■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第155話 フェネル「ローマ三部作」の起点

▲CD – レスピーギ「ローマ三部作」(佼成出版社、KOCD-3570、1992年)

▲同、インレーカード

1991年(平成3年)のとある夏の朝、東京佼成ウインドオーケストラのマネージャー、古沢彰一さんから一本の電話が入った。

誰もが知ってのとおり、海外と日本、あるいは、関東と関西では、吹奏楽の立ち位置や趣向、活動ぶりがまるで違う。言葉や地域性が違うのだから、好みが違うのも当然で、時には同じ曲名の別の曲がそれぞれの地域だけで人気を得るような事態まで発生するから面白い。どこを切っても同じ絵が出てくる金太郎飴のように“全国一律”とはいかないという話だ。そこで、全国に足をのばすプロの楽団にとっては、日頃の情報収集や意見交換が欠かせない仕事となる。そんな訳で、古沢さんからは、《第41話 「フランス組曲」と「ドラゴンの年」》でもお話ししたように、これまでにもちょくちょく、東京では得られない情報を求めて電話がかかってきた。

この日も『ちょっと教えて欲しいことがあってね。』という切り出しだったので、さっそく用件を覗うと….。

『今、ウチでは、吹奏楽のいい編曲の譜面を探していて、こちらでもそちらの市音の団長さんの名前がちょくちょく挙がることがあるんだけど、実際、どうなの?』という質問だった。

市音とはもちろろん大阪市音楽団(民営化後、Osaka Shion Wind Orchestraと改称)のことだ。しかし、電話では、古沢さんが“団長さん”としか言わなかったので、こちらの頭には複数の名前がつぎつぎと浮かび、はじめは、話がまったく噛み合わなかった。だが、アレコレ話している内、古沢さんの言う“団長さん”が、1985年4月に団長に就任した木村吉宏さん(1939~2021)のことで、“編曲”がオーケストラの曲を指していることがわかった。(参照:《第144話 ウィンド・オーケストラのための交響曲》)

一般的に、東京では、大阪で普段感じている以上に、管弦楽の大曲や難曲を吹奏楽で全曲演奏したり、原調で演奏したときのステータスや充足感が高いようだ。

東京佼成は、管弦楽曲の優れた吹奏楽編曲や編曲者の情報を求めていたのである。

これより少し前から、アマチュアの世界では、西宮市立今津中学校吹奏楽部や尼崎市吹奏楽団という、全日本吹奏楽コンクールに出場する関西代表のバンドが、木村さんが吹奏楽に編曲した管弦楽曲を自由曲としてよく演奏し、そのライヴ盤も全国発売されて評判を呼んでいた。しかし、それらは演奏団体個別のリクエストで書かれたコンクール・サイズの編曲で、出版譜もなく、誰でも自由に利用できるものではなかった。その一方、木村さんが自楽団の定期演奏会などのために書き下ろした本格的な編曲が多く存在することは、意外なほど知られていなかった。

分かりやすく言うと、木村編曲の概要は、コンクールで演奏されたもの以外、東京にはほとんど伝わってなかったのである。

そこで、場合によっては編曲委嘱も視野に入れていると話す古沢さんには、当地では、木村編曲の評価、評判はひじょうに高いこと、そして、バッハ、レスピーギ、ヴェルディ、チャイコフスキーなど、多彩な作曲家の編曲が存在することなどを具体的な曲名を挙げながら説明する一方で、あくまで現職の市音の長であるから、東京佼成の委嘱を受けてもらえるか否かについては、自分にはわからないと答えた。

しかし、古沢さんがこんな遠まわしに質問を投げてくるのは、一体なぜなんだろうか。

この日の電話では、それについての言及はなく、こちらも敢えて訊かなかったが、話を聞きながら、東京では確実に何かが進んでいる、という予感が脳裏をかすめた。

その後、しばらく時が流れた同年秋、佼成出版社音楽出版室の柴田輝吉さんから入った電話で、それが何だったのか、バック・グラウンドがすべて明らかとなった。

東京佼成ウインドオーケストラの常任指揮者(当時)のフレデリック・フェネル(Frederick Fennell、1914~2004)が録音したいという曲をCD化する同社の「FFシリーズ」の新企画に、フェネルは、イタリアの作曲家オットリーノ・レスピーギ(Ottorino Respighi、1879~1936)の“ローマ三部作”を提案していたのである。

周知のように、レスピーギの“ローマ三部作”は、『ローマの噴水(Fontane di Roma)』(1916)、『ローマの松(Pini di Roma)』(1924)、『ローマの祭り(Feste Romane)』(1928)の3つの交響詩を総称してそう呼ばれる作品群だ。

柴田さんの話は、これまでの楽団との意見交換の結果、“松”は、佼成がすでに慣れ親しんでいる楽譜を使うことに決まっているが、残る“噴水”と“祭り”に関しては、ぜひにも木村さんの編曲を使わせて欲しいというものだった。ついては、市音に伺って直接挨拶と依頼をしたいので、その日取りの調整と同席もしてもらえないかとのリクエストも受けた。

つまりは、露払いの役まわりだ。

木村編の『ローマの噴水』は、1988年(昭和63年)11月16日(水)、フェスティバルホールで開かれた「第57回大阪市音楽団定期演奏会」で、小泉ひろしの指揮で、『ローマの祭り』は、1989年(平成元年)10月4日(水)、同ホールで開かれた「大阪市制100周年記念 第59回大阪市音楽団定期演奏会」で、山本直純の指揮でそれぞれ初演奏が行なわれていた。

さて、こいつはエラいことになったぞ!

と思いながらも、すぐ、事前の打診のために市音に電話すると、『なんや、“松”はいらん(必要ない)のか。』などと口では言いながらも、意外にも木村さんのご機嫌はたいそう麗しく、柴田さんを市音にお連れする日も、1991年も押し迫った12月10日(木)と決まった。

おそらくは、1984年(昭和59年)10月31日(水)、フェスティバルホールで開催された「第49回大阪市音楽団定期演奏会」以降、市音定期に3度客演(第49回、第53回、第55回)して知己を結び、それ以降も、木村さんと交友を深めていたフェネルが“やりたい”と言いだしたことがこの話をスムーズに進めさせる一因になったのではなかろうか。

また、木村さんは、リスペクトするゲストには、鉛筆書きの自筆スコアをよく見せていた。市音客演時には“噴水”も“祭り”もまだ陽の目を見る前だったが、東京佼成の事務局に編曲家としての木村さんの名をもたらしたのも、案外フェネルだった可能性もあるように思う。

ともに物故者になった今となっては、確認する術を持たないが…..。

それはともかく、柴田さんを交えた面談当日も、『佼成さんがやってもらえるんやったら、喜んで楽譜をお貸ししましょう。』と珍しく東京弁風の受け答えの満額回答が出た。

柴田さんはもちろん満面の笑みに包まれていた。

その後、間に入る立場になった筆者と氏は頻繁にやりとりをし、今もその時の資料が手許にいくつか残る。その内、年末に届いたつぎのメモには、興味深い事実がいくつも記されている。

『ローマ三部作  4/22. 23 パルテノン

  1.  ローマの松  阪口版
  2.  ローマの祭  木村版
  3.  ローマの泉  木村版

を使用する予定です。東京佼成の同意(形式的)がえられたら、大阪に行って諸々の打合わせをする予定です。柴田』(原文ママ)

走り書きなので、タイトル等は未確定のものだが、このメモには、録音は1992年(平成4年)4月23~24日(木~金)、ホールはパルテノン多摩に決まったこと、そして、使用楽譜が決まり、残るは正式に楽団と契約書面を交わすところまで話が進んでいるということが記されている。

最も興味をひく点は、最終的に、鈴木英史さん(1965~)の編曲で録音された『ローマの松』が、この時点(1991年年末)までは、東京ではひじょうにポピュラーに演奏され、東京佼成も過去に取り上げていた阪口 新さん(1910~1997)の編曲を使う前提で話が進められていたことだろう。

一方、結果的に録音に至った鈴木さんの編曲は、1990年(平成2年)12月24日(月・祝)、東京文化会館で開催された「東京佼成ウインドオーケストラ第47回定期演奏会」の指揮者、小田野宏之さんの要望で書かれ、その後も楽団プレイヤーとのコラボレーションを重ねていたものだった。

柴田さんからは、最終的に、新しい編曲で行こうということになったと聞いた。

どんなCDも、人と人との繋がり、係わり合いがあってはじめて完成に至る。

フェネルの『ローマ三部作』もまた、そんな歩みの中で制作された一枚だった。

▲フェネル自筆サイン

▲連絡メモ(1991年12月)

▲フェネル、木村両氏と(1993年2月13日、兵庫県尼崎市)

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