■吹奏楽曲でたどる世界史【第14回】イエス・キリスト(その1…生涯) ~交響曲第2番≪キリストの受難≫(フェルレル・フェルラン)

Text:富樫鉄火

●原題:La Passio de Crist~2a Sinfonia para Banda
●作曲:フェルレル・フェルラン Ferrer Ferran
●発表:2001年、FSMCVシンフォニック・バンド(スペイン・バレンシア)、作曲者自身の指揮で。
●出版:IBER MUSICA(スペイン)
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/set-8143/
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/msc-6017/
●参考音源:「La Passio de Crist」(WWM)、他
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-0361/
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cd-2245/
●演奏時間:約40分(約8分+約12分+約20分)
●編成上の特徴:たいへん巨大。標準編成を上回る部分……オーボエとバスーン各1・2、イングリッシュ・ホーンあり、テナー・サクソフォーン1・2、フリューゲル・ホーン1・2、トランペットとトロンボーン各1~4、ユーフォニアムとテューバ各1・2、ピアノ。ティンパニ以外に、鍵盤1・2、パーカッション1~3あり(小物が大量に必要。木板や鉄床も)。
●グレード:6超

「紀元前」のことを「B.C.」と表記するが、これが英語表記「Before Christ」(キリスト以前)の略であることは、ご存知だと思う。これに対し、「紀元」=「西暦」を「A.D.」と表記するのは、ラテン語「Anno Domini」=「主の年に」の略である。だから、言うまでもないが、今年を「西暦2006年=2006 A.D.」と称するのは、「キリストが生まれてから2006年目」の意味なのである。

キリスト誕生を境に年代表記を分ける考え方は、おおよそ17世紀頃に確立したそうだ(その後の研究によると、実際にキリストが生まれたのは、紀元前7~4年頃が正確らしい)。

そんな、年代表記の指標にまでなった男イエス・キリスト。彼の登場で、その後の人類の歴史は大きく変わってしまうのだが、とてもそんな話、筆者の手には負えない。

また、キリストを題材にした音楽はほぼ無限にあり、吹奏楽曲だけでもかなりの数にのぼる。これもまた、まともに解説し始めたのでは、連載終了以前に、私の方が天国に行ってしまう。そこで、主だった曲に絞って、3回ほどに分けて紹介したいと思う。

まず今回は、近年これほど話題になった吹奏楽曲はなかったのでは……とさえ思えるフェルランの、交響曲第2番≪キリストの受難≫である。

原題をご覧いただきたい。≪La Passio de Crist(ラ・パッショ・デ・クリスト)≫。作曲者フェルランも楽譜出版社もスペインなので、スペイン語表記になっているのだが、英語だと≪The Passion of Christ(ザ・パッション・オブ・クライスト≫。

この「Passion」とは、通常「情熱」などと訳されるが、語源はラテン語で「殉教」「受難」を意味した。全人類の罪を一人で被った、キリストの災難(磔刑)のことだ。有名なバッハの≪マタイ受難曲≫も、英語読みだと≪マタウス・パッション≫となる(念のため言っておくが、この曲は「マタイが受難した曲」ではない。「マタイが書いたキリスト受難物語の音楽」である。つまり「パッション=受難」といえば、キリストのことなのである)。

そういえば、メル・ギブソンが監督してキリスト最後の12時間を描いて話題となった2004年の映画があったが、その題名『パッション』(原題『The Passion of The Christ』)も、意味は「(キリストの)情熱」ではなく、「(キリストの)受難」である。

だから、さらに余談になるが「パッション・フルーツ」なる果物、あれも「情熱の果実」の意味ではない。「受難の果実」なのだ。この果物の原産地は南米である。大昔、スペインから布教のため、南米にやってきた宣教師たちが、この果物の「花」を見て、かつて聖フランチェスコが夢に見たと言われている「十字架上の花」と信じた。そこで、この花を「受難の花」と呼ぶようになり、その果実が「受難(パッション)の果実(フルーツ)」となったのである。

しかし考えてみれば、「キリストの受難」に、いつしか「情熱」の意味が加わったわけで、このあたりはやはりキリスト教文化の中にいないと、なかなか理解できない感覚のようである。

話がそれまくったが、問題は、フェルランの吹奏楽曲≪キリストの受難≫だ。巨大編成、全3楽章でキリストの誕生から磔刑までを描く、約40分のとんでもない超大作である。

各楽章に副題が書かれている。

【第1楽章】誕生~幼児虐殺~洗礼
【第2楽章】三つの誘惑
【第3楽章】聖堂到着~最後の晩餐~逮捕~判決~磔刑~希望

さらに、要所に、『新約聖書』の中の文言が書かれており、タイトルは≪キリストの受難≫ながら、ほぼ≪キリストの生涯≫と呼んでもいい内容になっている。同時に、全体が、具体的な場面描写によって出来上がっていることがわかる。つまり、決して抽象的な音楽ではなく、まるで映画音楽のように、分りやすい作りになっているのである。キリストの誕生から、十字架に架けられ死刑となり、やがて彼の死から新たな希望が生まれるまでを、まことに壮大に描いている。舞台となった中東の香りが漂う部分もあって、描写力抜群だ。以前に、アッペルモントの音楽描写のうまさを述べたことがあるが、さすがにアッペ君も、この曲の前ではひれ伏さざるを得ない。

しかし、そもそもイエスは、何をして、なぜ、死刑になったのだろうか。いや、それより、イエスなんて人、ほんとうにいたのだろうか。

実際、イエスの実在を科学的に証明する史料類は、「ない」そうだ。『新約聖書』は、イエスの様々な言動や伝記(福音書)を何種類もまとめた「全集」であるが、それらに書かれたイエス像も、ことごとく、違っている。考古学的にも、福音書のほとんどは、西暦1世紀頃にまとめられたと言われている。イエスの死後だ。だから、『新約聖書』の中に「イエスに直接会った人の証言」は、ないのである。

かように納得できない部分は多々あるものの、『新約聖書』によれば、イエスはおおむね、以下のような生涯を送っている。そして、曲も、ほぼ、この流れにそって進む。

母マリアは、婚約者ヨセフと知り合う前に、聖霊により懐胎する(処女懐胎)。それから2人は結婚して、男の子が生まれ、イエスと名づけられた。イエスはナザレで育つ。

ある時イエスは、ヨハネの洗礼を受け、荒野で40日間断食し、悪魔の誘惑を受けるが、それらも見事に退ける。

その後イエスは、ユダヤ教の改革を目指して宣教をはじめた。ユダヤ教では「法を守る」ことが重要だったが、イエスは、法を守れなかった者にも、救いの道はあると説いた。やがて弟子が集まり、特にその中の12人は側近となり、「十二使徒」となった。ともに各地を回って、いよいよ、当時の大都市エルサレムに行く。

だが、「神の子」を自称した罪で逮捕され、裁判のあと、ローマ帝国に引き渡され、十字架に架けられて死刑となった。遺体は埋葬されたが、3日後に復活する。40日地上にいたイエスは、ようやく昇天する。後年、弟子たちによってイエスの教えを広める活動が始まり、その宗教が「キリスト教」となった。

もし、≪キリストの受難≫を演奏したり、聴いたりするのであれば、最低限、これくらいの流れは基礎知識として持っておきたい。

ただ、何度も言うが、まことに超大作である。難易度も「超」レベルだし、楽器編成を完備させるだけでもラクではない(そもそも、楽譜セット代も、BPショップ価で78000円と、なかなか高価である。長い曲だから、それだけ分量も多く分厚いので、これほどの価格になってしまうのだ)。

演奏も大変なら指揮も大仕事。これだけの音楽詩をきちんとまとめ上げることは、なかなか大変であろう。そもそも、全3楽章を通して、一人の人物の一生を描くのである。だから、コンクール自由曲にするのでなければ、抜粋演奏は、意味があるとも思えない。最後は、単なるキリスト精神の表現を超えて、全人類の未来を描いているかのようである。挑戦する以上は、それこそ「殉教(パッション)」するつもりで、「情熱(パッション)」を維持させる必要があろう。

作曲者フェルランは、1966年、スペインのバレンシアに生まれた。15歳で、ピアニスト、打楽器奏者として独立したほどの早熟ぶりだったようだ。ヨーロッパ各地の音楽大学やバンドで指導・指揮しており、すでに以前から吹奏楽曲は書いていたが、何と言っても、この≪キリストの受難≫の爆発的人気で、世界的名声を得た。今後も注目しておきたい作曲家である。

※作曲者「Ferran」の発音表記は、正確に書けば「フェッラン」といった感じで、実際「フェラン」と表記されることもある。今回は、バンドパワーで「フェルラン」と表記しているのでそれに従ったが、検索などの際には、何種類か試していただいたほうがいいと思う。

<敬称略>

コメントを残す