◎インタビュー&文:多田宏江
2010年1月24日 Butlins Contest 会場にて
▲Philip Harper
http://www.philipharper.co.uk/(英語) |
6月から名門バンド、レイランドの指揮者に就任することになったフィリップ・ハーパー氏。彼は日本に約2年住んだこともある、イギリス・ブラスバンド界の親日家の一人です。
今年(2010年)のナショナルズ地区大会では彼の作曲した「Kingdom of Dragons」が2ndセクションの課題曲として選ばれ、全国の2ndセクション・バンドがこの曲を演奏します。指揮者、作曲家として大人気のフィリップ・ハーパー氏は、ブラスバンドの有名雑誌ブラスバンド・ワールド(BBW)の編集者としても活躍されています。そんな彼の指揮で1月、コンテストに出場しました。ここはインタビューのチャンス! コンテストの合間にインタビューをさせていただきました。
■どのようにテナーホーンを吹き始めましたか?
フィリップ:私はイングランド南部で育ちました。南部はブラスバンドの文化的伝統がランカシャーやヨークシャーほど強くない地域でしたが、実家の近所でローカルバンドの代表をされている方がいて、その方の家にバンドの宣伝チラシが貼ってありました。
当時7歳ぐらいだったと思いますが、母に趣味をみつけるように勧められ、その近所の方に連絡してバンドに入ることになりました。楽器はバンドの人から渡され、自分で選んだ記憶はなく、その楽器がテナーホーンだった、という感じでテナーホーンを吹き始めました(笑)。
■そのローカル・バンドはどんなバンドでしたか?
フィリップ:私の育ったローカルバンドには、ビギナーズバンド、ユースバンド、Bバンド、Aバンド(4thセクション)とあり、私はビギナーズバンドからスタートしました。ある程度吹けるようになるとユースバンド、さらにBバンド、最後にはAバンドというように全部合わせて10年はいたと思います。若い人たちから、年配の方までたくさんの人たちが活発に活動しているバンドでした。
■ナショナル・ユース・ブラスバンド・オブ・グレードブリテンではプリンシパル(首席)テナーホーン奏者にもなられたそうですね。その時のことについて教えていただけますか?
フィリップ:私の先生の勧めでオーディションを受けて入りました。有名な指揮者やソロ・プレイヤーと出会い、一気に人脈が広がりました。ブラスバンドが活発なランカシャーやヨークシャーの文化的伝統をナショナル・ユースで感じたように思います。ここから私の多くのドアが開いたと思います。
■さらに、BBCヤング・ミュージッシャン・オブ・ザ・イヤー1991年では、ファイナリスト(決勝戦)まで進まれましたとお聞きしました。その時の経験について教えてください。
フィリップ:良い経験になりましたね。同じ年のファイナリストには、ブラック・ダイク・バンドのソロ・トロンボーン奏者のブレッド・ベーカーさんやフォーデンスのソプラノ奏者だったトレイシー・レッドフォードさんがいました。このコンテストにテナーホーンでファイナリスに残ったのは私が初めてだったと記憶しています。
■その後、ブリストルの大学を卒業されて、日本に行かれましたよね。日本での体験を教えていただけますか?
フィリップ:それまで海外旅行に行ったことはあっても、2週間以上海外にいるような体験は日本が初めてでした。JETプログラムのALT(外国語指導助手)の先生として埼玉県の中学校で2年間働きました。はじめの契約は1年でしたが、もう一年契約を延長したぐらい充実した楽しい日々でした。
当時の家は東武東上線の駅に近く、池袋にも出やすかったので東京にもよく行きました。東京ブラスコンコードで井上先生の指揮で演奏したほか、ブラスバンドのソロ奏者として、当時日本にあったほとんどのブラスバンドにゲスト演奏しました。毎週、朝霞市民吹奏楽団の練習に参加するなど地域の吹奏楽団にも所属し、日本では吹奏楽人口がものすごく多いのに対して、ブラスバンド人口が少ないことも知りました。
私の妻は日本人です。なぜ日本に行くことを決めたかといったら、彼女との出会いが大きく影響していますが、世界を見たいという気持ちが強かったからです。日本に行き、日本の文化、エチケットが身近になり、歴史を学び、人脈が広がる中で自分の世界観を大きく広げることができました。イギリスだけに住んでいた22歳ぐらいまでは、世界にある、たくさんの国々が、それぞれの生活・文化を持っているということを本当の意味ではわからなかった。だから、日本を知ることができたとともに、そこから世界中に視野が広がりました。それぞれ違う国の人々の、それぞれの生き方があるということを知りました。
あとは、体格の違いもおもしろかったですね。
■背が高いですよね! 身長はどのくらいですか?
フィリップ:198cmあります。 日本人の平均身長は私よりもちょっと小さいので、普段の生活で難しいこともありました。すべてが私には小さすぎました。住んでいた家でも、体を屈めてドアをくぐっていましたね。おもしろかったですよ。
街に出る時も私の身長は、人ごみの中で抜きん出てしまっていました。日本語がわかるようになってくると、道を歩いている人たちの会話も理解できるようになってきて、街の人たちによく噂され(身長が高いこと)、それも聞き取れるようになりましたね(笑)。
旅行もしました。古いお寺や建物を訪ねたり、歴史を調べたり、素晴らしい友達もできました。最近は仕事が忙しくて、日本に行きたいと思ってもなかなか行けませんでしたが、この夏、5年ぶりに日本を訪れます。とても楽しみにしています。
■日本からイングランドに戻り、本格的に指揮者としてキャリアをスタートされましたが、何かきっかけはあったのですか? 影響を受けた指揮者はいますか?
フィリップ:日本でソロイストや、演奏をいっぱいしてイングランドに戻ると、私にとって、全てが人生の再スタートでした。特に影響を受けた指揮者はいませんが、自分の中で自然に指揮をしたいと思うようになり、フラワーズバンドでは8年指揮をしました。
■6月から正式にレイランドの指揮者に就任されますよね。そのことについてお聞かせください。
フィリップ:イングランドのトップバンドの一つ「レイランド」で指揮を振れることは、大変光栄なことです。ブラスバンドの新しい可能性に挑戦しようというイノベーション意識を、私もレイランドも共通に持っています。考えた方がオープンで、これから色々なプロジェクトも待っています。イングランドのブラスバンド人気は減少傾向にありますが、そこをこのバンドと一緒に押し上げていきたいです。
■あなたにとって音楽はどんなものですか?
フィリップ:音楽は、形のある目に見えるものではないですよね(Music is no tangible things)。ほら、ここに音楽があるよ、とは言えない。人の心、感情と切っても切り離せないものだと思います。指揮者として音楽から、その感情を最大限引き出したいですね。いろんなところでいろんな人が、日々音楽から影響を受けている。そして世界中の人々の生活の中に必ず音楽があるはず。ユニバーサルなとてもパワフルな力を持ったものだと思います。
http://item.rakuten.co.jp/bandpower/cdi-0113/
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【収録曲】 |