■吹奏楽曲でたどる世界史【第27回】ナポレオンのロシア侵攻(1812年) ~大序曲≪1812年≫(チャイコフスキー)

Text:富樫鉄火

●作曲: ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(ロシア) Pytr Il’Ich Tchaikovsky(1840~93)
●初出: 原曲初演1882年
●編曲:小編成向きや短縮版まで含めれば、内外で10種以上ある。詳細は、本文参照。
●出版 : 本文参照
●参考音源 : 本文参照。
●演奏時間 : 約16~17分
●編成上の特徴 : 本文参照
●グレード : 本文参照

フランスの軍人ナポレオン・ボナパルト、通称ナポレオン一世(1769~1821)は、執政として頂点を極めたかに見えた1804年、突如、フランス第一帝政の「皇帝」に即位した。まさかそのような野望を抱いているとは、それまで、ほとんど素振りを見せなかっただけに、これには多くの者が衝撃を覚えた。あきれたベートーヴェンは、彼に捧げるつもりで書いていた交響曲第3番≪ボナパルト≫を、単なる≪英雄≫と改題してしまったほどだ。【注1】

その後の野望もとどまるところを知らず、連戦常勝でヨーロッパほぼ全域を傘下におさめた。言うことを聞かないイギリスに対しては大陸封鎖令を出して孤立させた。イギリスから物資が入ってこなくなったヨーロッパ諸国は、次第にナポレオンに対して不満を抱き始めた。

特にロシアは、様々な物資を主にイギリスから輸入していたが、これが入ってこなくなって、業を煮やし始めた。とうとう封鎖令を破ってイギリスと貿易を再開してしまう。プライドを傷つけられたナポレオンは同盟国に呼びかけて、1812年、60万もの大軍勢を仕立てて、ロシアに攻め込んだ。

過去の戦歴から、フランス同盟軍の優勢は確実かと思われたが、唯一の誤算があった。それは「冬将軍」……ロシアの強烈な冬の気候だった。荒れ狂う雪嵐、未知の超低温がフランス軍を襲った。

対抗するロシア軍も、モスクワを焦土と化してフランス軍を孤立させるなど、徹底抗戦で応じた(ロシアでは「1812年祖国戦争」と呼ばれている)。さすがのフランス同盟軍も耐え切れず、退却する。現場指揮官たちは、続々と脱走した。無事に母国まで戻れた兵士は、たった数千人だったとの説もある。

このナポレオン大敗を見たヨーロッパ諸国は、いっせいにフランスに反旗を翻し、翌年、周辺諸国の連合軍に攻め込まれてパリは陥落。ナポレオンはエルバ島に島流しにされるのだ。

このナポレオンのロシア侵攻~退却の一部始終を音で描いたスペクタクル音楽が、チャイコフスキーの大序曲≪1812年≫である。【注2】

題材となった年から70年後の1882年、モスクワで開催された産業博覧会での野外コンサートのために作曲された。オリジナル・スコアは、大合唱に鐘、ホンモノの大砲、別働隊バンドまで登場する、一種の“トンデモ音楽”である。

冒頭、重々しく暗いロシア聖歌が流れ、物資不足で困窮にあえぐロシア民衆の姿が描かれる。やがて彼方からフランス国歌≪ラ・マルセイエーズ≫が響いてきて、ナポレオン率いるフランス同盟軍が迫ってくる。ロシア側は、当時のロシア国歌や民謡などで“徹底抗戦”。

激しい戦闘がつづくが、次第にフランス国歌が乱れ始め、最後はロシア側メロディーの、凄まじいばかりの超ウルトラ級圧倒的迫力演奏で終わる。勝利の鐘が鳴り響き、祝砲がバンバン発射され、史上空前の騒ぎである。

なにぶん、登場する旋律がすべて親しみやすく、音楽的な展開も分りやすいので、昔から吹奏楽でもさかんに演奏されてきた。

以前は、マーク・ハインズレイによる編曲がよく演奏されていた(Hindsley Transcriptions, Ltd)。コントラバス・クラリネットや、トランペット1・2+コルネット1~3、大砲などが指定された大型編成である。グレードは「5超」=「6」。

近年では、日本の木村吉宏版(De Haske)、高橋徹版(アトリエM/レンタル)あたりが人気のようだ。どちらも標準プラス・アルファの編成であるが、お祭り騒ぎを再現するのでなければ、オプション代用などで十分演奏できるはずだ。グレードは「4~5」あたりか。音源も、木村版であれば数種出ており、比較的簡単に見つけられるはずだ。

編成・実力がおぼつかないバンドには、中編成版や短縮版の方がいいだろう。これもまた、海外では、実にたくさんの編曲が出ているのであたっていただきたい。

もし原曲を聴くのであれば、アンタル・ドラティ指揮、「ミネアポリス交響楽団」+「ミネソタ大学バンド」+「ウエストポイント陸軍博物館所蔵の18世紀フランス製大砲」+「本物の鐘」による録音をお薦めする(マーキュリー)。初演当時のトンデモ演奏を再現したものだが、1958年のステレオ初期録音ながら、どんな最新デジタルもかなわない、超ド級の音質と演奏が堪能できる。この頃のマーキュリー・レーベルは、ワンマイクの優秀モノラル録音で、フェネル指揮のイーストマン・ウインド・アンサンブルによる最新吹奏楽録音をバシバシ出していたが、すでにこんなステレオLPも出していたのだ。当時は、生半可なプレーヤーで再生すると、すぐに針が飛んだり、スピーカーが音割れしてしまうとあって、オーディオ・チェック用にこぞって買い求められたものだ。これを聴いてシビれてしまい、吹奏楽で同様の迫力を出そうとチャレンジした者が、どれだけいたことか(このアタシとか)。【注3】

ちなみに、2004年10月には、陸上自衛隊東部方面音楽隊と第1特科隊が中心となって、朝霞駐屯地で、ホンモノの大砲を使った、驚くべき≪1812年≫野外コンサートが実施されている。
<敬称略>


【注1】実は、ほんとうにベートーヴェンがこの曲をナポレオンに捧げようとしていたのかどうかは、半ば伝説化されていて定かではない。ただしベートーヴェンが即位前のナポレオンに期待していたことは間違いない(当時の文化人は、みんなそうだった)。よく言われている「楽譜の表紙を破り捨てた」というのもウソで、筆者は表紙現物を見たことがあるが、引っかくようにして献辞の部分を消しただけである。

【注2】このナポレオンのロシア侵攻を小説で描いたのが文豪トルストイ。名作『戦争と平和』がそれだ。

【注3】ちなみに、このレコードのB面は、これもまたトンデモ戦争音楽、ベートーヴェンの≪ウェリントンの勝利≫だった。現在は、チャイコフスキー≪イタリア奇想曲≫なども加えて、ユニバーサルからCD化されているので、お聴きいただきたい。

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