■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第167話 交響詩「モンタニャールの詩」日本初演

▲▼Orchestre d’Harmonie du Val d’Aoste パンフレット

このストーリーは、1997年(平成9年)1月31日(金)にベルギーのコンティフ(Kontich)から投函された普通便扱いのスモール・パケット郵便物と、その後、2月17日(月)に発信された一通のFAXから話がスタートする。

差出人は、いずれもベルギーの作曲家ヤン・ヴァンデルロースト(Jan Van der Roost)。

FAXが届いたとき、先に発送されたパケットの方は未着だったが、後日それが届いたときに内容物を確認すると、中にはDATテープとカセット・テープが各1本と、パンフレットが1冊入っていた。添えられていた簡単なメモ書きによると、DATは、当時、彼が教鞭をとっていたベルギーのレマンス音楽院(Lemmensinstituut)のシンフォニック・バンドのライヴ録音で、ふたりの共通の友であるオランダ人作曲家ヨハン・デメイ(Johan de Meij)が客演指揮をした交響曲第1番『指輪物語(The Lord of the Rings)』の第1楽章と第5楽章、そしてヤンが指揮をした自作の『ホルン・ラプソディ(Rhapsody for Horn, Winds and Percussion)』が、カセットには、最近、ピーター・ヤンセン(Pieter Jansen)指揮、オランダ王国陸軍バンド(Koninkilike Militaire Kapel)によってレコーディングされた新作の『モンタニャールの詩(Poeme Montagnard)』のファースト・エディットが入っており、パンフはその新作を委嘱したイタリアのヴァル・ダオスト吹奏楽団(Orchestre d’Harmonie du Val d’Aoste)のものだと書かれていた。イタリア北部の、普段はフランス語が話されている地域の楽団だ。

一方、FAXには、注意喚起のためか強調のためか、わざわざ“近況”という文字が記され、文面もパケットのコンテンツを補完する内容で、両者を合わせると話がひとつにまとまる感じだ。

そして、筆者が、ヤンの交響詩『モンタニャールの詩』の曲名と初期情報に接したのも、このときが始めてだった。

どこかでお話ししたかも知れないが、ヤンは反応がすぐに返って来ないと心配になる性分だ。このときは、彼が先に送り出したパケットを実際にはまだ受け取っていなかったので、こちらには何の落ち度もないが、相手はもう届いているはずだと確信しながらFAXを送ってきた様子だ。なので、FAXは、事実上の返信を催促するプレッシャーのように映る。つまりは、それだけ筆者の最初のアクションが気になって仕方なかったのだろう。

FAXの本文は、『“モンタニャールの詩”は、大編成のシンフォニック・バンドのための Symphonic Tone Poem(交響詩)で、演奏時間は15分前後。少なくとも“スパルタクス”と同じ程度の難易度だ。』に始まる。

ヤンがここで引き合いに出した“スパルタクス”とは、彼との交友がはじまるきっかけとなった1988年作の交響詩『スパルタクス(Spartacus)』のことだ。そのときは、まずスコアを入手した後、彼との質疑応答をへて楽譜を購入。知人が指揮をする大阪や京都のバンドに紹介するといずれもたいへんな好評で、その後、月刊誌「バンドピープル」1990年12月号(八重洲出版)の連載《名盤・珍盤・かわら版、パート125》やオランダ盤CDなどを通じて紹介を重ねると、日本国内で一気に火がつき、編成規模の大きなオリジナルなのであまり売れないかも知れないと考えていたオランダの出版社デハスケ(de haske)の予想をはるかに上回る部数の楽譜が日本向けに輸出されたというエピソードをもっている。同時に、ヤンの名も一気に知られるところとなった。(参照:《第78話 ヴァンデルロースト:交響詩「スパルタクス」の物語》)

後日談だが、個人的に不思議に思ったのは、我々が知り合う少し前、商談のために来日したデハスケのマネージャーが、東京佼成ウインドオーケストラやヤマハを含む在京の大手楽譜ディーラーに楽譜を持ち込んだものの、行く先々でまるで相手にされなかったと聞かされたことだ。あんないい曲なのに。今では笑い話のようだが、当時は、バンド用のオリジナル作品の楽譜と言えば“アメリカもの”という当時の業界の固定概念がそうさせたのかも知れない。

ヤンのFAXは、その後こう続く。

『それ(モンタニャールの詩)は、イタリアのセミ・プロフェッショナル・バンドによって委嘱され、イタリアでの初演は、ボクが振った。初演は本当に大成功だった。過去数年来の自作のベストであり、もっともオリジナリティーにあふれる作品のひとつだと思う。しかし、…、作品はとても難しい。』

ここまでを読んでピンときたが、今度の『モンタニャールの詩』という交響詩は、相当な自信作のようだ。つまりは、それを日本でお披露目をする機会を作ってほしいということなんだろう。まだスコアは見ていないが、そうだとすると、日本での紹介は、少なくとも作品のステータスにふさわしいかたち、即ちプロフェッショナルによる演奏で評論家が入るようなクリティカルなコンサートで評価されるべきだと、瞬間的にそう思った。

そうなると、演奏者や演奏機会は限定される。

ときは1990年代の半ばを過ぎたあたり。ちょうどその頃、木村吉宏さんが団長兼常任指揮者をつとめる大阪市音楽団(市音、現Osaka Shion Wind Orchestra)は、間違いなく一時代のピークを迎えていた。また、Bbクラリネットの3パートに各4名の奏者を配すなど、木管を中心に多くの種類の楽器を使うヤンのオーケストレーションに即応できる充実した編成をもっていた。レコーディングも活発で、年2回開催される定期演奏会では、前述したヨハンの交響曲第1番『指輪物語』、同第2番『ビッグ・アップル(The Big Apple)』、フィリップ・スパーク(Philip Sparke)の『シンフォニエッタ第2番(Sifonietta No.2)』、ジェームズ・バーンズ(James Barnes)の『交響曲第3番(Third Symphony)』などの初演や本邦初演をつぎつぎと成功させていた。(参照:《第59話 デメイ:交響曲第1番「指輪物語」日本初演》、第143話 デメイ:交響曲第2番「ビッグ・アップル」日本初演》)

もちろん、話を持ちかける相手として不足は無い!

また、以上4曲を定期で取り上げることを木村さんに提案した張本人が、偶然、すべて筆者だったため、木村さんが今度のヤンの最新作にも関心を寄せることはまず間違いないと、妙な確信を持っていた。ただ、またまた未知の新曲だけに、市音のプレイヤーさんにとっては、いい迷惑だったろうが…。

唯一心配だったのはスケジューリング、つまりどの演奏会で取り上げてもらえるか、という点だけだった。というのは、市音の年2回の定期の選曲は、ほぼ1年前から始まっており、1997年のケースだと、6月10日(火)の第74回(指揮:ハインツ・フリーセン、ザ・シンフォニーホール)のための曲も10月30日(木)の第75回(指揮:木村吉宏、フェスティバルホール)のための曲も、かなり早い時点にフィックスされていた。また、演奏予定曲にいわゆる“初演もの”が入っている場合、これまた早い時点から権利者との長い折衝がはじまっていた。

さて、そんな市音にヤンの送ってきたカセットを持ち込んで、木村さんと一緒に聴いたのは4月11日(金)の午後だった。

テープを一聴後、木村さんはこう言った。

『これなぁー、楽譜、いつもらえるんや?』

もう、やる気満々である。そこで、“ヤンのオリジナル譜は鉛筆書きなんで、デハスケでの浄書はかなり時間がかかりますが、恐らく秋には大丈夫だと思います”と返すと、『そうか。それやったら、これなぁー、11月の東京公演でやらせてくれへんか?』との想定外の回答が返ってきた。なんと、11月15日(土)、東京芸術劇場で開催する市音初の東京公演で演奏したいというのである。しかし、確か東京用のプロは、大栗 裕の『大阪俗謡による幻想曲』や前述したバーンズの『交響曲第3番』なんかですでに固まっていたはず。それを確認すると、こう返ってきた。

『プログラム(編成委員)がなかなかええアイデア出してくれてるんやが、“初演もの”がないんや。しかし、これを入れると立派なプログラムになる。初の東京やし、ぜったい成功させな、あかんのや。』と。

心の中で“あ~あ、これで市音プログラム編成委員の諸氏には、またまたヒグチにひっくり返されたと思われるなぁー”とため息をつきつつも、一方で本邦初演が一年先の1998年(平成10年)にならなくてよかったという妙な安堵感もあった。やれやれ。

帰宅してヤンに知らせると彼も大喜びで、普通はこれにて“一件落着”のはずだった。

しかし、それから1ヵ月後の5月18日(日)、三重県志摩市の合歓の里で開催された日本吹奏楽指導者クリニックのヤマハ・バンドクリニック・ゴールデン・コンサート(合歓の響ホール)に市音が出演した際、思いがけない事件が起こった。この騒ぎは、木村さんとクリニック参加者の歓談中、前年の1996年(平成8年)に作曲者からスコアを贈られ、市音が10月の第75回定期演奏会で本邦初演を予定していた曲を“もうウチがやりました”という、とある高校の先生が登場したことに始まった。その曲は、当時未出版で、著作権法のルール上、委嘱関係以外の演奏はあり得なかったが、どうやら著作権者である作曲者も出版社も知らない内にアンオーソライズド・コピーが海外から日本に持ち込まれ、それが演奏されたようだった。

なんてこった!!

その結果、満座の中で大恥をかかされるかたちとなった木村さんは、すぐプログラム編成委員全員を招集し、『恥をかかせる気か!』と珍しく強い言葉で叱責。この話は、すぐに委員の田中 弘さんからの電話で筆者にももたらされた。その曲の演奏提案も筆者がしたものだったからだ。ただ、事情が急に呑みこめない筆者は、“それはあり得ない”とだけ言って、作曲者と出版社にすぐ連絡をとり、その回答を持って市音で事情説明をすることになった。しかし、作曲者と出版社の回答は、『それはあり得ない。今、日本にあるのはあなたの手許に届けた1セットだけだ。』という断定調の強い否定だった。彼らは、出版前のプルーフを市音の日本初演用に1セットだけ特別に作って送ってくれていたのだ。

結局、筆者が管理不行き届きのかどで市音と木村さんに深く謝罪することになり、事情を汲んだ木村さんは、怒りの矛先を収めてくれた。ただ、一度ケチのついた同曲の演奏は市音では見送られることになり、第75回定期演奏会では、代わって、一度は東京公演用としてヤンと合意した交響詩『モンタニャールの詩』が本邦初演されることになった。

▲チラシ – 第75回大阪市音楽団定期演奏会(1997年10月30日、フェスティバルホール)

▲プログラム – 第75回大阪市音楽団定期演奏会(同上)

▲同、演奏曲目

▲第75回大阪市音楽団定期演奏会(1997年10月30日、フェスティバルホール)

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