■吹奏楽曲でたどる世界史【第34回】アルメニア人虐殺(1800年代末~1900年代初頭) ~アルメニアン・ダンス パート1、2(アルフレッド・リード)

Text:富樫鉄火

●作曲:アルフレッド・リード Alfred Reed
●英語題:Armenian Dances
●初出:パート1=1973年初演、パート2=1978年初演
●出版:パート1=Sam Fox、パート2=Barnhouse
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/set-9635/
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/set-9335/

●参考音源: 無数にあり。
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-3948/
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-1983/
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-1811/

●演奏時間:パート1=約11分、パート2=約6分+約5分+約10分
●編成上の特徴:ほぼ大型標準編成(トランペット1~3+コルネット1・2など、他のリード作品とほぼ同様)
●グレード:5

リードの≪アルメニアン・ダンス≫といえば、吹奏楽史に残る名曲だが、特に、世界史上の史実を題材にしたものではない。

だが、この曲のルーツには、たいへん重要な歴史的事件がからんでいるので、あえて、取り上げておくことにした。

曲名にある「アルメニア」とは、「アルメニア共和国」のこと。旧ソ連時代には、ソ連邦の一員「アルメニア社会主義共和国」だったが、1991年、ソ連国内のクーデター未遂を機に独立し、現在の「アルメニア共和国」になった。

歴史上は、西暦301年に、世界で初めてキリスト教を国教に指定した国として知られている(隣りのトルコはイスラム。これものちの対立の一因)。また「旧約聖書」に登場する「ノアの方舟」が漂着したアララト山が、隣国トルコから、このアルメニアにかけて裾野が広がっていることでも有名だ。【第1回】【第2回】参照

だが、名前ばかりが知られていて、私たち日本人には、どこにあるのかイメージがつかみにくい国であることも確かだ。大雑把にいうと、アジアとヨーロッパの中間にあり、南がイラン、西がトルコに接している位置にある。

この「中間位置」にあることが、アルメニアを何度となく苦しめる一因となった。紀元前には、西から古代ローマ帝国、東からササン朝ペルシャ帝国に蹂躙された。アラブに支配されたり、アジア寄りの王朝が興ったり、国のありようは目まぐるしく変わった。1600年代には、オスマントルコ帝国とサファヴィ朝ペルシャ帝国(現在のイランあたり)に攻め込まれ、国家は分断、両国の分割統治となった。

その後、ペルシャ領がロシア領となり、アルメニアは、トルコとロシアに乗っ取られたような状態がつづくことになる。

1800年代後半、トルコの支配に対して、アルメニア人たちが不満を訴えるようになり、対立が激化した。そしてついにトルコは実力行使――1800年代末と1900年代初頭の二度にわたるアルメニア人虐殺に踏み切るのである。犠牲者の数は諸説あるが、少なくとも60万~80万人。一説には、累計150~200万人のアルメニア人が虐殺されたとの説もある。

民族虐殺といえば、ナチスドイツのユダヤ人虐殺が思い浮かぶ(500~700万人、他民族まで含むと1000万人前後が虐殺されたと言われている)。だが、ドイツがユダヤ人虐殺の事実を認め、謝罪をつづけているのに対して、こちらの加害者(であるはずの)トルコは、いまだにその事実を認めていない。トルコが、国家として正式に「アルメニア人虐殺指令」を出した、との説さえあるのだが……。

だが、トルコは、とにかくこの事実を認めようとしない。「殺害」があったのは事実だが、国として行なわれた行為ではなく、犠牲者の数もそれほどではない……というのが現トルコ政府の主張だ。2006年のノーベル文学賞を受賞したトルコ人作家オルハン・パムクは、虐殺を認めて非難したために、トルコ国内で国家侮辱罪に問われたほどである。【注1】

ユダヤ人虐殺問題に比して、アルメニア人虐殺問題は大きく取り上げられることが少ないため、私たち日本人にはなじみの薄い事件だが、ヨーロッパではいまでも大問題とされている。特にトルコがEU(欧州連合)に加盟できないのは、この虐殺を認めないことが一因と言われている。また、アルメニアからの移民や有力者が多いフランスでは、虐殺の事実を否定すること自体が犯罪となる法律が制定されているほどだ。

ちなみに1948年に国連で採択された「ジェノサイド(集団殺戮)条約」で、処罰対象の条件に、このアルメニア人虐殺は適合しているとされている。

さて、話は変わる。

19世紀末、このアルメニアに、コミタス(1869~1935)なる音楽家がいた。本名「ソゴモン・ソゴモニャン」。神学校で音楽を学んで聖歌研究や民謡蒐集に打ち込み、1894年に、7世紀アルメニアの賛歌作者の名「コミタス」を継ぎ、「ヴァルダペト」(修道士)となった。1896年にはベルリンに留学し、同国で初めて西洋音楽教育を受けた人物となる。

その後、教会音楽活動を中心に、アルメニア各地の民謡や舞曲の蒐集研究をつづける一方、合唱団を組織し、ヨーロッパ公演なども行なって、母国の音楽を広めた。

だが、1915年、トルコの迫害干渉が強まり、二度目の虐殺が始まった。幸い、コミタスは虐殺対象とならず、国外追放となってパリへ逃れた。だが、よほどショックだったのであろう。精神と肉体の双方を病んで、以後は一切の音楽活動をすることなく、1935年にパリで客死する。

1970年代に入って、アルメニア系アメリカ人のバンド指導者ハリー・ベギアンが、コミタスが蒐集した民謡舞曲をもとにした吹奏楽オリジナル曲を、リードに委嘱する。

これは予想だが、おそらくベギアンの両親か祖父母は、トルコの虐殺を逃れてアメリカにやってきた移民ではないだろうか。

もともとアルメニア人は、芸術や商工業に卓越した才能を持っており、世界各地に進出していた。ちょうど、ユダヤ人や中国人(華僑)が、様々な土地へ移って成功しているのとどこか似ていた。そこへ来て、二度の虐殺迫害で多くのアルメニア人が国外へ脱出することになり、アルメニア人は、さらに世界各地で活躍するようになった。

たとえば、バレエ《ガイーヌ》(剣の舞)で知られる作曲家ハチャトゥリアンもアルメニア人だ(彼も《アルメニアン・ダンス》を作曲している)。指揮者カラヤンも、先祖にはアルメニアの血が入っているという。ほかにも、シャンソン歌手シャルル・アズナヴール、ヴィオラ奏者キム・カシュカシアン、作家ウィリアム・サローヤン、歌手・女優のシェール【注2】、作曲家アラン・ホヴァネス、映画監督アトム・エゴヤン【注3】……みんなアルメニア系。枚挙に暇がない。

話がそれたが、かくしてベギアンの委嘱で、コミタスが蒐集したアルメニアン・メロディをもとに、リードが作曲したのが、名曲≪アルメニアン・ダンス≫なのである。

全曲は4楽章構成だが、パート1(第1楽章)が1973年に発表され、78年にパート2(第2~4楽章)が加わって全曲完成となった。諸事情から、パート1と2が別々の出版社から刊行されたため、別の曲のように思われているが、当初から4楽章で構想されていた曲である。

パート1(第1楽章)は、全曲中、最も長い楽章。アルメニア民謡<あんずの木><やまうずらの歌><おーい、僕のナザン><アラギャズ山><行け、行け>の5曲がメドレーとなった一種の狂詩曲である。パート2は、第2楽章<農民の訴え>、第3楽章<結婚の踊り>、第4楽章<ロリ地方の農民歌>……どれもコミタスが蒐集したメロディ-がもとになっているとのことだが、このあたりに関しては、私のような道楽者の言い分よりも、キチンとした研究家によるサイト――「The Music-makers’ Paradise」http://www.asahi-net.or.jp/%7Ezi6y-mrkm/ などをご覧いただきたい。

ただ、私がいままでCDで聴いてきた原曲(もしくは、それに近いアルメニア人による演奏)と比べてみると、リードはたいへんうまく原旋律を昇華させており(別の言い方をすれば「アメリカナイズ」かもしれない)、機会があれば、その変貌ぶりを楽しむのも一興かも知れない。

曲の内容については、この連載をお読みの方だったら、いまさらあれこれと細かく解説する必要はないだろう。

特にパート1(第1楽章)の人気は凄まじく、コンクール全国大会の登場回数は38回。オリジナル曲でダントツ1位の人気度を獲得している。雄大で感動的な出だし、次々と移り変わる曲想、そして興奮と感動のラスト……それらは、リードに限らず吹奏楽作品に多い「前奏~急~緩~急~コーダ」形式とはまた違う、独特の魅力に溢れている。メロディーが、どこか私たち日本人になじみ深いムードがあったことも重要だ。アルメニアがアジアとヨーロッパの中間にあることを思い出させてくれる。

ステージでもCDでも、いまでは、いやでも耳に入ってくる名曲だが、できれば、アルメニア人虐殺問題や、その悲劇の中で原曲を蒐集したコミタスの存在を、ほんの少しでいいから思い出しながら聴いてほしい。
<敬称略>
【注1】2006年にノーベル文学賞を受賞したオルハン・パムクの作品は、現在、『私の名は紅(あか』『雪』の2作が訳出されている(ともに和久井路子訳、藤原書店刊)。どちらもトルコが抱える問題がモチーフになっているが、アルメニアに関する問題も、しばしば語られ、特に『雪』は、なかなかにロマンチックな設定。かなり内省的な小説だが、読書好きには応えられない一冊である。
【注2】アルメニアは、美女が多いと言われている。この歌手・女優シェールは、本名を「シェーリン・ラ・ピエ・サーカシアン」という。1971年に《悲しきジプシー》を大ヒットさせ、以後、映画女優としても大成功し、ハリウッド大富豪の1人にまでのし上がった。実父がアルメニア難民で「サーカシアン」は、そのものズバリ、アルメニア系の名前。母親はアイルランドやドイツの血を引くチェロキー(ネイティヴ・アメリカン)。だから彼女の顔つきは、かなりたくさんの民族の血が混じっているのだが、それでも、たいへんアルメニアの特徴が色濃く出ているほうだ。ああいう、面長でキリッとした目つきがアルメニア美人なのである。彼女が主演して、見事アカデミー主演女優賞を受賞した名作映画『月の輝く夜に』(1987年、ノーマン・ジュイソン監督)は、シェールの魅力満載、ぜひ見ていただきたい名作だ(メトロポリタン歌劇場がバッチリ出てきて、オペラ・ファンにはたまらん内容)。
【注3】映画監督アトム・エゴヤンは、カナダ在住のアルメニア系だが、2002年に、アルメニア人虐殺をテーマにした映画『アララトの聖母』をつくっている。虐殺問題を描く映画にかかわる人たちを通して、事件を見つめなおす壮大な感動作だ。主演は、フランスの大シャンソン歌手シャルル・アズナヴール(彼の本名は「アズナヴーリヤン」。父がグルジア人、母がアルメニア人である)。DVD化されているので、ぜひご覧いただきたい。≪アルメニアン・ダンス≫のルーツに隠された悲惨なドラマが、身近に感じられるはずだ。

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