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■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第86話 U.S.マリン・バンド200周年

▲アメリカ海兵隊バンド、日本語つきフォトブック

▲同、裏表紙

▲アメリカ海兵隊バンド(U.S.マリン・バンド)

“Playing America’s Music Since 1798”

“1798年以来アメリカの音楽を演奏している”

2019年5月に初来日し、横浜、金沢、浜松、岩国の各地で、記憶に残るすばらしい演奏を繰り広げた“大統領直属”アメリカ海兵隊バンド(“President’s Own” The United States Marine Band)が、プログラムや広報用印刷物で常に使っている誇り高きコピーである。

日本史の年表を開くと、1798年は、寛政(かんせい)10年。日本では、江戸幕府の第11代征夷大将軍、徳川家斉(いえなり)(将軍職:1787~1837)の治世であり、ヨーロッパでは、ナポレオンのエジプト遠征が始まった年だ。名曲と謳われるルードウィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770~1827)の『ピアノ・ソナタ第8番 ハ短調、Op.13(悲愴)』が作曲された年でもある。

U.S.マリン・バンドは、同年の7月11日、第2代アメリカ大統領ジョン・アダムズ(在職:1797年~1801年)がバンド設立の議会法に署名して創設。その後、歴代の大統領に仕えながら、ホワイトハウスの音楽を担ってきた。それは、第85話の“ U.S.マリン・バンドがやってきた!”でお話したとおりだ。

“プレジデンツ・オウン(大統領直属)”というステータスだけでなく、マリン・バンドが全米の関係者からリスペクトを集める理由の1つに、早くから“ライブラリアン”制を採用し、専従スタッフがライブラリーの管理にあたっていることが挙げられる。

彼らライブラリアンが担うのは、手持ち楽譜を管理するだけの単純な職責ではない。

マリン・バンドが行なう演奏活動のすべてを正確に記録することはもちろん、演奏した楽曲や作曲家に関する音楽資料の収集や保存・整理、部外からも寄せられる質問への調査・回答など、それは多岐にわたる。

結果、マリン・バンドのライブラリーには膨大な資料や情報が保管・蓄積されることになった。当然ながら、その内容はアメリカ音楽に関連するものが最も充実するが、“マーチ王”と謳われ、自分達の大先輩であるマリン・バンド第17代リーダー、ジョン・フィリップ・スーザ(John Philip Sousa, 1854~1932)に関する情報密度は、もう半端ではない。

東京佼成ウインドオーケストラ桂冠指揮者フレデリック・フェネル(Frederick Fennell, 1914~2004)も、リサーチのためにしばしばマリン・バンドのライブラリーに出入りしていた。

また、第46話「H・オーウェン・リードを追って」でお話した、『メキシコ民謡による交響曲「メキシコの祭り」(La Fiesta Mexicana, A Mexican Folk Song Symphony for Concert Band)』(U.S. マリン・バンドが初演)の作曲者H・オーウェン・リード(H. Owen Reed, 1910~2014)へのコンタクトも、チーフ・ライブラリアン、マイク・レスラー特務曹長(Master Gunnery Sergeant Mike Ressler)の尽力ではじめて可能になったことだった。

マリン・バンドのライブラリアンは、正しく音楽の“アーキビスト”もしくは“キュレーター”と呼ぶにふさわしい役割を担っているのだ。

さて、そんなマリン・バンドだが、第2次世界大戦以前は、発明王トーマス・エジソン(Thomas Edison, 1847~1931)の時代から、いろいろなレーベルがレコード(SPレコードなど)を発売していた。しかし、今は、特別な目的以外、アメリカの全ミリタリー・バンドの“商業録音”が禁止されているため、レコードやCDは、ほぼエデュケイショナル・プログラム(教育目的)のための自主制作盤となっている。

これらは、一般の音楽ファンには市販されないが、学校などの教育機関や公立の図書館、放送局などの公的機関には無償提供される。以前は、公的機関のオフィシャルなレターヘッドが印刷された用箋を使って申請したものだが、ネット時代に入ると、公式ホームページのメールリング・リストに公的機関の管理者がサインアップして申請するルールとなった。

彼らがレコーディングするレパートリーは、スーザ以来このバンドに受け継がれてきた伝統的なアメリカのコンサート・バンド・スタイルの音楽が中心だ。

スーザのマーチや作品にスポットをあてたシリーズも、第22代ディレクター、アルバート・F・ショーパー大佐(Colonel Albert F. Schoepper, 在職:1955~1972)、第24代ディレクター、ジャック・T・クライン中佐(Lieutenant Colonel Jack T. Kline, 在職:1974~1979)、そして現在の第28代ディレクター、ジェイソン・K・フェティッグ大佐(Colonel Jason K. Fettig, 現職:2014~)の3人のディレクターによって企画された。

そんな自主制作盤の中にあって、このバンドの特色が最もよく表れているのが、バンド創設200周年にあたる1998年に制作された「The Bicentennial Collection – Celebrating The 200th Anniversary of “The President’s Own” United States Marine Band」という、CD10枚組のボックス・セットだろう。

このCD10枚組の内容は、以下のようなものだった。

Disc 1 – Early Acoustic Recordings 1889-1914

Disc 2 – Acoustic Recordings 1914-1923

Disc 3 – Historic Soloists

Disc 4 – Historic Soloists(continued). Taylor Branson(1924-1940)
William F. Santelmann(1940-1955)

Disc 5 – Albert Schoepper(1955-72), Dale L. Harpham(1972-4)

Disc 6 – Jack T. Kline(1974-9), John R. Bourgeois(1979-96)

Disc 7 – Timothy W. Foley(1996-)

Disc 8 – Composers Conduct
Karel Husa, Michael Colgrass, Warren Benson

Disc 9 – Composers Conduct and Guest Conductors
Warren Benson, John Harbison, Ron Nelson, Donard Hunsberger,
Leonard Slatkin, LtCol Sir Vivian Dunn

Disc 10 – Guest Conductors
Frederick Fennell, Gunther Schuller, Timothy Reynish,
Leonard B. Smith, George W. Wilson, LtCol John Ware

収録音源は、それこそエジソンの時代の初期の録音から近年のものまで、歴史的に重要な録音が網羅され、客演をした指揮者や作曲家にも、カレル・フサ、マイケル・コルグラス、ウォーレン・ベンソン、ジョン・ハービスン、ロン・ネルソン、ドナルド・ハンスバーガー、レナード・スラットキン、サー・ヴィヴィアン・ダン中佐(ロイヤル・マリーンズ)、フレデリック・フェネル、ガンサー・シューラー、ティモシー・レイニッシュ、レナード・B・スミス、ジョージ・W・ウィルソン、ジョン・ウェアー中佐(ロイヤル・マリーンズ)と錚々たる顔ぶれが並んでいた。

また、ボックスには、78ページの解説ブックレットが内包されていた。各トラックの詳細なデータやプログラム・ノートはもちろん、数多くの写真が、このバンドの先人たちが歩んできた200年の道程を物語っていた。

言い換えれば、それは、アメリカのコンサート・バンドの歴史でもあった。

ライブラリアン・システムを確立したこのバンドの面目躍如たるところだろう。

翻って、たとえ音楽大学にあっても、建物の建て替えや経済的事情など、およそ音楽とは関係ない理由で、図書館所蔵資料すら平気に破棄、散逸してしまうわが国の状況を省みると、本当に何と言ったらいいのか、適当な言葉が見つからないほど残念な気持ちになる。とにかく、この国では、いきなり基礎資料が行方不明になり、何もかも分からなくなってしまうのだ。

そして、何も残らない!

U.S.マリン・バンドが制作したこのCDボックスは、その歴史的価値と特別な計らいにより、ミュージカル・ヘリテージ・ソサエティ(Musical Heritage Society)という、歴史的録音を扱う通販専門レーベルから、アメリカ国内に限って簡易版が頒布されることになった。また、第45代大統領ビル・クリントン時代の情報公開の規制緩和等により、他のミリタリー・バンドCDがアメリカ国内法の及ばない外国でリリースされることも起こった。

しかしながら、マリン・バンドの基本姿勢は、今も昔も変わらない。

ブックレット巻末近くのつぎの文言がすべてを物語っている。

This recording is produced for educational purposes and to enhence the public affairs and community relations programs of the Marine Corps.

(このレコーディングは、教育目的のため、そして海兵隊の広報および地域社会関係プログラムを高めるために制作されたものです。)

Because appropriated funds were used in the production of this recording, it may not be distributed for private use and is not for sale.

(このレコーディングの制作には、その目的に充当するための資金が使用されたため、それを個人使用のために頒布することはできず、販売することもできません。)

“変わらない”ことの凄さをあらためて感じた!!

▲CD – The Bicentennial Collection – Celebrating The 200th Anniversary of “The President’s Own” United States Marine Band(非売品)

▲同、バックインレー

▲同、ディスク – 1、ディスク – 2のバックインレー

▲同、ディスク – 3、ディスク – 4のバックインレー

▲同、ディスク – 5、ディスク – 6のバックインレー

▲同、ディスク – 7、ディスク – 8のバックインレー

▲同、ディスク – 9、ディスク – 10のバックインレー

■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第85話 U.S.マリン・バンドがやってきた!

▲アメリカ海兵隊バンド、日本語つきパンフレット

▲ 第28代ディレクター、ジェイソン・K・フェティッグ大佐

▲日本ツアー・ステッカー

▲CD – アメリカ海兵隊バンド セレクション(Power House、PHCD-1001~5

『あれ?ヒグチさん!!どないしはりました?えらいとこでお会いしますね!』

待ち合わせのため、先を急いでいた筆者に思いがけなく掛かったバリバリの大阪弁の方向を見ると、そこには、全日本学生吹奏楽連盟理事長の溝邊典紀さんと千修吹奏楽団常任指揮者の井上 学さんのふたりが笑顔で立っていた。

ふたりも面喰っている様子だったが、近年、なぜか大阪から鎌倉に移った井上さんはさておき、奈良の溝邊さんや大阪の筆者が遠く離れた横浜のホール近くで出くわすことなど、まずあり得ない。

2019年(令和元年)5月15日(水)、押し寄せる人の波でごった返す横浜みなとみらい大ホールの入り口近くで起こった“怪事件”である。

この日、みなとみらいホールでは、午後6時30分から、“U.S. マリン・バンド”、即ち“アメリカ合衆国政府派遣音楽使節”として初来日した“大統領直属”アメリカ海兵隊バンド(“The President’s Own” United States Maine Band)を、陸上自衛隊中央音楽隊がホストとなり、「横浜開港祭 日米友好チャリティー吹奏楽コンサート ザ ブラスクルーズ2019 ~特別公演~ 誠」というジョイント・コンサートが開かれることになっていた。

溝邊さんと井上さんは、そのリハーサルを見学した後、ちょうどホールから出てきたところだった。

一方、筆者が待ち合わせた相手は、Band Powerの名物編集長、鎌田小太郎(コタロー)さん。

これに遡ること20年前の2000年に、U.S.マリン・バンド供給のオリジナル録音を活用した5枚組CDボックス「アメリカ海兵隊バンド セレクション(The President’s Own United States Maine Band Selection)」(Power House、PHCD-1001~5)の国内リリースを企画し、“U.S.マリン”の存在を広く知らしめた中心的人物だ。氏の熱意がなかったら、この企画は成り立たなかった。

そして、この日、コタローさんと筆者は、“横浜開港祭 ザ ブラスクルーズ”実行委員会会長の小松俊之さんから直接コンサートに招待されていた。

『そういうことだったんですね。』と互いに事情がわかった関西組3人は、開場まで少し余裕があることを確認し、『お茶でも行きますか?』という溝邊さんに従って近くのファストフード店へ。井上さんがコタローさんへ携帯で居場所を知らせて、合流を促してもらうことになった。

そこでワイワイガヤガヤ騒いでいると、偶然横を通られた秋山紀夫さんや日本スーザ協会の会員などからつぎつぎ声がかかる。みんな声がでかいので、結構目立っている様子だ。その後も、元東京佼成ウインドオーケストラのユーフォニアム奏者、三浦 徹さんや洗足学園音楽大学の山本武雄さんなどと挨拶をかわす。アメリカまで行かないと聴けない“マリン”を日本のホールでナマで聴けるとあって、さすがに今日は吹奏楽関係の知人が多い。

実は、マリン・バンドがアメリカ国外に出てコンサートを行なうのは、2001年、スイスへの演奏旅行以来という、超レア・ケースだったのだ!

話を本題に戻そう。

初来日となったアメリカ海兵隊バンドは、この日の横浜みなとみらいを皮切りに、以下の4会場のコンサートおよびレクチャーに出演した。

・5/15(水)
横浜開港祭 日米友好チャリティー吹奏楽コンサート ザ ブラスクルーズ2019 ~特別公演~ 誠
(於:横浜みなとみらい大ホール、開演:18:30)

・5/16(木)
かなざわ国際音楽祭2019 Vol.1 アメリカ海兵隊軍楽隊コンサート
(於:石川県金沢の本多の森ホール、開演:19:00)

・5/17(金)
第50回 日本吹奏楽指導者クリニック 2019 50周年記念スペシャル・コンサート
(於:アクトシティ浜松大ホール、開演:18:00)

・5/18(土)
第50回 日本吹奏楽指導者クリニック 2019 スーザマーチの演奏法
(於:アクトシティ浜松大ホール、開演:9:00)

・5/19(日)
Viva! Music! 音の祭典 アメリカ海兵隊軍楽隊
(於:山口県民文化ホールいわくに シンフォニア岩国コンサートホール、開演:14:00)

バンドの歴史を紐解くと、創設は、1798年7月11日。第2代アメリカ大統領ジョン・アダムズ(在職:1797年~1801年)が、バンド設立の議会法に署名したときだ。以来、“プレジデンツ・オウン(大統領直属)”という、その名のステータスにふさわしく、外国要人も訪れるホワイトハウスで必要とされる音楽すべてを提供する任務を担っている。

現在のホワイトハウスの主は、ドナルド・トランプ第45代アメリカ大統領(在職:2017~)。

みなとみらいで配布されていた日本語つきのパンフレットにも、以下の文言が誇らしげに印刷されている。

“THE MISSION OF THE UNITED STATES MARINE BAND IS TO PROVIDE MUSIC FOR THE PRESIDENT OF THE UNITED STATES AND THE COMMANDANT OF THE MARINE CORPS.”

“「大統領直属」アメリカ海兵隊バンドの使命は、アメリカ大統領と海兵隊司令官のために演奏することである。”

この日のマリン・バンドの指揮者は、2014年7月に就任したジェイソン・K・フェティッグ大佐(Colonel Jason K. Fettig, Director)。ホワイトハウスの音楽アドバイザーであり、毎年500回以上の演奏を行なうこのバンドの第28代ディレクターだ。

そして、歴代ディレクターの中で最も有名なのが、このバンドの演奏を飛躍的に高め、1880年から1892年まで指揮をつとめた第17代リーダーのジョン・フィリップ・スーザ(John Philip Sousa、1854~1932)である。(当時は“Director”ではなく“Leader”と呼称された)

言うまでもなく、この日のプログラムにも入っていた「星条旗よ永遠なれ(The Stars and Stripes Forever)」(1886)の作曲者だ。

そして、1887年5月14日、ペンシルベニア州フィラデルフィアで初演されたこのマーチは、初演からほぼ100年後にあたる1987年12月11日、第40代アメリカ大統領ロナルド・レーガン(在職:1981~1985、1985~1989)の署名によって、議会で“アメリカ合衆国ナショナル・マーチ”(国の公式行進曲)に制定された。

この事実は、日本では意外と報じられていない。

みなとみらいでは、日米の両バンドは、両国の友好のため、ともにすばらしいプログラムを組んできたが、少し大袈裟な表現が許されるなら、この日、来場した聴衆の多くは、“マリン・バンド”が演奏するこの曲を目当てにこのホールに詰めかけたのかも知れない。

本家本元の演奏を聴きたいと!

かつて、“マリン・バンド”を客演し、自作の「ダンス・ムーブメント」を指揮した友人のイギリス人作曲家フィリップ・スパーク(Philip Sparke)が、このバンドを評してこう言っていた。

“どのセクションも最高のチェンバー・オーケストラに匹敵するすばらしいバンドだ!”

スコアの隅々まで浮かび上がるようなクリアさと清潔なハーモニー、そして各セクションの見事な統一感!使う道具(楽器)にも、強いこだわりが見て取れた。

もちろん、お目当ての「星条旗よ永遠なれ」もファンタスティック!!

以前にアメリカで聴いたときも、この日も“マリン・バンド”は“マリン・バンド”だった!

大阪に戻った後、一人でそんな感慨に耽っていたとき、浜松のクリニックでナマ演奏を聴いた人からもつぎつぎと連絡が入った。

“本当に感動しました。みんな30,000円(クリニック参加費)が安かったと言っていますよ!”

“中学生のときに聴いた“ギャルド”のレコード以来の感動でした!”

“我々は、長い年月をかけて何やってたんですかね!”

“スーザのマーチがあんなにすばらしいなんて!”

みんな興奮していた!!

聞くところによると、浜松のクリニックでは、例年、空席が目立つコンサート翌日朝一番の講座「スーザマーチの演奏法」(5/18)も超満員だったという。岩国もチケットが完売となった。

初来日したU.S. マリン・バンド!

それは、我々にすばらしい感動を残していってくれた!

▲チラシ – 横浜開港祭 日米友好チャリティー吹奏楽コンサート ザ ブラスクルーズ2019

▲プログラム – 横浜開港祭 日米友好チャリティー吹奏楽コンサート ザ ブラスクルーズ2019

▲曲目 – 日米友好チャリティー吹奏楽コンサート(横浜)

▲ 曲目 – 日本吹奏楽指導者クリニック 2019 50周年記念スペシャル・コンサート(浜松)

▲チラシ – かなざわ国際音楽祭2019 Vol.1 アメリカ海兵隊軍楽隊コンサート(金沢)

▲チラシ – Viva! Music! 音の祭典 アメリカ海兵隊軍楽隊(岩国)

▲LP – John Philip Sousa Vol.1(非売品、CFS-2722)]

▲CFS-2722 – A面レーベル

▲CFS-2722 – B面レーベル

▲LP – John Philip Sousa Vol.2(非売品、CFS-2723)

▲CFS-2723 – A面レーベル

▲CFS-2723 – B面レーベル

▲LP – John Philip Sousa Vol.3(非売品、CFS-2724)

▲CFS-2724 – A面レーベル

▲CFS-2724 – B面レーベル

■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第84話 ヴァンデルロースト:「高山の印象」委嘱・世界初演

▲高山市民吹奏楽団創立50周年記念演奏会チラシ

▲高山市民吹奏楽団創立50周年記念演奏会プログラム

▲同、演奏曲目

『先生、“さるぼぼ”見ました。明日の市吹、ウチのおばあちゃんが行きたいと言ってまして…。』

岐阜県高山市で、高山市民吹奏楽団の音楽監督をつとめる竹内雅一さん(名古屋芸術大学教授)と、演奏会前日リハの後、予約も入れずに飛び込んだ飲食店で氏に掛けられた言葉だ。

“さるぼぼ”とは、飛騨エリア56,000部発行という地域密着の月刊コミュニティー情報誌で、高山市内のホテルや飲食店では必ず目にとまる。お店の人から掛かった声は、2018年11月号(第76話 ヤン・ヴァンデルローストのメモ、参照)のカラー4頁の巻頭特集記事「高山市民吹奏楽団創立50周年記念 響HIBIKI Harmony of half a Century」を読んでのものだった。

竹内さんも市吹も、高山の名士なのだ!

2018年(平成30年)11月18日(日)、高山市民文化会館大ホールで開かれた「高山市民吹奏楽団 創立50周年記念演奏会」は、そういう地域の盛り上がりの中で開催された。

演目は、ベルギーのヤン・ヴァンデルロースト(Jan Van der Roost)への50周年記念委嘱作の世界初演、日本舞踊家の花柳琴臣さんの演出・振付による創作舞踊「カルミナ・ブラーナ」、ほぼ20年の長きにわたってこの楽団の定期演奏会を指揮した岩井直溥さん直伝のポップ・ステージと盛りだくさん!さすがは、楽団名に“市民”の文字が入る地域に密着する吹奏楽団だ。

高山の人からは“我々の心の国歌だ”とも言われる祝い唄「めでた」の新しい編曲(荒川“B”琢也編)の披露も組まれ、それは、ホール内から湧き上がる男性の力強い歌声と調和する圧巻のパフォーマンスとなった。

時間をかけて練り上げられたプログラムは、見事の一語!

地元ケーブルテレビ「Hit net TV!」のナマ中継も入り、超満員の会場が大きく揺れるすばらしい記念演奏会となった。(年末には、ダイジェストの再放送も!)

そんな祝祭色の強いこのコンサートの冒頭を飾ったヤンへの記念委嘱作も大きな反響を呼んだ。

プログラムに寄せて、ヤンは、つぎのようなメッセージを書いている。

『日本には何度も何度も訪れたことがありますが(確か70回を超えているはずです)、私が最も気に入っている訪問先は歴史的なまち高山市です!私の仲間であり友人でもある竹内雅一先生のご尽力があって、名古屋芸術大学の客員教授在任中に高山と関わりを持つようになったのですが、すぐにその豊かな歴史と伝統に心地よさを、そして強烈な繋がりを感じるようになりました。

高山市民吹奏楽団と初めて出会ってすぐに、私たちの音楽の繋がりは強まり、そして進歩して来ました。そうしたこともあり、何度も高山に戻って来ています。それには音楽だけはでなく、人間的な側面が役割を果たして来ました。そして、今では高山に仲間だけではなく友人もいると言えるまでになりました!

2016年9月、私のジングシュピール(ドイツ語による歌芝居や演劇の一形式)である ES WAR EINMAL,,,「むかしむかし…(指揮:竹内雅一)」が高山で日本初公演(第34話 ヴァンデルロースト「むかしむかし…」日本語版世界初演!、参照)となりましたが、それは本当にすばらしい催しでした。本日は、私のもう一つの作品の本邦初公演となります。本邦初公演どころか世界初公演になるわけですが、それは、「TAKAYAMA IMPRESSIONS」が高山市民吹奏楽団のために創った曲だからで、本日がこれまでどこでも演奏したことのない正に一番初めの演奏になるのです。

数週間前になりますが、来日中に私は高山市民吹奏楽団とリハーサルを行ないました。音楽に込めた私の思いを響かせるために全てのプレイヤーの皆さんが一生懸命に演奏しているのを満喫させていただきました。この曲は欧米スタイルの旋律と響きを組み合わせているのですが、本来の日本音楽の影響を受けていることを皆さんには聴き取っていただけるのではないかと思います。

皆さんの国で素晴らしい経験を積むにつれ、皆さんの文化にさらに繋がりを感じるようになりました。この曲は日本の伝統、特に高山への音楽による賛辞であると私はとらえています。(後略)』

第76話でお話したように、ヤンが出版社に曲名を納得させるまでかなりの紆余曲折があった。しかし、最終的に「高山の印象(タカヤマ・インプレッションズ)」となったこの作品は、「~の風景」という組曲をいくつも書いたジュール・マスネなどのような、クラシックの名作にも通じる格調の高い曲名となった。

高山の歴史的風土に深い感銘を覚えたヤンらしいネーミングだ。

また、この作品は、ヤンがはじめて“和のペンタトニック・スケール”を用いた作品だ。

竹内さんに話を伺うと、ヤンが構想を練り始めた当初は、リクエストに応じて実際の高山祭で演じられる祭笛などの節を専門家に採譜してもらい、彼のもとへ送ったのだという。

ヤンは、それをそっくりそのままコピーするのではなく、音楽的に咀嚼した上で、オリジナルの“和”の節まわしを創りだしたという訳だ。

見事なほどに!

そして、それは曲冒頭のピッコロ・ソロ(もしくはソリ)で演奏されるフレーズにとくに凝縮されている。本人によると、この部分は、ピッコロの代わりに日本の“篠笛”の独奏でやってもいいし、高山祭の祭笛のように重奏でやってもいいように書いたという。従って、リピートも含め、この部分の演奏のヴァリエーションは何通りも考えられる。つまり、演奏者次第というわけだ。

その後の展開にも、和のテイストや祭りの高揚感はさりげなく盛り込まれた。聴き込めば聴き込むほど“和”を意識させられる魅力的な作品となっている。(演奏時間は、約8分半)

2018年11月18日、実際の世界初演の模様はこうだった。

最初、ホールの明かりが落とされた中、ヤンが送ってきた当日の聴衆へのビデオ・メッセージが、左右両面のホール側壁に大きく映し出される。ついで、高山の美しい情景が映される中、舞台下手から、春の高山祭の氏神様である飛騨山王宮日枝神社の御神紋が入った衣装を身にまとう森下町獅子組の2人の吹き手がゆっくりとした歩調で祭笛を吹きながら入場する。2人(丸山美優さん、櫻井 瞳さん)は、日枝神社の祭礼である春の高山祭、“山王祭”で祭笛を吹いている現役だ。

ただ、ここはまだヤンの曲ではない。初演に際し、ヤンと竹内さんが合意した上で、曲のさらに前に加えたアドリブである。従って、この部分は出版譜には含まれていない。

そして、その笛の音をバックにナレーションが入る。

“美しく雄大な自然にいだかれる飛騨高山。遠い昔から、人々はこの豊かな自然とともに生きてきました。その中で、先人たちは、あふれんばかりの伝統文化を生み出し、歴史と共に今日まで受け継がれてきました。そんな飛騨高山を訪れたベルギーの作曲家ヤン・ヴァンデルロースト氏。彼の心には、人々の暖かさ、さまざまな情景が、深く深く刻みこまれました。そして、その想いが音楽を通して表現されることになったのです。

(笛の音がつづく中、少し間を空けて)

高山市民吹奏楽団創立50記念委嘱作品 TAKAYAMA IMPRESSIONS”

ここで、吹き手は上手へとはけていき、その囃子の中から、それとは違うピッコロのソロが浮き上がり、上手袖から奏者(勝島 啓さん)がピッコロを吹きながら現れる。その歩みは、中々の役者ぶりだ。そして、このピッコロからがヤンの書いた音楽。しかし、それまでのほんものの囃子とヤンが書いたピッコロのフレーズが何の違和感もなくつながるのがすごい。

ピッコロ奏者は、演奏を続けながらステージ上の自席へと向かい、すでにステージ上の座席についている別のピッコロ奏者1名が、途中からそれに加わって重奏となる。

その後、音楽はバンド全体の演奏へと移っていく。

ヤンが書いた楽譜は、もちろん一般的な洋楽器で書かれてある。しかし、高山市吹ではさらに、8月の絵馬市で名高い市内の山櫻神社(馬頭様)などの協力を得て幾つか和楽器を使うこだわりを見せた!

長く受け継がれてきた伝統的な和楽器が市中に多く残る高山ならではの演出だった!

ヤンの名代のようなかたちで正式な招待状をいただいて訪れた今回の高山入りだったが、演奏会前日(11月17日)に、こんなことがあった。これだけは、ぜひ、お話しておきたい。

大阪から高山へは、新幹線か近鉄で一旦名古屋に入り、それから高山本線に乗り換えるルートが一般的だ。結構な距離がある。もちろん、高山にはできるだけ早い列車で入ろうとしたが、それでも、ホールにやっとたどり着いたとき、ヤンの曲のリハは少し前に終わっていた。

前夜に名古屋入りさえしておけばと思っても、もう後の祭りだ!

すぐ気持ちを切り替えて、“明日の楽しみにしよう”と思っていたら、つづくリハの中、突然、竹内さんから“ぜひ聴いてもらおう”という信じられない指示が出され、恐らくは“筆者ただひとり”のためだけの通し演奏が行なわれたのだ。

それは、魂がこもり、モチベーションの高い見事な演奏だった!

高山市民吹奏楽団創立50周年のテーマは、“縁”!

ここにも、すばらしい人々との出会いがあった!!

▲初演中の高山市民吹奏楽団(2018年11月18日、高山市民文化会館大ホール)

▲使われた神楽鈴、神楽太鼓、締め太鼓
(神楽太鼓 – 協力:山櫻神社(馬頭様))

▲会場に 映された ビデオ・メッセージ

■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第83話 デメイ:交響曲第5番「リターン・トゥー・ミドルアース」日本初演

▲Osaka Shion Wind Orchestra 第124回定期演奏会チラシ

▲Osaka Shion Wind Orchestra 第124回定期演奏会プログラム

▲同、演奏曲目

▲練習スケジュール

『ディアー・ユキヒロ、元気かい!

ふたりが連絡をとりあってから、少し時間が経っている。

来週の土曜日、OSWOとボクのコンサートがあることは聞いていると思うが、ボクは心よりキミをそのコンサートに招待したいと思っているんだ。招待席のチケットはこちらで用意できるから…。』

大阪のザ・シンフォニホールで、2019年(平成31年)4月27日(土)に開かれる「オオサカ・シオン・ウインド・オーケストラ(Osaka Shion Wind Orchestra)第124回定期演奏会」の客演指揮者に招かれたヨハン・デメイ(Johan de Meij)からメールが入ったのは、演奏会の1週間前の4月20日のことだった。

交響曲第1番「指輪物語」の作曲者として知られるヨハンとは、1991年からのつき合いになる。オランダ人だが、結婚後、ニューヨークに暮らしている。交友が始まった経緯は、第59話の“デメイ:交響曲第1番「指輪物語」日本初演”などでお話したとおりだ。だが、日本からコンタクトしたのが筆者が初めてだったらしく、オランダやアメリカではどこへ行っても、まず、『彼は、日本の最も古い友人だ。』と紹介してくれる。そのおかげで、いろいろな音楽家との出会いがあった。

もちろん、彼が日本で演奏会を行なうときも、必ず知らせをくれる。残念なことに、近年はタイミングが合わなかったり、遠隔地だったりして、なかなかライヴに顔を出すことが出来なかった。しかし、今回は歩いて行けるホールで行なわれるコンサートだけに“必ず聴きにいかねば”と早い時期から予定を空けていた。

そこで、ヨハンには出席する旨をメールで返し、『4月25日か26日の夜、メシ喰いに行かない?』と誘いを投げる。

すると、『いいね。しかし、両日の練習後がどうなっているのかわからないので、マネージャーでバス・トロンボーンのTetsuyaに訊いてみてくれ。』と返ってきた。

Tetsuyaとは、シオン楽団長の石井徹哉さんのことだ。

添付されている練習スケジュールを見ると、なるほど、独唱や合唱との合わせが夜に組み込まれているので、夕食は少し遅い時間帯になる。

状況は呑み込めたので、石井さんに電話を入れ、練習後のエサ場(お店)に、こちらが追いつくかたちをとることにする。

4月25日、石井さんが予約を入れた日本料理の店で久しぶりに会ったヨハンは、筆者の顔を見るなり、笑顔を爆発させた。お腹がかなり“成長”して、少し頬がこけた印象だが、思いのほか元気で、『もう65になったよ。キミは?』などと、お互いの“齢”がまず話題に!

世間話にも大いに花が咲くが、そこは音楽家だけの少人数の席だ。やはり、盛り上がるのは音楽の話題!

そこで、少し前にシオンのライヴCDの発売延期が発表されたヨハンの交響曲第4番「歌のシンフォニー」(指揮:飯森範親)の話を切り出すと、石井さんがいかにも残念そうに『そうなんですよー。』と言いながら、PCを持ち出しきて即席の鑑賞会を始める。その録音を初めて聴くヨハンもとても興味深そうで、いいパフォーマンスには“ナイス!”の声が飛ぶ。いい録音だ!

次に、『そういえば、今度シエナの委嘱を書いたんだって?』と話をふると、おもむろにスコアが登場! 出席者が順に覗き込んでいくが、今度はヨハンがPCを取り出してきて、PCで作った演奏を聴かせてくれる。シオンの面々も興味深げだ。

その内、話題は今回のメイン曲(日本初演)である交響曲第5番「リターン・トゥー・ミドルアース」へと移る。

ことシンフォニーに関しては、ヨハンと“シオン”の縁は深い。

市直営の“大阪市音楽団”という名で活動していた時代から、これまでヨハンの全シンフォニーの日本初演を手がけてきているのだ。

・交響曲第1番「指輪物語」
(Symphony No.1 “The Lord of the Rings”)
第64回大阪市音楽団定期演奏会
1992年(平成4年)5月13日(水)
ザ・シンフォニーホール、指揮:木村吉宏

・交響曲第2番「ザ・ビッグ・アップル~ニューヨーク・シンフォニー」
(Symphony No.2 “The Big Apple” A New York Symphony)
第68回大阪市音楽団定期演奏会
1994年(平成6年)6月2日(木)
ザ・シンフォニーホール、指揮:木村吉宏

・交響曲第3番「プラネット・アース」
(Symphony No.3 “Planet Earth” )
第94回大阪市音楽団定期演奏会
2007年(平成19年)6月1日(金)
ザ・シンフォニーホール、指揮:ヨハン・デメイ

・交響曲第4番「歌のシンフォニー」
(Symphony No.4 “Sinfonie der Lieder” )
第122回オオサカ・シオン・ウインド・オーケストラ定期演奏会
2018年(平成30年)11月25日(日)
ザ・シンフォニーホール、指揮:飯森範親

そして、今回のシオン第124回定期は、以下の3曲で組まれた!

・ウインド・パワー
(Wind Power)

・交響曲第2番「ザ・ビッグ・アップル~ニューヨーク・シンフォニー」
(Symphony No.2 “The Big Apple” A New York Symphony)

・交響曲第5番「リターン・トゥー・ミドルアース」
(Symphony No.5 “Return to Middle Earth”)(日本初演)

自作自演のオール・デメイ・プログラムだ!

交響曲第5番「リターン・トゥー・ミドルアース」は、曲名に“ミドルアース(中つ国 / なかつくに)”が含まれていることでわかるように、「指輪物語」の原作ファンタジーの作者ジョン・R・R・トールキン(John Ronald Reuel Tolkien、1892~1973)が描いた架空の世界“ミドルアース”をテーマとする。

原作者トールキンによると、人気作となった「ホビットの冒険(The Hobbits)」も「指輪物語(The Lord of the Rings)」も、また没後に遺稿がまとめられて刊行された「シルマリルの物語(The Silmarillion)」も、このミドルアースで起こった出来事とされる。

ヨハンに訊くと、彼はこの“ミドルアース”の世界を題材とするシンフォニーの構想を、交響曲第1番「指輪物語」完成当時すでに持っていたんだという。トールキンの壮大な世界にひとたび嵌るなら、“指輪”だけで済ますわけにはいかないと感じるのは、至極当然の成り行きだった。

交響曲第1番「指輪物語」の初演30周年プロジェクトの一環として作曲された交響曲第5番は、2018年、6楽章構成でソプラノ独唱と80名以上の混声合唱を必要とする壮大なスケールの作品として完成した。演奏時間は、およそ43分から44分のシンフォニーだ。

世界初演は、2018年11月3日(土)、米インディアナ州ヴァルパライソ(Valparaiso、Indiana)にキャンパスをもつ、ヴァルパライソ大学のチャペル・オブ・ザ・レザレクション(Chapel of the Resurrection, Valparaiso University)において、作曲者の指揮、ヴァルパライソ大学チェンバー・コンサート・バンド(Valparaiso University Chamber Concert Band)とウィンディアナ・コンサート・バンド(Windiana Concert Band)の合同バンド、モーラ・カック(Maura Cock)のソプラノ独唱、ヴァルパライソ大学合唱団(Valparaiso University Choir)のキャストで行なわれている。

その世界初演の時も苦労したようだが、この作品のハードルを高めているのは、ソプラノと混声合唱の歌詞が、エルヴィッシュ(elvish)、つまりトールキンが創造した中世エルフ語に属するイルコリン語で書かれていることだろう。

シオンは、当初、在阪の2つの音楽大学に協力を仰いで合唱の出演を依頼したが、新年度の授業が始まって間がない(つまり、練習時間があまり取れない)というタイミングと声楽の専門家によるスコアの検討の結果、残念ながら見事に断られてしまう。

結果、シオンは、この演奏会のために「オオサカ・シオン・ウインド・オーケストラ特別混声合唱団」を編成して本番に臨むこととなった。

初のシンフォニーである「指輪物語」のときに、45分近い長さの曲を書いてしまったためにオランダのモレナールから“長すぎる”と言われて出版を断られたり、第3番「プラネット・アース」であまりに高い声が要求されていたためにドイツ初演がキャンセルされたり、第4番「歌のシンフォニー」でドイツ語の児童合唱を入れたためにドイツ語圏以外での演奏機会が制約されたり、ヨハンのシンフォニーが歩んだ道のりは、とにかく波乱万丈である。

第5番も、シンガポール初演がキャンセルされたそうだ。

しかし、作曲家は、それぐらい、音楽的にやりたいことをやればいい!

数日後、ニューヨークに戻ったヨハンから、持ち帰ったシオンのライヴ録音を聴いた感想が届いた。

『これは、センセーショナルなCDになるかも知れない!』

▲Osaka Shion Wind Orchestra 第124回定期演奏会(2019年4月27日、ザ・シンフォニーホール、大阪、提供:Johan de Meij)

▲打ち上げのシーンから(2019年4月27日、大阪某所)

■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第82話 チェザリーニ:交響曲第2番「江戸の情景」の誕生

▲フランコ・チェザリーニ(2016年6月、東京)

▲フランコ・チェザリーニの作品カタログ

▲交響曲第2番“江戸の情景”世界初演プログラム(2018年12月9日、Lugano、スイス)

『ディアー・ユキヒロ。フランコが、セカンド・シンフォニーを書き上げた。今、私がもっとも気にとめている作品だ。添付したスコアは、作曲者のプルーフなんだが、ぜひ、感想を聞かせてほしい。このようなスタンダードの作品を書ける作曲家はいないと思うんだ。ベン』

スイスの作曲家フランコ・チェザリーニ(Franco Cesarini)の新作シンフォニーについて、ハル・レナード・ヨーロッパ音楽出版部門トップのベン・ハームホウトス(Ben Haemhouts)からメールを受け取ったのは、2018年10月初旬のことだった。

メールに添付されてきたスコアの表題は、

SYMPHONY No.2 《Views of Edo》
Franco Cesarini
Op. 54

日本語に訳すと、

交響曲第2番《江戸の情景》
フランコ・チェザリーニ
作品54

となった。

全5楽章構成で、各楽章には小題がある。各国で一躍人気曲となった前作、交響曲第1番『アークエンジェルズ』(作品50)(SYMPHONY No.1 “The Archangels”、Op.50)より明らかに尺(曲の長さ)が長い。スコアの頁総数が167ページあるシンフォニーだ。

ただ、その時点で送られてきていたのはスコアだけで、それ以外の、例えばプログラム・ノートなどの作品の背景を知るヒントらしきものは一切なかった。

しかし、スコア最終ページの欄外の「Lido di Jesolo 26.08.2018」という記述から、フランコがスコアを書きあげたのが、2018年8月26日、イタリア、ヴェネチアの海岸リゾート、リド・ディ・イェーゾロだったことがわかった。

(そうか、夏のバケーションの間に書き上げた作品なんだな。)

また、メイン・タイトル《Views of Edo》の“Edo”は、すぐに“江戸”だと気づいた。

(これは、日本を題材にした新しいシンフォニーだ!)

ということは……。少しだけ、思いあたるふしがあった。

フランコは、過去に日本に来たことが一度だけある。

それは、2016年6月10日(金)、鈴木孝佳指揮、タッド・ウインドシンフォニーによって行なわれた交響曲第1番『アークエンジェルズ』日本初演(於:ティアラこうとう大ホール、東京)に際し、コラボレーションのために来日したときのことだった。(参照:第67話 チェザリーニ:交響曲第1番「アークエンジェルズ」日本初演

絵画が好きなフランコは、練習の空き時間を活用して美術館へ行って日本画家の作品を鑑賞したり、都内の寺を訪れたりしていた。浮世絵に関心があることもたびたび口にしていた。

一緒にヤマハ銀座店を訪れたときも、2階のCD売り場で、フロアのスタッフに頼んでサンプルを聴きながら、日本の伝統的な和楽器の演奏が入ったCDを時間をかけて選んで何枚も購入していた。

『面白いものに関心があるんだね。』と訊ねると、『次作は、日本をテーマにしたものを書きたいんだ。』という。

その後、しばらくの間、互いにその話題に触れることはなかった。そのため、その会話のことはすっかり忘れていたが、それから2年以上の時間が過ぎ、ベンから突然送られてきたスコアを見たとき、そのときの記憶が鮮やかによみがえってきた。

(2年という時間は長い!)

また、各楽章の小題にもいくつも日本名が含まれていた。

I. The Pagoda of Zojoji Temple

II. The City Flourishing

III. Temple Gardens at Nippori

IV. Cherry Blossoms along the Tama River

V. Senju Great Bridge

ネイティブ大阪の筆者にもはっきりそれとわかる“増上寺”“日暮里”“玉川”“千住”という日本名が小題に使われていたのだ。

しかし、フランコが東京にいた間に、それらすべての場所を実際に訪れる時間などなかった。しかも、作品のメイン・タイトルには“江戸”の文字。とすると、今の東京をテーマとする曲ではない。

筆者の容量の少ない脳みそをパンク寸前までフル稼動させても、全体のテーマは見えてこなかった。

“いったい何なんだ”と迷いながらも、スコアに目を走らせる。

すると、まず、ものすごいゴージャスな音が響きそうなオーケストレーションに驚かされる。ついで、今の日本の作曲家の多くがまるで忘れてしまったかのような(失礼!)明らかに日本を意識させる旋律線。それは“西洋から見た日本”を感じさせるものでありながら、海外の作曲家が日本をテーマにした曲でよくやらかす“中華風”になっていない点が光る。プッチーニのオペラを聴くような感覚は多少は感じられるかも知れないが…。

しかし、とにかく、何だか妙に懐かしいのだ。こいつは面白い!

そこで、ハタと気がついた!

これは、ひょっとして“浮世絵”の静止画の世界をウィンドオーケストラという音楽のパレットを使って動画にしたような曲かもしれない!広重なのか北斎なのか、あるいはそれ以外なのか。美術に縁遠い筆者には、このときはまだ分からなかったが…。同時に、日本音楽のイミテーションなどではなく、あくまで西洋音楽としての書法を中心として書かれた音楽だった!

間違いなく言えることは、筆者が知るウィンドオーケストラのオリジナルに、同じ種類の音楽はなかった。

ベンには、個人的感想だが、率直に思ったままを書き送った。

『これは、東京の古い呼称である“江戸”の町の情景とそこに暮らす人々、そしてそれを描いた浮世絵の世界にインスパイアーされた作品だ。あなたも知っているクラシックの偉大なる先人たちが試みてきたような。もちろんフランコ自身のスタイルだが。まず、フランコに“おめでとう”と伝えてほしい。すでに初演は決まっているんだろうが、“江戸”をテーマとする曲だから、日本での初演は、必ず“東京”で行なわれるべきだ!』と。

そして、メールを送信後、筆者は図書館へ直行!

浮世絵関連の書物を片っ端にあたっていく内、フランコがモチーフにしたものが、歌川広重の「名所江戸百景」に含まれる5枚の浮世絵であることが分かった。また、送られてきたスコアの表記が英語だったのでピンとこなかったが、各楽章の小題も、すべて浮世絵のタイトルだと判明した。

第1楽章: 増上寺塔赤羽根(ぞうじょうじとうあかばね)

第2楽章: 市中繁栄七夕祭(しちゅうはんえいたなばたまつり)

第3楽章: 日暮里寺院の林泉(にっぽりじいんのりんせん)

第4楽章: 玉川堤の花(たまがわづつみのはな)

第5楽章: 千住の大はし(せんじゅのおおはし)

その後、その足で書店に向かい、できるだけ新刊の参考になりそうな書籍を物色する。

ここからのベンとのやりとりには、フランコも加わってきた。

そして、スコアはまず、前回『アークエンジェルズ』日本初演を成功させたアメリカ在住の指揮者、鈴木孝佳(タッド鈴木)さんに見てもらうことに決まった。

スコア・リーディングを終えた鈴木さんからは、すぐ返信があった。

『すごいヤツですねー!あの短かい滞在期間に、これだけのものを吸収していったとは!!可能ならば、ぜひ、来年(2019年)6月定期でとりあげたいと思います。』

こうして、作曲者と出版社公認の“公式日本初演”は、前回同様コラボレーションのために来日する作曲者を客席に迎え、2019年6月14日(金)、杉並公会堂(東京)で開催される「タッド・ウインドシンフォニー第26回定期演奏会」で行なわれることが決まった。

2018年11月の話だ。

世界初演は、その1ヶ月後、2018年12月9日(日)、スイスのルガーノのパラッゾ・デイ・コングレッシ・ルガーノ(Palazzo dei Congressi Lugano)において、フランコ・チェザリーニ指揮、シヴィカ・フィルハーモニカ・ディ・ルガーノ(Civica Filarmonica di Lugano)の演奏で行なわれた。

クリスマス・シーズンの“ガラ・コンサート”として行なわれたこの演奏会のプログラムは、オール・チェザリーニ・プロ。交響曲第2番『江戸の情景』と2曲のシンフォニエッタだけで構成されるひじょうにシンプルなもので、地元ラジオ局の収録も入っていた。

2日後、ベンから短かいメールが入った。

『スイスに行って、フランコのセカンド・シンフォニーの初演を聴いてきた。それはもう、ファンタスティックだった!』

メールは、新しいシンフォニーの初演成功を伝えるものだった!

地球は狭い!!

▲スコア – SYMPHONY No.2 《Views of Edo》、Op.54 (Mitropa Musik)

▲Hiroshige(Melanie Trede & Lorenz Bieler著)(Taschen、2018)

▲広重 TOKYO 名所江戸百景(小池満紀子、池田芙美著)(講談社、2017)

■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第81話 栄光のギャルド

▲LP – 栄光のギャルド/吹奏楽名演集(Angel(東芝)、AA-8302)

▲ Angel(東芝)、AA-8302 – A面レーベル

▲Angel(東芝)、AA-8302 – B面レーベル

第2次世界大戦後、日本の吹奏楽にもっとも大きな影響を与えた来日吹奏楽団は、1961年(昭和36年)11月に初来日したフランスの“ギャルド・レピュブリケーヌ交響吹奏楽団”(公演名)だった。

第22話「ギャルド1961の伝説」でお話したように、そのとき、彼らが演奏したプログラムは、ヨハン・セバスチャン・バッハの『トッカータとフーガ 二短調』」をはじめ、フランツ・リストの『ハンガリー狂詩曲第2番』、フランツ・フォン・スッペの喜歌劇『詩人と農夫』序曲、モーリス・ラヴェルの『ダフニスとクロエ』第2組曲、オットリーノ・レスピーギの交響詩『ローマの松』といったクラシックの名曲のほか、フローラン・シュミットの『ディオニソスの祭り』という高度なオリジナル曲などで組まれ、当時の日本の吹奏楽の水準からみると、まるで別世界のように感じられるものだった!

その後、半世紀以上のときが流れ、それらの曲がまるで日本の吹奏楽の定番レパートリーであるかのように演奏される姿をみると、このとき“ギャルド”からもたらされた音楽的インパクトがどれほど大きいものだったかがとてもよく理解できる。

“ギャルド”は、それまでの“マーチ”一辺倒だった日本の音楽ファンの吹奏楽に対する概念を根本から変えてしまうほどの大きな衝撃をもたらしたわけだ。

レコードは、日本コロムビアと東芝音楽工業から登場した!!

ところが、1960年代に国内発売されたレコードは、1枚を除き、すべて“マーチ・アルバム”だった。

第79話「ギャルドとコロムビア・レーベル」などでお話したように、当時のレコード会社の吹奏楽に対する捉え方(常識)が“吹奏楽=マーチ”にしっかり固定されていたので、それも仕方なかったかもしれない。

唯一例外の1枚は、来日時の楽長フランソワ=ジュリアン・ブラン(Francois-Julien Brun, Chef de la Musique et du Orchestre)から『どうしても残しておきたい曲が3つあるが、録音してくれるかな?』という録音当日の突然のリクエストで東芝がレコーディングした「ギャルド名演集」(Angel(東芝)、5SA-5003)だった。

25センチLPとして発売されたこのアルバムには、日本公演でも好評を博したクロード・ドビュッシーの『牧神の午後への前奏曲』、ジョルジュ・ビゼーの『アルルの女』組曲第2番から“ファランドール”、フローラン・シュミットの『ディオニソスの祭り』が収録されていた。

公演をナマや放送で聴いたリスナーが最も期待したアルバム内容だけに、1962年7月にリリースされるや、爆発的人気を集めてアッという間に完売。ところが、その後は、すぐに再プレスされることもなく、次にこれらの曲目が入ったアルバムがリリースされるのは、7年後の1969年9月まで待たねばならなかった。

レコード会社として、マーチ以外の吹奏楽レコードのリリースに慎重になっていた様子が見え隠れする。

同時に録音された6曲の日本のマーチ入りの17センチEP「ギャルド・レピュブリケーヌ日本マーチ集」(Angel(東芝)、YDA-5001)がレコード番号を変えて何度も発売されたのに比べ、あまりにも扱いが対照的だった。

もっとも、1950年代のフランス盤の収録曲にもマーチは多かった。

戦前から音楽執筆を行われ、“ギャルド”とも親交が深かった赤松文治さんの東京・永田町のご自宅に何度か押しかけた際、不躾にもこのことについて質問したことがある。

すると、苦笑しながらも、氏は『ブランの頃には、月に1度のペースでラジオ放送のための録音が行われていたんで、放送やコンサートで演奏するようなレパートリーまで、敢えてレコード化する必要はなかったんだよ。』と話された。

“なるほど。それなら、レコードなんか必要ないな”と思ったのを記憶している。

その後、他に放送録音があったことについては、氏の労作「栄光のギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団」(自費出版 / 1988 / 制作:音楽之友社 / 第24話「ギャルド1961外伝」参照)の中でも触れられている。

とは言うものの、やっぱりコンサート・レパートリーもレコードで聴いてみたい!

1967年10月、そんな音楽ファンの期待に応えるアルバムがついにフランスで録音され、その後、フランスEMIのパテ・マルコーニ・レーベルからリリースされた。

■KIOSQUE A MUSIQUE
(仏Pathe Marconi(EMI)、CPTPM 130572 / ステレオ / 30cm LP)
(Matrix:YPTX 1246 / YPTX 1247)

“RECITAL CLASSIQUE(リサイタル・クラシック)”というサブ・タイトルがあるこのアルバムには、何度でも聴きたい、つぎの4曲が収録されていた。

トッカータとフーガ 二短調(ヨハン・セバスチャン・バッハ)
Orchestration:フランソワ=ジュリアン・ブラン

ハンガリー狂詩曲 第2番(フランツ・リスト)
Orchestration:フランソワ=ジュリアン・ブラン

歌劇「泥棒かささぎ」序曲(ジョアッキーノ・ロッシーニ)
Transcription:レイモン・リシャール

喜歌劇「詩人と農夫」序曲(フランツ・フォン・スッペ)
Transcription:レイモン・リシャール

すべて日本公演で人気を博した曲で、指揮者も、来日当時の楽長ブラン!!

日本の音楽ファンが待ち浴びたこのアルバムは、録音翌年の1968年5月新譜として、東芝音楽工業のエンジェル・レーベルからもリリースされた。

■栄光のギャルド/吹奏楽名演集
GLORIOUS GARDE REPUBLICAINE
(Angel(東芝)、AA-8302) / ステレオ / 30cm LP)
(Matrix:YPTX 1246 / YPTX 1247)

マーチ以外のフランス録音の登場に、日本中のファンが興奮に包まれ、アルバムは大ヒット!

その大成功は、日本のレコード各社に、“ひょっとすると、マーチ以外の吹奏楽レコードも売れる”かも知れないと認識させるきっかけになり、気を良くした東芝も、完売後、文字通りのお蔵入り状態になっていたシュミットの『ディオ二ソスの祭り』ほかの来日時の録音を再登場させることになった。

一方、ブランの定年(1969年6月18日)を間近かに控えたフランスでも、アルバムは、人気を博してロングセラーとなってプレスを重ねた。その後、1972年にも、カップリングを変更して再リリースされている。

調べると、フランス、日本以外でも、アメリカやカナダでもリリースされていたことがわかった。

1枚のレコードがマーケットの空気をガラリと変え、その国のレパートリーにまで大きな影響を及ぼすことになる、ものすごいパワーを秘めたアルバムが、かつて吹奏楽の世界にも存在した!

“栄光のギャルド”は、正しくそんなアルバムだった!!

▲ LP – KIOSQUE A MUSIQUE(仏Pathe Marconi(EMI)、CPTPM 130572)

▲ 仏Pathe Marconi(EMI)、CPTPM 130572 – 初期プレス盤 – A面レーベル

▲仏Pathe Marconi(EMI)、CPTPM 130572 – 初期プレス盤 – B面レーベル

▲仏Pathe Marconi(EMI)、CPTPM 130572 – 中期プレス盤 – A面レーベル

▲仏Pathe Marconi(EMI)、CPTPM 130572 – 中期プレス盤 – B面レーベル

▲仏Pathe Marconi(EMI)、CPTPM 130572 – 後期プレス盤 – A面レーベル

▲仏Pathe Marconi(EMI)、CPTPM 130572 – 後期プレス盤 – B面レーベル

▲LP – KIOSQUE A MUSIQUE(仏LA VOIX DE SON MAITRE(EMI)、C 053-12034)(1972)

▲仏LA VOIX DE SON MAITRE(EMI)、C 053-12034 – A面レーべル

▲仏LA VOIX DE SON MAITRE(EMI)、C 053-12034 – B面レーべル

▲LP – THE BANDSTAND(米Connoiseur Society、40-5664)

▲米Connoiseur Society、40-5664 – A面レーベル

▲米Connoiseur Society、40-5664 – B面レーベル

▲LP – CONCERT PROMENADE(カナダSelect、S-398.136)

▲カナダSelect、S-398.136 – A面レーベル

▲カナダSelect、S-398.136 – B面レーベル

■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第80話 ギャルドとジャケット写真の謎

▲Peter Martland著、SINCE RECORDS BEGAN – EMI – The First 100 years(英Batsford / 1997年)

▲LP – ギャルド・フランス・アメリカ行進曲集 (Angel(東芝)、CA 1027 )

▲ LP – ギャルド・シンフォニック・マーチ名曲集 (Angel(東芝)、AB 7008)

かつてイギリスに“EMI”(イーエムアイ)という世界的なレコード会社が存在した。

ファンにとって、それは芸術の香りを我が家へと運び、身近なものにしてくれる夢や憧憬の担い手であり、演奏家にとってはステータスの証しだった。間違いなく、レコード史に燦然と輝くブランドである。

歴史を紐解くと、EMIは、1931年、英Grammophone(グラモフォン)と英Columbia(コロムビア)の合併によって誕生した。それは、当時のイギリスを代表する2大レコード会社が1つになることを意味する大事件だった。

EMIとは、正式な社名“Electric and Musical Industries Limited”の頭文字だ。

旧社名の“グラモフォン”、それ自体が、円盤の上に音の溝を刻んだレコードを再生する“円盤式蓄音機の登録商標名”であるぐらいだから、それをルーツとする社名をもっていた事実1つをとっても、レコード業界でどれほどの“老舗”だったかをよく物語っている。

EMIのドル箱は、合併前から Grammophone が発売していた“蓄音機から聞こえる主人の声に耳を傾ける犬の絵”をトレード・マークとする《His Master’s Voice(ヒズ・マスターズ・ヴォイス)》と、Columbia が発売していた“音符”のマークの《Columbia(コロムビア)》の2大レーベルだった。契約アーティストとの個別の兼合いもあり、両レーベルは合併後も存続され、録音・制作体制も維持された。

1997年のEMI100周年を記念して出版されたピーター・マートランド著の「SINCE RECORDS BEGAN – EMI – The First 100 years」(英Batsford)を読むと、その100年間に信じられないほどすごい顔ぶれのアーティストがEMIのカタログに加わっていたことがわかり、とても興味深い。

EMIの歴史は、レコードの歴史と言って過言ではなかった。

日本国内で、日本ビクターが“犬の絵”を、日本コロムビアが“音符”を登録商標に使っているのも、第二次世界大戦前から個別に両レーべルと契約関係を結び、日本国内への販売権をもっていた名残りである。

さて、前話(第79話「ギャルドとコロムビア・レーベル」)でお話したように、“ギャルド・レピュブリケーヌ交響吹奏楽団”(公演名)が来日した1961年当時、この吹奏楽団の主なレコードは、英Columbiaが子会社として1923年に設立した仏Columbiaレーベルからリリースされていた。

当然、日本での販売権は、英Columbiaとレーベル契約を結んでいた日本コロムビアが持っていた。

コロムビアは、1956年(昭和31年)、手始めに『フランス行進曲集/アメリカ行進曲集(MARCHE MILITAIRES FRANCAISES ~MARCHES MILITAIRES AMERICAINES)』(日本コロムビア、KL-5005)(モノラル)をリリース。1961年の来日が決まると、同盤のタイトルを『ギャルド行進曲集(MARCHE MILITAIRES FRANCAISES ~MARCHES MILITAIRES AMERICAINES)』(日本コロムビア、SL-3072)(モノラル)と改めて再リリースし、来日後の1962年には『ギャルド・グランド・マーチ集(MARCHES CELEBRES)』(日本コロムビア、OL-3234)(モノラル)という、クラシックの名行進曲を集めたアルバムをリリースした。

しかし、1962年、EMIグループの全世界規模の再編の結果、英Columbiaと日本コロムビアとの契約関係が解消すると、英仏Columbia盤の日本国内における販売権は、すべて東芝音楽工業に移行。このとき、コロムビアが販売していたギャルドのレコードも、一定期間の販売継続は許されたものの、追加プレスは認められず、すべて廃盤。マスターも東芝へ移されることとなった。

実は、この前後、東芝は、コロムビアの動きを睨みながら、ギャルド来日中の1961年11月16日(木)、杉並公会堂(東京)でレコーディング・セッションを行ない、来日直後の1962年3月、團 伊玖磨の『祝典行進曲』など、日本のマーチ6曲が入った17センチEP『ギャルド・レピュブリケーヌ日本マーチ集』(Angel(東芝)、YDA-5001 / ステレオ)およびそのシングル・カットをリリース。7月には、日本公演で注目を集めたフローラン・シュミット(Florent Schmitt)の「ディオニソスの祭り(Dionysiaques)」などが入った25センチLP『ギャルド名演集』(Angel(東芝)、5SA-5003)(ステレオ)をリリースし、大きな成果を挙げていた。

その経緯は、第23話「ギャルド、テイクワンの伝説」でお話したとおりだが、そんな折、日本コロンビアがリリースしていたアルバムのマスターも移管されることになった訳だ。

後年、仕事上いろいろご一緒することになる東芝EMI洋楽クラシックのプロデューサー、中田基彦さんから伺った話だと、この当時、東芝の洋楽部門は『吹奏楽は、イギリスのロイヤル・マリーンズで行く。』と決めていたんだそうで、ちょうどスタートしたばかりの「エンジェル吹奏楽シリーズ」の第1集(Angel(東芝)、ASC-5286)と第2集(同、ASC-5292)も、ヴィヴィアン・ダン指揮、ロイヤル・マリーンズ・バンドが演奏するマーチ・アルバムだった。

同社も、やはり、“吹奏楽=マーチ”をポリシーとしていたのだ。

結果、コロムビアが出していたギャルドの2タイトルも、このシリーズの中でカバーする流れとなった。

■エンジェル吹奏楽シリーズ(第3集)
ギャルド・フランス・アメリカ行進曲集

ANGEL:MARCHES ON PARADE(Vol.3)MARCHES MILITAIRES FRANSES ET AMERICANS
(Angel(東芝)、CA 1027 / モノラル / 30cm LP)
(Matrix: XLX 311 / XLX 312)

■エンジェル吹奏楽シリーズ(第4集)
ギャルド, シンフォニック・マーチ名曲集

ANGEL:MARCHES ON PARADE(Vol.4)MARCHES CELEBRES
(Angel(東芝)、AB 7008 / モノラル / 30cm LP)
(Matrix:XLX 763 / XLX 762)(1964年2月新譜)

データ末尾のマトリクス(Matrix)を見れば明らかだが、先行した“フランス・アメリカ行進曲集”は、仏Columbia原盤や日本コロムビア盤と同じ曲順のリリースだが、もう一方の“シンフォニック・マーチ名曲集”は、日本コロムビア盤では組み換えられていた曲順を仏Columbia原盤当時に戻し、A面をB面に、B面をA面に入れ替えてのリリースとなった。

東芝は、両盤につづいて、フランスでステレオ録音されたフランスのマーチ集をリリースした。ルイ・ガンヌの「ロレーヌ行進曲(Marche Lorraine)」とジャン・ロベール・ブランケット/ジョセフ・フランソワ・ラウスキーの「サンブル・エ・ムーズ(Sambre et Meuse)」などを除くと、収録曲は日本ではほとんど知られていない曲ばかりだったが、ステレオ効果も満点で、“これぞギャルド”という、湧き立つようなサウンドが喜ばれた。

■エンジェル吹奏楽シリーズ(第5集)
ギャルド・イン・ステレオ(軍隊行進曲集)

ANGEL:MARCHES ON PARADE(Vol.5)MARCHES MILITAIRES
(Angel(東芝)、AA 7048 / ステレオ / 30cm LP)
(Matrix:YLX 1040 / YLX 1041)(1964年4月新譜)

東芝時代の国内盤では、ジャケットにギャルドのカラー写真が使われるようになった。しかし、その後、CD時代も経て半世紀以上たった今、もう一度振り返ってみると、東芝から発売されたギャルドのレコードやCDのジャケットに使われてきた多くが“馬に跨ったラッパ手”の写真であることに気がつく。

唯一、例外的だったのが、『ギャルド・イン・ステレオ(軍隊行進曲集)』(AA 7048)で、ジャケットには“馬”の写真ではなく“ギャルド”の全体写真が使われた。しかし、その写真を注意深く見ると、かなりの数の弦楽器奏者が写りこんでいる。これは、来日した“吹奏楽団”だけを写したものではなく、その後、ジャケットには二度と使われなかった。

種明かしをすると、前者は、当初、来日予定だった馬上演奏が人気を呼ぶ別編成の“バテリー・ファンファール”のラッパ手を写したもので、後者は、83名定員の吹奏楽団に40名の弦楽を加えた“グラン・オルケストル”編成のものだった。いずれも招聘元の朝日新聞社を通じて入手した写真だった。

“グラン・オルケストル(Grand Orchestre)”編成は、楽長のフランソワ=ジュリアン・ブランがベルリオーズの「葬送と勝利の交響曲」のスコアからアイデアを得てスタートさせたギャルド独特の編成で、その編成で録音されたレコードも仏Deccaから発売されていた。

 公演プログラムの表紙(第22話「ギャルド1961の伝説」、参照)にも、『ギャルド・イン・ステレオ(軍隊行進曲集)』とは別の、後方から俯瞰で撮影された“グラン・オルケストル”の写真が使われていた。

 ひょっとすると、ブランは、弦楽奏者までを含めたギャルド全員を連れてきたかったのかも知りない。

▲LP – ギャルド・イン・ステレオ(軍隊行進曲集)(Angel(東芝)、AA 7048)

▲Angel(東芝)、AA 7048 – A面レーベル

▲Angel(東芝)、AA 7048 – B面レーベル

▲EP – BATTERIE-FANFARE DE LA GARDE REPUBLICAINE DE PARIS(仏Decca、450573)

▲仏Decca、450573 – A面レーベル

▲ 仏Decca、450573 – B面レーベル

▲EP – LE GRAND ORCHESTRE DE LA GARD REPUBLICAINE(仏Decca、458501)

▲仏Decca、458501 – A面レーべル

▲仏Decca、458501 – B面レーべル

■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第79話 ギャルドとコロムビア・レーベル

▲25センチLP – LISZT SUPPE CHABRIER(仏Columbia、FC 25032)

▲仏Columbia、FC 25032 – A面レーベル

▲仏Columbia、FC 25032 – B面レーベル

フランス政府の派遣により、“ギャルド・レピュブリケーヌ交響吹奏楽団”が初めて日本の土を踏んだのは、1961年(昭和36年)のことだった。

一行は、11月1日(水)、エールフランス特別機で羽田空港に到着。その後、同17日(金)、同じ特別機で羽田から離日するまでの17日間、日本に滞在した。

ギャルドは、その滞日期間中、東京(11/3、11/5、11/11、11/13)、大阪(11/6)、福岡(11/8)、京都(11/9)、名古屋(11/10)、高崎(11/15)の各都市のコンサートに出演。東京の台東体育館で開催された第9回全日本吹奏楽コンクール(11/12)でも特別演奏を行った。

NHKも、東京文化会館における2回のコンサート(11/5、11/11)をライヴ収録し、テレビ(モノクロ)、AMラジオ、FMラジオ(モノラル実験放送)を通じ、計8本の番組がオンエアされた。

日本中を包んだ熱狂は、第22話「ギャルド1961の伝説」ほかでお話したとおりだ。

しかし、その後、この吹奏楽団の再来日は、1984年まで20年以上、実現しなかった。

このため、それまでの間、我々が聴き得た“ギャルド・レピュブリケーヌ”の演奏は、もっぱらアナログのレコードを通じてとなったのである。

当時、母国フランスでは、初来日時の楽長(シェフ・ド・ミュジーク)であるフランソワ=ジュリアン・ブラン(Francois-Julien Brun, Chef de la Musique et du Orchestre)の指揮で録音されたレコードは、下記のものがリリースされていた。

■MUSIQUE MILITAIRE FRANCAISE
(仏Columbia、FCX 190 / モノラル録音 / 30cm LP)
(Matrix: XLX 132 / XLX 133)

■MARCHES MILITAIRES FRANCAISE ET AMERICAINES
(仏Columbia、FCX 374 / モノラル録音 / 30cm LP)
(Matrix: XLX 311 / XLX 312)

■MARCHES MILITAIRES FRANCAISE
(仏Columbia、FCX 714 / モノラル録音 / 30cm LP)
(Matrix: XLX 664 / XLX 665)

■LES MARCHES CELEBRES
(仏Columbia、FCX 780 / モノラル録音 / 30cm LP)
(Matrix: XLX 762 / XLX 763)

■LISZT SUPPE CHABRIER
(仏Columbia、FC 25032 / モノラル録音 / 25cm LP)
(Matrix: XL 502 / XLX 503)

■MUSIQUE DE LA GARDE REPUBLICAINE DE PARIS
(仏Columbia、ESBF 185 / モノラル録音 / 17cm EP)
(Matrix: 7 TCL 770 / 7 TCL 771)

MARCHES MILITAIRES
(仏Columbia、SAXF 130 / ステレオ録音 / 30cm LP)
(Matrix:YLX 1040 / YLX 1041)

それらは、30センチLPが5タイトル、25センチLPが1タイトル、17センチEPが1タイトルの合計7タイトルで、すべてイギリスColumbiaの子会社であるフランスColumbiaレーベルからリリースされていた。

(上記以外にも、30センチLP用のマスターから曲数をカットした25センチ盤や17センチ盤が多数リリースされていたが、曲目が重複するのでこのリストアップからは省いている。また、リストには、バテリー・ファンファールやグラン・オーケストラ、サクソフォン四重奏団のレコードも含まない。各タイトルの最後に挙げた“Matrix”とは、原盤に付与された番号のことで、曲目のカップリングに変更が無い再リリース盤や、他国でリリースされる場合でも活かされることが多いので、チェック時のクロス・レファレンスのために記載した。スラッシュの前の番号がA面、後の番号がB面に付与されたマトリクスとなる。)

戦前から音楽解説をされ、筆者も多くの教示を得た赤松文治さんの労作「栄光のギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団」(自費出版 / 1988 / 制作:音楽之友社 / 第24話「ギャルド1961外伝」参照)には、イギリスColumbiaがフランスに進出し、フランスColumbiaが設立されたのが1923年。ギャルドが本格的にフランスColumbiaとの間で録音をするようになったのは、1927年に第6代楽長に就任したピエール・デュポン(Pierre Dupont、1888~1969)の時代に遡るという記述がある。

1944年にデュポンが定年を迎えた後、1945年に第7代楽長に就任したブランの時代にも、その流れは確実に引き継がれていた。ただ、フランス政府の楽団だけに、この当時には専属契約はもはやなかったとされ、実際、バテリー・ファンファールやグラン・オーケストラ、サクソフォン四重奏団のレコードは、他のレーベルからリリースされていた。しかし、吹奏楽団が演奏した前記7枚は、すべてColumbiaからのリリースだった。

一方、第31話「日本初の吹奏楽LP」でお話したように、英仏Columbiaのレコードの日本における販売権は、戦前から関係が深かった日本コロムビアが有していた。

前記7枚を各個にチェックすると、リスト上の3枚目までは、すべてマーチ・アルバムだ。

日本コロムビアは、まず、つぎのアルバムをリリースした。1956年(昭和31年)3月25日のことだ。

■フランス行進曲集/アメリカ行進曲集
MARCHE MILITAIRES FRANCAISES~MARCHES MILITAIRES AMERICAINES
(日本コロムビア、KL-5005 / モノラル録音 / 30cm LP)
(Matrix: XLX 311 / XLX 312)

結局、日本コロムビアからは未発売となる他の2枚には、日本では馴染みの薄いフランスのマーチばかりが収録されていたので、このリリースが、1953年のアメリカ演奏旅行中に録音されたジョン・フィリップ・スーザ(John Philip Sousa)の「星条旗よ永遠なれ(The Stars and Stripes Forever)」や「ワシントン・ポスト(Washington Post)、エドウィン・E・バグリー(Edwin E. Bagley)の「国民の象徴(National Emblem)」などの有名なアメリカン・マーチの“曲名”に惹かれてのものだったことは明白だ。

当時は、すべての国内レコード会社が“吹奏楽 = マーチ”と信じ、戦後進駐してきたアメリカ軍のバンドが持ち込んだ明るいアメリカン・マーチが町にあふれていた時代だ。

この時点では、5年後のギャルド来日など、想像も及ばなかっただけに、このアルバムをリリースしたレコード会社としての企図もよくわかる。

しかし、1961年のギャルド初来日が業界内で伝わると、コロムビアの動きはすばやかった。

上記アルバムの日本語タイトルを「フランス行進曲集/アメリカ行進曲集」から「ギャルド行進曲集」に変更し、ジャケット外装も完全にやり直し、1961年6月新譜として再リリースしたのである。

■ギャルド行進曲集
MARCHE MILITAIRES FRANCAISES ? MARCHES MILITAIRES AMERICAINES

(日本コロムビア、SL-3072 / モノラル録音 / 30cm LP)
(Matrix: XLX 311 / XLX 312)

それは、マスターが国内にあったからこそできた離れ業だった。同時に、まるで来日記念盤のような扱いのリリースだったから、他社に先駆けてレコードを出したコロンビアの圧勝を業界の誰もが信じて疑わなかった。

事実、来日当時、日本国内で唯一販売されていたギャルドのレコードだったこのアルバムは、それなりのセールスを記録する。

しかし、コロムビアにとってまるで想定外だったのは、まず国内の音楽界を挙げての大騒ぎとなったギャルドの初来日で最も注目を集めたレパートリーが、マーチではなく、クラシックの名曲やオリジナルだったことだ。

銀座をパレードするようなパフォーマンスもなかった。

ついで、コロムビアが知らないところで、東芝音楽工業が秘密裏にレコーディングを企画。11月16日(木)、東京・杉並公会堂でセッションを敢行したことも衝撃だった。

第23話「ギャルド、テイクワンの伝説」でお話したように、このセッションは、東芝の録音史に残るセンセーショナルなものとなり、メディアも大きく取り上げた。

東芝は、このときの録音から、まず、團 伊玖磨の『祝典行進曲』など、日本のマーチ6曲が入った17センチEP(Angel(東芝音楽工業)、YDA-5001)とそのシングル・カット盤を来日直後の1962年3月に、フローラン・シュミット(Florent Schmitt)の「ディオニソスの祭り(Dionysiaques)」など、日本公演で注目を集めた曲目が入った25センチLP(Angel(東芝)、5SA-5003)を同じく7月にリリース!

音楽界の話題を完全にさらってしまった!

その直後、コロムビアも、前記リストの4番目にあるクラシックのコンサート・マーチ集を、1962年9月新譜としてリリースする。

■ギャルド・グランド・マーチ集
LES MARCHES CELEBRES

(日本コロムビア、OL-3234 / モノラル録音 / 30cm LP)
(Matrix: XJX 23 / XJX 24)

このアルバムには、ワーグナーの「タンホイザー」大行進曲やメンデルスゾーンの「結婚行進曲」、サンサーンスの「フランス軍隊行進曲」など、誰でも知っているクラシックの名行進曲が入っていた。しかし、東芝盤は、日本初のギャルドのステレオ盤であり、国内初出とはいえ、モノラル録音のコロムビア盤が劣勢を強いられることになったのは明らかだった。とにかく、インパクトがあまりにも違っていた。(日本リリースにあたり、曲順に変更を加えたので、コロムビア独自の新しいマトリクスが付与されている。)

日本コロムビアにとってさらにショックだったのは、同じ1962年、英仏Columbiaを含む、世界的なEMIグループ各レーベルの再編があり、日本コロムビアと英仏Columbiaとの間で戦前から続いていた契約関係が終了。英仏Columbiaレーベルの日本国内の販売権が、東芝音楽工業にすべて移行されることになったことだ。

このため、この「ギャルド・グランド・マーチ集」は、日本コロムビアがリリースした最後のギャルドのアルバムとなった。契約終了に伴う短期間の販売だったから、レア度は結構高い。

ここで、もう一度、前記フランスColumbiaのリストに立ち戻ってみよう。

実は、リストに残る上から5番目の25センチ盤と6番目の17センチ盤の2枚は、日本コロムビアがギャルド初来日を知った時点で、間違いなくマスターを取り寄せる時間的余裕があった盤なのだ。

この内、1958年のブリュッセル万国博覧会にギャルドの出演が決まった際に制作された17センチ盤は、マーチ・ファン向きの内容で、有名な「ベルギー落下傘部隊」の作曲者ピエール・レーマンス(Pierre Leemans)が、ブリュッセル万博のために作曲した2曲のマーチが片面に1曲ずつ収録されていた。

それとは対照的に、25センチ盤の方は、同じ1958年のモノラル録音ながら、リストの「ハンガリー狂詩曲第2番」、スッペの喜歌劇「軽騎兵」序曲、同じくスッペの喜歌劇「詩人と農夫」序曲、シャブリエの「スペイン狂詩曲」の4曲が収録されたコンサート・アルバムだった。

1961年の来日でギャルドが賞賛を集めたのは、間違いなくそういったレパートリーの演奏だった。

結局、このアルバムが、“レコードの時代”に日本で発売されることはなかった。

もちろん、当時、マーチは確かに売れていたし、“マーチ至上主義”で凝り固まっていたレコード会社は、何も日本コロムビアだけではなかった。

ただ、コロムビアは、ギャルドという楽団の本質を見誤っていた。

また、圧倒的な勝者となったとは言え、当初、東芝が録音を依頼したのは、日本のマーチ8曲だけだった。

“日本の常識は海外の非常識。海外の常識は日本の非常識”とは、よく聞かれる言葉だ

ひょっとすると、“吹奏楽は、世界中いずこも同じ”だと誤解されていたのかも知れない。

今がそうでないことをひたすら願う、今日この頃である!

▲EP – MUSIQUE DE LA GARDE REPUBLICAINE DE PARIS(仏Columbia、ESBF 185)

▲仏Columbia、ESBF 185 – A面レーベル

▲仏Columbia、ESBF 185 – B面レーベル

▲LP – ギャルド行進曲集(日本コロムビア、SL-3072) – 上、下

▲日本コロムビア、SL-3072 – A面レーべル

▲日本コロムビア、SL-3072 – B面レーべル

▲LP – ギャルド・グランド・マーチ集(日本コロムビア、OL-3234) – 上、下

▲日本コロムビア、OL-3234 – A面レーべル

▲日本コロムビア、OL-3234 – B面レーべル

■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第78話 ヴァンデルロースト:交響詩「スパルタクス」の物語

▲東京佼成ウインドオーケストラ第141回定期演奏会&第3回大阪定期演奏会のチラシ

▲同、プログラム

▲同、演奏曲目ページ

2018年(平成30年)11月24日(土)、筆者は、「東京佼成ウインドオーケストラ第3回大阪定期演奏会」が催される大阪のザ・シンフォニーホールに向かっていた。

とっても懐かしい“ある曲”に再び出会うために!

指揮者は、シンガポール出身のカーチュン・ウォン(Kah Chun Wong)。ドイツのバンベルク交響楽団が催した2016年の第5回グスタフ・マーラー国際指揮者コンクールで優勝した話題の俊英だ。

この大阪定期では、前日の11月23日(金・祝)に東京芸術劇場大ホールで催された同ウインドオケの「第141回定期演奏会」と同一の、以下のようなプログラムが組まれていた。

・呪文とトッカータ(ジェームズ・バーンズ)
Invocation and Toccata(James Barnes)

・交響詩「スパルタクス」(ヤン・ヴァンデルロースト)
Spartacus, Symphonic Tone Poem(Jan Van der Roost)

・ピータールー序曲(マルコム・アーノルド / 近藤久敦編)
Peterloo Overture(Malcolm Arnold / Hisaatsu Kondo)

・組曲「展覧会の絵」(モデスト・ムソルグスキー / 高橋 徹編)
Pictures at an Exhibition(Modest Mussorgsky / Tohru Takahashi)

筆者が再会したかったのは、ベルギーのヤン・ヴァンデルロースト(Jan Van der Roost、1956~)が作曲した交響詩「スパルタクス」だった。

完成および初演は1988年。ベルギー王室の至宝とも謳われる、ノルベール・ノジ(Norbert Nozy)指揮、ロワイヤル・デ・ギィデ(Orchestre de la Musique Royale des Guides / 第55話 ノルベール・ノジとの出会い、参照)の演奏で初演された作品だ。

初演翌年の1989年にオランダの出版社デハスケ(de haske muziekuitgave bv)が出版。この作品は、その後、世界的に演奏されるようになった。

作曲者によると、フランスのギャルド・レピュブリケーヌが演奏した唯一の自作品でもあるそうだ。

また、個人的には、作曲者との交友が始まるきっかけを与えたくれた作品であり、日本における初演奏や初レコーディングをオーガナイズした作品でもあった。

作品は、日本でも大ヒット!

その上で“再び出会うために”とワザワザ書いたのには、理由がある。

第47話「ヨーロピアン・ウィンド・サークルの始動」でお話した、ヨーロッパのオリジナル作品の“今”にスポットをあてる佼成出版社のシリーズCDの第1弾、交響詩「スパルタクス」(佼成出版社、KOCD-3901、リリース:1991年12月10日)のために、東京佼成ウインドオーケストラが録音して以降、本当に久しぶりにこの作品を演奏することを知ったからである。

(ついに、定期で取り上げられる!)

東京佼成ウインドオーケストラが、オランダ人指揮者ヤン・デハーン(Jan de Haan)のタクトで、レコーディング・セッション(於:普門館、東京)を行ったのは、1991年(平成3年)9月27日(金)のこと。筆者が知る限り、今度の東京・大阪の両定期演奏会における演奏は、それから27年ぶりのことだった。

メールやスカイプなんかでやりとりできる21世紀の今からみると、まるで信じられないかも知れないが、その当時、国際間の主な通信手段は、もっぱらエア・メール(手紙)かFAXだった。もちろん国際電話という手もあったが、他と比べて通信費がべらぼうに高く、電話は本当にいざという場合の最後の伝達手段として使用された。

しかし、紙の力はすごい!

四半世紀を超える年月が経過した今も、ヤンが送ってきた最初の手紙が筆者のファイルの中にそのまま残っているのだ。ファイルを開いて見ると、その手紙の日付は、1990年10月31日!

タイプライターで印字されたそれは、購入した交響詩「スパルタクス」のスコアの感想とともに日本でも録音プランがあることを知らせた筆者への返信だった。

『ミスター・ヒグチ。私は、大編成のウィンド・バンド(吹奏楽)のために書いた自作「スパルタクス」に関して、あなたが熱狂していると聞き、とても喜んでいます。また、有名な“東京佼成ウインドオーケストラ”とのCDレコーディングを企図されているとも聞かされました。もし、それが現実となるなら、私がとても名誉に思うのは、言うまでもなく明らかなことです!』

こちらが出した手紙が英語だったので、母国語ではなく、得意としない英語で返信してきた彼の気持ちがよく伝わってくる文面だった。

そして、その後の文面がとくに興味を引いた。

『ここでちょっとお知らせしたいことがあります。私は、(スコアの)編成リストにいくつか補足パートを加えます。それらは、もしレコーディングが本当になされるなら、お知らせいただければ送ります。それらは、ダブル・バスーン、コントラバス・クラリネット、ハープ、ピアノ及びチェレスタです。これらのオプショナル・パート譜は、ひじょうに読みやすい手書きで書かれています。….。』

はじめてこれを読んだ瞬間、きわめてシンプルな疑問が頭をよぎった。

(去年出版されたばかりの作品に、もう変更を加えるのだろうか??)

しかし、その後、ヤンや出版社とやりとりを繰り返す内、彼が手紙で知らせてきたこれらのパートは、実際には作曲時からすでに存在したもので、初演にも使われたことが判明した。

それらが出版譜にないのは、以下のような作品の出自と出版社の規模が微妙に絡む事情があった。

まず、交響詩「スパルタクス」は、誰か、もしくは、どこかの楽団からの委嘱作ではなく、作曲者の自由な発想によって書かれた作品だった。

加えて、ロワイヤル・デ・ギィデが初演するぐらいの作品だから、使用楽器の選択も自在であり、当然、編成も大きかった。

また、出版は、作曲者からデハスケに持ちかけたものだった。

この当時、デハスケは、創業間もない社員数5名ほどの“吹けば飛ぶような”弱小出版社で、話を聞いた音楽部門責任者のヤン・デハーン(指揮者、作曲家としても知られる)は、当初、スコアを見る以前に、“そんな規模の大きな作品は、残念ながら当社としは出版できない”といったん断っている。演奏時間が長い上、販売楽譜に“特殊”なパートまで入れると、楽譜がまったく売れない恐れがあると判断したからだった。

しかし、作曲者は粘った。彼は、『スコアを送るので、出版できなくてもいいから、とにかく見てほしい。』と言って、ついにヤン・デハーンからスコアを見る約束を取りつけたのだ。

結果、交響詩「スパルタクス」は、前記パートを除いた姿で出版されることが決まった。

スコアを一読したヤン・デハーンから、『たとえ1冊も売れなかったとしてもいい。当社はこの曲を出版することにした。』と電話がかかってきたその日のことを、作曲者のヤン・ヴァンデルローストはけっして忘れられないという。

この経緯については、彼の60歳を記念して2016年に制作された自伝的CDブック「ヤン・ヴァンデルロースト~マイルストーンズ」(de haske、DHR 16-016-3)でも、彼自身の語り口で書かれている。

そして、1991年、出版を決めたヤン・デハーンを指揮者に起用することが決まった東京佼成ウインドオーケストラのセッションでは、オットリーノ・レスピーギの色彩感豊かなオーケストレーションに触発されて書かれたというこの作品とその作曲者をリスペクトする意味で、出版譜からは省かれたパートもすべて入れた“オリジナル”の形で行なうことにした。

この決定は、作曲者を何よりも喜ばせた。

そして、セッションのために来日したヤン・デハーンもまた、普門館のステージ横でこう言った。

『出版社のレコーディングではないんだから、これでいい!』と。

▲ヤン・ヴァンデルロースト(1980年代後半)

▲交響詩「スパルタクス」初版スコア

▲CDブック – ヤン・ヴァンデルロースト~マイルストーンズ(de haske、DHR 16-016-3)

▲同、曲目

■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第77話 阪急少年音楽隊の記憶

▲阪急商業学園 阪急少年音楽隊 創立30周年記念写真集(1986年3月)

▲同、ごあいさつ

▲「月刊吹奏楽研究」1957年7月号(通巻43号)(月刊吹奏楽研究社)

『いつの間にか“30年”の月日が過ぎてしまいました。西宮球場の6階の一隅に、なんとか学科の学習と音楽の練習ができる教室と、職員室兼事務室の僅かな2部屋で阪急少年音楽隊として発足したのが昭和32年4月ですから間違いなく“30年”になります。….。』(原文ママ)

阪急少年音楽隊の隊長、そして阪急百貨店吹奏楽団の常任指揮者として知られた鈴木竹男さんから贈られた「阪急商業学園 阪急少年音楽隊 創立30周年記念写真集」(1986年3月発行)の巻頭を飾る氏の挨拶文は、こんな書き出しで始まる。

文中の西宮球場とは、かつてプロ野球“阪急ブレーブス”が本拠とした球場で、阪急神戸線と今津線が交差する「西宮北口」駅の南側正面すぐのところにあった。吹奏楽ファンには、1961年に“春の吹奏楽~1000人の合同演奏~”の名で始まった“2000人の吹奏楽”(後に“3000人の吹奏楽”と改称)の会場としておなじみだった。

阪急少年音楽隊は、1957年(昭和32年)3月15日、当時の阪急百貨店社長、清水 雅さんの発意により創設された。

「記念写真集」には、清水社長による“創設趣意書”が掲載されている。

『我が国は昨年国連に加盟し名実共に自主独立の民主国家として着実に再建の道を歩んで居りますことは誠に御同慶の至りに存じます。

音楽を愛する者は平和の愛好者と申します。世界の平和と相互の理解を促進する上に音楽の果す役割は誠に大きなものがあるのみならず、職場や家庭におきましても音楽による情操教育によつて明るく楽しい雰囲気を作り、又能率の向上に資しておりますことは御承知の通りで御座います。

阪急百貨店は企業の性質上 創業以来 常に文化生活の向上に関し深く関心を持って参りましたが、特に阪急経営の一環として宝塚音楽学校との関係も御座いまして、音楽につきましても由縁浅からざるものが御座います。この度阪急百貨店に阪急少年音楽隊を創設致しましたのもこの阪急の文化的基盤に立って、純真なる少年に音楽を通じて豊かな教養と情操を与え、近き将来阪急百貨店の社員として立つにふさわしい資質を習得せしめ、職場の明朗化をはかり、楽しい社会を作り上げ度念願する次第で御座います。 昭和三十二年三月』(原文ママ)

指導者となる隊長には、西宮市立今津中学校(兵庫県)の英語教諭で、音楽部の指導者としてバンドを創り、1955~56年の“全関西吹奏楽コンクール”で同部を2年連続の第2位に導いた鈴木さんが、副隊長には、阪急百貨店の楽器売場主任の小川原久雄さん(後に、第11回全日本吹奏楽コンクール(1963年)の課題曲『朝のステップ』を作曲する)が選任された。

しかし、新しいものを創る際によくあることだが、諸準備に予想以上に手間取り、募集開始の発表は、1956年3月7日の朝日、毎日両新聞への広告掲載の日までずれ込んでしまった。関係者一同、こんな年度末ギリギリの発表で果たして応募者があるのかどうか心配したが、蓋を開けてみると、100名を超える応募者があり、ホッと胸をなでおろしたという一幕もあった。

初の入隊テスト(今日流に言うなら“オーディション”)は、同年3月28日に実施され、学科試験を百貨店人事部が管轄し、実技試験は大阪市音楽団団長の辻井市太郎さんと、大阪府警察音楽隊隊長の山口 貞さんの立会いのもとに行われた。

結果、4月10日、阪急百貨店8階会議室で行われた晴れの入隊式を迎えたのは、第一期生の18名だった。

当時、唯一の吹奏楽誌だった「月刊吹奏楽研究」(月刊吹奏楽研究社)(第74話:「月刊吹奏楽研究」と三戸知章、参照)も、いち早くこの動きを捉え、1957年7月号(通巻43号)19頁に「阪急少年音楽隊 教育はじまる」という記事を掲載した。

記事中、興味深い箇所を引用すると…

『…。この少年隊員は三ヵ年の教育を受ける。専門教育の音楽の外に商業教育として英語、商業、珠算、国語、数学、理科、社会、習字、美術まで学び、三年の教育を終ったときは、社員に採用、新制高校卒業生と同じ待遇を受けることになる。その間月額八千円程度の給与を受け楽器制服を支給されるという好条件である。デパートの少年音楽隊は、三越、松坂屋などにその前例はあるが、現在はどこも持っていない。….。楽長に就任した鈴木竹男氏は今津中学バンドを超中学の実力バンドに育て上げた有能な指導者であるから、この音楽隊が年々新隊員を採用し予定の編成になった時、新しい関西の新名物楽団が美しく開花するであろう』(誤植を除き、原文ママ)

執筆者名はないが、書きっぷりから編集主幹の三戸知章さんの文章だろう。

また、同記事には、前記の清水社長も文を寄せている。

『その昔、欧州に住んでいた頃、ライン地方を自転車で走り廻っていたことがある。スイスの近くでムールーズと云う小さな町があって、どういうわけか、ここで何日か宿っていたが何かの機会に来がとてもさわがしいので、二階の窓をあけて見たら、丁度二つの列がすれ違っている時である。先頭に小さな棒をもった指揮者がいて、後からフルート、太鼓、ラッパなどの音楽隊が整然と進んでいく後から、無数の行列がいつまでも続いている。気持のよいものだなあ、と思っていたが先般アメリカに旅行したら、今度は女のこうした音楽隊に打つかった。…(中略)…。この女子音楽隊は数曲の気持のよい音楽を聞かせて呉れたが、その度に万雷の拍手が起って、全くよい雰囲気である。こんなものを阪急百貨店がもっていたら、随分世間からよろこんでもらえるだろう….』(原文ママ)

ほどなく、阪急少年音楽隊は、お茶の間のラジオのリスナーの人気者となった。

1958年(昭和33年)3月11日から、大阪の新日本放送(後の“毎日放送”)が、日曜日を除く毎日、午前10時5~15分のラジオ番組「緑の手帖」(阪急百貨店提供)の放送を開始、演奏が電波に乗るようになったからだ。

その後、1960年(昭和35年)3月8日からは、「緑の手帳」に加え、ライバル局の朝日放送ラジオでも「朝のファンファーレ」(午前8時10分開始)(阪急百貨店提供)という番組の放送が開始され、阪急少年音楽隊は、これら2本のラジオのレギャラー番組を通じて、幅広いファンを獲得していった。

ラジオ収録は、年に25回から35回程度あったと記録されている。全国すべての情報を知り得ているわけではないが、日本広しといえども、 民放 ラジオのレギュラー番組を2本持つバンドは他になかったのではないだろうか。

ともかく、関西の吹奏楽ファンの朝は、阪急少年音楽隊の演奏と共に始まったのである。

「記念写真集」には、「緑の手帳」のプロデューサー、佐藤 操さんのつぎのようなコメントも掲載されている。

『阪急少年音楽隊とは、その誕生から今日まで実に長いおつき合いですが、一口にいって大変真面目で感じのいい音楽隊です。また、あの年齢にありがちな生意気さが全然なく、実に素直です。演奏そのものも上品で、各人が非常に熱心、自分達の入れた録音テープを巻き返してくれと要求されては、いつもそれを聞いてお互いに批判研究されています。50名という音楽隊は人数から申しましてもすばらしく、3学年に分かれていますが実に良く統制がとれています。技術面では、これはもう皆さん始め聴衆者の方がすでにおみとめになっていると思いますが、大変上達が速いんです。私達スタッフ一同が一番感心することは、録音が終わってから全員起立して私達スタッフ全員に丁寧に挨拶して下さる。こんな事は、私達放送にたずさわってから初めてです。ただ恐縮するばかりでなく、その純真さに打たれますと同時に、唯たんに仕事を通じての関係だけでなく、スタッフ一同一番楽しみにしているプロなんです。』(原文ママ)

ラジオ放送は、その後、1972年(昭和47年)4月に、FM大阪の「モーニング・ブラス」(阪急百貨店提供)に移行し、演奏は音質のいいステレオで放送されるようになった。

創立当時の“阪急少年音楽隊”の名称は、1969年(昭和44年)に正式な校名が“阪急商業学園”となった後も、放送を含め、バンドの愛称として幅広く使用された。

当初、男子だけのバンドとしてスタートした少年音楽隊だったが、1997年(平成9年)から女子だけの募集となり、やがて完全な女子校になることから、愛称も“阪急商業学園ウィンドバンド”に変更。2004年、学園が阪急から向陽台高等学校吹奏楽コースに移管されるまで使用された。(2009年以降は、早稲田摂陵高等学校ウィンドバンド)

兄貴分にあたる職場バンドの雄“阪急百貨店吹奏楽団”の設立は、実は少年音楽隊の発足3年後の1960年(昭和35年)のことで、その合言葉は「職場に明るい音楽を」。少年音楽隊第一期生が卒業した年に当たるが、阪急百貨店のクラブ活動として、少年音楽隊出身者でなくても社員であれば誰でも参加できるバンドとなった。

そして、常任指揮者は、もちろん鈴木さん。

余談になるが、日本経済新聞社編集委員の井上文夫さんが、関西の音楽団体に直接取材した著作「 関西音楽草の根まっぷ 」(日本機関紙出版センター、1988年2月25日発行)の“阪急百貨店吹奏楽団”の項には、以下の引用にあるようにとても面白いことが書かれてある。

『楽団の常任指揮者鈴木竹男は、音楽隊(阪急少年音楽隊)の隊長でもある。鈴木は師の朝比奈 隆が阪急電鉄社員だった縁で、棒を振るようになり、六四年(1964年)に朝比奈から「楽団は任せたよ」と免許皆伝に。』(原文ママ / カッコ内注釈は筆者)

全関西吹奏楽連盟理事長だった朝比奈さんと吹奏楽との関わりの一端を知りうる貴重な証言だ。

もちろん、鈴木さんが“免許皆伝や!”と話されるのを、筆者を含め、多くの者が聞いていた。また、コルネットなどもうまく活用し、鈴木さんが目指した“ヨーロッパ的な響きを”というテーマも、朝比奈さんが自身のオーケストラで取り組んだ“音作り”と共通するものが感じられる。正しく直伝だ!

その阪急百貨店吹奏楽団も、村上ファンドによるM&Aの煽りを受けて、阪急百貨店が長年のライバルの阪神百貨店と統合されることになり、2008年(平成20年)10月1日、“阪急阪神百貨店吹奏楽団”に名称変更された。

時の流れを押し留めることはできない。しかし、変わらなくてもいいものまでどんどん壊されていくように感じるのは、ひとり筆者だけだろうか!

鈴木さんには、梶本りん子マーチングスタジオにいた弟ともども、いろいろお世話になった。

若い世代と向き合うことの好きな人物で、「記念写真集」を頂いたときも“中身は好きに使っていい”と、こちらがあっけなく感じるほど、気さくに許しをいただいた。

そのアツい眼差しは、かつて毎朝のように聴いた“阪急少年音楽隊”の心地よいサウンドとともに、今もしっかりと記憶に焼きついている!

▲阪急百貨店 阪急少年音楽隊第6回定期演奏会(1965年2月26日、毎日ホール)(記念写真集から)

▲阪急百貨店 阪急少年音楽隊第13回定期演奏会プログラム

▲第13回定期演奏曲目

▲阪急百貨店 阪急少年音楽隊第14回定期演奏会プログラム

▲第14回定期演奏曲目

▲井上文夫著「 関西音楽草の根まっぷ 」(日本機関紙出版センター、1988年)