■吹奏楽曲でたどる世界史【第25回】海上クロノメーター(高精度時計)の発明(1700年代) ~ハリソンの夢(ピーター・グレイアム)

Text:富樫鉄火

●作曲: Peter Graham (1958~、イギリス)
●原題:Harrison’s Dream
●発表:当初、金管バンド版として作曲され、2000年10月、全英ブラスバンド選手権課題曲に。吹奏楽版は、2001年1月、アメリカ空軍ワシントンDCバンドによって初演。詳細はBP内のコラム<樋口幸弘の「ウィンド楽書(ラクガキ)ノ-トファイル」>参照
●出版:金管版はGramercy Music(イギリス)、吹奏楽版は Alfred Publishing (Warner Brothers Publishing、アメリカ)のDonald Hunsberger Wind Library版。
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/set-9641/
●参考音源:『Harrison’s Dream 』ロイヤル・マリーンズ・バンド(シェブロン)、『ハリソンの夢/P.グラハム』神奈川大学吹奏楽部 (カフア)ほか多数
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-0737/
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-0405/
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-0302/
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cdi-0031/
●演奏時間:約15分
●編成上の特徴:オーボエⅠ・Ⅱあり、イングリッシュホーンあり、バスーンⅠ・Ⅱあり、トランペットⅠ~Ⅳあり(Ⅳ番フリューゲルホーン持ち替えあり)、ユーフォニアムⅠ・Ⅱあり、チェロあり(オプション)、ハープあり、打楽器小物多数必要。単一パート内に2声(div.)多くあり。サックス+全金管楽器全員が小ベルを兼任。
●グレード:7

今回の曲≪ハリソンの夢≫の「ハリソン」とは、18世紀イギリスの時計職人ジョン・ハリソン(1693~1776)のことだ。つまりこの曲は、ジョン・ハリソンなる人物を題材にしたものなのである。いったい、何をやった人なのか。【注1】

ここに1冊の本がある。『経度への挑戦 一秒にかけた四百年』(デーヴァ・ソベル著、藤井留美訳、翔泳社刊)。まさしく、このジョン・ハリソンの生涯を描いた歴史読物だ。今回は、この本の内容を紹介する形で話を進める。【注2】

1707年、イギリス本国を目の前にしたシリー諸島近海で、霧に包まれたイギリス海軍の軍艦5隻のうち、4隻が、座礁したり衝突したりして沈没し、2000名もの兵士が水死する悲劇が発生した。「7つの海を制する大英帝国」にとっては、まことに恥ずべき大事故だった。原因は明確、「経度がわからなかった」せいである。

この当時、海図や羅針盤はあったが、正確な「経度」を計測する手法は、まだ発見されていなかった。

「経度」とは、地球を「南北に走る線」である。北極点からまっすぐ下へ伸び、赤道を通過して南極点を経由し、裏側で再び上昇して一周し、北極点でつながっている。

これに対して「緯度」は、地球を真横に輪切りするように走る「東西を走る線」だ。

目標物が天体以外にない大海を横切って移動するには、特にこの「経度」が正確に分からないと、目的地にたどり着くこともできない。当時は、おおよその方角に頼っている有様だった。1707年の大事故は、それゆえに起きた悲劇だった。

当時、もちろん「経度」の概念は確立していたが、それを正確に知る方法がなかった。なぜなら、「船の上で使える時計」がなかったからだ。

「緯度」は、天体の位置や、日昇・日没を手がかりに、ほぼつかむことができた。

だが「経度」は、船が出港した母港地の時間と、海上での現在時間が、それぞれ正確にわからないと、割り出せない。

地球は、24時間で一回転(360度)する。つまり、1時間で15度回転するわけだ。仮に、母港地の時間と、海上での現在時間に1時間の時間差があれば、その船は15度進んだことがわかる。だが地球は球状だから、赤道上だと、「経度」15度の差は1600キロになるが、そこから南北へ離れるにつれて、その距離は小さくなる。経度の差は、世界中どこでも「時間」は同じだが(1度=4分)、「距離」は、場所によって異なるのだ。だから、経度が正確にわからないと、自分たちの船がどこにいて、どれだけの距離を航行しているのかも、わからない。

当時の時計は、「振り子時計」か「ゼンマイ時計」である。しかし、常に揺れている船上で、振り子時計が役に立たないことは言うまでもない。当時のゼンマイ時計も、ゼンマイを巻いている間は針が止まってしまい、役に立たなかった。そうでなくとも、熱帯に行けば内部部品の金属が膨張し、寒冷地に行けば逆に縮んでしまい、動かなくなる。多湿地帯に行けば、あっというまに部品にカビやサビが発生し、止まってしまう。時計内部に刺す油も、寒冷地では固まってしまい、熱帯ではドロドロになって動きを止めてしまう。

いったい、揺れる船上で正確に時を刻み、あらゆる環境に対応する時計はないのか。経度を正確に知るための「海上時計」が開発されない限り、1707年の悲劇が、いつまた再発するか、わかったものではない。

業を煮やした大英帝国議会は、1717年に「経度法」を制定する。その中で、「海上で正確な経度を測定する方法を発見した者に、国王の身代金相当の賞金(現在の数百万ドル)を与える」と発表した。

これに反応したのが、天文学者たちだった。「ハレー彗星」の発見者で知られるハレーも、その一人だった。「海上時計」など、そう簡単にできるわけがない。だったら、太陽や月、星の位置から経度を割り出すほうが早い……あらゆる方法が研究されたが、一日中、太陽を見ているために、片目を失明する船員が続出したりした。結局、月の運行をもとに経度を測定する「月距法」が有利となった。だがこの方法は、分厚いデータブックをもとに膨大な計算をしなければならず、経度を割り出すまでに「4時間」もかかる有様だった。もちろん、嵐や曇天で天体が見えなければ測定はできない。それでも懸賞レースは、多くの天文学者たちによってリードされていた。

そこに、無名の時計職人が登場した。名はジョン・ハリソン。もともと大工だった。音楽が趣味で、聖歌隊の隊長などもやっていたが、学校にも行っていない無学な男……のはずだった。ところがこのハリソンは、いつしか時計に興味を持つようになり、大工をやめて時計を作るようになっていた。彼が、いつ頃から、なぜ時計を作るようになったのか、どのようにしてその技術を学んだのかは、いまでもよくわかっていないらしい。ただ、ほぼ「独学」であったことは、間違いないようだ。

懸賞の話を聞きつけたハリソンは、5年間をかけて、最初の海上時計第1号「H‐1」(ハリソン1号)を完成させた。上記、参考音源に挙げたロイヤル・マリーンズ・バンドのCDジャケットにある時計が、それだ。重さ34キロ、高さ2.1メートルのキャビネットにおさめられるほど巨大な時計だった。機能の秘密性を保持するため、内部構造はすぐには明らかにされなかったが、船上実験の結果、24時間で数秒の誤差しか生まれず、十分、海上時計として通用することが判明した(現在でも、ロンドンの博物館で、きちんと動いているらしい)。

だが、この大きさに実用性がないことはハリソン自身にも明白だった。改善点が多くあることも分かっていた。ここから、ハリソンの闘いが始まる。今回の≪ハリソンの夢≫は、ほぼ、その「闘い」を音楽にしていると考えて間違いない。

前述のように、当時の「経度測定法」開拓は、天文学者によって占められていた。天体の位置を測定して経度を割り出すか。あるいは、正確な海上時間を知って経度を割り出すか。ハリソンの闘いは、保守的な天文学者たちとの闘いでもあった。後半生の開発と戦いは、実質、息子に引き継がれた。

結局、数々の妨害を乗り越えて、最終的に使用可能な海上クロノメーター(高精度時計)が開発されるのだが、嫌がらせは長々と続き、懸賞金はハリソンの晩年まで、なかなか支払われなかったのである。

私たち日本人には、このジョン・ハリソンは、そう著名な存在ではない。だが、母国イギリスは、さすがに「7つの海を制した大英帝国」だけあって、彼に対する評価や人気度は、ずば抜けたものがあるようだ。

だから、彼をモチーフにした吹奏楽曲がイギリスで生まれたのも、当然といえば当然だった。

ただし、とんでもなく難しい曲になった。グレードは「7」と言われている。いったい、何だってこんなに難しい曲にしなければならいのか…とぼやきたくなってくるほどだ(しかも、この超難曲、もともとは「金管バンド」曲だったのである。イギリスの金管バンドのレベルが分ろうというものだ)。【注3】

特にストーリー・テリングな曲ではないが、最初に「時を刻む」様子が様々に入り乱れ、ハリソンが時計開発に苦労しているらしき様子が描かれる。同じ作曲者の人気曲≪ザ・レッド・マシーン≫が、超スピードで展開しているかのようである。中間部では、海上時計がなかったためにおきた数々の悲劇が回想されているようだ(この部分は、別途独立した≪エレジー≫なる曲としても発表されている)。

後半は、ハリソンの「夢」が実現し、海上時計が完成した栄光の部分であろう。時を正確に刻む時計の音が鳴り響く中、「栄光」の瞬間が訪れる、素晴らしいクライマックスが待っている。感情の爆発と冷静な知性が、たいへんバランスよく配置された名曲といえる。

というわけで、この曲は「時計」「時間」を吹奏楽で表現しているのである。しかも、≪おじいさんの古時計≫とか、≪シンコペーテッド・クロック≫などのような、のんびりした時計の話ではない。多くの悲劇を背景に背負った、生きるか死ぬかの「戦い」の世界なのだ。

この曲が日本で大きく注目されたのは、2003年の全日本吹奏楽コンクール全国大会・高校の部における、洛南高校(関西支部、京都府代表)の演奏だった。吹奏楽史上、最高難易度の曲を、すでに洛南名物になった「少人数」で、「楽器持ち替え」を駆使して見事にこなし、金賞を受賞したのだ(同年、川口市アンサンブル・リベルテも演奏して金賞を受賞している)。

作曲者ピーター・グレイアムは、イギリスの人気作曲家(作曲で博士号を取得しているようだ)。もともと金管バンド用の曲を多く作っていたが、昨今は、そのほとんどが吹奏楽版に移植され、世界中で演奏されている。特に≪ゲールフォース≫≪ザ・レッド・マシーン≫≪地底旅行≫などが人気を呼んでいる。【注4】

なお≪ハリソンの夢≫(吹奏楽版)は、2002年オストワルド賞を受賞した。
<敬称略>
※この曲の吹奏楽版の楽譜は、アメリカのAlfred Publishing (Warner Brothers Publishing内のレーベル)から発売されているが、Donald Hunsberger Wind Libraryシリーズの中の一点で、しかも、オリジナルが金管バンド曲だったせいか、日本では、時折「グレイアム作曲、ハンスバーガー編曲」といったような紹介のされ方をしている。これは間違いで、グレイアム自身によって、最初の金管バンド作曲とほぼ同時に吹奏楽版も作られたのである。ちなみに「Donald Hunsberger Wind Library」とは、ハンスバーガー自身が推薦・公認(または監修)したシリーズのこと。


【注1】この曲の日本語表記は「ハリソン」「ハリスン」の2種類がある。検索などの際には、ご注意を。

【注2】この本は、現在絶版で、一般書店では入手不可能。古書店や図書館で探されたい。

【注3】イギリスの金管バンドによる名演がいくつかCD化されているので、ぜひお聴きいただきたい。その柔らかで美しい響きは、普段「吹奏楽」のみに接している方には、たいへん新鮮に感じるはずだ。

【注4】作曲者Peter Grahamの日本語表記も、「グレアム」「グラハム」「グレイアム」など、数種類ある。今回は、バンドパワーでの表記に従って「グレイアム」とした。

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