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■吹奏楽曲でたどる世界【第49回】ベトナム戦争(1960~75)その1 ~戦死・不明の英雄たちよ~ベトナム・メモリアル(ギリングハム)

Text:富樫鉄火

●作曲: ディヴィッド・ギリングハム David R. Gillingham(1947~)
●原題:Heroes, Lost and Fallen(A Vietnam Memorial)
●初出:1989年、ミシガン州アン・アーバー・シンフォニックバンド初演)/1990年国際バーロー作曲コンテスト優勝作品
●出版:Composer’s Editions/Hal Leonard
●参考音源:『Legendary 関東第一高等学校吹奏楽部』(廃盤)…「ベトナムの回顧」というタイトルで収録
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-2020/

●演奏時間:約12分
●編成上の特徴:オーボエ1・2、コントラ・バスーン、ピアノあり。クラリネット群は、クラ(B♭)1~3とバス・クラのみ。打楽器の数が多く、特殊奏法多用。
●グレード:5超~6

第2次世界大戦後、アジア・アフリカ・中南米の小国が、次々と独立を求め始めた。そうなると、必ずといっていいほど、かつての支配国との間に争いが発生した。

アジアの一角に古くから王朝を築いてきたベトナムは、19世紀にフランスの侵略を受け、植民地「仏領インドシナ」となっていた。その後、第2次世界大戦で日本軍が北部に進駐したりしたが、1945年の終戦と同時に共産革命が勃発し、「ベトナム民主共和国」(のちの北ベトナム)が誕生する。

しかし、これを快く思わないフランスが抑えにかかり、「第1次インドシナ戦争」が発生。その結果、1954年にジュネーブ協定が交わされ、ベトナムは南北2国に分断された。

だが、共産主義の北ベトナムに対し、南に新しく生れた「ベトナム国」は、事実上、フランスによる傀儡国家であった。アメリカもフランスを支持し、翌年には、この南の国は、アメリカが陰から支配する「ベトナム共和国」(南ベトナム)となった。

のち、この南ベトナムでは、アメリカの援助で権力を支配する大統領一族の横暴がつづき、国内は大混乱に陥る。それを見た北ベトナムは、この機に国家統一を実現させようと、ゲリラ組織「南ベトナム民族解放戦線」(ベトコン)を結成。南に侵入し始めた。

こうして、15年にも及ぶ「第2次インドシナ戦争」、別名「ベトナム戦争」が始まるのである。

当然ながらアメリカは「南」を応援し、ソ連と中国は「北」を応援した。かくしてこの戦争は、アジアの小国を舞台にした、大国による代理戦争となったのだ。第47回で解説した朝鮮戦争もそうだったが、第2次世界大戦後に世界各地で勃発した戦争の多くは、アメリカとソ連の代理戦争だったのだ。

この戦争は、今までの戦争とはまったく違っていた。

いわゆる「最前線」となる戦場が存在しなかった。南ベトナム領内に忍び込んだ北のベトコンたちが、いつ、どこから現れるか、一寸先も読めない状況下でのゲリラ戦だった。
年代的にマスメディアも発達していたため、戦況は、多くのジャーナリストによって逐一、世界中に、文章・写真・映像で同時に伝えられた。いわば、人類史上初の「メディアによって世界中が同時ウォッチングした戦争」でもあった。

そこで伝えられた光景は、世界を牛耳る大国アメリカが、アジアの片隅の貧しい農民たちを虐殺する姿だった。アメリカ国内はもとより、世界中で反米の嵐が沸き起こった。

その間、アメリカでは、ケネディ~ジョンソン~ニクソンと3代の大統領が関与したが、いっこうに出口は見えなかった。アメリカは、年間50万人以上の米兵を送り込み、次第に天文学的な額の出費に悩まされ始める。今まで経験したこともない、熱帯森林での長期ゲリラ戦に、兵士の士気も低下する一方だった。

そして1973年、疲れきったアメリカは北ベトナムに対する攻撃停止を表明。和平交渉が開始され、翌74年にニクソン大統領はウォーターゲート事件でボロボロになって辞任。フォード大統領があとを引継ぐと、75年4月、南ベトナムの首都サイゴン(現ホーチミン市)が陥落して、15年に及ぶベトナム戦争は、ようやく終了したのだった。アメリカにとって、建国以来、初めて経験した「完敗」だった。

この間、南北ベトナムにおける犠牲者は200万人、アメリカ軍の戦死者だけでも6万人近くに上っていた。アメリカが空中散布した枯葉剤(ダイオキシン)による後遺症は、のちのちまで多くの悲劇を生む。

この戦争を題材に吹奏楽曲≪戦死・不明の英雄たちよ~ベトナム・メモリアル≫【注】を書いたのが、アメリカの作曲家ギリングハムである。

そもそも彼は、ジャーナリスティクな題材をよく選ぶようだ。のちに紹介する予定の≪闇の中のひとすじの光≫は、1995年のオクラホマ州連邦ビル爆破事件をモチーフにしたものだし、≪目覚める天使たち≫は、エイズによる死者に捧げられた曲だ。

今回も、作曲にあたって彼自身による詩のような言葉が書かれ、それに基づいて音楽化されている。その要旨は、

<あの恐ろしい戦争、そのすべてを忘れたい/苦痛や死が二度と訪れないよう、この矛盾を解いてくれ/そして永遠の平和が、戦死・不明の英雄たちに訪れんことを>

……といったような内容である。

曲は、恐ろしいほど真摯で厳しく、緊張感に富んでいる。タイトルからすると、戦死兵を讃える曲のように思えるかもしれないが、それほど単純な内容ではない。勝者・敗者を超えて、戦争で命を失ったすべての人たちに対するレクイエムに思える。全体を、何とも言えぬ虚しさが支配しており、時折、勇敢さを表現しているようなモチーフも散見されるが、すぐに打ち消される。後半は、戦死者たちの魂が天上へ誘われて行く光景を描いているようだ。

演奏は、並大抵の難度ではない。無調の現代音楽的な響きが全体を支配しているようで、打楽器に至っては、鍵盤を弦楽器の弓でこするなど、特殊奏法の連発である。通常の吹奏楽曲を連想すると、面食らうであろう。奏者のテクニック面もさることながら、このような曲をまとめ上げるには、指揮者にも尋常ならざる力量を求められる。楽譜どおりに演奏する以上の、目に見えない何かをつかむような力がないと、曲の真意を表現することも絶対にできない。

この曲を日本初演したのが神奈川県立厚木西高校であることは有名な話だが、本項で紹介している参考音源も関東第一高校の演奏なので、一瞬、高校生でも演奏できるような先入観を持つかも知れないが、それはたいへんな勇み足である。この2校は、いわゆる“超高校級”であって、これもまた、尋常ならざる力量を持っているのだ。演奏にあたっては、よくよく考え、かつベトナム戦争の何たるかを十二分に把握した上でチャレンジしていただきたい。
<敬称略>
【注】この曲の邦題は、演奏団体やレーベルによって様々で、確定的な邦題は、まだないようだ。本項の邦題も、あくまで筆者による訳である。よって、楽譜やCDを探す際には、必ず、原題で確認するようにしていただきたい。

■吹奏楽曲でたどる世界【第48回】スターリン死去(1953年) ~祝典序曲(ショスタコーヴィチ作曲/ハンスバーガー編曲ほか)

Text:富樫鉄火

●作曲:ドミトリ・ショスタコーヴィチ Dmitrii Shostakovich(1906~1975)ロシア
●原題:Festive Ouverture(英語表記の場合の一例)
●初出:1954年原曲初演
●編曲:ドナルド・ハンスバーガー、上埜孝など
●出版:HAL LEONARD(ハンスバーガー版)、ウインドギャラリー(上埜版、レンタル)
●参考音源:各種あり
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-0430/
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-2378/
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-0277/

●演奏時間:約7分
●編成上の特徴:大型編成。正式演奏版(上埜版)はバンダ(金管別働隊)あり。
●グレード:5

今回の曲は、本来が管弦楽曲であるが、いまでは吹奏楽曲としてスタンダードとなっており、読者諸氏の中でも演奏したり、聴いたりしたことのある方も多いと思う。

ソ連(=旧ソヴィエト社会主義共和国連邦、現ロシア)は、第2次世界大戦の「戦勝国」である。日ソ不可侵条約を結んで、お互い、敵同士となっても互いの国内での戦闘をしない約束だったのに、終戦直前、連合軍の勝利を確実と見たソ連は、条約を無視してソ満国境を越え、日本に攻め入ってきた。そして「勝利」……。

私の両親の世代には、いまでもこの時のことを引き合いに出して「ロシア(ソ連)は約束を平気で破る国だ。だから信用できない」と言う人が多い。

終戦後、ソ連は戦勝国としてアメリカと並ぶ世界の2大国となった。ただし、社会主義国だったので、その発展ぶりは、アメリカとは大いに違った。大戦を「勝利」に導いた独裁者スターリンによる超ワンマン国家として発展したのだ。このソ連が生んだ20世紀最大の天才作曲家がショスタコーヴィチである。(スターリンやショスタコーヴィチについては、第45回≪ベルリン陥落≫の回を参照)。

彼の生涯は、まことに複雑だった。当時のソ連は、すべてが独裁者スターリンによって決められていた。とにかく政府=スターリンのお気に召さない芸術は、ことごとく葬られた。ショスタコーヴィチも、新機軸の音楽を開拓するたびに政府から「西洋かぶれ」「人民の敵」「もっと大衆向けに」と批判され、その都度、あらためてお褒めに預かれる音楽を書く――そんなことの繰り返しだった。要するに独裁者スターリンとの闘いの毎日だったのだ。だったら亡命すればよさそうなものだが、家族思いで生真面目だった彼は、そこまでは踏み切れなかった。

だが、そのために彼の音楽は、様々な側面を持つことになり、まさに20世紀現代社会の縮図のような面白さを我々に与えてくれている。

1945年、ショスタコーヴィチは「ロシア革命37周年記念」「ボルガ=ドン運河開通記念」曲として、この《祝典序曲》を発表した。もちろん初演は大成功で、喝采を浴びた。

だが……ロシア革命「37周年」記念で曲を書くとは、少々、中途半端には思えないか。さらに「ボルガ=ドン運河の開通」は、もう2年前の話なのである。運河の開通を2年後に祝うというのも、どうもピンと来ない。ほんとうにこの曲は、それらのお祝いの音楽なのだろうか……?

実は、それ以前の1947年に、ショスタコーヴィチは「戦後復興に打ち込んでいる人民のための、革命30周年記念曲を書いている」と書いている。ところが、どうも、それにあたる曲がないのだ。そこで、もしかしたら、ここで書いている「記念曲」が≪祝典序曲≫なのではないか、との説がある。だがそうだとしたら、なぜすぐに初演せず、7年もたってから世に出したのだろうか?

実はショスタコーヴィチが「記念曲を書いている」と記した直後、彼は政府から徹底的に批判されていた。「抽象的な音楽はダメ。国家の意向に沿った分りやすい音楽を書け」と。このままでは作曲活動を続けられなくなると判断したショスタコーヴィチは、オラトリオ≪森の歌≫などの「分りやすい音楽」を書いて“反省”を国家に示していた。そんな時期だったので、神経質になって引っ込めたのだろうか……だがそれにしては≪祝典序曲≫は、たいへん「分りやすい音楽」だと思うのだが……。

ここでまたも、新たな想像をしたくなってくる。

実は、独裁者スターリンが、1953年に死んでいるのだ。≪祝典序曲≫の初演は、その翌年1954年……。

もしかしたら……1947年に書いていながら、政府の批判を浴びて神経質になっていたので一時ボツにした……そうしたら、1953年に、やっかいなスターリンがいなくなった……これからは、好きなように音楽を書ける。いまこそ≪祝典序曲≫を世に出して、その歓びをあらわしたい……?

だとしたら≪祝典序曲≫は、スターリンの死を祝う曲なのか?

以上はもちろん推測だが、そう考えた方がピッタリくるほど、この《祝典序曲》は、華々しい祝祭気分に満ちている(人の死を祝う曲というのも変な話だが)。

原曲は管弦楽曲で、ラスト部分にバンダ(金管別働隊)が加わる派手な曲で、いまでは吹奏楽版の方が演奏の機会が多い。かつてはハンスバーガー編曲版が人気だったが、最近は上埜孝版などもある。

ソ連はスターリンの死後、フルシチョフによって「雪解け路線」がとられ、次第に東西冷戦も沈静化し、1991年に連邦解体となった。いま「ソ連」なる国は、もうない。

ちなみに独裁者スターリンは、クラシック音楽を愛好する一面も持っていた。旧ソ連に、マリア・ユーディナ(1899~1970)という「幻」の女流ピアニストがいた。亡くなるまで一度もソ連を出たことがなかったので、西側では、レコードで聴くしかなかったが、ソ連では最も尊敬された骨太なピアニストだった。

ある時、独裁者スターリンが、放送局に自ら電話をかけてきて「ユーディナが弾いた、モーツァルトの23番のコンチェルトのレコードがあるか」と聞いてきた。

放送局のスタッフは、驚かんばかりに飛び上がってしまった。独裁者からのご下問に、まさか「ない」とは言えない。急きょ、ユーディナ本人をはじめ、オーケストラや録音スタッフが放送局に呼び集められ、徹夜で録音、レコード制作が行なわれ、翌朝、スターリンのもとへレコードが届けられた。

1953年3月5日、脳卒中で亡くなったスターリンの部屋のプレーヤーには、そのレコードが載っていたという。【注】
<敬称略>
【注】この話は、有名なヴォルコフ編『ショスタコーヴィチの証言』(中公文庫)など、いくつかの本で紹介されているが、最近では、高橋敏郎『LPジャケット美術館~クラシック名盤100選』新潮社)の中で、ユーディナのLPジャケット肖像写真とともに紹介されている。

■吹奏楽曲でたどる世界【第47回】朝鮮戦争~クロマイト作戦(1950~53) ~仁川<インチョン>(ロバート・W・スミス作曲)

Text:富樫鉄火

●作曲:ロバート・W・スミス Robert W.Smith (1958~)
●原題:INCHON
●初出:2000年(作曲者自身の指揮で、退役軍人の日記念コンサートにて初演)
●出版:Belwin-Mills/Warner
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/set-9649/

●参考音源:『INCHON~The Music of Robert W.Smith Vol.2』 (Warner)、『ニューウインドレパートリー2002』(大阪市教育振興公社)
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-0200/
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-1139/

●演奏時間:約10分
●編成上の特徴:大型編成。標準編成を超える指定・・・尺八もしくはアルトフルート(フルート代用可)、オーボエ1・2(内、1本イングリッシュホーン持ち替え)、コントラバス・クラリネット、ピアノ(もしくはシンセサイザー)、打楽器5パート(ティンパニ含む。舞台裏でオーシャンドラム必要)。
●グレード:5

第2次世界大戦は、1945年に終わった。これでアジアにも平穏な日々が訪れるかと思いきや、そうはいかなかった。

戦後すぐ、朝鮮半島北部に、パルチザン・リーダーの金日成を中心とする共産勢力が集結し始めた(言うまでもないが、この金日成とは、昨今、拉致問題などで注目を浴びている金正日将軍の父親である)。これに対し、南部では、李承晩による反対勢力が臨時政府を樹立。朝鮮半島は、一触即発の状態に陥った。

やがて1948年、李承晩はアメリカの後押しで、南部に「大韓民国」を設立。対抗して金日成は、ソ連のバックアップを得て、北部に「朝鮮民主主義人民共和国」(北朝鮮)を設立。朝鮮半島は、事実上、米ソによって南北に分断された。

北朝鮮を支援していたソ連軍は、アメリカとの直接対決を嫌い、のちに撤退。北朝鮮は孤立する一方、自ら半島を統一しようとする。

そして1950年6月、約10万の北朝鮮軍が38度線を突破し南下を開始。ここに「朝鮮戦争」が始まった。

国連安保理事会は、すぐにアメリカ軍25万人を主力とする「国連軍」を結成、派遣するが、北朝鮮軍の勢いは止められず、あっという間にソウルが陥落する。

さっそく、日本に駐留していたアメリカ軍が追加投入されるが【注1】、それでも北朝鮮軍の優勢は変わらず、戦況は行き詰まる。国連軍は釜山(プサン)近辺で何とか踏み止まっていた。

同年9月、占領軍総司令官マッカーサー元帥は、一発逆転を目指し、決死の「クロマイト作戦」を敢行する。海沿いの町・仁川(インチョン)に国連軍を一挙に上陸させ、北朝鮮軍を、釜山と仁川から挟み撃ちにする作戦だった。これが見事に成功し、北朝鮮軍は敗走。ソウルは国連軍の手で奪回された。

これで朝鮮戦争も一段落しかけたかに見えたが、その後も韓国=国連軍が北朝鮮の首都・平壌(ピョンヤン)を制圧したかと思えば、今度は中国=ソ連軍が圧倒的な戦力で北朝鮮軍を援助。あっという間に平壌は奪回され、それどころか、ソウルまでもが再び陥落。韓国・国連軍は壊滅状態に陥るなど、戦況は一進一退を繰り返し、「シーソー戦争」と称される泥沼状態に陥った。

半島全土は荒廃の一途をたどり、ようやくソ連側の提案で休戦協定が結ばれたのは、1953年7月。この間、両陣営あわせて400万人の死傷者を数え、無数の離散家族を生んだ。しかし結局、朝鮮半島は南北に分断されたまま、いまに至っている。

この戦争が契機のひとつとなって、日本に警察予備隊(現・陸上自衛隊)が誕生し、日米安保条約の改定につながった。また、アメリカ軍兵士のほとんどが日本国内の米軍基地から参戦した関係上、多くの兵器製造・修理・調達を日本の大企業が請け負い、「朝鮮特需」と呼ばれる好景気に見舞われた。当時、日本は米軍の要請に応じて掃海艇を極秘派遣しており(事実上の戦争参加)、犠牲者も出ている。このことは、後日、国会で明らかになり、大問題になった。

作曲家ロバート・W・スミスの父親は、この戦争に参加していたそうで、父親への思い出として、仁川上陸作戦=通称「クロマイト作戦」を音楽化したのが、この≪インチョン≫である。

冒頭、オーシャンドラム(波の音)が海岸線を描写し、尺八(もしくはフルート)のアジア風旋律が流れる。そこへ、打楽器群が模写するヘリコプターのプロペラ音が近づいてきて、戦闘が始まる(小型ヘリコプターが活躍した最初の戦争だった)。

やがて音楽は、朝鮮民謡≪アリラン≫のモチーフを織り交ぜながら【注2】、激しい戦争の描写に移る。我々日本人が聴くと、朝鮮と中国が一体になっているように感じられる部分もあるが、演奏時間約10分、とにかく迫真の戦闘描写がつづく。ラストには、何ともいえない虚しさも漂っている。

決して戦争賛美の音楽ではないが、朝鮮戦争は日本のすぐ隣りで発生した悲劇であり、様々な意味でわが国も関与した戦争だったので、それがアメリカで吹奏楽曲化されたのは、少々複雑な思いである。

しかもこの戦争は、はるか彼方の歴史上の出来事ではなく、つい最近、我々の目の前で起きた戦争だ。それゆえ、この曲を若い人たち(特に中高生)が演奏する際は、指導者が、キチンと戦争の実情や意義を伝え、単なる音のパノラマ再現にならないよう、十分配慮をしていただきたい。この曲は、あくまで「アメリカ人スミス」の視点によってつくられており、我々日本人の見方とは、どこか違っている。非アジア人によって創作された音楽であることを、演奏者は忘れてはならないと思う。

作曲者スミスは、いま、世界で最も注目されている一人。たいへんな多作家で、日本では≪海の男たちの歌(船乗りと海の歌)≫や、ダンテの詩篇をもとにした≪神曲≫などで知られている。スケール豊かな大曲から、初級レベルの小曲まで、様々なタイプの音楽を書くオールマイティである。編曲も多い。≪神曲≫は全4楽章の大作だが、日本では、第1楽章<地獄篇>がよく演奏されているようだ。本連載では、第31回≪機関車大追跡≫で登場した作曲家だ。

なお、この≪インチョン≫は、後日、作曲者自身によって、フル・オーケストラ版に編曲されている。
<敬称略>
【注1】
当時、朝鮮半島に投入されたアメリカ軍兵士の多くは、一度日本の米軍基地に降り立ち、そこから飛び立って行った。そのため、この頃の日本国内の米軍基地は「大混雑」だった。

1950年7月11日深夜、九州・小倉(現・北九州市)の米軍基地内に朝鮮行きのため待機させられていた黒人兵数百人が集団脱走し、小倉市内で暴動を起こして多くの日本女性がレイプされる事件が発生した。彼らは武装しており、鎮圧に乗り出した占領軍憲兵隊との間で、市街銃撃戦にまでなった。

この事実は、アメリカ占領軍による報道管制によって伏せられ、当初、まったく報道されなかった。襲撃を受けた小倉市民や、レイプされた女性たちは、泣き寝入りするしかなかったのだ。1958年、作家・松本清張が、この事件を『黒地の絵』と題して小説化したことで、ようやく一般人にも広く知られるようになった。

脱走暴動を起こした兵士たちは、明日にも朝鮮戦争の最前線へ送り込まれる自らの身を案じ、自暴自棄になっていたのである。しかも、全員、黒人兵だった。危険な戦場の最前線には、まず黒人を送り込む……アメリカという国の実像を見せつけられた事件であった。
【注2】
この曲にかすかに流れる朝鮮民謡≪アリラン≫が、やはりアメリカで吹奏楽曲になっており、長年にわたって演奏されつづけている。ジョン・バーンズ・チャンス(1932~72)作曲の≪朝鮮民謡の主題による変奏曲≫だ。

作曲者チャンスは、陸軍バンド時代、朝鮮戦争後の韓国に赴任しており、現地でこのメロディを何度か耳にしたそうで、退役後、吹奏楽曲としてまとめた。特に朝鮮戦争をテーマにした曲ではないが、チャンス自身の内面には、それなりに思うところがあったに違いない。

有名な≪アリラン≫のメロディが、5種類の変奏で表現されている。オストワルド賞やABA(アメリカ吹奏楽指導者協会)作曲賞も受賞しており、発表以来、いまでも演奏されている、スタンダード・ロングセラーである。それだけ、音楽的にもたいへんまとまった、優れた曲なのだ。

特に、すべての楽器に、基本的な奏法のほとんどがうまく駆使されているので、特にアマチュア・バンドにとってはテキストの一種としても通用するだろう。標準編成を超える指定はコントラバス・クラリネットくらいだが、これはいくらでも対応できる。ただ、打楽器の活躍する部分が多く(チャンスは打楽器奏者だった)、スコアには6パートが指定されている。

ちなみに、作曲者チャンスは、このほかにも≪呪文と踊り≫など、音楽的に充実した素晴らしい吹奏楽曲をたくさん書いた。長く活躍することが期待されていたが、1972年、自宅の裏庭で電流フェンスに触れて感電死するという、ショッキングな最期を迎えている。若干40歳であった。

■吹奏楽曲でたどる世界【第46回】第2次世界大戦(1939~1945)その7 ~広島への原爆投下(1945年8月6日)モーニング・アレルヤ~冬至のための(ロン・ネルソン)

Text:富樫鉄火

●原題:Morning Alleluias for the Winter Solstice
●作曲:ロン・ネルソン Ron Nelson(1929~、アメリカ)
●初出:1989年、広島にて。フレデリック・フェネル指揮=東京佼成ウインドオーケストラの演奏。
●出版:Ludwig Music
●参考音源:『ピース・オブ・マインド/東京佼成ウインドオーケストラ』(佼成出版社)
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-1172/
●演奏時間:約6分
●編成上の特徴:かなり特殊な大型編成。たとえば……フルート1~3、B♭クラリネット1~4、コントラバスーン1~2、トランペット1~4、トロンボーン1~4、打楽器多数、ピアノ2台必要(1台は連弾)。
●グレード:5

奇しくも、この回がアップされる週は、日本の終戦記念日(8月15日)が含まれている。長々と綴ってきた第2次世界大戦にまつわる解説も、今回が最後となる。【注1】

この夏、全米ケーブルTVネットワーク「HBO」で、ドキュメンタリー映画『ヒロシマナガサキ』が放映されて大きな話題となった。日系三世の映像作家スティーブン・オカザキによる作品で、原爆を投下した爆撃機「エノラ・ゲイ」の元乗員や、科学者たち、さらに日本側の被爆者らへのインタビューを組み合わせて、広島・長崎の被爆の実態を描いたものだ。

アメリカでは、「原爆投下が太平洋戦争を早めに終わらせたのだ。もし、広島と長崎に原爆が落ちなければ、戦争はもっと長引いて、日本民族は滅亡していたかもしれないのだ。逆に感謝してほしいくらいだ」との考え方が常識である。

ケーブルTV中心のアメリカで、このような映画が堂々と放映された意義は大きい。案の定、この映画を見た一般アメリカ人の中には、あらためて被爆の悲惨さを痛感した人たちもいたようだが、おおむね上記の考え方を再認識した人たちの方が多かったようだ。

だが、すべてのアメリカ人がそうではない。昔から被爆の恐ろしさを痛感しているアメリカ人だっていたのだ。その中の一人が、吹奏楽界の伝説的名指揮者フレデリック・フェネル(1914~2004、東京佼成ウインドオーケストラ桂冠指揮者)であったことを、私たちは、幸せに思いたい。

1945年(昭和20年)8月6日未明、グアム島近くのテニアン島飛行場から、新型爆弾「リトル・ボーイ」を搭載したB29型爆撃機「エノラ・ゲイ」号が飛び立った。同機は7時間ほどで広島上空へ。

ここで初めて、乗務員は機長から、搭載している新型爆弾が、人類史上初の原子爆弾であることを明かされる。落下地点は、広島市内「相生橋」上空にロックオンされた。

午前8時15分、「リトル・ボーイ」が投下された。目標地点「相生橋」の上空約600メートルで、核分裂爆発を起こす。人類史上、最初の、一般市民が普通に暮らす都市部への、予告なしの核兵器使用である(そして人類史上二度目にして最後の、一般市民が普通に暮らす都市部への核兵器使用が、8月9日の長崎である)。

よく言われるが、この原爆の威力は、B29爆撃機3000機がひとつに固まって同時に爆撃をしたに等しいパワーだった。音速の壁を超える超爆風(通常の人間世界の中ではあり得ない風力)が、一瞬にして建物も人間も、吹き飛ばした。いや、「吹き飛ばす」などという生易しいものではなかった。爆心地の、すべての建物と人間は、一瞬にして「消えた」。

爆心地には、超高温が発生した。その温度は、3000度~4000度と言われている。太陽が、地上に突然発生したようなものだ。爆心地の建物や人間は、「燃えた」のではなく、超高熱によって「消えた」のだ。

恐るべき量の放射線が地表を叩きつけるように降り注いだ。市内の病院に保管されていたレントゲンフィルムは(たとえ地下倉庫に厳重保存されていても)すべて感光していたほどだった。

超高熱と放射線を浴びた人間の身体は、体内の水分は一瞬にして蒸発し、「炭化」した。市内には、おぼろげながら「人間」を思わせる形状の「炭」となった遺体が山積みとなった。

あまりの高熱に、地上からは上昇気流が巻き起こり、ものすごい量の雲が「キノコ雲」となって湧き上がった。さらに大量の粉塵で、市内は「真っ暗」になった。その中で、建物と人間だけが、燃え続けていた。

やがて雲は雨を呼び、大量の放射能を含んだ「黒い雨」が地上に降り注いだ。

いくら書いてもきりがない。いくら述べても果てしがない。とにかく、1945年(昭和20年)8月6日(広島)、9日(長崎)と、立て続けに、人類史上最悪の行為が、私たちの住む国に対して、行なわれたのである。【注2】

指揮者のフレデリック・フェネルは、1988年、佼成ウインドオーケストラの地方公演ツアーで広島を訪れ、広島平和記念資料館(通称「原爆記念館」)を見学した。その時フェネルが受けたショックがどのようなものであったかは、知る由もない。

ただ、翌朝、フェネルは、ホテルで目覚めた時に、その思いが蘇り「吹奏楽曲にしなければ」と感じたという。それだけ、アメリカ人フェネルの心の中に、何かが沸き起こったのであろう。

フェネルは、帰国後、知人の作曲家ロン・ネルソンに、その思いを語り、吹奏楽曲を委嘱した。それが、今回ご紹介する≪モーニング・アレルヤ~冬至のための≫である。スコアには「広島の人々のために」と記されている。

まず、このタイトルについて説明しておく。広島の原爆を題材にした曲に、なぜ「冬至」なんてコトバが入っているのだろうか。

そういえば、この曲は、日本ではいくつかの邦訳があって、たとえば≪冬至のための朝のアレルヤ≫とか、≪冬の始まりのためのモーニング・アレルヤ≫などがある。

「アレルヤ」とはヘブライ語で「神を讃えよ」の意味。英語読みだと「ハレルヤ」となる。音楽の世界では、「アーメン」や「ホザンナ」と並んで、文字通り「神を讃える音楽」のことである。

問題は、原題にある「Winter Solstice」なのだが、これは、確かによく「冬至」と訳される。一般的に「1年間で昼間の最も短い日」のことで、おおむね12月21~22日前後である(今年=2007年は12月22日)。これに対して「昼間の最も長い日」は「夏至」で、今年の場合は6月22日だった。ただし、どちらも天文学的には、正確にその日が「最も昼間が短い/長い」日ではない。

これらは俗に「二十四節季」と呼ばれる、1年間を24の季節に分ける日本独特の暦で、ルーツは中国である。なのに、欧米にも「冬至」とか「夏至」なんて考え方があるのだろうか?

実は、「Winter Solstice」の「Solstice」とは、ラテン語で「太陽が止まる日」という意味なのだ。つまり、12月21~22日前後は、太陽が最も南に来て、この日を境に、今度は北上するのである。確かにイメージとしては「太陽が止まる日」とも受け取れる。その日を、中国や日本では「冬の果てに至る」=「冬至」と呼んでいる。

これに対し「夏至」=「Summer solstice」とは、太陽が最も北に位置し、この日を境に南下する。やはり、この日も「太陽が止まっている」ように感じる。「夏の果てに至る」=「夏至」である。

だから、「Winter Solstice」を「冬至」と訳すことは間違いではないのだが、あくまで、日本でその日を「冬至」と呼んでいるので、それをあてはめただけなのである。即物的に訳せば、「太陽が止まる冬の日」とした方が正確かもしれないのだ。

いかがであろうか。まさに1945年8月6日、広島では「太陽が止まった」のではなかったか。それは、長く、恐ろしく、暗い、「冬」の始まりでもあったのだ。これほどふさわしい曲名はないかもしれない。

さて、曲であるが、これは一種の現代音楽である。冒頭からして、ほとんどの奏者が「LU―」と歌うように指定されている。サウンドクラスター(音の自由な組み合わせ)も頻出する。前半は、タイトルどおり「アレルヤ」を思わせるコラール風だが、後半になると、激しい曲調となる。決して、広島の惨劇を直裁に描いているわけではない。つまりこの曲は、人類史上最大の愚行を犯してしまった人間が、神に許しを乞う音楽なのである。そして、こればかりはいかに寛容な神でも、そうは簡単に許しを与えてくれないのではないか、そのことに対する不安と絶望を描いているのである。

演奏は容易ではないが、「原爆投下は正しかった」といまでも公言するアメリカ人の中にも、こういう曲を書いた人がいることはぜひ知っておいていただきたい。そして、それを委嘱したのが、フレデリック・フェネルであることも。

ネルソンは、イーストマン音楽院卒の作曲家。合唱曲が多いが、日本では、特に、吹奏楽曲≪ロッキー・ポイント・ホリディ≫で知られている。1993年には≪パッサカリア~バッハへのオマージュ≫で、ABA(全米吹奏楽指導者協会)賞と、NBA(全米バンド協会)賞をダブル受賞した。
<敬称略>
【注1】日本では、8月15日が「終戦記念日」で、この日に戦争が終結したことになっているが、正確に言うと、この日は、天皇陛下による「玉音放送」で、無条件降伏が国民に知らされた日である。天皇陛下の「聖断」で、ポツダム宣言受諾が連合国側に通告されたのは8月10日。受諾正式決定が8月14日。「玉音放送」が8月15日。降伏文書への調印が9月2日である。ただし沖縄だけは、戦闘が終了した6月23日を「慰霊の日」(事実上の終戦日)としている。ちなみに8月15日は、アメリカでは「VJデイ」(Victory over Japan Day)=「対日戦勝記念日」、中国では「抗日戦争勝利記念日」、北朝鮮では「祖国解放記念日」、韓国では「光復節」(日本の植民地支配から解放されたことを祝う日)となっている。

【注2】最近の若い方々は、この事実に対して鈍感になっているような気がしてならない。筆者は決して反米主義者ではないし、単純な平和愛好家でもないが、いくら交戦中とはいえ、無辜(むこ)の民が暮らす都会に、二回も、予告なしで核兵器を使用された不条理だけは、絶対に忘れてはならないと思う。せめて、漫画『はだしのゲン』(中沢敬治、中公文庫版ほか)や、小説『黒い雨』(井伏鱒二、新潮文庫)くらいは、日本人の常識として読んでおいてほしい。

■吹奏楽曲でたどる世界【第45回】第2次世界大戦(1939~1945)その6 ~ベルリン大攻防戦~ヒトラー自殺(1945年4~5月)組曲≪ベルリン陥落≫作品82(ショスタコーヴィチ作曲/木村吉宏編曲)

Text:富樫鉄火

●原題:The Fall of Berlin Op.82
●作曲:ドミトリ・ショスタコーヴィチ Dmitrii Dmitrievich Shostakovich<英字表記>(ロシア、1906~75)※原曲(管弦楽版)の構成はアトヴミャーン。
●初出:1949年(映画公開)
●出版:ウインドギャラリー(レンタル)
●参考音源:『ベルリン陥落 広島ウインドオーケストラ』木村吉宏指揮(フォンテック)※ライヴ音源
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-2888/

●演奏時間:全8楽章 約30分弱
●編成上の特徴:スコア未見につき詳細不明だが、かなりの大型編成。
●グレード:5

連合軍にヨーロッパ上陸を果たされ、占領していたパリまでを奪還されたナチスドイツは、追い詰められる一方だった。

そんなドイツを東側からさらに攻めまくり、ベルリンを攻略してヒトラーを自殺に追い込んだのは、当時のソ連(現ロシア)だった。独裁者スターリンが率いる社会主義の超大国である。

確かにソ連の進撃ぶりは凄まじかった。1945年に入るや、ドイツが侵攻しつづけていたポーランドを解放し、アウシュビッツ(ユダヤ人虐殺)の実態を世界に知らせた。

ヒトラーは地下に潜行し、やけくそになって「ドイツ全土を焦土と化せ」と指令を発するが、誰も従わなかった。西側からは、アメリカ・イギリスを中心とする連合軍が迫ってくる。

ヒトラーと並ぶファシスト、イタリアのムッソリーニは逮捕され、広場で処刑されて逆さ吊りとなった。この事実を知ったヒトラーは、自分もさらし者にされるのを恐れ、ベルリンの地下司令部内で、愛人エヴァ・ブラウンとともに自殺する。

その頃、ソ連軍は、ライン河を突破し、難所ゼーロフ高地のドイツ軍拠点も破って、猛烈な勢いでベルリン市内に突入していた。ドイツ軍と市民も決死の抵抗を試み、壮絶な市街戦が展開した。

特にドイツ国会議事堂は、ナチスドイツ親衛隊が最後まで立てこもって抵抗をつづけていた。ソ連軍にとっては、ここを攻略することが、ベルリン全体を陥落させる象徴になると判断、徹底的に攻撃した。

半ば崩れかかった国会議事堂の屋上に、ソ連兵がソ連国旗を掲げている有名な写真がある。一説には、この写真は、ベルリン全体が陥落して一段落したあとになって、あらためてポーズをとらせて撮影した写真だとも言われているが、それでも、これを見ると、当時のベルリン市内がいかに徹底的に破壊されたかがよく分る。

また、陥落後、ソ連兵が市内で暴れまわったのも有名な話だ。いくらドイツ憎しとはいえ、彼らの残虐非道ぶりはかなりのものだったらしい。市内で集団レイプされた女性の数は10万人。そのうち1万人近くがショックで自殺したとさえ言われている。【注1】

しかし、とにかくこの「ベルリン大攻防戦」をソ連が制したことで、1945年5月7日~8日にかけてドイツは連合国側に対して無条件降伏し、ここに、ヨーロッパ大陸における第2次世界大戦は終結を迎えるのである。

この一連のソ連の「快挙」を映画にしたのが、1949年のソ連による国策映画『ベルリン陥落』である。音楽はショスタコーヴィチ。

1953年にスターリンが死去し、一挙に世界中で、この独裁者に対する批判が噴出したため、長いこと封印され、「幻の映画」となっている時期があった。というのも、どう贔屓目に見ても、これは、ソ連の独裁者スターリンのプロパガンダであり、まともな映画ではない。よく言って「究極の珍作」である。最初から最後までスターリンは冷静で素晴らしい指導者として描かれる。ラストで、世界各国の若者がスターリンを取り囲んで拍手喝采を送るシーンは、あまりのバカバカしさに言葉を失うであろう。

確かにスターリンは、ナチスドイツを打ち破ったという点では英雄であろうが、実はヒトラーに負けず劣らない独裁者であり、当時もその後も、決して誉められた指導者ではなかったのだ。

ただしこの映画、「珍作」だと思えば、それなりの面白さもある。現在では、DVD化もされ、気軽に観ることができる。たとえばスターリンを演じた俳優のそっくりさんぶりには目を疑うであろう。メイキャップの賜物とはいえ、よくぞここまで似た俳優を探してきたものだと感心する。

また、ヒトラーを演じたそっくりさん俳優の怪演ぶりは一見に値する。ギャグすれすれの演技で狂気を表現しており、きれいごとのみで描かれたスターリンの場面とのあまりのギャップが、そのまま映画の魅力になっているという、皮肉な結果を招いている。

一応、世界最初の「カラー戦争大作映画」ということになっているそうで、随所にカラーの美しさを生かした画面も登場する。終戦直後のベルリン市内でロケされた部分があるので、廃墟となった市街がフィルムに記録されており、この攻防戦がいかに激しかったかをリアルに物語っているという点でも、それなりの価値はある。さらに、クライマックスで、主人公の兵士が、ソ連国旗を片手にドイツ軍の砲撃の中をかいくぐって国会議事堂に突入し、屋上に上がって旗を掲げるに至るシーンは、プロパガンダとはいえ、それなりの緊張感で表現されている……とも言える。

だが、そんな国策映画でありながら、やはりショスタコーヴィチが付けた音楽は、紛れもない一級品である。一部、彼の交響曲第7番≪レニングラード≫の旋律なども出てくるが、壮大なスケールながら、どこかシニカルさも忘れない彼独特の音楽性は、ここでも十分発揮されている。あまりにバカバカしい映画に、あまりに素晴らしい音楽……何とも不思議な作品が生れたとしかいいようがない。

作曲当時、ショスタコーヴィチは、有名な「ジダーノフ批判」にさらされていた。「西洋かぶれ」「もっと大衆向けに」「スターリンを個人崇拝せよ」と、徹底的にお叱りを受けていたのだ。生真面目なショスタコーヴィチは、さっそく「反省」して、オラトリオ≪森の歌≫などの「大衆向けの音楽」を書いた。その中のひとつが、この映画『ベルリン陥落』の音楽だったのだ。

この映画の音楽から、ショスタコーヴィチの友人だったアトヴミャーンによって8曲が抜粋され、管弦楽組曲になった。さらにそれが、木村吉宏の編曲で吹奏楽版組曲になっている。【注2】コンクールでも、2004年の全国大会で、愛知県の安城学園高校が取り上げていた(銀賞)。

曲は、原組曲どおり8楽章構成。【Ⅰ】前奏曲、【Ⅱ】川のほとり、【Ⅲ】攻撃、【Ⅳ】庭にて、【Ⅴ】ゼーロフ高地の嵐、【Ⅵ】破壊された部落にて、【Ⅶ】地下室、【Ⅷ】終曲。

戦争映画の音楽でありながら、ハリウッド製とは明らかに違う、品格と知性を感じさせる曲調は、吹奏楽版になっても決して失われていない。雄大な【Ⅰ】<前奏曲>、ベルリンへの玄関口と言われたゼーロフ高地での戦いを描く【Ⅴ】<ゼーロフ高地の嵐>など、どれも迫真の音楽である。特に冒頭とラストに登場する、勇ましくもどこか哀愁のある旋律はショスタコーヴィチならではの魅力に溢れている。

吹奏楽界におけるショスタコーヴィチといえば、何と言っても≪祝典序曲≫が有名だが、この曲も、もっと演奏されていいスコアだ。ただし、若い方々が演奏する際は、本来がどういう映画であり、何を描いた音楽なのかを、キチンと知ってからトライしていただきたい。これは、あくまで「ソ連」の側から一方的に描かれた、スターリン礼賛の音楽なのだから。
<敬称略>

※「木村吉宏」の「吉」は、正確には上部が「土」です。
【注1】もし、ベルリン大攻防戦に興味を持ったら、アントニー・ビーヴァー『ベルリン陥落1945』(川上洸訳、白水社刊)は必読。膨大な資料と取材でベルリン陥落の実態を描いて世界的ベストセラーになった、戦史ノンフィクションの傑作である。
【注2】ほかに、作編曲家・高木登古による吹奏楽版組曲(全5曲)もある。詳細は、サイト「高木登古の部屋」
http://www18.ocn.ne.jp/~q3542/index.html を参照されたし。ちなみに高木氏は、2007年のコンクール課題曲≪マーチ「ブルースカイ」≫の作曲者であり、「秘曲・珍曲」の発掘者としても知られている。

■吹奏楽曲でたどる世界【第44回】第2次世界大戦(1939~1945)その5  ~パリ解放(1944年)フランス組曲(ダリウス・ミヨー)

Text:富樫鉄火

●原題:Suite Francaise
●作曲:ダリウス・ミヨー Darius Mihaud(1892~1974)
●初出:1945年、ニューヨークでゴールドマン・バンドにより初演。
●出版:MCA/HAL LEONARD
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/set-9672/

●参考音源:『フランス組曲/東京佼成ウインドオーケストラ』(佼成出版社)、『なにわ<オーケストラル>ウィンズ 2005』(ブレーン)、『グレインジャー:リンカンシャーの花束/フレデリック・フェネル』(ユニバーサル)ほか
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-0080/
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-3216/
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-0808/

●演奏時間:全5楽章、約16~19分
●編成上の特徴:ほぼ標準編成。バス・サクソフォーンがあるが代用可。コルネット1~3+トランペット1・2あり。
●グレード:4~5

前回解説したノルマンディ上陸作戦により、連合軍は一挙にヨーロッパ大陸に展開し、第2次世界大戦は終結に向かって動き始めた。

ヨーロッパは、ほぼ全土がナチスドイツによって制圧されていた。その中でも、大都市パリを解放することが、戦争を終わらせる象徴的な反撃になることは誰の目にも明らかだった。ヨーロッパを代表する都市パリは、1940年以来、足かけ5年にわたってナチスドイツによる占領の状態がつづいていたのだ。

1944年6月にノルマンディから大量上陸を果たした連合軍兵士は、刻一刻とパリに迫っていた。もちろんヒトラーは、何としてもパリを掌中におさめたままでいたい。

ところが、連合軍上陸のニュースを聞いたパリのレジスタンスたちは、この機を逃すなとばかり、さっそく武装蜂起する。

レジスタンスの応援下、パリ市民は一斉にゼネストに入り、市内にバリケードを築いた。市内各所でナチスドイツとの小さな市街戦が相次いだ。

ヒトラーは、このままではパリが連合軍に奪還されると判断。市内各所に爆弾を設置させ、パリ全体を火の海に包んで、レジスタンスや連合軍ごと「消滅」させようと決意する。実際、エッフェル塔やルーブル美術館、駅、官公庁など市内のあちこちに、爆弾が設置された。

だが、パリ駐在司令官であるナチスのコルティッツ将軍は、もはやドイツの敗北を確信していた。すぐ目の前には、大量の連合軍が迫っている。勝ち目はない。その上、この美しい都を灰燼に帰させることは、耐えられなかった。コルティッツ将軍は、密かに連合軍側と停戦交渉を交わし、ヒトラーの命令を無視しつづけた。

かくしてパリ市内に進軍したフランス軍との戦闘を経て、ドイツ軍は8月22日に降伏。アメリカ軍が進軍してパリは解放されるのである。それは、以後に続くナチスドイツの最期を予感させる出来事だった。

ちなみに、この一連の出来事が、2人のジャーナリスト、ドミニク・ラピエールとラリー・コリンズによって詳細な記録ノンフィクション『パリは燃えているか?』(早川書房)となって、さらに、1966年、ルネ・クレマン監督によるオールスター・キャストの超大作映画『パリは燃えているか』となって大ヒットした。【注1】

この映画の音楽は、名匠モーリス・ジャール。細かく調べていないので、もしかしたらどこかで出版されているのかもしれないが、吹奏楽で演奏しても十分通用する名スコアである。主題歌のロマンティックなテーマは、のちに、フランスの国民歌手ミレイユ・マチューが歌詞をつけて歌っている。

さて、この「パリ解放」のニュースを、亡命先のアメリカで聞いて感動し、吹奏楽曲をつくった作曲家がいる。フランス人ダリウス・ミヨーである。

彼は、南仏プロヴァンス出身、ユダヤ人の大富豪の息子であった。生来、小児麻痺だったので車椅子に乗っていることも多かった。ピアニストとしても大活躍したが、ユダヤ人だったため、第2次世界大戦が始まるとアメリカに亡命し、教鞭をとっていた。

たまたまパリが解放された頃、ミヨーは、音楽出版社リーズから「学生でも演奏できる吹奏楽曲を作曲してほしい」との要請を受けていた。そこでミヨーは、母国が救われたことに対する感激・感謝を、5楽章構成のコンパクトな吹奏楽曲に仕立て上げた。【注2】

素材となったのは、レジスタンスがナチス・ドイツと闘った5つの土地と、その土地に伝わる民謡である。

第1楽章<ノルマンディー>
連合軍が上陸を果たした海岸地方。にぎやかな楽章で、ほぼすべての楽器に出番がある。

第2楽章<ブルターニュ>
曇天模様が多い地方。ホルンから始まって、オーボエやサクソフォーンが、民謡≪哀れなブルターニュの漁夫≫を演奏する。

第3楽章<イル・ド・フランス>
この地名「フランス島」は、首都パリを含むフランス中心部のこと。 都会の活気を表現する。

第4楽章<アルザス・ロレーヌ>
フランスとドイツが長年にわたって争いを繰り広げてきた問題の地。ゆったりと哀しげな表現は、葬送行進曲のようでもある。

第5楽章<プロヴァンス>
ミヨーが生れた南仏の地。ビゼー≪アルルの女≫を思わせる南仏風のドラムに乗って力強く展開する一種の舞曲。

ミヨーは、これらで、ナチスドイツの手を逃れた故国フランスの素晴らしさを世界中にアピールしたかったのだ。

第2次世界大戦の終結は目前に迫っている。
<敬称略>
【注1】この映画はドキュメンタリー・タッチを生かすためにモノクロで製作された。だが、ラストの、解放されたパリ市外を空撮で描くラストシーンだけは、カラーで華やかに表現されている。まさにパリの町が蘇ったことを象徴する、ルネ・クレマンの素晴らしい演出……かと思いきや、かつて、映画評論家・西村雄一郎がルネ・クレマン本人にインタビューした際、このラストの素晴らしさについて聞いたら「ちょっと待て。俺は、そんなカラーのラスト・シーンなんか、撮影していないぞ」と驚いていたそうだ。世界配給してヒットさせるために、映画会社が勝手に撮影して加えたものだったのだ。海外では、映画の「著作権」が、監督よりも製作会社にあることを彷彿とさせるエピソードである。

【注2】「学生でも演奏できる吹奏楽曲」との要望に応えただけあって、確かにこの曲は、編成も通常だし、譜面ヅラもそう複雑ではない。だから、グレードとしては「3~4」としてもおかしくはない。だが、この曲をきれいに演奏することは、そう簡単ではない。これは、一種の管楽器による「少し大きめなアンサンブル曲」なのである。多くの楽器はむき出しにされ、ごまかしがきかない。よって本稿ではグレードを「4~5」にしてある。

■吹奏楽曲でたどる世界【第43回】第2次世界大戦(1939~1945)その4 ~ノルマンディ上陸作戦(1944年)孤独な海岸~ノルマンディ1944(ジェイムズ・バーンズ)

Text:富樫鉄火

●原題:Lonley Beach ~Normandy1944
●作曲:ジェイムズ・バーンズ James Barnes(1949~)
●初出:1992年、米陸軍バンドにより初演
●出版:Southern Music
●参考音源:サザン・ミュージックのデモCDのみ(のはず。もし、一般発売の音源がありましたら、編集部までご一報ください)。

●演奏時間:約11分
●編成上の特徴:かなり特殊。標準大型編成に加えて……女声3部(ソプラノ2部+アルト)。トランペット1~4+オフ・ステージに8本必要。ハープ+シンセサイザー。打楽器1~4はオフ・ステージ。
●グレード:5超

第2次世界大戦は、連合軍のノルマンディ上陸作戦(1944年6月6日)の成功によって、一気に終局になだれ込むことになった。人類の戦争史上、最大の上陸作戦と称されている。

ノルマンディとは、フランス北西部にある地方の名称。ドーバー海峡を挟んで、イギリスはすぐ目の前である。

ナチスドイツによって侵略されたヨーロッパを奪還するには、いつまでも空爆に頼ってはいられない。いつかは、大量の兵士を地上に送り込んで、いわゆる「本土決戦」に持ち込む必要があった。

連合軍は、1944年6月6日をもって、このノルマンディから一挙に、大量の兵士を上陸させる計画を立てた。この決行日を通称「Dディ」と呼んだ。

もちろん、海岸線は、屈強なナチスドイツ部隊に守られている。まず夜間~早朝に落下傘部隊の降下と空爆があり、ドイツの守備施設を極力破壊することから始まった。

そして夜明けとともに、強行上陸が開始された。最終的に、300万人近い兵士が、ここからヨーロッパ大陸への上陸を果たしたのである。

この作戦全体を映画にしたのが、1962年の超大作アメリカ映画『史上最大の作戦』(原題:The Longest Day=いちばん長い日)。戦争娯楽映画の傑作である。ジョン・ウェインを中心に、米英仏独のオールスター・キャストで製作された。【注1】 この主題歌、通称≪史上最大の作戦マーチ≫を作曲したのが、出演者の一人で、人気ポップス歌手ポール・アンカである。もうあまりに有名な曲なので(よく≪大脱走マーチ≫と混同される)、いちいち挙げないが、吹奏楽版でも様々なスコアが出ている。

連合軍は、5つのビーチに分かれて上陸した。もちろん、どこでもドイツ軍の迎撃に遭ったが、おおむね被害は最小限ですんだ。

だが、オマハビーチだけは、そうはいかなかった。ここへ上陸したのは、アメリカ第1歩兵師団であるが、予想以上に波が高く、浸水する上陸艇が続出。また、海岸線を守るドイツ軍の要塞も守りが固く、上陸は想像を絶する大惨事となった。死傷者4000名。海は流血で真っ赤に染まり、通称「血のオマハ」と呼ばれた。

この大惨事をリアルに映像化したのが、スティーヴン・スピルバーグ監督の『プライベート・ライアン』(1998年、アメリカ)である。冒頭約30分、この「血のオマハ」がスクリーン上にまさに「再現」される。その恐ろしさは想像を絶するリアルさで、公開当時、アメリカでは、吐き気を催したり、気を失う観客が続出した。いまでも筆者は、最初の劇場公開以来、いまだに再見できない。

この映画の音楽はジョン・ウィリアムズだが、メインテーマ曲≪戦没者への讃歌≫が、吹奏楽版でよく演奏されている。CD『ジョン・ウィリアムズ・ベスト!』(金聖響&シエナ・ウインド・オーケストラ)にも収録されている。悲惨な戦いによる戦没者を讃え、慰撫する壮大なバラード風讃歌である。

上記シエナ版は、人気作曲家フィリップ・スパークによる編曲。オリジナルどおり合唱付き大編成のスコアだ(シエナのCDでは、晋友会合唱団が歌っているが、合唱なしでも演奏できる) 。楽譜はイギリスのAnglo Musicからの発売。ほかにアメリカでも、中編成版などを含めるといくつかの版が出版されている。

そんなノルマンディ上陸作戦を描いた音楽で、私たち吹奏楽関係者が最も忘れてはならない曲が、今回の主題曲、バーンズ作曲≪孤独な海岸~ノルマンディ1944≫であろう。

バーンズといえば、多くの吹奏楽関係者にとっては、≪アルヴァマー序曲≫、もしくはコンクールでの人気曲≪祈りとトッカータ≫が浮かぶであろう。

バーンズは、ある時、ニュース映像で、オマハビーチの記録フィルムを見た。浜辺を覆う死体の山の中に、たまたま4人の若い兵士の死体が映った。なぜかバーンズはその光景が忘れられず、吹奏楽オリジナル曲を書いた。どこの誰とも分らない4人の死体への鎮魂は、第2次大戦で命を落としたすべてのひとたちへの壮大な鎮魂曲となった。

曲は、明るく楽しい≪アルヴァマー序曲≫のバーンズとはかけ離れた、真摯な前衛音楽である。流れとしては、≪祈りとトッカータ≫が、さらに前衛的になったような感じだ。何しろ冒頭部からして、「音を出す楽器」はひとつもないのだ。つまり、ほとんどの金管とフルートに「楽器に息を吹き込む」との指示がある。つまり、海岸線にひびく風の音、もしくは、遠くから聴こえてくる波の音を「息」で模すのである。「女声」がレクイエムのような哀しい響きを歌う。サウンド・クラスター(自由即興的な演奏)もあり、オフ・ステージを指定された楽器は、舞台裏ではなく、会場内で、客席を取り囲むような位置で演奏しろとの指示がある。

そんな編成の音楽なので、一般的な吹奏楽曲で与えられるカタルシスは、この曲にはない。譜面ヅラは、決して難しいものではない。だが、こういう曲で聴衆に感動を与えるには、単なるテクニック以上のものを要求される。いわゆる「総合力」のあるバンドでないと、「それらしい演奏」で終わってしまい、真の感動を導き出すことはできない。

バーンズは、ポップで明るい初心者向けの曲を書く一方で、「死」を題材にした作品も多い。たとえば、生後半年で亡くなった娘ナタリーへの哀歌≪交響曲第3番≫、特に第3楽章は、涙なしでは聴けない名曲だ。

なお、この≪孤独な海岸≫の音源は、楽譜出版元サザン・ミュージックが配布しているデモCDにはあるのだが、筆者が調べた限り、現在、一般発売されている音源は見当たらなかった。もし、ご存知の方がおられたら、編集部までご一報いただけると幸いです。
<敬称略>
【注1】原題『いちばん長い日』に対し、そのものズバリ『史上最大の作戦』という邦題を付けたのが、当時20世紀フォックス宣伝部につとめていた、現映画評論家の水野晴郎である。

■吹奏楽曲でたどる世界【第42回】第2次世界大戦(1939~1945)その3 ~キスカ島撤退作戦 キスカ・マーチ~映画『太平洋奇跡の作戦 キスカ』より(團伊玖麿作曲/福田滋編曲)

Text:富樫鉄火

●作曲:團伊玖麿(1923~2002)
●初出:映画公開1965年
●編曲:福田滋
●出版:ビムス・エディションズ
●参考音源:『ビムス・エディションズ・バンド・コレクション Vol.1』(ビムス・エディションズ)、『日本のマーチ・ベスト (戦後編) 祝典行進曲』(キング)など
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-1805/
●演奏時間:約4分半
●編成上の特徴:標準大型編成(と思われる)。
●グレード:3~4

太平洋戦争中、日本が侵略した外地の「島」では、玉砕が相次いだ。

「玉砕」とは、文字通り「玉」となって「砕け散る」。つまり、救出も応援もなく、最後まで戦って、そのまま全員死ぬことである(これに対して特攻隊の戦死を「散華」という)。

特に日本軍がアメリカに追い詰められた後期は、玉砕が相次いだ。1943年のアッツ島に始まり、サイパン、テニアン、グアム、そして、最近映画でも話題の硫黄島と、悲劇が絶えることがなかった。

物資と兵士に限度があり、かつ、制海・制空権を握られた日本軍に、外地の島へ応援部隊を送り込む余力は、もうなかったのだ。

だが、その中で、キスカ島だけは、約5000名の日本兵が、全員無傷で撤退した「奇跡の撤退」として知られている。

キスカ島とは、アリューシャン列島に連なるアメリカ・アラスカ州に属する島。ここを、日本軍はアッツ島とともに1942年に攻略した。

ところが、1943年5月、そのアッツ島は、アメリカ軍の総攻撃を受け、日本軍は玉砕。島はアメリカに奪還された。

当然、次はキスカ島だ。だが、周囲はすでにアメリカ軍が制海・制空権を握っており、容易に島に近づくことはできない。5000名の日本兵は、玉砕の名の下、アッツ島につづいて見殺しにされるのは確実だった。

だが大本営は、これ以上アリューシャン列島で悲惨な玉砕がつづいては士気の低下を招くと判断。不可能は承知の上で、救援作戦が開始された。

しかし……周囲をアメリカの船に囲まれた島から、5000名もの兵士を、どうやって助け出すのか。方法はただひとつ、この周囲の特徴的な気象条件「霧」を利用するしかなかった。濃霧の日を選んで、姿を隠して島に近づくのだ。

かくして木村昌福少将が率いる第5艦隊が救出に向かった。

だが、なかなかうまい気象条件の日は訪れない。アメリカ軍の空爆や魚雷攻撃もつづいた。寸前で引き返すことが繰り返された。島で救出を待つ兵士たちは、次第に諦めの境地に至る。

だが7月27日、ついに第5艦隊は、濃霧の中、正面を避け、こっそりと西側を回って島に近づいた。沖合いで停泊させ、小型艇を次々に派遣。ピストン方式で、あっという間に5000名の兵士全員を無傷で救出することに成功したのだ。まさに「奇跡の救出作戦」であった。

この救出劇を映画にしたのが、1965年の東宝映画『太平洋奇跡の作戦 キスカ』(丸山誠司監督)である。名優・三船敏郎が少将役を見事に演じている。モノクロながら東宝お得意の特撮を起用し(特技監督=円谷英二)、異色戦争映画に仕上がっていた。

無血撤退が成功するかどうか、その一点だけに絞った娯楽映画にしたことが成功の理由だった。こういうタイプの戦争映画は、あまり日本にはない。妙に説教色や反戦ムードもない、徹底した娯楽戦争映画なのだ。

特に、何度目かのチャンスでついに救出部隊が島に接近でき、次々と日本兵が小型艇で救出されていくシーンは、ハラハラするが何度見ても感動的だ。いまでは失われてしまった昔の日本人の美しさも見事に描かれている。DVD化されているので、ぜひご覧いただきたい。

この映画に音楽をつけたのが、日本を代表する作曲家・團伊玖麿である。さすが團は、単純な国威発揚音楽は書かなかった。勇ましさの中に、どこか品格と抒情が漂う、味のある映画音楽を書いた。

その中の、ラストの撤退シーンの音楽を中心とした曲≪キスカ・マーチ≫が、吹奏楽版になっている。映画公開の初日に、海上自衛隊の音楽隊により、映画館の前でナマ演奏されたそうだ。その時のスコアが発掘され、改訂編曲を経て、現在のスコアとなった。日本の戦争映画の音楽が、このような形で吹奏楽版になっている例は少ない。しかも、たいへん上質な音楽である。難易度もそれほど高くはないが、きれいに演奏するには、それなりの技術が必要な曲に思われる。現在、楽譜のレンタル開始が準備中のようなので、ぜひ今後、演奏されてほしい曲だ。

ちなみに、アメリカ軍は、かなりあとまで、キスカ島から日本兵が1人もいなくなっていることに気がつかなかった。

やがて、日本兵を「全滅」させようと勇んで上陸すると、もぬけのカラだった。いたのは残された犬のみ。米兵たちは、あちこちで出会う仲間を、てっきり隠れていた日本兵だと思い込み、相撃ちを始める始末だった。それどころか、日本軍の機転で、病院小屋に「ペスト患者隔離施設」のニセ看板を掲げていたため、米兵はパニックに陥った。本国に特効薬を送ってくれるよう、正式に依頼したりしている。

≪キスカ・マーチ≫は、そんな後日談さえも彷彿とさせるような、明るくて上品なマーチである。
<敬称略>

■吹奏楽曲でたどる世界史【第40回】第2次世界大戦(1939~1945) その1 ~アメリカン・サリュート ~「ジョニーが凱旋する時」による(モートン・グールド作曲/フィリップ・ラング編曲)

Text:富樫鉄火

●作曲:モートン・グールド Morton Gould(1913~1996)
●編曲:フィリップ・ラング Philip Lang
●原題:American Salute~Based on ”When Johnny Comes Marching Home”
●初出:1943年
●出版:Alfred Publishing
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/set-9640/

●参考音源:『バンド・クラシックス・ライブラリー4「ランドマーク」』(ブレーン)ほか
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-0774/
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-2850/

●演奏時間:約5分
●編成上の特徴:ほぼ大型標準編成。
●グレード:4~5

今回から第2次世界大戦に入る。1939年9月1日に始まって、1945年9月2日に終わった、足かけ7年にわたる大戦争である。いまのところ、世界規模で発生した戦争としては、人類史上最大にして最後の戦争ということになっている。

すでに吹奏楽の世界は、楽器編成や作曲技法などが、ほぼ現代のスタイルになっていたので、この戦争を題材にした吹奏楽曲はたいへん多い。題材としては、おそらく「聖書」に次ぐ多さであろう。とても全部を紹介することはできないが、重要な曲に絞って、今回から数回にわたってご紹介する。

まず初めに、第2次世界大戦とは、どういう戦争だったのか、概要を述べておく。近年の日本の若者には、この戦争に関する知識がない者が多く、ひどいのになると、「アメリカと日本が戦争していたこと」「戦後、日本がアメリカに占領されていたこと」を知らない者さえいるらしい。それで第2次世界大戦を題材にした吹奏楽曲を聴いたり演奏したりするのは、いかがなものかと思う。特に中高吹奏楽部の指導者の先生は、もし、今回以降に紹介する曲を演奏する場合には、最低限、本欄で述べているような話を、ぜひ、部員生徒にしてあげてほしい。

第1次世界大戦後、参戦国によってつくられた新たな世界秩序を、俗に「ヴェルサイユ体制」と呼ぶ。1919年に締結された「ヴェルサイユ講和条約」にもとづく戦後体制である。

これは、ひとことで言うと、敗戦国ドイツに莫大な賠償を要求し、国力を減衰させ、国家としての体裁をも失わせることが主目的であった。これによりドイツは、プライドを大きく傷つけられた。やがて世界恐慌が襲うと、大きな資源や土地を持たず弱体化したドイツは、窮地に追い込まれた。このことが、ゲルマン民族意識を回復させ、ファシズムの台頭、そしてナチスドイツの結成、ヒトラー登場につながるのだ。

つまり、第2次世界大戦の遠因は、第1次世界大戦の戦後処理にあったのである。現に、第1次大戦後、専門家の中には「近々、また戦争が起こるであろう」と予測する者が多かったのだ。

1939年9月1日、ナチスドイツはポーランドに侵攻。ここに、第2次世界大戦の火蓋が切って落とされた。

ちなみに、第2次世界大戦の終結後は、今度はドイツに対して国力を奪うようなことをせず、連合国側は戦後復興に全面協力した(これは日本に対しても同じ)。敗戦国から多額の賠償金を奪い、恨みつらみで国力を減衰させると、かえって民族意識が高まり、第2のナチスドイツが出現することを、アメリカを中心とする大国は最も恐れたのである。

ところで第2次世界大戦では、ドイツ・イタリア・日本を中心とする「枢軸国」と、アメリカ・ソ連・イギリス・フランスを中心とする「連合国」の2派に別れ、主としてヨーロッパを舞台に戦争となった。

日本は、第1次世界大戦の戦勝国であり、当初はアメリカやイギリスとの協調外交を行なっていた。ところが、ヴェルサイユ条約の締結に当たって、日本国の提案がことごとく無視され、事実上、日本はヴェルサイユ体制の枠外に放り出されていた。その反発で、日本国内には軍部が台頭し、日本は軍事国家となり、中国大陸への侵略を開始することとなるのだ。

第2次世界大戦が起こっても、日本は当初、無視していた。ところが、開戦当初のナチスドイツがあまりに快進撃をつづけたので、軍部が支配していた日本は、次第にドイツに協調するようになる。同じヴェルサイユ体制に不満を持つもの同士、相通じるものがあったのだ。そして、ドイツにつづいてファシズムが台頭したイタリアも加わり、「日独伊三国同盟」が結ばれる。この時に近衛文麿首相が言った有名なせりふが「バスに乗り遅れるな」である。

ヨーロッパが遠い日本は、周辺アジア諸国の侵略を開始した。もちろんアメリカは怒った。やがてアメリカ国内の日本資産は凍結され、貿易禁止。石油資源の輸入も断たれた。面子をつぶされた日本は、ハワイの真珠湾を奇襲攻撃。第2次世界大戦は、悲惨な太平洋戦争へと拡大するのである。

さて、前置きが長くなったが、その第2次世界大戦の真っ最中に作曲された吹奏楽曲で、いまでもよく演奏されている曲が、今回紹介する≪アメリカン・サリュート~「ジョニーが凱旋する時」による≫である(正確には、管弦楽曲が原曲。発表後、すぐにフィリップ・ラングの編曲で吹奏楽版になり、いまでは、そのほうが演奏の機会が多く、ほぼ吹奏楽オリジナル曲として認知されている)。【注1】

作曲したのは、モートン・グールド。詳細は、狂詩曲≪ジェリコ≫【第8回】の回で紹介してあるので、そちらを参照いただきたい

この曲は「変奏曲」である。変奏するからには「主題」がある。それが≪ジョニーが凱旋する時≫である。

これは大変古い曲で、南北戦争中の1860年ごろ、北軍の軍楽隊長パトリック・サースフィールド・ギルモアが、故郷アイルランドの旋律をもとに作曲した軍歌であると言われている。

歌詞は、「ジョニーが故郷に凱旋する時は(万歳!万歳!)/みんなで大歓迎しようじゃないか(万歳!万歳!)/男は歓喜し子供たちは声援を送り女は集まる/ジョニーが故郷に凱旋する時は」……といった内容だ。【注2】【注3】

アメリカではたいへん有名な曲で、例えば、映画でも、『第十七捕虜収容所』(1953)や『西部開拓史』(1962)、『博士の異常な愛情』(1964)などに流れている。近年でも、『ダイ・ハード3』(1995)に使用されていたので、若い方でもご存知だろう。

曲は、8分の12拍子の激しい前奏から始まり、最初にバスーンで主題が奏されたあと、第5変奏~コーダ変奏まで約5分、心地よい緊張感と圧倒的なスピーディーぶりで突っ走る。

タイトルの≪アメリカン・サリュート≫とは、「アメリカの敬礼」。ニュアンスとしては、「アメリカ人なら敬礼し、兵士たちを讃えよ」みたいなムードがある。このタイトルからしても、一種の戦意高揚音楽であるが、変奏の面白さがあまりに際立っており、演奏しても聴いても一級品。しかも演奏技術を磨く一種のテキスト曲的な要素もある。

こういう曲で国内の戦意を高揚し、「ジャップ(日本人の蔑称)を叩け」と煽っていたわけだから、考え方によっては「反日音楽」なのだが、それにしても単なる軍事音楽に終わらず、音楽的にも凝った、ちゃんとした変奏曲に仕上げているところがすごい。日本では「贅沢は敵だ」をスローガンに、ひたすら質素倹約を強いていた頃、アメリカではこんな曲がつくられ、演奏されていたのである。

【注1】最近ではなかなか聴く機会のない管弦楽原曲版は、ナクソスの『モートン・グールド作品集』(クチャル指揮/ウクライナ国立交響楽団、8.559005)で聴くことができる。このCDには、吹奏楽版で人気の≪フォスター・ギャラリー≫原曲も収録されている。
※ナクソスからは、現在、モートン・グールド作品集は2枚リリースされているので、収録曲をよく確認して入手していただきたい。
【注2】この歌詞の中の「万歳!万歳!」は、原詞では「フラー!フラー!」という呼びかけのような響きで、ニュアンスとしては「いいぞ!いいぞ!」といった感じなのだが、これが日本に伝わって、応援の時の「フレー!フレー!」になったとの説がある。どこまで本当か分らないが。
【注3】この曲名をもじった反戦映画の傑作に『ジョニーは戦場へ行った』=原題『Johnny got his gun(ジョニーは銃をとった)』(1971)がある。名脚本家ダルトン・トランボが若き日に書いた小説を、33年後に自らの監督・脚本で映像化した執念の作品。戦争で手足ばかりか視覚・聴覚まで失い、性器だけが唯一正常な状態の肉塊として帰ってきた青年ジョニーの物語だ。絶望を経て、看護婦が胸に指で書く「字」を理解し、外界とコミュニケーションを再開する過程は感動的だったが、正直、あまりにつらい内容の映画。私は中学2年の時に映画館で観たが、「ショック」以外のなにものでもなかった。いま、あらためてこの映画を観る勇気は、私にはない。 同様設定の江戸川乱歩の小説『芋虫』も怖かったが、あまりの感覚の違いに驚かされたものだ。

■吹奏楽曲でたどる世界史【第39回】ジョージ6世戴冠式(1937年) ~戴冠式行進曲≪王冠≫(クラウン・インペリアル) (ウィリアム・ウォルトン)

Text:富樫鉄火

●作曲:サー・ウィリアム・ターナー・ウォルトン Sir William Turner Walton(1902~83、イギリス)
●英語題:Crown Imperial
●初出:1937年、ジョージ6世戴冠式のために作曲。
●編曲・出版:デュソイトDuthoit編曲(BOOSEY & HAWKES)、ボクックBocook編曲(HAL LEONARD)など
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/set-0296/

●参考音源:『イギリス民謡組曲/東京佼成ウインドオーケストラ』(佼成出版社)ほか各種あり ※佼成CDはデュソイト版。
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-3217/
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-2346/

●演奏時間:約10分
●編成上の特徴:編曲によって様々(ほぼ大型標準編成)
●グレード:4~5

「戴冠式」とは、文字通り「王冠」を「戴く」儀式。要するに、君主制国家において、国王や帝王などが即位し、正式に位に就いたことを表明する儀式である。

現在、戴冠式を挙行している国は多くあるが、やはり我々日本人には、イギリスの戴冠式が最もなじみ深いであろう。ロンドン・ウェストミンスター寺院で挙行される。式次第はカンタベリー大主教によって執り行われ、宝剣、王杖、指輪、手袋などが授けられたあと、最後に王冠をかぶせられる。この瞬間、正式に着位したことになるのだ。

1936年、イギリスでジョージ6世が即位した。この時、この新国王は「あまりにひどい。私は、国王になるための準備を何もしていないのに」との「迷言」を吐いた。いったい、何があったのか。

彼は、前国王エドワード8世の弟だった。ところが、この兄王、もともと女性関係が派手で、特に、離婚暦のある人妻でアメリカ人女性ウォリスとの付き合いが本格的だった。彼は、何とかウォリスと結婚しようとするが、さすがに周囲は、そんな結婚、認めようとしない。

かくして独身のまま戴冠したエドワード8世、いよいよウォリスを正式離婚させ、結婚しようとするが、やはり周囲の反対はあまりに根強い。するとエドワード8世は、とうとう国王を退位し、一貴族となってウォリスと結婚した。これを俗に「王冠を賭けた恋」と呼ぶ。

女性を追って退位した兄にかわって、急きょ国王にさせられたのが、弟ヨーク公、つまり、先に紹介したジョージ6世である。だからこそ「ひどい」とか「何も準備をしていない」などとぼやいたのだ。

派手だった兄王に対して、この弟王は、地味だった。なにしろ、なりたくてなった国王ではなかったから、行動も控えめだった。だが、そのことがかえって国民の信頼を得ることとなった。特に、第2次大戦が始まった際には、過去のほかの王族のように地方へ疎開しようとせず、空爆に襲われるロンドンに、そのままとどまった。そればかりか、ドイツ軍の空爆被害にあった地域を訪問して、直接に国民を励ました。ジョージ6世夫妻の人気は、高まるばかりだった。

夫妻は、女の子を2人産んだ。そのうちの姉が、現在の英国女王エリザベス2世。そう、最近、『クイーン』と題する映画にもなった、故ダイアナ妃の義母にあたるひとである。

ところで、戴冠式では、多くの音楽が生れる。戴冠式そのもので演奏される曲もあれば、関連祝典で演奏される曲もある。

よく知られているのは、ヘンデル(ドイツからイギリスに帰化)が1727年、ジョージ2世の戴冠式のために作曲した≪ジョージ2世の戴冠式アンセム≫であろう。この中の≪司祭ザドク≫の部分は、その後の戴冠式でも演奏されている。サッカー・ヨーロッパ・チャンピオンズ・リーグ(UEFA)のテーマ曲(アンセム)の原曲である。

モーツァルトのピアノ協奏曲第26番に≪戴冠式≫の副題が付いているのは、1788年、神聖ローマ帝国皇帝レオポルト2世の戴冠式の祝典で演奏されたから。

マイヤベーアの≪戴冠式行進曲≫もけっこう有名で、これは、歌劇≪預言者≫の第4幕第2場における、文字通り戴冠式の場面の音楽。1500年代にオランダであったある戴冠式にまつわる史実をもとにしたオペラである。

それらの中で、最も有名、かつ、吹奏楽版でも人気があるのが、先述、ジョージ6世の戴冠式のために作曲された、ウォルトンの≪戴冠式行進曲「王冠」≫(クラウン・インペリアル)であろう。

ジョージ6世の戴冠式は、1937年(昭和12年)5月12日に挙行された。

この日、戴冠式が行なわれているロンドン上空を「日本の飛行機」が祝賀飛行した。東京→ロンドン間の最速飛行記録を打ちたて、ロンドンに到着後、「空の親善大使」として滞英中だった「神風号」(飯沼正明飛行士と塚越賢爾機関士)である。この懸賞飛行は、朝日新聞社が、まさにジョージ6世戴冠式を記念して企画したものであった。【注1】

このことからも分るように、この戴冠式は、日本にとってもたいへん親しみ深いイベントであった。当時の駐英大使で、のちに総理となる吉田茂のほか、日本からは、昭和天皇の代理として秩父宮が参列している。【注2】

また、1週間後には、戴冠記念観艦式も挙行された。世界18カ国から招待されたご自慢の戦艦、および、イギリスとイギリス連邦所属の戦艦・駆逐艦145隻がイギリス沖に集結し、壮大な「海上パレード」を繰り広げたのだ。日本からは、重巡洋艦「足柄」が参加した。

それほど国際的な注目を浴び、素晴らしい音楽まで生れているのに、戴冠した当人が「ひどい」といじけていたのだから、何とも皮肉なものである。

この≪戴冠式行進曲「王冠」≫は、いわゆるコンサート・マーチで(原曲は管弦楽版)、伝統的なイギリス風コンサート・マーチのスタイルに乗っ取って書かれている。つまり「A(速)」→「B(緩)」→「A(再現)」→「Bを加えたコーダ部」といった流れだ(冒頭に「序奏部」が加わる構成もよくある)。時折、勘違いして混同されるエルガーの行進曲≪威風堂々≫や、(マーチではないが)ホルストの≪木星≫などと似た構成である。

中間部の旋律が繰り返され、盛り上がって後半に突入するところは、聴いても演奏しても背筋を何かが走る。「ひどい」などといじけているどころじゃない。この曲で、まさにウォルトンは、エルガー以来の伝統的な大英帝国マーチを完成させたといっても過言ではない。

吹奏楽版では、デュソイト編曲版、ボクック編曲版などがよく演奏されている。本来がオーケストラ曲だけに、後半部で要求される息の長さは、なかなか大変だが、演奏効果は抜群で、コンサートのトリとして十分通用する迫力がある。

ウォルトンは、ほぼ独学で音楽を見につけた人で、20世紀のど真ん中を生きたにもかかわらず、調性のある分りやすい音楽を書き続けた。普通、オラトリオ≪ベルシャザール王の饗宴≫や、交響曲第1番、ヴァイオリン協奏曲などが代表作として挙げられるが、映画音楽にも傑作が多い。いくつかのシェイクスピア映画にも名曲を寄せているほか、特に『バーバラ少佐』(1941、日本未公開)、『スピットファイア』(1942、日本未公開)など多くが吹奏楽曲になって、日本でも親しまれている。『空軍大戦略』(1969)では、映画音楽史に残る「事件」を巻き起こした。【注2】

ちなみにウォルトンは、戴冠式行進曲を、もう1曲書いている。1953年、現イギリス女王エリザベス2世の戴冠式のための、≪戴冠式行進曲「宝玉と王杖」≫である。先述のように、このエリザベス2世は、ジョージ6世の娘。父娘2代にわたって、戴冠式行進曲を書いたのである。【注4】
<敬称略>
【注1】この5月に亡くなった、日本を代表する映画監督・熊井啓が、次に準備中の作品が、この「神風号」の日英スピード飛行を描くものであった。熊井監督は、前回紹介した、清水大輔≪スピリット・オブ・セントルイス≫を聴きながらイメージを膨らませ、シナリオを改稿していたようだ。原作は、深田祐介『美貌なれ昭和』(文春文庫、現在入手不可能)。実現に至らなかったことが、まことに惜しまれる企画である。
【注2】この戴冠式に関する記録エッセイを、当時の駐英大使・吉田茂の夫人、吉田雪子が、戦前にイギリスで出版していた。邦題『ジョージ六世戴冠式と秩父宮―グローヴナー・スクエアの木の葉の囁き』(長岡祥三訳、新人物往来社)がそれである。
【注3】『空軍大戦略』は、イギリス映画界が総力を挙げて制作した超大作戦争映画。それだけに、音楽も、イギリスを代表する大作曲家ウォルトンに白羽の矢が立った(かつてシェイクスピア映画で何度か組んでいた、主演の名優ローレンス・オリビエの推薦もあった)。曲が出来上がり、マルカム・アーノルドの編曲協力・指揮を得て録音までされたが、これを聴いた映画会社幹部は頭を抱えてしまった。確かに格調高い音楽なのだが、会社側は、もっと俗っぽい、それこそ007シリーズのような音楽を期待していたのだ(監督も、1964年に『007/ゴールドフィンガー』を大ヒットさせていたガイ・ハミルトンだった)。一部、以前のシェイクスピア映画の音楽を原曲としているような部分もあった。しかも、全部で20分ちょっとしかない。これでは、サントラLPにして発売できない。そこで会社は、急きょ、ロン・グッドウィンを呼んできて、もっとベタな音楽をたっぷり書かせ、音楽を差し替えてしまった。これに怒ったのが、ウォルトンを推薦したローレンス・オリビエだった。「ウォルトンの音楽を使用しないのなら、俺も降りる」とまで言い出した。そこで仕方なく、大空中戦のシーンだけにウォルトンの音楽が残されることになったのだ。現在発売中のDVD『空軍大戦略 アルティメット・エディション』には、この双方の音楽がすべて収録されており、どちらの音楽でも再生できるようになっている。同じ映画を違った音楽で二度鑑賞できるのだ。その印象の違いには驚くだろう。音楽次第で、映画とは、かくも変わってしまうものなのだ。果たして「グッドウィン版」か「ウォルトン版」か、あなたはどちらに軍配を挙げるだろうか。
【注4】日本でも、皇族2代にわたって祝典行進曲を書いた人がいる。團伊玖麿(1924~2001)がそうで、最初が1959年の皇太子(今上天皇)の御成婚のための≪祝典行進曲≫(吹奏楽コンクール課題曲にもなった)。次が、1993年の皇太子御成婚のための≪新祝典行進曲≫である。