【コラム】富樫鉄火のグル新 第349回 YAMAHA育ち(上)

 2002年6月、チャイコフスキー国際コンクール(ピアノ部門)で上原彩子が優勝したとき、様々な点で驚かされた。
 まず、「日本人」として初の優勝だったこと。
 過去の優勝者は、ほとんどソ連/ロシア人である。「国際」の名が付いているが、実際はソ連/ロシア文化の優位性を西側社会に誇示するためのコンクールなのだ(なのに、1958年の第1回で、アメリカ人のクライバーンが優勝してしまったので、以後、ソ連/ロシア陣営がいっそう首位獲得にやっきとなってきた)。
 次に、史上初の「女性優勝者」だったこと。
 このコンクールは、よく「重量級」「男性的」といわれる。本選まで残ると、2週間は留め置かれ、チャイコフスキーなどの協奏曲を2曲、弾かねばならない。尋常な体力では最後まで貫けないのだ。

 小柄な日本女性、上原彩子の優勝は、これだけでも驚きだったが、さらに世界中が注目したのは、彼女が「音楽学校に行っていない」ことだった。「ゲイダイ」でも「キリトモ」でもなく、なんと「ヤマハ音楽教室」出身だという(彼女の最終学歴は、岐阜県立各務原西高校卒業)。
 このとき、世界中が、日本の「YAMAHA」は、単なる楽器メーカーや、町の音楽教室ではなく、世界最高のピアニストを育成するシステムを持っていることを、あらためて知ったのだった。

 そんな上原彩子の自伝エッセイ『指先から、世界とつながる~ピアノと私、これまでの歩み』(ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングス刊)が出た。
 彼女の語りを、音楽作家、ひのまどかが聴き取り、周辺取材も交えて構成した本だが、これがすこぶる面白い。

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