■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第145話 リード「メキシコの祭り」初録音

▲19CD Box – Frederick Fennell The Collection(Venias、VN032、2017年)

▲ 同、収録曲一覧

▲ LP – La Fiesta Mexicana(米Mercury、MG 40011、1954年)

▲MG 40011 – A面レーベル

▲MG 40011 – B面レーベル

1954年5月12日(水)、アメリカ合衆国ニューヨーク州ロチェスターのイーストマン劇場(Eastman Theater)で、マーキュリー・レコードによるフレデリック・フェネル(Frederick Fennell、1914~2004)指揮、イーストマン・ウィンド・アンサンブル(Eastman Wind Ensenble)演奏のあるLPレコードのレコーディング・セッションが行なわれた。

録音会場となったイーストマン劇場は、私学のロチェスター大学イーストマン音楽学校(The Eastman School of Music of the Rochester University)のパフォーマンスの中核施設で、オープンは1922年。コダックの創業者ジョージ・イーストマン(George Eastman、1854~1932)の寄付で建築費が賄われ、同じくイーストマンが1921年に私財で創立した同音楽学校と同様、“イーストマン”の名が冠されている。オープン当初は、3,352席を持っていたが、21世紀の大改修で、より快適な2,260席のホールに作り変えられた。その際、イーストマン・コダック社が再び10万ドルの寄付を行なったことから、新装なった劇場内のコンサート・ホールは、“イーストマン劇場コダック・ホール(Kodack Hall at Eastman Theater)”と名がつけられている。

この日のレコーディングは、マーキュリーがイーストマン音楽学校の演奏家を起用した「アメリカン・ミュージック・フェスティウァル・シリーズ(American Music Festival Series)」と呼ばれる現代のアメリカ音楽を追う野心的なシリーズの第12集で、イーストマン・ウィンド・アンサンブルが演奏した盤としては、「American Concert Band Masterpieces」(Mercury、MG 40006、1953年)、「Marches」(Mercury、MG 40007、1954年)につぐ3枚目のアルバムとなった。

現代アメリカを追うシリーズらしく、レパートリーは、以下のようにすべてアメリカの作曲家の手になる作品だった。

メキシコ民謡による交響曲「メキシコの祭り」
La Fiesta Mexicana – A Mexican Folk-Song Symphony
(H. Owen Reed)

カンツォーナ
Canzona
(Peter Mennin)

詩篇
Psalm
(Vincent Persichetti)

荘厳な音楽
A Solemn Music
(Virgil Thomson)

コラールとアレルヤ
Chorale and Alleluia
(Howard Hanson)

録音スタッフは、スーパーバイザー(日本流だとディレクター)およびエンジニアがデヴィッド・ホール(David Hall)、テープ・トランスファーがジョージ・ピロス(George Piros)だった。

当時のマーキュリーは、伝説的エンジニアのC・ロバート・ファイン(C, Robert Fine、1922~1982)が始めたシングル・マイク(1本の無指向性マイク)によるひじょうに明瞭で定位感のあるフルレンジ・モノラル録音が評者から“リビング・プレゼンス”と呼ばれて人気を集め、1954年のこの録音も、指揮者の少し後方の上方およそ15フィート(5メートル近く)にアレンジしたノイマン(アメリカでは、“テレフンケン”と呼ばれた)のU-47というマイク1本で録音された。

音楽史的な視点で捉えると、複数のマイクでバランスをとって録音する他社の方式とは異なる手法をとるマーキュリーと、“ウィンド・アンサンブル”という新しいコンセプトを押し出したいフェネルとがタッグを組むことになったことは、偶然の産物とは言え、正しく運命的な出会いだったような気がする。

また、マーキュリーは、セッション・テープをコピーしてマスタリングを行なった他社とは違い、セッション・テープをそのままマスター・テープとして使っていた。アナログ・テープで録音を行なった時代だけに、サウンドの鮮度と言う点でこれも見逃せない。

ステレオ録音の始まる以前のモノラル録音だが、今もフェネルのイーストマン・ウィンド・アンサンブルの録音が評価されるのは、こうした制作側の姿勢という側面もあったのではないだろうか。

さて、こうして録音された演奏は、3ヶ月後の1954年8月、「La Fiesta Mexicana」(Mercury、MG 40011)としてリリースされた。前述のように、これは当時のアメリカの作曲家たちのオリジナル作品だけで構成されたアルバムであり、全曲が“初録音”だったが、その中でも、“メキシコの祭り”というメキシコ民謡をベースに書かれた色彩感豊かなシンフォニーがこのアルバムを通じて世界に向けて発信された意義はひじょうに大きい。曲名がアルバム・タイトルに選ばれたのも当然だろう。

1950年2月26日(日)、ウィリアム・F・サンテルマン少佐(1902~1984)指揮、アメリカ海兵隊バンド(“The President’s Own” United States Marine Band)による初演の4年後の出来事である。(参照:《第46話 H・オーウェン・リードを追って》)

ここで少し時代は飛ぶが、《第52話 ウィンド・アンサンブルの原点》でお話したように、1991年10月、東京佼成ウインドオーケストラのレコーディングのために宿泊した京王プラザホテル多摩でフェネル夫妻との朝食の際、イーストマン時代のことを伺ったことがある。そのとき、このアルバムについても少し話題をふると、マエストロは悪戯っぽい目をしながら、こう応じてくれた。

『あの録音は、その日ハワード・ハンソン(イーストマンの校長)がやるはずだった別の録音が彼のお母さんが亡くなったためにキャンセルになって、その代わりに急遽やることになったものなんだ。本当はもっと後にやるはずだったんだが、マーキュリーのスケジュールが一杯で延期不能となって….。5曲を2時間半のセッションで録ったんだ。“メキシコ”のコントラバス・クラリネットの音が魅力的だろう?』

これは、いろいろなところで、彼が話しているので特に目新しい話題でもないが、本人の口から直接聞くと、答え合わせをしているようでなんだか嬉しい。

その後、このアルバムは、マーキュリーがシリーズの規格を変更して、ゴールデン・ライアー・シリーズ(Golden Lyre Series)として発売していた16枚のアルバムをカタログからすべて削除し、“リビング・プレゼンス”を謳うオリンピアン・シリーズ(Olympian Series)に組み込んだことから、1956年10月、「Mercury、MG 50084」という新たな規格番号で再リリースされた。その際、音量の増大によりレコード溝のピッチ(間隔)を調整するマージン・コントロールを改良した新たなカッティングが行なわれている。

また、マーキュリーの各アルバムは、イギリスでも1956~1958年にパイ(Pye)が、1958年以降はEMIがライセンス製造したことから、このアルバムもパイ盤の「Mercury、MRL 2535」とEMI盤の「Mercury、MMA 11084」という2種類のイギリス・プレスが存在する。日本でも、1975年に日本フォノグラムから「Mercury、PC-1622(M)」としてリリースされた。

プレスが違えば音も違う。

マエストロとの会話中、“当然イギリスの初回盤(パイ盤)も日本盤も持っていますよ”と話すと、さすがの彼も目を丸くしていた。

“なんてヤツだ!”という顔をしながら…。

若き日の愉快な想い出である!

▲LP – La Fiesta Mexicana(米Mercury、MG 50084、1956年)

▲MG 50084 – A面レーベル

▲MG 50084 – B面レーベル

▲LP – La Fiesta Mexicana(英Mercury(Pye)、MRL 2535、1950年代)

▲MRL 2535 – A面レーベル

▲MRL 2535 – B面レーベル

▲LP – ラ・フィエスタ・メヒカーナ(La Fiesta Mexicana(Mercury(日本フォノグラム)、PC-1622(M)、1975年)

▲PC-1622(M) – A面レーベル

▲PC-1622(M) – B面レーベル

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