■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第171話 ドス:交響曲第3番「シンフォニー・オブ・フリーダム」の完成

▲Thomas Doss(2018年6月18日、東京、黒沢ひろみ氏提供)

▲Manuscript Score – Sinfonie Nr. 3 Sinfonie der Fteiheit(Thomas Doss、2019年)

2019年(平成31年)2月22日(金)、オーストリアの作曲家トーマス・ドス(Thomas Doss)から一通のメールが届いた。

驚いたことに、それには、出来上がったばかりの新曲のマニュスクリプト・スコアが添付されていた。“マニュスクリプト”は本来“手書き”のものに対して使われるワードだが、現代のマニュスクリプト・スコアは、たとえそれがコンピュータ・ソフトを使って作られたものであっても、ぺンや鉛筆で楽譜が書かれた時代の名残りで慣例的にそう呼ばれる。大抵の場合、作曲者の“自筆譜”と同じ扱いを受ける完成初稿を意味する。

また、それは同時に、出版社等に作品を見せる前の、まだ作曲者が全ての権利を有しているスコアであるという意味合いを有している。

この曲の場合、スコア上の複製権(著作権)を示すコピーライト・ラインには、Copyright by Thomas Doss Manuskript Ausgabe と明示されていた。

『ディアー・ユキヒロ

元気にしているかい!ちょっと知らせたいことがある。6月に書いたとおり、私は今、交響曲第3番を仕上げたところだ。初演は、2020年1月だ。キミのために、マニュスクリプト・スコアを添付したので見て欲しい。この曲は、7月以降は、自由に演奏していいようになる。

トーマス』

これが発信されたとき、突然のPCクラッシュと自身の体調不良で3週間あまり寝込んでいた時期とがたまたま重なったため、実際に筆者がメールを読んだのは、6日後の2月28日となった。だが、その内容はとても刺激的なものだった。

ここで時系列を少し整理しておきたい。

まず、メール文中の“6月”は、鈴木孝佳指揮、タッド・ウインドシンフォニーが「第25回定期演奏会」(2018年6月15日、杉並公会堂大ホール)で彼の新作『アインシュタイン(Einstein)』の本邦初演を行なった際、それに立ち会ったトーマスが、帰国後に送って寄こした“2018年6月末のメール”をさしている。実は、彼は、その中で“今、交響曲を書いている”と近況を報せてきていたのだ。ただ、いろんなジャンルの曲を書く作曲家だけに、その時点では、その“交響曲”が管弦楽編成なのか、吹奏楽編成なのか、はたまた他の編成のものなのか、何も触れられてなかったので、それ以上に話題を膨らませることはしなかった。しかし、いずれにせよ、今度の2019年2月のメールでそれが完成したことがわかった。そして、これが、今回のストーリーの起点となった。(参照:《第50話 トーマス・ドスがやってきた》)

また、後ろの方に出てくる“7月”は、明らかに作品初演後を意識したくだりに書かれているので“2020年7月”を意味する。即ち、同年7月以降は、委嘱者のプロテクト(独占演奏権)が解けて、楽譜さえ入手できれば、誰でも演奏可能になるということを意味していた。

つまりは、暗に“日本で演奏してくれるところがあれば、いいなぁ”という、筆者への個人的なリクエストも込められていると、このとき感じた。

しかし、トーマスが交響曲を書こうと思い立ったのはいつだったのだろうか。その後の経緯から、その時点で彼が何らかの委嘱を引き受けていたことは確かだが、今振り返ると、思い当たるそのタイミングは、タッド・ウインドシンフォニーが『アインシュタイン』を本邦初演したときのリハーサルで、フィリップ・スパーク(Philip Sparke)の交響曲第1番『大地、水、太陽、風(Symphony No.1 ? Earth, Water, Sun, Wind)』を初めて耳にしたときだったような気がしてならない。

フィリップが、グスタフ・マーラー(Gustav Mahler、1860~1911)への明らかな傾倒を隠すことなく示した初のシンフォニーだ。指揮の鈴木孝佳さんのアプローチもひじょうに繊細で、自作以外の作品にもかかわらず、トーマスも真顔で聴き入っていた。

そして、そのリハーサルのあと、トーマスは、リンツの自宅にフィリップを招いたときに交わした議論など、しきりにフィリップとの話題を口にするようになった。

敬愛するアントン・ブルックナー(Anton Bruckner、1824~1896)が眠るリンツに暮らすトーマスと、マーラーの音楽をリスペクトするフィリップの間に音楽談義が交わされたというだけで興味深いが、それをタッドのリハーサル後に大きな身振りをまじえながらものすごい勢いで話すトーマスの姿を見て、突然“何かのスイッチが入ったな”と感じたのは事実だった。(参照:《第125話 スパーク:交響曲第1番「大地、水、太陽、風」の衝撃》)

こいつは面白い!!

タッドのリハーサルのときのシーンを想い出して、今度の新曲に一気に関心をもった筆者は、早速、添付ファイルのスコアを開く。すると、表紙には、ドイツ語で“Sinfonie Nr. 3 Sinfonie der Fteiheit”と曲名が書かれてあるのを発見。それを英語に訳すと、“Symphony No.3 Symphony of Freedom”、日本語だと、交響曲第3番『シンフォニー・オブ・フリーダム』となる。いいタイトルだ。編成は、ドイツでいうブラースオルケスタ、即ちウィンドオーケストラで、演奏時間はおよそ30分。3楽章構成の立派な交響曲だ。

また、曲名の上部に付記された「ノルトライン=ヴェストファーレン州ブレサー・フィルハーモニーの委嘱により(Im Auftrag der Blaser philharmonie NRW)」という献辞から、作品が、ドイツのノルトライン=ヴェストファーレン州音楽評議会と同州青年アンサンブル推進協会が組織・運営する州内から選抜した優れたメンバーによる青少年吹奏楽団(ユンゲ・ブレサー・フィルハーモニー)のために委嘱されたものであることがわかった。ドイツでは、州単位や地区単位でこのような組織が作られ、将来を担う若者たちの音楽活動をサポートしている。これもそんな組織のひとつである。

そして、マニュスクリプト・スコアには、表紙に続き、国連人権憲章の世界人権宣言第一条がドイツ語で書かれていた。

“すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。 人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない。”

また、作品は、ノルトライン=ヴェストファーレン州ユンゲ・ブレサー・フィルハーモニーが2020年1月に企画した「GREETINGS TO BEETHOVEN(ベートーヴェンへの表敬)」というベートーヴェン関連楽曲だけで構成されたシリーズ・コンサートのための委嘱作品で、作曲の経緯も手短かに書かれている。

『委嘱を受けたとき、2020年に生誕250年の誕生日を迎えるルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770~1827)との関連性を築き上げることがクライアントの願いでした。アントン・ブルックナーの音楽に近似性をもたらしたベートーヴェンの節目の誕生日は、彼の卓越した人生の理想、つまり人間の自由とフランス革命の理想を強調する理由になるはずです。自由-平等-友愛、これらの価値観は、国連人権憲章の世界人権宣言の第一条にも記載されています。』

交響曲は、つぎの3つの楽章で構成されている。

第1楽章:Schrei nach Freiheit(自由を求める叫び)- Allegro risoluto

第2楽章:Traum der Freiheit(自由の夢) – Andante calmo

第3楽章:Freiheit uber alles(何よりも自由)- Vivace

世界初演は、2020年1月5日(日)、ドイツ・ノルトライン=ヴェストファーレン州ライネのシュタットハレ・ライネ(Stadthalle Rheine)において、ティモール・オリヴァー・チャディク(Timor Oliver Chadik)指揮、ノルトライン=ヴェストファーレン州ユンゲ・ブレサー・フィルハーモニーの演奏で行なわれ、1月10日(金)にはアーハウスのシュタットハレ・アーハウス、11日(土)にはジーゲンのジーラントハレ・ジーゲン、18日(土)にはギュータースローのシュタットハレ・ギュータースローと、初演に続いて州内の3都市でも演奏された。

一方、“ベートーヴェン・イヤー2020”のためにトーマスが交響曲を書いたというニュースは、ヨーロッパ各国で拡散され、プロテクトもなんのその、早速、2020年2月2日(日)、ポルトガル、アルベルガリア=ア=ヴェーリャ(Albergaria-a-Velha)のシネテアトロ・アルバ(Cineteatro Alba)において、パアロ・マルチンス(Paulo Martins)指揮、アミーゴス・ダ・ブランカ吹奏楽団(Associacao Recreativa e Musical Amigos da Branca)のポルトガル初演が決まるなど、ドイツ以外の国での演奏がつぎつぎと企画され、日本でも、6月5日(金)、杉並公会堂大ホールにおいて、鈴木孝佳指揮、タッド・ウインドシンフォニーによる本邦初演が行なわれることになった。

しかし、ここで誰もが予期しなかった事態が発生する。

それは、世界的なコロナ禍の襲来だった!

▲▼プログラム – GREETINGS TO BEETHOVEN(2020年1月5日、Rheine、Germany)

「■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第171話 ドス:交響曲第3番「シンフォニー・オブ・フリーダム」の完成」への1件のフィードバック

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください