■吹奏楽曲でたどる世界【第48回】スターリン死去(1953年) ~祝典序曲(ショスタコーヴィチ作曲/ハンスバーガー編曲ほか)

Text:富樫鉄火

●作曲:ドミトリ・ショスタコーヴィチ Dmitrii Shostakovich(1906~1975)ロシア
●原題:Festive Ouverture(英語表記の場合の一例)
●初出:1954年原曲初演
●編曲:ドナルド・ハンスバーガー、上埜孝など
●出版:HAL LEONARD(ハンスバーガー版)、ウインドギャラリー(上埜版、レンタル)
●参考音源:各種あり
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-0430/
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-2378/
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-0277/

●演奏時間:約7分
●編成上の特徴:大型編成。正式演奏版(上埜版)はバンダ(金管別働隊)あり。
●グレード:5

今回の曲は、本来が管弦楽曲であるが、いまでは吹奏楽曲としてスタンダードとなっており、読者諸氏の中でも演奏したり、聴いたりしたことのある方も多いと思う。

ソ連(=旧ソヴィエト社会主義共和国連邦、現ロシア)は、第2次世界大戦の「戦勝国」である。日ソ不可侵条約を結んで、お互い、敵同士となっても互いの国内での戦闘をしない約束だったのに、終戦直前、連合軍の勝利を確実と見たソ連は、条約を無視してソ満国境を越え、日本に攻め入ってきた。そして「勝利」……。

私の両親の世代には、いまでもこの時のことを引き合いに出して「ロシア(ソ連)は約束を平気で破る国だ。だから信用できない」と言う人が多い。

終戦後、ソ連は戦勝国としてアメリカと並ぶ世界の2大国となった。ただし、社会主義国だったので、その発展ぶりは、アメリカとは大いに違った。大戦を「勝利」に導いた独裁者スターリンによる超ワンマン国家として発展したのだ。このソ連が生んだ20世紀最大の天才作曲家がショスタコーヴィチである。(スターリンやショスタコーヴィチについては、第45回≪ベルリン陥落≫の回を参照)。

彼の生涯は、まことに複雑だった。当時のソ連は、すべてが独裁者スターリンによって決められていた。とにかく政府=スターリンのお気に召さない芸術は、ことごとく葬られた。ショスタコーヴィチも、新機軸の音楽を開拓するたびに政府から「西洋かぶれ」「人民の敵」「もっと大衆向けに」と批判され、その都度、あらためてお褒めに預かれる音楽を書く――そんなことの繰り返しだった。要するに独裁者スターリンとの闘いの毎日だったのだ。だったら亡命すればよさそうなものだが、家族思いで生真面目だった彼は、そこまでは踏み切れなかった。

だが、そのために彼の音楽は、様々な側面を持つことになり、まさに20世紀現代社会の縮図のような面白さを我々に与えてくれている。

1945年、ショスタコーヴィチは「ロシア革命37周年記念」「ボルガ=ドン運河開通記念」曲として、この《祝典序曲》を発表した。もちろん初演は大成功で、喝采を浴びた。

だが……ロシア革命「37周年」記念で曲を書くとは、少々、中途半端には思えないか。さらに「ボルガ=ドン運河の開通」は、もう2年前の話なのである。運河の開通を2年後に祝うというのも、どうもピンと来ない。ほんとうにこの曲は、それらのお祝いの音楽なのだろうか……?

実は、それ以前の1947年に、ショスタコーヴィチは「戦後復興に打ち込んでいる人民のための、革命30周年記念曲を書いている」と書いている。ところが、どうも、それにあたる曲がないのだ。そこで、もしかしたら、ここで書いている「記念曲」が≪祝典序曲≫なのではないか、との説がある。だがそうだとしたら、なぜすぐに初演せず、7年もたってから世に出したのだろうか?

実はショスタコーヴィチが「記念曲を書いている」と記した直後、彼は政府から徹底的に批判されていた。「抽象的な音楽はダメ。国家の意向に沿った分りやすい音楽を書け」と。このままでは作曲活動を続けられなくなると判断したショスタコーヴィチは、オラトリオ≪森の歌≫などの「分りやすい音楽」を書いて“反省”を国家に示していた。そんな時期だったので、神経質になって引っ込めたのだろうか……だがそれにしては≪祝典序曲≫は、たいへん「分りやすい音楽」だと思うのだが……。

ここでまたも、新たな想像をしたくなってくる。

実は、独裁者スターリンが、1953年に死んでいるのだ。≪祝典序曲≫の初演は、その翌年1954年……。

もしかしたら……1947年に書いていながら、政府の批判を浴びて神経質になっていたので一時ボツにした……そうしたら、1953年に、やっかいなスターリンがいなくなった……これからは、好きなように音楽を書ける。いまこそ≪祝典序曲≫を世に出して、その歓びをあらわしたい……?

だとしたら≪祝典序曲≫は、スターリンの死を祝う曲なのか?

以上はもちろん推測だが、そう考えた方がピッタリくるほど、この《祝典序曲》は、華々しい祝祭気分に満ちている(人の死を祝う曲というのも変な話だが)。

原曲は管弦楽曲で、ラスト部分にバンダ(金管別働隊)が加わる派手な曲で、いまでは吹奏楽版の方が演奏の機会が多い。かつてはハンスバーガー編曲版が人気だったが、最近は上埜孝版などもある。

ソ連はスターリンの死後、フルシチョフによって「雪解け路線」がとられ、次第に東西冷戦も沈静化し、1991年に連邦解体となった。いま「ソ連」なる国は、もうない。

ちなみに独裁者スターリンは、クラシック音楽を愛好する一面も持っていた。旧ソ連に、マリア・ユーディナ(1899~1970)という「幻」の女流ピアニストがいた。亡くなるまで一度もソ連を出たことがなかったので、西側では、レコードで聴くしかなかったが、ソ連では最も尊敬された骨太なピアニストだった。

ある時、独裁者スターリンが、放送局に自ら電話をかけてきて「ユーディナが弾いた、モーツァルトの23番のコンチェルトのレコードがあるか」と聞いてきた。

放送局のスタッフは、驚かんばかりに飛び上がってしまった。独裁者からのご下問に、まさか「ない」とは言えない。急きょ、ユーディナ本人をはじめ、オーケストラや録音スタッフが放送局に呼び集められ、徹夜で録音、レコード制作が行なわれ、翌朝、スターリンのもとへレコードが届けられた。

1953年3月5日、脳卒中で亡くなったスターリンの部屋のプレーヤーには、そのレコードが載っていたという。【注】
<敬称略>
【注】この話は、有名なヴォルコフ編『ショスタコーヴィチの証言』(中公文庫)など、いくつかの本で紹介されているが、最近では、高橋敏郎『LPジャケット美術館~クラシック名盤100選』新潮社)の中で、ユーディナのLPジャケット肖像写真とともに紹介されている。

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