▲LP – Hindemith-Schoenberg-Stravinsky(Mercury、MG 50143、モノラル、1957年)
▲MG 50143 – A面レーベル
▲MG 50143 – B面レーベル
▲LP – Hindemith-Schoenberg-Stravinsky(Mercury、SR 90143、ステレオ、1960年)
▲SR 90143 – A面レーベル
▲SR 90143 – B面レーベル]
『これは、パウル・ヒンデミットの SYMPHONY IN B FLAT(1951)とアルノルト・シェーンベルクの VARIATIONS、OPUS 43a(1943)という、かなり最近のヴィンテージである、2つのシリアスな作品のプレミア・レコーディングです。これら“新しい”作品とイーゴリ・ストラヴィンスキーの37年“前”の傑作、SYMPHONIES FOR WIND INSTRUMENTS(1920-改訂1947)という、この前例のない組み合わせでは、一流の作曲家による、成長し続ける音楽文化への多大なる貢献として、我々に今日の管楽の3つの異なるコンセプトを提示することができます。
(This is the premiere recording for Paul Hindemith’s SYMPHONY IN B FLAT (1951) and for Arnold Schoenberg’s VARIATIONS, OPUS 43a (1943), two serious scores of fairly recent vintage. In this unprecedented conpling of these “new” works with Igor Stravinsky’s thirty-seven year “old” masterpiece, SYMPHONIES FOR WIND INSTRUMENTS (1920-revised 1947), it is possible for us to present three divergent concepts of the current wind medium in these major contributions to its ever-growing musical literature by composers of the first rank.) 』
1957年(日本では昭和32年)6月、米Mercuryレーベルからリリースされたイーストマン・ウィンド・アンサンブル(Eastman Wind Ensemble)のLP「Hindemith-Schoenberg-Stravinsky」(Mercury、MG 50143、モノラル)のジャケットに指揮者のフレデリック・フェネル(Frederick Fennell、1914~2004)が寄せたプログラム・ノート冒頭部の引用だ。
演奏者のイーストマン・ウィンド・アンサンブルは、《第145話 リード「メキシコの祭り」初録音》でもお話ししたように、アメリカ合衆国ニューヨーク州ロチェスターにキャンパスをもつロチェスター大学(University of Rochester)の音楽学部に該当するイーストマン音楽学校(Eastman School of Music)で、フェネルの提唱によって組織された世界初のウィンド・アンサンブルだ。組織されたのは、1952年で、フェネルの指揮によって、米Mercuryレーベルからリリースされた先駆的な数々のアルバムが世界的に評価され、その後も管楽の世界で大きな存在感を示している。
アルバム「Hindemith-Schoenberg-Stravinsky」は、1957年3月24日(日)、ロチェスター市内のイーストマン劇場(Eastman Theatre)でレコーディングされた。米Mercuryがリリースしたイーストマン・ウィンド・アンサンブルの10タイトル目のアルバムで、録音スタッフは、レコーディング・ディレクターがウィルマ・コザート(Wilma Cozart)、ミュージカル・スーパーヴァイザーがハロルド・ローレンス(Harold Lawrence)、エンジニアがC・ロバート・ファイン(C. Robert Fine)という布陣で、いろいろな再生装置で聴いて自身が納得がいくまで原盤のカッティングやテスト・プレスを繰り返したという有名なエピソードで知られるコザートがイーストマン・ウィンド・アンサンブルを録った初アルバムとなった。
また、この時代には、すでにステレオ方式の録音は実用化されていたが、ステレオ方式のレコード・カッティング技術の実用化前だったため、セッションでは、モノラル用とステレオ用にラインを分けて、それぞれの方式のための別々のレコーダーで録音されている。
分かりやすく言うと、モノラル用とステレオ用の2種類のマスターが存在し、1957年の初リリース時のモノラル盤(MG 50143)は、モノラル用マスターから作られ、3年後の1960年にあらためてリリースされたステレオ盤(SR 90143)には、ステレオ用マスターが使われている。その後よく行なわれたモノラル録音を電気的に擬似ステレオ化したものではない。
日本では、録音18年後の1975年に「バンドのための交響作品集」(Philips(日本フォノグラム)、PC-1607)として発売されたステレオ盤が初出で、オランダでも「Hindemith-Schoenberg-Stravinsky」(蘭Mercury Golden Imports、SRI 75057)としてリリースされた。
さて、ここで話は少し飛ぶが、1991年(平成3年)10月、筆者は、東京佼成ウインドオーケストラのレコーディングで京王プラザホテル多摩に宿泊した際、フェネル夫妻と朝食をともにし、そこでとても面白い話を聞いた。
それは、この「Hindemith-Schoenberg-Stravinsky」までのアルバムでは、Mercuryは、アーティスト名を“Eastman Symphonic Wind Ensemble(イーストマン・シンフォニック・ウィンド・アンサンブル)”とクレジットしてきたが、このアルバムからは“Symphonic”が省かれ、クレジットが“Eastman Wind Ensemble(イーストマン・ウィンド・アンサンブル)”に変更されたという話だった。
思わず『“シンフォニック”というのは、誰のアイデアですか?』と訊ねると、『マーキュリーのだ。ビジネス上の都合だろう。しかし、以降は正規のものになったよ。(笑)』と返ってきた。
あまりに面白かったので、大阪に戻って早速手持ちのレコードを確かめると、確かにそのとおりで、1957年発売のモノラル盤のジャケットからは“Symphonic”のクレジットが消えていることをまず確認。しかし、それはあまりに急な変更だったようで、残念ながら、同盤のフェネルのノートが印刷されているジャケット裏やレコードのレーベル面には、“Symphonic”の文字がしっかりと残っていた。つぎに、1960年のステレオ盤はどうなのかを見ると、そちらのクレジットからは“Symphonic”の文字は完全に消えていた。きっと世界初の“ウィンド・アンサンブル”の提唱者、命名者として、フェネルはなんとかしたかったのだろう。
収録曲が、パウル・ヒンデミットの『コンサート・バンドのための交響曲変ロ調』、アルノルト・シェーンベルクの『主題と変奏、作品43a』、イーゴリ・ストラヴィンスキーの『管楽器のための交響曲』という大御所の作品がズラリと並んでいるこのアルバムが作られたこのときは、確かにクレジット変更の絶好のタイミングだった。
フェネル自身が書いたプログラム・ノートも気持ちの入ったものだった。
しかし、その冒頭で、ヒンデミットとシェーンベルクを“premiere recording”と書いてしまったことは、ややフライング気味の表現だったと評価されることになるかも知れない。
他方、1953年から1993年までの過去40年間のフェネルの主要録音を本人インタビューを交えながら1冊の本にまとめたロジャー・E・リクスン(Roger E. Rickson)の労作「ffortissimo A Bio-Discography of fredrick fennell the first forty years 1953 to 1993」(米Ludwig Music、1993年)でも、両曲は“premiere recording”だと記載されている。(参照:《第52話 ウィンド・アンサンブルの原点》)
調べると、シェーンベルクに関しては、間違いなく“premiere recording”だった。つまり“世界初録音”な訳だ。
しかし、ヒンデミットに関しては、著者のリクスンも、作曲者がほぼ同じ頃にヨーロッパで自作自演の録音を行なっていたことに気づいており、『レコードの現物を確認したが、録音日の記載はなかった。』と書いている。これには留意しておく必要がある。
そこで、あらためて記録を確認すると、実際には、ヒンデミットは、フェネルの録音の4ヵ月前の1956年11月に、海を渡ったロンドンのキングズウェイ・ホールで、他の自作品とともに、フィルハーモニア管弦楽団のメンバーを指揮して『コンサート・バンドのための交響曲変ロ調』の録音を英Columbiaレーベル(EMI)に行なっていた。
この録音は、イギリスでは、1958年に「Paul Hindemith、Vol.1」(英Columbia、33CX1512)としてモノラル盤がリリースされ、アメリカでは、同年に、Angelレーベルから「Paul Hindemith Conducts His Own Works、Vol.1」(米Angel、35489、モノラル / S-35489、ステレオ)として、モノラル盤の先行発売後、ステレオ盤がリリースされた。
つまり、時系列で整理すると、アメリカでは、後に録音されたフェネル盤が先に発売されたことがわかる。ちょっとした歴史のいたずらと言えなくもないが、レコードとして市場に並んだのはフェネル盤が間違いなく世界初となった。
この結果、ヒンデミットのこの交響曲については、“premiere recording”を“世界初録音”と訳すと事実誤認となり、“recording”を“録音物(商品)”ととらえるなら、“世界初商品化レコード”と言えることになる。確かに、その意味においては“premiere”なのだ。なので、冒頭の直訳では便宜上“プレミア・レコーディング”とした。和訳は難しい。
しかし、なにしろ、インターネットなど無かった当時の話だ。このとき、フェネルがヒンデミットの自作自演録音について、どこまで正確に認識していたかについて、残念ながら、もう彼に訊くことはできない。
しかし、リクスンとのインタビューでは、フェネルが、ヒンデミットに“premiere recording”と印刷されていたはずのこのイーストマンのレコードを贈ったら、ヒンデミットからはお返しに自身の写真が送られてきたと答えている。それ以外の言及はないので、ヒンデミットはレコードの贈呈を喜んだという事実だけがのこる。とてもいい話だ。
互いに互いを認め合うアーティスト同士のリスペクトを感じさせるエピソードである。
▲LP – バンドのための交響作品集(Philips(日本フォノグラム)、PC-1607、1975年)
▲PC-1607 – A面レーベル
▲PC-1607 – B面レーベル
▲LP – Hindemith-Schoenberg-Stravinsky(蘭Mercury Golden Imports、SRI 75057、1975年)
▲SRI 75057 – A面レーベル
▲SRI 75057 – B面レーベル
「■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第148話 ヒンデミット-シェーンベルク-ストラヴィンスキー」への1件のフィードバック