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■吹奏楽曲でたどる世界史【第29回】フランス7月革命(1830年) ~民衆を導く自由の女神(樽屋雅徳)

Text:富樫鉄火

●英語題:Liberty Guiding the People
●作曲:樽屋雅徳 Masanori Taruya
●出版:CAFUA(レンタル)
●参考音源:
『スパイラル・ドリーミング/東海大学付属高輪台高等学校吹奏楽部 Vol.3』(カフア)など
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cdi-0046/
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cdi-0117/
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-2061/
●演奏時間:約8分
●編成上の特徴: 標準編成+ハープ、ピアノあり。
●グレード:4

今回は、音楽が歴史的事実を題材にしていると同時に、そのまま名画のタイトルでもあるので、まずは、その「絵画」をご覧いただきたい。パリのルーヴル美術館所蔵作品で、同館の目玉作品のひとつ『民衆を導く自由の女神』だ。

……といっても、すぐにパリまで行くわけにもいかない。画集か、ウェブ上で見るしかない。いろんなサイトに画像があるので、検索すれば簡単に見つかるが、せっかくだから、ルーヴル美術館の公式サイトで見よう。

実はルーヴルは、たいへん巨大なウェブサイトを運営しており、立派な「日本語版」がある。それだけ日本人来館者が多いのであろう。特に、小説・映画『ダ・ヴィンチ・コード』で殺人現場となって以来、空前の人気ぶりで、同館の案内係は、この小説を読んでガイド・テキストにするよう指示されたそうである。サイト内にも、ちゃんと日本語で「ダ・ヴィンチ・コード見学コース」がある。

たどり着き方だが、日本語版の入口 http://www.louvre.fr/llv/commun/home_flash.jspから、【作品】(プルダウンの「ヘッドライン」)→【絵画】と進むと、左下に「見学コース」がある。ここが現在「ドラクロワ」になっており、【詳細ページへ】と進むと、3枚の絵画が並んでいる。この中の真ん中が、名作、正式題『7月28日、民衆を導く自由の女神』である。ルーペ印をクリックすると拡大表示される。【注1】

……いかがですか。ご覧になりましたか。どこかで見たことあるでしょう。いわゆる「教科書に載っている」タイプの作品。ドラクロワが1831年に描いた作品だ。

ドラクロワ(1798~1863、フランス)は、19世紀のロマン派路線を代表する大画家である。1824年に発表した『キオス島の虐殺』で注目を浴びた(この絵も、ルーヴルのサイト内で見られる)。この作品は、1821年に起きたギリシャ独立戦争に際し、トルコがキオス島のギリシャ人を大量虐殺した史実を描いたもの。あまりにリアルでダイナミックな内容に、守旧派の評論家たちは「これは絵画の虐殺だ」と目をそむけたという。

だが、これこそがドラクロワの真骨頂だった。つまり彼は、実際に起きた出来事を取材し、咀嚼し、絵画芸術として再構築する、いわば「ジャーナリスト感覚を持つ画家」だったのだ。

だから、1830年に「フランス7月革命」が勃発した時も、じっとしていられなかった。フランス革命(1789~94)で「自由・平等・博愛」の国になったはずのフランスだったが、1815年、王政復古でルイ18世が王様となって以来、“王が支配する国”に逆戻りしてしまっていた。その後も弟シャルル10世が王位を継ぎ、昔ながらの古臭い“王国”ぶりに、ますます磨きがかかり始め、アルジェリアを侵略し始めたりした。

当然、市民階級を中心に不満が爆発する。シャルルは議会を強制解散させ、一部階級から選挙権を剥奪しようとした。7月27日から28日にかけて、市民の怒りは頂点に達し、パリ市内に集結、バリケードを築き、パリ市庁舎に向かい始めた。反乱軍を率いているのはラファイエット将軍と、オルレアン公ルイ・フィリップ。すでに王シャルルはビビッて郊外の城に逃げており、闘う意欲などなかった(その後、こっそりオーストリアに亡命する)。新政府の王にはルイ・フィリップが“国民王”として迎えられ、あっという間に立憲君主国になった。【注2】

この「7月革命」で、民衆が市中心部に向かって突き進む様子を絵画にしたのが、ドラクロワの『民衆を導く自由の女神』である。【注3】

もう一度、絵をご覧いただきたい。市民たちが武器を手に、市中心部(おそらくパリ市庁舎)へ向かって行くシーンだが、文字通り「自由の女神」が、みんなを先導している。
実は、この作品の題名は、直訳すると『民衆を導く“自由”』という。「女神」なんてコトバは入っていない。「自由の女神」とは、日本語にした際の“通称”なのだ。芸術分野において、「女性」はフランスを象徴する寓意イメージなのである。それは、「自由」「祖国」をあらわすもので、特に「乳房」がその象徴であるとされているのだ。「マリアンヌ」なる愛称もある。【注4】

だから、この絵画の中で民衆を先導しているマリアンヌは「自由」の精神そのものであり、胸をはだけて乳房を出しているのは、戦闘で破れたわけではなく、乳房そのものが「自由」の象徴なのである。別に、神話の女神が地上に降臨して民衆を導いているわけではないのだ。ちなみに左側で銃を持っているシルクハットの男は、ドラクロワ本人らしい(絵画の中に作者や依頼主を描きこむことは、昔からある手法)。

さらに、よく絵を見ると、民衆たちは、多くの死体の上を乗り越えて進もうとしている。これは、ドラクロワが、革命や改革には、多くの血の犠牲が必要であるという厳しい現実を描きこんだものだ。さすがに“ジャーナリスト画家”だけあって、それだけリアルでシビアな絵なのである。現にこの絵は、「一般市民を無闇に扇動しかねない」との理由で、その後しばらくは公開されなかったほどだ。

この絵画作品をモチーフに、フランス7月革命を描いた吹奏楽曲が、樽屋雅徳作曲《民衆を導く自由の女神》である。

曲は大きく6部に分かれており、「力強い民衆のテーマ」~「女神の神々しいテーマ」~「革命:蜂起」~「革命:喧噪、終結」~「女神のテーマ:再現」~「終結部:革命の成功」といった流れになっている。

さすがに《マゼランの未知なる大陸への挑戦》の作曲者だけあって描写力抜群、迫真の音楽である。前半部、「女神のテーマ」が次第に変形して革命の混沌になだれ込むあたりは見事だ。

ただし、本稿の解説でお分りのように「フランス7月革命」は、確かに血は流れたが、基本的に攻められる王たちは逃げ腰であり、長期間にわたって凄絶な大戦争となった革命劇ではない。この曲は、そのことをちゃんと表現している。つまり、戦争スペクタクル音楽ではないのだ。絵画に描かれた寓意像マリアンヌの、自由を求める「精神」を描写しているのである。だから、大序曲《1812年》のようなお祭り騒ぎ音楽を期待すると拍子抜けする。もっと落ち着いた世界が描かれているので、その点は知っておいた方がいい。難易度は決して最高レベルではないが、キチンとした音楽としてまとめるには、それなりの技術が必要と思われる。

また、ドラクロワの絵をよく見ると、光の表現方法が実に巧みである(ルーヴルのサイトでも、この点を強調した解説が載っている)。曲のほうも、おそらく、それらを音楽化したと思われる部分がいくつかある。よって、演奏する際には、サイト上や画集でもいいので、ドラクロワの絵を隅から隅までじっくり見ておく必要がある。

作曲者・樽屋雅徳は、本連載の【第22回】《マゼランの未知なる大陸への挑戦》ですでに紹介した人気作曲家である。特に《マゼラン~》は、昨年のコンクールでもトップレベルの演奏頻度だった。3月21日(水)にNHK‐FMで12時間にわたってナマ放送された「今日は一日吹奏楽三昧」でも、上位に食い込む大量のリクエストが寄せられていた。
<敬称略>


【注1】この絵のあるページのURLがあまりに長いので、ベタ貼りせずに、最初の頁からの入り方を掲げたが、右上の検索窓に作品名を打ち込んでも到達できる。とにかくルーヴルは、ニューヨークのメトロポリタン美術館と並んで、想像を絶する巨大さである。殺人がおきてもまったくおかしくない。ウェブサイトが巨大になるのも当然といえよう。参考までに、これから行く方には、とんぼの本『一日で鑑賞するルーヴル美術館』(小池寿子・芸術新潮編集部編/新潮社刊)がたいへん便利なので、お薦めしておく。
【注2】このルイ・フィリップ“国民王”、新政府で最初はうまくいっていたのだが、その後、1848年の2月革命で追われ、イギリスに亡命した。以後、フランスに王政が蘇ることはなかったので、この人が“フランス史上、最後の王様”となったわけだ。
【注3】フランス7月革命からは、有名なピアノ曲も生まれている。ショパンの《革命のエチュード》だ。フランス7月革命はヨーロッパ各国に影響を与えており、彼の故国ポーランドでも、同時に革命が発生したのだが、同国を支配しようとするロシアによって無理やり鎮圧させられた。その怒りを音楽にしたのが、《革命のエチュード》だったのである。この過程を、手塚治虫が『虹のプレリュード』と題して漫画作品にしているので、ぜひお読みいただきたい。
【注4】ニューヨークの沖合いに立つ銅像も「自由の女神」だが、これも正式名称は「世界を照らす“自由”」。アメリカ独立100年を記念して、1886年にフランスから送られた、女性=自由の寓意像である。オリジナルはパリにあり、ニューヨークのほかには、東京・お台場、青森県おいらせ町にも公式レプリカがある。東京・吉祥寺の某ラブホテルの屋上にもあって、昔は中央線からよく見えていたのだが、いまは手前にビルが建ってほとんど見えない。もちろんこれは公式レプリカにあらず。


【ちなみに余談のおまけの蛇足】

NHK特集『ルーブル美術館』の音楽

1985~86年、NHKで毎月1本ずつ、全13回で『NHK特集/ルーブル美術館』が放映された。
これは、NHKとフランス・テレビ1との国際共同制作で、撮影に足かけ2年をかけてルーヴル美術館内の名品を映像におさめ、TV画面でじっくり見せるという、当時としては画期的な大型番組であった。もちろん『民衆を導く自由の女神』も登場した。ナビゲーターにジャンヌ・モローを始めとするヨーロッパの一流俳優が次々登場し、驚かせた。

バックの音楽は、モーツァルトやヴィヴァルディなどのクラシック名曲が使われたが、テーマ曲を始め、いくつかの音楽に、どう聴いてもクラシックではない、それでいてたいへん美しい品のある曲が流れていた。時折、画面上の美術品などどうでもよく、音楽だけで涙が出そうになることさえあった。

実は、これらはエンニオ・モリコーネの音楽だったのである。NHK大河ドラマ『武蔵』の音楽を書く、はるか以前の話である。

ところが、その音楽はすべてが「流用」。つまり、以前にモリコーネが書いていた古い映画音楽を、そのまま持ってきて、当てはめたものだったのだ。

この事実を知った時、私は愕然となった。どう聴いたって、画面上の美術品に、これ以上ないほどピッタリ合っているのだ。こんなことってあるだろうか。

たとえば、テーマ曲《永遠のモナリザ》は、もともと1971年のロミー・シュナイダー主演『ラ・カリファ』の愛のテーマなのだという。どんな映画か知らないが、どうもメロドラマらしい。

《ヴェネツィアの祝祭》なる曲なんか、ヴィヴァルディよりいいんじゃないか。これは、1972年ジーン・セバーグ主演『Questa Specie d’Amore』のテーマ曲なんだという。《太陽王とヴェルサイユ》も、同じ映画からの流用だという。

やはり、あまりに有名な音楽だとイメージが出来上がってしまっているので、日本未公開、もしくは“知る人ぞ知る映画音楽”が多く使用されたようだが、しかし、あの品格と音楽性の高さは、驚くべきものだった。モーツァルトが20世紀に降臨して新たに作曲したかのようだった。

「ルーヴル美術館」の名を聞くたびに、これらモリコーネの流用映画音楽が思い出される。特に昔のサントラCDのジャケットに『民衆を導く自由の女神』が使用されていたので、今回、原稿を書くにあたって、それらを頭から追い払うのが大変だった。

ちなみにそのサントラCDは、90年代初頭にいまはなきSLCレーベルから出て、その後長いこと廃盤だったが、近年、ジェネオンから復刻されている。モリコーネ・ファンにとってはたまらない1枚である。

■吹奏楽曲でたどる世界史【第28回】ピータールーの惨劇(1819年8月16日) ~ピータールー序曲(マルコム・アーノルド)

Text:富樫鉄火

●作曲:サー・マルコム・ヘンリー・アーノルド Sir Malcolm Henry Arnold(イギリス/1921~2006年)
●初出:原曲初演1968年
●編曲:国内版では近藤久敦、瀬尾宗利など。
●出版:ブレーン(レンタル)
●参考音源:『アーノルド・セレブレーション』東京佼成ウインドオーケストラ (佼成出版社)ほか多数
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-1144/
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cdi-0226/

●演奏時間:約10分
●グレード:4~5

近年、吹奏楽界で人気の、この《ピータールー序曲》が、労働争議で発生した惨劇を描いた曲であることは、ご存知の方も多いと思う。では、いったい、どういう争議だったのかとなると、音楽解説としては、詳しく紹介される機会は少ないようだ。まず、そこから述べておこう。

ロンドンから北西部へ向かって鉄道で3時間前後、飛行機だと1時間の位置に「マンチェスター」がある。

いまでは、サッカー・チーム「マンチェスター・ユナイテッド」の本拠地として有名だが、古い音楽ファンには、コーラス・グループ「ピンキーとフェラス」の大ヒット曲《マンチェスターとリヴァプール》(1968年)でおなじみだろう(作曲は《恋はみずいろ》のアンドレ・ポップ)。

この曲の歌詞は、おおむねこんな内容である。

「マンチェスターとリヴァプールはホコリだらけで、工場と石炭の町。人々はその日のために生きている。でも、どんなに遠くへ行っても、ここは懐かしい故郷。工場の煙突が迎えてくれる」

そう歌われるほど、マンチェスターの歴史は「工場」「産業」と切っても切れない関係にある。14世紀前後から、毛織物や綿織物の職人が移り住み、「繊維の町」として栄えてきた。原材料である綿花をアメリカから運び込むため、そして完成品を輸出するため、運河を始めとする便利な交通手段も早くから開拓されてきた。そうなると、繊維工場で職を得るために人々が集まるようになり、18世紀には人口1万人台だった田舎町が、19世紀には30万人以上の大都市に成長する。かくしてマンチェスターは産業革命の中心地となり、一大工業都市となる。だが、労働者たちの環境は劣悪なままだった。急激な人口増加に、職場の数も追いつかなかった。

こうして、労働者階級に次第に不満が鬱積し始めた。特に、低賃金もさることながら、労働者階級に選挙権がなかったことに不満が集中した。そもそも当時のイギリスは、「教育」や「政治」は上流階級のものであって、労働者階級には必要ないと思われていた。もちろん「労働組合法」とか、まともな「労働基準法」なんてものもなかった。

また、労働者たちは「穀物法」の撤廃も求めていた。これは1815年にできた法律で、外国から安い小麦を輸入することを禁止する法律である。当時の議会は農園主たちが牛耳っており、自分たちが生産した穀物の価格を高く維持するために設けられた悪法だった。労働者階級は、低賃金の上に高い穀物を買わされて、生活は苦しくなる一方だった。産業革命とは名ばかり、現場労働者はいつまでたっても上流階級の犠牲にさせられる。

1819年8月16日、「マンチェスター愛国者協会」の主催で、市内にあるセント・ピータース教会前の広場で大集会が開催された。同会は、穀物法の撤廃や労働者の参政権獲得を目的とする団体で、リーダー格の一人は、急進派の活動家ヘンリー・ハントであった。

警備当局は、この集会に危機感を持った。ハントはたいへんな演説上手で知られていた。「あいつが演説すると、聴衆は興奮し出して、何をするか分らない」――警備側は、数百人の騎兵隊を動員して厳重警備にあたった。

この集会にどれくらいの労働者が集まったのかは諸説あって、当初の“警察発表”だと8000人とのことだったが、実際には、周辺まで含めると6万~8万人だったとの説もあるようだ。

あまりの人数が集まったのを見た現地の治安担当者は、集会の中止命令を出した。この大群衆が暴徒と化したら、町は廃墟と化すかもしれない。だがもちろん労働者たちは応じない。ハントが演説を始めようとした午後1時30分、集会の中に、騎馬隊・騎兵隊が投入された。

現場は修羅場と化した。ハントを始めとする協会幹部たちは逮捕され、それに怒った労働者たちは騎馬隊や騎兵隊と衝突した。騎兵はサーベルを抜いて労働者たちを追い払った。

集会参加者と警備側双方に、計11人の死者が出た(中には、妊娠中の女性もいた)。負傷者は約500名(うち、100名強が女性だった)。多くの死傷者は、馬によって踏みつけられていた。サーベルで刺殺された者もいた。

翌日の地元紙「マンチェスター・オブザーバー」は、この事件を、皮肉を込めて「ピータールーの惨劇」と書いた。現場がセント・ピータース教会前の広場だったことと、数年前(1815年)にベルギーのワーテルローでナポレオン軍が惨敗した「ワーテルローの戦い」とをひっかけた合成語だった。ナポレオン惨敗以来、「ワーテルロー」(英語読みだと「ウォータールー」)は、「完全なる敗北」の代名詞となっていたのだ。【注1】

時が流れて1967年、イギリス労働組合連合会の創立100周年を記念して、マルコム・アーノルドに管弦楽曲が委嘱された(初演は翌年)。アーノルドは、イギリス労働運動史上に残る、この「ピータールーの惨劇」を音楽化した。それが《ピータールー序曲》である。

曲は、惨劇の一部始終をリアルに描写している。のどかな田園風景を思わせるコラール風の旋律が流れ、次第に騎兵隊の足音が響いてきて、大混乱、弾圧の模様が描かれる。阿鼻叫喚の音楽洪水のあと、静まると再び冒頭のコラール旋律に戻り、圧倒的な大合奏になる。労働者たちはその場では敗北したが、やがて勝利をつかむであろう、未来への希望を描いている。

アーノルドは、様々なタイプの音楽を書いたので、一部批評家からは「とらえどころがない作曲家」とも指摘されているらしい。現に母国イギリスの「ニュー・グローブ世界音楽大事典」ですら、たいへん小さな扱いで「《ピータールー序曲》に見られるように、平凡で陳腐な要素と破壊的な要素との葛藤が、その相反する力のアイヴズ風の出会いによって強調されることもある」とか、「(交響曲第5番などで)彼自ら『感情に訴える常套手段』と呼ぶものを計画的に用いるやり方は、多くの批評家を当惑させた」などと、いささか突き放したように解説している。

だが、この曲は、終始「描写」によっているので「当惑する」ようなことはない。管弦楽曲だが、以前から、吹奏楽版でよく演奏されている。アーノルド自身、ロンドン・フィルのトランペット奏者だったせいか、管打楽器の扱いを十分心得ており、吹奏楽版への移行も極めて自然だった。激しい乱闘場面から、ラスト、未来への希望を思わせるコラール賛歌になる部分は、何度聴いても感動的だ。国内版の編曲は、近藤久敦版、瀬尾宗利版などがある。

アーノルドは、いまや日本の吹奏楽界における大人気作曲家である。映画音楽『六番目の幸福』(日本公開時の邦題)による組曲《第六の幸福をもたらす宿》、同じく映画音楽からの組曲《戦場にかける橋》、映画『超音ジェット機』の音楽からの改編《狂詩曲「サウンドバリアー」》バレエ音楽《女王への忠誠》《4つのスコットランド舞曲》、交響曲第2・4・5番……枚挙に暇がない。【注2】  <敬称略>


【注1】ロンドンに「ウォータールー」という地名があり、これも、イギリス軍を含む連合軍がナポレオンをワーテルローの地で破ったことに由来するそうだ。名作映画『哀愁』(1949年)で、ヴィヴィアン・リーとロバート・テイラーが出会った橋は、この町にある。橋の名前は、映画の原題と同じ「ウォータールー・ブリッジ」。そういえば、往年の人気グループABBAが1974年のユーロビジョン・コンテストで歌って優勝し、最初の大ヒットとなった曲に《恋のウォータールー》なんてのもあった。(上記「ロバート・テイラー」部分、当初、「クラーク・ゲーブル」と記述しておりました。つい、別の映画とごちゃ混ぜになってました。ご指摘いただいた読者の方、ありがとうございます。何の映画とごちゃ混ぜになっていたかは…映画ファンはお分りだろうと思います/富樫)
【注2】アーノルドの音楽で、最も人口に膾炙しているのは、映画『戦場にかける橋』(1957年)の音楽だろう。アカデミー作曲賞を受賞している。この中で、アルフォード作曲の有名なマーチ《ボギイ大佐》が使用され、これに重ねてアーノルド作曲の《クワイ河マーチ》が流れる。たいへん見事な音楽構成なのだが、そのために、《ボギイ大佐》と《クワイ河マーチ》が同一曲であるかのような誤解が流布している。この2曲は、まったく別の曲である。余談ついでに、『戦場にかける橋』の原作は、フランスの作家ピエール・ブールによる体験実話小説。彼は戦時中、ビルマで日本軍の捕虜となっており、終生、黄色人種を憎み続けた。ところが体験談だけでは怒りがおさまらなかったと見えて、今度は黄色人種をサルに見立てたSF小説まで書いた。それが『猿の惑星』である。

■吹奏楽曲でたどる世界史【第27回】ナポレオンのロシア侵攻(1812年) ~大序曲≪1812年≫(チャイコフスキー)

Text:富樫鉄火

●作曲: ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(ロシア) Pytr Il’Ich Tchaikovsky(1840~93)
●初出: 原曲初演1882年
●編曲:小編成向きや短縮版まで含めれば、内外で10種以上ある。詳細は、本文参照。
●出版 : 本文参照
●参考音源 : 本文参照。
●演奏時間 : 約16~17分
●編成上の特徴 : 本文参照
●グレード : 本文参照

フランスの軍人ナポレオン・ボナパルト、通称ナポレオン一世(1769~1821)は、執政として頂点を極めたかに見えた1804年、突如、フランス第一帝政の「皇帝」に即位した。まさかそのような野望を抱いているとは、それまで、ほとんど素振りを見せなかっただけに、これには多くの者が衝撃を覚えた。あきれたベートーヴェンは、彼に捧げるつもりで書いていた交響曲第3番≪ボナパルト≫を、単なる≪英雄≫と改題してしまったほどだ。【注1】

その後の野望もとどまるところを知らず、連戦常勝でヨーロッパほぼ全域を傘下におさめた。言うことを聞かないイギリスに対しては大陸封鎖令を出して孤立させた。イギリスから物資が入ってこなくなったヨーロッパ諸国は、次第にナポレオンに対して不満を抱き始めた。

特にロシアは、様々な物資を主にイギリスから輸入していたが、これが入ってこなくなって、業を煮やし始めた。とうとう封鎖令を破ってイギリスと貿易を再開してしまう。プライドを傷つけられたナポレオンは同盟国に呼びかけて、1812年、60万もの大軍勢を仕立てて、ロシアに攻め込んだ。

過去の戦歴から、フランス同盟軍の優勢は確実かと思われたが、唯一の誤算があった。それは「冬将軍」……ロシアの強烈な冬の気候だった。荒れ狂う雪嵐、未知の超低温がフランス軍を襲った。

対抗するロシア軍も、モスクワを焦土と化してフランス軍を孤立させるなど、徹底抗戦で応じた(ロシアでは「1812年祖国戦争」と呼ばれている)。さすがのフランス同盟軍も耐え切れず、退却する。現場指揮官たちは、続々と脱走した。無事に母国まで戻れた兵士は、たった数千人だったとの説もある。

このナポレオン大敗を見たヨーロッパ諸国は、いっせいにフランスに反旗を翻し、翌年、周辺諸国の連合軍に攻め込まれてパリは陥落。ナポレオンはエルバ島に島流しにされるのだ。

このナポレオンのロシア侵攻~退却の一部始終を音で描いたスペクタクル音楽が、チャイコフスキーの大序曲≪1812年≫である。【注2】

題材となった年から70年後の1882年、モスクワで開催された産業博覧会での野外コンサートのために作曲された。オリジナル・スコアは、大合唱に鐘、ホンモノの大砲、別働隊バンドまで登場する、一種の“トンデモ音楽”である。

冒頭、重々しく暗いロシア聖歌が流れ、物資不足で困窮にあえぐロシア民衆の姿が描かれる。やがて彼方からフランス国歌≪ラ・マルセイエーズ≫が響いてきて、ナポレオン率いるフランス同盟軍が迫ってくる。ロシア側は、当時のロシア国歌や民謡などで“徹底抗戦”。

激しい戦闘がつづくが、次第にフランス国歌が乱れ始め、最後はロシア側メロディーの、凄まじいばかりの超ウルトラ級圧倒的迫力演奏で終わる。勝利の鐘が鳴り響き、祝砲がバンバン発射され、史上空前の騒ぎである。

なにぶん、登場する旋律がすべて親しみやすく、音楽的な展開も分りやすいので、昔から吹奏楽でもさかんに演奏されてきた。

以前は、マーク・ハインズレイによる編曲がよく演奏されていた(Hindsley Transcriptions, Ltd)。コントラバス・クラリネットや、トランペット1・2+コルネット1~3、大砲などが指定された大型編成である。グレードは「5超」=「6」。

近年では、日本の木村吉宏版(De Haske)、高橋徹版(アトリエM/レンタル)あたりが人気のようだ。どちらも標準プラス・アルファの編成であるが、お祭り騒ぎを再現するのでなければ、オプション代用などで十分演奏できるはずだ。グレードは「4~5」あたりか。音源も、木村版であれば数種出ており、比較的簡単に見つけられるはずだ。

編成・実力がおぼつかないバンドには、中編成版や短縮版の方がいいだろう。これもまた、海外では、実にたくさんの編曲が出ているのであたっていただきたい。

もし原曲を聴くのであれば、アンタル・ドラティ指揮、「ミネアポリス交響楽団」+「ミネソタ大学バンド」+「ウエストポイント陸軍博物館所蔵の18世紀フランス製大砲」+「本物の鐘」による録音をお薦めする(マーキュリー)。初演当時のトンデモ演奏を再現したものだが、1958年のステレオ初期録音ながら、どんな最新デジタルもかなわない、超ド級の音質と演奏が堪能できる。この頃のマーキュリー・レーベルは、ワンマイクの優秀モノラル録音で、フェネル指揮のイーストマン・ウインド・アンサンブルによる最新吹奏楽録音をバシバシ出していたが、すでにこんなステレオLPも出していたのだ。当時は、生半可なプレーヤーで再生すると、すぐに針が飛んだり、スピーカーが音割れしてしまうとあって、オーディオ・チェック用にこぞって買い求められたものだ。これを聴いてシビれてしまい、吹奏楽で同様の迫力を出そうとチャレンジした者が、どれだけいたことか(このアタシとか)。【注3】

ちなみに、2004年10月には、陸上自衛隊東部方面音楽隊と第1特科隊が中心となって、朝霞駐屯地で、ホンモノの大砲を使った、驚くべき≪1812年≫野外コンサートが実施されている。
<敬称略>


【注1】実は、ほんとうにベートーヴェンがこの曲をナポレオンに捧げようとしていたのかどうかは、半ば伝説化されていて定かではない。ただしベートーヴェンが即位前のナポレオンに期待していたことは間違いない(当時の文化人は、みんなそうだった)。よく言われている「楽譜の表紙を破り捨てた」というのもウソで、筆者は表紙現物を見たことがあるが、引っかくようにして献辞の部分を消しただけである。

【注2】このナポレオンのロシア侵攻を小説で描いたのが文豪トルストイ。名作『戦争と平和』がそれだ。

【注3】ちなみに、このレコードのB面は、これもまたトンデモ戦争音楽、ベートーヴェンの≪ウェリントンの勝利≫だった。現在は、チャイコフスキー≪イタリア奇想曲≫なども加えて、ユニバーサルからCD化されているので、お聴きいただきたい。

■吹奏楽曲でたどる世界史【第26回】稀代の性豪・カサノヴァ(1725~98) ~カサノヴァ~独奏チェロとウインド・オーケストラのための(ヨハン・デ・メイ)

Text:富樫鉄火

●作曲:Johan de Meij(1953~)オランダ
●原題:Casanova for solo cello and wind orchestra
●発表:2000年2月、トルン聖ミカエル吹奏楽団が初演。
●出版:Amstel Music(オランダ)
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/set-9978/
●参考音源:『Casanova』(Amstel)
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-0069/
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-1864/
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-0352/

●演奏時間: 約27分(全8部構成)
●編成上の特徴:標準を超える編成…オーボエ1・2あり、イングリッシュホーンあり、バスーン1・2あり、トランペット1~4あり、打楽器多数、ピアノ・チェレスタ・ハープあり。
●グレード: 5~6

《指輪物語》で知られるデ・メイの、たいへん素晴らしい曲なのに、そう頻繁に演奏されている気配がない(以前、大阪市音が定期で取り上げてCD化されていた)。

それもそのはずで、これは「独奏チェロと吹奏楽のための」曲なのだ。プロ・バンドならいざ知らず、アマチュアでは、チェロ奏者を確保することは容易ではないだろう。

だが、演奏の機会が少ない理由は、別にあるのでは……実はこの「カサノヴァ」とは、歴史に名を残す「性豪」なのである。それゆえ、あまり教育上よろしくないので、演奏が憚られるのかも……?(もちろん、冗談です)

この曲の題材となったジャコモ・カサノヴァ(1725~98)は、ヴェネツィア生まれのイタリア人。ナニ屋さんなのかを説明するのは難しいのだが……法学博士、薬剤師、聖職者、軍人、ヴァイオリニスト、妖術師、(自称)貴族、政治家秘書、スパイ、賭博師、劇作家……あまりに多くの顔があるので、とてもひと言では表せないが、少々怪しい「総合文化人」であったことは間違いない。しかし、これだけは生涯を通じて全うした――「セックス」である。彼は生涯に1000人以上の女性と交わり、女性を歓喜させることに異様なまでの執念とエネルギーを注ぎ込んだのである。【注1】

晩年、自らの一生を『わが生涯の物語』(通称『カサノヴァ回想録』)としてまとめており、それが死後刊行されたことで、一躍その名は世界中に広まった。一般には、これによって「性豪カサノヴァ」のイメージが定着し、「女たらし」をカサノヴァと呼ぶようになった。だが、この自伝が広く読まれた理由は、その「セックス・レポート」ぶりもさることながら、18世紀末のヨーロッパ社会の様相が実に生き生きと描かれていたことと、また、彼自身の、まるで小説のような波乱万丈の生涯にこそあったのだ。【注2】

今回の曲《カサノヴァ》は、そんな彼の波乱の人生の中の、主に1755年からの数年間にスポットをあてている。この時期、カサノヴァは、少女レイプ犯として指名手配されていた上、妖術師まがいのことをやっており、それによって宗教裁判にかけれられて、「鉛の監獄」と呼ばれたピオンビ刑務所にぶち込まれていた。ここは脱獄不可能と言われた難攻不落の監獄だったが、なんとカサノヴァは、見事に脱獄に成功するのである(同刑務所の歴史上、ただ一回の成功例だという)。

そんな時期から、8つの象徴的な場面・エピソードを抽出し、一種の交響詩に仕立て上げたのが、デ・メイの《カサノヴァ》なのだ。

8場面は、アタッカ(切れ目なし)の部分もあれば、一段落してつながる部分もあるが、おおむね、全体がひとつにまとまっていると考えていいだろう。各場面ごと、作曲者によるサブタイトルが付いている。

【 I 】プロローグ~警察署長のテーマ(約2分弱)……カサノヴァを逮捕する敵役のテーマ。オペラ《トスカ》の警察長官スカルピアにあたる。

【 II 】カデンツァ~カサノヴァ登場(約2分)……カサノヴァが自らの無罪を主張する。哀しげなムード。

【 III 】裁判の日々(約2分半)……いよいよ裁判が始まり、カサノヴァの論告がつづくが、たくさんの女性が応援に押しかけてきており、意外と派手で明るいムードもある。

【IV】カサノヴァの逮捕(約3分弱)……結局カサノヴァの思うように裁判は進まず、「脱獄不可能」と言われるピオンビ刑務所に収監され。冷たくドアが閉じられる。曲は、ここで一段落する。

【V】妄想(約6分半)……監獄内。外からは賑やかな町のざわめきが聴こえてくる。カサノヴァは脱獄プランを練り始める。前曲の中で最もゆったりした部分である。ここでまた曲は一段落する。

【VI】「鉛の監獄」からの脱獄(約7分弱)……文字通り「鉛」で覆われた監獄の屋根。カサノヴァは、外部からの援助を得て、この屋根から脱獄する。チェロの見せ場で、迫真の描写がつづく。特に「屋根」の表現のうまさには脱帽する。そして「脱獄成功」シーンの迫力! やはりデ・メイはスゴイ作曲家だ。ぜひ実際に聴いてご確認を!

【VII】修道女M.M.とC.C.(約2分弱)……前の部分からつづく。脱獄に成功したカサノヴァは、ムラーノ島近くの修道院へ隠れこみ、修道女M.M.と淫行に耽る(ただし曲はたいへん上品で美しい)。さらにC.C.なる女性とも。彼女達は『回想録』の中で、「M.M.」「C.C.」とイニシャルだけで記録されており、どこの誰かは具体的には分らない(言うまでもなく修道女との交合は重罪であるが、彼は生涯に何度となくこの罪で追われている)。

【VIII】フィナーレとストレット~愛の勝利(約3分)……前部からそのまま明るく華やか、壮大なフィナーレになだれ込む。ラストで一瞬寂しげなムードになり、「いよいよカサノヴァも老いて引退か?」と思わせておいて、突然「とんでもない、まだまだヤルぞ~!」と叫ぶように終わるところが、何ともニクイ。

もちろんカサノヴァ=独奏チェロである。ある時は哀しく、ある時は陽気に、様々な表情を見せる。明らかに、チェロが加わったことで、通常の吹奏楽曲の枠を超える魅力を生み出している(チェロを、ユーフォニアム・ソロか、サクソフォーン・ソロで代行できそうな気もするが……やっぱ無理かな?)。

そして……聴いていると、明らかに、プッチーニ≪トスカ≫の影響がうかがえる。特に冒頭の部分などは、≪トスカ≫幕開けにそっくりだ。

それもそのはず。この曲は「プッチーニへのオマージュ」なのである。作曲者自身がはっきりそう述べているほどだ(「なぜプッチーニは、カサノヴァをオペラにしなかったのだろう」とさえ言っている)。つまりここでのカサノヴァは「カヴァラドッシ」であり「トスカ」でもある。警察署長(審問官?)は「警視総監スカルピア」なのだ。

吹奏楽にチェロを加えているバンドはけっこうあり、そのための曲もこれが最初ではない。だが、これほどチェロの色合いと吹奏楽とがきれいに合体した曲はなかなかない。

しかし、いったい何だってこんな人物が生まれたのだろうか。カサノヴァは、両親ともに俳優だったが、父親は別人だったとの説がある。そのせいか、両親は、カサノヴァに愛情をもって接してくれなかった。生涯、女性遍歴をつづけたのは、その裏返しとの見方がある。

また、彼が生きた18世紀中頃は、ヨーロッパ激動の時代だった。ハプスブルク家はマリア・テレジアによって全盛期を迎えていたし、彼の晩年にはフランス革命が発生している。モーツァルト≪ドン・ジョバンニ≫初演も見ており、台本構成に参加しているとの説もある(まるで自分のことを描いたオペラのように感じただろう)。

ひたすら女性と交わりながら、思いのままに生きたカサノヴァの行動は、自己のルーツと世相への反動だったのだろうか。そんなことを考えながら聴くと、なかなか味わい深い曲である。<敬称略>


【注1】カサノヴァの日本語表記は、ほかにも「カサノバ」「カザノヴァ」などいくつかあるので、検索の際には注意されたい。

【注2】『カサノヴァ回想録』は、数種の邦訳が出ていたが、いまはどれも入手困難。かつては岩波文庫版(岸田國士訳、全20巻)、河出文庫版(窪田般弥訳、全12巻) 、集英社版(田辺貞之助訳)などがあった。現在、この旧集英社版=田辺訳が、「デジタル書店:グーテンベルク21」http://www.gutenberg21.co.jp/index.htmlでダウンロード販売が開始されている(一部立ち読みも可能)。とにかくこの回想録は抜群の面白さで、特に脱獄の場面は圧巻である。

■吹奏楽曲でたどる世界史【第25回】海上クロノメーター(高精度時計)の発明(1700年代) ~ハリソンの夢(ピーター・グレイアム)

Text:富樫鉄火

●作曲: Peter Graham (1958~、イギリス)
●原題:Harrison’s Dream
●発表:当初、金管バンド版として作曲され、2000年10月、全英ブラスバンド選手権課題曲に。吹奏楽版は、2001年1月、アメリカ空軍ワシントンDCバンドによって初演。詳細はBP内のコラム<樋口幸弘の「ウィンド楽書(ラクガキ)ノ-トファイル」>参照
●出版:金管版はGramercy Music(イギリス)、吹奏楽版は Alfred Publishing (Warner Brothers Publishing、アメリカ)のDonald Hunsberger Wind Library版。
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/set-9641/
●参考音源:『Harrison’s Dream 』ロイヤル・マリーンズ・バンド(シェブロン)、『ハリソンの夢/P.グラハム』神奈川大学吹奏楽部 (カフア)ほか多数
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-0737/
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-0405/
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-0302/
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cdi-0031/
●演奏時間:約15分
●編成上の特徴:オーボエⅠ・Ⅱあり、イングリッシュホーンあり、バスーンⅠ・Ⅱあり、トランペットⅠ~Ⅳあり(Ⅳ番フリューゲルホーン持ち替えあり)、ユーフォニアムⅠ・Ⅱあり、チェロあり(オプション)、ハープあり、打楽器小物多数必要。単一パート内に2声(div.)多くあり。サックス+全金管楽器全員が小ベルを兼任。
●グレード:7

今回の曲≪ハリソンの夢≫の「ハリソン」とは、18世紀イギリスの時計職人ジョン・ハリソン(1693~1776)のことだ。つまりこの曲は、ジョン・ハリソンなる人物を題材にしたものなのである。いったい、何をやった人なのか。【注1】

ここに1冊の本がある。『経度への挑戦 一秒にかけた四百年』(デーヴァ・ソベル著、藤井留美訳、翔泳社刊)。まさしく、このジョン・ハリソンの生涯を描いた歴史読物だ。今回は、この本の内容を紹介する形で話を進める。【注2】

1707年、イギリス本国を目の前にしたシリー諸島近海で、霧に包まれたイギリス海軍の軍艦5隻のうち、4隻が、座礁したり衝突したりして沈没し、2000名もの兵士が水死する悲劇が発生した。「7つの海を制する大英帝国」にとっては、まことに恥ずべき大事故だった。原因は明確、「経度がわからなかった」せいである。

この当時、海図や羅針盤はあったが、正確な「経度」を計測する手法は、まだ発見されていなかった。

「経度」とは、地球を「南北に走る線」である。北極点からまっすぐ下へ伸び、赤道を通過して南極点を経由し、裏側で再び上昇して一周し、北極点でつながっている。

これに対して「緯度」は、地球を真横に輪切りするように走る「東西を走る線」だ。

目標物が天体以外にない大海を横切って移動するには、特にこの「経度」が正確に分からないと、目的地にたどり着くこともできない。当時は、おおよその方角に頼っている有様だった。1707年の大事故は、それゆえに起きた悲劇だった。

当時、もちろん「経度」の概念は確立していたが、それを正確に知る方法がなかった。なぜなら、「船の上で使える時計」がなかったからだ。

「緯度」は、天体の位置や、日昇・日没を手がかりに、ほぼつかむことができた。

だが「経度」は、船が出港した母港地の時間と、海上での現在時間が、それぞれ正確にわからないと、割り出せない。

地球は、24時間で一回転(360度)する。つまり、1時間で15度回転するわけだ。仮に、母港地の時間と、海上での現在時間に1時間の時間差があれば、その船は15度進んだことがわかる。だが地球は球状だから、赤道上だと、「経度」15度の差は1600キロになるが、そこから南北へ離れるにつれて、その距離は小さくなる。経度の差は、世界中どこでも「時間」は同じだが(1度=4分)、「距離」は、場所によって異なるのだ。だから、経度が正確にわからないと、自分たちの船がどこにいて、どれだけの距離を航行しているのかも、わからない。

当時の時計は、「振り子時計」か「ゼンマイ時計」である。しかし、常に揺れている船上で、振り子時計が役に立たないことは言うまでもない。当時のゼンマイ時計も、ゼンマイを巻いている間は針が止まってしまい、役に立たなかった。そうでなくとも、熱帯に行けば内部部品の金属が膨張し、寒冷地に行けば逆に縮んでしまい、動かなくなる。多湿地帯に行けば、あっというまに部品にカビやサビが発生し、止まってしまう。時計内部に刺す油も、寒冷地では固まってしまい、熱帯ではドロドロになって動きを止めてしまう。

いったい、揺れる船上で正確に時を刻み、あらゆる環境に対応する時計はないのか。経度を正確に知るための「海上時計」が開発されない限り、1707年の悲劇が、いつまた再発するか、わかったものではない。

業を煮やした大英帝国議会は、1717年に「経度法」を制定する。その中で、「海上で正確な経度を測定する方法を発見した者に、国王の身代金相当の賞金(現在の数百万ドル)を与える」と発表した。

これに反応したのが、天文学者たちだった。「ハレー彗星」の発見者で知られるハレーも、その一人だった。「海上時計」など、そう簡単にできるわけがない。だったら、太陽や月、星の位置から経度を割り出すほうが早い……あらゆる方法が研究されたが、一日中、太陽を見ているために、片目を失明する船員が続出したりした。結局、月の運行をもとに経度を測定する「月距法」が有利となった。だがこの方法は、分厚いデータブックをもとに膨大な計算をしなければならず、経度を割り出すまでに「4時間」もかかる有様だった。もちろん、嵐や曇天で天体が見えなければ測定はできない。それでも懸賞レースは、多くの天文学者たちによってリードされていた。

そこに、無名の時計職人が登場した。名はジョン・ハリソン。もともと大工だった。音楽が趣味で、聖歌隊の隊長などもやっていたが、学校にも行っていない無学な男……のはずだった。ところがこのハリソンは、いつしか時計に興味を持つようになり、大工をやめて時計を作るようになっていた。彼が、いつ頃から、なぜ時計を作るようになったのか、どのようにしてその技術を学んだのかは、いまでもよくわかっていないらしい。ただ、ほぼ「独学」であったことは、間違いないようだ。

懸賞の話を聞きつけたハリソンは、5年間をかけて、最初の海上時計第1号「H‐1」(ハリソン1号)を完成させた。上記、参考音源に挙げたロイヤル・マリーンズ・バンドのCDジャケットにある時計が、それだ。重さ34キロ、高さ2.1メートルのキャビネットにおさめられるほど巨大な時計だった。機能の秘密性を保持するため、内部構造はすぐには明らかにされなかったが、船上実験の結果、24時間で数秒の誤差しか生まれず、十分、海上時計として通用することが判明した(現在でも、ロンドンの博物館で、きちんと動いているらしい)。

だが、この大きさに実用性がないことはハリソン自身にも明白だった。改善点が多くあることも分かっていた。ここから、ハリソンの闘いが始まる。今回の≪ハリソンの夢≫は、ほぼ、その「闘い」を音楽にしていると考えて間違いない。

前述のように、当時の「経度測定法」開拓は、天文学者によって占められていた。天体の位置を測定して経度を割り出すか。あるいは、正確な海上時間を知って経度を割り出すか。ハリソンの闘いは、保守的な天文学者たちとの闘いでもあった。後半生の開発と戦いは、実質、息子に引き継がれた。

結局、数々の妨害を乗り越えて、最終的に使用可能な海上クロノメーター(高精度時計)が開発されるのだが、嫌がらせは長々と続き、懸賞金はハリソンの晩年まで、なかなか支払われなかったのである。

私たち日本人には、このジョン・ハリソンは、そう著名な存在ではない。だが、母国イギリスは、さすがに「7つの海を制した大英帝国」だけあって、彼に対する評価や人気度は、ずば抜けたものがあるようだ。

だから、彼をモチーフにした吹奏楽曲がイギリスで生まれたのも、当然といえば当然だった。

ただし、とんでもなく難しい曲になった。グレードは「7」と言われている。いったい、何だってこんなに難しい曲にしなければならいのか…とぼやきたくなってくるほどだ(しかも、この超難曲、もともとは「金管バンド」曲だったのである。イギリスの金管バンドのレベルが分ろうというものだ)。【注3】

特にストーリー・テリングな曲ではないが、最初に「時を刻む」様子が様々に入り乱れ、ハリソンが時計開発に苦労しているらしき様子が描かれる。同じ作曲者の人気曲≪ザ・レッド・マシーン≫が、超スピードで展開しているかのようである。中間部では、海上時計がなかったためにおきた数々の悲劇が回想されているようだ(この部分は、別途独立した≪エレジー≫なる曲としても発表されている)。

後半は、ハリソンの「夢」が実現し、海上時計が完成した栄光の部分であろう。時を正確に刻む時計の音が鳴り響く中、「栄光」の瞬間が訪れる、素晴らしいクライマックスが待っている。感情の爆発と冷静な知性が、たいへんバランスよく配置された名曲といえる。

というわけで、この曲は「時計」「時間」を吹奏楽で表現しているのである。しかも、≪おじいさんの古時計≫とか、≪シンコペーテッド・クロック≫などのような、のんびりした時計の話ではない。多くの悲劇を背景に背負った、生きるか死ぬかの「戦い」の世界なのだ。

この曲が日本で大きく注目されたのは、2003年の全日本吹奏楽コンクール全国大会・高校の部における、洛南高校(関西支部、京都府代表)の演奏だった。吹奏楽史上、最高難易度の曲を、すでに洛南名物になった「少人数」で、「楽器持ち替え」を駆使して見事にこなし、金賞を受賞したのだ(同年、川口市アンサンブル・リベルテも演奏して金賞を受賞している)。

作曲者ピーター・グレイアムは、イギリスの人気作曲家(作曲で博士号を取得しているようだ)。もともと金管バンド用の曲を多く作っていたが、昨今は、そのほとんどが吹奏楽版に移植され、世界中で演奏されている。特に≪ゲールフォース≫≪ザ・レッド・マシーン≫≪地底旅行≫などが人気を呼んでいる。【注4】

なお≪ハリソンの夢≫(吹奏楽版)は、2002年オストワルド賞を受賞した。
<敬称略>
※この曲の吹奏楽版の楽譜は、アメリカのAlfred Publishing (Warner Brothers Publishing内のレーベル)から発売されているが、Donald Hunsberger Wind Libraryシリーズの中の一点で、しかも、オリジナルが金管バンド曲だったせいか、日本では、時折「グレイアム作曲、ハンスバーガー編曲」といったような紹介のされ方をしている。これは間違いで、グレイアム自身によって、最初の金管バンド作曲とほぼ同時に吹奏楽版も作られたのである。ちなみに「Donald Hunsberger Wind Library」とは、ハンスバーガー自身が推薦・公認(または監修)したシリーズのこと。


【注1】この曲の日本語表記は「ハリソン」「ハリスン」の2種類がある。検索などの際には、ご注意を。

【注2】この本は、現在絶版で、一般書店では入手不可能。古書店や図書館で探されたい。

【注3】イギリスの金管バンドによる名演がいくつかCD化されているので、ぜひお聴きいただきたい。その柔らかで美しい響きは、普段「吹奏楽」のみに接している方には、たいへん新鮮に感じるはずだ。

【注4】作曲者Peter Grahamの日本語表記も、「グレアム」「グラハム」「グレイアム」など、数種類ある。今回は、バンドパワーでの表記に従って「グレイアム」とした。