■吹奏楽曲でたどる世界史【第26回】稀代の性豪・カサノヴァ(1725~98) ~カサノヴァ~独奏チェロとウインド・オーケストラのための(ヨハン・デ・メイ)

Text:富樫鉄火

●作曲:Johan de Meij(1953~)オランダ
●原題:Casanova for solo cello and wind orchestra
●発表:2000年2月、トルン聖ミカエル吹奏楽団が初演。
●出版:Amstel Music(オランダ)
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/set-9978/
●参考音源:『Casanova』(Amstel)
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-0069/
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-1864/
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-0352/

●演奏時間: 約27分(全8部構成)
●編成上の特徴:標準を超える編成…オーボエ1・2あり、イングリッシュホーンあり、バスーン1・2あり、トランペット1~4あり、打楽器多数、ピアノ・チェレスタ・ハープあり。
●グレード: 5~6

《指輪物語》で知られるデ・メイの、たいへん素晴らしい曲なのに、そう頻繁に演奏されている気配がない(以前、大阪市音が定期で取り上げてCD化されていた)。

それもそのはずで、これは「独奏チェロと吹奏楽のための」曲なのだ。プロ・バンドならいざ知らず、アマチュアでは、チェロ奏者を確保することは容易ではないだろう。

だが、演奏の機会が少ない理由は、別にあるのでは……実はこの「カサノヴァ」とは、歴史に名を残す「性豪」なのである。それゆえ、あまり教育上よろしくないので、演奏が憚られるのかも……?(もちろん、冗談です)

この曲の題材となったジャコモ・カサノヴァ(1725~98)は、ヴェネツィア生まれのイタリア人。ナニ屋さんなのかを説明するのは難しいのだが……法学博士、薬剤師、聖職者、軍人、ヴァイオリニスト、妖術師、(自称)貴族、政治家秘書、スパイ、賭博師、劇作家……あまりに多くの顔があるので、とてもひと言では表せないが、少々怪しい「総合文化人」であったことは間違いない。しかし、これだけは生涯を通じて全うした――「セックス」である。彼は生涯に1000人以上の女性と交わり、女性を歓喜させることに異様なまでの執念とエネルギーを注ぎ込んだのである。【注1】

晩年、自らの一生を『わが生涯の物語』(通称『カサノヴァ回想録』)としてまとめており、それが死後刊行されたことで、一躍その名は世界中に広まった。一般には、これによって「性豪カサノヴァ」のイメージが定着し、「女たらし」をカサノヴァと呼ぶようになった。だが、この自伝が広く読まれた理由は、その「セックス・レポート」ぶりもさることながら、18世紀末のヨーロッパ社会の様相が実に生き生きと描かれていたことと、また、彼自身の、まるで小説のような波乱万丈の生涯にこそあったのだ。【注2】

今回の曲《カサノヴァ》は、そんな彼の波乱の人生の中の、主に1755年からの数年間にスポットをあてている。この時期、カサノヴァは、少女レイプ犯として指名手配されていた上、妖術師まがいのことをやっており、それによって宗教裁判にかけれられて、「鉛の監獄」と呼ばれたピオンビ刑務所にぶち込まれていた。ここは脱獄不可能と言われた難攻不落の監獄だったが、なんとカサノヴァは、見事に脱獄に成功するのである(同刑務所の歴史上、ただ一回の成功例だという)。

そんな時期から、8つの象徴的な場面・エピソードを抽出し、一種の交響詩に仕立て上げたのが、デ・メイの《カサノヴァ》なのだ。

8場面は、アタッカ(切れ目なし)の部分もあれば、一段落してつながる部分もあるが、おおむね、全体がひとつにまとまっていると考えていいだろう。各場面ごと、作曲者によるサブタイトルが付いている。

【 I 】プロローグ~警察署長のテーマ(約2分弱)……カサノヴァを逮捕する敵役のテーマ。オペラ《トスカ》の警察長官スカルピアにあたる。

【 II 】カデンツァ~カサノヴァ登場(約2分)……カサノヴァが自らの無罪を主張する。哀しげなムード。

【 III 】裁判の日々(約2分半)……いよいよ裁判が始まり、カサノヴァの論告がつづくが、たくさんの女性が応援に押しかけてきており、意外と派手で明るいムードもある。

【IV】カサノヴァの逮捕(約3分弱)……結局カサノヴァの思うように裁判は進まず、「脱獄不可能」と言われるピオンビ刑務所に収監され。冷たくドアが閉じられる。曲は、ここで一段落する。

【V】妄想(約6分半)……監獄内。外からは賑やかな町のざわめきが聴こえてくる。カサノヴァは脱獄プランを練り始める。前曲の中で最もゆったりした部分である。ここでまた曲は一段落する。

【VI】「鉛の監獄」からの脱獄(約7分弱)……文字通り「鉛」で覆われた監獄の屋根。カサノヴァは、外部からの援助を得て、この屋根から脱獄する。チェロの見せ場で、迫真の描写がつづく。特に「屋根」の表現のうまさには脱帽する。そして「脱獄成功」シーンの迫力! やはりデ・メイはスゴイ作曲家だ。ぜひ実際に聴いてご確認を!

【VII】修道女M.M.とC.C.(約2分弱)……前の部分からつづく。脱獄に成功したカサノヴァは、ムラーノ島近くの修道院へ隠れこみ、修道女M.M.と淫行に耽る(ただし曲はたいへん上品で美しい)。さらにC.C.なる女性とも。彼女達は『回想録』の中で、「M.M.」「C.C.」とイニシャルだけで記録されており、どこの誰かは具体的には分らない(言うまでもなく修道女との交合は重罪であるが、彼は生涯に何度となくこの罪で追われている)。

【VIII】フィナーレとストレット~愛の勝利(約3分)……前部からそのまま明るく華やか、壮大なフィナーレになだれ込む。ラストで一瞬寂しげなムードになり、「いよいよカサノヴァも老いて引退か?」と思わせておいて、突然「とんでもない、まだまだヤルぞ~!」と叫ぶように終わるところが、何ともニクイ。

もちろんカサノヴァ=独奏チェロである。ある時は哀しく、ある時は陽気に、様々な表情を見せる。明らかに、チェロが加わったことで、通常の吹奏楽曲の枠を超える魅力を生み出している(チェロを、ユーフォニアム・ソロか、サクソフォーン・ソロで代行できそうな気もするが……やっぱ無理かな?)。

そして……聴いていると、明らかに、プッチーニ≪トスカ≫の影響がうかがえる。特に冒頭の部分などは、≪トスカ≫幕開けにそっくりだ。

それもそのはず。この曲は「プッチーニへのオマージュ」なのである。作曲者自身がはっきりそう述べているほどだ(「なぜプッチーニは、カサノヴァをオペラにしなかったのだろう」とさえ言っている)。つまりここでのカサノヴァは「カヴァラドッシ」であり「トスカ」でもある。警察署長(審問官?)は「警視総監スカルピア」なのだ。

吹奏楽にチェロを加えているバンドはけっこうあり、そのための曲もこれが最初ではない。だが、これほどチェロの色合いと吹奏楽とがきれいに合体した曲はなかなかない。

しかし、いったい何だってこんな人物が生まれたのだろうか。カサノヴァは、両親ともに俳優だったが、父親は別人だったとの説がある。そのせいか、両親は、カサノヴァに愛情をもって接してくれなかった。生涯、女性遍歴をつづけたのは、その裏返しとの見方がある。

また、彼が生きた18世紀中頃は、ヨーロッパ激動の時代だった。ハプスブルク家はマリア・テレジアによって全盛期を迎えていたし、彼の晩年にはフランス革命が発生している。モーツァルト≪ドン・ジョバンニ≫初演も見ており、台本構成に参加しているとの説もある(まるで自分のことを描いたオペラのように感じただろう)。

ひたすら女性と交わりながら、思いのままに生きたカサノヴァの行動は、自己のルーツと世相への反動だったのだろうか。そんなことを考えながら聴くと、なかなか味わい深い曲である。<敬称略>


【注1】カサノヴァの日本語表記は、ほかにも「カサノバ」「カザノヴァ」などいくつかあるので、検索の際には注意されたい。

【注2】『カサノヴァ回想録』は、数種の邦訳が出ていたが、いまはどれも入手困難。かつては岩波文庫版(岸田國士訳、全20巻)、河出文庫版(窪田般弥訳、全12巻) 、集英社版(田辺貞之助訳)などがあった。現在、この旧集英社版=田辺訳が、「デジタル書店:グーテンベルク21」http://www.gutenberg21.co.jp/index.htmlでダウンロード販売が開始されている(一部立ち読みも可能)。とにかくこの回想録は抜群の面白さで、特に脱獄の場面は圧巻である。

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