音楽に熱中するあまり受験勉強について行けず中学で不登校、何とか音楽科の高校に進学するも休学し小さな町工場で電気配線と格闘する1年を経験。「やっぱり音楽がやりたい!」と復学し音大を卒業後、プロオケを目指して20回以上オーディションを受けるも全て撃沈。そんな“落ちこぼれ笛吹き”が30年間のプロ経験で得たものとは? その中に“明日からもっと楽しくフルートが吹けるヒント”がみつかるかも!
◆岡本 謙(フルート奏者)プロフィール◆
10歳よりフルートを始める。香川県高松第一高等学校音楽科を経て、1990年に国立音楽大学を卒業。同年、シエナ・ウインドオーケストラ結成メンバーとして入団。6年間の在籍期間中、ピッコロ及びフルート奏者としてコンサート、CDレコーディングを多数行う。その後、東京吹奏楽団に移籍、ピッコロ奏者を務める。現在はフリーとしてオーケストラ、吹奏楽、室内楽等において演奏活動を行う。また、ミュージカルのオーケストラ・プレーヤーとしても、数多くの演目にて年間を通じて活躍している。フルートアンサンブル“ザ・ステップ”、タッド・ウインドシンフォニーメンバー。
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一緒に演奏したい仲間!
5月から開講した当セミナーも、おかげさまで半年を迎えることができました。毎回、ご覧頂いているみなさまには、心より感謝申し上げます。
さて第6回セミナーを始める前に、私の大切な仲間とのお別れについて少し書かせて頂きたいと思います。ご存じの方も多いと思いますが、サクソフォーン奏者の新井靖志さんが先月ご病気のため永眠されました。
新井さんとの出会いは、シエナ・ウインドオーケストラへの入団でした。新井さんの柔らかく温いサックスの音色と自然で豊かな音楽性は本当に素敵でしたし、その穏やかで頼れるお人柄は私たちシエナの“お兄さん”のような存在でした。新井さんとは数多くの本番を共にしてきましたが、私が一番印象に残っているのは第1回定期演奏会で演奏した『ローマの祭』(レスピーギ)です。このとき演奏したアレンジでは“十月祭”のヴァイオリン・ソロがアルトサックスとピッコロのユニゾンで書かれていました。繊細なニュアンスを要求されるシビアな部分だけにアンサンブルは難しかったはずですが、とても自然に楽しく吹けた記憶しかありません。演奏会後の打ち上げで、新井さんが「謙ちゃん、あそこのソロ楽しかったね。またこういうのやりたいね!」と言って下さったのが、25年近く経った今でも忘れられません。
▲交響詩『ローマの祭』より“十月祭”の一部
シエナ退団後はしばらく新井さんとご一緒する機会はありませんでしたが、数年前よりタッド・ウインドシンフォニーで再び一緒に演奏する機会に恵まれました。近年では、『指輪物語』(デメイ)でのソプラノサックスとピッコロのユニゾン・ソロが楽しかった思い出です。
音楽家なら誰しも、上手なプレイヤーと共演できることはとても光栄なことですが、“上手だから”というだけでは一緒に演奏しても必ずしも楽しくないことだってあります。そういった意味で新井さんは“一緒に演奏したい!”、“一緒に演奏して幸せを感じられる”プレイヤーでした。そんな音楽家としての幸せがひとつ失われてしまったことは、本当に寂しい思いでいっぱいです。
私はとても新井さんの足下にも及びませんが、それでも仲間から“一緒に演奏したい”、“一緒に演奏して楽しい”と思ってもらえるようなプレイヤーを目指して頑張りたいと思います。
新井さん、出会えて一緒に演奏できたことに心から感謝申し上げます!
フルートが出来るまで
さて、今回のセミナーではフルートという楽器がどのようにして作られるのかをご紹介いたしましょう。まず、フルートは数ある楽器の中でも決して安価なものではありません。中学や高校の吹奏楽部で初めて楽器を始める方にの中には、「えっ、こんなに高いの! もっと安い楽器はないの?」と驚かれる方もいらっしゃるでしょう。
何故フルートは高いのか? その理由は、使われている材料と手間のかかる製造工程にあります。フルートに使われている材料は銀、金、プラチナという高価なものから、グラナディラのような特殊な木材まで様々です。その中でもメインとなるのが銀であることは、みなさんご存じのことでしょう。しかし銀は高価な素材ですので、エントリーモデルに気軽に使うことはできません。そこで初心者用の楽器には洋銀と呼ばれる銅とニッケルの合金が使われます。こちらは銀よりは軽量かつ安価なので、初心者には扱いやすく安く買うことができます。しかしながら楽器の製造工程においては、材料の価格に関係なくほぼ同じ手間がかかります。このあたりが、例え安価な材料の楽器であっても価格を抑えにくい理由です。
ということで、ご一緒にフルート製作の現場を見ていきましょう。今回、某ハンドメイド・フルート・メーカーのご厚意により、特別にアトリエ内の様子を取材させて頂きました。
ほとんどのフルート・メーカーは管体の元となる金属管を、専門の金属メーカーから仕入れています。金属の種類は銀だけでも銀純度90~99.8%と様々な上、管厚も複数のバリエーションがあります。当然ながらこの管自体が高価なものなので、フルート職人にとっても失敗の許されない仕事が要求されます。また、メーカーによっては“巻き管”という特殊な管の楽器も作っています。
▲巻き管の原料となる銀の板(上)とそれを管状に加工したもの(下)。矢印の部分は繋ぎ目となる部分で、最終加工後は素人には判別不可能。
この“巻き管”はフランスの名器ルイロットで採用されていて、倍音豊かな独特の明るい響きを奏でてくれます。ただ製作には熟練した職人技が必要でコストもかかるので、一部のメーカーのハイドメイド・フルートのみラインアップされています。
引き上げと半田付け
フルートはトーンホールの加工方法によって“引き上げ”と“半田付け”という2種類に分類されます。
現在では“引き上げ”が一般的で、“半田付け”は主に上級モデルに採用されます。“引き上げ”のメリットは材料費も安く作業の手間も少ないので、楽器製作のコストを抑えることができます。これに対して“半田付け”は別途リング状のトーンホールを作らなければならず、加工の手間もかかるので、価格の高いモデルしか採用できません。
▲半田付けのトーンホール、管体とのマッチングをベストにするため緻密な作業が要求される
“引き上げ”の作業工程はちょっと面白いので、詳しくご紹介いたしましょう。まず、金属管のトーンホール位置に穴を開けます。
これを“引き上げ”作業を行う機械にセットします。
慎重に位置を合わせ、トーンホールを引き上げるためのアダプターをセットします。
ここからが職人の腕の見せどころです。アダプターの内部は見えないので、腕の感覚だけで作業を行わなければなりません。
すると不思議なことに管体から煙突状の筒が現れます! 実は管の内側にコマと呼ばれる金属パーツが仕込まれていて、これを回転しながら引き上げることによってこのような形状になります。
次に、機械の先端をカッターに付け替え、何度も何度も確認しながら規定の高さまで加工していきます。
最後に、機械の先端をカーリング用のアダプターに付け替え、これを回転させながら筒に押しつけていくと…
不思議なことに筒の先端がロール状に丸くなっていき、見慣れたトーンホールの姿が現れます。
これらの作業を全てのトーンホールに施工し、さらに台座とポストを取り付けて、ようやくフルートの管体が出来上がりです。
このように“引き上げ”のほうがコストが低いとはいえ、そこには職人の細かい手作業があってフルートは作られます(大手メーカーでは専用の機械を使って複数のトーンホールを一度に引き上げたりもするようです)。
一般的に“半田付け”のほうが高級というイメージはありますが、“引き上げ”は軽量で管とトーンホールが一体となった響きの魅力があります。一方“半田付け”は吹奏感は重くなるものの、細かいパッセージで個々の音の粒立ちが明瞭になる等の利点もあり、価格で選ぶというよりは吹き心地や音色の好みで選択されるとよいでしょう。
尚、金の楽器の場合は“半田付け”ではなく“ロウ付け”という作業になり、銀よりもはるかにデリケートな熟練技が要求されます。ですので、価格もそれなりに高価になってしまうのは仕方ありませんね。
熟練職人による手作業の積み重ね
フルートは数多くのパーツによって構成されています。これらひとつひとつの部品の精度が悪いと、キーがスムーズに動かなかったりと演奏に支障が出てしまいます。そこで、いかに個々の部品の精度を上げるかが、フルート職人の腕にかかっています。
細かいキーの部品は、鋳型に金属を溶かし込んで作ります。そして鋳型から出てきたときは、このようなツリー状になっています。これをひとつずつ切り離して使うのですが、このままでは精度が悪いので、こちらのメーカーではひとつひとつのパーツを職人が手作業で仕上げていきます。
最初は粗目の金ヤスリから作業を始め、徐々に細かな目のものへと何度も繰り返しながらヤスリをかけていきます。ここで手間をかければかけるほど、楽器の仕上がりは美しくなります(大手メーカーの量産モデルの場合は、研磨機械での削りが主となります)。また、後に説明する溶接の作業を精度よくスムーズに行うためにも、このヤスリがけ作業は重要になります。
キーのカップ部分は金属板を高圧でプレスすることで形成されます(メーカーによってはカップの内側を真っ平らにするため、削り出し加工を行っているところもあります)。
これにアーム(腕の部分)を溶接していくのですが、これがまた熟練技を必要とする作業になります。銀ロウをバーナーで溶かし込みながら、個々のパーツをひとつずつ溶接していきます。
▲パーツの溶接に使う銀ロウ、それぞれ異なる融点(溶ける温度)を持つものを複数使い分ける
▲バーナーで溶接しているところ、長年の経験と感覚が必要な職人技
▲こういうバネかけのような小さな部分も、ひとつずつ溶接していく
こうして、ひとつひとつのパーツが完成していきます。
頭部管はフルートの音色を決める最も重要な部分です。1本1本丁寧に仕上げられていきますよ。
組み立てとタンポ合わせ
こうして作られた部品たちは、いよいよ最終の組立工程へと入っていきます。
ここではパーツ同士の隙間が適当か、余分な遊びや緩衝がないかを入念にチェックして調整します。この作業が甘いと、何度調整しても楽器に狂いが生じてしまい、演奏していても思うようにキーがスムーズに動かないという悲劇を生みます。個々のパーツ同士の動きをチェックしながら丁寧に組み付けていきます。
末永く楽器を使い続けるために、最も重要な作業となります。
いよいよ最後は“タンポ合わせ”になります。実はこの作業が地道で大変かつ大切な行程になります。
タンポとトーンホール面が水平に密着するように、複数の厚さの調整紙を使って合わせていきます。
この作業は非常に地道なもので、楽器を組み立てては確認し、さらにもう一度部品を外して調整し直したりと、確認・調整を何度も繰り返すことになります。また気温や湿度によってもタンポの形状が変化するので、それを想定した調整は長年の経験を必要とします。
フルートのオーバーホールを経験された方はご存じかと思いますがタンポ全交換と調整で、多くの場合約8万円前後の修理代と数週間の期間が必要です。それほど時間と根気が必要な作業なのです。
このタンポ合わせの作業は、楽器のレスポンスや音色に直接影響を与えるので、どのフルート・メーカーでも熟練した職人がこの作業を担当します。そしてその職人さんたちはフルーティストとのコミュニケーションをとても大切にしておられ、演奏者が何を求めているのかを熟知していらっしゃいます。しかしながらそこに至るまでは苦労も多く、若い職人さんだと演奏者から叱られることもしばしばで、道半ばで辞めてしまう場合も少なくないようです。
ですので、優れた若い職人さんを育てるということも、フルート業界にとって大切な課題だと思います。それには、私たち演奏者が職人さんの技の奥深さをしっかり理解し、自分も一緒に勉強するというスタンスでつき合っていくことが大切かもしれませんね。
こうして多くの時間と職人さんの熟練技によって、ようやくフルートが完成します。
いかがでしょう、たまたまお店で売っていた楽器を気に入って買ったという方も、その楽器が完成するまでの過程にを思いを寄せることによって、より愛情が増してきたのではないでしょうか?
自分の楽器の“生い立ち”を知ることによって改めてフルートが好きになって頂ければ、こんなに嬉しいことはありません。また、これからフルートを購入しようかと考えている方には、「これだけの手間暇をかけて作られているんだ!」と知ってもらうことで、その価値や価格に納得して頂けるかもしれません。
現代は“何でもネットで安く手軽に買う”時代になりましたが、楽器の価値観はそれに当てはまらないということを、今回のセミナーから知って頂ければ幸いです。