■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第133話 全英ブラスバンド選手権1990

▲プログラム – Boosey & Hawkes National Brass Band Championships of Great Britain(1990年10月6日、Royal Albeet Hall)

▲英女王(パトロン)の肖像(Held under the gracious patronage of Her Majesty The Queen)

▲チャンピオンシップ・セクション・テストピースと審査員

▲チャンピオンシップ・セクション出場バンド

『やっぱり、実際(に)やっていること(を)見てこんと(見てこないと)、よう(よく)わかりませんわ。』(カッコ内注釈、筆者)

ブリーズ・ブラス・バンド(BBB)の常任指揮者、上村和義さんから電話がかかってきたのは、1990年(平成2年)の9月も下旬に掛かろうかという頃だった。

上村さんは、大阪芸術大学演奏学科の出身。トロンボーンを呉 信一、伊藤 清の両氏に師事し、在学中から、森下治郎ブラスアンサンブルや日本テレマン協会管弦楽団に参加。同大を卒業後、大阪シンフォニカ(現、大阪交響楽団)のトロンボーン奏者となった。だが、トロンボーンには、何かとユニークな面々が多い。在学当時からブラスバンドの面白さにすっかりはまってしまった氏は、1990年にBBBを創設。電話の2ヶ月前の同年7月2日(月)に、こけら落とし直後のいずみホールでデビュー・コンサートを終えたばかりだった。(参照:《第49話 ムーアサイドからオリエント急行へ》)

また、デビュー・コンサート後のBBBは、成果報告も兼ね、作曲家のフィリップ・スパーク(Philip Sparke)や指揮者・編曲家のハワード・スネル(Howard Snell)、同年6月のブラック・ダイク・ミルズ・バンド(John Foster Black Dyke Mills Band)の来日公演で知己を得た(イギリスでは狂牛病騒ぎで肉が喰えなかったこの頃、大阪で安全な日本の肉をご馳走した)3人の指揮者ロイ・ニューサム(Roy Newsome)、ケヴィン・ボールトン(Kevin Bolton)、デヴィッド・キング(David King)などにデビュー時のライヴ録音を送って、将来に向けてのサジェスチョンをもらう一方、週一回の定例練習で海外から届く新しい楽譜をつぎつぎリハーサル。それらを箕面市民会館(大阪府箕面市)を借りて録音(通称“モーレツしごき教室”)するなど、1991年以降に行なう予定になっていた定期演奏活動に向けてレパートリーとサウンド作りの地固めを行なっていた。

BBBは全員プロ奏者。だが、現実にはブラスバンドで使うサクソルンの扱いになじみのない人も多かった。しかしながら、毎週、実際に合奏すると効果はてきめんで、ミュージカル・スーパーバイザーとしての立場からみた贔屓目ながらも、1970年代を通じてヒットを連発したゴードン・ラングフォード(Gordon Langford)やそれ以前の作品の演奏では、すでにレコードで聴くチャンピオンシップ・セクション・クラスに近いサウンドが出せるようになっていたように思う。

冒頭の上村さんの電話は、そんな折にかかってきた。

電話の趣は、翌月の10月6日(土)、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで開かれる全英ブラスバンド選手権(Boosey & Hawkes National Brass Band Championships of Great Britain)の決勝を聴きに行きたいが、どうしたらいいか、という相談だった。

当時のBBBの課題は、現代作曲家がつぎつぎと発表する最新オリジナルの演奏法だった。それを全英選手権という、手抜き無しの本気の演奏で聴ける格好の場で確かめたいという話だ。

しかし、チラリと横目でカレンダーを見ると、航空券や宿はこれからでもなんとかなるかも知れないが、もう日があまり無い。肝心のチケットを入手するにはどうすればいいのか。そこがポイントだった。

1900年(日本では明治33年!)に始まった全英選手権は、ブラスバンドをやっている英国の面々が、年に一度、寝食を忘れ、事によっては家庭をも省みず熱中してしまう超人気のイベントだ。そのロンドン決勝のチケットは、FAXや国際電話が最速の通信手段だったこの当時、英国内の知人を介して購入を試みたとしても時間切れになる可能性が高かった。

それではダメだ。

そこで、上村さんには、BBBのサポーターでもある東京のブージー&ホークス社(現、ビュッフェ・クランポン)にすぐ連絡をとって相談に乗ってもらうのがベストだと助言した。運よく、この年の選手権の主催者が楽器メーカーの同社だったからだ。

そして、この読みは見事的中。同社の千脇健治さんの手配でチケットをゲットできた上村氏は、10月2日(火)早朝に大阪・伊丹空港を発ち、成田空港からモスクワ経由、ロンドン・ガトウィック空港行きの英ヴァージン・アトランティック機に乗り継いで渡英した。

10月6日の選手権当日は、まだステージの設営をやっている早朝からロイヤル・アルバート・ホールに入り、現場をつぶさに見たという上村さん。

土産話でとくに傑作だったのは、チケットの自席付近をウロウロしているところを、前記ケヴィン・ボールトン、ロイ・ニューサムの両氏に見つけられ、ブラック・ダイクが借り切っていたボックス席に手招きされ、ステージをほぼ正面から俯瞰できるその特等席から選手権を愉しんだという話だ。

(やはり肉の力は絶大だった!)

1990年大会の選手権部門(Championship Section)決勝のテストピース(課題)は、ジョージ・ロイド(George Lloyd)の『イングリッシュ・ヘリテージ(English Heritage)』だった。

この作品は、2年前の1988年7月2日(土)、ロンドンのハムステッド・ヒース公園北端の湖の畔で夏開かれる恒例の野外コンサートで、ジェフリー・ブランド(Geoffrey Brand)指揮、ブラック・ダイクとグライムソープ・コリアリー・バンド(Grimethorpe Colliery Band)の合同演奏で初演された。即ち、ブラック・ダイクにとっては、手の内に入っている曲のはずだった。

ところが、デヴィッド・キングが指揮をとったこの日のブラック・ダイクは、1つのミスから立て続けにアクシデントが各パートを伝播。優勝を飾ったジョン・ハドスン(John Hudson)指揮、CWSグラスゴー・バンド(CWS Glasgow Band)に10ポイント差をつけられる186ポイントで第7位に沈んだ。

この惨憺たる結果は、同年5月5日(土)、スコットランドのファルカーク・タウン・ホール(Falkirk Town Hall)で行なわれた“ヨーロピアン・ブラスバンド選手権1990(European Brass Band Championships 1990)”で完勝した“ブラック・ダイク”(ヨーロッパ・チャンピオン)のパフォーマンスが“全英”のステージでは崩壊してしまったことを意味した。(参照:《第42話 ブラック・ダイク・ミルズ・バンド日本ツアー1990》

上村さんによると、このとき、レジデント・コンダクターのケヴィンが頭を抱え、名伯楽ロイに肩を叩かれ慰められるという、外国映画でよく見かけるようなシーンが展開され、ブラック・ダイクのボックスは一様に沈うつな空気に包まれたのだという。正しく大事件だった!!

(後日郵送されてきたイギリスの週間ブラスバンド新聞「ブリティッシュ・バンズマン(The British Bandsman)」上にも、ブラック・ダイクのこの日のパフォーマンスについて、酷評と失望の文字が溢れていた。)

しかし、あちらの人は頭の切り替えが早い。

選手権本番の後、審査発表までの間に行なわれたガラ・コンサートの開演前、ロイは上村さんをバックステージに誘い、当日のガラでエリック・ポール(Eric Ball)の名曲『自由への旅(Journey into Freedom)』をサプライズで指揮することになっていたブラスバンド界のレジェンド、“ミスター・ブラス”ことハリー・モーティマー(Herry Mortimer)夫妻を紹介され、ゲスト・ソロイストとしてデリック・ブルジョワ(Derek Bourgeois)の『トロンボーン協奏曲(Trombone Concerto)』やヤン・サンドストレーム(Jan Sandstrom)の『ショートライド・オン・ア・モーターバイク(A Short Ride on a Mortorbike)』をプレイする前のクリスティアン・リンドベルィ(Christian Lindberg)とも、“これから面白い曲をやるんだ”といった感じの気軽な会話で盛り上がったという。

日本ではあまり知られていないが、2000年9月9日(日)、バーミンガム・シンフォニー・ホールで行なわれた「全英オープン・ブラスバンド選手権(British Open Brass Band Championships 2000)」で、CWSグラスゴー・バンド(CWS Glasgow Band)の招きで、ハワード・スネルが抜けた後の同バンドを指揮した上村さんのキャリアは、こういった人脈の中で磨かれていったものだ。そして、この“全英オープン”での指揮は、イギリスの二大選手権史上初の日本人指揮者の登場となった。

(余談ながら、上村さんは、CWSグラスゴーからこの翌月の全英選手権決勝の指揮もオファーされたが、入管当局から就労ビザが下りず、実現しなかった。英国王がパトロンの“全英”だけに、外国人指揮に難色が示されたようだった。)

一方、1990年の“全英”で辛酸をなめたキングもそのままでは終わらなかった。

1991年7月5~6日、キング指揮のブラック・ダイクは、ウェストヨークシャーのデューズバリー・タウン・ホールで1枚のCDをレコーディングした。

タイトルは、「イングリッシュ・ヘリテージ~ジョージ・ロイド作品集(English Heritage and Other Music for Brass)」(英Albany、TROY 051-2、1991年)。

プライドの高いキングならではのリベンジだった!!

▲ガラ・コンサート・プログラム(1990年10月6日、Royal Albeet Hall)

▲CD – Boosey & Hawkes National Brass Band Championships of Great Britain – Gala Concert 1990(英Heavy Weight、HR006/D、1990年)

▲HR006/D – インレーカード(上村和義氏所蔵)

▲ジョージ・ロイド(George Lloyd)

▲CD – George Lloyd English Heritage and othermusic for brass(英Albany、TROY 051-2、1991年)

▲TROY 051-2 – インレーカード

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