■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第128話 ヴァルター・ブイケンスとクラリネット合奏団

▲ヴァルター・ブイケンス – プロフィール&ディスコグラフィ(Buffet Crampon)

▲CD – ヴァルター・ブイケンス・クラリネット合奏団 ライヴ・イン・ジャパン(佼成出版社、KOCD-2502、1993年)

▲KOCD-2502、インレーカード

1993年(平成5年)7月1日(木)、東芝EMIプロデューサーの佐藤方紀さん、音楽出版社デハスケ(de haske)マネージャーのハルムト・ヴァンデルヴェーン(Garmt van der Veen)の2人と、オランダから列車でベルギーのアントワープ入りした筆者は、同夜、友人のヤン・ヴァンデルロースト(Jan Van der Roost)が手配してくれた中華レストランでプライベートな会食をもった。

このとき、一足先にレストランに着いて、我々を待っていたのは、クラリネット奏者、ヴァルター・ブイケンス(Walter Boeykens、1938~2013)夫妻だった。

ブイケンスは、筆者の姿を見つけるなり、駆け寄ってきて、『本当にすばらしいレコーディングをありがとう。とにかく、いいライヴに録ってくれて、みんなとても気に入っているよ!』と言いながら握手を求めてきた。そして『私の妻だ。』と傍らの奥さんを紹介される。こちらは、初対面だ。

ヴァルター・ブイケンスは、1964年から1984年までの20年にわたり、当時はBRTと言ったベルギー国営放送のオーケストラ“ベルギー放送フィルハーモニー管弦楽団(BRT Filharmonisch Orkest / その後、ブリュッセル・フィルハーモニック Brussels Philharmonic に改称)”の首席クラリネット奏者をつとめ、ベルギーを代表するクラリネット奏者として、日本はもとより世界的な知名度を誇っていた。

その彼が言うレコーディングとは、一年前の1992年(平成4年)11月8日(日)、東京・御茶ノ水のカザルス・ホールでライヴ収録したCD「ヴァルター・ブイケンス・クラリネット合奏団 ライヴ・イン・ジャパン」(佼成出版社、KOCD-2502、1993年5月25日リリース)のことだった。

ヤンも、『あのディスクは、ナイス・レコーディングだ! こっちでもかなり話題になっているよ。』と言葉をかぶせてくる。実は、奥さんがブイケンスの秘書をしている関係で両者は家族ぐるみの付き合いがあり、当然このCDも聴いていた。

演奏者の“ヴァルター・ブイケンス・クラリネット合奏団”は、1981年、ブイケンスが教鞭をとっていたアントワープ音楽院で組織された大編成のクラリネット合奏団で、全員がブイケンスの教えを受けた現役学生と卒業生のプロで構成。音色の暖かさと滑らかさから“ブイケンス・クラリネット・スクール”とも呼ばれる統一したスタイルでトレーニングされていた。

そのクラリネット合奏団が、東京のビュッフェ・クランポン社の招聘で来日したのが1992年。

当時のプログラムを開くと、彼らは以下のような人数で日本にやって来ていた。

2 Sopranino Clarinet in Eb

29 Soprano Clarinet in Bb

1 Soprano Clarinet in A

4 Alto Clarinet in Eb

5 Bass Clarinet in Bb

2 Contra-Alto Clarinet in Eb

2 Contra-Bass Clarinet in Bb

(各楽器名は、公演プログラムどおり)

総勢45名。引き合いとしてはあまりいい例ではないかも知れないが、フランスのギャルド・レピュブリケーヌやベルギーのロワイヤル・デ・ギィデといったフランス系の吹奏楽団のクラリネット・セクションをそっくり引き抜いてさらに補強したような楽器編成をもつクラリネットだけの同族合奏団だ。

ブイケンスは、クラリネットだけで構成されるこのグループの音楽的な可能性を切り開くため、現代作曲家への委嘱を含めた新しいレパートリーの開発に取り組み、積極的な演奏活動を展開。ベルギー国内の重要なコンサート・シリーズにすべて登場するとともに、オランダやフランスにも進出。ブイケンスの指揮者としての人気や名声も手伝って、いずこも満席の成功を収めていた。

また、テレビやラジオにも積極的に出演し、来日までに「The Walter Boeykens Clarinet Choir, The Antwerp Clarinet Quartet」(LP:ベルギーTerpsichore、1982 007、1982年)、「From J.S. Bach to J.L. Coeck」(CD:ベルギーRene Gailly、CD87 003、1986年)の2枚のアルバムのレコーディングも行なっていた。

佼成出版社の「ヴァルター・ブイケンス・クラリネット合奏団 ライヴ・イン・ジャパン」は、彼らの3枚目のアルバムということになる。

ただ、このアルバムに筆者が関わることになったのは、いくつかの小さな偶然の重なりからだった。

筆者は、1980年代の終わり頃から、東京のビュッフェ・クランポン社代表取締役、保良 徹さんの意向を受けて、同社が企画する公演のプログラム・ノート(楽曲解説)の執筆依頼を引き受けることが多くあった。その後、さまざまな音楽シーンで活動をともにすることになる担当の千脇健治さん(後、代表取締役社長兼CEO)と知己を得たのもその頃のことだ。

そして、ちょうど「ヴァルター・ブイケンス・クラリネット合奏団」の公演プログラム用のノートの執筆に取り組んでいた時、相次いで東京からの電話を受けた。『何か面白い話ない?』といった感じの。

最初の電話の主は、1992年8月16日(日)にNHK-FMの特別番組「生放送!ブラスFMオール・リクエスト」(参照:第58話 NHK 生放送!ブラスFMオール・リクエスト)をやって以後、定期的な情報交換を行なっていたNHKの梶吉洋一郎さん。ついで、電話があったのは、筆者が提案・選曲したフィリップ・スパーク自作自演CD「オリエント急行」(佼成出版社、KOCD-3902、リリース:1992年12月21日 / 参照:第48話 フィリップ・スパークがやってきた)を制作した同社の水野博文さん(後、社長)だった。

ふたりは、筆者のもとに、東京の音楽界ではまったく話題に上らない地方発の“怪しい”ネタが眠っているかも知れないと思っていたふしがある。ときどき雑談がてら電話が架かってきた。当然、その時やっている仕事の話はする。もちろん、両者には同じ話を誰にしたかなんて無粋なことは言っていない。それは、東京には東京の複雑に入り組んだ事情があり、関西ローカルの“とある情報筋”との雑談をどう扱うかは彼ら次第、というスタンスだったからだ。

だが、意外にも結果は早く出た。NHKでは、自分たちが認知していない新しいものにはことごとくアレルギー反応を示す放送局らしく、アッという間にボツ。逆に、それまでの枠を超えてポジティブに新しいものに取り組みたいとする水野さんは、前記の千脇さんと話を詰めて、即攻でライヴ収録を決めてしまった!

録音エンジニアも、すぐに藤井寿典さん(後、auftactを設立)に決定。当時、ブレーン(広島)にいた藤井さんは、プロ、アマのライヴ収録を数多く手がけていた適任者で、これで、あとはライヴの日を待つばかり、となる手筈だった。

しかし、その後、ブイケンス側からゲネの時間に難しい曲を完全に録音しておきたいというリクエストが出て、プロデューサー(日本流に言うと“ディレクター”)をつけてくれという話になったから、企画サイドは少し慌てた。何しろ人探しの日が無い。結局、大阪ネイティブの筆者が、11月4日(水)、大阪厚生年金会館中ホールの大阪公演を聴いた上で、急遽、プロデューサーとして上京することになった。ビュッフェ・クランポンから、収録用スコア(ほぼ手書譜のコピー)を受け取ったのも、収録前夜に宿泊した東京のホテルという慌しさで、もちろん断酒で深夜まで猛勉強した!

当日のコンサートは、午後2時開演のマチネで、食事休憩のことも考えると、午前中、ゲネに使える時間はそんなにはなかった。リクエストされた曲は、完全にセッション収録したが、正直に言わせてもらうなら、これは演奏者の“精神安定剤”のような気休め程度のもので、本当は不要だったかも知れない。ツアー最終日に寝起きでやったゲネと満員で盛り上がった本番のコンサートとでは、まるで音楽のテンションが違ったからだ。

唯一、どうするか悩んだのは、高揚した世界的名手がカデンツの駆け上がりで唯一リードをキッと鳴らしたロッシーニの『序奏、主題と変奏』だった。これはゲネでも録った曲だった。なので、そこだけ見事に音色もテンションもテンポまで変わってしまうが、編集は可能かも知れなかった。また、CDの収録時間上の制約もあるので、あるいは“お蔵入り”という手もあるかも知れない。終演後、そんなことをひとり考えていたとき、突然、合奏団のマネージャー氏が赤く興奮した面持ちでモニター席に飛びこんで来た。

『ロッシーニは、ライヴを使ってくれ!! 圧倒的にライヴがいい!!』

結局、思い悩んだ挙句、そのままCDに収録した。もちろん、その責はひとり筆者に帰する。

そして、アントワープでの会食で愉快にビールを飲み交わしながら、ブイケンスは悪戯っぽい表情でこう言った。

『こちらで録ったものより、圧倒的にいい。ただ、1つだけ“ユニークな音”が入っていたけど。』

あ~あ、言われてしまった!!

▲プログラム- ヴァルター・ブイケンス・クラリネット合奏団(ビュッフェ・クランポン、1992年)

▲同上、スケジュールとAプロ

▲同上、Bプロ、Cプロ

▲CD – From J.S. Bach to J.L. Coeck(ベルギーRene Gailly、CD87 003、1986年)

▲CD87 003、インレーカード

CD – Rikudim(蘭de haske、14.001、1997年)

▲14.001、インレーカード

▲ヴァルター・ブイケンス・クラリネット合奏団

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