【コラム】富樫鉄火のグル新 第312回 1705年12月、リューベックにて(2)

《トッカータとフーガ ニ短調》BWV565は、おそらくバッハのなかでもトップクラスの有名作品だろう。
 ところが、これほど有名なわりに、いつ、どこで、何のために作曲されたのか、まったくわかっていない。それどころか、自筆譜が残っていないせいもあって(かなり後年になってからの「写譜」しかない)、バッハの真筆ではないとの説も根強い。
 しかし、いまでは音楽の教科書に載り、ディズニー映画にまでなっているし、嘉門達夫も「タラリ~、鼻から牛乳~」とうたっているほどなので、いまさらバッハの作ではないとするわけにもいかないだろう。

 前回紹介した”磯山説”のように、バッハは、ブクステフーデの曲から「自由に演奏して(書いて)いいのだ」との姿勢を学んだ。たしかにブクステフーデの曲は自由奔放で幻想的だった。カタブツのバッハにとっては目からウロコが落ちる思いだった。
 そのせいか、アルンシュタットに帰ってからのバッハのオルガン演奏は、一挙に派手で前衛的なものになったという。ただでさえ、4週間の休暇を無断で4か月に伸ばし、お目玉を喰らったばかりである。なのに、今度はわけのわからないオルガン曲を弾いたり、挙句の果て、女性を教会内でうたわせたりしたものだから、またも教会上層部からお咎めを受けた(当時、女性が教会内でうたう=声を出すことは許されなかった。この女性が、最初の妻、マリア・バルバラではないかといわれている)。

【この続きを読む】

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください