【コラム】富樫鉄火のグル新 第382回 松本零士さんの閉じなかった「指環」

松本零士さん(1938~2023)は、福岡の久留米で生まれた。父親が陸軍航空隊のテスト・パイロットだった関係で、戦時中は各地を転々としていたが、終戦時(小学校3年)に小倉(現在の北九州市)に移り、以後、高校を卒業して上京するまで、小倉で育った。
終戦直後、道端に、いまでいう粗大ゴミの山がよく積まれていた。戦死したひとの遺品だった。
あるとき、松本さんは、そのゴミの山のなかから、大量のSPレコードを拾ってくる。家で蓄音機にかけると、地の底からうめくようなオーケストラの音が響いてきた。ワーグナーの〈ジークフリートの葬送行進曲〉だった。超大作《ニーベルングの指環》四部作の最終曲《神々の黄昏》の音楽だ。
これがきっかけで、松本さんは、クラシック、特にワーグナーに魅せられるようになるのだった。

1990年ころのことだったと思う。
上記の体験談を、すでに何かで読んで知っていたあたしは、松本さんに、「《ニーベルングの指環》をSF漫画にしてみませんか」と提案してみた(すでに何回かお会いして、ワーグナー話などで意気投合していた)。
このとき、松本さんが視線を合わせて目がキラリと真剣に光ったのを、いまでも覚えている。松本さんはサービス精神満点の方なので、リップサービスも多い。どんな話でも、笑顔で、いかにも乗り気のように応じてくれる。だがそれらはほとんどが”サービス”で、そう簡単には実現するものではない。しかし、”本気”になったときは、視線を合わせて目がキラリと光るのだ。

さっそく、話は進んだ。
「宇宙を統一できる指環の所有権をめぐって、神々の一族と、人間たちが争奪戦を繰り広げる話にしましょう」
お互い、ワーグナー・マニア、特に《ニーベルングの指環》好きとあって、話はいつまでも終わらなかった。あんなに楽しかった打合せは、あとにも先にもない。
「人間側は、ハーロック、トチロー、エメラルダス、メーテルたちのオールスターでいきましょう。彼らの幼少時代も描いてみましょうか」

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