■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第129話 東京吹奏楽団の船出

▲「月刊 吹奏楽研究」1963年12月号(通巻86号、吹奏楽研究社)

▲東京吹奏楽団パンフレット(1970年代前半)

▲東京吹奏楽団、吹奏楽テープ・リスト(1972年頃)

『これまで、わが国のプロ吹奏楽団は、自衛隊、警察、消防などの外、大阪府・市の両音楽団くらいのもので、何れも官庁が設けているものであるが、民間のプロ吹奏楽団として、わが国ではじめて「東京吹奏楽団」が誕生した。このメンバーは専門家だけの、日本の吹奏楽界のトップを行く人たちばかりである。十月二十四日の夜、第一ホテルで結成披露パーティが催され、吹奏楽関係の人たち百余人が集り、この楽団の前途を祝福した。…(後略)…』(原文ママ)

1963年(昭和38年)10月24日(木)、東京・新橋の第一ホテル(旧)で行なわれた東京吹奏楽団結成披露パーティを伝える吹奏楽専門誌「月刊 吹奏楽研究」1963年12月号(通巻86号、吹奏楽研究社)の28ページに掲載された「新しく生れたプロバンド 東京吹奏楽団」というニュースの冒頭部分の引用だ。

「月刊 吹奏楽研究」は、1953年(昭和28年)に、タブロイド版の“月刊新聞”でスタート。1956年(昭和31年)5月号(通巻31号)から雑誌に姿を変え、1964年(昭和39年)3月号(通巻87号)まで刊行された吹奏楽の現場で活動する専門家による吹奏楽専門誌だ。記事の執筆者は不詳だが、この書き手が“プロ吹奏楽団”というカテゴリーをどのように捉えていたのか、当時の認識がよくわかってたいへん興味深い。(参照:《第74話 「月刊吹奏楽研究」と三戸知章》ほか)

関東エリアの吹奏楽に限ると、以上のほかに、1951年から東京藝術大学で、1953年から武蔵野音楽大学で、1960年から国立音楽大学で始まったアカデミックな活動もよく知られていたが、東京吹奏楽団の1963年の結成は、これら専門大学の動きからもさらに一歩踏み出して一線を画す、新たな職業吹奏楽団の旗揚げとしてたいへん注目を集めることになった。

記事によると、東京吹奏楽団(東吹)は、当時、東京都中央区銀座東1-10の三晃社ビルに事務局を構え、楽団員は60名。当初は常任指揮者は置かず、事務局は、以下の諸氏が束ねていた。

会長:河合 滋
理事長:加藤成之
専任理事:川崎 優、前沢 功
常任理事:梅原美男、江間恒雄、大塚茂之、春日 学
事務局長:沢野立二郎

この内、会長の河合 滋さん(1922~2006)は、河合楽器製作所二代目社長(後に会長)であり、理事長の加藤成之さん(1893~1969)は、元貴族院男爵議員で、東京音楽学校(東京藝大の前身)の校長をつとめ、学制改革で東京藝術大学が発足するとその初代音楽学部長となった人物だ。よく見ると、専任理事に東京音楽学校でフルート、作曲、指揮法を専攻した作曲家の川崎 優さん、常任理事に東京音楽学校でオーボエを専攻し、東京藝術大学教授となった梅原美男さん、海軍省委託学生として東京音楽学校を修了し、後に全日本吹奏楽連盟理事長、日本吹奏楽指導者協会(JBA)会長を歴任した春日 学さんの各氏の名前が見られる。これらから、東吹が、河合楽器がスポンサードし、東京藝大とつながりが深い楽団として出発したことは誰の目にも明らかだった。(経営母体は、2006年に(株)グローバルに移管。)

「吹奏楽研究」の記事中の“このメンバーは専門家だけの、日本の吹奏楽界のトップを行く人たちばかりである”や、東吹の初期のプログラムに記載されていた“演奏者は、音楽の基礎を身につけた専門家ばかりで、誰一人みても日本吹奏楽界のトップレベルの人達ばかりである”という文脈から、当時、東吹にどのような演奏家が参加していたかがよくわかるだろう。

東京吹奏楽団の「第1回定期演奏会」は、結成披露パーティ翌月の1963年(昭和38年)11月5日(火)午後6時30分から、東京・千代田区の九段会館で開催され、プログラムは以下のとおりだった。

・喜歌劇「こうもり」序曲
(ヨハン・シュトラウス〈子〉)

・ヒル・ソング第2番
(パーシー・グレインジャー)

・吹奏楽のための交響曲
(ポール・フォーシェ)

・交響組曲「シェヘラザード」
(ニコライ・リムスキー=コルサコフ)

(管弦楽曲の編曲者名はなし。楽団公式ホームページには、このときのプログラム、ステージ写真、新聞レビューなど、歴史的資料がアップロードされている。)

この演奏会の指揮者は、山本正人さん(1916~1986)だった。山本さんは、東京音楽学校でトロンボーンを専攻し、同研究科を修了。同学教員になった後、1951年(昭和26年)、東京藝術大学吹奏楽研究部を組織し、指揮者として活躍。年2回の定期演奏会のほか、レコーディングにも進出するなど、同学吹奏楽の立役者だった。東吹結成以前に山本さんの指揮で発売された吹奏楽レコードやソノシートの演奏者クレジットは、“東京藝術大学吹奏楽研究部”あるいは“東京吹奏楽協会”の2種類があるが、いずれも東京藝大の教官と学生による演奏だった。時系列的検証をすると、東吹がこの流れの中から生まれた楽団であることがよくわかるだろう。当初、常任指揮者をおかないとプレスリリースした東京吹奏楽団だが、公式サイト(2020年現在)では、山本さんは“創立指揮者”および“桂冠名誉指揮者”としてリスペクトされている。東吹定期には、指揮者として計24回登場。藝大関係者には、“トロさん”とか“トロ先生”の愛称で親しまれた。

その後、東吹定期に登場した指揮者には、外山雄三、山田一雄、金子 登、加藤正二、大橋幸夫、朝比奈 隆、中山冨士雄、石丸 寛、荒谷俊治、三石精一、汐澤安彦、上垣 聡、時任康文、エリック ウィッテカー、岩村 力、フィリップ・スパーク…という錚々たる顔ぶれが並ぶ。この内、拙稿《第124話 ウィンド・ミュージックの温故知新》にも登場する汐澤安彦さんは、1983年に東吹の“常任指揮者”となり、2009年の東吹結成45周年を機に“名誉指揮者”に就任。創立指揮者の山本さんは、藝大時代のトロンボーンの師であり、東吹とは切っても切れない関係にある。

他方、大阪ネイティヴの筆者としては、1967年(昭和45年)4月27日(木)、日比谷公会堂で行なわれた「第12回定期演奏会」に朝比奈 隆さんが指揮者として登場し、日本では《運命》と呼ばれるべ一トーヴェンの『交響曲第5番』を演奏したと少したってから聞かされて腰を抜かした記憶がある。《運命》を吹奏楽で演奏しただけでなく、この演奏会では、同じベートーヴェンの『エグモント』序曲やドン・ギリスの交響的肖像『タルサ』、モートン・グールドの『サンタ・フェ・サガ』、フローラン・シュミットの『ディオニソスの祭り』が演奏されていた。

なんとも、派手なプログラミングだ!

しかしながら、若い頃は、遠い東京で開かれる東吹定期は、そう簡単に聴きに行けなかった。国鉄東海道本線の東京~大阪間を毎日走っていた夜行の寝台急行「銀河」の往復利用で宿泊なしの弾丸ツアーを決行しても、かなりの出費だったからだ。やはり、東京は遠かった。

それでも、コロムビアやビクター等から発売されたマーチのレコードは、結構な数が手許に残っている。中でも、日本コロムビアからマーチ4曲入りのEPレコードとしてリリースされた《世界マーチ集》シリーズ(全55タイトル、1964~1965)には、かなりレアな曲が含まれ、マーチ・コレクションとして評価が高い。

また、その後いつしかサービス終了となったが、演奏会ライヴの一部をリクエストごとにオープン・リールのテープにコピーして頒布するサービスも、ひじょうに先進性があった。

1972年(昭和47年)に郵送してもらった頒布可能曲のリストを見ると、奥村 一、草川 敬、秋山紀夫、斎藤高順、保科 洋、陶野重雄、森村寛治、小川原久雄、清水 脩、黛 敏郎、兼田 敏、菅原明朗、岩河三郎、名取吾朗、小山清茂、浦田健次郎による邦人のオリジナル吹奏楽曲がズラリと並んでいた。ほとんどがレコードがない曲だったが、その中から多くが、河合楽器系列のカワイ楽譜から出版されることになった。

まるで“吹奏楽の総合商社”のようだが、楽譜とタイアップしながらの定期演奏活動はひじょうに画期的だった。

東吹がスタートした1960年代の初めは、1960年1月にアメリカ空軍バンドが3度目の来日、同4月に大阪市音楽団(現Osaka Shion Wind Orchestra)がコンサート・ホールにおける定期演奏活動を開始、1961年11月にフランスからギャルド・レピュブリケーヌ交響吹奏楽団(公演名)が初来日したなど、わが国の吹奏楽をとりまく環境がダイナミックに変貌を遂げつつあった時期と重なる。

それでも、プロ楽団の立ち上げは、大きな挑戦だ!

『その運営が軌道にのるためには、いろいろいばらの道を歩むことであろうが、順調な発展成長を期待したいものである。』

「月刊 吹奏楽研究」も、記事後半にこう記し、新しい楽団の船出にエールを贈っていた!!

▲EP – 世界のマーチ集(アメリカ・マーチ その18)(日本コロムビア、ASS-10040、1964年)

▲EP – 世界のマーチ集(アメリカ・マーチ その19)(日本コロムビア、ASS-10041、1964年)

▲EP – 世界のマーチ集(アメリカ・マーチ その20)(日本コロムビア、ASS-10042、1964年)

▲EP – 世界のマーチ集(ドイツ・オーストリア・マーチ その8)(日本コロムビア、ASS-10044、1964年)

▲EP – 世界のマーチ集(ドイツ・オーストリア・マーチ その9)(日本コロムビア、ASS-10045、1964年)

▲EP – 世界のマーチ集(日本・マーチ その7)(日本コロムビア、ASS-10052、1964年)

▲プログラム – 東京吹奏楽団第20回定期演奏会“吹奏楽オリジナル作品の夕べ”(1971年10月21日、郵便貯金会館)

▲同、演奏曲目等

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