▲LP – 吹奏楽のための太神楽(東芝音楽工業、TA-9301、1971年)
▲TA-9301 – A面レーベル
▲TA-9301 – B面レーベル
▲東芝レコード広告(1971年)
2020年(令和2年)12月20日(日)の朝、東京佼成ウインドオーケストラの元ユーフォニアム奏者で、日本吹奏楽指導者協会(JBA)副会長の三浦 徹さんから一本の電話が入った。
『ちょうど今、バンドパワーに書かれている樋口さんの話の最新の回を読み終えたところで、どうしても樋口さんにお話しておきたいことがあって電話しました。』
“最新の回”とは、その1日前にアップロードしたばかりの《樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第138話 普門館、落成の頃》のことだった。
『実は、あの“佼成”の演奏会は、藝大(東京藝術大学)の4年生のときで、呼んでもらったんです。「ローマの松」が阪口 新先生(1910~1997)の編曲で、ユーフォニアムが4本必要だったんで、それで呼ばれたわけです。』
東京佼成吹奏楽団(後の東京佼成ウインドオーケストラ)が、1970年(昭和45年)11月20日(金)、完成したばかりの普門館で初めて行なった「第12回定期演奏会」の現場証人の登場である。
楽団創立10周年を期して開かれたこの演奏会の客演指揮者は、伝説のマエストロ、山田一雄さん(1912~1991)だった。なので、当然、電話口のこちらのテンションも一気に盛り上がり、当時の模様について、あれやこれやと質問を投げかける。
すると、『ヤマカズ(山田一雄)さんが右へ行ったり左へ行ったり、忙しかったんですが、「1812年」では、NHKからわざわざ“ロシア正教会”の鐘の音や大砲の音を借りてきて、テンポを決めて演奏とシンクロさせる練習を行ない、リハーサルは完璧だったんですが、本番では指揮者が約束とは違う速いテンポで振ったので、エンディングの音が終わった後、(カンカラコンと)鐘の音が盛大に降り注いできてしまったんです。でも、さすがだったのは、そのアクシデントをまるで演出であるかのように指揮台で振る舞ってから客席に向かって一礼したことでした。』(カッコ内は筆者)
“ヤマカズさん”とは、リスペクトも込めて、いつしかそう呼ばれるようになったマエストロへの親称で、指揮ぶりはとくに若い聴衆に絶大な人気があった。
そのアツい指揮の結果、オーバーアクションになって、指揮台はおろか、ステージからも転落して這い上がった件とか、指揮台でジャンプして落とした眼鏡を踏み砕いてしまった件のような数々のエピソードを伝説のように残したマエストロは、この日の佼成定期でもしっかりと爪跡を残していったわけだ。
三浦さんとの演奏会についての対話は、その後もはずみ、マエストロには失礼ながら、“その日はステージから落ちなかったか”についても確認したところ、『あの普門館の広いステージだけに、さすがに落ちなかった!』(笑)との返答。
ステージの広さを知る当方も、それを聞いて、“そりゃそうだ!”と思わず納得の展開となった。
他方、ヤマカズさんは、その生涯を通じて数多くの初演を行なった指揮者としてもよく知られている。
この佼成定期でも、小山清茂(1914~2009)さんが自作の管弦楽曲を自ら吹奏楽曲に改編した『吹奏楽のための“木挽歌”』の初演が行なわれた。
作曲者の小山さんは、長野県更級郡信里村字村山の生まれ。日本各地に残る民謡などの旋律をモチーフとした多くの作品で知られ、管弦楽、吹奏楽、オペラ、室内楽、合唱、放送音楽など、多岐にわたるジャンルで活躍した。1980年(昭和55年)の『吹奏楽のための“花祭り”』は、第28回全日本吹奏楽コンクール課題曲として書かれたものだ。
山田一雄指揮、東京佼成吹奏楽団が初演した『吹奏楽のための“木挽歌”』については、演奏会のプログラム・ノートに、こう書かれている。
『九州民謡の木挽歌(故三好十郎の範唱による)を主題とした、一種の変奏曲で、4つの部分から成っています。原曲は管弦楽曲として書かれたもので、昭和32年10月3日、渡辺暁夫指揮、日本フィルハーモニー交響楽団により初演、以来、国内はもとより外国においても、しぱしば演奏、及び放送されております。この度は、音楽の友社のご好意により、作者自身によって、吹奏楽用に編曲していただき、吹奏楽として初めて演奏されるものであります。』(著者不詳、一部引用、原文ママ)
管弦楽原曲の出版後、部分的に吹奏楽に編曲する人も現れたため、作曲者自身が全曲を吹奏楽に改編することを思い立ったことがこの吹奏楽版を作る契機となった。
そして、佼成定期の翌月、1970年(昭和45年)12月11日(金)と16日(水)の両日にわたり、東芝音楽工業は、普門館で、1枚のLPレコードのレコーディング・セッションを行なった。翌1971年4月に、「吹奏楽のための大神楽」(東芝音楽工業、TA-9301)としてリリースされた小山清茂吹奏楽作品集のための録音だった。
演奏は、山田一雄指揮、NHK交響楽団団員で、ジャケットには、ラストの『イングリッシュ・ホルンと吹奏楽のための音楽より“田植唄”』の独奏者が似鳥健彦さんであることがクレジットされている。
この録音にNHK交響楽団の管打楽器奏者が起用された理由については、全く資料を持ち合わせていないが、「バンドジャーナル」1970年12月号(管楽研究会編、音楽之友社)56~57頁に打楽器奏者の有賀誠門さんが書いた「日本のオーケストラ・プレーヤー〈管・打〉」には、『現在のN響は総勢一二三名という大世帯であります。そのうちの五○名を管打楽器奏者でしめています。~』(原文ママ)というくだりがあるので、管弦楽に使わない楽器さえプラスすれば、吹奏楽演奏も可能だ、というレコード会社サイドの計算も働いた可能性はある。同時に、いつも他社の成果を自社にも取り込みたい日本のレコード会社のこと。当時トリオが発売したケンウッド・シンフォニック・ブラス・アンサンブル(NHK交響楽団、日本フィルハーモニー交響楽団など、在京のオケマンたちによって編成)の「我が国最高の管楽器奏者による《マーチの極致》」LP:トリオ、RSP-7004 / 19cm/sステレオ・オープンリール・テープ:TSP-7008)がたいへんな評判を呼んでいたこともあったのかも知れない。(参照:第135話 我が国最高の管楽器奏者による《マーチの極致》)
いずれにせよ、この小山清茂作品集は、N響メンバーを中心に録音された。
収録されたのは、以下の6曲。
・吹奏楽のための“大神楽”(小山清茂)
(1970)
・吹奏楽のための“もぐら追い”(同)
(1970)
・吹奏楽のための“おてもやん”(同)
(1970)
・吹奏楽のための“越後獅子”(同)
(1970)
・吹奏楽のための“木挽歌”(同)
(1957 / 1970)
・イングリッシュ・ホルンと吹奏楽のための音楽より“田植唄”(同)
(1969)
これは、吹奏楽レコードの世界では、レコード(東芝音楽工業)と楽譜出版(音楽之友社)がタイアップした日本初の企画であり、さらに言うなら、マーチ以外でひとりの邦人作曲家の作品だけを収録した初の吹奏楽アルバムとなった。
そして、発売されたレコードは、日本吹奏楽指導者協会(JBA)の昭和46年度「第一回吹奏楽レコード賞」を受賞。楽譜とリンクしたロングセラー盤となり、1984年(昭和59年)に、ジャケットをリニューアルし、同じタイトルのまま、LP(東芝EMI、TA-72109)として再リリース。2009年(平成21年)には、デジタル・リマスタリングされ、「小山清茂 吹奏楽のための太神楽」というタイトルでCD化(日本伝統文化振興財団、VZCC-1020)された。
見事だったのは、この3度のリリースに際してカップリングの変更が全くなかったことだろう。それだけ完成度が高かった証だ。
“邦人作品集”というジャンルを確立!!
日本の吹奏楽録音史上、忘れてはならないアルバムである!
▲LP(再発売盤) – 吹奏楽のための太神楽(東芝EMI、TA-72109、1984年)
▲TA-72109 – A面レーベル
▲TA-72109 – B面レーベル
▲CD – 小山清茂 吹奏楽のための太神楽(日本伝統文化振興財団、VZCC-1020、2009年)
▲VZCC-1020 インレーカード
▲「バンドジャーナル」1970年12月号(管楽研究会編、音楽之友社)