■吹奏楽曲でたどる世界【第63回】<補遺6> 太平洋戦争末期の特攻(1945年) ~≪Alas de Hierro ~虚空に散った若き戦士たちへの鎮魂歌(レクイエム)~≫(天野正道作曲)

Text:富樫鉄火

●作曲:天野正道 Masamicz Amano(1957~)
●発表:2004年、J.S.B.吹奏楽団(鹿児島)初演
●出版:ブレーン(レンタル)
●参考音源:CD『ニュー・オリジナル・コレクションVol.3/吹奏楽のためのゴシック』(ブレーン)※演奏:陸上自衛隊中央音楽隊、DVD『J-Spirits/J.S.B.吹奏楽団』(ブレーン)※当該曲は付属ボーナスCDに収録。
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-1416/
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/dvd-9076/

●演奏時間:約17分
●編成上の特徴:大型編成。ピッコロ(フルート3持ち替え)/フルート1・2/オーボエ1・2/イングリッシュ・ホーン/バスーン1・2/クラリネット群…E♭、B♭1~3、アルト、バス、コントラバス/サクソフォーン群…ソプラノ+標準4声/ホルン1~4/フリューゲルホーン1・2/トランペット1~3/トロンボーン…1・2、バス/ユーフォニアム(div.あり)/テューバ(div.あり)/弦バス/パーカッション…ティンパに含めて7人/ハープ

この連載は「世界史」なので、原則として「日本史」を題材にした曲は扱っていない。だが、太平洋戦争に関連する史実を扱った曲は、いくつかご紹介してきた。たとえば【第42回】≪キスカ・マーチ≫(キスカ島撤退作戦)、【第46回】≪モーニング・アレルヤ~冬至のための≫(広島原爆投下)などだ。

今回、補遺として取り上げるのも、やはり太平洋戦争にまつわる、日本史上の史実が題材である。

戦争末期、日本軍が「特攻」(特別攻撃)なる戦術をとったことは、若い方々でも聞いたことはあると思う。たとえば戦闘機に乗ったまま相手に突っ込み、自らの生命を犠牲にして体当たり攻撃することである。

この戦術に、アメリカ軍は頭を悩ませた。確かに機関銃や爆撃では、なかなか相手に命中しないが、人間が操縦しながら正確に体当たりで突っ込んでくるのだから、百発百中である。戦闘機以外にも、人間爆弾「桜花」、人間魚雷「回天」などがあった。陸軍、海軍、それぞれに存在した攻撃方法だが、特に海軍の「神風特別攻撃隊」が有名で、アメリカでは「Tokko」「Kamikaze」などと、そのまま英語になっている。

「特攻」が初めて行われたのは、1944年10月のレイテ沖海戦であった。太平洋戦争における最大の海戦として知られている。結果として、日本は、アメリカ軍のレイテ島上陸を阻止できなかったのだが、それでも敵艦に多大な損害を与えることができた。

以後「特攻」は、日本軍の究極の戦闘手段となるのである。

いまの若い方々には(私もその一員だが)、自らを犠牲にして敵陣に突っ込むなど、なかなか理解できないであろう。だが、昔から日本の軍隊には『戦陣訓』という教えがあり、特に「生きて虜囚の辱めを受けず」、つまり「敵に捕まったら生きているのは恥だ」との思想があった。そのため、敵陣から生還できないとなった際には、自爆したり、生きたまま敵陣に突っ込むなどの行動をとることが多かった、そんな背景も関係していると思われる。

では、兵士たちは、どういう形で「特攻」に参加したのか。一応、本人が志願し、上層部が許諾を判断することになっていたが、実際には、半ば強制的に参加させられたケースもあったようだ。兄弟のいない者(跡継ぎが当人以外にいない者)や、新婚間もない者は志願できないとの名目もあったようだが、戦争末期になると、それも守られなかったようである。また、ひとつの飛行隊が、まるごと特攻隊に指定されることもあったという。

これらの事実に対し、現代に生きる私たちがあれこれ言う資格はない――と私は思う。軽々しく揶揄・否定することも許されないし、かといって単純に賛美することも許されないと思う。ただ私たちは、あの時代に、ひたすらわが国のために生命を落とさざるを得なかった人たちに対して、謙虚に、祈りを捧げるべきではないだろうか。

実は、今回ご紹介する曲の存在を知ったとき、私はたいへん不安になった。特攻を題材にした吹奏楽曲だということは、すぐに分かったが、果たしてどういうスタンスで音楽化されているのか。作曲者がベテランだけに、よもやそんなことはあるまいと思ってはいたが、正直、もしかしたら特攻隊の姿が、いわゆる“戦争スペクタクル吹奏楽曲”として、ド派手に描かれているのではないか……と思うと、音源を聴くのが怖かった。

だがそれは杞憂だった。これは、ぜひ多くの方々に聴いていただき、そして、特攻や戦争の意義をあらためて考えていただきたい、素晴らしいレクイエムである。

作曲の経緯は、CDやスコアなどに併記されている、作曲者・天野正道自身や、初演したJ.S.B.吹奏楽団(鹿児島)の常任指揮者・ 東久照の解説などで明らかだが、それらによれば――

この曲は、2004年、J.S.B.吹奏楽団の第18回定期演奏会で委嘱初演された。たまたまその前年、同団のリハーサルのため、天野正道が鹿児島を訪れたとき、知覧町にある「知覧特攻平和会館」を訪れた。そこで涙を流すほどの衝撃を受けた天野は、東の「知覧特攻隊を風化させないため、そして二度とこんなことが起きないように、特攻を題材にした曲を書いてほしい」との依頼に、筆をとった。

「知覧」は、ある世代にとっては「特攻の町」のイメージがある。【注1】なぜなら、太平洋戦争末期、アメリカ軍が沖縄に上陸し、いよいよ本土決戦もやむなしとの状況に陥った時、本土最南端の航空基地として、陸軍特攻基地に指定され、多くの若い兵士たちが、ここから特攻に向かっていったからだ。

この知覧を中心に、南九州から特攻に飛び立って戦死した若者たちは、1000名を超えるそうだ。

また、基地近くにあった「富屋食堂」の経営者・島濱トメさん(1992年没)は、特攻に向かう兵士たちから母のごとく慕われ、“特攻の母”と称された。その事実は、多くの書籍、ドラマ、映画にまでなった。それらで知覧の名を知っている人も多いだろう。

この曲≪Alas de Hierro ~虚空に散った若き戦士たちへの鎮魂歌(レクイエム)~≫【注2】は、先述のとおり、単なる“音のパノラマ”ではない。天野作品には、描写・迫力満点の大曲が多いが、それを期待すると、拍子抜けするであろう。

曲は、ひたすら静かに、トランペット・ソロの追悼旋律で開始される。現代の、平和な日々。やがてひたすら静謐なまま、曲は広がって行く。目の前に広がる海を描写しているようだ。平和で静かな海。夜明けかもしれない。だが、次第に不吉な響きが覆い始める。時は遡り、“あの日々”が、眼前に甦ってくる。この場面転換を思わせる展開は、まことに見事しか言いようがない。しかも、すぐに“あの日々”に全面突入はしない。過去と現代を行きつ戻りつし、次第に曲は、昭和20年という時代を定着させる。

曲は、激しい“あの日々”を描写するが、決して大爆発にまでは至らない(これ以上の大爆発など、過去の天野作品にいくらでもあった)。たいへん冷静で、それでいて緊迫感は途切れない。戦闘機の墜落を思わせるトロンボーン木管群の下降グリッサンドが頻出する。やがて、強烈な不協和音がトゥッティで襲う。ある意味、ショッキングな部分である。

後半は、まさにマーラーを思わせるような深い瞑想によるレクイエムで、そっと静かに終わる。

もし演奏するのであれば、言うまでもないが「特攻」「知覧」に関する基礎知識なしで取り組んではならない。それは、特攻戦死者を冒涜することになる。もちろん知覧現地まで行ければいちばんいいが、そうもいかないケースもあろう。その際には、せめて本でもいいから、特攻の何たるかを、少しでも身近に引き寄せていただきたい【注3】

作曲者・天野正道は、【第5回】≪出エジプト記≫でも紹介した。いままさに「油が乗り切っている」どころか、「爆発している」と言ってもいいほどの勢いで、日本の吹奏楽界を牽引している人である(何しろ、最近では、ラヴェルの≪左手のためのピアノ協奏曲≫を吹奏楽曲にしてしまったほどなのだから!)

実は、作曲者・天野正道には、これもある意味、ショッキングな吹奏楽作品として、≪おほなゐ ~1995.1.17阪神淡路大震災へのオマージュ~≫もある。阪神淡路大震災をモチーフにした曲だが、地震や大災害の模様がかなりリアルに音楽化されている。こういった題材に正面から取り組んで、一般アマチュアが接しやすい「吹奏楽」という形態で直球勝負を仕掛けてくる姿勢には頭が下がる。

なお、鹿児島に行く機会があったら、ぜひ、この曲が生まれるきっかけとなった「知覧特攻平和会館」に寄っていただきたい。日本人として、知っておくべき何かが、ここには満ち溢れている。近海の海底から引き上げられた、ボロボロの零戦の現物に、言葉を失わない人は、いないはずだ。特攻兵士たちは、これに乗って、敵艦に突っ込み、生命を失ったのである。
<敬称略>

【注1】「知覧町」は、2007年の市町村合併により、現在は「南九州市」の一部となっている。なお、知覧は陸軍基地だが、海軍基地として、もうひとつの「特攻の町」として知られるのが、同じ鹿児島県の鹿屋(かのや)である。

【注2】タイトルの「Alas de Hierro」とは、スペイン語で「鉄の翼」の意味。

【注3】まず『知覧からの手紙』水口文乃(新潮社)は必読。結婚式直前に特攻出撃命令を受けた兵士。彼が残した婚約者への遺書。自分のことは忘れろと書く一方で、「会いたい、話したい、無性に」とも――涙なしでは読めないノンフィクションである。

『今日われ生きてあり』神坂次郎(新潮文庫)は、特攻隊少年飛行兵たちの手紙、日記、遺言、関係者談話によって構成された慟哭の記録集。

魚雷艇特攻を命じられ、敵艦に向かいながら奇跡の生還を遂げた著者の内面を文学に昇華させた“特攻文学”の最高傑作が、『魚雷艇学生』島尾敏雄(新潮文庫)

だが、いまの若い方々には、『8月15日の特攻隊員』吉田沙知(新潮社)がいちばん読みやすいかもしれない。自分のおじいちゃんは、最後の特攻隊だった。しかも、5時間前に終戦になっていたのに、出撃を敢行した。なぜ? 若い著者は、一人で関係者を訪ね、先祖の足跡を辿る。まさに、いまの若者たちのための戦争ノンフィクションだ。

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