わたしは、高校時代、毎晩、ラジオにかじりついて、ニッポン放送の「コッキーポップ」を聴いていた(24:30~25:00)。ヤマハ音楽振興会が主催する「ヤマハポピュラーソングコンテスト」(通称「ポプコン」)の楽曲を紹介する番組だった。
ここから生まれ、いまでも人気を保っているスターといえば、中島みゆきにとどめを刺す。
1975年5月、第9回ポプコンつま恋本選会に入賞した中島みゆきの《傷ついた翼》を、「コッキーポップ」で聴いたときの感動は、いまでも覚えている。強烈なヴィブラートで、当時としては珍しいゆったりしたバラードだった。そして、後半で転調して曲想が拡大する見事な構成。「すごいシンガー・ソング・ライターがあらわれた」と、心底から思った。
(余談だが、第9回ポプコンは、このほか、柴田容子《ミスターロンサム》、八神純子《幸せの国へ》、PIA=のちの渡辺真知子《オルゴールの恋唄》、松崎しげる《君の住んでいた街》など、ウルトラ級の名曲がそろっていた)
ところが、それはほんの序章だった。
9月に、独特のワルツ《アザミ嬢のララバイ》でシングル・デビュー。そして10月の第10回ポプコンに《時代》で再出場してグランプリ。翌月の世界歌謡祭に同曲で日本代表として出場し、またもグランプリ。中島みゆきは、怒涛の進撃を開始した。
まさに「YAMAHA」から生まれた、ポップスの大スターだった。
以後、彼女は、いまに至るまで、ずっとヤマハをベースに活動している。
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