■吹奏楽曲でたどる世界【第54回】公害・環境破壊(1960~70年代) ~この地球を神と崇める(カレル・フサ作曲)

Text:富樫鉄火

●作曲:カレル・フサ Karel Husa(1921~)旧チェコスロバキア→アメリカ
●原題:Apotheosis of this Earth
●初出:1970年、ミシガン大学バンドの委嘱初演。
●出版:Associated Music Publishers(ニューヨーク)→Hal Leonard
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/set-9679/

●参考音源:『第7回世界吹奏楽大会コンサート・ライブ』(佼成出版社、10枚組)からす川音楽集団の全曲演奏/『アルティスティカ・ライブ ブニョール“アルティスティカ”交響吹奏楽団』(World Wind Music)ほか。コンクール・ライヴは、すべて第Ⅱ・Ⅲ楽章からの抜粋演奏。
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-2416/
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/dvd-9373/

●演奏時間:3楽章計25~26分(詳細本文参照)。
●編成上の特徴:極大編成。通常編成を超える部分……フルート1~3のほか、ピッコロがフルート持ち替え。オーボエ1~3。バスーン1・2。コントラバスーンあり。B♭クラリネット1~3に、各4声div.あり(つまり全部で12人必要)。コントラバス・クラリネットとバス・サクソフォーンあり(オプション)。トランペット1~4。トロンボーン1~4。ユーフォニアム1・2。ティンパニのほかにパーカッション1~4。「声」あり。
●グレード:6超

1962年にアメリカの生物学者レイチェル・カーソン(1907~64)が発表した書『沈黙の春』【注1】は、一大センセーションを巻き起こした。

当時、アメリカでは、有機塩素系の農薬(殺虫剤)「DDT」が、当たり前のようにばらまかれていた。大量生産が可能で、無害と思われていたこのDDTを使って、アメリカ政府は、農作物に対する害虫の絶滅計画を進めていたほどだった。

ところがカーソンは、この『沈黙の春』で、DDTがいかに恐ろしい薬剤であるかを告発した。DDTは、自然界では決して分解されることなく、永久に残留し、生態系を破壊する。現に、一部の生物は、オスが減少し、絶滅しかけているという。また、食物連鎖によって食品を通じて体内に取り込まれ、ホルモンなどにも影響を与えるというのだ。

この本の衝撃は大きかった。当時のケネディ大統領は、すぐさま専門機関に調査を命じ、その結果アメリカはDDTを禁止し、害虫絶滅計画も中止となった。【注2】

同時期、日本でも「4大公害病」が大問題となっていた。熊本水俣病、新潟水俣病、四日市ぜんそく、イタイイタイ病――である。すべて大企業が垂れ流した有害物質が原因だった。どれも1950~60年代あたりから顕在化し始め、特に1960~70年代に大きな問題となっていた。

そして1975年、日本で、公害や環境汚染の恐怖を決定的にした小説が、大ベストセラーになった。有吉佐和子『複合汚染』【注3】である。まさに『沈黙の春』日本版であった。農薬、合成洗剤、合成保存料、排気ガス、化学肥料……これらがいっしょくたになって川や海、土壌に流れ込み、生態系を破壊し、食物に入り込んで私たちの体内に蓄積される……その過程が、ノンフィクション・タッチでリアルに描かれた。当時これを読んだ多くの日本人は、本心から「日本のコメを食べることは、農薬を食べるのと同じだ」と感じたものである。

このように、1960年代~70年代は、世界中で、公害や環境破壊の恐怖が叫ばれた時期であった。

そして、この現実を吹奏楽曲で描いた作曲家がいた。またもカレル・フサである。前回の「プラハの春」弾圧事件をもとにした≪プラハ1968年のための音楽≫といい、今回の≪この地球を神と崇める≫といい、これほどまでに社会的な題材を選んで、吹奏楽曲で表現しつづけた人は、フサ以外にいない。しかも、たまたま表現手段が「吹奏楽」というだけであって、どの曲も、20世紀を代表する現代音楽の地位を獲得しているのだ。このような作曲家がいたことを、吹奏楽に携わっている私たちは、誇りに思いたい。

フサは、前回紹介した≪プラハ~≫発表の翌年、ミシガン大学バンドの委嘱で、この曲を発表した。同大学バンドの指揮者ウィリアム・レヴェッリ博士の引退に捧げられている。原題は、直訳すれば「この地球の神格化」となる。

フサ自身が、スコア冒頭に、かなり長めの文章を掲載している。要旨をまとめると、おおむね以下のような内容だ。

<この曲は、いまの人類が直面する様々な問題――戦争や飢餓、種の絶滅、環境汚染などが動機となって生まれた。この美しい地球の破壊や荒廃が、幻想に終わることを祈るばかりである。
第Ⅰ楽章Apotheosis<神格化>で、地球は宇宙の中の点として描かれ、次第に大きくなり、悲劇を予感させる。
第Ⅱ楽章Tragedy of Destruction<破壊の悲劇>は、放射能で破壊され、傷ついた地球が描かれる。
第Ⅲ楽章Postscript<その後>で、地球は宇宙の彼方に砕け散る。奏者は「この美しい地球」と声に出す。そしてこんな疑問が浮かび上がってくる――「なぜ、私たちはこんなことをしてしまったのだろうか?」と>

いかがであろうか。何とこの曲は、戦争や環境破壊による「地球崩壊」を描いているのである。しかも、まったく「救い」がない。最後に、明日への希望でも描かれるかと思いきや、「地球は砕け散る」というのだから、ただごとではない。

果たして、いったい、どんな音楽なのか……。

ご存知の方にはいうまでもないが、これは、前作≪プラハ~≫をはるかに上回る、難解で高度な音楽である。≪プラハ~≫の場合は、ワルシャワ条約機構軍によるチェコスロバキア蹂躙という、いわば「目に見える悲劇」が描かれた。だから、確かに前衛的な描写や手法はあったものの、全体はおおむね描写性に満ちていた。

だが、この≪~崇める≫で描かれた世界は、誰の目にも明快な悲劇とは、ちょっと違う。確かにモチーフは環境破壊だが、それによって蝕まれる「地球」が描かれるのだ。

当然、タッチは抽象的にならざるをえない。耳に残るキャッチーなメロディは、まったく出てこない。それゆえ、これほど、文章で説明するのが難しい曲もないのだ。まことにライター泣かせの曲であるが、この種の音楽に慣れていない若い方々には「泣いている曲」という表現が、いちばんわかりやすいかもしれない。第Ⅰ楽章冒頭部から、楽器が(いや、地球が)「泣いている」ように聴こえるはずだ。環境破壊に蝕まれて、破滅寸前の地球が、苦しさのあまり、末期の雄叫びを上げている曲――そんなふうにイメージしていいと思う。

全体は、そんな「泣いている」ような抽象的な音列と、具体的な奏法指示のオンパレードだ。これほど「音符」以外の様々な指定が書き込まれたスコアは、そうはあるまい。

たとえば、時折、音符のオタマジャクシの横、「♯」や「♭」に同化して「↑」「↓」といった矢印が書き込まれている。これは「クォーター・トーン」。つまり「半音」ならぬ「4分の1音」の指定である。たとえば「C♯」の「♯」部分に「↑」が付いていたら、「C♯」と「D」の中間の音程を出せというのだ。

第Ⅱ楽章のラスト音にはフェルマータの記号とともに「lunga」(長く自由に伸ばす)の指定がある。「lunga」は、アルフレッド・リードなどもよく用いていた指定だが、それに加えて文章で「8~10秒、もしくはそれ以上(伸ばせ)」と書かれている。

第Ⅲ楽章では、多くの奏者が「This beautiful Earth」(この美しい地球)と、口に出して言えとの指示がある。「歌う」のではなく、あくまで「口にする」のである。しかも、きわめてぎごちなく言うような指示部分もある。

「repeat ad lib.」(自由に繰り返す)なんて指示も頻繁に出てくる。全曲の最後は、ザイロフォンの5連符の音型が繰り返されて終わるのだが、ここにも「repeat ad lib.」とある。二重線でキチンと終わるスコアではないのだ。これは、ヨハン・シュトラウス≪常動曲≫も真っ青の「演奏者の意思で自由に終えていい」曲なのだ。

そのほか、一般の音楽教育の場では見る機会のない、おそらくこの曲のためにフサが考案した記号や指定が、あちこちに出てくる。

作曲者自身がスコアに示した演奏時間は、Ⅰ<Apotheosis>(神格化)が12分半、Ⅱ<Tragedy of Destruction>(破壊の悲劇)が7分、Ⅲ<Postscript>(その後)が6分――計25~26分の曲であるが、何しろ「自由に繰り返す」なんて指示があちこちに出てくる曲だから、演奏者によって時間は大きく変わる。楽章ごとに1~2分、減ったり増えたりするなんて日常茶飯事である。

この曲が、私たち日本人の前で初演されたのは、1973年7月5日、上野の東京文化会館における、国立音楽大学ブラスオルケスター(指揮・大橋幸夫)の、第14回定期演奏会であった。いまや、戦後の日本吹奏楽界の伝説となっているコンサートである。この演奏があまりに素晴らしく、また、曲の衝撃度もウルトラ級とあって、≪~崇める≫は、一夜にして知れ渡った。日本が、1970年の大阪万博で浮かれきり、高度経済成長も終焉、いささか疲れが見え始めた時期に、まさに「太平の眠りを覚ます蒸気船」のように、この曲は登場したのだ。

しかし、この曲が全日本吹奏楽コンクールの全国大会に登場するまでは、時間を要した(そもそも、この曲でコンクールに挑んだ団体がいることのほうが、驚きなのだが)。あまりの難度の高さもあったろうし、1970年代の環境破壊がモチーフだけに、その後、少々、時代性のずれを感じさせた点も否めない。

だが、結局、地球は、20世紀の終わりを迎えて、フサが描いたとおりの事態に陥った。地球温暖化だのエルニーニョだのオゾン層破壊だのと、ほんとうに、この曲そのままの地球になりかけたのだ。

それだけに、1993年、東京都立永山高校が、この曲でコンクール全国大会に進出したのは、ある意味、格好の時宜を得た出来事といえた。初演から20年以上を経ての、全国大会初演であった。同校は見事に金賞を獲得。いまにして思えば、まさに世紀末を告げる選曲であり、演奏であったといえよう。

≪プラハ~≫もそうだったが、時代の空気を吹奏楽という音楽形態に閉じ込め、それでいていつの時代にも通用する普遍を描くフサは、まことに恐るべき作曲家といわねばなるまい。

そして、フサのコメントを俟つまでもなく、この地球が、環境破壊の果てに「崩壊」することなどないよう、祈るばかりである。

 

【注1】最初の邦題は『生と死の妙薬』だった。その後、原題“Silent Spring” の直訳『沈黙の春』として新潮文庫に収録され、いまでも読み継がれている永遠のロングセラー。題は「生態系の破壊で、春になっても鳥が鳴かなくなる」といった意味である。現在では、内容の一部にカーソンの誤解が含まれていたことも明らかになっているが、それでも、環境破壊への最初の警句として、21世紀に生きる私たちが一度は読んでおくべき本である。なお、今年は、レイチェル・カーソン生誕100年にあたるそうで、最近、彼女の伝記『レイチェル・カーソン』上下(ポール・ブルックス著、新潮文庫)も出た。彼女と親しかった編集者による、真摯な伝記である。
【注2】ただしDDTは、マラリアの特効薬でもあった。そのため、DDT禁止後、後進国では、絶滅寸前だったマラリアが急増してしまうという、皮肉な結果を招いてしまった。
【注3】新潮文庫版。いま読んでもまったく色褪せていない、背筋が寒くなる小説である。初出は朝日新聞連載だが、よくぞこのような読み物が、新聞に連載されたものだと思う

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