【コラム】富樫鉄火のグル新 第314回 1705年12月、リューベックにて(4)

現在、「Abendmusiken」=夕べの音楽(会)といえば、教会での演奏会の代名詞だが、本来は、リューベックの聖マリエン教会での催しを指す固有名詞だった。
 前述のように、創始者は、ブクステフーデの前任者、フランツ・トゥンダー(1614~1667)である。

 リューベックでは、毎週木曜日の正午、証券取引所の開場を待つ商人たちが、聖マリエン教会で時間をつぶす習慣があった。社交場のようなものだったのだろう。
 当時のリューベックは北ドイツ最大の経済都市で、ハンザ同盟の盟主”ハンザの女王”と呼ばれていた。町は、岩塩や塩漬けニシンで大儲けした商人たちであふれていた。
 そんな彼らのために、トゥンダーはオルガンを弾いて聴かせた。これが「夕べの音楽」で、商人組合も教会に寄付する形でギャラを支払っていた。
 やがて一般市民も無料入場できる催しとなる。「コンサート」のはしりである。

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