■吹奏楽曲でたどる世界史【第36回】第一次世界大戦(1914~18年)その1 ~行進曲≪消えた軍隊~彼らは死なず≫(アルフォード)

Text:富樫鉄火

●作曲:ケネス・ジョセフ・アルフォード Kenneth Joseph Alford
●英語題:The Vanished Army~They never dies
●初出:1919年
●出版:Boosey & Hawkes(フレデリック・フェネル校訂版)、 Harold Gore Publishing
●参考音源: 「ベスト吹奏楽100」(東芝EMI)、「ディレクターズ・チョイス/ブルーズ・アンド・ロイヤルズ・バンド 」など
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-2518/
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-0888/

●演奏時間:3分~3分半(演奏スタイルによって変わる)
●編成上の特徴:標準編成
●グレード:3~4

早いもので、この連載も36回を数え、ついに近代に足を踏み入れた。今回からは、第一次世界大戦である。

1914年6月28日、オーストリア=ハンガリー帝国のフェルディナント皇太子が、ボスニアの首都サラエボで暗殺された。犯人はセルビアの民族主義者だった。これを通称「サラエボ事件」という。

オーストリア側は、この犯行を、セルビアの国家犯罪であるとして、セルビアに宣戦布告する。戦いはあっという間に世界を二分し、ここに第一次世界大戦が始まった。

陣容は、ドイツ、オーストリア、トルコを中心とする「中央同盟国」と、イギリス、ロシア、フランスを中心とする「連合国」に分かれた。のち、日本、イタリア、アメリカも連合国側に立ち、ヨーロッパを主戦場として、戦況は長期化した。ドイツの利権地が中国やアジアの一部にあったため、日本とドイツの戦いが中国周辺でも発生した。【注1】 最終的にオーストリアが降伏し、終戦となったのは1918年だった。

この頃、イギリスの軍楽隊にフレデリック・ジョセフ・リケッツ(1881~1945)なる男がいた。ロイヤル・アイリッシュ連隊の軍楽隊を振り出しに、コルネットやピアノ、オルガンなどをこなしていた。軍楽学校でバンド指揮や作曲を学び、1908年にはアーガイル&サザーランド・ハイランダーズのバンド指揮者に就任していた。作曲者としてのペンネームはケネス・ジョセフ・アルフォード。そう、あの有名な≪ボギイ大佐≫の作曲者である(後年、イギリス海兵隊軍楽隊長の地位にまで登り詰める)。

第一次大戦の終戦後、アルフォードは、戦火で命を落とした多くのイギリス軍兵士のための追悼曲を書いた。それが、異色のマーチ≪消えた軍隊~彼らは死せず≫である。

どこが「異色」なのか。基本的にマーチには、行進や、士気を鼓舞するなどの目的があるので、勇壮で明るく、骨太なものがほとんどだ。だがこの≪消えた軍隊≫は、ひたすら「暗い」のである。つまり、戦死者の霊を慰撫するマーチなのだ。だから、演奏も、静かに落ち着いて演奏されることが多い。アルフォード自身が指揮する時は、トリオ部などはテンポを落としてゆっくりと演奏していたそうだ。普通のマーチとして演奏すると3分ほどだが、追悼曲としてじっくり演奏された3分半ほどの演奏も、よく見かける。かつての陸上自衛隊第1音楽隊(吉永雅弘・指揮)の録音は、まさに後者のタイプで、静かにゆっくりと、最後は消え入るように終わる名演だった。【注2】 こうなるともう、マーチとは言いがたい。要するにアルフォードは、終戦記念日や慰霊祭などで演奏されることを前提に作曲したのだ。

第一次大戦の序盤戦に「マルヌ会戦」と呼ばれる戦いがあった。ドイツ軍の侵攻を、英仏軍がマルヌ川で食い止めた戦いである。一時後退したドイツ軍は、その後、フランスの別地域に橋頭堡を築き、長く駐留して英仏軍を苦しめた。この一連の戦いで、イギリス軍に約10万人もの戦死者が出た。中には、アルフォードの仲間である軍楽隊からも戦死者が出た。

この戦死者の慰霊が、作曲の直接のきっかけだった。

曲中には、イギリスの軍歌≪遥かなるティッペラリー≫や、鎮魂を意味する消灯ラッパの旋律が(ほんの一部だが)使われている。トリオ部分は、ヘンデルのオラトリオ≪サウル≫の中の葬送行進曲の一節が使われている。【注3】

この≪遥かなるティッペラリー≫は、本来が軍歌ではなく、いまでいう流行歌だった。アイルランドのティッペラリーからロンドンへ出てきた若者が、故郷を懐かしむ歌詞である(故郷に残してきた彼女が、別の男と結婚しようとしている)。これが、第一次大戦で母国を離れて戦うイギリス兵士たちの「望郷の歌」となり、いつの間にか軍隊で歌われる「軍歌」の一種になった。1982年のドイツ映画『U・ボート』(ウォルフガング・ペーターゼン監督)をご覧の方なら、すぐにピンと来るであろう。潜水艦の中で、レコードに合わせてドイツ兵たちが歌っていた曲だ。舞台は第2次大戦だが、彼らは「俺たちはイギリス兵か?」と苦笑しながらも、大声で歌っていた。敵国の歌を、あれほど楽しく歌うということは、それほど世界中に流布した証左といえる。

アルフォードは、作品数は少ないが、たいへん美しい品格のあるマーチを作った人で、アメリカのマーチ王・スーザに対して、「イギリスのマーチ王」などと呼ばれた。特に主旋律のバックに優雅に流れる対旋律の美しさは尋常ではなく、「スーザを上回る」との声さえある。

最も有名な曲は≪ボギイ大佐≫(1914)であろう。主旋律と対旋律が、これほど美しく絡み合うマーチは、音楽史上、ない。

これは、ちょうど開戦の時期に発表されたマーチで、いわば、第一次大戦のテーマ曲みたいなものである。アイルランドのゴルフ場で、仲間が次のホールへ進む際、本来「Fore」と言うところを、口笛で「ド、ラ」と吹いていたのが心にとまった。その後、将校パーティーで、ピアノ演奏を求められた時に、この2音をもとに即興演奏をしたら、みんな大喜び。そこで、あとでマーチに仕上げ直した。タイトルをどうしようか悩んだが、ゴルフ仲間に、いつもボギイを叩く大佐がいたので、そのまま《ボギイ大佐》としたそうだ。「知人の大佐がボギイを叩く際に吹いていた口笛がもとになった」との説もある。映画『戦場にかける橋』(1957年)に使用されて、一躍有名になった。【注4】

≪砲声≫(1917)は、映画『アラビアのロレンス』(1962)に使用され、通称「ロレンス・マーチ」などとも称された。イギリス軍がアラブに進駐行進してくるシーンに流れている。ちなみに前記『戦場にかける橋』も『アラビアのロレンス』も、同じデビッド・リーン監督の作品である。よほどアルフォードが好きだったのだろう。あるいは、イギリスの軍楽マーチといえば、必然的にアルフォードということになるのかもしれない。

≪風変わりな少佐≫(1921、原題:マッド・メイジャー)は、多くの勲章を授与した勇敢な軍人ハッチンソン少佐のために書かれた名曲だが、昔の日本では≪気ちが○じみた少佐≫なる、今では冷や汗が出そうな邦題だった。

≪ナイルの守り≫(1941)は、中央同盟国側の侵攻をエジプトで食い止めた元帥に捧げられた。エジプトのムード満載、エキゾチックなマーチである。私事だが、大学時代に演奏して、意外と難しい曲だった思い出がある。

かように、アルフォードの曲は、そのまま第一次世界大戦と表裏一体のマーチばかりである。中でもこの≪消えた軍隊≫は、あまりに特異なマーチだ。いってみれば「哀しみ」を表現したマーチでもある。吹奏楽に興味を持っている方には、ぜひ知っておいていただきたい名曲だ。
<敬称略>
【注1】 この時、中国「青島」(チンタオ)にあったドイツ軍のビスマルク要塞を、日英連合軍が攻撃したのが、通称「青島の戦い」。その模様を、東宝お得意の特撮で映画化したのが『青島要塞爆撃命令』(1963年、監督:古澤憲吾、特技監督:円谷英二)。日本映画としては珍しい、第一次大戦下の海軍草創期を描いたもので、加山雄三ら飛行隊が、敵の鉄道車両の真上から、「手」で爆弾を落として攻撃する迫真の特撮シーンが話題になった。

【注2】 この異色名演は、そろそろ入手困難かもしれないが、2003年に発売されたCD『アルフォード名行進曲全集』(吉永雅弘指揮、陸上自衛隊第1音楽隊/ユニバーサル)に収録されている。
【注3】 軍楽マーチに、ほかのメロディが引用されることは日常茶飯事。いちばん分りやすい例が、瀬戸口藤吉≪軍艦行進曲≫で、第一テーマが軍歌≪此の城(軍艦)≫、トリオが≪海ゆかば≫で出来上がっている。スーザのマーチにも、引用は多い。たとえば≪由緒ある砲兵中隊≫の後半はスコットランド民謡≪懐かしき昔(蛍の光)≫そのままである。
【注4】 第28回の【注2】でも書いたのだが、あらためて記しておく。映画『戦場にかける橋』(1957年)の中で、この《ボギイ大佐》の一節が流れ、そこに重ねてマルカム・アーノルド作曲の《クワイ河マーチ》が流れる。そのために、《ボギイ大佐》と《クワイ河マーチ》が同一曲であるかのような誤解が流布している。この2曲は、まったく別の曲である。音楽担当アーノルドが、≪ボギイ大佐≫(イギリス)と、≪クワイ河マーチ≫(ビルマ)を同時に演奏することで、西洋と東洋の対比(あるいは融合)を表現したのである。まさに映画のテーマが、音楽でも描かれていたわけだ。

コメントを残す