Text:富樫鉄火
●作曲:ナイジェル・クラーク Nigel Clarke(1960~)イギリス
●原題:Gagarin~Three Symphonic Scenes
●初出:2004年(?)、セント・トーマス大学バンドの委嘱初演(アメリカ・ミネソタ州)
●出版:Stuido Music(ロンドン)
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/set-9924/
●参考音源:『ビスカヤ/Vizcaya~Great British Music for Wind Band Vol.10』(Polyphonic)
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-0719/
●演奏時間:3楽章計約15分……I : Road to the Stars(宇宙への道)、II : Orbit(軌道)、III : Homecoming(帰還)各楽章5分前後
●編成上の特徴:スコア未見につき詳細不明なれど、大型編成と思われる。ピアノ、ハープあり。コーラスも登場する。
●グレード:5
前回までに述べたように、朝鮮戦争やベトナム戦争は、アメリカとソ連(ソヴィエト社会主義共和国連邦=現ロシア)の代理戦争だったわけだが、同時期、米ソの代理戦争どころか「直接対決」が「宇宙」を舞台に繰り広げられていた。
第2次世界大戦後の1955年、アメリカとソ連は同時に、人工衛星の打ち上げ計画を発表した。だが、この競争は、ソ連が圧倒的優位に立った。
ソ連は1957年に、人類初の人工衛星「スプートニク1号」の打ち上げに成功。同年中には、犬のライカを乗せた「スプートニク2号」を打ち上げる。この「2号」は、地球を100分ちょっとで1周したが、当初から帰還の予定はなく、宇宙の藻屑と消えることが決まっていた。そして予定通り、数ヵ月後に落下を始め、大気圏に突入して燃えつきて消えた。もちろん犬のライカもろとも(実際には、打ち上げ直後のショックですぐに死んだらしい)。
この話は、当時はそれほどの騒ぎにならなかったが、今だったら、世界中から非難轟々だったろう。いたいけな犬を小さな人工衛星のカプセルに押し込め、宇宙へ飛ばしてそのまま死なすなんて、あんまりな話だ。その後もソ連は、続々と犬を宇宙へ打ち上げ、やがて、生きて帰ってくる犬も出るようになる。何しろ、犬を宇宙から生きたまま戻すことは、いつか人間を宇宙へ進出させるための前哨戦だったのだから。
この年(1957年)、アメリカも人工衛星の打ち上げに挑んだが失敗している。この失敗、および、ソ連のスプートニク計画成功は、アメリカに多大なショックを与えた。何しろ、このままだと常に上空にいるソ連の衛星が、いつか兵器を積んで、アメリカ大陸に向けて攻撃してくるかもしれないのだ。地上での戦争は終わったが、今度は、どちらが先に宇宙を制するかが、緊急課題となった。
かくして焦ったアメリカは、1958年、NASA(アメリカ航空宇宙局)を設立し、ようやく人工衛星の打ち上げに成功するのである。
こうなると、次の課題は「どちらが先に、人間を宇宙へ送り込むか」であった。
これもソ連の勝ちだった。ソ連は、1961年4月12日、空軍の宇宙飛行士ユーリ・ガガーリン(1934~1968)を乗せた「ボストーク1号」を打ち上げ、2時間弱で地球を1周し、無事に帰還させることに成功したのだ。
「人類初の有人宇宙飛行の成功」――このニュースに、世界中が大騒ぎになった。「神」以外に、地球を宇宙から眺めた人間が、ついに誕生したのだ。
ガガーリンは、宇宙から見た地球を「地球は青かった」と評した。この文句は世界中で流行語になった。ただし正確には「宇宙から見た地球は、青いヴェールに包まれた花嫁のようだった」と言ったのが、短縮されて伝わったのだそうだ。【注1】
帰還後のガガーリンは、一躍、ソ連の英雄となって世界中で大歓迎された。社会主義の超大国ソ連にとっては、最高の宣伝マンであった。勲章も山ほどもらい、昇進して、大スターとなった。
この一連の出来事を吹奏楽曲にしたのが、イギリスのナイジェル・クラーク作曲≪ガガーリン~3つの交響的情景≫である。
演奏は容易ではないが、実にドラマティックで、効果抜群の曲だ。サブタイトルにあるように3部構成で、全編にソ連国歌がちりばめられている。
I <宇宙への道>では、ガガーリンの宇宙飛行成功までの道のリが、抽象的ながら迫真のタッチで描かれる。単純な映画音楽風を突き抜けた、それこそクラシックの交響詩を思わせる部分も多い。クライマックスは、まさに宇宙へ向かう「ボストーク1号」を描いているようだ。
II <軌道>は、宇宙空間の描写である。コーラスを加えた、たいへん静謐で美しい断章だ。それこそ「地球は青かった」と言いたくなる。ソ連国歌の一節が流れ、盛り上がって偉業の達成を讃える。
曲は、ソ連国歌からそのままIII <帰還>になだれ込む。ここが作曲者クラークのユニークなところで、III はロシアン・ダンスの饗宴――つまり、ガガーリンの成功・帰還を祝うお祭りになるのである。おそらくクラークは、このロシアン・ダンスの熱狂を描きたくて、≪ガガーリン≫を書いたのではなかろうか。ちょうど、ヴァンデルローストの≪プスタ≫や≪リクディム≫、あるいはアッペルモント≪ジェリコ≫【第7回参照】のクライマックスのイメージである。奏者のかけ声なども登場して、オリエンタル・ムードも満載だ。再びソ連国歌の一部が高鳴ってコーダとなる。
ここで使用されているソ連国歌は、旧ソ連時代におなじみだったメロディ。連邦解体後、ロシアになってからはしばらく使用されていなかったのだが、プーチン大統領時代になって、2000年から再びロシア国歌として復活し、現在も愛唱されている曲だ。かつてオリンピックの表彰式でやたらと流れていたので、耳についている人も多いはずだ。
しかし、いったいなぜ、こんな昔のソ連の偉業を、ソ連国歌まで使用して、イギリスの作曲家が吹奏楽曲にし、アメリカの大学バンドが初演したのだろうか。クラークは、ロシア系なのだろうか。あるいは、委嘱した大学バンドにロシア系の人がいたのだろうか。いや、もう時代は一巡して、ソ連だのロシアだのも関係ない、世界史に残る偉業だから題材にしたのだろうか……。
どうやらガガーリンの生誕70年(2004年)という節目が関係していたようなのだが――ただしガガーリン本人は、宇宙から戻った後はノイローゼ、アル中気味になって、1968年、訓練機に搭乗中、原因不明の墜落死を遂げている。34歳の若さだった。【注2】
作曲者クラークは、もともとトランペットを専攻していたようだが、ポーランドで作曲を学び、イギリスの王立音楽院に進んだ。近年人気のイギリスの作曲家だが、彼の名前が日本の吹奏楽ファンに強烈に焼きついたのが、1995年に静岡・浜松で開催された、第7回世界吹奏楽大会(WASBE)だった。
この時、イギリスのロイヤル・ノーザン音楽カレッジWOが、WASBEのための新曲を引っ提げて来日し、世界初演したのが、クラークの≪サムライ≫だった【注3】。のちに東京佼成WOなども取り上げているが、和太鼓を使って日本の戦国時代の戦闘を再現した、そのド迫力にはびっくりさせられたものだ(ここでも、日本の祭りを思わせる部分や、かけ声がある。クラークは、お祭り好きなのか?)。その後もクラークは、ブラスバンドや吹奏楽曲を多く発表し、映画音楽なども手がけているほか、近年では、ハガードの名作小説を音楽化した≪ソロモン王の洞窟≫なども発表している。
それにしてもこの≪ガガーリン≫、日本で大ヒットするかと思ったのだが、それほどでもなかった。各楽章5分前後で、特に II と III はアタッカでつながっており、工夫すれば、十分コンクール自由曲に使える。もっと演奏されていいと思うのだが、どうも「ガガーリン」だの「地球は青かった」だの、そんな話、いまの若い方々にはピンとこないのかもしれない。指導者でも、50歳以上の方でないと、同時代としての記憶はないだろう。旧ソ連国歌(現ロシア国歌でもあるのだが)が出てくるところも敬遠された理由かもしれない。「明治は遠く……」、いや「ソ連は遠くなりにけり」である。
ところで……今回は、宇宙開発競争におけるソ連の「勝利」をお伝えしたのだが、もちろん、アメリカも黙ってはいなかった。有人宇宙飛行で先を越されたアメリカは、ついに、ソ連より先に、人類を月に送り込むのである! 次回、乞ご期待!
<敬称略>
【注1】宇宙で生まれた流行語には「私はカモメ」もある。1963年、これもソ連の「ボストーク6号」に乗った人類初の女性宇宙飛行士テレシコワの、宇宙からの交信第一声である。「カモメ」とは、単なるコールサインだったとか、チェーホフの名作戯曲『かもめ』の台詞だとか、文字通り自分を空飛ぶカモメに例えたのだとか、由来は様々な説があるようだ。
【注2】彼の死因に関しては怪情報てんこ盛りで、近くを飛んでいた空軍機とのニアミスだったとか、整備ミスだったとか、酒を呑んでいたとか、あまりにあれこれと説があった(私、子供の頃、ガガーリンは、宇宙を飛んだ際にUFOだか宇宙人だかを目撃してしまい、帰還後、その宇宙人のUFOに狙われて撃墜されたとの話を少年雑誌で読んだ記憶がある)。
【注3】この≪サムライ≫世界初演の模様は、CD『第7回世界吹奏楽大会コンサート・ライブ』(佼成出版社、10枚組)に収められているほか、CD『メトロポリス』(Klavier) や『イーストマン・ウインド・アンサンブル50周年記念盤』(Warner Bros.3枚組)などにも収録されている。