■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第153話 大栗 裕作品集の起点

▲「新・実践吹奏楽指導全集」指導書(東芝EMI、1993年)

▲同、スタッフ・クレジット

1993年(平成5年)1月20日(水)、東芝EMIがリリースしたCD「吹奏楽名曲コレクション31 大栗 裕作品集」(TOCZ-9195 / 参照:《第152話 「大栗 裕作品集」とともに》)は、わが国の吹奏楽CD史に残る空前のセールスを記録しただけでなく、あらゆる点で“異例づくし”のアルバムだった。

CDのタイトルが示すとおり、収録曲は、すべて関西ローカルの作曲家、大栗 裕さん(1918~1982)が吹奏楽のために書いたオリジナル作品で、ここがまず“異例”の出発点だった!

今、吹奏楽をやっている人には、“オヤ?”と思われるかも知れないが、当時、中央の楽壇で大栗さんの名が語られるのは、木下順二(1914~2006)原作のオペラ『赤い陣羽織』(初演:1955)や指揮者朝比奈 隆(1908~2001)の渡欧に際して作曲を依頼され、ベルリン・フィルに献呈された『大阪俗謡による幻想曲』(管弦楽、初演:1956)が話題に上るときぐらいだったからだ。

それほど在京以外の作曲家や吹奏楽への関心は薄かった。

そして、今もそれは変わらない。

演奏もまた、在京ではなく、1991年に通販で始まった東芝EMIのCD「吹奏楽マスターピースシリーズ」(3枚組ボックス全10巻:TOCZ-0001~0030)を除けば、それまで単独演奏のCDが市場になかった大阪市音楽団(市音。民営化後、Osaka Shion Wind Orchestraと改称)の新録音で、指揮を作曲者と家族ぐるみのつき合いだった前出の朝比奈さん、そしてその薫陶を受けた市音団長で常任指揮者(当時)の木村吉宏さん(1939~2021)の両マエストロが担うという、オール関西キャストによるもので、これまた異例な出来事だった。

なぜなら、東京に本社のある大手レコード会社が、何か企画ものを作るとなると、まずは在京の演奏者や指揮者に声がかかるのがごくごく自然だからだ。

というのも、一般的に、商業レコード会社にとって、プロのオーケストラやウィンドオーケストラが複数存在し、録音経験豊富なフリーランスの奏者も多くいて、必要なエキストラの手配など、キャスト面の心配がない上、楽器や録音機材、スタッフの出張旅費や宿泊費、運搬費など、セッションに関わるコスト全体を押さえながら、人的移動を自宅から現場への往復だけで済ますことができる“在京アーティスト”で録音が行なうことはソロバン上とても理に適う話で、その状況は今も昔も変わらない。

なので、仮に、この「大栗 裕作品集」が、企画段階から東芝EMIが立ち上げたもの(つまり商業レコード会社が主体となった企画)だったとしたら、演奏キャストはまったく違う顔ぶれになっていた可能性もあったわけだ。

また、業界やファンの間では、ライヴ録音以外のレコーディングを行なわないと言われていた朝比奈さんが積極的にセッション・レコーディングの指揮を行なったということも異例だったが、これは、朝比奈さんと大栗さんの長年にわたる交友を肌で感じていた筆者からの提案だった。(参照:《第44話 朝比奈 隆と大栗 裕》)

レコーディングが行なわれたのは、リリース前年の1992年(平成4年)4月15~16日(水~木)の両日で、録音会場は、兵庫県尼崎市のアルカイックホール。わざわざそれを狙って予定が組まれた訳ではなかったが、それは、1982年(昭和57年)4月18日(日)に逝去した作曲者の没後10年(しかも同月)にあたった。

セッション前、カレンダーを眺めていて偶然それに気づいた筆者が、指揮の木村さんにそれを話すと、『そうか、それも、なんか(何か)のめぐり合わせやなぁ。』と感慨深げで、その波動は市音のメンバーにも静かに広がっていった。

周知のとおり、作曲者と市音のつながりは、太平洋戦争以前にまで遡る。(《参照:《第66話 大栗 裕:吹奏楽のための神話》)

市音が東芝EMIの録音を担うのはこれが初めてではなかったが、リリース後、このアルバムで示した市音のパフォーマンスが業界を驚かせたのも、今にして思えば、セッションが作曲者と市音の人間関係が醸し出す、そんな特別な空気の中で行なわれたものだったからかも知れない。確かに、何かのプラス・アルファーがセッションを後押ししていた。時は流れ、令和の時代になっても、つくづくそう思う。

しかし、普通、1枚のCDが録音から世に送り出されるまでの時間は3~4ヵ月というのが商業レコード会社のスケジュール進行の常識。なので、ここまでお話ししたことを時系列的に並べると、このCDのセッションからリリースまでがやけに時間がかかっていることに気づく人も多いだろう。

今、その種明かしをするなら、この録音は、実は、始めから“作品集”としての発売が確約されたものではなかった。

それは、当時、東芝EMIの通販ものや自主制作などを担う第三営業本部がプロジェクトを進めていた吹奏楽指導者向けの「新・実践吹奏楽指導全集」の一環で録音されたものだったのだ。

この「新・実践吹奏楽指導全集」は、指導書、CD15枚、ビデオ6巻、楽譜などがセットされた大全集で、セット価格が“ン十万”という高価なものだったので、ビンボーな筆者には到底手が出る類いのものではなかった。なので、残念ながら手許にはない。

東芝EMIは、この全集の目玉のひとつとして、大阪府立淀川工業高等学校(現、淀川工科高等学校)吹奏楽部(指揮:丸谷明夫)が、1993年(平成5年)1月24日(日)に大阪のフェスティバルホールで行なったグリーン・コンサートで取り上げた『吹奏楽のための“大阪俗謡による幻想曲”』の練習初日から本番までを密着取材したドキュメントをCD化(HDCD-1452)した。しかし、全体企画の過程で、コンクール用にカットされた演奏とは別に、ノーカット全曲も収録したいというアイデアが浮上したのである。

そうなると、この曲を委嘱、初演し、作曲者から寄贈された手書きの原譜をもつ市音が適役なのは、誰の目にも明らかだった!

そこで、東芝EMIは市音の木村さんにこの曲の録音をオファーした。

担当者は、東芝EMI第三営業本部の鈴木武昭さんだった。

鈴木さんの話を受け、木村さんからすぐ相談があった…..。

『東芝が、どうしても“大阪俗謡”を録らせてくれって、ゆうて(言って)来よってな。向こうはそれだけ録れたらそれでええ(それでいい)らしいんやが、ウチの方としては、ただそれだけのために、人を集めてやる(演奏する)わけにはいかんのや。東芝には、それ以外の曲を録るアイデアは何もないらしい。なんぞ(何か)ええ(いい)考えないか?』

木村さんは、ちゃんとしたセッションが組めるなら話を前に進める意向だと受け取った筆者は、こう切り返した。

『それやったら、大栗さんの他の作品を録るというのはどうでしょうか。“小狂詩曲”や“神話”、“仮面幻想”など、曲も結構揃っているし…。大栗作品集というのは、東京では思いもよらないでしょうし、いかにも市音らしい。』

東京のレコード会社にとってリスキーな関西ローカルの作曲家の作品を、初演者による“大阪俗謡”の音が欲しいというオファーがきたこの機会をとらえて、同時に録ってもらおうという、なんとも手前勝手で無責任なアイデアである。

一方で、もし東芝が“作集集”としてのリリースを渋っても、大阪だけの自主制作盤にすれば、地元びいきの”市音ファン”には確実に喜んでもらえるという、生活観に根ざす大阪ネイティブとしての妙な自信もあった。

このアイデアに、木村さんも『それは、確かにウチにしかできない仕事や!あとは、東芝がどう言いよる(答える)か、やな。よし、わかった!』と、すこぶる上機嫌だった!

その後、東芝EMIと市音は協議を重ね、1992年4月のアルカイックホールでのセッションは、スケジュール化された。

「作品集としての商品化は白紙だが、東芝EMI第三営業本部が録音。並行してCDショップでの一般発売用のカタログ商品化を、社内の邦楽クラシック部門に強く働きかけてもらう」という条件で!

▲CD – 「新・実践吹奏楽指導全集」2 指導講座編 ドキュメンタリー 初見から演奏会までII「大阪俗謡による幻想曲」(東芝EMI、HCD-1452)

▲HCD-1452 – インレーカード

▲CD – 「新・実践吹奏楽指導全集」7 実践曲集編 オリジナル作品 I ~邦人作品~ 「故郷」によるパラフレーズ(東芝EMI、HCD-1457)

▲ HCD-1457 – インレーカード

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