽章の世界初演についで、市音のナマ演奏がNHK-FMの全国ネットで流れた音楽となった。(参照:《第58話 NHK ? 生放送!ブラスFMオール・リクエスト》)

余談ながら、筆者が夜なべをして作った番組用マスターは、その後、前述したCD「ニュー・ウィンド・レパートリー1998」(ディレクター:佐藤方紀、エンジニア:藤井寿典)のセッション時のモニタールームでも再生され、アルバム全体の“音決め”用の参考に供されている。とても名誉なことだ。

かくて、1997年初頭のヤンからのメッセージに始まった『モンタニャールの詩』のNHK-FMによる国内初放送は、人気作曲家ヴァンデルローストの新曲ということもあり、多方面から関心を呼ぶことになった。その反響のひとつとして、市音トランペット奏者でプログラム編成委員の田中 弘さんから放送後にかかってきたつぎの電話も、忘れられない。

『さきほど、宮本先生から電話がありまして、“ひろむ、こんな曲あるんやったら、なんで(先に)言うてくれへんかったんや….。”て、言わはるんですよ(言われるんですよ)….。』と、田中さんの母校である京都の洛南高校の宮本輝紀さん(1940~2010)から番組を聴いた感想が思わぬ形で返って来たという話だった。

同時に、演奏について賞賛する言葉もあったという。

洛南の宮本さんとは、コンサートで顔を合わせた時なんかにお話しする程度で、とくに深い間柄でもなかった。しかし、同校OBの田中さんにとってはそうはいかない。母校の後輩達のことをいつも気に掛けてアドバイスを送っていたので、恩師からのこの直電に、胸の内はさぞかし複雑だったのではないかと想像する。

しかしながら、現実に起こったことを振り返るなら、市音が楽譜を受け取った時点は、楽譜の出版前で、宮本さんのこの日のリクエストはやや無理筋だった。さすがの田中さんも未出版曲の情報を出すわけにはいかなかったはすだ。しかも、1997年の市音は、と言えば、《第167話 交響詩「モンタニャールの詩」日本初演》や《第168話 交響詩「モンタニャールの詩」のライヴと国内初放送》でもお話しした著作権を完全に無視した“アンオーソライズド・コピー事件”のあおりをもろに受け、指揮者の木村さんが大激怒。近く迫った定期演奏会や東京特別演奏会など、大きな本番の予定曲を急遽組み替えなければならないという散々な事態に巻き込まれていた。

市音プログラム編成の諸氏や広報担当者の気苦労は、そりゃなかった。

筆者も、楽曲情報を管理することの難しさを痛感した出来事だった。

▲市音練習場で木村吉宏氏と(1977年11月18日)

▲ニュー・ウィンド・レパートリー 1998 収録予定表

▲CD – ニュー・ウィンド・レパートリー1998(大阪市教育振興公社、OMSB-2804、1998年)

▲OMSB-2804、インレーカード

■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第168話 交響詩「モンタニャールの詩」のライヴと国内初放送

▲Jan Van der Roost作品カタログ(1997年)

▲木村吉宏(1997年10月30日、フェスティバルホール)

1997年(平成9年)5月2日(金)、オランダの出版社デハスケ(de haske)から、ベルギーの作曲家ヤン・ヴァンデルロースト(Jan Van der Roost)の交響詩『モンタニャールの詩(Poeme Montagnard)』のスコアがエアメールで届いた。

この作品は、イタリア北部ヴァレ・ダオスタ(Valle d’Aosta)州の州都アオスタ(Aosta)の市民参加のセミ・プロフェッショナル・バンド“ヴァル・ダオスト吹奏楽団(Orchestre d’Harmonie du Val d’Aoste)”の委嘱で1996年に作曲され、1997年1月26日(日)、同地におけるコンサートで、作曲者の客演指揮で世界初演された。

アオスタは、紀元前25年にローマ帝国の初代皇帝アウグストゥスが造った町で、今もローマ時代以降の歴史的建造物や美術工芸品が多く残る。モンブランを眼の辺りにする風光明媚な地で、アルプス越えの要衝としても知られる。フランスとの国境が近いこともあって、イタリアとフランスの文化が混在し、日常会話では普通にフランス語が話されている。楽団名のスペルや読みがフランス語なのもそのためである。

『モンタニャールの詩』は、そんなアオスタが育んできた歴史や文化、すばらしい景観からインスピレーションを得て書かれた交響詩だ。

筆者は、この作品の存在を、世界初演直後の作曲者からの報せで知った。

作曲者の相当な自信作であり、なんとかこの作品をクリティカルなステージにかけることができないかと考えた筆者は、当時の大阪市音楽団(市音、現 Osaka Shion Wind Orchestra)の団長で常任指揮者の木村吉宏さんに電話で相談した。すると、ひじょうに大きな関心が寄せられ、早速、作曲者から送られてきたカセットを市音に持参。団長室で一緒に聴くと、思いがけずも、その年の11月15日(土)に東京芸術劇場で開催予定の市音初の東京公演「大阪市音楽団東京特別演奏会」という大きな本番で本邦初演できないかと打診され、すぐにスコアを見たいという要望も出る流れとなった。

同様に、筆者も早くスコアを見たかったので、本邦初演の要望も含めてヤンに打診した。すると、東京での“本邦初演”の件にはあっさりOKが出て、“スコア”も出版社からできるだけ早く送らせる旨、連絡がきた。出版社の編集作業は着々と進んでいるようだ。

届いたスコアは、まだ表紙や解説類がなく、簡易的にリングで綴じただけのものだった。恐らく、若干のチェック漏れが残る完成途上のものだろうが、録音だけだと判然としない使用楽器編成や楽曲の構造など、音楽のあらましがはっきりした。

見れば見るほど、想像していた以上の作品だ。

早速、木村さんに電話を入れ、その日の内にスコアを市音事務所に持参。木村さんにザッと目を通してもらった後、当時、市音の全ての演奏曲をコントロールしていたプログラム編成委員(演奏家で構成)に手渡された。システム上、これではじめて市音の演奏予定レパートリーとなったわけだ。その後、編成委ではより綿密に専門的なチェックが行なわれ、必要なエキストラの確認や手配なども始まる。この時点では、遠隔地の東京で演奏される予定だったので、楽団として、これはとくに慎重な作業が必要となる。

一方のヤンは、『11月15日なら、コンサートに出席できるかも知れない。』などと無邪気なことを言ってくる。実は、この年の11月半ばは、筆者がミュージカル・スーパーバイザーをつとめていた大阪のブリーズ・ブラス・バンド(BBB)の“ライムライト・コンサート”シリーズ(京都、大阪)にヤンをゲスト・コンダクターとして招聘していたので、両楽団のリハーサルのスケジュールを摺り合わせれば、15日の東京本番の出席はまだしも、直前リハへの立ち会いはなんとか叶う可能性があった。

しかし、作曲者のこのささやかな願いは、誰もが予想し得ない著作権が絡む事件の勃発に伴って、残念ながら実現されることはなかった。

東京公演のおよそ2週間前の1997年10月30日(木)に開催予定の「大阪市音楽団第75回定期演奏会」で本邦初演されるはずだったある作品が、こともあろうに、楽譜出版前に、アンオーソライズド・コピー(著作権上、作品の権利者である作曲家と出版社が承知しない非合法のコピー譜)が日本に持ち込まれ、スクール・バンドによって演奏されるという前代未聞の出来事があったことが発覚。市音では、急遽、その作品の演奏をとりやめ、代わって、ヤンの『モンタニャールの詩』が演奏予定を繰り上げて本邦初演することになったからだ。(参照:《第167話 交響詩「モンタニャールの詩」日本初演

しかし、この離れ業は、発覚が第75回定期のポスターやチラシが公にされる直前だったから可能となった。不幸中の幸いというべきか。ただし、当然、現場は大混乱。いきなり顔にドロを塗られるかたちとなった木村さんの“怒りの形相”もすさまじかった。

かくて、交響詩『モンタニャールの詩』の本邦初演は、10月30日、大阪・北区中之島のフェスティバルホールで開催予定の「大阪市音楽団第75回定期演奏会」(大阪文化祭参加)で行なわれることに決まった。

思い返すと、この年の夏は、木村さんが、オランダのケルクラーデで開かれる世界音楽コンクール(WMC)に出場する近畿大学吹奏楽部のヨーロッパ演奏旅行に客演指揮者として帯同するなど、結構バタバタしたため、『モンタニャールの詩』に関しては、ヤンからのスコアの編集ミス等の連絡以外、しばらく動きはなかった。一方、肝心の楽譜の方は、出版前の初秋までには届き、あとは本番に向けてのリハーサルの日を待つばかりとなった。

しかし、10月に入ると、演奏前の細かいチェックが入る。木村さんからも、『途中の四声のリコーダーやけどなぁ、木管に持ち替えパートの指定が書いてあるんやけど、あれ、どう思う?』とクエスチョンの電話が入る。早速スコアを見ると、リコーダーに持ち替える各パートの指定に特に深い意味があるように思えない。そこで、『おそらく、これは初演したバンドのステージ上の並びに関係していて、演奏当日のパート割りがそのまま印刷されているんじゃないでしょうか。』と応える。すると、『せやろな(そうだろうな)、ウチでこの指定どおりやると、リコーダーの間隔もバラバラになって、バランスがとりにくいんや。プレイヤーも吹き辛らそうにしているし…。』と返って来た。

他の練習が早く終わったときに、試奏をしたみたいだ。

木村さんは、つづけて『実は、大阪になかなかええリコーダーのグループがおってな。それを木管の第一列の前に指揮台を取り巻くように並べようかと思うんや。ヴァンデルローストに“やってええか”訊いてくれへんか?』とリクエストが入る。木村さんらしいすばらしい閃きだ。そう思った筆者は、『了解です。しかし、たぶん何も言わないと思いますよ。』と返し、実際にこの質問を投げると、ヤンは何も言わなかった。要は、リコーダーの四重奏が音楽的に機能することがポイントだった。

交響詩『モンタニャールの詩』の本邦初演は、この日が初演となった櫛田てつ之扶の組曲『星へのきざはし』第1部や、市音による初レコーディング後のはじめての公開演奏となった保科 洋の『交響曲第1番』などとともに行なわれ、感動的な成功を収めた。終演後、2人の作曲家を楽屋に迎えた木村さんの晴れ晴れとした顔は忘れられない。

一方、運悪くタイミングをはずして来場が適わなかったヤンにこの日の演奏を届けるために、筆者は、事前にマネージャーの小梶善一さんを通じて依頼しておいたライヴ録音のDATテープを終演後に受け取り、本人の希望に沿ってMD(ミニ・ディスク)に落として、BBBの客演のために滞在中の大阪のホテルで“市音から”と言って彼に手渡した。

ヤンのそのときの喜びようはなかったが、これはすばらしい新曲を我々に託してくれた作曲家への最低限の礼節だ。

筆者は、同時に、木村さんの了解を得て、NHKのプロデューサーにもこの日の演奏を当時コメンテーターをつとめていたFM番組「ブラスのひびき」で放送することを提案。了解をとりつけて、翌1998年(平成10年)4月25日(土)にオンエア。翌26日(日)にも再放送できたことも、生涯忘れられない思い出のひとつとなった。

▲▼第75回大阪市音楽団定期演奏会(1997年10月30日、フェスティバルホール)

■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第167話 交響詩「モンタニャールの詩」日本初演

▲▼Orchestre d’Harmonie du Val d’Aoste パンフレット

このストーリーは、1997年(平成9年)1月31日(金)にベルギーのコンティフ(Kontich)から投函された普通便扱いのスモール・パケット郵便物と、その後、2月17日(月)に発信された一通のFAXから話がスタートする。

差出人は、いずれもベルギーの作曲家ヤン・ヴァンデルロースト(Jan Van der Roost)。

FAXが届いたとき、先に発送されたパケットの方は未着だったが、後日それが届いたときに内容物を確認すると、中にはDATテープとカセット・テープが各1本と、パンフレットが1冊入っていた。添えられていた簡単なメモ書きによると、DATは、当時、彼が教鞭をとっていたベルギーのレマンス音楽院(Lemmensinstituut)のシンフォニック・バンドのライヴ録音で、ふたりの共通の友であるオランダ人作曲家ヨハン・デメイ(Johan de Meij)が客演指揮をした交響曲第1番『指輪物語(The Lord of the Rings)』の第1楽章と第5楽章、そしてヤンが指揮をした自作の『ホルン・ラプソディ(Rhapsody for Horn, Winds and Percussion)』が、カセットには、最近、ピーター・ヤンセン(Pieter Jansen)指揮、オランダ王国陸軍バンド(Koninkilike Militaire Kapel)によってレコーディングされた新作の『モンタニャールの詩(Poeme Montagnard)』のファースト・エディットが入っており、パンフはその新作を委嘱したイタリアのヴァル・ダオスト吹奏楽団(Orchestre d’Harmonie du Val d’Aoste)のものだと書かれていた。イタリア北部の、普段はフランス語が話されている地域の楽団だ。

一方、FAXには、注意喚起のためか強調のためか、わざわざ“近況”という文字が記され、文面もパケットのコンテンツを補完する内容で、両者を合わせると話がひとつにまとまる感じだ。

そして、筆者が、ヤンの交響詩『モンタニャールの詩』の曲名と初期情報に接したのも、このときが始めてだった。

どこかでお話ししたかも知れないが、ヤンは反応がすぐに返って来ないと心配になる性分だ。このときは、彼が先に送り出したパケットを実際にはまだ受け取っていなかったので、こちらには何の落ち度もないが、相手はもう届いているはずだと確信しながらFAXを送ってきた様子だ。なので、FAXは、事実上の返信を催促するプレッシャーのように映る。つまりは、それだけ筆者の最初のアクションが気になって仕方なかったのだろう。

FAXの本文は、『“モンタニャールの詩”は、大編成のシンフォニック・バンドのための Symphonic Tone Poem(交響詩)で、演奏時間は15分前後。少なくとも“スパルタクス”と同じ程度の難易度だ。』に始まる。

ヤンがここで引き合いに出した“スパルタクス”とは、彼との交友がはじまるきっかけとなった1988年作の交響詩『スパルタクス(Spartacus)』のことだ。そのときは、まずスコアを入手した後、彼との質疑応答をへて楽譜を購入。知人が指揮をする大阪や京都のバンドに紹介するといずれもたいへんな好評で、その後、月刊誌「バンドピープル」1990年12月号(八重洲出版)の連載《名盤・珍盤・かわら版、パート125》やオランダ盤CDなどを通じて紹介を重ねると、日本国内で一気に火がつき、編成規模の大きなオリジナルなのであまり売れないかも知れないと考えていたオランダの出版社デハスケ(de haske)の予想をはるかに上回る部数の楽譜が日本向けに輸出されたというエピソードをもっている。同時に、ヤンの名も一気に知られるところとなった。(参照:《第78話 ヴァンデルロースト:交響詩「スパルタクス」の物語》)

後日談だが、個人的に不思議に思ったのは、我々が知り合う少し前、商談のために来日したデハスケのマネージャーが、東京佼成ウインドオーケストラやヤマハを含む在京の大手楽譜ディーラーに楽譜を持ち込んだものの、行く先々でまるで相手にされなかったと聞かされたことだ。あんないい曲なのに。今では笑い話のようだが、当時は、バンド用のオリジナル作品の楽譜と言えば“アメリカもの”という当時の業界の固定概念がそうさせたのかも知れない。

ヤンのFAXは、その後こう続く。

『それ(モンタニャールの詩)は、イタリアのセミ・プロフェッショナル・バンドによって委嘱され、イタリアでの初演は、ボクが振った。初演は本当に大成功だった。過去数年来の自作のベストであり、もっともオリジナリティーにあふれる作品のひとつだと思う。しかし、…、作品はとても難しい。』

ここまでを読んでピンときたが、今度の『モンタニャールの詩』という交響詩は、相当な自信作のようだ。つまりは、それを日本でお披露目をする機会を作ってほしいということなんだろう。まだスコアは見ていないが、そうだとすると、日本での紹介は、少なくとも作品のステータスにふさわしいかたち、即ちプロフェッショナルによる演奏で評論家が入るようなクリティカルなコンサートで評価されるべきだと、瞬間的にそう思った。

そうなると、演奏者や演奏機会は限定される。

ときは1990年代の半ばを過ぎたあたり。ちょうどその頃、木村吉宏さんが団長兼常任指揮者をつとめる大阪市音楽団(市音、現Osaka Shion Wind Orchestra)は、間違いなく一時代のピークを迎えていた。また、Bbクラリネットの3パートに各4名の奏者を配すなど、木管を中心に多くの種類の楽器を使うヤンのオーケストレーションに即応できる充実した編成をもっていた。レコーディングも活発で、年2回開催される定期演奏会では、前述したヨハンの交響曲第1番『指輪物語』、同第2番『ビッグ・アップル(The Big Apple)』、フィリップ・スパーク(Philip Sparke)の『シンフォニエッタ第2番(Sifonietta No.2)』、ジェームズ・バーンズ(James Barnes)の『交響曲第3番(Third Symphony)』などの初演や本邦初演をつぎつぎと成功させていた。(参照:《第59話 デメイ:交響曲第1番「指輪物語」日本初演》、第143話 デメイ:交響曲第2番「ビッグ・アップル」日本初演》)

もちろん、話を持ちかける相手として不足は無い!

また、以上4曲を定期で取り上げることを木村さんに提案した張本人が、偶然、すべて筆者だったため、木村さんが今度のヤンの最新作にも関心を寄せることはまず間違いないと、妙な確信を持っていた。ただ、またまた未知の新曲だけに、市音のプレイヤーさんにとっては、いい迷惑だったろうが…。

唯一心配だったのはスケジューリング、つまりどの演奏会で取り上げてもらえるか、という点だけだった。というのは、市音の年2回の定期の選曲は、ほぼ1年前から始まっており、1997年のケースだと、6月10日(火)の第74回(指揮:ハインツ・フリーセン、ザ・シンフォニーホール)のための曲も10月30日(木)の第75回(指揮:木村吉宏、フェスティバルホール)のための曲も、かなり早い時点にフィックスされていた。また、演奏予定曲にいわゆる“初演もの”が入っている場合、これまた早い時点から権利者との長い折衝がはじまっていた。

さて、そんな市音にヤンの送ってきたカセットを持ち込んで、木村さんと一緒に聴いたのは4月11日(金)の午後だった。

テープを一聴後、木村さんはこう言った。

『これなぁー、楽譜、いつもらえるんや?』

もう、やる気満々である。そこで、“ヤンのオリジナル譜は鉛筆書きなんで、デハスケでの浄書はかなり時間がかかりますが、恐らく秋には大丈夫だと思います”と返すと、『そうか。それやったら、これなぁー、11月の東京公演でやらせてくれへんか?』との想定外の回答が返ってきた。なんと、11月15日(土)、東京芸術劇場で開催する市音初の東京公演で演奏したいというのである。しかし、確か東京用のプロは、大栗 裕の『大阪俗謡による幻想曲』や前述したバーンズの『交響曲第3番』なんかですでに固まっていたはず。それを確認すると、こう返ってきた。

『プログラム(編成委員)がなかなかええアイデア出してくれてるんやが、“初演もの”がないんや。しかし、これを入れると立派なプログラムになる。初の東京やし、ぜったい成功させな、あかんのや。』と。

心の中で“あ~あ、これで市音プログラム編成委員の諸氏には、またまたヒグチにひっくり返されたと思われるなぁー”とため息をつきつつも、一方で本邦初演が一年先の1998年(平成10年)にならなくてよかったという妙な安堵感もあった。やれやれ。

帰宅してヤンに知らせると彼も大喜びで、普通はこれにて“一件落着”のはずだった。

しかし、それから1ヵ月後の5月18日(日)、三重県志摩市の合歓の里で開催された日本吹奏楽指導者クリニックのヤマハ・バンドクリニック・ゴールデン・コンサート(合歓の響ホール)に市音が出演した際、思いがけない事件が起こった。この騒ぎは、木村さんとクリニック参加者の歓談中、前年の1996年(平成8年)に作曲者からスコアを贈られ、市音が10月の第75回定期演奏会で本邦初演を予定していた曲を“もうウチがやりました”という、とある高校の先生が登場したことに始まった。その曲は、当時未出版で、著作権法のルール上、委嘱関係以外の演奏はあり得なかったが、どうやら著作権者である作曲者も出版社も知らない内にアンオーソライズド・コピーが海外から日本に持ち込まれ、それが演奏されたようだった。

なんてこった!!

その結果、満座の中で大恥をかかされるかたちとなった木村さんは、すぐプログラム編成委員全員を招集し、『恥をかかせる気か!』と珍しく強い言葉で叱責。この話は、すぐに委員の田中 弘さんからの電話で筆者にももたらされた。その曲の演奏提案も筆者がしたものだったからだ。ただ、事情が急に呑みこめない筆者は、“それはあり得ない”とだけ言って、作曲者と出版社にすぐ連絡をとり、その回答を持って市音で事情説明をすることになった。しかし、作曲者と出版社の回答は、『それはあり得ない。今、日本にあるのはあなたの手許に届けた1セットだけだ。』という断定調の強い否定だった。彼らは、出版前のプルーフを市音の日本初演用に1セットだけ特別に作って送ってくれていたのだ。

結局、筆者が管理不行き届きのかどで市音と木村さんに深く謝罪することになり、事情を汲んだ木村さんは、怒りの矛先を収めてくれた。ただ、一度ケチのついた同曲の演奏は市音では見送られることになり、第75回定期演奏会では、代わって、一度は東京公演用としてヤンと合意した交響詩『モンタニャールの詩』が本邦初演されることになった。

▲チラシ – 第75回大阪市音楽団定期演奏会(1997年10月30日、フェスティバルホール)

▲プログラム – 第75回大阪市音楽団定期演奏会(同上)

▲同、演奏曲目

▲第75回大阪市音楽団定期演奏会(1997年10月30日、フェスティバルホール)

■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第166話 アルフレッド・リード「栄光への脱出」の頃

▲CD – 栄光への脱出(佼成出版社、KOCD-3013、1990年、褪色アリ)

▲KOCD-3013 – インレーカード

▲CD – ゴールデン・イーグル/金管と打楽器のための交響曲(佼成出版社、KOCD-3012、1990年)

▲KOCD-3012 – インレーカード

▲Alfred Reed(撮影日不詳、普門館、提供:佼成出版社)

2021年(令和3年)、ウィンドオーケストラの世界は、ひとりのアメリカ人作曲家の生誕100周年というアニヴァーサリー・イヤーを迎えた。

作曲家の名は、アルフレッド・リード(Alfred Reed, 1921~2005)。

1981年(昭和56年)、東京佼成ウインドオーケストラの招きで初来日。同年3月28日(土)、東京の新宿文化センターで行なわれた第28回定期演奏会を客演指揮し、満員札止めの大成功を収めたのを手始めに、以降もたびたび来日し、同ウインドオケを指揮して自作品を中心とした多くの録音を残した。

その功績はひじょうに大きいものがあるが、それに加えてゼッタイ忘れてはならないことは、つぎつぎリリースされたこれら自作自演盤の収録曲に、必ずといっていいほどの頻度で、ファンが待ちわびる新曲が含まれていたことだろう。中には本国アメリカにもない初録音の曲もあり、日本のファンはいち早くそれらを耳にする機会を得たのである。

一方で、リードは全国各地の吹奏楽団のコンサートやイベントにも客演するなど、指揮者やクリニシャンとしても大活躍を見せた。その結果、日本国内におけるリード人気と作品の知名度は、他国のそれと比べてもかなり大きなものになった。この時代、身近にレコーディングや自身のライヴが存在するかしないかの差は、歴然としていた。

それだけに、折からのコロナ禍にさえ見舞われなかったら、2021年は、文字どおりの“リード・イヤー”となっていただろう。

しかし今、1980年代以降に国内で制作された数々のレコーディングをあらためて振り返ると、当時情熱を傾けて進められたリードの録音プロジェクトが、ある意味、際立ってユニークな企画だったことにすぐに気がつくことになるだろう。

それはまず、日本国内における体系的なリード作品の録音を先頭をきって手がけることになったのが、一般の商業レコード会社ではなく、東京・杉並区和田に本社がある(株)佼成出版社の音楽出版室だったことだ。

逆説的に言うなら、同社プロジェクトの発想は、いつも近々の採算のことばかり気にかけているような商業レコード会社では、とうてい実現不可能なものだった。

佼成出版社は、まず、1981年の初来日に際し、3月25日(水)と26日(木)の両日、普門館でリードとの初のセッションを行ない、前述した28日の第28回定期演奏会で収録したライヴやインタビュー、リハ風景を組み合わせた2枚組LP「A.リード&東京佼成ウィンドオーケストラ」(佼成出版社、KOR-8101~8102)を、同社のゲスト・コンダクター・シリーズの第1弾として、6月10日(水)にリリース。それがレコード各社が驚くような大成功を収めると、以降も、リードの来日機会をとらえてセッションを継続。世界的に見ても類例を見ない自作自演によるリードの作品コレクションを創り上げた。

そして、同社音楽出版室のホームページに示されているとおり、同社のCD全127タイトルは、21世紀の現在もiTunes Storeを通じてダウンロード購入可能となっている。

こういうものを真のアーカイヴスという。

今も手許に残る関係者向けの同社の録音企画書(平成1年10月30日付)には、こんな文言が見られる。

『….。リード作品は約100曲生まれており、オリジナル作品を、当社は初期からの作品を含めて31曲を発刊してきました。これからもリード氏の来日が可能な限りレコーディングを年1回春に行なっていく予定であり、彼の作品を集大成して、完璧なアルバムになるものにしたいものです。….』(原文ママ)

将来の完成形を見据えたある種の信念にも似たこのやる気まんまんの提案はどうだ!!

在京大手がインディーズ・レーベルの一つぐらいにしか捉えていなかった佼成出版社の先進性とモチベーションの高さをよく表している文章だ!!

筆者がリードと初めてタッグを組むことになった異色のCD「栄光への脱出」(佼成出版社、KOCD-3013、1990年)も、そんなリード・プロジェクトの中で制作された。

ことの発端は、1989年秋のことだった。ちょうどこの頃は、同年7月に行なわれた東京佼成ウインドオーケストラ初のヨーロッパ演奏旅行を終えた直後であり、ツアー中にロンドンで録音された「フランス組曲」(フレデリック・フェネル指揮、佼成出版社、KOCD-3101)と「ドラゴンの年」(エリック・バンクス指揮、佼成出版社、KOCD-3102)の2枚のCDが10月25日(水)に発売される直前だった。因みに、「ドラゴンの年」の方は、筆者が佼成出版社からプログラム・ノートの執筆を依頼された初のCDである。(参照:《第41話 「フランス組曲」と「ドラゴンの年」

そして、その日、たまたまビクターの打ち合わせで上京していた筆者は、用件を片付けた後、帰りの新幹線まで少し余裕があったので、夕刻の短時間、挨拶だけのつもりで佼成出版社をアポなし訪問した。

すると、筆者の顔を見るなり、ロンドン録音CDの担当でもあった柴田輝吉さんから、『今、来年3月のリードさんの録音でちょっと困ったことになっていてね。』と話が振られてきた。屈託のない笑顔を伴いながら…。(こういうときは、怖い!)

何かと聞けば、佼成出版社では例年どおり2枚のアルバムを作ることを考えていて、東京佼成ウインドオーケストラと録音会場の普門館の日定もその流れで押さえているが、リードから送られてきた提案をオケに提示すると、それは、後に1曲を加えてCD「ゴールデン・イーグル/金管と打楽器のための交響曲」(佼成出版社、KOCD-3012、1990年)になる、ちょうど1枚分にあたる分量のレパートリーだけだったので、『押さえている日程でもう1枚録れるよ。もったいない。』という反応が返ってきたそうだ。それを社に持ち帰ってすぐにリードに確認すると、“たまたま作品が揃ってないので、今回もう1枚録るのは不可能だ”という趣旨の返信があったのだという。

そこで、“どうしようか”と部内で話していたところへ、“飛んで火に入る~”といった感じで、突然筆者が目の前に現れたというシチュエーションだったらしい。シメシメと思われたのか、柴田さんは、『何かアイデアない?』と質問を投げてくる。

そして、この時は、まさか自身の発言がそのまま採用されることになるとは夢にも思っていない筆者は、瞬間的にこう切り返した。

『ところで、リードがアレンジした“グリーンスリーヴス”や“枯葉”を聴いたことある? “栄光への脱出”とか“アラビアのロレンス”とか“メリー・ポピンズ”とか、アレンジはいっぱいあるんですよ。シリアスなファンには叱られるかも知れないけど、ボクならそんなCDがあれば飛びついて聴きますよ。楽しいもんね。』とだけ口にしたところで、急いで同社を後にした。新幹線の時刻が刻々とせまっていたためだ。

柴田さんは、“ウルトラマン・シリーズ”でおなじみの円谷プロの出身。直感的にピンときたのか、筆者が口にする曲名をしきりにメモっていた。こちらもそれには気づいていたが、まさかそれを即行でリードに逆提案するとは….。若い頃ダンス・バンドを率いてアメリカ中を駆け巡っていたというリードもそれに呼応し、すでに絶版になっていた楽譜もアメリカでかき集めるという方向で、このセッションの実現がアッという間に決まってしまった。ただ、オリジナル出版社と権利関係の折衝はかなり大変だったらしい。だが、それもリードが率先してあたってくれ、最終的に彼はアルバムのサプ・タイトルを「シンフォニック・ポップス」と決めた!

因みに、メイン・タイトル「栄光への脱出」は、筆者のアイデアだ!

収録中、『大切なのは、ハートを込めることです。』と何度も口にしたリード。

セッション終了後に、『グリーンスリーヴス』だけは、リードの希望で同時発売のCD「ゴールデン・イーグル/金管と打楽器のための交響曲」に移されることになったが、それでも筆者はけっこう大満足!!

録音2ヵ月後の1990年5月13日(日)、日本万国博覧会記念公園に於ける「ブラス・エキスポ ’90」で撮影されたリードの写真が表紙中央にあしらわれた「バンドピープル」1990年8月号(八重洲出版)掲載の連載“名盤・珍盤・かわら版”Part 121にもそう書いたが、CD「栄光への脱出」は、こうして“棚からボタモチ”のような1枚として実現した!!

▲「バンドピープル」1990年8月号(八重洲出版)

▲▼ 録音企画書(1989年10月30日)