■吹奏楽曲でたどる世界【第50回】ベトナム戦争(1960~75)その2 ~≪ミス・サイゴン≫より(シェーンベルク作曲/宍倉晃、デメイ編曲など)

Text:富樫鉄火

●作曲:Claude-Miche Schonberg(作詞=Alain Boublil)
●原題:Miss Saigon
●初出:1989年ロンドン初演
●編曲:宍倉晃、ヨハン・デメイなど
●出版:宍倉版……ブレーン、デメイ版……Molenaar
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/set-8589/
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/set-9814/

●参考音源:宍倉版……コンクール・ライヴなど数種あり。デメイ版……『ベスト・オブ・ヨハン・デ=メイ』(Molenaar)
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-1705/
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-3632/

●演奏時間:宍倉版(約6~7分)、デメイ版(約17~19分)
●編成上の特徴:ともに大型編成。
※宍倉版……オーボエ1・2、バスーン1・2、ソプラノサクソフォーン(持ち替え)、ピアノ、ハープあり。
※デメイ版……オーボエ1・2、イングリッシュホーン、バスーン1・2、トランペット1~4、トロンボーン1~4、ユーフォニアム1・2、ピアノあり。
●グレード:ともに5

私事で恐縮だが、1990年代の前半頃、ニューヨークのブロードウェイで、ミュージカル≪ミス・サイゴン≫を観た時の衝撃は忘れられない。

その頃、私は、たまたまニューヨークへ行く機会が多く、毎晩のようにミュージカルやオペラ、コンサートなどを片っ端から見ていたのだが、≪ミス・サイゴン≫だけは、終演後の印象が、あまりにも強烈で複雑だった。まさかベトナム戦争がミュージカルになるとは、夢にも思わなかった。こういう題材に、西洋人が(正確に言うと、フランス人とイギリス人が)、よくぞ挑んだものだと思った。感動できる部分もあったし、西洋人特有の誤解もあった。しかしそれでもなお、ベトナム戦争をミュージカルにして、世界中で大ヒットさせた、スタッフたちの豪腕ぶりには、頭が下がったものだ。

このミュージカルは、1989年にウエストエンドで初演された「ロンドン・ミュージカル」である。

作曲は、フランス人作曲家クロード=ミシェル・シェーンベルク。この人は、あの十二音技法で音楽史に名を残す大作曲家アーノルド・シェーンベルクの兄弟の孫なんだそうだ。

彼が、作詞家のアラン・ブーブリルとともに、1985年、地元フランスで≪レ・ミゼラブル≫を発表したが、まったく評判にならなかった。それを、≪キャッツ≫≪オペラ座の怪人≫で知られる大プロデューサーのキャメロン・マッキントッシュが見出し、全面的に再構成してロンドンで上演したら超大ヒット。

その同じスタッフが、柳の下のドジョウを狙って第2弾として発表したのが、この≪ミス・サイゴン≫なのである。

もちろん、これもロンドンからブロードウェイへ渡り、世界中で大ヒット。特にブロードウェイでは、1991~2001年まで、足かけ11年間にわたって4092公演のロングランを記録した。日本でも何回となく上演されている。【注1】

物語は、プッチーニのオペラ≪蝶々夫人≫とほぼ同じ。【注2】

ベトナム戦争末期の1975年、陥落寸前のサイゴンが舞台【注3】。疲れきった米兵クリスと、17歳のベトナム人少女キムは恋に落ちる。やがてサイゴン解放の大混乱で、2人は引き裂かれる。クリスは帰国して、アメリカ人女性と結婚。だが、その頃キムは、クリスとの間に生れた男の子を育てながら、いつか彼が自分を迎えに来てくれるものと信じ、ひたすら待っていた。そして、キムの生存を知らされたクリスは、彼女に会うために逃亡先のバンコクへ向かう……。

全編を覆う、あまりに美しすぎるメロディと、健気で哀れなキム、そして目を奪うステージ上の大仕掛け。特に巨大なホー・チ・ミン【注4】の銅像や、上空から降りてくる実物大のヘリコプター、客席内を縦横無尽に飛び交うマルチ音響システムなど、見所満載のミュージカルである。アジア人に対するステレオタイプな欧米人の視点を感じながらも、やはりクライマックスでは涙が出てしまう。2人の悲劇を客観的に眺めながら狂言回しを演じるフランスとベトナムの混血男「エンジニア」の存在も、物語を立体的に構成することに役立っている。

ブロードウェイ初演では、ミュージカル史上に残る騒動が発生した。上記エンジニア役を、ロンドンでは、白人俳優ジョナサン・プライスが演じて大絶賛されていたのだが、プロデューサーは、そのままブロードウェイでも、彼を起用しようとした。

これに対し、ニューヨークの俳優組合が猛反発を示した。「アジア系の役は、アジア系の俳優に演じさせろ」というのだ。しかもプライスは、ロンドン版では、一種の特殊メイキャップでアジア系の顔を造っていたので、そのこと自体が「アジア人蔑視である」とも言われた。

対立は一触即発の状態になり、もし組合側の要望を受け入れなければ、俳優組合はブロードウェイ全体で大規模ストライキを起こさんばかりの勢いだった。このままでは≪ミス・サイゴン≫の初日の幕が開かなくなるどころか、ブロードウェイの多くの舞台がストップしてしまうことは確実だった。世界中がこの騒ぎを見守ることになった。

だが、どうやらプロデューサーのマッキントッシュは、そんなことは百も承知だったようだ。最終的に、あまりにゴネる俳優組合に対し、世間の視線が冷たくなり、組合は折れる。まるで一連の騒動は、マッキントッシュによる「話題づくり」にさえ思えた。かくして1991年4月11日、世界注視の中、≪ミス・サイゴン≫はブロードウェイ・シアターで無事に初日の幕を開け、以後足かけ11年にわたるロングランとなるのであった。もちろん、1991年のトニー賞はほぼ独占。

だが結局、この作品は大ヒットこそしたものの、前作≪レ・ミゼラブル≫をしのぐことはできなかった【注5】。それが、日本では「吹奏楽史上最大ヒットのミュージカル・メロディ」となった。コンクールでおなじみのスコアとなって、全国大会でも、この曲で金賞を獲得した団体がいくつも出ている。

吹奏楽版は、宍倉晃版と、≪指輪物語≫でおなじみのデメイ版がある。デメイ版はミュージカル全体をなぞった構成で、約20分近くを要する大曲である。当然、コンクールでは、大幅な抜粋をしなければならないが、コンサートなどは、ぜひ全曲演奏に挑戦していただきたいスコアだ。休む間もなく登場する名旋律の数々に、演奏するほうも聴くほうもうっとりさせられるはずだ。

宍倉版は、明らかにコンクールを意識した構成で、約6分。<序曲><我が心の夢><サイゴン陥落><今がこのとき>の4部構成。コンパクトながらミュージカルの要所を抑えたうまい構成である。ヘリコプターのプロペラ音の再現を、どこの団体も工夫しており、ちょっとしたヴィジュアル上の見ものになっている。

どちらもコンクール全国大会でも通用するスコアなのだから、それなりの難度である。特に冒頭の<序曲>部などは、様々な音型やリズムが交錯する複雑な出だしで、バンドや指揮者の力量が一瞬で判明してしまう、怖い部分だ。

宍倉版もデメイ版も、当然ながら原曲からの抜粋スコアである。演奏するのであれば、ぜひ、日本版でいいからオリジナルのステージを観るか、あるいは、全曲CDが出ているので、それらでミュージカルの全体構造を知った上で取り組んでいただきたい。たとえば、打楽器奏者がヘリコプターのプロペラ音を必死に模倣するのはいいのだが、≪ミス・サイゴン≫において、このヘリコプターにどういう意味があるのかご存知だろうか。別に「攻撃」に飛んできたわけではないのだ。それを知るだけで、単なるプロペラ音の表現にも、無意識に取り組むことはできなくなるはずだ。
<敬称略>

【注1】日本では、ヒロインのキム役を、故・本田美奈子が演じて話題となった。ほかには、≪ピーターパン≫の笹本玲奈や、松たか子 、知念里奈なども演じている。日本版は東宝によって1992年から帝国劇場で断続的に上演されており、すでに2008年7月~10月公演が発表されている
http://www.tohostage.com/miss_saigon/index.html)。
【注2】ほかに、フランスの戯曲『マダム・クリサスマム』なる作品も元ネタらしい。

【注3】このあたり、ベトナム戦争の概要については、前回(第49回)参照

【注4】「ホー・チ・ミン」とは、北ベトナムの革命指導家。のちに、ベトナム民主共和国の初代大統領。現在でもベトナム建国・統一の父として尊敬されている。ちなみに、このミュージカルの舞台となった「サイゴン市」は、現在はこの偉人の名を冠して「ホー・チ・ミン市」と改名されている。

【注5】≪レ・ミゼラブル≫ブロードウェイ版は、第1次公演が1987~2003年で6680公演。リバイバル公演が2006年11月からスタートしており、現在も上演中である。

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